第22話「アンラッキー・ヴィニーA」
コレールたちがヴィンセント=マーロウの救出に向かっている間、残りの四人は必然的にヴィンセントの事務所で留守番を任されていた。
そして、退屈を持て余した人間、特に男が集まると、大抵ろくでもないことを始めるものである。
「なぁ親父ィ……暇だからお人形遊びでもしようぜ……」
「いいぜ……」
ドミノはアラークの返答を聞くと、懐から小さな女の子の人形と子犬の人形を取り出した。
「よし。じゃあ俺はサリーちゃんの役をやるから、親父は犬の役をやってくれ」
「あぁ、任せろ」
ドミノは子犬の人形をアラークに渡すと、早速机の上で「サリーちゃん」に扮した人形に台詞を当て始めた。
「ルンルン♪ 今日はいい天気♪ 絶好のお散歩日和だわ♪」
「ワンワン!」
「あら! 可愛い子犬ちゃん! ほらほら、こっちにおいで♪」
「クゥーン……」
「んっほぉぉぉぉぉぉっっっ!!! 犬チンポぎっもちぃぃぃぃぃっっっ!!! 獣姦セックシュでいっぐうぅぅぅぅっっっっっ!!!」
「おらぁ! もっと良い声で鳴けやこの雌豚がぁ! ……ワンワン!」
「やめてくださいっ!!」
エミリアが豪快に胸を揺らして放ったハリセンアタックが、二人の頭を直撃する。
「コレールさんもクリスさんもいないからって羽目外しすぎです! 子供も見てるんですよ!」
「……すみません……」
テーブルに突っ伏しながら二人の駄目男が弱々しい声で呟く。幼い魔物の少女に折檻を受ける彼らの姿を見て、パルムはこういう大人には絶対になるまいと決意した。
「どうやら、うちの事務所に騒がしい連中が居座ってるようだな」
時をほぼ同じくして、探偵事務所の主であるヴィンセントが、三日ぶりに自分の城へと足を踏み入れた。無論、コレール、クリス、カナリの三人の魔物娘たちも一緒である。
「この人たちはコレールの仲間だよ、ヴィニー。皆、彼がヴィンセント=マーロウーー」
「わぁ、初めまして! エミリア=イージスです!」
ヴィンセントの姿を目にしたエミリアが、星屑を散りばめたかのように目を輝かせながら、彼の元へと駆け寄る。
「あの、『探偵ポールの事件簿』って知ってますか!? 私、あの小説の大ファンで、探偵っていう職業に凄く憧れてるんです! このトレンチコートってどこで売ってるものですか? 物を深く考える時ってやっぱりパイプとか吸いますか?」
実際エミリアはその純朴で騙されやすい性格故に、特に幼い頃は、護衛無しに外を歩き回る様な機会は限られていた。そんな彼女にとっての最大の楽しみは、クールな名探偵が難事件の謎を解き明かしていく、娯楽小説だったのだ。
「あー、その……まぁ、そんな感じだな」
憧れの存在を前にしたエミリアがピョコピョコ跳ねる度に、その小柄な体には不釣り合いな巨乳がだぷんだぷんと大きく揺れる。
その迫力のある光景に、ヴィンセントの方も流石に動揺を隠せなかった。
そして、カナリの表情をちらりと見た探偵は、その動揺を完全に見透かされていることを察した。
「ほらヴィニー、疲れてるだろ? 一旦椅子に座った方が良い。ほらほら、服も脱いで」
明らかに機嫌を損ねた様子で、ヴィンセントを奥にある書斎机の方に引っ張っていくカナリ。
ヴィンセントはされるがままに帽子も上着も取り上げられ、そのままほぼ強制的に、椅子に座らされたのだった。
帽子を脱いだことで、ヴィンセント=マーロウの顔つきがよく分かるようになった。寂れた色の茶髪には所々白髪が混じっており、顔面に刻まれた皺からは、教会の地下牢で初めて会ったときよりも、更に年老いている印象を受ける。しかし、若い頃につけられたのだろう唇の端の傷跡や、猛禽類を思わせるグレーの瞳が、この男を見くびるべきではない存在であるという事実を、雄弁に語っていた。
「おいおい……待てカナリ。何をしているんだ」
ヴィンセントを座らせるや否や、カナリはコレールたちの目も憚らず、彼の首筋に鼻をくっつけてクンクンと臭いを嗅ぎ始めた。
