山の主様とあたし。
ろっこんしょうじょう、ろっこんしょうじょう。棒のようになった両足に言い聞かせるように、繰魅(くるみ)は口の中で繰り返した。
往く道も帰る道も見失うほどに霧の深く立ちこめるその山を、麓の住人はマヨヒガ岳と呼び習わし、荒ぶる御霊の住まう神域として崇め奉っていた。
この地が日の没する闇深き海の向こうから来る異邦、教団と名乗る忌まわしき民に蹂躙されるまでは、踏み入ればすなわち帰ることあたわず、文字どおり迷いの山として有名であった。
秋も始め、もうすぐ収穫で若い人手が惜しくなるこの時期。繰魅が村長を始めとする村人達の制止を振りきってまでそんな山にわざわざ立ち入ったのは、妻に先立たれながらも男手ひとつで自分を育て、流行り病に侵され倒れた父親のため。万病を癒すといわれる霊峰の湧き水を持ち帰ろうという、決死の想いからである。
しかし、蛮勇を咎めるがごとく霧は登れば登るほど深くたちこめて視界を奪ってゆく。
鬱蒼と生い茂る枝葉は地獄に住まう餓鬼の爪のように曲がりくねり、悪意をもって繰魅の少ない荷物を掠めとる。
取り戻そうと振り返れば木の根が女郎の腕のように足に絡んで、なすがままに転んでしまえば、もう自分がどこから来たのかも分からなくなるという有り様だった。
精根尽き果て、最早これまでかと思い南無三唱えたところ、仏の返事かそれとも山彦か、天より響くかのような、女の美しい歌声が耳に入るではないか。
繰魅は既に万策尽き果て、例え山の仮生に化かされるとしても、ここで朽ちるが早いか遅いかの些細な違いに過ぎぬわいと、半ばやけっぱちに近い心持ちで己の足にむち打ち、声の方へ声の方へと進むのであった。
次第に霧が薄くなり、ほうほうの体で開けた場所にたどり着いたとき、繰魅の頭からは、それまでの辛い道のりのことなどはすっかり抜け落ちてしまった。
その光景たるや、例え死に体の繰魅でなくとも、己が既にこの世の者では無くなったという思いに駆られずにはいられなかっただろう。そこは一軒の寂れたあばら屋と、一面に溢れんばかりの曼珠沙華の花が咲き乱れる、深紅の庭。
「ここは一体何処だろう、おれは彼岸にでも迷い混んでしまったのか」
おおよそこの世のものとは思えない景色に、繰魅はただただ目を皿のように見開いて立ち尽くすより他になかった。
ふと気づけば、先ほどまで途切れることなく聞こえていたあの美しい声は、ぱったりと止んで影も形もない。その代わりに繰魅の耳をくすぐったのは、やはり先ほどの声のようであったが、打って変わって明らかな侮蔑と敵意のこもった声であった。
「はて、神の住まう山と崇めるも、所詮は口先のみの芝居であったか。さもなくば訳も知らぬ迷い子か?どちらにしても立ち去りなさい、人の子よ。ここは妾の山、ここに人の求める幸はなく、あるのはただ猛毒の花のみぞ」
あばら屋から凛と響いたその音色は、客人を歓迎しない旨とは裏腹に、繰魅の耳を妖しく撫で上げて、犯し難い神聖な存在へと当然向けられるような畏敬の気持ちと、この世の住人があの世へと引きずり込まれてしまうような誘惑に駆られる気持ちとを、同時に抱かせるのであった。
しかしどんなに恐ろしくとも、ここでおめおめ引き返したところで山から降りられるわけでもなし。ましてや父親の病を治す術すら持ち帰らずに、繰魅がこの人外魔境を後にすることなどできようはずもない。
虎穴に入らずんば虎児を得ずとばかりに、繰魅はやおら履き物を脱ぎ捨てるとその場にひざまづき、勇気を振り絞って問いかけた。
「名のある山の主様の家とは知らず、土足で入っちまってすまねえ。おれは麓から登ってきた繰魅ってもんだ。お父(おとう)が病気で、霊験あらたかなこの山の湧き水を飲ませてやりたくて。だからたのむ、後生だから、おれが山のてっぺんまで登って村まで帰るのを見逃してくれ!」
「……小娘、おのれは阿呆か」
繰魅がすべて言い終わらぬうちに、あの世の声は切り捨てる。
ああやはり、と繰魅は唇を噛んだ。お山の主が麓の住人の命など、毛ほども気にかけるはずがない。
かくなるうえは、ばちがあたるのを覚悟で山を登り抜けるか、いいやそれでは麓の皆にまで塁が及ぶのではないかと思ったところで、あの世の声は奇妙なことを言い出した。
「鼻息だけは一丁前だが、山を登ろうにも、おのれのその満身創痍では、まあ半刻と経たずに魑魅魍魎の仲間入り。麓に帰る頃にはおのれが何者かすら覚えてはおるまいて」
一体どういうことだろう?この山で死ぬれば、この世を忘れてあの世にも行けず、生きる屍と化すとでも言うのだろうか。それでも繰魅はお父の病気を治してやりたい一心で、どうか後生でございますと頼み込んだ。
「まあまあ急くな娘よ、確かにこの山の湧き水を一口飲めば、病は治るかもしれんのう。だがしかし…」
「それもまた猛毒の水よ。おのれの親父も、そうなったが最後、三日と保つまい」
それを聞いて、へたりと崩れ落ちた繰魅の手足にはもう、箸を持つほどの力も入りそうになかった。
だが無理もない、両の手足は傷だらけ、服もあちこち破れ、身体の熱を霧に奪われ迷い続けること四半刻。常人であればとうの昔に行き倒れていたものを、気力だけでここまで歩いてきたのだ。
そして、ただそれだけを支えにしていた希望は儚くも露と消えた。もう繰魅は限界であった。
(ああ、お父!男手ひとつでおれを育てるのは大変だったろうに、弱音ひとつ吐くこともなく、綺麗なおべべを買ってやれなくてすまないなと笑っていたお父!すまねえ、おれは何もしてやれなかった。お父を病から救うはずの霊薬は、たった三日を永らえるだけの死に水だったんだ!)
その袋小路を眺めて嘲笑うかのように、あの世の声は繰魅に囁いた。
「そうなるくらいなら、どうだ?妾におのれの親父を預けてみぬか?どうせ人の身で過ごす最期のひととき、少しばかり良い思いをさせてやろう。当然見返りは戴くが、まあおのれの命で良しとしてやろうではないか。どうだ?どうだ?妾に預けぬか?さあ、さあさあ、さあさあ、さァ……」
遠ざかる意識の中で、きちきちがちゃがちゃと奇妙な笑い声が木霊する。
繰魅は、かろうじて渇いた喉から最期の声を絞り出し、はたしてどう答えたのだったか…
ついにその意識が途切れる寸前、したなめずりをするような音を耳元で聞きながら、ああ、喰われて死ぬのだと悟りながら、繰魅は落ち着いた心持ちであった。
(なんでかねェ。これから死ぬってのに、柔らかくてあったかい、おひさまのような、匂いがする…)
そして、繰魅は激痛で目を覚ました。
痛い、熱い熱い、痛い!熱い!何かが、刺のような何かが首に刺さっている!!
その何かが、どっくりこ、どっくりこと、繰魅の身体の中に善からぬものを注ぎ込んで来るのだ。
それを注ぎ込まれる度、繰魅の腹には切なく悶えるようないやらしい熱が灯る。善からぬものが注がれるその脈動に合わせ、繰魅の意思とは無関係に女陰(ほと)は激しく蠢き、だくだくと涎のようにはしたない汁を滴らせるのだった。
一体自分はどうなって、そもそも生きているのか、死んで地獄の責め苦にあっているのかも繰魅には見当がつかない。あまりのことに目は眩み、天も地も分からずただ与えられる熱を受け入れるしかない。
(熱い!熱い!!汗が吹き出て、腿や胸にべっとりまとわりつくのが気持ち悪いったら!躰がいうことをきかない。なんで、おっぱいが張りつめて、乳首がぴんと立ってて恥ずかしい!いつの間にか裸じゃないか、勝手に手足が伸びきっちまって、大事な所がすっかり晒されているのに、恥ずかしいのに、隠したいのに隠せない!)
