10話 別れの記憶と忘れられない過去
「……遅い!」
「約束の日だというのに、奴等来ませんね……」
10日前と同じ場所で宿敵を待っていたオレ達。目的は勿論、そいつらと戦い勝つためだ。
だが……いくら待てども、その宿敵達が現れる気配がなかった。
普段なら奴らはとっくに現れていてもおかしくない時間なのに、姿を一切見せない事に、オレは少しイライラしていた。
「待たせる事でオレを苛立たせて冷静な判断をできなくさせる作戦か?」
「失礼ですが、それはないかと思います。そんな小細工でどうにかなると思っている相手でしたら、とうの昔に奴等はティマ様の栄養となっています。それにそんな作戦を企むほど、奴等は弱くありません」
「ほう、言うじゃねえかウェーラ。だが、たしかにその通りだ」
これはオレの冷静さを欠くための作戦なのではないかと一瞬考えたが、それはすぐに捨てた。
何故なら、奴らはそのような小賢しい作戦を取るような人間ではないからだ。
武器や装備に色々小細工こそしてくるものの、戦いにおいては堂々と正面から掛かって来る。今までしようと思えばできたであろう不意打ちをしてきたことは一度としてないので、そういう点は信用できる。
「しかし、それなら奴らはなぜ来ない?」
「わかりません。病気に罹るような人間とは思えませんし……」
だが、それならば何故奴らは現れないのか。
妹のほうは治癒魔術も使えるので、前の怪我が治っていないという事は無いだろう。病気に罹るようなひ弱さもないので、身体の調子が悪いから逃げたとも考えられない。
そもそも、高熱でもオレを殺すために返り討ち覚悟で来るような奴だ。オレ達から逃げたという択は無いと考えて良いだろう。
「私が人間に紛れ奴らが住む村で調査をしてきましょうか?」
「そうだな。奴らの身に何か起きたのかもしれん。行け」
「了解しました」
いったい何が起きたと言うのか……ただの人間であれば何をしていようが興味はないが、随分と長い間戦ってきた相手となれば話は別だ。
一切心配はしていないが、オレを放ってまで何をしているのかは気になる。という事で、配下のウェーラの提案に乗り、奴らが何をしているのか調べさせる事にした。
「……ったく、なんだってんだ」
ウェーラが村へ転移し、一人その場でぼーっと待ち始めて少し時間が経った頃。
ふと、どうして自分が奴らの事をそこまで気に掛けなければならないんだと思い至り、思わず悪態をつく。
いくら付き合いが長いとはいえ、奴らは全ての人間を殺す前に立ち憚る障害でしかなかったはずだ。来ないなら来ないでこちらから奴らの村へ向かい、村諸共滅ぼしてしまえば良いだけだ。
それなのにオレは悠長に奴らが来るのを待ち、挙句来ない原因を配下の魔女に調べさせている。というか、いつからか人間を、その中でも奴らを殺すという目的から、奴らと戦い勝つ事のほうが目的となり楽しみになっていた。
それに関係してか、人間を食事目的以外で殺す事が滅多に無くなったように感じる。あれだけ強く感じていた人間への憎悪が、奴との関係が続くうちに薄れていったようだ。
奴らのせいで自分が変わってしまった事実に余計イラつく。だからといって、一旦待つと決めたのに今更村に行って人間を皆殺しにするのも馬鹿らしいので大人しく待つ事にする。
「バリバリ……むしゃむしゃ……ふぅ……遅い!」
昼前ぐらいから待っていたというのに、もう太陽は沈みかけている。
それなのに奴らが来るどころか、ウェーラすら戻ってこない。
あの魔女、戻ってきたらどんな罰を与えてやろうか……そんな事を考えながらオレは、腹が減ったのでそこら辺にいた熊を殺し食いながら待ち続けた。
「……」
「やっと戻ってきたか……ってどうした?」
そして太陽が沈み切ったところで、ようやくウェーラが戻ってきた。
ここまで主を待たせた罰で殺す……には惜しい人材なので、半殺しにしてやろうと思ったのだが、相当困惑し疲れ切った表情を浮かべていたので一先ず罰を与えるのは置いておき、どうしたのかを聞く事にした。
「いえ……奴らの住む村に行き調査をしたのですが……その……」
「なんだ? 勿体ぶらずに早く言え。死にたくはないだろ?」
「ひぃぃ……、で、では……」
ごにょごにょと口を濁すウェーラ。思い悩んでいると勿体ぶる癖のある奴だという事は知っているが、それが少しイライラする。
だから少し脅し、さっさと言うように急かした。
「奴らが住む村、ティムフィトに向かい住民に話を聞いてみたのですが、どいつもこいつも奴らは我々を倒しに早朝には村を出たと言っていました」
「何!? それは本当か?」
「はい。奴らの住処だと思われし家にも行きましたが、そこには人の気配は無く、侵入してみたところ確かにあの小娘の物と思われし魔道具こそあったものの、奴らはいませんでした」
奴らが住まう村で調査をしたところ、どうやらオレ達を倒す為に家を出た事は確かだったようだ。
「では何故奴らは来ない?」
「それが……奴らの痕跡を魔術で追ってみたのですが……とても信じられない事がわかりました」
「信じられない事?」
じゃあどうして戦いに来ないのか。
奴らが逃げて雲隠れするなど考えられない。いったい何が起きたのだろうか。
「奴らの精エネルギーの痕跡を魔術で辿ってみたのですが……その途中で精エネルギーが綺麗さっぱりなくなってるので……」
「綺麗さっぱりなくなっている? 転移魔術でも使ったのか?」
「いえ、それなら何も問題なく追う事ができます。問題はここにくるまでの道中でいきなり消えており、そういった魔術の類を使った形跡がないという事です。そもそも奴らは転移魔術など使えないかと」
「それもそうか……」
転移魔術も使えない人間が何もない道中で突然消えるとは思えない。
というか、オレの眷属ともあろうものがそんな事ぐらいで追跡できなくなるとも思えないので、急に消えたと言うのは本当だろう。
だが、どうしてそうなったかはそれこそさっぱり見当がつかない。
「じゃあいったい奴らはどこへ?」
「それはわかりません……少なくともこの近辺では気配は感じられません。かと言って他の魔物に食われたり跡形もなく消されたとなれば、ティマ様がその魔物の存在に気付かないとも思えませんし……」
「うむ……雑魚魔物の気配や魔力ならあちこち感じるが、あの兄妹を殺せるような奴がいるとは思えねえな」
オレより強い魔物は悔しい事にいくらでもいる。バフォメットとはいえまだオレは若輩者だから長生きしている中級程度の魔物にも負ける可能性はある。
だがそれはこの世のどこかではという話だ。強大な魔力を隠しているとかでもない限りこの近辺でオレより強い魔物はいない。
だからオレ以外の魔物に殺されたとは思えなかった。そもそも殺されたとしたら丸呑みでもない限り血肉が落ちているはずだ。精や魔力の痕跡だって残っているはずだし、ウェーラがそれに気付かずに消えたなんて言うはずがない。
「結局わからずじまいか……」
「はい。唯一確実に言えるのは、奴らは突然この近辺から完全に姿を消したという事です。その原因は……ありえないとは思いますが、強力な魔術を隠せるような強大な力を持つ他の誰かが強制的に遠く、それこそ天界などの異界や全く別の世界に飛ばしたのではないかと。それならば転移先が追えないのもまだ納得できます」
「そうか……」
どうして奴らがいなくなったのか。その理由は結局わからずじまいだ。
ただ一つだけ言える事は、当分の間、下手をすれば一生奴ら兄妹と会う事はないという事だ。
「……ちっ、なんか白けた。帰るぞウェーラ」
「はっ!」
奴らが……タイトとホーラが居なくなったのであれば怖いものは何もない。この近辺の人間などいつでも皆殺せる。それこそ今すぐにでも、だ。
だが、何故かオレはそんな気力が湧かなかった。何とも言えない喪失感に襲われ、何もする気が起きなかった。
「……」
何とも言えない思いを胸に、オレはそのままウェーラと家へと帰ったのであった。
……………………
…………
……
…
「な、なんじゃこりゃー!?」
タイト達が消えてからおよそ十年。
その間、オレはほとんどの人間を殺さないでいた。
別に人間への憎しみがなくなったわけじゃない。かつて程ではないが今でも憎いし、父様を殺した奴は自らの手でこの世のどんな拷問よりも苦しい殺し方をしてやろうと思っている。
だけど、その障害であったタイト達が消えてからは何故か殺す気力があまり起こらず、たまに飯として食べる事ぐらいしかしていなかった。
自分達で障害を排除したわけではないので、その事が引っかかっていないと言えば嘘になる。
実際、この十年はほとんど自身の力を付けるために魔術の研究に費やしていたが、人間を殺す暇がなかったわけではない。でも、どうしても奴らを殺していないからと他の人間を殺す気にもなれなかったのだ。
「お、オレの身体が……」
そんなある日の事。
朝目覚めて今日も魔術の研究をしようと身体を起こしたら、なんだか視線の高さに違和感があった。いつもよりも明らかに低くなっていたのだ。
寝ぼけているのかと思い目を擦ろうと腕を上げたのだが……その腕もやたら細くなっているどころか、肘辺りから身体まで体毛がごっそりと抜け落ちていた。
いくらなんでもおかしいので慌てて魔術で鏡を作り出し自身の身体を確かめてみたところ……昨日までの見知った自分の姿はなく、ちっこい人間とバフォメットを足して2で割ったような姿があった。
「ど、どうなってんだ!?」
ただ人間みたいな姿になっているってだけでも驚きなのに、それ以上に頭を混乱させることがあった。
それは……どう考えてもその姿は人間のメスだったからだ。
柔らかな肌、つるぺたながらも柔らかさを感じる胸、そして……あるはずの肉棒が無く代わりに主張する股間のスリット。
つまり、今のオレの姿は純粋なバフォメットでないばかりかオスですらなかったのだ。
「ティ、ティマ様! 私の姿が……!?」
あまりにも突然の出来事に現状を把握しきれず、どうしたら良いかわからずただ茫然と立ちすくんでいたら、いきなり部屋の扉が勢いよく開かれ、見知らぬ小さな人間のメスが慌てた様子でオレの名前を叫びながら入ってきた。
「な……誰だお前!?」
「それはこちらの台詞だ! 貴様は誰だ! ティマ様の部屋で何をしている!」
いきなり入ってきた幼女に一瞬驚いたが、すぐさま杖を向け臨戦態勢に入る。
こんなところまで入って来るなんて只者ではないだろう。実際、向こうも山羊の頭蓋をあしらった杖をこちらに向け、先程とは違い険しい表情を浮かべ睨み付けてくる。小さな子供なので可愛いものだが。
「……ん?」
と、ふと気づいた事があった。
この幼女がオレに向ける杖は、オレの眷属であるウェーラの物であった。
それに、全然姿が違うもののその顔にはほんの少しではあるがウェーラの面影があった。声質もかなり可愛くなっているものの、若干ウェーラっぽくも感じる。
「お前もしかして……ウェーラか?」
「な!? どうして私の名を……」
まさかウェーラもオレと同じようにちっこい人間っぽくなったのでは……そう思い確認してみたところ、どうやら正解だったみたいだ。
「まだ気付かないのか? オレは貴様の主君であるティマだ。眷属ならそれぐらい一発でわかれ!」
「え……は、はい! 申し訳ございません!!」
そうやって怒ったはいいものの、正直ウェーラがオレだとわからなくても仕方がないだろう。だからこそ、雰囲気から察したのか一応謝っているとはいえまだ半信半疑な様子だ。
ウェーラのほうと違いオレは昨日までの面影がほとんどない。しいて言うならば角の形がほぼ同じというだけで、それ以外は性別や声の高さまで含めてまるっきり違うのだから。
「それにしても……私達の身にいったい何が起きたのでしょうか? 私は身体が若返っているだけのようですが、ティマ様に至っては全然違うお姿になっていますし……」
「さあな。オレにもさっぱり……いや、まてよ……」
どうしてこんなにも急に自分達の姿が変わってしまうような事態が起きたのか。
その原因はタイト達が消え去った以上にさっぱりわからない……と思ったが、ふとある事に気付いた。
「何かわかったのですか?」
「ああ。推測だが……魔王が交代したみたいだ」
「魔王が……」
