第18話「麗しのハースハート@」
ハースハート。
ヴァンパイアの領主が治めるこの都市国家は、帝都に次ぐ広大な敷地と人口を擁しており、特に近年では目覚ましいほどの発展を遂げている。ウィルザードでは「第二の帝都」と呼ぶ者も少なくない。
そのハースハートの中心部、人魔問わず賑やかに行き交う街道を、風変わりな集団が歩いていた。
先頭を行くのは褐色肌に魅力的な曲線美が眩しい、よれよれのコートを着た大柄のリザードマンだ。その横を、新雪の様に白い毛並みに、オッドアイのケット・シーが歩いている。その後ろには、ボサボサの髪に華奢な体つきで、黒を基調としたパンクな服装に身を纏う、猫背の青年が続いている。彼の横にいるのは、小さな体には些か不釣り合いな豊満な胸と、安産型の尻を持った、栗色の髪の毛のホブゴブリンの少女である。少し天然そうな彼女の後ろで、ホブゴブリンの少女より更に背の低いエルフの少年が、耳をピクピクさせながら殿を努めていた。
街中を悠々と歩く彼らを見たハースハートの住民たちは、早速この余所者たちの第一印象を仲間内で語り始めた。
「おい、あれがサンリスタルで女王相手に大暴れしたって言う……」
「ああ、間違いない。確かに美人だけど滅茶苦茶強そうだ。……剣は持ってないのかな?」
コレールの姿を見た二人の男性が神妙な面持ちで話し合う。
「あの目……ジパングでは『金目銀目』といって、縁起が良いんだニャ。羨ましいニャア……」
「俺にとってはお前の目の色の方が素敵だし、縁起が良いさ」
「ニャア……♥」
クリスの姿を眺めていたスフィンクスは、幸せそうな顔をして男の胸に顔を擦り寄せた。
「バフォ様! しっかりしてください! 誰か、至急担架を!」
エミリアの巨大な胸の存在感に耐えきれず、泡を吹いて引っくり返ってしまったバフォメットを、連れの魔女が慌てて介抱している。
「ねぇ、エルフの男の子よ! ちっちゃくて可愛い……!」
「エルフの男の子って珍しいのよね……ああもぅ、ぐるぐる巻きにしたい!」
デーモンとラミアの二人組がパルムを指差してきゃぁきゃあと騒いでいる。
「あいつも奴隷解放の英雄の一人なのか? そのわりには随分陰険な面してんなぁ」
「待てやゴルアァァァァァ!!!」
ドミノは自分の姿を見てボソリと呟いた男に向かって全力で走り寄ると、男の喉にナイフを突き付けた。
「てめえ……誰がクソ陰険猫背醜男だって? 随分面白いこと言ってくれるじゃねぇか。その舌切り取って一生喋れないようにしてやろうか?」
「そ、そこまで酷いことは言ってない……」
「止めろ、ドミノ‼」
コレールの目がギラリと光を帯びたのを見たドミノは、舌を打ちながらも男の喉からナイフを離して、彼女の元へと戻っていった。
「たっく……なんで俺だけが陰口叩かれなけりゃなんねえんだ……男は中身だってのに」
「貴方が酷いのは、その中身の方でしょ……」
「あぁ!?」
ドミノがクリスと口喧嘩をおっ始めなかったのは、丁度そのタイミングでカナリの家の前に到着したからだった。
「カナリがくれた地図によると、この家で間違いないはずだ」
コレールはそう言うと、レンガ造りの素朴な家の扉を三回程ノックした。
「……家には居ないみたいだな」
「あの魔物娘に用があるのかい?」
コレールたちが振り向くと、腰の曲がった気難しそうな顔の老婆が、箒を持って佇んでいた。
「あの娘ならここ3日位家には帰ってきてないよ」
老婆はそれだけ言うと、コレールが質問をする前に隣の家の中へと戻っていってしまった。
「しばらく家に帰ってきてないのか……エミィ、ちょっとそこに立ってくれないか?」
コレールは自分の手元が道の方から死角になる位置にエミリアを立たせると、拳の一撃で扉の鍵を破壊した。
「ちょっと、コレール!」
「家の中でぶっ倒れているっていう可能性もあるだろ? とにかく、カナリが何処に行ったのか手掛かりを探そう」
悪びれもせずに扉を開けてカナリの家へと足を踏み入れるコレール。
「俺、ボスのそういうところが好きなんだよ……よし、パルム! 手始めに下着入れで手掛かりを探すぞ!」
[了解]
いやらしい笑みを浮かべながら室内の物色を始めるドミノの後頭部に、クリスは槍投げの要領で魔杖をぶん投げた。
「ぐおぉぉ! 頭が割れそうだ!」
「私は全身が割れてしまいそうでス!」
床を転げ回って悶絶するドミノとベントを尻目に、コレールはテーブルの上に置かれた新聞を手に取った。
「『ニュース・オブ・ウィルザード』、発行者、カナリ=ジナー……そう言えばあいつ、自分のことをジャーナリストだと名乗ってたな」
ーーーーーーーー
『ハースハートの犯罪率、三倍に増加。Mr.スマイリーの行動沈静化が原因か』
ハースハートで衛兵が検挙を行った犯罪の件数が、ここ数週間で三倍に跳ね上がっている。尤も、俗にMr.スマイリーと呼ばれる連続猟奇殺人犯が積極的に活動していた時期は犯罪率が3分の1になっていたことを考えると、犯罪の数が増えたと言うよりは、元の水準に戻ったとも言えるだろう。衛兵長への取材によると、衛兵が把握していない犯罪も含めると犯罪率は増加の一途を辿っており、「まるで今までの鬱憤を晴らしているかの様」だと言う。殺人鬼の肩を持つ気は断じて無いが、人間の持つ良心よりも悪党専門の猟奇殺人犯の存在による恐怖の方が、治安の維持に一役買っているという事実は、目を背けたくなるものであるーー。
