メダルと欲望と毒舌魔女A
娯楽都市ブラックエデン。この世の全ての娯楽が集まるこの都市は、人々からそう呼ばれている。
食べ物、観劇、温泉、ギャンブルなど、娯楽ならば何でもあるこの都市の中心街を、ヒノは一人歩いていた。
左半身にバックを引っかけ、自由になっているはずの右半身、その右手には巨大な串焼きが握られていた。脂身たっぷりの肉をこんがりとウェルダンで焼きあげ、特製の甘辛ソースを滴るほど塗ったステーキ串は、ヒノが豪快にかぶりつく度に肉汁を撒き散らしている。
「やっぱいいよなあ。この街はよ」
くちゃくちゃと行儀悪く肉を咀嚼しながらひとりごちるヒノだが、それを咎める者も、後ろ指をさす者もいない。皆、自分の幸せを謳歌するのに忙しいのである。
民家の壁に寄り掛かり、再び肉をかじる。煉瓦作りの壁のごつごつした感覚を背中に感じながら、ヒノは往来を行き交う人々を眺めていた。
男性の腕に両手でしがみつき、その肩に顔を寄せるワーキャット。一人の青年を二人掛かりで逆ナンパするサキュバス。大きい声で野菜を売るゴブリン。フードファイトをしているベルゼブブ。多種多様な種族の者達がこの街には溢れている。それだけ多くの欲も溢れているのだろう。
気がつけば、串焼きはすっかり腹に収まり切っており、細長い木串だけになってしまっていた。
ぐぎゅるるるる。
しばらく親指と人差し指で串を弄んでいた彼女だったが、腹の虫はまだ満足してくれていないようだ。
「こんくらいじゃ腹膨れねぇな。やっぱ、がっつり食うか」
少し先の方にあるごみ箱に木串を投げ込み、バックを背負い直すと、再びその喧騒の中へと向かって行くのだった。
「あんの糞ババア・・・、マジ死ねよ・・・」
深い森の中、一人の幼女が歩いていた。黒のトンガリ帽子に、これまた黒のローブ。右手には夜の闇のように真っ黒なオーブを掴んでおり、その姿はまるで童話に描かれる魔女のようだ。
否。彼女は正真正銘の魔女なのだ。
名はクレット。その愛くるしい筈の顔は、憎悪や苛立ちで醜く歪んでいる。「その美貌に女神も裸足で逃げ出す」という表現があるが、今の彼女の顔を見ようものなら、女神も泣き叫んで逃げ出すだろう。
「アタシは研究で忙しいってのにさあ、パワハラだよパワハラ」
どうやら彼女は彼女でやりたいことがあったようだが、上司のバフォメットに無理矢理仕事を押し付けられたらしい。
「つか魔力反応でないし!何が『これがあればすぐに見つかるわい!』だよ!全然使えないよ!」
そう言って持っていたオーブを思い切り地面に投げ付ける。バウンドしなければ、割れることもなくオーブは地面を転がる。クレットの苛々は収まらないようで、その細い足で何度も何度も踏み付ける。
げしげし。
踏み付ける。
げしげしげし。
まだ踏み付ける。
げしげし、ごつっ。
踏み付けラッシュのフィニッシュに踵落とし。
「はぐっ・・・くあああ・・・」
思ったより硬かったらしい。踵を押さえて悶絶。相当痛かったらしく、若干垂れた目からは大粒の涙が流れていた。
「・・・これも全部あの糞ババアのせいだ・・・」
そこは自業自得ではないのだろうか。しかし、バフォメットへの憎悪で満たされた心には、冷静な思考というものは微塵も存在していないようだ。
「あー、マジないわー・・・」
完全にやる気ゼロになってしまったのだろうか。服が汚れるのも構わず、その小さい体をうつ伏せにして倒れ混んだ。
