連載小説
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8.大人<子供
「・・・ダメです。やっぱり焦げます」
「俺もダメだ・・・くそっ、どうすれば!」

『卵は余裕あるから、とりあえず焼いてみろ』というラザクの一言から数分。
シロとラザクは油無しでオムライス用の卵焼きを作ろうとしていたが、一向に上手くいかない。

「良くて普通の薄焼き卵。やはり半熟にするのは難しいですね・・・」
「すまねぇ坊主。俺の息子がバカ野郎なばっかりに・・・」

焦げ付きを洗い流し、再度卵を投入する。

「火加減を落として・・・ダメか」
「逆に強火で・・・そらそうか」

試行錯誤を繰り返す二人。だが、解決策は見出せない。
焦りが募り、手の平から汗が滲み出る。
そして、シロにはもう一つ、不安があった。

(エトナさん、一体どうしたんだろう・・・)



その頃、エトナは。

「うおおおおおおおおおおお!!!!!」

全力で走っていた。
初めてシロと出会った時と同じか、それ以上の速さで。

(これなら、油代わりになるはず!)

油が無い。
それを聞いたとき、代替品としてある物を思い出したのである。
馬車に置いてきたそれを持ち出し、大急ぎで店に戻ろうとしていた。

(早く・・・1秒でも早く戻らねぇと!)

店まであと少し。
油の代替品が入った瓶を持ちながら、エトナは全力で走り続けた。



「おいまだかクソ野郎!」

店は、一触即発の状態にあった。
痺れを切らした客が、遂に厨房へと乗り込んで来たのである。

「お客様すみません! 只今、油の在庫が・・・」
「あぁん!? あんな啖呵切っといて油がねぇだ? ふざけんな!」

店員に詰め寄る客。そして。

「おいそこのクソ坊主! テメェ責任とれんのかコラ!」

怒りの矛先は、シロへと向かった。

「本当にごめんなさい! 今、なんとか・・・」
「俺はもう待てねぇんだよ!」

拳が、突き出される。



エトナが店にたどり着いたのと、厨房から鈍い音が鳴り響いたのは、ほぼ同時だった。






「・・・ぐっ・・・」
「ラザクさん!?」

客の拳は、当たっていた。・・・ラザクの、頭に。
シロの顔面目がけて飛んで来た拳に、自らの頭を突き出したのである。

「平気、だ・・・こちとら昔は『オリハルコン頭のラザク』と・・・呼ばれてたん、だぜ・・・!」

途切れ途切れになりながら、心配する必要は無いという事をシロに示そうとするラザク。
その時、音を聞きつけたエトナが厨房に駆け込んだ。

「大丈夫か! シ・・・」
「オーガ・・・約束は、守っ、た・・・ぜ・・・」

左手の親指を立てながら、笑みを浮かべつつ、ラザクは床に倒れた。
それを険しい顔で見ていたエトナだったが。

「店主さん・・・! あ、そうだシロ! これ使えねぇか!」

そう言って、シロに瓶を渡す。その瞬間。

「・・・あーっ! エトナさん、お手柄です!」

シロの顔が輝く。
そして、すぐさまオムライス作りに取り掛かった。



「出来ました。『とろとろふわふわ半熟オムライス』です」

暴れる客をエトナが押さえて数分。
シロは、見事な半熟オムライスを完成させた。

「ほー。見てくれはさっきと大分違うな。で、味はと・・・」

スプーンで掬って一口。ゆっくりと噛みしめる客。
一呼吸置いた後、スプーンを置いた。
辺りに緊張が走る。果たして、シロの作ったオムライスは客を満足させる事が出来るのか。

