ドッペルガンガー先輩の奮闘劇
彼、影谷太陽(かげやたいよう)。
16歳、中肉中背、野球部でもないのに坊主頭、三白眼、丸メガネ、意外と文系。学帽被って自転車に乗ればある意味完璧なのに。ちょっと残念。
私、笹川光紀(ささがわみつき)。
同じく16歳、チビ、幼児体型、黒髪ツインテール、釣り目、気分でポニテにもするが今はどちらでもなく、ストレート。
それは高校二年生の夏休みの事だった。
「お前はドッペルゲンガーだ、笹川光紀」
同級生であるところの彼は私に背を向けたまま、プールの水面に浮かぶ月を睨みつけるようにして、お前はドッペルゲンガーだと、そう吐き捨てた。
「え…ドッペル…ゲン、ガー……?」
それは、私という存在そのものの否定だった。
この私、笹川光紀は影谷太陽とは2つ離れたクラスの同級生。彼曰く、その正体は笹川光紀に化けたドッペルゲンガーという魔物娘。
この場にいる私という笹川光紀は笹川光紀ではなく、つまり私は偽物で、本物ではなく、ここには存在しない。
それが影谷太陽の言い分だった。
当然、私が彼に想いを寄せていて、彼に勇気を出して告白したという真実も、全て存在しない事になる。
だって彼の言い分がその通りであるなら、今しがた彼に告白したのはドッペルゲンガーであって、私ではないのだから。
この心臓が引き裂かれるような痛みも、涙で歪む視界も、私の、ものでは、ありえない。
ああもう泣くな私。
これは当然の報いだ。笹川光紀には影谷太陽を好きになる権利なんて無かったのだ。
その認識は、ひどく当たり前のものとして私の腑にすとんと落ちてきた。
だって、笹川光紀が影谷太陽に対して行った仕打ちの悪辣さを思えば、存在を否定されるくらいなんだというのだ。
だというのに、落ちてきたものの重みに耐え切れず、内臓が苦痛を訴えてくる。
だから泣くんじゃない私、みっともない。
現実逃避はやめろ、心のどこかで分かってたじゃないか、こうなるって。
これで良かったのだ。それだけの事を、私は彼にしていたのだ。
手短に説明するとこうである。
それは5月の頃だった。
早朝、彼が私の下駄箱に恋文入れる。私読む。
次の日早朝、私が彼の下駄箱に手紙入れる。『昼休み、校舎裏で。』
昼休み、私が校舎裏で何人かのクラスメイトと一緒に待ってる。
彼びっくり、で次の瞬間の私がこれ。
『うわ、ホントに来たよカゲくん。今どきラブレターとか古風だよね、何かの罰ゲームで書かされてんのかと思っちゃったよ』
『うん、もう返事とか聞かなくても分かってるよね。状況分かってて帰らないの勇気あるなって思うよ、いやホントお世辞じゃなくて、私なら怖くて逃げてるよ』
『大丈夫大丈夫、心の籠もったお手紙を捨てるほど私も非道じゃないから。いやー感動したわー、したよね?みんな、ねー?学校新聞にするべき名文だよこれは、折角だから皆に自慢しようと思います』
『じゃそゆことで。おしまい、帰れ。バイバイ』
もしも何かしらの弁明が許されるのであれば、私にとっても男の子からラブレターを貰うなんて生まれて初めてのことで、現実感が無かったというか。
そもそもなぜよりにもよって、全生徒身長ワースト2位であだ名が『チビ2号』の私ににこんな突然桃色イベントが!?とか、これ絶対やらせだろとか、疑心暗鬼だったというか、クラスメイトに相談したら煽られて引っ込みがつかなくなって、判断力も思考力も正常では…いや、止めよう、見苦しい。
理由なんて無い、理由があったとしても許される行為じゃない。
ただ私が最低の屑だったというだけだ。
翌日、私は止せばいいのに宣言どおり廊下にラブレターを貼り出して晒し者にして笑い者にして、先生に大目玉を食らった。
その時の私は反省なんてこれっぽっちもしてなかった。そのくせ神妙な振りをしながら白々しい謝罪をして、散々人の心を踏みにじっておいて、それだけで済んだ笹川光紀。
辱められ、嘲笑われ、何も言わずただ肩を震わせてこちらを睨みつけていた影谷太陽。
その二人が今ここで3ヶ月振りに再会したというわけである。
3ヶ月?何だ3ヶ月って、その間何してたんだ私?
なんもしてなかった。
最初は何もなかった。
『馬鹿にされた人間の気持ち、あんたが一番知ってるはずだよ』
知ってるよお母さん、でも私をチビって馬鹿にしてあだ名まで広めた連中に、私一度も怒った事ないよ。本当のことだもん。
『後悔があるなら、お前が自分で考えてケジメをつけなさい』
余計なお世話だよお父さん、いっつも私の味方してくれないよね、そんなに私の事嫌い?
罪悪感も後悔もなく、ただ終わった、やり過ごした、という感じの、祭りのあとのような虚無感だけ。
とても緊張を強いられる人生の突発的イベントをやり過ごしたのだという、奇妙な安堵が少しだけ。
1週間して、何をしても楽しくない事に気がついた。
『なんか光紀、暗くなった?』と友達に言われるようになった。全くもって余計なお世話で、周囲に合わせる努力をしなければ元からこんな性格である。
理由を考えるのに必死だった。
私はなんであんな事をしたんだろう。彼の好意が信じられなかった?好きとかそういうの初めてだったから、拒絶反応?だから叩きのめしたとか?獣か私は。
『それにしてもひっどいことするよねーミッツィ。本当に貼り出しちゃうとかカゲくんかっわいそー』
は?煽ったの吉野さんじゃん。意味わかんないんだけど。
『カゲくんもカゲくんでしょ、何あの目、私らなんか悪い事した?』
いや穂長さん、したでしょ悪い事。誰があんた達の分も謝ったとおもってんの。ていうかいい加減にしてよ、その名前、今聞きたくないよ。
鏡を見るたびに、向こう側の自分が咎めるような目で私を睨みつけてくるような気がした。
1ヶ月経って、彼のいる教室を横切るたびに動悸が早まる私がいた。
彼の方はもう立ち直ったらしいと噂で聞いた。すごいなあ。私一人が世界に取り残されたような、変な気持ち。
本当に立ち直ったのか本人を見て確かめる勇気なんて無くて、なるべく彼の視界に入らないようにしようと思った。
なんで私に何も言わなかったんだろう、恨み言とか仕返しとか、あって当然だとは思ってたけど。見たくもないとか、忘れたいとか、そんなところ?
あれ、なんでこんなに苦しいんだろう。
家に帰るとどうしても捨てられなかったあのラブレターの文面を何度も読み返して、その度に胸が締めつけられるような気持ちになった。
この段になってようやく、自責と、後悔。馬鹿なことした、どうしてあんな事したんだろうって、目が醒めてたのかも知れない。
食べ物の味が、よくわからなくなっていた。鏡の中の自分は冷たい目で私を見つめていた。
2ヶ月目になって、友達と大喧嘩した。
下校中にふと彼のラブレターの話が持ち上がって、いつもの癖で適当に話を合わせとこうと思って、出来なかった。
『馬鹿みたいな恥ずかしい文章』って言われたのが、我慢ならなかった。逆切れだけど、今更あんたがどの口でって、そんなのわかってるけど、あれは私のために一生懸命書いてくれた、すごく素敵な文だった。冗談なんかじゃなくて、あれは国語の教科書に載ってて良いくらい、世界中に自慢したいくらいの最高のラブレターだった。
そうそう、そんな大切な宝物に一番酷いことをしたのは誰だったっけ。
グーで鼻っ柱を殴られるべきなのは、本当は私だ。
いつの間にか彼の事が好きになってたんだって自覚が、ここに来てようやく追いついた。
頭の中に地獄が出来た。もう取り返しなんてつかない、どうしたらいいかも分からない。
人と話すのが嫌になった。明るいのも楽しいのも好きだけど、もう二度とそんな気分になれそうもない。最初から友達じゃなかった人達との距離が決定的なものになった。
瞼を閉じるたびにあの鏡の中の自分が枕元に立ってこちらを見下ろしてくる気がして、ひどく眠りが浅くなった。
夏休みが始まったけど、学校に行かなくていい事以外はどうでもよかった。
それで今日やっと、夜のプールに呼び出して、頭下げて、あの時はごめんなさい、私も貴方の事が好きですって、言えた。
よし、とりあえず死んでおこう。
というか私は3ヶ月前にラブレターを受け取る前に死ねばいいと思う。死んでろよ私、ホント。
ホントさぁ、馬鹿だよ。
何なの私、いい加減にしろよ、何様のつもりだったんだよ私。楽しかったか?人の気持ちを見世物みたいに扱って、茶化して、恥かかせて。
それで今更謝って許して貰おうってか。虫がいいにも程があるわ。
性懲りもなく彼の住所調べて、郵便受けに手紙入れて、夜の学校プールなんかに呼び出してさ。
普通はそんなことされてもノコノコと行ったりしないよ。まず呼び出しの要件自体を信じない、またからかおうとしているのだと思って当然でしょ。
信じたとしても絶対行かない。ムカつくとか憎いとか許さないとかいう、そんな生易しい感情じゃない、彼は純粋に私という存在そのものを無かったことにしたい筈、手紙さえ読まずに捨てられちゃっても仕方ない。
私もそのくらいは覚悟の上だった。
だから本当に、話を聞いてくれただけでも奇跡だったんだ。
そして、そこまでが奇跡の限界だ。
彼は私を、私として認めなかった。
心から悔いて謝罪する笹川光紀を、彼に告白した笹川光紀を本物だと認めなかった。
笹川光紀が影谷太陽を好きになる筈がない、これは魔物か何かの仕業であると、彼はそう考えたわけだ。
なるほどと思う私が居た。
こんなの、ドッペルゲンガーだと思うよね、と。
保健の先生から聞いた事がある。
ドッペルゲンガーは失恋した男の悲しみから生まれてくる魔物娘だ。彼女達は男を振った女性の姿で現れて、中身は理想的な恋人になってその男の恋情に応えるそうだ。
『そう言えばうちの学校にも1人居るが…ほら、演劇部部長の。そうさな、お前のドッペルゲンガーも今頃どこかに生まれてるかも知れんな』
ラブレター事件から間もなく、周囲の冷やかしを避けて逃げ込んだ先でそんな事を言われたのだった。
実際にそうなってしまった。ただし、私が影谷君の中でドッペルゲンガーになるという形で。
理想的な恋人って部分を別にすればだけど、条件は揃ってる。
けど仮に私がドッペルゲンガーだとすれば、無謀にも程がある話だ。私みたいな最悪な女、もう一度好きになるか?ならないだろ。
私は彼を傷つけて、彼は私を許さない。それでこの話は終わり。おしまい。ジ、エンド。
私が本物か偽物かなんて関係ない。
だって、どちらにせよ彼が笹川光紀にされた仕打ちを許しはしないという事実に変わりはないのだから。
彼の背中は微動だにしない。
ごめんなさい、許してくださいと、零れそうになる嗚咽をすんでのところで堪える。今の私に許しを乞う資格などあるものか。
彼はもう謝罪や後悔の言葉すら聞きたくないんだろう。そんな言葉を吐いたって、私が『自分は改心してマシな人間になったんだ』と満足して、楽になるだけ。
楽にはなりたいと思う。だって今、死ぬほど苦しい。
想いを、後悔を否定される痛みを想像したことがあるだろうか。私はこれが初めてだ。
こんなに生きているのが嫌になるだなんて思いもしなかった、こんなに辛いだなんて思いもしなかった。
影谷くんの中の本当の私は、傲慢で高飛車で人の気持ちを平気で踏みにじる嫌な奴のままなんだ。
そうして好きになった男の子の中で、顔も見たくない嫌な奴で居続ける事が私への罰なのかも知れない。
私はそれを甘んじて受け入れるべきなのかも知れない。
それでも私の口は、現実から少しでも遠ざかろうとしてしまう。
もういっそ何も喋らない方がいいのに、縋るような言葉がぽろぽろと零れ落ちる。
「ち、違うよ、影谷くん。私は、私は本物の、本当に影谷太陽くんの事が、好き、で…その…本気で、謝り、たくて、それで」
声が震え、ひどく喉が乾いて、舌がこわばっていても。
命乞いのように言葉を紡いだ。
今の私にとって、拒絶も無関心も死と同義だ。
「嘘だ」
別に信じて欲しかったわけじゃない、こっちを見て欲しかった。きっともう許してなどくれないだろうけど。それでも私は、浅ましくもただ切実に、彼の視界に入りたかった。
怒りでいい、憎しみでいい、いっそ殺意でも軽蔑でも嘲笑でも構わない。
ひと目でいいから私を見てくれるなら。
彼の心の中に、影谷太陽を好きでいる笹川光紀が存在してもいいのなら。
「本当、だよ…嘘じゃ、ないよ…お願い…っ」
お願いします、殺さないで。
私を、見て。
ここにいるって、認めて下さい。
「…俺はもう、騙されない」
あ、心臓、刺された。
違う、思い込みだ。痛みが現実に嘘をついただけ。
刃物のような声の冷たさに、思わず悲鳴をあげそうになった。
きっと彼もそうだったのだろう。
私の顔を見るたびに、私の声を聞くたびに、痛くて痛くて仕方がなかったんだ。痛みごと忘れてしまえればどんなに楽だろう。
そう思ったら、もう、何も言えなかった。
凍りついた私を置き去りに、彼が動く。
こちらを振り向くこともせず、影山太陽は夜のプールへと身を投げた。
外へ通じるフェンスは水面の向こう側。
一秒でもこの場から早く立ち去りつつ、相手の言葉を遮りたいのならそうするしかない。
「まっ…ぁ…ゅ…」
「待って」とも「許して」ともつかない間抜けな音が喉から漏れ、ばしゃんという着水音に呆気なくかき消された。
その言葉を吐く権利は私には無い、言えなくて良かった。
伸ばしかけた手が虚空を掻き、力なく下りる。
彼は水を吸った服の重さも気にせずにすいーっと反対側まで泳いでいくと、さっと上がって、来るときによじ登ってきたフェンスへと向かって行った。
暗がりの中、身体にピッタリと貼り付いたTシャツが彼の背中を薄っすらと透けさせているような気がした。
その背中がこちらを振り返る事は無かった。ついてくるなと、水滴混じりの足音が拒絶の意を示していた。
私はなにもできず、彼の背中が見えなくなるまで、ただ見続けていた。
彼は結局一度も振り返らなかったから、本当に見えなくなるまで見続けていられた。
さっさと消えて無くなってしまえばいいのに、何してるんだろう私は。