それは、自分の身体に宿る魔力の根幹部分の質が変化していた事だった。
色で表すならば、今までのどす黒い感じではなくピンクと言えるような気がするどこか異様な感じになっていた。
こんな事は魔王が交代でもしない限り起こり得るはずがない。つまり、昨日寝てから今日起きるまでの間に魔王が交代した可能性が高い。
「では我々の姿がこのように変わってしまったのは……」
「おそらくはその影響だ。まだ他の例を見たわけじゃないから確証はないが、オスだったオレがメスになっている事から、サキュバス辺りのメスしかいない種族が魔王になったのだろう。実際、自分や貴様から感じる魔力は淫魔のそれに酷似してるし、まず間違いない。それに合わせてこんな姿になったのだろうな」
この姿はきっとその魔王の悪趣味が原因だと思う。
メス淫魔が魔王になったと言うならばオレがメス化した事は納得はできないが理解はできるし、元々人間に近い姿をしている奴らなのでその影響で人間に近い姿になったのもわかる。全ての魔物は魔王と繋がっているので、魔王に影響されてこの姿になったのだろう。
ただ、どうしてそれが幼女なのかはわからない。まさか魔王が子供のサキュバス……いや、それは流石にありえないので、やはり魔王が悪趣味なのだろう。
「しかし、こうも姿が変わってしまうと流石に困りますね。衣服は収縮魔術で何とかなるにしても、身体の勝手が違うと言いますか……」
「貴様はただ幼い姿になっただけだからまだいいだろ。オレなんか股間も身体もスースーして気持ち悪いぞ」
「まあ、それはそうかもしれませんが……」
何にせよ、いきなり姿が変わってしまい戸惑うばかりだ。股間の違和感もそうだが、顔もほとんど違うのが困りものだ。
流石にここまで大幅に違う姿に変えられたとなると自分じゃないみたいで気持ち悪い。
「それで、これからどうします? 外に出て先程の仮説が正しいか確かめに行きますか?」
「いや、それは貴様に任せる。オレはいつも通り魔術の研究をしながら他に変化したものが無いか調べる事にする」
「了解しました」
とはいえ、今のところは姿以外はそうたいした変化はない。魔力が淫魔のそれになったからと言って、脳内ピンクなお花畑になったわけではなくオレはオレだ。
「ついでに何か食料でも取ってきましょうか?」
「そうだな。それじゃあ久々に人間で……も……!?」
そう、オレはオレのはずだった。
「う……うげえぇぇ……」
「ティマ様!?」
だが、久々に人間でも食べようかと思ったところで、急に気分が悪くなり……そのまま嘔吐した。
何故だか、今まで普通にしてきた人間を食べるという発想自体がとてつもなく恐ろしい事で、その姿を思い起こすだけで異様な気持ち悪さが襲ってきた。
「はぁ……はぁ……な、なんだこれは!?」
「ど、どうかしたのですか?」
「どうもこうも……う……人間を、餌と思うと……おえぇ……」
今まで自分が食してきた人間の味を思い出しては猛烈な吐き気に襲われ続ける。
そして同時に湧き出る後悔の念。今まで何とも思わなかった人間殺しが、とてつもなく重い事に思えてくる。
手足が震え、止まらない。
「人間を殺して来た事だって……」
「人間を……あ、ああ……な、何この気持ちは……」
「なんでだ……くそ……」
悪態を吐きつつ、どうしてこうなっているのかを気持ち悪さでうまく回らない頭で考える。
いや、おそらくだが原因は判明している。ウェーラも同じように人間殺しの罪悪感を感じているらしい事からしても、先程考えた魔王交代説が本当ならば簡単に説明がつく。
「クソ……がぁ……!!」
どうせ、新たに魔王になった者が親人間派なのだろう。だから、人間を殺す事が重く、食べるなんて事がありえないと思わせてくるのだ。
だが、それはオレにとってはただの地獄だ。
「くそったれぇ……!」
今まで平気で人間を殺し食ってきたオレにとって、これは最悪でしかない。
今でも残る人間への、特に父様を殺した奴への恨みを拒絶する身体など、地獄でしかなかった。
「誰だか知らねえが、新たに魔王になった奴めぇ……!!」
震える身体。襲い来る吐き気と罪悪感。
昨日まで全く気にする事のなかったものが、魔王交代のせいで強い枷となる。
なんて悪趣味だ。
「恨むぞ、新魔王……!!」
人間への恨みを、父様を殺した人間への憎しみを消し去らない限り、この苦しみは続くのだろう。
いや、例えそれらを消しても苦しみから解放される事は無い。
何故ならば、過去を消す事はできないからだ。
今まで恨みや怒りに任せて人間を惨殺してきた記憶は、呪いのようにオレ自身を襲い続ける。
だから、どのみちオレは新魔王のせいでこの苦痛から逃れられる事は無いのだ。
「くそぉ……」
あまりもの気持ち悪さに目が霞み……
そのまま闇に沈んでいき……
……………………
…………
……
…
「ん、うーん……」
「あ、おはようございますティマ様。何かうなされていましたが大丈夫ですか?」
目を覚ますと、そこは住処の洞窟ではなく先程まではなかった豪華な建物の、しかも大きなベッドの上にいた。
近くには、小さくなったウェーラがさっきまでと違い明るい笑顔で立っている。
「んー……また昔の夢かよ……」
少しずつ頭がハッキリしてきて、そこが現在の自分の家のベッドの上だと気付いた。
どうやら、またしても昔の夢を見ていたようだ。今度はタイト達が消えた時と魔王が交代した時の夢だ。
「おえ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「おう、まあな……夢の中で吐いてたせいで現実でも吐き気がしてるだけだ……」
今回は別に人間を殺したり食べたりしているものではなかったが、それらを思い起こしている夢を見たせいで今回も吐き気に襲われていた。
ただ、今回は直接そういった事をしている夢じゃなかったからか、それとも慣れたからなのか、吐き気がするだけで吐くまではいかなそうだ。だからオレはウェーラに差し出された洗面器を受け取らず、ベッドの上で落ち着こうと胸を擦る。
「……ん? いやまて、お前レニューか?」
「え? はい。そうですが」
胸を擦っている時に心配そうに覗いている魔女を見てふと気付いた。
よく見たら瞳の色がウェーラの紫色と違いエインと同じ蒼色だ。顔はそっくりなので、こいつはウェーラではなく娘のレニューだ。
「もしかして母と勘違いしてました?」
「ああ。夢でウェーラが出てきてたし、ちょっと寝ぼけてたもんでな。すまん」
「いえいえ、よく親子似てるって言われますから。それに普段ティマ様の身の回りのお世話は父や母の役目ですしね」
現代の魔女の見た目は一定の年齢になってからはほとんど変化しない。なので夢に出てきた時からずっと同じ姿をしているウェーラと娘のレニューは雰囲気と瞳の色以外ほとんど同じなのだ。
朝早くからオレの部屋にレニューが来る事が普段は無いので本気で勘違いしていた。
「ん? レニューがここにいるって事は……」
「お察しの通り、両親は朝から愛し合っています。どうやら母が怖い夢を見たらしく、父が繋がりながら慰めています」
「ああ、そうかい」
基本的にオレの身の回りの世話はウェーラかエインが行っており、レニューが朝オレの部屋にいる事は稀だ。
その稀な事態が起きるのは大抵二人共動けない時だ。二人が同時に病気になるのはまずないので、ほぼ確定でセックス中だ。
どうやらウェーラのほうも何かしらの悪夢を見たらしく、現在エインに慰めてもらっているらしい。おそらく今頃夢で見た時代でもまだありえなかったようなかわいらしく蕩ける笑顔で悦んでいるところだろう。奴らは今日公務のほうは揃って休みにしてあるし、そのまま一日中繋がったままに違いない。
「とりあえずお水をどうぞ」
「おう、サンキュー……ごく……はぁ……」
「落ち着きましたか?」
「うん、まあ……」
今の魔物らしくほんのちょっぴりウェーラを羨ましく思いながら、差し出された水を飲み吐き気を抑える。
身体の震えはほぼないものの、やっぱり若干の気持ち悪さは残る。それでも、水を飲むうちに吐き気も抑えられてきた。
「しっかしまあなんで最近こうも昔の記憶を夢に見るかねぇ……」
「んー、やはりタイトさんやホーラちゃんがこの時代に来たから、その影響じゃないですか?」
「かもしれねえな」
ここのところ1ヶ月に1回は昔の記憶を夢に見てしまう。
レニューの言う通り、それは奴らがこの時代に飛ばされてから起きている。まるで何かを思い出せと言わんばかりに、鮮明な夢を見てしまうのだ。
「まったく……その度に吐き気に襲われてたら身体が持たねえや」
「まあまあ。私とそっくりな母が出てきたという事はもう今の魔王様に交代した後の時代という事では? それなら段々と現代に近付いてきてますし、もう吐く思いはしないのではないですか?」
「甘いぞレニュー。そうなる根拠がないし、そもそもそれ以降も結構人間の肉の味を思い出してはゲロッてた事は何度もある。というか、お前の父の事を受け入れるまではずっとそんな調子だったぞ」
「そうなのですか。たしか両親がくっついたのってそれから何年も後でしたよね? 大変だったのですね……」
「そりゃあ大変だったぞ。数えきれないぐらい魔王に悪態付いてたからな……」
あの頃は本当に大変だった。人間を殺して来た事が自分の中で重い枷となり、エイン以外の人間を恨む事を忘れざるを得なかった。
今となってはそれでよかったのだとハッキリ言えるが、当時はその事が悔しく、あまりもの苦しさに酷い時は自ら命を絶とうとした程だ。
魔王への恨み事も散々言ってきた。もしかしたらこうして昔の記憶を夢として見ているのも悪趣味な現魔王のせいなのかもしれないが、だとしたら何が目的なのだろうか。
「まあ、何故か見てしまう夢の事なんて考えていても仕方ない。さっさと飯食って今日も元気に働くか。レニューも一緒に食べるか?」
「是非ともご一緒させて下さい!」
邪推して考えても仕方ない事をいつまでも考えていても時間の無駄だ。
という事で、夢の話は打ち切って、ベッドから飛び起きてレニューを朝食に誘う。嬉しそうに承諾してくれたので、両親がいると話せない事でも聞こうかと思う。
「よし、それじゃあ行くぞ!」
「はい!」
寝間着から普段着に着替え、朝飯を食べるためにレニューと共に部屋を出たのであった……
……………………
「……以上をもちまして私からの報告は以上です」
「ん、わかった。魔界ハーブの入荷が遅れてるんじゃあ仕方ない。オレのほうからウェンディに伝えておく。もう下がっていいぞ」
飯も食べ終わり通常業務中。
いくつか報告や見なければいけない資料などはあるものの、最近は仕事も落ち着いてきており、わりとゆっくりとする事ができている。
「ふぁぁ……」
「居眠りは流石に駄目ですよー」
「しねえよ多分。悪夢のせいで朝っぱらから疲れちまってな……もし寝そうだったら遠慮なく叩き起こしてくれ」
「もうティマ様ったら……まあ、そう言いつつ寝た事ってないので大丈夫だとは思いますけどね」
大欠伸をしながら魔術薬の研究で使う材料の入荷状況を確認する。
魔界の植物は基本的にモックの店から購入しているが、どうやら魔界ハーブがどれも店への入荷自体が遅れているらしい。まあ、商売相手も魔物で、勿論夫優先で行動する者らしいので仕方がない。
ウェンディとの共同開発薬の材料なのでそこまで遅くなるのもよろしくはないが、同じ魔物だしきっとわかってくれるだろう。
「まあな……あ、そういえばコロシアムの見学って今日だったよな?」
「はい。たしか午後から見に行く予定でしたかと。どうかしましたか?」
「いや、ただの確認だ。如何せん有能な秘書が今日は妹の世話で大忙しだからな。一応把握してるがとりあえず聞いたって感じだ」
「成る程」
今日の日程を確認しながら、いろんな資料に目を通す。
何もサバトの運営だけじゃない。村を発展させるために色々と投資をしているので、金銭や諸々の管理も重要だ。
「失礼します」
「ん? お、ホーラか。どうした?」
コロシアムに関する資料を見ていた時に扉がノックされた。
入ってきたのは魔術研究室の主任で、数週間前にリッチとなったホーラだった。
「新しい媚薬系の魔道具の試作ができたから報告を。一度ヴェンで試したけど効果は絶大で、1日中ずっと繋がりっぱなしでも問題なかった。応用すればサバトのほうでも使えると思う……って、どうかしたの?」