「ヴィニー……体臭がけっこうキツイじゃないか。もしかして、風呂に入っていないのかい?」
「当たり前だ! 連中がわざわざ俺を風呂に入れてくれるとでも思うか!?」
コレール達が揃って目を皿の様にして、自分らを見つめていることに気付くと、ヴィンセントは慌ててカナリの顔を首筋から引き剥がそうとした。
「おい、探偵のおっさん。うちのボスから俺たちの目的は聞いてんだろ?」
見るからに虫の居所の悪いドミノが、ヴィンセントの座っている机の上に足を乗っけて、チンピラの様な勢いで問い質す。
「俺たちはアンタに辿り着くまで相当な苦労を費やしたんだ。今更何も知らないなんて言わないよな?」
「あぁ、勿論だとも。カナリ。本棚から『砂の王冠』に関する資料を持ってきてくれ」
ヴィンセントは、尚も彼の体臭を嗅ごうとするカナリをその言葉でどうにか引き剥がすと、自分は懐から虫眼鏡を取り出した。
「それと、例の『魂の宝玉』を実際に見せてほしい。そうしないと、俺たちの立てた仮説に自信が持てないからな」
コレールとクリスは、言われた通りに二つの宝石をヴィンセントの手に渡した。アドルフ=ベントの魂が込められた蒼い宝石と、ジョン=ヘリックスの魂が込められた深紅の宝石だ。
「あの……あんまりそうやって人のことをじろじろ見つめないでくれますカ?」
「我慢してくれ。もう少し……」
ベントの訴えを受け流しながら、魂の宝玉を虫眼鏡で観察し、カナリから渡された書籍の内容を参照していくヴィンセント。
ベントと同様にヘリックスの宝玉も穴が開きそうな程観察されていく。ヘリックスは文句こそ言わなかったが、ヴィンセントの視線から解放されるまで、不機嫌な狼の様な唸り声をあげ続けていた。
「何てこった……。伝説は事実だった」
ヴィンセントは虫眼鏡をしまうなり、そう言いながら顔を掌で覆って擦り始める。
「これは恐ろしいことだよヴィニー。宝玉が、悪人の手に渡らないようにしないと」
「おい、ちょっと待ってくれ。二人だけで納得してないで、私たちにも分かるよう説明してくれよ」
ヴィンセント達の行動に、今に至るまで沈黙を余儀なくされていたコレールが、業を煮やして彼らに問いかける。
ヴィンセントは顔から手を離すと、真剣な面持ちでコレール達を見渡した。
「いいか、あんた達。今から話す内容は、決して信用できない連中には言いふらすな。あんた達が魂の宝玉を集めているということも含めてだ」
そのように前置きすると、ヴィンセントは自分とカナリで導き出した、魂の宝玉の正体に関しての説を語り始めた。
「遥か昔……恐らく魔王の代替わりよりもずっと前だ。当時のウィルザードの皇帝は、己の支配を磐石な物とするために、強力なマジックアイテムの製作を臣下に命じた。『砂の王冠』と名付けられたそのアイテムには、魔力が込められた物体の魔力を増幅し、その影響力を何倍にも高めることの出来る、触媒としての効果があった」
「その『魔力が込められた物体』っていうのは、もしかして……」
クリスの言葉に、ヴィンセントは無言で頷く。
「そう、『魂の宝玉』だ。強大な魔力を持つ魔術師の魂を宝玉に封じ込め、『砂の王冠』の力でその影響力を更に増幅させる。もしその装置が完成していたら、皇帝は今の魔王に匹敵する程の魔力を手中に収めていただろうな」
「その……具体的に、完成した『砂の王冠』を使うと、どのようなことが起こるのでしょうか?」
エミリアの質問に、ヴィンセントは少しの間沈黙してから口を開いた。
「例えるなら……魔王の代替わりの前、魔物は人間を襲い、傷つける存在だった。だが代替わりの以後、全ての魔物達は本能で人間を愛し、傷つけることを拒むようになり、その様な変化について、疑問すら抱かなくなっていった。恐らく、『砂の王冠』には、似たような現象を起こす効果があったのだろう。ウィルザードの誰もが王冠の持ち主にひれ伏すことこそ、絶対的に正しいことだと信じるようになり、そのことについて、一筋の疑念すら決して抱かない……この節に関しては、大分俺の推測が交じっているけどな」
