死が二人を別てども
出会いは唐突だった。
ただ、隣に越してきただけの女の子。
向こうのご両親に連れられて、親の影に隠れていた小さな女の子だった。
大人の目線とは違う、子供特有の低い視点。
お互いに名前を言って、『これから宜しくね』と何の気ない挨拶を交わした程度。
出会った頃は、別れた後暫くすれば忘れてしまう程度の存在だった。
学校に通うようになっても君は一緒だった。
隣だから当然なのかもしれないけど、僕は何となく避けていた。
いつも一緒に歩いているから、男友達に冷やかされるからだ。
わざと早くに出たりもした。
体調を崩した振りをして、先に行かせようともした。
でも、君は僕の隣から離れようとはしなかった。
いつもと違うから心配した、とこちらの行動を疑おうともしなかった。
僕は君から離れようとするのを止めた。
男友達はまた冷やかしてきたが、同じクラスの女の子が彼の耳を引っ張って行ってしまった。
その様子があまりに可笑しくて、朝から二人で笑ってしまった。
高校は別々になると思っていた。
お互い特に何も言ってなかったけど、どうせだからと二人で一緒に受験勉強した。
狭い部屋でお互い顔を突き合わせるように参考書を開いた。
ふと、君が出会った頃よりずっと女の子っぽくなっていたのに気付いた。
カチカチと鳴るシャープペンの音。
カリカリと定期的に削れる黒鉛の音。
ペラリ、と時折捲れる参考書のページ。
チッチッと刻まれる秒針の音に混ざって、早鐘のように動く僕の心臓。
誤魔化すようにノートに目線を下ろして機械的に公式を解いていった。
どの位経ったろう。書き記す音が急に一人分しか聞こえなくなった。
気になって顔を上げると、君は頬杖を突きながらこちらを見ていた。
嬉しそうに微笑みながらこちらを見る君に、僕の鼓動は一際大きくなった。
もうすぐ高校生だね、と君は言った。
僕は生返事しか返せなかったけど、君は更に続けた。
これから三年、また一緒だね、と。
でも、もっとずっと一緒に居たい、と。
高校を卒業しても、大学に進んでも、大学を卒業しても。
ずっと、私の傍に居てくれる?と、君は言った。
生まれて初めての告白に、僕の頭はすっかり茹で上がってしまった。
真っ赤になりながら変な呻き声しか出せない僕に、君は赤くなりながら続けた。
OKって事でいい?
……うん。その、不束者ですが宜しくお願いします…。
こう返したら、普通逆じゃない?と君は可笑しそうに笑った。
言われてみればそうだ。
僕も釣られて笑ってしまい、この日は受験勉強どころじゃなかった。
今、僕は君の前に居る。
同じ部屋には入れないけど、硝子窓の向こうで君が懸命に生きているのが伝わってくる。
いくつもの機械に繋がれて。
何重にも包帯を巻かれて。
大きなベッドに埋もれるように君は居た。
君を轢いた犯人、まだ捕まっていないんだ。
君のお父さん、悔しそうに僕に教えてくれたよ。
君のお母さんの泣き腫らした顔、君には見せられないよ。
何で君なんだろう。
知らない誰かなら良かったのに。
それならこんな、胸に穴が空いたような気持ちになんてならないのに。
目を覚まして、僕の傍に居てくれよ。
今日、僕宛に連絡があった。
学校から帰ってすぐ母さんが教えてくれた。
君の両親が僕を君に会わせたいんだって。
時間は何時でも良いけど、出来るなら今日中に病院に来て欲しいと言っていたらしい。
勿論すぐに向かったよ。
荷物は部屋に放り投げて、今すぐ行ってくると母さんの返事も聞かず飛び出した。
制服なんて着替える余裕はないから、上着だけ脱いで腰に結びつけた。
全力で自転車を漕いで向かったんだ。
きっと、僕に会わせられる位回復した君が待ってるだろうから。
息も絶え絶えだったけど、病院のロビーを通り抜けて君の居た機械だらけの部屋に走っていった。
他に君が居そうな場所を知らなかったからね。
前に見た部屋の前まで着いて、顔を上げたよ。
きっと、こっちに気付いて僕を見る君が居るから。
肩で息をしている僕を、可笑しそうに見る君が居るから。
…きっと、居る筈、なのに。
君は、何処に行ったんだ?
