読切小説
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美しい世界の開幕
 一ヶ月…だろうか。それ以上かもしれない。
 仲間と近場の山に入り、散策をしていた気がする。とにかく全員が暇で仕方なくて、なにか暇潰しをしようと山に入った。

「流石にこんな近いトコの山じゃ、なんにもないな」
「まぁ、魔物がいるよりはいいだろ」

 そんな会話を、笑いながら話し歩いていた気がする。
 大分歩いた所で、仲間の一人が休憩しようと言い出した。他の仲間もすっかり歩き疲れていたようで、そこで数分ばかり休むことになった。
 仲間が会話を弾ませる中、俺は目を瞑ってぼんやりと山の音に耳を澄ませる。鳥の声と葉の擦れる音、遠くで川が流れる音。山のひんやりした空気が、汗ばんだ体には心地よかった。

「そろそろ帰るか」
「ああ。灯りも持ってきてないし、暗くなる前に引き上げようぜ」

 どうやらぼんやりしている内に日が暮れていたらしい。どこかでカラスが鳴いている。
 続々と立ち上がり、俺も近くの岩に手をついて体を持ち上げる。
 瞬間

「おっ……!」

 ずるりと、手が滑った。感触からして苔むしていたのか、思い切り。
 頭を打つ――と思いきや、体が妙な浮遊感を覚えた。仲間の驚きの声が遠のいていく。
 崖か。どれくらいの高さだろうか。背中を数度打ちながら、ごろごろと岩肌を滑り落ちていく。
 しばらくして転げ落ちる速度が落ち、気づけば地面に仰向けで静止していた。

「いっ……てぇ……。背中、つめてぇ」

 どうにも気絶していたらしい。空気よりもはるかにひんやりとしている地面に鳥肌が立った。
 確かめようにも、暗くてなにも見えない。
 いや、ここは洞窟か。どこからか流水の音が響き、ぴちゃん、ぴちゃんと雫が落ちている。首筋に落ちた時は心臓が止まるかと思った。

「……どっちが上だ? そもそも壁がどこだ?」

 暗闇の中、必死になにかを掴もうと手を伸ばして歩く。仲間の声は一切聞こえない。助けを呼びに行ったか、見失ったか。どちらにせよこの冷たい空間から早く出たくて堪らない。
 バチャリと、大きな水を踏む音がした。
 驚いて足を止める。
 カツン、カツン。石が転がるような音が、一定の間隔で聞こえる。

(なにかいるのか? こんな洞窟に? 人じゃないだろ絶対……)

 どうしたものかと、手を伸ばした状態で静止したまま考える。
 いるとすれば、野生の動物か魔物か。どちらにせよ今一番出会いたくない存在に変わりはない。
 とりあえず離れてくれるのを期待して、じっと待つ。とにかく待つ。
 待てばその内いなくなるだろう。

「何故ここに人間がいるんだ」

 んなこたなかった。

「聞いているのか。何故ここに、人間がいる」
「え。は? 人間? あなたどちら様で?」
「質問に質問で返すとは……お前達は猿か? いやそれ以下か。こんな明るい場所で手探りで歩くとは最悪だな」

 姿は見えないが、とりあえずバカにされているのだけはわかったので腹が立った。

「仕方ないだろう。俺は目が見えないんだ。あんたが人間かどうかもわからん。ここがどこかも知らない」

 ムスッとしながら言うと、しばらくの間沈黙が流れた。なにかおかしなことを言っただろうか。
 カリカリとなにかを擦る音が足元から聞こえる。相手のものだろうか?

