第28話「鋼鉄の腕」
「バトリーク様! 大変なことになりました!」
「そんなの見れば分かるだろ! この馬鹿者!」
野次馬からの投石に晒されているバトリークは、走りよってきた兵士に怒鳴り付ける。
「いえ、そうではなくて……」
「じゃあ何の話だ!」
「……」
「な、何だって……?」
兵士に耳打ちされたバトリークの顔から、みるみる血の気が失せていく。
「全員武器をしまえ! 闘いは終わりだ! 武器をしまうんだ!」
「な……今なんと!?」
突然の宣言に兵士もギャングも一斉にバトリークの方に視線を向ける。
「バトリーク様、一体ーー」
「『将軍』が来てる! 全員武器を納めるんだ!」
「将軍」という単語が出てきた瞬間、篝火広場全体に緊張が走った。
バトリークの私兵たちはすぐさま武器をしまい、ギャングたちは隠れ場所を探すネズミの如く動揺した様子で辺りを見回している。
「『将軍』? カナリが言ってた『ゼロ=ブルーエッジ』のこと?」
「クリス」
アラークは咄嗟にクリスの体を自分の側に抱き寄せる。その表情はいつになく張りつめていた。
「ついに連中が出張ってきた。ゼロ=ブルーエッジのお出ましだ」
野次馬たちが一斉に広場の端に避けることで出来た空間に、数十人ほどの武装した集団が姿を表した。
兵士たちの装備はいずれも鍛えられた高品質であることが見た目でもわかり、動きにも一切の無駄がなく規律が取れている。
彼らを率いて姿を現したのは、誰の目に見ても異形というべき風貌の男だった。顔面を覆うターバンから覗く両目は赤黒い血の色を湛えており、右腕が魔術的な紋章の刻まれた鋼鉄の義手となっている。
兵士たちを率いる男はコレールたちには一切目もくれずにバトリークの元へと歩み寄ると、そのまま彼の眼前に無言で立ちはだかった。
「しょ……将軍。まさか一度は追放された我々の元に、貴方が来てくださるとは、思いもしませんでした」
「私も思いはしなかったぞ、バトリーク。まさかかつての部下が私の名を騙り、無法者と手を組み、貧しい人々から富を吸い上げていたとはな」
地獄の底から響いてくるような声に、バトリークは真っ青な顔で、何事かをぶつぶつと呟くことしかできていない。
「そ、それは……」
「私の目から逃れられると思っていたのか、バトリーク? お前の配下の中に私の息がかかった者など1人もいないと、本気で考えていたと?」
男はそういうとおもむろにターバンに手をかけ、そのまま布を振り払ってその下の素顔を露にする。
「……うそ……でしょ……?」
ブルーエッジの素顔を目の当たりにしたクリスが震える声で呟く。
同様に周りのやじ馬たちからも悲鳴や呻き声が発せられ、バトリークに至っては恐怖でまともな呼吸すら難しくなっているようだった。
ターバンの下の顔は、普通の人間男性のそれとは大きくかけ離れた容貌だった。
皮膚の上は凶暴なネズミの群れがかじり回ったかのように無数の傷跡で覆われており、顔面の大部分を、強酸を直接浴びせられたような火傷の跡が占めている。
その悍ましい傷跡の中に、ぞっとするような深紅の双眼と、蝋化した死体に似た色の白髪が置かれているのだ。その異形の顔は、正に旧世代の悪魔の具現と呼ぶにふさわしいだろう。
「これは……この世に存在しちゃいけいない類の顔だな」
「人のこと言えるか」
「!?」
ドミノとアラークのやり取りをよそに、ブルーエッジは怯えるバトリークの喉を鋼鉄の義手で締め上げた。
「がっ……か……」
「貴様のような小賢しい男を『追放』したのは間違いだった。『監視』しておくべきだったのだ。決して自由に行動などさせないように」
スラムの市民たちが怒りに唇を震わせるブルーエッジの姿を固唾を飲んで見守る中、広場の反対側から日傘を持つ従者と大勢の衛兵を従え、高貴な服装を身に纏った麗しい女性が姿を現した。
「領主様だ!」
「領主様が来てくれた! これで安心だ!」
領主と呼ばれた美しい女性は薄い雲が日差しを遮っていることを確認すると、日傘の下から足を踏み出して、ブルーエッジの眼前に立ちはだかる。
「手を離してやりなさい、Mr.ブルーエッジ」
「……」
地面に投げ落とされたバトリークは喉を押さえ、青紫色となった顔でゼーハーと荒い呼吸を繰り返す。