ふと水面を見る。
黒黒とした色彩の中に、間抜けな面の笹川光紀がゆらゆらと揺れていた。この愚か者は、何を元気に涙など流して、誰の許しを得てのうのうと生きているのだろう。
今ここで身を投げたところで、彼には迷惑しかかからないけど。
泣いて同情を引くような真似はすまいと、彼の足音が聞こえなくなるまで待って、待って、待って、待って、そして。
「へ、へへ、あはは、あは、ははは…」
いざ泣こうと思ったら、変な笑いが止まらなかった。
いくら笑っても胸の苦しさはとれないけど、問題はない。彼の人生に私は必要ないという明白な事実の確認ができたのだから。
分かりきっていた事だ。
私が彼の立場なら、都合よく改心などされたところで、都合よく信じてやる義理などありはしない。
「ははっ、ははは、はは…は…ぁ…あっ、ぅ」
今この場所に、笹川光紀は存在しない。
私は彼を憐れんだ、優しく愚かなドッペルゲンガー。
それが影谷太陽の選択だ。
彼の中に存在する権利の失効が、笹川光紀への罰だった。
「うわあああああああああああぁ!!わあああああああああ!!」
八月の夜。月明かりの中、ひとり。
乾ききった喉から血を絞り出すように、水面に吼える。
人目のないのをこれ幸いと醜態を晒しながら、頭の中は嫌になるくらい整理されていく。
つまり、全部終わったという事なのだ。
彼の中に私の居場所は無い。
恋も、過ちも、後悔も、全て存在しないものとして葬り去られた。
笹川光紀の残骸は、壊れたスピーカーのように掠れた絶叫を漏らし続ける。
それでも、人生は終わってなんてくれないんだ。
終わらせてしまう方法なら目の前にあるような気もしたけど、今それをしてしまえば彼に迷惑が掛かるだろう。
大丈夫、馬鹿な事はしない、冷静だ。
もう少しだけ頭を冷やしてから、私も帰ろう。
▲▼▲▼
ドアを開けると同時に先手を取られた。
「お帰り陽くん!」
「ただいま」
家に帰ると、エプロンを着た笹川光紀がぱたぱたと迎えに来た。
つぶらな瞳に血色の良い唇、少しだけ日に焼けた健康的な肌色、華奢な体躯ながらも要所要所で僅かに女性らしい膨らみが見て取れる。
今日はポニーテールの気分らしく、長い黒髪を後頭部で纏めていて、肩越しにふりふりと細長い房が揺れている。
陽くん、という呼び名が所帯染みてて気恥ずかしい。
「ってびしょ濡れじゃん!?何やってんの!?タオルタオル、ついでにお風呂沸かすから服脱いでまってて!」
「うん、悪い。ありがとう」
甲斐甲斐しい。
その声に宿った感情の温度だけで、冷え切った心が温められるようだった。風呂場へと走る彼女の後頭部で艷やかな黒色の房が元気に揺れているのを、なんとはなしに眺めるだけでこんなにも落ち着く。
程なくしてバスタオルを手にした彼女に、俺は大人しく上半身をごしごしとやられていた。
強引ではあるけれど、その嫌味のなさが心地よい。
一世一代の恥ずかしすぎる恋文を校内掲示板に磔の刑にしやがってくれた彼女が、こうして俺の家に馴染んでしまっているのには訳がある。
というのも、ラブレター事件から一週間足らず、彼女は事件の次の日曜日に俺の家に押しかけて玄関前で土下座しながら、大音量でこう叫んだのだった。
『ホントマジですいませんでした!!あとよく考えたら私もあなたの事好きでした!お願いします付き合って下さい!』
『死ねばいいと思うぜ笹川』
当然俺は速攻で玄関のドアを閉めた。
必死で心の痛みを忘れようとしている時に、傷口めがけて岩塩で殴りつけられた気分とでも言えばいいだろうか。彼女の顔は見たくもなかったというのに、向こうからわざわざ出向いてくるとはどういう拷問だ。
だがそこで退かないのが笹川クオリティ。全力で閉めたドアにそれを上回る読みとスピードを発揮して鞄を挟み込んできた。
この女、アホみたいに運動神経いいのだ。
間髪入れずてこの原理でこじ開けようとするオープンセサミ笹川(物理)。なんか動きが堂に入ってて恐怖すら感じた。
『なんでも!なんでもするから!!もっかい皆の前で謝るから!毎日お弁当作るから、苦手な理科の宿題手伝うから、なんならえっちな事でもするからーー!!』
『ちょ、おま、ご近所迷惑ーーーっ!!』
そんなわけで仕方なく家に入れたのが2ヶ月と3週間前の話。
正直なところを言ってしまえば、やった事は今でも許せないし怒ってもいる。
しかし俺自身、彼女への慕情を断ち切れずにいたこともあり、半ば押し切られる形で俺達は付き合い始めたのだった。物理的に距離を取ろうにも俺が彼女から逃げるのは不可能である。運動神経的な意味で。
すったもんだの末、校内では秘密にしようと言う事になった。
ラブレター事件の事もあり、敢えて蒸し返してまた騒がれるような真似はしたくない。それに、皆に笹川が改心したと思われない事が、ある種の罰となればいいという暗い感情もあった。
あと、両親が共働きで昼食は購買組の俺にとって女の子の手作り弁当というものは、非常に魅力的だった。どうせ改心したと言っても口先だけだろうし、タダでくれるものなら貰っておいてやってもいい。我ながら現金なものである。
それからというもの、笹川は平日の朝に家を訪ねては手作りの弁当を渡しに来たり。
『殿、今回は自信作ですぞ。通い妻より愛を込めて。あっ、ちょ、待って、そこは頭に軽くチョップとかツッコミをね、ね。ノッてよ陽くーん、あいたっ…うへへへぇ、だから陽くん好きー、ね、陽くんは?』
『このチョップがバールのようなものだったらどんなに爽快な結末になるだろうなって俺は思ってるぞ』
『…ですよねー』
土日に苦手な教科を教えに来たり。
『ちーっす陽くーん。あっついよーう。早く入れてくれないと可愛い彼女が汗だくスケスケになっちゃうぞー。…あはは、そんなに慌てなくてもいいのに。ところで今日は下に水着着てきてるんだけど、見る?』
『ご近所迷惑だからさっさと帰れ』
『あっはい』
万事この調子だった。
騙されるな俺、この女見た目は可愛いが性格は最悪なんだ。
明るくてお調子者で、同級生からチビ2号というあだ名で呼ばれてもそれが何だと笑い飛ばす姿に見惚れてから、廊下ですれ違うたびについ振り向いてしまうようになったのが間違いの始まりだったんだ。
『なあ笹川』
『なあに陽くん』
『弁当で釣ってもラブレターの件は絶対に許さない、こんな事しても無駄だぞ』
『うん、その節は本当にごめんなさい』
『謝って許されるとでも!』
『思ってないよ、でも、ごめんなさい』
一度や二度じゃなかった。
何度恨み言をぶつけただろう、何度ごめんなさいを聞いただろう。
一目惚れなんて碌なもんじゃない、あの女の本性をよく知りもしないでラブレターなんて書いた俺が馬鹿だったんだ。謝罪なんて上辺だけだ、だってそうだろうお前はあんな事しでかしたんだ、そういう事が平気でできる屑なんだ。
謝って済むと思ってないなら最初からやるな、一度やったのなら一生抱えて生きろ。お前の罪悪感に俺を巻き込むんじゃねえ。
改心なんて俺に関係の無いところで勝手にしてろ、屑は屑らしく屑のままでいろよ。
そう思っていたのに。
『はい、今日のお弁当!唐揚だよ唐揚げ!どうどう?もう唐揚げって響きだけで楽しみになって来ない!?』
『なあ笹川、聞きたい事がある』
『はいはい何ですか?陽くんの知りたい事なら何でも答えるよ!たとえ知らなくても全力で調べちゃうよ!』
『昨日、ラブレターの文面馬鹿にされてキレたんだってな。あれも罪滅ぼしのつもりか?』
『…あ、ははー、さて、何の事でしょうかねー』
『何でも答えるんじゃなかったのかよ』
『し、知らないから、あとで調べてみるね!いやほんと知らないんだよ、ごめんね?確かにその、そんな事あったら私でもキレたと思うけど…それは、私じゃないよ』
『そうか』
『そうだよ!きっと、似てる誰かと勘違いしたんだと思う』
後からクラスメイトに聞いてみても、俺のためにキレて友達と大喧嘩したのは笹川で間違い無いという話だったが、本人がひた隠しにしようとするので敢えて問い質す事はしなかった。
笹川も、俺に許されたくてやった事だなんて思われたくないようだったし。その事で俺が態度を軟化させるというような事も特に無かった。
無かったが、何かが少し軽くなってしまったような気がした。
いくら冷たくあしらっても、笹川は俺の彼女として毎日弁当を作りに来た。
毎回完食するからいい気になっているのだとしたら業腹だが、あんな美味い飯に何の罪があるというのだろうか。
食い物を粗末にする奴は屑以前に人間じゃない。
終始彼女は自然体で、いかにも申し訳なさそうにして同情を引くといった素振りもなく、それがかえって良かったというか、彼女なりに心の傷を癒やそうという努力だったのだろう。
学校では徹底してお互いを無視していた。というか二つ隣のクラスとは言え校内で全く笹川の姿を見かけないとは、忍者かあいつは。
だがそれがかえって良かった。変に引きずられてしまっては、こちらも気まずかった。
三ヶ月近くそうした好き好き攻撃を浴び続けた結果、ラブレター事件の印象は記憶から段々と薄れていった。
気がつけば夏休み中に両親が旅行に行っている間に家に泊まらせてしまうくらいには彼女に心を許している自分がいた。
なんか騙されてる気がするというか、まんまと胃袋を掴まれたというか、ずるいという気もしなくはない。
ちょろいな俺。
それでも、見た目は軽いノリでも真摯に俺の傍に居続けようとする彼女に絆されたというのが、先に惚れた弱みというやつなのだろうか。
物思いから意識を浮上させ、ふと彼女を見るとすぐ視線に気付いて見返してきた。
笹川は子柄で勝ち気そうな釣り目を輝かせ、ずいっと顔を近づけてくる。
ふわりとシャンプーの香りが鼻をくすぐった。
「近いよ笹川」
「このままキスしたい」
「するな」
「つれないなぁ、それでどうだった?」
どうだった?というのは当然、先週我が家のポストに切手の無い封筒を投函して、夜の学校に俺を呼び出したもう一人の「笹川光紀」についてである。
その時『もしかしたらドッペルゲンガーの仕業かも』と教えてくれたのも、他でもない目の前にいる笹川光紀である。
「うん、案の定というか、ドッペルゲンガーだったよ」
「…分かるの?見た目は完璧私だったんでしょ?」
いやいや、そこで首をかしげるなよ。お前が本物だろう…本物、だよな?
いや、何考えてるんだ俺は。
あんなものを見てしまったせいか、疑心暗鬼になってしまっているらしい。
呼び出された夜のプールで待つ彼女は、後ろ手でフェンスにしがみつくようにして立っていた。
黒い水面が月明かりを反射する光景はどこか現実離れしていて、地面に視線をなげうつ彼女のちいさな影が、まるでそこだけ切り取られたかのようにずっしりとした不気味な現実感を帯びていた。
「確かに見た目は笹川だったけど、まるで別人だった」
「ねえねえどんなんだったん?私とどこが違った?」
「どんなって、その、笹川は初めて家に来た時、いつもの笹川だったよな。」
「表裏のない素敵な笹川さんで通ってるからね!」
「ハイソウデスネ。まあ、だから何ていうか、あんな深刻っていうか、必死な感じで謝ってくる奴じゃないって…つまり、そんなだったんだ」
「…」
「笹川?」
おいなんだその不気味な沈黙は。
「あっはっは、そりゃ酷い。んもー、本人の前でそういう事言うかな普通。私でも傷つくよ?」
「ごめん、無神経だよな。何言ってんだろ俺」
「いやー、いいんじゃない?確かに私らしくないよね、そういう暗い感じのノリ」
だったら頼む、一瞬動きを止めてから喋るのは止めてほしい。何かあるんじゃないかと勘ぐってしまうだろうが。
ただでさえあの「笹川光紀」には思うところができてしまったのだ。
幽霊のような顔色をした彼女の言葉は、まるで返しのついた針のように、鼓膜に刺さってなかなか抜けない。
『来てくれてありがとう、影谷くん』
『…今更、許して貰おうなんて虫が良すぎると、思います。怒って当前だと思います。でも影谷くんを傷つけてしまった事を、ちゃんと謝りたくて。本当にごめんなさい。』
『手紙、本当はすごく嬉しかったです。その…わ、私…笹川光紀も、か、影谷太陽くんの事が、好き、です…ごめん、なさい…困るよね、今更そういう』
『え…ドッペル…ゲン、ガー……?』
『ち、違うよ、影谷くん。私は、私は本物の、』
か細く震える声はまだ耳の奥から離れず、思い出す度に心がざわついて仕方ない。
とても笹川光紀らしくないしおらしさで、笹川光紀らしくない弱々しさで。薄暗闇の中で彼女がとても悲痛な表情をしているように見えた時、俺は思ってしまった。
もしかしてこの「笹川光紀」は本物で、家で俺の事を待っている笹川がドッペルゲンガーなんじゃないか、と。
臓腑を鷲掴みにされる感触と共に、背筋に冷たい汗が走った。
次の瞬間、自分が何に怯えているのか理解が追いつかないうちに俺は逃げていた。
もと来たプールのフェンスまで直線で結んだ最短距離、間に水面があるが構わず飛び込んだ。何でもいいから耳を塞ぐものが欲しかったのかもしれない。
水面から上がり、耳の中に音を曇らせる液体を充満させながら必死にフェンスをよじ登って、雑木林を突っ切った。
走って、走って、走り続けて、自宅の前に来てから、ようやく耳の穴の水を抜いた。
自分の抱いた想像に耐えきれず、頑なに彼女を拒絶して、そこにあった全てを振り切ろうとするかのように逃げ帰ってきたのだ。
俺はあの「笹川光紀」が、怖くて仕方がなかった。目を合わせることすら恐ろしかった。
もしあの「笹川光紀」が本物だとしたら、家で帰りを待ってくれている笹川との3ヶ月間こそがドッペルゲンガーの用意した夢芝居で、その間ずっと「笹川光紀」は舞台裏で罪の意識に苛まれ続けていた事になる。
3ヶ月間、幸せだった。
笹川はバカみたいな事ばかり言って、底抜けに明るくてお調子者で、太陽みたいな笑顔で幸せそうに俺の名前を呼ぶ。
それが全部、演技だった?嘘だった?
