廃墟
町から大きく離れた山の中、ぽつんと廃墟あった。壁は崩れ、そこは苔が生えツルが巻き付きここ最近人が来た様子はみじんも無い。
俺は一人そこに立っていた。
昔から廃墟という物が好きだった。まるで別の世界のような、非日常的な雰囲気がたまらなかったのだ。子供の頃は秘密基地にして友人とよく遊んだものだ。
大人になって流石に友人と遊んだりはしないが、暇なときに通りがかった廃墟にふらっと立ち寄ってはぼぅと考え事をすることはある。
だが、今日はどこかに行くついでにたまたま通りがかった廃墟に来たわけではない。ここが目的地だ。そして今日ここで俺の廃墟巡りは終わりになるのだろう。
――俺はここで人生ごと終わることにしたのだから。
俺は何故死のうとしているのか、廃墟の中を進みながら考えていた。
一番の理由としては、少しでも幸せな間にこの人生を終わらせたくなったからだ。
毎日毎週毎月繰り返し繰り返し、休みがあったとしても疲れていて本当に休んで一日は終わる。
仕事で怒られ、へとへとになって終わったからと言って、なにかすることがあるわけではない。結局次の日も仕事に行く準備……もとい怒られる準備をするしかない。
最初は怒られたからといってただヘコんでいたわけでもなかった。『次は頑張ろう』そう思っていた。
だがずっと怒られ続けると流石に堪えた。今考えてみれば生涯で誉められた事なんて無かったかもしれない。
両親にだってあれをしろこれをやれと昔言われたが、それが出来ても褒めて貰えるわけではなく、逆に出来なかったら叱られるだけだった。
昔上司に怒られたとき「君は叱ったほうが、伸びるタイプだ」と言われたが、そんなのタイプは存在するのだろうか。
誉められたくて頑張っても叱られる。最初は俺のようにやる気になるかもしれない。だが、最後には折れてしまうのは目に見えている。器用な人間ならうまく受け流せるのだろうが、普通の人間は誉めた方が伸びる。俺はそう思っている。
だが現状楽しいことはないわけではない。古くからの友人との飲みや雑談は少なくとも俺は楽しかった。仕事も怒られたこともその時は話の種にはなる。
ただ、年々友人と集まる回数は減り、日に日に仕事の疲れもたまっている。
このままでは長期休みだろう友人にすら会う余裕も無くなってしまいそうだった。
ならば――これ以上苦しくなる前に、まだ少しでも楽しいことがある内に終わらせてしまおうと思ったのだ。
そう改めて考えをまとめているとに奥へとついた。
ここは前にも来たとき、今居る奥深くの雰囲気が本当に好きだった。
奥深くと言っても、もう建物は崩れているので空が見えている。そしてそこに葉やツタが張り巡らされ、木漏れ日が中を照らしている。なぜだかこの回りには鳥どころか虫もほぼ居ないらしく、葉の揺れる音だけがこの空間に響く。
――あぁここは落ち着くな。
そう感じながら俺は準備をする。持ってきた鞄を開け、取り出したロープを輪になるように縛り、その逆側を高い位置に引っ掛ける。
あとはその下に小さな椅子を置いて簡易的だが準備は終わり。
あとは上がって椅子を蹴るだけで俺は終わりを迎える。
そして最後にここで一息付く俺はそう決めていた。ロープの下の椅子に座って鞄から缶ビールを出す。プシュッという音が静かな空間にはよく響く。
いつも飲んでいる、しかももう冷たくもない安い酒だが最後と言われると名残惜しい。なんとも不思議なものだ。
死のうとしてるのに悠長だなと我ながら思いつつ、ぬるくなったビールをちびちびと飲んでいた。
「……何をしているの？」
突然後ろから声がした。女性の声だった。
俺は驚き後ろを振り向くが誰の姿も見えない。
「……誰だ？」
声のした方へ向き話す。
「質問に質問で答えないで。……まぁ聞かなくてもやろうとしてることは察しがつくけど」
声のするが、姿が全く見えない。崩れた瓦礫にでも隠れているのだろうか。
声の主は続ける。
「なにか溜まっているんでしょう……話を聞くわ」
どうやら俺が死のうとしてるのをするのを読み取ったらしい。まぁこのロープさえ見れば誰でもわかるだろうが……
「……ほっといてくれよ」
そう答え俺はビールを一口飲む。
だが相手は引き下がろうとはしない。
「死のうとしてる人が目の前に居てほうっておけるかしら」
目の前にって姿を見せてないじゃないか、喉まで出かかったが、こんなことならば無視にしたほうが早く諦めてくれる。そう考え答えるのを止めた。
