第23話「アンラッキー・ヴィニーB」
ヴィンセント=マーロウの生まれは、ウィルザード西部に位置する小さな村である。
貧しい村故に生活は決して楽ではなかったが、美しい姉と心優しい両親との暮らしのなかで、ヴィンセント少年は聡明な人間へと育っていった。
しかし、長年村を治めてきた村長が亡くなり、彼の息子がその後を継いでから、ヴィンセントの人生に暗雲がたちこみ始める。
父親と違って傲慢な性格だったその男は、自身の立場を利用して、ヴィンセントの姉に強引に婚姻を迫るようになった。
村長の息子の要求は日に日に強引さを増していき、ヴィンセントが16の年のある夜、事件は起こった。
寝室でふと目を覚ましたヴィンセントは、居間の方が騒がしいことに気付いた。恐る恐る部屋のドアを開けて隙間から目を覗かせると、視界に姉を取り囲む複数人の男の姿が飛び込んできた。連中の足元には、縛り上げられた両親が転がされている。
「(奴ら、よってたかって姉さんを手籠めにする気だ)」
ヴィンセントは激怒したが、怒りに任せていきなり寝室から飛び出すようなことはしなかった。彼は頭に血が昇るほど逆に冷静な行動をとる人間だった。
ヴィンセントは寝室の花瓶を毛布で包むと、音を立てないように上から力をかけて割り、破片の中から一番鋭くて持ちやすいものを手に取った。
そのまま蛇のように寝室のドアから這い出し、興奮して周りが見えなくなっている村長の息子の背後に忍び寄る。
一瞬で村長の息子の喉は切り裂かれ、赤黒い鮮血が床を汚した。
男は白目を剥き、必死に喉元を押さえようとしながら床の上でのたうち回っていたが、血の海の中で動かなくなるのにそれほど時間はかからなかった。
扇動者の生々しい死に様の一部始終を見てしまった取り巻きたちは、悲鳴をあげて我先にと家の外へと飛び出していった。
正当防衛とはいえ、現在の村の長を有無を言わさず殺したことが村に知れたら、村八分は免れない。取り巻きの中には村の有力者の息子もいたため、その迫害は尚更酷いものとなるだろう。
ヴィンセントとその家族は、取り巻きたちが他の村人を連れて戻ってくる前に素早く荷物をまとめ、夜の闇に紛れて生まれ故郷である村を去っていった。
それから数年間、ヴィンセント達はウィルザード各地を転々としてなんとか生き延びてきた。しかし、排他的な人間の多いウィルザードでそのような生き方をするのは、キャラバンでもない限り難しく、加えてヴィンセントの姉は村での出来事が切っ掛けで精神を病んでいた。
だが、ここでマーロウ一家に好機が訪れた。
中央大陸からやってきた主神教団の一派が、皇帝から購入した土地を開拓するための労働者を、募集し始めたのだ。彼らはとにかく労働力を求めており、労働者の経歴をとやかく言うことはなかった。
ヴィンセントと彼の父は開拓に参加し、毎日懸命に働いた。教団は金払いも良く、マーロウ家は少しずつまとまった財産を積み立てていった。ウィルザードに神聖ステンド国が建国された時、ヴィンセントは28になっていた。この頃には、姉の精神状態も大分回復していた。
その幸運も、長続きはしなかった。神聖ステンド国の上層部が、奴隷制度を積極的に導入し始めた頃から、彼を取り巻く環境の雲行きが再び怪しくなってきた。
当時のウィルザードでは奴隷ビジネスは合法であり、ヴィンセントの家では奴隷の使役はしていなかったものの、ヴィンセントは特に彼らに対して哀れみを覚えるようなこともなかった。金持ちや権力者の支配下で奴隷たちが虐げられる光景は、彼にとって別に珍しいものでもなかったのだ。
「(俺一人が声をあげたところで、奴らが救われることもあるまい。それに、奴ら自身にも奴隷に堕ちた原因はあるに違いない)」
この後ヴィンセントの身に降りかかる災難は、このような傲慢ともとれる考えの報いだったのかもしれない。
