第37話「神魔が交わる街」
「すごいな……こんな街は初めてだ」
コレールはステンド国の中央通りを仲間たちと歩きながら呟いた。
建物の基本的な構造は、他のウィルザードの大きな街でもよく見られる、乾燥地域に適応したレンガ造りである。
しかし目を凝らすと建物のあちこちに十字架を初めとした主神教団のシンボルがあしらわれており、この地が教団の支配下にあるという事実を如実に示している。
それでありながら、自分たちを含めて街中を堂々と魔物娘が歩いている。
コレールはこのような光景が見られる地域を一度も訪れたことがなかった。
「きゃっ!」
つまずいて転びそうになったエミリアの体をすかさずパルムが支える。
この国では魔物娘は、屋外では「アーディカ」という、頭髪と全身を覆う白い上着を纏う必要がある。勿論、コレールたちも例外ではなく、エミリアは着慣れないアーディカの、長い裾の部分を踏みつけてしまったのだ。
主神教の教えを守りつつ、魔物娘とも共存する必要に迫られた国が考えた、彼らなりの譲歩なのだろうが、クリスは気に入らないようだった。
「魔物娘だけが肌を隠さなくちゃなんないなんて、時代遅れの考え方だわ!」
「確かにその通りだ。よし、私は今から自分が進歩的であることを示すために、全裸でホワイトパレスまで走っていくから、見届けてくれ」
「貴方の言いたいことは分かったから、止めてって!」
アラークがそう答えながらベルトを緩め始めた為、クリスは慌てて彼の腕を掴み上げた。
「おっと、風が強いな」
急な突風から眼を守るために腕を上げたコレール。
「……ん?」
その腕を降ろすと目の前を、何か赤くて小さな物体が落ちていったことに気がついた。
「これは……」
足元に落ちたその赤い物体を、鋭い爪の先で慎重に拾い上げる。
「カエデの葉ね。紅葉してる。……でも、ジパングにしか生えて無い植物のはずなのに……」
クリスが言い終えると同時に、再び突風が吹きすさぶ。コレールが眼を開くと、道の向こうから何者かが歩く姿が見えた。
「コレール=イーラの一味だな?」
紅に染まったカエデの葉が風に舞う中、アーディカを戦闘向けに改造したような衣服を見に纏った女性が、口を開く。
彼女が腰に刀を帯びているのを確認したコレールにドミノ、アラーク、そしてパルムは、一斉に戦闘体勢に入った。
「拙者の名は勇者『カエデ=ユキムラ』。どのような手で門番を篭絡したかは知らぬが、ここから先を通すわけには行かぬ」
「勇者、か。それなら手加減は無用だな?」
拳を握りしめるコレールの側で、クリスがおもむろに口を開いた。
「待ってコレール。無闇な戦闘は避けるべきよ。私たちは大臣の許しを得て入国したんだから――」
「話し合いが通じるように見えるか?」
歯を剥き出しにして口を挟むドミノ。
彼の顔面には、既に白い模様が侵食を始めていた。
「ちょっと、ここで『Mr.スマイリー』になる気なの!? 大パニックになるわよ!」
「相手は勇者だぞ? やる気がねえならエミィを連れて後ろに下がってろ……」
どす黒い蒸気のような魔力がドミノの回りに立ち込め始める。ポキポキと音を立てて骨格が組み変わり、白い模様が顔面の殆どを覆っていき、そして――
「――んん?」
急激に元の肌色へと戻っていった。
「ドミノ、クリスの言う通りだ。ここで『Mr.スマイリー』になるのはまずい。お前がエミィを連れて下がってるんだ」
「ちょっと待てって! 俺も戦うよ! 集中するから話しかけないでくれ!」
ドミノは焦った様子でコレールにそう返すと、今度は便器で気張るときのような表情で顔面に白い模様を張り巡らせていく。
だが結果は同じで、一度は白くなった皮膚は波が引くように再び元の色へと戻っていった。
