第01話 放られし勇者
僕は一目散に逃げ出した。
あんなのと、百均の包丁以下の武器――
いや、スゴい力を秘めた魔法の剣を手にしていたとしても、挑戦は非現実的で無謀に思える。
なぜなら、向き合った『魔物』は、ゲームのような恐ろしい姿形をしていなかったからだ。
その可愛らしい姿をしたスライムのような魔物に対して、僕の全ての常識は、
「恐ろしい、ただの女の子」という結論を出し――冒頭の決断へと繋がった。
今までの人生で見たことのない、広く明るい草原と深く暗い森。
アスファルトどころか砂利の道すらないそれらを抜けた先にあるという小さな村。
そして、この世界を支配しようという、
『沼地の島の岩山に棲む、リリムという極めて強力なサキュバス』まで、
道は遥かに遠かった。
青いスライムの女の子を振り切り、旅のスタート地点まで逃げ帰った僕は、
城門近くの木陰で体を休めていた。
「ねえ、そこの貴方?」
女の子の声! を聞いただけで震え上がり、振り返る。
そして声の少女をみた僕は、その姿に一瞬で目を奪われてしまった。
長く伸ばして一部を左右でおさげにした金色の髪は、妖精かと思ってしまうほど艶やかで、
僕を覗く赤い瞳は、意志の強さが燃え上がってルビーとなったかのような輝きを放っていた。
フリルやリボンをふんだんにあしらった白いワンピースは清楚かつ上品なデザインで、
華やかさをよい意味で抑えて、彼女の少女としての魅力を引き立てている。
その少女は、気恥ずかしくて女の子の顔を直視できない傾向のある僕が、
それでも顔から視線を反らせないほど美しかったのだ。
「これは貴方の剣でしょ? 拾っておいてあげたわよ」
少女の手には、僕が持っていたはずの赤銅の剣が握られていた。
逃げ出した時のことなのか、握っていた剣を投げ捨てたことにも気付かなかったらしい。
「は、はいっ! ありがとうごさいます!」
「……何でこんなことをしているのか、私で良かったら聞かせてもらってもいいかしら?」
僕の名前は、段城(だんじょう)司(つかさ)。
端的に言ってしまうと、僕はゲーム機とアスファルトの世界からこの世界へと、
(おそらく)勇者として召喚されてしまったのだ。
わけのわからないまま、召喚儀式室みたいな場所から宝物庫のような場所に連れて行かれ、
一対になってるっぽい二振りの斧を引き抜くように指示された。
それが抜けないと分かると、今度は王様と会うために謁見の間へと連れて行かれる。
そこで『沼地の岩山に棲む、リリムという極めて強力なサキュバス』を討伐せよと命令され、
赤銅の剣と黒いパンと僅かばかりの路銀と共に城から放り出されたのだ。
パンはまずいし、言いたいことは凄くたくさんあるのだが、
しょうがないので生活費を稼ごうと、スライム狩りを考え――そう、冒頭の状態だ。
このような顛末を、包み隠さず全て話した。この美しい人の瞳を見ていたら、
つい打ち明けたくなってしまったのだ。
「魔物も魔法も存在しない異世界……か。信じ難い話ではあるけれど、
君の説明は整然としてて矛盾がないのよね」
「ごめんなさい。関係ないのに丁寧に話を聞いていただいて」
「そうなのよね。そもそも私が聞いた結果なのよね……」
ちょっと意味不明なことをブツブツ言っている。
自分の感情を押し付けて、迷惑なことをしてしまったかもしれない。
「で、貴方はどうするの? 勇者様を続けて『沼地のリリム』と戦うつもり?」
「勇者様って言われても正直ピンとこないですし、何かして生活費を稼がないと……」
勇者とか言われてるけど、今の状態は正直ただの浮浪者でしかない。
遠い『沼地のリリム』より、当面の生活をどうするかだ。
「今の所持金だと、安宿十日分ってところかしら?
うーん、ちょっと提案があるんだけど、聞いてみたい?」
少女が指を口元から離すと、その唇に視線が吸い付けられてしまう。
「何でしょうか?」
「魔物娘を傷付けたくないって言うのなら、私は貴方と組んであげられるけど、どうする?」
「ありがたい話ですけど――いいんですか?」
「別にいいわよ。私は魔物と友好的な国から来たから、
この辺りだと一緒に組める冒険者を探すのには苦労しちゃうのよ」
「お願いします! ぜひ連れて行ってください!
