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第二話『遺跡』
 額から頬へゆっくりと流れていく、大粒の汗を拭ってキサラギは担いでいた荷物の具合を、その長身を軽く幾度か縦に揺すって調整する。
 さすがに、道中で採集した古代文字が彫られていた石版や、何らかの儀式で重要な役割をしていたと思われる杖やナイフを納めた、自分の三倍近い重さの荷物を背負っていると、歩調はかなり緩くなってしまう。
 しかし、キサラギは汗こそわずかにかいていたが、息はまるで乱れておらず、顔も砂埃で汚れていても疲労の色は前を歩く者達よりは濃くなかった。
 再び、荷物を揺すったキサラギは胸の内だけで苦い溜息を漏らす。
 (随分と減っちまったなぁ・・・)
 この未開の遺跡に足を踏み入れる前、調査隊は百人近くはいた。
 一割を連絡班として遺跡の外に配置し、残りは爆薬で入り口を広げた、この遺跡へと足を踏み入れた。
 三十分ばかり慎重に進んでいると、進むべき道は三つに分かれた。
 主要メンバーによる数十分の話し合いと厳正なくじ引きの結果、彼等は三つのチームに分けられた。
 調査隊の雑用として雇われていたキサラギは、真ん中の道に進むチームに配属された。そのチームには調査隊のリーダーであり、もっとも腕の立つ戦士がいた。彼の得物は槍で、字名こそなかったものの、ランキング47位の実力者であった。
 彼はこの遺跡の発掘権利を持つ国を、争いも起こさせずに治めている王の親衛隊の副隊長補佐で、この遺跡の最奥部にあるといわれている秘宝を持ち帰れば、副隊長の座が約束されているらしい。
 ただのアルバイトであるキサラギは彼の出世など微塵も興味はなかったが、調査隊のリーダーである彼は自分のようなアルバイトにも気を遣ってくれていたので、若干の暑苦しさこそ感じていたが、あまり嫌いではなかった。
 ―――とは言え、残念ながら彼の出世のチャンスは永遠に失われてしまった・・・・・・前の部屋に仕掛けられていた罠で死んでしまったから。
 その部屋は五つ目で、それまでにチームの半分以上が進路の半ばで出現した魔獣の爪と牙にかかったり、落ちてきた壁に押し潰されたり、唐突に出現した穴に落ちて底に敷かれていた針に全身を貫かれたり、扉を開く為の仕掛けを解除し損ねて天井から降ってきた酸を頭から浴びて溶け落ちてしまった。
 リーダーは武だけに特化してはおらず、知能も王の親衛隊に所属している者に相応しく高かったし、勘も鋭い方と言えた。
 だが、想像以上に熾烈な道のりで、頭の回転は鈍り、勘も錆付きだしていたのだろう。罠を解除する為のパズルを順調に解いていた彼は最後の最後で、つまらないミスをした。
 軋みを上げながら、ゆっくりと扉は開いた。そして、彼は扉の奥に広がっていた薄暗闇から無音で放たれた百を超える鉄の矢に全身を貫かれ、反対側の壁にその穴だらけの屍体を張り付けられた。
 体調が万全で、集中力も途切れていなかったのなら、何本かは受けてしまったにしても、大半の矢は避けるなり、槍で防げただろう。
 彼が最期の瞬間まで磨いできた強さはこの部屋の一つ前のレベルまでしか届かなかった、そして、鼻腔を抉るような濃厚な死が差し迫った瞬間に自分の中の『扉』を開けるだけの潜在能力を既に使い果たしてしまっていた。
 そんな事を淡々と思いながら、キサラギは人間としての原型を全く留めていないそれに手を合わせた。
 彼はここで探索は潔く諦め、早々に引き返すのだろう、と思っていた。むしろ、残った戦力を考えるならここが引き返せる最後の機会だと確信していた。
 その部屋で命が残っている者はキサラギを含めて六人。彼はこの六人の中で、自分が最も生き残る確率は高いだろうと予測していた。
 決して、驕ってはいなかった。
 五人の中には自分より腕の立つ者が確かにいた。しかし、その者はリーダーの吐き気を催すほどの死に様を目の前で見せられて、精神に亀裂が生じてしまっているのが、蒼白に鳴り出している顔色を見れば丸分かりだった。
 そう言う意味で、キサラギはメンバーの死にさほど動揺を感じていない自分が最後まで残る可能性は高い、と冷静に分析していた。
 が、五人は前進を選択した。
 キサラギは表情にこそ出しはしなかったが、彼等の正気を疑った。調査隊に選ばれた人間のほとんどが王国の兵士だ。最近こそ、他国との小競り合いが減って、平和な時期が続いているとは言え、それなりの修羅場を潜ってきて、それに見合った危険察知能力は有している筈だ。
 それなのに、更に危険な場所へ進むとは。
 ここに来るまでに脱落してきた仲間の思いを無駄にしてはならない、と涙ながらに声を大にして叫んでいる五人は、キサラギからしたら既にイカレているようにしか思えなかった。
