第四話『入隊』
ブラックハーピーの翼を思わせる艶やかな黒髪とカラステングの髪よりも濃い黒目からも推察できるように、キサラギはジパングの生まれである。
まだ物の道理も分からない程に幼い頃、住んでいた集落が武士崩れが集まった野党に襲われてしまったらしく、当たり前のように戦う術も逃げるだけの体力も持っていなかったキサラギははただ殺されて短い一生を終えかけてしまう所だった。
だが、偶々、もしくは「何か」の意思に導かれたか、立ち上っている黒煙を見て駆けつけた魔王軍の勇者部隊に助けられた。
元々、不祥事で職を追われた野党等が、魔王軍の中でも屈指の実力を誇る勇者部隊に敵うはずもなく、一時間と掛からずに撫で斬りにされたそうだ。
キサラギ以外に息のあった者はおらず、幼い身にして天涯孤独になってしまった彼を不憫に思った勇者部隊の隊長はキサラギを大陸に連れて帰ることに決めた。後で聞けば、他の者も、血塗れであるにも関わらず泣き声一つ上げない気丈な彼を気に入って引き取りたがったらしいが、キサラギの義父は隊長権限を行使したらしい。
彼の家内であったアラクネは旦那がいきなり、周囲の人間とまるで毛色が違う子供と一緒に帰ってきたものだから、「ただいま」のキスをしようとした体勢で固まってしまった。
アラクネの引き攣った唇を見た、幼かったキサラギは逞しい腕の中で大笑いし、船旅の最中、彼がずっと無表情でいた為に心配していた義父は「笑った、ようやく笑った」と大喜びしたそうだ。
アラクネは最初こそ渋っていたが、キサラギに小さな手で足の先を外見に見合わぬ力強く握られた瞬間、それまで並べてていた文句や不満など吹き飛んでしまった。
姓と名は血塗れの服に糸で縫ってあったらしく、ジパングの言語を話せて書けるバフォメットに音を教えて貰ったそうだ。
彼を養子にした勇者部隊の隊長は、剣士部門のランキングで上位者であった上に、本当の父親は剣で生計を立てていたのか、剣術の才能が生まれながらにあったらしいキサラギはたちまち頭角を現した。また、育った環境も彼の才能を開花させるには恵まれていた。
先述したが、勇者部隊は魔王軍の中でも実力者が揃っている。つまり、剣だけではなく、槍や斧、格闘術、弓術に長けた戦士が揃っており、キサラギはそれぞれの分野でトップクラスに君臨する彼等から異なった武器の使いこなし方を教えられ、同時に、異なった武器を持つ相手との戦い方を徹底的に叩き込まれたのだ。
これで強くならない方が嘘である。
キサラギは瞬く間に、同年代の少年等より強くなり、期待を一身に背負っていた新入隊員でも彼に敵う者は少なくなり、十五を越える頃には隊長クラスでも半ば本気にならねば立場が危うくなるほどの実力をキサラギは地道に鍛え上げ、極上に仕上がりつつある『堅』と『柔』が同居する肉体に備え出していた。
しかし、武の才能には恵まれていたキサラギだったが、魔術の才能はからっきしだった。
天二物を与えずとは言ったが、正にそれで、キサラギは十にも満たない子供ですら使える魔術もまともに使えなかった。
キサラギが住まう魔界は当然ながら、良質の魔力が充満しているので、人間界よりも魔術の行使は容易いとされている。なのに、彼がいくら集中して呪文を唱えても、蝋燭の先に火を灯す事すら叶わないのだ。
普段、剣術や格闘の授業でキサラギに一度も勝てない少年達は風系の術で石ころ一つ浮かばせられない彼を「無能」と罵ったものの、当のキサラギは自分が魔術を全く使えない事をさほど気にはしていなかった。
