連載小説
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晴れ時々雪女。ところにより不法侵入。(エロなし)

 青く高い空に大きな雲が流れていく。
 見回す風景は彩度と輝度を上げ、極薄い白を重ねたような景色が延々と続いている。
 照りつける日差しは強く、喧騒は耳に届くのに遠い。
 通り抜ける風が肌を伝う汗に触れるのが唯一の冷却方法であると言わんばかりに、微かな圧力は遠慮がちな感覚を忘れた頃に押し付けてくる。
 
 ――――当ててんのよ。

 陽炎を生む道路の熱にやられたのだろう。
 答えどころか意思すらない自然現象に、そんな馬鹿な事を考える。

 「あっぢぃ…………」

 気が付けば大量の水分を吸った布地が肌に貼り付いている。
 事前にシャワーで冷やしておいた体の冷気はとっくの昔に外気温に侵食されて白旗を上げている状態であった。
 まだ日が高い中で出歩こうとした際の、せめてもの次善策だったのだが効果の程は雀の涙ほどだったようだ。
 買い終わった品物が入ったビニール袋を手に提げて、死にそうな表情を浮かべながら歩く男が一人。
 
 「あっぢぃ…………」

 鉛のように感じる体を引き摺るように動かし、焦点の定まらない視線を彷徨わせながら歩く男。
 ――誰が、想像しよう。

 この滝汗を流している動く死体のような体たらくは高々数分歩いた先にあるコンビニからの帰路なのだと。
 今だ周囲の熱に負けじと、辛うじて原型を保つアイスや汗を掻きつつも最適温を保とうとする飲料の方が男の何倍もマシなタフさを持っているのである。
 だが、所詮その努力も結局は人次第。
 亀の歩みと見紛うばかりの移動速度では、彼等のささやかな努力も文字通り跡形も無くなってしまうだろう。
 男は気を紛らわせようと何となしに影の濃くなった部分を眺め――

 「あっぢぃ…………お?」
 
 ――思わず二度見した。
 うわ言を繰り返す以外仕事をしない男の口が、決められた文言以外を吐く。
 その原因となっているのは影に隠れるように小さくなって倒れていた和服の女性であった。
 男の目に短期休暇を取っていた理性の光が舞い戻る。

 「おい、アンタ! しっかりしろ! 救急車呼ぶか!?」

 思わず男が抱き上げると、和服の女性は消え入りそうなか細い声を絞り出す。
 
 「…………つ……」

 「つ?」

 何とか聞き取ろうと男が耳を近づける。
 そのお陰か、男が彼女の声を聞き漏らさずに済んだのは幸か不幸か。

 「……つめたいの……ありません……?」

 その言葉に、男の顔が固まる。
 そして見上げる空。
 青く、高く。
 
 空を泳ぐ大きな雲が太陽と一緒に「見てるで? おお?」となけなしの罪悪感を責め立てる。 
 男は観念したようにガサゴソと袋を漁ると、コンビニで購入した大量の氷菓の一つを開け渡したのだった。




◆ ◆ ◆

 

 「済みません……私のような者を助けて頂くのに、折角手に入れられた楽しみをふいにさせてしまって」

 「あー……良いんですよ。俺も暑さが限界でしたし。まだこっちはあるんで気にしないで下さい」

 汗を掻いたペットボトルが大量に入った袋を片手に男は苦笑う。
 原型を辛うじて保っていた氷菓達は一部と言わずほぼ全部女性の胃の腑に落とされていた。
 最初は一本で調子を取り戻すと考えていたのだが――考えが甘かった。
 一本では言葉が多少聞き取り易くなった程度で、明瞭な意思疎通が出来るようになるのにもう一本。
 女性の調子が良くなるのに更にもう一本。
 更に体力の回復がてら建物の影の中で身の上話を聞いた結果、氷菓部隊が全滅の憂き目にあった。

 「でもどうして道端で倒れてたんです? 下手すると死んでましたよ?」

 男が女性を見つけた時の状況ははっきりと言えば理解しかねるものだった。
 気温は日が高くなるにつれて上がっていく。
 太陽という強力な熱源から降り注ぐ熱射線は容易く地表を焼き、輻射熱を以って天と地の両面から狭間にあるものを容赦なく襲うからだ。
 仮に和服が普段着という今時珍しい習慣を持っていると考えても、日傘も差さずに出歩くには余りにも無防備と言えた。