ただ呆然と、暗い集中治療室を眺めた。
ネームプレートに君の名前が無い。
嫌な未来しか想像できない。
いや、きっと一般病棟だ。
あの怪我だから個室だろう。
ちょっと看護士さんにでも聞いてみよう。
振り返ると、丁度廊下の先に病院の関係者らしき人が居た。
風貌からだと医師だろうか。
もしかしたら何か知ってるかもしれないし、聞くだけ聞いてみよう。
「すみません、この部屋に居た女の子を知りませんか?」
そう尋ねる。
近寄って分かったが、恐ろしく綺麗な女の人だった。
白シャツに黒いタイトスカート、更に白衣を羽織り聴診器を首から提げている。
纏め上げた銀髪は艶やかに煌き、紅い瞳が焼きつくように印象に残る。
彼女は、よく通る透明感のある声で答えてくれた。
「そこはさっき搬出された無塚 縁(なしつか えにし)さんが居た病室ね。彼女の関係者かしら?」
…知っていた!なら、今の居場所も分かるかもしれない!
「僕は、後野 末理(こうの まつり)と言います。彼女のご両親に呼ばれて来ました」
「そう、君が…。分かったわ、彼女に会わせてあげる。ただ、その前に彼女のご両親に会って貰えるかしら?」
願っても無い。是非会わせて下さい、そう言うと彼女は僕に着いてくるように指示した。
もうじき君に会える。僕は嬉しさで走り出したくなる心境を抑え、女医さんに付いていった。
すっかり陽も落ちたのか、病院内の明かりも少なくなり痛い位の静けさが辺りを支配していた。
彼女の病室は何処だろう、と周りを見るも明かりの乏しい病院の廊下では中々見つけられない。
女医さんは更に進む。
歩く速さが落ちない事から、この階ではないのかも知れない。
銀髪の女医さんは階段を降りる。
下の階なのかと思ったが、そこに寄る気配は無く更に下って行く。
もう、ロビーのある一階に着きそうだ。
更に下って行く彼女。
そこにはエレベーターが有り、その前まで僕を誘導する。
そこには君の両親が居た。
「ご両親、お連れしました。彼で間違いありませんか?」
「はい…、間違いありません。ありがとうございます…」
力なく返事をするご両親。
存分に泣き腫らした後だったのか、二人とも目が充血し瞼は晴れていた。
…嫌な空気だった。
「末理君、無理を言って来て貰ってすまないね」
君のお父さんだけ僕に言ったんだ。
お母さんは目元を押さえるので精一杯の様子だった。
「いえ、大丈夫です。それより縁はどうしたんです?会えますか?」
僕の気のせいだ。
きっと、君が回復して嬉しくて泣き腫らしたんだ。
君のお母さんが何も言えなかったのだって、喜び疲れただけに過ぎないんだ。
「…本当にすまない。だが、末理君には娘の最後に会って欲しかったんだ。アイツは君が好きだったからね」
…何を言ってるんだ?娘の、最後?