ーーーーーーー
「くそっ、クズ共が調子に乗り始めたか。やっぱりウィルザードにはMr.スマイリーが必要なんだな」
いつの間にか横から新聞を覗き見していたドミノの顔をコレールは渋い顔で見つめた。
「何だよボス。Mr.スマイリーが犯罪を抑制していたのは事実だろ」
「いや、私が言いたいのはそうじゃなくて……頭にパンティを被った男が何を言っても、馬鹿馬鹿しいだけだと思ったんだ」
クリスの魔杖アタックが、今度はドミノの腰に炸裂した。
新聞の裏面を裏返して見てみると、コレールはそこに別の記事が載っていることに気がついた。
ーーーーーーーー
『アヌビスのお悩み相談室』
★読者の方々から届いた人生相談に、僭越ながら私カナリ=ジナーが力の及ぶ限り、お答えいたします。
@人間男性、Dさん
Q.仕事が辛いです。毎日の様に残業を強いられる割りに給料は安く、職場は横暴な上司の支配下にあります。辞めたくても残される同僚への負担や、最近妊娠した嫁(笑顔がとても可愛らしいハーピィです)と、生まれてくる子供の将来を考えると、どうしても気後れしてしまいます。最近は体への不調も目に見えて現れてきました。やはり、自分のような真面目さしか取り柄の無い、冴えない男が人並みの幸せを望むことなど、不可能だったのでしょうか。
A.結論から言うと、貴方は今心身ともに疲れ果てています。まずは最寄りの治癒師(ヒーラー)を訪ねて、カウンセリングを受けるべきです。次に今の状況を実績のある弁護士に相談しましょう。
三年前の革命以後、国は従業員に過酷な勤務を強いる企業を積極的に潰しにかかっています。法律の専門家の指示に従えば、未払いの残業代もほぼ間違いなく貰えるはずですし、国の用意した制度を上手く用いれば、転職先を探すことも難しくはないと思います。
貴方の様な真面目な人間には、人生を幸福に生きる資格があります。どうか、自分を責めることだけはしないようにしてください。
Aスライム、Rさん
Q.こんにちは。まいしゅうカナリさんのしんぶんをたのしみにしているスライムです。
わたしにはきになるひとがいます。がっこうでこくごをおしえている先生です。とてもしんせつな人で、私にカナリさんのしんぶんを使ってもじのよみかきをおしえてくれました。
わたしは先生のこいびとになりたいです。でも先生は私よりずっとあたまがよくて、むずかしいことばもたくさんしっています。先生をふりむかせるには、どんなことばでぷろぽーずすればいいのでしょうか?
A.まずは私の新聞が、貴女が読み書きを身に付けるための一助になれたことを、とても誇りに思っているということを言わせてください。他人の考えを読み取り、自分の考えを書き残すための力は、貴女の人生を確実に豊かにしてくれるはずです。
さて、先生を振り向かせるための言葉についてですが、何も気負う必要は無いと思います。何故なら、必ずしも難しい言葉がより正確に自分の気持ちを伝えることが出来るとは限らないからです。吟遊詩人が一晩中頭を捻って考え出した口説き文句よりも、詩の素人が自分の心の中に沸き上がってくる想いを、単純に表現した言葉の方が、相手の心を揺さぶるということもあるのです。
先生が言葉の専門家なら、きっと貴女の言葉に込められた率直な想いを汲み取ってくれることでしょう。だから、難しい言葉を使うことよりも、単純でも気持ちの伝わるような言葉を使うように心がけるべきだと思います。
貴女の恋が無事に実ることを祈っています。
B人間女性、Kさん
初めまして。私は年収100000ゴールドの医者の妻なのですが、息子にも医者になってほしいと考えています。ですが最近、息子がこそこそと一人で家を抜け出すことが多くなったので、後を尾けたところ、デビルの女の子と逢瀬していることが分かりました。これでは医者になるための勉強の邪魔になると思い、息子にはもう二度とデビルとは会わないように厳命し、念のため監視役もつけました。それ以来、息子は部屋に引きこもりがちになり、食事もろくにとっていません。どうにかして息子を元に戻したいのですが、何をすべきでしょうか。
A.貴女が第一にやるべきことは、息子さんをデビルのお友達と会わせてあげることです。次に、彼が本当に医者になりたいのかどうか、一度真剣に話し合う場を設けてください。息子さんは一人の人間であり、この世界で誰が信用に値する人物なのかを判断する権利があります。すぐに行動に移してください。さもなければ、貴女は息子さんの信用を永遠に失うことになるでしょう。
C白蛇、Mさん
私には、たまたま知り合った男の子の知り合いがいます。この子がとても可愛らしい甘えん坊で、私に抱っこされるのが好きなようです。あの子を抱き上げて柔らかい感触を感じる度に、股間が疼いてしまいます。もっとあの子のことを知りたいです。服を脱がせて、どの様な体つきをしているのか知りたいです。あの子の恥ずかしがる顔が見たいあの子の快楽に溺れる顔が見たい自宅に閉じ込めていつでも一緒にいたい一生お世話してあげたい私のことだけを見(以下判読不能のため省略)
A.少し頭を冷やしましょう。犯罪に手を染めてはいけません。
