河童の川流れ
雨があがって気持ちの良い日差しが地を照らす。
しつこくないほどに丁度よく湿った空気。
魚たちを脅かす事も無い程度に増えた川の水。
虫たちを阻害しない程度に濡れた地面。
それら全てが、この少年には心地よく感じられた。
「ふぅ……気持ち良いなぁ〜♪」
柔らかな風に当たりながら、少年はそう呟く。
この小さな小川は、彼にとって思い出のある場所である。
父親と良く水澄ましをして遊んだ小川。
初恋の芽生えと別れを味わった小川。
友情の種が芽生えた小川。
その他諸々の思い出が、少年の心を研ぎ澄まして行く。
「……」
何をするでもなくただ地面の上に座り込む少年。
その眼の先の川には、今も小魚達が群れを成して泳いでいる。
こんな静寂と平穏がいつまでも続く。
そう信じていた少年の前に、大きな転機が舞い込む。
「………」
「今日も何も………っえぇ?!」
流れてきたのは、明らかに人間だった。
気絶でもしているかのようにプカプカ浮かぶだけで全然動かない。
そのまま川の流れに流されて行きそうなのを、少年は慌てて止めに行く。
ここからさほど離れていない場所に、それほど高くは無い物の滝が存在しているのだ。
落ちても着地出来れば無傷だろう。
しかし、あの少女は動かない。
あのまま滝へ落下してしまえば、無傷では済まないだろう。
「うんっしょ…」
なんとか少女に追いつき両腕をガッチリと掴む。
これでも親を背負える程度には腕力があるつもりだ。
自分の持てる限りの力を使って、少女を岸に引き摺る。
暫くして、少女を岸に引き揚げる事に成功した。
「大丈夫?!ねぇ!ねぇ!」
「……」
何度も必死に呼びかけるが返事が無い。
まるで死んでいるかのように全く動かないのだ。
「そ、そうだ…人工呼吸で…」
彼は知っていた。
人工呼吸の仕方を。
正確には見て真似る程度の物だが。
以前、友人たちと一緒に遊んでいて一人が溺れた事があった。
誰も助ける方法が分からない中、彼の父親が懸命に処置を施してくれたのだ。
結果、友人は助かった。
「え、えと……まずはこうして…」
「……」
顔を真っ赤にしながら自分の唇を近づけて行く。
その先には意識のない少女。
唇と唇が重なりそうな距離まで来て、彼の接近は急停止した。
「…(どどど、どうしよう…これってせせせせせせ、せっぷん…だよね…?)」
そう考えながら自問自答していた彼だったが、ここでハプニングが起こる。
「……っは!」
「ふぇ?んむっ…」
目の前で意識を取り戻した少女。
彼女は、驚いて上体を起こそうとした。
しかし、彼女の目の前には勿論彼の顔がある訳で。
そのまま図らずも互いの唇は重なり合う。
「んんっ?!?!?!?!」
「っ?!?!?!」
互いに眼の色を白黒させながら余りの驚きに動けなくなる。
少年にとってはこれが初めてのキスだ。
外国では挨拶代りにしていると小耳に挟んだ事がある少年だがここはジパング。
そんな風習、ある筈も無い。
「プハッ……な、なんなの君…」
「な、なんなのって…」
頭の中が混乱してしまった少年は、少女の問いに答える事が出来ないでいた。
「……ひより…」
「…へっ?」
「ひより!私の名前!あんたは?」
唐突に自己紹介が始まった。
と言うより、今まで状況が状況だった為分からなかったが、彼女の肌は人のそれとかけ離れている。
現代の映画で見るようなゾンビの皮膚の様に、翠掛かった色をしている。
まぁ、ゾンビのように腐敗はしていないが。
更に彼女の着ている服装も変だった。
着物でもなければ動き易い服でも無い。
これはそう、現代に於ける『白スク水』である。
時代的にまだ発明すらされていない物なのだが、そんな事を両者が知ってる訳も無い。
だが、そんな事よりも一大事が起こっていた。
そう!白いスク水は、ある理由から使用している所は殆んどない。
その理由とは!