この世界自体の素人ですし、正直どうしようもないです!」
僕にとってこの提案は都合が良過ぎる! 通じるかわからないけど、
頭をしっかり下げてお願いした。
「じゃあ、決まりかな?」
少女は、手を出して握手をうながしてきた。
「私はリエル。よろしくね!」
「はい、リエルさん」
僕はその手を取った。凄く柔らかい……
「……ちょっと堅苦しいんじゃない? 呼び捨てでいいわよ」
「よろしく、リエル! ――こうかな?」
「うんうん! ツカサ、つかさ、司…… 司、司――これでいいかしら?」
「そんな感じかな」
「よしっ!」
リエルは手を離し、少し僕から距離を取る。同じく離れた温もりに名残惜しさを感じる。
でも、彼女はすぐに僕へと振り向いてくれた。
「魔物娘の世界へようこそ! 司!」
その笑顔は、この世界に召喚された僕の不安や恐怖を、一気に吹き飛ばしてくれた。
リエルは僕に、旅の最初の目的を指し示してくれた。
「まずは、魔物娘のキャンプに行きましょう」
「魔物娘って、魔物のこと?」
「ああ、そこから説明しなきゃダメかな。魔物はメスしか産まれないのよ。
だから魔物娘ってこと」
ふむふむ、なるほど。
「僕が行って、襲われたりしないの?」
「するわよ? 私から少しでも離れたら、すぐに巣へと連れ去られてしまうでしょうね」
……絶対に離れない。
「目的を聞かせて欲しいんだけど、いい?」
「あっ、そうね。危険な場所だし知っておいた方がいいわね。
キャンプで、魔王軍の運び屋の仕事を請けるのよ」
聞いて良かった! 僕GJ!
「ま、魔王軍!? それ、初心者にはすっごく危なそうな気がするんだけど!
そもそも何を運ぶの?」
「うーん。私も実際に運ぶのは初めてなのよね。
保証はできないけど、食料が主で衣類や薬品類を少しつまむ感じじゃないかしら?」
……衣食に薬?
「魔物娘の物品を人間の村に運んで、適当に売り払うのよ。売り上げが丸ごと報酬ね」
「丸ごと? 魔王軍にお金を戻さなくていいの? それとも先に買い取るの?」
「売り払いには失敗するのが前提だから総取りのはずだし、お金を払うこともないはずよ」
なんなんだこの話、明らかにおかしいぞ!
「『失敗が前提』? ごめん。全然話が見えない」
「うーんとね。魔王軍から見た場合だと、物資さえ人間の手に渡れば、
売り払ったお金を懐に入れようが途中で武装した村人に奪われようが、
どちらでも構わないのよ」
『失敗』ってのは後者のことかな。でも……
「タダで物を送り付けて、魔王軍は何か得をするの?」
「ひとつはエサね。人間を襲うチャンスを作るための」
なるほど。勇者としてどうかはともかく、理解はできる。
「もうひとつは……村に着いて売り払う段階になれば、おのずとわかると思うわ」
リエルの顔に陰が差した。
輸送物資の内容を思い出し、僕も別のベクトルで嫌な予感がしてきた。
村に着くまで考えないようにしよう。外れてますように。
テントらしき建造物の屋根が見えると、いきなり柔らかくて温かい感触が僕の腕に絡まった。
びっくりして振り向くと、リエルが僕の腕に自分の身体を絡めていた。恋人みたいに!
「こうやってお互いの匂いを混ぜておけば、少しは魔物娘の目を誤魔化せるわよ」
僕はドギマギしてるのに、リエルはどこ吹く風。同い年くらいなのに……
やっぱりこういう世界だと、自然に大人っぽくなるんだろうか?