「ちょっと待ってくれご婦人。少し時間が欲しいんだ」
見かねたアラークの懇願に、カエデと名乗る勇者は律儀に歩みを止めて、鞘から抜きかけていた刀身を元に戻す。
「無理をするなドミノ。男には良くあることだ。私も一時期、どう頑張っても役に立たなくなって、相手の女性に恥を書かかせてしまったことが――」
「『そういう』システムじゃないんだよ親父!」
「もういい! ほらパルム、ドミノの面倒をみてやってくれ」
「ちきしょう、何で答えないんだよオニモッド……」
コレールに促され、ぐずりながらパルムに連れていかれるドミノ。
その光景を呆れた様子で眺めていた勇者だったが、ふと自分の通信クリスタルが呼び出しに反応していることに気がついた。
「はい、こちらカエデでござる……はい、はい……承知致した。お騒がせして申し訳ない」
通信を終えたカエデはクリスタルを懐にしまうと、容貌を隠していたフードをめくり上げてコレールたちに向き直る。
「拙者の勘違いでござった。アイルレット大臣の客人であったとは……謹んでお詫びを申し上げる」
フードの下から現れた顔を目の当たりにして、コレールたちは思わず言葉を失った。
彼女の肌は一滴の血も通っていないであろう蒼白の色、すなわち「アンデッド」に属する魔物娘のそれであった。
―――――――――――
「それで、どうして『落武者』が魔物を倒す役職の勇者なんてやってるんだ? この国は魔物娘に対して中立の立場を取っているはずだろ?」
カエデの案内でホワイトパレスへの道を歩く最中、コレールは誰もが抱くであろう疑問を口に出した。
「この国での勇者というのは、あくまで象徴なのでござる。拙者の仕事は魔物を倒すためではなく、国内の治安を保ち、主神様の教えである『隣人を愛せ』という教えを人も魔物も安心して守れるようにすることでござる」
「でも魔物娘を受け入れてる国でそうそうトラブルなんて――」
「コレール」
アラークの呼ぶ声に振り向いたコレール。彼が無言で指差した先では、発情したヘルハウンドが男の子を手篭めにしようと、飢えた狼のごとく襲いかかっていた。
「うぉぉぉ! もう我慢できねえ!! 精通ザーメン寄こしやがれぇぇ!!」
「うわーん! 助けてママー!」
「うるせぇ! 私がママになるんだよ!!」
カエデに一転の曇りもない瞳で見つめられたコレールは、ばつが悪そうに咳払いをした。
「……ごめん、さっきの発言は私の思い込みだった」
カエデは困り顔で肩をすくめる。
「ヘルハウンドは衛兵の手には負える魔物娘ではござらん。彼女を止めにいってくるでござる」
――――――――――――――――――
結局暴走したヘルハウンドを抑え込むには、カエデと衛兵に加えてコレールたちまで参戦する必要があった。
無論暴れるヘルハウンドを捕まえることは容易ではなく、特に黒魔術が使えなくなっているドミノは無惨にもボコボコにされてしまい、ホワイトパレスまでエミリアにおんぶをしてもらうという恥ずかしい有り様であった。
「ねぇ、責めるつもりはないんだけど、さっきはどうして私たちと戦おうとしたの?」
クリスの問いかけにカエデはばつの悪そうな顔をする。
「ううむ……実を言うと、そなたたちに関しては悪い噂を聞いていたのでござる。何でもハースハートでは人の足を嬉々として引きちぎり、人喰いネズミや人喰いムカデをばらまいたとか……でも、そなたたちはそのような惨い真似をするような者には見えぬ。きっと、噂に尾ひれがついていたのでござるな」
「当然だろ。特にこの博愛主義者のドミノ=ティッツアーノがそんな残虐なことをするはずがねえ。やるとしたら多分そいつは魔法の杖を持った猫っぽい女で――あぎぃっ!!