数時間にも感じられた数秒後。客はゆっくりと口を開いた。

「・・・参った。こんな美味いオムライス初めてだ」
「と、いう事は」
「あぁ。騒ぎ立てて悪かったよ。十分だ」

微笑む客。
それを見て、周りにいた店員とシロは、ほっと胸を撫で下ろした。

「エトナさん、本当にありがとうございます。助かりました」
「どういたしまして。しっかし、自分で作った物を忘れるとはな」
「あはは・・・」

エトナが持ってきた、油の代替品。
それは、シロが作ったマヨネーズだった。
『主成分は油』という事を、エトナはしっかり覚えていたのである。

「なぁ、これ何でこんなに美味いんだ? 何か足したってのは分かるんだが」
「えっと、それはですね・・・」

シロが客に説明しようとした瞬間。
突然誰かが割り込み、マヨネーズの瓶を取り上げた。

「それはですね、こちらの特殊なソースを加えたのでございます」

さも自分がそれを提案したかのように客に語る。
そして、それが誰であるかはすぐに分かった。

「おいヤクト! 何お前勝手に自分の手柄にしてんだよ!」

料理店の息子、ヤクトである。
この騒動の中何処に行っていたのか。そしていつの間に戻ってきたのか。
店員たちが話し出す中、ヤクトはやたらと丁寧に続ける。

「先ほどは私の弟が作った料理をそのままお出ししてしまい失礼致しました。
 いつもは私が手直ししているのですが、少々所用で席を外しておりまして・・・」
「おいコラ! 第一お前何も・・・」

嘘だらけの事をペラペラと嫌味ったらしい丁寧語でのたまうヤクト。
エトナは、彼に掴みかかろうとしたが、それをシロが止めた。

「エトナさん。騒ぎは収まりましたし、この事が誰の功績かは、どうでもいいじゃないですか。
 僕や店員さんはエトナさんが頑張ってくれたという事は知ってますし」
「でもシロ! あいつの手柄に・・・」
「別に構いませんよ。騒ぎを収めるのが目的でしたし。
 あっ、でもエトナさんが頑張ってくれたのは、伝えないといけませんね」

相変わらず、自分の事に関心が無いシロ。
何度も理解したはずの事だが、エトナはやっぱり納得がいかない。

「無欲というか何と言うか・・・シロ、本当にいいのか?」
「大丈夫ですよ」

納得はいかないが、シロが言うなら仕方ない。
そう、思い込む事にしたエトナであった。



そして、客が帰った後の料理店で。

「坊主・・・いや、シロ。お前には感謝してもしきれない。
 本当にありがとう。今晩は最高のメシをご馳走する」

倒れていたラザクが意識を取り戻した頃。空はほんのりと茜色に染まり始めていた。

「しっかし・・・ヤクトの奴何処行きやがった? 帰ってきたら説教だな」
「さっき一度戻ってきたんですけどね」
「手柄横取りしてどっか行っちまった。やっぱりあの時取り押さえとくべきだったかもな」
「あーそうだ。あいつ騒ぎ起こすだけ起こしていいとこだけかっさらったんだとな。
 その点もきつーく言って聞かせる。シロ、エトナ。お前らへの礼は別に用意するから、
 それで何とか勘弁してくれ」
「いえいえ。礼には及びませんよ」
「同じく。あいつがシロの料理をさも自分で作ったように言ってたのは癪だが、
 アタシは客押さえてただけだし」
「んじゃ、俺が勝手に礼したいだけって事にしといてくれ。さ、お前ら! 恩人にメシ作るぞ!」

そう言いながら、厨房に消えていくラザクと店員。
それを見ながら、シロとエトナは顔を合わせて、苦笑した。



「それにしても、油泥棒は一体誰なんだ?」

沢山の料理を並べての宴会兼夕食。
その中程で、ラザクはポツリと呟いた。

「倉庫ってどうなってるんですか?」
「中にあるのは主に料理の材料。もちろん、扉には錠前つけてる。」
「鍵は誰が持ってるんだ?」
「まず俺。あと料理長と食材管理担当。それとは別にスペアキーもあるがな。
 ・・・あと、何で油が無くなってたんだ?」

首を傾げるラザク。
曰く、助けを求めに酒場に行く直前までは、いつもの場所にあったらしい。

「ま、それは追々考えるとするか。それよりメシだメシ。
 ほら二人とも。タダなんだからもっと食え食え。シロ、お前は野菜ばっかじゃなくて肉食え肉」
「あはは・・・それじゃ、頂きますね」
「おうどんどん食え。・・・おっ、いい食いっぷりだなエトナ! まだ沢山あるからな!」
「もごっご! もっごごもごごもご!(分かった! しっかり平らげる!)」
「食べてから喋って下さいって」