本物はあの、怯えたような目の縋るような声の諦めたような顔の彼女、絶望感に満ちた「笹川光紀」。
あの小さな身体に悔恨と恐怖と悲嘆を詰め込めるだけ詰め込んだ、そんな彼女が現実だというのか。
認めたくなかった。
あれは偽物、その筈だ。本物であってはいけない。
なにせ、その外見ですら笹川そのものでありながらも違和感の塊、わざと笹川らしさを取り払ったかのように笹川らしくなかったのだ。
ふとそのことに思い至り、疑問が口をついて出た。
「ああ、そういえばあの「笹川光紀」、何故か髪を結ってなかった」
「…」
「笹川?」
本日2度目の一時停止笹川。
その逡巡を代弁するかのように、ポニーテールが僅かに揺れる。
何か思うところがあったらしい、笹川はたっぷり10秒くらい視線を床に置くと、言葉を選ぶようにしてこう言った。
「…いや、その、死ぬ気モードだったんだなって」
「何だそりゃ」
「あの、ね。ドッペルゲンガーはさ…失恋した男の人の、つまり陽くんの理想の私を具現化するけど、振った女本人の、私の思考もかなりの割合で取り込むんだよ」
「なるほど、初耳だ」
「噂だヨー、私も最近聞いたんだヨー」
「なぜ棒読み…」
「で、まあ私のポニテとツインテってさ、可愛いじゃん?」
「あ、はい。というか自分で言うのか…」
「かーわーいーくーなーいーでーすーかー?」
「痛い痛いつねるな、すごく似合ってて可愛いから、その髪型は好きだ」
「す…っ!?う、うへへへ、素直でよろしい」
本当に一番可愛いのは髪型ではなく、そういうだらしない笑顔を浮かべてる時なのだが、敢えて黙っておくのが紳士の嗜み。
「で、私が陽くんの前で十八番の可愛い髪型をかなぐり捨てるって事は、どういう事だと思う?」
無遠慮につねったばかりの頬を今度はそっと撫でるように、笹川は問いかけた。こちらを覗き込む黒色の瞳には真剣な色が伺える。
そういえば、プールサイドの彼女は「許して」とは一言も言わなかった。
そして目の前にいる笹川も、「好き」とか「愛してる」はよく口にしていたが、しかし「許して」は一度も無かった。
心の何処かで、あの「笹川光紀」と目の前の笹川が重なる。
好きだけど、許さなくていい。
ああそうか、きっとそれが笹川光紀なりの、けじめの付け方ってやつなのだ。
あれだけのことをされて俺が笹川光紀をもう一度好きになれたのは、彼女のそういうところに惹かれたのが最大の要因だと、今更になって自覚した。
これは存外に衝撃的なことで、思わず「ああ」とか「うん」とか、返事になっているのかいないのか分からない返事をしてしまう。
しかしそれがお気に召したらしく、笹川は照れくさそうに顔をほころばせた。
クソかわいい。
「…なるほど、覚悟はしてたというか、今もしてるのか。笹川は武士なんだな」
「いかにも、拙者こそがポニーテール侍でござる」
そうして「ござるござる、にんにん」などと作ったばかりの侍キャラを速攻で忍者に上書きする笹川の笑顔に、俺はあの薄暗闇の中で見た断頭台へ向かうような「彼女」の表情を幻視した。
その顔を最後に見た瞬間から今の今まで、考えないようにしていた事がある。
影谷太陽がプールサイドに置き去りにしてきた「笹川光紀」は、あの後どうしたのだろうか。
変身を解除して、他の失恋男を探しに行ったのだろうか。今もあの薄暗闇の中で所在なく立ちすくんでいるのだろうか。
それとも…
「なあ、笹川」
「…いいよ」
みなまで言うなとばかり、笹川は真面目くさった表情で、こちらを見て言った。
「まだ何も言ってないぞ」
「じゃあ当ててみせようか?」
最初から分かっていたのだろうか、タオルと一緒に持ってきたTシャツを差し出しながら、笹川は続ける。
「陽くんはそのドッペルゲンガーの「笹川光紀」を放っておけないんだよね。私は陽くんの彼女だよ?全国一位の陽くんマニアだよ?そりゃわかるよ」
「怒らないのか」
「怒らないし、怒れない。私は…笹川光紀はそんなカッコいい陽くんが、大好きなんだからね」
惚れた。
こいつと結婚したいと思ったのはこの瞬間が初めてだと思う。
もう偽物とか本物とか、どうでもよくなった。
もしも目の前の笹川がドッペルゲンガーで、彼女と過ごした3ヶ月が全て演技だったとしても、その気持ちまで嘘にはならないのだと俺は知っている。
散々恨み言を言ったのに全部受け止めて、感想なんて一度も言った事がないのに毎日弁当作りに来て、そんなの全部嘘や演技で出来るもんなのかよ。
もしそうだとしたら俺はまんまと騙された間抜けで結構だ。
お前が偽物でも本物でも構わないという気持ちをどう伝えたら良いか、俺には分からない。
「え、ふひぇっ!よよよよ陽くんっ!?な、な…」
いや、手の甲にキスってのは我ながらメルヘンが過ぎたとは思うけど。
「…あああありがとう笹川、おお前を好きになってよかった。行ってくる!」
くそ、めっちゃどもった。
やけくそ気味にTシャツを着て、俺は玄関へ。
ひどく熱を帯びた頬を隠すようにして、夜の学校へと向かって駆け出した。
までは良かったのだが…
▼▲▼▲
「…って速攻で帰ってくるんかーーーい!?」
およそ5分の外出だった。
玄関にはぐずぐずと泣きじゃくる制服ズブ濡れで髪もぐしゃぐしゃの「笹川光紀」と、それを羽交い締めにして引きずって来た俺。
「時計見てよ5分しか経ってないよ!忘れ物しちゃったテヘペロって次元だよ!どんなヘアピンカーブかましたらそうなるの!?返せ!5分前のカッコいい彼氏に対する私のときめきを返せ!!」
そして指を綺麗に揃えてキレのいいフォームでビシッとツッコミをかまし続ける笹川。
予想外の展開にもこうしてノリのいいツッコミを出せるとは、流石笹川は自分のペースを崩さないなあと関心した。
大丈夫だ笹川、俺はお前のその元気の良さを照れ隠しだなんて思ってないし、一際だらしない顔でキスされた手の甲に頬ずりしていたところなんて見ていないぞ。
「ていうか、なにこれどういう状況!?なんでこの子全身濡れ鼠!?何がどうなったらそうなるの!?」
「落ち着け笹川、今から説明するから」
回想開始。
と言っても5分足らずの出来事だ。
玄関を出たら50メートルくらい先に、慌てふためいて逃げようとする怪しい人影が、というかずぶ濡れの「笹川光紀」が居たという、実に単純な話だった。
「笹川光紀」は逃げようとしてそのまま足をもつれさせて転んだので、俺は全力で追いかけて捕まえてしょっぴぐ事にした。
危ない危ない、本気の笹川光紀は自転車並みの走力の持ち主なのだ、対等な条件だったら影谷太陽が捉えるのは至難の業だった。
俺はご近所の目を気にしつつ「笹川光紀」を無理矢理玄関に引き摺り込んだ。端から見れば少女拉致誘拐現行犯である。
入水自殺で死にぞこねましたって感じの格好をして、か細い声で「ふにゃあ」とか「ぴえぇ」とか言いながらもぞもぞと抵抗する彼女は、ゾッとするほど弱々しく冷たかった。
後頭部から塩素の香りがして、彼女がずぶ濡れになった理由に気づく。
俺が飛び込んだプールに、彼女も飛び込んだのだ。
冗談じゃなかった。
回想終了。
「やぁ…はにゃ、離して…離して下さい…ほっといて…優しくしないでぇ…」
「いや、なんか外に出たらすぐそこでウロウロしてたし、ズブ濡れだし、逃げようとしたし」
「拉致って来ちゃったと」
「そういう事になるな」
「うわぁ…なんかもう…うわぁ…」
本当に放っておいて欲しい人は家の前までのこのことやって来たりしません。まあおかげで探す手間が省けたが。
あまりの事に笹川は言葉も無いという様子だ。
まあそりゃ自分そっくりのずぶ濡れ少女を彼氏がお持ち帰りして来たら「うわぁ」だよな。他に何を言えというのか。
すんすんずびびーと鼻を鳴らす「笹川光紀」は観念したかのように手足から力を抜いてされるがままになっている。
明るい室内の中、ぐっしょりと濡れた制服の下からピンクのキャミソールがモロに透けて見えていて非常によろしくない。
「ごめ…なさ…ごめんなさい、こんな、迷惑…私、頭冷やそうとして、プールに」
そんな理由でプールに飛び込んだのかよ!
いや、俺も人の事は言えないのだが。
「でも、やっぱり、どうしても、諦められ…無理でぇ、影谷くん、かげやく…ごめんなさ、い。償います、なんでも、する。しますから、お願いです。影谷くん、私、私、偽物じゃないです、笹川光紀なんです、信じて、ぐす、ひっぐ、うえええええええん」
「…こんなんなってるし、そのままにはしておけず」
「あぁうん、いいんだけど、そんなんなってたら仕方ないかもだけど…まさか家に上げるとこまで行くとは…そっかー、諦めはつかなかったかー…そっかー…あーあ、出逢っちまったか…」
泣きじゃくっててどうにも要領を得ない「笹川光紀」と、拉致誘拐についての自己弁護を試みる俺と、なんか遠い目で総てを受け容れる笹川。
なんとぐだぐだな三者面談だろうか。
「えぐ、ひぐ…ふぇ?…あ、あ…の…ど…どちら、さま、でしょうか…え?…あれ?…わ、私…?」
「気づくのおっそ!?」
「どうしようこれ」
「むしろ私が聞きたいよそれ!いやとりあえずこの子あっためないとだけど!」
「丁度風呂なら沸かし中だな」
ツッコミながらも判断力は的確な笹川だった。何がそんなに腹立たしいのか、可愛らしく地団駄を踏んでいる。
「あーもー、陽くんと私が先に入る筈だったのに!」
笹川自重しろ。
「えっ、その、二人は一体どういう関係…」
「今の発言は気にしない方向で頼む。えーと…その、笹川、この「笹川光紀」…さん?を風呂に案内してやって欲しいんだけど、頼めるか?」
呼び名に窮する。俺はこの、本物とも偽物ともつかない彼女の事をなんと呼べば良いのだろう。
自身が混乱の中心でありながら全く状況についていけていない、あまりに弱々しい「笹川光紀」を。
いや、どちらであろうとも、彼女がこんな姿でいる事の責任は俺にある。
偽物だろうと本物だろうと、思いつめた様子の彼女に酷い言葉を投げつけ拒絶してその場を後にしたのは、他ならぬこの影谷太陽に違いないのだから。
そんなどうしようもない影谷太陽の側にずっと居てくれた笹川は、大げさに肩をすくめて首を横に振ると、わざとらしいため息をついた。
そして、
「しょうがないなあ、もう。大好きな陽くんの頼みじゃあ、断れないよ」
と、俺の彼女は嬉しそうに言うのだった。
「あ、その、影谷君、私は…」
「はいはい、お風呂場はこっちですよー」
「あ、ちょ、待って、待ってくださあああああああ…」
とりあえず「笹川光紀」を笹川が風呂に入れて着替えさせる、という事で満場一致した。
その間俺にできるのは、彼女達の答えを待つことだけだ。
三人分のホットミルクでも用意しておくとしよう。
▲▼▲▼
わしゃわしゃわしゃわしゃ
笹川光紀の髪は素直で洗いやすい。
お泊りセットを持ってきてる日で良かった、お気に入りのシャンプーを使ってあげられる。
「ねえ笹川光紀ちゃん…いや、光紀」
「はひっ!?」
「いや、そうビビられるとこっちも傷つくんですけど、いやビビるか普通。自分と同じ顔だもんね」
「あ、あの、あなたは…もしかしてふぎゅ」
「ハイ頭ゴシゴシしますよー、あと私については後で教えます。それまで質問等一切受け付けません。つーか私の方が聞きたいことあるし」
ゴシゴシゴシゴシ
なんて笹川光紀らしくない笹川光紀なのだろうか、あんなずぶ濡れで家の前をほっつき歩いて。
