連載小説
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第一話 遥か東の幻の国(上)
強い夏の日差しの中、心地よい潮風と、穏やかな波の程よい揺れ。
街中の騒々しさから遠く離れた、波の音だけの静かな海の上。

・・・そんでもってまだ日が昇った直後の早朝。新しい生活に未だ馴染めず体には毎日の疲労が蓄積している。
この状況で眠くならない人間がいるものか。小さな船の上で大きくあくびをし、愚痴をこぼす。

「ふああぁぁぁ・・・。あー、ダメだ。俺やっぱ漁師とか向かんわ・・・眠い・・・ふあぁぁぁ・・・」

二度目の大きなあくびをつくと、今はせっせと網を海から引き上げている男が振りむき苦笑する。

「だから最初に結構大変な仕事だと言ったつもりだったんだが・・・、まぁ最初の内は慣れないだけもあるだろう」

口を動かしながらも、手の動きは止めない。真面目に働くその男、アキトをじっと眺め、思わずため息をつく。

港町ソルカイネ。この地区一帯でも最も栄え、最も強大な軍隊を持つ教団を中心とする街。
・・・と少し前なら言えたのだが、半年ほど前、街の中心に存在する大聖堂に魔物の軍勢が押し寄せ、たった一日で教団の威厳と権力を奪われた。
当時教団騎士の見習いだった自分はその事件をきっかけに職を失い、仕事を転々とした挙句今は漁師見習いをやっている。
目の前の男はそんな自分を弟子にしてくれた、この街の漁師のアキトという男である。

・・・反魔物勢力だったこの街も、今では街中で魔物を見ることも少なくなく、長年住んでいたかのように街人の生活に馴染んでいる。
いや、実際に魔物はヒトのフリをしてずっとこの街で生活をしていた者も多いようだ。現に目の前の男も教団強襲事件の前から魔物と同棲していたとか。
そんなことを考えていると、海の中に網の一部を持ってこちらに泳いでくる人影が見える。ヒトが水中では絶対に出せない速度で船の傍まで来ると、水しぶきを上げて水中から顔を出した。

「網の中にちゃんといっぱい魚入ってますね・・・今日も大量で・・・す・・・」

寝ぼけ眼で漁師の男に話かけるその横顔に思わず見とれてしまう。一見するとまだ少女のようで、だが同時に大人の魅力を持った美しい顔立ち。ヒトならざるものの魅力と知りながらも、つい目を奪われてしまう。
海に棲むとされている魔物、ネレイス。ヒト種にとっての敵であるはずの魔物が、ごく普通にヒトと会話をしている。
最近は少しずつ見なれてきてはいるが、やはり自分にとっては非常に奇妙な光景だった。

アキトの連れらしいその魔物は、沈んでしまわないかと心配になるほどに力なく報告をすると、手に持っていた網の一部をアキトに渡す。この魔物も夜明けに起きるこの生活には不慣れらしい。

「おいお前まで海の上で寝るな・・・網に絡まって魚と一緒に引き上げられました、なんて笑い話、もう何回やったか分からないからな・・・」
「うー・・・じゃあご褒美くださいー。ほらー、ご褒美のちゅーうー」
「な・・・お前そんな人前でな・・・」
「いーやーでーすー、ほら早くしないと寝ちゃいますよーう」
「どんな脅し方だそれは・・・ったく、仕方ないな」
「・・・んっ、きゃうっ!これでもうちょっと起きてられます!えへへへ」

そんな目の前で起こる、見てるこっちが恥ずかしくなりそうな激甘なやりとりを半目で見届けると、口から糖分を吐きだすように盛大にため息をつく。
ヒト種が魔物に骨抜きにされるとは何とも情けない。教団の教えを叩き込まれた自分にとってはそのやりとりは羨ましい、と言うよりも不誠実な行為にしか見えなかった。