その日、ステンド国の守護兵士として働いていたヴィンセントは、いつも以上に多いトラブルの対処に奔走していた。
何故か今日に限って奴隷が主人を刺しただの、バフォメットやドラゴンといった強力な魔物を目撃しただのといった報告が次々と舞い込んできたのだ。
その忙しさたるやヴィンセントの同僚達はおろか、当時の軍務大臣や魔物対策大臣といった、国の幹部まで現場に引きずり出されるほどだった。
そのような状況の中、突如として巨大な地響きが街の空気を震わし、それに続いて腹の底まで響くような怒号と悲鳴が彼らの耳を貫いた。
その時ヴィンセント達たちは、これらのトラブルが自分たちを陽動するための囮に過ぎないことに気がついた。
神聖ステンド国の象徴であり、教団の司祭や枢機卿、役人が業務及び生活を行う、巨大な白亜の城ーーホワイト・パレスが、邪悪な闇の結界に覆われていた。結界の周りには、どこからともなく姿を現した魔物娘たちが集っていた。
魔物娘達が計画した、奴隷の反乱だった。
結界の外から得られる情報は限られていたが、聞こえてくる耳を塞ぎたくなる様な悲鳴や、血や臓物が撒き散らされる音からして、城の内部が怒れる奴隷達の無法地帯となっていることは想像に難くなかった。
守護兵士達は気が狂ったかのように結界を壊そうとしていた。城の敷地内には兵士とその家族が暮らす兵舎があり、そこには彼らの妻や子供たちが残されていたのだ。
体中に傷を負った女性が一人、城の敷地から出ようとして結界に阻まれた。
ヴィンセントはどうにかして彼女を救い出そうとしたが、その前に後を追ってきた奴隷たちが彼女を捕らえ、泣き叫ぶ女性を城の中まで引きずり込んでいった。ヴィンセントは、その様子をただ見ていることしかできなかった。
守護兵士と大臣たちは死力を尽くして結界を破ろうとしたが、結局ホワイト・パレスが解放される頃には、夜が明けていた。
ヴィンセントの姉は、家族が住む兵舎の部屋の、衣装入れの中で亡くなっているのが見つかった。その顔は恐怖と絶望で歪んでいた。
現場の調査から、彼女が死を迎える直前の状況が明らかになった。反乱が始まったその時、いち早く異変を感じた彼女はとっさに衣装入れの中に隠れて、内側から鍵をかけた。しかし不運にも司祭の妻を捕らえた奴隷たちがその部屋の中に女性を連れ込み、凌辱を始めたのだ。
姉は衣装入れの中で女性の悲鳴と男たちの怒号を聞きながら、自身が昔強姦されかけたときのトラウマを思い出していたのだろう。彼女の死因は強烈な緊張による心臓発作だった。
ヴィンセントがかつて人を殺してまで守ろうとした女性の命は、またしても男たちの暴力的な欲求に晒されることで、失われてしまった。
ーーーーーーーーーーーーー
「おい、ちょっと待った、ストップだ。今の話にはおかしい部分がある」
コレールはそういってヴィンセントの語りを中断させた。
「その奴隷たちの反乱は、ステンド国に入り込んでいた魔物娘たちが計画したものだったんだろ? それならどうしてそんなに酷いことになったんだ? あいつらが行き過ぎた暴力や凌辱を許すはずがない」
ヴィンセントは口から大きく煙を吐くと、吐き捨てるように一言だけ呟いた。
「Mr.スマイリーだ」
コレールはすぐさまドミノに対して射殺すような視線を向けた。ドミノは表情こそ変えなかったが、その顔色は見る見るうちに真っ白になっていき、アラークとパルムは血の気の引いたドミノの顔を見て怪訝な表情を浮かべていた。
「あの怪物は魔物娘たちの反乱計画を察知すると、教団に買われた奴隷に化けてステンド国に潜り込んだんだ。そして魔物娘たちには存在を感づかれないようにしながら、奴隷たちの憎悪を煽り立てていった。『魔物たちのやり方では甘すぎる』、『君たちにはこれまでされてきたことをそのままやり返す権利がある』ってな。最終的に奴隷たちはMr.スマイリーの方を信用するようになり、決行日には魔物娘たちをスマイリーの結界の外へと締め出した」