恋という未知の領域に危険を感じたから全力で拒絶して、他人を傷つけた事を後悔したから謝りに行って、伝わらなかったから自宅に押しかけてもう一度アタック。
この子の一連の行動をかいつまんでまとめると、そういうことになる。
そこにずぶ濡れだのうじうじ悩むだの余分な要素を持ち込むなんて、らしくない。この子は本来、もっと考え無しで猪突猛進な馬鹿なのだ。
頭の中では賢しげに小難しい思考をこねくり回していても、行動自体は獣のように単純明快、結論を出す頃には既に行動が終わっていて、後に残るのは取り返しのつかない結果のみ。
それで他人がどうなろうが躊躇いも容赦もなし。それが私の知る笹川光紀という少女の生態だ。
何が笹川光紀をこんな臆病者にしたのか。
認めたくないけど、そんなの陽くんを好きになってしまったからに決まってる。
手入れを欠かさず、トリートメントは用途に応じて3種類、日光対策も怠らない。
自慢の黒髪をいたずらに痛めるなんて、よほどの事がなければ生理的に受けつけない。
「ふえぇ」
「…しおれちゃってまあ。まるで別人だね、あんた。言いたい事も聞きたいことも山ほどあるけど、まずこれだけ聞いとかなきゃ。あんた、陽くん…影谷太陽くんの事、好きなの?」
びくり、と怯えたリスのような反応。
本当にらしくない。
でも私は、そんな臆病者になってしまった笹川光紀の事を、3ヶ月前ほど嫌いではない。
「…あ、え、そ、そんな、いまさら私、私なんか、でも、あの」
「あんたが最低な事した女なのは知ってる、どうでもいいよ今はそんな事。ちゃきちゃき答えろ、あんな酷い振り方しといたくせして好きなのかって聞いてんの、YES or NO!」
「あっ、す、好きっ!…好き、です!…好き!」
イラッ
だったらなんで最初から、と詰りそうになるのを堪える。
感謝なんて絶対にしないけど、私と彼を結びつけているのも彼女の存在あってこそだ。
それに少し、彼女に負い目が無いわけでも無い。
いつだったか、ラブレターを馬鹿にされて笹川光希がキレた件、あれは私じゃなくて彼女がやった事だ。
だって校内での私は、笹川光希では無かったのだから。
それを知っていて私は、陽くんに嘘をついた。悪逆非道の笹川光希が都合よく改心したなんて事、信じられなかったから。
「そうそう、なんかそういうとこハッキリクッキリ言えるんだよね、光紀って子は」
「あ、はい、そうかも……でも、なんでだろ…私、影谷くんの事になると、自分が分からなくなるんです。今更迷惑だって、分かってるのに、こんな同情引くような真似までして、お互いにとって良くない事だって、キッパリ諦めた方がいいって分かってて、それでも私っ…!」
「ハイもういい分かった、流すから口閉じろ」
語調を荒げてシャワーの栓をひねる。怒りの感情ごと洗い流すように。
シャアアアアァ
「ふにぇ…」
浴室から出て、互いの髪をドライヤーで乾かし合う。
自分の髪だから手慣れたものだ。
「で、どうすんの、笹川光紀」
「あぅ、その、まずはお礼だと、思います。あなたに」
ゴオオオオオ…
おずおずとした小声でも、ドライヤーの音で掻き消しきれないクリアな音質。
不可解な言葉だった。
彼女にとって私は至極不気味で不可解な存在でしかないのに。
「は?私あんたに何かしたっけ?」
「私が傷つけてしまった影谷くんを、心配して、元気づけて、傍にいてくれて、本当にありがとう」
待て、なんで分かる。なんで知ってる。
お前さんそんなに洞察力のある女じゃなかったでしょうが。
「…なんであんたに、そんな事分かんの」
「なんで、えっと、なんでだろ…あなたを見てたら、なんかこう、ぼんやり、記憶みたいなのが、ぶわーって」
あ。
ああ、そういう、そういう事か。
そう来るのか。
殴られたような衝撃。一瞬手が止まる。
忘れていたわけではないけど、私と彼女が接触すると、ある現象が起きる。
その現象は彼女からしてみれば、自分そっくりの何者かに存在が塗りつぶされるようなもので、記憶の共有ぐらいの超常現象ならばその過程で起こっていておかしくない。
つまり、そういうことだ。
「ああ、それは…同化が始まったって事ね。ねえ、あんた分かってる?それって、あんたがもうすぐ消えるって事だよ」
「…はい」
「伝わったんだね、私がどれだけあんたの事嫌いだったか。影谷君がどれだけあんたの事好きで、幻滅して、憎んで、でも彼、根本的に人の事憎みきれない人だから、簡単に絆されて。お弁当だって、一度も残した事無かった。あんなに優しい人、あんたは友達グループから外されるのが怖いからって、自分の体面を守るためだけに傷つけたんだ」
余計な事まで言ってしまった。これは私の負け惜しみだ。
自分の本当の姿では彼に声をかける事すら出来なかった、臆病者の八つ当たり。
「…はい」
その声は諦めではなく、覚悟だった。
私が何者なのか、私と彼女の間で何が起こっているのか、彼女にも分かってしまうのだろう。
謝らない。これは正しい現象だから。
起こるべくして起こった出来事で、自然の摂理で、当然の報いだから。
でも、やり方なんて分からないけど、私はそれを拒絶せずにはいられない。
「感じるでしょ、自分の心が別のものに作り変えられようとしてるのを。出来るだけ抑えるけど、体質みたいなものだから、多分長くは保たない」
「……はい」
乾かし終わったので後ろに回って髪を梳かす。彼女の目をまっすぐ見て話すのが、怖いと思ってしまった。
努めて淡々と説明する。
「いいの?あんたは人間じゃなくなる。笹川光紀でもなくなる。似てるけど違う、この「私」とあんたを混ぜたような、全く別の存在になるんだよ」
「…なんでもするって言ったから。もしそれで償えるなら、影谷くんの中に、私も居ていいって言ってもらえるなら、嬉しいです」
嘘はないようだ。
嘘なら良かった、嫌だと言ってくれた方がまだ気が楽になったのに。
今日は…まだ髪は結わない方がいいかな。
大丈夫、笹川光紀はストレートでも十分に可愛い、憎らしいくらいだ。
「そっか、あんたは本気で改心して、本気で陽くんの事を好きになったんだね」
「でも、もう嫌われてますよね、私。仕方ないです、救いようがないくらい馬鹿だったから。覚悟できてます」
それは違う。救いようがない馬鹿なのは、浅はかだったのは私の方だ。
放っておけば勝手に取り返しがついたかもしれない可能性を、嫉妬で摘み取った愚か者は私の方だ。
「そんなの、私が納得できるわけないじゃん」
「え?」
だから、笹川光紀が何かを失う結末を、他でもないこの私が許容なんてできる筈がない。
「「私」はあんたでもあるんだから、あんたの望みは私だって叶えたい。まあ見てなよ、全部ひっくり返してあげるから」
陽くんの部屋からこっそり拝借したとっておきの秘密兵器を、出すなら今だと決意する。
頭上に疑問符を浮かべる光紀に向かって、今できる精一杯の笑顔で笑ってみせた。
何故なら私は、ドッペルゲンガー。
バッドエンドの続きをハッピーに書き換える魔物なのだから。
▲▼▲▼
「今からネタばらしをします」
風呂場から「笹川光紀」を連れて出てきた笹川は、俺達をリビングのテーブルに集め三者面談を再開した。
『(前略)また、もし男性の片想いというのが男性の勘違いであり、本物の女性が男性への好意を持っていた場合、その女性が自分に変身したドッペルゲンガーを目撃してしまうと、その瞬間から、同じ姿を持ち同じ男性への好意を持つ女性とドッペルゲンガーは魔物の魔力で繋がってしまう事となる。
魔力がリンクしてしまった本物の女性は、自然とドッペルゲンガーが変身したものと同様の理想像へと近づくように変わっていってしまう。』
〜以上、魔物娘図鑑、ドッペルゲンガーの頁より抜粋。
「というわけで、実は私の方がドッペルゲンガーだったのでした!…今まで騙しててごめんなさい」
ホットミルクをふーふーと冷やしながら、一通り「ドッペルゲンガー」という魔物娘について講釈を垂れていた彼女は、簡潔な謝罪で説明を締めくくった。
その笹川の姿をした魔物娘本人の、ぺこり、と下げられた頭からポニーテールが零れ落ちる。
なぜかジャージに着替えたドッペルゲンガーの笹川は、自らの正体をあっさり白状した。
その潔さ、神妙に裁きを待つ武士の如し。
一方、彼女の講釈を聞いている間に、俺は頭の中で状況を整理していた。
3か月前のラブレター事件のすぐ後に、ドッペルゲンガーである彼女は笹川光紀に化けて、半ば押しかけ妻のような形で、他人の罪滅ぼしを代行するような真似までして傷ついた影谷太陽の心の穴を埋めていた。
でも実は本物の笹川光紀も自分のした事を後悔していて、しかも両想いで、ずっと悩んでいたけど意を決して影谷太陽を夜のプールに呼び出した。
謝罪と告白をするために、或いは断罪を受ける覚悟で、しかしその覚悟ごと存在そのものを否定されたのだ。
俺は笹川光紀の謝罪と告白を、受け取る事すらしなかった。
ごめんなさいと、ポニーテールの笹川は頭を下げた。
ドッペルゲンガーの彼女がいなければ、あるいはその拒絶はなかったのかも知れない。
俺は本物の笹川と和解して、或いは告白を受け入れていたかも知れない。
ドッペルゲンガーさえ居なければ。
ふざけんな。だからどうしたって言うんだよ。
もう二人の笹川のうちどちらが本物などと、事はもはやそういう段階を通り越している。
少なくとも、俺の中では。
「だとしても、俺は「お前」が一番好きだ」
だから俺は秒で切り捨てた。
ずっと騙していてごめんなさい、振られて傷ついた男を慰めてごめんなさい、本当は両想いだった二人の間に割り込んでごめんなさい、好きになってごめんなさい。
そんな謝罪は、受け取った上でのしをつけて突き返す。
「いやーそうだよね怒るよね、ごめんねー偽物で、でも私達ってそういう種族…ってほわぁっつ!?ななななんでそうなる!?」
「…いや、それは、そうなりますよ」
仰天するドッペルゲンガー笹川の右隣、ストレートに整えられた髪の、湯上がりに水色のパーカーを羽織った笹川光紀(本物)が呟きながら静かに頷いたのを気配で感じ取る。
俺は向かい側に居るその笹川(本物)の方はなるべく見ないようにしていた。
どんな顔をして彼女の顔を見ればいいか分からないとか、そういう問題ではなく目のやり場に困るからだ。
彼女が着ているパーカーはドッペルゲンガーの笹川が俺の私服を勝手に持ち出して着せたものなので、ただでさえ小柄な笹川にはサイズが大きすぎる。
何が言いたいかというと、その余った袖をハンカチがわりにして両手でカップを持ってチビチビとホットミルクをついばむ仕草が天使なのだ。
肩とか鎖骨とか下手したらささやかながらも尊い曲線を描くご胸部が大胆にも見えてしまいそうなのだ。
おおっと、ちょっと待ってくれ、今気づいたんだけどピンクのキャミソールはどこに行ったんだ、肩紐が見えないぞ。
まさか、いやありえないとは思うがまさか、ノーブラだというのか。
なんて事だ。そんなもの目のやり場に困るに決まっている。
いや正直本当に困るよ、ただでさえ目の前にはあの笹川光紀がしかもダブルで鎮座しているのだよ、怖くね?
今更説明するまでもないが笹川は超絶美少女だ。
それがダブルセットなのだ。
ひとつ屋根の下で!
湯上がりで!!
ノーブラで!!!
ホクホクなのだ!!!!
