前編
「私ね、ライール君の事が好きなの…。」
「ほほう?…それはまた…面白い事を言うのだな….君は…。」
今、僕は学校の体育館裏で一人の女性に告白されている。今僕の目の前に立っている女性は正確には人間ではなくサキュバスという魔物である。名前はフローラと言って、僕と同じクラスではないが制服のリボンの色を見る限り同級生のようだ。
確かにここ、人魔共通の高等学校では人と魔物のカップルは珍しいわけでは無い。むしろ独り身よりもカップルの方が多いくらいである。今、僕がサキュバスに告白されているという状況はこの学校においては日常茶飯事の出来事であるのだ。
紹介が遅れてしまった。僕の名前はライール・ディ・シュバルツェン。誇り高きシュバルツェン家の一人息子で「紳士らしく」をモットーに日々を生きている。
しかし、僕は今、少し困惑している。何故ならば僕はこれまで女性に告白された経験が無いからだ。
僕は生まれてからずっと自分を磨き続けてきた。父上のような立派で素晴らしい紳士になる為に。ただひたすらに磨いてきた。勉学、スポーツ、作法、身だしなみ…など全てにおいて自分のベストを尽くし、その結果様々な成績を残すことが出来ているし、僕が考える理想の紳士像に一歩ずつ近づいている事だろう。
だが、たった今僕は気付かされた。僕はこれまで女性と交際はおろか友達にすらなったことが無かったのだ。
何たる不覚だ。こんなことになるとわかっていたならば、この時が来るまでに自宅の書斎に籠って女性の手ほどきについて一から勉強していたというのに…。今までの僕は女性に対してはまるで眼中になかった。女性に対して興味が無かったかと言われればウソになるが、今までの僕は完璧な紳士になるまできっと女性は僕の事を見向きもしないだろうと思って無意識的に逃げていたのかもしれない…。僕にこのような弱点があったとは…。実に、実に無念だ…。
しかし、僕は今目の前に立ちふさがるこの逆境に背を向け逃げるわけにはいかない。逃げ出したくなるような逆境の中においても背を向けず、勇気をもって立ち向かう。それでこそ紳―
「…あのー、ライール君?」
目の前にいる女性から不意に声をかけられて僕の意識は現実に引き戻された。
「っは!ああ、すまない、少し考え事をしていてね…。」
いかんいかん、少し考えすぎていたようだ。そのせいで彼女を少し困らせていたようだ…。
彼女に視線を戻すと、彼女は僕を心配した顔で覗き込んでいた。
「大丈夫?なんだか私が告白してから顔がずーっと上の空というか…。熱があるの?」
不安そうな顔を浮かべた彼女は僕と彼女の鼻がつくかつかないか絶妙な所まで顔を急に近づけてきた。急に動いたせいで彼女のなめらかでつやのある漆黒の髪がなびき、そこからふわりと香る彼女の髪の匂い。ラベンダーのように凛とした香りと砂糖菓子のような甘い香りが合わさったなんとも言葉では表せない香り。だが、とにかく人を夢中にさせるというか、惑わせるというかそんな危険な香りがしてなおさら困惑してしまう。心臓は早鐘のように鳴り、どんどん自分の視界が狭まっていっているのがわかる。このような事を冷静に考えている間、彼女はしびれを切らしたのか、こつんと優しく彼女の額を僕の額に当ててきたのだ。ただ単に額を当ててきただけであるというのに、僕はひどく混乱し慌ててしまう。
「熱は…無いみたいだね。健康そのもの。」
「あ、当たり前だっ…。し、紳士たたたる者、体調の一つや二つくらい…コントロールできなくては...。」
彼女が常に発している、女の子だから発せられるのか魔物だから発せられるのか結論付けられない謎の魔法にかかってしまった僕は、完全に緊張してしまい話す言葉もどこか上ずっていた。情けない姿だ。女性を前にしてこのような情けない態度しか取れないとは….。そんなみっともない僕の姿を見て彼女は笑っている。
「ふふふ、体調に一つも二つもないよ?体は一つだけなんだから、大事にしなきゃ。」
「確かに、そうだ…。体調に一つも二つも―」
僕の言葉を言い終わる前に彼女がいきなり僕の手を取り、頬を朱く染めて僕を見つめてきた。同時に目が合い、お互い無言になってしまう。少し時間が経った後彼女が先に切り出してきた。
「ライール君…。さっき私が言った事なんだけど、どうかな?」
「うぅ!?」
マズイぞこの状況は。僕が完璧な紳士であったならば彼女の愛をここで受け入れ、結婚を前提にした仲睦まじい交際をする事が出来るであろう。しかし、今の僕は完璧な紳士ではないのだ…。ここで己の本能に従ってしまっては後にきっと彼女を悲しませてしまい、お互いに傷つき、別れるという悲劇を招きかねない。しかし、ここで彼女の好意を無下にしてしまえば彼女を傷つける結果になるだろう。一体僕はどうすればいいのだろうか…。
っは!そうだ!こうしよう!こうすれば大丈夫だ!これでこそ僕の紳士としての威厳が保てる上に彼女も少し考えるだろう!ならば、善は急げだ!
「フッ、時にフローラ君、君は、魔法は得意かな?」
「魔法?一応全部の科目の中では一番得意だけど…。」
「ふふ、その言葉を待っていた…。君はサキュバスで間違いないね?」
「うん、サキュバスだけど…。あのー、ライール君?」
彼女は今少し困った顔をしているだろう…。しかし、今から僕が言う言葉を聞けば彼女は必ず目の色を変えるだろう…。さぁ、言うぞ!
「サキュバスならば、魅了の魔法を使って僕を堕としてみせろ!」
「え!?」
ふふふ、そら見た事か、彼女の目の色が変わった。そして彼女が困惑した今がチャンスだ。今のうちに畳みかける…!