そうしてもがき苦しむうち、繰魅の耳に、そうっと息を吹きかけながら囁く声が聞こえる。
不可思議な熱と格闘するのに精一杯で、それに答える余裕などないはずなのに、繰魅の口はひとりでに開いてその艶かしい声に答えてゆく。
「ふふふ、繰魅、繰魅。妾のかわいい繰魅や。気分はどうだ、言ってみなさい」
「あっ、もっと、もっとして。お慈悲を、お慈悲をください。アソコをぐちゃぐちゃに掻き回して、おれを、もっといやらしくしてぇ」
(っ!?やめろ、おれはそんなこと思っていない!お前は誰だ!?おれじゃない、おれはそんなんじゃ、自分でもわけのわからない言葉で喘いでいるのを、そいつにむりくり言わされてるんだ!)
そうやって心の中ではいやいやをするようにかぶりを振る繰魅だった。だがそんな己の意思とは反対に、繰魅の躰は遊女も裸足で逃げ出すようなだらしなく緩みきった表情で嬉しそうに声をあげてしまう。
そんな様子の何が愉快なのか、耳元で囁く声が喜色に満ちていくのを感じると、繰魅の胸にはなんとも言えず、ぐっと来るような不思議な温もりがこみあげてくるのであった。
「好いぞ好いぞ、妾の娘。だが躾が足らぬのかなァ?教えた通り、おのれのことは『あたし』というんだよ。可愛らしくおねだりできねば、褒美はくれてやらぬぞ?」
「あ、お願い、いいます、いいますからぁ……あ、あたしの、いやらしいおまんこを、かあさまの指でほじくりまわしてくださいぃ、あ、やぁあ!?あああああァあん!」
(ああ!ああっ!今、おれ、いかされた!?そんな、嘘だ、へんなこと言わされて、いやらしい気持ちになって、気をやってしまったなんて嘘だ!)
ますます色気付いて繰魅をかわいがる『かあさま』の声。その声に感化されるように、繰魅の躰は恍惚とした表情を浮かべ、物欲しそうに腰をくねらせながら、女陰からは飛沫をあげるほどの愛液を滴らせて軽い絶頂すら引き起こした。
『繰魅はがさつで色気がないのが玉にキズだが、父親に似て働き者だ』と村でも評判だった、そんな立派に乳離れをした若い女が、今ではもう見る影もない。
分別のある大人が決して人前では出してはいけないような、母猫に乳をねだる子猫のような甘えた声で、聞くも語るも恥ずかしい『おねだり』を始めてしまう憐れな女の姿がそこにはあった。
「おやおや、まんこだけでいいのかえ?其れではまんこしか触ってやれぬではないか、それで満足できるのか?」
「お、お胸も、お胸もたくさん揉んで、かあさまの口からいけないお汁を中まで注いでほしいの…かあさまみたいに吊り鐘型の淫らなおっぱいになって、殿方になめ回すような目で見てもらうの。おしりの穴まで好きにいじって、あたしをいやらしいメスにして!殿方のちんぽがないとおかしくなっちゃういんらん女にしてぇ!!」
(いやァ!またいく、いっちゃう!やめて、もうやめて!!こんなのあたしじゃ…いや!おれじゃない!口が勝手に言ってるだけなの、お願いだから後生だからっ……もうやめて、あたし、おれの声でそんなはしたないこと言わないでェ!)
いくら心では必死に拒もうとも、主を置いて人外のそれへと堕落していく肉体の悦びは誤魔化しきれるものではない。
もう一丁、あソレもう一丁、と言わんばかりに首から胸からなみなみと注がれる熱々の汁が、己を保とうと足掻くだけで精一杯の意気地を容易く押し流し奪ってゆく。
それより何より、他でもない繰魅自身の口から紡がれる淫らな『おねだり』は、あたかもそれが本心であるかのように心の奥に刷り込まれ、繰魅の魂をどろどろとした闇色に染め上げていくのであった。
そうして心と躰を苛まれながら、持ち前の負けん気でなんとか正気に踏みとどまり、半刻は過ぎただろうかという頃。
すでに両の眼からは、かつての快活な様子を思わせる光は消え失せ、そのかわりに妖しく揺らめく、暗い情欲の炎が宿りつつあった。
「さあて、そろそろ仕上げてあげようかね。かわいい繰魅や、少し自由にしてやろう。さあ、妾におまえの心を聞かせておくれ」
『かあさま』がそう言うと、刺さっていた刺のようなものがやっと引き抜かれた。急に責め苦から解放されたことを不思議に思いながらも、息も絶え絶えに繰魅は答える。
「あ、はァ…はァ…かあさま、許して…もう許して……もうむりなの、だめなの…」
「ほう?何がだめなのだ?よくわかるように言ってごらん。」
「これ以上、気持ちいいのだめ…おまんこいじめちゃだめなの、お胸でいっちゃうのもやだぁ…だめなのにあたし、もっと、もっといやらしいことして欲し…い………あ、れ?」
「おやおや…どうした?」
何かがおかしい。
毒汁が途切れたためか、はっと正気に還ったように繰魅の両目に光が灯る。
そこでようやく周りを見渡し、繰魅はまだ自分が生きていることと、ここがどうやらあの紅い庭の奥にあったあばら家の中であることに気がついたのであった。
何処にも出口らしきものが見当たらないのが気にかかるが、すきま風もなく、小窓から差し込む月明かりの他には外の光らしきものが漏れていない。その様子から、見た目が古錆びてはいるものの、以外と確りとした造りの家屋ではあるらしい。
そして、今までぼんやりとしてよくわからなかった『かあさま』の姿を、その目でようやくはっきりと認めるに至ったのである。
『かあさま』は、烏の濡れ羽色をした長い髪が目を引く、淫らで美しい女だった。
その頭からは虫のような触覚が2つ生えており、繰魅に向ける表情は穏やかで、まるで実の娘に向けるかのように、柔らかい慈しみと母性に満ちていた。
衣服の類いは身に付けておらず、首筋やわき腹に節足のようなものが1対づつ見える。身体のあちこちに紫色の刺青が走り、それがふくよかな胸と大きな尻を彩っていた。
その腰から下は人間のソレではなく、長い長い甲虫の胴に童女の腕ほどの節足が無数に生え、規則正しく床に並んでいる。それはまるで、巨大な百足のような……
「かあさま、あなたは…おおむかで、だったのか……だから、あたしはあんなことを!」
ジパングではウシオニと並んで凶暴な怪物として広く知られる、その魔物の名は大百足。
四肢の力を奪い快楽をもたらす猛毒で、動けなくした男を強姦してモノにすることで有名な蟲の魔物だ。
成る程その毒が理性までも痺れさせるのならば、捕らえた獲物に「言い聞かせる」ことで、思ってもいないことを言わせることができるに違いない。
繰魅は、ここにきて再び意気地を取り戻したと思った。女っ気がないあたしが、あんな思い出すだけで顔から火の出るような浅ましい『おねだり』をしてしまったのは、やはり『かあさま』が無理やり言わせていたのだと。
しかし、いかさまだとわかればどうということはない、あたしは何も恥じるようなことはないのだ、とも繰魅は思った。
まだ朦朧とした痺れの残る頭で、いくら躰は気をやってしまっても、心まで魔物にされてなるものかと、己を元気付けるのだった。
「何かと思えば…可笑しなことを言う子よ、妾が大百足だから?だからどうしたというのだ。そのようなことより、続きをせんでいいのかえ。おまえがおねだりしたのだろう?そうら、ここを撫でてやれば…」
「あっ、あっ…ち、ちがう。欲しくない!それはあたしが、あっ、あたしが自分で言ったんじゃ、ないの。あっ…お、おねだりだって、かあさまが、毒汁で無理やりっ!」
そう言って、繰魅は胸を撫で上げる手を身をよじって拒み、きり、と大百足を睨み付けた。いや、睨み付けたつもりだったが、その瞳が切なく期待に潤んでいることを、悟られずにいたかどうか。
幸いにして、毒が抜けたせいか、いつの間にか口の自由はきいている。これならかあさまに抗うことくらいはできる、そう繰魅は思った。
「おや、一丁前の口をきくじゃあないか。よいぞ、愛しい娘がそこまで言うなら、妾もほれ…このように、手を引いてやろうではないか」
「あっ………!」
繰魅の顔から、さっと血の気が引いた。
あまりにあっさりと離れた大百足の手に、繰魅は思わず追い縋ろうとする。
母親を求める稚児のようなその顔を、大百足は慈しむように眺めていたが…その菩薩のような顔のまま、無情にも手を引っ込めてしまった。
(あ…いや……いや、どうして、行かないで!意地悪しないで!)
