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第24話「アンラッキー・ヴィニーC」
ゴクゴクゴクゴクゴク……



「ドロシー! もう一杯!」

「一杯で十分ですよ」

「足りないよ! もう一杯頂戴!」

クリスとエミリアがスラム街の片隅にある酒場でカナリを見つけたとき、彼女はカウンター席で飲んだくれている最中だった。

尤も、ジョッキに注いで飲んでいるのは酒ではなく、牛乳である。

「これは相当……」

「荒れてますね……」

カナリは戸口の近くで遠巻きにしている二人の存在に気づくと、空のジョッキを振り回しながら、カウンターに立つオートマトンの給士にがなりたてた。

「ドロシー! あそこの二人にミルクを一杯ずつ!」

「一杯で十分ですよ」

「一杯じゃ足りないだろ! に・は・い!」

クリスたちがおじおじしつつもカナリに隣り合った席に座ると、彼女たちの前に牛乳を注いだジョッキが置かれた。

「ねぇ、あの……」

「一杯で十分ですよ」

「……え?」

オートマトンに話しかけようとしたクリスはここで、オートマトンが先程から同じ台詞しか話していないことに気がついた。

「あぁ、忘れてた。ドロシーは言語システムに異常があるんだ。話そうとしたって無駄だよ」

カナリはそう言うと、ジョッキの中の牛乳を一息で飲み干して、そのままカウンターの上に突っ伏してしまった。

「ヴィニーの奴……なんでいっつも僕の気持ちに気づかない振りをしてるんだ? 僕がまだ子供だとでもいうのか? それとも、最初から女として見てないのか……?」

カナリの落ち込みっぷりに、流石のクリスとエミリアもかける言葉が見つからない。やむを得ずクリスは、慰めの言葉をかける代わりに、話題を変えることにした。

「ねぇ、カナリ。ヴィンセントとはどういう形で知り合った関係なの?」

カナリはしばらくの間口をつぐんでいたが、やがてポツリポツリと自身の過去を語り始めた。


ーーーーーーー

カナリとその両親は数年前にハースハートに引っ越して来た家族であり、彼女の父親はワイン工場で働いていた。

しかし当時の工場の労働環境はファテイ=バトリークが暗躍する現在と比べても更に厳しく、労働時間の長さもさることながら、杜撰な安全管理故に、労働者の負傷も日常茶飯事だった。

それでも家族を養うために必死に働いていた彼ではあったが、ある日とうとう無理が祟って体を壊し、入院する羽目になってしまった。

カナリの母親は憤って企業の責任者に直談判を試みたが、責任者の姿を見ることすらできぬまま、門前払いを食らった。ウィルザードでは昔から男尊女卑の風潮が根付いており、女が大っぴらに抗議の声を上げても、誰一人耳を傾けるものはいなかったのだ。

このような状況に母親以上の怒りを覚えたカナリは、男物の服を揃えて青年の姿に変装すると、父を追い詰めた企業に復讐するための行動を始めた。

企業で働いている労働者に根気強く話しかけ、時には自身が工場に潜入して情報を集め続けた結果、違法な児童労働や給与のピンハネなど、悪質な不正の証拠が芋づる式に姿を表した。

カナリはそれらを文章にまとめて紙に書き記し、街のど真ん中で声を上げ、人々に父を苦しめた企業の実態を知らしめた。

最終的に彼女の努力は実を結び、企業の責任者たちは衛兵の手で捕縛され、牢屋行きを余儀なくされた。


しかし、この一見はあくまで始まりに過ぎなかった。

彼女の実績を知ったハースハートの労働者たちがこぞってカナリの元に自らの苦しい労働環境を訴え始めた。企業の横暴に苦しめられていたのは、カナリの父だけではなかったのだ。

労働者たちの悲痛な叫びを聞いたカナリは、彼らのために本格的な新聞の作成に取りかかった。

ハースハートの各地を自分の足で駆け回って情報を集め、企業のみならず、役人や衛兵の不正、ギャングの犯罪などを告発する記事を書き続けた。

加えて紙面上ではウィルザードに古くから根付く男尊女卑の悪習の批判や、読者から寄せられた相談への回答も行われた。

自動筆記(オートスペル)の魔法がかけられた羽ペンで大量生産された新聞は、キャラバンの手によってハースハートのみならずウィルザード中を駆け巡り、噂を聞き付けた魔物娘が各地からハースハートへカナリを訪ねに来るほどだった。