「当初の約束通りにさせてもらうぞ、領主よ。我々はこの男の拠点を捜索し、犯罪行為を立証するに足る証拠を全て提出した後、3日以内にこの国を去る。ここにいるバトリークの部下たちの処遇は全て貴殿に任せるとしよう」
「そんな、俺たちを見捨てる気ですか!」
「ふざけるな!」
何人かの兵士たちが抗議の声をあげるが、ブルーエッジの鋭い視線が向けられると同時に、すぐさま萎縮してしまう。
「愚か者共め……当初の誓約を自分から破って追放され、別の地域で我々の顔に泥を塗るような真似を続けていたお前たちを庇う義理など、私にはありはしない」
ブルーエッジはそう言って地面に転がっていたバトリークの体を肩に担ぎ上げる。
「だがバトリークの身柄はこちらに預からせてもらう。この男には魔物娘が治める国の監獄など生ぬるい。私自身の監視の下で拘束した方が世のためだ」
ブルーエッジは領主に背中を向けると、野次馬たちの側を通って、教会の方へと歩いていく。彼が連れてきた兵士たちは一言も発さずに、その後をついていくのだった。
「広場で騒ぎを起こした連中の身柄を確保しなさい! 怪我がひどい者はそのまま診療所に連れていくように!」
「おい、ちょっと待てよ! 何で俺たちまで捕まらなきゃなんないんだ!」
バトリークの私兵やギャングのみならず、コレールたちまで一緒に両手を後ろに回されているのを見て、ドミノは納得のいかない体で叫ぶ。
「おとなしく従えドミノ。私たちは……必要以上に暴れすぎた」
血の滴る太腿の傷口をコートで縛り上げながら呟くコレール。
「俺たちは正義の味方だぜ! 連中が焚書なんてふざけた真似をすることを未然に防いで――」
「おぉ……なひもみえない……あはり……あはりをくへぇ……」
「あっ……」
非常に間の悪いタイミングでドミノの方に、両目と舌を潰され、顔の皮膚の下の筋肉がむき出しになったラグノフがずるずると這いずって来る。
「(このっ! 黙ってろゴミが!)」
「あぐっ……」
ドミノは助けを求めるラグノフの顔面に何発か蹴りを入れて黙らせると、目の前の惨状に言葉を失う衛兵と領主に向かって精一杯の作り笑いを浮かべた。
「ああいやその、こいつは……最初からこんな感じだった」
「彼を捕まえなさい。5人以上で連行して、一番厳重な牢屋に入れること」
「くぁwせdrftgyふじこlp 」
コレールは複数人係で連行されていくドミノの姿を眺めながら、ブルーエッジが広場を去る際、自分に対してすれ違いざまに口にした一言を思い返していた。
「(連中を止めてくれて……感謝している)」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2日後。
あれだけの騒動となった「バトリーク焚書未遂事件」も、過ぎ去ってしまえば死者が1人も出なかったこともあり、事件の余波は急激に収束していった。舞台となった篝火広場もいつものありふれた喧騒を取り戻していったのだった。
「……つまり、領主は大分前から水面下でブルーエッジとの交渉を進めていたということだな……いつつ」
「ほらもう、動かないでください。今消毒の最中なんですから。もう少し城の診療所で手当てを受けてればいいのに……」
「そう言ってられるか。この探偵事務所には俺かカナリの存在が必要なんだ」
他の仲間とは違って衛兵による拘留を免れたエミリアは、ヴィンセントの探偵事務所で彼の傷口の手当てをしていた。
「それで、お前さんのお仲間は大丈夫なのか? 正しいことのためとはいえ、大分派手に暴れたからな……」
「コレールさんは、駐留してる魔王軍が掛け合ってくれるから心配無いっていってましたけど……あっ、ちょっと待ってください」
エミリアはそう言って一旦ピンセットを置くと、胸の谷間の中からトーク・クリスタルを取り出した。
――通話開始。
クリス「こちらクリスよ。エミィ、聞こえる?」
エミリア「はい。よく聞こえます。そっちは大丈夫ですか?」
クリス「今だに牢屋の中だけど、思ったより快適よ。コレールは傷が深いからここじゃなくて、城の診療室にいるわ」
アラーク「どうしたパルム……身体検査があっただろうにって? いいか、女の体には男にはない秘密のポケットがーー」
(何かをごつんと殴るような音)
エミリア「……クリスさん?」
クリス「何でもないわ。そっちの方も問題は無いわよね?」
エミリア「はい。ヴィンセントさんも元気です。……えっと、ドミノさんは……」