ーーーーーーー
「このスライムさんは、無事に先生と結ばれたのでしょうか……?」
いつの間にか横から新聞を覗き見していたエミリアの顔を、コレールは優しい顔で見つめた。
「きっと大丈夫さ。彼女の気持ちは伝わったよ」
コレールはそう言うと新聞を元の位置に戻した。
「カナリ……あの子は少なくとも、口先だけの女じゃないな。物事をきちんと調べて、読者にも真摯に向き合っている」
「コレール。一階には何の手がかりもないわ」
クリスが新聞を読み耽っていたコレールに呆れながらも話しかけて来た。
「そうか。それじゃあ、二階も探してみよう。カナリ自身の部屋もあるはずだ」
[コレール。二階の部屋には下着ぐらいしかなかったよ]
スケッチブックに書き記した自分の意見を見せるパルムの顔を、クリスが両方の肉球でむにゅっと挟み込む。
「それは貴方がドミノと一緒で下着しか探そうとしなかったからでしょ! めっ!」
そう言うとクリスはパルムの額に自分のそれをコツンとぶつけた。
「お……俺の時と対応違いすぎだろ……」
ドミノは腰に走る激痛に耐えられず、床を這いずり回りながら呟いた。
ーーーーーー
二階にあるカナリの自室には大量の書類が置かれていたが、几帳面なアヌビスらしく、それらは整然と箱の中に纏められていた。自室というよりは、記者である彼女の作業室と言った方が適切かもしれない。
「机の上にいくつか資料があるわね……」
クリスがカナリの作業机の周りを調べている間、コレールは棚に整頓された「ニュース・オブ・ウィルザード」のバックナンバーにざっと目を通した。
『ハースハートに蔓延る悪徳企業 役人との癒着も』
『過酷な労働 増加する怪我人 違法な児童労働の現実』
『立ち上がるハースハートの市民たち 権利を求める為のストライキ』
「コレール! これを見て」
クリスの呼び掛けでバックナンバーから注意を逸らしたコレールの手に、一枚の紙切れが手渡される。
「机の上に置いてあったの。考えを整理するためのメモに使っていたみたいね」
紙切れには、丸線で囲まれたいくつかの単語が、蜘蛛の巣のように直線で結ばれた図が描かれていた。
「『魂の宝玉』……『五人のマスターウィザード』……『古代の伝説』……『砂の王冠』……? クリス、知ってるか?」
「知らないわ」
クリスは首を横に振った。
「俺は知ってるぜ、ボス。『砂の王冠』の伝説だろ? 多分エミリアも知ってるはずだ」
ドミノは作業机にドカリと腰を下ろした。
「はい。私も聞いたことがあります。……でも、あれはおとぎ話ですよね?」
「そうだよ。伝説はあくまで伝説だ。手にしたものはウィルザードの全てを支配することが出来るとか出来ないとか……荒唐無稽な作り話だ」
「でも、もし……」
クリスがカナリのメモを見つめながら呟く。
「もし、作り話じゃなかったとしたら?」
コレールが彼女の言葉を補足すると、部屋にいる5人全員が、暫くの間口をつぐんで黙りこんだ。
「ますます、カナリを見つけないわけにはいかなくなったな。一旦外に出て、これからの計画を立てよう」
コレールの発言を合図にして、他の4人もカナリの部屋を後にした。
ーーーーーーーー
「あのメモの隅には、『協力者が必要』とも書いていた」
「それなら多分、カナリのいる場所はその協力者の所ね。ハースハートの何処かにいるはずだわ」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
コレールとクリスの会話に、ドミノは待ったをかける。
「この広いハースハートを5人だけで探し回るつもりか? 聞き込みをするにしても、ウィルザードの人間は余所者に冷たいんだ。一体何日かかることやら」
「よし、2つのチームに別れよう」
コレールは鋭い爪で、空間に一直線の線を描いた。
「ドミノとパルムは西を、私とクリスとエミィは東を調べる。17時になったらカナリの家の前にもう一度集まるんだ」
「ドミノさん……知らない女の人に、ついていっちゃダメですよ?」
「子供か‼」
エミリアの悪意の無い忠言に、本人とドミノ以外は大笑いした。
ーーーーーーーー
「とは言ってもよぉ、この暑さの中じゃ、だるくて人探しなんかやってられねえぜ」
ドミノは太陽が照り付ける、炎天下の街中を、愚痴を漏らしながら歩いていた。時刻は14時近く。一日で最も暑い時間帯だ。
「くそっ、汗が半端ねえ。なあパル、どこか風呂屋でも探してさっぱりしたくないか?」
パルムは首を縦に振って賛成の意を示すと、それならちょうど良い所があると言わんばかりに、ドミノの後ろにある店の方を指さした。
「おっ、こりゃ渡りに船だな。さっそく入って……入って……」
『ぬるぬる♥もんすたぁおふろ 90分4000ゴールド』
[どうしたの先輩? 早く入ろうよ]
「ああ、いや、パル。ここは駄目だ。この店は風呂屋じゃない」
ドミノはパルムの眼から視線を逸らし、頬を人差し指で掻きながら言った。
[どうして? 『おふろ』って書いてあるよ?]
「まぁ確かに店の名前はそうなんだが……その、何ていうか、あれだ。うん。ここは普通の風呂屋じゃないんだ。少なくともお前はこの店には入れない」
[何で入れないの? 普通のお風呂屋とどう違うの?]