「フフフ、君が僕を堕とす日を待って―」
「待って。」
その捨て台詞と共に僕がその場を立ち去ろうとした瞬間彼女は僕の制服の袖を摘み、僕を引き留めた。彼女は顔を先ほどよりも朱く染め僕を見つめていた。その眼には決心したような確かな眼光があった。
「この場で、君を、ライール君を堕としてもいいのよね?」
「あぁ、勿論だとも!だが僕は甘くないぞ!サキュバスの魔法に引っかかるほど僕は柔くない!」
これでも僕は魔法には長けており、いつも成績、実績共に学内のトップテンには入っている。紳士たるもの何事においても優秀でなくてはいけないのだ。しかしこの言葉は虚勢でもある。実際にサキュバスはかなり魔術に長けていると噂されているもしかしたら僕のような人間はイチコロなのかもしれない。
「ふふ、サキュバスの魅了の魔法だよ?それこそ甘く見ない方がいいんじゃない?本当に堕ちちゃっても知らないよ?」
「僕の精神がどれだけ強いか、見せてやろう!さぁ!来い!」
「じゃあ、いくよ…。私の想い、受け取って…。」
僕は覚悟を決めて目を閉じ、両腕を広げ空を仰いだ。たとえ彼女の魔術で堕ちてしまったとしても僕は僕だ!どんな状況でもめげずに前向きである事。それが紳士だ!
彼女が呪文の詠唱を終え、僕に向けて魔法を放つ。それを僕は体全体で受け止めた!
僕の身体を通して感じる彼女の魔力。それが僕の身体に入り込み僕を蝕むかと思いきや、彼女の魔力はそのまま僕の身体を通り抜けた。
僕の意識はいたって冷静で正常であった。サキュバスの魅了の魔法を正面からまともに受けても全く効果は無かったのだ!目を開け彼女の方を見ると彼女は魔法が効かなかったショックからか、おろおろし、その場で立ち往生していた。
「あれ?なんで?」
彼女は困惑した表情を浮かべ、ささやかな疑問を僕に投げかける。
「言っただろう、僕を甘く見るなとな!フフフ!だがこれっきりと言うわけでは無い!いつでも僕は待っているぞ!では、さらばだ!」
僕は高らかに宣言しながら彼女の前を去った。彼女はまだオロオロしており僕を引き留めることはしなかった。
僕は歩きながら、なぜサキュバスの魅了の魔法が効かなかったか考えた。だが結局分からずじまいであった。そして僕には一抹の不安が残っていた。それは自分のこの挑戦が結果彼女を傷つける事になってしまったのではないのかというものだった。
その日はその不安からかあまり眠れず僕は10分ほど夜更かしをしてしまったのだ。
私が彼に魅了の魔法をかけた次の日。私は少し憂鬱であった。私は確かに彼に魅了の魔法をかけたはずなのに何故か彼には通じなかった。私が扱える魔法の中でも魅了の魔法は特に得意な分野のはずなのに、なぜか彼には効かなくて、せっかく目の前に未来永劫を共にする夫がいたのに、しかも「犯してくれ」と言わんばかりのメッセージを彼から受け取ったというのに…。私の魅了の魔法が彼に効かなかったせいで、せっかくの夫をその場で手に入れることが出来なかった。しかも今まで絶対の自信を持っていた魅了の魔法が効かなかったという事実が私の心をチクチクと傷つけていた。
こんな精神状態では日々の生活に力が入るはずもなく、現に私は今教室の机に顔を突っ伏していた。
そんな私を傍でなだめている人物が一人いた。金色の輝く髪を短く均等に切り詰めた清潔感のある髪型に、気だるそうに垂れた目尻、その中にある朱色の瞳は机に突っ伏した私の姿を明確に捉えている。
彼女はハルカ。私の幼い時からの付き合いで、よく私の相談に乗ってくれる私の親友だ。
彼女も私と同じ魔物で、種族はヴァンパイアの血と人間の血が混ざり合った割とレアな種族のダンピールだ。そして今私は彼女に相談をしている最中であった。
「あー、まだ拗ねてる。いい加減に機嫌治しなよ、フローラ。」
「だってぇ、ハルカぁ…。」
「一体全体どしたの、いつもニコニコして悩みなんてなさそうな顔をしている君がこんなにもウジウジしているなんて…珍しいな…。」
涙目になっている私をしばらく見つめていたハルカは突然何かを思いついたように少し目を見開き、少しどぎまぎした後、ぎこちない様子で私に近づき口元を私の耳元へ持っていき恐る恐るしゃべり始めた。
「まさか、逃げられちゃったの…?」
「うん…。」
「あちゃー、やっぱりかぁ…。彼、少し気難しい所あるからちょっと厳しいかなぁって思ってたんだけど…。」
ハルカは心底残念そうな表情を浮かべ頭をポリポリと掻いた。私自身の失敗なのにまるで自分自身が失敗したかのような表情を浮かべてくれるハルカに少し感謝の気持ちが浮かんできた。だけど私が落ち込んでいる理由は彼に逃げられたからじゃない。その事をハルカに言わなくては…。
「ありがとう。でもね、私が落ち込んでいるのは彼に逃げられたからじゃないの。実際彼はいつでも待ってるって言ってくれたし…。」
「あれ、じゃあなんで落ち込んでいるんだい?原因がそれじゃないとしたら私には皆目見当がつかないよ。」
「実はね…。」
私はハルカに彼に告白した後の事を離した。彼が魅了の魔法で自分を堕とすことが出来たならば私と付き合うことを了承してくれること、そしてすぐに彼に向けて魅了の魔法を放ったが彼には効かなかったこと、そして私がショックを受けている間に彼が逃げてしまったことを、私の話を聞き終えたハルカは呆れと驚きが混ざったような顔を浮かべていた。
「えぇ…。あの魔法、魔導学``だけ``なら本校ナンバーワン、フローラの最も得意とする魅了の魔法が彼に効かなかった?それは、何というか…。そのー、彼、ライール君か、どういう体の構造をしているんだい?君程の手慣れの魅了の魔法となると、普通の一般人男性の中でも最も性的欲求が強い時期と言われる16歳男児なら即堕ちしてもおかしくないのに。」
「``だけ``って…。ハルカ、ひどい…。あーあ、彼、同性愛者なのかなぁ…。」