 「実は私、待ち合わせをしていたんです」

 日の差さぬ影の中の冷気に一息つけたのか、女性は男の質問に答えた。
 男が理解出来たのは以下の内容である。

 ・女性は都会とは無縁の田舎から友人に会いに来た。
 ・待ち合わせ場所は聞いていたが、時間を決め忘れていたのを到着してから気付いた。
 ・連絡しようと思ったのだが、自分の住んでいた環境と大きく違う場所に珍しさを感じてつい歩き回ってしまった。
 ・人気の無い所に来てしまった段階で漸く友人との約束を思い出したが、戻ろうと思って足を引っ掛けて転んでしまった。
 ・薄れ行く意識の中、日傘を忘れていた事に気付いた。

 
 「人の街並みは賑やかですね。建物も多くて、迷路みたいでした」

 にこやかに笑いながら自身の事情を打ち明けた女性だったが、男の方は渇いた笑い声を漏らす事しか出来ずにいた。

 (どんだけド田舎から来たんだよこの人……)

 正直、男の住んでいるところも珍しい都会とはいえない。
 歩けば空き地もあり古い遊具の置いている公園もある。
 少し離れれば何十年も経ったような趣のある家屋すら見つかるのだ。
 古い歴史ある土地に開発による新しい風が吹き込まれる――まだまだ発展途上の良くある『田舎以上都心未満』の地域である。
 それすら珍しく感じる女性が今まで住んでいた環境に、男は脳裏で無遠慮な評価を下していた。
 
 (それにしても……落ち着いてみると凄っげぇ美人だな、この人)

 健康状態を疑いたくなるまでに白い肌と、光の加減によっては碧玉のように輝く背中まで伸びる癖の無い髪。
 着物は藍色を基調に雪の花を彩った柄で、藍白色の帯に瑠璃色の帯締めと寒色で統一されており見た目に涼しい。
 ただし生地自体が薄手なのか着方なのか――帯を中心に上の膨らんだところは自己の存在を前に前にと主張しており、下はというと緩やかな曲線を描きつつ着物に僅かな陰影を作り、そのまま布地の直線へと溶けていく。
 これだけ見れば女性の豊満さだけが主張されておりその中間点はさぞかし残念――と思うのだろうが、男の前にいる女性の顔や腕はその印象に不釣合いなくらい細い。
 病的、とまではいかないが脂肪の殆どが理想的な位置に配置されているようで、帯に隠されている括れには圧倒的質量が付属している様子はなかった。
 
 不均衡であるが故に均整の取れている。
 そんな、女性の肉感的な体型を目の当たりにして無意識に男は女性から目を離せなくなっていた。
 そのような男の様子に気付かないのか、女性は目元と口元を柔らかくしながら名乗る。

 「私、氷山 碧(ひやま みどり)と申します。危ないところを助けて頂き、ありがとうございます。どのようにお礼を差し上げれば良いのか分かりませんが、御恩は必ずお返し致します」

 「俺、文月 玖郎(ふみつき くろう)です。あー……別にお礼なんていいですよ。困っていたらお互い様ですし」

 座り続けて重い腰を、軽くなった荷物と共に上げる。
 男にも下心という名残はあるが、それすら打ち砕くのが容赦ない上がり続ける快晴の気温である。
 命と性欲であれば迷わず命を選ぶ。
 男は良くも悪くも普遍的な小市民であった。

 「じゃ、俺はこれで失礼します。そう言えば氷山さん、友達とは連絡取れるんですか?」

 その点だけは気になるのか、玖郎は質問する。
 流石に迷子になって行き倒れかけていた女性をそのまま放置するのは寝覚めが悪い、と考えた故であった。

 「はい、『流石に連絡くらいは取れた方が便利だろう』って新(あらた)ちゃんが持たせてくれました♪」

 碧が持っていた手提げ袋から一つの機械を取り出す。
 どこででもよく見かける、タッチ式携帯端末であった。
 見慣れた機械を目の当たりにし、玖郎は安心した。
 これ以上引き止めるのは悪いと考えて踵を返そうと体重を後ろに掛けたのだが、その安心は次の一言で木っ端微塵となる。

 「ただ、何処を押せばいいのかさっぱりで。送られてから一度も操作してないんですよ」

 小首を傾げる姿は愛らしいのだが、玖郎の背中に外気温とは原因の異なる汗が伝い始める。
 どうやってここまで来たのか、そもそも何処から来たのか。
 仮にド田舎から来たとして、見知らぬ土地で使い方も分からない機械片手に何時会えるともしれない知り合いだか友人だかとどうやって出会う心算だったのか。


 ――――この人、放っておいたらマズいんじゃね?

