第03話 黄金の少女
陽が傾いてきた。
そろそろ今夜の宿を考えたいけど、そもそも僕には店の見分け方すらよくわからない。
リエルに相談してみる……しかない自分が情けない。
「司さえよければ、私の家を拠点にしない?」
流石にそこまでお世話になるのはどうかと思ったけど……結局は厚意に甘えるしかなかった。
村外れにまでやって来る。リエルは昼下がりに自分が消えた空間を指して言った。
「あの場所に入口を作ったわ」
指差した方向にそのまま歩き、空間そのものに飲み込まれるように――消えた!
リエルが消えた場所に行き、意を決して一歩踏み出す――と、目の前にリエルが現れる。
昼にリエルが消えたと思ったのは、空間に隠れるための魔法をかけたためだったようだ。
「これよ」
リエルの隣に僕たちより縦も横も長い、楕円形をした光のようなものがあった。
うわー、としか感想が浮かばない。本当に瞬間移動する魔法で家に行き来していたのか……
リエルの家は、岩をくり抜いたような構造になっていた。
出た先はダイニングルームのようで、食事用のテーブルや調理器具が並んでいる。
と思った瞬間、後ろの光源が消えた。僕は振り向く。
入口が消えていた。
リエルはこちらに背を向け、入口のあった場所には何も存在しない。
僕にはなぜか、魔法の効果が切れたとかではなく、リエルが入口を消したように見えた。
「あの、明日だけど、村に戻る場合はどうしたら……」
「戻る必要はないわ」
リエルは僕に背を向けている。
「リエル?」
そのまま、こちらに振り向こうとはしない。
沈黙が流れる。
「ねえ、司。『沼地のリリム』と戦う気、ある?」
ためらいながら、リエルは小さな声で尋ねてきた。
「今日運んだ木箱って、『沼地のリリム』が送らせているんだよね?」
「……そうね」
少し間があった。
「リエルは、魔物娘と人間が共存している国から来たんだよね?」
「そうね」
今度は即答。
「だったら、『沼地のリリム』とは戦えない。僕が弱いとかリリムが強いとか以前の話で」
結論は出た。相手はリエルだ。正直な気持ちをぶつける。
「ああいう村が犠牲になるし、共存している例があるなら対話の可能な相手だと思うよ」
「『沼地のリリム』より時間はかかるけど、おそらく貴方の能力で村は救えるわよ?」
「城主以外にメリットがないよ。甘やかしたら政治が余計に悪くなるのは、僕でもわかる」
「『沼地のリリム』と戦う気は、ないのね?」
今度はリエルが悩む番なのか? 僕の目にはそう見えた。
「わかったわ」
リエルも、決心をつけたようだ。何かに。
「司。外、見てみて」
促されるまま、岩をくりぬいてガラスをはめた造りの窓に向かう。
相当な距離を移動したのだろう、外は夜になっており、すっかり暗くなっている。
少しすると闇に目が慣れてきた。地面であるはずの部分に、沼が広がっていた。
――沼?
「ここが、勇者様の目的地だった場所よ」
その言葉の意味を理解する前に、既に手足は震え始めていた。
吹雪く雪原に放り出されたかのように、言うことを聞いてくれない。
振り向いて、出口を素早く探して、全力で走って……
無理だ。わかってる。
「……ここで貴方は終わりよ」
僕の震えを止めたのは、背中から腕を回して抱き締めてくる、女の子の感触だった。
「私が『沼地のリリム』だから」
何かの力で、リエルの髪が舞い上がる。
僕の視界の隅に入ってきたそれは金色ではなく、さらに輝きを増したプラチナのものだった。
「……っ!」
背後のリエルの気配は、僕のような素人でもわかるくらい、巨大なものになっている。
『沼地のリリム』はサキュバスであることを思い出し、感触に流されまいとした。
「見逃して、ください……」
だけど、僕が実際にできたことは、リリムではないリエルの慈悲にすがることだけだった。
「ごめんなさい。もう、諦めて」
抱き締める手に、さらに力が入った。
僕が抵抗を諦めると巨大な気配は収まり、リエルの髪は金色に戻っていた。
「まあ、座って楽にしててよ。ここは沼地の真ん中。もう、どうにもならないんだから」
『沼地のリリム』は、デミグラスシチューらしきものを鍋で温め直している。
これは多分、僕の最後の晩餐になるんだと思う。
「昨日作って寝かせておいたのよ。昼と夜食べようと思ってたんだけど……」
キャンプで昼食を貰ったから、二人分残っているんだろう。
「親魔物国家だと、パンのオーブンは自由に家に置いていいのよ」
本で読んだことがある。粉挽きやパン焼きは貴族の収入源で、
普通の人はそういうことが可能な道具を持ってはいけなかったりするんだ。
やっぱり、魔王軍は国力――いや、文明のレベルそのものが高いんだろう。