さりげなくハルカにからかわれた事と、ハルカの私が直面した事実を突きつける発言で、私の気分は下がる一方だ。確かに私は魔法、魔導学以外の成績はからっきしである事も、彼に向けて放った魅了の魔法が効かなかったのも事実だ。落ち込んでしまったからか、私らしくもない消極的な考えがつい出てきてしまう。私の後ろ向きな言葉を聞いて少し心配そうな顔を浮かべたハルカは励ますように私に話しかけた。
「そんな事は無いと思うよ。少なくとも彼は同性愛者じゃない。君の話を聞く限りね。君が彼を魅了の魔法にかけれたなら、彼は君と付き合う事を了承しているんだろう?きっと彼なりの照れ隠しさ。そして、君の魅了の魔法が彼に効果が無かったのも偶然だよ。ゲームで敵に状態異常をかけようとしたけどミスした程度のことさ。」
「そうだといいんだけど…。」
「うーん、まだ神妙な顔だねぇ、なんでだろ。」
私が神妙な顔になっているのには訳があった。私は腐っても欲しい男はものにする淫魔の代表格、サキュバスだ。そのサキュバスが一人の気になる男に魅了魔法をかけたが、男は魅了魔法にかかることなく逃げ出した。魔法が効かなかったのはハルカが言うような偶然かもしれないが、淫魔のトップクラスであるサキュバスの魅了の魔法がミスするなど言語道断である。そんな事を考えていると私の中でふつふつとした挑戦心が湧き出てきた。
あの時言っていたようにもし私の魅了の魔法に彼が一度でもかかったなら、私は未来永劫を共にできる夫を手に入れることが出来る。このチャンスは絶対に逃せない。絶対に彼を私の魅了の魔法で堕として見せる。絶対に。
よし、まずは魅了の魔法の基本構造から見直して―
「おーい、フローラ?大丈夫?」
「あぁ、ごめんね、ちょっと考え事してて。」
ハルカに声をかけられ、ふと我に返った。深く考えすぎてハルカの声に気付かなかった。小さいころから考え始めると周りの声が聞こえなくなってしまうのが私の悪い癖だ。しかし、今は自分の癖の事よりもハルカに言わなければいけない事がある。
「やっぱり、フローラは考えてる時恐ろしいくらい無言になるから、友達の私でも心配しちゃうよ。」
「ハルカ、私、考えている事があるの。聞いてくれるかな。」
ハルカの話を半ば遮るようにして私はしゃべり始めた。私の顔から私の真意を読み取ったのか、ハルカはすぐ神妙な面持ちになって私の話を聞く体制になってくれた。その姿を見て私は再度いい友人を持ったなと思うのであった。
「そういう事があったのだよ…。フッ、僕も中々の人気者になったというわけだな。」
「へぇー、お前の事が好きな奴なんていたんだ、相当物好きだな、そいつ。しかし、魅了魔法をかけそこなうって相当ドジだな、そいつ。」
「僕の事を愚弄するのは構わないが、僕に勇気を出して告白してくれた彼女を愚弄するのはやめたまえ、彼女に失礼だ。」
「へいへい。」
日々の学校の授業の合間に設けられる学生たちの憩いの時間、昼休み。その昼休みの時間中僕は友人と昼食を食べつつ他愛もない会話にふけっていた。僕の目の前に座っている友人は僕のこの学園内での最初の友人にして、最高の友であるイガラシ・ユウスケだ。彼はいつも僕の話を真剣に聞いてくれる。はずなのだが、なぜか今日の彼は何が気に食わなかったのか少し複雑そうな顔をしている。彼が少し頭をかくと彼は恐る恐る口を開いた。
「で、誰に告白されたんだ?」
「ほほう、彼女の名前を聞きたいと申すのか。それは少し難しい質問だな。ここで僕が彼女の名前を言えば、彼女の尊厳が―」
僕が言葉を言い終わる前にユウスケは僕の目の前から消え、知らぬ間に僕の背後に立っていた。そして僕の耳を片手で掴むとものすごい力で僕の耳を上に引っ張り上げたのだ。
「あだだだだだだだ」
激しい痛みが僕を襲う。そう、何を隠そうこのライール・ディ・シュバルツェンの最大の弱点は耳を引っ張り上げられることなのだ。そしてその事を知っているのは唯一無二の友人のユウスケだけである。そうのんきに考えている間も痛みは僕を襲う。
「もったいぶらずに早く言え。」
ユウスケは僕から有力な情報を引き出したいときはいつもこうするのだ。僕の電話番号、メールアドレス、テストの点数、昨日の晩御飯、機密情報など、様々な情報をこの方法によって彼は獲得しているのだ。これをされると僕はあまりの痛みにユウスケに屈服せざるを得なくなるが、今回は話が別だ。彼女の尊厳を守る為にもここは譲れない。
「ぐっ!また…その攻撃かっ…!残念だったが、僕は強くなった…!この程度の攻撃で―」
「あっそ、じゃあ…。」
ユウスケはそう言った後、空いていたもう一方の手で僕のこめかみから生えている髪を掴み一気に上に引っ張り上げたのだった。耳の痛みとこめかみの痛み。二つの痛みの相乗作用により僕が受ける痛みは数倍に跳ね上がった。今まで感じた事のない痛みに頭の中が真っ白になってしまう。
「ああっ!痛い痛い痛い!」
「今のうちに言っちまった方が身のためだぞ。」
「わ、分かった。言おう!言うから、早く手を離すのだ!早く!」
ユウスケが手を離すと僕は地獄のような痛みから解放される、そして僕は後悔した。また負けてしまった。しかし後悔と同時にこのような思いも浮かんできた。この地獄のような痛みに耐えられる者がいるわけがない。自分の弱点を一番効果的な方法で執拗に攻撃されていると同時にもう一つの自分でも知らない弱点をこれまた最も効果的な方法で攻撃されれば誰だって耐えることはできない。それが英雄ヘラクレスのような強靭な者であってもだ。やはりユウスケは強い。ユウスケならばきっと強靭なヘラクレスをも涼しい顔でやっつけてしまうだろう…。
「で、誰なんだ?誰に告白された?」
「くっ、君は悪魔なのか?これではまるで拷問じゃないか…。僕が苦しむだけでなく彼女の尊厳も―」
「ささっと言わないともう一回やるぞ。」