「おーいお二方ー、人の前で夫婦円満なのを見せつけるのよりも、早く終わらせて帰りましょうや・・・。俺はとっとと家に帰ってゴロゴロしてたいんだ・・・」

そうぼやいてみると、アキトは顔を真っ赤にして「すまん」とか言って慌てて作業を再開し、魔物は嬉しそうに海の中へ潜って行った。
何とも情けない光景・・・、俺は絶対に魔物なんかと一緒になるものか。ヒト種の誇りを見せてやる。そう心の中で決心を固める。

だが何分飽き性で自堕落な自分は大体決意を固めても途中で折れる。
この時の決意も、数日と持たない決意だったと、後になってみれば思うのだった―――



―――『キアラ=マルトス』
騎士を目指し、ソルカイネの街で育ったその男の名前。
そこそこに裕福な家に生まれ、そこそこに幸せな少年時代を生きて、そこそこに剣術の修行をした、何をしても無難な男。
今まで大きな苦労をしてきたわけもなく、のんびりとした生活をしてきたせいで少々めんどくさがりで乱暴者ではあるが、まぁ最低限の仕事はきちんとこなす。そう自負している。
教団襲撃事件の日も運良く体調を崩して自宅療養。魔物に襲われることもなく、仕事は失ったが事件をきっかけに今の騎士仲間たちのように魔物にデレデレする生活もしていない。
逆を言えばその時に立ち会わなかったせいで新しい街の空気に馴染めず、少し変わり者のように見られているかもしれない。
現に街の魔物と親しくするわけでもなく、次々と周りが魔物との生活に慣れていく中で一人魔物の力を借りずの暮らしを貫き通している。そのせいか街中で一人浮き、家でぐうたらしていることが多くなってこのありさまである。


今日も船に乗ったはいいものの、特に大きな仕事が出来るわけもないし、しようという気もそこまでなく、すっかりクセになったサボりっぷりを発揮して仕事を終える。
網を引き上げる作業と、かかった魚を仕分けする作業を少しだけ手伝った後、ようやく街に戻ることになった。
街へと進路を向け、帆を張ろうとしたその時、沖の方で朝靄の奥に何やら大きな影が見えた。

「ん・・・?おいあれ何だ?岩・・・?いや、動いてるな」

波に揺られるように動くその影は、朝靄の中をゆっくりと漂って行く。
よくよく目を凝らして眺めてみると、巨大な船のようなシルエットが浮かび上がった。

「・・・ここらへんじゃ見ない船の形状だな。貿易船か・・・それとも海賊か?」

徐々に朝靄が晴れていき、船のシルエットがしっかりと見えてくる。
貿易船にしてはボロボロで、海賊船には貧弱そうな雰囲気のその不思議な船の上には、人らしい人も見当たらない。
そういえば最近巷で幽霊船を見た、なんて噂が飛び交っていたか。だとしたら、あれが目撃された謎の船?

「なんあれは・・・。少し気になるな、キアラ、悪いがあの船の方に進路を取ってくれるか?」
「あ、ああ」

何だか、その船に呼ばれたような。
関わらない方がいい、そう頭では理解しているのに、なぜかその船から助けを求めるような声が聞こえた気がしたのだ。
少し悩んだ後、意を決してその声に導かれるように不気味に揺らめく船を目指し舵を取った―――



―――「外から呼びかけても反応なし。船に乗り込んでみたものの人影はなし。それに見たことねぇ多分異国の装飾やら道具やらがいっぱい。船は沈んでないのが奇跡なぐらいボロボロ。まさに幽霊船だなこりゃ・・・」

船の中を一通り様子を見回ったが、遠目に見たとおり中には誰もいなかった。
幽霊船にはお宝がザックザク、なんてこともなく、本当に不気味なほど何も無し。
壁や床には穴が空き、時折白骨化した人の骨のようなものもあった。
この無人の船は、独りでに海を漂い、ソルカイネ沖に辿り着いたようだ。

「どこかで嵐にでもあったんだろうか。それとも何か理由が・・・」
「あー、せっかく乗り込んでみたのに収穫無しってのもなぁ。幽霊船発見の証拠に、なんか土産にもらってこうぜ」
「お、おいキアラ・・・!」