単に遠距離攻撃の手段が一つ減ってしまっただけ、と淡々と現実を受け入れ、自分に残されている武術を更に極めんと稽古に明け暮れた。
キサラギをからかったからではないだろうが、口汚い言葉を石と共にぶつけた少年達はその後、格闘術の授業で組まれた一対多数の試合でキサラギに完膚なきまでに叩きのめされる羽目になった。
キサラギ自身も、二十歳を過ぎた頃に魔王の側近であるバフォメットに教えてもらったのだが、彼が魔術をまるで使えないのはジパング出身である事が大きな原因であるらしかった。
この土地に住む人間は生まれた時から、魂そのものに個人差はあるにしろ、魔術を使用するための回路が構成されている。
だが、ジパング生まれであるキサラギにはその回路が存在しない。正確に言うと、回路の成り立ちは違っており、目には見えないが確かに『存在』している魔力を自分の体内に吸収できたとしても、それを魔術を発動させるエネルギーには変換できないのだ。
実際、成り行きでジパングに戻る事になった時、キサラギは荒れ狂う水の流れを自在に扱えた。ジパングと言う土地に『存在』する魔力とは異なる不可思議な力とは相性が良かったらしい。
十五回目の誕生日を迎えてから一週間ばかり経った頃だった、養父はキサラギに魔王軍の騎士団に見習いとして入隊するよう勧めた。
育ての親としてだけではなく戦い方を教える先達として、キサラギが『どこまで』強くなれるのか、強くなってしまえるのか、興味が尽きなかった。
キサラギの養父は数々の戦いで多くの大将首を獲り、魔王軍の勝利に貢献していた為に魔王の覚えも悪くはなく、キサラギが騎士団に入隊する事は彼等自身も拍子抜けするほどすんなりと快諾された。
「今日からお世話になります」とぎこちない挨拶をしながら、頭を軽く下げたキサラギを魔物娘の戦士らは、まるで鼠を前にしているかのような視線で値踏みし、鼻で一つ笑った。
「君の噂は聞いてるわ・・・強いそうね。
どう、一つ、私達の誰かと手合わせしてみる?」
「是非・・・では、お言葉に甘えて、隊長さんの胸を貸してくれませんかね」
やはり、騎士団に籍を置くデュラハンやドラゴンの戦士達は強かった。
人間相手なら圧勝できるキサラギも初日の歓迎とした訓練で、隊長と吹く隊長に二人がかりで半殺しにされた。一分も猛攻を防げず、その上、一度も攻め手に回れなかった。
「隊長、ちゃんと指加減してあげなきゃ駄目じゃないですかぁ」
「やりすぎですよ、副隊長。相手は人間の子供なんですよ」
「キャハハハハ、弱すぎ」
「でも、副隊長の尾での一撃、後ろに跳んでダメージを緩めたのは評価できますよ。
まぁ、そんな小細工をしようとしたから、首に尾を巻きつけられて、地面に思いっきり叩きつけられちゃうんですけどね」
「おい、無駄話はそろそろ終わりにして、さっさとこの小僧を救護室に運んでやれ」
「はーい。味見していいですかぁ?」
「止めときなよ。美味しくないに決まってるって」
血の涙を流しながら、半死半生のキサラギは担架に乗せられ、救護室に運ばれた・・・その間、彼はキスさえされなかった。
言い訳一つさせて貰えない程の完膚なきまでの敗北で心が折れて、剣を捨ててしまう者は少なくない。
しかし、キサラギの心は柔らかかったが、決して、脆くはなかった。
「お早うございます」
「・・・・・・病院から姿が消えたって聞いたから、逃げ帰ったかと思ってたけど」
「まさかでしょう?