アラーク「ちょっと待ってくれ。隣の牢屋にいるみたいだから壁の脆い所をスプーンで掘ってて……よし、これで辛うじて覗けるぐらいは……」
(アラークが牢屋の隅に作った小さな穴を覗くと、猿轡を噛まされた上に拘束服を着せられ、更にその上から鎖でがんじがらめにされ、とどめに魔術封印の呪符を何枚も貼り付けられて芋虫のように蠢いているドミノの姿が見えた)
アラーク「安心しろエミィ。ドミノは絶好調だそうだ」
エミリア「あぁ、よかった……!」
ヴィンセント「おい、こっちはヴィンセントだ。全員無事で何よりだが、カナリの方はどうなんだ? 軽い火傷で済んでいたから、俺より先に事務所に帰ってると思ったんだが……」
クリス「……えーと、その……カナリはここにいなくて……」
ヴィンセント「なに? どういうことだ?」
クリス「えっと、ヴィンセントは怪我をしてるから、彼には言わないようにってカナリに口止めを……」
ヴィンセント「今から そこに 行くぜ?」
クリス「……カナリはね、バトリークたちの居た教会に行くつもりだと言ってたわ」
ヴィンセント「なっ……正気か!? 今あそこではブルーエッジの連中が撤収作業をしているはずだ! 魔物娘が行ったりしたら……」
クリス「私だって止めたわよ! でも、彼女が言うには、貴方がバトリークから盗み出した書簡……内容が主神教団が使う特別な暗号で書かれていたんだって。だから、それを
解読するための『鍵』を、ブルーエッジに持ち出される前に見つけ出す必要があるって……ヴィンセント? 聞いてる?」
エミリア「あ、あのクリスさん!? ヴィンセントさん、出て行っちゃいました! まだ手当の途中なのに!」
クリス「もう、どっちも向こう見ずなんだから……!」
ーー通話終了。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーースラム街の教会にて。
「下っ端に用はねえ。今すぐゼロ=ブルーエッジを出せ!」
「下らんことを言うな探偵。我々は明日にはこの国を出なければならない。将軍にお前の相手をしている暇などない」
教会の門前で重装備の兵士を前に凄むヴィンセント。今にも目の前の2人の兵士を殴り倒さんと言わんばかりの形相だ。
「うちの助手をこの辺りで見たはずだ。もししらばっくれでもしたらーー」
「奥の部屋までお前の怒鳴り声が聞こえてきたぞ? ヴィンセント=マーロウ」
ターバンで顔を隠したゼロ=ブルーエッジが前庭の方から歩いてきた。鋼鉄の義手で、鎧を着た何者かの体を引きずっている。
「妙な動きをした兵士がいると思ったらこの様だ。ここは一応主神の家とも言える場所……コソ泥や魔物娘がうろつくのを無視するわけにはいかないからな」
敬礼をする兵士たちの間からブルーエッジが放り投げたのは、ブルーエッジの引き連れてきた兵士と同じ鎧を着こんだカナリだった。
「カナリ!! 怪我はーー」
「それどころじゃないんだよヴィニー!!」
カナリは鎧の兜を脱ぐと切迫した表情でヴィンセントの肩に掴みかかった。
「僕はここに忍び込んでもう一度バトリークの部屋を探し回ったんだ! あの人たちが開けた隠し金庫が二重底になっていて、そこにバトリークが使っていた換字表があってーーそれで、貴方が治療を受けているときに事務所から持ち出した例の書簡の暗号が解読できたんだよ! その内容っていうのが……いや、ここじゃ駄目だ。城に行く! ヴィニーは事務所で待ってて!」
まくしたてるような早口でそこまで言い終えると、話についていけずに呆然としているヴィンセントをよそに、カナリは鎧を脱ぎ捨てながら領主の住む城の方面へと向かっていった。
「バトリークの所業をあばくためなら協力したものを……内容によっては我々に自分ごともみ消されるとでも思ったのか?」
ブルーエッジは言い終わる前にヴィンセントがカナリの後を全力で追いかけていったのを見て、あきれたようにため息をついた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーサンリスタル城。
ウィルザード上皇ムストフィル3世は、自分のためにあてがわれた部屋の窓から、下々の民たちが日常を過ごしている風景を眺めていた。背後では彼の私兵である二人の女騎士が、彼がサンリスタルから離れるための荷物を纏めている。
バァン!