「……な、なに見てんのよ…」
「い、いや……なんて言うか…その…」
「…?………っ!?この変態っ!」
そう、スク水が透けてうっすらと乳首が見えているのだ。
乳首だけでは無い。
身体中に張り付いてヘソや股間等、見えづらい部分までが透けて見えている。
なんとも慎ましい小さな胸が、その平らで起伏の無い身体が、まだまだ育ち盛りで成長途中の顔が。
全て濡れていて妖艶さとも可愛らしさとも取れる魅力を撒き散らしていた。
「……て言うか、アンタの名前!」
「あっ、良太…」
自己紹介をして互いを知った二人。
良太とひよりの物語は、こうして始まりを告げる。
――――――――――――――――――――――――――
それから数日後。
「ひより〜?お弁当持って来たよ〜!」
「……」
「あれ〜?ひより〜?どこ〜?」
初めて会ったのと同じ場所。
そこへ、良太が大きな箱を携えてやってきた。
当のひよりは水に潜って頭だけを水面から出して良太を見ていた。
何か理由があって出てこない訳ではない。
ただ単に恥ずかしいだけである。
「……あ〜あ、ひよりも居ないし、先に食べちゃおっかな〜?」
「っ!?何でよっ!私の為にって持って来たんでしょうが!」
「あっ♪やっと出てきた♪」
ひよりが来ないのを残念がる振りをしながら、良太は持って来た弁当箱を開ける。
中にはいろんな種類の食べ物が詰まっている。
それも全部高級そうな光沢のある物ばかりだ。
「……ゴクリッ…」
「あれ?食べないの?」
豪勢な食事を前にして、ひよりは生唾を飲んでいた。
確かに、彼女は良太と初めて出会った日に約束をしている。
だがそれは「また今度、一緒に御飯でも食べよう」と言う簡単な物だった筈だ。
それなのに、良太が持って来たのは明らかに重箱サイズの量。
こんな量、家族全員でも食べきる自信が無い。
「えっと……その……ホントに食べていいの…?」
「うん♪勿論いいに決ってるじゃないか♪一緒に食べよ?」
そう言いながら、重箱の中にあった魚や佃煮なんかを入れて渡してくる。
今更になって、自分が作って来た小さく見えてしまう普通の弁当が寂しく見えてきた。
重箱なんかとは雲泥の差程も開いた大きさの差。
それが、ひよりの心を圧迫していく。
「うん…」
「うん?なんだか元気無い?」
しょんぼりと俯いて皿を受け取ったひよりは、ちまちまと魚を突き始めた。
その様子を見ていた良太は、ひよりの様子がおかしいと思って話しかける。
「い、いやいや…全然そんな事ないわよ?」
「そう?ところで、そのお魚美味しい?」
「えっ?う、うん……どんな魚使ってるの?」
そんなこんなで、食事の時間はあっという間に過ぎて行く。
気が付けば重箱の半分は胃の中に収まって行く。
逆に言えば、これだけ食べてもまだ半分な訳だが。
「ふぅ〜……ダメ、もう食べれない〜…」
「あはは、お腹が膨らんでてなんか子供が出来たみたいだね」
子供の何気ない一言程恐ろしい言葉は無い。
それがどんなものであろうとも。
「んなっ!?こ、こここここ…子供なんてっ…」
「んっ?どうしたの?」
照れ隠しのように自分の真っ赤な顔を見せまいと隠すひより。
それは女の子としての精神的成長を現わしているのか。
それとも、魔物としての本能が疼いているのかは、本人も分からない。
「なななな、なんでもないっ!」
「そう?」
大慌てで首を振るひよりの顔は、隠しきれなかった真っ赤さがどこか残った感じに火照っていた。
普通の人間なら誤魔化す事も容易いだろうが、河童の場合は皮膚の色からして違うのだから隠しようが無い。
オーバーアクションに両手を顔の前で振ったって見える物は見える。
「そうよ、あっごちそうさま」
「あぁ、うん」
なし崩し的に話をはぐらかしたひより。
その後暫く沈黙が続いたが、日も落ちてくる頃になると二人して家に帰る時間となっていた。
「弁当、すごく美味しかったわ!ありがとう…」
「どういたしまして。また会おうね♪」
「う、うん…」
適当な挨拶を交わした二人は、自分の家へと帰って行った。
その際、良太にはひよりが少しニヤついているように感じる。
――――――――――――――――――――――――――
あれからもうかれこれ数ヶ月が過ぎていた。
良太とひよりの仲は、会った当初から更に近付いており、今では稀に大人を真似てキスをするようにまでなっていた。
そして今日は、暫く会えなかった良太と1カ月ぶりに会える日。
それを前にして、ひよりは心を躍らせていた。
「…(あぁ、明日だぁ♪明日になったら良太と〜♪)」