日は沈み、夜。

「シロー! いいぞー!」

酔っぱらった店員がシロに宴会芸を要求した。
それに応えたシロは、スプーン4本でのジャグリングを披露。
周りから、大きな歓声が上がった。

「おいエトナ。一体あいつ何者なんだ?」
「アタシも正直よく分からん。万能すぎるだろシロ・・・」

その場でくるりと一回転し、落ちてきたスプーンを片手でキャッチし一礼。
シロに盛大な拍手が送られた。

「拙い物でしたが、ありがとうございました」
「うまいのは料理だけじゃなくて芸もですかい? こりゃ傑作だ!」
「エボラだっけ? いい男捕まえたじゃねーか!」
「アタシはエトナだ! 何だその病気みたいな名前!」

辺りが笑い声に包まれる。そんな中。

「ん? 何か外から声しなかったか?」

そう言ったのは、壁際の席にいたラザク。
窓へと歩き、外の様子を窺う。すると。

「・・・ヤクトか?」

見えたのは二人の男。その一方はヤクトに似ている。
何かの会話をしているようだが、その相手を見て、ラザクは驚いた。

「んんっ!? あの時の客じゃねーか!」

ヤクトの隣にいた男。それは昼間に来た客であった。
それを聞いたシロとエトナも窓に駆け寄り、様子を見る。
(この時、窓が若干高い位置にあったので、エトナはシロをお姫様抱っこで持ち上げた)

「何をしてるんですかね。険悪な雰囲気ではないみたいですけど」
「面識あったのか? いや、それなら料理の事位許すだろうし」
「ですよね。あっ。何か渡してますよ。えっと、瓶が3本・・・あっ」

確認するまでもないかもしれない、とは思った。
しかし、一応推測が当たっているかどうか確かめる為、横を向く。

そこに居たのは、呆れと諦観の入り混じった様な表情を浮かべ、
死んだ魚のような目になっていたラザク。

「・・・お察しの通り、うちで使ってる油だ。
 シロ、エトナ。悪いが、ちょっと来てもらえるか」
「言われなくても」
「分かりました。あ、エトナさん。割と恥ずかしいんで下ろして下さい」
「・・・もうちょっとだけ」

そして、三人は店から出て、二人の男のいる方へと歩いていった。



町の広場になっているような開けた場所の片隅。
ヤクトと暴れていた客が、会話をしていた。

「よし、ぶん殴る」
「待って下さいラザクさん。どういう経緯で二人がいるのか確認する為に、少し泳がせましょう」
「だな。・・・この辺なら、アタシら3人とも隠れられるな」

茂みの後ろに隠れ、耳を澄ませる。
時間が既に夜遅くという事もあり、辺りは静まり返っている為、会話の内容がはっきり聞き取れた。

「油なきゃクソまずいメシしかできねーし、それにかこつけてクソガキぶっ殺せたはずなんだけどな」
「よくまぁ私怨で油盗めたな。その器用さ料理に回せないのか?
 あいつが作ったオムライス、普通に美味かったぞ」
「いやー誤算だったわ。あのクソガキじゃなくてクソ鬼の方が機転利かせるとはな」
「ったく、わざわざ暴れてやったってのに、何してんだよ」
「悪かったって。ほら、こうして前金のついでに粗品もあるんだし、な?」
「まぁ貰うもん貰えりゃいいけどよ。つーか、お前そんなに金持ってたか?」
「いや。親父が小遣いくれなくてさー。わざわざ手伝ってやってるのによ。
 だから、バイト代としてちょいちょい金庫の金貰ってまーす」
「つまり、金抜いてるんだな」
「バイト代バイト代。週4、5回くらいしかしてねーし、金貨3枚くらい適正な賃金だっての」
「人の事言えねぇけどさ、お前本当クズだな」
「クズ上等! 世の中賢く生きなきゃ損すんだよ。あのクソ鬼みたいなのは論外。
 クソガキの方も勿体ねーよなー。俺だったら速攻ヤリ捨てて教団に突き出してるわ」
「ワァーオ。清々しいまでにクズだな」
「そんな褒めんなって。あーそうそう。これ倉庫からちょっと拾ったんだけど、いる?」
「盗んだの間違いじゃねーのか? 油はもういらねーとして、果物類は中々いいな」
「だろー? やっぱ俺ってセンスあるよな。くぅーっ、自分の才能が恐ろしい!」



