世捨ての里の白澤
人里から遠く離れた山奥の森の中で、人目を避けながら質素に暮らす一人の男が居た。
小さな庵に居を構え、獣の鳴き声や鳥のさえずりに耳を傾けながら畑の手入れをして暮らす。静かで起伏のない、退屈な生活。けれどそんな生活こそが、彼が望んでいたものだった。
彼は今日も畑に出る。唯一の仕事であるとともに癒しでもある、野菜の世話をするために。
気持ちの良い晴天の下、ひたすら手を動かす。そして彼がようやく無心になり始めた、そんな時だった。
「おーいリエン。どこにいるのじゃ、遊びに来てやったのじゃ」
静寂を破って、元気いっぱいの甲高い声が山中に響いた。
男は溜息を吐きながら草を取る手を止める。
特に誰かを招いた覚えはなかった。招く招かないに関わらず、こんな険しい山の中を訪れる人間など居はしない。そう、人間は。
必然的に相手に見当はついたものの、それでも彼は一応顔を上げる。
住処にしている庵の入り口に予想通りの人影が立っていた。
雪のように白く長い髪。側頭部から伸びる水牛のように立派な角。獣毛に覆われた蹄状になった二本の脚。腰元から生えるふわふわの毛に包まれた尻尾。
道士服を身につけてはいたが、どう見ても人間では無かった。彼女は妖怪。白澤と呼ばれる、牛のような特徴を持った種族なのだ。
立ち上がると、彼女は目ざとく彼を見つけて声を上げた。
「おぉリエン。そんなところにおったのか」
破顔一笑し、リエンに向かって一直線に駆けて来る。
妖怪は人間とは比べ物にならないくらいに力が強く、人間にはない神通力を持つ。そして時に人間を襲う者もいたが、しかし彼女は人に危害を加えるような恐ろしい妖怪ではなかった。
人懐っこい笑顔を浮かべた彼女は、その勢いのまま彼に抱きついてきた。頭の位置はまだ彼の腰のあたりくらいまでしかない。彼女は人間でもなかったが、まだ大人でもなかった。
「さぁ、早く遊ぶのじゃ」
目を輝かせる妖怪の子供の姿に、リエンは漏れそうになる溜息を何とか飲み込んだ。
「まだ仕事中なんだ。これが終わったらな」
「む。そうじゃったのか。それならそうと早く言うがよいぞ。万物に通じる膨大な知識を持つわしが手伝ってやろう」
「雑草取りだが」
「ならばわしが効率的かつ効果的な草取りの方法を教えてやろう。見ているがいいのじゃ」
言うが早いか、彼女はすぐさま膝をついて野菜の根本の雑草を抜きにかかる。服の裾や長い髪が地面についてしまうのにも気にする様子もなかった。
リエンは苦笑いしながら彼女の髪をまとめてやり、裾を縛ってやる。
「む。ありがとうなのじゃ!」
その一生懸命な姿、屈託のない笑顔を向けられては、リエンももう彼女をむげにすることは出来なかった。
畑仕事の後、狭い庵の中で二人は象棋の碁盤を挟んで向かい合っていた。
長考の末、よろずの知恵の持ち主を自称する妖の少女はようやく駒の一つを動かした。
「これでどうじゃ」
リエンは碁盤を一瞥するなり無造作に駒を動かす。
その途端、少女は低く呻いて何度目かの長考に入った。
「うむむ。これをこうすれば……。いやしかしそうすると」
リエンは笑い、それから片手に持っていた書物へと目を落とした。
書かれているのは人間が虎に変わってしまうという物語だ。そのせいだろうか、リエンはふと、無意識のうちに過去の記憶を掘り起こしてしまった。
あまり思い出したくない、己の過去を。
リエンが地位も権力もかなぐり捨てて人目を避けるように山奥に一人で暮らすことに決めたのは、ひとえに人間社会に嫌気が差したからだった。
生まれ育った農村はあまり豊かな土地柄ではなかった。村民は皆飢えていて、租税の払いに追われていた。
しかし、だからと言って村民同士の結束が強いわけでもなかった。病人が出れば裏で悪事を働いたからだと陰口を叩き、たまたま農作物の出来の良い家があればそれを妬んだ。
誰もが体制に不満を持っていながらも、村人達は決して一つにはなれなかった。一丸となっての交渉や反乱など、あり得るはずもなかった。
リエンは生まれた村に嫌気がさしていたものの、それでも家族がいる以上は耐えるしか無かった。己はろくでもないと思っていたが、己を育てた両親は故郷を愛していた。
しかし我慢が続いたのも、その両親が存命の間だけだった。
それは寒さの厳しい冬のことだった。元々身体の弱かった母が病魔に伏してしまったのだ。
彼も、彼の父も必死で看病した。少しでも精がつくようにと食事も母親を優先したが、それでも備蓄が底をついてしまった。
食料を譲ってくれないかと、村中に頭を下げて回った。必死だった。
しかし、彼らに救いの手は伸べられなかった。
寒さは強まり、看病の甲斐もなくリエンの母親は命を落とした。
そして彼の父親も、看病の疲れが祟ったのか、同じ病気にかかり後を追うように逝ってしまった。
彼はあっという間に両親を失った。それとともに、元々薄かった故郷への執着も無くなってしまった。
村に留まっている理由は、もうどこを探しても見つからなかった。故郷を捨てる覚悟を決めた彼は、どうせならと都に移って科挙と呼ばれる官僚登用試験を受けてみることにした。
この陰気な村から離れたいということもあったが、村を統率している役人がもう少しまともだったのならば両親も死ななくて済んだのかもしれない。そんな想いもあっての決断だった。
わずかに残された財産を処分し、都で一年間必死で勉強した。
そして翌年、リエンは見事に試験に合格し国を動かす政の世界に足を踏み入れた。
しかし、官僚達の世界もまた彼の想いを満たしてはくれなかった。
自らの立身出世のため、所属する派閥の拡大のため、役人達は互いに些細な過ちを見つけ合ってはそれを大事のことのようにあげつらい糾弾しあっていた。何かあれば足を引っ張り合い、袖の下を通さなければ意見も通らなかった。根も葉もない噂に情勢は左右され、決めるべきことは決まらずに大勢に関わらない罵り合いばかりが繰り返された。
彼は優秀だったが、権謀術数には長けていなかった。常に権力闘争に明け暮れる官僚達に比べ、彼は政の世界で生きてゆくには純朴で純粋すぎた。
それでも、極少数ではあったが官僚達の世界にも誇り高い志を持った者が居ないわけではなかった。
理想を語り合える友が居た。
だからこそ、疑心暗鬼の世界でも耐えることが出来ていた。
しかし、それもさほど長くは続かなかった。
彼の仕事が評価され、出世の話が出た途端の事だった。間をおかずに彼に汚職の噂が立った。
いつかはこんな事が起こると覚悟していた。だが、我が身に後ろめたい事などない。自分を信用してくれている仲間も確かにいるのだ。堂々としていれば、いずれ皆噂など忘れてしまうだろう。
そう思って耐えようとしていた。存在しないはずの汚職の証拠がでっち上げられるまでは。
証拠を掴んだと声高に叫んだのは、志を共にしていたと思っていた同期だった。同期は、彼とは別の派閥に所属していた。そしてその派閥内での発言力を得るために、彼をだしに使ったのだった。
確かに、どんな高尚な志も力が無くては、行動無くしては達成することは出来ない。
しかし己の理想の実現の為と言えど、事実を捻じ曲げ、人を蹴落とし、なりふり構わず権力を求めるその姿は、その理想は、リエンの目にはもう変化し歪んでしまっているようにしか見えなかった。
それがきっかけだった。リエンは、この国の全てに嫌気が差してしまった。
証拠は不十分であり、申し開きはしようと思えばいくらでも出来た。しかし既に彼はその気を失っていた。都に留まる気さえ、その時には無くしていた。
荷物をまとめ、リエンは自ら辞職の願いを出した。
もう誰とも関わりたく無かった。信頼出来るつてを頼りに独りで静かに生活出来る場所を探し、人里離れた山奥の庵を買った。
準備が整うなり、リエンは誰にも何も告げずに都を離れた。
わずかな荷物を持って、旅すること数日。リエンはようやく目的の場所へと辿り着いた。
もう誰とも関わらず何処にも行かずにここで独りで生きるつもりだった。終の住処を決めるにしてはいささか若すぎたが、リエンの決意は固かった。のだが……。
「ふっふっふ。若者よ、よくここまで辿り着いた。さぁ何でも望みを言うがいい。この世のあらゆる知に通じ、知らぬ事の無い妖怪の賢者、白澤のパイが、どんな知識でも授けてやろう。……そのために来たのであろう?」
老婆のような口調でしゃべる、小さな子供の妖怪に出会ったのは、まさにリエンが庵に辿り着いたその日の事だった。
ここは確かに人里からは遠く離れた庵ではあった。しかしその代わりに、妖怪達の隠れ里からはそれほど離れてはいなかったようだった。
誤算といえば誤算だったが、そんな事が誰に分かっただろうか。
運命は己に平穏な生活を許してくれないらしい。薄い胸を張る小さな妖怪を前に、リエンはがっくりとうなだれたのだった。
首を傾げ、顎に手を当てるパイの姿を眺めながら、しかし、とリエンは考える。
妖怪は人間に比べて実に素直で分かりやすい生き物だ。己の欲望に忠実な者が多いが、誰かの為と嘯きながら他人を騙し手段とする人間に比べれば、その目的も生きざまも実に単純で清々しい。