面白くないのが、不正に手を染めていた役人や企業、組合の幹部といった既得権益層である。単純な損得勘定の問題以前に彼らの様な人種、その中でも特に古株の人間は、「政治や労働といった男の世界に口を挟んでくる女は、レイプしてでも黙らせるべき」という思想を腹の内に秘めていた。
彼らは悪徳衛兵に賄賂を握らせ、カナリの動向の監視を始めた。

カナリはこれまで培ってきた情報網から、いち早く身の危険を察した。退院直前の父の身柄を母と共にグラン派の人々に預けると、自身はハースハートのスラム街に身を潜めることで、迫害から逃れようとしたのだった。


ーーーーーーーーーーーー

同じ頃、ヴィニー探偵事務所にてーー。


「あいつがこの家の戸を叩いた夜、俺は安酒を浴びるほど飲んで、死体みたいになって眠ってる最中だった。正直に言うと最初は面倒だったから、居留守で切り抜けようとしたんだ」

そう言うとヴィンセントは、自分とカナリのなり染めを語り始めた。

ーーーーーーーー

しつこく扉を叩き続ける音に我慢できなくなったヴィンセントは、自分の家と間違えたのであろう酔っぱらいを怒鳴り付けてやろうと玄関の扉を開けた。

予想に反して、そこに立っていたのは体に生々しい傷を負った少年だった。

少年は「匿って欲しい」とだけ告げると、ヴィンセントが返事をする前に家の中に飛び込んで、寝室に鍵をかけた。ヴィンセントが突然の闖入者を問い質そうとするのと同時に、衛兵が二人のやくざものを連れて玄関に姿を現した。

二人のギャングは、ヴィンセントの姿を見てギョッとしたが、衛兵はその事に気がつかず、高圧的な態度で国家に対する反逆者がここに逃げ込んだはずだと語った。

ヴィンセントの頭は酔いが回ってぼんやりしていたが、それでもこの衛兵が少年に何をするつもりなのかの予想くらいは可能だった。

ヴィンセントはシラをきりとおそうとしたが、衛兵がしつこく食い下がってきたため、結局少々強引な「説得」に頼ることになった。

悪徳衛兵は顔面と急所に2回ずつ膝蹴りを喰らってその場でのたうち回り、それを見た二人のギャングは悲鳴をあげて、一目散に逃げ出した。

ヴィンセントは寝室のドア越しに追っ手を追い払ったことを少年に告げると、夜が明けたら出ていくように言い含めてから、書斎机の椅子に座って居眠りを始めた。


結論から言うと、朝になっても少年はヴィンセントの家から立ち去ってはいなかった。

酷い頭痛に目を覚ましたヴィンセントが目にしたのは、黒毛の犬のような耳と尻尾を生やした夕べの少年が、パンと野菜サラダにヨーグルトといった朝食を持ってくる姿だった。

仕方なく数週間ぶりのまともな朝食をとることになったヴィンセントに、少年は昨夜の礼と自分が本当は男ではなく、「アヌビス」という魔物娘であること、そして自身の事情を話し始めた。

「(僕は『じゃあなりすと』だ。虐げられる人たちのために、ペンで戦っている。良かったら貴方の身の周りを世話する代わりに、僕の用心棒になって欲しい)」


ーーなにが「じゃあなりすと」だ。ペンなんかで他人を救えるものか。

ヴィンセントはカナリの考え方を鼻で笑った。だが彼女に、泥棒に家中荒らしまわられたかのような今の家の惨状を指摘されると、確かに家事を引き受けてくれる存在が必要だと自覚した。

こうして30過ぎの落ち目の男と、アヌビスの少女の共同生活が始まった。

カナリは家の中を常に清潔に保ち、ヴィンセントが一日三食の規則正しい食事をとれるようにした。

それだけではなく彼の乱れに乱れた生活リズムを正し、酒と薬を止めさせ、身嗜みを整えさせることで、浮浪者同然だった見た目をそれなりに見れるものにした。

ヴィンセントの世話をしている時以外の時間を、カナリは既得権益層の不正の証拠の調査や、スラム街の住民を含めたハースハートの庶民達への取材に費やした。

当時のヴィンセントは場末の酒場の用心棒として日銭を稼いでおり、その凶暴さと容赦の無さはスラム街中に知れ渡っていた。それ故に、ヴィンセントが彼女に付き添うようになってからスラム街のような治安の悪い場所においても、カナリに危害を加える人間は殆ど現れることはなくなった。