こんな状況なのに、焼きたてのパンと一晩寝かせたシチューは、最高の味だった。
「会った時から、芽のうちに摘むつもりだったわ。けど、正直最初はね、バカにしてたんだ」
シチューを食べながら、リエルは朝に出会ってからの僕のことについて話し始めた。
「魔法で聞き出したらペラペラしゃべるし、弱い魅了でも平気でかかったしね」
スプーンでニンジンを弄ぶ。
「適当に遊んであげて、ホルスタウロスやワーシープの群れに放り込んであげようかなって」
思ってた、とニンジンをブロッコリーの方へ投げた。
「でも、それは間違いだった。司が魔法のない世界から来たことを理解してなかったのね」
今度はパンを千切ってシチューにつける。
「司が魔力を実感して理解した後は、魅了や暗示の効き目を劇的に弱くしたわ」
最初に【鑑定】を使った後の話をすると、パンにシチューを吸わせ、口に運ぶ。
次の言葉が出るまで少し、間があった。お行儀がいい。
「それで何回もかけ直して、意地になってるうちに……ね。さらいたく、なっちゃったんだ」
そこまで言うと、リエルはボウルの氷水に漬けられた果物を食べるようにうながした。
ピンク色でハート型をしたその果物は、匂いからしてリエルの香水の原料でもあるんだろう。
「先に言っておくわ。これは女の子を魔物娘に変えるくらい、強い魔力を持った果物よ」
食べなきゃ許さない、と言いたそうな目で僕を見ている。意を決して、果物を手に取った。
虜の果実:魔力汚染された食料品。体力と魔力を癒やす。軽い習慣性がある。
【サキュバス】への魔物化を引き起こす。魔物の誘引作用を引き起こす。
警告なのか、勝手に【鑑定】の結果が頭に浮かんでしまう。相場込みで。
……これは食べたくない。食べたくないけど――リエルが僕から目を逸らそしてくれない。
「司、この果物はね、人間もおいしく食べて、どんどん魔物娘を増やしてくれるのよ」
『軽い習慣性がある』し、そうなんだろうね。
「だから、魔法で無理矢理食べさせたくはないわね」
……僕は、意を決して皮を剥いた。香りが立ちこめ、乳白色の果肉があらわになる。
目をつむり、一気に口の中へ放り込む――
「ほら、おいしいでしょ?」
おいしかった。毒であるとは思えないほど、甘くてみずみずしい、果実だった……
「まだまだあるわよ」
あと二個くらいは食べなさい、と言いたそうな目で僕を見ていた。
湯浴みの音が聞こえる……
岩造りとドアで仕切られてないせいで反響するのだろうか。この寝室にまで水音は響く。
リエルは食事の後、
「これから湯浴みするけど、一緒に入りたい?」
といたずらっぽい目で聞いてきた。
震え上がって拒否するとこの部屋に案内され、色々な暗示をかけると浴室へ行ってしまった。
寝室なのでベッドがある。二人で眠れそうな大きなものに、枕がふたつ。
暗示に縛られて、逃げたいのに逃げられず、利が無いのに部屋着にも着替えてしまっている。
……危険な状況だと思う。取り乱していないのも、魔法のせいじゃないかと思えてくる。
水音が止んだ。
しばらくすると足音がするようになり、それは次第に明瞭な響きになる。
「なに、それ……」
帰ってきたリエルの服装を見て、僕は長い間何も言えずに固まってしまった。
それは、柔肌のほとんどを目に許す、あられもない格好だった。
局部を覆う三角形の紫色の布は、脚の付け根のほとんどを露出していた。
それの上に着る、ピンク色の下半身のみの前掛けは、透明度が高い。
胸も似たような構造で、紫色の布は胸の全てを完全に覆うものではなく、肩にかかる紐もない。
下と同じ色付きの布は、多くの花弁を飾り付けたようなデザインだが、やはり透けている。
二つ合わせてやっと大きめなストラップレスのブラといった感じだ。
この上衣は、上から下に強く引っ張ればそのまま脱がされ、胸を露出してしまうだろう。
下着のように見えるその服はまるで……
「奴隷の衣装よ! 女の子を慰み者にする時に着せる服ね」
そのとんでもない服を、リエルは完璧に着こなしていた。
あらわになったそのプロポーションには、理想的なメリハリがついており、とても色っぽい。
今ならハッキリとわかる。リエルは人間じゃない、サキュバスだ。
「気に入ってもらえたようで嬉しいわ。やっぱりこういう服って効果覿面ね」
その服で微笑まないで欲しい……
「魔界の姫としての格にふさわしい観賞用奴隷の衣装は、あらかじめ持参しておかないとね」
クルッと回って全身を見せ付ける。
おしりとか、ほとんど隠れてなかった……
「ふふっ。王魔界にしかないブティックで、先月発売された最新モードなのよ」
……奴隷が着る服に、ブティックの最新モードって、どういうことなんだろうか?