カナリはヴィンセントの例え方に不服に思う部分があることを言おうとしたが、彼が話を続けようとしたため、出かかった言葉を寸でで飲み込んだ。
「結局、『砂の王冠』が本来の力を発揮することはなかった。王冠の作成を命じられた臣下が皇帝を裏切り、王冠と『魂の宝玉』を自分のものにしようとしたんだ。当然、皇帝はその目論見を阻止しようとした。この争いはやがて、『砂の王冠』でウィルザードの全てを支配しようとするあらゆる勢力ーー貴族、豪商、その他の権力者を巻き込んでいき……戦火はウィルザード全域に広がっていった。そして混乱の最中、宝玉はその活性を失い、ウィルザードの各地へと散らばっていった」
「活性を失った『魂の宝玉』が、最近になって再び力を取り戻した原因は?」
ここに来て、ずっと口をつぐんでいたアラークが、自身の頭によぎった疑問を口に出した。
「……これも、俺の推測に過ぎんが、恐らく魔物娘の存在が関係している。元々ウィルザードには、そこまで魔物の数は多くなかったんだ。だが、近年魔物娘が大量に移住してきたことで、ウィルザード全体に、魔物娘……人間よりも高い魔力を持つ存在が勢力を広げるようになってきた。その魔力に反応した魂の宝玉が、各地で再びその力を取り戻していった……こういう風に考えることも出来るな」
ヴィンセントは椅子から身を乗り出すと、その鋭い眼差しで、コレールの目を真正面から捉えた。
「コレール。俺が一番伝えたいのはな、あんたが集めているこの『魂の宝玉』ってのは、『砂の王冠』との関係も考えると、人間の手には余る代物だということだ。多分、魔物娘の手にもな。あんたの仕事を邪魔するつもりはないが、せめてこのことだけは、頭の片隅に留めといてくれ。あんたとお仲間は、ウィルザードに生きる全ての人々を巻き込みかねない問題に、片足を突っ込んでるんだ」
ヴィンセントは再び椅子に深く座ると、一服するためにパイプを取り出して、火を付けようとする。
だが、それを見たカナリは目にも止まらぬ早業で彼の手からパイプを取り上げた。
「ヴィニー! 煙草は肺に悪いから止めろって、何度も言ってるじゃないか!」
「おいおい、勘弁してくれよ。酒も薬も止めた今、こいつを一服するぐらいしか、スッキリするための手段が無いんだ」
カナリは呆れたと言わんばかりに溜め息をつくと、自分を指差して、黒い体毛をぶわっと膨らませながら口を開いた。
「スッキリしたいだって……? そんなにスッキリしたいなら、僕を抱けば済む話だろ!」
この突然のカナリの大胆発言に、コレール達は様々なリアクションを繰り出すこととなった。
コレールは口笛を吹きながらドミノの背中を叩き、その衝撃でドミノはたまたま水筒から口に含んでいた飲み水の全てを、パルムの顔にぶっかけた。クリスとエミリアはお互いの両手を繋いでキャーキャーヤダヤダと叫びながら、その場で跳ねまくり、アラークは驚きのあまり、手の中で弄んでいた犬の人形の首を引きちぎっていた。ヘリックスが絶句している隣で、ベントは耳障りな甲高い声で、ヴィンセントをからかう歓声をあげていた。
「人前で何を言い出しやがるんだ! 自分がどんなにおかしなことを言ってるのか分かってんのか!」
一気に蜂の巣を突ついた様な騒ぎに飲み込まれた事務所の様子を見て、ヴィンセントは口調を荒げてカナリを叱りつける。
「僕は正気だ、ヴィニー! 大体、若い女と一つ屋根の下で暮らしておいて、一向に手を出さないそっちの方が絶対におかしいよ! アラーク、君もそう思うだろ!?」
「えっ、あっ、あ……まぁ、そうだな(ここで私に振るのか……)」
「何だったら、今から始めたって、僕は全然構わないぞ! コレール達には少しの間、外で待ってもらってーーあ痛っ!」