「アイツも頑張ったんだ。けれど、結局目を覚ませずに、そのまま眠ってしまった…娘の最後の気懸かりは末理君だったのかもしれない。親の、我侭だが、会ってやってくれないか…!」
君のお父さんは俯いていたよ。
暗くて分かり辛かったけど、水滴が何度も床に落ちていた。
多分、泣いてたんだろうね。
…僕?僕は、もう何も考えられなかったよ。
その後女医さんが呆然としている僕と、やり場の無い悲しみに暮れるご両親を連れて近くの空いている診察室に入っていった。
そこから先は、正直うろ覚えなんだ。
目の前で君のご両親が驚いていても、意味有り気に僕を見ていても何も入らなかった。
胸に空いた大きな穴が、何も受け止める事もなく素通ししてしまったからね。
何とか覚えているのは君のご両親が僕に君の事を頼んだ事と、女医さんに何かを書かされた事位かな。
多分、法律上部外者の僕が君に会う為の手続きだったんだと思う。
僕は女医さんに連れられてエレベーターに乗ったよ。
ご両親はもうお別れを済ませたのか、今日は帰ると言っていた。
自分達はまた会えるから、今日はじっくりと娘と話してくれってさ。
女医さんは鍵の付いた扉の前で、僕に進むように言った。
言われた通り進んだら、更に観音扉が有った。
あぁ、この先に君が居るんだね。
今、会いに行くよ。
…やぁ、聞こえるかい?
これが此処に来るまでの顛末さ。
でも驚いたよ。
轢逃げされたって聞かされてたから、もっと酷い有様かと思ってた。
凄く綺麗で、本当に驚いたよ。
本当に君は死んでいるのかい?実は大した事なんてなくて、もうちょっとしたら起きてくるんじゃないかい?
外の女医さんが古臭いプラカードを持って、『ドッキリ大成功!』ってさ…。
もう、充分だよ。
充分驚いたからさ、目を開けてくれないかな?
そんな、冷たくなった振りなんていいから、起きて笑ってくれないか?
僕の傍で笑ってくれないか?
畜生、何で目の前が歪むんだよ。君を見れないじゃないか。
起きて、笑って、僕を呼んでくれる君が見れないじゃないか。
「っぐ…、う、ぐうぅぅ……」
…何で
「起きないんだよ…!」
もう、君は起きれないんだね。
もう、僕の傍には居てくれないんだね。
君はもう、何処にも居ないんだ。
僕は、そのまま崩れ落ちた。
足元が無くなったかのような喪失感。
体から生きる力が抜けたような虚脱感。
君が僕から消えないよう、焼き付けるように蹲り、僕は泣いた。
どの位経ったろう。
此処は時計が無いから分からないけど、今し方目が覚めた。
何処かで誰かが泣いている。
大事なものをなくしたのだろうか。
悲しくて悲しくて仕方が無い。そんな泣き声だ。
…大事なもの?
あぁ、そうだ。貴方だ。
上手く思い出せないけど、ずっとずっと一緒に居たかった人だ。
今泣いている人は、それをなくしてしまったのかな。
そんなに泣かなくていいよ。一緒に探してあげるから。
「…あ゛ー…」
声を出したけど、上手く話せない。
まるで暫く使ってなかったかのようにぎこちない。
でも、こちらには気付いたのか泣き声が止んだ。
「…あ゛ー…あ゛ー…」
本当に自分の体なのだろうか?起き上がるのが遅くて一苦労だ。
力は入るけど、体の反応がワンテンポもツーテンポも遅れている。
まるで生まれたての赤ん坊のようだ。
目を開くと、何処か薄暗い部屋が映る。
ゆっくりと足を床に着けると、素足にひんやりとした感触が心地よい。
蹲っている誰かの前に屈んで、両手で頬杖をついて呼びかけてみる。
どうしたの?
「あ゛ー…?」
何かなくしたの?一緒に探そうか?
「あ゛ー…?う゛ー…?」
…矢張り、全く会話が出来ていない。
どうしよう、誰か居ないかな。
「……えに、し?」
泣き腫らした顔がこちらを向いている。
その顔を見た時、その人の探しものが分かった。
ごめんね、随分泣かせちゃったみたいだね。
ただいま♪
「あ゛ー♪」
どの位経ったろう。
泣いて泣いて、もう時間なんて分からなかった。
漸く落ち着いたのは、もしかすると日にちが変わった頃なのかも知れない。
まだ涙は枯れないが、もうそろそろ君とお別れしないといけない。
いつまでも泣いていては君に笑われてしまう。
そう思った時、単調な呻き声がした。
一瞬、君が生き返ったのかと思った。
でも冷静に考えると、そんな事は起こらない事に気付く。
きっと肺に残っていた空気が何かの拍子で出ただけだ。
その際に声帯を震わせたんだろう。結果、声が出た。
断じて生き返った訳ではない。
しかし、その思いは次の瞬間砕け散った。
「あ゛ー…?」
今、疑問形で音がしなかったか?