「…………」
「無視を決め込むのね、なら別にどうぞ。あなたが言うまでここを離れない。無視できなくなるまでここに居ることにするわ」
溜め息交じりでこちらへ話しかけてくる。どうやら本当に引き下がってくれそうにない。
姿が見えないが、ずっとここに居られると面倒臭いことになりかねない。
俺は一つ提案をしてみることにした。
「……聞いたらここから離れろ、そして誰にも言うな」
「ええ、約束するわ。特に話す人なんて居ないもの」
「その約束守れよ。それじゃまずはどこから……」
――俺は全て話した。
仕事のこと。もう怒られ疲れたこと。生い立ちのこと。でも今決して楽しいこともないわけではないこと。そして楽しい内に終わってしまいたいと言うこと。
よくよく考えるとこんな事、人に話したことはなかったからか、話してるうちに色々思い出して目頭が熱くなる。
それでもここで我慢しなければなにかが崩れてしまう気がして、ぐっと我慢して話を終えた。
「コレで全部だ、話しただろ？ 早くいなくなってくれよ……」
「私は……」
ゆっくりと間を置いて声の主は答える。
「私は、生きていたら最後振り返ったときに、悪いことよりも良いことの方が少しだけ多く起こっていると思うの。でもそれは寿命……最期まで生きた人だけ。途中で死んでしまったらそうはならないと思うわ」
先程までただ相槌を打っていた彼女の突然の考え。
「……何が言いたい」
「あなたが今辛いと思っているならこれからは良いことがあると思う。……思うじゃないわ絶対にある」
その声は今日一番真剣に聞こえた。だが、俺はここまで来てしまった以上、何故か引き下がる事が出来なかった。
「何で言い切れるんだそんなこと、少なくとも俺はもうこれ以上良くなる事はないと思うけどな」
少し間が空き溜め息が聞こえたあとまた声が聞こえた。
「……こっちを見なさい。」
突然自分の近くで聞こえる威圧的な声にそちらを向く、もちろんなにも見えない。
なんだよと声を出そうとした。
――瞬間顔めがけて、崩れた建物の破片がとんできた。
「あぶっ！」
俺は反射で避ける、座っていた椅子ごと倒れ、右腕をコンクリートに叩きつけられ痛みが走る。持っていた缶ビールも中身が零れコンクリートに飲ませてしまう。
「いって…なにすんだよ！」
服の汚れを手で払いながらどこに居るのかわからないので辺りに叫ぶ。飛んできた瓦礫を見ると壁にぶつかって砕け散っていた。どんな勢いで投げたんだ。
またすぐ近くから声がする。
「……今当たれば死ねたでしょう？」
謝ってくるのかと思ったらとんでもない事を口にしてきた。あれは殺すつもりでやったというのか。恐怖からか答えがしどろもどろになる。
「そ、そんなの反射で避けるに決まってるだろ！」
「どう受け取るかは勝手よ。でもあれを避けるなら私はあなたはまだ死にたくないんだと思うわ」
少し間を置いて、約束通り立ち去るわ、じゃあね、と聞こえ辺りが静かになる。
「お、おい！ なんだよ！」
大声で俺は声の主に話しかける。
……沈黙。また来たとき同様葉の揺れる音だけが聞こえる。ホントに居なくなったのだろうか。
一体何だったのかよくわからない。まさか自分の妄想だったのだろうか。それとも誰かが本当に止めにきたのだろうか。
椅子を元の位置に戻し、少し回りを探してみるが、誰も居ないどころか足跡すらない。
「近くに居るんだろ！」
……もう一度叫んでみても全く反応がない。建物に俺の声が反響するだけだった。ホントにもうここには居ないのだろうか。
「はぁ……なんだよほんとに」
俺は今、明らかに冷静ではないので深呼吸をし、落ち着いて考えてみる。
もし……言う通り自殺を止めたらどうなるのだろう。……止めたところで何が変わるわけでもない。
声の主は今後生きていれば良いことがあると確信していたようだが、そんな未来のことは断定など出来ない。俺が死なないようにするために行ったことだろう。瓦礫投げに関してはよくわからないが……
この自殺は決して衝動的な物ではない。ずっと考えてきた事であった。考えて考えて今この状況になっていることを思い出しだ。
死ぬとき苦しいのは覚悟の上。その一瞬を耐える方が生きていくより遙かに簡単に感じた。
「……よし」
椅子から倒れた時に半分以上零れてしまったビールを飲み干し、椅子の上にのぼる