(色んな意味で)興奮して捲し立てているアヌビスの少女の頭に、ヴィンセントの強めのチョップが炸裂した。
「十年早いぜこのマセガキめ。馬鹿も休み休み言いやがれ! 少し表で頭を冷やしてきた方が良いんじゃねえか!?」
その言葉を聞いた瞬間、カナリの膨らんでいた体毛が一気に勢いを失い、頭上で凛々しく立っていた耳もへちゃりと垂れてしまった。
いくら魔物娘と言えど、難しい年頃の乙女が好意を持っている男性にここまではっきりと拒否されたら、多少なりとも心が傷つくのは当然のことである。
「そう……なら言われた通りにしてくるさ」
カナリは目に溢れそうな程の涙を浮かべたのを見られないように、その場で振り向くと、そのまま何も言わずに事務所の玄関から外へと飛び出していった。
「あっ、カナリさん!」
すかさず彼女の後をエミリアが追い、クリスもそれに続こうとする。
「ヴィンセント……私は貴方の方も、少し頭を冷やすべきだと思うわ」
クリスは軽蔑した目でそれだけ言い残すと、エミリアの後を追って事務所を後にした。
ーーーーーーーー
「なぁ、ヴィンセントーー」
「何も話す気は無いぞ、コレール。借りは返したんだから、あんた達にもそろそろ帰って貰わなきゃな」
「そりゃねえぜオッサン!」
けんもほろろに突き放そうとするヴィンセントの態度に苦言を呈するドミノ。
「どうしてあの娘を受け入れてやらないんだ? あんたホモなのか? いや待てよ……そうか、さてはインポーー……分かったよ。俺が悪かったから、許してくれ」
ヴィンセントが足元を這い回るゴキブリを見るような目で睨み付けてきたので、ドミノは怯えた表情で追及を諦めた。
「止すんだドミノ。そもそも、今日顔を会わせたばかりの私達に、彼が腹の内まで晒さなければならない道理は存在しない」
「親父……」
アラークは部屋の端に立て掛けてあった竹箒を持ち歩きながらドミノを嗜める。
「きっと彼のカナリに対する態度には、おいそれと人には言えない事情が隠されているんだろう……おおっと! ここにあるのは何かなぁ!?」
突然大きな声をあげたアラークが竹箒の柄で天井を叩くと、衝撃でパカリと開いた天井板の奥から、ドサドサと何冊もの本が転がり落ちてきた。
「おまっ……! ふっ、ふざけっ……!」
血相を変えたヴィンセントをよそに、ドミノが落ちてきた本の中身をパラパラと捲って、苦笑を漏らす。
「何だよ。これ全部エロ本じゃないか。そういうことに興味が無いって訳じゃなさそうだな……」
アラークはさも楽しそうに本の一冊を手に取ると、穏やかな笑みを浮かべつつ、ヴィンセントに詰め寄った。
「これはこれは……カナリはこういう代物が隠されてるって知ってるのかな? 実際に聞いてみようか……」
「あんたまじでやめろ……! 前に見つかった時は、一週間口も聞いてくれなかったんだ……!」
男として、この手の本を隠し持っているということは、別段珍しいということではない。だが、同棲しているカナリの方は納得しないだろう。
「交渉の基本は、相手の弱味を握ることだよ」
アラークがコレールの耳元で囁く。しかしコレールは首を左右に振って彼の体を押し退けると、ひきつった顔のヴィンセントに向かって話しかけた。
「なぁ、ヴィンセント。どうしてそこまでして彼女を拒むのか、教えてくれないか? 私も魔物娘の端くれとして、同胞の人間に対する好意が酷く突き放されることに、簡単に納得することは出来ないんだ」
ヴィンセントは丸々一分程黙ったままコレールの顔を見つめていたが、結局観念したかの様に頭を抱えた体勢で、椅子の上に座り込んだ。
「たっく……俺の身の上話か。どうせ、聞いても気が滅入るだけだよ」
「問題ないさ。こう見えてその手の話には慣れている」
ヴィンセントは長い溜め息をつくと、少なくとも人に誇れる物ではない自身の過去について語り始めた。
ーー第23話に続く。