「目が見えないのに山に入る……お前はバカか? それとも山に住む猿か」

 突然言葉を発したかと思えばバカにされる。なんなんだこいつは。

「仲間と一緒に来たんだよ。はぐれたけど。出口はどこなんだ」
「そんなの私が知ったことか。私はここで生まれてここで育ってるんでね」
「引き籠りか。使えないな」
「ドジッて落ちて来る奴には言われたくない」

 話がまるで進まない。どうにもこういう奴は苦手だ。そもそも出たことがないとかなに食って生きてるんだ。

「食い物? そこら辺にうじゃうじゃいるだろ」
「……え、まさかコウモリとか食ってるんじゃ」
「当たり前だろ」
「ないわぁ」
「草食う方が理解出来んな」

 どうにも相性が悪い。会話が進まないわバカにされるわで苛々する。
 ふと、カツカツという音が遠のく。ついでに気配も。

「おい、どこ行くんだよ」
「帰って寝るんだ。お前みたいな下等と喋っているくらいなら寝た方が百倍健康にいい」
「せめて出口教えてくれよ」
「知らんと言っただろうが。もう喋るな。耳障りだ」
「じゃあなんでもいいから食えるもんくれ。もうコウモリでもいいよ」
「お前に食わせる飯はない! というか、なに当然のようについて来てるんだ! お前目見えてるだろ!」
「んなもん音と気配で大体分かるだろ。あと匂い」
「気持ち悪いな! 最低最悪だ! 後ろが出口だろ多分!」
「じゃあ進んでる方がお前の家か。やっと休めるな」
「ふざけるな、このタコ!!」
「髪はふさふさだ」

 そんなやり取りを、どれくらいだか続けていた。
 気づけば疲れて眠り、腹が減って地面を這えば「見殺しは後味が悪い」と謎の肉を食わされた。案外美味しかった。
 目が見えないというのは案外役立つもので、どれだけ日数が経過しても会話に変化がないのもあり、あまり時間の経過は気にならなかった。

「私の家から出ていけ!」
「腹減った」
「腹膨れたなら出ていけバカ!」
「おやすみ」
「明日こそ出ていけバカヤロー!」

 毎日のように繰り返していた。
 繰り返していてわかったのは、とりあえずこいつが人間でないこと。足がゴツゴツしていた。何度かボディタッチを試みた結果、女ということ。要は魔物だ。痛かった。
 魔物というのは人間の男に対して発情しきった犬みたいになるなんて変な話を聞いたことはあるが、こいつは毎日バカにしてくれる。どう考えても嘘なんじゃないか? 飯と寝床はくれるからそこは大目に見ることにした。
 あとは……

「あぁっ、イライラするな! いい加減――食ってしまうか!」

 と時折、頭を鷲掴みにして牙を剥いて来るくらいだ。そういう時は適当にボディタッチすれば殴られて罵られて終わる。死ぬよりはマシだろう。
 とはいえ、いつまでこんなことを続けていられるか。

「今の生活に不満はないけど、やっぱり自分のベッドに寝転がりたいよなぁ」
「だったら早く出ていけばいいだろう……お前の相手は疲れるんだ」
「だから見えないんだってば」
「壁に当たらずにこの迷路じみた場所を歩く奴が何を言ってる」
「結構大変だったんだぞ、ここら辺の道覚えるの」

 この周辺の立地は大体覚えた。頭の中で地図を作って、あとはこいつが移動する時に足元やら壁やらの正確な場所を触れて当てはめるだけ。割と大変だ。
 そうやっていてわかったのは、割とここが狭いということだ。
 四方はほとんど壁に覆われていて、ここだけがポツンと空洞になっているような、不思議な形をしている。

「お前、よくこんな場所に棲んでいられるな」
「ここが私の家なんだ。当たり前だろう」
「それもそうか」

 面倒くさそうな返答にも慣れたものだ。
 俺だったら、こんな狭い場所は嫌だが。やはり生き物として根本から違うのだろうか。

「寂しくはないのか? お前友達の一人もいないだろ」
「ずっと一人だった。そんなものは要らん」
「むしろ出来ないだろ、お前の性格じゃ。すぐ食おうとしてくるし」
「食えるものは食うのが当たり前だろう。あと性格は関係ない」

