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第十一話:後編 愛され男子の和解劇
 



 

 ホワイトデーとはそもそも何なのか。
 人間社会では『司祭によって2月14日に結ばれた身分違いの恋人が、その一ヵ月後改めて愛を誓った日』と言われている。
 しかし一般に問うてまず返ってくるのは、『バレンタインのお返し』だろう。
 2月14日に送られた愛の告白、ないしその想いを乗せたチョコレートを渡された時のお返しに、貰った物の三倍を贈るという男子の懐に誠に優しくないイベントである。
 とはいえ、魔王の影響力が高まり魔物娘が順調に市民権を獲得出来るようになってもやる事は変わらず、強いて挙げれば『2月14日にセックスした三倍のハードさでセックスする』という内容に置き換わりつつある為、懐への厳しさが股間への厳しさに変わっただけとも言える。

 インキュバスであれば何なくクリア、人間であっても頑張ればクリア可能な条件ではあるのだが本日はそのような淫習に一石投じてみようではないか、という男子高校生の発案から全てが始まったと言える。


 「ではこれより、『愛しているなら心も満たせ!ホワイトデーお返し作戦』を決行します」

 広めに作られたキッチンにはいくつかの材料と型紙、クッキングペーパー等が並んでいる。
 粉類はホットケーキミックスだが、バナナやチョコチップ等の通常の食品の他に、ホルスタウロスのミルクやねぶりの果実、お決まりの虜の果実等の魔界産食品類も用意されていた。
 
 「わー!パチパチパチパチ」
 
 俊哉が口火を切り、三郎太が乗る。
 一気にテンションを上げる中、豪はまだ死んだ目をしていた。

 「はは……ヤベえよホント。メフィルの奴、俺を犯る気だ……」

 キッチンの隅っこで膝を抱えながら震えるその姿は、さながら死刑執行に怯える虜囚のそれである。
 穏やかに慎ましく、しかし楽しく始まる筈のイベントに暗雲を齎す豪の陰り具合。
 流石に見ていられなくなったのか、再び三郎太が豪を諭す。

 「なぁー、豪。普段お世話になってんだから、ちょっと感謝の気持ちを見せてやろーぜ?きっとチビッ子達も喜ぶだろ?」

 同じ目線で幼子をあやす様に語り掛ける三郎太。
 しかし、豪の目に三郎太は映らない。
 床の一点を見続けたままうわ言繰り返す。

 「……待てっ!考え直せメフィル!俺が悪かったから、お前はロリじゃないから、な?落ち着いて話し合おう、な?」

 「……おーい、帰ってこーい」

 三郎太が目の前で手の平を振っても豪は一向に反応しなかった。
 
 「止めてくれ、メフィル……!入る訳が無い、入れちゃいけないんだ……あ」

 急に立ち上がると、豪は天を睨んだまま頭を抱えて声を張り上げた。

 「ああああああああっ!!!俺は、ロリじゃねええぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!」

 肺の空気を全て使い切るが如き咆哮。
 魂の奥底から放たれたであろう雄叫びを後に、豪は俊哉に掴み掛かった。

 「俊哉っ!俺のムスコってまだ無事だよな!?俺、まだ大人の階段上ってないよな!?」

 「君に身に覚えが無いのならそうじゃないかな」

 大きく前後に揺すられながらも律儀に答える俊哉。
 半ば錯乱状態の豪は、それすらも聞こえているか怪しかった。

 「メフィル、アイツが俺を狙ってる……!俺とジュニアを狙ってるんだ……!頼む、何とかしてくれえっ!!」

 「ご、豪、落ち着けよ。俊哉が喋りたくても、それじゃ無理だろ?」

 童話で虎を溶かしてバターを作った話もあるが、このままでは俊哉がそれに成りかねない。
 そう判断して三郎太は声を掛けた。
 三郎太の声で我に返ったのか、豪は掴んでいた手を離し俊哉から離れた。