またもユウスケは僕の言葉を遮る。しかも今彼が浮かべている顔は僕と同い年とは思えないような恐ろしい顔だ。たとえるならばジパングの伝統的な面の種類の一つ、「ハンニャ」のような、何とも言えない恐ろしさを秘めている。
「クソっ…!僕もここまでか…!わかった!潔く言おうではないか!」
僕もこれ以上ユウスケの技によって苦しめられたくない、これ以上彼の技で苦しめられてしまえばきっと僕は死んでしまうであろう。ここは潔く覚悟を決めて彼女の名前を言ってしまおう!時には潔く自分の事を言うのも紳士になるには必要なことかもしれない。あぁ、神よ、ひ弱な僕を許したまえ…。
「僕を告白しに来た女性だが、同級生のフローラ君だ。」
「は?」
彼女の名前を聞いた瞬間にユウスケは困惑した表情を浮かべた。なぜユウスケが困惑しているのか僕には今一つ理解できなかった。そしてユウスケはいきなり僕の目の前まで顔を近づけて恐る恐る口を開いた。
「お前、あの魔法・魔導学の天才のフローラから魅了魔法を受けたの?」
「そ、そうだが…。」
ユウスケは血相を変えて僕を見つめていた。そんなに意外だったのか彼は動揺しながら話を続けた。
「お前、どんなマジック使ったんだ?魔法の天才から魅了魔法を受けて無事って一体全体どういう事なんだ?」
ユウスケは彼女の魅了魔法が僕に効かなかったことがよほど意外だったらしく、少し話し方が興奮していた。
「僕も少し考えてみたが、理由は全く持って不明だ。確かに彼女の魔法を受けた感覚はあったが、そのまま彼女の魔力が抜けていく感じがしただけだ。僕にもよくわからない。」
「お前一体どういう体のつくりしてんだ…。まぁとにかく、面倒な事になったな。フローラ、多分これからずっとお前を追っかけまわしてくるぞ?」
「フッ、その程度受けて立つ。僕はいつでも来いと彼女に言ったのだからな。その点はもう既に覚悟しているよ。」
「それならいいんだけど…」
自分で言った言葉に責任を持てないようでは紳士を名乗る資格は無いと僕は思う。だからあの時僕が彼女に去り際に言った「いつでも待っている」という言葉に責任を持ち、いついかなる時でも彼女から魅了の魔法をかけられてもいいという覚悟を持たなければならない。僕にはすでにその覚悟が出来ている。
「もうすぐ昼休みが終わるから早く飯、食っちまおうぜ。」
「何!?」
ユウスケの言葉を聞き自分の懐中時計を見てみると昼休みが終了するまで残り10分であった。そして今僕は、今朝僕が早起きして自分で作ってきたお弁当を一口も食べていなかった。
「こうしてはいられないぞ!ユウスケ!なるべく早く昼食を味わいながら食べるぞ!」
「相変わらず忙しいよな、お前。」
僕の言葉に面倒そうに答えるユウスケであったが、その顔には嫌悪感はまるで含まれていなかった。僕の言葉や行動にいつも真摯に向き合ってくれる。やはりユウスケは僕の最高の友だ!
「しまった!箸が無い!」
「あー、マジか。」
今日の僕の昼食はいささか野性的になりそうであった。
「ライール君!今日あなたを呼んだのは他でもないわ!」
「フッ!現れたな僕を貶めようとする妖艶な者よ!」
彼に告白してから少し時間が経って、私はもう一度彼を呼び出した。目的はもちろん彼に魔法をかけて堕ちてもらう為である。
ハルカに相談して約一週間。私は自分の魅了の魔法に少し改良点を加えた。今まで自分は直感的に魔法を使いすぎていたのだ。前回、彼に魔法が効かなかったのも直感的に放った魔法だったため、魔法にどこかしら欠陥があったからだろう。しかし、今回は違う。いつも教科書など開かない私が珍しく教科書を開いて魅了の魔法についてのページを上から下まで熟読し、完成させた最強の魅了魔法。ここまで完璧に仕上げたのだから欠陥などあるはずがない。
「今回の魔法は一味違うわよ!果たして君は正気でいられるかな?」
「君の二度目の挑戦…受けて立とう!このライール・ディ・シュバルツェンがっ!」
自信満々の彼の表情が私の魅了魔法で蕩けていくのを想像すると自然と笑みがこぼれた。そしてそのまま呪文を詠唱していく。詠唱している最中も彼はその威風堂々とした態度を崩さずにずっと私を見ている。今度こそ、堕としてみせる。その凛とした態度を徹底的に崩してあげる。
「いくよ…!覚悟してねっ…!」
「さぁっ!来いっ!君の力を僕に見せてみろ!!!」
詠唱を終えて、私は一気に自分の魔力を彼に向けて放った。まばゆい桃色の光が彼の身体を貫く。彼の身体が桃色の光に包まれていき、見えるのは彼のシルエットだけであった。彼のシルエットはふらふらとどこかおぼつかない様子であった。ついに私の魅了の魔法が効いたかと思った時だった。私の予想に反して彼は涼しい顔で私の前に姿を現した。そして私の目の前に立つと目をこれでもかというくらいに見開き大きく息を吸い高らかに笑い始めた。
「フッ、ハハハハハ!どうした!フローラ君!僕はこの通り何もないぞ!」
「えっ、嘘…。そんな…。」
まただ。また彼に魅了の魔法は通じなかった。教科書通りにしかやらなかったから?でも直感で放った魔法もダメだったし…。どうして私の魔法は彼に効かないの?どうして?そんな疑問が頭をぐるぐるしている間にも彼は高らかに喋りつづけた。
「フフフ、今回も僕は君を負かしてしまったようだな。だが!僕は君が必ず僕を魅了魔法で堕とせる日が来ると信じている!では、さらばだ!また会おう!」
そう言って彼は一方的にかつ高らかにしゃべって私の前から去っていった。またこの前と同じように逃げられた。私の中にはどこにもやり場のない悔しさと自分に対しての怒りだけが残った。どうして彼には魅了の魔法がかからないのか、教科書通りにやってもうまくいかなっかった為に私は更に困惑してしまった。直感でも駄目だったし、教科書通りやってもダメだった。この二つの事実に困惑している私はふとある考えを導き出した。