「あー……その、説明し辛いんだが……要するに……」
パルムは心底困った様子でしどろもどろに説明しようとするドミノの姿を見て、赤いスカーフ越しにクスクス笑うと、スケッチブックに一言二言書き連ねた。
[冗談だよ。僕、どんな店か知ってるよ]
「あっちゃあ〜こいつはお兄ちゃん一本取られちゃったにゃ〜……殺す!」
ドミノとパルムは、互いの尻尾を追いかけ回す二匹の犬の様に、その場でぐるぐると追いかけっこを始めたのだった。
「ぜぇ……ぜぇ……言っとくけど聞き込みなら他の場所にするぜ、パルム。俺は娼婦が嫌いなんだ」
炎天下でたっぷり走り回る羽目になったドミノが息を切らしながらつぶやくのと同時に、「もんすたぁおふろ」の扉が開け放たれ、中から店の従業員がぞろぞろと出てきた。
「「「お客様!! またのご来店をお待ちしております!!」」」
従業員たちは左右に列をなして並ぶと、満面の笑みで挨拶しながら、その場で深々とお辞儀をした。どうやらVIPのお見送りらしい。
ドミノとパルムの二人が端に寄って様子を窺うと、店の中から一人の男が姿を現した。右腕にはダークスライムとサキュバスが、左腕には毛倡妓がそれぞれ縋りつき、他にも何人かの魔物娘が男の周りできゃあきゃあと騒いでいる。
「ねぇん、絶対にまた来てね。今度はもっとすごいサービスしてあげるからん♪」
サキュバスが媚びた目線で男の胸板を指でぐりぐりすると、男は色っぽい表情で彼女に笑いかける。
「必ず会いに来るさ。君のような美しい女性の為なら、世界の果てであろうとすぐに駆け付けてみせるよ」
「「「きゃー!!!」」」
男の歯が浮くような口説き文句に、周りの魔物娘たちも黄色い歓声を上げて色めき立つ。
「はぁ……なんて逞しいお体……あちき、もう腰が抜けそうででありんす……」
毛娼妓の娘は、うっとりとした表情で自身の髪の毛を、腕と一緒に男の左腕に巻き付けていた。
「ん? 君たち私に何か用かい?」
美しい魔物娘たちに囲まれて上機嫌の男は、自分の前に出てきた青年とエルフの少年の二人組に、優しく声をかける。……が、次の瞬間にはぎょっとした表情で彼らの顔を何度も見直していた。
「……いや、待て、その顔どこかで……ドミノ! 何故君がここに!」
「こっちの台詞だ! こんなところで何やってんだよこのスケベじじぃ!」
ドミノは灰色の髪にワイルドな髭を生やし、背中に2本のグレートソードを差した、初老の男性――アラーク=ジョーカーを指差して叫んだ。
「いや、なにをやっているのかと聞かれても、見ての通り、ナニをしてきた訳だが……。うん、魔物娘を抱くのは初めてだったが、いいものだな。おかげで新しい世界への扉が開けたよ」
「アホ! そんなこと言ってる場合かよ!」
「あらお兄さん、このおじ様のお知り合い?」
アラークの腕に縋りついているサキュバスが、唇の端に色っぽい笑みを浮かべながらドミノに話しかける。
「すごいわよぉ、この人。昨夜からこの店を貸し切ってて、ほぼ全員の娘を相手にしちゃうほどの性豪なんだから」
「そう! それに、人間の体で3人の魔物娘を同時に相手できる人なんて、そうそういないわよ」
そう言うとダークスライムはアラークの手にぬちゅぬちゅと頬ずりをした。
「たっく……サンリスタルでの仕事はどうなったんだよ。粗方片付いたってわけか?」
「ああ。仕事はクビになった」
「クビぃ!?」
ドミノは素っ頓狂な声を上げた。
「事情を知らなかったとは言え、アレクサンドラ女王の右腕だったことは事実だったからな。責任を取る必要があったわけだ。ただ、退職金はけっこうな額を貰ったから、この際近場の娼館でパーッと使ってしまおうと思って……」
「……アホらしい」
そう言って地面の砂を蹴り飛ばすドミノ。
「まぁお前がどこで女遊びしようと勝手だけどな。クリスには知られないようにしろよ。あいつ、何となく面倒臭そうな女だからな」
改めてアラークの顔を見ると、彼の様子がおかしいことに気がついた。自分の後方にある空間を見据え、表情が凍り付いてしまったかのように固まっている。
「いやいやそんな……まさかな」
妙な胸騒ぎを無理やり作った笑みでごまかしながら、ゆっくりと振り返る。
「(うわぁ……)」
そこには、目から完全に光が消え失せたクリスが、全身からオーラのような魔力を漂わせながら立っていた。
「や、やぁクリス。しばらく見ないうちにまた随分ときれいになったね」
おずおずと話しかけてきたアラークに向かって、一歩ずつ歩みを進めていくクリス。彼女が踏みしめた地面は、体から漏れ出した氷属性の魔力によって、足跡の形に凍り付いていく。
アラークの目の前まで近づくと、ぞっとするような笑みを浮かべて彼の顔を覗き込みながら口を開いた。
「こんにちは、アラーク。随分と楽しそうに他の女を侍らせているじゃない。色んな魔物娘の『臭い』がごちゃ混ぜになって、訳が分かんなくなってるわよ」
「あー、クリスさン。別に貴女はアラークの奥さんというわけではないんだかラ、つべこべ言う筋合いは――」
メシッ!
「ひぃッ!!」
余計な口を挟もうとしたベントだったが、彼女の魔杖が握力だけでひび割れた音に怖気づいて、咄嗟に口をつぐんだ。彼女の尋常ではない威圧感に全てを察した従業員と魔物娘たちも、そろそろと店の中に避難していく。アラークは頼みの綱としてドミノとパルムに助けを乞う視線を向けたが、パルムは他人のふりを決め込んでおり、ドミノに至ってはクリスの怒りの魔力のとばっちりを受けて、右手が完全に凍り付いてしまったため、それどころではなかった。