それが子供であればなおさらだ。
少々予定は狂ったものの、人間から離れて暮らすという目的は達成できている。これはこれで、まぁ悪く無いだろう。
「こ、これでどうじゃ」
「それならこれで王手だ」
パイは驚いたように目を丸くしながら、碁盤とリエンを交互に見る。
「な。そ、そんなはずは。ま、待ったじゃ。その一手待った」
「ほう、それでいいのかな? 今回も待ったで」
「ぐ、ぐぬぬ。なぜじゃ。太古からの膨大な知識を受け継ぎ続けるこの白澤のわしが、なぜまだ五十年も生きていない人間のこわっぱに勝てぬのじゃ」
白澤は人間にはない神通力を持っている。それは触れたものの知識を得ることと、触れたものに知識を分け与える力。その力によって、彼女達は祖先から続く知識を伝え受け継いでいた。パイも見た目こそ子供ではあるが、彼女の持つ知識の深淵はリエンでも測れない程ではあった。
「そこは大人と子供だからな、経験の差ってやつだ。知識はあるようだが、その使い方がまだ上手くないんだろう」
リエンはもともと、そこまで象棋が得意という程ではなかった。相手の裏をかく事は苦手だった。しかし、こいつはそんな自分以上に素直な生き物なのだ。そう思うと、好感が持てた。
「いずれは俺など、どう足掻いても勝てぬほどに強くなるさ。
……まぁそれはともかくとして。どうする? 待ってやろうか?」
パイはむぅっと頬を膨らませる。
そして、次に彼女が取った行動はリエンの想定を遥かに超えたものだった。
何と碁盤をひっくり返して、あろうことかリエンに向かって体当りするかのような勢いで飛びかかってきたのだ。
「お、おい?」
妖怪と人間ではあったが、そこは子供と大人。リエンは難なく飛び込んできた小さな身体を受け止める。
が、パイが己の背中に両腕両脚を回して固定するように抱きついてきたのは予想外だった。
子供特有の少し高めの体温が、少女が放つ柑橘のような甘酸っぱい香りが、リエンの身体を包み込む。
「あ、足が滑ってしまったのじゃ。碁盤の駒がどうなっていたのかも覚えておらんし。これではもう勝負も何もあったものではないのう」
「あ、お前。ずるいぞ。いいのか? 妖怪随一の知恵者を自称するお前がそんな事をして。忘れたなんて言って」
「忘れたと言ったら忘れたのじゃ」
「悪いが、俺は覚えているぞ。今碁盤に再現を……。おい、離せって」
リエンは立ち上がろうとするが、パイがしっかりと身体に抱きついて離れない。それでも何度か立ち上がろうとしたが、途中で疲れてしまったので諦めることにした。
「全く、子供には敵わんな」
「む。わしを子供扱いするでない。わしはもう大人じゃ」
その言動と行動のあまりの食い違いに、リエンは思わず笑ってしまった。大人がこんなことをすれば腹が立つが、子供がする分には至極自然な可愛いものだった。
「はいはい。そうだな」
リエンが頭をなでてやると、ちょっとむっとしたような鼻息が耳に当たった。
「ではその身体に教えてやろう。碁盤の配置も忘れるくらいに、わしが大人だという証をな」
ただ締め付けていただけの腕と脚から力が抜ける。
その手がリエンの服の中に忍び込み、背中をまさぐる。その足が腰に絡みつき、下半身を密着させる。
心臓の鼓動が重なり合う。
ゆっくり静かに打つリエンの鼓動に対し、パイの心臓は早鐘のように強く激しく乱れていた。
微笑むような吐息がリエンの耳をくすぐる。
「ふふ、どうじゃ?」
「どうじゃ。と言われてもなぁ」
リエンは戸惑いながらも、パイの背中を、その髪と角を撫でる。
「まぁ、お前の事は色々な意味で可愛いとは思うがな」
パイの尻尾がリエンの股間を撫でる。くすぐるように愛撫を繰り返すが。
「な、なぜ勃起せんのじゃ。な、ならばこれでどうじゃ」
少女の唇が男の首筋に押し付けられ、濡れた舌が耳元に向かって舐め上げてゆく。だが、男の身体に変化は無かった。
男は少女の背を抱きしめ、ぽんぽんと叩く。
「あんまり無理するな。最初から震えているじゃないか」
「ち、ちが、これは武者震いなのじゃ、じゃから……」
そして今度こそ、パイの四肢から力が抜けてしまう。
「リエンは、わしには魅力は感じんか?」
「可愛いって言っただろう。しかし子供はそういう対象としては見れん。悪いな」
「……妖怪であるところは、否定はせんのじゃな」
「人間は嫌いだがな。妖怪はそうでもない」
「難儀な人間じゃな」
「ほっとけ。それより、そろそろ離れてくれないか」
「……嫌じゃ。もうちょっとこのままでいるのじゃ」
リエンはため息を吐く。今なら力づくで離せない事も無かったが、もう好きにさせてやることにした。
抱きつかれるまましばらくの後、聞こえてきたのは規則正しい吐息だった。
さてどうするか。来客などあるはずが無いが、いつまでもこのままでいるわけにもいかない。とはいえ気持ちよさそうに眠る子供を起こすのも気が引ける。
リエンが途方に暮れかけたそんな時だった。
「リエンさーん。遊びに来たよー」
表の方から女の子の声が聞こえてきた。
まさかこんな山奥で日に二度も来客があるとは思いもしなかったが、相手がパイと同じ妖怪であるとするならばありえない話でもなかった。
「リエンさーん?」
パイの耳がピクリと動く。
と思うや否や、気付かぬ間にパイの身体は既にリエンの元を離れていた。
「む、あの声は」
「火鼠の子か、熊猫娘か、そんなところか」
止める間もなくパイは走り出していた。
リエンはやれやれと頭を振って、その後を追いかける。
表に出れば、やはり予想通りに妖怪の子供達だった。獣のような手足を持つ娘、鳥のような翼がある娘、昆虫のような足や翅を持つ娘。その数はリエンが予想していたよりも多かった。
「ここは託児所じゃないんだが……」
「あ、パイずるい。一緒に行こうって約束してたのに」
「べ、別にずるをしたわけではないのじゃ。時間を間違えていただけなのじゃ」
パイはリエンの方を振り返り、その顔色を伺う。しかしリエンは、あえて気付かないふりを通した。
「とにかく一緒に遊ぼうよー。リエンさんも早くー」
リエンは妖怪たちに手を引かれ、有無を言わさずその輪の中に引っ張り込まれる。
その表情は少し疲れが滲んではいたものの、曇りや影のないすっきりとしたものであった。
庵でのリエンの新たなる生活は、朝から晩まで、一年通して、終始そんな調子だった。
朝餉を済ませて畑の世話をしていると大体パイをはじめとする妖怪達が昼飯を持って遊びに来て、一緒に昼餉をして午後は遊びに付き合わされる。夕方になりくたくたに疲れる頃にようやく帰ってゆく妖怪達を見送り一日が終わる。
その慌ただしさは農業に追われていた故郷の村での生活や次々と送られてくる書類や事案の処理に追われていた都での生活に勝るとも劣らない程だった。
だが、気付けばリエンは不思議とそんな生活が嫌いでは無くなっていた。それどころか、一日の終りに床につくときに充実感さえ覚えるようになっていた。
春になれば花を見るために野山を引きずり回された。
夏になれば川へ連れ出されて全身ずぶ濡れになるまで水遊びに付き合わされた。
秋になれば紅葉や実りを一緒に採取して回った。
冬になれば温め合いながら共に雪や星を見た。
毎日毎日、パイに象棋をせがまれ、事あるごとに抱きつかれ。妖怪達に引っ張り回され、追い回される生活。
気が付けば一年が過ぎ。二年が経ち。三年が去った。それから先は、リエンも数えるのをやめていた。
花開く梅の香りで、幾度目かの春がきたことを悟る。
裏庭の開けた場所ではあいも変わらず遊びに来た妖怪達が、今日は組手に興じていた。人虎の妖怪と、火鼠の妖怪。息のあった攻めと受けの様子は、さながら見事な演舞だ。
猿や熊猫の妖怪もいるが、彼女らは遊びよりも花見、花見よりも団子の方がお好みらしい。
何度繰り返しても変わらない光景だ。花も、遊びに来る妖怪達も。
ただし、変わってしまったこともある。
自分は明らかに歳をとり、衰えている。皺は増え、体力も明らかに落ちている。
対照的に妖怪の子供達は、皆うら若き乙女へと成長した。鼻水や泥で汚れていた顔には白粉や紅が引かれるようになり、顔つきも美しく、女としての色香さえ感じさせる程になった。
小さく直線的だった体つきも、手足がすらりと伸びて、乳房や腰元が膨らんで色気のある曲線を描くようになった。
変わらないようでいて、しかし時間は確実に流れていた。
いつまでもこうしていられるわけではない。
リエンは縁側で梅の花を見上げながら、そんな事を考えて苦笑いをしてしまった。
まさか、自分がこんな時間がずっと続けばいい、などと思うとは。
「どうしたのじゃ」
「ん。いや、何でもない」
「そうか。それなら、まあよい」
リエンは茶を一口すすり。己の隣で梅を見上げる妖怪をちらりと見る。
「なんじゃ? わしの顔に何かついておるか」
「いや、何でもない」
「おかしな奴じゃな」
思い返せば、ここに移り住んでから丸一日一人で過ごしたことなどほとんど無かった。気が付けば、いつでもパイがそばに居た。
最初こそ煩わしかったが、今では隣に居るのが当たり前になってしまっている。それこそ、隣にいるのに気がつかないくらいに、だ。