「もう、こうなったら、ありとあらゆる魔法を試すしかない…!危ない魔法だって組み合わせる…!絶対!彼を堕としてやるんだから!」
もう何を考えても分からないなら、手当たり次第やってみよう。という考えだった。その考えが頭の中に出た瞬間私は立ち上がり、再び図書室へ向かうのだった…。
「ほほう?…それはまた…面白い事を言うのだな….君は…。」
今、僕は学校の体育館裏で一人の女性に告白されている。今僕の目の前に立っている女性は正確には人間ではなくサキュバスという魔物である。名前はフローラと言って、僕と同じクラスではないが制服のリボンの色を見る限り同級生のようだ。
確かにここ、人魔共通の高等学校では人と魔物のカップルは珍しいわけでは無い。むしろ独り身よりもカップルの方が多いくらいである。今、僕がサキュバスに告白されているという状況はこの学校においては日常茶飯事の出来事であるのだ。
紹介が遅れてしまった。僕の名前はライール・ディ・シュバルツェン。誇り高きシュバルツェン家の一人息子で「紳士らしく」をモットーに日々を生きている。
しかし、僕は今、少し困惑している。何故ならば僕はこれまで女性に告白された経験が無いからだ。
僕は生まれてからずっと自分を磨き続けてきた。父上のような立派で素晴らしい紳士になる為に。ただひたすらに磨いてきた。勉学、スポーツ、作法、身だしなみ…など全てにおいて自分のベストを尽くし、その結果様々な成績を残すことが出来ているし、僕が考える理想の紳士像に一歩ずつ近づいている事だろう。
だが、たった今僕は気付かされた。僕はこれまで女性と交際はおろか友達にすらなったことが無かったのだ。
何たる不覚だ。こんなことになるとわかっていたならば、この時が来るまでに自宅の書斎に籠って女性の手ほどきについて一から勉強していたというのに…。今までの僕は女性に対してはまるで眼中になかった。女性に対して興味が無かったかと言われればウソになるが、今までの僕は完璧な紳士になるまできっと女性は僕の事を見向きもしないだろうと思って無意識的に逃げていたのかもしれない…。僕にこのような弱点があったとは…。実に、実に無念だ…。
しかし、僕は今目の前に立ちふさがるこの逆境に背を向け逃げるわけにはいかない。逃げ出したくなるような逆境の中においても背を向けず、勇気をもって立ち向かう。それでこそ紳―
「…あのー、ライール君?」
目の前にいる女性から不意に声をかけられて僕の意識は現実に引き戻された。
「っは!ああ、すまない、少し考え事をしていてね…。」
いかんいかん、少し考えすぎていたようだ。そのせいで彼女を少し困らせていたようだ…。
彼女に視線を戻すと、彼女は僕を心配した顔で覗き込んでいた。
「大丈夫?なんだか私が告白してから顔がずーっと上の空というか…。熱があるの?」
不安そうな顔を浮かべた彼女は僕と彼女の鼻がつくかつかないか絶妙な所まで顔を急に近づけてきた。急に動いたせいで彼女のなめらかでつやのある漆黒の髪がなびき、そこからふわりと香る彼女の髪の匂い。ラベンダーのように凛とした香りと砂糖菓子のような甘い香りが合わさったなんとも言葉では表せない香り。だが、とにかく人を夢中にさせるというか、惑わせるというかそんな危険な香りがしてなおさら困惑してしまう。心臓は早鐘のように鳴り、どんどん自分の視界が狭まっていっているのがわかる。このような事を冷静に考えている間、彼女はしびれを切らしたのか、こつんと優しく彼女の額を僕の額に当ててきたのだ。ただ単に額を当ててきただけであるというのに、僕はひどく混乱し慌ててしまう。
「熱は…無いみたいだね。健康そのもの。」
「あ、当たり前だっ…。し、紳士たたたる者、体調の一つや二つくらい…コントロールできなくては...。」
彼女が常に発している、女の子だから発せられるのか魔物だから発せられるのか結論付けられない謎の魔法にかかってしまった僕は、完全に緊張してしまい話す言葉もどこか上ずっていた。情けない姿だ。女性を前にしてこのような情けない態度しか取れないとは….。そんなみっともない僕の姿を見て彼女は笑っている。
「ふふふ、体調に一つも二つもないよ?体は一つだけなんだから、大事にしなきゃ。」
「確かに、そうだ…。体調に一つも二つも―」
僕の言葉を言い終わる前に彼女がいきなり僕の手を取り、頬を朱く染めて僕を見つめてきた。同時に目が合い、お互い無言になってしまう。少し時間が経った後彼女が先に切り出してきた。
「ライール君…。さっき私が言った事なんだけど、どうかな?」
「うぅ!?」
マズイぞこの状況は。僕が完璧な紳士であったならば彼女の愛をここで受け入れ、結婚を前提にした仲睦まじい交際をする事が出来るであろう。しかし、今の僕は完璧な紳士ではないのだ…。ここで己の本能に従ってしまっては後にきっと彼女を悲しませてしまい、お互いに傷つき、別れるという悲劇を招きかねない。しかし、ここで彼女の好意を無下にしてしまえば彼女を傷つける結果になるだろう。一体僕はどうすればいいのだろうか…。
っは!そうだ!こうしよう!こうすれば大丈夫だ!これでこそ僕の紳士としての威厳が保てる上に彼女も少し考えるだろう!ならば、善は急げだ!
「フッ、時にフローラ君、君は、魔法は得意かな?」
「魔法?一応全部の科目の中では一番得意だけど…。」
「ふふ、その言葉を待っていた…。君はサキュバスで間違いないね?」
「うん、サキュバスだけど…。あのー、ライール君?」
彼女は今少し困った顔をしているだろう…。しかし、今から僕が言う言葉を聞けば彼女は必ず目の色を変えるだろう…。さぁ、言うぞ!
「サキュバスならば、魅了の魔法を使って僕を堕としてみせろ!」
「え!?」
ふふふ、そら見た事か、彼女の目の色が変わった。そして彼女が困惑した今がチャンスだ。今のうちに畳みかける…!