「ねぇ、私とサンリスタルで過ごした時間と、ここで女の子たちと過ごした時間、どっちが楽しかった? ねぇ、教えてよ。ねぇ、目を逸らさないでってば。ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ
ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
「当て身」
ドスッ
「うっ……」
いつの間にか彼女の背後に回り込んでいたコレールの手刀がクリスの首筋を捉え、彼女の意識を闇へと送り込んだ。
「コレール……! ありがとう、一時はどうなることかと思ったよ」
「……クリスの目が覚めたら機嫌を取ってやった方がいいぞ。魔物娘は基本的に、目を付けた男に他の魔物娘の『臭い』がつくのは好まないんだ」
「わ、分かった……」
[火遊びは程ほどにね]
エミリアはコレールに説教を食らうアラークを横目に見ながら、ドミノの凍り付いてしまった右腕の治療をしていた。
「あっ、動かさないで……下手に氷を剥がそうとすると、危険ですから」
「うぐぐ……そう言えば、何でお前たちはここに来たんだ? そっちは東の方の担当だろ?」
「思ったより早く有力な情報が得られたんで、時間が来る前にドミノさんたちと合流することにしたんです」
「有力な情報?」
「はい。カナリさんは家にいないときは大抵、大図書館かスラム街の探偵の家にいるっていう話を聞きました」
――19話に続く。
ヴァンパイアの領主が治めるこの都市国家は、帝都に次ぐ広大な敷地と人口を擁しており、特に近年では目覚ましいほどの発展を遂げている。ウィルザードでは「第二の帝都」と呼ぶ者も少なくない。
そのハースハートの中心部、人魔問わず賑やかに行き交う街道を、風変わりな集団が歩いていた。
先頭を行くのは褐色肌に魅力的な曲線美が眩しい、よれよれのコートを着た大柄のリザードマンだ。その横を、新雪の様に白い毛並みに、オッドアイのケット・シーが歩いている。その後ろには、ボサボサの髪に華奢な体つきで、黒を基調としたパンクな服装に身を纏う、猫背の青年が続いている。彼の横にいるのは、小さな体には些か不釣り合いな豊満な胸と、安産型の尻を持った、栗色の髪の毛のホブゴブリンの少女である。少し天然そうな彼女の後ろで、ホブゴブリンの少女より更に背の低いエルフの少年が、耳をピクピクさせながら殿を努めていた。
街中を悠々と歩く彼らを見たハースハートの住民たちは、早速この余所者たちの第一印象を仲間内で語り始めた。
「おい、あれがサンリスタルで女王相手に大暴れしたって言う……」
「ああ、間違いない。確かに美人だけど滅茶苦茶強そうだ。……剣は持ってないのかな?」
コレールの姿を見た二人の男性が神妙な面持ちで話し合う。
「あの目……ジパングでは『金目銀目』といって、縁起が良いんだニャ。羨ましいニャア……」
「俺にとってはお前の目の色の方が素敵だし、縁起が良いさ」
「ニャア……♥」
クリスの姿を眺めていたスフィンクスは、幸せそうな顔をして男の胸に顔を擦り寄せた。
「バフォ様! しっかりしてください! 誰か、至急担架を!」
エミリアの巨大な胸の存在感に耐えきれず、泡を吹いて引っくり返ってしまったバフォメットを、連れの魔女が慌てて介抱している。
「ねぇ、エルフの男の子よ! ちっちゃくて可愛い……!」
「エルフの男の子って珍しいのよね……ああもぅ、ぐるぐる巻きにしたい!」
デーモンとラミアの二人組がパルムを指差してきゃぁきゃあと騒いでいる。
「あいつも奴隷解放の英雄の一人なのか? そのわりには随分陰険な面してんなぁ」
「待てやゴルアァァァァァ!!!」
ドミノは自分の姿を見てボソリと呟いた男に向かって全力で走り寄ると、男の喉にナイフを突き付けた。
「てめえ……誰がクソ陰険猫背醜男だって? 随分面白いこと言ってくれるじゃねぇか。その舌切り取って一生喋れないようにしてやろうか?」
「そ、そこまで酷いことは言ってない……」
「止めろ、ドミノ‼」
コレールの目がギラリと光を帯びたのを見たドミノは、舌を打ちながらも男の喉からナイフを離して、彼女の元へと戻っていった。
「たっく……なんで俺だけが陰口叩かれなけりゃなんねえんだ……男は中身だってのに」
「貴方が酷いのは、その中身の方でしょ……」
「あぁ!?」
ドミノがクリスと口喧嘩をおっ始めなかったのは、丁度そのタイミングでカナリの家の前に到着したからだった。
「カナリがくれた地図によると、この家で間違いないはずだ」
コレールはそう言うと、レンガ造りの素朴な家の扉を三回程ノックした。
「……家には居ないみたいだな」
「あの魔物娘に用があるのかい?」
コレールたちが振り向くと、腰の曲がった気難しそうな顔の老婆が、箒を持って佇んでいた。
「あの娘ならここ3日位家には帰ってきてないよ」
老婆はそれだけ言うと、コレールが質問をする前に隣の家の中へと戻っていってしまった。
「しばらく家に帰ってきてないのか……エミィ、ちょっとそこに立ってくれないか?」
コレールは自分の手元が道の方から死角になる位置にエミリアを立たせると、拳の一撃で扉の鍵を破壊した。
「ちょっと、コレール!」
「家の中でぶっ倒れているっていう可能性もあるだろ? とにかく、カナリが何処に行ったのか手掛かりを探そう」
悪びれもせずに扉を開けてカナリの家へと足を踏み入れるコレール。
「俺、ボスのそういうところが好きなんだよ……よし、パルム! 手始めに下着入れで手掛かりを探すぞ!」
[了解]
いやらしい笑みを浮かべながら室内の物色を始めるドミノの後頭部に、クリスは槍投げの要領で魔杖をぶん投げた。
「ぐおぉぉ! 頭が割れそうだ!」
「私は全身が割れてしまいそうでス!」
床を転げ回って悶絶するドミノとベントを尻目に、コレールはテーブルの上に置かれた新聞を手に取った。