「ああいや、やっぱなんか変わったなあと……姿もだけど、特に雰囲気がな」
「そう?」
死んだ事によって人間を止めたホーラの見た目や雰囲気は、人間の時と比べ大幅に変わった。
肌が生気のない青白いものでありながら魔物らしくどこか艶やかになり、髪もアンデッドらしく灰色に近い白髪に変化し、魔性の輝きはあるもののその目にかつての生き生きとした感じはなくなっていた。
服装も本人曰く「それらしくした」みたいで、裸体の上からボロボロのローブを羽織るだけというなんとも破廉恥な恰好をしている。なんでもこの服装のほうがすぐ性行為に移れるし、自身の身体に改造魔術を施すのも楽だからだそうだ。
とはいえ、4日ほど前に生前の服を着て街中を歩いていたのを見掛けたので、気分によってはかつてのようにお洒落もするのであろう。もしかしたらヴェンが服を着て欲しいと頼んだのかもしれないが。
「だってお前、最近リアクション薄いし。喋り方も凄く淡々としてるしな」
「まあ……魂を経箱に移してて常に冷静を保てるからじゃない? それと、お兄ちゃんにも言ったけど、アンデッドが元気溌剌ってのもどうかと」
「そんなもんか? まあ昔の考え方だとそうかもしれんが……」
特に変わったのが、こちらが何を言っても基本的に冷静に対処される事である。
ヴェンとの仲をからかっても以前のように顔を赤らめ慌てふためく事は無く、淡々と「ヴェンのおちんぽハメると気持ちいいよ」だなんて返してくるので、慣れないうちは誰だお前はなんて思ったほどだ。
「まあこれでも嬉しい時は嬉しいし、恥ずかしい時は恥ずかしいよ。身体そのものは動く死体になったけど、私は私だよ」
「うーむ……お前達はどう思う?」
「なんか暗くなった気がしますねー」
「えっと……まあ、ちょっと不愛想になったかなと思います。たまににっこりしますが、以前みたいに明るい笑い声は出さなくなったと思います」
「でも魔物らしく性に関するお話はしやすくなったかなと。そういった変化は感じますね」
「そう……」
それでも本人は死んだ事以外には変わってないと言い張るので、部屋の中にいた部下達に話を振ってみた。
やはり全員少し変わったと感じているようだ。ホーラ本人は納得していないようだが、これが事実だ。
「でも、正直私から言わせてもらえばティマさんやウェーラのほうが昔と変わりすぎ。証拠を見せられてなかったら多分今でも信じてない」
「まあ、そうだろうな。それはオレ自身そう思うぞ」
でも、ホーラに言われた通り、昔と比べればオレのほうが変化しているだろう。
今朝見た夢でも思ったが、今のオレの姿には角ぐらいしかかつてのオレの面影はない。
それに見た目だけではなく、性別や性格だって変化しているのだ。少なくとも500年前は料理なんて一切興味なかったし、徐々に薄れていたとはいえ人間への、特にエインへの恨みは強かった頃と比べれば随分丸くなった。ついでに身体も随分と丸みを帯びてほっぺたなんかぷにぷにだ。
「なんせ魔王が代わったからな。リッチだって昔はそんなんじゃなかっただろ?」
「まあ……幸い本物を見た事はなかったから知識上の比較しかできないけどね」
「そういう事だ。まあ、あとは500年も経過してるからな。そんだけありゃ誰だって変わるさ」
とはいえ、それは別にオレ自身が変わったというよりは、魔王交代によるところが大きい。
それこそホーラが成ったリッチだって旧時代では近寄っただけで弱い人間は命を落とすような凶悪なネクロマンサーだ。あの時代にリッチ化していたらこんな平和な会話はできないだろう。
「さてと、報告も済んだから私は仕事に戻るよ」
「おう」
少し会話をしてしまったが、まだまだホーラも仕事中の身だ。
という事で話を打ち切り、生前と変わらぬ速度で歩いて部屋を出ていった。
「さてと、オレも仕事に戻るかな……」
もちろん、仕事中の身なのはオレも同じである。
という事で、眼鏡を掛けて再び机の上に並べられた資料にざっと目を通し始めたのであった。
……………………
「んんー、やっぱ座りっぱなしより身体を動かしていた方が楽だな」
「同じ姿勢を続けていると身体も凝っちゃうから辛いですよねー」
そして昼過ぎ。
自警団の大型訓練所兼村のイベント用に村外れに建造していたコロシアムがほぼ完成したという事で、視察を兼ねた見学をするために部下のファミリアを一人お供に連れて家を出た。
「もう長年やっている事とはいえ、未だに肩こりとかわりとくるからな。お前ならそういう時どうしてる?」
「ボクはお兄ちゃんにもみもみしてもらってまーす!」
「あーなるほどね。そうやって肩もみとかしてくれる兄様がいるなんて羨ましいことで」
デスクワークで凝った身体をほぐしながら、コロシアムまでゆっくりと歩く。
村長としての午後の仕事はほぼこれだけなのでわざわざヨルムを使う必要はなく、気分転換がてら歩くことにしたのだ。とはいえ、夜はサバトの長として次の催しについて考える必要があるので、そこまでのんびりはできないが。
「ティマ様もお兄ちゃん作ればいいのにー」
「うるせえ。オレが気に入る男がいなかっただけだ」
「そうですかー。じゃあタイトさんは?」
「あいつはお気に入りだが別にそんなんじゃ……ってか、どうして奴の名前が出てくるんだ!」
サバトと言えば、最近やたらと兄様を作れと部下達がうるさい。
しかもよりにもよって、こいつを始めやたらタイトを兄様にしろと言う奴が多い。
「絶対お似合いだと思いますけどねー」
「そ、そうか? へへ……って、だからあいつとの関係はそうじゃねえっての!」
別に嫌って程ではない。雑魚ではないし、オレがまだ若かった頃から知っている相手なので良く知る分安心でき、むしろ条件的には好ましい相手ではある。
とはいえ、オレ自身タイトとの関係は別にそういうのを望んでいるわけではない。
「そんなんじゃ……ねえっての」
そう、望んでなどいるはずがない。
まるで自分にも言い聞かせるように、そうじゃないと繰り返し呟いた。
「ま、まあオレの事はいいとして……お前自身は毎日兄様と仲良くやっているか?」
「もちろん! 肩も腕も胸もアソコも毎日いっぱいモミモミしてもらってまーす!」
「そうかそうか。きちんとロリコンのお兄ちゃんになっているようで結構だ」
これ以上この事について考えたくないので話題を変える。
どうやらこのファミリアの兄様はきちんとサバトの一員として日々妹を大切にしているようだ。サバトの長として大変満足である。
「でもー、お兄ちゃんと一緒にいると魔女ちゃん達からの視線が痛くてちょっと辛いです……」
「ああ……まあ安心しな。その件についてはお前以外のファミリアの場合もよく苦情を言われるが全部一蹴してるから、お前が気に病む事は無い」
「そうですかー、ありがとうございまーす!」
そんな彼女も悩み事はあるらしい……というか、大体のお兄ちゃん持ちファミリア共通の悩みだ。
彼女達は基本的には魔女達の使い魔である。だが、主人であるはずの魔女よりも先にお兄ちゃんを作ってしまう者が後を絶たないので、独り身の魔女達からよくオレに苦情が入るのだ。
まあ、その度にどうにか言いくるめているので大きな問題にはならないはずだ。というか、相手がもふ専ならともかく使い魔に負けるとは魔女自身が情けないという話である。
「ま、魔女達の事は気にするな。お前の兄様にとっては魔女よりお前の方が魅力的だったってだけさ」
「おっ村長!」
「ん? おーロロア!」
「あっロロアさん! こんにちはー!」
話をしながらコロシアムへと向かっている途中、作業着を着たロロアと遭遇した。
「どうしたんだこんなところで?」
「村外れに建ててたコロシアムがほぼ完成したから見に行くんだよ。お前こそこんなところでどうしたんだ?」
「アタイは普通に仕事さ。作り終えた果物ナイフを客に届けて鍛冶に戻るところだ」
本当にこいつとはよく会うなと思いつつ、少し言葉を交わす。
「あ、今日は仕事が終わればモルダと、しかもエロフなしの二人きりでのデートだからこれで。じゃあな」
「お、おう……なんというか、旦那がいるってのもちょっと羨ましいな」
今回は普通に仕事中だから早々に話を切って去ろうとしたら、ロロアのほうからそう言って話を切られた。
あまりにも嬉しそうに言うものだから、普段そこまで気にしていないオレも旦那がいるという事が羨ましく感じてしまう。
「羨ましいのなら村長もさっさとタイト辺りとくっつきゃあいいだろ」
「お前までそう言うか。なんで皆してあいつの名前を出すんだよ」
「そりゃあ……なあ?」
「ですねー」
「なんだよ二人揃って……」
そして、そんな奴も何故かタイトの名前を出す。ニヤニヤした顔でこちらをちらちら見られても正直反応に困る。
というかどいつもこいつもタイトとくっ付けなんて言うし、もしかしたら変な噂でも立っているのだろうか。そう疑いたくもなる。
「まあ、知らぬは本人達だけって事だ。それじゃあな!」
「おう……しっかしどういう事だってんだ……なあ?」
「ボクから言える事は何もないでーす」
この時代で再会してからはわりと気が合う奴だとは思っているし、村の中で偶然出会ったら一緒に飯を食べる事もあったりとなんだかんだ一緒にいる事は少なくはない。
とはいえ、こんなにも噂されるほどの事はしていないと思う。嫌ではないが、あまりしつこく言われても困りものだ。
「はぁ……どいつもこいつもタイトとくっ付けって言ってくるけど、ほんと困ったもんだ」
「きっと皆はそんなティマ様に困ってると思うけどなー……」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ。ボクもですが、皆きっとティマ様に幸せになってもらいたいから、仲の良いタイトさんの名前が挙がるんですよー」
「成る程なぁ……」
だが、言われなくてもそれはオレを想って言ってくれている事はわかっているので、面と向かってやめてくれとは言えない。
「あいつの話はここまでだ。着いたぞ」
「おおー、立派ですねー!」
言えないが……とりあえずタイトとオレをくっつけようとする話はここまでにしてもらう。
何故なら、石造りの立派な円形の建物……コロシアムに着いたからだ。
「おお……中から見ても中々のものだな」
「広ーい!」
ジャイアントアント達から予め受け取ってあった鍵を使い建物の中に入ったオレ達は、早速闘技場のど真ん中まで足を運んだ。闘技場は広く、旧時代のオレであっても50人以上は余裕で入る面積はある。観客席まで含めれば100人は行けるかもしれない。それぐらいだだっ広いのだ。
「ふむふむ……闘技場の地面の硬さは硬すぎず柔らかすぎずで丁度いいな」
「走りやすいですねー」
ここでは様々なイベントを催すつもりだが、一番使われるのはやはり自警団の訓練場としてだろう。戦ううえで地面のコンディションはわりと大事なので試しに踏み鳴らしてみたが、蹄の引っ掛かりや反発は申し分ない。
人化の術を使用して人間の足でも走ったりステップを踏んでみたが、特別やり辛いという事は無かった。他の足のパターンは流石に試せないが、まあ問題はないだろう。
「でもここ屋根がないんですねー」
「そこは問題ない。イベント前ならこちらで防雨魔術を掛ければいいだけだし、常に整備を行う人間も雇ってある。一応業者に定期メンテも頼むしな」
「そうですかー」
空を見上げれば、青い空に白い雲そして輝く陽射しが広がっていた。
屋根が無いので雨が降れば濡れてしまうが、そこはオレ達の魔術で対策すれば問題ない。
自警団としても様々な天候の中で訓練をする必要があるので屋根が無い事は別に何も困らない。むしろないほうが雰囲気的にも良いので作らなかったのだ。
「さて、観客席のほうだが……」
「闘技場全域見渡せますねー。石でできているので流石に長時間座ると腰が痛くなりそうですが……」
「まあ、そこは仕方ねえ。腰が悪い人には各自クッションでも持ち込んでもらうしかない。それに、興奮した試合なんかを見る場合は立って観戦する人も多いだろうし大丈夫だとは思うぞ」
観客席に上り、村人全員が入っても余裕があるほどの席の一つに座って闘技場のほうを見る。