「マジやってられないし・・・」
ものの数十秒もせずに起き上がり、服に付いた土を払う。
その顔はイタズラを思いついた子供のような、意地の悪い笑みを浮かべている。
「行こうかね、ブラックエデン!」
「おーす」
「いらっしゃいませー」
「あら、珍しい顔がきたわね」
店の扉を開けると、テーブルを拭いていた金髪の青年が挨拶をし、それに続くようにして女性の声が掛けられる。砕けた口調からは、ヒノとこの女性が親しい間柄であることが分かる。
「半年ぶりってとこか?」
「そーね、だいたいその位」
「あの、店長のお知り合いですか?」
「おう!俺はヒノって言うんだ」
「あ、僕はヒナタです。ヒナタ・レイク」
「私はティセ・ホワイトストーンよ」
「「いや、知ってる(ますから)」」
褐色肌の女性の言葉に声を揃えて突っ込む二人。
「ふふ、食べに来たんでしょ、ヒノ。何にする?」
「そーだな。がっつりめの奴を頼む」
「オッケー。ヒナタ、用意しなさい」
「あの、まだテーブルのセットが終わって・・・」
「すぐやらないとぶっ叩くわよ?」
いつの間に出したのか、手に鞭を構えて、満面の笑みを浮かべているティセ。
「・・・はい。すぐ用意します・・・」
ヒナタは折れた。所詮バイトの身分なんてそんなもんである。テーブルを拭いていた布巾を綺麗に折り畳むと、前掛けを巻いて調理場へと消えていった。
「それにしても珍しいよな」
「何が?」
「ダークエルフが経営する飲食店ってのもさ」
ダークエルフは元来、加虐的な気質の者が多い種族である。それを踏まえると確かに、奉仕的な職種である飲食店は、ダークエルフとは反りが合わない職種に感じる。
「そんなことないと思うけど・・・」
「色んなとこ回ったけどよ、こういうとこで働いてるダークエルフなんて見たことねーぞ」
「そう・・・」
そこで一度言葉を切り静かに瞬き。
「じゃあ、話してあげるわ。この仕事をしてる訳」
けばけばしい紫の付け爪をつけた人差し指が示すは店の調理場。オープンキッチンとなっているため、ヒノ達が座っているテーブルからも容易にヒナタの姿を見ることが出来る。店長の理不尽な要求に答えるため、必死に手を動かしている。後ろで何かを茹でていたのか、目先の作業に集中し過ぎて、吹き零れそうな鍋の火を慌てて消したり、しきりに時計を確認しているあたり、ティセの罰則をかなり怖れているようだ。
「あの姿。私のお仕置きが怖くて必死に、必死に何かをする姿。男の子が何かを恐れて必死に足掻く姿を見るのが私は大好きなの。こういうことしてればやりやすいでしょ?」
(歪んでんなあ・・・)
ダークエルフという種族特徴を踏まえれば、間違ってはいないのかもしれない。だが、仕事をそのような価値観で営んでいるというのは、歪んでいるとしか思えなかった。
「さて、ヒノ」
「あん?」
「また、旅の話聞かせてくれないかしら?」
「ああ、いいぜ」
金髪の青年が汗水たらして調理に励んでいる間、二人の人外の女性達は楽しく談笑しているのだった。
「お待たせしました。ハンバーグセットです」
「お、きたきた」
しばらくしてヒナタが料理を持ってきた。
熱々に熱せられた鉄板に乗った特大サイズのハンバーグ、付け合わせのサラダとパン。どれも大盛と呼べる量のものばかりで、とても豪快なセットメニューとなっていた。
「ん、超うめぇぞ!」
「ありがとうごさいます」