止めてくれた人には申し訳ないが、もし死体になった俺をみつけても止め方が悪かったなど思わないでほしい。もう決めていたことなのだ。どんな止め方をされても俺はもう揺るぐ気はない。
椅子に登り首に縄をかける。
そして勢いよく――椅子を蹴った。
全体重が自分の首に掛かる。
「ぐっ……ぁ……」
苦しい。呼吸が出来ない。その苦しさから開放されたいのか体をじたばたとさせるがもちろんどうなるわけでもない。
（うっ……ぐぁ……）
もう声が出なくなる。意識が遠のき目が霞み出す。走馬灯のような物が見えて来る。その時、先ほど言われたことを思い出す。
（「最後振り返ったときに、悪いことよりも良いことの方が多く起こっていると思う」ね……）
本当にそうだったのだろうか、今考えても確かめることも出来ない。もう藻掻くことも出来なくなってきた。
（次はもっと良い人生を送れると嬉しいかな）
そう考えながら目をつぶった。
突然身体が地面に叩きつけられた。もう失いかけていた意識が衝撃で一瞬だけ覚醒する、目の前にぼんやりと青白い炎が見えた。
「――強引は気が引けたけど死ぬなら貰ってもかまわないよね」
その一言だけ聞こえ俺は気を失った。
目が覚めた。
「起きた？」
聞き覚えのある声が聞こえる。――俺の自殺を止めようとした声。振り返ると首を吊る前まで見えなかった姿が見える。
真っ白い長い髪。整った顔立ちをしている美人で黒いドレスを着たスタイルも良い女性だが、肌の色が人とは思えない。青白くまるで血が通っていないような色だ、目も生きている人とは思える物ではない。
「私の忠告を聞かないなんて妬ましいわね。自殺体験者からの忠告だというのに」
彼女はこちらを睨むように見る。
自殺体験者ということは未遂者ってことだろうか。……いや、肌の色や雰囲気でなんとなくわかる。恐らく過去に自殺した人なのだろう、生気をまるで感じない。
コレは今どういう状況なのだろうか、把握できない。
「君は？ここは……檻？」
まず彼女についてと、今居る場所について尋ねた。確かに外の景色は俺がいた廃墟なのだが、今居る場所は少しおかしい。ふわふわと浮いた黒い檻の中なのだ。
「魔物よ、とりあえず人じゃないものって認識でいいわ。説明も面倒くさいし。あぁちなみに檻も私の一部よ」
魔物。そんなものがこの世にいるのだろうか。
だがそう言われるとしっくりくる姿をしている。そしてそれを聞いてもう大事一つ質問があった。
「……俺は死んだのか？」
死ぬ直前、地面に落ちた記憶がある。その記憶が正しければ俺は生きているのだろう。だが魔物なんて見たことがない。というか常識的に考えて存在する物ではないだろう。しかし俺が死んだというのならその常識は通用しなくなる。なら俺は死んでいるのだろうか。
彼女は目をそらしながら答えた。
「……どうかしらね？まぁどちらにせよ私は貴方のことを離さないわ、ここで私と取り合ってくれた初めての人間なんだもの」
俺にとってとても大事なことをどうかしらね、で濁した彼女。そこを深く聞こうと思ったがそれ以上に気になることを言っていた気がした。
「……離さない？ なにする気だ」
少し身構えて聞くが彼女は軽く返事を返してくる。
「別に、何をするわけでもないわ……貴方は認めて貰えず寂しいみたいだったわね。私も寂しいわ。ここでただ一人ずっとここにいた。生きてた頃もずっと独り……もちろん死ぬときもね」
この発言を聞き、彼女が死者とわかった。
これは異常な光景だが、不思議と死者と話していること、それは恐くはない。むしろ慣れてきていることに少し恐怖を覚える。彼女は話を続ける。
「だから一緒に居て貰うのよ、お話相手もしくは私たちが必要とする精の補給相手としてね。まぁ人間的には結婚とでもおもってもらえばいいわ」
急に話が飛躍している気がする。質問することがたくさん出てきた。
「精の補給？ け、結婚？ ど、どういうことだ？」
彼女はこちらをジッ見ながら答える。
「魔物は人間の精がごちそうなの、 悪いようにはしないわ、たっくさん交わって気持ち良くしてあげる」
普通なら恥ずかしくていえないようなことを彼女は軽々言ってのける。それも魔物？ と言う物のせいだろうか。
「そのかわり私は寂しがり屋で嫉妬深いの、私の話し相手は貴方しかいないのに貴方が他の人と話すなんて許せないわ、たとえその相手が男だろうが猫だろうが犬だろうがね。
あ、もちろんこの外に出ることも許さないわよ出られないと思うけどね」