一段ごとの高さを若干高めに設計してあるので、オレのように背の低い者でもきちんと闘技場を見渡せられるようになっている。試合をする場合、だれもが盛り上がれる事は間違いないだろう。
「あれ? ねえティマ様、丁度闘技場の出入り口の上にあるあのちょっと広い観客席ってなんですか?」
「ああ、あれは所謂実況席だ。祭りとかで使う時は目立つ看板を設置したりと他の用途もできるぞ」
「成る程ー。ちょっとあそこに行ってみていいですかー?」
「勿論。というか言っておくけど全部回る予定だからな」
それから、実況席や控室、通路など隅々まで見学した。
細かい部分はまだ未完成とはいえ、そのどれもがこちらの要望通り、もしくはそれ以上の出来でありとても満足であった。
……………………
「いやぁ……ちょっと楽しかったな」
「はい! 凄く楽しかったでーす!」
一通り見て回り満足したオレ達は、コロシアムを後にして家に向かっていた。
「ところで、どんなイベントを開く予定なんですかー?」
「んーとだな、さっき言った通り各種季節の祭りとか大規模の魔道具商会とかを行う予定はあるが……やっぱりコロシアムだし、まずは格闘大会を開こうと考えてる。まだ主な参加者になるであろう自警団の、その中でもジェニアと環奈にそう案を出してるだけだから早くても今から1か月後にはなるがな。まあ、完成は3週間後の予定だし、丁度良いだろう」
「へぇーそれは盛り上がりそうですね!」
これからあのコロシアムでどんなイベントを催そうかと想像するだけでわくわくする。
やはりコロシアムならば闘わないと。という事でまずは格闘大会を開こうとは考えている。村人の参加は自由だし、勿論オレも参加する予定だ。
今は村長として日々職務を全うしているので、勇者でも襲ってこない限り中々戦う機会が無くて身体が鈍って仕方がない。だからこそ、こうして暴れたいという私情もある。
私情を抜きにしたって、自警団の連中やそれ以外にヨルムやエインなどの実力者が戦い合えば盛り上がり、村中活気が付いて良い事尽くめだ。是非ともこのイベントは開きたい。
「だろ? だから帰ってから早速その準備を始めようかと……」
「あ、タイトさんだー」
「何!?」
そのための準備をしようとわくわくしながら歩いていたら、突然タイトの奴がいると部下のファミリアが口にした。
まさかと思い横を見ると、そこにはたしかに一人で歩いているタイトの姿があった。
「ん? よおティマ」
「おう。どうしたんだこんなところで?」
「仕事終わりに例のコロシアムの外観だけでも見に行こうと思ってな」
「成る程な。ちなみにオレ達はそのコロシアムからの帰りだ」
「そうか。どうだった?」
「広かったですよー!」
どうやら仕事終わりにそのままコロシアムを見に行こうとしていたらしい。やはりタイトとしても気にはなっているようだ。
「まあ、来月辺りにオープニングセレモニーとして格闘大会でも行おうと思ってるんだ。お前も是非参加してくれよな!」
「来月……か」
「ん? どうかしたのか?」
ついでなので今考えている格闘大会に参加してくれと言ったのだが……こういうのが好きそうだから良い反応が返ってくるだろうと思っていたのとは裏腹に、なんだか煮え切らない返事をされてしまった。
予想外だったためどうかしたのかと聞いてみたら、さらに予想外な返事が返ってきた。
「いや、俺は来月もこの時代に居なければならないのかなとな……」
「あん? そりゃあ……時間を移動する方法なんざさっぱりだし、過去に返そうと思ってもできねえよ。そもそも過去に戻ったお前達に会ってないんだし、正直に言ってしまえば戻れないという結論が出かかってるからな」
「そうか……」
どうやら来月という部分が引っかかったらしい。それまでこの時代に居なければならないのかと、不満そうに言ってきた。
少し忘れかけていたが、たしかにタイトとホーラは過去からこの時代にタイムトラベルしてきた人間だ。できるできないは置いといて、過去に戻りたいと思っていても仕方ないのかもしれない。
とはいえ、ここ数ヶ月はそんな事を一言も言わなかったのでとっくの昔に過去に帰る事は諦めていると思っていた。こちらとしても全く調査に進展がなかったし、何より普段から同じ空間にいるホーラのほうが帰る気はないと言っていたのでもう打ち切る気だったところにそう言われても困るだけだ。
それに……
「というか、お前まだ過去に帰りたいと思ってたのかよ」
「……何?」
「だってさ、お前自身はともかく、ホーラはこの時代でヴェンという旦那を手に入れたんだぞ。過去に戻るって事は二人の仲を引き離す事になるんだぞ。それでもいいのかよ?」
タイトのほうはともかく、ホーラを過去に返すのは流石にやめたほうが良いと誰しもが思う。
ホーラはこの時代の人間であるヴェンと幸せを掴んだ。過去に帰ると言うのは、二人の仲を永遠に引き裂くという事になる。許される事ではない。
もしもヴェンも一緒に過去に行く事ができたとしても、今やホーラは立派なリッチだ。過去に戻った瞬間旧魔王の影響で凶悪化し、どちらにせよ二人の仲は永遠に引き裂かれてしまう運命だ。同じ魔物として、やはり過去に戻すのは反対だ。
「それは俺も考えた。だからホーラはこの時代に残して俺一人だけ過去に帰るつもりだ」
「はあ? お前頭大丈夫か?」
「……さっきから何なんだお前は……人が生きていた時代に帰りたいと言っているのにそれを逐一否定しやがって……」
「いや、そりゃ否定もするだろ。お前一人過去に戻ってどうするつもりだよ。オレとウェーラに殺されるのが関の山だって」
いや、ホーラだけではない。タイト一人が戻るのだって反対だ。
こいつ自身確かに強いが、それでも上級の魔物とも渡り合えたのはホーラのサポートがあってこそだ。一人で戻ったところで旧時代の魔物、それこそオレ自身に殺される可能性が高い。
折角仲良くやれているのに、何故また殺伐とした時代に見送らなければならないのか。そ否定するに決まっている。
「それでも俺は帰りたい」
「はああ? なんでわざわざあんな時代に帰りたいんだよ?」
それでもタイトは頑なに帰りたいと言っている。
まあ、思い当たる節がまったく無いというわけではないが……タイトの過去に帰りたい宣言にちょっとイライラしながらもその理由を聞いてみた。
「そもそも、過去に帰ったら死ぬだけだと言うのはお前の想像でしかない。だが、未来に来たせいでホーラは死んだのは事実だ。未来に来て俺は後悔している。だから帰りたい」
「……」
「それにだ、あんな時代でも、あの時代が俺の生きる時代だ。こんな魔物が恋だの性交だの話すような時代ではない」
「いいじゃねえか別に。それの何がいけないんだよ」
「良くない! なんというか、物足りないんだよ。お前とは互いに殺し合っていたいって、どんだけ一緒に飯を食ってもそう思ってしまうんだ」
「何だと……!?」
過去の事が忘れられず今という時代に不満を持っていたところで、この時代に来たことによってホーラという大切な家族が死に人間を止めた事によってそれが膨れ上がったみたいだ。
大体想像通りである。
「テメェ……そんなにオレと仲良くするのが嫌だっていうのか!?」
「……ああ。お前と俺は宿敵関係だ。仲良く飯を食うのはおかしいと思わないのか?」
「おかしいのはお前だ! ふざけんな!!」
想像通りだったからこそ、余計に腹が立つ。
こっちは時代が変わりようやく仲良くなれると思っているのに、それを真っ向から否定されて頭に血が上る。思わず胸ぐらを掴み、強く睨み付けながら怒りの声をぶちまける。
「ふざけてはいない。まあなんだ。お前が過去に帰る手段を探してくれる気が無いのはわかった」
「ああ。それがどうした?」
「なら俺はこの村を出てその方法を探しに行く。今まで世話になったな」
「……な、何を言ってるんだ?」
そしたら冷静に掴んでいた腕を叩かれ、挙句過去に帰る方法を探す為に村を出て旅に出る宣言をされた。
話が跳躍し過ぎて理解ができなかったオレは思わず止まってしまった。
「テメェ、いきなりわけのわからない事言うんじゃねえよ!」
「そうか?」
「そりゃあそうだ! お前今までそんな事まったく……」
「ああそうさ! 今まではこの現状を受け入れようと努力してきたさ! でもな……もう限界なんだ!」
「な……」
そして、突然の絶叫。
「お前は順当に時間を過ごして来たからそう言えるのかもしれんが、俺からしたら突然何もかもが変わってしまったんだぞ!? 受け入れろっていう方が無理だ!」
「……」
今まで溜まっていたものを噴きだすように、オレに向かって怒号をぶつけ続ける。
「だからこそ俺は元の時代に帰る!」
「……」
「お前達が方法を探す気が無いっていうなら、自分で探すだけだ。だから俺はこの村を出る。今まで世話になったな」
「……そうかい……」
ある程度吐き出したからか最後は落ち着き、冷静に村を出ていく宣言をしたタイト。
それを聞いたオレは……
「んなもんオレが許可するとでも?」
自分でもよくわからないぐらい不機嫌になっていた。
「んな……何故お前の許可が必要なんだ?」
「自警団の人間はその職業上簡単には村から越す事ができねえんだよ。色々な手続きがいるし、最後にはオレの許可も必要だ」
「はあ? そんな事一度も聞いてないぞ!」
「そうだっけか? まあともかく、お前をそう手放す気はない」
今言った通り、この村では自警団の関係者は面倒な手続きをしなければ村から出ていく事はできない。村の機密事項や防衛装置を知らせてあるので、それが外に漏れないようにするためである。
とはいえ、ばれたところで不利益になるようなものはほとんどないし、本来なら拘束する必要も感じないので、今までは誰一人許可しなかった事は無かった。
だが……今オレは何故かこいつが村を出ていく事が気に喰わなかった。
なんだか自分の下から離れるのが嫌と感じ、村の外に出す気はないと言い張っていた。
「知るか。俺は勝手に出ていく!」
「だから許さんと言ってるだろうが! どうしてもと言うなら、部下総出でお前を止めに行くぞ!」
「やれるものならやってみろ!」
「ああやってやらあ!」
「えっちょティマ様ー!?」
それでも頑固として村を出ると言い張るタイト。オレもムキになってそれを止めようと突っかかってしまう。
今にでも殴り掛かりそうな雰囲気で互いの胸ぐらを掴み合い、互いに怒号を浴びせる。
「お二人ともストーップ!」
「何だお前は!」
「うるさいぞ、少し黙ってろ!!」
「ひうっ!」
喧嘩を止めようとしたファミリアを一喝し黙らせ、それこそ殴り合いを始めようとしたのだが……
「だからストップしてくださーい!」
「だから何だ!」
それでも、必死に止めようとするファミリア。
その口から、とある一言が発せられた。
「お、お二人とも、戦うのでしたらこ、コロシアムで戦ってはどうですかー!」
「あん?」
それは、コロシアムで戦ってみてはという事だった。
「折角のコロシアムですし、1か月後に完成したコロシアムで戦ってみたらいいんじゃないでしょーか。それで、勝った方の意見を通すとか……だ、駄目ですかー?」
「……成る程」
確かに、村のどこかでやり合うよりは被害的な面を考えてもよっぽど良いだろう。
それに、勝った方の意見を通すってなれば、タイトの性格的に文句はないはずだ。
「オレはそれでいい。村のイベントとしても盛り上がるだろうし、どうせ勝つからそのほうが早いしな」
「……言い分や見世物にしようという企みは気に喰わんが良いだろう。過去に戻るなら、今のお前と決着を着けてからのほうが自信も湧く」
やはりその意見を受け入れたタイト。
これで決定だ。
「よし、それじゃあ決定だ。今日から1か月後、コロシアムでオレとお前の真剣勝負だ。詳しいルールは後に伝えるが、兎に角負けたほうが勝った方の言う事を受け入れるって事で良いな。まあ、お前が負けるのは目に見えているから嫌だっていうなら断っても良いがな」
「いいだろう。その余裕、崩してやるよ」
互いの顔を見ず、背を向け合いながら決闘の約束をし、それぞれ怒りを胸に歩き始めたのだった。
胸が痛むのを気のせいだと言い聞かせながら、オレはタイトを倒す覚悟を決めてゆっくりと歩き続けたのであった。
「約束の日だというのに、奴等来ませんね……」