「それじゃ、準備も万端みたいだし、そろそろ司のことを終わらせてあげるわね」
その言葉で、現実に引き戻される。身体は恐怖で震え始めた。
息絶えるまで吸い尽くされ、干からびて横たわる僕の亡骸、邪悪な笑みを浮かべるリエル……
終わらせるとはそういうことなんだろう。サキュバスなのだし。
「司、私――怖い?」
答えを聞かずに、リエルはため息をついた。
「私がまだまだなのか、司が才能有る勇者様なのか…… ま、もう関係ないよね」
そう言うと、少しずつベッド――僕に近付いてくる。
半裸のリエルが、僕の間近に腰を下ろす。
「司、好きになっちゃった。だから、ごめんね」
変化は一瞬だった。
髪はプラチナの輝きを見せ、黒く美しい、角と翼と尻尾がそこにあった。
尻尾の先端が持ち上がる。そこには、澄んだ色の宝石がはめ込まれた宝飾品が被さっている。
肌にも大きな変化があった。魔力を感じる大きな紋様が、へその上に浮かび上がっている。
ついに、『沼地のリリム』が、その姿を現した。
頭が上手く働かない。
「ふふっ。まだ流石に、本性を見せれば、どうにでもなるみたいね」
リエルの本性は見ているだけでも危険なものだった。
犯されたい。
「ええ! 私と楽しみましょう、司!」
今の思考はなんだ?
いやだ! 逃げたい!
「逃がさないわよ。諦めて、楽しもう?」
心、読まれてる。
「『沼地のリリム』は、ここにいるわよ。勇者様は、私をどうするつもりだったの?」
笑顔がかわいい。
わからない。
「私を狙っていたんじゃなかったの?」
そうだ。狙ってた。最初だけ。
「そう。司は、私のことを狙ってた」
怒らないで、ゆるして……
「ゆるして欲しい?」
はい!
「なら、キスして。触れるだけじゃなく、中にちゃんと舌も入れるのよ」
えっ!? 舌を中に――入れる?
「唇だけは、貴方にリードさせてあげる」
なに、それ……? キスはわかるけど、後半の意味が分からない。
「ああ、わからないのね。キスの時に、相手の口の中へ舌を入れるのよ」
そうなのか。でも、キスしたら……
「そのまま私に操られ、自ら私のご馳走になって、その身を捧げることになるわ」
やっぱり!
犯されたいけど、犯されたくない!
「狙っていたのに、自分は終わりたくないって、都合良過ぎる話じゃないかしら?」
あの、いたずらっぽい目で笑う。
ごめんなさい。
「私に犯される前に、自分から犯される道を選ぶのなら、許してあげるわよ」
また、魔力が増えていく。
魔法を使う気なんだ。
今までの魔法とは比べようがないほど、強く大きな魔法を。
「【囚われの姫は、征服者に手篭め】 【純潔の華は、儚く摘まれた】」
リエルは掛け布団にくるまって目を閉じた。
キスしたい。
いや、ダメだ。吸い尽くされる。
僕はゆっくりとリエルに唇を近付ける。
でも、リエルにゆるしてほしい。
干からびたくない。
その細い肩を抱いて、ベッドへと押し倒した。
もう、どうなってもいい。
唇、柔らかい。
そろそろ今夜の宿を考えたいけど、そもそも僕には店の見分け方すらよくわからない。
リエルに相談してみる……しかない自分が情けない。
「司さえよければ、私の家を拠点にしない?」
流石にそこまでお世話になるのはどうかと思ったけど……結局は厚意に甘えるしかなかった。
村外れにまでやって来る。リエルは昼下がりに自分が消えた空間を指して言った。
「あの場所に入口を作ったわ」
指差した方向にそのまま歩き、空間そのものに飲み込まれるように――消えた!