」
息を吐くように嘘をつくドミノの尻に、カエデには見えない角度からコレールが蹴りを入れる。ほぼ全身打撲の彼には、これだけでも失禁しかねないほどの激痛を全身で味わわせることが出来るのだ。
「さぁ、ここがこの国の信仰と政治の中心、ホワイトパレスでござる! ……ちゃんと中には医者もいるでござる」
カエデはエミリアにおぶさったまま完全に萎びているドミノを、心配そうに見ながら紹介する。
ホワイトパレスはその名が示す通り、荘厳かつ絢爛な白亜の大聖堂だった。
「すごい……」
その優美さには魔物娘であるはずのクリスも言葉を失うほどである。
「白くて綺麗でござろう? 丁度数年前に壁の塗り替え作業が全て終わったのでござる! ……『ホワイトパレスの悲劇』の痕跡を消すために……」
「……あー、中に入ろう」
カエデと自分達の間の空気が悪い方向に向かっていくのを感じたコレールが、すかさずフォローした。
入り口の大広間もまた、外観の雰囲気と違わず、雄大で美しい内装を有していた。
聖堂の各所に繋がる階段にも純白の石灰岩が用いられており、そこに差し込むステンドグラスの色彩は、コレールたちの主神教団に対する緊張感を和らげるには十分な程である。
「エミィ……下ろしてくれ……もう自分で歩ける……」
「はい……大丈夫ですか?」
広間を行き交う人々の視線に耐えられず、ひとまずエミリアの背中から降りようとするドミノを災難が襲った。
丁度そのタイミングで小走りで走ってきた子供と、もろにぶつかったのだ。
「あっ、ごめんなさい! 平気ですか?」
「このガキ! 平気なわけ――」
傷の痛みとタイミングの悪さに対する怒りで思わず怒鳴り付けようとしたが、子供の顔を見た途端に、その声量がしぼんでいく。
ぶつかってきた子供がゾッとするほど美しい少女だったからである。雲一つない青空を思わせる目の色に、熟練の彫刻家が仕上げたかのような白く端正な顔立ち。アーディカのフード部分の隙間から覗く、亜麻色の髪の毛からは、ふんわりと甘い香りが漂っていた。
「あっ、傷だらけ……やっぱり痛かったのでは? 本当にごめんなさい」
「――いいや、気にするなお嬢さん。これしきでヒーヒー言うほどやわじゃないさ」
「それならせめて、医療室まで肩を貸させてください。さぁ、掴まって……」
少女の肩に寄り掛かる時の寸前、さりげなく彼女の尻を触ろうとするドミノだったが、エミリアが涙目でふくれっ面を晒しているのを見て流石に良心が咎めたのだろう。そのままなにも触らずに、黙って少女と医療室へと向かっていった。
「びっくりした……あの子、私より可愛いんじゃないか?」
「成長したら傾国の美女になるだろうな」
驚きを隠せないコレールとアラークだったが、その直後のカエデの発言で更に驚くことになった。
「うーん、何か誤解しているようでござる。アイリーン殿はアイルレット大臣お抱えの魔物学者で……男の子でござる」
コレールとアラークは無言で顔を見合わせた。
そしてその数秒後にお互いを指差しながら腹を抱えて大笑いした。
「教えんとこ! 教えんとこ!」
「当たり前だコレール! この国を離れるまで彼には内緒にしておくぞ!」
2人が大広間中に響くほどの声量で笑うおかげで、カエデは自分の通信クリスタルが反応していることにしばらく気が付かなかった。
「……カエデござる。……ええ、何も問題はござりませぬ……えっ……承知いたした。すぐにご案内するでござる」
カエデはコレールたちの馬鹿笑いが収まってから、かしこまった表情で口を開いた。
「大司教がそなたたちに挨拶をしたいとのことでござる」
コレールたちの表情に一斉に緊張感が走る。
「これはこれは……主神教団の大司教への謁見が許された魔物娘は君たちが初めてじゃないか?」
