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男は狩人だった。理由は定かではない。ただ、彼は自らが狩人であることに疑問を抱くことはなく、また不満に思うことも無かった。
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酷く雪が降った夜が明けた早朝、厚いブーツで雪を踏み抜いて彼は山道を歩いていく。この様子では鹿を狙って設置した罠は全滅だろう。獲れないのはいい、だが積雪の重みで壊れていたら修理が面倒だ。夕飯を作る時間を丸々使う羽目になる。
燻製の肉に飽いて欲張った結果がこれかと、男は自嘲的に笑う。埋もれていた一つ目の罠_幸運にも壊れていなかった_を引っ張り上げた次の瞬間、彼の眼が鋭く警戒の光をした。
足跡、それも二本足の。
昨晩の豪雪の中、山を突っ切ろうとした大馬鹿が知覚にいる。十中八九お尋ね者だ。山賊か、ふもとの町で盗みでも働いたか。それとも何かしらの密売人か。どれにせよ碌なモノではない。
男は背負っていた弓を構え、矢を番えて続く足跡を追っていく。
彼は誰であろうとひっ捕まえて麓に送り返すつもりだった。事実、彼にはそれが出来るだけの腕っぷしがある。山賊が襲い掛かってこようが、一人二人なら返り討ちにしたこともある。何も問題はない、よくあることではないが、もう慣れたことだ。
ふと、狩人の脳裏によぎる違和感。足跡が妙に小さい、その上やたらとフラついている。
少なくとも山道に慣れた者のそれではない、そもそも山を知る者なら雪の夜に山には踏み込まない。
「余程の者か、それともただの馬鹿か……」
斜面を登る内に、そして二つ目の罠へ近づく内に、足跡のふらつきは増していく。斜面が緩い方に流れていくような、力尽きる寸前のようなそれはいっそ悲壮さすら感じさせる。
やがて狩人の眼は人影を見とめ、彼は構えた弓を下ろす。視線の先にある木の根元で、外套を着込んだ何者かがぐったりと倒れ伏していた。あの木は仕掛けた罠の目印、その下に人が倒れているということは、そういう事だ。男はため息をつく。
「おい」
「……ぁ……」
掛けた声に対する返答は、朦朧とした、女性のかすれた声だった。一先ず襲われることはないだろうと雪に埋まった罠を掘り起こそうとした狩人は、ややあってぎょっと目を見開く。
ぎざぎざと尖ったトラバサミに囚われていた脚は、黄色い殻に包まれていたのだ。ひび割れた表面から血が滲んでいる。はっとした男が女性が被るフードを取り払うと、落ち栗色の髪に混じって、羽毛のようなものが見えた。
「……魔物」
魔物、人外、人ではないもの。男にとって魔物に対する認識はその程度でしかない。一人で中腹の一軒家に住んで久しく、雪山に住まうという魔物も、ここいらでは見たことがなかった。
故に男はしばし考え込んだ後、罠を外して素早く手当てを済ませると、魔物に懐から取り出した火酒を一口飲ませた。青ざめていた彼女の顔に僅かに赤みがさし、少し咳き込んで眼を開く。金色の、美しい眼だと男は思った。身なりもボロボロの外套を除けば整っている。
見た目で判断するのも何だが、お尋ね者には見えない。
「あ……な、た、は……?」
「俺は狩人だ。お前が踏み抜いた罠の持ち主だ。今からお前を俺の家に運ぶ、話は後で聞く、いいな?」
「は、はい……」
どちらにしろ、彼は怪我人を放置して帰るような男ではなかった。怪我に気を遣いながら魔物を背負い込み、ゆっくりと山を降りていく。血が巡りはじめ、幾らか力を取り戻した身体で男の背中にしがみついた魔物が口を開いた。
「私は、キキーモラのオルニスといいます……、ええと、貴方は」
「アインザムだ。今は口を開くな、眠っていろ」
投げかけられた問いに狩人は冷たく答える。ようやっと顔を出した太陽の光が差し込む時刻、これが二人の邂逅だった。