繰魅はひどく怯えた。この化け物に見棄てられたら、まるでこの世に独り取り残され、その暗闇から抜け出せなくなってしまうような心地がしたのだ。
(寒い、淋しい、この小屋はこんなにも寒かっただなんて、かあさまの腕に抱かれていなければ、直ぐに凍えてしまいそう。息絶えてしまう、こんな山奥で、誰に知られることもなく、独りで!……っ嫌、嫌だ、独りは嫌だ!!)
「あ……う!…ううっ!うー!」
既に両の手は自由に動く。その手でかあさまの手を追いかけ、引き寄せていた。
「…はいはい、ここにおる。安心しやれ、母はどこにも行かぬ」
そのとき、繰魅は引き寄せたその手から、柔らかく鼻を撫でるお日さまのような匂いに気づく。
そうだ、曼珠沙華の庭で気を失ったあのとき、霧に凍えきった繰魅の身体を優しく抱いて暖め続けていたのは誰だったのか。そんなもの、この意地悪な大百足の他に誰がいるというのか。
知らぬ間に返しきれぬ恩まで背負ってしまっていた。最早逃れること能わずと、そう繰魅は悟った。
いかほど淫らに弄ばれ、浅ましく喘ぐ恥ずかしい姿を晒されようとも、どうにもこの大百足を心の底から嫌うことは、繰魅にはできそうにないのだ。
そういえば、大百足に介抱されている間、一体どれ程の時が経ってしまったのだろうか、三日か、一週間か。
「かあ、さま。あたしを暖めてくれていたの?あたし、どのくらい眠って…」
繰魅が震える声で訊ねると、少し躊躇った様子を見せたが、大百足は神妙な面持ちで答えた。
「いかにも。ひと月は、眠っておった。さしもの妾も、目を覚まさぬのではないかと気が気ではなかったぞ。そうさな…麓の連中も、おまえが生きているとは思うておらぬだろう」
「あ……」
それを聞いて、やっと繰魅は込み上げる淋しさの正体に気がついた。
なんとばかなことをしてしまったのだ。もう病に伏した父親は生きてはいまい、村の皆が止めるのも聞かず、命懸けでお山に登った結果がこの体たらく。今更どの面を下げておめおめと帰れようか。
覚悟していたこととはいえ、親の死に目に会えないばかりか、自分の帰る場所も無くなってしまったのだ。
「繰魅や、せめて泣くときは我慢をお止め。おのれは命を賭けてここまで来た。それで親父は満足だろうよ」
「かあ、さま…」
気がつけば、繰魅は必死で大百足の胸に顔を埋めて泣きじゃくっていた。皮肉にも、この大百足が居てくれることで、繰魅は独りきりではなくなったのだった。
しかし感傷に浸るのも束の間のこと、そうして繰魅が泣き疲れてきたあたり、次第に、嗚咽は色を含んだ喘ぎ声にとって替わられていく。
「おおよしよし、いいこ、いいこ。それにつけても…ふふ、やっぱり欲しいのだろう?こんなにはしたない汁を垂らして…妾のかわいい繰魅は、甘えん坊よのう」
「ふわ、あ、はあっ…あっあっ、か、かあさまの、ん、せいだっ。かあさまのせいで、あたし、こんな…あ、あん、はしたない、いやらしい女になって、あっ」
泣いている間、頭を撫でられながらも背に回した方の手でゆっくりたっぷりと尻を揉みしだかれていたのだ。繰魅の女陰はすっかり熱くなり、しとどに濡れてしまっていた。
あまりの恥ずかしさに頬が紅く染まるが、それでも繰魅は、大百足の胸から身を離せずにいる。
「そうら、言ってごらん。妾の繰魅や、どうして欲しいか、母に聞かせておくれ」
「うう、くっ、あ、して…むちゃくちゃに、あたしを、はあう…好きに、して…!」
「ほう、身体中に牙を突き立てても構わぬのかえ?いやらしくなる毒汁を注がれるぞ?妾のことしか考えられぬ虜になるやも知れぬぞ?どんなに恥ずかしくても、どんなに嫌がっても、もうどこにも逃げられぬぞ?身も心もなにもかも、大切なものは全てさらけ出して、妾のものにされてしまうのだぞ?それこのように!」
ぷすり、と再び大百足の牙が突き刺さり、淫らな熱が繰魅を弄ぶ。
「あ、や、ふやああああああん!?いい、それでもいいの!あっあっあっ…お、お胸もおまんこも、毒汁いっぱい、注ぎ込んでェ!あたしの身体、おもちゃにして…ああっ!あたしのなにもかも…平らげてェ!」
「ふ、ふふ………………善いぞ。」
ぷすり、ぷすり、ぷすり。
どくどく、どくどくどく、どくどくどくどく。
「あ、あ、あっ……にあああああァーーーっ!!!?ふやあ、あ、あちゅいい!いく、またいく!また!ああああー!」
ぺろり、はみはみ。
「ひいん!?そ、そこだめ、知らない、そんなところで気持ちよくなっちゃうの知らにゃ、ひいいいっ!?」
くちゅくちゅ、にちゃあ。ぐい。
「や、やめ、かあさま!?音立てちゃだめえ!ゆるひて、そんなやらしい格好できな…」
ずぷり
「ぴいいいいい!?ごめ、ごめんなしゃいい!でも、でも、それ以上ひりょげたら入ってるところ見えひゃうう」
ぷしゃああ
「あ、あは、いっぱいれちゃってる、の、恥ずかしい…おもらし、癖に、なっちゃ…」
すっ
「あ…全部、いちど、に……そんなの、またいっちゃう」
つぷ
「っあああああァー!!!」
そうして、繰魅はしばらく大百足のなすがままに身体を弄ばれ、淫らな声をあげ、何度も繰返し気をやってしまったのだった。
(ああ、もう手遅れだ、あたし。あたしの知っているあたしは、とっくの昔に山で凍えて死んでしまっていたんだ。ここにいるのは、優しくて意地悪な大百足にみいられた、どうしようもない虜の女だ。)
すっかり身も心も作り替えられてしまったのだと観念した繰魅は、ふっと力を抜いて大百足に身体を預けた。
するとたちまち、繰魅の足からものを感じる力が失われ、かわりに腹の下から体が餅のように伸びてゆくような思いに囚われた。
事実、繰魅の体は大蛇のように長く伸び、そこからは、どこかで聞いたような、きちきちがちゃがちゃと鳴り響く不気味な笑い声をあげて、何対もの細い足が生えてゆく。
人の身体の部分には刺青のような青紫の紋が浮かび上がり、ぼさぼさの髪は目に見えて艶を取り戻していった。
最後には頭の上から触角がにゅるりとのぞく。
そうして繰魅は、大百足になった。
一度は死に瀕した身体に流れ込んで命を繋いでいた濃密な魔力、それが宿主に受け入れられることで、人としての生は静かに幕を閉じ、魔物としての新たな生を授かったのである。
己の身体に起こったことを違わず理解した繰魅は、もう死んでしまっているであろう父親のことを想った。
せめて、かあさまはお父を優しく死なせてくれたのだろうか。
つう、と。一筋の雫が繰魅の頬を伝い、どこに消えるとも知れず、流れ落ちた。
「とまあ、これが魔界と化したお山の話でなければ、一夜に人世を涙ぐんでお別れの、あ、悲しい悲しいお噺と相成りましょう。ところがどっこい、そうは問屋が卸さねえんだなこれが!」
そう言って、床に落ちようとする涙を盃に受け止め、ぐいと飲み干す、竹を割ったような性根を思わせる声が小屋の空気を裂いて現れた。
「ふえ!?」