今日も『ご指導』、よろしくお願いします」
翌日、怪我が癒えてもいないのに訓練に参加し、再び、大怪我を負わされたのだ。
「お、早・・・よう、ござい・・・ま・・・す」
十文字槍を背負ったヴァンパイアは、ほとんどマミーにしか見えないキサラギを見て、帽子を落とさないように気をつけながら、天を仰いで溜息を吐いた。
「君は・・・・・・何と言うか・・・救いようのない馬鹿なのか?」
「死にたがりなんじゃないか、単に」とケンタウロスは冷静に返す。
しかし、やはり、彼はその翌日も、呼吸も荒々しく、全身を包帯で巻かれたままで松葉杖を付きながら現れたものだから、これにはさすがの戦士達も呆れを通り越し、キサラギの負けん気の強さに気味悪さすら覚えた。
とは言え、これ以上、ミノタウロスやグリズリーの戦士に無謀な勝負を挑めば強くなる前に死んでしまうと判断したキサラギ。
悔しさを煮え滾る腹の中に飲み込んだ彼はまず、体力や基礎能力の増強に努めた。元々、成人男性が何とかこなせる量の二倍の鍛錬を積んでいたのだが、徐々に量と負荷を増やしていった。
「おい、小僧・・・・・・拳の引きをもっと意識しろ。突き3で引き7くらいだ」
「膝が固すぎ。
頭の先から爪の先まで数え切れないくらいの糸を張り巡らしてると思うくらい、隅々まで集中して」
「そんな蝿の止まるような攻撃じゃ、人間には通用するだろうけど、私達には当たらない。
まだまだ余計な力みをしてるわよ。
自分がスライムになったと思いなさい」
精神を擦り減らしかねない地道な鍛錬を黙々と、ただ一人、訓練場の端で励む彼に、戦士達はアドバイスをしてやるようになった。頑固ではあるが、素直な一面も持ち合わせていたキサラギは彼女等の指摘に丁寧に礼を告げた。
そうして、彼は驕らず腐らずに、至らぬ自分から余計な物を削ぎ落とし、劣る自分に必要な物を付け重ねていく。
半年後、ようやく、キサラギは訓練後、胃液をブチ撒けずに済むまでになった。また、まだまだ黒星の方が遥かに多かったが、十回に一回の割合でワーウルフやマンティスの戦士を相手にして一勝できるようになっていた。
魔物娘は外見は人間と少し違い、身体・戦闘能力は人間以上。
だが、戦いの呼吸はさほど変わらない。動きに全身で反応が出来さえすれば、防御や回避、反撃も可能だと、勇者軍にいた頃より背丈が伸びた体の厚みが、過酷な鍛錬と訓練により増し出した頃、キサラギは改めて気付かされた。
この辺りから、キサラギは相手を見るのではなく『観る』ようになっていた。まだまだ、実力不足である為に意識的には出来なかったが、ギリギリまで追い詰められた瞬間に、突然、それまで目ではまったく追えていなかった相手の攻撃がスローモーションに映り出し、どう動けば良いかを頭ではなく体が勝手に判断してくれるようになっていた。
肉体だけではなく、一挙一動からも無駄を削ぎ落とし出さねば、と決意を新たにしたキサラギの中で、バラバラに散らばって、命の危機が差し迫った時にだけ二つ三つが合わさるだけだった、『経験』と言う様々な形と大きさをしていたピースが、ゆっくりとだが確実に一つになりだしていた。
キサラギの天賦の才が、決して緩めない自己の努力と、何者かが彼の為だけに用意しているのではと疑いたくなるほど恵まれている環境により、開花しだしている事を逸早く気付いていた騎士団の隊長、シンセロ・クエリオ(デュラハン)と副隊長のグレイス・クリムズン(ドラゴン)はキサラギを本当の『戦場』に連れて行く事を決めた。
魔術の使用不可能と言うハンデは確かに大きかったが、それを補えるだけの武力をキサラギは持っていると判断した彼女等は彼を呼び出した。
結論から言えば、彼女達の予想通り、キサラギは初めての実戦で思った以上の結果を出した。
その戦いは戦争と呼ぶほど大袈裟なものではなく、お互いの領地の隙間にある中間地帯が絡んだ、普段から勃発していた小競り合いの延長線上にあるようも物であったが、教団側も 魔王側も差し向けた、二百人前後の軍には精鋭を集中させていた。
教団側の魔術師が自身の死と同時に発動させた術で指揮系統を混乱させられてしまい、キサラギ・サイノメは血飛沫が首と一緒に舞い、屍で埋め尽くされる戦場のど真ん中に取り残されてしまったのだ、たった一人。
最初こそ、途方と悲嘆に暮れたキサラギではあったが、嘆いても命は繋がらないと持ち前の前向きさで頭を切り替えた。
普段の彼なら、離れ離れになってしまった仲間たちと合流する術を考えただろう。