「あら?どうしたのひより?あんまり食べてないじゃない」
「そ、そんな事ないわよ♪お母さんの料理、いっつも美味しいもの♪」
机に並べられた、母特製の珍味の数々。
それら全てが次々と、ひより達家族の腹の中へ入って行く。
「おね〜たん、あ〜ん♪」
「んっ?あ〜ん♪」
ひよりの妹が、取って来た昆布巻きをひよりに食べさせようとする。
快く食べてあげたひよりは、それを飲み込むと妹の頭を撫でてやった。
「きゃはは〜♪」
「まなかも喜んでるみたいね♪今日も腕を振るった甲斐があるってものだわ♪」
「よかったね〜、まなか〜♪」
ひよりがまなかの頭を撫でてやると、まなかはとても嬉しそうな笑顔で返してくれる。
まだまだ河童として未熟で、頭の皿も御猪口のように小さなまなかだが、姉を思う事に関しては家族の中でも一番だろう。
「そうだ、ひより?ちょっと御飯が終ったらいいかい?」
「ふぇ?もう食べ終わったよ?ごちそうさま〜♪」
「ごちしょうしゃま〜♪」
ひよりとまなかが一緒に手を合わせて合掌する。
それを見ていた母親は、つい反射的に返事をしていた。
「っと、そうだよひより、ちょっと来て?」
「そうだった…まなかはお姉ちゃんの部屋で待っててね?」
「は〜い♪」
そう言って、ひよりと母親は居間の奥の両親の部屋へ、まなかは反対側のひよりの部屋へと歩き出す。
「……戸を閉めて、ひより…」
「…はい…」
言われたとおりに戸を閉めて、居間からの光が遮断される。
すると、部屋の中がだんだんと分かってくる。
今までずっと母親から入らないよう注意されていた両親の部屋。
その中は鼻にかかるような甘い匂いと男臭い匂いが充満していた。
「ひよりにも彼氏が出来たって聞いたときは、そりゃ驚いたよ…」
「……お母さん?」
ひよりを置いて語り出す母親。
ひよりはその言葉を聞き続ける。
と言うより、それ以外の道が無い。
「――と言う訳で、ひよりの為にと思ってね。これ…」
「っ!?これって……お母さん、こんなの要らないよっ!」
母親が話した内容。
それは、自分が幼少時代に辿って来た辛い道のりの事だった。
そしてそれだけの道を辿るには、金が必要になりがちだ。
そこで母親は、ひよりに小さな金の延べ棒を差し出す。
あらゆる物の物価が高騰している今の世の中では、金はとっても価値のあるものだ。
それを、家の為でも無く娘の為に渡そうとしてくる。
だが、ひよりは勿論そんなものは受け取りたくなかった。
受け取ってしまえば、それだけ家の方が苦しくなるだろう。
「馬鹿言ってるんじゃないよっ!」
「やだよっ!」
そんな言葉の繰り返しが、数十分も続いた。
話し合いが終わるころには、日付も変わっているであろう頃だ。
「……お母さんは、ひよりの為を思って言ってるんだよ?」
「私はそんな金なんて無くても大丈夫だよっ!お母さんこそ、それを生活の為に使ってよ!」
そして、話は唐突に終わりを告げた。
母親は、延べ棒を包んで戸棚の中に入れた。
「しょうがない、そう言うんなら私たちで使わせて貰うわ。でも、ひよりはいつでも、私たちを頼っていいからね?」
「……あれ?」
要するに、二人の話は食い違っていたのだ。
母親は、ひよりに恋人が出来たのを知り、てっきり嫁に出て行くと思っていた。
ひよりは、母親に好きな人が出来たとしか伝えていない。
ひより自身は嫁に行く気などない。
むしろ良太を婿に取ってやろうかと考えている程なのだ。
その旨を母親に話すと、母親はその矛盾を大笑いして笑い飛ばす。
「はっはっはっはっ♪そう言う事かいっ!」
「そう言う事だよっ!」
「それじゃ、頑張って旦那さんをもぎ取って来るんだよッ?!」
「うんっ♪」
そうして、深夜も遅くなってひよりは自分の部屋で眠りに付く。
いよいよ昼には良太と会える。
そう思いながら、ひよりは眠りに落ちて行く。
―――――――――――――――――――
そして昼。
良太と会う約束をしていたひよりは、ある事を心に決めていた。
河童には少々変わった習性があるらしい。
旦那と決めた男を諦めようとしないのはもちろん、旦那を自分の家へ招く前に一度性行為に興じると言う。
なんとも思考がピンク色なエロ河童な事だ。
「……」
緊張で胸の高鳴りが収まらないひより。
そんなひよりの視線の先に、一人の人影が走り寄ってくるのが見える。
それは他でも無い、良太の姿だった。
何も荷物を持たず、手ぶらでこちらへ走ってくる。
途中、数回転びそうになりながらも良太はひよりの元へ辿りつく。
「お、遅かったじゃない…」
「いや、ごめんごめん…親族会議があって…」