「あ゛ー…?う゛ー…?」
矢張りだ。目の前に誰か居る。
いや、この場には僕と君しか居ない。
ならば。
「……えに、し?」
こちらの様子を伺うように、屈んで頬杖をつく彼女。
表情のせいで幾分幼い印象は受けるが、紛れも無い。
「あ゛ー♪」
僕が分かるのか。
君か、縁。本当に君なんだ!
「縁いいいぃぃぃぃ!」
飛びつくように抱きついた。
確かに冷たい。
呼吸もしてない。
心臓だって止まってる。
「………♥」
でも、こちらをゆっくりと抱き締め返してくる。
…生きている!生きている!生きている!
彼女は今、確かに此処に居て生きている!!
この腕の中の存在を確かめようと、頭を撫でながら彼女の首元に顔を寄せる。
子猫のように気持ち良さそうに目を細くし、彼女もまた甘えるように擦り寄ってくる。
奇跡だ。
僕は、何処とも知れない神様に心の底から感謝を祈った。
縁が復活を遂げた翌日。
僕と縁はそのまま朝まで抱き合った。
狭い部屋に男女が一組。
都合良くベッドまである。
腕時計を見ると早朝の早い時間である事が分かった。
結局朝まで致してしまった訳だが、外で待っていた女医さんをすっかり忘れてしまっていて慌てて扉の向こう側を開いた。
女医さんは気を使ってくれたのか、既にそこには居らず自分と縁の両親を呼んでくる書置きと湿布薬と松葉杖が置かれていた。
有難く湿布薬を腰に貼り、松葉杖を突いて縁に支えられながらエレベーターからロビーまで進んだ所で丁度お互いの両親が待っていた。
僕は自分の両親に小突かれ、縁は両親と再会を果たして涙する。
僕が縁のご両親に近づいて挨拶をしようとした所、縁のお父さんが泣きそうな顔で僕の両肩を掴んでこう言った。
凄く悔しそうな顔で、『お義父さんと呼んでくれていいんだよ?』と一言。
涙ながらに言われたので、多分縁のお母さんの差し金だろう。
取り合えずまだ自分には早い事を理由に、そう呼ぶのは将来に延ばさせて貰った。
その時の縁のお父さんの笑顔は物凄く晴れやかだったが、後ろで縁のお母さんと縁が物凄く冷たい目をしていたので多分家族会議になるだろう。
そうそう、後自分の両親から縁を轢逃げした犯人が捕まった、と知らされた。
犯人は壮年位の恰幅のいい男性で、元々魔物に否定的な側の人間だった。
僕等がこれから通う学園は、実は人魔共学で色々な種族が通う事となるそれなりに有名な学校だ。
ただ、女学生が主に魔物娘のせいか男女人魔で合格発表日を分けていた。
こいつは学校の評判を落とす為、合格者発表の結果を見る為に行った縁をその帰り道に撥ねたのだという。
魔物娘なら大きな怪我はしないだろうが、これから通う人間なら被害は大きい。
この学校に通うのなら、皆こんな目に遭うぞ。と言外に脅しを掛ける目的だったようだ。
この男は司法に委ねられる事となり、処罰は追って厳しいものが下されるらしい。
それと、後で分かったのだが僕と縁は同じクラスになったようだ。
生きてる間、ずっと続いていた僕と縁の長い時間。
死が二人を別つとも、それすら超えてこれからも続いていきそうだ。
13/10/22 01:38更新 / 十目一八