 キサラギは自分が最後の一人になる可能性が高いと踏んでいるからこそ、ここで探索を諦めて、今まで来た道を辿って遺跡から出たかった。あくまで、可能性が高いだけであって、絶対に生き残れる根拠はないからだ。
 だが、キサラギは円陣を組んで、団結の意思をより固めている彼等を止めようとは思わなかった。ここで下手に反対意見を口にすれば、彼等は逆上して襲い掛かってくるだろう。さすがに、腕利きの五人を相手にして、命に関わるような傷を負わない自信を、自分の現時点での実力をしっかりと計れるキサラギは持ち合わせていなかった。
 小さく溜息を漏らしたキサラギは腰の帯に差している刀の柄を一撫でした。
 (荷物持ちって仕事内容の割りに高い給金に、目が眩んで思わず引き受けてちまったけど、失敗だったかねぇ)

 一時間後、階段を降りきると、不自然に開けた場所に出た。百人規模の宴会が十分に開ける広さである。
 もっとも、最後の部屋に繋がっているであろう扉の前に立っていたのはキサラギを含めて二人だけだった。
 運悪く、生き残ってしまった副リーダーはここに辿り着くまでに味わった恐怖が相当のものだったのだろう、
 麗しかった顔からは血の気が完全に失せ、遺跡に足を踏み入れるまでは美しいオレンジ色だった髪の大半が抜け落ち、残っている髪もくすんで汚くなってしまっていた。
 一方、残り三人となった時点で発掘品を入れた荷物を、半ば棄てるように置いてきたキサラギはまだ体力、気力共に十分に、その長身に残していた。
 キサラギはこの開けた空間に、一抹の不気味さを覚え、長身を小さく揺らした。
 彼としては途中で引き返したかったのだが、ついにパニックを迎えてしまった一人が持っていた手榴弾を滅茶苦茶な方向に投げた所為で退路が塞がれてしまい、諦めて階段を下りるしかなかった。
 ちなみに、その手榴弾を投げた男は、非情な決断を下した副リーダーが短刀で心臓を貫いて息の根を止めた。
 彼が生気を失いつつあるのも、仲間を手に掛けてしまった事が原因の一つになっているのだろう。
 乾ききった唇を小刻みに震わせている副リーダーから視線を逸らし、左の肩を一度だけ回したキサラギは背後を振り返った。
 彼等が丁度、今下りてきた階段の両脇にはもう二つ階段がある。三叉路でどのルートを選ぼうと、最終的にはここに集まるようになっていたのだろう。
 (・・・・・・だけど、生き残っているのは俺と、この人だけか)
 階段に積もっている砂埃に足跡は見当たらず、扉を開けた形跡もないから、ここに最初に来たのは自分達だろう、とキサラギは考える。
 そうして、ここでいくら待った所で他の階段から下りてくる者は一人としていないだろう、と微かにだが、はっきりと上から香ってきた血の臭いで確信する。明らかに致死量もしくは十人以上で無ければ、こんなに強く香ってくる事はないだろう。
 もしかすると、自分達が選択したルートは三つの中で最も、安全なものだったのか。それでも、ここまで来られたのは二人。自分の推測が正しければ、攻略の難易度の高い二つのルートの階段から下りてくる者はやはり・・・・・・いないのだろう。
 (ふぅむ・・・どうしたもんかねぇ)
 切り傷のある顎を掻きながら、キサラギは迷った。
 今、自分達が下りてきた道は塞がってしまったが、他の二つはまだ通れる筈だ。ここが、正真正銘、遺跡から脱出できる最後のチャンスなんじゃないだろうか。
 扉は逆側からでは開けられないかも知れないが、いざとなれば『斬って』しまえばいい。
 キサラギはこの遺跡が未知の鉱物などで作られている訳ではないのは、これまでの調査をまとめた書類に目を通したので知っていた。
 試しに罠が無さそうな箇所を、拳で軽く叩いてみると、それなりの厚さはあるようだったが、ある程度の厚さまでの鉄なら切れる技術を体得している自分なら可能な事も確信していた。
 腰に差している日本刀も剣術の師匠から譲られた名刀だ。切れ味も抜群だから、途中で刃毀れしてしまう心配も低い。
 キサラギは険しい表情で顔を固く閉じられている扉の方へと戻し、睨む目の光を尖らせた。
 (・・・・・・間違いなく、部屋の中に『何か』がいやがるなぁ。
 だけど、生気は感じねぇか・・・少なくとも、魔獣や魔物娘の類じゃないのか)
 そうなると、扉を開けた瞬間ないしは部屋に足を踏み入れた瞬間に魔術が発動する仕組みになっているのか。
 部屋の中に、この遺跡を作らせた存在が永久の眠りについているのなら、それを守る為の手段があっても不思議じゃない。実際、調査隊員のほとんどが、その防御プログラムに命を奪われているのだ。
 この扉の先が最後の部屋なら、間違いなく、待ち構えている『何か』はこれまでの比ではあるまい。
 (やっぱり、退却すべきか)
 そう決めたキサラギが踵を返そうとした時だった、低い地鳴りを放ち、砂埃を舞い上げながら二枚の扉が左右にズレていくではないか。