 「……すまねぇ。俺、予想以上に動転してたようだわ…………でも」

 また腰から座り込み、豪は弱気なまま声を出す。
 小さく絞られるような声は、彼に残された時間のように儚げであった。

 「怖いんだ……いつも冗談で擦り寄って来る事はあっても、その時体型の話はした事なんてなかったんだ……アイツが、あんな顔するなんて、俺知らなくて…………」
 「助けてくれ……俺、あんな顔する奴に童貞捧げたく、ねぇ……」

 「いやあのな、豪?流石にそれは言い過ぎじゃ―――」

 「……ちょっと、任せてくれるか?サブ」

 豪の発言に流石に顔をしかめて正そうとする三郎太だが、それを俊哉は言葉で制する。
 何をするつもりなのか、と三郎太はいぶかしむが、俊哉は先程の三郎太同様に豪に目線を合わせて話し掛けた。
 
 「豪、それは逃げてるだけじゃないかい?」

 何の事か分からない、と言いたげに豪は俊哉を見た。
 俊哉の発言の真意を測りかねている状態である。

 「に、げ……?」

 「君は彼女に悪い事をしてしまったと、後悔しているんじゃないかい?彼女が怖いんじゃなく、『彼女が許してくれないかも知れない事』が怖いんじゃないかな?」

 「いや……俺はアイツの浮かべた表情が……」

 「違う」

 疑問系から断定系へと。
 俊哉はバッサリと豪の迷いを切り捨てる。
 
 「おかしいと思ったんだよ。豪、君はね。表情なんて表面的な部分で相手を遠ざける奴じゃないんだ」
 「『普段の彼女と違うから怖い』。確かにそうだ、それは怖い。ただ、君にそれは当て嵌まらない」
 「何故なら君はその『表面部分を重視しない』奴だからだ。サンタクロースを目指している君が外見や表情だけで相手を理解した気になるような浅はかな奴じゃないって事は僕も、皆も知っている」
 「なら、考えられるのは一つしかない。君は『君が怖がる位の表情をさせてしまった原因から目を背けたい』んだ。……今まで彼女と築いてきた信頼関係が壊れるかもしれない事を怖がっているんだ」

 「俺、は……どうすれば……」

 一気に捲くし立てる俊哉の圧力の中に一筋の光明を見出したのか、豪の目に光が戻り始める。
 豪の目に光が戻りつつあるのを確認した俊哉は短く、はっきりと告げた。

 「謝るんだ」

 「あや、まる……?」
 
 豪の反応に、俊哉は語気を荒げずゆっくりと静かに問い掛ける。

 「―――豪、君はメフィルさんに悪い事をしたと思ってるかい?」

 「……あぁ、あんな表情をさせた事の原因が俺なら、悪いと思ってる」

 「悪いと思ったら、どうする?」

 「謝る……あぁ、何だ。そういう事か」

 鈍った頭でも分かる単純な理屈。
 悪いと思うのであれば、まず悪かったと謝る。
 あまりにも当然であるが故に見落とされていた部分である。

 「でも、さ。俊哉?俺、あんな命を狙う狩人みたいな顔した奴にどう近寄れば良いんだ?」

 「その為のモノはもう準備出来てるじゃないか。ホラ」

 目線でキッチンに置かれている材料達を指す俊哉。
 その食材達は、今の豪にとってはどんな魔法の品々よりも有難かった。

 「自分達で心を籠めて作ったものなら、きっと通じるさ。だからさ、豪。作って、お詫びして、感謝して仲直りすればいい。簡単だろ?」

 「……あぁ!そうだな。サンキュ、俊哉。サブ。俺、頑張るわっ!」

 完全に生きる気力の戻った目をした豪は、気合を入れる為に自分の両方を力強く叩いた。
 喝を入れたその姿は、怯える前の普段通りの豪そのものである。

 「よっしゃあっ!……とりあえず俺は何すればいいんだ?」

 「マフィンを焼くオーブンが温まるまで材料混ぜたり、今回ジャムも作るから果物の皮を剥いたりかな。豪にはジャムを頼もうと思ってる」

 「よしっ!任せろ!……ところでこういう薄い皮の果実ってどうすればいいんだ?」

 「バナナはそのまま剥けばいいし、桃みたいな普通の果実なら表面を揉んで柔らかくしてから剥くんだけど……ねぶりの果実は兎も角、虜の果実は本当に薄いからね。袋に入れて揉み潰した後、皮だけ取ればいいんじゃないかな」