  
 何か、本人は問題等ないように考えているもののこのまま放置すると悪い男にでも拐かされるか道端で干物になっていそうな危さがある。
 少なくとも玖郎はそう感じていた。
 
 「……使い方なら分かるんで。ちょっと貸してくれません?」

 毒食わば皿まで。
 その格言を脳裏に浮かべつつ、玖郎は碧が素直に貸し出した端末を操作する。
 操作するのだが――持ち主に似ず電源ボタンを長押ししようがホームボタンを押そうが端末は一向に動こうとする気配がない。
 玖郎の脳裏に嫌な予想が浮かび上がった。
 
 「あのー氷山さん、充電ってしてます?」

 「充電……? 電気を充てるんですか? どれにです?」

 碧の返答にそっと目を閉じる玖郎。
 
 これはないだろう。
 今日日機械類に疎いのは致し方あるまい。
 しかし充電くらいは一般常識――と考えたところで脳裏を過ぎったのがこれを渡した人物である。
 相手が理解できる範囲で伝えるのが筋なのに、それすら放棄して呼びつけた名前だけ聞いた他人の友人。
 玖郎は会える機会があるのであれば、小一時間問い詰めたい心境で一杯になった。

 「コレに、です。コイツは動くのも何するのも電気が必要なんですよ。電気が無いからコイツは動かない。つまり、ご友人に連絡も取れないって事です」

 「まぁ……どうしましょう。文月さん、交番は何処か分かります?」

 事情を説明して暫く置いて貰おうと氷山は考えたのだが、玖郎の記憶にある交番は今の場所からかなり遠い。
 それに玖郎としても迷い子一人の為に熱中行軍をする気力は無かった。

 「分かりますが遠いです。多分氷山さん、今度こそ干物になっちゃいますよ。なので――提案なんですが、氷山さん。家に来ません? ここから近いですし、充電くらいなら使えるやつがあるんで、多分いけますよ」

 問題は電力が全く無い状態だけであると玖郎は考えた。
 そも、遠隔地から通信手段を持たせて機械音痴を呼び出そうなど普通は考えない。
 恐らく連絡先程度は登録されているであろう。
 故に、充電さえ出来れば必要最小限の労力で全て円満に収まると考えたのだ。
 突然の申し出に碧が目を丸くする。
 
 「流石にそこまで頂くのは……お邪魔では?」

 口元を隠しながら碧は視線を逸らす。
 見ようによっては警戒されているその様子に玖郎は失言をしたと内心舌を打った。
 知り合ったばかりの身元も不確かな男が甘言を弄して誘うのだから、当然の反応である。
  
 だが、このまま放っておいても後味の悪い思いをするだけなのだ。
 ならば警戒されるくらい妥協する。
 この考えが玖郎に厄介事のお持ち帰りを決心させたのであった。
 
 「邪魔なんかじゃないですよ。単にこのまま放って置いたら後味悪いんだけですんで。変な事なんてしやしませんし、心配なら玄関も開けっ放しにしますんで充電だけでもさせてくれませんかね?」

 一息に言った為か、必死さが滲み出る釈明めいた申し出に玖郎は若干息切れした。
 その様子が可笑しかったのだろう。
 着物の袖で隠していた碧は顔上半分だけで楽しいものを見た、と言わんばかりの表情を浮かべている。
 
 「迷惑を掛けるのは私の方ですのに……そこまでのご好意、無碍には出来ません。有り難く頂戴致します♪」

 どうやら性犯罪者予備軍の扱いは回避できたようである。
 その様子に安堵し、玖郎は座ったままの碧に手を差し伸べる。

 「じゃ、行きましょうか。正面に戻ってエレベーター乗れば俺ん家なんで」

 