繰魅がはっと顔を上げれば、そこには蒼い肌の童女。否、一匹の年若い河童がいた。
「魔物に悲し涙は似合わねえよう、お嬢さん。どこの世界でも、人ならざるなら笑わなくっちゃあ!」
「え?ええ!?」
「いやあそれにしても…相っ変わらず湿っぽい所に住んでは、可愛い子ちゃんとくんずほぐれずやってますなあ、姐さん!」
「やれやれ。ぬしの方こそ、どたまの皿が渇けば倒れる身になって、ようもそんなからっとした揚げ物のような気性が続くものよ」
「それがあちきのイイところ、よ。でしょう?姐さん」
「そういうことにしておいてやろう。」
「あ、あわわ、い、一体いつから…」
一体いつからそこにいたのか、先程までのあられもない姿を見てしまったのかと、目を白黒させる繰魅だった。
しかし、木造の床を艶かしく照らすおびただしい愛液や、素っ裸で一回り大きな同族に抱かれながら尻を揉まれている大百足という、春画にすればたちまち一世を風靡すること間違いなしの何とも淫靡な絵面は全く隠せていない。
たとえ今しがたこの場に来たばかりの者であろうとも、先程までどんな恥態を晒していたのかは一目瞭然の様であった。
その一方、かあさまは平気の平左という顔だった。どうやら気心知れた仲らしく、心なしか声に明るい色が見え隠れしている。
しかし、何より繰魅が気になったのは二人の間柄ではなく、河童の言った『そうは問屋が卸さない』こととは、一体何のことを言っているのかということだ。
「え、ええと、河童さん?」
「か、『河童さん』!?なあ、今の聞いたかい姐さん、『河童さん』だってよう!あちき、さん付けで呼ばれたのなんて生まれてこのかた初めてだぜ!?」
「ふふ、愛いだろう愛いだろう、妾の躾の賜物よ」
なんとひょうきんな有り様だろう、この陽気で小柄な蒼色娘に繰魅は驚かされてばかりだった。飛び上がって喜ぶとはよく言ったものだが、床から四尺も飛び上がって喜ぶ生き物は、古今東西どこを探してもこいつしかいないのではないだろうか。
「あ、あのう。ひとつお尋ねしたいことが…」
「何だよう、でかい図体して気の小さい。あたしらはもうお山の仲間みたいなモンじゃねえか。水臭いコト言わずに、あちきを姉貴だとでも思って、何でも遠慮なく聞いてくんな」
そう言いながら、河童はぺたぺたと湿った足音を立てて近づくと、少し背伸びをして、さわさわと繰魅の頭を撫でた。
河童の手はしっとりとして、夏の涼しい河の香りがしていて、こんなにもあからさまに子供扱いを受けるのが、繰魅はなんだか恥ずかしいような、照れくさいような心持ちで、耳たぶのあたりがぼうっと熱くなるのだった。
「さっきの、その、そうは問屋が卸しなんたらって、何のコトかなって」
「おろろ、気づいてねえのかよこの子は。よく考えてみなよ、このお山がどういうところなのかってことを」
「…?」
「あちきは元はといやあ隣村の人間よ。お山で迷ってふらふら千鳥足、足滑らせて河にどぼん。で、気がついたらこの有り様とくらあ。このお山は姐さんのお陰でまるごと魔界になっちまってて、人が長居したり、死んじまうと魔物になるって寸法よ。つまり、だ…」
繰魅は絶句した。
まだ人であったであろう最期の刻、かあさまが繰魅に持ち掛けた取引で確かに言っていた『人の身で過ごす最期のひととき、少しばかり良い思いをさせてやろう。』という言葉の意味。それはつまるところ…
「おう、起きたのか、繰魅」
機を伺っていたとしか思えぬその声は、河童のものでもなければ、二人の大百足のものでもない。たとえ鈴の鳴るような乙女の喉で鳴らそうと、その不器用な響きを忘れるはずがあろうものか。
からんころんと、軽い足音で河童の後ろから歩いて来たのは、見目麗しい女人の顔をした、骸骨の仮生だった。
「………お父!!!」
「おう」
散々乱れてくたびれた身体を無理強いてでも、ここで駆け寄らずにいられようか。
繰魅は骸骨の女にひしとしがみつき、ただ、呼んだ。その先は、巧く言葉にならなかった。
「お父、お父!お父っー!おどっ、お父…ひっく、ぅええええ…」
「おう、おう。心配かけたみてえだな。まあ死んだ、どうやら死んだんだがな…おまえと、ヌシ様のお陰でこの通りよ。ほら、ええ歳して泣くな、ヌシ様も笑うとるぞ」
「くくく、善い善い。もうそなたには逢えぬとでも思うとったのであろうよ。しばらくは好きにさせてやりなさい」
このときの繰魅ときたら、今まで誰にも聞かせたことがないようなみっともない声を山中に轟かせ、丸々半刻はわあわあと泣き叫んだ。
だが、大百足も河童もそれが幸せな嬉し泣きならばと、繰魅が泣き疲れて眠ってしまうまで、決して咎めるようなことはしなかった。
「にしてもお嬢さんよう…どっちかっていうと、もうそいつは女なんだし、お父ってのはあんまりじゃないかい?」
「それは仕方がなかろう、既に妾が母なのだ。同じ呼び名では不便というものよ」
「おう、それじゃあ、あたしゃ『おっかあ』で、ヌシ様が『かあさま』ってのはどうでしょう」
「あははは!なんだいそりゃあ」
一度は病により命を落としたものの、河童の手でこっそりとお山に骨を運ばれ、日の没する海向こうの異邦では助流遁(すけるとん)と呼び習わされる魔物になった繰魅の父は、改めて繰魅の「おっかあ」になった。
こうして、大百足の「かあさま」と助流遁の「おっかあ」、そして河童の「ねえさま」という、新しい家族ができた繰魅の、新しい魔生が始まったのであった。
そう、まだ始まったばかり。
海向こうから来た教団と名乗る邪教の輩に山を焼かれそうになり、麓の住人を拐って都の近くへと引っ越しを強いられることになったり、おっかあとねえさまが旅のお侍に惚れて取り合いになっている間、止める者が居ないのをいいことにかあさまに尻穴をしっぽり調教されたり、所帯持ちの男に惚れて妻ごと頂くか二号に甘んじるか悩んだり、正月の餅を喉に詰まらせておっ死んだり。
薄れゆく意識の中で最早これまでかと思いきや、気づけば日本などという見知らぬ土地の邸(まんしょん)の一室。
顔色の悪い妖術師の娘に蘇らせられ、そのままとり憑いて奇舞良(きまいら)なる魔物に変じてしまったりと、波乱万丈な魔生が待っている。
このときの繰魅は未だそのような艱難辛苦降りかかることになるとは知るよしもなし、ただその中で一度たりとも、父のために命懸けでお山に登って「かあさま」と出会い、その魔生を得たことを後悔することはなかったそうな。
往く道も帰る道も見失うほどに霧の深く立ちこめるその山を、麓の住人はマヨヒガ岳と呼び習わし、荒ぶる御霊の住まう神域として崇め奉っていた。
この地が日の没する闇深き海の向こうから来る異邦、教団と名乗る忌まわしき民に蹂躙されるまでは、踏み入ればすなわち帰ることあたわず、文字どおり迷いの山として有名であった。