パイは相変わらず畑仕事を手伝い、象棋の勝負を挑んでくる。
しかし今では畑仕事をしても泥んこになることも減り、時には勝負でリエンを負かすようにもなった。そして何より、他のどの妖怪よりも美しく、妖艶に成長した。
顔つきからは幼さが一切消え、切れ長の目には優しさと、隠しようもない深い知性が伺える。物腰も大人びて、知識が有ることを誇るだけでなく、周りがよく見えるようになった。
いつの頃からか抱きつかれることも無くなった。少し寂しいことではあったが、年頃になればそういうものだろう。
「……なぁ、リエンよ」
「ん?」
「良ければあの娘達を娶ってやってくれんか?」
リエンは、しばらく何も言わなかった。
聞こえなかったわけではない。だが、すぐに言葉を返せる話でもなかった。
風が梅の花の香りを運んでくる。うら若き乙女達の甘い匂いの混じる、春の香りを。人間とよく似ているようで、まったく異なる妖怪の匂いを。
リエンは一呼吸すると、茶をすすり、そして短く問い返した。
「なぜ」
「それがの。大昔は雄の妖怪もおったのじゃが、今は妖怪は皆雌しかおらんのじゃ。遥か西方で魔の者の王が色欲を司る女怪に変わった影響での。じゃから、子を産むためには人間の男とつがいになる必要があるのじゃ」
「そのようだな」
「村の男の数も限られておっての。流石に全員とは言わぬ。誰か一人だけでも」
リエンは大きく息を吐き、首を振る。
「俺は歳を取り過ぎた。もう初老だ。探すのならばもっと若い男がいいだろう」
「あ、案ずるでない。わしらの里には若返りの薬や、精のつく食べ物もたくさんある」
リエンは何も言わず、パイの顔をじっと眺めた。そんな彼の様子を見て、パイは慌てたように耳を動かし、尻尾を振る。
「べ、別に子を産むためだけに頼んでおるわけでは無いぞ。皆お前のことを慕って、好いておるのじゃ。じゃから。じゃからな……」
「パイ。他人の心配より自分の心配をしたらどうなんだ。お前には嫁の貰い手はいるのか」
「わ、わしは最後でいいのじゃ。周りの皆が身を固め、おぬしの老後の心配が無くなってからでよい。わしの知識を持ってすれば、夫なぞいつでも見つけられる」
リエンは目を細め、言いようのない複雑な苦笑いを浮かべる。
「そうだな。お前は魅力的だ」
「冗談はよい。どうなのじゃ。誰か一人でも娶ってくれるのか?」
「答えが知りたいのなら、俺に触れて情報を読み取ってみたらどうだ」
途端に耳や尻尾の動きが止まった。
「それは出来ん」
「出来ないことは無いだろう」
「嫌じゃ。しとうない」
「どうして」
パイは視線を泳がせる。答えようと口を開き、けれど言葉は出ず、池の鯉のように口の開閉を繰り返すばかりだった。
遠くから小さく歓声が上がった。
どうやら、組手に決着がついたようだ。
その喧騒に紛れるように、パイはぽつりとつぶやいた。
「……怖いのじゃ。おぬしの本当の気持ちが分かってしまう事が」
リエンは目をつむり、一度大きく深呼吸をした。
そして目を開くと、空を見上げた。
日はまだ暮れるという程ではないが、傾きかけては来ていた。
立ち上がり、妖怪達に声をかける。
「おーいお前達。今日はもう帰れ」
「まだ早いじゃないか。もう少しいいだろう?」
「それにまだ戦い足りないよぉ」
「お団子も残ってるしー」
「どうせだからさぁ、今晩泊めてよぉ」
「いいから帰れ。その代わり、明日は一緒に花見をしよう」
不満気だった妖怪達の顔つきが一変して喜色に染まる。
「そ、そうか。それなら仕方ない」
「まぁ勝負はまた今度でもいいし」
「お花見といえばご馳走だよね」
「まぁまた人気のないところでお花見できるなら」
ぶつぶつと言いながらも、妖怪達は素直に村へ帰る準備を始めた。
パイは複雑そうな表情でリエンを見上げ、妖怪達を見て、最後にため息を吐いた。
「……それじゃあ、わしも」
立ち上がりかけたパイの腕を、リエンは掴んで止める。
不思議そうに振り返る妖怪達に、リエンはきっぱりと言い切った。
「パイは遅れて帰る。俺と一緒に明日の計画やら、料理の下ごしらえを手伝ってもらう」
妖怪達はそれを聞いて納得したようだった。一人、パイを除いて。
パイは何か言いたげな表情ではあったが、結局何も言わず、リエンとともに妖怪達の帰宅を見守った。
妖怪達が帰ったあとも、リエンは縁側から動こうとはしなかった。
パイも変わらずその隣に腰掛けながらも、困惑を隠せない様子だった。
「ええと。明日の計画と料理の下ごしらえは?」
「あれは方便だ。いや、後でするが、まだしない」
「そ、そうなのか」
リエンは湯のみを傾けるが、既に中身は無くなっていた。空になった湯のみを置くと、すかさずパイが茶を淹れた。
リエンは茶をすすり、一言「うまいな」と言った。
「なぁパイ。なぜ俺の気持ちを知るのを恐れる? それなのに、なぜ毎日こうしてここに来る?」
「それは……。自分でも、よく分からんのじゃ。全てを知っているはずのわしなのに、自分の事だと言うに」
「俺もだ」
驚いたような、困ったような顔になるパイに、リエンは苦笑いで返した。
「野山が移り変わる様子を見ているとな、無性に生まれ故郷を思い出すことがあるんだ。子供の頃は良かったと思うこともある。けれど今帰ったところで、きっと俺の居場所はどこにもないだろうし、ろくでなしの農民達にうんざりするだけだろう。
書物を読んだり象棋をしていたりしても同じだ。都での暮らしを思い出す。便利で、何でも手に入る。だが人間達は欲深くすぐに裏切るくそったればかりだった。あの便利さは少しうらやましくもなるが、あんな人間ばかりの場所にはもう帰りたくはない。
もう何もしたくなくて、誰とも関わりたくなくてここに来たはずなのに。気付けば山の中を駆けまわり勝負や知恵比べに明け暮れ、たくさんの妖怪達と毎日くだらない話をして共に飯を食う生活を送っていた。
そしてそれがいつの間にか心地よかった。
お前が素直に畑を手伝ってくれたり、何度負けても勝負を挑んでくる姿が嬉しくて、眩しかった」
「……わしは、鬱陶しがられていると思っておった。ずるして先に遊びに来たり、勝負の負けを誤魔化したり。おぬしは孤独を好み、不正を嫌っていると思っておったから」
「遊びの範疇さ。それに子供のやることだろう」
「む。わしは真剣だったのじゃぞ」
「俺だって勝負に手を抜いたことはない」
二人は睨み合い、それからすぐに吹き出しあった。
「たいそうな事を言ったけどな、結局俺は、傷つけるのも傷つけられるのも嫌なだけの、臆病な人間なんだ。大した人間じゃあない。そんな俺なんかでいいのなら、いいだろう、何人だって嫁にしてやる」
「ほ、本当か!?」
「あぁ、俺は人間は嫌いだが、妖怪は好きだ」
「ありがとうリエン。皆喜ぶ」
しかしリエンは、心底気の毒そうだといった顔をパイに向けて息を吐いた。
一方パイはと言えば、状況が飲み込めないといった様子で首をかしげる。
「どうしたのじゃ」
「いやな。これで嫁の貰い手が居ないのはお前だけかと思うと、ちょっと可哀想になってな」
パイは表情を強張らせて動きを止める。
「だってそうだろう。お前のさっきの話ではあの娘達を娶ってやってくれというだけで、お前は計算に入っていなかったではないか」
「そう、じゃな。わしだけ、あまってしまったのう。はは、は」
パイはしゅんと耳と尻尾を垂れてしまう。
「まぁだが、あいつらの嫁ぎ先が決まったのならお前も安心して夫を探せるわけだ。それだけの美貌と知識があれば、旦那の一人くらいはすぐに見つけられるんだろう?」
「あ、当たり前じゃ」
威勢がいいのは言葉ばかりだった。
「しかし困ったな。俺は複数の嫁をもらった時にどう振る舞ったらよいのかの知識がない。妖怪達を喜ばせる技も知らん。どこかに知識豊富な者が居てくれたらよいのだがなぁ」
ピクリ、とパイの耳が動く。
「……知識豊富な者?」
「妖怪同士の相性も分からなければ、妖怪達の好物や嫌いなものもそこまで詳しくはない。病気の事も分からん。出来れば万物の知識に通じている者の助けが欲しいなぁ」
「そ、そうじゃな。妖怪達も一筋縄ではゆかぬ。種族ごとに習性もあるしのう。それに食べて良い物悪い物もある。妖怪だけの病気もあるじゃろう」
心なしか、パイの言葉に勢いが戻り始めている。
「とはいえ俺は人間が嫌いだから、出来れば妖怪がいい。しかし妖怪といえば雌だけか。では、まず最初にその妖怪に求婚しなければなぁ。
理知的で、知識豊富な妖怪。確か白澤という種族がそんな妖怪だと聞いているが、そういえばパイ。お前の種族は何だったか」
「白澤じゃ!」
「おお。それならば是非ともお前を嫁に貰いたい。誰よりも先に」
パイは目を丸くし、頬を染める。
「お前もよく知っていると思うが、俺は逃げ出してばかりのろくでなしのくそったれだ。そのくせ、何人もの嫁をはべらすなどと口走っている馬鹿な男だ。それでも良かったら、これからも俺のそばに居てくれないか。人生の伴侶として」
「あ……」
パイの両目が大きく見開かれる。
その瞳から、ぽろぽろと雫がこぼれ落ちる。
「泣くほど嬉しかったか?」