部屋の扉が強引に開け放たれ、すかさず2人の騎士が武器を構えようとする。しかし上皇は手を挙げて彼女たちを制すると、闖入者に向かって静かに、だが威厳のある声色で話しかけた。
「私に会いに来たようだな、有名人のカナリとやら。まぁあの亜人はあまり口が堅い方ではなさそうだった……して、この私に何のようだ?」
「とぼけるなよ、ムストフィル3世……!」
カナリは憤怒の形相で上皇に向かって指を差す。
「篝火広場での焚書事件……! 裏で糸を引いていたのはあんたなんだろう!?」
ーー第29話に続く。
その頃、ヴィンセントは城から少し離れた場所で、胸を押さえながらぜいぜいと荒い息をついていた。
「くそ……年のせいか? 肺が痛ぇ……」
そう言って取り合えずトレンチコートのポケットからパイプ煙草を取りだす。
「くそっ!! よく考えたらこれのせいじゃねえか!!」
ヴィンセントは咥えようとしたパイプ煙草をそのまま地面に投げ捨てた。
「そんなの見れば分かるだろ! この馬鹿者!」
野次馬からの投石に晒されているバトリークは、走りよってきた兵士に怒鳴り付ける。
「いえ、そうではなくて……」
「じゃあ何の話だ!」
「……」
「な、何だって……?」
兵士に耳打ちされたバトリークの顔から、みるみる血の気が失せていく。
「全員武器をしまえ! 闘いは終わりだ! 武器をしまうんだ!」
「な……今なんと!?」
突然の宣言に兵士もギャングも一斉にバトリークの方に視線を向ける。
「バトリーク様、一体ーー」
「『将軍』が来てる! 全員武器を納めるんだ!」
「将軍」という単語が出てきた瞬間、篝火広場全体に緊張が走った。
バトリークの私兵たちはすぐさま武器をしまい、ギャングたちは隠れ場所を探すネズミの如く動揺した様子で辺りを見回している。
「『将軍』? カナリが言ってた『ゼロ=ブルーエッジ』のこと?」
「クリス」
アラークは咄嗟にクリスの体を自分の側に抱き寄せる。その表情はいつになく張りつめていた。
「ついに連中が出張ってきた。ゼロ=ブルーエッジのお出ましだ」
野次馬たちが一斉に広場の端に避けることで出来た空間に、数十人ほどの武装した集団が姿を表した。
兵士たちの装備はいずれも鍛えられた高品質であることが見た目でもわかり、動きにも一切の無駄がなく規律が取れている。
彼らを率いて姿を現したのは、誰の目に見ても異形というべき風貌の男だった。顔面を覆うターバンから覗く両目は赤黒い血の色を湛えており、右腕が魔術的な紋章の刻まれた鋼鉄の義手となっている。
兵士たちを率いる男はコレールたちには一切目もくれずにバトリークの元へと歩み寄ると、そのまま彼の眼前に無言で立ちはだかった。
「しょ……将軍。まさか一度は追放された我々の元に、貴方が来てくださるとは、思いもしませんでした」
「私も思いはしなかったぞ、バトリーク。まさかかつての部下が私の名を騙り、無法者と手を組み、貧しい人々から富を吸い上げていたとはな」
地獄の底から響いてくるような声に、バトリークは真っ青な顔で、何事かをぶつぶつと呟くことしかできていない。
「そ、それは……」
「私の目から逃れられると思っていたのか、バトリーク? お前の配下の中に私の息がかかった者など1人もいないと、本気で考えていたと?」
男はそういうとおもむろにターバンに手をかけ、そのまま布を振り払ってその下の素顔を露にする。
「……うそ……でしょ……?」
ブルーエッジの素顔を目の当たりにしたクリスが震える声で呟く。
同様に周りのやじ馬たちからも悲鳴や呻き声が発せられ、バトリークに至っては恐怖でまともな呼吸すら難しくなっているようだった。
ターバンの下の顔は、普通の人間男性のそれとは大きくかけ離れた容貌だった。