どうして誤魔化しになるのか理屈はわからないけど、
状況はリエルの発言が正しいことを示してくれた。
守衛をしている豚のような二人の魔物娘がじろーっとこっち――いや、僕を見ているが、
手を出す気はないようだ。
彼女らをスルーして、キャンプの中――魔物娘の領域に入る。
角の生えた女の子、ネズミっぽい女の子、甲虫っぽい女の子、
腕が鳥の翼になっている女の子……確かに、みんな女の子だ。
ワイワイ話をしていて楽しそうな中をリエルにうながされて進み、
中央の一番大きなテントに入る。
中にはトカゲみたいな尻尾を持つ、鱗の鎧をまとった戦士っぽい魔物娘がいた。
彼女は一瞬、凄くびっくりしたように見えた。
守衛は通しているとはいえ、人間二人が踏み込んで来たら敵だと思うよね。
リエルはそんなトカゲ戦士さんと気さくに話をし、すぐにまとまったようだ。
「お昼と貴方の装備もくれるそうよ。行商にしろ輸送部隊の襲撃にしろ、
その剣じゃ怪し過ぎるしね。食事はキャンプから離れてからにしましょう」
……敵ながらこの世界の魔王軍は、こんなことをしててもいいのかと心配になってしまった。
リエルに外を見張ってもらいながらトイレを借りた後、僕たちはキャンプを出発した。
トイレはずいぶんと現代的だった。
技術力もそうだけど、仕組み自体どうなっているのか疑問は尽きない。
巨大な木箱に車輪と持ち手を付けたような輸送用人力車は流石に重く、
軍手らしき手袋をもらえたことはありがたかった。
しかし、装備の方は金属の重さではない。
盾や胸当てはまるでベニヤの板みたいに軽いし、剣もおもちゃみたいだ。
しかも剣は相手を脱力させて傷付けない性質があるらしく、僕でも躊躇無く振るえる。
もちろん魔王軍の装備なのだが、同じ物が村人に多数奪われているらしく、
怪しまれる心配は全くしなくていいとのこと。
木箱に話を戻すと、やはり中身が気になる。
人間の行商人しか運べないって話だけど、いったい何が入っているんだろう……?
「かなりキャンプを離れたし、そろそろお昼にしましょうか?」
リエルの提案通りに休憩することにして、キャンプでもらった包みを開いた。
魔王軍のランチは城でもらった黒いパンではなく、
現世で口にしていた白いパンのサンドイッチだ。これは驚いた。
パンだけでも差があるのに、これにレタスとトマトとチーズとハムが入っている。
「凄いね。お城でもらったパンとは大違いだ……」
「あの城の食事はこの食事に慣れちゃうと、とても食べられたものじゃないわよ」
運び屋やトイレのことも含め、もしかしなくても城と魔王軍とでは、
国力に差がありすぎるんじゃないだろうか。
余計なことを考えるのはこのくらいにしておいて一口食べてみる――
全部どうでもよくなった。なにこれおいしい!
パンや野菜は現世の高級品と遜色がなく、ハムとチーズに至っては明らかに違う!
一体なんなんだ!?
魔界豚のハム:清浄な食料品。
ホルスタウロスミルクのチーズ:清浄な食料品。
えっ……!?
その瞬間、頭の中に突然、この『説明』としか言いようのない情報が浮かんだ。
と同時に僕の知性というべきものが、『この物質に問題はない』と直感的に告げる。
まるで聞いたことのない動物の名前が頭の中にあるのに、その判断だけは確信に満ちていた。
『知性が直感的に理解する』と言えばいいのだろうか? 矛盾した状態なのにかかわらず、
僕の知性は無根拠にもたらされたはずのその情報を全く疑ってくれない……
「ほら、全然違うでしょ? 特にハムとチーズは魔界の特産品なのよ」
「……魔界豚と、ホルスタウロス?」
「……? この城って魔物と敵対している国なのに、そこまで教えてくれるの?」
僕は今の『説明』の話を、リエルに打ち明けた。何か知ってるかもしれないしね。
「やっぱり司は勇者様なのね。それは主神が与えた贈り物のようなものだと思うわ」
しかし、リエルにもそれ以上のことはわからないし、真似できることでもないらしい。
「試しに、食べ物以外のものを調べてみたらどう? 例えば装備品とか」
赤銅の剣:魔力のない武器。
魔界銀の剣:魔力のない武器。
魔界銀の盾:魔力のない盾。
魔界銀の胸当て:魔力のない胸部鎧。
何度か試してコツをつかんだ。時間さえ取れれば、確実に発動させられるようになれた。
それにしても、『魔力のない武器』か。だったら『魔力のある武器』もあるのだろうか?