――――――――――――――――
その後、奴隷制度は撤廃され、奴隷たちは自由を手に入れた。彼らの凶行が罪に問われることはなかった。
家族を失った守護兵士たちや、国の上層部のの遺族らは当然反感を抱いたが、表立って抗議するようなことはなかった。誰もが元奴隷たちに歯向かうことで、Mr.スマイリーに目を付けられることを恐れていた。
その後、神聖ステンド国は大きく分けて三つの派閥に分裂することとなった。
魔物娘と友好的な関係を築いていこうとする「グラン派」、主神教の教えに敬意を示すことを約束する魔物娘のみを受け入れ、魔物娘の排除活動を禁じることで、あくまで中立の方針を貫こうとする「中立派」、昔ながらの主神教の教えに倣って魔族を積極的に排除していこうとする「ブルーエッジ派」である。
ヴィンセントはブルーエッジ派に加わり、当時たまたま外出していたことで難を逃れた両親に財産の殆どを残すと、ステンド国を後にした。魔物娘たちに悪気があったわけではないことは理解していたが、姉の死の遠因となった存在と友好的な関係を築きたくはなかったし、姉を死に追いやったたうえに裁かれることもないであろう連中が、街中を堂々と歩き回る姿は絶対に見たくなかった。国を出たとき、ヴィンセントは30になっていた。
ブルーエッジ派はウィルザードの各地で魔王軍の拠点を破壊し、小さな村から魔物娘を追いだし、魔族が排除されるべき存在であるという教えを説いて回った。
ある日、ゼロ=ブルーエッジは部下たちに農村へと向かい、食料を買い取ってくるように命令を下した。派遣された兵士たちの中にはヴィンセントの他に、ファテイ=バトリークや、彼がブルーエッジ派に加わった時に、気の置けない仲となった友人も参加していた。
ゼロは農民たちがブルーエッジ派に悪い印象を抱くことを防ぐために、あえて高値で食料を買い付けるようバトリークに指示していた。
しかし、彼の方針に内心反感を抱いていたバトリークが、農村側の責任者に対して高圧的な態度で交渉を行い、相手側もそれに反発したため、交渉の場は一触即発の空気に包まれた。
やがて、どちらの暴言が引き金となったかは定かではないが、直情的な議論の応酬は暴力沙汰へと発展した。
農村側の責任者とその妻は、武装した兵士たちの手であっという間に殴り倒され、それを止めようとした娘もまた、服を引き裂かれて床に押し倒された。
バトリークは責任者の手で真っ先に気絶させられていたため、もはや彼らに蛮行を止めるよう命令できる者はいなかった。ヴィンセントの友人も、その輪の中に加わっていた。
ヴィンセントはどうにかして仲間たちの暴走に歯止めをかけようとした。しかし、半裸の美女を前にして、圧倒的強者の立場に立った男たちの下卑た欲望が収まるはずもない。理知的で思慮深かったはずの友人の表情は、弱者への優越感と、邪な性欲に染まっていた。
それを見た瞬間、ヴィンセントの頭の中に記憶が津波の如く沸き上がってきた。
か弱い姉を取り囲む男たち。
奴隷たちに命乞いをしながら連れ去られていく女性。
トラウマに苦しみながら事切れたであろう姉の死に顔。
ヴィンセントの中で、何かが堰を切って崩れ始めた。
ヴィンセントが気が付いた時には、家屋の中は血溜まりが広がり、死体が転がる惨劇の場へと変貌していた。
自分の剣の柄がかつて友人だったものの肛門から突き出しているのを見たヴィンセントは、自分が娘を守るために、仲間たちを虐殺した当事者であるということを理解した。
ヴィンセントは壊れたからくり人形の様な動きで窓の方に顔を向けると、返り血に染まっ自身の風貌が、旧時代の悪魔の様に映っていた。