「親族会議?」
そう言えば、良太の家は資産家か何かなのだろうか。
この前の弁当の時だって、高級感漂う重箱を持って来ていた訳だし、相当な金持ちかもしれなかった。
「うん、おじい様がきとく…とかで、相続のお話がどうとか…」
「そうなの…」
やはり、小さな子供には理解が追いつかないのかもしれない。
誰かが死んだのを目の当たりにしても、その内目を覚ましてくると信じて待つ子もいるのだから。
そして、死と直面した時の子供ほど精神の弱い存在もないだろう。
「……そういえば、良太の苗字聞いて無かったわよね?」
「ふぇ?相良だよ?相良良太」
「相良っ?!相良ってあの…」
相良という名前は、地理に疎いひよりでも十分な程に知っていた。
何しろ、日本全国で最大手の高級料理店なのである。
その規模は一つの国を治められるにも等しいと言われており、その頂点に立つ者は即ち日本を牛耳るといっても過言ではないほどの物。
そんな大手企業の跡取り息子ともなれば、色々と大変な筈だ。
誘拐されての人質扱いもされているかもしれないし、何より怖い思いは痛いほどしてきている事だろう。
「……」
どうやらあまりそういう反応をされたくなかったのか、良太は俯いて言葉を述べようとしなくなってしまう。
「あぁっ、ごめん!」
「いや、いいよ…」
それから暫くの間、気まずい沈黙が続く。
だが、その沈黙はいい意味で幕を降ろす。
「ぷはぁ!ひよりぃ!もう旦那さん見つけたの〜?」
「ひっ!?お、お母さん?!」
すぐ傍を流れている小さな川。
その中から、ひよりのよく知る人物が飛び出して来た。
ひよりの母親だ。
「あっれ?ひよりの旦那さんもちっちゃいんだね〜♪」
「……も?」
「あらやだ、聞いちゃう?お母さんとお父さんのな・れ・そ・め〜♪」
水から上がって来た母親の口からは、酷く強い酒の匂いがしている。
どうやら酒を呑んで酔っ払っているらしい。
「……お母さんなの?」
「……うん、でもなんか恥ずかしい…」
「あらら〜♪ひよりの旦那さんな訳だから〜、私はお義母さんかぁ〜♪そそるじゃな〜い?」
どうやら相当酔っているらしい。
娘の旦那候補を寝取ろうとしている時点でかなりヤバい方向にネジが吹き飛んでいるらしかった。
「ふっふっふ〜♪てことは、二人ともここでシちゃうのね〜♪見ててあげるぐぐぅ!?」
「お母さんは帰ってよ〜!」
「ねぇ、シちゃうって何を…」
「わ〜わ〜!なんでもないなんでもな〜い!」
「おしえてあげよ〜か〜?それはね〜?」
「教えないでっ!」
「ふわぁぁ……そ、そんな事するんだ……ローソクを身体に垂らして、縄で僕を縛って…」
「何教えとんじゃぁ!」
「うふふのふ〜♪そうそう、それからんぶろぉ!?」
こうして、ドタバタとした河童たちの楽しい一日は過ぎて行く。
―――――――――――――――――
ここからは、本編の数日後を描いたストーリー
悪く言えばおまけです。
――――――――――――――――――
今日もニコニコとしながら、ひよりと良太は身体をくっつけ合いながら楽しそうにお喋りしているようです。
「いやぁ、にしても私が良太より2つも年上だったなんてね〜♪」
「驚いちゃうよね〜♪」
良太がひよりと共に過ごすようになってからもう1カ月。
その位になって、ひよりの誕生日が訪れたのだ。
これで9歳になったひよりは、ふと思い付きで良太の年を聞いてみる。
するとどう言う訳か、良太の年はまだ6歳なんだそうだ。
よくもまぁ、こんな子供で仲良くラブラブしている物だ。
それよりもひっかかるのは、良太の家の事だろう。
「そう言えば、あれから良太の家ってどうなったの?」
「知らない……おじい様の跡取りだった僕が居なくなったんだし、弟とかが継いでるんじゃないかな…」
言われてみれば可笑しな話だ。
こんな年端も行かないような子供を跡取りに祭り上げて大人がやる事など決まっている。
良太を思うがままの人形に仕立て上げて自分が真の取り締まりになろうとでも躍起になっているだろう。
「ふぅん。まぁ、関係ないよね」
「そうだね♪ひよりが居ればそれで十分だよ♪」
「良太ぁ♪」
これからもずっと、二人は末永く愛し合って暮らして行くのだろう。
「ねぇねぇ、いつになったらひよりと良太君は交ごっぞーらっ!」
「お母さんは出てこないでっ!」
「そんな事言わないでさぁ、どこまで進んだか教えてくれてもいいじゃぶろーっ!」
「はいはい教えてやんないわよっ!」
………そんなこんなで、彼女たちは今日も楽しくやっています
じゃむる・ふぃん!