だが、火薬と血液の臭いが蔓延する戦場で若干、ハイになっていたのかも知れない、キサラギは逆に敵軍に近づいたのだ。もちろん、無謀どころか命を捨てに行くような特攻を仕掛けたわけではない。
傍らにいくらでも転がっている死体から自分に合う鎧を奪い、それを身につけて周囲の雑兵に紛れ込んでしまう。これだけの大人数である、一人減ろうが増えようが全く気付かれない。
雑兵を集めるに当たって確かな素性を確かめている訳でもなく、わざわざ面倒なチェックをしている訳でもなかったので紛れ込むのは簡単だった。その上、兵の中には顔の醜い傷を晒さない為に仮面を付けている者もいたから、キサラギが目と肌の色を隠す為に無地の仮面を被っていても、全く気にも留められなかった。
そうして、不意打ちで席官を倒し、また鎧を奪って、更に内部へと潜り込む。彼は周囲や上層部に怪しまれない程度に情報収集に励んだ。
そうして、翌日の朝六時に教団が魔王軍に第二回目の総攻撃を仕掛ける事、総力の八割を集めた先鋒が魔王軍に真正面からぶつかって、進軍を阻んでいる間に二割強の本隊は山を越えるように迂回をして、魔王軍の左側から奇襲を仕掛ける事、この総攻撃の成功の鍵を握る先鋒の大将を任されているのが、自分と大して変わらない年齢の、さほど有名ではない貴族の三男であるが、彼が教団の幹部からも信頼されている事を知る。
(こう言う時、通信魔術【メンサヘロ・パロマ】が使えたら楽なんだけどねぇ・・・)
その三男坊がトゥーハンドソードを使わせたら、同僚には右に出る者はいないとも聞かされ、胸を歓喜と興奮で弾ませながら、キサラギは本陣の端に建てられている小屋にゆったりとした足取りで向かう、手には二人の見張りを眠らせる為の薬をたっぷりと入れた、白ワインを持って。
どうにか、総攻撃の第一波に耐え切った魔王軍の主力を担う騎士団は、続く第二波に備えて軍議や物資の再補給に大忙しであった。
キサラギが自陣に帰って来ない事など、彼女等はまるで気にしていなかった。一応、心配している者は少なくなかったのだが、邪魔にもならない代わりに役にも立ちそうにもない彼を探しに行く時間などありはしなかった。
まだ物の道理も分からない程に幼い頃、住んでいた集落が武士崩れが集まった野党に襲われてしまったらしく、当たり前のように戦う術も逃げるだけの体力も持っていなかったキサラギははただ殺されて短い一生を終えかけてしまう所だった。
だが、偶々、もしくは「何か」の意思に導かれたか、立ち上っている黒煙を見て駆けつけた魔王軍の勇者部隊に助けられた。
元々、不祥事で職を追われた野党等が、魔王軍の中でも屈指の実力を誇る勇者部隊に敵うはずもなく、一時間と掛からずに撫で斬りにされたそうだ。
キサラギ以外に息のあった者はおらず、幼い身にして天涯孤独になってしまった彼を不憫に思った勇者部隊の隊長はキサラギを大陸に連れて帰ることに決めた。後で聞けば、他の者も、血塗れであるにも関わらず泣き声一つ上げない気丈な彼を気に入って引き取りたがったらしいが、キサラギの義父は隊長権限を行使したらしい。
彼の家内であったアラクネは旦那がいきなり、周囲の人間とまるで毛色が違う子供と一緒に帰ってきたものだから、「ただいま」のキスをしようとした体勢で固まってしまった。
アラクネの引き攣った唇を見た、幼かったキサラギは逞しい腕の中で大笑いし、船旅の最中、彼がずっと無表情でいた為に心配していた義父は「笑った、ようやく笑った」と大喜びしたそうだ。
アラクネは最初こそ渋っていたが、キサラギに小さな手で足の先を外見に見合わぬ力強く握られた瞬間、それまで並べてていた文句や不満など吹き飛んでしまった。
姓と名は血塗れの服に糸で縫ってあったらしく、ジパングの言語を話せて書けるバフォメットに音を教えて貰ったそうだ。
彼を養子にした勇者部隊の隊長は、剣士部門のランキングで上位者であった上に、本当の父親は剣で生計を立てていたのか、剣術の才能が生まれながらにあったらしいキサラギはたちまち頭角を現した。また、育った環境も彼の才能を開花させるには恵まれていた。
先述したが、勇者部隊は魔王軍の中でも実力者が揃っている。つまり、剣だけではなく、槍や斧、格闘術、弓術に長けた戦士が揃っており、キサラギはそれぞれの分野でトップクラスに君臨する彼等から異なった武器の使いこなし方を教えられ、同時に、異なった武器を持つ相手との戦い方を徹底的に叩き込まれたのだ。