せめて何か持ちかえろうと、船室内を乱暴に引っ掻きまわす。これだけ大きな船なら、何か宝石なり、銀食器なり、金になりそうなものの一つや二つあるだろうと思って探していると、一枚のボロ布が目にとまった。
上質そうな毛皮のようだったが、長い間放置されていたのだろう。痛んだ様子のその布切れに興味を持ち、しゃがんで拾い上げようと手を伸ばし、触れた。

「・・・あ?何だこれ」

その布切れはほのかに暖かい。不思議に思い、その布の一部をつまみ、拾い上げた。
そのボロ布は、“まだ生きていた”

「・・・おいおい冗談だろ・・・なんでこんなところに『猫』がいるんだよ・・・」
「猫?そんな・・・!?」

埃まみれで力なく目を閉じたその猫は、衰弱しきった様子で、そっと胸に手を当ててみると本当にかすかに鼓動する振動が伝わりはするものの、今まさに生死の境をさまよっているような状態だった。
こげ茶色の毛並みはボサボサで、体は持っている感覚が怪しいほどに軽く、やせ細っていた。
どれだけ耳を澄ませても聞こえないほどに小さく呼吸をくり返し、あばら骨の浮いた胸を上下させていなければ、死体だと思って捨てていたかもしれない。

「ったく、おいアキトさんよ・・・コイツ連れて、今すぐ街に戻るぞ。死にかけてんじゃねーかこのコイツ・・・」
「あ、ああ。だが、もしかしたら他に生存してる生き物は・・・?」

アキトが冷静にも思考をめぐらせ、他に何か生きた人、生き物がいないかと船室の中を見渡す。
自分ももし他に生きてる者がいたとしたら、と思い立ち上がろうとすると、腕の中の猫がかすかに目を開ける。

「お、おう、大丈夫だ、じっとしてろ。すぐに助けてやるからよ。てめぇの仲間がいるかもしれねぇから、すぐに探すから、少しだけ待っててくれ」

猫に言葉が通じるとは思わないが、思わず声をかけて体を撫でる。
もう一度生きた者がいないかと視線を上げると、船を遠くから見た時と同じ小さな声が聞こえた気がした。

「・・・・・・ない、・・・が・・・・れも・・・」
「っ!?」

どこからともなく聞こえた声に警戒し、辺りを見回すが人影らしきものは見当たらない。
よく声を聞こうと目をつむり、全神経を耳に集中すると、外から聞こえる波の音に消されそうなほどの音量で、少女の声が聞こえた。

「・・・いない、もう、この船には。誰も・・・」
「・・・マジか」

かすかに聞こえる、弱い少女の声。全く正体不明の怪奇現象だったが、今はその言葉を信じ、目の前の命を最優先する。

「・・・アキト、行こう。この船にはもう誰もいないらしい」
「なんだって?」
「声が・・・聞こえたんだ。この船には誰もいないって。とにかく、今はこの猫を助けよう。この船は後からもう一度調べればいい」

声が聞こえた。考え直せば何を馬鹿なことを言ってるんだろうか。
アキトも呆れて返す言葉も無いか、と思ったその瞬間。

「・・・・・・分かった、じゃあ急いで街に戻ろう」
「・・・あ?」
「その猫を助けるんだろう。手遅れになる、その前に戻らないと」
「お、おう、わりぃ・・・行こうっ」

猫を抱き直して立ち上がると、急ぎ船室の出口に向かい、二人走りだす。
最後に一度だけ立ち止まって船室内を見たが、もうさっきの少女の声は聞こえなくなっていた―――




―――港に着くなり船を飛び降りると、仕事の後始末があるアキトと別れ、自分は保護した猫を抱えて自宅へ駆け込んだ。
状況が状況なので街の医療施設に行った方がいいのだろうかとも考えたが、最近は魔物の魔力を利用した治療法も始まっており、治療に魔物が関わることも多い。
未だ不信感の強い魔物に任せることなるかもしれない、と思うと抵抗を感じ、自分で面倒を見ることにした。
腕の中でぐったりとする猫は目を閉じたままでほとんど身動ぎもしない。小さく呼吸はしているようで、まだちゃんと生きてはいるようだ。