10日前と同じ場所で宿敵を待っていたオレ達。目的は勿論、そいつらと戦い勝つためだ。
だが……いくら待てども、その宿敵達が現れる気配がなかった。
普段なら奴らはとっくに現れていてもおかしくない時間なのに、姿を一切見せない事に、オレは少しイライラしていた。
「待たせる事でオレを苛立たせて冷静な判断をできなくさせる作戦か?」
「失礼ですが、それはないかと思います。そんな小細工でどうにかなると思っている相手でしたら、とうの昔に奴等はティマ様の栄養となっています。それにそんな作戦を企むほど、奴等は弱くありません」
「ほう、言うじゃねえかウェーラ。だが、たしかにその通りだ」
これはオレの冷静さを欠くための作戦なのではないかと一瞬考えたが、それはすぐに捨てた。
何故なら、奴らはそのような小賢しい作戦を取るような人間ではないからだ。
武器や装備に色々小細工こそしてくるものの、戦いにおいては堂々と正面から掛かって来る。今までしようと思えばできたであろう不意打ちをしてきたことは一度としてないので、そういう点は信用できる。
「しかし、それなら奴らはなぜ来ない?」
「わかりません。病気に罹るような人間とは思えませんし……」
だが、それならば何故奴らは現れないのか。
妹のほうは治癒魔術も使えるので、前の怪我が治っていないという事は無いだろう。病気に罹るようなひ弱さもないので、身体の調子が悪いから逃げたとも考えられない。
そもそも、高熱でもオレを殺すために返り討ち覚悟で来るような奴だ。オレ達から逃げたという択は無いと考えて良いだろう。
「私が人間に紛れ奴らが住む村で調査をしてきましょうか?」
「そうだな。奴らの身に何か起きたのかもしれん。行け」
「了解しました」
いったい何が起きたと言うのか……ただの人間であれば何をしていようが興味はないが、随分と長い間戦ってきた相手となれば話は別だ。
一切心配はしていないが、オレを放ってまで何をしているのかは気になる。という事で、配下のウェーラの提案に乗り、奴らが何をしているのか調べさせる事にした。
「……ったく、なんだってんだ」
ウェーラが村へ転移し、一人その場でぼーっと待ち始めて少し時間が経った頃。
ふと、どうして自分が奴らの事をそこまで気に掛けなければならないんだと思い至り、思わず悪態をつく。
いくら付き合いが長いとはいえ、奴らは全ての人間を殺す前に立ち憚る障害でしかなかったはずだ。来ないなら来ないでこちらから奴らの村へ向かい、村諸共滅ぼしてしまえば良いだけだ。
それなのにオレは悠長に奴らが来るのを待ち、挙句来ない原因を配下の魔女に調べさせている。というか、いつからか人間を、その中でも奴らを殺すという目的から、奴らと戦い勝つ事のほうが目的となり楽しみになっていた。
それに関係してか、人間を食事目的以外で殺す事が滅多に無くなったように感じる。あれだけ強く感じていた人間への憎悪が、奴との関係が続くうちに薄れていったようだ。
奴らのせいで自分が変わってしまった事実に余計イラつく。だからといって、一旦待つと決めたのに今更村に行って人間を皆殺しにするのも馬鹿らしいので大人しく待つ事にする。
「バリバリ……むしゃむしゃ……ふぅ……遅い!」
昼前ぐらいから待っていたというのに、もう太陽は沈みかけている。
それなのに奴らが来るどころか、ウェーラすら戻ってこない。
あの魔女、戻ってきたらどんな罰を与えてやろうか……そんな事を考えながらオレは、腹が減ったのでそこら辺にいた熊を殺し食いながら待ち続けた。
「……」
「やっと戻ってきたか……ってどうした?」
そして太陽が沈み切ったところで、ようやくウェーラが戻ってきた。
ここまで主を待たせた罰で殺す……には惜しい人材なので、半殺しにしてやろうと思ったのだが、相当困惑し疲れ切った表情を浮かべていたので一先ず罰を与えるのは置いておき、どうしたのかを聞く事にした。
「いえ……奴らの住む村に行き調査をしたのですが……その……」
「なんだ? 勿体ぶらずに早く言え。死にたくはないだろ?」
「ひぃぃ……、で、では……」
ごにょごにょと口を濁すウェーラ。思い悩んでいると勿体ぶる癖のある奴だという事は知っているが、それが少しイライラする。
だから少し脅し、さっさと言うように急かした。
「奴らが住む村、ティムフィトに向かい住民に話を聞いてみたのですが、どいつもこいつも奴らは我々を倒しに早朝には村を出たと言っていました」
「何!? それは本当か?」
「はい。奴らの住処だと思われし家にも行きましたが、そこには人の気配は無く、侵入してみたところ確かにあの小娘の物と思われし魔道具こそあったものの、奴らはいませんでした」
奴らが住まう村で調査をしたところ、どうやらオレ達を倒す為に家を出た事は確かだったようだ。
「では何故奴らは来ない?」
「それが……奴らの痕跡を魔術で追ってみたのですが……とても信じられない事がわかりました」
「信じられない事?」
じゃあどうして戦いに来ないのか。
奴らが逃げて雲隠れするなど考えられない。いったい何が起きたのだろうか。
「奴らの精エネルギーの痕跡を魔術で辿ってみたのですが……その途中で精エネルギーが綺麗さっぱりなくなってるので……」
「綺麗さっぱりなくなっている? 転移魔術でも使ったのか?」
「いえ、それなら何も問題なく追う事ができます。問題はここにくるまでの道中でいきなり消えており、そういった魔術の類を使った形跡がないという事です。そもそも奴らは転移魔術など使えないかと」
「それもそうか……」
転移魔術も使えない人間が何もない道中で突然消えるとは思えない。
というか、オレの眷属ともあろうものがそんな事ぐらいで追跡できなくなるとも思えないので、急に消えたと言うのは本当だろう。
だが、どうしてそうなったかはそれこそさっぱり見当がつかない。
「じゃあいったい奴らはどこへ?」
「それはわかりません……少なくともこの近辺では気配は感じられません。かと言って他の魔物に食われたり跡形もなく消されたとなれば、ティマ様がその魔物の存在に気付かないとも思えませんし……」
「うむ……雑魚魔物の気配や魔力ならあちこち感じるが、あの兄妹を殺せるような奴がいるとは思えねえな」
オレより強い魔物は悔しい事にいくらでもいる。バフォメットとはいえまだオレは若輩者だから長生きしている中級程度の魔物にも負ける可能性はある。
だがそれはこの世のどこかではという話だ。強大な魔力を隠しているとかでもない限りこの近辺でオレより強い魔物はいない。
だからオレ以外の魔物に殺されたとは思えなかった。そもそも殺されたとしたら丸呑みでもない限り血肉が落ちているはずだ。精や魔力の痕跡だって残っているはずだし、ウェーラがそれに気付かずに消えたなんて言うはずがない。
「結局わからずじまいか……」
「はい。唯一確実に言えるのは、奴らは突然この近辺から完全に姿を消したという事です。その原因は……ありえないとは思いますが、強力な魔術を隠せるような強大な力を持つ他の誰かが強制的に遠く、それこそ天界などの異界や全く別の世界に飛ばしたのではないかと。それならば転移先が追えないのもまだ納得できます」
「そうか……」
どうして奴らがいなくなったのか。その理由は結局わからずじまいだ。
ただ一つだけ言える事は、当分の間、下手をすれば一生奴ら兄妹と会う事はないという事だ。
「……ちっ、なんか白けた。帰るぞウェーラ」
「はっ!」
奴らが……タイトとホーラが居なくなったのであれば怖いものは何もない。この近辺の人間などいつでも皆殺せる。それこそ今すぐにでも、だ。
だが、何故かオレはそんな気力が湧かなかった。何とも言えない喪失感に襲われ、何もする気が起きなかった。
「……」
何とも言えない思いを胸に、オレはそのままウェーラと家へと帰ったのであった。
……………………
…………
……
…
「な、なんじゃこりゃー!?」
タイト達が消えてからおよそ十年。
その間、オレはほとんどの人間を殺さないでいた。
別に人間への憎しみがなくなったわけじゃない。かつて程ではないが今でも憎いし、父様を殺した奴は自らの手でこの世のどんな拷問よりも苦しい殺し方をしてやろうと思っている。
だけど、その障害であったタイト達が消えてからは何故か殺す気力があまり起こらず、たまに飯として食べる事ぐらいしかしていなかった。
自分達で障害を排除したわけではないので、その事が引っかかっていないと言えば嘘になる。
実際、この十年はほとんど自身の力を付けるために魔術の研究に費やしていたが、人間を殺す暇がなかったわけではない。でも、どうしても奴らを殺していないからと他の人間を殺す気にもなれなかったのだ。
「お、オレの身体が……」
そんなある日の事。
朝目覚めて今日も魔術の研究をしようと身体を起こしたら、なんだか視線の高さに違和感があった。いつもよりも明らかに低くなっていたのだ。
寝ぼけているのかと思い目を擦ろうと腕を上げたのだが……その腕もやたら細くなっているどころか、肘辺りから身体まで体毛がごっそりと抜け落ちていた。
いくらなんでもおかしいので慌てて魔術で鏡を作り出し自身の身体を確かめてみたところ……昨日までの見知った自分の姿はなく、ちっこい人間とバフォメットを足して2で割ったような姿があった。
「ど、どうなってんだ!?」
ただ人間みたいな姿になっているってだけでも驚きなのに、それ以上に頭を混乱させることがあった。
それは……どう考えてもその姿は人間のメスだったからだ。
柔らかな肌、つるぺたながらも柔らかさを感じる胸、そして……あるはずの肉棒が無く代わりに主張する股間のスリット。
つまり、今のオレの姿は純粋なバフォメットでないばかりかオスですらなかったのだ。
「ティ、ティマ様! 私の姿が……!?」
あまりにも突然の出来事に現状を把握しきれず、どうしたら良いかわからずただ茫然と立ちすくんでいたら、いきなり部屋の扉が勢いよく開かれ、見知らぬ小さな人間のメスが慌てた様子でオレの名前を叫びながら入ってきた。
「な……誰だお前!?」
「それはこちらの台詞だ! 貴様は誰だ! ティマ様の部屋で何をしている!」
いきなり入ってきた幼女に一瞬驚いたが、すぐさま杖を向け臨戦態勢に入る。
こんなところまで入って来るなんて只者ではないだろう。実際、向こうも山羊の頭蓋をあしらった杖をこちらに向け、先程とは違い険しい表情を浮かべ睨み付けてくる。小さな子供なので可愛いものだが。
「……ん?」
と、ふと気づいた事があった。
この幼女がオレに向ける杖は、オレの眷属であるウェーラの物であった。
それに、全然姿が違うもののその顔にはほんの少しではあるがウェーラの面影があった。声質もかなり可愛くなっているものの、若干ウェーラっぽくも感じる。
「お前もしかして……ウェーラか?」
「な!? どうして私の名を……」
まさかウェーラもオレと同じようにちっこい人間っぽくなったのでは……そう思い確認してみたところ、どうやら正解だったみたいだ。
「まだ気付かないのか? オレは貴様の主君であるティマだ。眷属ならそれぐらい一発でわかれ!」
「え……は、はい! 申し訳ございません!!」
そうやって怒ったはいいものの、正直ウェーラがオレだとわからなくても仕方がないだろう。だからこそ、雰囲気から察したのか一応謝っているとはいえまだ半信半疑な様子だ。
ウェーラのほうと違いオレは昨日までの面影がほとんどない。しいて言うならば角の形がほぼ同じというだけで、それ以外は性別や声の高さまで含めてまるっきり違うのだから。
「それにしても……私達の身にいったい何が起きたのでしょうか? 私は身体が若返っているだけのようですが、ティマ様に至っては全然違うお姿になっていますし……」
「さあな。オレにもさっぱり……いや、まてよ……」
どうしてこんなにも急に自分達の姿が変わってしまうような事態が起きたのか。
その原因はタイト達が消え去った以上にさっぱりわからない……と思ったが、ふとある事に気付いた。
「何かわかったのですか?」
「ああ。推測だが……魔王が交代したみたいだ」
「魔王が……」
それは、自分の身体に宿る魔力の根幹部分の質が変化していた事だった。
色で表すならば、今までのどす黒い感じではなくピンクと言えるような気がするどこか異様な感じになっていた。