しつこくないほどに丁度よく湿った空気。
魚たちを脅かす事も無い程度に増えた川の水。
虫たちを阻害しない程度に濡れた地面。
それら全てが、この少年には心地よく感じられた。
「ふぅ……気持ち良いなぁ〜♪」
柔らかな風に当たりながら、少年はそう呟く。
この小さな小川は、彼にとって思い出のある場所である。
父親と良く水澄ましをして遊んだ小川。
初恋の芽生えと別れを味わった小川。
友情の種が芽生えた小川。
その他諸々の思い出が、少年の心を研ぎ澄まして行く。
「……」
何をするでもなくただ地面の上に座り込む少年。
その眼の先の川には、今も小魚達が群れを成して泳いでいる。
こんな静寂と平穏がいつまでも続く。
そう信じていた少年の前に、大きな転機が舞い込む。
「………」
「今日も何も………っえぇ?!」
流れてきたのは、明らかに人間だった。
気絶でもしているかのようにプカプカ浮かぶだけで全然動かない。
そのまま川の流れに流されて行きそうなのを、少年は慌てて止めに行く。
ここからさほど離れていない場所に、それほど高くは無い物の滝が存在しているのだ。
落ちても着地出来れば無傷だろう。
しかし、あの少女は動かない。
あのまま滝へ落下してしまえば、無傷では済まないだろう。
「うんっしょ…」
なんとか少女に追いつき両腕をガッチリと掴む。
これでも親を背負える程度には腕力があるつもりだ。
自分の持てる限りの力を使って、少女を岸に引き摺る。
暫くして、少女を岸に引き揚げる事に成功した。
「大丈夫?!ねぇ!ねぇ!」
「……」
何度も必死に呼びかけるが返事が無い。
まるで死んでいるかのように全く動かないのだ。
「そ、そうだ…人工呼吸で…」
彼は知っていた。
人工呼吸の仕方を。
正確には見て真似る程度の物だが。
以前、友人たちと一緒に遊んでいて一人が溺れた事があった。
誰も助ける方法が分からない中、彼の父親が懸命に処置を施してくれたのだ。
結果、友人は助かった。
「え、えと……まずはこうして…」
「……」
顔を真っ赤にしながら自分の唇を近づけて行く。
その先には意識のない少女。
唇と唇が重なりそうな距離まで来て、彼の接近は急停止した。
「…(どどど、どうしよう…これってせせせせせせ、せっぷん…だよね…?)」
そう考えながら自問自答していた彼だったが、ここでハプニングが起こる。
「……っは!」
「ふぇ?んむっ…」
目の前で意識を取り戻した少女。
彼女は、驚いて上体を起こそうとした。
しかし、彼女の目の前には勿論彼の顔がある訳で。
そのまま図らずも互いの唇は重なり合う。
「んんっ?!?!?!?!」
「っ?!?!?!」
互いに眼の色を白黒させながら余りの驚きに動けなくなる。
少年にとってはこれが初めてのキスだ。
外国では挨拶代りにしていると小耳に挟んだ事がある少年だがここはジパング。
そんな風習、ある筈も無い。
「プハッ……な、なんなの君…」
「な、なんなのって…」
頭の中が混乱してしまった少年は、少女の問いに答える事が出来ないでいた。
「……ひより…」
「…へっ?」
「ひより!私の名前!あんたは?」
唐突に自己紹介が始まった。
と言うより、今まで状況が状況だった為分からなかったが、彼女の肌は人のそれとかけ離れている。
現代の映画で見るようなゾンビの皮膚の様に、翠掛かった色をしている。
まぁ、ゾンビのように腐敗はしていないが。
更に彼女の着ている服装も変だった。
着物でもなければ動き易い服でも無い。
これはそう、現代に於ける『白スク水』である。
時代的にまだ発明すらされていない物なのだが、そんな事を両者が知ってる訳も無い。
だが、そんな事よりも一大事が起こっていた。
そう!白いスク水は、ある理由から使用している所は殆んどない。
その理由とは!