「っても、勢いで持ってきたのは良いがどうするかなコレ・・・。よくよく考えたら俺医療方面の知識はあんまねーわ。とりあえず腹減ってんだろう、なんか食わせねぇと・・・」

テーブルの上には帰ってきたら食べようと思って置いてあったパンと牛乳が置いてある。
どうやって食べさせようかとしばらく悩んだ末、パンを指先で小さく千切って牛乳につけ、食べやすくしてから与えることにした。

「これなら多少は食いやすいだろう。おら、口開けろや猫。食わねぇと死ぬぞお前」

言葉は乱暴なことを言いつつも、抱きかかえた猫の口を慎重に開け、口元にゆっくりとパンを近づける。
小さな口の中に千切ったパンをそっと入れると、それに気がついた猫が口だけを懸命に動かし、与えられたパンをゆっくりと食べ始めた。

「おう、物を食う気力ぐらいは残ってたか。これもダメなら本当に俺じゃどうしようもねぇからなぁ」

猫は数分をかけてようやく一切れのパンを飲み込む。その様子をじっと見守り続け、一つ食べ終わったところでもう一つのパンを口に運ぶ。
そんな作業を根気よく何回か繰り返していると、やがて少し落ち着いたのか、猫は腕の中で安心したように眠りに落ちた。
そこでようやく抱きかかえた猫を一度ベッドに下ろし、毛布をかき集めて簡易な猫用ベッドを作りそこに寝かせる。
喉が渇いた時のために食器棚から小さな皿を取ってきて水を入れ、毛布のベッドの横に置いておいた。

「このまま放っておくのも心配だが・・・かといって何か出来るわけでもねぇだろうしな。大人しくそこで寝てろよ、間違ってもその体で動くんじゃねーぞ!」

指を指して猫に怒鳴りつけると、返事をするように猫の耳がピクっ、と動く。
少し心配ではあるものの、さっき言った通りに何かできるわけでもないので、自分も少し遅れたが朝飯を食べに行くのと、何か必要なものを探すために、街に出かけることにした―――



―――街に出て街の中心にある市場に向かうと、朝から屋台が所狭しと並び、大量の人が行き交いして歩くのも困難なほど活気があった。
朝から動き回り腹が減ったので、そこら辺の屋台で適当に安物のパンを買って歩き食いしながら、何か食べやすそうなものが無いかと物色する。
朝方の市場には街の職人らしき男が何やら材料を集めに来ていたり、貴族の使用人、飲み屋の娘などが今日の食事の仕入れに来ていたり、主婦らしき中年の女性が必死に値切りの交渉を見せていたり。
朝からこのお祭り騒ぎのような市場の活気は、やはり嫌いになれるものではない。周りを見渡しながら歩くのも一つの楽しみで、つい本来の目的を忘れかけてしまうほどだった。
だが最近ではその風景の中に、あまり気に食わない点が混じる。市場の人混みの中に、平然とした顔で魔物が混じっているのだ。
もちろん今はまだ見かけることが珍しい程度だが、いずれ魔物だらけの街になってしまわないかと言う危惧を浮かべてしまう。

今も人混みの奥で、何やら騒がしく新聞とやらを宣伝する一匹の魔物が遠目に見える。教団強襲事件以降街でよく見かける翼をもった魔物の一人、新聞屋のハーピーだ。
朝からうるさい奴だ、と思いつつもぴょこぴょこと飛び跳ねながらすれ違う人に声をかけている様子は、なぜか見ていて悪い気分にはならなかった。
と、その時不意に視線が合い、ハーピーはが嬉しそうに手を振ってくる。こちらからも口の動きだけで「よぉ」と挨拶をすると、人混みをかき分けてこちらへ歩いてきた。

