深海の平和
寒い。
それが、目覚めた瞬間の感想だった。
全身がキンと冷え、息を吐くことは出来ても吸うことが出来ない。
(あれ……ここ、どこ? 上ってどっちだろ)
ぼんやりしている頭で考え、辺りを見回す。
視界はとにかく暗く、光がほとんどない。かろうじて目の前にいるものが見えた。
(さ、魚? なんでこんなとこに……ひょっとして、海の中?)
朱色の魚がひらりと体を翻し、スーッと闇に溶けてゆく。
同じように、ぼくの意識も溶けてゆく中、視界の中にソレ≠見た。
白い衣に身を包んだ人間が、ぼくのほうへ泳いできている。
しかし、きっともう手遅れだろうと、ぼくは目を閉じてしまった。
◇◇◇◇
「……う……うぅん?」
全身を、柔らかな温もりあるものに包まれている感覚で、目が覚めた。
息を吸ってみると、ちゃんと肺に空気が入ってきて、一瞬地上かと思ったが、目の前が青一色なことに気付いた。
(空……じゃない?)
「ここ、は?」
クラクラする頭を片手で押さえ――
「あ、目が覚めました?」
「はあ。……あ?」
不意に頭上から声を掛けられ、反射的に上を見た。
少し高めのアルトの声が似あいそうな、年上とも年下ともとれる綺麗な女性が、ぼくを見下ろしていた。
数秒の間、それが理解できずに口を開けてぼけっとしていると、不意に女性が顔を赤らめた。
「そ、そんなにまじまじと見ないで下さい。恥かしいです……」
「え、あ。ごごごめんなさい!」
ハッとして我に返り、慌てて正面に向き直り――背中に、服越しに伝わる柔らかな感触が、強く押し当てられているように感じた。
なんだろうと確認してみて、自分の目を疑った。
女性が、ぼくに抱きついていたのだ。それも、今見つめあっていた女性が、一糸纏わぬ姿で!
「あわわわ……ど、どういうこと!?」
すっかり気が動転してしまい、キョロキョロと頭を振りまくる。
「落ち着いて下さい。ちゃんと説明しますから」
「説明? ってかここドコ?」
「海の中、です」
「そうか、海の中――はいぃ?」
彼女の言葉に、ますます訳がわからなくなり、とうとう混乱しすぎて逆に冷静になってしまった。
「ここが海の中? だったらなんで息出来るんだ? てゆーか、これ夢?」
「現実です。私が、そういう体にしてしまったんです」
「きみが?」
「はい」
小さくうなずくと、彼女はすっとぼくから離れた。
彼女の体を見て、目を逸らす前に、あっと声を上げていた。
人間の姿をしていると思っていたが、足である部位が魚の尾のようになっていたのだ。
頭には帽子を被っていて、脇にはなにかの石盤のようなものを持っている。
「私はエメローネ。海底に沈んでゆく貴方を助けたのだけど、そのために、そのぅ……」
「?」
彼女――エメローネさんは、頬を一層染めて、口の中でもごもごとなにかをつぶやいている。
そして、なにかを決意したようにぼくを睨んで叫んだ。
「ヤらせてもらいました!」
その言葉に、またぽかんと口を開けて彼女を見る。
「……なにを?」
「で、ですからぁ……そのぅ」
一人でもじもじと手を弄っているエメローネさんを、水中で棒立ち(?)になりながら見守る。
「わ、私達にはですね、儀式を行うことで、貴方達を水中で生活出来るようにすることが可能なんです」
「儀式?」
「えーっと……ああ、もうっ! こんなんです!」
「むぐっ」
首を傾げていると、突然エメローネさんが怒りだし、ぼくに抱き着いてキスをした。
なにが起きたと頭をフル回転させ、その間にもエメローネさんは舌をぼくの唇に這わせる。
「ん……ぅ」
(これ、ひょっとして再現でもしてるのか? んな馬鹿な……けど、目が本気なんだけど)
エメローネさんは顔を離すと、真っ赤に染まった顔でそっぽを向いた。
「こういうことです」
「よくわかんないけど……まぁ、多分大体はわかった……かなぁ」
口に手の甲を当てて答えるけれど、実際はほとんどわかっていなかった。
気絶していたため、頭はまったく覚えてはいないものの、体が若干反応していた。仕方ないね。
「うーん、まさか海の中で……やっぱ覚えてないや。ちぇっ」