からかうつもりだったが、パイに真面目な顔をしたまま頷かれてしまい、リエンは少しうろたえる。
助けを求めようにもそばには誰もおらず、役に立つ物が無いかと周囲を見回すが何も無い。しょうがないので、黙ってパイの頭を撫でた。
「くっく。全く、こういうことに対しては融通が効かないのじゃな。我が旦那様は」
「あ、お前」
「言った通りじゃったろ。わしくらいになれば、旦那の一人くらいすぐに見つけられると」
泣き笑いで、パイは白い歯を見せた。
「あぁ、お前は凄いよ。お前ほど魅力的なやつを、俺は見たことがない」
「感謝するんじゃぞ。このわしが一生、おぬしの生涯の伴侶として、影に日向にそばを離れず支え続けてやるんじゃからな」
リエンは彼女の髪をなでて、そして優しく抱きしめる。
「あぁ、よろしく頼む」
「リエン」
「ん?」
「ありがとう、なのじゃ」
無事に話もまとまり、これでひとまずは一件落着かと思われたのだが、落ち着きを取り戻したパイが放った一言により話は再び妙な方向へと転がりだした。
「そ、それでなリエン。晴れて夫婦となったところで、おぬしに見てもらいたいものと、知っておいて欲しいことがあるのじゃ。……部屋の中に、一緒に来てくれぬか」
「あぁ、構わないが」
妙にしおらしい態度のパイに訝りながらも、リエンは袖を引かれるまま庵の中へと入る。
しかしそれから先のパイの行動に、リエンは困惑を隠しきれず声を上げた。
「なぁパイ。泊まってゆくのは構わないが、なぜもう布団を敷いているんだ。寝るにはまだ早いだろう」
「その通りじゃ。寝るには早い」
パイはリエンへと向き直り、艶然とした笑みを浮かべながら、着物の結び目に指をかける。
はらりと道士服が床に落ち、パイの身体を覆うものは肌着のみとなる。あらわになるその曲線美を直視できず、リエンは慌てて目を逸らした。
「な、何をしているんだ」
「言ったじゃろう。見てほしいものがある、と」
パイは歩み寄り、リエンの頬に手を当てて自分を向かせる。
「わしらは夫婦になるのじゃろう。じゃがおぬしの事じゃ、口約束で後から反故にされてはたまったものではない」
「俺はそんな不実な人間では」
「分かっておる。じゃが、はっきりとした証が欲しいのじゃ。おぬしの気持ちを、この身体に確かに残して欲しい」
リエンは、パイのその朝焼けのような紅梅色の瞳から目が離せなくなる。鼻筋の通ったすっきりとした顔立ち。優しげな笑みを浮かべるその姿は、妖怪というよりはまるで天女のように思われた。
「……いいのか?」
「心の準備は、ずぅっと前に済ませてある」
リエンは生唾を飲み込み、頷いた。
「ふふ。本当に堅い男じゃの。まぁそこに惚れたのじゃが。
ほれ、顔だけでなく、身体もちゃんと見るのじゃ」
パイの指が頬を離れて、リエンの手に重なる。そして自ら、その女体へと導いてくる。
柔らかな頬、ふっくらとした唇、ほっそりした首筋から、華奢な肩口、すらりとした腕へと滑ってゆく。
そしてパイは、リエンに己の肌着の結び目を解かせる。
衣擦れの音が控えめにこぼれ、雪のように白く美しい霊峰がまろび出る。
片手では支えきれないほどの大きさでありながらも、鞠のような見事な曲線と張りを失わない豊かな乳房。その膨らみの頂点には、薄桃色の花が咲いていた。
「大き、過ぎるかのぉ。おかしくはないか?」
応えるように、リエンは自らその豊満な乳房へと手を伸ばした。
「んっ。これ、声をかけてから触らんか」
「悪い。触り心地が良さそうだったので、つい、な。……綺麗だよ、とても」
「ほ、本当か!」
途端にパイの声が弾む。
「それに感度もいい」
「お、おぬしの手つきがいやらしいだけじゃ。
……じゃが、わしの身体はもうおぬしのものでもある。触りたければ遠慮などせず、思う存分揉みしだくがいい」
「そうか。では、遠慮無く……」
リエンはこれ見よがしと左右の乳房を撫で回す。包み込むように、隅々まで指を這わせてその肌触りを楽しみ、柔らかさを堪能する。指に吸い付くような肌は、少し力を入れただけで指を包むように沈み込む。
撫でているうち、リエンは女の息遣いが荒くなってることに気がついた。
視線を上げれば、パイが頬を染めて喘いでいた。その目もとろんとしていて、リエンを見下ろす視線も色に染まり始めていた。
「そんなに、よいか?」
女の甘い匂いがした。興奮したのか、パイの肌がほんのり色づき、薄っすらと汗ばみ始めていた。
「あぁ、心地いい。ずっと触っていたい程だ」
「そ、そうじゃろう? じゃが、良いのはそこだけでは無いぞ。もっと色々と触ってみたくは無いか?」
「いや、俺は乳だけでもいいぞ」
リエンが意地の悪い笑みで見上げると、パイは涙目になって頬を膨らませる。
「冗談だ。では他も触らせてもらおう」
リエンはパイを抱き寄せつつ、乳房から腹へ、へそのしたへと指を這わせてゆく。手が滑るごとにパイの呼吸は乱れ、時に艶やかな喘ぎとなって狭い部屋の空気を色づかせる。
太もものむっちりとした感触も指に心地よい。脚には柔らかな獣毛が生え揃っていて、その触り心地も温かくふわふわだった。
尻尾は更に毛並みが良かった。リエンは故郷で色んな家畜を、都でも手入れのされた馬や貴族の犬猫を見て、触ったこともあったが、こんな触り心地は初めてだった。
毛並みを楽しんでいると、急にパイがリエンの身体にしがみつき、首元へと顔を埋めた。
「どうした?」
問いながら、リエンはパイの最後の肌着の結び目をつまむ。
「なんだか、のぼせてしまったような、変な感じなのじゃ。少し休ませて、ほしいのじゃが」
聞こえないふりで、リエンは結び目を解く。パイが声を上げたが、無視して尻を鷲掴みにした。
肉付きのいい尻を揉み、撫でる。その柔らかさ、弾力は、乳房に勝るとも劣らない。
「お前、尻もいいな」
「ばか、ものぉ……」
言葉とは裏腹に、その目はもっともっとと訴えていた。
そしてリエンは、ついに脚の付け根へと手を伸ばす。
脚や尻尾はふさふさの毛で覆われながらも、秘所を隠す覆いは薄く、すでにじっとりと濡れていた。
縦に走る線にそって指を動かすだけで、パイは身体を震わせた。少し力を込めただけで、あっけないほど簡単に膝を崩して座り込んでしまった。
リエンは慌てて抱きとめ、共に布団の上に座った。
「大丈夫か」
「大丈夫、じゃ」
パイはリエンの胸の中で乱れた息を整えながら、優しさと妖艶さが混ざり合った美しい微笑みで男を見つめ返す。
「ふふ。夢中になっておったのぉ。わしの身体、欲しくてたまらなくなったじゃろ」
リエンは返す言葉もなかった。
「ほれ、ここも、こんなに硬い」
着物の上から、パイの指がリエンの股ぐらをさする。
「なぁリエン。わしもおぬしの裸が見たい。肌に触れたい」
リエンの身体に身を預けつつ、何よりも優しげな目でパイは懇願する。
「良いじゃろ? わしだっておぬしに裸を見られたんじゃ。恥ずかしいところも、全部知られて触られてしまったんじゃから」
「あぁ。構わない。この際知りたければ過去でも記憶でも、読んだっていいぞ」
「大盤振る舞いじゃな」
「ここまでしてくれたお前になら、もう隠し事をすることも無いと思ってな」
リエンは胸のつかえが取れたような晴れやかな表情で着物を脱いでゆく。下の肌着を残して、幼い頃から面倒を見てきた妖怪の女の前に肌を晒す。
「衰えただろう?」
「そんなことはない。たくましい雄の身体じゃ」
パイは顔を赤くしながらも、うっとりと目を細めて愛しい男の身体に手を伸ばす。
腹に触れ、胸に触れ、腕に、脚に、そして頬に触れる。
目と目が合う。視線が絡み合う。息遣いが重なり合い、そして。
「ん」
唇同士が触れ合う。
一度目は軽く触れる程度に、二度目は強く押し付け合うように、そして三度目はどちらからともなく唇を広げ、お互いの敏感な部分を求め合う。
片手は互いに髪を愛おしみ合い、もう片方の手は互いの淫らな部分を探り合った。自分有り余るものを受け入れてくれる場所を、自分の足りないものを充たしてくれる部分を。
この上ない最高の食事を前によだれを垂らすように愛液で濡れてゆくそこを。
口づけは長く続いた。延々と続くかと思われたそれは、リエンの方から唇を離したことで終わりを告げた。
リエンは、申し訳無さそうに顔を伏せる。
「リエン? どうしたのじゃ?」
唇の唾液を舐め取りながら、パイはリエンの頬に触れる。
「情けないんだがな、自信が無いんだよ」
「安心するのじゃ。おぬしが童貞であることなど出会った頃から皆知っておる」
「そういうことじゃない。いや、それもだがそうじゃなくてだな。
……身体の事だ。俺はもう若くない。お前を満足させてやれる前に駄目になってしまいそうでな」
「わしは、おぬしの腕に抱かれるだけでも十分に幸せじゃよ? けれどおぬしが」
「だが、お前だって子が欲しいだろう。俺だって欲しいんだ。自分がろくな人間ではないことは自分が一番良くわかっているが、それでもいずれ自分が死ぬのだと思うとやはり自分の血を継ぐ子が、自分がここに生きた証が欲しくてたまらなくなるんだ。自分でも都合がいいとは思うが、それでもな」