秋も始め、もうすぐ収穫で若い人手が惜しくなるこの時期。繰魅が村長を始めとする村人達の制止を振りきってまでそんな山にわざわざ立ち入ったのは、妻に先立たれながらも男手ひとつで自分を育て、流行り病に侵され倒れた父親のため。万病を癒すといわれる霊峰の湧き水を持ち帰ろうという、決死の想いからである。
しかし、蛮勇を咎めるがごとく霧は登れば登るほど深くたちこめて視界を奪ってゆく。
鬱蒼と生い茂る枝葉は地獄に住まう餓鬼の爪のように曲がりくねり、悪意をもって繰魅の少ない荷物を掠めとる。
取り戻そうと振り返れば木の根が女郎の腕のように足に絡んで、なすがままに転んでしまえば、もう自分がどこから来たのかも分からなくなるという有り様だった。
精根尽き果て、最早これまでかと思い南無三唱えたところ、仏の返事かそれとも山彦か、天より響くかのような、女の美しい歌声が耳に入るではないか。
繰魅は既に万策尽き果て、例え山の仮生に化かされるとしても、ここで朽ちるが早いか遅いかの些細な違いに過ぎぬわいと、半ばやけっぱちに近い心持ちで己の足にむち打ち、声の方へ声の方へと進むのであった。
次第に霧が薄くなり、ほうほうの体で開けた場所にたどり着いたとき、繰魅の頭からは、それまでの辛い道のりのことなどはすっかり抜け落ちてしまった。
その光景たるや、例え死に体の繰魅でなくとも、己が既にこの世の者では無くなったという思いに駆られずにはいられなかっただろう。そこは一軒の寂れたあばら屋と、一面に溢れんばかりの曼珠沙華の花が咲き乱れる、深紅の庭。
「ここは一体何処だろう、おれは彼岸にでも迷い混んでしまったのか」
おおよそこの世のものとは思えない景色に、繰魅はただただ目を皿のように見開いて立ち尽くすより他になかった。
ふと気づけば、先ほどまで途切れることなく聞こえていたあの美しい声は、ぱったりと止んで影も形もない。その代わりに繰魅の耳をくすぐったのは、やはり先ほどの声のようであったが、打って変わって明らかな侮蔑と敵意のこもった声であった。
「はて、神の住まう山と崇めるも、所詮は口先のみの芝居であったか。さもなくば訳も知らぬ迷い子か?どちらにしても立ち去りなさい、人の子よ。ここは妾の山、ここに人の求める幸はなく、あるのはただ猛毒の花のみぞ」
あばら屋から凛と響いたその音色は、客人を歓迎しない旨とは裏腹に、繰魅の耳を妖しく撫で上げて、犯し難い神聖な存在へと当然向けられるような畏敬の気持ちと、この世の住人があの世へと引きずり込まれてしまうような誘惑に駆られる気持ちとを、同時に抱かせるのであった。
しかしどんなに恐ろしくとも、ここでおめおめ引き返したところで山から降りられるわけでもなし。ましてや父親の病を治す術すら持ち帰らずに、繰魅がこの人外魔境を後にすることなどできようはずもない。
虎穴に入らずんば虎児を得ずとばかりに、繰魅はやおら履き物を脱ぎ捨てるとその場にひざまづき、勇気を振り絞って問いかけた。
「名のある山の主様の家とは知らず、土足で入っちまってすまねえ。おれは麓から登ってきた繰魅ってもんだ。お父(おとう)が病気で、霊験あらたかなこの山の湧き水を飲ませてやりたくて。だからたのむ、後生だから、おれが山のてっぺんまで登って村まで帰るのを見逃してくれ!」
「……小娘、おのれは阿呆か」
繰魅がすべて言い終わらぬうちに、あの世の声は切り捨てる。
ああやはり、と繰魅は唇を噛んだ。お山の主が麓の住人の命など、毛ほども気にかけるはずがない。
かくなるうえは、ばちがあたるのを覚悟で山を登り抜けるか、いいやそれでは麓の皆にまで塁が及ぶのではないかと思ったところで、あの世の声は奇妙なことを言い出した。
「鼻息だけは一丁前だが、山を登ろうにも、おのれのその満身創痍では、まあ半刻と経たずに魑魅魍魎の仲間入り。麓に帰る頃にはおのれが何者かすら覚えてはおるまいて」
一体どういうことだろう?この山で死ぬれば、この世を忘れてあの世にも行けず、生きる屍と化すとでも言うのだろうか。それでも繰魅はお父の病気を治してやりたい一心で、どうか後生でございますと頼み込んだ。
「まあまあ急くな娘よ、確かにこの山の湧き水を一口飲めば、病は治るかもしれんのう。だがしかし…」
「それもまた猛毒の水よ。おのれの親父も、そうなったが最後、三日と保つまい」
それを聞いて、へたりと崩れ落ちた繰魅の手足にはもう、箸を持つほどの力も入りそうになかった。
だが無理もない、両の手足は傷だらけ、服もあちこち破れ、身体の熱を霧に奪われ迷い続けること四半刻。常人であればとうの昔に行き倒れていたものを、気力だけでここまで歩いてきたのだ。
そして、ただそれだけを支えにしていた希望は儚くも露と消えた。もう繰魅は限界であった。
(ああ、お父!男手ひとつでおれを育てるのは大変だったろうに、弱音ひとつ吐くこともなく、綺麗なおべべを買ってやれなくてすまないなと笑っていたお父!すまねえ、おれは何もしてやれなかった。お父を病から救うはずの霊薬は、たった三日を永らえるだけの死に水だったんだ!)
その袋小路を眺めて嘲笑うかのように、あの世の声は繰魅に囁いた。
「そうなるくらいなら、どうだ?妾におのれの親父を預けてみぬか?どうせ人の身で過ごす最期のひととき、少しばかり良い思いをさせてやろう。当然見返りは戴くが、まあおのれの命で良しとしてやろうではないか。どうだ?どうだ?妾に預けぬか?さあ、さあさあ、さあさあ、さァ……」
遠ざかる意識の中で、きちきちがちゃがちゃと奇妙な笑い声が木霊する。
繰魅は、かろうじて渇いた喉から最期の声を絞り出し、はたしてどう答えたのだったか…
ついにその意識が途切れる寸前、したなめずりをするような音を耳元で聞きながら、ああ、喰われて死ぬのだと悟りながら、繰魅は落ち着いた心持ちであった。
(なんでかねェ。これから死ぬってのに、柔らかくてあったかい、おひさまのような、匂いがする…)
そして、繰魅は激痛で目を覚ました。
痛い、熱い熱い、痛い!熱い!何かが、刺のような何かが首に刺さっている!!
その何かが、どっくりこ、どっくりこと、繰魅の身体の中に善からぬものを注ぎ込んで来るのだ。
それを注ぎ込まれる度、繰魅の腹には切なく悶えるようないやらしい熱が灯る。善からぬものが注がれるその脈動に合わせ、繰魅の意思とは無関係に女陰(ほと)は激しく蠢き、だくだくと涎のようにはしたない汁を滴らせるのだった。
一体自分はどうなって、そもそも生きているのか、死んで地獄の責め苦にあっているのかも繰魅には見当がつかない。あまりのことに目は眩み、天も地も分からずただ与えられる熱を受け入れるしかない。
(熱い!熱い!!汗が吹き出て、腿や胸にべっとりまとわりつくのが気持ち悪いったら!躰がいうことをきかない。なんで、おっぱいが張りつめて、乳首がぴんと立ってて恥ずかしい!いつの間にか裸じゃないか、勝手に手足が伸びきっちまって、大事な所がすっかり晒されているのに、恥ずかしいのに、隠したいのに隠せない!)