――まあ能力のことに関してはそこまでにして、僕たちは昼食を再開した。
あんなのと、百均の包丁以下の武器――
いや、スゴい力を秘めた魔法の剣を手にしていたとしても、挑戦は非現実的で無謀に思える。
なぜなら、向き合った『魔物』は、ゲームのような恐ろしい姿形をしていなかったからだ。
その可愛らしい姿をしたスライムのような魔物に対して、僕の全ての常識は、
「恐ろしい、ただの女の子」という結論を出し――冒頭の決断へと繋がった。
今までの人生で見たことのない、広く明るい草原と深く暗い森。
アスファルトどころか砂利の道すらないそれらを抜けた先にあるという小さな村。
そして、この世界を支配しようという、
『沼地の島の岩山に棲む、リリムという極めて強力なサキュバス』まで、
道は遥かに遠かった。
青いスライムの女の子を振り切り、旅のスタート地点まで逃げ帰った僕は、
城門近くの木陰で体を休めていた。
「ねえ、そこの貴方?」
女の子の声! を聞いただけで震え上がり、振り返る。
そして声の少女をみた僕は、その姿に一瞬で目を奪われてしまった。
長く伸ばして一部を左右でおさげにした金色の髪は、妖精かと思ってしまうほど艶やかで、
僕を覗く赤い瞳は、意志の強さが燃え上がってルビーとなったかのような輝きを放っていた。
フリルやリボンをふんだんにあしらった白いワンピースは清楚かつ上品なデザインで、
華やかさをよい意味で抑えて、彼女の少女としての魅力を引き立てている。
その少女は、気恥ずかしくて女の子の顔を直視できない傾向のある僕が、
それでも顔から視線を反らせないほど美しかったのだ。
「これは貴方の剣でしょ? 拾っておいてあげたわよ」
少女の手には、僕が持っていたはずの赤銅の剣が握られていた。
逃げ出した時のことなのか、握っていた剣を投げ捨てたことにも気付かなかったらしい。
「は、はいっ! ありがとうごさいます!」
「……何でこんなことをしているのか、私で良かったら聞かせてもらってもいいかしら?」
僕の名前は、段城(だんじょう)司(つかさ)。
端的に言ってしまうと、僕はゲーム機とアスファルトの世界からこの世界へと、
(おそらく)勇者として召喚されてしまったのだ。
わけのわからないまま、召喚儀式室みたいな場所から宝物庫のような場所に連れて行かれ、
一対になってるっぽい二振りの斧を引き抜くように指示された。
それが抜けないと分かると、今度は王様と会うために謁見の間へと連れて行かれる。
そこで『沼地の岩山に棲む、リリムという極めて強力なサキュバス』を討伐せよと命令され、
赤銅の剣と黒いパンと僅かばかりの路銀と共に城から放り出されたのだ。
パンはまずいし、言いたいことは凄くたくさんあるのだが、
しょうがないので生活費を稼ごうと、スライム狩りを考え――そう、冒頭の状態だ。
このような顛末を、包み隠さず全て話した。この美しい人の瞳を見ていたら、
つい打ち明けたくなってしまったのだ。
「魔物も魔法も存在しない異世界……か。信じ難い話ではあるけれど、
君の説明は整然としてて矛盾がないのよね」
「ごめんなさい。関係ないのに丁寧に話を聞いていただいて」
「そうなのよね。そもそも私が聞いた結果なのよね……」
ちょっと意味不明なことをブツブツ言っている。
自分の感情を押し付けて、迷惑なことをしてしまったかもしれない。
「で、貴方はどうするの? 勇者様を続けて『沼地のリリム』と戦うつもり?」
「勇者様って言われても正直ピンとこないですし、何かして生活費を稼がないと……」
勇者とか言われてるけど、今の状態は正直ただの浮浪者でしかない。
遠い『沼地のリリム』より、当面の生活をどうするかだ。
「今の所持金だと、安宿十日分ってところかしら?
うーん、ちょっと提案があるんだけど、聞いてみたい?」
少女が指を口元から離すと、その唇に視線が吸い付けられてしまう。
「何でしょうか?」
「魔物娘を傷付けたくないって言うのなら、私は貴方と組んであげられるけど、どうする?」
「ありがたい話ですけど――いいんですか?」
「別にいいわよ。私は魔物と友好的な国から来たから、
この辺りだと一緒に組める冒険者を探すのには苦労しちゃうのよ」
「お願いします! ぜひ連れて行ってください!