万が一これが校内に知れ渡ろうものなら、次の日には俺の席には花瓶が添えられるだろう。
この状況でなんとか表面上は平静を装える俺を誰か褒めてくれ。
「あわわわわここここんにゃはずでは…あれどうしよう、これ私大勝利なのでは。すごく嬉しいんですけどいやそうじゃなくてええぇどうすれば」
とジャージ着て無様に慌てふためくドッペルゲンガー笹川。
ジャージでも後光が見えるレベルで可愛い。むしろ一層可愛い。
くそ、よく考えたらこれ、一体何がどうなっているんだ。今ここに俺の自宅に光と闇のデュアル笹川セットが君臨している、豪華すぎるだろ。
しかも二人とも俺の事が好きなのだという。わーおすげえ超展開だよありえねー。
このあとどんな不幸が待ち受けていたらこんな天国が地上に顕現するっていうんだよ、明日俺は交通事故とかで死ぬんじゃないのか。
「ちょちょちょ待って、待とう、待ちませんか」
「三段活用」
「合いの手はいいんだよ!そうじゃなくて!陽くん、冷静に考えようよ!私はドッペルゲンガーだよ、本物じゃないんだよ!?」
「俺は冷静だ」
「だって、私は陽くんを騙して、裏切って…!」
「…騙されたかもしれないけど、裏切られてなんかないぞ。姿形は本物じゃなくても、してくれた事も、お前の気持ちも、本物なんだろう。それじゃだめなのか?」
「なななっ…が…っえ、っとぉ…そ、そういう言い方は反則だよ陽くん!」
必死で反論を考えながらも、にやけそうになる口元と紅潮した頬を必死で隠すドッペルゲンガーの笹川。そしてそれを黙って見守る人間の笹川。
結構俺も俺で勇気を出して言っているのだけど、ドッペルゲンガーの笹川は自分が影谷太陽の一番であることを辞退しようとしているようだ。
今更真実を明かされたところで、彼女との3ヶ月間が嘘の関係だったなんて誰も思うはずがない。後ろめたいことなど何一つ無いのに、一体何を遠慮することがあると言うのだろうか。
いや、実は俺には分かっている。
さっきドッペルゲンガーの生態について説明されたときに、何となく分かった。
この優しい魔物娘がやろうとしてる事、今必死で救おうとしているものが何なのか。
俺はもちろん、きっと笹川にだって、もう全部分かってしまったんだ。
「わ、私はホントは、今の姿よりも更にチビで、地味で、運動オンチで、性格とかも全然明るくなくて、ハッキリものを言うのとか、というか喋ること自体苦手で、根暗だよすごく!今こうしてるのだって全部「笹川光紀」を演じてるだけなんだよ!?」
「…無駄ですよ。思いやりがあって、好きな人のために全力で頑張れて、手料理がとても上手で、洗濯も掃除も得意。そんな「笹川光紀」、あなたしかいない」
ずっと静観の姿勢を決め込んでいた笹川から思わぬサポートが飛んできた。
ドッペルゲンガーは信じられないといった顔をして、笹川の胸ぐらを掴む。
「……どういうつもり、あんた自分が何言ってるか分かってるの?」
「全部私には、「笹川光紀」には出来なかった事です。あなたは私なんかよりずっと勇敢で優しい人で。影谷くんは最初から私なんかじゃなくて、あなたを好きになるべきでした」
そうでしょう?瑞希先輩。
▲▼▲▼
彼女、佐々川瑞希(ささがわみずき)
17歳、全生徒身長ワースト1位、あだ名は『チビ1号』。どう見ても小学生(だと専らの噂だ。情けないことに俺はほぼ面識がない)。演劇部部長。魔物娘。ドッペルゲンガー。
どこまでも落ち着いた風に、笹川光紀は彼女の正体を看破した。
「おま、どの口で…あんたにはっ!ほんの少し勇気が足りなかっただけじゃん!すれ違ってただけでちゃんと両想いだったんだよ。私はただ…光紀と陽くんの隙間に…潜り込んだだけで…本当は…私が居なくたって…」
ドッペルゲンガーの笹川もとい、瑞希は肩を震わせる。声には涙の色が混じっていた。
「けど、そうはならなかったんだよ、佐々川瑞希」
「よ、陽くん…驚かないの?」
伏線というかヒントというか、ところどころで思わせぶりな態度で疑念の種を撒いていたのはお前自身だろう。
てっきり驚きすぎないようにじわじわと心の準備をさせてくれていたのかと思ってたくらいだ。
恐る恐るこちらに向き直る瑞希に、できるだけ落ち着いた声をかける。
「最初にドッペルゲンガーって言葉を聞いたとき、そういやうちの学校にも一人居たなって。俺も先輩って呼んだ方がいいか?」
「いらないよっ!そうだよ、私は光紀じゃないっ!!しっかりしてよ陽くん、このままじゃ本物の光紀は消えちゃうんだよ!?そんな事誰も望んでない!」
「じゃあ瑞希って呼ぶけどいいよな」
「はうっ、か、甘美な響きぃ…いやそうじゃなくて!深刻なの!一刻を争うの!なんで茶化すのー!?」
悪いが瑞希、笹川の姿で両手を上下に振る仕草が可愛すぎていまいち深刻になれない。
元来、ドッペルゲンガーという魔物娘の性質には一切の攻撃性が無い。
誰の心も侵さず、堕落を強制する事もなく、元から存在した恋慕の残骸をそっと拾って、優しく繕うだけのか弱い魔物娘だ。
全くもって人畜無害なのである、ある現象が起きた際の「結果」を、ほんの少し穿った視点で見た場合を除いては。
『魔力がリンクしてしまった本物の女性は、自然とドッペルゲンガーが変身したものと同様の理想像へと近づくように変わっていってしまう。』
その際、本物の「元の人格」がどうなるかについては語るに及ばず。
人はそもそも自然に変化も成長もする生き物だ、笹川が笹川では無くなる事が、何も悪い事だと決まったわけじゃない。
それを洗脳まがいの天罰と見るのか、ちょっとした精神の変革と見るのかも、きっとその人次第だろう。
瑞希は風呂から上がった後すぐに、わざわざドッペルゲンガーの性質について講釈を垂れ、自分の正体をばらして、笹川に彼Tシャツならぬ彼パーカーを着せて好感度上げて、自分はジャージで地味目に徹して来た。
俺も笹川も、優しい彼女の思惑に薄々気付いていた。
瑞希は俺に自分ではなく、笹川を選ばせようとしている。
自分の魔力によって上書きされてしまう笹川光紀の「元の人格」を、救おうとしてくれているのだ。
何も不幸な事だと決まったわけじゃないし、彼女が責任を感じるような事でもないのだけど、それでも、瑞希自身は到底そうは思えなかったらしい。
「私は、光紀を見くびってたんだよ。可愛くて、明るくて、運動神経良くて、私とは正反対。なのにあんな事を平気でやって、そんな奴が陽くんに想われてるのが悔しかった」
あんな事とは当然、ラブレターの一件だろう。
手紙は破られはしなかったが、心はズタズタに引き裂かれ、晒し物にされた。
失恋の痛みそのものよりも、笹川光紀への怒りよりも、周囲の視線が嫌だった。
校内のどこを歩いても感じる、同情、憐憫、嘲笑。ぽっかりと空いた心の穴を、遠慮がちに、しかし残酷に視線が突き抜けていくのが辛かった。
無関心が欲しかった。惨めったらしく背中を丸めて、人目を避けるように日の当たらない場所ばかりを探して歩くようになった。
けれど、それも1週間足らずの間だった。
そんな冴えない男子高校生の姿を、見ていられなかった奴が一人いたのだ。
それが佐々川瑞希。
影谷太陽のため、振った笹川光紀の代わりに破れた恋を成就させようと行動した人。
正体を隠し、本物の笹川光紀に対する悪感情を抱えながら、笹川光紀の顔で、笹川光紀の声で、笹川光紀の性格で、影谷太陽にとっての「理想の笹川光紀」を演じたのだ。
「陽くんをプールに呼び出した時だって、人のラブレターを晒し物にするような奴が本気で人を好きになるわけない、罪の意識から逃れたいだけで、どうせ自分の事しか考えてないんだろうって」
でも、そうじゃなかった。
した事は許されないけど、すごく時間が掛かったけど、それでも笹川は、逃げる事も目を背ける事もしなかった。
笹川光紀は赦されるためではなく、自分の想いを伝えるために、自分のした事にけじめをつけるために、勇気を出して1歩を踏み出した。
それに気付いた時にはもう、既に彼女たちの同化は始まっていたのだ。
「消えてしまえばいい、理想で塗りつぶしてしまえばいいって。陽くんが好きになった女の子を、陽くんが選んだ女の子をそんな風にしか思ってなかった!私、なんて、なんて浅はかだったんだろう…っ!」
それが事のあらまし。
ドッペルゲンガー、佐々川瑞希の告解だった。
その悔恨に今、避けられぬ運命が叩きつけられている。既にドッペルゲンガーの魔力は二人の笹川を結びつけてしまっている。
理想で塗り固められた虚像は、だからこそ真実を凌駕し、笹川光紀は「笹川光紀」になる。
恋も、過ちも、後悔も、全て理想に塗りつぶされる。
「こんな私をそこまで買ってくれて嬉しいです。だめですよ先輩、こんな私とおさらばするの、惜しくなってきちゃうじゃないですか」
「惜しみなよ!自分の事じゃん、めいっぱい大切にしなよ!消えずに済むかも知れない方法だって、あるんだよ…」
「…かも知れないだけです、それにその方法は不可能だと思います」
瑞希の声には力説というにはあまりにも力がなく、あっさりと否定される。きっと彼女にも自分がどれだけ望みの薄い希望を口にしているのか分かっているのだろう。
笹川の目線がこちらへと流れる。
ああ、そうだな笹川。お前の考えている通りだよ。
笹川が笹川のままでいるには、瑞希が変身した『俺にとっての理想の笹川』を上回ればいい。
今の、ありのままの笹川を誰よりも好きになればいい。
瑞希よりも、瑞希が変身した笹川よりも、ありのままの笹川を一番に選べばいい。
出来ねえよそんなこと。
佐々川瑞希を、つい今しがた本名を知ったばかりの、本当の顔も声もろくに知らない女の子をその座から引き摺り下ろすなんて事は、俺にはどう頑張ったって出来そうにない。
「俺にとっての一番が、瑞希じゃなくて本物の笹川になれば或いは、か」
「私が余計な事しなくてもちゃんと光紀は改心したし、家事なんてこれから覚えれば良い、光紀と陽くんはこれからなんだよ。なのに私の、私のせいで光紀は…」
こうしている間にも、笹川光紀が抱いた後悔も、自責も、本物の慕情も、少しずつドッペルゲンガーのものに変わっていくのだろう。
それはゲームのセーブデータを上書きするような変化なのか、それとも真水にインクを流し込んで色を塗り替えるような変化なのか。
笹川自身も自分が変わってしまう事が怖くないといえば嘘になるだろう。
けれど。
「泣かないで下さい、先輩。私は消えるんじゃない、瑞希先輩の優しさと、影谷くんの想いをちょっぴり分けて貰って、新しい私に生まれ変わるんです」
「そんな、光紀…」
それでも笹川は、自分の運命を受け入れた。
優しい瑞希の魔力がもたらすものなら、それは決して恐れるような事ではないのだと。
俺が人生で初めて好きになった彼女は、芯の強い女の子だ。
「…だからその前に、影谷くん」
「…ああ」
笹川と、目が合う。
俺には彼女の覚悟を受け止める義務がある。
告白して、振られて、傷つけられて、夢のような3ヶ月を経て、今度は告白されて、振ることすらせず、傷つけた。
今、本物の笹川光紀と、影谷太陽は再会した。
「お手紙、ありがとう。男の子からラブレターを貰ったのなんて初めて」
「俺もだ、女の子にラブレター送ったのなんて初めてだ」
「私は、笹川光紀は影谷太陽くんの事が大好きです。結婚を前提にお付き合いして下さい」
やっと言えた。
やっと聞いてやれた。
だから今度は、ちゃんと返事をしよう。
「…ごめん、笹川」
「うん」
「信じてやれなくてごめん」
「うん」
「嘘だって決めつけてごめん、ちゃんと聞かずに逃げてごめん」
「うん、うん」
「ラブレターの事、許すよ。もうするなよ、あんな事」
「しない。約束する」
「……俺も笹川の事が好きだ。理想の姿じゃなくて、今ここにいる笹川のままでいいって、そう思う。なあ、それで同化が止まっちゃわないかな」
「……うん、そうだね。そうだったら、凄く、嬉しい」
沈黙。視線。
分かってる、分かってるよ笹川。
人の心を一つ、消し去ってしまうのかも知れないって思うと、声が震えそうなんだ。
だから少しだけ、深呼吸する時間をくれ。
「でも、笹川とは付き合えないし、結婚もできない。俺、笹川よりも好きな人が出来たんだ。だから、ごめんなさい」
「うん…分かっ、た…っ!」
ああ、一つだけあの昼休みのときの笹川が理解できた。なぜクラスメイトが一緒だったのか。
好きな人に告白されて、それを振るのは凄く怖い。告白するのとどっこいどっこいだ。
俺には、ここには瑞希がいるから、逃げ出さずに居られる。だからした事が許されるわけでは決してないのだけれど、きっと笹川も怖かったのだ。
こうして、影谷太陽は本物の笹川光紀を受け容れた。
たとえ彼女が俺の抱いた理想像へと変わってしまっても、俺はちゃんと覚えている。
理想なんて押し付けなくても、彼女は彼女自身のやり方で間違いを正そうとしたのだ、理想とは違っていても、自分の本当の心で明日に進もうとしていたのだと。
「俺の事、恨んでくれて構わない」
「そんな事しないよ…これで、良かったんだよ」
必死に目を反らすまい、決して俯くまいとしている笹川の目から、涙の粒が零れ落ちる。
その別れは、どこか儀式めいていた。
いや、別れの儀式なのだ。
さようなら、笹川光紀。
俺と瑞希を会わせてくれてありがとう。
助けてやれなくてごめん。
お前を好きになって、本当に良かった。
「ファーーーーーーーーーーック!!ふざけんなうおりゃああああああああああああああああああっ!!」
「えっ、な、なにうおわあっ!?」
襟首を掴まれたかとおもったらフワッと浮遊感。世界が回転する。
そして背中から床に叩きつけられた。
「げふぉあっ!?」
「影谷くん!?」
何が起こった?
笹川、じゃない笹川の姿をした瑞希がキレた。キレた瑞希に投げられた。
笹川は柔道部だ。瑞希のそれは、その技術を完璧に真似た綺麗な一本背負いだった。
どうでもいいけど、女の子が大声でファックとか言うんじゃありません。
抗議の声を上げようにも肺が圧迫されて急には声が出ない。
「ゲホ、ゴホッ、ゴホッ…み、瑞希…?」
「瑞希先輩、一体何を…」
「…き、綺麗に、まと、まとめっ、ようと…するなっ………っ!」
聞いたことのない、幼気な少女の声がした。
大きな声を出すのに慣れていないような、震える少女の声は、笹川のそれよりも若干幼い印象を受ける。
起き上がって振り返るとそこには、自らの意思で変身を解いたドッペルゲンガー、佐々川瑞希がいた。
小学生と見紛う低身長、着衣はジャージではなく、日本では見たこともないような形状のスリットスカート?が特徴的な黒ずくめのドレス。
長い前髪で目元を隠す独特なショートヘア。微かに見え隠れする瞳の赤色が、彼女が人間では無いことを示している。
手が小さい、腕も細い。胸と呼ぶべき膨らみは皆無と言えるであろう絶壁。ナイス貧乳。
関節とかうっかり握ったら折れてしまいそうなほど細くて、けれどぞっとするくらい白い肌が妙に艶めかしい。
しかも腰から太腿にかけてのラインは、幼気ながらも女性らしい絶妙な曲線を描いているのがドレスのスリットの奥に見て取れる。よく見たらかなりエロいドレス。
人外の領域から醸し出される魔的或いは神秘的な性的魅力がそこにある。佐々川瑞希は、笹川光紀とはまた別種の美少女だった。
なんだよ、どっちにしろクソ可愛いんじゃないか。醸し出している色香が犯罪的なのがひとつの難点だが、逆に言えばそれを呑み込むだけでいい。
よしイケる、全然問題なし。
これに欲情するのがすなわちロリコンだと言うのなら、全人類がロリコンでいい。
その小さな身体は震えていた。
なんで震えてるんだよ。
怖がることなんて何もない、お前はそのままでもうなんかいろいろ最高だから、胸を張っていいんだ。
「さ、最初からこうしてればよか、良かっ…た!光紀はもう、自分で、頑張れる。それを、消しちゃうくらいなら、そんな力、こんな魔力…要らない!」
あれ?という事は、瑞希は、変身能力を…笹川の姿を捨てたのか?