そして、退屈を持て余した人間、特に男が集まると、大抵ろくでもないことを始めるものである。
「なぁ親父ィ……暇だからお人形遊びでもしようぜ……」
「いいぜ……」
ドミノはアラークの返答を聞くと、懐から小さな女の子の人形と子犬の人形を取り出した。
「よし。じゃあ俺はサリーちゃんの役をやるから、親父は犬の役をやってくれ」
「あぁ、任せろ」
ドミノは子犬の人形をアラークに渡すと、早速机の上で「サリーちゃん」に扮した人形に台詞を当て始めた。
「ルンルン♪ 今日はいい天気♪ 絶好のお散歩日和だわ♪」
「ワンワン!」
「あら! 可愛い子犬ちゃん! ほらほら、こっちにおいで♪」
「クゥーン……」
「んっほぉぉぉぉぉぉっっっ!!! 犬チンポぎっもちぃぃぃぃぃっっっ!!! 獣姦セックシュでいっぐうぅぅぅぅっっっっっ!!!」
「おらぁ! もっと良い声で鳴けやこの雌豚がぁ! ……ワンワン!」
「やめてくださいっ!!」
エミリアが豪快に胸を揺らして放ったハリセンアタックが、二人の頭を直撃する。
「コレールさんもクリスさんもいないからって羽目外しすぎです! 子供も見てるんですよ!」
「……すみません……」
テーブルに突っ伏しながら二人の駄目男が弱々しい声で呟く。幼い魔物の少女に折檻を受ける彼らの姿を見て、パルムはこういう大人には絶対になるまいと決意した。
「どうやら、うちの事務所に騒がしい連中が居座ってるようだな」
時をほぼ同じくして、探偵事務所の主であるヴィンセントが、三日ぶりに自分の城へと足を踏み入れた。無論、コレール、クリス、カナリの三人の魔物娘たちも一緒である。
「この人たちはコレールの仲間だよ、ヴィニー。皆、彼がヴィンセント=マーロウーー」
「わぁ、初めまして! エミリア=イージスです!」
ヴィンセントの姿を目にしたエミリアが、星屑を散りばめたかのように目を輝かせながら、彼の元へと駆け寄る。
「あの、『探偵ポールの事件簿』って知ってますか!? 私、あの小説の大ファンで、探偵っていう職業に凄く憧れてるんです! このトレンチコートってどこで売ってるものですか? 物を深く考える時ってやっぱりパイプとか吸いますか?」
実際エミリアはその純朴で騙されやすい性格故に、特に幼い頃は、護衛無しに外を歩き回る様な機会は限られていた。そんな彼女にとっての最大の楽しみは、クールな名探偵が難事件の謎を解き明かしていく、娯楽小説だったのだ。
「あー、その……まぁ、そんな感じだな」
憧れの存在を前にしたエミリアがピョコピョコ跳ねる度に、その小柄な体には不釣り合いな巨乳がだぷんだぷんと大きく揺れる。
その迫力のある光景に、ヴィンセントの方も流石に動揺を隠せなかった。
そして、カナリの表情をちらりと見た探偵は、その動揺を完全に見透かされていることを察した。
「ほらヴィニー、疲れてるだろ? 一旦椅子に座った方が良い。ほらほら、服も脱いで」
明らかに機嫌を損ねた様子で、ヴィンセントを奥にある書斎机の方に引っ張っていくカナリ。
ヴィンセントはされるがままに帽子も上着も取り上げられ、そのままほぼ強制的に、椅子に座らされたのだった。
帽子を脱いだことで、ヴィンセント=マーロウの顔つきがよく分かるようになった。寂れた色の茶髪には所々白髪が混じっており、顔面に刻まれた皺からは、教会の地下牢で初めて会ったときよりも、更に年老いている印象を受ける。しかし、若い頃につけられたのだろう唇の端の傷跡や、猛禽類を思わせるグレーの瞳が、この男を見くびるべきではない存在であるという事実を、雄弁に語っていた。
「おいおい……待てカナリ。何をしているんだ」
ヴィンセントを座らせるや否や、カナリはコレールたちの目も憚らず、彼の首筋に鼻をくっつけてクンクンと臭いを嗅ぎ始めた。
「ヴィニー……体臭がけっこうキツイじゃないか。もしかして、風呂に入っていないのかい?」