ハンバーグをナイフで切ると、中からは肉汁が溢れ出す。口に運ぶとジューシーな味が口いっぱいに広がる。特製のニンニクソースは肉の旨味を一層引き立てる。
ハンバーグで脂っこくなった舌を休ませるため、つぎにヒノはサラダにフォークを伸ばした。レタスとサニーレタス、更にキャベツを要り混ぜた合わせ野菜に、赤と黄色のパプリカ、それにプチトマトで彩りよく盛り合わせられ、そこにまんべんなく掛けられたドレッシングが光沢を放っている。フォークを突き立てると、シャクッという爽やかな音が耳を潤す。口にすればその音はさらに確かなものとなってヒノを癒した。酸っぱめの味付けのドレッシングが脂まみれの舌を洗い流していく。あとに残るは心地よいすっきりした感覚。
そして次に口にするは、付け合わせのバゲット。外は固いものの、内側はふんわりとしており、適度に乾いたバゲットがヒノの舌から余分な水分を吸いとっていく。
一通り料理を味わったヒノは改めてテーブルの上を見て驚いた。成人男性だとしても食べきれるかどうかというレベルの量だったが、それをもう半分近く食べてしまっていたのだ。常人よりも食べる方だし、これくらいの量ならば時間は掛かれども、食べきれるだろうと考えていた。だが、大して食べた気がしないにも関わらず、料理が既に自分の胃袋に消えていたと考えると、ヒナタの料理の腕はかなりのものであると感じた。
「ん・・・、ヒナタ、お前いい嫁さんになんぜ」
「嫁って・・・僕男なんですけど」
「あらいいじゃない。ヒナタの旦那さんが羨ましいわ」
「店長まで!?」
ショックを受ける青年を尻目に、意気投合する二人。そしてヒナタを見て笑顔で告げる。
「いいことヒナタ?」
「な、何ですか?」
ティセの笑顔に言い様のない恐怖を感じるヒナタ。
「偉い人は言ったわ。『こんな可愛い子が女の子のはずがない』と」
「・・・訳が分かりません」
「つまり需要があるの」
「どうゆうことでs」
「需要があるの」
「いやだからd」
「需・要・が・あ・る・の」
「もういいです・・・」
これ以上詮索すると、色々大変なことになりそうなので、ヒナタは再び折れた。
バイトの青年とその上司のやり取りを、ヒノはクスクスと笑いながら料理を楽しむのだった。
「ホント、良いとこだな。ここは」
「いえ、ここまで汚れた最低な場所は他に見たことが有りませんよ」
和やかな一時を打ち破る言葉。感情の起伏が感じられない冷淡な物言いには、強い嫌悪感が感じられた。
声の主は眼鏡をかけた短髪の男であった。ヒノ達のテーブルから離れた位置で本を読んでいた彼だったが、本を閉じると静かに立ち上がった。人間味のない仮面のような無表情は真っ直ぐヒノ達に向けられ、同時にこの男が招かれざる客であることも容易に推測することが出来た。
「・・・なんだよアンタ」
「魔族を受け入れるというだけでも許しがたい罪だというのに」
ヒノの問いには答えず、芝居がかった口調で怒りを表す男。
「それだけでなく、禁欲などとは無縁なこの街を最低の街と言わず何と言う!?」
鉄仮面のような顔を歪ませ、怒りを放出させた。
「このような街は、消え去らねばなりません。我らが神の名の元に!」
そういい放つと、男は閉じていた本から栞を抜き出した。いや、よく見ればそれは栞ではなかった。長方形の小さな紙に、蜘蛛のイラストがかかれている。それを右頬に男が当てると。
(spider!)