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酷く雪が降った夜が明けた早朝、厚いブーツで雪を踏み抜いて彼は山道を歩いていく。この様子では鹿を狙って設置した罠は全滅だろう。獲れないのはいい、だが積雪の重みで壊れていたら修理が面倒だ。夕飯を作る時間を丸々使う羽目になる。
燻製の肉に飽いて欲張った結果がこれかと、男は自嘲的に笑う。埋もれていた一つ目の罠_幸運にも壊れていなかった_を引っ張り上げた次の瞬間、彼の眼が鋭く警戒の光をした。
足跡、それも二本足の。
昨晩の豪雪の中、山を突っ切ろうとした大馬鹿が知覚にいる。十中八九お尋ね者だ。山賊か、ふもとの町で盗みでも働いたか。それとも何かしらの密売人か。どれにせよ碌なモノではない。
男は背負っていた弓を構え、矢を番えて続く足跡を追っていく。
彼は誰であろうとひっ捕まえて麓に送り返すつもりだった。事実、彼にはそれが出来るだけの腕っぷしがある。山賊が襲い掛かってこようが、一人二人なら返り討ちにしたこともある。何も問題はない、よくあることではないが、もう慣れたことだ。
ふと、狩人の脳裏によぎる違和感。足跡が妙に小さい、その上やたらとフラついている。
少なくとも山道に慣れた者のそれではない、そもそも山を知る者なら雪の夜に山には踏み込まない。
「余程の者か、それともただの馬鹿か……」
斜面を登る内に、そして二つ目の罠へ近づく内に、足跡のふらつきは増していく。斜面が緩い方に流れていくような、力尽きる寸前のようなそれはいっそ悲壮さすら感じさせる。
やがて狩人の眼は人影を見とめ、彼は構えた弓を下ろす。視線の先にある木の根元で、外套を着込んだ何者かがぐったりと倒れ伏していた。あの木は仕掛けた罠の目印、その下に人が倒れているということは、そういう事だ。男はため息をつく。
「おい」
「……ぁ……」
掛けた声に対する返答は、朦朧とした、女性のかすれた声だった。一先ず襲われることはないだろうと雪に埋まった罠を掘り起こそうとした狩人は、ややあってぎょっと目を見開く。
ぎざぎざと尖ったトラバサミに囚われていた脚は、黄色い殻に包まれていたのだ。ひび割れた表面から血が滲んでいる。はっとした男が女性が被るフードを取り払うと、落ち栗色の髪に混じって、羽毛のようなものが見えた。
「……魔物」
魔物、人外、人ではないもの。男にとって魔物に対する認識はその程度でしかない。一人で中腹の一軒家に住んで久しく、雪山に住まうという魔物も、ここいらでは見たことがなかった。
故に男はしばし考え込んだ後、罠を外して素早く手当てを済ませると、魔物に懐から取り出した火酒を一口飲ませた。青ざめていた彼女の顔に僅かに赤みがさし、少し咳き込んで眼を開く。金色の、美しい眼だと男は思った。身なりもボロボロの外套を除けば整っている。
見た目で判断するのも何だが、お尋ね者には見えない。
「あ……な、た、は……?」
「俺は狩人だ。お前が踏み抜いた罠の持ち主だ。今からお前を俺の家に運ぶ、話は後で聞く、いいな?」
「は、はい……」
どちらにしろ、彼は怪我人を放置して帰るような男ではなかった。怪我に気を遣いながら魔物を背負い込み、ゆっくりと山を降りていく。血が巡りはじめ、幾らか力を取り戻した身体で男の背中にしがみついた魔物が口を開いた。
「私は、キキーモラのオルニスといいます……、ええと、貴方は」
「アインザムだ。今は口を開くな、眠っていろ」
投げかけられた問いに狩人は冷たく答える。ようやっと顔を出した太陽の光が差し込む時刻、これが二人の邂逅だった。
21/09/26 14:25更新 / Gネック
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