身長も、容姿も、声も、運動神経も、底抜けに明るくて、ハキハキとものを言える性格も。全部笹川光紀が笹川光紀のままでいるために捨て去った。
嘘だろ、男前すぎる。
「ご、ごめん、ね。陽くん、こんな、ちんちくりんが本当の私。幻滅…した、よね」
「しない。結婚してくれ」
「ひゅあ!?」
ハッ!?しまった口が勝手に。反撃っていうか自爆した。
いや仕方ない、だってそうだろう?何がちんちくりんだ、何が幻滅だ。
何が。
馬鹿野郎、言葉が見つからねえよ。
あれだ、何回惚れ直させる気だ、泣きそうだよ。いい加減にしろ。
「み…瑞希先輩ーーっ!」
「どひぇぁうあぁ」
感極まった笹川に抱きつかれた瑞希がなんかふにゃふにゃした声を出した。
「あわ、あわわわ、ひゃ、そこだめ、こそばゆい」なんて面白い生き物だろう、録音して自宅パソコンの起動音にしたい。
「やめ、光紀、くすぐったいってば、よ、陽くん、たす、たすけ」それにしても、初恋の相手と今の彼女がまさかの百合展開。
僥倖!俺は密かにガッツポーズした。
「よ、陽くーん……くーん……ガクッ」うん、堪能した。大変美味しい場面なので、これを遮らなければならないのが非常に心苦しいけど。
「笹川、少しだけいいか」
「あ、うん。邪魔しちゃったね」
ちょっとだけ笹川に断って、なぜかぐったりしている瑞希の前にしゃがみ、目線を合わせる。
悪いな笹川、後で好きなだけ百合百合してくれていい。むしろやってくれ、そりゃもう存分に。
「つ、次からはもっと、早く助けて…」
「前向きに善処するよ。あと、ごめん瑞希、さっきの結婚云々は口が滑った。やり直させてくれ」
「えっ、さっきの…そ、それはどういう…」
いや、何を誤解したのか知らんがそんな怯えた顔されても困る。チラッと退路を確認するな退路を。傷つくだろうが。
あ、笹川が背後に立って退路を塞いでる。
「あゃ、み、光紀、何を」
「…影谷くん、ほら」
いや、ほらってあんた。
何やってんだよ笹川、振られた相手のために。
二人の動きが何だかバスケ選手みたいな感じになってて、少しだけ笑ってしまった。
色々、ありがとな。勇気出た。
「瑞希、好きだ」
「あ、私も、好きだ、けど」
「けどじゃない。良いから聞けよエロドレス幼女」
「エロドレ…幼女!?よ、陽くん、私、年上っ!」
「どうかお聞き下さい、大変そそる格好の幼女様」
「言葉遣いの、方じゃなくて…あんま、見るなぁ」
「じゃあ瑞希」
「…うん」
「最初からそう言えれば良かった事を、今言うよ。お前が俺の側にいようとしてくれて、俺や笹川の事を救おうとしてくれて、それだけで良かったんだ。理想の彼女なんて要らねえよ、瑞希は俺の想像なんて及ばないくらい、最高の女の子だ」
「せ、せりふ、長いよ、恥ずかしい…」
「まさかの駄目出し!?」
こんなところで演劇部設定持ち出さなくても良くないか!?
え、ええっとだったら…
「付き合おう、結婚を前提に」
「は、はい…ふつつかものですが、よろ、よろしく」
そうして俺達は、笑みを交わした。
かなり後から聞いて分かった事だが、この瞬間に瑞希は変身能力を完全に失ったらしい。
恐らくそれに伴って笹川の精神の変質も止まったが、一度身体に入り込んだ魔力が失われたわけではないので徐々にサキュバス化していくのではないかと思われる、とは瑞希の言である。
ひとまずこれで、俺たちの物語はめでたしめでたし。
という事になるのだろうか。
だがしかし、さっきから空気を読んでその場を立ち去ろうとする笹川のだぼだぼパーカーを、瑞希が逃がさんとばかりにがっしり掴んでいるのが視界の端に見えていた。
(ちょ、何してるんですか瑞希先輩!?離して下さいよ!私は今から家に帰りますから!2人きりにしてあげますから!)
(ま、まあまあ、と、泊まって行きなよ。そのカッコで、よ、夜道は危ないよ)
(先輩が無理矢理着せたんじゃないですか!有り難く持って帰りますけど!)
(ひ、ひとりでするときに、匂い嗅ぐと、幸せだよ)
(そそそそんな事しませんよ!?)
うーん、美少女二人がヒソヒソと内緒話、尊い。
俺にはその様子が何となく、今後の未来を暗示しているようにも思えたのだ。
▲▼▲▼
「…夏、だね」
「…夏だな」
「…夏ですね」
8月31日、夏休み最後の日。
クーラーの効いたリビングでカップ入りの宇治金時をつつき終わった若者が三人、ぐだっていた。
もうすぐ夏休みが終わり、2学期が始まる。
なんやかんやで俺と瑞希は付き合う事になった。
旅行から帰ってきた両親にどう見ても小学生の彼女を紹介した時はヘッドロックと腹パンを浴びせられそうになったが、同じ学校の先輩だと説明してなんとか命を拾った。ははは、息の合った夫婦で何よりだ。
そんなこんなで俺と瑞希と笹川の三人は、こうして平和に長期休暇をぐだぐだと締めくくっているのである。
本音を言うと瑞希と二人きりが良かったのだが、瑞希がどうしてもというので笹川も一緒だ。あれから何度か二人で遊ぶようになったらしく、そこは俺としても大歓迎なのだが…
いやけして笹川が邪魔だというわけではなく、むしろ居てくれた方が未成年の俺達が過ちを犯さないストッパーになると思うわけで。
だからまあその、健全な男子高校生の性欲さんが、ほんのちょっぴり残念がっているというだけの話なのであって。
実際、スカートの下から覗く瑞希の裸のおみ足はあまりにもスケベすぎて二人きりになってしまった日には襲わずにいられる自信がない。
魔物娘の魔力のなせる技なのか?
不思議な事に、瑞希はどう見てもジェットコースターに乗れないであろう身長の幼女なのだが、見ていると無性に抱きついたり舐めたりめくったり撫でたり摘んだりこすったり入れたり出したり前後とか上下とかしたくなるのだ。もうロリコンでいいや。
実際は年上だしいいよね、大丈夫大丈夫、合法合法。と悪魔が囁く。
なんとなく、瑞希ならしたいと言えば応えてくれそうな、というかむしろそれを待ってすらいそうな気もするが、そこで容易く野獣になるような男を軽蔑せずにいられるかというと結構難しい。
そこ、頼むから何をどうしたいとか詳細を聞くな、そしておまわりさんを呼ぶな、俺は変態じゃない。
仮に変態だとしても、まだ強姦魔ではない。変態と強姦魔の間にある紙一重の空白はしかしマリアナ海溝よりも深き断絶なのだ。
ありがとう笹川、お前さえ居てくれれば俺は警察の世話になるような真似をせずに踏みとどまれそう。
「あのね、影谷くん」
「うん?どうした笹川」
「今夜さ、影谷くんと瑞希先輩と三人で…セックス、したいな」
むせた。
こいつ俺が麦茶を口に含むタイミングを見計らいやがった。一部気管に侵入しかけた液体が妙に甘く感じたがそれどころじゃない。
おいこら笹川さん、意味分かって言ってんのか、なに全力で背中突き飛ばしてくれてんの?踏み止めろよ。
そして言うなら言うで照れるなよ!顔真っ赤じゃねーか!可愛すぎか!?
瑞希は俺が吹き出した麦茶を避けて、こてんと笹川の膝に倒れ込んでいる。
あーもー、おのれらは仲良し姉妹か、可愛いぞもっとやれ。だがテーブルが邪魔で見えない。
代わりに上気した頬の笹川が、流し目でこちらを見ているのが視界に入る。
不覚にもときめいた。
両手でそっと持ち上げたコップからつつつと麦茶を飲む奥ゆかしさよ。水気を帯びたやわっこそうな、今しがたセックスって言った唇につい目が吸い寄せられる。
自然と視線がうなじとか鎖骨の醸し出すエロスに誘導される。そして白いシャツの中でささやかな、しかし確かな曲線を描いている事が見て取れる膨らみへと。
セックスがしたいと言う事はつまり、それらを全て触り放題でいいというのか、更にそれ以上も許すと。
マジで良いんですか笹川さん!?
ひゅう、やったぜ!
待て俺。
落ち着け俺。ステイ、俺ステイ。
割と最低な思考だったぞ。
というか発言内容がアレすぎて、笹川がエロい目で見てきているような気がしてならない。意識するなというのが無理な相談なのだ。静まれ俺のエクスカリバー。
ごめん瑞希、俺の性欲さんが見境なくてごめんなさい。
ちょっと待っててくれ、今冷静になるから。攻勢に出るから。
「…お前、一周回って凄い明け透けになったな笹川」
「やだなあ冗談だよ」
「えっちな事言うようになったなあ笹川は」
「…冗談だってば」
「はしたないぞ笹川」
「ちょ、ちがっ、恥ずかしいから敢えて何度も言い直すのやめて!」
俺の理性に対する素の破壊力こそ優れているものの、自分が受けに回ると途端に雑魚と化す笹川であった。
そんなに両手を振り回すほど恥ずかしいなら自重しろ。言って良い冗談と悪い冗談があります。
そして、そんな人の膝の上からさらに自重しない人の発言がぽつりと。
「わ、私は、いいよ。3P、しよ…?」
うわあ、すごいや。
瑞希先輩まじぱねーっす。そういえばあなた魔物娘でしたね。エロエロですかそうですか。
勘弁して下さい、刺激が強過ぎます。というか本音を言うと後が怖い。
一時の欲望に任せて肉体関係+三角関係とかもう手に負えない、なんか大事なものが爛れて拗れて駄目な大人街道まっしぐらの予感しかしない。
まだ高校生なのに既に将来に対して恐怖しかないって、正直どうなんだろうと思う。
「えええっ、い、いいんですかそんな軽率に、言い出しっぺ瑞希先輩になっちゃいますよ?」
「食いつき凄まじいな笹川」
何だよそのセックスに持ち込む間合いを伺うような物言いは。
「ハッ……じょ、冗談だよ?」
「ドスケベな笹川…」
「ごーめーんーなーさーいーってば!!」
届きはしないのに身を乗り出してペシペシと叩いてこようとする笹川。
いちいち可愛いなおい。誘ってんのか。
膝からテーブルの上に頭を移動してなんかぷにっとした生き物と化した瑞希。
あーだめだこれ、可愛いすぎる今すぐ犯したい。
よし決めた、笹川を倒そう。
「脇は余裕なんだけど胸は見えそうで見えないな、惜しい事に」
「なっ…か、影谷くん私の胸を見るの禁止っ!」
「ほう、見せるつもりは無いと。つまりセックスはセックスでも、着衣でセックスするつもりだったんだな笹川は。服のシワとか汗とか大変だろうけど、なるほど確かに興奮はするわけだ。うんうん、分かるぞー(棒)」
「みみみ瑞希先輩、影谷くんが事ある毎に私を辱めるんですけど!?そういうときに限ってよく喋るんですけどこの人!」
「光紀…いっぱい、構ってもらえて、嬉しそう」
「や、やぁ…」
確信した、笹川光紀はSかMかで言ったら確実にMだ。
なにがやぁ、だ、なにが。犯すぞ。
いやそうじゃなくて、なんだこれ、思考が犯すか犯さないかの2進法を採用しつつある。
顔を赤らめて嬉しそうにもじもじするが決して怒って帰ろうとはしない笹川。いやなんで嬉しそうなの?犯していいの?じゃなくて!
なるべく穏便に退場させようとする俺の試みは、早くも挫けつつあった。
不肖、影谷太陽。お行儀の悪い息子を腿の間に挟んで抑え込むのに精一杯である。
「ね、陽君」
「なんだ瑞希」
「欲情、しない?光紀、可愛いでしょ?」
言いたいだけの事を言うとテーブルの下に引っ込む瑞希。彼女の言うことは全部図星だった。
ぶっちゃけ欲情してる。笹川超可愛い。瑞希という人がありながら、俺は最低だった。
さっき口に含んだ麦茶でむせた時から、笹川の一挙手一投足にエロスを見出さずには居られない。同時に瑞希が視界から消えてしまった事もあり、自然と意識のベクトルは笹川に集中する。
笹川がエロくなったというよりは、俺自身の笹川に対する無意識下のエロ目線が明らかな自覚症状となって浮上した感じだ。
いつぞやの風呂上がり笹川に彼パーカーを着せるという悪魔的発想といい、さすが瑞希、俺のことはなんでもお見通しというわけだ。
いや、というよりは。
「麦茶になんか仕込んだろお前」
テーブルの下を覗くと、瑞希は悪戯がバレた子供のような表情をした。
テヘペロである。
「合法幼女 + テーブルの下 × テヘペロ = 無限…そうか、これが宇宙か…!」
「ごめん影谷君、何言ってるのかちょっと分かんないです」
「わ、私、幼女じゃ、なーい…」
ドン引きされた。さもありなん、何を言ってるんだ俺は。
「それより、見て、今日の光紀、勝負下着」
「え、やっ、あっ、きゃああああああ何するんですか先輩!」
瑞希が笹川のスカートを捲り上げ、膝を割り開いてパンツ見せてきた。
目をそらすという選択肢は俺には無かった。笹川のパンツを思いっきり見てしまった。凝視してしまった。手招きされるままにテーブルの下に潜り込んでしまった。笹川の膝が耳元に来るぐらい顔を近づけてしまった。わずかに汗の香りを嗅いでしまった。
いや、いい加減逃げろよ笹川。頼むから。
「み、光紀の、におい、すき?わ、私のも、見たい?」
背中に回り込んだ気配から、あるかないかのかすかな体重がしっとりと首に絡みつく。
早鐘のようにトクトクと鳴る薄い胸をこちらに押しつけてきた瑞希が、耳元でとんでもないことを言った。
嫌いなわけないし、そんなん見たいに決まってる。
変態が唾をのむ音がした。
どう考えても俺だった。
「ふぁ、あの、ああああのねかかか影谷くん…」
「あ、え?なに笹川、いやその、ごめん、今、退くから、今…すぐに…」
「えっ…」
「退かなくても、いいよね、光紀」
「よせよ瑞希、そんなこと。ごめん笹川、俺、変になってるから、その膝で頭をホールドすんの、止めてもらっていいかな」
「…私、そんなに魅力ないかな」
「ごめん、違う笹川、泣くな。そうじゃなくて、もしそうだったら、パンツから目ぇそらすの、こんな苦労しねえよ、くそ、頼むよ、なんかもう限界なんだよ色々と」
「…ほんと?」
「気を使って嘘つく余裕、あると思うのかよ」
「…じゃあ、影谷くんの部屋、行かない?」
「三人で、ね?」
「……なにが………………………じゃあだよ…………なにが……」
「影谷くん」
「陽くん」
「…いいんだな、お前らはそれで」
もう、この二人がいいと言うなら、いいか。
心が折れたと、そう表現せざるをえなかった。
ああもう、やっぱりお前ら最初からそのつもりで。そう咎める気持ちすら持てずにいる。
くそ、ダメだ俺ら。この空間にまともな奴誰一人居ねえ。
選んだはずなのに、どちらかを選ばない事を受け入れたはずなのに。
「なあ、瑞希。俺にはお前が、何をしたいのかわかんねえ」
「ふ、二人とも、欲しくなっちゃった、から」
は?