「・・・エトナさん」
「・・・何だ?」
「僕、間違ってました」
「うん」
「誰が料理を作ったかはどうでもいいっていうのは本当です」
「おう」
「でも、気付くべきでした」
「だな」



「僕でも、はっきりと認識できましたよ。
 救い様の無いゴミクズって、いるんですね」

この時のシロの顔は、およそ10歳にもならない少年が出来るはずの無い、
『あまりにも大きな怒りの為に、一周して逆に静かな気持ちになった時の顔』を
非常に的確に表していた。

(あれ、シロってこんなカッコよかったっけ? 可愛いのは前々からだけど)

そして、その横顔を見ていたエトナは、シロの新たな魅力を発見した。



少し呆れながらも話の相手をする男と、自らの悪行を自慢し続けるヤクト。
その背後から、ゆっくりと三人は忍び寄っていた。

「つーかマジあのクソガキうぜーわ。何が『常識ですよ』だっての」
「いや、お前負けたんだろ?」
「ハァ!? あれ負けじゃなーし。あのクソガキがバカな真似しやがっただけだし。
 あのまますぐクソ鬼輪姦して、その場でぶっ殺せば完全勝利だし」
「それが出来なかったんだろーが・・・」
「出ー来ーまーしーたー。ちょっと手ぇ抜いただけですー。そんなの負けに入りまてぇーん」
「ああうん、もうそれでいいや」
「はい俺完全勝利ー。俺最強ー。クソガキとクソ鬼はクソ共ー」
「お前本当に・・・!!!」
「それよりさー・・・ってどした? 顔酷いぞ」
「・・・・・・・」
「おいそこはお前『顔色だ! 顔自体は酷くねーよ!』って返せよノリ悪い」
「・・・・・・・(無言で指をさす)」
「へ? 何・・・・・・!?」

多少なりとも罪悪感があったら、こうならなかったかもしれない。
余計な事を喋らなかったら、こうならなかったかもしれない。
少しでもまともな性格をしていれば、こうならなかったかもしれない。
自分のした事が分かっていれば、こうならなかったかもしれない。

幾度となく見てきた、激怒した父親。
目の笑っていない、オーガ。
薄汚い乞食を見るような目の、少年。

三者三様の表情を浮かべる、ラザク、エトナ、シロ。
流石に、ヤクトも状況を理解した。



完全に、やらかしたと。



そして、次に彼が取った行動は、あまりにも頭の足りなさすぎる悪足掻きだった。







「・・・・・・・」
「認めろ。お前はサシでもシロより弱い」

その場にいる中で、最も弱そうなシロを人質に取る。
そうすれば、後はどうにでもなる。
それが、彼の考えであった。

その結果は、酷く情けないものだった。
首根っこを掴もうと飛び込んだ所に、シロが蹴りを一発。
それは見事にヤクトの鳩尾に刺さり、倒れた。

この間、ラザクもエトナも一切手を出していない。
ヤクトは、完全にシロに負けたのである。

「料理は作れないわ喧嘩は弱いわ・・・お前何が出来るんだよ?」
「ヤクト、お前は勘当だ。二度とうちの敷居を跨ぐんじゃねぇ」
「ごめんなさい。どこをどう考えても、酌量の余地はありません」