「おいっすー!自宅警備員の旦那!なんや今日は朝早いな!いっつも昼まで寝とるんちゃったんか?」
「今日から新しい仕事始めたんだよドアホ。朝っぱらからテンション高らかにわけのわからん職業作るんじゃねぇ」
「へへへっ、そんなことより旦那!今日は新聞買わへんか?どうせまた家で一人おっても腐っとるだけやろ?世間を知るためにも新聞ぐらい読んどいた方がええで?」
「完全に人を引きこもり扱いだなテメェ・・・否定できねぇ俺も俺だが」

コイツは新聞配達屋と名乗る、ハーピーの『プラム』
まだ見た目は十代半ばぐらいに見える体格に、地味な茶色の洋服。魔物特有の尖った耳などが目に映るが、何より目立つのは両腕が二の腕辺りから巨大な翼になっていること。体の上半身だけ見ればヒトに見えないこともないが、足も膝下は鳥種特有のの細く鱗におおわれた足になっている。
変わり者の俺に気さくに接してくる、いつもうるさい魔物。いつも無駄に元気で底抜けに明るく、小動物のように忙しなく動きまわっている。
魔物を好ましく思わない自分が嫌いになれない性格をしており、魔物の中で唯一まともに会話が出来る奴だ。
教団強襲事件以前からずっとこの街でヒトとの交流を続けているためか、他の魔物に比べてヒトの常識に精通していることも仲良く出来る要因の一つだろう。
好色な魔物のはずなのに自分と同じ一人身らしく、何かと気が合うことが多い。こうして街中で見かけては声を掛け合うことも珍しくなかった。

「・・・なぁ、その新聞ってペットについての情報とかあんのか?」
「ペット、とな?おーそれなら任せとき!バリバリに記事あるで!捕獲も飼育も簡単なフェアリー種やワーラビット種、ラージマウス種等の情報から、少々上級者向けなダークスライム種やマンドラゴラ種、はたまたドラゴン種をペットにしてみようなんて企画まで・・・」
「すまんテメェにならヒト種の常識が通じると思っていた俺が馬鹿だった。んじゃ俺急ぐから、どけやドアホが」
「なんやぁ冗談通じへん奴やなぁ。そう怒りなさるなや、短気な男は女にも魔物にもモテへんで?もらい手が無いんやったら、あっしが貰ったらんこともないけどな!」
「頭の悪い上に魔物なんざ、こっちから願い下げだ。帰れ帰れ」
「なんや6割方本気やのに・・・まぁええわ、冗談はさておき、ペットなぁ・・・。新聞にはあったとしても、ほんのコラム程度で大した情報はないわ。・・・けど、あっし自身こう見えて案外知識の幅は広いでな、愛玩動物として貴族に飼われる色んな動物も見てきとるから、ある程度なら知識あんで?」

自慢げに無い胸を張るプラム。伊達に数百年も新聞配達をしているわけではない、というのは本人の口癖だ。
半分は知識を持ってることを期待して聞いてみると、頼もしい答えが返ってきた。

「お?そうか・・・。それじゃあちょっくら仕事終わったら付き合ってくれよ。ちょっとわけあって猫を拾ったんだがイマイチ勝手が分からなくて・・・っておい、聞いてんのか?」
「つ・・・つ・・・つ・・・付き合ってくれって言われた・・・。長い人生うん百年・・・初めて男性にやな・・・」
「おい何幸せそうな顔でブツブツ言ってやがるこの鳥。んで?昼とか空いてんのか、って聞いてんだよ。暇ならちと家来いよ、色々と教えてくれ」
「いきなり家っすか!?昼間からイロイロ教えろとな!・・・おう任せとき旦那!いっそ旦那様と呼ぼか!?正午頃なら仕事も休み取れるわ!」
「気持ち悪いから旦那様はやめろ」
「あっはっはっはっは照れんでええ照れんでええ!正午な正午!ほなあっしは仕事に戻るわ!あっはっはっはっは!!!」
「・・・・・・。気持ち悪いぐらいにテンション高いな、今日のアイツ。どうしたんだ?」