「当たり前だ! 連中がわざわざ俺を風呂に入れてくれるとでも思うか!?」
コレール達が揃って目を皿の様にして、自分らを見つめていることに気付くと、ヴィンセントは慌ててカナリの顔を首筋から引き剥がそうとした。
「おい、探偵のおっさん。うちのボスから俺たちの目的は聞いてんだろ?」
見るからに虫の居所の悪いドミノが、ヴィンセントの座っている机の上に足を乗っけて、チンピラの様な勢いで問い質す。
「俺たちはアンタに辿り着くまで相当な苦労を費やしたんだ。今更何も知らないなんて言わないよな?」
「あぁ、勿論だとも。カナリ。本棚から『砂の王冠』に関する資料を持ってきてくれ」
ヴィンセントは、尚も彼の体臭を嗅ごうとするカナリをその言葉でどうにか引き剥がすと、自分は懐から虫眼鏡を取り出した。
「それと、例の『魂の宝玉』を実際に見せてほしい。そうしないと、俺たちの立てた仮説に自信が持てないからな」
コレールとクリスは、言われた通りに二つの宝石をヴィンセントの手に渡した。アドルフ=ベントの魂が込められた蒼い宝石と、ジョン=ヘリックスの魂が込められた深紅の宝石だ。
「あの……あんまりそうやって人のことをじろじろ見つめないでくれますカ?」
「我慢してくれ。もう少し……」
ベントの訴えを受け流しながら、魂の宝玉を虫眼鏡で観察し、カナリから渡された書籍の内容を参照していくヴィンセント。
ベントと同様にヘリックスの宝玉も穴が開きそうな程観察されていく。ヘリックスは文句こそ言わなかったが、ヴィンセントの視線から解放されるまで、不機嫌な狼の様な唸り声をあげ続けていた。
「何てこった……。伝説は事実だった」
ヴィンセントは虫眼鏡をしまうなり、そう言いながら顔を掌で覆って擦り始める。
「これは恐ろしいことだよヴィニー。宝玉が、悪人の手に渡らないようにしないと」
「おい、ちょっと待ってくれ。二人だけで納得してないで、私たちにも分かるよう説明してくれよ」
ヴィンセント達の行動に、今に至るまで沈黙を余儀なくされていたコレールが、業を煮やして彼らに問いかける。
ヴィンセントは顔から手を離すと、真剣な面持ちでコレール達を見渡した。
「いいか、あんた達。今から話す内容は、決して信用できない連中には言いふらすな。あんた達が魂の宝玉を集めているということも含めてだ」
そのように前置きすると、ヴィンセントは自分とカナリで導き出した、魂の宝玉の正体に関しての説を語り始めた。
「遥か昔……恐らく魔王の代替わりよりもずっと前だ。当時のウィルザードの皇帝は、己の支配を磐石な物とするために、強力なマジックアイテムの製作を臣下に命じた。『砂の王冠』と名付けられたそのアイテムには、魔力が込められた物体の魔力を増幅し、その影響力を何倍にも高めることの出来る、触媒としての効果があった」
「その『魔力が込められた物体』っていうのは、もしかして……」
クリスの言葉に、ヴィンセントは無言で頷く。
「そう、『魂の宝玉』だ。強大な魔力を持つ魔術師の魂を宝玉に封じ込め、『砂の王冠』の力でその影響力を更に増幅させる。もしその装置が完成していたら、皇帝は今の魔王に匹敵する程の魔力を手中に収めていただろうな」
「その……具体的に、完成した『砂の王冠』を使うと、どのようなことが起こるのでしょうか?」
エミリアの質問に、ヴィンセントは少しの間沈黙してから口を開いた。
「例えるなら……魔王の代替わりの前、魔物は人間を襲い、傷つける存在だった。だが代替わりの以後、全ての魔物達は本能で人間を愛し、傷つけることを拒むようになり、その様な変化について、疑問すら抱かなくなっていった。恐らく、『砂の王冠』には、似たような現象を起こす効果があったのだろう。ウィルザードの誰もが王冠の持ち主にひれ伏すことこそ、絶対的に正しいことだと信じるようになり、そのことについて、一筋の疑念すら決して抱かない……この節に関しては、大分俺の推測が交じっているけどな」