「フフフ、君が僕を堕とす日を待って―」
「待って。」
その捨て台詞と共に僕がその場を立ち去ろうとした瞬間彼女は僕の制服の袖を摘み、僕を引き留めた。彼女は顔を先ほどよりも朱く染め僕を見つめていた。その眼には決心したような確かな眼光があった。
「この場で、君を、ライール君を堕としてもいいのよね?」
「あぁ、勿論だとも!だが僕は甘くないぞ!サキュバスの魔法に引っかかるほど僕は柔くない!」
これでも僕は魔法には長けており、いつも成績、実績共に学内のトップテンには入っている。紳士たるもの何事においても優秀でなくてはいけないのだ。しかしこの言葉は虚勢でもある。実際にサキュバスはかなり魔術に長けていると噂されているもしかしたら僕のような人間はイチコロなのかもしれない。
「ふふ、サキュバスの魅了の魔法だよ?それこそ甘く見ない方がいいんじゃない?本当に堕ちちゃっても知らないよ?」
「僕の精神がどれだけ強いか、見せてやろう!さぁ!来い!」
「じゃあ、いくよ…。私の想い、受け取って…。」
僕は覚悟を決めて目を閉じ、両腕を広げ空を仰いだ。たとえ彼女の魔術で堕ちてしまったとしても僕は僕だ!どんな状況でもめげずに前向きである事。それが紳士だ!
彼女が呪文の詠唱を終え、僕に向けて魔法を放つ。それを僕は体全体で受け止めた!
僕の身体を通して感じる彼女の魔力。それが僕の身体に入り込み僕を蝕むかと思いきや、彼女の魔力はそのまま僕の身体を通り抜けた。
僕の意識はいたって冷静で正常であった。サキュバスの魅了の魔法を正面からまともに受けても全く効果は無かったのだ!目を開け彼女の方を見ると彼女は魔法が効かなかったショックからか、おろおろし、その場で立ち往生していた。
「あれ?なんで?」
彼女は困惑した表情を浮かべ、ささやかな疑問を僕に投げかける。
「言っただろう、僕を甘く見るなとな!フフフ!だがこれっきりと言うわけでは無い!いつでも僕は待っているぞ!では、さらばだ!」
僕は高らかに宣言しながら彼女の前を去った。彼女はまだオロオロしており僕を引き留めることはしなかった。
僕は歩きながら、なぜサキュバスの魅了の魔法が効かなかったか考えた。だが結局分からずじまいであった。そして僕には一抹の不安が残っていた。それは自分のこの挑戦が結果彼女を傷つける事になってしまったのではないのかというものだった。
その日はその不安からかあまり眠れず僕は10分ほど夜更かしをしてしまったのだ。
私が彼に魅了の魔法をかけた次の日。私は少し憂鬱であった。私は確かに彼に魅了の魔法をかけたはずなのに何故か彼には通じなかった。私が扱える魔法の中でも魅了の魔法は特に得意な分野のはずなのに、なぜか彼には効かなくて、せっかく目の前に未来永劫を共にする夫がいたのに、しかも「犯してくれ」と言わんばかりのメッセージを彼から受け取ったというのに…。私の魅了の魔法が彼に効かなかったせいで、せっかくの夫をその場で手に入れることが出来なかった。しかも今まで絶対の自信を持っていた魅了の魔法が効かなかったという事実が私の心をチクチクと傷つけていた。
こんな精神状態では日々の生活に力が入るはずもなく、現に私は今教室の机に顔を突っ伏していた。
そんな私を傍でなだめている人物が一人いた。金色の輝く髪を短く均等に切り詰めた清潔感のある髪型に、気だるそうに垂れた目尻、その中にある朱色の瞳は机に突っ伏した私の姿を明確に捉えている。
彼女はハルカ。私の幼い時からの付き合いで、よく私の相談に乗ってくれる私の親友だ。
彼女も私と同じ魔物で、種族はヴァンパイアの血と人間の血が混ざり合った割とレアな種族のダンピールだ。そして今私は彼女に相談をしている最中であった。
「あー、まだ拗ねてる。いい加減に機嫌治しなよ、フローラ。」
「だってぇ、ハルカぁ…。」
「一体全体どしたの、いつもニコニコして悩みなんてなさそうな顔をしている君がこんなにもウジウジしているなんて…珍しいな…。」
涙目になっている私をしばらく見つめていたハルカは突然何かを思いついたように少し目を見開き、少しどぎまぎした後、ぎこちない様子で私に近づき口元を私の耳元へ持っていき恐る恐るしゃべり始めた。
「まさか、逃げられちゃったの…?」
「うん…。」
「あちゃー、やっぱりかぁ…。彼、少し気難しい所あるからちょっと厳しいかなぁって思ってたんだけど…。」
ハルカは心底残念そうな表情を浮かべ頭をポリポリと掻いた。私自身の失敗なのにまるで自分自身が失敗したかのような表情を浮かべてくれるハルカに少し感謝の気持ちが浮かんできた。だけど私が落ち込んでいる理由は彼に逃げられたからじゃない。その事をハルカに言わなくては…。
「ありがとう。でもね、私が落ち込んでいるのは彼に逃げられたからじゃないの。実際彼はいつでも待ってるって言ってくれたし…。」
「あれ、じゃあなんで落ち込んでいるんだい?原因がそれじゃないとしたら私には皆目見当がつかないよ。」
「実はね…。」
私はハルカに彼に告白した後の事を離した。彼が魅了の魔法で自分を堕とすことが出来たならば私と付き合うことを了承してくれること、そしてすぐに彼に向けて魅了の魔法を放ったが彼には効かなかったこと、そして私がショックを受けている間に彼が逃げてしまったことを、私の話を聞き終えたハルカは呆れと驚きが混ざったような顔を浮かべていた。
「えぇ…。あの魔法、魔導学``だけ``なら本校ナンバーワン、フローラの最も得意とする魅了の魔法が彼に効かなかった?それは、何というか…。そのー、彼、ライール君か、どういう体の構造をしているんだい?君程の手慣れの魅了の魔法となると、普通の一般人男性の中でも最も性的欲求が強い時期と言われる16歳男児なら即堕ちしてもおかしくないのに。」
「``だけ``って…。ハルカ、ひどい…。あーあ、彼、同性愛者なのかなぁ…。」