「分かっておる。この時の事を考えて、ずっと準備はしておったのだ」
パイは落ち込みかけるリエンを自分の方に向かせる。
「準備?」
不思議そうにするリエンの目の前に、パイは自らの乳房を差し出す。
「いつこうなっても良いようにと、身体の中で若返りの気と精力増強の気を練っておったのだ」
「……つまりずっと俺とこうなりたかったと」
「そうじゃ。そうしたらどうせおぬしは気弱なことを言うだろうと思っておってな」
「なるほど、流石は俺が惚れた相手。出来た嫁だな」
「じゃろう?」
お互い軽口を叩き合い、唇を歪める。
「で、どうすればいい?」
「うむ。わしの乳を飲むのじゃ。……ばか。何を赤くなっておる。こちらのほうが恥ずかしくなるじゃろうが」
「分かった。乳を吸えばいいんだな」
「そうじゃ。別の国に女神が作った霊薬の伝承があってな、その伝承では海に女神の魔力を混ぜ込んだとされておる。なんでも、その霊薬を飲めば永遠の若さと美しさが得られ、その力を全盛期の状態で保ってくれるそうじゃ。
流石にわしはただの妖怪ではあるが、同じようにすればおぬしを若返らせて精力旺盛にしてやれるくらい出来るじゃろう」
話を聞きながら、リエンは真剣な顔で乳を撫で回す。
「だが、乳なんて出るのか。まさか妊娠……」
「あほう。誰かさんがいつまでも手を出してくれなかったおかげでわしはまだ処女じゃ。
見て分かっていたかもしれぬが、わしは牛の特徴を持つ妖怪でもあるのじゃ。
西方の国には妊娠しておらずとも、栄養満点の母乳をたくさん出すことのできる牛の妖怪がおる。そいつらに出来てわしに出来ないはずが無い。
まぁ量や栄養は負けてしまうかもしれぬが、乳に気を練りこめば霊薬とまでいかずとも若返りの薬効くらいは十分果たせるはずじゃ。……どうしたのじゃ」
「パイ。本当にありがとうな」
「れ、礼はおぬしの子を産んでやった時でよい。ほれ、早く吸わぬか」
「あぁ」
リエンは色素の薄い乳首に口づけ、一度ぺろりと舌で舐める。
恥ずかしがりながらも目を逸らせずにいるパイを見上げる。勃ち上がったそれを唇に含み、十分にねぶり、唾液をまぶしてから、ようやく控えめに吸い始めた。
「はぅ。あ、ああぁ」
ちゅ、ちゅう、じゅぶ。と、淫らな音を立てながらリエンは乳首を啜る。
最初はパイの肌と汗の味しかしなかった。しかしよく知るはずのその匂いはリエンの胸中に狂おしいほどの愛しさをかきたたせ、その味わいは情欲を燃え上がらせた。
諦めずに吸い続けていると、舌の上に甘みが広がり始める。
それとほぼ同時に、明らかにパイの様子が変わった。肌が桜色に染まり、眉は八の字に寄り、呼吸も乱れ始める。
「リエン。あ、あぁっ。リエン。どう、じゃ。美味い、か?」
囁くようなパイの言葉は、しかしリエンの耳にはもう届いていなかった。
初めて味わうパイの甘露は、リエンにこれまで体験したことの無い程の"渇き"を実感させていた。
もっとこの雫で乾いた身体を潤したい。心を満たしたい。そんな欲望のまま、リエンは乳を吸うのに夢中になっていた。
「リエン。そんなに強く吸ったら、ダメなのじゃ。はうぅ。頭が、馬鹿になってしまうのじゃ」
男の体にしがみついていた指に力が篭もる。指が白くなるほどに掴み、爪が食い込んでも、リエンは気づくこともなかった。
いくら牛の特徴を持っていると言っても、本来母乳を出すのはパイの種族の得意とするところではない。加えて妖力を練って霊薬として出しているとなれば、分泌できる量も限られていた。
やがて乳の出は弱まり、リエンも乳房を口から離した。
しかしパイはまだ開放されたわけではなかった。乳房は一つではないのだ。リエンは、今度はもう片方の乳房へとむしゃぶりつく。
「リエン。ダメじゃ。そんなにされたら、あ、ああぁ……」
もはやパイに抵抗できるほどの力は無かった。リエンに求められるまま、押し倒され、組み伏されながら、好きなように吸われ続ける。
「そんなに、吸われたら、空っぽになってしまう。……あぁ、けれど」
パイは愛おしげにリエンの髪を撫でながら、男の身体を抱きしめる。
「それも、良いの。おぬしにならば、全部吸われても」
パイの身体の覆いかぶさっていたリエンが、もぞりと動く。
「それならば、今度は俺のものを注いでやろう」
そう言って身を起こした男の肌はかつての張りと瑞々しさを取り戻し、その顔にも精悍さが戻っていた。
若返りとまではいかぬとも、その体は逞しく精力がみなぎっていた。
股ぐらの一物も、パイの魅力でそそり立っていた時よりも更に一回り大きく膨れ上がり、反り返っている。
パイは充血し赤黒く染まったそれに手を伸ばし、やわく掴む。
「大きい。それに硬くて、熱い」
「大丈夫か」
「当然じゃ。わしはもう大人じゃ」
パイはそれを自らの入り口に導いてゆく。
柔肉の花びらに膨れた亀頭を押し当て、そして男の体を抱き寄せる。
「ほれ、子供の頃のように震えなどいないじゃろ」
「あぁ。本当だ」
「今度こそ、おぬしのものにして欲しい。おぬしだけのものに」
「入れるぞ」
リエンは腰を落としてゆく。男の欲棒が、ゆっくりとパイの淫らな花の奥へと飲み込まれてゆく。
パイは潤んだ瞳で男の侵入を見守ると、男の腰に己の脚を絡めて、強く強くしがみついた。
「リエン。もっと深く、強く……」
リエンはパイの背に腕を回し、強く身体を引き寄せる。豊かな乳房が胸板で潰れ、欲棒がパイの一番奥、敏感な部分に更に深く突き刺さる。
パイが背を弓なりに仰け反らせ、身体を震わせる。それを押さえつけるように、リエンは更に強くその体を抱いた。
そしてリエンは、ゆるやかに腰を前後させ始めた。
愛液にまみれたパイの軟襞は、ぬるりと滑りがよかった。それでいてぴったりとリエンのものに吸い付き、きつく締め付ける。
リエンはゆっくりと動き続ける。敏感な部分がこすれ合ううち、二人の身体は次第に馴染んでいった。そのうちに動きも少しずつ大きく、早いものへとなってゆく。
控えめに淫らな水音が響き始め、そこに女の喘ぎ声が重なり合う。
腰の動きが少しずつ勢いづいてゆくにつれ、淫靡な水音も激しく、女の声も大きくなった。
リエンの広がったかり首が、パイの繊細な部分を掻き回す。
二人とも、もう言葉は無かった。
喘ぎとも呻きともつかない声を上げながら、溺れかけている人間がそうするかのように相手の身体にしがみつき、経験したこともないような激しい性愛の快感に身をゆだね続ける。
そして二人は、大きな波が近づいていることを予感する。
「パイ。どうやら、俺はもう、限界のようだ。すまん」
「よいぞ。おぬしの、数十年分の想い。すべてわしが、受け止めてやる」
リエンは、一層強くパイの身体に己を深く沈み込ませる。
パイはリエンを強く抱きしめ、締め付ける。
そして低い呻きとともに、パイの身体の一番深い部分にリエンの煮詰められた情熱が解き放たれた。
肉棒が激しく脈打ち、その度に白い欲望がパイの胎の中に浴びせられ染められてゆく。
興奮を抑えられないリエンは、さらに腰を振り続ける。そのたびパイの純潔は白く穢され、欲棒によってその胎内に白濁が塗りたくられるのだった。
官能で震える体を、互いの身体にしがみつくことでしのぎあった。
乱れていた呼吸が収まってくるころ。二人はようやく己を取り戻し、真っ赤になってお互いの姿を見つめ合った。
「……何だ、その」
「ふふ。どうじゃった? わしの抱き心地は」
「思っていたよりずっと良かったよ。最高だった」
パイは少しぽかんとしたあと、小さく吹き出し、それからはにかむ様に笑った。
「おぬしは本当に真面目で素直な男じゃのう」
「それだけが取り柄だからな。しかし、若い頃に女に手を出してなくて来なくて良かったよ」
「なぜじゃ?」
「こんなに良かったら、溺れて他のことが手につかなくなる。いや、お前が相手だったから、こんなに良かったのかな」
「全く、本当に素直な男じゃ」
パイは赤くなったまま、下腹をさする。
「初めてじゃというのに、こんなに滅茶苦茶にしおって。おかげで胎の中がおぬしの種汁まみれじゃ。そのうえあんなに掻き回しおって。早くも一人目を孕んだかもしれん」
パイは満足気に息を吐いて、妖しく微笑みながら艶のある視線で見上げる。
「……本当に、どうにかなりそうじゃったぞ」
リエンは息をのみ、改めて己の胸の中の女の美しさに心を奪われた。
そしてその隙をつかれて、ごろりと横に引き倒されて、今度はリエンがパイに馬乗りになられる体勢となる。
目の前に豊かに実った大きな乳房が揺れる。
パイは余裕のある表情で唇の端を上げた。
「癖になりそうなほどよかった。じゃが、一度ではとても足りない。おぬしもそうじゃろう?」
「いや、俺は」
「しかし、ここはそうは言っておらぬぞ」
パイの指が、リエンの一物をつかむ。いまだに硬さと熱を失わない、猛り狂う獣を。
「リエン。もう一度しよう? 何なら、わしがその気にさせてやる」
パイはリエンの身体を這い回る。男のまたぐらが自らの胸元に来るあたりまで下がり、にたりと笑う。
天を目指して屹立する肉棒を、さらに大きな乳房の山脈で包み込み、覆い隠し、そして緩やかにゆすり始める。