◆ ◆ ◆



 入ってすぐに感じたのは違和感であった。
 
 物の移動。
 埃の堆積具合。
 蜘蛛の巣の有無。
 生ゴミや下水の臭いや手入れを放棄された家屋独特のカビによる刺激臭。

 生活をした形跡の有無は確たる物証として残る為、判別が付き易い。
 それとは別に僅かな違和感というものも出入りの有無として判別基準となり得る。

 冬場であれば人肌程度の温度の残滓。
 夏場であれば風の流入による室内温度の上昇など。
 
 人の出入りというのは意外と分かり易い。
 体感する湿度差にもよろうが、人間大の物体が出入りした形跡とは目に見えない部分であっても比較的分かり易いからである。
 無論それらに注意して痕跡を残さないという手段も存在するが――成人男性が契約した高所の一室に、そこまで気を払って無断侵入する物好きと玖郎は出会った事が無かった為可能性から除外していた。

 だが、今回ばかりは違ったらしい。
 物的な痕跡を残さないという点では後者であったのだが、室内が妙に冷えている。
 出かける前に冷房は確実に切っていた筈なのに玄関の扉を開いた途端鳥肌が立つ程の冷気が玖郎を襲ったのである。

 「来て貰って早々なんですけど氷山さん、万一に備えて警察呼ぶ準備をしといて下さい」

 自分の通信端末を操作して『110』とダイヤルを押してしておく。
 後は通話ボタンさえ押せば繋がる状態で玖郎は碧に通信端末を預ける。
 自身はというと――購入してきた飲み物の口を切ると、中身を2割程飲んでキャップを閉める。
 逆手に持つ事で中の液体は下方に溜まり、空気が上に残る事で振り易くなった500mlのペットボトルを手に取ると音を立てないように慎重に進む。

 玖郎の真剣な表情を見て取ってか碧も緊張した様子で固唾を飲んでいた。
 瞬間。

 ゴトリ、と重量物が移動する音が玖郎と碧の耳に届く。
 場所は正面奥。
 キッチンやダイニングへ移動できる居間に繋がる扉の向こうである。
 二人の間に緊張が走るが、目配せだけをして頷くとまた慎重に歩みを進めていく。
 そして――勢いに任せてそのまま扉を蹴り飛ばす。
 威嚇と先制の意味合いで行ったその行為に後ろに控えていた碧がビクリと震えるがそれも一瞬だった。
 碧の役割があくまで『通報役』だからである。
 勢い良く飛び込んだ玖郎は囮役も兼ねている為、万一玖郎が襲われた時に自由に動ける自分が気をしっかり持たねばならないと彼女は考えていた。

 「……気のせい、か? 氷山さん。こっちには居ないみたいですし、ちょっと来てくれます?」

 ひりつくような喉の不快感を覚えてどれ程経ったのか。
 玖郎は扉の裏、椅子の後ろ、キッチンを見て人影がない事に首を捻る。
 玖郎が呼ぶ声で、碧は漸く手元の携帯端末が悲鳴を上げている事に気付いた。

 「は、はい! 只今!」

 碧が小走りで近づくと同時に、落とさないようにと胸元に抱えていたペットボトルの入っている袋がガサガサと騒ぎ出す。
 扉から入り軽く左右を見回すと、玖郎は己の身長ほどもある冷蔵庫の横に居た。
 
 「呼びつけてすいません。もう警察呼びますんで、携帯返してくれます?」

 「あ、はい。分かりました」

 そっと返された通信端末を手に取った玖郎だが、受け取った瞬間妙な事に気が付いた。
 炎天下から持ち込んだとは思えない程に冷えているのだ。
 だが、空調によって部屋全体が冷やされているのを思い出す。
 元より端末は薄型であった為冷やされたのだろう。
 そのように考えて電源を入れようとするのだが、端末は真っ黒な画面のまま一向に応答する気配がなかった。

 「文月さん、この子達はどうしましょう?」

 「この子達? ……あぁ、飲み物ですか。それなら冷蔵庫の中に入れておいてくれます? 後、何本かは冷凍庫に入れてくれると助かります」

 言いつつ電源ボタンを何度か押すが、端末はストライキでも起こしたかのように動く気配がない。
 四苦八苦したところ玖郎の脳裏に過ぎるのは先程の碧から借りた端末の状態である。
 バッテリー残量切れ――この状況で起こった洒落にならない状況に玖郎は冷や汗を流し始めた。
 そのような状況を知る由もない碧は言いつけ通りに仕分け始める。

 「解凍用と保冷用ですね。分かりました……あら、冷蔵が上なんですね」

 「あぁ、結構前から多いんですよソレ。単身用なら冷凍が上で冷蔵が下ってのは未だにあるんですが」

 余談だが、中〜大型の冷蔵庫には上が冷蔵、中が野菜室、下が冷凍という配置が多い。
 昔は逆であったのだが、冷却効率の見直しが図られてからはどのメーカーでも専らその傾向が増えていったのである。
 
 (ん? 解凍?)