こんな事は魔王が交代でもしない限り起こり得るはずがない。つまり、昨日寝てから今日起きるまでの間に魔王が交代した可能性が高い。
「では我々の姿がこのように変わってしまったのは……」
「おそらくはその影響だ。まだ他の例を見たわけじゃないから確証はないが、オスだったオレがメスになっている事から、サキュバス辺りのメスしかいない種族が魔王になったのだろう。実際、自分や貴様から感じる魔力は淫魔のそれに酷似してるし、まず間違いない。それに合わせてこんな姿になったのだろうな」
この姿はきっとその魔王の悪趣味が原因だと思う。
メス淫魔が魔王になったと言うならばオレがメス化した事は納得はできないが理解はできるし、元々人間に近い姿をしている奴らなのでその影響で人間に近い姿になったのもわかる。全ての魔物は魔王と繋がっているので、魔王に影響されてこの姿になったのだろう。
ただ、どうしてそれが幼女なのかはわからない。まさか魔王が子供のサキュバス……いや、それは流石にありえないので、やはり魔王が悪趣味なのだろう。
「しかし、こうも姿が変わってしまうと流石に困りますね。衣服は収縮魔術で何とかなるにしても、身体の勝手が違うと言いますか……」
「貴様はただ幼い姿になっただけだからまだいいだろ。オレなんか股間も身体もスースーして気持ち悪いぞ」
「まあ、それはそうかもしれませんが……」
何にせよ、いきなり姿が変わってしまい戸惑うばかりだ。股間の違和感もそうだが、顔もほとんど違うのが困りものだ。
流石にここまで大幅に違う姿に変えられたとなると自分じゃないみたいで気持ち悪い。
「それで、これからどうします? 外に出て先程の仮説が正しいか確かめに行きますか?」
「いや、それは貴様に任せる。オレはいつも通り魔術の研究をしながら他に変化したものが無いか調べる事にする」
「了解しました」
とはいえ、今のところは姿以外はそうたいした変化はない。魔力が淫魔のそれになったからと言って、脳内ピンクなお花畑になったわけではなくオレはオレだ。
「ついでに何か食料でも取ってきましょうか?」
「そうだな。それじゃあ久々に人間で……も……!?」
そう、オレはオレのはずだった。
「う……うげえぇぇ……」
「ティマ様!?」
だが、久々に人間でも食べようかと思ったところで、急に気分が悪くなり……そのまま嘔吐した。
何故だか、今まで普通にしてきた人間を食べるという発想自体がとてつもなく恐ろしい事で、その姿を思い起こすだけで異様な気持ち悪さが襲ってきた。
「はぁ……はぁ……な、なんだこれは!?」
「ど、どうかしたのですか?」
「どうもこうも……う……人間を、餌と思うと……おえぇ……」
今まで自分が食してきた人間の味を思い出しては猛烈な吐き気に襲われ続ける。
そして同時に湧き出る後悔の念。今まで何とも思わなかった人間殺しが、とてつもなく重い事に思えてくる。
手足が震え、止まらない。
「人間を殺して来た事だって……」
「人間を……あ、ああ……な、何この気持ちは……」
「なんでだ……くそ……」
悪態を吐きつつ、どうしてこうなっているのかを気持ち悪さでうまく回らない頭で考える。
いや、おそらくだが原因は判明している。ウェーラも同じように人間殺しの罪悪感を感じているらしい事からしても、先程考えた魔王交代説が本当ならば簡単に説明がつく。
「クソ……がぁ……!!」
どうせ、新たに魔王になった者が親人間派なのだろう。だから、人間を殺す事が重く、食べるなんて事がありえないと思わせてくるのだ。
だが、それはオレにとってはただの地獄だ。
「くそったれぇ……!」
今まで平気で人間を殺し食ってきたオレにとって、これは最悪でしかない。
今でも残る人間への、特に父様を殺した奴への恨みを拒絶する身体など、地獄でしかなかった。
「誰だか知らねえが、新たに魔王になった奴めぇ……!!」
震える身体。襲い来る吐き気と罪悪感。
昨日まで全く気にする事のなかったものが、魔王交代のせいで強い枷となる。
なんて悪趣味だ。
「恨むぞ、新魔王……!!」
人間への恨みを、父様を殺した人間への憎しみを消し去らない限り、この苦しみは続くのだろう。
いや、例えそれらを消しても苦しみから解放される事は無い。
何故ならば、過去を消す事はできないからだ。
今まで恨みや怒りに任せて人間を惨殺してきた記憶は、呪いのようにオレ自身を襲い続ける。
だから、どのみちオレは新魔王のせいでこの苦痛から逃れられる事は無いのだ。
「くそぉ……」
あまりもの気持ち悪さに目が霞み……
そのまま闇に沈んでいき……
……………………
…………
……
…
「ん、うーん……」
「あ、おはようございますティマ様。何かうなされていましたが大丈夫ですか?」
目を覚ますと、そこは住処の洞窟ではなく先程まではなかった豪華な建物の、しかも大きなベッドの上にいた。
近くには、小さくなったウェーラがさっきまでと違い明るい笑顔で立っている。
「んー……また昔の夢かよ……」
少しずつ頭がハッキリしてきて、そこが現在の自分の家のベッドの上だと気付いた。
どうやら、またしても昔の夢を見ていたようだ。今度はタイト達が消えた時と魔王が交代した時の夢だ。
「おえ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「おう、まあな……夢の中で吐いてたせいで現実でも吐き気がしてるだけだ……」
今回は別に人間を殺したり食べたりしているものではなかったが、それらを思い起こしている夢を見たせいで今回も吐き気に襲われていた。
ただ、今回は直接そういった事をしている夢じゃなかったからか、それとも慣れたからなのか、吐き気がするだけで吐くまではいかなそうだ。だからオレはウェーラに差し出された洗面器を受け取らず、ベッドの上で落ち着こうと胸を擦る。
「……ん? いやまて、お前レニューか?」
「え? はい。そうですが」
胸を擦っている時に心配そうに覗いている魔女を見てふと気付いた。
よく見たら瞳の色がウェーラの紫色と違いエインと同じ蒼色だ。顔はそっくりなので、こいつはウェーラではなく娘のレニューだ。
「もしかして母と勘違いしてました?」
「ああ。夢でウェーラが出てきてたし、ちょっと寝ぼけてたもんでな。すまん」
「いえいえ、よく親子似てるって言われますから。それに普段ティマ様の身の回りのお世話は父や母の役目ですしね」
現代の魔女の見た目は一定の年齢になってからはほとんど変化しない。なので夢に出てきた時からずっと同じ姿をしているウェーラと娘のレニューは雰囲気と瞳の色以外ほとんど同じなのだ。
朝早くからオレの部屋にレニューが来る事が普段は無いので本気で勘違いしていた。
「ん? レニューがここにいるって事は……」
「お察しの通り、両親は朝から愛し合っています。どうやら母が怖い夢を見たらしく、父が繋がりながら慰めています」
「ああ、そうかい」
基本的にオレの身の回りの世話はウェーラかエインが行っており、レニューが朝オレの部屋にいる事は稀だ。
その稀な事態が起きるのは大抵二人共動けない時だ。二人が同時に病気になるのはまずないので、ほぼ確定でセックス中だ。
どうやらウェーラのほうも何かしらの悪夢を見たらしく、現在エインに慰めてもらっているらしい。おそらく今頃夢で見た時代でもまだありえなかったようなかわいらしく蕩ける笑顔で悦んでいるところだろう。奴らは今日公務のほうは揃って休みにしてあるし、そのまま一日中繋がったままに違いない。
「とりあえずお水をどうぞ」
「おう、サンキュー……ごく……はぁ……」
「落ち着きましたか?」
「うん、まあ……」
今の魔物らしくほんのちょっぴりウェーラを羨ましく思いながら、差し出された水を飲み吐き気を抑える。
身体の震えはほぼないものの、やっぱり若干の気持ち悪さは残る。それでも、水を飲むうちに吐き気も抑えられてきた。
「しっかしまあなんで最近こうも昔の記憶を夢に見るかねぇ……」
「んー、やはりタイトさんやホーラちゃんがこの時代に来たから、その影響じゃないですか?」
「かもしれねえな」
ここのところ1ヶ月に1回は昔の記憶を夢に見てしまう。
レニューの言う通り、それは奴らがこの時代に飛ばされてから起きている。まるで何かを思い出せと言わんばかりに、鮮明な夢を見てしまうのだ。
「まったく……その度に吐き気に襲われてたら身体が持たねえや」
「まあまあ。私とそっくりな母が出てきたという事はもう今の魔王様に交代した後の時代という事では? それなら段々と現代に近付いてきてますし、もう吐く思いはしないのではないですか?」
「甘いぞレニュー。そうなる根拠がないし、そもそもそれ以降も結構人間の肉の味を思い出してはゲロッてた事は何度もある。というか、お前の父の事を受け入れるまではずっとそんな調子だったぞ」
「そうなのですか。たしか両親がくっついたのってそれから何年も後でしたよね? 大変だったのですね……」
「そりゃあ大変だったぞ。数えきれないぐらい魔王に悪態付いてたからな……」
あの頃は本当に大変だった。人間を殺して来た事が自分の中で重い枷となり、エイン以外の人間を恨む事を忘れざるを得なかった。
今となってはそれでよかったのだとハッキリ言えるが、当時はその事が悔しく、あまりもの苦しさに酷い時は自ら命を絶とうとした程だ。
魔王への恨み事も散々言ってきた。もしかしたらこうして昔の記憶を夢として見ているのも悪趣味な現魔王のせいなのかもしれないが、だとしたら何が目的なのだろうか。
「まあ、何故か見てしまう夢の事なんて考えていても仕方ない。さっさと飯食って今日も元気に働くか。レニューも一緒に食べるか?」
「是非ともご一緒させて下さい!」
邪推して考えても仕方ない事をいつまでも考えていても時間の無駄だ。
という事で、夢の話は打ち切って、ベッドから飛び起きてレニューを朝食に誘う。嬉しそうに承諾してくれたので、両親がいると話せない事でも聞こうかと思う。
「よし、それじゃあ行くぞ!」
「はい!」
寝間着から普段着に着替え、朝飯を食べるためにレニューと共に部屋を出たのであった……
……………………
「……以上をもちまして私からの報告は以上です」
「ん、わかった。魔界ハーブの入荷が遅れてるんじゃあ仕方ない。オレのほうからウェンディに伝えておく。もう下がっていいぞ」
飯も食べ終わり通常業務中。
いくつか報告や見なければいけない資料などはあるものの、最近は仕事も落ち着いてきており、わりとゆっくりとする事ができている。
「ふぁぁ……」
「居眠りは流石に駄目ですよー」
「しねえよ多分。悪夢のせいで朝っぱらから疲れちまってな……もし寝そうだったら遠慮なく叩き起こしてくれ」
「もうティマ様ったら……まあ、そう言いつつ寝た事ってないので大丈夫だとは思いますけどね」
大欠伸をしながら魔術薬の研究で使う材料の入荷状況を確認する。
魔界の植物は基本的にモックの店から購入しているが、どうやら魔界ハーブがどれも店への入荷自体が遅れているらしい。まあ、商売相手も魔物で、勿論夫優先で行動する者らしいので仕方がない。
ウェンディとの共同開発薬の材料なのでそこまで遅くなるのもよろしくはないが、同じ魔物だしきっとわかってくれるだろう。
「まあな……あ、そういえばコロシアムの見学って今日だったよな?」
「はい。たしか午後から見に行く予定でしたかと。どうかしましたか?」
「いや、ただの確認だ。如何せん有能な秘書が今日は妹の世話で大忙しだからな。一応把握してるがとりあえず聞いたって感じだ」
「成る程」
今日の日程を確認しながら、いろんな資料に目を通す。
何もサバトの運営だけじゃない。村を発展させるために色々と投資をしているので、金銭や諸々の管理も重要だ。
「失礼します」
「ん? お、ホーラか。どうした?」
コロシアムに関する資料を見ていた時に扉がノックされた。
入ってきたのは魔術研究室の主任で、数週間前にリッチとなったホーラだった。
「新しい媚薬系の魔道具の試作ができたから報告を。一度ヴェンで試したけど効果は絶大で、1日中ずっと繋がりっぱなしでも問題なかった。応用すればサバトのほうでも使えると思う……って、どうかしたの?」
