アラークはホワイトパレスの裏庭で、一人の小柄な男と対峙していた。

いや、対峙というのは些か語弊があるかもしれない。何故なら鋼鉄製の「殺す方の剣」を抜いているアラークに対して、フォークスの方は背を向けていたからだ。

「結局、過去の過ちから逃げ続けることは出来なかったというわけだな。あの日と同じ満月の夜に、あんたは俺の所へと戻ってきたというわけだ」

ゆっくりと振り向くフォークスの視界に、ドミノとクリスの二人の姿が飛び込んできた。

「おい親父！」

「アラーク！　何してるの！　武器を収め――」

クリスが言い終わる前に、剥き出しの刃が彼女の接近を妨げる。

「部屋に戻ってろ二人とも」

そう呟くアラークの声色は微かに震えており、彼が平静を装うことに必死であることを如実に示していた。

「かつて……ウィルザード大陸の北方に位置する島国から、頑丈な船を作って外海へと飛び出し、豊富な資源を求めてウィルザード大陸へと進出した民族がいた」

混乱するクリスたちの様子を前にしたフォークスが、突然不気味なほどに抑揚のない口調で語り始める。

「残虐で狡猾なグァーナ……古代ウィルザードの言葉で、『海から来た悪魔』と呼ばれた彼らの一団はある日、冷酷な剣士に率いられ、一つの集落を襲撃して壊滅に追いやった」

突然の語りに困惑するクリスたちを意に介さず、フォークスの話は続く。

「集落に住んでいた人々の大半は殺された。生き残った人間も彼らに捕らえられ、人身売買によってある者は奴隷、ある者は人体実験の素体として買われていくことで、散り散りとなってしまった」

フォークスは自身の胸にそっと手をかざす。

「当時ウィルザードのとある領国では、遺跡の発掘時に見つかった『魂の宝玉』の研究が盛んに行われていた。研究者たちの興味を引いたテーマは、『魂の宝玉を魔杖や砂の王冠といった魔道具ではなく、人体を触媒にした場合、何が起こるのか』というものだった」

「おいまさか……」

ドミノはかつてフォークスに対して感じた、言いようのない薄気味悪さを思い出していた。

「その国はグァーナから買い取った人間たちを使って、魂の宝玉を人体に埋め込む実験を繰り返した。多くの犠牲者を出していく中で、ただ一人宝玉の秘める強大な魔力を制御することに成功した男がいた」

身に纏っていた衣服が塵となっていき、フォークスの上半身が露になる。そこにあったものを見たクリスは息を呑み、ドミノはたまらず目を背けた。

深い緑色を湛えた拳大の大きさの宝玉が、その胸に埋め込まれていた。宝玉の周辺は太く浮き上がった血管が緑色に変色しており、不気味に脈動している。

「男は研究者たちの隙を突いて彼らの監視下から抜け出し、研究所を保管されていた資料ごと焼き払った。だが、自由の身を手に入れたところで男には頼れる恩人も、帰るべき故郷も残されていない。男に残されていたのは復讐の道だけだった」

ここに来てフォークスの視線がアラークの顔を真正面から捉えた。

「ようやく見つけた仇は名前も顔も変えていたうえに、魔物娘の仲間と共にウィルザードを旅していた。男は彼らの後を尾行しつつ情報を集めて、最終的に今自分の目の前にいる人間が、間違いなく故郷を壊滅させた剣士であり、いずれ神聖ステンド国を訪れることを突き止めた。男はクーデターによる混乱に乗じて仇の息の根を止めるために、ステンド国の反乱分子と共謀することを決断した……ご清聴どうも」

明らかになったアラークとフォークスの間の因縁に、クリスは少なからず衝撃を受けていた。だが彼女以上に激しく動揺している人間が、その隣にいた。

「おい、嘘だよな親父……あんたが昔は蛮族共の……『海から来た悪魔』の一員で、人身売買に関わっていたなんて。しかもそのことを隠したまま、俺やボスと楽しく旅をしていたなんて、たちの悪い冗談だよな？　まさかとは思うけど、俺たちにそのことを知られる前に、フォークスを殺して、証拠隠滅を図っていたことなんてないよな？」

アラークの顔は満月の薄明りの下でも目に見えるほどに、青ざめていた。

「全て……本当の……話だ……」

その言葉を聞いたドミノはがくりと俯くと、無言のまま踵を返して裏庭の出口へと向かっていった。

「ちょっと待ってドミノ！　どこに行く気！？」

血相を変えたクリスが、その手首をつかんで引き留める。

「どこって……『部屋に戻る』に決まってるだろ。お前も巻き込まれたくなけりゃそうしとけ」

「フォークスはアラークを殺す気よ！　私一人で彼を止めるなんて無理！　せめてコレールを呼んできて！」

「俺はあいつのことを尊敬していた！！」

クリスに負けないほどの勢いで声を張り上げるドミノ。

「俺は父親ってもんを知らねぇ。だからアラークのことは理想の父親みたいに思ってたんだ。なのにそいつの正体が『海から来た悪魔』だって？　はっきり言って裏切られた気分だ。大体俺は元復讐屋だぞ？　その手の連中を今まで何人も嬲り殺しにしてきた。黒魔術の調子が悪くなかったら、今この場でそうしてたかもな」