そうしてもがき苦しむうち、繰魅の耳に、そうっと息を吹きかけながら囁く声が聞こえる。
不可思議な熱と格闘するのに精一杯で、それに答える余裕などないはずなのに、繰魅の口はひとりでに開いてその艶かしい声に答えてゆく。
「ふふふ、繰魅、繰魅。妾のかわいい繰魅や。気分はどうだ、言ってみなさい」
「あっ、もっと、もっとして。お慈悲を、お慈悲をください。アソコをぐちゃぐちゃに掻き回して、おれを、もっといやらしくしてぇ」
(っ!?やめろ、おれはそんなこと思っていない!お前は誰だ!?おれじゃない、おれはそんなんじゃ、自分でもわけのわからない言葉で喘いでいるのを、そいつにむりくり言わされてるんだ!)
そうやって心の中ではいやいやをするようにかぶりを振る繰魅だった。だがそんな己の意思とは反対に、繰魅の躰は遊女も裸足で逃げ出すようなだらしなく緩みきった表情で嬉しそうに声をあげてしまう。
そんな様子の何が愉快なのか、耳元で囁く声が喜色に満ちていくのを感じると、繰魅の胸にはなんとも言えず、ぐっと来るような不思議な温もりがこみあげてくるのであった。
「好いぞ好いぞ、妾の娘。だが躾が足らぬのかなァ?教えた通り、おのれのことは『あたし』というんだよ。可愛らしくおねだりできねば、褒美はくれてやらぬぞ?」
「あ、お願い、いいます、いいますからぁ……あ、あたしの、いやらしいおまんこを、かあさまの指でほじくりまわしてくださいぃ、あ、やぁあ!?あああああァあん!」
(ああ!ああっ!今、おれ、いかされた!?そんな、嘘だ、へんなこと言わされて、いやらしい気持ちになって、気をやってしまったなんて嘘だ!)
ますます色気付いて繰魅をかわいがる『かあさま』の声。その声に感化されるように、繰魅の躰は恍惚とした表情を浮かべ、物欲しそうに腰をくねらせながら、女陰からは飛沫をあげるほどの愛液を滴らせて軽い絶頂すら引き起こした。
『繰魅はがさつで色気がないのが玉にキズだが、父親に似て働き者だ』と村でも評判だった、そんな立派に乳離れをした若い女が、今ではもう見る影もない。
分別のある大人が決して人前では出してはいけないような、母猫に乳をねだる子猫のような甘えた声で、聞くも語るも恥ずかしい『おねだり』を始めてしまう憐れな女の姿がそこにはあった。
「おやおや、まんこだけでいいのかえ?其れではまんこしか触ってやれぬではないか、それで満足できるのか?」
「お、お胸も、お胸もたくさん揉んで、かあさまの口からいけないお汁を中まで注いでほしいの…かあさまみたいに吊り鐘型の淫らなおっぱいになって、殿方になめ回すような目で見てもらうの。おしりの穴まで好きにいじって、あたしをいやらしいメスにして!殿方のちんぽがないとおかしくなっちゃういんらん女にしてぇ!!」
(いやァ!またいく、いっちゃう!やめて、もうやめて!!こんなのあたしじゃ…いや!おれじゃない!口が勝手に言ってるだけなの、お願いだから後生だからっ……もうやめて、あたし、おれの声でそんなはしたないこと言わないでェ!)
いくら心では必死に拒もうとも、主を置いて人外のそれへと堕落していく肉体の悦びは誤魔化しきれるものではない。
もう一丁、あソレもう一丁、と言わんばかりに首から胸からなみなみと注がれる熱々の汁が、己を保とうと足掻くだけで精一杯の意気地を容易く押し流し奪ってゆく。
それより何より、他でもない繰魅自身の口から紡がれる淫らな『おねだり』は、あたかもそれが本心であるかのように心の奥に刷り込まれ、繰魅の魂をどろどろとした闇色に染め上げていくのであった。
そうして心と躰を苛まれながら、持ち前の負けん気でなんとか正気に踏みとどまり、半刻は過ぎただろうかという頃。
すでに両の眼からは、かつての快活な様子を思わせる光は消え失せ、そのかわりに妖しく揺らめく、暗い情欲の炎が宿りつつあった。
「さあて、そろそろ仕上げてあげようかね。かわいい繰魅や、少し自由にしてやろう。さあ、妾におまえの心を聞かせておくれ」
『かあさま』がそう言うと、刺さっていた刺のようなものがやっと引き抜かれた。急に責め苦から解放されたことを不思議に思いながらも、息も絶え絶えに繰魅は答える。
「あ、はァ…はァ…かあさま、許して…もう許して……もうむりなの、だめなの…」
「ほう?何がだめなのだ?よくわかるように言ってごらん。」
「これ以上、気持ちいいのだめ…おまんこいじめちゃだめなの、お胸でいっちゃうのもやだぁ…だめなのにあたし、もっと、もっといやらしいことして欲し…い………あ、れ?」
「おやおや…どうした?」
何かがおかしい。
毒汁が途切れたためか、はっと正気に還ったように繰魅の両目に光が灯る。
そこでようやく周りを見渡し、繰魅はまだ自分が生きていることと、ここがどうやらあの紅い庭の奥にあったあばら家の中であることに気がついたのであった。
何処にも出口らしきものが見当たらないのが気にかかるが、すきま風もなく、小窓から差し込む月明かりの他には外の光らしきものが漏れていない。その様子から、見た目が古錆びてはいるものの、以外と確りとした造りの家屋ではあるらしい。
そして、今までぼんやりとしてよくわからなかった『かあさま』の姿を、その目でようやくはっきりと認めるに至ったのである。
『かあさま』は、烏の濡れ羽色をした長い髪が目を引く、淫らで美しい女だった。
その頭からは虫のような触覚が2つ生えており、繰魅に向ける表情は穏やかで、まるで実の娘に向けるかのように、柔らかい慈しみと母性に満ちていた。
衣服の類いは身に付けておらず、首筋やわき腹に節足のようなものが1対づつ見える。身体のあちこちに紫色の刺青が走り、それがふくよかな胸と大きな尻を彩っていた。
その腰から下は人間のソレではなく、長い長い甲虫の胴に童女の腕ほどの節足が無数に生え、規則正しく床に並んでいる。それはまるで、巨大な百足のような……
「かあさま、あなたは…おおむかで、だったのか……だから、あたしはあんなことを!」
ジパングではウシオニと並んで凶暴な怪物として広く知られる、その魔物の名は大百足。
四肢の力を奪い快楽をもたらす猛毒で、動けなくした男を強姦してモノにすることで有名な蟲の魔物だ。
成る程その毒が理性までも痺れさせるのならば、捕らえた獲物に「言い聞かせる」ことで、思ってもいないことを言わせることができるに違いない。
繰魅は、ここにきて再び意気地を取り戻したと思った。女っ気がないあたしが、あんな思い出すだけで顔から火の出るような浅ましい『おねだり』をしてしまったのは、やはり『かあさま』が無理やり言わせていたのだと。
しかし、いかさまだとわかればどうということはない、あたしは何も恥じるようなことはないのだ、とも繰魅は思った。
まだ朦朧とした痺れの残る頭で、いくら躰は気をやってしまっても、心まで魔物にされてなるものかと、己を元気付けるのだった。
「何かと思えば…可笑しなことを言う子よ、妾が大百足だから?だからどうしたというのだ。そのようなことより、続きをせんでいいのかえ。おまえがおねだりしたのだろう?そうら、ここを撫でてやれば…」
「あっ、あっ…ち、ちがう。欲しくない!それはあたしが、あっ、あたしが自分で言ったんじゃ、ないの。あっ…お、おねだりだって、かあさまが、毒汁で無理やりっ!」
そう言って、繰魅は胸を撫で上げる手を身をよじって拒み、きり、と大百足を睨み付けた。いや、睨み付けたつもりだったが、その瞳が切なく期待に潤んでいることを、悟られずにいたかどうか。
幸いにして、毒が抜けたせいか、いつの間にか口の自由はきいている。これならかあさまに抗うことくらいはできる、そう繰魅は思った。
「おや、一丁前の口をきくじゃあないか。よいぞ、愛しい娘がそこまで言うなら、妾もほれ…このように、手を引いてやろうではないか」
「あっ………!」
繰魅の顔から、さっと血の気が引いた。
あまりにあっさりと離れた大百足の手に、繰魅は思わず追い縋ろうとする。
母親を求める稚児のようなその顔を、大百足は慈しむように眺めていたが…その菩薩のような顔のまま、無情にも手を引っ込めてしまった。
(あ…いや……いや、どうして、行かないで!意地悪しないで!)