 碧の発言に違和感を覚える玖郎。
 購入したのは氷菓と冷蔵の飲料だけである。
 故にペットボトルに入っているのは液体である筈なのだが、碧はまるで両方とも固体であるように言っていなかったか。
 玖郎が確認を取ろうと思い立った時には、既に丁度碧は下段の冷凍室に手を掛けていた。
 
 「ぼんそわーる」

 時が凍る。
 
 その挨拶は適切なのか、と問うべきか。
 人間はそんなところに入れるのか、と驚嘆するべきか。
 それ以前にお前誰やねん、と突っ込みを入れるべきか。

 声からすると若い女のようである。
 碧は冷凍室を開いたまま。玖郎はその光景を眺めたまま。
 二人は人体がみっしりと詰まった冷凍室という異空間を何も言わずに見つめていた。

 「我は影。光差す場所に対となる黒き影」

 どういう構造なのか。
 みっしりと埋まったまま息苦しさも感じさせず女は語りだす。
 耳には入るものの意味が分からない。
 状況によって脳は音以上の情報として処理をしない場合があるのだ、と玖郎は身を以って体験した。
 
 「リア充という光差す場所に、我……参じょ」

 パタン、と。
 静かに、何事もなかったかのように――いや、『何事もなかったという事』にしたかったように玖朗は冷凍室の扉を閉める。
 閉めた途端『開けろー!』だの『暗いぞー!』だの聞こえるが、お互い幻聴の類だと思いたかったようで何とも言えない顔をしている。

 「あの……文月さん……?」

 「違います無関係です少なくとも人を冷凍室に閉じ込めるような変態じゃないです信じてください」

 困ったような表情を浮かべる碧に玖郎は一息で弁明を放つ。
 必死にもなろうというものだ。
 このまま誤解を解かなければ自身は誘拐と殺人未遂に今ならお得な婦女暴行の現行犯がセットで付いてそのまま社会的に抹殺である。
 そこまで考えていたところに、件の女が顔だけ冷凍室から覗かせてきた。
 冷凍室の扉越しに、である。

 「あぁ、こうすれば開ける必要ないじゃない。良かった良かった」

 先程の時代がかった名乗りはただ読み上げた台詞だったのか。
 打って変わった口調で全体的に明度の低いとしか言い様の無い女が冷凍室から這い出てきた。
 現実ではまず有り得ない、という光景に玖郎と碧は目を皿のようにして驚く。

 「『良かった』じゃねぇよっ! お前は誰で此処は俺ん家で今何時だと思ってやがるんですかっ!?」

 「明(めい)ちゃん! 何でここに!?」

 「あー、二人いっぺんに話さないで。一人ずつ、落ち着いて。それとお兄さん? 今の時間なら他人に聞くより時計を見た方が早いと思うわよ」

 口調だけ陽気な妙に仄暗い女が応える。
 玖郎は日常起こる事のなかった厄介事の数々に頭を痛め、碧は労せずして出会えた知己に喜びを隠さない。
 他人の家の中我が物顔で話を進める第三者の介入に、両者は仕切りを置くべくその言に従った。



◆ ◆ ◆



 空調機の稼動音を効果音に、三者はお互い正面を向き合うように座る。
 来客である碧と闖入者である明が並んで座り、家主である玖郎がその対面に座った形だ。
 当初は混乱していたものの、話を聞けば明は碧が探していた待ち合わせ人であったという。
 
 「一時はどうなる事かと思いましたが、本当に助かりました。ありがとうございます」

 座ったままではあるが深々と頭を下げて礼を言う碧に、玖郎は碧が出してくれたお茶を飲む。
 一口含めばその冷たさが喉を伝い、体の奥底に残る無用な熱を奪ってくれる爽快感があった。
 玖郎としては視覚的な涼しさを求める意味でも氷を入れたいところだったのだが、何故か買い置きが一切無くなっていたので片手落ちな感があり物足りなさは感じている。