 ギョッとして振り返れば、いつの間にか扉に近づいていた副リーダーが仕掛けを解除してしまっていた。
 操作盤の前に立ち尽くす彼の目は焦点がまるで合っておらず、虚ろな光だけが危なく揺れている。また、狂った笑い声を小さく漏らす半開きの口からは涎が垂れ流しになっていた。
 (完全に頭の線がキレちまったか)
 正気を失いかけていた彼が扉を開けられるとは、微塵も思っていなかったキサラギは舌打ちを隠そうともしない。
 (今からでも閉められねぇかな)
 無理だろうな、と頭の片隅で思いつつも、キサラギは操作盤に近づく。
 (ん・・・・・・無理だわ、こら)
 一瞥した瞬間にキサラギは諦める。
 案の定、操作盤は古代文字表記になっていた。この仕事を請けるに当たって、この国でかつて使われていたとされる古代文字を最低限しか覚えてこなかったキサラギには、この操作盤は手に余るものだった。逆に、気が違いかけても、扉を開けられた彼に、キサラギは感心する。
 そして、扉が完全に開かれてしまう。
 鈍い音が止まると、副リーダーの目にわずかに生気が戻った。部屋の中央に豪奢な造りではないが、明らかに歴史を感じさせるデザインの棺が置かれているのを見たからだろう。
 何を思っているのか定かじゃないが、涙をボロボロと零す副リーダーは、決して小さくはない体躯を歓喜と興奮で小刻みに震わせている。
 遺跡の主が眠っていると思わしき棺が置かれた部屋は正方形となっているようで、縦も横も高さも10mほどか。中にあるのは棺だけのようだ。他には何も見当たらず、壁にも床にも天井にも彫刻は彫られていない。しかし、地下だと言うのに棺がはっきりと見られる事から考えても、何らかの術で室内が照らされているのか。
 キサラギは大の男がどうにか寝そべられそうなサイズの棺を注意深く見つめた。
 (アレからは・・・・・・禍々しい気配は感じねぇけど、『何か』が入れられているのは確かのようだな)
 キサラギは袖を捲り上げて、自分の腕を見る。
 汗で汚れた肌はびっしりと粟立ってしまっている。
 やはり、この部屋に入るのは危険だ、と本能が告げていると確信したキサラギは副リーダーを強引に引き摺ってでも、他の階段で外に出ようと決めた。
 しかし、キサラギが素早く伸ばした右手が副リーダーの襟首を掴む事はなかった。
 彼の指、いや、爪の先が触れたのがスイッチになってしまったのか、副リーダーは麻薬を吸い込んでしまったような鶏のような奇声を放ちながら、臆すことなく部屋の中に飛び込んでしまった。
 副リーダーは先程までの疲労が全て吹っ飛んでしまったかのような軽快な足取りで、棺に何の警戒心も抱かないままで近づいていく。
 「触んな!!」と叫ぶ暇もなかった。
 棺の中身を拝もうと、蓋に手をかけた瞬間、副リーダーは軽く一千度は越えていそうな炎に包まれた。副リーダーの服には元々、耐火魔術が施されていたようだが、わずか数秒ばかりしか意味を成さなかったようだ。黒いシルエットとなった副リーダーは断末魔すら上げられず、強力な炎の中で急速に崩れていき、後には何も残っていなかった。
 最初、キサラギは棺に触れてしまった者が焼かれる術が部屋全体に施されているのだと思った。
 しかし、彼は自身の推測はすぐさま打ち消した、部屋の西側の壁からそれがゆっくりと姿を現したからだ。
 キサラギは今、鏡に映る自分の顔はひどく間抜けな物になっているだろうな、と驚きすぎて逆に活発になっている頭の片隅でぼんやりと思った。
 グルルルルルル
 壁の中から抜け出てきたそれは、強力な前肢の一撃で扉を吹き飛ばして、部屋の外に出てきてしまった。
 (なるほど、この場所が妙に広かったのは、棺を守る存在が十分な働きが出来るように、って訳かよ)
 キサラギは降ってきた石を避けつつ、低い唸り声を上げている最後の番人、いや、番犬を冷ややかな目で見つめた。
 『番犬』の体長は10m、肩までの高さは3mを有に超えているだろう。体重は石畳にはっきりと刻まれていく足跡から軽く見積もっても200kgはあるに違いない。
 そして、特徴的なのは頭部が二つ、と言う事。
 グルルルルル
11/09/14 17:02更新 / 『黒狗』ノ優樹
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■作者メッセージ
旅費を稼ぐため、遺跡発掘のアルバイトとして雇われたキサラギ
しかし、その遺跡にはヤバすぎる罠が満載だった
次々と命を落としていくメンバー、生き残れた者も次第に精神に支障が出始める
そして、主が眠っていると思われる最後の部屋にはとんでもない守護者が?!

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