「……な、なに見てんのよ…」
「い、いや……なんて言うか…その…」
「…?………っ!?この変態っ!」
そう、スク水が透けてうっすらと乳首が見えているのだ。
乳首だけでは無い。
身体中に張り付いてヘソや股間等、見えづらい部分までが透けて見えている。
なんとも慎ましい小さな胸が、その平らで起伏の無い身体が、まだまだ育ち盛りで成長途中の顔が。
全て濡れていて妖艶さとも可愛らしさとも取れる魅力を撒き散らしていた。
「……て言うか、アンタの名前!」
「あっ、良太…」
自己紹介をして互いを知った二人。
良太とひよりの物語は、こうして始まりを告げる。
――――――――――――――――――――――――――
それから数日後。
「ひより〜?お弁当持って来たよ〜!」
「……」
「あれ〜?ひより〜?どこ〜?」
初めて会ったのと同じ場所。
そこへ、良太が大きな箱を携えてやってきた。
当のひよりは水に潜って頭だけを水面から出して良太を見ていた。
何か理由があって出てこない訳ではない。
ただ単に恥ずかしいだけである。
「……あ〜あ、ひよりも居ないし、先に食べちゃおっかな〜?」
「っ!?何でよっ!私の為にって持って来たんでしょうが!」
「あっ♪やっと出てきた♪」
ひよりが来ないのを残念がる振りをしながら、良太は持って来た弁当箱を開ける。
中にはいろんな種類の食べ物が詰まっている。
それも全部高級そうな光沢のある物ばかりだ。
「……ゴクリッ…」
「あれ?食べないの?」
豪勢な食事を前にして、ひよりは生唾を飲んでいた。
確かに、彼女は良太と初めて出会った日に約束をしている。
だがそれは「また今度、一緒に御飯でも食べよう」と言う簡単な物だった筈だ。
それなのに、良太が持って来たのは明らかに重箱サイズの量。
こんな量、家族全員でも食べきる自信が無い。
「えっと……その……ホントに食べていいの…?」
「うん♪勿論いいに決ってるじゃないか♪一緒に食べよ?」
そう言いながら、重箱の中にあった魚や佃煮なんかを入れて渡してくる。
今更になって、自分が作って来た小さく見えてしまう普通の弁当が寂しく見えてきた。
重箱なんかとは雲泥の差程も開いた大きさの差。
それが、ひよりの心を圧迫していく。
「うん…」
「うん?なんだか元気無い?」
しょんぼりと俯いて皿を受け取ったひよりは、ちまちまと魚を突き始めた。
その様子を見ていた良太は、ひよりの様子がおかしいと思って話しかける。
「い、いやいや…全然そんな事ないわよ?」
「そう?ところで、そのお魚美味しい?」
「えっ?う、うん……どんな魚使ってるの?」
そんなこんなで、食事の時間はあっという間に過ぎて行く。
気が付けば重箱の半分は胃の中に収まって行く。
逆に言えば、これだけ食べてもまだ半分な訳だが。
「ふぅ〜……ダメ、もう食べれない〜…」
「あはは、お腹が膨らんでてなんか子供が出来たみたいだね」
子供の何気ない一言程恐ろしい言葉は無い。
それがどんなものであろうとも。
「んなっ!?こ、こここここ…子供なんてっ…」
「んっ?どうしたの?」
照れ隠しのように自分の真っ赤な顔を見せまいと隠すひより。
それは女の子としての精神的成長を現わしているのか。
それとも、魔物としての本能が疼いているのかは、本人も分からない。
「なななな、なんでもないっ!」
「そう?」
大慌てで首を振るひよりの顔は、隠しきれなかった真っ赤さがどこか残った感じに火照っていた。
普通の人間なら誤魔化す事も容易いだろうが、河童の場合は皮膚の色からして違うのだから隠しようが無い。
オーバーアクションに両手を顔の前で振ったって見える物は見える。
「そうよ、あっごちそうさま」
「あぁ、うん」
なし崩し的に話をはぐらかしたひより。
その後暫く沈黙が続いたが、日も落ちてくる頃になると二人して家に帰る時間となっていた。
「弁当、すごく美味しかったわ!ありがとう…」
「どういたしまして。また会おうね♪」
「う、うん…」
適当な挨拶を交わした二人は、自分の家へと帰って行った。
その際、良太にはひよりが少しニヤついているように感じる。
――――――――――――――――――――――――――
あれからもうかれこれ数ヶ月が過ぎていた。
良太とひよりの仲は、会った当初から更に近付いており、今では稀に大人を真似てキスをするようにまでなっていた。
そして今日は、暫く会えなかった良太と1カ月ぶりに会える日。
それを前にして、ひよりは心を躍らせていた。
「…(あぁ、明日だぁ♪明日になったら良太と〜♪)」
「あら?どうしたのひより?あんまり食べてないじゃない」
「そ、そんな事ないわよ♪お母さんの料理、いっつも美味しいもの♪」