「ああいや、やっぱなんか変わったなあと……姿もだけど、特に雰囲気がな」
「そう?」
死んだ事によって人間を止めたホーラの見た目や雰囲気は、人間の時と比べ大幅に変わった。
肌が生気のない青白いものでありながら魔物らしくどこか艶やかになり、髪もアンデッドらしく灰色に近い白髪に変化し、魔性の輝きはあるもののその目にかつての生き生きとした感じはなくなっていた。
服装も本人曰く「それらしくした」みたいで、裸体の上からボロボロのローブを羽織るだけというなんとも破廉恥な恰好をしている。なんでもこの服装のほうがすぐ性行為に移れるし、自身の身体に改造魔術を施すのも楽だからだそうだ。
とはいえ、4日ほど前に生前の服を着て街中を歩いていたのを見掛けたので、気分によってはかつてのようにお洒落もするのであろう。もしかしたらヴェンが服を着て欲しいと頼んだのかもしれないが。
「だってお前、最近リアクション薄いし。喋り方も凄く淡々としてるしな」
「まあ……魂を経箱に移してて常に冷静を保てるからじゃない? それと、お兄ちゃんにも言ったけど、アンデッドが元気溌剌ってのもどうかと」
「そんなもんか? まあ昔の考え方だとそうかもしれんが……」
特に変わったのが、こちらが何を言っても基本的に冷静に対処される事である。
ヴェンとの仲をからかっても以前のように顔を赤らめ慌てふためく事は無く、淡々と「ヴェンのおちんぽハメると気持ちいいよ」だなんて返してくるので、慣れないうちは誰だお前はなんて思ったほどだ。
「まあこれでも嬉しい時は嬉しいし、恥ずかしい時は恥ずかしいよ。身体そのものは動く死体になったけど、私は私だよ」
「うーむ……お前達はどう思う?」
「なんか暗くなった気がしますねー」
「えっと……まあ、ちょっと不愛想になったかなと思います。たまににっこりしますが、以前みたいに明るい笑い声は出さなくなったと思います」
「でも魔物らしく性に関するお話はしやすくなったかなと。そういった変化は感じますね」
「そう……」
それでも本人は死んだ事以外には変わってないと言い張るので、部屋の中にいた部下達に話を振ってみた。
やはり全員少し変わったと感じているようだ。ホーラ本人は納得していないようだが、これが事実だ。
「でも、正直私から言わせてもらえばティマさんやウェーラのほうが昔と変わりすぎ。証拠を見せられてなかったら多分今でも信じてない」
「まあ、そうだろうな。それはオレ自身そう思うぞ」
でも、ホーラに言われた通り、昔と比べればオレのほうが変化しているだろう。
今朝見た夢でも思ったが、今のオレの姿には角ぐらいしかかつてのオレの面影はない。
それに見た目だけではなく、性別や性格だって変化しているのだ。少なくとも500年前は料理なんて一切興味なかったし、徐々に薄れていたとはいえ人間への、特にエインへの恨みは強かった頃と比べれば随分丸くなった。ついでに身体も随分と丸みを帯びてほっぺたなんかぷにぷにだ。
「なんせ魔王が代わったからな。リッチだって昔はそんなんじゃなかっただろ?」
「まあ……幸い本物を見た事はなかったから知識上の比較しかできないけどね」
「そういう事だ。まあ、あとは500年も経過してるからな。そんだけありゃ誰だって変わるさ」
とはいえ、それは別にオレ自身が変わったというよりは、魔王交代によるところが大きい。
それこそホーラが成ったリッチだって旧時代では近寄っただけで弱い人間は命を落とすような凶悪なネクロマンサーだ。あの時代にリッチ化していたらこんな平和な会話はできないだろう。
「さてと、報告も済んだから私は仕事に戻るよ」
「おう」
少し会話をしてしまったが、まだまだホーラも仕事中の身だ。
という事で話を打ち切り、生前と変わらぬ速度で歩いて部屋を出ていった。
「さてと、オレも仕事に戻るかな……」
もちろん、仕事中の身なのはオレも同じである。
という事で、眼鏡を掛けて再び机の上に並べられた資料にざっと目を通し始めたのであった。
……………………
「んんー、やっぱ座りっぱなしより身体を動かしていた方が楽だな」
「同じ姿勢を続けていると身体も凝っちゃうから辛いですよねー」
そして昼過ぎ。
自警団の大型訓練所兼村のイベント用に村外れに建造していたコロシアムがほぼ完成したという事で、視察を兼ねた見学をするために部下のファミリアを一人お供に連れて家を出た。
「もう長年やっている事とはいえ、未だに肩こりとかわりとくるからな。お前ならそういう時どうしてる?」
「ボクはお兄ちゃんにもみもみしてもらってまーす!」
「あーなるほどね。そうやって肩もみとかしてくれる兄様がいるなんて羨ましいことで」
デスクワークで凝った身体をほぐしながら、コロシアムまでゆっくりと歩く。
村長としての午後の仕事はほぼこれだけなのでわざわざヨルムを使う必要はなく、気分転換がてら歩くことにしたのだ。とはいえ、夜はサバトの長として次の催しについて考える必要があるので、そこまでのんびりはできないが。
「ティマ様もお兄ちゃん作ればいいのにー」
「うるせえ。オレが気に入る男がいなかっただけだ」
「そうですかー。じゃあタイトさんは?」
「あいつはお気に入りだが別にそんなんじゃ……ってか、どうして奴の名前が出てくるんだ!」
サバトと言えば、最近やたらと兄様を作れと部下達がうるさい。
しかもよりにもよって、こいつを始めやたらタイトを兄様にしろと言う奴が多い。
「絶対お似合いだと思いますけどねー」
「そ、そうか? へへ……って、だからあいつとの関係はそうじゃねえっての!」
別に嫌って程ではない。雑魚ではないし、オレがまだ若かった頃から知っている相手なので良く知る分安心でき、むしろ条件的には好ましい相手ではある。
とはいえ、オレ自身タイトとの関係は別にそういうのを望んでいるわけではない。
「そんなんじゃ……ねえっての」
そう、望んでなどいるはずがない。
まるで自分にも言い聞かせるように、そうじゃないと繰り返し呟いた。
「ま、まあオレの事はいいとして……お前自身は毎日兄様と仲良くやっているか?」
「もちろん! 肩も腕も胸もアソコも毎日いっぱいモミモミしてもらってまーす!」
「そうかそうか。きちんとロリコンのお兄ちゃんになっているようで結構だ」
これ以上この事について考えたくないので話題を変える。
どうやらこのファミリアの兄様はきちんとサバトの一員として日々妹を大切にしているようだ。サバトの長として大変満足である。
「でもー、お兄ちゃんと一緒にいると魔女ちゃん達からの視線が痛くてちょっと辛いです……」
「ああ……まあ安心しな。その件についてはお前以外のファミリアの場合もよく苦情を言われるが全部一蹴してるから、お前が気に病む事は無い」
「そうですかー、ありがとうございまーす!」
そんな彼女も悩み事はあるらしい……というか、大体のお兄ちゃん持ちファミリア共通の悩みだ。
彼女達は基本的には魔女達の使い魔である。だが、主人であるはずの魔女よりも先にお兄ちゃんを作ってしまう者が後を絶たないので、独り身の魔女達からよくオレに苦情が入るのだ。
まあ、その度にどうにか言いくるめているので大きな問題にはならないはずだ。というか、相手がもふ専ならともかく使い魔に負けるとは魔女自身が情けないという話である。
「ま、魔女達の事は気にするな。お前の兄様にとっては魔女よりお前の方が魅力的だったってだけさ」
「おっ村長!」
「ん? おーロロア!」
「あっロロアさん! こんにちはー!」
話をしながらコロシアムへと向かっている途中、作業着を着たロロアと遭遇した。
「どうしたんだこんなところで?」
「村外れに建ててたコロシアムがほぼ完成したから見に行くんだよ。お前こそこんなところでどうしたんだ?」
「アタイは普通に仕事さ。作り終えた果物ナイフを客に届けて鍛冶に戻るところだ」
本当にこいつとはよく会うなと思いつつ、少し言葉を交わす。
「あ、今日は仕事が終わればモルダと、しかもエロフなしの二人きりでのデートだからこれで。じゃあな」
「お、おう……なんというか、旦那がいるってのもちょっと羨ましいな」
今回は普通に仕事中だから早々に話を切って去ろうとしたら、ロロアのほうからそう言って話を切られた。
あまりにも嬉しそうに言うものだから、普段そこまで気にしていないオレも旦那がいるという事が羨ましく感じてしまう。
「羨ましいのなら村長もさっさとタイト辺りとくっつきゃあいいだろ」
「お前までそう言うか。なんで皆してあいつの名前を出すんだよ」
「そりゃあ……なあ?」
「ですねー」
「なんだよ二人揃って……」
そして、そんな奴も何故かタイトの名前を出す。ニヤニヤした顔でこちらをちらちら見られても正直反応に困る。
というかどいつもこいつもタイトとくっ付けなんて言うし、もしかしたら変な噂でも立っているのだろうか。そう疑いたくもなる。
「まあ、知らぬは本人達だけって事だ。それじゃあな!」
「おう……しっかしどういう事だってんだ……なあ?」
「ボクから言える事は何もないでーす」
この時代で再会してからはわりと気が合う奴だとは思っているし、村の中で偶然出会ったら一緒に飯を食べる事もあったりとなんだかんだ一緒にいる事は少なくはない。
とはいえ、こんなにも噂されるほどの事はしていないと思う。嫌ではないが、あまりしつこく言われても困りものだ。
「はぁ……どいつもこいつもタイトとくっ付けって言ってくるけど、ほんと困ったもんだ」
「きっと皆はそんなティマ様に困ってると思うけどなー……」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ。ボクもですが、皆きっとティマ様に幸せになってもらいたいから、仲の良いタイトさんの名前が挙がるんですよー」
「成る程なぁ……」
だが、言われなくてもそれはオレを想って言ってくれている事はわかっているので、面と向かってやめてくれとは言えない。
「あいつの話はここまでだ。着いたぞ」
「おおー、立派ですねー!」
言えないが……とりあえずタイトとオレをくっつけようとする話はここまでにしてもらう。
何故なら、石造りの立派な円形の建物……コロシアムに着いたからだ。
「おお……中から見ても中々のものだな」
「広ーい!」
ジャイアントアント達から予め受け取ってあった鍵を使い建物の中に入ったオレ達は、早速闘技場のど真ん中まで足を運んだ。闘技場は広く、旧時代のオレであっても50人以上は余裕で入る面積はある。観客席まで含めれば100人は行けるかもしれない。それぐらいだだっ広いのだ。
「ふむふむ……闘技場の地面の硬さは硬すぎず柔らかすぎずで丁度いいな」
「走りやすいですねー」
ここでは様々なイベントを催すつもりだが、一番使われるのはやはり自警団の訓練場としてだろう。戦ううえで地面のコンディションはわりと大事なので試しに踏み鳴らしてみたが、蹄の引っ掛かりや反発は申し分ない。
人化の術を使用して人間の足でも走ったりステップを踏んでみたが、特別やり辛いという事は無かった。他の足のパターンは流石に試せないが、まあ問題はないだろう。
「でもここ屋根がないんですねー」
「そこは問題ない。イベント前ならこちらで防雨魔術を掛ければいいだけだし、常に整備を行う人間も雇ってある。一応業者に定期メンテも頼むしな」
「そうですかー」
空を見上げれば、青い空に白い雲そして輝く陽射しが広がっていた。
屋根が無いので雨が降れば濡れてしまうが、そこはオレ達の魔術で対策すれば問題ない。
自警団としても様々な天候の中で訓練をする必要があるので屋根が無い事は別に何も困らない。むしろないほうが雰囲気的にも良いので作らなかったのだ。
「さて、観客席のほうだが……」
「闘技場全域見渡せますねー。石でできているので流石に長時間座ると腰が痛くなりそうですが……」
「まあ、そこは仕方ねえ。腰が悪い人には各自クッションでも持ち込んでもらうしかない。それに、興奮した試合なんかを見る場合は立って観戦する人も多いだろうし大丈夫だとは思うぞ」
観客席に上り、村人全員が入っても余裕があるほどの席の一つに座って闘技場のほうを見る。
一段ごとの高さを若干高めに設計してあるので、オレのように背の低い者でもきちんと闘技場を見渡せられるようになっている。試合をする場合、だれもが盛り上がれる事は間違いないだろう。