にこりと笑って彼女は言う。とっても綺麗で飲まれてしまいそうな笑顔だが、内容が笑える内容ではない気がするのだが……
「まっ待ってくれ、な、なんで俺なんだ」
怯える俺に近づきながら彼女が答える。
「あら、言ったでしょう？ ここにはあまり人が来ないのよ、来たとしても私の声を聞いて驚いて帰ってしまうわ」
そりゃ物影に隠れて声をかけたら誰でも驚く気がするが……いや、そんなこと恐くていえないが。
「それに……貴方は私が誰かもわからないのに本心で話してくれたじゃない、泣くほど思い出すのも苦しい話なら、しないで嘘をつけば良かったじゃない」
「……それは」
確かに俺はあの時なんの考えもせずに本当のことを話した。嘘を言う。そんな考えなどなかった。……もしかしたら誰かに話したかったのかもしれない。
「そんな人が悪い人なわけないわ、それに同じ寂しがり屋。私は貴方のことが気に入ったの」
彼女は真っ直ぐこちらを見て答える……そんなことを言いながらに真っ直ぐと見られると恥ずかしい。俺は目をそらす。
「い、いやだからと言って……」
「さっきの質問答えを濁したから答えてあげるわ。貴方は生きているわ、私がロープを切って助けたの。私は命の恩人よね？」
「うっ……」
やはり俺は生きていたのか。
あの記憶はまちがっていなかった。だがそんなことを考えている場合なさそうだ……
「命の恩人の言うことは聞くべきではないのかしら？ まぁ。私は貴方の寂しさしっかり埋めてあげるわ、だからあなたにも私の寂しさしっかり埋めて貰うわ。利害一致よね。」
「……き、拒否権は」
ニコッと笑う彼女。……あるわけないでしょう？ と言われた気がした。
恐くなって了解する。
「よ、よろしくお、お願いします」
「わかってくれたみたいね」
さて、この監禁生活をどうしようかと考えていると、彼女が身につけていた黒いドレスを脱ぎ青白い肌身体を露わにする。
その光景に一瞬見とれていたが我に返る。
「な、なにしてるんだ！」
焦って目を反らす。
「さて、私と交わってもらうわ」
「……え？」
我ながらマヌケな声が出たと思う。
彼女はどうしたの、と声をかけてきて、手を打ち説明するように話し始める。
「あ、言ってなかったわね私たちと交わると、人間はインキュバスってのになれるの」
「イ、インキュバス？」
彼女は頷いて答える。
「ええ、寿命も延びて、精の補給ももっと出来るようになるわ。それに私が人間の精をたべるようにインキュバスは私の魔力さえあればお腹が空かなくなるわ。」
なるほど……そう言う物があるのか。なんて冷静に考えていると、彼女の顔が目の前に来る。
「じゃあ、始めましょうか」
彼女を見ているだけで一瞬頭がぼぅっとなるが首を振って自分を取り戻す。
「い、いやでもまってそんな急に」
後ずさろうと直ぐに檻に背中が当たった。明らかに檻がさっきより狭くなっている。
「とりあえず1週間程度繋がっていましょうか。そしたらまぁ途中でインキュバスになれるでしょう」
彼女には俺の話が聞こえているのだろうか。逃げ場がなくなった状態で恐ろしいことを彼女は言ってきた気がした。
「い、1週間ずっと？ し、死ぬんじゃ」
「さっきまで死にたいと言っていたはずじゃ？ それに交わらなくても餓死するだけよ？
まぁ死んだとしてももう一回捕まえるわ」
彼女はもうお互いの吐息のかかる距離まで近づいてくる。
「ま、待って」
「待たないわ、あ、言ってなかったわね私の名前は……名乗ろうかと思ったけど、まぁ2人しかここには居ないのだから名前なんて必要ないかしらね？」
「やめ……んぁ……」
彼女は唇で俺の口を塞いできた。ねっとりと俺の口の中を蹂躙するようなキス。俺はキスだけで全く頭が動かなくなる。
もう檻は2人がギリギリ入って居られる程度の大きさになっている。
「ぷはぁ……さぁゆっくりと愛し合いましょう？ 時間はいくらでもあるわ」
そう言ってまた彼女は唇を重ねてきた。
――急なことが多すぎてパニックだが、どうやら死んだ方が楽だったかもしれない……
だが、人間ではないが同じ寂しがり屋の彼女がずっと一緒に居てくれると言ってくれたこと、それは少し嬉しくもあった。人生で初めて必要とされた気がしていた。
彼女の言っていた『悪いことよりも良いことの方が少しだけ多く起こっていると思う』と言うのは本当なんだろうか。まだどうかわからないがどうやら時間はたくさんありそうだ、ゆっくり考えていくことにしよう。