ドミノはクリスの手を振り払うと、拳を固く握りしめつつその場を後にした。

「お願い、フォークス。考え直して。貴方のやりきれない気持ちはよく分かる。でもアラークは私にとって大切な人なの」

「よせクリス。君を巻き込みたくはない。これは私と彼の、二人だけの間の問題だ」

アラークの言葉を耳にしたフォークスは、力のない笑みを浮かべた。

「ところが、そうでもないんだよな」

胸に埋め込まれた宝玉が眩い光を放ち、魂の宝玉を用いた魔術が行使される。クリスとアラークは身構えたが、空間の裂け目が現れたのは彼らの正面ではなく、背後だった。

「危ない！！」

咄嗟にクリスの体を突き飛ばしたアラークの右肩に、先端の尖った鉄パイプが深々と突き刺さる。
裂け目から奇襲をかけてきた人物を目の当たりにしたクリスは驚愕した。

「カーティス！？」

ドワーフ製の義足を身に付けた少年は、体から緑色のオーラを放っていた。フォークスの魔術によって肉体を強化されているのだろう。

「どうして……」

尻餅を突いたまま呟くクリスを意に介さず、少年はアラークに対して憎悪と焦燥の混じった視線を向ける。

「よぉ……久しぶりだな。お　父　さ　ん」

その言葉を聞いた瞬間、アラークの脳裏に過去の忌まわしい記憶が鮮明によみがえる。


奴隷売買がザムールの条約で禁止されてから、他人から奪う以外の生き方を知らない自分は、当てもなくウィルザードの地を彷徨っていた。

だが幸運にも素朴ながら力強さを秘めた女性と巡りあい、山奥で二人の自給自足の生活が始まった。健康な子供も授かることが出来た。

だが、二人の住む家を、かつて自分が奴隷として売り飛ばした者たちが襲撃した。

彼らは家族をただでは殺そうとせず、まずは妻と息子を人質に取り、アラーク自身の左目を潰して縛り上げた後、二人を屋内に鎖で縛り付け、そのまま家に火をつけた。

焼け残った家の残骸から見つかったのは、愛する妻の焼死体。そして切断された子供の右足だけだった。

全てに失望した自分は、忌まわしい過去から逃げるために裏社会で顔面に改造を施し、偽りの名前で各地を放浪した末に、サンリスタルに流れ着いたのだった。

結局、そこでも人身売買の片棒を担ぐ羽目になり、そこから抜け出したかと思えば実の息子に殺されそうになっているというのは、己の因果から抜け出せない無様な男には相応しい状況とも言えるだろう。



「そこにいるおっさんから全て聞いたよ。それで、今までのろくでもない、自分も他人も不幸になるだけの、人生の全てが腑に落ちた。俺の体には呪われた蛮族の血が流れているんだ。とっくに絶えているべきだった血だ。俺もあんたもここで死ぬんだ」

「やめてカーティス！」

二人の間に割って入ろうとするクリスの目の前に、音も無くフォークスの姿が現れた。

「やめておけクリス。あの少年を突き動かしているのは、呪われた血に対する憎悪だけじゃないんだ。俺が『空間転移(テレポーテーション）』を簡単に扱えることは知っているだろう？　その気になれば魔物娘に保護されているベルとかいう名前のコボルド……彼が愛する女の子の元に行って、どうとでもできるのさ」

「嘘……どうしてそんな残酷なやり方ができるの！？」

「教わったものでね。君の大切な人と、その商売仲間、そして売られた先の人々から」


アラークは並外れた技術を持つ剣士だったが、利き腕の方の肩を潰された上に、出血多量による平衡感覚の喪失も重なっている以上、魔術で強化されたカーティスの攻撃を捌くことがやっとだった。

「（もはや、これまでだな……）」

一旦距離を取り、最後の力を振り絞って突きの体勢を取る。ここで息子と刺し違えることが出来れば、フォークスの復讐は完結する。クリスが巻き込まれる道理はない。

「俺を殺してくれるよな……お父さん？」

そう呟くカーティスの表情は憎悪に満ちていたが、アラークはそこから今にも泣き出しそうな雰囲気を感じ取った。

「……すまない。息子よ」

「……今更、手遅れだよ」

怒声を上げて突進するカーティスの心臓に向かって、剣先の狙いを定める。

「駄目！！」

クリスは咄嗟に魔杖から強烈な閃光を放った。フォークスが怯んだ一瞬の隙を突き、文字通りの骨肉の争いを続ける二人の間に割って入る。

「ぐっ……！」

アラークは想定外の方向から放たれた閃光に目を眩まされたものの、その刺突の狙いが狂うことは無かった。

剣を握る左腕に、確かな手ごたえを感じる。

「……！！」

やがて明瞭になった視界に写る物を見て、アラークは足元がガラガラと崩れ落ちていくような感覚を味わった。

自身の剣に寸分の狂い無く心臓を貫かれたケット・シーの姿が、そこにあった。

――第42話に続く。

■作者メッセージ
ネタバレになりますが、クリスは死にません。規約違反になってしまうので。

正直言って当初のプロットから、最低限必要な部分を除いて相当数のシーンを削っています。最近小説を書くのに必要なのは、自分が本当に書きたい場面以外は容赦なく削る決断力だと感じ始めています。