この世界自体の素人ですし、正直どうしようもないです!」
僕にとってこの提案は都合が良過ぎる! 通じるかわからないけど、
頭をしっかり下げてお願いした。
「じゃあ、決まりかな?」
少女は、手を出して握手をうながしてきた。
「私はリエル。よろしくね!」
「はい、リエルさん」
僕はその手を取った。凄く柔らかい……
「……ちょっと堅苦しいんじゃない? 呼び捨てでいいわよ」
「よろしく、リエル! ――こうかな?」
「うんうん! ツカサ、つかさ、司…… 司、司――これでいいかしら?」
「そんな感じかな」
「よしっ!」
リエルは手を離し、少し僕から距離を取る。同じく離れた温もりに名残惜しさを感じる。
でも、彼女はすぐに僕へと振り向いてくれた。
「魔物娘の世界へようこそ! 司!」
その笑顔は、この世界に召喚された僕の不安や恐怖を、一気に吹き飛ばしてくれた。
リエルは僕に、旅の最初の目的を指し示してくれた。
「まずは、魔物娘のキャンプに行きましょう」
「魔物娘って、魔物のこと?」
「ああ、そこから説明しなきゃダメかな。魔物はメスしか産まれないのよ。
だから魔物娘ってこと」
ふむふむ、なるほど。
「僕が行って、襲われたりしないの?」
「するわよ? 私から少しでも離れたら、すぐに巣へと連れ去られてしまうでしょうね」
……絶対に離れない。
「目的を聞かせて欲しいんだけど、いい?」
「あっ、そうね。危険な場所だし知っておいた方がいいわね。
キャンプで、魔王軍の運び屋の仕事を請けるのよ」
聞いて良かった! 僕GJ!
「ま、魔王軍!? それ、初心者にはすっごく危なそうな気がするんだけど!
そもそも何を運ぶの?」
「うーん。私も実際に運ぶのは初めてなのよね。
保証はできないけど、食料が主で衣類や薬品類を少しつまむ感じじゃないかしら?」
……衣食に薬?
「魔物娘の物品を人間の村に運んで、適当に売り払うのよ。売り上げが丸ごと報酬ね」
「丸ごと? 魔王軍にお金を戻さなくていいの? それとも先に買い取るの?」
「売り払いには失敗するのが前提だから総取りのはずだし、お金を払うこともないはずよ」
なんなんだこの話、明らかにおかしいぞ!
「『失敗が前提』? ごめん。全然話が見えない」
「うーんとね。魔王軍から見た場合だと、物資さえ人間の手に渡れば、
売り払ったお金を懐に入れようが途中で武装した村人に奪われようが、
どちらでも構わないのよ」
『失敗』ってのは後者のことかな。でも……
「タダで物を送り付けて、魔王軍は何か得をするの?」
「ひとつはエサね。人間を襲うチャンスを作るための」
なるほど。勇者としてどうかはともかく、理解はできる。
「もうひとつは……村に着いて売り払う段階になれば、おのずとわかると思うわ」
リエルの顔に陰が差した。
輸送物資の内容を思い出し、僕も別のベクトルで嫌な予感がしてきた。
村に着くまで考えないようにしよう。外れてますように。
テントらしき建造物の屋根が見えると、いきなり柔らかくて温かい感触が僕の腕に絡まった。
びっくりして振り向くと、リエルが僕の腕に自分の身体を絡めていた。恋人みたいに!
「こうやってお互いの匂いを混ぜておけば、少しは魔物娘の目を誤魔化せるわよ」
僕はドギマギしてるのに、リエルはどこ吹く風。同い年くらいなのに……
やっぱりこういう世界だと、自然に大人っぽくなるんだろうか?