これで強くならない方が嘘である。
キサラギは瞬く間に、同年代の少年等より強くなり、期待を一身に背負っていた新入隊員でも彼に敵う者は少なくなり、十五を越える頃には隊長クラスでも半ば本気にならねば立場が危うくなるほどの実力をキサラギは地道に鍛え上げ、極上に仕上がりつつある『堅』と『柔』が同居する肉体に備え出していた。
しかし、武の才能には恵まれていたキサラギだったが、魔術の才能はからっきしだった。
天二物を与えずとは言ったが、正にそれで、キサラギは十にも満たない子供ですら使える魔術もまともに使えなかった。
キサラギが住まう魔界は当然ながら、良質の魔力が充満しているので、人間界よりも魔術の行使は容易いとされている。なのに、彼がいくら集中して呪文を唱えても、蝋燭の先に火を灯す事すら叶わないのだ。
普段、剣術や格闘の授業でキサラギに一度も勝てない少年達は風系の術で石ころ一つ浮かばせられない彼を「無能」と罵ったものの、当のキサラギは自分が魔術を全く使えない事をさほど気にはしていなかった。
単に遠距離攻撃の手段が一つ減ってしまっただけ、と淡々と現実を受け入れ、自分に残されている武術を更に極めんと稽古に明け暮れた。
キサラギをからかったからではないだろうが、口汚い言葉を石と共にぶつけた少年達はその後、格闘術の授業で組まれた一対多数の試合でキサラギに完膚なきまでに叩きのめされる羽目になった。
キサラギ自身も、二十歳を過ぎた頃に魔王の側近であるバフォメットに教えてもらったのだが、彼が魔術をまるで使えないのはジパング出身である事が大きな原因であるらしかった。
この土地に住む人間は生まれた時から、魂そのものに個人差はあるにしろ、魔術を使用するための回路が構成されている。
だが、ジパング生まれであるキサラギにはその回路が存在しない。正確に言うと、回路の成り立ちは違っており、目には見えないが確かに『存在』している魔力を自分の体内に吸収できたとしても、それを魔術を発動させるエネルギーには変換できないのだ。
実際、成り行きでジパングに戻る事になった時、キサラギは荒れ狂う水の流れを自在に扱えた。ジパングと言う土地に『存在』する魔力とは異なる不可思議な力とは相性が良かったらしい。
十五回目の誕生日を迎えてから一週間ばかり経った頃だった、養父はキサラギに魔王軍の騎士団に見習いとして入隊するよう勧めた。
育ての親としてだけではなく戦い方を教える先達として、キサラギが『どこまで』強くなれるのか、強くなってしまえるのか、興味が尽きなかった。
キサラギの養父は数々の戦いで多くの大将首を獲り、魔王軍の勝利に貢献していた為に魔王の覚えも悪くはなく、キサラギが騎士団に入隊する事は彼等自身も拍子抜けするほどすんなりと快諾された。
「今日からお世話になります」とぎこちない挨拶をしながら、頭を軽く下げたキサラギを魔物娘の戦士らは、まるで鼠を前にしているかのような視線で値踏みし、鼻で一つ笑った。
「君の噂は聞いてるわ・・・強いそうね。
どう、一つ、私達の誰かと手合わせしてみる?」
「是非・・・では、お言葉に甘えて、隊長さんの胸を貸してくれませんかね」
やはり、騎士団に籍を置くデュラハンやドラゴンの戦士達は強かった。
人間相手なら圧勝できるキサラギも初日の歓迎とした訓練で、隊長と吹く隊長に二人がかりで半殺しにされた。一分も猛攻を防げず、その上、一度も攻め手に回れなかった。
「隊長、ちゃんと指加減してあげなきゃ駄目じゃないですかぁ」
「やりすぎですよ、副隊長。相手は人間の子供なんですよ」
「キャハハハハ、弱すぎ」
「でも、副隊長の尾での一撃、後ろに跳んでダメージを緩めたのは評価できますよ。
まぁ、そんな小細工をしようとしたから、首に尾を巻きつけられて、地面に思いっきり叩きつけられちゃうんですけどね」
「おい、無駄話はそろそろ終わりにして、さっさとこの小僧を救護室に運んでやれ」
「はーい。味見していいですかぁ?」
「止めときなよ。美味しくないに決まってるって」
血の涙を流しながら、半死半生のキサラギは担架に乗せられ、救護室に運ばれた・・・その間、彼はキスさえされなかった。
言い訳一つさせて貰えない程の完膚なきまでの敗北で心が折れて、剣を捨ててしまう者は少なくない。
しかし、キサラギの心は柔らかかったが、決して、脆くはなかった。
「お早うございます」
「・・・・・・病院から姿が消えたって聞いたから、逃げ帰ったかと思ってたけど」
「まさかでしょう?