「あ、あの……怒ったり、驚かないんですか?」
「怒る? 驚く? なにを」
「いやだって、急にそんなこと言われて」
「ああ、そういうことか。本音を言うと滅茶苦茶驚いてるけど、驚きすぎて逆に頭の中がスッキリしちゃってるのかな。今のトコすんなり受け入れられてる」
今度はエメローネさんがぽかんとして、ぼくをまじまじと見つめていた。
頭を掻きながら、どうしたものかと考える。
「ぼく、あんまり頭良くないからどう言えばいいかわかんないけど……助けてくれたのは本当に感謝してる。ありがとう。で、助けるためになにをしてくれたのかも、とりあえず理解したよ。相手がぼくみたいな凡人ってのがアレだけどね」
「そ、そんなことは」
「ハハ。んで、ぼくとしては、体を張ってまで助けてくれたんだから、怒りも怨みもしないよ。むしろ初体験がきみみたいな綺麗な子で良かったとか思ってるくらい」
苦笑しながら言うと、不思議そうな表情になった。
少し上目遣いでぼくを見上げる姿が、ちょっと可愛いと思う。
「綺麗? 私が、ですか?」
「ん? まぁ、ぼくの中ではかなり」
「私が……あのっ、本当に嫌じゃ」
「だから、嫌でもなんでもないって。むしろ感謝しても足りないくらいで――」
言葉が途中で詰まってしまい、次が出てこない。
けれど、不思議と言わなくてもいいやと思えた。
自然と彼女との差が縮まって、ぼくは彼女を抱きしめていた。
「やっぱり国語は苦手だね。――もしきみが許してくれるなら、ぼくはきみとこのままずっとここにいたいくらいだよ」
「ずっと」
「そう、ずっと。多分ぼくは、きみが好きなんだ。さっきから心臓がばくばく言ってるし」
ぎゅーっと彼女を強く抱きしめてみる。
と、彼女の細い腕が、ぼくの背中に回された。
ぼくらは海の真ん中で、二人きりで抱きしめあった。
「本当? 本当ですか? 私のこと、好きって思ってくれてるんですか」
「そう確認されると、答えるのが恥ずかしいね。うん、好きだよ」
「じゃあ、じゃあ……私とずっと一緒にいてくれますか?」
不安そうな表情を浮かべる彼女に、ぼくはくすぐったい気持ちで口づけした。
数秒そのまま動かず、離れるととびきりの笑顔で答えた。
「もちろん」
彼女が嬉しそうに微笑んで、ぼくも釣られて笑った。
そうしてぼくらは、時間を忘れるくらい、長い間繋がって――。
それが、目覚めた瞬間の感想だった。
全身がキンと冷え、息を吐くことは出来ても吸うことが出来ない。
(あれ……ここ、どこ? 上ってどっちだろ)
ぼんやりしている頭で考え、辺りを見回す。
視界はとにかく暗く、光がほとんどない。かろうじて目の前にいるものが見えた。
(さ、魚? なんでこんなとこに……ひょっとして、海の中?)
朱色の魚がひらりと体を翻し、スーッと闇に溶けてゆく。
同じように、ぼくの意識も溶けてゆく中、視界の中にソレ≠見た。
白い衣に身を包んだ人間が、ぼくのほうへ泳いできている。
しかし、きっともう手遅れだろうと、ぼくは目を閉じてしまった。
◇◇◇◇
「……う……うぅん?」
全身を、柔らかな温もりあるものに包まれている感覚で、目が覚めた。
息を吸ってみると、ちゃんと肺に空気が入ってきて、一瞬地上かと思ったが、目の前が青一色なことに気付いた。
(空……じゃない?)
「ここ、は?」
クラクラする頭を片手で押さえ――
「あ、目が覚めました?」
「はあ。……あ?」
不意に頭上から声を掛けられ、反射的に上を見た。
少し高めのアルトの声が似あいそうな、年上とも年下ともとれる綺麗な女性が、ぼくを見下ろしていた。
数秒の間、それが理解できずに口を開けてぼけっとしていると、不意に女性が顔を赤らめた。
「そ、そんなにまじまじと見ないで下さい。恥かしいです……」
「え、あ。ごごごめんなさい!」
ハッとして我に返り、慌てて正面に向き直り――背中に、服越しに伝わる柔らかな感触が、強く押し当てられているように感じた。
なんだろうと確認してみて、自分の目を疑った。
女性が、ぼくに抱きついていたのだ。それも、今見つめあっていた女性が、一糸纏わぬ姿で!