満面の笑みを浮かべて人混みの中へと消えるプラムを見送ってから、思い出したように手に持ったパンに一口かぶりつく。
何かとんでもない勘違いをされていたような気がするが、気のせいだろう。

とりあえずプラムが何か情報をもたらしてくれることを信じ、衰弱した猫を長時間放置しているのも気が引けるので、適当な屋台で牛乳などを買い、一度家に戻ることにした。

「そういえばあの猫、俺が飼うんだよな・・・、他の連中に任せてられないし」

帰る道すがら、誰に話すわけでもなくブツブツとつぶやき始める。

「名前・・・名前とか考えねーとな。アイツオスなんか、メスなんかどっちだろ。帰ったら調べてみるか」

朝からの市場の喧騒で自分の声が目立つことはない。それでも周りの一部の人が気付くが、特に気にされることもなかった。なにより自分は現状、周りが見えていない。

「・・・・・・可愛いよなぁ、猫」

突如、にへらぁ、と表情を崩し、普段の様子からは想像もつかないさも幸せの絶頂と言った顔で、周りに肩がぶつかるのも気にせず人混みをふらふらと歩き続ける。
何を隠そうこのキアラと言う男は、無類の動物好きなのである―――



―――「おーっす、帰ったぞー・・・って誰がいるわけじゃねーんだけど」

市場で買い物を済ませて戻り、人のいない家に帰宅したことを告げる。薄暗い部屋の中を明るくしようと木窓を開け放つと太陽が真上に来ており、もう真昼になっていたことに気がつく。
部屋の片隅に置いてきた猫はちゃんと即席ベッドの上で寝ており、動き回れる体ではないと思うがちゃんと大人しくしていたようだ。
自分の昼飯も兼ねて一応流動食にはなるかと思い、市場でシチューとこの街では高級品である魚の干物も買ってきた。干物は元気になったら食べさせようと思う。
湯気の立っている熱々のシチューを机の上に置くと、その匂いに気がついたのか即席ベッドの上で眠っていた猫が薄く目を開ける。

「心配しねぇでも分けてやるよ。テメェは病人・・・猫か。なんだから大人しく寝てやがれ」

そう言って猫用に用意した小さな木製の器にシチューを移し替える。少しでも栄養が取れればと思い、牛乳と一緒に買ってきたチーズを細かく砕いてシチューに混ぜた。
シチューと木のスプーンを一緒に持って猫の傍に腰を下ろし、一口シチューをすくって息を吹きかけて猫舌に合うように冷まし、猫に差し出す。

「オラ食え。朝やった分じゃ足りねーだろ。っても餓死しかかってた奴に一気に食わせるのもダメなんだっけか?」

シチューのおいしそうな匂いにつられたのか、猫は目の前のシチューに鼻を動かす。
まだ自分から食べるのは無理そうなので口に流し込もうとするが、食べようとせずに吐きだしてしまう。
朝はなんとか食べてくれたが、さらに体は衰弱してしまっているようだ。

「おい食えってんだよ。くわねぇと死んじまうぞテメェ」

懸命に口を開けて食べようとしているものの、やはり飲み込めずに吐きだしてしまう。
何度か食べさせようと試みたものの、やがて猫は諦めたように目を伏せ、感謝の意を表すかのように小さく「みぃ」と鳴いた。

「・・・・・・鳴いた」

初めて聞いたこの猫の鳴き声。そして安心しきった様子で眠るこの寝顔。今まで動物など飼ったこともなく、夢に見続けていた現状がここにある。

「ふぅおおおぉぉぉぉぉぉ!!!やべぇ可愛いなんだこれ!!!!今鳴いたぜおい!!めっちゃ可愛いじゃねぇかこんちくしょおぉぉぉ!!場違いにテンション上がってるのは否めないが!!今までなぜ俺は猫を飼っていなかったんだ!!人生の楽しみの半分以上を損していた気分だ!!ふぐふぉっ!いかん気分が高揚した時の吐血グセが・・・」