「は?」
「…はぁ」
思考がフリーズした。
「待ってくれ、瑞希、何を、言ってるんだ」
「それが、ベストな目標。み、光紀が改心したのも、陽くんが、私を嫌わなかった事も、う、嬉しい誤算だね」
いやそれじゃわからん。
なんか訳知り顔で辟易とした溜息をついている笹川さんなら何か知っていそうなので、媚薬盛られて拉致られ中の身だが、主犯が何言ってるか分からんので共犯にヘルプを要請する。
「すまん、笹川、どういう事だ、説明してくれ」
「えーと…瑞希先輩は、3人一緒が良いんだって」
いや待て、それはつまり、一時的な関係とかちょっとアブノーマルな性に身を委ねてみたいとかそういうのじゃなくて、まさか。
「あの、瑞希さんや、それはもしかして、添い遂げる的な、意味ですか」
「?ほ、他に、どんな、意味があるの?」
助けて笹川。目線で再びヘルプを要請。
「あー、なんていうか、私が屑のままで影谷君と瑞希先輩がくっつくのも、私と影谷君の仲を取り持って瑞希先輩が身を引くのも、ただバッドエンドよりマシなだけの、ベストエンドを諦めた妥協の産物に過ぎないからだって」
ああ、なるほど。
つまり瑞希にとって俺と笹川はハーレムエンドの攻略要員的な存在で、今までの行動は全部、バッドエンドフラグを回避するのを最優先にしていたがゆえの事だったと。
笹川が改心すると思ってなかったから俺へのアプローチに徹して笹川をドッペルゲンガーだと思わせ、俺と笹川が結ばれないと笹川消滅エンドになるとわかったから変身能力を捨ててまで身を引いて、俺がそれでも笹川を選ばなかったから今度は笹川を唆して俺とくっつけようと…。
最悪の条件を回避するためなら自分の身すら平気で捨てるが、いざ拾えるとなれば迷いなく手の平を返すし、そのためだったら手段は選ばない。
「て、手探りだったけど、その、やっと見つけたの、三人一緒に笑える筋書きを」
やばい、純粋にゾッとした。
こいつ現実と虚構の区別がついてない。
別に瑞希にだって全ての事が手の平の上だったわけではなく、むしろ目の前の状況を見て対応を迫られていた印象の方が強いのだけど、根本的なものの見方があまりにも非人間的すぎて。
なんというか、世界観の次元が違う。
笹川はそれを受け入れたのか。
俺の自惚れでなければ、影谷太陽の側にいたいなら良い考えがあると、他でもない瑞希に唆されたのなら、首を横に振るのは難しいだろう。
それにしても、なんかこう、佐々川瑞希という奴は。
「瑞希は、どこまでも自分本位なんだな」
「それ、私も思います」
「え、えへへ。どうしたの、二人とも。ほ、褒めても、何も出ないよ?」
いや、褒めてないが。
抵抗する気力が根元からポッキリと折れた。
2人が望むならと、両の手を片方ずつ引かれるまま。
ぐだぐだと、ずるずると、ふらふらと。
誘われるように。
堕ちていくように。
寝室へ。
▲▼▲▼
ベッドに座らせた影谷くんのズボンをパンツごと二人がかりで脱がせて、後ろ手を瑞希先輩が抑えつけて抵抗できないようにしたあと、足の間から体を割り込ませて強引におちんちんを咥える。
先輩が麦茶に仕込んだ謎の粉末の効果か、勃たせるまでもなく既に元気いっぱいだった。
初めてフェラチオに挑戦した感想は、まず青臭くて、それからとてもあごが疲れましたというのに尽きる。
精神面はいろんな意味でプラマイゼロ。
好きな人と肉体関係を築いたという興奮は、折角今までの事を水に流してくれたのにまた酷い事してしまったという罪悪感で。
彼が私で気持ちよくなったんだという充足感は、でも彼はもう私のことそんなに好きじゃなくなってるよなぁって諦観で。
それでも、瑞希先輩のえっちすぎる計画に二つ返事で乗ってしまったのだから、私という女はロクな死に方しないだろうなと思う。
「くあっ…!笹川、もう、出る、出るから!」
「んー、ん、んッ」
「ん、じゃねー…よ…!、あっ、ぐう、お」
震えてうまく逃げられない腰を掴むと、快感で力の入らない腕で繰り出されるささやかな抵抗が返ってくる。無論離さない。
「……つぁ………っ!」
ドクッドクッビュルル、ビュッ
少し生臭い。粘つく。
押し殺した悲鳴のような、あ、影谷くんでもそんな声出すんだって感じ。
別にもう好きでもない女の子に大事なところを触られて、食べられて、気持ちよくさせられて、悔しさと恥ずかしさと快感が入り交じった声。
ちゅるんっ
おちんちんを口から解放する。
「んっ」
「は…あ…ッ…はッ……は………ぁ…」
射精を終えた彼の吐息に敗北感が滲んでいたのは、私が変態だからそう聞こえるだけなのだろうか。
好きな人をレイプしてるんだって、背徳感に背筋がぞくぞくと震える。
「さ、笹川…ほら!ティッシュ!」
影谷くんが焦ったように箱ごとティッシュを差し出してきたけど、今からでも吐き出せという意味だろうか。
くちゅ、と口の中で唾液と混ぜ合わせた粘性の体液は、聞いていたほどエグい味じゃなかった。こうなってしまえば毒性もない無菌のたんぱく質、害などあろうはずもない、と思う。
さて、口の中に広がるのは背徳の味、影谷くんの味、影谷くんが私におちんちん気持ちよくさせられてしまった、その屈服と達成の味だ。
どうしようかなんて迷うまでもない。
ごめんね影谷くん。返品お断りします。
「んくっ、んくっ、んっ、ぷぁ…はぁ…」
「笹川!?」
「…あ、ず、ずるい、光紀。独り占めは、良くない」
「飲んじゃったものはしょうがないです」
慌てる影谷君をよそに、噛むようにして少しずつ嚥下する。自分の息から影谷君の精液の匂いがするなんて、頭がおかしくなりそう。
余韻に浸ろうとしたら、瑞希先輩がちょっとむくれた。
先輩がお先にどうぞって言ったんじゃないですか。っていうかその小さな口に肉棒が入りきるのだろうか。
「いや、だからティッシュ使えって…」
息を整えながら所在なさげにティッシュ箱を置く影谷君。
顔が赤いのは快感によるものではなく、私が精液を飲み込むのをしっかり見てくれたからだと思う。
「ねえ、もしかして興奮した?」
「笹川はもしかしなくてもド淫乱だな」
採点を要求したら罵倒された。
ちょっと理不尽じゃないでしょうか、私はただ素直に気持ちよかったし興奮したと認めてほしいだけなんだけど。
「な、なにおっしゃってるのかなあ影谷君は!?」
「淫乱を淫乱と言って何が悪い」
悪いよ馬鹿、影谷君の意地悪。
否定の言葉を紡ごうとして、もっと良い切り返しがある事に気づく。
思い出した、こないだ瑞希先輩が「こ、これ、予習」って言って渡してくれた影谷くんのお宝本に載ってた漫画みたいな恥ずかしい台詞。
瑞希先輩が手でゴーサインを出してるので間違いない。羞恥に耐え、言うことにする。
「ち、違うもん…」
「笹川お前、精飲までしといて…」
「か…影谷くんにだけだもん、えっちになるのは」
あーあ、言っちゃったぞ。
えっちなのは認めつつ、貴方の前だけですよと説明する。よく考えたらなんの弁解にもなってなくて、甘すぎてむせような頭の悪い恥ずかしい台詞を、この口で!
裸で往来に飛び出すような羞恥と達成感。いや、そんな趣味はありません、ものの喩えですもちろん。
その瞬間、沈黙が空間を支配した。
え、なにこの気まずい沈黙。
だめだ、多分失敗だこれ。瑞希先輩のバカ、絶対ドン引きされた。狙い過ぎてて逆に外した感じの痛い子だって思われてるに違いない。痛い!沈黙が痛い!!
あー時間差で恥ずかしさがこみ上げてきた。影谷君の目を直視できません。
いやでも、だってあながち嘘というわけでもないんだから、しょうがないじゃん。他にどう言えっていうのさんむうううぅぅ!?
「むぐ、む?んむーーーー!?」
むあ、え、なに、いや何かは分かるっていうかどう考えてもキスなんだけど。
影谷くん、なんで、キス。
あー。
もういいや。
もう何でもいい。
もう、嬉しさだけで死んでしまってもいい。
ん、舌、入れられた。
人のことインラン呼ばわりしておいて、勝手にそういう事するなんて。
絶対影谷くんの方がえっちだ。
えっち。
「っぷぁ…は…はぁ…は…あ?…ぁー♡」
「…悪い笹川、なんか、我慢できなかった。まだ俺、お前の事も好きみたいだ。ごめん、最低だよな、こんな時に」
「ぐ、グッジョブ、陽くん」
ごめんなさい影谷くん、ごめんなさい瑞希先輩。
とても嬉しくて、なみだが溢れてしまいそうなことを言われてるのに。
内容が全然頭に入ってこないよ。
だって男の子の唾液って、こんなに熱いんだ。
「かぁげやくぅん♡」
「何がグッジョブ…さ、笹川…さん?」
「か、考えすぎが、光紀の良くない、ところ、だと思う。だから、これでいいの」
ずっと自分でも分からなかった。
罪悪感を好意と履き違えてたんじゃないか、瑞希先輩の魔力に当てられただけじゃないか、やっぱり本当は自分が楽になりたいだけじゃなかったのか。
いつまでも消えない火傷の跡のような疼きが、あったはずなのに。
別の炎に溶かされてしまって、もう分からない。
影谷君のせいだ。
「おい待て笹川、目が、色、ていうか頭なんか生えて」
あんなキスするするから。
「陽くん、に、にげちゃ、だめ」
「俺の部屋からどこに逃げるってんだよ…こら、離せ瑞希、逃げないから」
あんな背中見せるから。こんな汗の匂いさせてるから。
「うわっ、やめろ嗅ぐな、どこ舐めてるんだ笹川!」
許しちゃいけないのに許すから、今だって全然、抵抗しないから。
ぜんぶ、かげやくんがわるいんだ。
「いて、耳を噛むな耳を……笹川?」
ほら、痛いでしょばか。
かげやくんのばか。
頭撫でるな、ばか。
「…なあ、泣くなよ、笹川」
手を振り払うのがつらい。
瑞希先輩の裏切り者、こういう事されるのが困るから手を押さえといてって言ったのに。
そもそも今日だけのつもりだったのに。
私は影谷君に許されて、振られて、瑞希先輩が一緒にいて欲しいって言ってくれて、でもそんな関係ずるずると続けるの良くないから、だからこの一回だけで終わりにしようって、そう思っていたはずで。
私はあなたのことを、もう好きになっちゃいけないはず、だったのに。
なんで全部受け止めちゃうんだよ、ばか。
「いまから、かげやくんのこと、ぐすん、犯します」
「べそかきながらか、今更だな」
影谷君が意地悪を言うので、下着を脱いであお向けの彼の頭のところまで足を移動して、上から口を塞ぐ。
逃げたわけじゃないけど、あと少し遅かったら涙まで拭かれるところだった。
もう好きなんかじゃない。これはレイプで、私はこの優しい男の子の意外とがっしりしてる体に欲情してるだけなんだと、かなり無理のある言い訳を自分に言い聞かせる。
人の気も知らないで、しかも瑞希先輩という人がありながら、私の事も好きだなんて言う悪い口はこうしてやる。
「むぐ」
「私が痛くないように舐めて、ほぐして」
「ほんなほとひてもほまえのほとひらいになんへなへなひほ(こんな事してもお前の事嫌いになんてなれないぞ)」
「ひぁ…黙って、舐めてよ」
聞こえない聞こえない聞こえない。胸が痛くなんてない、嬉しくなんてない、そんな気持ちを抱く資格なんてない。
お願いだから黙って気持ちよくして……っ!?
「っんうううぅぅん♡」
突然、背骨の中を電気が走る。
すごい声出そうになって、咄嗟に自分の口を塞いだ。
後ろからお尻の上の方、腰のあたりをぽんぽんと優しく触られ、や、なに、だめ、なにこれだめ、駄目になるやつだこれ、あ、駄目♡駄目だってばあ♡
「ふ、ふへへ…ど、どうかな光紀♡生えたて、サキュバス尻尾の、ね、根元ぽんぽん気持ちいい?気持ちいいよね?ね?」
「み、みじゅきしぇんぱ、ひ♡やめ♡ふあっ♡あっ♡あっ♡」
「…むぐ」
「あはぅ♡影谷く、ん♡そりぇだめ、両方だめ、だめだから、待って、待っておねがひぃいん♡」
懇願も虚しく 、私が好きになっちゃいけない男の子の舌が私の中に差し込まれる。
こんなの知らない!とかエッチな小説とかだとよくあるけど、ほんとそれだ。
自分でする時の感覚なんて忘却の彼方。思考の、いっそ暴力的なまでの快感。
だって、もう体の自由が効かない。腰が勝手に跳ねて少しでも快感を逃そうとするけど、後ろに回った瑞希先輩に押さえつけられているせいで全部まともに受け止めさせられる。
生えたばかりの尻尾の根元を労わるようなゆったりとしたリズムで触られる感覚は、まるで脊椎に直接快楽信号を流されるようなもので、何度も思考回路がショートしそうになってしまう。
なのにその上アソコに舌を入れられて、その動きは丁寧に揉みほぐすようなご奉仕マッサージのそれで。
「ふあぁぁ♡ん♡んっ♡んっあ♡あっ♡あは♡はっあ、んぅ、ん、んー♡♡♡」
やだ、口、ふさぐの、保たない。
卑怯すぎるサンドイッチ攻撃に、成す術もなく恥ずかしい声を出させられる。影谷君のばか、卑怯者、ずるっこ♡絶対私の知らないところで瑞希先輩と一緒に練習してたんだ♡最初から私を嵌める気だったんだ♡
でなきゃこんな、こんなきもちいの♡絶対おかしい♡おかしくなる♡なってるから♡
いっぱいになって、にげられなくて、もうだめ、ほんとにだめだから♡
もうやめえぇぇぇえ♡♡♡
「んああああああああっ♡」
あ?