机に並べられた、母特製の珍味の数々。
それら全てが次々と、ひより達家族の腹の中へ入って行く。
「おね〜たん、あ〜ん♪」
「んっ?あ〜ん♪」
ひよりの妹が、取って来た昆布巻きをひよりに食べさせようとする。
快く食べてあげたひよりは、それを飲み込むと妹の頭を撫でてやった。
「きゃはは〜♪」
「まなかも喜んでるみたいね♪今日も腕を振るった甲斐があるってものだわ♪」
「よかったね〜、まなか〜♪」
ひよりがまなかの頭を撫でてやると、まなかはとても嬉しそうな笑顔で返してくれる。
まだまだ河童として未熟で、頭の皿も御猪口のように小さなまなかだが、姉を思う事に関しては家族の中でも一番だろう。
「そうだ、ひより?ちょっと御飯が終ったらいいかい?」
「ふぇ?もう食べ終わったよ?ごちそうさま〜♪」
「ごちしょうしゃま〜♪」
ひよりとまなかが一緒に手を合わせて合掌する。
それを見ていた母親は、つい反射的に返事をしていた。
「っと、そうだよひより、ちょっと来て?」
「そうだった…まなかはお姉ちゃんの部屋で待っててね?」
「は〜い♪」
そう言って、ひよりと母親は居間の奥の両親の部屋へ、まなかは反対側のひよりの部屋へと歩き出す。
「……戸を閉めて、ひより…」
「…はい…」
言われたとおりに戸を閉めて、居間からの光が遮断される。
すると、部屋の中がだんだんと分かってくる。
今までずっと母親から入らないよう注意されていた両親の部屋。
その中は鼻にかかるような甘い匂いと男臭い匂いが充満していた。
「ひよりにも彼氏が出来たって聞いたときは、そりゃ驚いたよ…」
「……お母さん?」
ひよりを置いて語り出す母親。
ひよりはその言葉を聞き続ける。
と言うより、それ以外の道が無い。
「――と言う訳で、ひよりの為にと思ってね。これ…」
「っ!?これって……お母さん、こんなの要らないよっ!」
母親が話した内容。
それは、自分が幼少時代に辿って来た辛い道のりの事だった。
そしてそれだけの道を辿るには、金が必要になりがちだ。
そこで母親は、ひよりに小さな金の延べ棒を差し出す。
あらゆる物の物価が高騰している今の世の中では、金はとっても価値のあるものだ。
それを、家の為でも無く娘の為に渡そうとしてくる。
だが、ひよりは勿論そんなものは受け取りたくなかった。
受け取ってしまえば、それだけ家の方が苦しくなるだろう。
「馬鹿言ってるんじゃないよっ!」
「やだよっ!」
そんな言葉の繰り返しが、数十分も続いた。
話し合いが終わるころには、日付も変わっているであろう頃だ。
「……お母さんは、ひよりの為を思って言ってるんだよ?」
「私はそんな金なんて無くても大丈夫だよっ!お母さんこそ、それを生活の為に使ってよ!」
そして、話は唐突に終わりを告げた。
母親は、延べ棒を包んで戸棚の中に入れた。
「しょうがない、そう言うんなら私たちで使わせて貰うわ。でも、ひよりはいつでも、私たちを頼っていいからね?」
「……あれ?」
要するに、二人の話は食い違っていたのだ。
母親は、ひよりに恋人が出来たのを知り、てっきり嫁に出て行くと思っていた。
ひよりは、母親に好きな人が出来たとしか伝えていない。
ひより自身は嫁に行く気などない。
むしろ良太を婿に取ってやろうかと考えている程なのだ。
その旨を母親に話すと、母親はその矛盾を大笑いして笑い飛ばす。
「はっはっはっはっ♪そう言う事かいっ!」
「そう言う事だよっ!」
「それじゃ、頑張って旦那さんをもぎ取って来るんだよッ?!」
「うんっ♪」
そうして、深夜も遅くなってひよりは自分の部屋で眠りに付く。
いよいよ昼には良太と会える。
そう思いながら、ひよりは眠りに落ちて行く。
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そして昼。
良太と会う約束をしていたひよりは、ある事を心に決めていた。
河童には少々変わった習性があるらしい。
旦那と決めた男を諦めようとしないのはもちろん、旦那を自分の家へ招く前に一度性行為に興じると言う。
なんとも思考がピンク色なエロ河童な事だ。
「……」
緊張で胸の高鳴りが収まらないひより。
そんなひよりの視線の先に、一人の人影が走り寄ってくるのが見える。
それは他でも無い、良太の姿だった。
何も荷物を持たず、手ぶらでこちらへ走ってくる。
途中、数回転びそうになりながらも良太はひよりの元へ辿りつく。
「お、遅かったじゃない…」
「いや、ごめんごめん…親族会議があって…」
「親族会議?」
そう言えば、良太の家は資産家か何かなのだろうか。