「お、おおお」
「熱いのう。火傷してしまいそうじゃ」
パイは乳房を腕で支えながら、リエンをもみくちゃにする。
「おぬしに精を注いでもらったおかげで、わしの身体にも妖力が戻ってきたようじゃ。乳もまた出始めたぞ。ほれ、ぬるぬるして気持ちいいじゃろう」
パイの乳房が動きに合わせて卑猥に形を変え、ぐちゅるぐちゅると淫猥な音を立てる。
乳と愛液と精液が混ざり合った匂いが部屋に立ち込め、消えかけていた情欲の火に再び油を注ぐ。
「パイ、まだ敏感なんだ、頼む、もう少し優しく」
「初めて男に抱かれる初心な女の、休ませてほしいと言う頼みに対して、おぬしはどんな仕打ちをしたんじゃったかのう?」
責めるような目でそう言われると、リエンは何も言えなかった。
「案ずるな。悪いようにはせぬ。わしの乳まみれになれば、おぬしの性欲と精力はさらに若々しさを取り戻すじゃろう。それにこうして、口と舌でも妖力を注ぎ込んでやれば……」
パイは唇を舐めると、乳の谷間から顔を出している亀の頭を咥え込む。
熱く柔らかい粘膜がリエン自身を包み込み、ねっとりと汁気を帯びた舌が亀頭を舐め回す。
くちゅくちゅと欲棒を揉まれる水音に、さらにじゅるじゅると吸い上げられる音が重なる。
崩れかけていたリエンの理性は、次第にどろどろと溶けていった。
それは燃え盛り始めた情念へと注がれ、一晩経っても消えることのない続ける大きな炎へと燃え上がるのだった。
その日、リエンは夢を見た。
そこは生まれ故郷のようにのどかでいて、しかし青春を過ごした都のように活気があった。
人間と妖怪が共に手を取り合い、助け合い、信頼し合う。
そこに身分の差は無く、種族さえも関係なく、互いを慈しみ合い、愛し合う。
そんな世界の夢を。
目が覚めるとそこは、生まれ故郷の小屋でもなく、都の官僚用の一室でもなく、いつもの庵だった。
「うぅん。リエン、そこは、まだだめなのじゃ」
唯一いつもと違うのは、隣に白澤の女が寝ていることか。
リエンは身を起こし、安らかに眠る愛しい者の顔をじっくりと眺める。
幼いころから遊び疲れるとすぐ寝てしまう子だった。様々な知識を持っているにも関わらずひねくれず、真っ直ぐで、純粋で、無垢で。
気づけば白い髪を、頬を撫でながら、自然と微笑んでいた。そんな自分に気が付き、リエンは内心で自分の変化に驚く。
「ん。くすぐったいのじゃ」
「起こしてしまったか」
「大丈夫。ちょうど起きたところじゃ」
パイは猫のように微笑んで、頬に触れているリエンの手に手を重ねる。
「夢を見たよ」
「いい夢じゃったか」
「あぁ。いい夢だった」
「昨日の今日でそんなことを言われてしまうと、ちょっと妬けるのぅ」
リエンは笑い、パイの額に口づけする。
「お前のおかげかもしれん」
「そうか。ならよい」
「なぁパイ。もし俺が国を興そうなんて考えていたら、お前は笑うか?」
「そうじゃのう。一緒に笑いながら、隣でおぬしの手伝いをしてやろうかの。おぬしの夢は、わしの夢でもあるからのう」
パイは歯を見せる。本気なのか冗談なのか分からなかった。リエン自身、自分の思いつきに呆れているくらいなのだ。
「ありがとうよ。そのときは、よろしく頼む」
しかし自分は本当はどうしたいだろうか。若いころに憧れた、はっきりと形にもならなかった理想に、再び手を伸ばして形作りたいのだろうか。
考えていると、引き寄せられて唇を奪われる。柔肌を押し付けられると、もう難しいことも考えられなくなってくる。
一度は世の中から逃げ、隠れた身だ。このまま妖怪の女と色に溺れてしまうのも、決して悪くはない。
「今日は良い花見日和になりそうじゃ」
リエンはパイを抱いたまま、のっそりと外を見上げる。
すでに日は高く昇っていて、今にも中天にたどり着こうかという程だった。昨晩は明るくなるまで愛し合っていたのだから、それも当然だ。
「参ったな。花見の計画も団子の準備も何もしていないぞ」
「大丈夫じゃ。わしがすべて考えておいた。なんの問題もないぞ」
パイはしたり顔で胸を張るが、リエンは妙な胸騒ぎを覚えた。計画はともかくとして、料理の準備は今からではどうしようもないのだ。
「……それは助かるが。どうするんだ」
「なぁに、わしらは皆色を好む妖怪じゃ。お前に自らの花を見てもらうのに、恥じらいはしても不満を言う娘はおらん」
「自らの花?」
「普段は皆隠しておる。雌ならば皆一輪は持つ、愛する者にしか見せぬ情熱の花じゃ。おぬしも昨夜は夢中になって匂いを嗅ぎ、蜜を啜ったじゃろう?」
パイは股を広げて、美しく咲き誇る花を見せつける。昨晩さんざん愛でた跡がしっかりと残った、淫らな花を。
「なるほど、そういうことか」
リエンは呆れつつも、しかし苦笑いでさらに問いかける。
「で、団子は」
「おぬしがぶら下げているものが二つあるじゃろう」
やわやわと女の手に掴まれると、あっという間に串も太く硬く反り返る。
「大したものだ。よく考えたな」
「ふふ。わしを誰だと思っておる。万物の知識に通ずる妖怪、白澤じゃぞ?」
「恐れ入った。しかし、団子は二つだけで足りるのか?」
「足りなくなれば補充すればよい。何なら今から中身を補充しておくか?」
パイは乳房を揺らして、リエンを誘う。
リエンは声を上げて笑い、それから乳房を鷲掴みした。
「俺も堕落してしまったな」
「なに。世の中に変わらぬものなどありはせぬよ。それにわしは、おぬしがどんなに変わろうがそばにおる。
あん。これ、吸うなら吸うと言ってから。あ、はぅ、いきなりそんなにがっつかれたら、あ、あ、あ、ああぁ」
リエンは桜色の果実にむしゃぶりつき、その豊かな身体に溺れる。
先の事は分からない。だが、今はこれでいい。
愛を向けられる事を知り、愛を受け止める事を学び、愛を向けることを身に付ける。
いくら歳をとっても知らないことはたくさんある。いくら老いたとしても出来ることに限りはない。
遠くから、妖怪の娘たちの声が聞こえてくる。
山中の庵は、今日もまた賑やかになりそうだ。
ここは人里から遠く離れた、山奥の森の中。どんなに下品に激しく乱れようが、卑猥な言葉を叫び大声で嬌声を上げようが、どこにも咎める者は居ない。
酒池肉林さえ霞むほどの、終わることのない淫らな宴の始まりは、もうすぐだった。
小さな庵に居を構え、獣の鳴き声や鳥のさえずりに耳を傾けながら畑の手入れをして暮らす。静かで起伏のない、退屈な生活。けれどそんな生活こそが、彼が望んでいたものだった。
彼は今日も畑に出る。唯一の仕事であるとともに癒しでもある、野菜の世話をするために。
気持ちの良い晴天の下、ひたすら手を動かす。そして彼がようやく無心になり始めた、そんな時だった。
「おーいリエン。どこにいるのじゃ、遊びに来てやったのじゃ」
静寂を破って、元気いっぱいの甲高い声が山中に響いた。
男は溜息を吐きながら草を取る手を止める。
特に誰かを招いた覚えはなかった。招く招かないに関わらず、こんな険しい山の中を訪れる人間など居はしない。そう、人間は。
必然的に相手に見当はついたものの、それでも彼は一応顔を上げる。
住処にしている庵の入り口に予想通りの人影が立っていた。
雪のように白く長い髪。側頭部から伸びる水牛のように立派な角。獣毛に覆われた蹄状になった二本の脚。腰元から生えるふわふわの毛に包まれた尻尾。
道士服を身につけてはいたが、どう見ても人間では無かった。彼女は妖怪。白澤と呼ばれる、牛のような特徴を持った種族なのだ。
立ち上がると、彼女は目ざとく彼を見つけて声を上げた。
「おぉリエン。そんなところにおったのか」
破顔一笑し、リエンに向かって一直線に駆けて来る。
妖怪は人間とは比べ物にならないくらいに力が強く、人間にはない神通力を持つ。そして時に人間を襲う者もいたが、しかし彼女は人に危害を加えるような恐ろしい妖怪ではなかった。
人懐っこい笑顔を浮かべた彼女は、その勢いのまま彼に抱きついてきた。頭の位置はまだ彼の腰のあたりくらいまでしかない。彼女は人間でもなかったが、まだ大人でもなかった。
「さぁ、早く遊ぶのじゃ」
目を輝かせる妖怪の子供の姿に、リエンは漏れそうになる溜息を何とか飲み込んだ。
「まだ仕事中なんだ。これが終わったらな」
「む。そうじゃったのか。それならそうと早く言うがよいぞ。万物に通じる膨大な知識を持つわしが手伝ってやろう」
「雑草取りだが」
「ならばわしが効率的かつ効果的な草取りの方法を教えてやろう。見ているがいいのじゃ」
言うが早いか、彼女はすぐさま膝をついて野菜の根本の雑草を抜きにかかる。服の裾や長い髪が地面についてしまうのにも気にする様子もなかった。
リエンは苦笑いしながら彼女の髪をまとめてやり、裾を縛ってやる。
「む。ありがとうなのじゃ!」
その一生懸命な姿、屈託のない笑顔を向けられては、リエンももう彼女をむげにすることは出来なかった。
畑仕事の後、狭い庵の中で二人は象棋の碁盤を挟んで向かい合っていた。
長考の末、よろずの知恵の持ち主を自称する妖の少女はようやく駒の一つを動かした。
「これでどうじゃ」
リエンは碁盤を一瞥するなり無造作に駒を動かす。