え、なにいま。
あたまぺろって、されて。
びくんってなったの。いしき、とんでた。
のうみそ、こわれちゃったみたいな、かいかん。
からだじゅうきもちいいでいっぱいになって、ぱぁんってしんぞうがはじけるの。
ふわって、わたしがどこかにとんで、きえてた。
「ん…れろ、ふひひ、こ、今度はツノ舐め♡どう?好き?これ好き?生えたてサキュバスの、やわっこいツノ、お、おねーさんにぺろぺろされるの、好き?」
「ひ」
みずきせんぱい、こわい。
わたしのからだ、わたしよりしってる。
えっちなかおして、わらってる、あくま。
「ね、ね、好き?嫌い?好き?好き?好き?こ、これされるの、好き?好きでしょ?嫌いでも、好きに、なりそう、でしょ?これ、されるの、好きになるよ♡」
「え、あ…」
せんぱいの、ことばのつづき、わたしにだけきこえる、ちっちゃくてかわいい、くちびるのささやき。
こ わ さ れ る の
す き に な れ ♡
あ。
くる。
やられる。
こわい、やめて、こわさないで。
あれ、またされたら、わたし、きえちゃう。
きえちゃうとおもったから、こわくて、だいすきなひとにしがみついた。
しがみついたとおもったら、だきしめられてた。
だきしめられたとおもったら、あついかたまりがおなかのなかに。
だいすきな、かげやくんの、おちんちんが。
わたしの、なかに。
いれていいかとか、いわれたきがするけど。
きてって、いったきがするけど。
みんな、とんでった。
「あ」
「くっ、狭っ、さ、さ、がわっ!痛く、ないか…!?」
「す、き」
「ごめん、笹川、もう、でる」
「すき♡かげやくん、だいすき♡おちんちん、えっち、すき♡すき♡すきぃ♡」
ああ。
痛いも何も、なんかもう、いつの間にって感じだよ、影谷君。
いいよ、出しなよ精液。早漏とかそういのじゃないからそれ。サキュバスパワー的なあれだから。
というか一人だけ理性残ってんのずるいよ。こちとら君のこと好きすぎて魂が体から抜けちゃってるのに。瑞希先輩すら暴走気味にトバしちゃってるのに。
私なんかよりよっぽど人間やめてるよ影谷君。なにちゃっかりコンドームつけてるの君。
余裕か?うぶなのは態度だけで、実際余裕なのか!?
「笹川、笹川、笹川っ笹川!!」
「かげ、かげやくっ♡ふにゃ♡あ、あああああっ♡」
あ、イッてる。名前を呼ばれながら子宮に熱い精液の奔流を感じるって、これ計算じゃなくて天然でやってんのかな。
怖いわーって思いつつ、閑話休題。
私はどうやら脳内を満たす幸福物質が閾値を超えて、完全に頭が壊れてしまったらしく、体を追い出された理性が幽体離脱風味に自分の現状を俯瞰しているところだ。
耐えられなかったんだ、私なんかがこんな幸せで良いのか分からなかったから。
「あ、すき♡すきです♡これすき…♡すきなの…♡すき♡」
「ぜ…笹川、はあ…お…俺もお前の事、好きだ…」
「よ、陽くん。光紀、き、聞こえてないと、思うよ?」
きーこーえーてーまーすー!
現実の私は今、うわごとのように好き好き言いながら影谷君に甘えまくりつつ瑞希先輩に性的にいじめられて、並行して秒でイッてる。器用だな私。
瑞希先輩の魔物娘知識をある程度共有した今の私だから分かるけど、これ本来はリッチさんの芸風じゃないんだろうか、ただのサキュバスがこんな事して全国のリッチさん達から怒られないか心配だ。
「笹川、ごめん、収まりつかなくて、その」
「に、2回戦行っちゃお、光紀♡」
「はひ♡もっときもちいいの♡すきです♡」
さて、眼下の私は絶賛だいしゅきほーるどアクメ地獄の真っ最中で、言い訳の余地もない好き好きおばけ状態。
初エッチ2回戦で膣イキ、子宮ノックイキ、幼女舌ツノペロイキ、濃厚ベロチューイキ、ラブラブサンドイッチ3Pハグイキの五重絶頂。いや、今排卵イキしたから六重絶頂になった。
うん、もうなんでもいいんじゃないかな。冷静に考えて、この人の赤ちゃん産みたいなって思ったから仕方ない。
わーサキュバスってすごいなーえっちだなー(なげやり)。
「れろ、あむ♡ん、ふー♡ふー♡ん♡ん♡ん♡ん♡…んんんんんんんんんん♡♡♡」
ははは、普通に恥ずか死ねる。というか現在進行形で死んでる、理性が。
「ふぎゅうううん♡や、やぁあ♡」
「んふふ、あ、暴れちゃ、だめだよー♡」
あちょ、何してるんですかやめて下さい瑞希先輩、ここぞとばかりに無防備な後輩のお尻の穴を尻尾でグリグリと。
それが自称お姉さんのロリ先輩のやる事ですか、私の方が見た目ちょっと歳上に見えるからって私怨でそんな事をしても良いとでも…
「ひうううううううぅん♡♡♡」
速攻でイッてんじゃないよ私ィ!!!
何が悲しくてアナル責められた自分のトロっトロに惚けたアクメ顔を実況しなきゃいけないの!?バカなの!?
「あー♡あー♡あー…♡あ……♡あっ♡あっ♡あっ♡あっ♡」
あ、こらそこの影谷太陽!やめなさい!子宮口をトントンするのやめなさーい!!
完落ちしちゃうでしょ私が!?ほぼほぼ手遅れですけど!!言語野が死滅して久しいですけど!
あっ、だめだ。
おなかのなかでおちんちんが熱くなって、膨らんでる。2回目だから分かる、射精の予兆だ。
私の赤ちゃん部屋さんざんノックして、排卵までさせといて、完全に精液の温度覚えたて準備出来ちゃってるところに、容赦なくコンドーム越しの熱々ザーメン味あわせる気なんだ。
そんなのされたら、一番大きいのが来ちゃうに決まってる。
一番大きい幸せすぎるアクメで意識とんで、二度と忘れられなくなっちゃうんだ。
そうしたら最後、本番の受精アクメが完全に予約済みになっちゃうね。
もう確実に影谷君なしの人生なんて考えられなくさせられちゃうんだよ。
ねえ、影谷君はそれで良いの?
今ならまだ取り返しつくかもよ。
「笹川、俺、大事にするから。頑張るからっ…う…く」
「あ、や、ふああああああああああああああああああああっ♡♡♡♡♡♡」
言ってるそばからこれだよこの人、殺しにかかって来たよ。
大事にするとかそういう、言われながらお腹がちょっと精液で膨らんであったかい身にもなってみなさい。射精のタイミングが良すぎるんだよ、なんなんだよもう!もうっ!!
あーしか言えんのか私は!!
「…………あー♡」
「あは、み、光紀、しあわせすぎて、赤ちゃんみたいに、なっちゃったね♡」
現実の私が自分に正直すぎる。
いっそ殺して下さい。
はいもういいですわかりましたー、私の負けでーす。笹川光紀完全攻略されましたー、生涯影谷君大好き人間でーす認めまーす。愛人でも肉奴隷でも何でもなり…いや、やっぱ結婚したい。
第2夫人とかそういうので良い、影谷光紀になりたい。
どうしよう、重婚が許される国への移住を真面目に検討する女子高生(サキュバスなりたて)ってかなりアレな存在だけど、それがまさに私でほんとにもうどうしよう。
「えへへ、もうどうしようも、なくなっちゃったね♡み、つ、き♡」
えっ。
ふと、現実の私を好き放題玩具にしている眼下の瑞希先輩と、目が合った気がした。
比喩ではなく根元的な魂の恐怖を感じた。
よくよく考えたら、私完全にサキュバス堕ちしちゃってるし、影谷君は私と瑞希先輩両方の相手しなきゃだし、瑞希先輩ドSな本性開花させちゃったし。
私の人格が似て非なるものに上書きされるなんて、この結末に比べれば可愛い幕引きだったんじゃないだろうか。いや、実際そんなに大差無いと思う。
でもその僅かな誤差を、先輩は許せなかったんだと思う。
今日の事を計画するときに瑞希先輩はこう切り出していた。
『み、光紀がもう一度、自分を好きになるための、3Pセックス計画!』
『ごめんなさい先輩、ちょっと何言ってるか分かりません』
『光紀、わ、私に遠慮して、陽くんに、近づき過ぎないように、し、してるよね?ね?』
『当たり前です、影谷君の彼女は先輩であって私じゃ…』
『よ、陽くんは今も、光紀のこと、大好きだよ』
『そんッ!…な、わけ、あるはずが。だいたい、その瑞希先輩という人がありながら、私の事もなんて…』
『しょ、証明する方法、あるよ。わ、私は、陽くんも、光紀も、両方欲しい』
これでまんまと丸め込まれた私は筋金入りの大馬鹿だ。
この時点で主に私をぐちゃぐちゃにするつもりなのだと気づくべきだったけど、その時は私のためと言うのが方便で、てっきり自分が初夜を迎えるサポートをしろという事なのかと思っていた。
私のためにそこまでしてくれる理由なんて無いと思ってたから、なんか照れ臭い。
気がつけば現実の私は、とっくに意識がとんでしまっていて気絶状態。影谷君も精魂尽き果てた感じでのびてしまっていた。
最後までピンピンしてたのは、攻めに徹していた瑞希先輩だけ。
気絶した私の中に魂が戻っていく最中、きっともうこの人(いや魔物か)には一生逆らえないなあ、絶対服従だなあと思ったけど。
まあ、可愛いからいいか。
▲▼▲▼
「ふう…こ、こんなとこ、かな?」
防音の魔法陣は回収した、シーツも交換した、換気もした。
片づけはこれくらいでいいだろうか。後は着替えて光紀を家に送れば証拠隠滅完了だ。
明日からは三者三様に何食わぬ顔をして学校に行けばいい。
すっかり搾り取られて精魂尽き果てた陽くんと、サキュバスに堕ちたばっかりで幸せそうに気絶している光紀を眺める。
陽くんを抱きまくら代わりに、後ろから腰に腕を回したままの光紀は、必死に離すまいとしがみついているようで微笑ましい。
二人とも私の大好きな人で、ずっと三人でいたいのだと気づいてから行動に移すのに三日とかからなかった。魔物娘的には、むしろ三日も準備期間を設けたというのは慎重な方ではないかと思うのだけど。
そもそも、光紀と私のどちらかが泣かなくてはならない結末ありきというのが前提として間違っていたのだ。
私が光紀の姿をし続ける事で光紀の人格が消えると思った時、最良の結末が見えたと思った。私が身を引けば、光紀と陽くんが結ばれる。それが正しいのだと。
どうかしていたと思う、なんで私と光紀のどっちかが選ばれないなんて前提を認めてしまっていたのだろう。
むしろ逆じゃないか、私が陽くんと光紀を選んだのだ。
光紀を好きな陽くんと、陽くんを好きな光紀の事を私は好きになったのだから。
両方私のものにすると決めたから、もう遠慮なんてするものか。
この世界に留学してから早三年、だんだんとこっちに染まってきた感もなくはないけど、私には最後まで人間の倫理というものが理解できそうにない。
否、する必要もない。むしろこの二人を魔界色に染めた方がみんな幸せになれるに違いないと気づいた私、もしや天才ではなかろうか。
先輩として、恋人として、なにより年上の!年上のお姉さんとして!!私は大好きな二人の後輩兼恋人を、愛欲の赴くままに生きられるように導いてあげなくてはならない。
「ふ、ふひひ…せ、世話の焼ける後輩めー、うりうり」
ぷにぷにと二人のほっぺたをつつく。こっそり悪戯をしている感じが堪らない。
「う〜ん」
安眠妨害された光紀が尻尾で退けようとしてくるが、逆にそれを掴んで先っぽを甘噛みしてやる。
甘露甘露。
むずかるように陽くんの股間をまさぐる光紀。
こらこら、3回戦はまた今度にとっておきなさい。
「…あっ…あ…やぁ……ん…ふぁ……♡」
「…うぅっ……」
「ふふ…え、えっちな夢でも、見てるの、かな?」
優越感が心を満たす。この二人にこんな事できるのは私だけ。こんな事していいのは私だけなのだ。
触られると気持ちよくなっちゃうとこ、快楽に悶える表情、愛液と精液を混ぜ合わせた味、全部私が独占できるのだ。これが笑わずにいられようか。
「もうひとりの光紀」で居ることを放棄した結果、殆どの魔力を失った私だったが、元より自分が魔物として劣った部類に属することなど百も承知だ。
その分、弱者は弱者らしく道具を使うなり言葉や仕草で誘導するなり悪知恵を働かせればいいだけの話で、根暗の私にはむしろこの姿と性格こそが分相応というやつである。
大丈夫、私ならできる。
小さくて弱っちい自分への自信のなさなんて、陽くんと光紀への気持ちが補って余りある。
「こ、この調子で、大学を出るころには、こ、こっちの世界にご招待…うへへへ」
佐々川瑞希17歳、その未来はささやかな野望で仄暗く輝いていた。
たぶんその光は、どろっとした感じのピンク色だ。
19/08/18 02:08更新 / 蛇草