 「無断侵入は本当に悪かったと思ってるわ。だけど、こちらも非常事態だったの。酌量は頂けないかしら」

 流石に知己を連れて現れた家主に強く意見は出来ないのか、両手で出されたお茶の冷たさを堪能しつつ明も口を開く。
 彼女には彼女の理由があるのだが、何分不法侵入は大体の国や習慣を鑑みても罪である。
 当初、彼女は金銭を対価に――最悪体で払えばいい――という安直な考えがあった為、あまり大事とは捉えていなかったので悪びれた様子は無かった。
 反省の色が全く見えない明に怒りが爆発寸前の玖郎。
 
 お互いの価値観の相違により平行線となる応酬が繰り広げられ、玖郎の怒りがあわや爆発、というところで別の方向から身も凍るような悪寒が彼女と玖郎を襲う。
 発生源は碧であった。 
 
 『――明ちゃん? ごめんなさい、は?』

 尚、この時の事を振り返った両人はこう述べている。
 明曰く、『山頂から雪崩が迫ってきていた』。
 玖郎曰く、『俺のせいじゃないのに雪山で遭難したような絶望感を覚えた』。
 
 顔は笑っているのに目が笑っていない。
 ていうかそもそもハイライトが無い。
 選択肢を間違えば死ぬ。
 
 両者は意図せず同時にその結論に到達し、二人とも腰を90度曲げてお互いに謝罪を繰り返して碧の圧力から逃げ切ったのである。
 
 「しかし明さん……だっけ? どうやってここに入ったんだよ。オートロックはあるし、仮にそれを何とかしても俺の部屋にピンポイントで入るってまず確率的におかしいだろ」

 「あー、結構簡単よ? あれ人間用の設備じゃない。普通に飛べば入れるわよ」

 「……そっかぁ。飛べばいいんだ。警備システムがザル過ぎて泣きそうだよ俺」

 天井を仰ぎ虚空を見つめる玖郎。
 だが、それでは自分の部屋が侵入の対象にされた理由が分からない事に気付いた。

 「待てよ? じゃあ何で俺の部屋に入ったんだ?」

 「出入り口の前を素通りして、一番妬みを感じない部屋だったから。人も居ないんじゃないかと思ったけど予想通り大丈夫だったわ」

 「……妬み?」

 「そ、妬み」

 意味不明な回答に玖郎は内心首を捻る。
 当人に問い質そうとしても言うべき事はもう言ったと言わんばかりの雰囲気で追求し辛い状態である。
 助け舟を出したのは碧であった。

 「明ちゃんは種族の特性上、誰かが居るとつい妬んじゃうんですよ」

 「つまり……妬みを感じなかった=無人。だから俺の部屋を選んだ、と?」

 逆に言えばほぼ何らかの形で各部屋に一人は最低誰か居たという事だろう。
 あまりのタイミングの悪さに玖郎は乾いた笑いを上げるしかなかった。

 「あー、それと。冷凍室の氷全部使っちゃったわ。後々補填するつもりだったんだけど、ごめん」

 「いや今更だから別に良いんだが。というか何に使ったんだ? 全部で4kgくらいあったと思うけど」
 
 「えーっと。確か新(あらた)が暑くて間接部に力が入らないって言ってたから冷ます用にお風呂に突っ込んで――――」

 「えっ!? 新ちゃんまで居るんですか!?」

 そこまで言い掛けて固まった明を尻目に碧が声を上げる。
 一人会話に付いて行けていない玖郎だが、明は勢い良く立ち上がると玖郎に向けて質問した。

 「ね、玖郎。バスタオルってどの辺りにあったかしら?」

 「おま、呼び捨て――「何処?」 はぁ……バスルーム出たとこにある洗面台の隣に纏めて入れてるよ。何だ? 欲しいのか? 「ありがと」 は? まさか本当に持ってく気か、お前っ!?」

 滑るように移動する明の自然さに反応が遅れ、玖郎は後を追う形で席を立った。
 だがタイミングが悪い事はどうにも重なるようだ。
 玖郎は勿論、明も辿り着く前に両者の前から『何か』がゆっくりと姿を現した。
 