――――この十分後、彼女のこと以外何も考えられなくなったことは言うまでもない。
俺は一人そこに立っていた。
昔から廃墟という物が好きだった。まるで別の世界のような、非日常的な雰囲気がたまらなかったのだ。子供の頃は秘密基地にして友人とよく遊んだものだ。
大人になって流石に友人と遊んだりはしないが、暇なときに通りがかった廃墟にふらっと立ち寄ってはぼぅと考え事をすることはある。
だが、今日はどこかに行くついでにたまたま通りがかった廃墟に来たわけではない。ここが目的地だ。そして今日ここで俺の廃墟巡りは終わりになるのだろう。
――俺はここで人生ごと終わることにしたのだから。
俺は何故死のうとしているのか、廃墟の中を進みながら考えていた。
一番の理由としては、少しでも幸せな間にこの人生を終わらせたくなったからだ。
毎日毎週毎月繰り返し繰り返し、休みがあったとしても疲れていて本当に休んで一日は終わる。
仕事で怒られ、へとへとになって終わったからと言って、なにかすることがあるわけではない。結局次の日も仕事に行く準備……もとい怒られる準備をするしかない。
最初は怒られたからといってただヘコんでいたわけでもなかった。『次は頑張ろう』そう思っていた。
だがずっと怒られ続けると流石に堪えた。今考えてみれば生涯で誉められた事なんて無かったかもしれない。
両親にだってあれをしろこれをやれと昔言われたが、それが出来ても褒めて貰えるわけではなく、逆に出来なかったら叱られるだけだった。
昔上司に怒られたとき「君は叱ったほうが、伸びるタイプだ」と言われたが、そんなのタイプは存在するのだろうか。
誉められたくて頑張っても叱られる。最初は俺のようにやる気になるかもしれない。だが、最後には折れてしまうのは目に見えている。器用な人間ならうまく受け流せるのだろうが、普通の人間は誉めた方が伸びる。俺はそう思っている。
だが現状楽しいことはないわけではない。古くからの友人との飲みや雑談は少なくとも俺は楽しかった。仕事も怒られたこともその時は話の種にはなる。
ただ、年々友人と集まる回数は減り、日に日に仕事の疲れもたまっている。
このままでは長期休みだろう友人にすら会う余裕も無くなってしまいそうだった。
ならば――これ以上苦しくなる前に、まだ少しでも楽しいことがある内に終わらせてしまおうと思ったのだ。
そう改めて考えをまとめているとに奥へとついた。
ここは前にも来たとき、今居る奥深くの雰囲気が本当に好きだった。
奥深くと言っても、もう建物は崩れているので空が見えている。そしてそこに葉やツタが張り巡らされ、木漏れ日が中を照らしている。なぜだかこの回りには鳥どころか虫もほぼ居ないらしく、葉の揺れる音だけがこの空間に響く。
――あぁここは落ち着くな。
そう感じながら俺は準備をする。持ってきた鞄を開け、取り出したロープを輪になるように縛り、その逆側を高い位置に引っ掛ける。
あとはその下に小さな椅子を置いて簡易的だが準備は終わり。
あとは上がって椅子を蹴るだけで俺は終わりを迎える。
そして最後にここで一息付く俺はそう決めていた。ロープの下の椅子に座って鞄から缶ビールを出す。プシュッという音が静かな空間にはよく響く。
いつも飲んでいる、しかももう冷たくもない安い酒だが最後と言われると名残惜しい。なんとも不思議なものだ。
死のうとしてるのに悠長だなと我ながら思いつつ、ぬるくなったビールをちびちびと飲んでいた。
「……何をしているの？」
突然後ろから声がした。女性の声だった。
俺は驚き後ろを振り向くが誰の姿も見えない。
「……誰だ？」
声のした方へ向き話す。
「質問に質問で答えないで。……まぁ聞かなくてもやろうとしてることは察しがつくけど」
声のするが、姿が全く見えない。崩れた瓦礫にでも隠れているのだろうか。
声の主は続ける。
「なにか溜まっているんでしょう……話を聞くわ」
どうやら俺が死のうとしてるのをするのを読み取ったらしい。まぁこのロープさえ見れば誰でもわかるだろうが……
「……ほっといてくれよ」
そう答え俺はビールを一口飲む。
だが相手は引き下がろうとはしない。
「死のうとしてる人が目の前に居てほうっておけるかしら」
目の前にって姿を見せてないじゃないか、喉まで出かかったが、こんなことならば無視にしたほうが早く諦めてくれる。そう考え答えるのを止めた。
「…………」
「無視を決め込むのね、なら別にどうぞ。あなたが言うまでここを離れない。無視できなくなるまでここに居ることにするわ」