「『ニュース・オブ・ウィルザード』、発行者、カナリ=ジナー……そう言えばあいつ、自分のことをジャーナリストだと名乗ってたな」
ーーーーーーーー
『ハースハートの犯罪率、三倍に増加。Mr.スマイリーの行動沈静化が原因か』
ハースハートで衛兵が検挙を行った犯罪の件数が、ここ数週間で三倍に跳ね上がっている。尤も、俗にMr.スマイリーと呼ばれる連続猟奇殺人犯が積極的に活動していた時期は犯罪率が3分の1になっていたことを考えると、犯罪の数が増えたと言うよりは、元の水準に戻ったとも言えるだろう。衛兵長への取材によると、衛兵が把握していない犯罪も含めると犯罪率は増加の一途を辿っており、「まるで今までの鬱憤を晴らしているかの様」だと言う。殺人鬼の肩を持つ気は断じて無いが、人間の持つ良心よりも悪党専門の猟奇殺人犯の存在による恐怖の方が、治安の維持に一役買っているという事実は、目を背けたくなるものであるーー。
ーーーーーーー
「くそっ、クズ共が調子に乗り始めたか。やっぱりウィルザードにはMr.スマイリーが必要なんだな」
いつの間にか横から新聞を覗き見していたドミノの顔をコレールは渋い顔で見つめた。
「何だよボス。Mr.スマイリーが犯罪を抑制していたのは事実だろ」
「いや、私が言いたいのはそうじゃなくて……頭にパンティを被った男が何を言っても、馬鹿馬鹿しいだけだと思ったんだ」
クリスの魔杖アタックが、今度はドミノの腰に炸裂した。
新聞の裏面を裏返して見てみると、コレールはそこに別の記事が載っていることに気がついた。
ーーーーーーーー
『アヌビスのお悩み相談室』
★読者の方々から届いた人生相談に、僭越ながら私カナリ=ジナーが力の及ぶ限り、お答えいたします。
@人間男性、Dさん
Q.仕事が辛いです。毎日の様に残業を強いられる割りに給料は安く、職場は横暴な上司の支配下にあります。辞めたくても残される同僚への負担や、最近妊娠した嫁(笑顔がとても可愛らしいハーピィです)と、生まれてくる子供の将来を考えると、どうしても気後れしてしまいます。最近は体への不調も目に見えて現れてきました。やはり、自分のような真面目さしか取り柄の無い、冴えない男が人並みの幸せを望むことなど、不可能だったのでしょうか。
A.結論から言うと、貴方は今心身ともに疲れ果てています。まずは最寄りの治癒師(ヒーラー)を訪ねて、カウンセリングを受けるべきです。次に今の状況を実績のある弁護士に相談しましょう。
三年前の革命以後、国は従業員に過酷な勤務を強いる企業を積極的に潰しにかかっています。法律の専門家の指示に従えば、未払いの残業代もほぼ間違いなく貰えるはずですし、国の用意した制度を上手く用いれば、転職先を探すことも難しくはないと思います。
貴方の様な真面目な人間には、人生を幸福に生きる資格があります。どうか、自分を責めることだけはしないようにしてください。
Aスライム、Rさん
Q.こんにちは。まいしゅうカナリさんのしんぶんをたのしみにしているスライムです。
わたしにはきになるひとがいます。がっこうでこくごをおしえている先生です。とてもしんせつな人で、私にカナリさんのしんぶんを使ってもじのよみかきをおしえてくれました。
わたしは先生のこいびとになりたいです。でも先生は私よりずっとあたまがよくて、むずかしいことばもたくさんしっています。先生をふりむかせるには、どんなことばでぷろぽーずすればいいのでしょうか?
A.まずは私の新聞が、貴女が読み書きを身に付けるための一助になれたことを、とても誇りに思っているということを言わせてください。他人の考えを読み取り、自分の考えを書き残すための力は、貴女の人生を確実に豊かにしてくれるはずです。
さて、先生を振り向かせるための言葉についてですが、何も気負う必要は無いと思います。何故なら、必ずしも難しい言葉がより正確に自分の気持ちを伝えることが出来るとは限らないからです。吟遊詩人が一晩中頭を捻って考え出した口説き文句よりも、詩の素人が自分の心の中に沸き上がってくる想いを、単純に表現した言葉の方が、相手の心を揺さぶるということもあるのです。
先生が言葉の専門家なら、きっと貴女の言葉に込められた率直な想いを汲み取ってくれることでしょう。だから、難しい言葉を使うことよりも、単純でも気持ちの伝わるような言葉を使うように心がけるべきだと思います。
貴女の恋が無事に実ることを祈っています。
B人間女性、Kさん
初めまして。私は年収100000ゴールドの医者の妻なのですが、息子にも医者になってほしいと考えています。ですが最近、息子がこそこそと一人で家を抜け出すことが多くなったので、後を尾けたところ、デビルの女の子と逢瀬していることが分かりました。これでは医者になるための勉強の邪魔になると思い、息子にはもう二度とデビルとは会わないように厳命し、念のため監視役もつけました。それ以来、息子は部屋に引きこもりがちになり、食事もろくにとっていません。どうにかして息子を元に戻したいのですが、何をすべきでしょうか。
A.貴女が第一にやるべきことは、息子さんをデビルのお友達と会わせてあげることです。次に、彼が本当に医者になりたいのかどうか、一度真剣に話し合う場を設けてください。息子さんは一人の人間であり、この世界で誰が信用に値する人物なのかを判断する権利があります。すぐに行動に移してください。さもなければ、貴女は息子さんの信用を永遠に失うことになるでしょう。
C白蛇、Mさん