さりげなくハルカにからかわれた事と、ハルカの私が直面した事実を突きつける発言で、私の気分は下がる一方だ。確かに私は魔法、魔導学以外の成績はからっきしである事も、彼に向けて放った魅了の魔法が効かなかったのも事実だ。落ち込んでしまったからか、私らしくもない消極的な考えがつい出てきてしまう。私の後ろ向きな言葉を聞いて少し心配そうな顔を浮かべたハルカは励ますように私に話しかけた。
「そんな事は無いと思うよ。少なくとも彼は同性愛者じゃない。君の話を聞く限りね。君が彼を魅了の魔法にかけれたなら、彼は君と付き合う事を了承しているんだろう?きっと彼なりの照れ隠しさ。そして、君の魅了の魔法が彼に効果が無かったのも偶然だよ。ゲームで敵に状態異常をかけようとしたけどミスした程度のことさ。」
「そうだといいんだけど…。」
「うーん、まだ神妙な顔だねぇ、なんでだろ。」
私が神妙な顔になっているのには訳があった。私は腐っても欲しい男はものにする淫魔の代表格、サキュバスだ。そのサキュバスが一人の気になる男に魅了魔法をかけたが、男は魅了魔法にかかることなく逃げ出した。魔法が効かなかったのはハルカが言うような偶然かもしれないが、淫魔のトップクラスであるサキュバスの魅了の魔法がミスするなど言語道断である。そんな事を考えていると私の中でふつふつとした挑戦心が湧き出てきた。
あの時言っていたようにもし私の魅了の魔法に彼が一度でもかかったなら、私は未来永劫を共にできる夫を手に入れることが出来る。このチャンスは絶対に逃せない。絶対に彼を私の魅了の魔法で堕として見せる。絶対に。
よし、まずは魅了の魔法の基本構造から見直して―
「おーい、フローラ?大丈夫?」
「あぁ、ごめんね、ちょっと考え事してて。」
ハルカに声をかけられ、ふと我に返った。深く考えすぎてハルカの声に気付かなかった。小さいころから考え始めると周りの声が聞こえなくなってしまうのが私の悪い癖だ。しかし、今は自分の癖の事よりもハルカに言わなければいけない事がある。
「やっぱり、フローラは考えてる時恐ろしいくらい無言になるから、友達の私でも心配しちゃうよ。」
「ハルカ、私、考えている事があるの。聞いてくれるかな。」
ハルカの話を半ば遮るようにして私はしゃべり始めた。私の顔から私の真意を読み取ったのか、ハルカはすぐ神妙な面持ちになって私の話を聞く体制になってくれた。その姿を見て私は再度いい友人を持ったなと思うのであった。
「そういう事があったのだよ…。フッ、僕も中々の人気者になったというわけだな。」
「へぇー、お前の事が好きな奴なんていたんだ、相当物好きだな、そいつ。しかし、魅了魔法をかけそこなうって相当ドジだな、そいつ。」
「僕の事を愚弄するのは構わないが、僕に勇気を出して告白してくれた彼女を愚弄するのはやめたまえ、彼女に失礼だ。」
「へいへい。」
日々の学校の授業の合間に設けられる学生たちの憩いの時間、昼休み。その昼休みの時間中僕は友人と昼食を食べつつ他愛もない会話にふけっていた。僕の目の前に座っている友人は僕のこの学園内での最初の友人にして、最高の友であるイガラシ・ユウスケだ。彼はいつも僕の話を真剣に聞いてくれる。はずなのだが、なぜか今日の彼は何が気に食わなかったのか少し複雑そうな顔をしている。彼が少し頭をかくと彼は恐る恐る口を開いた。
「で、誰に告白されたんだ?」
「ほほう、彼女の名前を聞きたいと申すのか。それは少し難しい質問だな。ここで僕が彼女の名前を言えば、彼女の尊厳が―」
僕が言葉を言い終わる前にユウスケは僕の目の前から消え、知らぬ間に僕の背後に立っていた。そして僕の耳を片手で掴むとものすごい力で僕の耳を上に引っ張り上げたのだ。
「あだだだだだだだ」
激しい痛みが僕を襲う。そう、何を隠そうこのライール・ディ・シュバルツェンの最大の弱点は耳を引っ張り上げられることなのだ。そしてその事を知っているのは唯一無二の友人のユウスケだけである。そうのんきに考えている間も痛みは僕を襲う。
「もったいぶらずに早く言え。」
ユウスケは僕から有力な情報を引き出したいときはいつもこうするのだ。僕の電話番号、メールアドレス、テストの点数、昨日の晩御飯、機密情報など、様々な情報をこの方法によって彼は獲得しているのだ。これをされると僕はあまりの痛みにユウスケに屈服せざるを得なくなるが、今回は話が別だ。彼女の尊厳を守る為にもここは譲れない。
「ぐっ!また…その攻撃かっ…!残念だったが、僕は強くなった…!この程度の攻撃で―」
「あっそ、じゃあ…。」
ユウスケはそう言った後、空いていたもう一方の手で僕のこめかみから生えている髪を掴み一気に上に引っ張り上げたのだった。耳の痛みとこめかみの痛み。二つの痛みの相乗作用により僕が受ける痛みは数倍に跳ね上がった。今まで感じた事のない痛みに頭の中が真っ白になってしまう。
「ああっ!痛い痛い痛い!」
「今のうちに言っちまった方が身のためだぞ。」
「わ、分かった。言おう!言うから、早く手を離すのだ!早く!」
ユウスケが手を離すと僕は地獄のような痛みから解放される、そして僕は後悔した。また負けてしまった。しかし後悔と同時にこのような思いも浮かんできた。この地獄のような痛みに耐えられる者がいるわけがない。自分の弱点を一番効果的な方法で執拗に攻撃されていると同時にもう一つの自分でも知らない弱点をこれまた最も効果的な方法で攻撃されれば誰だって耐えることはできない。それが英雄ヘラクレスのような強靭な者であってもだ。やはりユウスケは強い。ユウスケならばきっと強靭なヘラクレスをも涼しい顔でやっつけてしまうだろう…。
「で、誰なんだ?誰に告白された?」
「くっ、君は悪魔なのか?これではまるで拷問じゃないか…。僕が苦しむだけでなく彼女の尊厳も―」
「ささっと言わないともう一回やるぞ。」
またもユウスケは僕の言葉を遮る。しかも今彼が浮かべている顔は僕と同い年とは思えないような恐ろしい顔だ。たとえるならばジパングの伝統的な面の種類の一つ、「ハンニャ」のような、何とも言えない恐ろしさを秘めている。
「クソっ…!僕もここまでか…!わかった!潔く言おうではないか!」