今日も『ご指導』、よろしくお願いします」
翌日、怪我が癒えてもいないのに訓練に参加し、再び、大怪我を負わされたのだ。
「お、早・・・よう、ござい・・・ま・・・す」
十文字槍を背負ったヴァンパイアは、ほとんどマミーにしか見えないキサラギを見て、帽子を落とさないように気をつけながら、天を仰いで溜息を吐いた。
「君は・・・・・・何と言うか・・・救いようのない馬鹿なのか?」
「死にたがりなんじゃないか、単に」とケンタウロスは冷静に返す。
しかし、やはり、彼はその翌日も、呼吸も荒々しく、全身を包帯で巻かれたままで松葉杖を付きながら現れたものだから、これにはさすがの戦士達も呆れを通り越し、キサラギの負けん気の強さに気味悪さすら覚えた。
とは言え、これ以上、ミノタウロスやグリズリーの戦士に無謀な勝負を挑めば強くなる前に死んでしまうと判断したキサラギ。
悔しさを煮え滾る腹の中に飲み込んだ彼はまず、体力や基礎能力の増強に努めた。元々、成人男性が何とかこなせる量の二倍の鍛錬を積んでいたのだが、徐々に量と負荷を増やしていった。
「おい、小僧・・・・・・拳の引きをもっと意識しろ。突き3で引き7くらいだ」
「膝が固すぎ。
頭の先から爪の先まで数え切れないくらいの糸を張り巡らしてると思うくらい、隅々まで集中して」
「そんな蝿の止まるような攻撃じゃ、人間には通用するだろうけど、私達には当たらない。
まだまだ余計な力みをしてるわよ。
自分がスライムになったと思いなさい」
精神を擦り減らしかねない地道な鍛錬を黙々と、ただ一人、訓練場の端で励む彼に、戦士達はアドバイスをしてやるようになった。頑固ではあるが、素直な一面も持ち合わせていたキサラギは彼女等の指摘に丁寧に礼を告げた。
そうして、彼は驕らず腐らずに、至らぬ自分から余計な物を削ぎ落とし、劣る自分に必要な物を付け重ねていく。
半年後、ようやく、キサラギは訓練後、胃液をブチ撒けずに済むまでになった。また、まだまだ黒星の方が遥かに多かったが、十回に一回の割合でワーウルフやマンティスの戦士を相手にして一勝できるようになっていた。
魔物娘は外見は人間と少し違い、身体・戦闘能力は人間以上。
だが、戦いの呼吸はさほど変わらない。動きに全身で反応が出来さえすれば、防御や回避、反撃も可能だと、勇者軍にいた頃より背丈が伸びた体の厚みが、過酷な鍛錬と訓練により増し出した頃、キサラギは改めて気付かされた。
この辺りから、キサラギは相手を見るのではなく『観る』ようになっていた。まだまだ、実力不足である為に意識的には出来なかったが、ギリギリまで追い詰められた瞬間に、突然、それまで目ではまったく追えていなかった相手の攻撃がスローモーションに映り出し、どう動けば良いかを頭ではなく体が勝手に判断してくれるようになっていた。
肉体だけではなく、一挙一動からも無駄を削ぎ落とし出さねば、と決意を新たにしたキサラギの中で、バラバラに散らばって、命の危機が差し迫った時にだけ二つ三つが合わさるだけだった、『経験』と言う様々な形と大きさをしていたピースが、ゆっくりとだが確実に一つになりだしていた。
キサラギの天賦の才が、決して緩めない自己の努力と、何者かが彼の為だけに用意しているのではと疑いたくなるほど恵まれている環境により、開花しだしている事を逸早く気付いていた騎士団の隊長、シンセロ・クエリオ(デュラハン)と副隊長のグレイス・クリムズン(ドラゴン)はキサラギを本当の『戦場』に連れて行く事を決めた。