 「了解したぜ!」

 豪は厚手のビニール袋を数枚用意し、それぞれに皮を剥いたバナナ・ねぶりの果実・虜の果実を入れていく。
 
 「……なぁ、俊哉。さっきの表情がどうとか信頼関係が云々って何処まで本当なんだ?」

 「?いや、知らないよ。僕はメフィルさんじゃないからね。ただあの状況下で豪を元に戻すには、アレが最適と思ったんだ」

 俊哉の予想外の発言に、三郎太は絶句する。
 端的に言えば俊哉は適当な事を並べて説得した事と同義であるのだから、三郎太の反応は当然といえば当然のものであった。

 「……それって、もし間違ってたらどうすんだよ?結局豪、犯られるじゃん?」

 「あながち間違ってはいないと思うんだけどね。それにメフィルさんの発言が本当なら、多分豪も許してくれるさ」

 最早蚊帳の外を決め込んでいる俊哉に三郎太はこめかみに指を当てつつ呻る。
 どうにも思い出せない様子であった。

 「メフィルちゃんの発言って何だっけ。俺、ハートキャッチされたとこしか印象強くないんだけど」

 「……豪がメフィルさんの妄想通りにすれば、豪好みの『ボン、キュ、ボン』になるかもって事だよ。どうにもあの人、外見と中身の印象が離れ過ぎてるからね。もしかしたら今の姿は本当の姿じゃないのかもしれない」

 「どゆ事?封印でもされてるってのか?無い無い、ファンタジーなゲームや小説じゃあるまいし。絶対無いって」

 「……一応僕等、その真っ只中に居るって事は分かってての発言なんだよね?それ」

 若干疲れた表情を浮かべつつ三郎太に突っ込みを入れる俊哉。
 次の瞬間――――――


 
 ボパンッ!



 キッチンに爆音が響く。
 何事か、と二人で振り返るとそこには真っ白に染まっている二重にしたビニール袋を片手に、豪が引き攣った笑顔をしていた。

 「わ、悪りぃ……ちょっと握ったら破裂しちまって……。一応ビニール袋からは漏れてないみたいだし、大丈夫、みたいだぜ?」

 おっかなびっくり果汁の漏れがないか確認しながら豪が説明する。
 その横には既に荒く握り潰されたバナナと同じく荒く握り潰されて皮を除かれた虜の果実があった。
 どうやら、豪はねぶりの果実がどういうものか知らなかったようである。

 「豪……ねぶりの果実ってさ、皮が二重なんだよ。ちょっとずつ刺激を与えて柔らかくしてから果肉を取り出すんだけど、もしかして知らなかった?」

 「え!?皮有ったのかよ。バナナみたいなもんだと思ってたぞ俺っ!」

 形状は確かに近いものがあるので知らなければ致し方無いと言えるが、俊哉は豪によって齎された結果に対し薄ら寒いものを憶える。
 念の為に、ビニール袋を用意すると、皮を剥いた一本をその中に入れて実演を開始する。

 「言わなかった僕も悪いんだけどさ……いいかい豪?ねぶりの果実はまず袋に入れる。それから外側から果実を押さえて内側で指を使って軽く擦るんだ。そうするとその部分の皮から果肉の中の果汁が染み出てきて柔らかくなる。」
 「後は指で押せる位の柔らかさになるまでそれを続けて、爪で割れ目を入れたらそこから押し出す。簡単に出来る筈だよ?」

 俊哉が実際に語った通りに作業を進める。
 すると、擦った部分からじんわりと白色の果実が漏れ出てきたかと思うと目に見えて柔らかくなる。
 その部分に爪を立てて割れ目を作ると、外から皮の部分を押さえ割れ目から押し出すように果肉を捻り出す。
 結果、柔らかいドロドロとした果肉が厚い皮から漏れ出てきた。
 だが、豪はそれに異を唱える。

 「んな事しなくても、ほら」

 俊哉に倣ってねぶりの果実の皮を剥き、豪は真っ白に染まったビニール袋の中に再度それを突っ込む。
 
 「ほいっ」

 軽い掛け声と共に軽い力で握る。
 豪が行ったのはただそれだけの動作であった。
 次の瞬間、再度破裂音が響く。



 ボパンッ!