――――――――――――――――――
「農村で何が起こったかを知ったゼロ将軍の怒りは凄まじかった。すぐさまバトリークに制裁を加えて、仲間内から追放した。だが、仲間たちを何人も殺めた俺もまた、将軍の下にはいられずに、去ることになったんだ」
しばらくの間、探偵事務所の中を重苦しい空気が支配した。
「あんたはその娘を守るために正義を為したんだ、ヴィンセント。気にすることはないさ」
沈黙を破ったコレールの言葉に、ヴィンセントは自嘲的な笑みを浮かべた。
「『正義』か。農村の娘は泡を吹いてひっくり返っていたし、返り血にまみれた俺を、娘の両親は殺人鬼か何かを見るような目で見ていたよ。いずれにしても俺は、友人を自分の手で殺したんだ」
前より肩が小さくなったようにも見えるヴィンセントの様子から、コレールは彼がカナリを拒む理由を察した。
カナリが彼と深い仲になろうとする度、ヴィンセントの頭の中では複雑で重苦しい感情の渦が巻き起こるのだ。その渦は、性的な情動への嫌悪や姉の死への無力感、魔物娘への不信、そして、若く弱い女性を前にした友人の変貌に対する恐怖と、友人を説得出来ないまま、己の手にかけたという罪悪感などで構成されているのだろう。
「ブルーエッジ派を追放された俺は、何年かの放浪の内に、ハースハートのスラム街へと流れついた。酷い有様だったよ。酒場の用心棒で稼いだなけなしの金は、殆どが酒と薬に変わっていった。毎晩のように殺した友人が夢の中に現れて、俺の姉を犯しながら、ひたすら罵倒をぶちまけてくるんだ。そんな悪夢を忘れるには、トリップする以外に方法がなかった」
ヴィンセントにとって、間違いなく人生最悪の時期であった。
そのような状況の中で彼の前に姿を表したのは、自らを「じゃあなりすと」と名乗るアヌビスの少女だった。
――24話に続く。
貧しい村故に生活は決して楽ではなかったが、美しい姉と心優しい両親との暮らしのなかで、ヴィンセント少年は聡明な人間へと育っていった。
しかし、長年村を治めてきた村長が亡くなり、彼の息子がその後を継いでから、ヴィンセントの人生に暗雲がたちこみ始める。
父親と違って傲慢な性格だったその男は、自身の立場を利用して、ヴィンセントの姉に強引に婚姻を迫るようになった。
村長の息子の要求は日に日に強引さを増していき、ヴィンセントが16の年のある夜、事件は起こった。
寝室でふと目を覚ましたヴィンセントは、居間の方が騒がしいことに気付いた。恐る恐る部屋のドアを開けて隙間から目を覗かせると、視界に姉を取り囲む複数人の男の姿が飛び込んできた。連中の足元には、縛り上げられた両親が転がされている。
「(奴ら、よってたかって姉さんを手籠めにする気だ)」
ヴィンセントは激怒したが、怒りに任せていきなり寝室から飛び出すようなことはしなかった。彼は頭に血が昇るほど逆に冷静な行動をとる人間だった。
ヴィンセントは寝室の花瓶を毛布で包むと、音を立てないように上から力をかけて割り、破片の中から一番鋭くて持ちやすいものを手に取った。
そのまま蛇のように寝室のドアから這い出し、興奮して周りが見えなくなっている村長の息子の背後に忍び寄る。
一瞬で村長の息子の喉は切り裂かれ、赤黒い鮮血が床を汚した。
男は白目を剥き、必死に喉元を押さえようとしながら床の上でのたうち回っていたが、血の海の中で動かなくなるのにそれほど時間はかからなかった。
扇動者の生々しい死に様の一部始終を見てしまった取り巻きたちは、悲鳴をあげて我先にと家の外へと飛び出していった。
正当防衛とはいえ、現在の村の長を有無を言わさず殺したことが村に知れたら、村八分は免れない。取り巻きの中には村の有力者の息子もいたため、その迫害は尚更酷いものとなるだろう。