その途端、少女は低く呻いて何度目かの長考に入った。
「うむむ。これをこうすれば……。いやしかしそうすると」
リエンは笑い、それから片手に持っていた書物へと目を落とした。
書かれているのは人間が虎に変わってしまうという物語だ。そのせいだろうか、リエンはふと、無意識のうちに過去の記憶を掘り起こしてしまった。
あまり思い出したくない、己の過去を。
リエンが地位も権力もかなぐり捨てて人目を避けるように山奥に一人で暮らすことに決めたのは、ひとえに人間社会に嫌気が差したからだった。
生まれ育った農村はあまり豊かな土地柄ではなかった。村民は皆飢えていて、租税の払いに追われていた。
しかし、だからと言って村民同士の結束が強いわけでもなかった。病人が出れば裏で悪事を働いたからだと陰口を叩き、たまたま農作物の出来の良い家があればそれを妬んだ。
誰もが体制に不満を持っていながらも、村人達は決して一つにはなれなかった。一丸となっての交渉や反乱など、あり得るはずもなかった。
リエンは生まれた村に嫌気がさしていたものの、それでも家族がいる以上は耐えるしか無かった。己はろくでもないと思っていたが、己を育てた両親は故郷を愛していた。
しかし我慢が続いたのも、その両親が存命の間だけだった。
それは寒さの厳しい冬のことだった。元々身体の弱かった母が病魔に伏してしまったのだ。
彼も、彼の父も必死で看病した。少しでも精がつくようにと食事も母親を優先したが、それでも備蓄が底をついてしまった。
食料を譲ってくれないかと、村中に頭を下げて回った。必死だった。
しかし、彼らに救いの手は伸べられなかった。
寒さは強まり、看病の甲斐もなくリエンの母親は命を落とした。
そして彼の父親も、看病の疲れが祟ったのか、同じ病気にかかり後を追うように逝ってしまった。
彼はあっという間に両親を失った。それとともに、元々薄かった故郷への執着も無くなってしまった。
村に留まっている理由は、もうどこを探しても見つからなかった。故郷を捨てる覚悟を決めた彼は、どうせならと都に移って科挙と呼ばれる官僚登用試験を受けてみることにした。
この陰気な村から離れたいということもあったが、村を統率している役人がもう少しまともだったのならば両親も死ななくて済んだのかもしれない。そんな想いもあっての決断だった。
わずかに残された財産を処分し、都で一年間必死で勉強した。
そして翌年、リエンは見事に試験に合格し国を動かす政の世界に足を踏み入れた。
しかし、官僚達の世界もまた彼の想いを満たしてはくれなかった。
自らの立身出世のため、所属する派閥の拡大のため、役人達は互いに些細な過ちを見つけ合ってはそれを大事のことのようにあげつらい糾弾しあっていた。何かあれば足を引っ張り合い、袖の下を通さなければ意見も通らなかった。根も葉もない噂に情勢は左右され、決めるべきことは決まらずに大勢に関わらない罵り合いばかりが繰り返された。
彼は優秀だったが、権謀術数には長けていなかった。常に権力闘争に明け暮れる官僚達に比べ、彼は政の世界で生きてゆくには純朴で純粋すぎた。
それでも、極少数ではあったが官僚達の世界にも誇り高い志を持った者が居ないわけではなかった。
理想を語り合える友が居た。
だからこそ、疑心暗鬼の世界でも耐えることが出来ていた。
しかし、それもさほど長くは続かなかった。
彼の仕事が評価され、出世の話が出た途端の事だった。間をおかずに彼に汚職の噂が立った。
いつかはこんな事が起こると覚悟していた。だが、我が身に後ろめたい事などない。自分を信用してくれている仲間も確かにいるのだ。堂々としていれば、いずれ皆噂など忘れてしまうだろう。
そう思って耐えようとしていた。存在しないはずの汚職の証拠がでっち上げられるまでは。
証拠を掴んだと声高に叫んだのは、志を共にしていたと思っていた同期だった。同期は、彼とは別の派閥に所属していた。そしてその派閥内での発言力を得るために、彼をだしに使ったのだった。
確かに、どんな高尚な志も力が無くては、行動無くしては達成することは出来ない。
しかし己の理想の実現の為と言えど、事実を捻じ曲げ、人を蹴落とし、なりふり構わず権力を求めるその姿は、その理想は、リエンの目にはもう変化し歪んでしまっているようにしか見えなかった。
それがきっかけだった。リエンは、この国の全てに嫌気が差してしまった。
証拠は不十分であり、申し開きはしようと思えばいくらでも出来た。しかし既に彼はその気を失っていた。都に留まる気さえ、その時には無くしていた。
荷物をまとめ、リエンは自ら辞職の願いを出した。
もう誰とも関わりたく無かった。信頼出来るつてを頼りに独りで静かに生活出来る場所を探し、人里離れた山奥の庵を買った。
準備が整うなり、リエンは誰にも何も告げずに都を離れた。
わずかな荷物を持って、旅すること数日。リエンはようやく目的の場所へと辿り着いた。
もう誰とも関わらず何処にも行かずにここで独りで生きるつもりだった。終の住処を決めるにしてはいささか若すぎたが、リエンの決意は固かった。のだが……。
「ふっふっふ。若者よ、よくここまで辿り着いた。さぁ何でも望みを言うがいい。この世のあらゆる知に通じ、知らぬ事の無い妖怪の賢者、白澤のパイが、どんな知識でも授けてやろう。……そのために来たのであろう?」
老婆のような口調でしゃべる、小さな子供の妖怪に出会ったのは、まさにリエンが庵に辿り着いたその日の事だった。
ここは確かに人里からは遠く離れた庵ではあった。しかしその代わりに、妖怪達の隠れ里からはそれほど離れてはいなかったようだった。
誤算といえば誤算だったが、そんな事が誰に分かっただろうか。
運命は己に平穏な生活を許してくれないらしい。薄い胸を張る小さな妖怪を前に、リエンはがっくりとうなだれたのだった。
首を傾げ、顎に手を当てるパイの姿を眺めながら、しかし、とリエンは考える。
妖怪は人間に比べて実に素直で分かりやすい生き物だ。己の欲望に忠実な者が多いが、誰かの為と嘯きながら他人を騙し手段とする人間に比べれば、その目的も生きざまも実に単純で清々しい。
それが子供であればなおさらだ。
少々予定は狂ったものの、人間から離れて暮らすという目的は達成できている。これはこれで、まぁ悪く無いだろう。
「こ、これでどうじゃ」
「それならこれで王手だ」
パイは驚いたように目を丸くしながら、碁盤とリエンを交互に見る。
「な。そ、そんなはずは。ま、待ったじゃ。その一手待った」
「ほう、それでいいのかな? 今回も待ったで」
「ぐ、ぐぬぬ。なぜじゃ。太古からの膨大な知識を受け継ぎ続けるこの白澤のわしが、なぜまだ五十年も生きていない人間のこわっぱに勝てぬのじゃ」
白澤は人間にはない神通力を持っている。それは触れたものの知識を得ることと、触れたものに知識を分け与える力。その力によって、彼女達は祖先から続く知識を伝え受け継いでいた。パイも見た目こそ子供ではあるが、彼女の持つ知識の深淵はリエンでも測れない程ではあった。
「そこは大人と子供だからな、経験の差ってやつだ。知識はあるようだが、その使い方がまだ上手くないんだろう」
リエンはもともと、そこまで象棋が得意という程ではなかった。相手の裏をかく事は苦手だった。しかし、こいつはそんな自分以上に素直な生き物なのだ。そう思うと、好感が持てた。
「いずれは俺など、どう足掻いても勝てぬほどに強くなるさ。
……まぁそれはともかくとして。どうする? 待ってやろうか?」
パイはむぅっと頬を膨らませる。
そして、次に彼女が取った行動はリエンの想定を遥かに超えたものだった。
何と碁盤をひっくり返して、あろうことかリエンに向かって体当りするかのような勢いで飛びかかってきたのだ。
「お、おい?」
妖怪と人間ではあったが、そこは子供と大人。リエンは難なく飛び込んできた小さな身体を受け止める。
が、パイが己の背中に両腕両脚を回して固定するように抱きついてきたのは予想外だった。
子供特有の少し高めの体温が、少女が放つ柑橘のような甘酸っぱい香りが、リエンの身体を包み込む。
「あ、足が滑ってしまったのじゃ。碁盤の駒がどうなっていたのかも覚えておらんし。これではもう勝負も何もあったものではないのう」
「あ、お前。ずるいぞ。いいのか? 妖怪随一の知恵者を自称するお前がそんな事をして。忘れたなんて言って」
「忘れたと言ったら忘れたのじゃ」
「悪いが、俺は覚えているぞ。今碁盤に再現を……。おい、離せって」
リエンは立ち上がろうとするが、パイがしっかりと身体に抱きついて離れない。それでも何度か立ち上がろうとしたが、途中で疲れてしまったので諦めることにした。
「全く、子供には敵わんな」
「む。わしを子供扱いするでない。わしはもう大人じゃ」
その言動と行動のあまりの食い違いに、リエンは思わず笑ってしまった。大人がこんなことをすれば腹が立つが、子供がする分には至極自然な可愛いものだった。
「はいはい。そうだな」
リエンが頭をなでてやると、ちょっとむっとしたような鼻息が耳に当たった。