リエルが消えた場所に行き、意を決して一歩踏み出す――と、目の前にリエルが現れる。
昼にリエルが消えたと思ったのは、空間に隠れるための魔法をかけたためだったようだ。
「これよ」
リエルの隣に僕たちより縦も横も長い、楕円形をした光のようなものがあった。
うわー、としか感想が浮かばない。本当に瞬間移動する魔法で家に行き来していたのか……
リエルの家は、岩をくり抜いたような構造になっていた。
出た先はダイニングルームのようで、食事用のテーブルや調理器具が並んでいる。
と思った瞬間、後ろの光源が消えた。僕は振り向く。
入口が消えていた。
リエルはこちらに背を向け、入口のあった場所には何も存在しない。
僕にはなぜか、魔法の効果が切れたとかではなく、リエルが入口を消したように見えた。
「あの、明日だけど、村に戻る場合はどうしたら……」
「戻る必要はないわ」
リエルは僕に背を向けている。
「リエル?」
そのまま、こちらに振り向こうとはしない。
沈黙が流れる。
「ねえ、司。『沼地のリリム』と戦う気、ある?」
ためらいながら、リエルは小さな声で尋ねてきた。
「今日運んだ木箱って、『沼地のリリム』が送らせているんだよね?」
「……そうね」
少し間があった。
「リエルは、魔物娘と人間が共存している国から来たんだよね?」
「そうね」
今度は即答。
「だったら、『沼地のリリム』とは戦えない。僕が弱いとかリリムが強いとか以前の話で」
結論は出た。相手はリエルだ。正直な気持ちをぶつける。
「ああいう村が犠牲になるし、共存している例があるなら対話の可能な相手だと思うよ」
「『沼地のリリム』より時間はかかるけど、おそらく貴方の能力で村は救えるわよ?」
「城主以外にメリットがないよ。甘やかしたら政治が余計に悪くなるのは、僕でもわかる」
「『沼地のリリム』と戦う気は、ないのね?」
今度はリエルが悩む番なのか? 僕の目にはそう見えた。
「わかったわ」
リエルも、決心をつけたようだ。何かに。
「司。外、見てみて」
促されるまま、岩をくりぬいてガラスをはめた造りの窓に向かう。
相当な距離を移動したのだろう、外は夜になっており、すっかり暗くなっている。
少しすると闇に目が慣れてきた。地面であるはずの部分に、沼が広がっていた。
――沼?
「ここが、勇者様の目的地だった場所よ」
その言葉の意味を理解する前に、既に手足は震え始めていた。
吹雪く雪原に放り出されたかのように、言うことを聞いてくれない。
振り向いて、出口を素早く探して、全力で走って……
無理だ。わかってる。
「……ここで貴方は終わりよ」
僕の震えを止めたのは、背中から腕を回して抱き締めてくる、女の子の感触だった。
「私が『沼地のリリム』だから」
何かの力で、リエルの髪が舞い上がる。
僕の視界の隅に入ってきたそれは金色ではなく、さらに輝きを増したプラチナのものだった。
「……っ!」
背後のリエルの気配は、僕のような素人でもわかるくらい、巨大なものになっている。
『沼地のリリム』はサキュバスであることを思い出し、感触に流されまいとした。
「見逃して、ください……」
だけど、僕が実際にできたことは、リリムではないリエルの慈悲にすがることだけだった。
「ごめんなさい。もう、諦めて」
抱き締める手に、さらに力が入った。
僕が抵抗を諦めると巨大な気配は収まり、リエルの髪は金色に戻っていた。
「まあ、座って楽にしててよ。ここは沼地の真ん中。もう、どうにもならないんだから」
『沼地のリリム』は、デミグラスシチューらしきものを鍋で温め直している。
これは多分、僕の最後の晩餐になるんだと思う。
「昨日作って寝かせておいたのよ。昼と夜食べようと思ってたんだけど……」
キャンプで昼食を貰ったから、二人分残っているんだろう。
「親魔物国家だと、パンのオーブンは自由に家に置いていいのよ」
本で読んだことがある。粉挽きやパン焼きは貴族の収入源で、
普通の人はそういうことが可能な道具を持ってはいけなかったりするんだ。
やっぱり、魔王軍は国力――いや、文明のレベルそのものが高いんだろう。
こんな状況なのに、焼きたてのパンと一晩寝かせたシチューは、最高の味だった。
「会った時から、芽のうちに摘むつもりだったわ。けど、正直最初はね、バカにしてたんだ」
シチューを食べながら、リエルは朝に出会ってからの僕のことについて話し始めた。