「あれ? ねえティマ様、丁度闘技場の出入り口の上にあるあのちょっと広い観客席ってなんですか?」
「ああ、あれは所謂実況席だ。祭りとかで使う時は目立つ看板を設置したりと他の用途もできるぞ」
「成る程ー。ちょっとあそこに行ってみていいですかー?」
「勿論。というか言っておくけど全部回る予定だからな」
それから、実況席や控室、通路など隅々まで見学した。
細かい部分はまだ未完成とはいえ、そのどれもがこちらの要望通り、もしくはそれ以上の出来でありとても満足であった。
……………………
「いやぁ……ちょっと楽しかったな」
「はい! 凄く楽しかったでーす!」
一通り見て回り満足したオレ達は、コロシアムを後にして家に向かっていた。
「ところで、どんなイベントを開く予定なんですかー?」
「んーとだな、さっき言った通り各種季節の祭りとか大規模の魔道具商会とかを行う予定はあるが……やっぱりコロシアムだし、まずは格闘大会を開こうと考えてる。まだ主な参加者になるであろう自警団の、その中でもジェニアと環奈にそう案を出してるだけだから早くても今から1か月後にはなるがな。まあ、完成は3週間後の予定だし、丁度良いだろう」
「へぇーそれは盛り上がりそうですね!」
これからあのコロシアムでどんなイベントを催そうかと想像するだけでわくわくする。
やはりコロシアムならば闘わないと。という事でまずは格闘大会を開こうとは考えている。村人の参加は自由だし、勿論オレも参加する予定だ。
今は村長として日々職務を全うしているので、勇者でも襲ってこない限り中々戦う機会が無くて身体が鈍って仕方がない。だからこそ、こうして暴れたいという私情もある。
私情を抜きにしたって、自警団の連中やそれ以外にヨルムやエインなどの実力者が戦い合えば盛り上がり、村中活気が付いて良い事尽くめだ。是非ともこのイベントは開きたい。
「だろ? だから帰ってから早速その準備を始めようかと……」
「あ、タイトさんだー」
「何!?」
そのための準備をしようとわくわくしながら歩いていたら、突然タイトの奴がいると部下のファミリアが口にした。
まさかと思い横を見ると、そこにはたしかに一人で歩いているタイトの姿があった。
「ん? よおティマ」
「おう。どうしたんだこんなところで?」
「仕事終わりに例のコロシアムの外観だけでも見に行こうと思ってな」
「成る程な。ちなみにオレ達はそのコロシアムからの帰りだ」
「そうか。どうだった?」
「広かったですよー!」
どうやら仕事終わりにそのままコロシアムを見に行こうとしていたらしい。やはりタイトとしても気にはなっているようだ。
「まあ、来月辺りにオープニングセレモニーとして格闘大会でも行おうと思ってるんだ。お前も是非参加してくれよな!」
「来月……か」
「ん? どうかしたのか?」
ついでなので今考えている格闘大会に参加してくれと言ったのだが……こういうのが好きそうだから良い反応が返ってくるだろうと思っていたのとは裏腹に、なんだか煮え切らない返事をされてしまった。
予想外だったためどうかしたのかと聞いてみたら、さらに予想外な返事が返ってきた。
「いや、俺は来月もこの時代に居なければならないのかなとな……」
「あん? そりゃあ……時間を移動する方法なんざさっぱりだし、過去に返そうと思ってもできねえよ。そもそも過去に戻ったお前達に会ってないんだし、正直に言ってしまえば戻れないという結論が出かかってるからな」
「そうか……」
どうやら来月という部分が引っかかったらしい。それまでこの時代に居なければならないのかと、不満そうに言ってきた。
少し忘れかけていたが、たしかにタイトとホーラは過去からこの時代にタイムトラベルしてきた人間だ。できるできないは置いといて、過去に戻りたいと思っていても仕方ないのかもしれない。
とはいえ、ここ数ヶ月はそんな事を一言も言わなかったのでとっくの昔に過去に帰る事は諦めていると思っていた。こちらとしても全く調査に進展がなかったし、何より普段から同じ空間にいるホーラのほうが帰る気はないと言っていたのでもう打ち切る気だったところにそう言われても困るだけだ。
それに……
「というか、お前まだ過去に帰りたいと思ってたのかよ」
「……何?」
「だってさ、お前自身はともかく、ホーラはこの時代でヴェンという旦那を手に入れたんだぞ。過去に戻るって事は二人の仲を引き離す事になるんだぞ。それでもいいのかよ?」
タイトのほうはともかく、ホーラを過去に返すのは流石にやめたほうが良いと誰しもが思う。
ホーラはこの時代の人間であるヴェンと幸せを掴んだ。過去に帰ると言うのは、二人の仲を永遠に引き裂くという事になる。許される事ではない。
もしもヴェンも一緒に過去に行く事ができたとしても、今やホーラは立派なリッチだ。過去に戻った瞬間旧魔王の影響で凶悪化し、どちらにせよ二人の仲は永遠に引き裂かれてしまう運命だ。同じ魔物として、やはり過去に戻すのは反対だ。
「それは俺も考えた。だからホーラはこの時代に残して俺一人だけ過去に帰るつもりだ」
「はあ? お前頭大丈夫か?」
「……さっきから何なんだお前は……人が生きていた時代に帰りたいと言っているのにそれを逐一否定しやがって……」
「いや、そりゃ否定もするだろ。お前一人過去に戻ってどうするつもりだよ。オレとウェーラに殺されるのが関の山だって」
いや、ホーラだけではない。タイト一人が戻るのだって反対だ。
こいつ自身確かに強いが、それでも上級の魔物とも渡り合えたのはホーラのサポートがあってこそだ。一人で戻ったところで旧時代の魔物、それこそオレ自身に殺される可能性が高い。
折角仲良くやれているのに、何故また殺伐とした時代に見送らなければならないのか。そ否定するに決まっている。
「それでも俺は帰りたい」
「はああ? なんでわざわざあんな時代に帰りたいんだよ?」
それでもタイトは頑なに帰りたいと言っている。
まあ、思い当たる節がまったく無いというわけではないが……タイトの過去に帰りたい宣言にちょっとイライラしながらもその理由を聞いてみた。
「そもそも、過去に帰ったら死ぬだけだと言うのはお前の想像でしかない。だが、未来に来たせいでホーラは死んだのは事実だ。未来に来て俺は後悔している。だから帰りたい」
「……」
「それにだ、あんな時代でも、あの時代が俺の生きる時代だ。こんな魔物が恋だの性交だの話すような時代ではない」
「いいじゃねえか別に。それの何がいけないんだよ」
「良くない! なんというか、物足りないんだよ。お前とは互いに殺し合っていたいって、どんだけ一緒に飯を食ってもそう思ってしまうんだ」
「何だと……!?」
過去の事が忘れられず今という時代に不満を持っていたところで、この時代に来たことによってホーラという大切な家族が死に人間を止めた事によってそれが膨れ上がったみたいだ。
大体想像通りである。
「テメェ……そんなにオレと仲良くするのが嫌だっていうのか!?」
「……ああ。お前と俺は宿敵関係だ。仲良く飯を食うのはおかしいと思わないのか?」
「おかしいのはお前だ! ふざけんな!!」
想像通りだったからこそ、余計に腹が立つ。
こっちは時代が変わりようやく仲良くなれると思っているのに、それを真っ向から否定されて頭に血が上る。思わず胸ぐらを掴み、強く睨み付けながら怒りの声をぶちまける。
「ふざけてはいない。まあなんだ。お前が過去に帰る手段を探してくれる気が無いのはわかった」
「ああ。それがどうした?」
「なら俺はこの村を出てその方法を探しに行く。今まで世話になったな」
「……な、何を言ってるんだ?」
そしたら冷静に掴んでいた腕を叩かれ、挙句過去に帰る方法を探す為に村を出て旅に出る宣言をされた。
話が跳躍し過ぎて理解ができなかったオレは思わず止まってしまった。
「テメェ、いきなりわけのわからない事言うんじゃねえよ!」
「そうか?」
「そりゃあそうだ! お前今までそんな事まったく……」
「ああそうさ! 今まではこの現状を受け入れようと努力してきたさ! でもな……もう限界なんだ!」
「な……」
そして、突然の絶叫。
「お前は順当に時間を過ごして来たからそう言えるのかもしれんが、俺からしたら突然何もかもが変わってしまったんだぞ!? 受け入れろっていう方が無理だ!」
「……」
今まで溜まっていたものを噴きだすように、オレに向かって怒号をぶつけ続ける。
「だからこそ俺は元の時代に帰る!」
「……」
「お前達が方法を探す気が無いっていうなら、自分で探すだけだ。だから俺はこの村を出る。今まで世話になったな」
「……そうかい……」
ある程度吐き出したからか最後は落ち着き、冷静に村を出ていく宣言をしたタイト。
それを聞いたオレは……
「んなもんオレが許可するとでも?」
自分でもよくわからないぐらい不機嫌になっていた。
「んな……何故お前の許可が必要なんだ?」
「自警団の人間はその職業上簡単には村から越す事ができねえんだよ。色々な手続きがいるし、最後にはオレの許可も必要だ」
「はあ? そんな事一度も聞いてないぞ!」
「そうだっけか? まあともかく、お前をそう手放す気はない」
今言った通り、この村では自警団の関係者は面倒な手続きをしなければ村から出ていく事はできない。村の機密事項や防衛装置を知らせてあるので、それが外に漏れないようにするためである。
とはいえ、ばれたところで不利益になるようなものはほとんどないし、本来なら拘束する必要も感じないので、今までは誰一人許可しなかった事は無かった。
だが……今オレは何故かこいつが村を出ていく事が気に喰わなかった。
なんだか自分の下から離れるのが嫌と感じ、村の外に出す気はないと言い張っていた。
「知るか。俺は勝手に出ていく!」
「だから許さんと言ってるだろうが! どうしてもと言うなら、部下総出でお前を止めに行くぞ!」
「やれるものならやってみろ!」
「ああやってやらあ!」
「えっちょティマ様ー!?」
それでも頑固として村を出ると言い張るタイト。オレもムキになってそれを止めようと突っかかってしまう。
今にでも殴り掛かりそうな雰囲気で互いの胸ぐらを掴み合い、互いに怒号を浴びせる。
「お二人ともストーップ!」
「何だお前は!」
「うるさいぞ、少し黙ってろ!!」
「ひうっ!」
喧嘩を止めようとしたファミリアを一喝し黙らせ、それこそ殴り合いを始めようとしたのだが……
「だからストップしてくださーい!」
「だから何だ!」
それでも、必死に止めようとするファミリア。
その口から、とある一言が発せられた。
「お、お二人とも、戦うのでしたらこ、コロシアムで戦ってはどうですかー!」
「あん?」
それは、コロシアムで戦ってみてはという事だった。
「折角のコロシアムですし、1か月後に完成したコロシアムで戦ってみたらいいんじゃないでしょーか。それで、勝った方の意見を通すとか……だ、駄目ですかー?」
「……成る程」
確かに、村のどこかでやり合うよりは被害的な面を考えてもよっぽど良いだろう。
それに、勝った方の意見を通すってなれば、タイトの性格的に文句はないはずだ。
「オレはそれでいい。村のイベントとしても盛り上がるだろうし、どうせ勝つからそのほうが早いしな」
「……言い分や見世物にしようという企みは気に喰わんが良いだろう。過去に戻るなら、今のお前と決着を着けてからのほうが自信も湧く」
やはりその意見を受け入れたタイト。
これで決定だ。
「よし、それじゃあ決定だ。今日から1か月後、コロシアムでオレとお前の真剣勝負だ。詳しいルールは後に伝えるが、兎に角負けたほうが勝った方の言う事を受け入れるって事で良いな。まあ、お前が負けるのは目に見えているから嫌だっていうなら断っても良いがな」
「いいだろう。その余裕、崩してやるよ」
互いの顔を見ず、背を向け合いながら決闘の約束をし、それぞれ怒りを胸に歩き始めたのだった。
胸が痛むのを気のせいだと言い聞かせながら、オレはタイトを倒す覚悟を決めてゆっくりと歩き続けたのであった。
15/11/09 23:51更新 / マイクロミー
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