溜め息交じりでこちらへ話しかけてくる。どうやら本当に引き下がってくれそうにない。
姿が見えないが、ずっとここに居られると面倒臭いことになりかねない。
俺は一つ提案をしてみることにした。
「……聞いたらここから離れろ、そして誰にも言うな」
「ええ、約束するわ。特に話す人なんて居ないもの」
「その約束守れよ。それじゃまずはどこから……」
――俺は全て話した。
仕事のこと。もう怒られ疲れたこと。生い立ちのこと。でも今決して楽しいこともないわけではないこと。そして楽しい内に終わってしまいたいと言うこと。
よくよく考えるとこんな事、人に話したことはなかったからか、話してるうちに色々思い出して目頭が熱くなる。
それでもここで我慢しなければなにかが崩れてしまう気がして、ぐっと我慢して話を終えた。
「コレで全部だ、話しただろ？ 早くいなくなってくれよ……」
「私は……」
ゆっくりと間を置いて声の主は答える。
「私は、生きていたら最後振り返ったときに、悪いことよりも良いことの方が少しだけ多く起こっていると思うの。でもそれは寿命……最期まで生きた人だけ。途中で死んでしまったらそうはならないと思うわ」
先程までただ相槌を打っていた彼女の突然の考え。
「……何が言いたい」
「あなたが今辛いと思っているならこれからは良いことがあると思う。……思うじゃないわ絶対にある」
その声は今日一番真剣に聞こえた。だが、俺はここまで来てしまった以上、何故か引き下がる事が出来なかった。
「何で言い切れるんだそんなこと、少なくとも俺はもうこれ以上良くなる事はないと思うけどな」
少し間が空き溜め息が聞こえたあとまた声が聞こえた。
「……こっちを見なさい。」
突然自分の近くで聞こえる威圧的な声にそちらを向く、もちろんなにも見えない。
なんだよと声を出そうとした。
――瞬間顔めがけて、崩れた建物の破片がとんできた。
「あぶっ！」
俺は反射で避ける、座っていた椅子ごと倒れ、右腕をコンクリートに叩きつけられ痛みが走る。持っていた缶ビールも中身が零れコンクリートに飲ませてしまう。
「いって…なにすんだよ！」
服の汚れを手で払いながらどこに居るのかわからないので辺りに叫ぶ。飛んできた瓦礫を見ると壁にぶつかって砕け散っていた。どんな勢いで投げたんだ。
またすぐ近くから声がする。
「……今当たれば死ねたでしょう？」
謝ってくるのかと思ったらとんでもない事を口にしてきた。あれは殺すつもりでやったというのか。恐怖からか答えがしどろもどろになる。
「そ、そんなの反射で避けるに決まってるだろ！」
「どう受け取るかは勝手よ。でもあれを避けるなら私はあなたはまだ死にたくないんだと思うわ」
少し間を置いて、約束通り立ち去るわ、じゃあね、と聞こえ辺りが静かになる。
「お、おい！ なんだよ！」
大声で俺は声の主に話しかける。
……沈黙。また来たとき同様葉の揺れる音だけが聞こえる。ホントに居なくなったのだろうか。
一体何だったのかよくわからない。まさか自分の妄想だったのだろうか。それとも誰かが本当に止めにきたのだろうか。
椅子を元の位置に戻し、少し回りを探してみるが、誰も居ないどころか足跡すらない。
「近くに居るんだろ！」
……もう一度叫んでみても全く反応がない。建物に俺の声が反響するだけだった。ホントにもうここには居ないのだろうか。
「はぁ……なんだよほんとに」
俺は今、明らかに冷静ではないので深呼吸をし、落ち着いて考えてみる。
もし……言う通り自殺を止めたらどうなるのだろう。……止めたところで何が変わるわけでもない。
声の主は今後生きていれば良いことがあると確信していたようだが、そんな未来のことは断定など出来ない。俺が死なないようにするために行ったことだろう。瓦礫投げに関してはよくわからないが……
この自殺は決して衝動的な物ではない。ずっと考えてきた事であった。考えて考えて今この状況になっていることを思い出しだ。
死ぬとき苦しいのは覚悟の上。その一瞬を耐える方が生きていくより遙かに簡単に感じた。
「……よし」
椅子から倒れた時に半分以上零れてしまったビールを飲み干し、椅子の上にのぼる
止めてくれた人には申し訳ないが、もし死体になった俺をみつけても止め方が悪かったなど思わないでほしい。もう決めていたことなのだ。どんな止め方をされても俺はもう揺るぐ気はない。