皮膚の上は凶暴なネズミの群れがかじり回ったかのように無数の傷跡で覆われており、顔面の大部分を、強酸を直接浴びせられたような火傷の跡が占めている。
その悍ましい傷跡の中に、ぞっとするような深紅の双眼と、蝋化した死体に似た色の白髪が置かれているのだ。その異形の顔は、正に旧世代の悪魔の具現と呼ぶにふさわしいだろう。
「これは……この世に存在しちゃいけいない類の顔だな」
「人のこと言えるか」
「!?」
ドミノとアラークのやり取りをよそに、ブルーエッジは怯えるバトリークの喉を鋼鉄の義手で締め上げた。
「がっ……か……」
「貴様のような小賢しい男を『追放』したのは間違いだった。『監視』しておくべきだったのだ。決して自由に行動などさせないように」
スラムの市民たちが怒りに唇を震わせるブルーエッジの姿を固唾を飲んで見守る中、広場の反対側から日傘を持つ従者と大勢の衛兵を従え、高貴な服装を身に纏った麗しい女性が姿を現した。
「領主様だ!」
「領主様が来てくれた! これで安心だ!」
領主と呼ばれた美しい女性は薄い雲が日差しを遮っていることを確認すると、日傘の下から足を踏み出して、ブルーエッジの眼前に立ちはだかる。
「手を離してやりなさい、Mr.ブルーエッジ」
「……」
地面に投げ落とされたバトリークは喉を押さえ、青紫色となった顔でゼーハーと荒い呼吸を繰り返す。
「当初の約束通りにさせてもらうぞ、領主よ。我々はこの男の拠点を捜索し、犯罪行為を立証するに足る証拠を全て提出した後、3日以内にこの国を去る。ここにいるバトリークの部下たちの処遇は全て貴殿に任せるとしよう」
「そんな、俺たちを見捨てる気ですか!」
「ふざけるな!」
何人かの兵士たちが抗議の声をあげるが、ブルーエッジの鋭い視線が向けられると同時に、すぐさま萎縮してしまう。
「愚か者共め……当初の誓約を自分から破って追放され、別の地域で我々の顔に泥を塗るような真似を続けていたお前たちを庇う義理など、私にはありはしない」
ブルーエッジはそう言って地面に転がっていたバトリークの体を肩に担ぎ上げる。
「だがバトリークの身柄はこちらに預からせてもらう。この男には魔物娘が治める国の監獄など生ぬるい。私自身の監視の下で拘束した方が世のためだ」
ブルーエッジは領主に背中を向けると、野次馬たちの側を通って、教会の方へと歩いていく。彼が連れてきた兵士たちは一言も発さずに、その後をついていくのだった。
「広場で騒ぎを起こした連中の身柄を確保しなさい! 怪我がひどい者はそのまま診療所に連れていくように!」
「おい、ちょっと待てよ! 何で俺たちまで捕まらなきゃなんないんだ!」
バトリークの私兵やギャングのみならず、コレールたちまで一緒に両手を後ろに回されているのを見て、ドミノは納得のいかない体で叫ぶ。
「おとなしく従えドミノ。私たちは……必要以上に暴れすぎた」
血の滴る太腿の傷口をコートで縛り上げながら呟くコレール。
「俺たちは正義の味方だぜ! 連中が焚書なんてふざけた真似をすることを未然に防いで――」
「おぉ……なひもみえない……あはり……あはりをくへぇ……」
「あっ……」
非常に間の悪いタイミングでドミノの方に、両目と舌を潰され、顔の皮膚の下の筋肉がむき出しになったラグノフがずるずると這いずって来る。
「(このっ! 黙ってろゴミが!)」
「あぐっ……」
ドミノは助けを求めるラグノフの顔面に何発か蹴りを入れて黙らせると、目の前の惨状に言葉を失う衛兵と領主に向かって精一杯の作り笑いを浮かべた。
「ああいやその、こいつは……最初からこんな感じだった」
「彼を捕まえなさい。5人以上で連行して、一番厳重な牢屋に入れること」
「くぁwせdrftgyふじこlp 」