地面に大の字に倒れたヤクトを見て、もう一人の男も観念した。
彼の方は、少なくとも立場を理解できる位の知能は備えていたようである。
地面に座り、頭を下げ。

「・・・すまなかった。許してくれなんて言わねぇ。
 きっちり落とし前つけさせてくれ」

しっかりと、謝罪の言葉を口にした。
罪を償う意思があるだけ、まだ幾分かまともと言える。

「しでかした事が分かってるなら、俺から言う事は何も無い。
 しっかり、反省する事だ」

ヤクトを連れ、料理店に戻ろうとしたラザク。
ここまで完膚なきまでに打ちのめされたのだ。いい加減反省しているだろう。
その場に居た誰もがそう思っていた。
まさか、この期に及んでまで世迷言を吐くとは、露ほども思わずに。

「おいクソガキ。テメーはそこのクソ鬼が居たから勝てたんだよ」

空気が凍る。
彼の辞書に『潔い』という字は記されていないのか。
三人に加え、仲間の男すら呆然とした。

「テメーみたいなクソガキが勝ったのはそこにクソ鬼がいたからだ。この卑怯者が」

自分の事を完全に棚に上げての卑怯者呼ばわり。

「そもそもお前が首つっこまなきゃ、全部上手くいったんだよ」

自分で企てた事だというのにもかかわらず、悪態をつく。

「つーか、お前クソ鬼の事が好きなのか? 人間の癖に? クズだな。
 魔物なんかせいぜい肉便器がいいと・・・」

その言葉は、途中で止まった。
何故なら。



「・・・おい、クソ野郎。今何つった」



倒れたままだったヤクトに馬乗りになり、睨みつけるシロ。
普段の丁寧な言葉遣いは失われ、まるで別人のような口調になっている。

そして、それと同時に、ヤクトの首筋にヒヤリとした感覚が走った。



―――言うなら、冷えた金属。



「俺の事はどうでもいいがな、エトナにまた何か言ってみろ。
 ・・・その喉笛掻っ切ってやるからよ!!!」

「!!? おっ、がっ、あ・・・」

目を見開き、怒鳴る。
そこにいたのは、年端もいかない子供ではなく、圧倒的な威圧感を持つ、男だった。
そのままヤクトは泡を吹き、尿を漏らしながら失神した。

「シロ! お前、何やって・・・!」

一連の流れにあっけにとられていたエトナだったが、ようやく頭を再起動させた。
慌ててシロに駆け寄り、両肩を掴む。
それも無理は無い。明らかに普段からは想像のつかない言動だった。
『怒り』というエネルギーを持っていても、ここまで酷い豹変ぶりを見せるとは。

「シロ、お願いだから落ち着いてくれ。アタシもめちゃくちゃ怒ってる。
 けど、頼むからそんな事は・・・」
「何か勘違いしてませんか?」

心配するエトナをよそに、シロは普段の年相応の子供の顔に戻って、右手を見せる。
そこに握られていたのは、一本のスプーン。

「・・・うん?」
「このスプーンの柄を、ヤクトさんの首筋に押し当てただけです。
 ・・・まさかエトナさん、僕がヤクトさんを殺そうとしてたとでも思ったんですか?」

指先でくるりとスプーンを一回転させ、わざとらしい笑顔を作るシロ。
少し間が空いて、自分の心配は全くの杞憂だった事と、シロが今自分にどんな気持ちを持っているかを
理解したエトナは。