毎晩夜中まで机に向かい、何かに取り憑かれたかのように新聞を書き続けるカナリの姿を、ヴィンセントは理解しがたい存在を見る目で見つめていた。しかし、彼女を衛兵に突き出すことで厄介払いをしようなどといった考えは、不思議と思い浮かぶようなことはなかった。

やがてカナリの新聞でこの国の歪みを知った人々が行動を起こすようになり、ある日とうとう彼らは、一斉に反乱を起こすことを決意した。

労働者たちは集合時間を無視し、工場の設備を勝手に解体して売り払い、工場長の金庫を壊して貴重品を持ち去った。

政治に不満を持つ国民たちは腐敗した役人の屋敷の壁に落書きをし、敷地内に入り込んで、見せつけるように魔物娘と交わり始めた。

ハースハート全体で人々は仕事を放り出し、真昼間から酒を飲み、魔物娘と愛し合い、衛兵達を混乱させ、国中が堰を切ったかのような大混乱へと陥った。

尤も、彼らの行動に暴力が伴うようなことは最後までなかった。カナリが新聞の紙面において、魔物娘と協力すれば、暴力に訴える必要が無いことを繰り返し訴えていたからだ。

混乱の隙を突いて魔物娘が国王の宮殿に雪崩れ込んだことで、ハースハートにおける無血革命は成功に終わった。当時の国王や不正に手を染めた役人、一部の企業の上層部の人間は失脚することとなり、玉座には魔物娘達を率いたヴァンパイアが座ることとなった。

全ての悪人が居なくなったわけではないものの、この時から、ハースハートの親魔物国としての歩みが始まったのだった。


ーーーーーーーー

「革命が成功して身の危険を心配する必要がなくなっても、あいつは俺の家に居座り続けた。あいつは俺に酒場の用心棒の仕事を止めて、探偵として働くことを提案してきたんだ」

ここに来てコレールは、ヴィンセントの表情が今まで見た中でも一番穏やかになっていることに気がついた。

「最初の方はなかなか上手くいかなかったさ。あの頃の俺は、切れたら何をしでかすかわからない奴だって、恐れられていたからな。それでも迷子の猫を探したりとか、物取りの犯人を突き止めたりとか、そういう小さなことを地道に続けていく内に、少しずつ皆に信用されるようになった。『スラム街のど真ん中で人が血を流して倒れてるのに、衛兵が来てくれない? ヴィンセントを呼べ』、『ある日起きたら妻と娘が書き置きも無しに姿を消していた? ヴィンセントに相談してこい』みたいな感じでな。で、今に至るというわけだ。……まぁ、長くなっちまったが、これがスラム街の寂れた探偵事務所の主の、つまらない経歴さ」