 カリカリと、脚が地面を擦る音がする。これも大分いい音だと思うようになってきた。一日に擦る回数で、その日の気分が良いか悪いか判断も出来る。彼女の癖らしい。

「今日は大分静かだな。お前」
「疲れたと言ってるんだ」
「なんなら俺の胸で眠るか。年中空いてるぞ」
「……」

 無言が胸に突き刺さる。とても痛い。
 こうなると後はうんともすんとも言わなくなる。俺も目を閉じて眠って、また明日同じようなやり取りをする。
 こんな時、ふと目が見えればいいのにと思ってしまう。だってそうすれば、こいつがどんな顔をして眠るかだって見られるのに。
 どんな風に笑って、どんな風に怒って、蔑んで。どんな風に静まるかだって、一目で分かるだろうに。

「きっとどれも可愛いんだろうなぁ……」

 眠っている奴の耳には聞こえないだろうと、ぼやきながら深い深い眠りに落ちた。

    ◇◇◇◇

 次に目が覚めたのは、いつだったのか。正直わからない。
 覚醒した頭に入ってきた情報は、まず音だった。ぐちゃぐちゃと水が零れるような音。次に、あいつの声。いつもとはまるで違う、愉しそうな声。

 変な声を出すなぁ……。

 そう、言いたかった。
 けれど、声が出なかった。
 どれだけ喉を震わせても、ガチガチとした音が鳴るばかり。一体俺の喉はいつ鋏のような音を出すようになったのか。
 それとも、目の前の光景を目の当たりにして絶句でもしたのか。

 直上から差す淡い光に照らされた黒く蠢くような髪と、これが"白い"というものなのかと思わせるほどに眩しい体がそこにあった。
 これが見えるということなのだろうか。何故そうなったのかは知らないが、今まで真っ暗闇な世界しか知らなかった俺にとって、それはただただ……美しいと言えばいいのか。そんな光景だった。

 俺の体なのか知らないが、幾本か伸びるうねうねがそいつの股下を弄っていた。その内の数本が体内に潜り込み、試しに打ち上げると彼女が仰け反り、数倍愉しそうに声を上げる。

 あぁ、愉しそうだな。いやなんで今日に限ってそんな楽しんでるんだ。いつもみたいにバカだの猿だの言わないのか。

 一人嬉しそうな彼女に少しばかりムッとして目を逸らす。

 おや?

 いくつか動いた目の内のひとつが、真上を見上げる。
 ずっと上に、小さな光が見える。
 他の目が下を見る。布切れがいくつかある。服、だろうか? 俺の他にも誰かいたのか。

「あぁっ、やっと二人になれた……もう、もう誰も……誰もっ、私達の邪魔はしない……させな……イ!」

 彼女はとても嬉しそうにそう言った。
 あぁそうか……。
 すぐ真上にある地上。いくつも落ちている服の切れ端。
 どうやら俺は、ずっとこいつに隠されていたようだ。バカと罵ろうが、最悪だと蔑もうが、俺をここから出すまいと、常に捉えていたのか。
 そう思うと、恐怖や怒りよりも一層に愛おしさが湧いて来た。

 もうじきこの場所は完全に閉ざされる。
 俺と彼女の、二人だけの世界へと変わる。
 吐き出される糸が、次第に光を奪っていく。また、あの暗闇に逆戻りになるかもしれない。そうしたらもう、話すことも見ることも出来なくなるのだろうか。

 いや。

 これから永遠にこいつと一緒ならば、今更なにが無くなっても平気だろう。
 何故なら俺は、既にこいつの一部となっているのだから。もう二度と離れることのない……寂しさの一遍もない世界で、生きて行けるのだから。
 最期に見たのは、愛おしさが溢れるばかりの、疲弊しきった少女の微笑みだった。
17/04/13 00:26更新 / らーそ

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蜘蛛になりたいね

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