繰魅はひどく怯えた。この化け物に見棄てられたら、まるでこの世に独り取り残され、その暗闇から抜け出せなくなってしまうような心地がしたのだ。
(寒い、淋しい、この小屋はこんなにも寒かっただなんて、かあさまの腕に抱かれていなければ、直ぐに凍えてしまいそう。息絶えてしまう、こんな山奥で、誰に知られることもなく、独りで!……っ嫌、嫌だ、独りは嫌だ!!)
「あ……う!…ううっ!うー!」
既に両の手は自由に動く。その手でかあさまの手を追いかけ、引き寄せていた。
「…はいはい、ここにおる。安心しやれ、母はどこにも行かぬ」
そのとき、繰魅は引き寄せたその手から、柔らかく鼻を撫でるお日さまのような匂いに気づく。
そうだ、曼珠沙華の庭で気を失ったあのとき、霧に凍えきった繰魅の身体を優しく抱いて暖め続けていたのは誰だったのか。そんなもの、この意地悪な大百足の他に誰がいるというのか。
知らぬ間に返しきれぬ恩まで背負ってしまっていた。最早逃れること能わずと、そう繰魅は悟った。
いかほど淫らに弄ばれ、浅ましく喘ぐ恥ずかしい姿を晒されようとも、どうにもこの大百足を心の底から嫌うことは、繰魅にはできそうにないのだ。
そういえば、大百足に介抱されている間、一体どれ程の時が経ってしまったのだろうか、三日か、一週間か。
「かあ、さま。あたしを暖めてくれていたの?あたし、どのくらい眠って…」
繰魅が震える声で訊ねると、少し躊躇った様子を見せたが、大百足は神妙な面持ちで答えた。
「いかにも。ひと月は、眠っておった。さしもの妾も、目を覚まさぬのではないかと気が気ではなかったぞ。そうさな…麓の連中も、おまえが生きているとは思うておらぬだろう」
「あ……」
それを聞いて、やっと繰魅は込み上げる淋しさの正体に気がついた。
なんとばかなことをしてしまったのだ。もう病に伏した父親は生きてはいまい、村の皆が止めるのも聞かず、命懸けでお山に登った結果がこの体たらく。今更どの面を下げておめおめと帰れようか。
覚悟していたこととはいえ、親の死に目に会えないばかりか、自分の帰る場所も無くなってしまったのだ。
「繰魅や、せめて泣くときは我慢をお止め。おのれは命を賭けてここまで来た。それで親父は満足だろうよ」
「かあ、さま…」
気がつけば、繰魅は必死で大百足の胸に顔を埋めて泣きじゃくっていた。皮肉にも、この大百足が居てくれることで、繰魅は独りきりではなくなったのだった。
しかし感傷に浸るのも束の間のこと、そうして繰魅が泣き疲れてきたあたり、次第に、嗚咽は色を含んだ喘ぎ声にとって替わられていく。
「おおよしよし、いいこ、いいこ。それにつけても…ふふ、やっぱり欲しいのだろう?こんなにはしたない汁を垂らして…妾のかわいい繰魅は、甘えん坊よのう」
「ふわ、あ、はあっ…あっあっ、か、かあさまの、ん、せいだっ。かあさまのせいで、あたし、こんな…あ、あん、はしたない、いやらしい女になって、あっ」
泣いている間、頭を撫でられながらも背に回した方の手でゆっくりたっぷりと尻を揉みしだかれていたのだ。繰魅の女陰はすっかり熱くなり、しとどに濡れてしまっていた。
あまりの恥ずかしさに頬が紅く染まるが、それでも繰魅は、大百足の胸から身を離せずにいる。
「そうら、言ってごらん。妾の繰魅や、どうして欲しいか、母に聞かせておくれ」
「うう、くっ、あ、して…むちゃくちゃに、あたしを、はあう…好きに、して…!」
「ほう、身体中に牙を突き立てても構わぬのかえ?いやらしくなる毒汁を注がれるぞ?妾のことしか考えられぬ虜になるやも知れぬぞ?どんなに恥ずかしくても、どんなに嫌がっても、もうどこにも逃げられぬぞ?身も心もなにもかも、大切なものは全てさらけ出して、妾のものにされてしまうのだぞ?それこのように!」
ぷすり、と再び大百足の牙が突き刺さり、淫らな熱が繰魅を弄ぶ。
「あ、や、ふやああああああん!?いい、それでもいいの!あっあっあっ…お、お胸もおまんこも、毒汁いっぱい、注ぎ込んでェ!あたしの身体、おもちゃにして…ああっ!あたしのなにもかも…平らげてェ!」
「ふ、ふふ………………善いぞ。」
ぷすり、ぷすり、ぷすり。
どくどく、どくどくどく、どくどくどくどく。
「あ、あ、あっ……にあああああァーーーっ!!!?ふやあ、あ、あちゅいい!いく、またいく!また!ああああー!」
ぺろり、はみはみ。
「ひいん!?そ、そこだめ、知らない、そんなところで気持ちよくなっちゃうの知らにゃ、ひいいいっ!?」
くちゅくちゅ、にちゃあ。ぐい。
「や、やめ、かあさま!?音立てちゃだめえ!ゆるひて、そんなやらしい格好できな…」
ずぷり
「ぴいいいいい!?ごめ、ごめんなしゃいい!でも、でも、それ以上ひりょげたら入ってるところ見えひゃうう」
ぷしゃああ
「あ、あは、いっぱいれちゃってる、の、恥ずかしい…おもらし、癖に、なっちゃ…」
すっ
「あ…全部、いちど、に……そんなの、またいっちゃう」
つぷ
「っあああああァー!!!」
そうして、繰魅はしばらく大百足のなすがままに身体を弄ばれ、淫らな声をあげ、何度も繰返し気をやってしまったのだった。
(ああ、もう手遅れだ、あたし。あたしの知っているあたしは、とっくの昔に山で凍えて死んでしまっていたんだ。ここにいるのは、優しくて意地悪な大百足にみいられた、どうしようもない虜の女だ。)
すっかり身も心も作り替えられてしまったのだと観念した繰魅は、ふっと力を抜いて大百足に身体を預けた。
するとたちまち、繰魅の足からものを感じる力が失われ、かわりに腹の下から体が餅のように伸びてゆくような思いに囚われた。
事実、繰魅の体は大蛇のように長く伸び、そこからは、どこかで聞いたような、きちきちがちゃがちゃと鳴り響く不気味な笑い声をあげて、何対もの細い足が生えてゆく。
人の身体の部分には刺青のような青紫の紋が浮かび上がり、ぼさぼさの髪は目に見えて艶を取り戻していった。
最後には頭の上から触角がにゅるりとのぞく。
そうして繰魅は、大百足になった。
一度は死に瀕した身体に流れ込んで命を繋いでいた濃密な魔力、それが宿主に受け入れられることで、人としての生は静かに幕を閉じ、魔物としての新たな生を授かったのである。
己の身体に起こったことを違わず理解した繰魅は、もう死んでしまっているであろう父親のことを想った。
せめて、かあさまはお父を優しく死なせてくれたのだろうか。
つう、と。一筋の雫が繰魅の頬を伝い、どこに消えるとも知れず、流れ落ちた。
「とまあ、これが魔界と化したお山の話でなければ、一夜に人世を涙ぐんでお別れの、あ、悲しい悲しいお噺と相成りましょう。ところがどっこい、そうは問屋が卸さねえんだなこれが!」