この前の弁当の時だって、高級感漂う重箱を持って来ていた訳だし、相当な金持ちかもしれなかった。
「うん、おじい様がきとく…とかで、相続のお話がどうとか…」
「そうなの…」
やはり、小さな子供には理解が追いつかないのかもしれない。
誰かが死んだのを目の当たりにしても、その内目を覚ましてくると信じて待つ子もいるのだから。
そして、死と直面した時の子供ほど精神の弱い存在もないだろう。
「……そういえば、良太の苗字聞いて無かったわよね?」
「ふぇ?相良だよ?相良良太」
「相良っ?!相良ってあの…」
相良という名前は、地理に疎いひよりでも十分な程に知っていた。
何しろ、日本全国で最大手の高級料理店なのである。
その規模は一つの国を治められるにも等しいと言われており、その頂点に立つ者は即ち日本を牛耳るといっても過言ではないほどの物。
そんな大手企業の跡取り息子ともなれば、色々と大変な筈だ。
誘拐されての人質扱いもされているかもしれないし、何より怖い思いは痛いほどしてきている事だろう。
「……」
どうやらあまりそういう反応をされたくなかったのか、良太は俯いて言葉を述べようとしなくなってしまう。
「あぁっ、ごめん!」
「いや、いいよ…」
それから暫くの間、気まずい沈黙が続く。
だが、その沈黙はいい意味で幕を降ろす。
「ぷはぁ!ひよりぃ!もう旦那さん見つけたの〜?」
「ひっ!?お、お母さん?!」
すぐ傍を流れている小さな川。
その中から、ひよりのよく知る人物が飛び出して来た。
ひよりの母親だ。
「あっれ?ひよりの旦那さんもちっちゃいんだね〜♪」
「……も?」
「あらやだ、聞いちゃう?お母さんとお父さんのな・れ・そ・め〜♪」
水から上がって来た母親の口からは、酷く強い酒の匂いがしている。
どうやら酒を呑んで酔っ払っているらしい。
「……お母さんなの?」
「……うん、でもなんか恥ずかしい…」
「あらら〜♪ひよりの旦那さんな訳だから〜、私はお義母さんかぁ〜♪そそるじゃな〜い?」
どうやら相当酔っているらしい。
娘の旦那候補を寝取ろうとしている時点でかなりヤバい方向にネジが吹き飛んでいるらしかった。
「ふっふっふ〜♪てことは、二人ともここでシちゃうのね〜♪見ててあげるぐぐぅ!?」
「お母さんは帰ってよ〜!」
「ねぇ、シちゃうって何を…」
「わ〜わ〜!なんでもないなんでもな〜い!」
「おしえてあげよ〜か〜?それはね〜?」
「教えないでっ!」
「ふわぁぁ……そ、そんな事するんだ……ローソクを身体に垂らして、縄で僕を縛って…」
「何教えとんじゃぁ!」
「うふふのふ〜♪そうそう、それからんぶろぉ!?」
こうして、ドタバタとした河童たちの楽しい一日は過ぎて行く。
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ここからは、本編の数日後を描いたストーリー
悪く言えばおまけです。
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今日もニコニコとしながら、ひよりと良太は身体をくっつけ合いながら楽しそうにお喋りしているようです。
「いやぁ、にしても私が良太より2つも年上だったなんてね〜♪」
「驚いちゃうよね〜♪」
良太がひよりと共に過ごすようになってからもう1カ月。
その位になって、ひよりの誕生日が訪れたのだ。
これで9歳になったひよりは、ふと思い付きで良太の年を聞いてみる。
するとどう言う訳か、良太の年はまだ6歳なんだそうだ。
よくもまぁ、こんな子供で仲良くラブラブしている物だ。
それよりもひっかかるのは、良太の家の事だろう。
「そう言えば、あれから良太の家ってどうなったの?」
「知らない……おじい様の跡取りだった僕が居なくなったんだし、弟とかが継いでるんじゃないかな…」
言われてみれば可笑しな話だ。
こんな年端も行かないような子供を跡取りに祭り上げて大人がやる事など決まっている。
良太を思うがままの人形に仕立て上げて自分が真の取り締まりになろうとでも躍起になっているだろう。
「ふぅん。まぁ、関係ないよね」
「そうだね♪ひよりが居ればそれで十分だよ♪」
「良太ぁ♪」
これからもずっと、二人は末永く愛し合って暮らして行くのだろう。
「ねぇねぇ、いつになったらひよりと良太君は交ごっぞーらっ!」
「お母さんは出てこないでっ!」
「そんな事言わないでさぁ、どこまで進んだか教えてくれてもいいじゃぶろーっ!」
「はいはい教えてやんないわよっ!」
………そんなこんなで、彼女たちは今日も楽しくやっています
じゃむる・ふぃん!
12/04/20 19:49更新 / 兎と兎