「歴史に名を刻むことになるわね」
クリスはアラークの呟きに静かにうなずき、そう答えた。
――第38話に続く。
コレールはステンド国の中央通りを仲間たちと歩きながら呟いた。
建物の基本的な構造は、他のウィルザードの大きな街でもよく見られる、乾燥地域に適応したレンガ造りである。
しかし目を凝らすと建物のあちこちに十字架を初めとした主神教団のシンボルがあしらわれており、この地が教団の支配下にあるという事実を如実に示している。
それでありながら、自分たちを含めて街中を堂々と魔物娘が歩いている。
コレールはこのような光景が見られる地域を一度も訪れたことがなかった。
「きゃっ!」
つまずいて転びそうになったエミリアの体をすかさずパルムが支える。
この国では魔物娘は、屋外では「アーディカ」という、頭髪と全身を覆う白い上着を纏う必要がある。勿論、コレールたちも例外ではなく、エミリアは着慣れないアーディカの、長い裾の部分を踏みつけてしまったのだ。
主神教の教えを守りつつ、魔物娘とも共存する必要に迫られた国が考えた、彼らなりの譲歩なのだろうが、クリスは気に入らないようだった。
「魔物娘だけが肌を隠さなくちゃなんないなんて、時代遅れの考え方だわ!」
「確かにその通りだ。よし、私は今から自分が進歩的であることを示すために、全裸でホワイトパレスまで走っていくから、見届けてくれ」
「貴方の言いたいことは分かったから、止めてって!」
アラークがそう答えながらベルトを緩め始めた為、クリスは慌てて彼の腕を掴み上げた。
「おっと、風が強いな」
急な突風から眼を守るために腕を上げたコレール。
「……ん?」
その腕を降ろすと目の前を、何か赤くて小さな物体が落ちていったことに気がついた。
「これは……」
足元に落ちたその赤い物体を、鋭い爪の先で慎重に拾い上げる。
「カエデの葉ね。紅葉してる。……でも、ジパングにしか生えて無い植物のはずなのに……」
クリスが言い終えると同時に、再び突風が吹きすさぶ。コレールが眼を開くと、道の向こうから何者かが歩く姿が見えた。
「コレール=イーラの一味だな?」
紅に染まったカエデの葉が風に舞う中、アーディカを戦闘向けに改造したような衣服を見に纏った女性が、口を開く。
彼女が腰に刀を帯びているのを確認したコレールにドミノ、アラーク、そしてパルムは、一斉に戦闘体勢に入った。
「拙者の名は勇者『カエデ=ユキムラ』。どのような手で門番を篭絡したかは知らぬが、ここから先を通すわけには行かぬ」
「勇者、か。それなら手加減は無用だな?」
拳を握りしめるコレールの側で、クリスがおもむろに口を開いた。
「待ってコレール。無闇な戦闘は避けるべきよ。私たちは大臣の許しを得て入国したんだから――」
「話し合いが通じるように見えるか?」
歯を剥き出しにして口を挟むドミノ。
彼の顔面には、既に白い模様が侵食を始めていた。
「ちょっと、ここで『Mr.スマイリー』になる気なの!? 大パニックになるわよ!」
「相手は勇者だぞ? やる気がねえならエミィを連れて後ろに下がってろ……」
どす黒い蒸気のような魔力がドミノの回りに立ち込め始める。ポキポキと音を立てて骨格が組み変わり、白い模様が顔面の殆どを覆っていき、そして――
「――んん?」
急激に元の肌色へと戻っていった。
「ドミノ、クリスの言う通りだ。ここで『Mr.スマイリー』になるのはまずい。お前がエミィを連れて下がってるんだ」
「ちょっと待てって! 俺も戦うよ! 集中するから話しかけないでくれ!」
ドミノは焦った様子でコレールにそう返すと、今度は便器で気張るときのような表情で顔面に白い模様を張り巡らせていく。