私には、たまたま知り合った男の子の知り合いがいます。この子がとても可愛らしい甘えん坊で、私に抱っこされるのが好きなようです。あの子を抱き上げて柔らかい感触を感じる度に、股間が疼いてしまいます。もっとあの子のことを知りたいです。服を脱がせて、どの様な体つきをしているのか知りたいです。あの子の恥ずかしがる顔が見たいあの子の快楽に溺れる顔が見たい自宅に閉じ込めていつでも一緒にいたい一生お世話してあげたい私のことだけを見(以下判読不能のため省略)
A.少し頭を冷やしましょう。犯罪に手を染めてはいけません。
ーーーーーーー
「このスライムさんは、無事に先生と結ばれたのでしょうか……?」
いつの間にか横から新聞を覗き見していたエミリアの顔を、コレールは優しい顔で見つめた。
「きっと大丈夫さ。彼女の気持ちは伝わったよ」
コレールはそう言うと新聞を元の位置に戻した。
「カナリ……あの子は少なくとも、口先だけの女じゃないな。物事をきちんと調べて、読者にも真摯に向き合っている」
「コレール。一階には何の手がかりもないわ」
クリスが新聞を読み耽っていたコレールに呆れながらも話しかけて来た。
「そうか。それじゃあ、二階も探してみよう。カナリ自身の部屋もあるはずだ」
[コレール。二階の部屋には下着ぐらいしかなかったよ]
スケッチブックに書き記した自分の意見を見せるパルムの顔を、クリスが両方の肉球でむにゅっと挟み込む。
「それは貴方がドミノと一緒で下着しか探そうとしなかったからでしょ! めっ!」
そう言うとクリスはパルムの額に自分のそれをコツンとぶつけた。
「お……俺の時と対応違いすぎだろ……」
ドミノは腰に走る激痛に耐えられず、床を這いずり回りながら呟いた。
ーーーーーー
二階にあるカナリの自室には大量の書類が置かれていたが、几帳面なアヌビスらしく、それらは整然と箱の中に纏められていた。自室というよりは、記者である彼女の作業室と言った方が適切かもしれない。
「机の上にいくつか資料があるわね……」
クリスがカナリの作業机の周りを調べている間、コレールは棚に整頓された「ニュース・オブ・ウィルザード」のバックナンバーにざっと目を通した。
『ハースハートに蔓延る悪徳企業 役人との癒着も』
『過酷な労働 増加する怪我人 違法な児童労働の現実』
『立ち上がるハースハートの市民たち 権利を求める為のストライキ』
「コレール! これを見て」
クリスの呼び掛けでバックナンバーから注意を逸らしたコレールの手に、一枚の紙切れが手渡される。
「机の上に置いてあったの。考えを整理するためのメモに使っていたみたいね」
紙切れには、丸線で囲まれたいくつかの単語が、蜘蛛の巣のように直線で結ばれた図が描かれていた。
「『魂の宝玉』……『五人のマスターウィザード』……『古代の伝説』……『砂の王冠』……? クリス、知ってるか?」
「知らないわ」
クリスは首を横に振った。
「俺は知ってるぜ、ボス。『砂の王冠』の伝説だろ? 多分エミリアも知ってるはずだ」
ドミノは作業机にドカリと腰を下ろした。
「はい。私も聞いたことがあります。……でも、あれはおとぎ話ですよね?」
「そうだよ。伝説はあくまで伝説だ。手にしたものはウィルザードの全てを支配することが出来るとか出来ないとか……荒唐無稽な作り話だ」
「でも、もし……」
クリスがカナリのメモを見つめながら呟く。
「もし、作り話じゃなかったとしたら?」
コレールが彼女の言葉を補足すると、部屋にいる5人全員が、暫くの間口をつぐんで黙りこんだ。
「ますます、カナリを見つけないわけにはいかなくなったな。一旦外に出て、これからの計画を立てよう」
コレールの発言を合図にして、他の4人もカナリの部屋を後にした。
ーーーーーーーー
「あのメモの隅には、『協力者が必要』とも書いていた」
「それなら多分、カナリのいる場所はその協力者の所ね。ハースハートの何処かにいるはずだわ」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
コレールとクリスの会話に、ドミノは待ったをかける。
「この広いハースハートを5人だけで探し回るつもりか? 聞き込みをするにしても、ウィルザードの人間は余所者に冷たいんだ。一体何日かかることやら」
「よし、2つのチームに別れよう」
コレールは鋭い爪で、空間に一直線の線を描いた。
「ドミノとパルムは西を、私とクリスとエミィは東を調べる。17時になったらカナリの家の前にもう一度集まるんだ」
「ドミノさん……知らない女の人に、ついていっちゃダメですよ?」
「子供か‼」
エミリアの悪意の無い忠言に、本人とドミノ以外は大笑いした。
ーーーーーーーー
「とは言ってもよぉ、この暑さの中じゃ、だるくて人探しなんかやってられねえぜ」
ドミノは太陽が照り付ける、炎天下の街中を、愚痴を漏らしながら歩いていた。時刻は14時近く。一日で最も暑い時間帯だ。
「くそっ、汗が半端ねえ。なあパル、どこか風呂屋でも探してさっぱりしたくないか?」
パルムは首を縦に振って賛成の意を示すと、それならちょうど良い所があると言わんばかりに、ドミノの後ろにある店の方を指さした。
「おっ、こりゃ渡りに船だな。さっそく入って……入って……」
『ぬるぬる♥もんすたぁおふろ 90分4000ゴールド』
[どうしたの先輩? 早く入ろうよ]
「ああ、いや、パル。ここは駄目だ。この店は風呂屋じゃない」
ドミノはパルムの眼から視線を逸らし、頬を人差し指で掻きながら言った。
[どうして? 『おふろ』って書いてあるよ?]
「まぁ確かに店の名前はそうなんだが……その、何ていうか、あれだ。うん。ここは普通の風呂屋じゃないんだ。少なくともお前はこの店には入れない」
[何で入れないの? 普通のお風呂屋とどう違うの?]