カナリはヴィンセントの例え方に不服に思う部分があることを言おうとしたが、彼が話を続けようとしたため、出かかった言葉を寸でで飲み込んだ。
「結局、『砂の王冠』が本来の力を発揮することはなかった。王冠の作成を命じられた臣下が皇帝を裏切り、王冠と『魂の宝玉』を自分のものにしようとしたんだ。当然、皇帝はその目論見を阻止しようとした。この争いはやがて、『砂の王冠』でウィルザードの全てを支配しようとするあらゆる勢力ーー貴族、豪商、その他の権力者を巻き込んでいき……戦火はウィルザード全域に広がっていった。そして混乱の最中、宝玉はその活性を失い、ウィルザードの各地へと散らばっていった」
「活性を失った『魂の宝玉』が、最近になって再び力を取り戻した原因は?」
ここに来て、ずっと口をつぐんでいたアラークが、自身の頭によぎった疑問を口に出した。
「……これも、俺の推測に過ぎんが、恐らく魔物娘の存在が関係している。元々ウィルザードには、そこまで魔物の数は多くなかったんだ。だが、近年魔物娘が大量に移住してきたことで、ウィルザード全体に、魔物娘……人間よりも高い魔力を持つ存在が勢力を広げるようになってきた。その魔力に反応した魂の宝玉が、各地で再びその力を取り戻していった……こういう風に考えることも出来るな」
ヴィンセントは椅子から身を乗り出すと、その鋭い眼差しで、コレールの目を真正面から捉えた。
「コレール。俺が一番伝えたいのはな、あんたが集めているこの『魂の宝玉』ってのは、『砂の王冠』との関係も考えると、人間の手には余る代物だということだ。多分、魔物娘の手にもな。あんたの仕事を邪魔するつもりはないが、せめてこのことだけは、頭の片隅に留めといてくれ。あんたとお仲間は、ウィルザードに生きる全ての人々を巻き込みかねない問題に、片足を突っ込んでるんだ」
ヴィンセントは再び椅子に深く座ると、一服するためにパイプを取り出して、火を付けようとする。
だが、それを見たカナリは目にも止まらぬ早業で彼の手からパイプを取り上げた。
「ヴィニー! 煙草は肺に悪いから止めろって、何度も言ってるじゃないか!」
「おいおい、勘弁してくれよ。酒も薬も止めた今、こいつを一服するぐらいしか、スッキリするための手段が無いんだ」
カナリは呆れたと言わんばかりに溜め息をつくと、自分を指差して、黒い体毛をぶわっと膨らませながら口を開いた。
「スッキリしたいだって……? そんなにスッキリしたいなら、僕を抱けば済む話だろ!」
この突然のカナリの大胆発言に、コレール達は様々なリアクションを繰り出すこととなった。
コレールは口笛を吹きながらドミノの背中を叩き、その衝撃でドミノはたまたま水筒から口に含んでいた飲み水の全てを、パルムの顔にぶっかけた。クリスとエミリアはお互いの両手を繋いでキャーキャーヤダヤダと叫びながら、その場で跳ねまくり、アラークは驚きのあまり、手の中で弄んでいた犬の人形の首を引きちぎっていた。ヘリックスが絶句している隣で、ベントは耳障りな甲高い声で、ヴィンセントをからかう歓声をあげていた。
「人前で何を言い出しやがるんだ! 自分がどんなにおかしなことを言ってるのか分かってんのか!」
一気に蜂の巣を突ついた様な騒ぎに飲み込まれた事務所の様子を見て、ヴィンセントは口調を荒げてカナリを叱りつける。
「僕は正気だ、ヴィニー! 大体、若い女と一つ屋根の下で暮らしておいて、一向に手を出さないそっちの方が絶対におかしいよ! アラーク、君もそう思うだろ!?」
「えっ、あっ、あ……まぁ、そうだな(ここで私に振るのか……)」
「何だったら、今から始めたって、僕は全然構わないぞ! コレール達には少しの間、外で待ってもらってーーあ痛っ!」
(色んな意味で)興奮して捲し立てているアヌビスの少女の頭に、ヴィンセントの強めのチョップが炸裂した。