男の声とは違う無機質な声が発せられると、男の頬にどす黒い血管が浮かんだ。
「私が・・・汚れし者共の魂を神に捧げる!」
そして男の体が光に包まれる。その光の中で男はその輪郭を変えていく。明らかに、人とは呼べぬ者へ。
「なんだよ・・・コイツ・・・」
光が収まると、男は異形へと姿を変えていた。
頭には三角形を描くように幾つもの赤い複眼が付き、その下には人の腕ならば簡単に噛み千切れそうな鋭い昆虫の顎。胴体は黒と黄色のストライプ模様の甲殻。肩にはそれぞれ3つずつ蜘蛛の足を模した鋭い爪が生えていた。そして頬に先ほどのカードが埋め込まれ、異形の不気味さを強調している。
「手始めにここ一帯を浄化する!」
男の声で蜘蛛の異形が喋ると同時にヒノ達に襲いかかった。
食べ物、観劇、温泉、ギャンブルなど、娯楽ならば何でもあるこの都市の中心街を、ヒノは一人歩いていた。
左半身にバックを引っかけ、自由になっているはずの右半身、その右手には巨大な串焼きが握られていた。脂身たっぷりの肉をこんがりとウェルダンで焼きあげ、特製の甘辛ソースを滴るほど塗ったステーキ串は、ヒノが豪快にかぶりつく度に肉汁を撒き散らしている。
「やっぱいいよなあ。この街はよ」
くちゃくちゃと行儀悪く肉を咀嚼しながらひとりごちるヒノだが、それを咎める者も、後ろ指をさす者もいない。皆、自分の幸せを謳歌するのに忙しいのである。
民家の壁に寄り掛かり、再び肉をかじる。煉瓦作りの壁のごつごつした感覚を背中に感じながら、ヒノは往来を行き交う人々を眺めていた。
男性の腕に両手でしがみつき、その肩に顔を寄せるワーキャット。一人の青年を二人掛かりで逆ナンパするサキュバス。大きい声で野菜を売るゴブリン。フードファイトをしているベルゼブブ。多種多様な種族の者達がこの街には溢れている。それだけ多くの欲も溢れているのだろう。
気がつけば、串焼きはすっかり腹に収まり切っており、細長い木串だけになってしまっていた。
ぐぎゅるるるる。
しばらく親指と人差し指で串を弄んでいた彼女だったが、腹の虫はまだ満足してくれていないようだ。
「こんくらいじゃ腹膨れねぇな。やっぱ、がっつり食うか」
少し先の方にあるごみ箱に木串を投げ込み、バックを背負い直すと、再びその喧騒の中へと向かって行くのだった。
「あんの糞ババア・・・、マジ死ねよ・・・」
深い森の中、一人の幼女が歩いていた。黒のトンガリ帽子に、これまた黒のローブ。右手には夜の闇のように真っ黒なオーブを掴んでおり、その姿はまるで童話に描かれる魔女のようだ。
否。彼女は正真正銘の魔女なのだ。
名はクレット。その愛くるしい筈の顔は、憎悪や苛立ちで醜く歪んでいる。「その美貌に女神も裸足で逃げ出す」という表現があるが、今の彼女の顔を見ようものなら、女神も泣き叫んで逃げ出すだろう。
「アタシは研究で忙しいってのにさあ、パワハラだよパワハラ」
どうやら彼女は彼女でやりたいことがあったようだが、上司のバフォメットに無理矢理仕事を押し付けられたらしい。
「つか魔力反応でないし!何が『これがあればすぐに見つかるわい!』だよ!全然使えないよ!」
そう言って持っていたオーブを思い切り地面に投げ付ける。バウンドしなければ、割れることもなくオーブは地面を転がる。クレットの苛々は収まらないようで、その細い足で何度も何度も踏み付ける。
げしげし。
踏み付ける。
げしげしげし。
まだ踏み付ける。
げしげし、ごつっ。
踏み付けラッシュのフィニッシュに踵落とし。
「はぐっ・・・くあああ・・・」
思ったより硬かったらしい。踵を押さえて悶絶。相当痛かったらしく、若干垂れた目からは大粒の涙が流れていた。
「・・・これも全部あの糞ババアのせいだ・・・」
そこは自業自得ではないのだろうか。しかし、バフォメットへの憎悪で満たされた心には、冷静な思考というものは微塵も存在していないようだ。
「あー、マジないわー・・・」