 「遅かった……」

 そう言い放ち移動を止めて急に止まった明に驚いた玖郎は勢い余って前のめりに転んでしまう。
 フローリングを軋ませて滑った玖郎の目の前には、人間の爪先が見つかった。
 



 「アー……」
 
 玖郎は音のする方に顔を上げるが、すぐに勢い良くその顔を背けた。
 頭頂から滴る水滴をそのままに、片手に山盛りの溶けかかった氷。もう片手にバスタオルを持った――但し身に着けておらず持っているだけ――肌の変色した、矢鱈と血色の悪い女が全裸で現れたのだ。
 融けかけの小さくなった氷を口に運んではポリポリと音を立てつつ食んでいる。
 
 日中でも光を呑み込む赤い目は興味深そうに玖郎を見下ろしていた。
 玖郎は、ボタボタと垂れ落ちる水滴の音も相まって河岸に揚がった水死体と対面したような心境に陥る。
 
 「新ちゃん? 女の子がそんな格好で居てはいけません。ちゃんと着ないと」

 「ア!」

 バスタオルを持ったままの片手を挙げて、先程の緩慢な声からは予想できなかった機敏な動作で新と呼ばれた死体女は返事をした。

 「ちなみに今のは『碧、久しぶり! ちょっと痩せた? それはそうと何でここに居るの?』って言ってるわ」

 「今の一文字にそんな長文が詰まってんの!? っていうか何で訳せるんだお前!」

 圧縮言語にも程がある内容に玖郎が吠える。
 彼は女性二人が目の前に居る事もあり、全力で理性的な行動を心掛けていた。
 何とか碧と明の方向に向き直って立ち上がるが――若干前屈み気味なのが締まらない。
 その後ろから指先でトントンと玖郎の肩を叩く存在があった。

 「アー……」

 新と呼ばれた血色の悪い女である。
 肌の変色具合、呂律の回らない口調、澱んだ目に緩慢な動作。
 人間と全く大差ない姿でこれらの情報が合わされば、必然的に彼女の種族が伺える。
 
 「『お腹が空いたから食べちゃったけど。残り、要る?』だってさ」

 「風呂に浸かった氷を食う奴が居るか阿呆っ!」
 
 十分体が冷えている為か新の持つ氷は小さくなっているものの小山を築いている。
 崩しては口に入れるその姿に、痛む頭を抱えるようにして玖郎は叫んだ。
 顔を赤くして息を荒げるその姿に、新は焦点の定まらない瞳で数秒ほど観察すると徐(おもむろ)に手にしたバスタオルを玖郎に放り投げる。

 「ぶわっ! ちょっ、重っ!? 水吸いまくってんじゃねえかコレ!?」

 存外重くなっていたその布地に四苦八苦する玖郎。
 だが、彼を更なる追撃が襲う。

 「アッアー」

 「『ちょいさー』だって」

 「さっきより短――――むごっ!」

 冷たく固い感触と還元される水分が玖郎の口内に容赦なく広がる。
 入りきらなかったのかコロコロと音を立てて散らばるそれらは、先程まで新が食んでいた氷であった。
 更に、勢い良く突っ込まれた為か玖郎は思わずバランスを崩す。
 背中を強かに打ちつけてしまい一瞬息が詰まったが、床面に直撃すると思われた頭部は新が投げたバスタオルが下敷きになった為難を逃れる事が出来た。
 
 「どぅふっ! ……むごご!?」

 「ヂュプ、ヌ……うぁー♥」

 唐突に玖郎の口内に冷たく、柔らかい何かが侵入してくる。
 若干の苦味と甘みを備えたそれは口内の氷ごと玖郎の歯茎や舌先、舌の裏側から舌の根まで丹念に這いずり回りその感触と味を堪能しているようだった。
 数分か、実際にはもっと短かったのか。
 漸く解放された玖郎が見たのは、自分に馬乗りになりつつ恍惚の表情を浮かべ締まりの無い口端に残る唾液を舐め取る異様に冷たい新の姿であった。

 「おい、し……♥」

 「ヒィッ」

 新の瞳に宿る光に玖郎は思わず情けない声を上げる。
 彼にしてみればがっちりと固定された状態で捕食者の目をされているのである。
 これから起こるであろう事に身の危険を感じ、思わず声が漏れるのも致し方なかった。
 
 「そんな怖がらなくても……まーでも? こっちは割と期待してるっぽいわねー」

 「おぅ!? おまっ、お前! 急に触るな!」

 玖郎の股間で半勃ち状態であった愚息を明が撫でる。
 触られているのは分かるのだが、濃い霧か雲が通り過ぎていったような不確かな感触に更に下腹部に血液が流れる。
 徐々に自分の意思に反して臨戦態勢に入ろうとする分身と己が身に纏わり付く捕食者が増えた事に、玖郎は本能的な不味さを感じるがそうこうしている間にも愚息は硬度を増していく。