コレールは複数人係で連行されていくドミノの姿を眺めながら、ブルーエッジが広場を去る際、自分に対してすれ違いざまに口にした一言を思い返していた。
「(連中を止めてくれて……感謝している)」
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2日後。
あれだけの騒動となった「バトリーク焚書未遂事件」も、過ぎ去ってしまえば死者が1人も出なかったこともあり、事件の余波は急激に収束していった。舞台となった篝火広場もいつものありふれた喧騒を取り戻していったのだった。
「……つまり、領主は大分前から水面下でブルーエッジとの交渉を進めていたということだな……いつつ」
「ほらもう、動かないでください。今消毒の最中なんですから。もう少し城の診療所で手当てを受けてればいいのに……」
「そう言ってられるか。この探偵事務所には俺かカナリの存在が必要なんだ」
他の仲間とは違って衛兵による拘留を免れたエミリアは、ヴィンセントの探偵事務所で彼の傷口の手当てをしていた。
「それで、お前さんのお仲間は大丈夫なのか? 正しいことのためとはいえ、大分派手に暴れたからな……」
「コレールさんは、駐留してる魔王軍が掛け合ってくれるから心配無いっていってましたけど……あっ、ちょっと待ってください」
エミリアはそう言って一旦ピンセットを置くと、胸の谷間の中からトーク・クリスタルを取り出した。
――通話開始。
クリス「こちらクリスよ。エミィ、聞こえる?」
エミリア「はい。よく聞こえます。そっちは大丈夫ですか?」
クリス「今だに牢屋の中だけど、思ったより快適よ。コレールは傷が深いからここじゃなくて、城の診療室にいるわ」
アラーク「どうしたパルム……身体検査があっただろうにって? いいか、女の体には男にはない秘密のポケットがーー」
(何かをごつんと殴るような音)
エミリア「……クリスさん?」
クリス「何でもないわ。そっちの方も問題は無いわよね?」
エミリア「はい。ヴィンセントさんも元気です。……えっと、ドミノさんは……」
アラーク「ちょっと待ってくれ。隣の牢屋にいるみたいだから壁の脆い所をスプーンで掘ってて……よし、これで辛うじて覗けるぐらいは……」
(アラークが牢屋の隅に作った小さな穴を覗くと、猿轡を噛まされた上に拘束服を着せられ、更にその上から鎖でがんじがらめにされ、とどめに魔術封印の呪符を何枚も貼り付けられて芋虫のように蠢いているドミノの姿が見えた)
アラーク「安心しろエミィ。ドミノは絶好調だそうだ」
エミリア「あぁ、よかった……!」
ヴィンセント「おい、こっちはヴィンセントだ。全員無事で何よりだが、カナリの方はどうなんだ? 軽い火傷で済んでいたから、俺より先に事務所に帰ってると思ったんだが……」
クリス「……えーと、その……カナリはここにいなくて……」
ヴィンセント「なに? どういうことだ?」
クリス「えっと、ヴィンセントは怪我をしてるから、彼には言わないようにってカナリに口止めを……」
ヴィンセント「今から そこに 行くぜ?」
クリス「……カナリはね、バトリークたちの居た教会に行くつもりだと言ってたわ」
ヴィンセント「なっ……正気か!? 今あそこではブルーエッジの連中が撤収作業をしているはずだ! 魔物娘が行ったりしたら……」
クリス「私だって止めたわよ! でも、彼女が言うには、貴方がバトリークから盗み出した書簡……内容が主神教団が使う特別な暗号で書かれていたんだって。だから、それを
解読するための『鍵』を、ブルーエッジに持ち出される前に見つけ出す必要があるって……ヴィンセント? 聞いてる?」
エミリア「あ、あのクリスさん!? ヴィンセントさん、出て行っちゃいました! まだ手当の途中なのに!」
クリス「もう、どっちも向こう見ずなんだから……!」