 新鮮な果肉によって再び真っ白に染まったビニール袋を前にして、豪は俊哉達に語り掛けた。

 「ほれ。んな事しなくてもこっちの方が早いぜ―――ってどうしたサブ?腹でも痛いのか?」

 「あ―――いや、何ていうのかね?痛くない筈何だけど痛いっていうか、そんな感じかね?」

 「?まぁ、腹痛いならトイレ行って来いよ。我慢は良くないからな」

 「え―――あ、うん。多分大丈夫だから、ちゃんと付いてるし。うん」

 若干前屈みで下腹部を抑える三郎太に、俊哉は同情を禁じえなかった。
 ぱっと見赤黒い男性器を想像させる外見の、皮を剥かれたねぶりの果実である。
 それが破裂する位の力で握られた上に実際破裂したのだから、その一部始終を見ていた男性としては子孫断絶をさせられたような錯覚をしても不思議ではなかった。
 股間の幻痛に耐える三郎太。
 彼の忍耐は、なんら悪気無く続く爆発音が治まるまで続いた。

 




 三郎太と俊哉の精神を大きく削りながら進む豪の作業が終了した後、三人は既にジャムの作成に取り掛かっていた。
 作成といっても大した事はなく、各々鍋に潰した虜の果実、ねぶりの果実、ホルスタウロスのミルクを入れて適宜グラニュー糖を入れては加熱しているだけである。

 既に材料を混ぜた生地もマフィンを作る為のカップ内に入れプレーン、チョコチップ、バナナの三種類を焼成している真っ最中であった。

 「どーでもいいけどよ。生地ってあんなのでいいのか?市販品のホットケーキミックスを篩い(ふるい)に掛けて豆腐と混ぜただけだろ」

 「ていうか何で豆腐なんだ?全部ホットケーキミックスじゃ駄目なのか?」

 「一応女の子相手に渡すからね。ローカロリーの方が喜ばれると思ったんだよ」

 三郎太の疑問に豪が追従し、準備をした俊哉が答える。
 単純作業に飽きてきたのか、三郎太は更に疑問を口にする。

 「そういや今日有麗夜ちゃんや悠亜さんって居ないのか?俊哉の親父さんやレッドなんとかさんは仕事ってのは分かるんだが。いっつもベッタリだったろ」

 「二人は母さん達に連行されたよ。下着を見に行くってさ」

 「お袋さん達って……真崎先輩や有麗夜ちゃんのお袋さんもか?」

 最後の豪の問い掛けには無言で頷き肯定する俊哉だが、面子が足りなかったのか補足をする。

 「あぁそれと、東雲さんと日藤さんも一緒だって言ってたな。後珍しく東雲さんのお姉さんも一緒だって」

 「東雲?誰それ。美人か?」

 「……俺好みの美人だよ。大和撫子って感じだ。姉はそうでもないけどな」

 豪の発した言葉に、俊哉は疑問符を浮かべた。

 「えー?豪、紹介してくれよ。豪の好みって事はやっぱ、あるんだろ?」

 架空の連峰を形作りながら同意を求める三郎太だが、豪はあまり乗り気ではないのか弱々しく応じる。

 「……あぁ、姉妹共々あるぜ?でもな、止めとけ」

 「おいおい豪、早くも独り占めか?巨乳という財産ってのは皆で眺める事に意味があるんじゃないのか?」

 「東雲さんは好きな人が居るらしいから、アタックしても無駄だよ。サブ。そういえば豪、君はお姉さんに会った事があるのか?さっきの口振りだと印象はあまり良くないみたいだけど」