 「氷山さん! そこに居ますか!?」

 この状況で頼れるのは、最早彼女だけだと玖郎は碧を呼ぶ。
 碧はやや遅れてから返事をした。

 「はい、何でしょうか玖郎さん? ……あらあら。随分仲良くなりましたね」

 まるで仲の良い兄妹でも見たような感想を碧が漏らす。
 だが玖郎にとってはレイプ寸前である為、そのような日常的な印象は微塵も感じなかった。

 「どう見ても襲われてるんですがね!? それはそうと、この二人退けて下さい!」

 「碧ー、この人新のキスで準備万端なのよ。でも素直になれないみたいだから。手伝って?」

 「みどり……も、ま、ざる」

 「お前等も氷山さん見つかったんだからもう良いだろ!? 帰れよぉ!!」

 「あら、あらあら」

 話している間にも新は密着し子猫のように擦り寄ってくる。
 明はというとある程度で満足したのか新が歩いてきた時や散らばった氷の融けた水滴を拭き取っていた。
 碧は困ったような表情を浮かべつつ、窓際にあるカーテンを勢い良く閉める。
 その様子に、玖郎はポカンとした顔になった。

 「あのー、氷山さん? 何故にカーテンを閉めるとですか?」

 急に冷静になった頭で問うと、碧は少し意味が分からないといった顔をしたものの直ぐに合点がいったという表情に切り換わった。

 「もしかして、見られていた方が興奮します?」

 「ちょっと意味が分からないんですが!?」

 歯を剥いて声を上げる玖郎に、碧は楚々と近づいてバスタオルの水分で濡れた頭を持ち上げる。
 そのまま濡れたままの衣類を除けると自身の膝に玖郎の頭を置いた。
 柔らかく感触を玖郎は後頭部で感じると自然と自分を見下ろす碧と目が合う。
 途端、玖郎は乱れていた内心が冷水を掛けられたかのように落ち着くのを感じた。

 「玖郎さんは暑いのと冷たいの、どちらがお好みですか?」

 「え? そりゃまぁ、今の時期なら冷たい方がいいですけど」

 唐突な質問に玖郎は反射的に答えてしまった。
 碧は花の咲くような笑顔を浮かべる。

 「良かった。それなら新ちゃんも明ちゃんも大丈夫そうですね。……二人はどうです?」

 「おけ」

 「死んだ後くれるならいいわよ」

 この時点で漸く玖郎は自身の返答が手遅いのものであると気付いた。
 だが時既に遅し。吟味せずに選んだ選択は、彼の未来を簡単に決定してしまっている。
 
 「折角のご縁、無駄になるのは如何なものかと思いましたが。めでたしめでたし、ですね♪」

 愛おしそうに玖郎を撫でる手は彼の頬から僅かばかりの熱を奪い続ける。
 
 頭――――冷たくて柔らかいもの。
 胴体――――冷たくて凄く柔らかいもの。
 足、というかその付け根――――ひんやりとした雲か霞。

 その冷たさ全てが玖郎を冷静な思考に陥らせる。
 
 「皆で遊びに行きましょうか。健康的ですよ」

 「後にしましょう。今は玖郎さんが先です」
 
 「……室内で過ごすだけだと運動不足にならないかなー、と思うんですよ」

 「大丈夫。室内でも十分に体を動かす事は出来ますよ」

 「仕事! 仕事があるんで!」

 「さっき手帳見たけど、一週間ほど夏休み入ってるんだよね?」

 「Oh……」

 明によりいつの間にか外堀を埋められていた玖郎。
 三者の期待に満ちた視線を一身に受けた彼に出来るのは、実家への言い訳を脳内でこねくり回す作業と一週間缶詰になる覚悟だけだった。

16/08/10 00:44更新 / 十目一八
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■作者メッセージ
尚、お腹は壊さなかった模様。


お久しぶりです。十目です。
この小説は上げ直しの為、敢えて語る事がありません。
強いて言えば皆様は冷たいものばかり飲食しないようご注意ください。
温かい物も適度に食べる事で胃腸を崩す事が大分減ります。
当方はアイス食べますので。

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