「あー……その、説明し辛いんだが……要するに……」
パルムは心底困った様子でしどろもどろに説明しようとするドミノの姿を見て、赤いスカーフ越しにクスクス笑うと、スケッチブックに一言二言書き連ねた。
[冗談だよ。僕、どんな店か知ってるよ]
「あっちゃあ〜こいつはお兄ちゃん一本取られちゃったにゃ〜……殺す!」
ドミノとパルムは、互いの尻尾を追いかけ回す二匹の犬の様に、その場でぐるぐると追いかけっこを始めたのだった。
「ぜぇ……ぜぇ……言っとくけど聞き込みなら他の場所にするぜ、パルム。俺は娼婦が嫌いなんだ」
炎天下でたっぷり走り回る羽目になったドミノが息を切らしながらつぶやくのと同時に、「もんすたぁおふろ」の扉が開け放たれ、中から店の従業員がぞろぞろと出てきた。
「「「お客様!! またのご来店をお待ちしております!!」」」
従業員たちは左右に列をなして並ぶと、満面の笑みで挨拶しながら、その場で深々とお辞儀をした。どうやらVIPのお見送りらしい。
ドミノとパルムの二人が端に寄って様子を窺うと、店の中から一人の男が姿を現した。右腕にはダークスライムとサキュバスが、左腕には毛倡妓がそれぞれ縋りつき、他にも何人かの魔物娘が男の周りできゃあきゃあと騒いでいる。
「ねぇん、絶対にまた来てね。今度はもっとすごいサービスしてあげるからん♪」
サキュバスが媚びた目線で男の胸板を指でぐりぐりすると、男は色っぽい表情で彼女に笑いかける。
「必ず会いに来るさ。君のような美しい女性の為なら、世界の果てであろうとすぐに駆け付けてみせるよ」
「「「きゃー!!!」」」
男の歯が浮くような口説き文句に、周りの魔物娘たちも黄色い歓声を上げて色めき立つ。
「はぁ……なんて逞しいお体……あちき、もう腰が抜けそうででありんす……」
毛娼妓の娘は、うっとりとした表情で自身の髪の毛を、腕と一緒に男の左腕に巻き付けていた。
「ん? 君たち私に何か用かい?」
美しい魔物娘たちに囲まれて上機嫌の男は、自分の前に出てきた青年とエルフの少年の二人組に、優しく声をかける。……が、次の瞬間にはぎょっとした表情で彼らの顔を何度も見直していた。
「……いや、待て、その顔どこかで……ドミノ! 何故君がここに!」
「こっちの台詞だ! こんなところで何やってんだよこのスケベじじぃ!」
ドミノは灰色の髪にワイルドな髭を生やし、背中に2本のグレートソードを差した、初老の男性――アラーク=ジョーカーを指差して叫んだ。
「いや、なにをやっているのかと聞かれても、見ての通り、ナニをしてきた訳だが……。うん、魔物娘を抱くのは初めてだったが、いいものだな。おかげで新しい世界への扉が開けたよ」
「アホ! そんなこと言ってる場合かよ!」
「あらお兄さん、このおじ様のお知り合い?」
アラークの腕に縋りついているサキュバスが、唇の端に色っぽい笑みを浮かべながらドミノに話しかける。
「すごいわよぉ、この人。昨夜からこの店を貸し切ってて、ほぼ全員の娘を相手にしちゃうほどの性豪なんだから」
「そう! それに、人間の体で3人の魔物娘を同時に相手できる人なんて、そうそういないわよ」
そう言うとダークスライムはアラークの手にぬちゅぬちゅと頬ずりをした。
「たっく……サンリスタルでの仕事はどうなったんだよ。粗方片付いたってわけか?」
「ああ。仕事はクビになった」
「クビぃ!?」
ドミノは素っ頓狂な声を上げた。
「事情を知らなかったとは言え、アレクサンドラ女王の右腕だったことは事実だったからな。責任を取る必要があったわけだ。ただ、退職金はけっこうな額を貰ったから、この際近場の娼館でパーッと使ってしまおうと思って……」
「……アホらしい」
そう言って地面の砂を蹴り飛ばすドミノ。
「まぁお前がどこで女遊びしようと勝手だけどな。クリスには知られないようにしろよ。あいつ、何となく面倒臭そうな女だからな」
改めてアラークの顔を見ると、彼の様子がおかしいことに気がついた。自分の後方にある空間を見据え、表情が凍り付いてしまったかのように固まっている。
「いやいやそんな……まさかな」
妙な胸騒ぎを無理やり作った笑みでごまかしながら、ゆっくりと振り返る。
「(うわぁ……)」
そこには、目から完全に光が消え失せたクリスが、全身からオーラのような魔力を漂わせながら立っていた。
「や、やぁクリス。しばらく見ないうちにまた随分ときれいになったね」
おずおずと話しかけてきたアラークに向かって、一歩ずつ歩みを進めていくクリス。彼女が踏みしめた地面は、体から漏れ出した氷属性の魔力によって、足跡の形に凍り付いていく。
アラークの目の前まで近づくと、ぞっとするような笑みを浮かべて彼の顔を覗き込みながら口を開いた。
「こんにちは、アラーク。随分と楽しそうに他の女を侍らせているじゃない。色んな魔物娘の『臭い』がごちゃ混ぜになって、訳が分かんなくなってるわよ」
「あー、クリスさン。別に貴女はアラークの奥さんというわけではないんだかラ、つべこべ言う筋合いは――」
メシッ!
「ひぃッ!!」
余計な口を挟もうとしたベントだったが、彼女の魔杖が握力だけでひび割れた音に怖気づいて、咄嗟に口をつぐんだ。彼女の尋常ではない威圧感に全てを察した従業員と魔物娘たちも、そろそろと店の中に避難していく。アラークは頼みの綱としてドミノとパルムに助けを乞う視線を向けたが、パルムは他人のふりを決め込んでおり、ドミノに至ってはクリスの怒りの魔力のとばっちりを受けて、右手が完全に凍り付いてしまったため、それどころではなかった。
「ねぇ、私とサンリスタルで過ごした時間と、ここで女の子たちと過ごした時間、どっちが楽しかった? ねぇ、教えてよ。ねぇ、目を逸らさないでってば。ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ
ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
「当て身」
ドスッ
「うっ……」
いつの間にか彼女の背後に回り込んでいたコレールの手刀がクリスの首筋を捉え、彼女の意識を闇へと送り込んだ。
「コレール……! ありがとう、一時はどうなることかと思ったよ」
「……クリスの目が覚めたら機嫌を取ってやった方がいいぞ。魔物娘は基本的に、目を付けた男に他の魔物娘の『臭い』がつくのは好まないんだ」
「わ、分かった……」
[火遊びは程ほどにね]
エミリアはコレールに説教を食らうアラークを横目に見ながら、ドミノの凍り付いてしまった右腕の治療をしていた。
「あっ、動かさないで……下手に氷を剥がそうとすると、危険ですから」
「うぐぐ……そう言えば、何でお前たちはここに来たんだ? そっちは東の方の担当だろ?」
「思ったより早く有力な情報が得られたんで、時間が来る前にドミノさんたちと合流することにしたんです」
「有力な情報?」
「はい。カナリさんは家にいないときは大抵、大図書館かスラム街の探偵の家にいるっていう話を聞きました」
――19話に続く。
16/10/23 21:30更新 / SHAR!P
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