 「悪いなんてもんじゃねぇよ……寧ろ逆だ。好印象だったさ。向こうからしてみれば、な」

 掻き混ぜる手を休めずに滔々と豪は語り出す。
 
 「……正月の時色々あったろ?俺、その時気絶してたんだけど目を覚ましたのは神社の一室でな。目を覚ましたら沙耶がまず近くに居た訳だ。で、予想外に東雲さんや晴海さんまで居てさ。事情説明してきた」
 「まー謝られる謝られる。こっちは大した事されてないし、何処から嗅ぎつけたのかチビッ子共が艦隊組んで部屋に押し掛けてきてたから大事にしたくなかったし。一泊してチャラって事にしたんだわ」

 豪の視線は鍋に注がれているが、既にその視線は鍋から上る湯気の先にある過去の光景を見ているようである。
 何処にも焦点を合わせず遠くを見つめ続ける彼は、今その記憶の中に居るのだろう。

 「朝起きて吃驚だぜ?一人で寝てた筈なのに赤っぽい橙色の髪した狐っ娘が布団の中に居たんだからよ。しかもチビッ子共と同じような歳の癖に『嫁より早く起きるとは何事じゃ。もう一度寝るがいい、婿殿』とか訳分かんねぇ事言われるしで完全にパニくったけどな」
 「で、その声を聞きつけて別室で寝てたチビッ子共が来てな?喧々轟々と一気に騒々しくなった訳だ。結局沙耶やら東雲さんやらが来て何とか静まったけどよ」
 
 非常に疲れ切った表情を浮かべ、口元から乾いた笑い声とも空気とも付かぬ音を出す姿の豪。
 三郎太が引き攣った笑みを浮かべる中、彼は最後にこう付け加えた。

 「……あぁ、でも最後までよく分からんかったのが、『例の件はこれで手打ちとしようかのう』とか言った旭緋(あさひ)―――あ、狐っ娘の名前な―――の台詞だな。例の件って何の事か聞いても、誰も教えてくれないから本気で分からんかったわ」

 俊哉は合点がいった表情となる。
 恐らく以前俊哉の父―――利明の言っていた『尊い犠牲』というのは彼の事なのだろう。
 友人として彼を助けてやりたいが、既に解決してしまった問題を蒸し返しては返って迷惑となる可能性が高い。
 友人を助けられなかった歯痒さを感じながら、せめて一矢報いよう、と彼は利明に渡すマフィンには山葵を詰める決意を固めた。

 「ま、何か知らんが解決した事だし。そんな訳でサブ?妹の方は付け入る隙は無いし姉は残念ながら眼中に無い反応されると思うぞ。俺の友人としてで良ければ紹介するぜ」
 
 「……そーだな、さっきの話聞いたらまた今度でいいわって思った。また今度、お前の友人として紹介してくれ」

 話しながら数時間。
 15〜20分程で焼き終わるマフィンを取り出しては焼成する生地を入れ直し、ジャムの撹拌を続ける三人。
 朝から行われていた作業は午後の中頃に終了となった。
 
 「けっこー作ったなー……俺等」

 「まぁ、元から相当量作る予定だったしね。あ、ミルクのジャムは保存期限が短いから。出来れば今日中に使い切ってくれ」

 「了解。後は箱詰めか……。おおっ!まだ温かいな。匂いもいいし……なぁ、俊哉。食ったら駄目か?」

 手の平サイズの為、熱が逃げるのは意外と早いのだが最後に焼成された物は温かさを保っていた。
 感嘆を漏らす豪と感慨深く焼き上げた菓子を見ては誘惑に駆られる三郎太。
 俊哉は二人を見て口元を綻ばせると、目を細めて賛同する。

 「そうだな。沢山あるし小腹も空いたし。味見がてら休憩にするか」

 インスタントの珈琲を入れるお湯が沸くまでの間、三人は片づけを他所に取りとめも無い話をした。
 最近あった三郎太の軟禁生活、休みの日に強襲される豪の部屋、父親に体術の稽古をつけて貰っているという俊哉の日々。
 小休憩の終わる半時間ほどの間、魔物を伴侶とする男子達は歳の割りに濃い体験を語り合った。