そう言って、床に落ちようとする涙を盃に受け止め、ぐいと飲み干す、竹を割ったような性根を思わせる声が小屋の空気を裂いて現れた。
「ふえ!?」
繰魅がはっと顔を上げれば、そこには蒼い肌の童女。否、一匹の年若い河童がいた。
「魔物に悲し涙は似合わねえよう、お嬢さん。どこの世界でも、人ならざるなら笑わなくっちゃあ!」
「え?ええ!?」
「いやあそれにしても…相っ変わらず湿っぽい所に住んでは、可愛い子ちゃんとくんずほぐれずやってますなあ、姐さん!」
「やれやれ。ぬしの方こそ、どたまの皿が渇けば倒れる身になって、ようもそんなからっとした揚げ物のような気性が続くものよ」
「それがあちきのイイところ、よ。でしょう?姐さん」
「そういうことにしておいてやろう。」
「あ、あわわ、い、一体いつから…」
一体いつからそこにいたのか、先程までのあられもない姿を見てしまったのかと、目を白黒させる繰魅だった。
しかし、木造の床を艶かしく照らすおびただしい愛液や、素っ裸で一回り大きな同族に抱かれながら尻を揉まれている大百足という、春画にすればたちまち一世を風靡すること間違いなしの何とも淫靡な絵面は全く隠せていない。
たとえ今しがたこの場に来たばかりの者であろうとも、先程までどんな恥態を晒していたのかは一目瞭然の様であった。
その一方、かあさまは平気の平左という顔だった。どうやら気心知れた仲らしく、心なしか声に明るい色が見え隠れしている。
しかし、何より繰魅が気になったのは二人の間柄ではなく、河童の言った『そうは問屋が卸さない』こととは、一体何のことを言っているのかということだ。
「え、ええと、河童さん?」
「か、『河童さん』!?なあ、今の聞いたかい姐さん、『河童さん』だってよう!あちき、さん付けで呼ばれたのなんて生まれてこのかた初めてだぜ!?」
「ふふ、愛いだろう愛いだろう、妾の躾の賜物よ」
なんとひょうきんな有り様だろう、この陽気で小柄な蒼色娘に繰魅は驚かされてばかりだった。飛び上がって喜ぶとはよく言ったものだが、床から四尺も飛び上がって喜ぶ生き物は、古今東西どこを探してもこいつしかいないのではないだろうか。
「あ、あのう。ひとつお尋ねしたいことが…」
「何だよう、でかい図体して気の小さい。あたしらはもうお山の仲間みたいなモンじゃねえか。水臭いコト言わずに、あちきを姉貴だとでも思って、何でも遠慮なく聞いてくんな」
そう言いながら、河童はぺたぺたと湿った足音を立てて近づくと、少し背伸びをして、さわさわと繰魅の頭を撫でた。
河童の手はしっとりとして、夏の涼しい河の香りがしていて、こんなにもあからさまに子供扱いを受けるのが、繰魅はなんだか恥ずかしいような、照れくさいような心持ちで、耳たぶのあたりがぼうっと熱くなるのだった。
「さっきの、その、そうは問屋が卸しなんたらって、何のコトかなって」
「おろろ、気づいてねえのかよこの子は。よく考えてみなよ、このお山がどういうところなのかってことを」
「…?」
「あちきは元はといやあ隣村の人間よ。お山で迷ってふらふら千鳥足、足滑らせて河にどぼん。で、気がついたらこの有り様とくらあ。このお山は姐さんのお陰でまるごと魔界になっちまってて、人が長居したり、死んじまうと魔物になるって寸法よ。つまり、だ…」
繰魅は絶句した。
まだ人であったであろう最期の刻、かあさまが繰魅に持ち掛けた取引で確かに言っていた『人の身で過ごす最期のひととき、少しばかり良い思いをさせてやろう。』という言葉の意味。それはつまるところ…
「おう、起きたのか、繰魅」
機を伺っていたとしか思えぬその声は、河童のものでもなければ、二人の大百足のものでもない。たとえ鈴の鳴るような乙女の喉で鳴らそうと、その不器用な響きを忘れるはずがあろうものか。
からんころんと、軽い足音で河童の後ろから歩いて来たのは、見目麗しい女人の顔をした、骸骨の仮生だった。
「………お父!!!」
「おう」
散々乱れてくたびれた身体を無理強いてでも、ここで駆け寄らずにいられようか。
繰魅は骸骨の女にひしとしがみつき、ただ、呼んだ。その先は、巧く言葉にならなかった。
「お父、お父!お父っー!おどっ、お父…ひっく、ぅええええ…」
「おう、おう。心配かけたみてえだな。まあ死んだ、どうやら死んだんだがな…おまえと、ヌシ様のお陰でこの通りよ。ほら、ええ歳して泣くな、ヌシ様も笑うとるぞ」
「くくく、善い善い。もうそなたには逢えぬとでも思うとったのであろうよ。しばらくは好きにさせてやりなさい」
このときの繰魅ときたら、今まで誰にも聞かせたことがないようなみっともない声を山中に轟かせ、丸々半刻はわあわあと泣き叫んだ。
だが、大百足も河童もそれが幸せな嬉し泣きならばと、繰魅が泣き疲れて眠ってしまうまで、決して咎めるようなことはしなかった。
「にしてもお嬢さんよう…どっちかっていうと、もうそいつは女なんだし、お父ってのはあんまりじゃないかい?」
「それは仕方がなかろう、既に妾が母なのだ。同じ呼び名では不便というものよ」
「おう、それじゃあ、あたしゃ『おっかあ』で、ヌシ様が『かあさま』ってのはどうでしょう」
「あははは!なんだいそりゃあ」
一度は病により命を落としたものの、河童の手でこっそりとお山に骨を運ばれ、日の没する海向こうの異邦では助流遁(すけるとん)と呼び習わされる魔物になった繰魅の父は、改めて繰魅の「おっかあ」になった。
こうして、大百足の「かあさま」と助流遁の「おっかあ」、そして河童の「ねえさま」という、新しい家族ができた繰魅の、新しい魔生が始まったのであった。
そう、まだ始まったばかり。
海向こうから来た教団と名乗る邪教の輩に山を焼かれそうになり、麓の住人を拐って都の近くへと引っ越しを強いられることになったり、おっかあとねえさまが旅のお侍に惚れて取り合いになっている間、止める者が居ないのをいいことにかあさまに尻穴をしっぽり調教されたり、所帯持ちの男に惚れて妻ごと頂くか二号に甘んじるか悩んだり、正月の餅を喉に詰まらせておっ死んだり。
薄れゆく意識の中で最早これまでかと思いきや、気づけば日本などという見知らぬ土地の邸(まんしょん)の一室。
顔色の悪い妖術師の娘に蘇らせられ、そのままとり憑いて奇舞良(きまいら)なる魔物に変じてしまったりと、波乱万丈な魔生が待っている。
このときの繰魅は未だそのような艱難辛苦降りかかることになるとは知るよしもなし、ただその中で一度たりとも、父のために命懸けでお山に登って「かあさま」と出会い、その魔生を得たことを後悔することはなかったそうな。
19/08/19 03:01更新 / 蛇草