「十年早いぜこのマセガキめ。馬鹿も休み休み言いやがれ! 少し表で頭を冷やしてきた方が良いんじゃねえか!?」
その言葉を聞いた瞬間、カナリの膨らんでいた体毛が一気に勢いを失い、頭上で凛々しく立っていた耳もへちゃりと垂れてしまった。
いくら魔物娘と言えど、難しい年頃の乙女が好意を持っている男性にここまではっきりと拒否されたら、多少なりとも心が傷つくのは当然のことである。
「そう……なら言われた通りにしてくるさ」
カナリは目に溢れそうな程の涙を浮かべたのを見られないように、その場で振り向くと、そのまま何も言わずに事務所の玄関から外へと飛び出していった。
「あっ、カナリさん!」
すかさず彼女の後をエミリアが追い、クリスもそれに続こうとする。
「ヴィンセント……私は貴方の方も、少し頭を冷やすべきだと思うわ」
クリスは軽蔑した目でそれだけ言い残すと、エミリアの後を追って事務所を後にした。
ーーーーーーーー
「なぁ、ヴィンセントーー」
「何も話す気は無いぞ、コレール。借りは返したんだから、あんた達にもそろそろ帰って貰わなきゃな」
「そりゃねえぜオッサン!」
けんもほろろに突き放そうとするヴィンセントの態度に苦言を呈するドミノ。
「どうしてあの娘を受け入れてやらないんだ? あんたホモなのか? いや待てよ……そうか、さてはインポーー……分かったよ。俺が悪かったから、許してくれ」
ヴィンセントが足元を這い回るゴキブリを見るような目で睨み付けてきたので、ドミノは怯えた表情で追及を諦めた。
「止すんだドミノ。そもそも、今日顔を会わせたばかりの私達に、彼が腹の内まで晒さなければならない道理は存在しない」
「親父……」
アラークは部屋の端に立て掛けてあった竹箒を持ち歩きながらドミノを嗜める。
「きっと彼のカナリに対する態度には、おいそれと人には言えない事情が隠されているんだろう……おおっと! ここにあるのは何かなぁ!?」
突然大きな声をあげたアラークが竹箒の柄で天井を叩くと、衝撃でパカリと開いた天井板の奥から、ドサドサと何冊もの本が転がり落ちてきた。
「おまっ……! ふっ、ふざけっ……!」
血相を変えたヴィンセントをよそに、ドミノが落ちてきた本の中身をパラパラと捲って、苦笑を漏らす。
「何だよ。これ全部エロ本じゃないか。そういうことに興味が無いって訳じゃなさそうだな……」
アラークはさも楽しそうに本の一冊を手に取ると、穏やかな笑みを浮かべつつ、ヴィンセントに詰め寄った。
「これはこれは……カナリはこういう代物が隠されてるって知ってるのかな? 実際に聞いてみようか……」
「あんたまじでやめろ……! 前に見つかった時は、一週間口も聞いてくれなかったんだ……!」
男として、この手の本を隠し持っているということは、別段珍しいということではない。だが、同棲しているカナリの方は納得しないだろう。
「交渉の基本は、相手の弱味を握ることだよ」
アラークがコレールの耳元で囁く。しかしコレールは首を左右に振って彼の体を押し退けると、ひきつった顔のヴィンセントに向かって話しかけた。
「なぁ、ヴィンセント。どうしてそこまでして彼女を拒むのか、教えてくれないか? 私も魔物娘の端くれとして、同胞の人間に対する好意が酷く突き放されることに、簡単に納得することは出来ないんだ」
ヴィンセントは丸々一分程黙ったままコレールの顔を見つめていたが、結局観念したかの様に頭を抱えた体勢で、椅子の上に座り込んだ。
「たっく……俺の身の上話か。どうせ、聞いても気が滅入るだけだよ」
「問題ないさ。こう見えてその手の話には慣れている」
ヴィンセントは長い溜め息をつくと、少なくとも人に誇れる物ではない自身の過去について語り始めた。
ーー第23話に続く。
17/03/07 00:33更新 / SHAR!P
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