だが結果は同じで、一度は白くなった皮膚は波が引くように再び元の色へと戻っていった。
「ちょっと待ってくれご婦人。少し時間が欲しいんだ」
見かねたアラークの懇願に、カエデと名乗る勇者は律儀に歩みを止めて、鞘から抜きかけていた刀身を元に戻す。
「無理をするなドミノ。男には良くあることだ。私も一時期、どう頑張っても役に立たなくなって、相手の女性に恥を書かかせてしまったことが――」
「『そういう』システムじゃないんだよ親父!」
「もういい! ほらパルム、ドミノの面倒をみてやってくれ」
「ちきしょう、何で答えないんだよオニモッド……」
コレールに促され、ぐずりながらパルムに連れていかれるドミノ。
その光景を呆れた様子で眺めていた勇者だったが、ふと自分の通信クリスタルが呼び出しに反応していることに気がついた。
「はい、こちらカエデでござる……はい、はい……承知致した。お騒がせして申し訳ない」
通信を終えたカエデはクリスタルを懐にしまうと、容貌を隠していたフードをめくり上げてコレールたちに向き直る。
「拙者の勘違いでござった。アイルレット大臣の客人であったとは……謹んでお詫びを申し上げる」
フードの下から現れた顔を目の当たりにして、コレールたちは思わず言葉を失った。
彼女の肌は一滴の血も通っていないであろう蒼白の色、すなわち「アンデッド」に属する魔物娘のそれであった。
―――――――――――
「それで、どうして『落武者』が魔物を倒す役職の勇者なんてやってるんだ? この国は魔物娘に対して中立の立場を取っているはずだろ?」
カエデの案内でホワイトパレスへの道を歩く最中、コレールは誰もが抱くであろう疑問を口に出した。
「この国での勇者というのは、あくまで象徴なのでござる。拙者の仕事は魔物を倒すためではなく、国内の治安を保ち、主神様の教えである『隣人を愛せ』という教えを人も魔物も安心して守れるようにすることでござる」
「でも魔物娘を受け入れてる国でそうそうトラブルなんて――」
「コレール」
アラークの呼ぶ声に振り向いたコレール。彼が無言で指差した先では、発情したヘルハウンドが男の子を手篭めにしようと、飢えた狼のごとく襲いかかっていた。
「うぉぉぉ! もう我慢できねえ!! 精通ザーメン寄こしやがれぇぇ!!」
「うわーん! 助けてママー!」
「うるせぇ! 私がママになるんだよ!!」
カエデに一転の曇りもない瞳で見つめられたコレールは、ばつが悪そうに咳払いをした。
「……ごめん、さっきの発言は私の思い込みだった」
カエデは困り顔で肩をすくめる。
「ヘルハウンドは衛兵の手には負える魔物娘ではござらん。彼女を止めにいってくるでござる」
――――――――――――――――――
結局暴走したヘルハウンドを抑え込むには、カエデと衛兵に加えてコレールたちまで参戦する必要があった。
無論暴れるヘルハウンドを捕まえることは容易ではなく、特に黒魔術が使えなくなっているドミノは無惨にもボコボコにされてしまい、ホワイトパレスまでエミリアにおんぶをしてもらうという恥ずかしい有り様であった。
「ねぇ、責めるつもりはないんだけど、さっきはどうして私たちと戦おうとしたの?」
クリスの問いかけにカエデはばつの悪そうな顔をする。
「ううむ……実を言うと、そなたたちに関しては悪い噂を聞いていたのでござる。何でもハースハートでは人の足を嬉々として引きちぎり、人喰いネズミや人喰いムカデをばらまいたとか……でも、そなたたちはそのような惨い真似をするような者には見えぬ。きっと、噂に尾ひれがついていたのでござるな」
「当然だろ。特にこの博愛主義者のドミノ=ティッツアーノがそんな残虐なことをするはずがねえ。やるとしたら多分そいつは魔法の杖を持った猫っぽい女で――あぎぃっ!!