完全にやる気ゼロになってしまったのだろうか。服が汚れるのも構わず、その小さい体をうつ伏せにして倒れ混んだ。
「マジやってられないし・・・」
ものの数十秒もせずに起き上がり、服に付いた土を払う。
その顔はイタズラを思いついた子供のような、意地の悪い笑みを浮かべている。
「行こうかね、ブラックエデン!」
「おーす」
「いらっしゃいませー」
「あら、珍しい顔がきたわね」
店の扉を開けると、テーブルを拭いていた金髪の青年が挨拶をし、それに続くようにして女性の声が掛けられる。砕けた口調からは、ヒノとこの女性が親しい間柄であることが分かる。
「半年ぶりってとこか?」
「そーね、だいたいその位」
「あの、店長のお知り合いですか?」
「おう!俺はヒノって言うんだ」
「あ、僕はヒナタです。ヒナタ・レイク」
「私はティセ・ホワイトストーンよ」
「「いや、知ってる(ますから)」」
褐色肌の女性の言葉に声を揃えて突っ込む二人。
「ふふ、食べに来たんでしょ、ヒノ。何にする?」
「そーだな。がっつりめの奴を頼む」
「オッケー。ヒナタ、用意しなさい」
「あの、まだテーブルのセットが終わって・・・」
「すぐやらないとぶっ叩くわよ?」
いつの間に出したのか、手に鞭を構えて、満面の笑みを浮かべているティセ。
「・・・はい。すぐ用意します・・・」
ヒナタは折れた。所詮バイトの身分なんてそんなもんである。テーブルを拭いていた布巾を綺麗に折り畳むと、前掛けを巻いて調理場へと消えていった。
「それにしても珍しいよな」
「何が?」
「ダークエルフが経営する飲食店ってのもさ」
ダークエルフは元来、加虐的な気質の者が多い種族である。それを踏まえると確かに、奉仕的な職種である飲食店は、ダークエルフとは反りが合わない職種に感じる。
「そんなことないと思うけど・・・」
「色んなとこ回ったけどよ、こういうとこで働いてるダークエルフなんて見たことねーぞ」
「そう・・・」
そこで一度言葉を切り静かに瞬き。
「じゃあ、話してあげるわ。この仕事をしてる訳」
けばけばしい紫の付け爪をつけた人差し指が示すは店の調理場。オープンキッチンとなっているため、ヒノ達が座っているテーブルからも容易にヒナタの姿を見ることが出来る。店長の理不尽な要求に答えるため、必死に手を動かしている。後ろで何かを茹でていたのか、目先の作業に集中し過ぎて、吹き零れそうな鍋の火を慌てて消したり、しきりに時計を確認しているあたり、ティセの罰則をかなり怖れているようだ。
「あの姿。私のお仕置きが怖くて必死に、必死に何かをする姿。男の子が何かを恐れて必死に足掻く姿を見るのが私は大好きなの。こういうことしてればやりやすいでしょ?」
(歪んでんなあ・・・)
ダークエルフという種族特徴を踏まえれば、間違ってはいないのかもしれない。だが、仕事をそのような価値観で営んでいるというのは、歪んでいるとしか思えなかった。
「さて、ヒノ」
「あん?」
「また、旅の話聞かせてくれないかしら?」
「ああ、いいぜ」
金髪の青年が汗水たらして調理に励んでいる間、二人の人外の女性達は楽しく談笑しているのだった。
「お待たせしました。ハンバーグセットです」
「お、きたきた」
しばらくしてヒナタが料理を持ってきた。
熱々に熱せられた鉄板に乗った特大サイズのハンバーグ、付け合わせのサラダとパン。どれも大盛と呼べる量のものばかりで、とても豪快なセットメニューとなっていた。
「ん、超うめぇぞ!」
「ありがとうごさいます」
ハンバーグをナイフで切ると、中からは肉汁が溢れ出す。口に運ぶとジューシーな味が口いっぱいに広がる。特製のニンニクソースは肉の旨味を一層引き立てる。