 プレーン、チョコチップ、バナナのマフィンが一つずつ。
 虜の果実、ねぶりの果実、ホルスタウロスのミルクで作ったジャムが小さな瓶に一つずつ。
 それを鳥の巣のような紙製の網の固まりである緩衝材と共に手提げ出来る小さな箱へ一人分として詰める作業を終わらせた後、各々は家路に着いた。
 豪も三郎太も後片付けまで残る、と言い張ったものの豪は配る数が多い事と三郎太は家が比較的遠方にある事を理由に、俊哉が帰らせたのである。
 片付けの代わりに結果はどうだったか、休み明けにでも教えてくれれば良いという彼の発言に加え豪に対してはメフィルが自宅の転移魔法陣でこちらに場合行き先を聞いて連絡するので一旦帰るように促した結果であった。
 
 現在豪は幾多の試練を乗り越えて、自宅の自室に居る。
 サキュバスの少女、愛紗(あいしゃ)の子犬のように縋る瞳。
 リザードマンの少女、美奈(みな)のハイライトの消えた無表情。
 エンジェルの双子達、愛生(あいお)と愛弓(あゆみ)の接待攻撃。
 
 それら全てをやんわりと遣り過ごし、どうにか帰宅したのが深夜23時近くである。
 ちなみに豪の両親には豪が遅くなる事が既に俊哉から伝えられていた。
 帰宅後の挨拶をしたところ、返答が奥の部屋から魔力的に増幅された音声で返ってきたあたり朝からずっと交わっていたらしい事が伺える。
 軽い食事と入浴、それに投薬の経口摂取を終えて自室に戻ろうとすると、入浴中携帯電話にメールが届いていたのか小さくLEDが点滅していた。
 送ってきたのは俊哉からである。

 内容を確認すると、豪は若干強張った表情を浮かべながら本日用意した品の入った箱と食器、それに飲み物を携えて自室へ向かう。

 メールの内容は『そっちに向かった』。この一行のみである。
 だが何よりも明確な警鐘に、豪は腹を括ると自室への階段を上り始める。
 
 (大昔の魔王に挑む勇者の心境が良く分かるな、こりゃ)

 女性に対して失礼だとは自覚しつつも、豪は上る。
 程なくして自室の扉を開くと、予想していた人物がベッドの中で塊となっていた。
 近づいて行くとゆっくりとベッドの中の塊が盛り上がり、中から問題の人物が顔を出す。

 「この世界では行為の前に身を清めるのが習わしだったかしら?勿体無い事だわ」

 「いや、人によりけりじゃないかね。メフィル」

 豪はPCを設置している机の上にトレイ毎お土産一式を置いてから腰掛ける。
 その様子にメフィルはいぶかしみながらも、ベッドの中から這い出ると腰掛けた豪にしな垂れ掛かる。

 「やけに素直ね、豪?もう観念したのかしら?」

 

 ――――――私のモノになる覚悟が出来たのね?
 


 メフィルは豪の耳元まで唇を近付けると、妖しく残響の残る声で囁いた。
 常人であればその声音だけで理性が溶けてしまいそうな感覚に陥る程魅了の魔力が籠められていたのだが、対する豪は微動だにせず口を開く。

 「―――その前に、ちょっと良いか?」

 メフィルが自然と体を離す事が出来る程度の速さと力で腰掛けていたベッドから立ち上がると、豪は机の上に置いていた手提げの付いた紙箱をメフィルに渡す。
 豪は振り返って初めて知ったのだが、彼女は中々扇情的な姿をしていた。
 ツーサイドにしている時に使う髪留めは今は外され、背中まで届く癖の無い長い髪が下ろされている。
 青い肌とは対照的の清潔感のあるセーターは縦に模様が伸びており、サイズが合っていないのか肩口から透けるレース細工が除く黒い下着が見え隠れしていた。
 セーターの模様を辿るとその先は程よい肉付きの健康的な生足が現れており、その付け根は下半身に装着されているであろう下着と共に大きめのセーターの裾部分に隠れている。
 小さな彼女の膝の上からはみ出る程度の大きさのその箱を前に、メフィルは多少困惑していた。

 「これは、何かしら?」

 開けて良いの?と表情で問うメフィルに豪は頷く。
 彼女にとっては本番行為の前の余興に過ぎないのだろう。
 軽く鼻から息を抜くと、蓋を開く。
 開いた瞬間、彼女の瞳が大きめに開かれた。