ヴィンセントとその家族は、取り巻きたちが他の村人を連れて戻ってくる前に素早く荷物をまとめ、夜の闇に紛れて生まれ故郷である村を去っていった。
それから数年間、ヴィンセント達はウィルザード各地を転々としてなんとか生き延びてきた。しかし、排他的な人間の多いウィルザードでそのような生き方をするのは、キャラバンでもない限り難しく、加えてヴィンセントの姉は村での出来事が切っ掛けで精神を病んでいた。
だが、ここでマーロウ一家に好機が訪れた。
中央大陸からやってきた主神教団の一派が、皇帝から購入した土地を開拓するための労働者を、募集し始めたのだ。彼らはとにかく労働力を求めており、労働者の経歴をとやかく言うことはなかった。
ヴィンセントと彼の父は開拓に参加し、毎日懸命に働いた。教団は金払いも良く、マーロウ家は少しずつまとまった財産を積み立てていった。ウィルザードに神聖ステンド国が建国された時、ヴィンセントは28になっていた。この頃には、姉の精神状態も大分回復していた。
その幸運も、長続きはしなかった。神聖ステンド国の上層部が、奴隷制度を積極的に導入し始めた頃から、彼を取り巻く環境の雲行きが再び怪しくなってきた。
当時のウィルザードでは奴隷ビジネスは合法であり、ヴィンセントの家では奴隷の使役はしていなかったものの、ヴィンセントは特に彼らに対して哀れみを覚えるようなこともなかった。金持ちや権力者の支配下で奴隷たちが虐げられる光景は、彼にとって別に珍しいものでもなかったのだ。
「(俺一人が声をあげたところで、奴らが救われることもあるまい。それに、奴ら自身にも奴隷に堕ちた原因はあるに違いない)」
この後ヴィンセントの身に降りかかる災難は、このような傲慢ともとれる考えの報いだったのかもしれない。
その日、ステンド国の守護兵士として働いていたヴィンセントは、いつも以上に多いトラブルの対処に奔走していた。
何故か今日に限って奴隷が主人を刺しただの、バフォメットやドラゴンといった強力な魔物を目撃しただのといった報告が次々と舞い込んできたのだ。
その忙しさたるやヴィンセントの同僚達はおろか、当時の軍務大臣や魔物対策大臣といった、国の幹部まで現場に引きずり出されるほどだった。
そのような状況の中、突如として巨大な地響きが街の空気を震わし、それに続いて腹の底まで響くような怒号と悲鳴が彼らの耳を貫いた。
その時ヴィンセント達たちは、これらのトラブルが自分たちを陽動するための囮に過ぎないことに気がついた。
神聖ステンド国の象徴であり、教団の司祭や枢機卿、役人が業務及び生活を行う、巨大な白亜の城ーーホワイト・パレスが、邪悪な闇の結界に覆われていた。結界の周りには、どこからともなく姿を現した魔物娘たちが集っていた。
魔物娘達が計画した、奴隷の反乱だった。
結界の外から得られる情報は限られていたが、聞こえてくる耳を塞ぎたくなる様な悲鳴や、血や臓物が撒き散らされる音からして、城の内部が怒れる奴隷達の無法地帯となっていることは想像に難くなかった。
守護兵士達は気が狂ったかのように結界を壊そうとしていた。城の敷地内には兵士とその家族が暮らす兵舎があり、そこには彼らの妻や子供たちが残されていたのだ。
体中に傷を負った女性が一人、城の敷地から出ようとして結界に阻まれた。
ヴィンセントはどうにかして彼女を救い出そうとしたが、その前に後を追ってきた奴隷たちが彼女を捕らえ、泣き叫ぶ女性を城の中まで引きずり込んでいった。ヴィンセントは、その様子をただ見ていることしかできなかった。
守護兵士と大臣たちは死力を尽くして結界を破ろうとしたが、結局ホワイト・パレスが解放される頃には、夜が明けていた。
ヴィンセントの姉は、家族が住む兵舎の部屋の、衣装入れの中で亡くなっているのが見つかった。その顔は恐怖と絶望で歪んでいた。