ハンバーグで脂っこくなった舌を休ませるため、つぎにヒノはサラダにフォークを伸ばした。レタスとサニーレタス、更にキャベツを要り混ぜた合わせ野菜に、赤と黄色のパプリカ、それにプチトマトで彩りよく盛り合わせられ、そこにまんべんなく掛けられたドレッシングが光沢を放っている。フォークを突き立てると、シャクッという爽やかな音が耳を潤す。口にすればその音はさらに確かなものとなってヒノを癒した。酸っぱめの味付けのドレッシングが脂まみれの舌を洗い流していく。あとに残るは心地よいすっきりした感覚。
そして次に口にするは、付け合わせのバゲット。外は固いものの、内側はふんわりとしており、適度に乾いたバゲットがヒノの舌から余分な水分を吸いとっていく。
一通り料理を味わったヒノは改めてテーブルの上を見て驚いた。成人男性だとしても食べきれるかどうかというレベルの量だったが、それをもう半分近く食べてしまっていたのだ。常人よりも食べる方だし、これくらいの量ならば時間は掛かれども、食べきれるだろうと考えていた。だが、大して食べた気がしないにも関わらず、料理が既に自分の胃袋に消えていたと考えると、ヒナタの料理の腕はかなりのものであると感じた。
「ん・・・、ヒナタ、お前いい嫁さんになんぜ」
「嫁って・・・僕男なんですけど」
「あらいいじゃない。ヒナタの旦那さんが羨ましいわ」
「店長まで!?」
ショックを受ける青年を尻目に、意気投合する二人。そしてヒナタを見て笑顔で告げる。
「いいことヒナタ?」
「な、何ですか?」
ティセの笑顔に言い様のない恐怖を感じるヒナタ。
「偉い人は言ったわ。『こんな可愛い子が女の子のはずがない』と」
「・・・訳が分かりません」
「つまり需要があるの」
「どうゆうことでs」
「需要があるの」
「いやだからd」
「需・要・が・あ・る・の」
「もういいです・・・」
これ以上詮索すると、色々大変なことになりそうなので、ヒナタは再び折れた。
バイトの青年とその上司のやり取りを、ヒノはクスクスと笑いながら料理を楽しむのだった。
「ホント、良いとこだな。ここは」
「いえ、ここまで汚れた最低な場所は他に見たことが有りませんよ」
和やかな一時を打ち破る言葉。感情の起伏が感じられない冷淡な物言いには、強い嫌悪感が感じられた。
声の主は眼鏡をかけた短髪の男であった。ヒノ達のテーブルから離れた位置で本を読んでいた彼だったが、本を閉じると静かに立ち上がった。人間味のない仮面のような無表情は真っ直ぐヒノ達に向けられ、同時にこの男が招かれざる客であることも容易に推測することが出来た。
「・・・なんだよアンタ」
「魔族を受け入れるというだけでも許しがたい罪だというのに」
ヒノの問いには答えず、芝居がかった口調で怒りを表す男。
「それだけでなく、禁欲などとは無縁なこの街を最低の街と言わず何と言う!?」
鉄仮面のような顔を歪ませ、怒りを放出させた。
「このような街は、消え去らねばなりません。我らが神の名の元に!」
そういい放つと、男は閉じていた本から栞を抜き出した。いや、よく見ればそれは栞ではなかった。長方形の小さな紙に、蜘蛛のイラストがかかれている。それを右頬に男が当てると。
(spider!)
男の声とは違う無機質な声が発せられると、男の頬にどす黒い血管が浮かんだ。
「私が・・・汚れし者共の魂を神に捧げる!」
そして男の体が光に包まれる。その光の中で男はその輪郭を変えていく。明らかに、人とは呼べぬ者へ。
「なんだよ・・・コイツ・・・」
光が収まると、男は異形へと姿を変えていた。
頭には三角形を描くように幾つもの赤い複眼が付き、その下には人の腕ならば簡単に噛み千切れそうな鋭い昆虫の顎。胴体は黒と黄色のストライプ模様の甲殻。肩にはそれぞれ3つずつ蜘蛛の足を模した鋭い爪が生えていた。そして頬に先ほどのカードが埋め込まれ、異形の不気味さを強調している。
「手始めにここ一帯を浄化する!」
男の声で蜘蛛の異形が喋ると同時にヒノ達に襲いかかった。
11/05/23 02:41更新 / Joker!
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