あまりの猫の可愛さに思わず血を吐きながら床を転がり悶えていると、どこからとなく視線を感じふと開けた窓に目をやる。
そこから半分だけ顔をのぞかせて半目で見つめる人影はこちらの視線に気がつくと、普段と違う抑揚のない声で呟いた。

「いや、ええと思うよ、猫。可愛いと思うよ、うん。あっしも猫好きやで・・・」

どこか哀れむような視線で床で固まる自分を見つめる彼女は、猫と自分を交互に見た後、窓を乗り越え家の中に入ってきた。

「よ、よぉプラム・・・案外早かったな・・・」
「何か見てはいけないものを見てしまった気がするんやが・・・気のせいやったかな?」
「おう、気のせいだ。お前は何も見ていない」
「了解や旦那、あっしは何も見なかった。おう、見いへんかったでぇ」

床に転がったまま会話するのもどうかと思われたので、ここでやっと体を起こす。
口と鼻から同時に出た血を拭っていると、そこでようやくプラムがいつもの地味な仕事着ではなく、見た目の歳相応のフリル付きワンピースと肩がけのポーチ、という私服であることに気がついた。

「どこか雰囲気が違うな、と思ったら服が違うのか」
「窓から入ったことの方にツッコミが入らん辺りまだ気が動転しとりそうやが・・・、なんや気がついたか。ええやろ、こういうのもたまには可愛いやろ?」
「普段の仕事服で慣れてるとガキっぽいな」
「こういう時はウソでも褒めんか普通?・・・んまぁ、ええわ、それより、ほれ」

プラムはポーチを机の上でひっくり返すと、中から新聞記事のネタのメモらしき大量の紙と、赤い液体の入った小瓶が転がり落ちた。

「あ、しもた。メモ入れっぱなしやったわ。あー、えっとそれ、その瓶」

やっちゃった、てへっ、と言わんばかしに片翼で頭を小突いて、もう片方の翼で机に転がった小瓶を指す。
ドあほ、と一つ悪態をつき、小さいながらも細かく装飾の入った高級そうな小瓶を拾い上げた。

「いや俺に出してもらうとか考えろよお前はさ・・・。んで?これがなんだ?」
「聞いて驚くことなかれ!なんと!その小瓶に入っとるのは『人魚の血』やで!」
「・・・はぁ。なんでまたそんな貴重なもんを持ってきたんだ?自慢か?」
「いやいや、人魚の血が不老不死の薬だというのはさすがに知っとるよな?実は朝合うた後幽霊船と中から死にかけの猫を助けた話を聞いたんでなぁ。何かの役に立つかと思って持って来たねん」
「あの漁師の野郎さっそくバラしやがったな・・・。まぁそれでコイツが元気になるなら助かるんだが、助けついでに猫を不老不死にするつもりか?」
「んー、まぁ少量やったら数年伸びるぐらいで済むやろ」
「そこは適当なんかよ!」

何はともあれ猫を助けたいのは事実だったので、血を猫に飲ませることに同意する。
プラムに言われるがままにコップに牛乳を注ぎ、その中に数滴人魚の血を混ぜた。

「本当にこれだけで大丈夫なのかよ・・・99%牛乳な気がするが」
「魔物の魔力を舐めてもらっては困るなぁ。猫ぐらいならこれで十分やろ。旦那の分もいるか?今やったら一人前安くしとくで?」
「・・・遠慮しとく。魔物の血が自分に混じるって考えただけでも吐き気がするからな」
「んー、なんやおもろないなぁ」

猫をベッドから膝の上に乗せると、机からスプーンと用意した牛乳を手にとる。
人魚の血を混ぜた牛乳を猫に飲ませようとスプーンですくって口に近付けてみるが、やはり飲もうとしてくれない。
少々強引ではあったが顔を上に向けさせて喉の奥に垂らして、少しずつ飲ませることにした。