現場の調査から、彼女が死を迎える直前の状況が明らかになった。反乱が始まったその時、いち早く異変を感じた彼女はとっさに衣装入れの中に隠れて、内側から鍵をかけた。しかし不運にも司祭の妻を捕らえた奴隷たちがその部屋の中に女性を連れ込み、凌辱を始めたのだ。
姉は衣装入れの中で女性の悲鳴と男たちの怒号を聞きながら、自身が昔強姦されかけたときのトラウマを思い出していたのだろう。彼女の死因は強烈な緊張による心臓発作だった。
ヴィンセントがかつて人を殺してまで守ろうとした女性の命は、またしても男たちの暴力的な欲求に晒されることで、失われてしまった。
ーーーーーーーーーーーーー
「おい、ちょっと待った、ストップだ。今の話にはおかしい部分がある」
コレールはそういってヴィンセントの語りを中断させた。
「その奴隷たちの反乱は、ステンド国に入り込んでいた魔物娘たちが計画したものだったんだろ? それならどうしてそんなに酷いことになったんだ? あいつらが行き過ぎた暴力や凌辱を許すはずがない」
ヴィンセントは口から大きく煙を吐くと、吐き捨てるように一言だけ呟いた。
「Mr.スマイリーだ」
コレールはすぐさまドミノに対して射殺すような視線を向けた。ドミノは表情こそ変えなかったが、その顔色は見る見るうちに真っ白になっていき、アラークとパルムは血の気の引いたドミノの顔を見て怪訝な表情を浮かべていた。
「あの怪物は魔物娘たちの反乱計画を察知すると、教団に買われた奴隷に化けてステンド国に潜り込んだんだ。そして魔物娘たちには存在を感づかれないようにしながら、奴隷たちの憎悪を煽り立てていった。『魔物たちのやり方では甘すぎる』、『君たちにはこれまでされてきたことをそのままやり返す権利がある』ってな。最終的に奴隷たちはMr.スマイリーの方を信用するようになり、決行日には魔物娘たちをスマイリーの結界の外へと締め出した」
――――――――――――――――
その後、奴隷制度は撤廃され、奴隷たちは自由を手に入れた。彼らの凶行が罪に問われることはなかった。
家族を失った守護兵士たちや、国の上層部のの遺族らは当然反感を抱いたが、表立って抗議するようなことはなかった。誰もが元奴隷たちに歯向かうことで、Mr.スマイリーに目を付けられることを恐れていた。
その後、神聖ステンド国は大きく分けて三つの派閥に分裂することとなった。
魔物娘と友好的な関係を築いていこうとする「グラン派」、主神教の教えに敬意を示すことを約束する魔物娘のみを受け入れ、魔物娘の排除活動を禁じることで、あくまで中立の方針を貫こうとする「中立派」、昔ながらの主神教の教えに倣って魔族を積極的に排除していこうとする「ブルーエッジ派」である。
ヴィンセントはブルーエッジ派に加わり、当時たまたま外出していたことで難を逃れた両親に財産の殆どを残すと、ステンド国を後にした。魔物娘たちに悪気があったわけではないことは理解していたが、姉の死の遠因となった存在と友好的な関係を築きたくはなかったし、姉を死に追いやったたうえに裁かれることもないであろう連中が、街中を堂々と歩き回る姿は絶対に見たくなかった。国を出たとき、ヴィンセントは30になっていた。
ブルーエッジ派はウィルザードの各地で魔王軍の拠点を破壊し、小さな村から魔物娘を追いだし、魔族が排除されるべき存在であるという教えを説いて回った。
ある日、ゼロ=ブルーエッジは部下たちに農村へと向かい、食料を買い取ってくるように命令を下した。派遣された兵士たちの中にはヴィンセントの他に、ファテイ=バトリークや、彼がブルーエッジ派に加わった時に、気の置けない仲となった友人も参加していた。
ゼロは農民たちがブルーエッジ派に悪い印象を抱くことを防ぐために、あえて高値で食料を買い付けるようバトリークに指示していた。