椅子に登り首に縄をかける。
そして勢いよく――椅子を蹴った。
全体重が自分の首に掛かる。
「ぐっ……ぁ……」
苦しい。呼吸が出来ない。その苦しさから開放されたいのか体をじたばたとさせるがもちろんどうなるわけでもない。
（うっ……ぐぁ……）
もう声が出なくなる。意識が遠のき目が霞み出す。走馬灯のような物が見えて来る。その時、先ほど言われたことを思い出す。
（「最後振り返ったときに、悪いことよりも良いことの方が多く起こっていると思う」ね……）
本当にそうだったのだろうか、今考えても確かめることも出来ない。もう藻掻くことも出来なくなってきた。
（次はもっと良い人生を送れると嬉しいかな）
そう考えながら目をつぶった。
突然身体が地面に叩きつけられた。もう失いかけていた意識が衝撃で一瞬だけ覚醒する、目の前にぼんやりと青白い炎が見えた。
「――強引は気が引けたけど死ぬなら貰ってもかまわないよね」
その一言だけ聞こえ俺は気を失った。
目が覚めた。
「起きた？」
聞き覚えのある声が聞こえる。――俺の自殺を止めようとした声。振り返ると首を吊る前まで見えなかった姿が見える。
真っ白い長い髪。整った顔立ちをしている美人で黒いドレスを着たスタイルも良い女性だが、肌の色が人とは思えない。青白くまるで血が通っていないような色だ、目も生きている人とは思える物ではない。
「私の忠告を聞かないなんて妬ましいわね。自殺体験者からの忠告だというのに」
彼女はこちらを睨むように見る。
自殺体験者ということは未遂者ってことだろうか。……いや、肌の色や雰囲気でなんとなくわかる。恐らく過去に自殺した人なのだろう、生気をまるで感じない。
コレは今どういう状況なのだろうか、把握できない。
「君は？ここは……檻？」
まず彼女についてと、今居る場所について尋ねた。確かに外の景色は俺がいた廃墟なのだが、今居る場所は少しおかしい。ふわふわと浮いた黒い檻の中なのだ。
「魔物よ、とりあえず人じゃないものって認識でいいわ。説明も面倒くさいし。あぁちなみに檻も私の一部よ」
魔物。そんなものがこの世にいるのだろうか。
だがそう言われるとしっくりくる姿をしている。そしてそれを聞いてもう大事一つ質問があった。
「……俺は死んだのか？」
死ぬ直前、地面に落ちた記憶がある。その記憶が正しければ俺は生きているのだろう。だが魔物なんて見たことがない。というか常識的に考えて存在する物ではないだろう。しかし俺が死んだというのならその常識は通用しなくなる。なら俺は死んでいるのだろうか。
彼女は目をそらしながら答えた。
「……どうかしらね？まぁどちらにせよ私は貴方のことを離さないわ、ここで私と取り合ってくれた初めての人間なんだもの」
俺にとってとても大事なことをどうかしらね、で濁した彼女。そこを深く聞こうと思ったがそれ以上に気になることを言っていた気がした。
「……離さない？ なにする気だ」
少し身構えて聞くが彼女は軽く返事を返してくる。
「別に、何をするわけでもないわ……貴方は認めて貰えず寂しいみたいだったわね。私も寂しいわ。ここでただ一人ずっとここにいた。生きてた頃もずっと独り……もちろん死ぬときもね」
この発言を聞き、彼女が死者とわかった。
これは異常な光景だが、不思議と死者と話していること、それは恐くはない。むしろ慣れてきていることに少し恐怖を覚える。彼女は話を続ける。
「だから一緒に居て貰うのよ、お話相手もしくは私たちが必要とする精の補給相手としてね。まぁ人間的には結婚とでもおもってもらえばいいわ」
急に話が飛躍している気がする。質問することがたくさん出てきた。
「精の補給？ け、結婚？ ど、どういうことだ？」
彼女はこちらをジッ見ながら答える。
「魔物は人間の精がごちそうなの、 悪いようにはしないわ、たっくさん交わって気持ち良くしてあげる」
普通なら恥ずかしくていえないようなことを彼女は軽々言ってのける。それも魔物？ と言う物のせいだろうか。
「そのかわり私は寂しがり屋で嫉妬深いの、私の話し相手は貴方しかいないのに貴方が他の人と話すなんて許せないわ、たとえその相手が男だろうが猫だろうが犬だろうがね。
あ、もちろんこの外に出ることも許さないわよ出られないと思うけどね」
にこりと笑って彼女は言う。とっても綺麗で飲まれてしまいそうな笑顔だが、内容が笑える内容ではない気がするのだが……
「まっ待ってくれ、な、なんで俺なんだ」