「いあいっ! えおああん、いあいえうっえ!」

とりあえず、このどうしようもない苛立ちを、シロのほっぺたを引っ張ることで解消した。

「おー伸びる伸びる。楽しいなコレ」



・・・余談だが、この日からヤクトは、「子供にスプーンで脅されて失禁した男」として、
町中の人間から嘲笑される事となる。



料理店の2階、その中の部屋の一つにて。
ラザクの厚意で、二人は馬車に戻らず、この部屋で一夜を共にする事となった。

窓から月明かりが差し込む中、二人はベッドに横たわり、語り合う。
そんな中、エトナはシロに一つ、聞きたい事があった。

「なぁシロ。・・・その、嫌だったら聞かなかった事にしていい。
 あの時さ、お前・・・何で、あそこまで変わったんだ?」

エトナが言うあの時とは、シロがヤクトを脅した時。
普通の少年どころか、大人でもあまり言わないような言葉を発したシロ。

シロはエトナの方へ転がり、エトナの右腕を抱きしめた。
そして、理由を話す。

「僕の事を言うだけなら、別にどうとも思いませんでした。
 けど、エトナさんが馬鹿にされたと思ったら、身体がカっと熱くなって」

エトナの腕に顔を埋めるようにしながら、続ける。

「できるだけ、怖がらせたかったんですよ。そう思ったら、自然と。
 ・・・あの、いいですか」

顔を上げるシロ。
その時、エトナはシロの求めるものを察した。

身体が、震えていた。
その時は何も考える余裕がなかったが、落ち着いた今、その時の気持ちが鮮明になり。
感じるのは―――純粋な『恐怖』。

「無茶しやがって。何も、震えるまで頑張らなくてもいいっての」

頭を撫でながら、そっと抱きしめる。
優しく、温かな感触。包まれているという安心感。
少しずつ、震えが収まり・・・シロはゆっくりと、エトナを抱き返した。

「死にたくない・・・エトナさんと出会えたのに、死にたくないよ・・・!
 うっ・・・うわ、わあああああああん!」
「うん、我慢するな。思いっきり泣け」

ぽんぽんと背中を叩き、泣きじゃくるシロをあやす。

両親から愛情を受けていない。もしかしたら、愛情というものの存在すら知らないかもしれない。
そのまま数年の時を過ごし、一人暮らしをしていたある日、エトナと出会った。

まだ『幼い』と形容できる年。にもかかわらず、エトナはシロに惚れた。
可愛らしい子供としてではなく、一人の男として。

しかし、同時に理解している。
シロの持つ自分に対する好意は、受けられなかった愛情を与えてくれる、という、親愛。
少なくとも、恋愛感情と呼べるようなものではない。・・・だが。

(今は、それでいい。まずは子供らしく・・・いや、『人間らしく』ならないとな。
 我慢しすぎなんだよ、こいつは)

シロが愛情を求めるなら、傍にいよう。とことん子供扱いして、甘やかそう。
そう思いながら、シロを抱きしめる力を、少しだけ強めた。



「落ち着いたか?」
「はい。・・・あはは、ありがとうございます」

十数分ほど、シロは泣き続けた。それだけ、抑え込んでいた恐怖は大きかった。
その小さな身体が抱え込むには、あまりにも無理が過ぎる。

「僕、嘘吐きですね。本当は今朝、人質になった時も怖かったんですよ。
 拘束が不十分だったとはいえ、確かにあの時は、いつでも殺されるという事は事実でしたから」
「そりゃそうだろ。アタシだって怖いっての」
「・・・これだけ怖がりだから、あんな事をしても死なずにいるんですけどね」

あんな事。
それは、ヤクトに対してした事ではない。数年前、自分が教団にいた頃の事。
はっきりと脳裏に映し出される、殺された数々の魔物娘。
未だ、シロは過去に苦しんでいる。

「だからさ。シロは一切悪くない。悪いのは教団のバカ共と両親」
「その教団の方に育てられて来たんですよ。結局、僕が死んでれば・・・」
「アタシはどうなる!」

ギュッと、強く抱きしめる。
シロが気を失う前に力を緩め、エトナはシロの顔を自分の顔と正対させ、続ける。

「そんな事、冗談でも言うんじゃねぇ! アタシはシロが大好きなんだ!
 シロが死んだら、アタシは、アタシは・・・!」

目尻から、涙が零れ落ちる。
それを見たシロは、黙ってエトナを抱きしめた。・・・自身も、涙を流しながら。

泣きながら、抱き合う事数刻。
互いの温もりを感じながら、二人は意識を微睡みの中に落としていった。
13/09/02 21:20更新 / 星空木陰
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■作者メッセージ
きっと、夢の中でも二人は抱き合っていた。
そして、ヤクトは寒空にほっぽり出されたままだった。

「ヤクト? あぁ、笑い者になるのが耐えられなくて、結局出てったよ。
 まぁ俺は勘当したし、手間省けてよかったな。わっはっは!」
(料理店店主 ラザク)

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