「魔法で聞き出したらペラペラしゃべるし、弱い魅了でも平気でかかったしね」
スプーンでニンジンを弄ぶ。
「適当に遊んであげて、ホルスタウロスやワーシープの群れに放り込んであげようかなって」
思ってた、とニンジンをブロッコリーの方へ投げた。
「でも、それは間違いだった。司が魔法のない世界から来たことを理解してなかったのね」
今度はパンを千切ってシチューにつける。
「司が魔力を実感して理解した後は、魅了や暗示の効き目を劇的に弱くしたわ」
最初に【鑑定】を使った後の話をすると、パンにシチューを吸わせ、口に運ぶ。
次の言葉が出るまで少し、間があった。お行儀がいい。
「それで何回もかけ直して、意地になってるうちに……ね。さらいたく、なっちゃったんだ」
そこまで言うと、リエルはボウルの氷水に漬けられた果物を食べるようにうながした。
ピンク色でハート型をしたその果物は、匂いからしてリエルの香水の原料でもあるんだろう。
「先に言っておくわ。これは女の子を魔物娘に変えるくらい、強い魔力を持った果物よ」
食べなきゃ許さない、と言いたそうな目で僕を見ている。意を決して、果物を手に取った。
虜の果実:魔力汚染された食料品。体力と魔力を癒やす。軽い習慣性がある。
【サキュバス】への魔物化を引き起こす。魔物の誘引作用を引き起こす。
警告なのか、勝手に【鑑定】の結果が頭に浮かんでしまう。相場込みで。
……これは食べたくない。食べたくないけど――リエルが僕から目を逸らそしてくれない。
「司、この果物はね、人間もおいしく食べて、どんどん魔物娘を増やしてくれるのよ」
『軽い習慣性がある』し、そうなんだろうね。
「だから、魔法で無理矢理食べさせたくはないわね」
……僕は、意を決して皮を剥いた。香りが立ちこめ、乳白色の果肉があらわになる。
目をつむり、一気に口の中へ放り込む――
「ほら、おいしいでしょ?」
おいしかった。毒であるとは思えないほど、甘くてみずみずしい、果実だった……
「まだまだあるわよ」
あと二個くらいは食べなさい、と言いたそうな目で僕を見ていた。
湯浴みの音が聞こえる……
岩造りとドアで仕切られてないせいで反響するのだろうか。この寝室にまで水音は響く。
リエルは食事の後、
「これから湯浴みするけど、一緒に入りたい?」
といたずらっぽい目で聞いてきた。
震え上がって拒否するとこの部屋に案内され、色々な暗示をかけると浴室へ行ってしまった。
寝室なのでベッドがある。二人で眠れそうな大きなものに、枕がふたつ。
暗示に縛られて、逃げたいのに逃げられず、利が無いのに部屋着にも着替えてしまっている。
……危険な状況だと思う。取り乱していないのも、魔法のせいじゃないかと思えてくる。
水音が止んだ。
しばらくすると足音がするようになり、それは次第に明瞭な響きになる。
「なに、それ……」
帰ってきたリエルの服装を見て、僕は長い間何も言えずに固まってしまった。
それは、柔肌のほとんどを目に許す、あられもない格好だった。
局部を覆う三角形の紫色の布は、脚の付け根のほとんどを露出していた。
それの上に着る、ピンク色の下半身のみの前掛けは、透明度が高い。
胸も似たような構造で、紫色の布は胸の全てを完全に覆うものではなく、肩にかかる紐もない。
下と同じ色付きの布は、多くの花弁を飾り付けたようなデザインだが、やはり透けている。
二つ合わせてやっと大きめなストラップレスのブラといった感じだ。
この上衣は、上から下に強く引っ張ればそのまま脱がされ、胸を露出してしまうだろう。
下着のように見えるその服はまるで……
「奴隷の衣装よ! 女の子を慰み者にする時に着せる服ね」
そのとんでもない服を、リエルは完璧に着こなしていた。
あらわになったそのプロポーションには、理想的なメリハリがついており、とても色っぽい。
今ならハッキリとわかる。リエルは人間じゃない、サキュバスだ。
「気に入ってもらえたようで嬉しいわ。やっぱりこういう服って効果覿面ね」
その服で微笑まないで欲しい……
「魔界の姫としての格にふさわしい観賞用奴隷の衣装は、あらかじめ持参しておかないとね」
クルッと回って全身を見せ付ける。
おしりとか、ほとんど隠れてなかった……
「ふふっ。王魔界にしかないブティックで、先月発売された最新モードなのよ」
……奴隷が着る服に、ブティックの最新モードって、どういうことなんだろうか?