怯える俺に近づきながら彼女が答える。
「あら、言ったでしょう？ ここにはあまり人が来ないのよ、来たとしても私の声を聞いて驚いて帰ってしまうわ」
そりゃ物影に隠れて声をかけたら誰でも驚く気がするが……いや、そんなこと恐くていえないが。
「それに……貴方は私が誰かもわからないのに本心で話してくれたじゃない、泣くほど思い出すのも苦しい話なら、しないで嘘をつけば良かったじゃない」
「……それは」
確かに俺はあの時なんの考えもせずに本当のことを話した。嘘を言う。そんな考えなどなかった。……もしかしたら誰かに話したかったのかもしれない。
「そんな人が悪い人なわけないわ、それに同じ寂しがり屋。私は貴方のことが気に入ったの」
彼女は真っ直ぐこちらを見て答える……そんなことを言いながらに真っ直ぐと見られると恥ずかしい。俺は目をそらす。
「い、いやだからと言って……」
「さっきの質問答えを濁したから答えてあげるわ。貴方は生きているわ、私がロープを切って助けたの。私は命の恩人よね？」
「うっ……」
やはり俺は生きていたのか。
あの記憶はまちがっていなかった。だがそんなことを考えている場合なさそうだ……
「命の恩人の言うことは聞くべきではないのかしら？ まぁ。私は貴方の寂しさしっかり埋めてあげるわ、だからあなたにも私の寂しさしっかり埋めて貰うわ。利害一致よね。」
「……き、拒否権は」
ニコッと笑う彼女。……あるわけないでしょう？ と言われた気がした。
恐くなって了解する。
「よ、よろしくお、お願いします」
「わかってくれたみたいね」
さて、この監禁生活をどうしようかと考えていると、彼女が身につけていた黒いドレスを脱ぎ青白い肌身体を露わにする。
その光景に一瞬見とれていたが我に返る。
「な、なにしてるんだ！」
焦って目を反らす。
「さて、私と交わってもらうわ」
「……え？」
我ながらマヌケな声が出たと思う。
彼女はどうしたの、と声をかけてきて、手を打ち説明するように話し始める。
「あ、言ってなかったわね私たちと交わると、人間はインキュバスってのになれるの」
「イ、インキュバス？」
彼女は頷いて答える。
「ええ、寿命も延びて、精の補給ももっと出来るようになるわ。それに私が人間の精をたべるようにインキュバスは私の魔力さえあればお腹が空かなくなるわ。」
なるほど……そう言う物があるのか。なんて冷静に考えていると、彼女の顔が目の前に来る。
「じゃあ、始めましょうか」
彼女を見ているだけで一瞬頭がぼぅっとなるが首を振って自分を取り戻す。
「い、いやでもまってそんな急に」
後ずさろうと直ぐに檻に背中が当たった。明らかに檻がさっきより狭くなっている。
「とりあえず1週間程度繋がっていましょうか。そしたらまぁ途中でインキュバスになれるでしょう」
彼女には俺の話が聞こえているのだろうか。逃げ場がなくなった状態で恐ろしいことを彼女は言ってきた気がした。
「い、1週間ずっと？ し、死ぬんじゃ」
「さっきまで死にたいと言っていたはずじゃ？ それに交わらなくても餓死するだけよ？
まぁ死んだとしてももう一回捕まえるわ」
彼女はもうお互いの吐息のかかる距離まで近づいてくる。
「ま、待って」
「待たないわ、あ、言ってなかったわね私の名前は……名乗ろうかと思ったけど、まぁ2人しかここには居ないのだから名前なんて必要ないかしらね？」
「やめ……んぁ……」
彼女は唇で俺の口を塞いできた。ねっとりと俺の口の中を蹂躙するようなキス。俺はキスだけで全く頭が動かなくなる。
もう檻は2人がギリギリ入って居られる程度の大きさになっている。
「ぷはぁ……さぁゆっくりと愛し合いましょう？ 時間はいくらでもあるわ」
そう言ってまた彼女は唇を重ねてきた。
――急なことが多すぎてパニックだが、どうやら死んだ方が楽だったかもしれない……
だが、人間ではないが同じ寂しがり屋の彼女がずっと一緒に居てくれると言ってくれたこと、それは少し嬉しくもあった。人生で初めて必要とされた気がしていた。
彼女の言っていた『悪いことよりも良いことの方が少しだけ多く起こっていると思う』と言うのは本当なんだろうか。まだどうかわからないがどうやら時間はたくさんありそうだ、ゆっくり考えていくことにしよう。
――――この十分後、彼女のこと以外何も考えられなくなったことは言うまでもない。
16/09/04 02:49更新 / ポルックス