「・・・んで、『人魚の血』のお代の話やけどさぁ」
「金とるのかよ!!善意の行動じゃないのかよテメェ!」
「そりゃ商売が命やでな!たったあれだけでも少々値が張るんやが・・・ええと、瓶一つがこれぐらいやで、さっき使った量を考えると・・・」

と言いながら、すでにこうすることを前提にここに来たのか、しっかりと使用量も書かれた請求書を取り出す。
その請求書には人魚の血の相場は分からないが、少なくとも凡人1カ月の収入以上の値段が書かれていた。

「まぁ払えへんでもええねんええねん、まぁここんとこよぉしてもらっとんでなぁ。お金で解決せんでも、身体で払ってもらってもええんやで?おっとこんなところに都合よくベッドが!とりあえず今から一回、んでこれから毎日、あっしと毎晩やな・・・」
「あ、金ならあるぞ。ほい」

プラムの言葉を遮り、棚の中に無造作に置いてあった袋を机に投げる。
どしゃらっ、と重量のある金属音が中から響き、プラムの表情を唖然としたものに変えた。

「・・・嘘やん」
「中確認するか?その袋には大体金貨が50枚と、ああこっちの袋には銀貨も200枚ぐらい入ってたかな。十分足りると思うんだが」
「なんでこんな金あるねん!!ロクに仕事もしてへんクセに!!ってか金はもうちょい大事に扱わんか!!ってかこんな可憐な女の子が身体を求めとると言うのに金を出す辺りあんたの思考回路どないなっとんねん!!ツッコミどころ多すぎるわ!」

さすがに腐っても魔物らしい。公の場では見せないプラムの好色な一面が見えたが、やはり金には逆らえないらしい。
請求書にも手早くサインをして付きだしてやると、悔しそうに顔を歪めながらも受け取った。

「完璧な犯行手口やと思ったのに・・・。ついに念願の性奴隷を手に入れられると思っとったのに!!」
「おい発言が犯罪者だぞお前。生まれて初めて貴族の息子で良かったと思ったな・・・。金で人を動かすのは嫌いだが、魔物なら仕方ないか」
「くっ、おぼっちゃまかいな!それは下調べが足りとらんだ・・・。それにしてもキアラの旦那もこんな千載一遇のチャンスを逃すとは!」

プラムのその発言にどう返そうかと少し悩んだが、窓の外に目をやり少し暗い顔で呟く。

「・・・そういうのは、嫌い・・・なんだよ。俺にも色々事情あるんでね」
「ん・・・なんや触れたらアカンとこ突っついたか?なんかに逆レイプされたとか」
「あーあー何とでも想像してろ。とにかく、女だろうが魔物だろうが、そんなのと交わるだなんて考えたくもないんだよ」

「んー、申し訳ない」とだけプラムは返事をすると、手早く散らばったメモをポーチの中にかき入れ、最後に請求書と現金を慎重にしまう。
少しさびしそうなその顔に胸が痛むが、少し特別な事情があるのだ、仕方がない。

「まぁお前が嫌いってわけじゃない。からよ、そこは勘違いすんなよ?」
「ん、おうわかっとるわかっとる・・・それにしても・・・、旦那がズーフィリア(動物に欲情する人を指す言葉)やったとは・・・」

訂正、コイツさびしそうな顔してねぇ。別の生き物を見る目で見てやがる。
プラムが猫を見て、俺を見て、もう一度猫を見て振り返ろうとした時に、とりあえず一発、ブン殴った―――
11/12/22 17:20更新 / 如月 玲央
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■作者メッセージ
「どうもなのです!初めましての方は、初めまして!そうでない方はこんばんわ!如月 玲央と申します!」
「アシスタントのフェアリー、リティムです。お見知りおきを」
「すごく中途半端に途切れていますが、何分長かったので一話目から2つに分割しました。適当にトイレ休憩などを挟んで次へお進みください」
「自己紹介を先にした意味は?」
「特にありません!!後半のあとがきを短くするためです!!」

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