僕もこれ以上ユウスケの技によって苦しめられたくない、これ以上彼の技で苦しめられてしまえばきっと僕は死んでしまうであろう。ここは潔く覚悟を決めて彼女の名前を言ってしまおう!時には潔く自分の事を言うのも紳士になるには必要なことかもしれない。あぁ、神よ、ひ弱な僕を許したまえ…。
「僕を告白しに来た女性だが、同級生のフローラ君だ。」
「は?」
彼女の名前を聞いた瞬間にユウスケは困惑した表情を浮かべた。なぜユウスケが困惑しているのか僕には今一つ理解できなかった。そしてユウスケはいきなり僕の目の前まで顔を近づけて恐る恐る口を開いた。
「お前、あの魔法・魔導学の天才のフローラから魅了魔法を受けたの?」
「そ、そうだが…。」
ユウスケは血相を変えて僕を見つめていた。そんなに意外だったのか彼は動揺しながら話を続けた。
「お前、どんなマジック使ったんだ?魔法の天才から魅了魔法を受けて無事って一体全体どういう事なんだ?」
ユウスケは彼女の魅了魔法が僕に効かなかったことがよほど意外だったらしく、少し話し方が興奮していた。
「僕も少し考えてみたが、理由は全く持って不明だ。確かに彼女の魔法を受けた感覚はあったが、そのまま彼女の魔力が抜けていく感じがしただけだ。僕にもよくわからない。」
「お前一体どういう体のつくりしてんだ…。まぁとにかく、面倒な事になったな。フローラ、多分これからずっとお前を追っかけまわしてくるぞ?」
「フッ、その程度受けて立つ。僕はいつでも来いと彼女に言ったのだからな。その点はもう既に覚悟しているよ。」
「それならいいんだけど…」
自分で言った言葉に責任を持てないようでは紳士を名乗る資格は無いと僕は思う。だからあの時僕が彼女に去り際に言った「いつでも待っている」という言葉に責任を持ち、いついかなる時でも彼女から魅了の魔法をかけられてもいいという覚悟を持たなければならない。僕にはすでにその覚悟が出来ている。
「もうすぐ昼休みが終わるから早く飯、食っちまおうぜ。」
「何!?」
ユウスケの言葉を聞き自分の懐中時計を見てみると昼休みが終了するまで残り10分であった。そして今僕は、今朝僕が早起きして自分で作ってきたお弁当を一口も食べていなかった。
「こうしてはいられないぞ!ユウスケ!なるべく早く昼食を味わいながら食べるぞ!」
「相変わらず忙しいよな、お前。」
僕の言葉に面倒そうに答えるユウスケであったが、その顔には嫌悪感はまるで含まれていなかった。僕の言葉や行動にいつも真摯に向き合ってくれる。やはりユウスケは僕の最高の友だ!
「しまった!箸が無い!」
「あー、マジか。」
今日の僕の昼食はいささか野性的になりそうであった。
「ライール君!今日あなたを呼んだのは他でもないわ!」
「フッ!現れたな僕を貶めようとする妖艶な者よ!」
彼に告白してから少し時間が経って、私はもう一度彼を呼び出した。目的はもちろん彼に魔法をかけて堕ちてもらう為である。
ハルカに相談して約一週間。私は自分の魅了の魔法に少し改良点を加えた。今まで自分は直感的に魔法を使いすぎていたのだ。前回、彼に魔法が効かなかったのも直感的に放った魔法だったため、魔法にどこかしら欠陥があったからだろう。しかし、今回は違う。いつも教科書など開かない私が珍しく教科書を開いて魅了の魔法についてのページを上から下まで熟読し、完成させた最強の魅了魔法。ここまで完璧に仕上げたのだから欠陥などあるはずがない。
「今回の魔法は一味違うわよ!果たして君は正気でいられるかな?」
「君の二度目の挑戦…受けて立とう!このライール・ディ・シュバルツェンがっ!」
自信満々の彼の表情が私の魅了魔法で蕩けていくのを想像すると自然と笑みがこぼれた。そしてそのまま呪文を詠唱していく。詠唱している最中も彼はその威風堂々とした態度を崩さずにずっと私を見ている。今度こそ、堕としてみせる。その凛とした態度を徹底的に崩してあげる。
「いくよ…!覚悟してねっ…!」
「さぁっ!来いっ!君の力を僕に見せてみろ!!!」
詠唱を終えて、私は一気に自分の魔力を彼に向けて放った。まばゆい桃色の光が彼の身体を貫く。彼の身体が桃色の光に包まれていき、見えるのは彼のシルエットだけであった。彼のシルエットはふらふらとどこかおぼつかない様子であった。ついに私の魅了の魔法が効いたかと思った時だった。私の予想に反して彼は涼しい顔で私の前に姿を現した。そして私の目の前に立つと目をこれでもかというくらいに見開き大きく息を吸い高らかに笑い始めた。
「フッ、ハハハハハ!どうした!フローラ君!僕はこの通り何もないぞ!」
「えっ、嘘…。そんな…。」
まただ。また彼に魅了の魔法は通じなかった。教科書通りにしかやらなかったから?でも直感で放った魔法もダメだったし…。どうして私の魔法は彼に効かないの?どうして?そんな疑問が頭をぐるぐるしている間にも彼は高らかに喋りつづけた。
「フフフ、今回も僕は君を負かしてしまったようだな。だが!僕は君が必ず僕を魅了魔法で堕とせる日が来ると信じている!では、さらばだ!また会おう!」
そう言って彼は一方的にかつ高らかにしゃべって私の前から去っていった。またこの前と同じように逃げられた。私の中にはどこにもやり場のない悔しさと自分に対しての怒りだけが残った。どうして彼には魅了の魔法がかからないのか、教科書通りにやってもうまくいかなっかった為に私は更に困惑してしまった。直感でも駄目だったし、教科書通りやってもダメだった。この二つの事実に困惑している私はふとある考えを導き出した。
「もう、こうなったら、ありとあらゆる魔法を試すしかない…!危ない魔法だって組み合わせる…!絶対!彼を堕としてやるんだから!」
もう何を考えても分からないなら、手当たり次第やってみよう。という考えだった。その考えが頭の中に出た瞬間私は立ち上がり、再び図書室へ向かうのだった…。
16/03/02 23:12更新 / がしわーた
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