ふぅ、と短い溜息をつくヴィンセント。

「話すのを渋っていた割には、最後の方はなかなか楽しそうだったじゃないか」

「うっせえよ、ジジイ」

アラークの指摘に憎まれ口を叩きながらも、ヴィンセントは口角の端をニィと上げて、ぎこちなくも彼らしい笑顔を作り出した。

「話してくれてありがとよ、ヴィンセント。私はちょっと外の空気を吸ってくる。お前も来るだろ、ドミノ」

「お、おう……」

コレールに続くドミノの顔には、ヴィンセントのそれとは異なる、極限状態で現れるタイプの笑顔が張り付いていた。


ーーーーーーーーーーーーー

同じ頃、ドロシーの酒場――。

カナリがヴィンセントの元で助手として働くようになった経緯を聞き終えたクリスとエミリアの二人は、少し興奮した様子でひそひそ話を始めていた。

「(カナリって、思っていた以上に凄いアヌビスだったのね。たった一人で国の在り方を変えるきっかけを作り出すなんて!)」

「(もう偉人ですよ! 偉人!)」

当のカナリはというと、空っぽのジョッキを見つめながらぶつぶつと独り言をつぶやいていた。

「……もういっそのこと、寝ている間に手足をふん縛って、無理やり――」

「いい考えね。私もいざとなったらそうしようかな(そ、それは駄目よ! そういうことはお互いの同意の上でやらないと!)」

「逆です、クリスさん! 本音と建前が逆になっています!」

「そいつはあまり良いアイデアとは言えないな、カナリ」

前触れも無しにカナリの隣に姿を現した男の声に、クリスとエミリアは2人揃ってひっくり返りそうになった。

「よう、お二人さん。先日は世話になったな」

ぼさぼさの金髪を頭に乗っけた冴えない風貌の男が、そう言ってジョッキの中のラム酒を一口飲み下す。

「フォ、フォークス! 貴方、どうしてここに!?」

「どうしてって、俺にも帰ってくる街ぐらいあるさ」

カナリの方はというと、別に初めての出来事でも無かったのか、フォークスの方を見もせずにぽつりと呟いた。

「久し振りだね。彼女たちには『フォークス』って呼ばせているのかい?」

「まぁ、そんなところだ。時にお前さん、その様子だとまたヴィンセントと喧嘩したみたいだな」

「……まぁね」

「そいで、喧嘩の内容は『彼が自分のことを女として見てくれない』ってところか」

「……」

「図星だな」

フォークスはやれやれだ、と呟いてからジョッキをカウンターに置いて、空のジョッキを見つめたままのカナリに向かって話し始めた。

「そんなに焦らなくても、あいつはお前さんのことをちゃんと大事に思っているよ。ただ男の生き方ってのはな、大抵傍から見ると、実際の頭の中とは矛盾しているように見えるもんさ」

カナリはやはりジョッキを見つめるだけだったが、表情には少し安堵の色がのぞき始めていた。

「まずは簡単なことから始めたらどうだ? デートに誘うとか、日ごろの感謝を伝えてみるとか」

「うん……そうだよね。いきなりベッドに誘っても、ヴィニーだって困っちゃうよね」

カナリは勘定をカウンターに置くと、椅子から降りて帰り支度を始めた。

「またアドバイスをくれてありがとう、『フォークス』。クリス、エミリア。僕、一旦探偵事務所の方に戻ってるね」

カナリは三人に対してニコっと精一杯の笑顔を向けると、酒場を後にした。




「あの娘は探偵と喧嘩をすると、いつもこの酒場に来てヤケ酒ならぬヤケミルクをあおるんだ。その度に俺がちょっとしたアドバイスくれてやってるのさ。ところで……」

そう言うとフォークスは、クリスたちの顔をじっと見つめてきた。酒場は光源が少なく薄暗いため、詳しい表情をうかがい知ることはできない。

「こうしてまた会ったのも何かの縁だ。この俺のちょっとした小話にでも付き合ってくれないか?」

「……別にいいけど、何の話?」

クリスは薄気味悪い雰囲気を感じつつも、フォークスの頼みを受け入れることにした。

「昔話さ。『海から来た悪魔』の伝説だ」


――第25話に続く。
17/04/03 20:17更新 / SHAR!P
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■作者メッセージ
視点がコロコロ変わるので分かりづらいかもしれませんが、要するにカナリとヴィンセントがほぼ同じ内容の過去話を語っていることになっています。漫画ならともかく、小説だとこういう表現は難しいよな……。

ドロシーの台詞の元ネタは、某世紀末RPGに出てくるロボットコック……の元ネタである某傑作SF映画の料理人の台詞から来ています(前者のオマージュも入っていますが)。ちなみに彼女、言語システムが壊れているというのは、酔った客に絡まれないようにするための方便で、旦那の前だと饒舌にしゃべるようですよ。

次回は「続・天使の住む家」を更新する予定だったのですが、どうしても書きたいネタが出てきたので、先にそちらの方から取り掛かります。「続・天使の住む家」の方はもうしばらくお待ちくださいませ。






「次回予告」

「ホワイトパレスの悲劇」の真相を知ったコレールは、ドミノとオニモッドを厳しく追及しようとする。その一方でクリスとエミリアは、フォークスから「海から来た悪魔」の伝説を語られるのであった。

次回、「海から来た悪魔の伝説」

人は、誰一人傷つけずに生きていくことは、不可能なのだろうか?

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