ーー通話終了。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーースラム街の教会にて。
「下っ端に用はねえ。今すぐゼロ=ブルーエッジを出せ!」
「下らんことを言うな探偵。我々は明日にはこの国を出なければならない。将軍にお前の相手をしている暇などない」
教会の門前で重装備の兵士を前に凄むヴィンセント。今にも目の前の2人の兵士を殴り倒さんと言わんばかりの形相だ。
「うちの助手をこの辺りで見たはずだ。もししらばっくれでもしたらーー」
「奥の部屋までお前の怒鳴り声が聞こえてきたぞ? ヴィンセント=マーロウ」
ターバンで顔を隠したゼロ=ブルーエッジが前庭の方から歩いてきた。鋼鉄の義手で、鎧を着た何者かの体を引きずっている。
「妙な動きをした兵士がいると思ったらこの様だ。ここは一応主神の家とも言える場所……コソ泥や魔物娘がうろつくのを無視するわけにはいかないからな」
敬礼をする兵士たちの間からブルーエッジが放り投げたのは、ブルーエッジの引き連れてきた兵士と同じ鎧を着こんだカナリだった。
「カナリ!! 怪我はーー」
「それどころじゃないんだよヴィニー!!」
カナリは鎧の兜を脱ぐと切迫した表情でヴィンセントの肩に掴みかかった。
「僕はここに忍び込んでもう一度バトリークの部屋を探し回ったんだ! あの人たちが開けた隠し金庫が二重底になっていて、そこにバトリークが使っていた換字表があってーーそれで、貴方が治療を受けているときに事務所から持ち出した例の書簡の暗号が解読できたんだよ! その内容っていうのが……いや、ここじゃ駄目だ。城に行く! ヴィニーは事務所で待ってて!」
まくしたてるような早口でそこまで言い終えると、話についていけずに呆然としているヴィンセントをよそに、カナリは鎧を脱ぎ捨てながら領主の住む城の方面へと向かっていった。
「バトリークの所業をあばくためなら協力したものを……内容によっては我々に自分ごともみ消されるとでも思ったのか?」
ブルーエッジは言い終わる前にヴィンセントがカナリの後を全力で追いかけていったのを見て、あきれたようにため息をついた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーサンリスタル城。
ウィルザード上皇ムストフィル3世は、自分のためにあてがわれた部屋の窓から、下々の民たちが日常を過ごしている風景を眺めていた。背後では彼の私兵である二人の女騎士が、彼がサンリスタルから離れるための荷物を纏めている。
バァン!
部屋の扉が強引に開け放たれ、すかさず2人の騎士が武器を構えようとする。しかし上皇は手を挙げて彼女たちを制すると、闖入者に向かって静かに、だが威厳のある声色で話しかけた。
「私に会いに来たようだな、有名人のカナリとやら。まぁあの亜人はあまり口が堅い方ではなさそうだった……して、この私に何のようだ?」
「とぼけるなよ、ムストフィル3世……!」
カナリは憤怒の形相で上皇に向かって指を差す。
「篝火広場での焚書事件……! 裏で糸を引いていたのはあんたなんだろう!?」
ーー第29話に続く。
その頃、ヴィンセントは城から少し離れた場所で、胸を押さえながらぜいぜいと荒い息をついていた。
「くそ……年のせいか? 肺が痛ぇ……」
そう言って取り合えずトレンチコートのポケットからパイプ煙草を取りだす。
「くそっ!! よく考えたらこれのせいじゃねえか!!」
ヴィンセントは咥えようとしたパイプ煙草をそのまま地面に投げ捨てた。
17/10/02 19:02更新 / SHAR!P
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