魔術の使用不可能と言うハンデは確かに大きかったが、それを補えるだけの武力をキサラギは持っていると判断した彼女等は彼を呼び出した。
結論から言えば、彼女達の予想通り、キサラギは初めての実戦で思った以上の結果を出した。
その戦いは戦争と呼ぶほど大袈裟なものではなく、お互いの領地の隙間にある中間地帯が絡んだ、普段から勃発していた小競り合いの延長線上にあるようも物であったが、教団側も 魔王側も差し向けた、二百人前後の軍には精鋭を集中させていた。
教団側の魔術師が自身の死と同時に発動させた術で指揮系統を混乱させられてしまい、キサラギ・サイノメは血飛沫が首と一緒に舞い、屍で埋め尽くされる戦場のど真ん中に取り残されてしまったのだ、たった一人。
最初こそ、途方と悲嘆に暮れたキサラギではあったが、嘆いても命は繋がらないと持ち前の前向きさで頭を切り替えた。
普段の彼なら、離れ離れになってしまった仲間たちと合流する術を考えただろう。
だが、火薬と血液の臭いが蔓延する戦場で若干、ハイになっていたのかも知れない、キサラギは逆に敵軍に近づいたのだ。もちろん、無謀どころか命を捨てに行くような特攻を仕掛けたわけではない。
傍らにいくらでも転がっている死体から自分に合う鎧を奪い、それを身につけて周囲の雑兵に紛れ込んでしまう。これだけの大人数である、一人減ろうが増えようが全く気付かれない。
雑兵を集めるに当たって確かな素性を確かめている訳でもなく、わざわざ面倒なチェックをしている訳でもなかったので紛れ込むのは簡単だった。その上、兵の中には顔の醜い傷を晒さない為に仮面を付けている者もいたから、キサラギが目と肌の色を隠す為に無地の仮面を被っていても、全く気にも留められなかった。
そうして、不意打ちで席官を倒し、また鎧を奪って、更に内部へと潜り込む。彼は周囲や上層部に怪しまれない程度に情報収集に励んだ。
そうして、翌日の朝六時に教団が魔王軍に第二回目の総攻撃を仕掛ける事、総力の八割を集めた先鋒が魔王軍に真正面からぶつかって、進軍を阻んでいる間に二割強の本隊は山を越えるように迂回をして、魔王軍の左側から奇襲を仕掛ける事、この総攻撃の成功の鍵を握る先鋒の大将を任されているのが、自分と大して変わらない年齢の、さほど有名ではない貴族の三男であるが、彼が教団の幹部からも信頼されている事を知る。
(こう言う時、通信魔術【メンサヘロ・パロマ】が使えたら楽なんだけどねぇ・・・)
その三男坊がトゥーハンドソードを使わせたら、同僚には右に出る者はいないとも聞かされ、胸を歓喜と興奮で弾ませながら、キサラギは本陣の端に建てられている小屋にゆったりとした足取りで向かう、手には二人の見張りを眠らせる為の薬をたっぷりと入れた、白ワインを持って。
どうにか、総攻撃の第一波に耐え切った魔王軍の主力を担う騎士団は、続く第二波に備えて軍議や物資の再補給に大忙しであった。
キサラギが自陣に帰って来ない事など、彼女等はまるで気にしていなかった。一応、心配している者は少なくなかったのだが、邪魔にもならない代わりに役にも立ちそうにもない彼を探しに行く時間などありはしなかった。
11/09/30 16:55更新 / 『黒狗』ノ優樹
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