「あわわわ……ど、どういうこと!?」
すっかり気が動転してしまい、キョロキョロと頭を振りまくる。
「落ち着いて下さい。ちゃんと説明しますから」
「説明? ってかここドコ?」
「海の中、です」
「そうか、海の中――はいぃ?」
彼女の言葉に、ますます訳がわからなくなり、とうとう混乱しすぎて逆に冷静になってしまった。
「ここが海の中? だったらなんで息出来るんだ? てゆーか、これ夢?」
「現実です。私が、そういう体にしてしまったんです」
「きみが?」
「はい」
小さくうなずくと、彼女はすっとぼくから離れた。
彼女の体を見て、目を逸らす前に、あっと声を上げていた。
人間の姿をしていると思っていたが、足である部位が魚の尾のようになっていたのだ。
頭には帽子を被っていて、脇にはなにかの石盤のようなものを持っている。
「私はエメローネ。海底に沈んでゆく貴方を助けたのだけど、そのために、そのぅ……」
「?」
彼女――エメローネさんは、頬を一層染めて、口の中でもごもごとなにかをつぶやいている。
そして、なにかを決意したようにぼくを睨んで叫んだ。
「ヤらせてもらいました!」
その言葉に、またぽかんと口を開けて彼女を見る。
「……なにを?」
「で、ですからぁ……そのぅ」
一人でもじもじと手を弄っているエメローネさんを、水中で棒立ち(?)になりながら見守る。
「わ、私達にはですね、儀式を行うことで、貴方達を水中で生活出来るようにすることが可能なんです」
「儀式?」
「えーっと……ああ、もうっ! こんなんです!」
「むぐっ」
首を傾げていると、突然エメローネさんが怒りだし、ぼくに抱き着いてキスをした。
なにが起きたと頭をフル回転させ、その間にもエメローネさんは舌をぼくの唇に這わせる。
「ん……ぅ」
(これ、ひょっとして再現でもしてるのか? んな馬鹿な……けど、目が本気なんだけど)
エメローネさんは顔を離すと、真っ赤に染まった顔でそっぽを向いた。
「こういうことです」
「よくわかんないけど……まぁ、多分大体はわかった……かなぁ」
口に手の甲を当てて答えるけれど、実際はほとんどわかっていなかった。
気絶していたため、頭はまったく覚えてはいないものの、体が若干反応していた。仕方ないね。
「うーん、まさか海の中で……やっぱ覚えてないや。ちぇっ」
「あ、あの……怒ったり、驚かないんですか?」
「怒る? 驚く? なにを」
「いやだって、急にそんなこと言われて」
「ああ、そういうことか。本音を言うと滅茶苦茶驚いてるけど、驚きすぎて逆に頭の中がスッキリしちゃってるのかな。今のトコすんなり受け入れられてる」
今度はエメローネさんがぽかんとして、ぼくをまじまじと見つめていた。
頭を掻きながら、どうしたものかと考える。
「ぼく、あんまり頭良くないからどう言えばいいかわかんないけど……助けてくれたのは本当に感謝してる。ありがとう。で、助けるためになにをしてくれたのかも、とりあえず理解したよ。相手がぼくみたいな凡人ってのがアレだけどね」
「そ、そんなことは」
「ハハ。んで、ぼくとしては、体を張ってまで助けてくれたんだから、怒りも怨みもしないよ。むしろ初体験がきみみたいな綺麗な子で良かったとか思ってるくらい」
苦笑しながら言うと、不思議そうな表情になった。
少し上目遣いでぼくを見上げる姿が、ちょっと可愛いと思う。
「綺麗? 私が、ですか?」
「ん? まぁ、ぼくの中ではかなり」
「私が……あのっ、本当に嫌じゃ」
「だから、嫌でもなんでもないって。むしろ感謝しても足りないくらいで――」
言葉が途中で詰まってしまい、次が出てこない。
けれど、不思議と言わなくてもいいやと思えた。
自然と彼女との差が縮まって、ぼくは彼女を抱きしめていた。
「やっぱり国語は苦手だね。――もしきみが許してくれるなら、ぼくはきみとこのままずっとここにいたいくらいだよ」
「ずっと」
「そう、ずっと。多分ぼくは、きみが好きなんだ。さっきから心臓がばくばく言ってるし」
ぎゅーっと彼女を強く抱きしめてみる。
と、彼女の細い腕が、ぼくの背中に回された。
ぼくらは海の真ん中で、二人きりで抱きしめあった。
「本当? 本当ですか? 私のこと、好きって思ってくれてるんですか」
「そう確認されると、答えるのが恥ずかしいね。うん、好きだよ」
「じゃあ、じゃあ……私とずっと一緒にいてくれますか?」
不安そうな表情を浮かべる彼女に、ぼくはくすぐったい気持ちで口づけした。
数秒そのまま動かず、離れるととびきりの笑顔で答えた。
「もちろん」
彼女が嬉しそうに微笑んで、ぼくも釣られて笑った。
そうしてぼくらは、時間を忘れるくらい、長い間繋がって――。
13/11/05 20:13更新 / らーそ