「それじゃ、準備も万端みたいだし、そろそろ司のことを終わらせてあげるわね」
その言葉で、現実に引き戻される。身体は恐怖で震え始めた。
息絶えるまで吸い尽くされ、干からびて横たわる僕の亡骸、邪悪な笑みを浮かべるリエル……
終わらせるとはそういうことなんだろう。サキュバスなのだし。
「司、私――怖い?」
答えを聞かずに、リエルはため息をついた。
「私がまだまだなのか、司が才能有る勇者様なのか…… ま、もう関係ないよね」
そう言うと、少しずつベッド――僕に近付いてくる。
半裸のリエルが、僕の間近に腰を下ろす。
「司、好きになっちゃった。だから、ごめんね」
変化は一瞬だった。
髪はプラチナの輝きを見せ、黒く美しい、角と翼と尻尾がそこにあった。
尻尾の先端が持ち上がる。そこには、澄んだ色の宝石がはめ込まれた宝飾品が被さっている。
肌にも大きな変化があった。魔力を感じる大きな紋様が、へその上に浮かび上がっている。
ついに、『沼地のリリム』が、その姿を現した。
頭が上手く働かない。
「ふふっ。まだ流石に、本性を見せれば、どうにでもなるみたいね」
リエルの本性は見ているだけでも危険なものだった。
犯されたい。
「ええ! 私と楽しみましょう、司!」
今の思考はなんだ?
いやだ! 逃げたい!
「逃がさないわよ。諦めて、楽しもう?」
心、読まれてる。
「『沼地のリリム』は、ここにいるわよ。勇者様は、私をどうするつもりだったの?」
笑顔がかわいい。
わからない。
「私を狙っていたんじゃなかったの?」
そうだ。狙ってた。最初だけ。
「そう。司は、私のことを狙ってた」
怒らないで、ゆるして……
「ゆるして欲しい?」
はい!
「なら、キスして。触れるだけじゃなく、中にちゃんと舌も入れるのよ」
えっ!? 舌を中に――入れる?
「唇だけは、貴方にリードさせてあげる」
なに、それ……? キスはわかるけど、後半の意味が分からない。
「ああ、わからないのね。キスの時に、相手の口の中へ舌を入れるのよ」
そうなのか。でも、キスしたら……
「そのまま私に操られ、自ら私のご馳走になって、その身を捧げることになるわ」
やっぱり!
犯されたいけど、犯されたくない!
「狙っていたのに、自分は終わりたくないって、都合良過ぎる話じゃないかしら?」
あの、いたずらっぽい目で笑う。
ごめんなさい。
「私に犯される前に、自分から犯される道を選ぶのなら、許してあげるわよ」
また、魔力が増えていく。
魔法を使う気なんだ。
今までの魔法とは比べようがないほど、強く大きな魔法を。
「【囚われの姫は、征服者に手篭め】 【純潔の華は、儚く摘まれた】」
リエルは掛け布団にくるまって目を閉じた。
キスしたい。
いや、ダメだ。吸い尽くされる。
僕はゆっくりとリエルに唇を近付ける。
でも、リエルにゆるしてほしい。
干からびたくない。
その細い肩を抱いて、ベッドへと押し倒した。
もう、どうなってもいい。
唇、柔らかい。
12/12/27 20:00更新 / 鉄枷神官
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