」
息を吐くように嘘をつくドミノの尻に、カエデには見えない角度からコレールが蹴りを入れる。ほぼ全身打撲の彼には、これだけでも失禁しかねないほどの激痛を全身で味わわせることが出来るのだ。
「さぁ、ここがこの国の信仰と政治の中心、ホワイトパレスでござる! ……ちゃんと中には医者もいるでござる」
カエデはエミリアにおぶさったまま完全に萎びているドミノを、心配そうに見ながら紹介する。
ホワイトパレスはその名が示す通り、荘厳かつ絢爛な白亜の大聖堂だった。
「すごい……」
その優美さには魔物娘であるはずのクリスも言葉を失うほどである。
「白くて綺麗でござろう? 丁度数年前に壁の塗り替え作業が全て終わったのでござる! ……『ホワイトパレスの悲劇』の痕跡を消すために……」
「……あー、中に入ろう」
カエデと自分達の間の空気が悪い方向に向かっていくのを感じたコレールが、すかさずフォローした。
入り口の大広間もまた、外観の雰囲気と違わず、雄大で美しい内装を有していた。
聖堂の各所に繋がる階段にも純白の石灰岩が用いられており、そこに差し込むステンドグラスの色彩は、コレールたちの主神教団に対する緊張感を和らげるには十分な程である。
「エミィ……下ろしてくれ……もう自分で歩ける……」
「はい……大丈夫ですか?」
広間を行き交う人々の視線に耐えられず、ひとまずエミリアの背中から降りようとするドミノを災難が襲った。
丁度そのタイミングで小走りで走ってきた子供と、もろにぶつかったのだ。
「あっ、ごめんなさい! 平気ですか?」
「このガキ! 平気なわけ――」
傷の痛みとタイミングの悪さに対する怒りで思わず怒鳴り付けようとしたが、子供の顔を見た途端に、その声量がしぼんでいく。
ぶつかってきた子供がゾッとするほど美しい少女だったからである。雲一つない青空を思わせる目の色に、熟練の彫刻家が仕上げたかのような白く端正な顔立ち。アーディカのフード部分の隙間から覗く、亜麻色の髪の毛からは、ふんわりと甘い香りが漂っていた。
「あっ、傷だらけ……やっぱり痛かったのでは? 本当にごめんなさい」
「――いいや、気にするなお嬢さん。これしきでヒーヒー言うほどやわじゃないさ」
「それならせめて、医療室まで肩を貸させてください。さぁ、掴まって……」
少女の肩に寄り掛かる時の寸前、さりげなく彼女の尻を触ろうとするドミノだったが、エミリアが涙目でふくれっ面を晒しているのを見て流石に良心が咎めたのだろう。そのままなにも触らずに、黙って少女と医療室へと向かっていった。
「びっくりした……あの子、私より可愛いんじゃないか?」
「成長したら傾国の美女になるだろうな」
驚きを隠せないコレールとアラークだったが、その直後のカエデの発言で更に驚くことになった。
「うーん、何か誤解しているようでござる。アイリーン殿はアイルレット大臣お抱えの魔物学者で……男の子でござる」
コレールとアラークは無言で顔を見合わせた。
そしてその数秒後にお互いを指差しながら腹を抱えて大笑いした。
「教えんとこ! 教えんとこ!」
「当たり前だコレール! この国を離れるまで彼には内緒にしておくぞ!」
2人が大広間中に響くほどの声量で笑うおかげで、カエデは自分の通信クリスタルが反応していることにしばらく気が付かなかった。
「……カエデござる。……ええ、何も問題はござりませぬ……えっ……承知いたした。すぐにご案内するでござる」
カエデはコレールたちの馬鹿笑いが収まってから、かしこまった表情で口を開いた。
「大司教がそなたたちに挨拶をしたいとのことでござる」
コレールたちの表情に一斉に緊張感が走る。
「これはこれは……主神教団の大司教への謁見が許された魔物娘は君たちが初めてじゃないか?」
「歴史に名を刻むことになるわね」
クリスはアラークの呟きに静かにうなずき、そう答えた。
――第38話に続く。
19/08/15 16:45更新 / SHAR!P
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