どうして誤魔化しになるのか理屈はわからないけど、
状況はリエルの発言が正しいことを示してくれた。
守衛をしている豚のような二人の魔物娘がじろーっとこっち――いや、僕を見ているが、
手を出す気はないようだ。
彼女らをスルーして、キャンプの中――魔物娘の領域に入る。
角の生えた女の子、ネズミっぽい女の子、甲虫っぽい女の子、
腕が鳥の翼になっている女の子……確かに、みんな女の子だ。
ワイワイ話をしていて楽しそうな中をリエルにうながされて進み、
中央の一番大きなテントに入る。
中にはトカゲみたいな尻尾を持つ、鱗の鎧をまとった戦士っぽい魔物娘がいた。
彼女は一瞬、凄くびっくりしたように見えた。
守衛は通しているとはいえ、人間二人が踏み込んで来たら敵だと思うよね。
リエルはそんなトカゲ戦士さんと気さくに話をし、すぐにまとまったようだ。
「お昼と貴方の装備もくれるそうよ。行商にしろ輸送部隊の襲撃にしろ、
その剣じゃ怪し過ぎるしね。食事はキャンプから離れてからにしましょう」
……敵ながらこの世界の魔王軍は、こんなことをしててもいいのかと心配になってしまった。
リエルに外を見張ってもらいながらトイレを借りた後、僕たちはキャンプを出発した。
トイレはずいぶんと現代的だった。
技術力もそうだけど、仕組み自体どうなっているのか疑問は尽きない。
巨大な木箱に車輪と持ち手を付けたような輸送用人力車は流石に重く、
軍手らしき手袋をもらえたことはありがたかった。
しかし、装備の方は金属の重さではない。
盾や胸当てはまるでベニヤの板みたいに軽いし、剣もおもちゃみたいだ。
しかも剣は相手を脱力させて傷付けない性質があるらしく、僕でも躊躇無く振るえる。
もちろん魔王軍の装備なのだが、同じ物が村人に多数奪われているらしく、
怪しまれる心配は全くしなくていいとのこと。
木箱に話を戻すと、やはり中身が気になる。
人間の行商人しか運べないって話だけど、いったい何が入っているんだろう……?
「かなりキャンプを離れたし、そろそろお昼にしましょうか?」
リエルの提案通りに休憩することにして、キャンプでもらった包みを開いた。
魔王軍のランチは城でもらった黒いパンではなく、
現世で口にしていた白いパンのサンドイッチだ。これは驚いた。
パンだけでも差があるのに、これにレタスとトマトとチーズとハムが入っている。
「凄いね。お城でもらったパンとは大違いだ……」
「あの城の食事はこの食事に慣れちゃうと、とても食べられたものじゃないわよ」
運び屋やトイレのことも含め、もしかしなくても城と魔王軍とでは、
国力に差がありすぎるんじゃないだろうか。
余計なことを考えるのはこのくらいにしておいて一口食べてみる――
全部どうでもよくなった。なにこれおいしい!
パンや野菜は現世の高級品と遜色がなく、ハムとチーズに至っては明らかに違う!
一体なんなんだ!?
魔界豚のハム:清浄な食料品。
ホルスタウロスミルクのチーズ:清浄な食料品。
えっ……!?
その瞬間、頭の中に突然、この『説明』としか言いようのない情報が浮かんだ。
と同時に僕の知性というべきものが、『この物質に問題はない』と直感的に告げる。
まるで聞いたことのない動物の名前が頭の中にあるのに、その判断だけは確信に満ちていた。
『知性が直感的に理解する』と言えばいいのだろうか? 矛盾した状態なのにかかわらず、
僕の知性は無根拠にもたらされたはずのその情報を全く疑ってくれない……
「ほら、全然違うでしょ? 特にハムとチーズは魔界の特産品なのよ」
「……魔界豚と、ホルスタウロス?」
「……? この城って魔物と敵対している国なのに、そこまで教えてくれるの?」
僕は今の『説明』の話を、リエルに打ち明けた。何か知ってるかもしれないしね。
「やっぱり司は勇者様なのね。それは主神が与えた贈り物のようなものだと思うわ」
しかし、リエルにもそれ以上のことはわからないし、真似できることでもないらしい。
「試しに、食べ物以外のものを調べてみたらどう? 例えば装備品とか」
赤銅の剣:魔力のない武器。
魔界銀の剣:魔力のない武器。
魔界銀の盾:魔力のない盾。
魔界銀の胸当て:魔力のない胸部鎧。
何度か試してコツをつかんだ。時間さえ取れれば、確実に発動させられるようになれた。
それにしても、『魔力のない武器』か。だったら『魔力のある武器』もあるのだろうか?
――まあ能力のことに関してはそこまでにして、僕たちは昼食を再開した。
12/12/27 20:00更新 / 鉄枷神官
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