 「豪、これ―――」

 「あ〜……まぁ、その……何だ……」

 後頭部を掻きながら恥ずかしげに視線を逸らし、若干頬を赤く染めながら豪は答える。
 
 「俊哉達にも言われたんだけどよ。俺、あんまり口が上手くねぇから。きちんと謝るなら誠意を形で見せた方が良いって事で、ホワイトデーのお返しって意味も込めて作ったんだよ」

 「貴方が、作ったの?」

 メフィルとしては散々抵抗させた挙句豪の童貞を頂く腹積もりであったのだが、まさか狙っていた標的が自分に贈り物をするとは微塵も考えていなかったのだろう。
 完全に意表を突かれたのか、本来の自分の目的を忘れて紅い瞳に優しげな光を帯びたままメフィルは微笑んだ。

 「……単純ね。子供じゃないんだから、お菓子で釣られるなんて無いわよ?」

 「その事についても謝っときたかった。ごめん、メフィル。言われる方の気持ちを分かってなかった、俺が悪かった」

 深々と腰を折って豪は謝罪する。
 その姿を暫く見届けた後、不意にメフィルは視線を逸らして溜息を吐いた。

 「……もう、良いわよ。確かに今はこんな体型だから、ロリだって言われても仕方ないし。何時までも怒る程大人気なくないわ」

 先程までメフィルが纏っていた威圧感と淫気が嘘のように霧散する。
 だが、お互い何と声を掛けて良いのか分からず数秒が経過し数分が流れる。
 気まずい空気の中、先に動いたのはメフィルであった。

 「あー、こんな深夜まで働いてクタクタだわー。疲れたなー。何か甘いものでも食べたいなー。でも疲れてるから動きたくないわー」

 マフィンとジャムの入った紙箱を膝に乗せたまま、ボスッという音と共にメフィルはベッドに倒れ込む。
 背中から倒れ込み、そのまま天井に向かって声を上げる。

 「誰か食べさせてくれないかなー?そうしたら私、誰かさんの失言は水に流してあげるんだけどなー」

 豪はその言葉で漸く矛先が自分だと気付いた。
 倒れた拍子にセーターの中の透けたレース地の黒い下着が見えたのだが、そこを突っ込んでは回避したフラグが再び立つ恐れがある為努めてその部分は黙殺する。

 「はいはい、私めで宜しければ喜んで御給仕致しますよ。お嬢様」

 飲み物と食器を整えて自室の小さなガラス製の机に準備する。
 クッションのいくつかを重ねて柔らかさを確認すると、豪はメフィルが倒れ込んでいるベッドへと寄っていった。
 そのまま彼女の背中と両膝裏に腕を差し込むと軽い重量を感じながら持ち上げる。
 俗に言うお姫様だっこである。

 「あら♪気が利くじゃない」

 「ベッドを食べカスだらけにされたくないんですよ。お嬢様」

 「ふぅん……何の汚れなら良いのかしら?」

 「……落とすぞコノヤロー」

 二人の声しか響かない部屋の中、彼等は文字通り甘い時間を過ごす。
 
 唇が重なっている訳ではない。
 秘部が繋がっている訳ではない。
 ましてや、その将来を誓った訳でもない。
 
 だが、この時間。朝を迎える瞬間まで、彼と彼女の心は重なっていた。




14/03/17 00:13更新 / 十目一八
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■作者メッセージ
後編投稿!何で短く書けんのや……と自虐ネタで突っ込む事の多い十目です。

余談ですが、
翌日の朝に両親が朝のセックス目覚ましを敢行。

目を覚ました豪と、ベッドの中で豪を抱き枕にして寝ているメフィルを見付けられる。

両親感激。外堀を埋められ掛ける。

メフィルは血圧が低いのか、温もりを求めて豪に強く抱き付く。
豪も無理矢理離せない為身動きが取れず、両親の誤解は更に加速。

そのような流れで翌日を迎えます。
当然また三郎太の笑いのネタにされる訳ですが。
執筆3/16終了。更新3/17終了と大幅にイベントを逃した作品で申し訳ないのですが、ご覧頂けた方々。
誠に有難う御座います。

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