しかし、彼の方針に内心反感を抱いていたバトリークが、農村側の責任者に対して高圧的な態度で交渉を行い、相手側もそれに反発したため、交渉の場は一触即発の空気に包まれた。
やがて、どちらの暴言が引き金となったかは定かではないが、直情的な議論の応酬は暴力沙汰へと発展した。
農村側の責任者とその妻は、武装した兵士たちの手であっという間に殴り倒され、それを止めようとした娘もまた、服を引き裂かれて床に押し倒された。
バトリークは責任者の手で真っ先に気絶させられていたため、もはや彼らに蛮行を止めるよう命令できる者はいなかった。ヴィンセントの友人も、その輪の中に加わっていた。
ヴィンセントはどうにかして仲間たちの暴走に歯止めをかけようとした。しかし、半裸の美女を前にして、圧倒的強者の立場に立った男たちの下卑た欲望が収まるはずもない。理知的で思慮深かったはずの友人の表情は、弱者への優越感と、邪な性欲に染まっていた。
それを見た瞬間、ヴィンセントの頭の中に記憶が津波の如く沸き上がってきた。
か弱い姉を取り囲む男たち。
奴隷たちに命乞いをしながら連れ去られていく女性。
トラウマに苦しみながら事切れたであろう姉の死に顔。
ヴィンセントの中で、何かが堰を切って崩れ始めた。
ヴィンセントが気が付いた時には、家屋の中は血溜まりが広がり、死体が転がる惨劇の場へと変貌していた。
自分の剣の柄がかつて友人だったものの肛門から突き出しているのを見たヴィンセントは、自分が娘を守るために、仲間たちを虐殺した当事者であるということを理解した。
ヴィンセントは壊れたからくり人形の様な動きで窓の方に顔を向けると、返り血に染まっ自身の風貌が、旧時代の悪魔の様に映っていた。
――――――――――――――――――
「農村で何が起こったかを知ったゼロ将軍の怒りは凄まじかった。すぐさまバトリークに制裁を加えて、仲間内から追放した。だが、仲間たちを何人も殺めた俺もまた、将軍の下にはいられずに、去ることになったんだ」
しばらくの間、探偵事務所の中を重苦しい空気が支配した。
「あんたはその娘を守るために正義を為したんだ、ヴィンセント。気にすることはないさ」
沈黙を破ったコレールの言葉に、ヴィンセントは自嘲的な笑みを浮かべた。
「『正義』か。農村の娘は泡を吹いてひっくり返っていたし、返り血にまみれた俺を、娘の両親は殺人鬼か何かを見るような目で見ていたよ。いずれにしても俺は、友人を自分の手で殺したんだ」
前より肩が小さくなったようにも見えるヴィンセントの様子から、コレールは彼がカナリを拒む理由を察した。
カナリが彼と深い仲になろうとする度、ヴィンセントの頭の中では複雑で重苦しい感情の渦が巻き起こるのだ。その渦は、性的な情動への嫌悪や姉の死への無力感、魔物娘への不信、そして、若く弱い女性を前にした友人の変貌に対する恐怖と、友人を説得出来ないまま、己の手にかけたという罪悪感などで構成されているのだろう。
「ブルーエッジ派を追放された俺は、何年かの放浪の内に、ハースハートのスラム街へと流れついた。酷い有様だったよ。酒場の用心棒で稼いだなけなしの金は、殆どが酒と薬に変わっていった。毎晩のように殺した友人が夢の中に現れて、俺の姉を犯しながら、ひたすら罵倒をぶちまけてくるんだ。そんな悪夢を忘れるには、トリップする以外に方法がなかった」
ヴィンセントにとって、間違いなく人生最悪の時期であった。
そのような状況の中で彼の前に姿を表したのは、自らを「じゃあなりすと」と名乗るアヌビスの少女だった。
――24話に続く。
17/03/07 01:10更新 / SHAR!P
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