「ではその身体に教えてやろう。碁盤の配置も忘れるくらいに、わしが大人だという証をな」
ただ締め付けていただけの腕と脚から力が抜ける。
その手がリエンの服の中に忍び込み、背中をまさぐる。その足が腰に絡みつき、下半身を密着させる。
心臓の鼓動が重なり合う。
ゆっくり静かに打つリエンの鼓動に対し、パイの心臓は早鐘のように強く激しく乱れていた。
微笑むような吐息がリエンの耳をくすぐる。
「ふふ、どうじゃ?」
「どうじゃ。と言われてもなぁ」
リエンは戸惑いながらも、パイの背中を、その髪と角を撫でる。
「まぁ、お前の事は色々な意味で可愛いとは思うがな」
パイの尻尾がリエンの股間を撫でる。くすぐるように愛撫を繰り返すが。
「な、なぜ勃起せんのじゃ。な、ならばこれでどうじゃ」
少女の唇が男の首筋に押し付けられ、濡れた舌が耳元に向かって舐め上げてゆく。だが、男の身体に変化は無かった。
男は少女の背を抱きしめ、ぽんぽんと叩く。
「あんまり無理するな。最初から震えているじゃないか」
「ち、ちが、これは武者震いなのじゃ、じゃから……」
そして今度こそ、パイの四肢から力が抜けてしまう。
「リエンは、わしには魅力は感じんか?」
「可愛いって言っただろう。しかし子供はそういう対象としては見れん。悪いな」
「……妖怪であるところは、否定はせんのじゃな」
「人間は嫌いだがな。妖怪はそうでもない」
「難儀な人間じゃな」
「ほっとけ。それより、そろそろ離れてくれないか」
「……嫌じゃ。もうちょっとこのままでいるのじゃ」
リエンはため息を吐く。今なら力づくで離せない事も無かったが、もう好きにさせてやることにした。
抱きつかれるまましばらくの後、聞こえてきたのは規則正しい吐息だった。
さてどうするか。来客などあるはずが無いが、いつまでもこのままでいるわけにもいかない。とはいえ気持ちよさそうに眠る子供を起こすのも気が引ける。
リエンが途方に暮れかけたそんな時だった。
「リエンさーん。遊びに来たよー」
表の方から女の子の声が聞こえてきた。
まさかこんな山奥で日に二度も来客があるとは思いもしなかったが、相手がパイと同じ妖怪であるとするならばありえない話でもなかった。
「リエンさーん?」
パイの耳がピクリと動く。
と思うや否や、気付かぬ間にパイの身体は既にリエンの元を離れていた。
「む、あの声は」
「火鼠の子か、熊猫娘か、そんなところか」
止める間もなくパイは走り出していた。
リエンはやれやれと頭を振って、その後を追いかける。
表に出れば、やはり予想通りに妖怪の子供達だった。獣のような手足を持つ娘、鳥のような翼がある娘、昆虫のような足や翅を持つ娘。その数はリエンが予想していたよりも多かった。
「ここは託児所じゃないんだが……」
「あ、パイずるい。一緒に行こうって約束してたのに」
「べ、別にずるをしたわけではないのじゃ。時間を間違えていただけなのじゃ」
パイはリエンの方を振り返り、その顔色を伺う。しかしリエンは、あえて気付かないふりを通した。
「とにかく一緒に遊ぼうよー。リエンさんも早くー」
リエンは妖怪たちに手を引かれ、有無を言わさずその輪の中に引っ張り込まれる。
その表情は少し疲れが滲んではいたものの、曇りや影のないすっきりとしたものであった。
庵でのリエンの新たなる生活は、朝から晩まで、一年通して、終始そんな調子だった。
朝餉を済ませて畑の世話をしていると大体パイをはじめとする妖怪達が昼飯を持って遊びに来て、一緒に昼餉をして午後は遊びに付き合わされる。夕方になりくたくたに疲れる頃にようやく帰ってゆく妖怪達を見送り一日が終わる。
その慌ただしさは農業に追われていた故郷の村での生活や次々と送られてくる書類や事案の処理に追われていた都での生活に勝るとも劣らない程だった。
だが、気付けばリエンは不思議とそんな生活が嫌いでは無くなっていた。それどころか、一日の終りに床につくときに充実感さえ覚えるようになっていた。
春になれば花を見るために野山を引きずり回された。
夏になれば川へ連れ出されて全身ずぶ濡れになるまで水遊びに付き合わされた。
秋になれば紅葉や実りを一緒に採取して回った。
冬になれば温め合いながら共に雪や星を見た。
毎日毎日、パイに象棋をせがまれ、事あるごとに抱きつかれ。妖怪達に引っ張り回され、追い回される生活。
気が付けば一年が過ぎ。二年が経ち。三年が去った。それから先は、リエンも数えるのをやめていた。
花開く梅の香りで、幾度目かの春がきたことを悟る。
裏庭の開けた場所ではあいも変わらず遊びに来た妖怪達が、今日は組手に興じていた。人虎の妖怪と、火鼠の妖怪。息のあった攻めと受けの様子は、さながら見事な演舞だ。
猿や熊猫の妖怪もいるが、彼女らは遊びよりも花見、花見よりも団子の方がお好みらしい。
何度繰り返しても変わらない光景だ。花も、遊びに来る妖怪達も。
ただし、変わってしまったこともある。
自分は明らかに歳をとり、衰えている。皺は増え、体力も明らかに落ちている。
対照的に妖怪の子供達は、皆うら若き乙女へと成長した。鼻水や泥で汚れていた顔には白粉や紅が引かれるようになり、顔つきも美しく、女としての色香さえ感じさせる程になった。
小さく直線的だった体つきも、手足がすらりと伸びて、乳房や腰元が膨らんで色気のある曲線を描くようになった。
変わらないようでいて、しかし時間は確実に流れていた。
いつまでもこうしていられるわけではない。
リエンは縁側で梅の花を見上げながら、そんな事を考えて苦笑いをしてしまった。
まさか、自分がこんな時間がずっと続けばいい、などと思うとは。
「どうしたのじゃ」
「ん。いや、何でもない」
「そうか。それなら、まあよい」
リエンは茶を一口すすり。己の隣で梅を見上げる妖怪をちらりと見る。
「なんじゃ? わしの顔に何かついておるか」
「いや、何でもない」
「おかしな奴じゃな」
思い返せば、ここに移り住んでから丸一日一人で過ごしたことなどほとんど無かった。気が付けば、いつでもパイがそばに居た。
最初こそ煩わしかったが、今では隣に居るのが当たり前になってしまっている。それこそ、隣にいるのに気がつかないくらいに、だ。
パイは相変わらず畑仕事を手伝い、象棋の勝負を挑んでくる。
しかし今では畑仕事をしても泥んこになることも減り、時には勝負でリエンを負かすようにもなった。そして何より、他のどの妖怪よりも美しく、妖艶に成長した。
顔つきからは幼さが一切消え、切れ長の目には優しさと、隠しようもない深い知性が伺える。物腰も大人びて、知識が有ることを誇るだけでなく、周りがよく見えるようになった。
いつの頃からか抱きつかれることも無くなった。少し寂しいことではあったが、年頃になればそういうものだろう。
「……なぁ、リエンよ」
「ん?」
「良ければあの娘達を娶ってやってくれんか?」
リエンは、しばらく何も言わなかった。
聞こえなかったわけではない。だが、すぐに言葉を返せる話でもなかった。
風が梅の花の香りを運んでくる。うら若き乙女達の甘い匂いの混じる、春の香りを。人間とよく似ているようで、まったく異なる妖怪の匂いを。
リエンは一呼吸すると、茶をすすり、そして短く問い返した。
「なぜ」
「それがの。大昔は雄の妖怪もおったのじゃが、今は妖怪は皆雌しかおらんのじゃ。遥か西方で魔の者の王が色欲を司る女怪に変わった影響での。じゃから、子を産むためには人間の男とつがいになる必要があるのじゃ」
「そのようだな」
「村の男の数も限られておっての。流石に全員とは言わぬ。誰か一人だけでも」
リエンは大きく息を吐き、首を振る。
「俺は歳を取り過ぎた。もう初老だ。探すのならばもっと若い男がいいだろう」
「あ、案ずるでない。わしらの里には若返りの薬や、精のつく食べ物もたくさんある」
リエンは何も言わず、パイの顔をじっと眺めた。そんな彼の様子を見て、パイは慌てたように耳を動かし、尻尾を振る。
「べ、別に子を産むためだけに頼んでおるわけでは無いぞ。皆お前のことを慕って、好いておるのじゃ。じゃから。じゃからな……」
「パイ。他人の心配より自分の心配をしたらどうなんだ。お前には嫁の貰い手はいるのか」
「わ、わしは最後でいいのじゃ。周りの皆が身を固め、おぬしの老後の心配が無くなってからでよい。わしの知識を持ってすれば、夫なぞいつでも見つけられる」
リエンは目を細め、言いようのない複雑な苦笑いを浮かべる。
「そうだな。お前は魅力的だ」
「冗談はよい。どうなのじゃ。誰か一人でも娶ってくれるのか?」
「答えが知りたいのなら、俺に触れて情報を読み取ってみたらどうだ」
途端に耳や尻尾の動きが止まった。
「それは出来ん」
「出来ないことは無いだろう」
「嫌じゃ。しとうない」
「どうして」
パイは視線を泳がせる。答えようと口を開き、けれど言葉は出ず、池の鯉のように口の開閉を繰り返すばかりだった。
遠くから小さく歓声が上がった。
どうやら、組手に決着がついたようだ。
その喧騒に紛れるように、パイはぽつりとつぶやいた。
「……怖いのじゃ。おぬしの本当の気持ちが分かってしまう事が」
リエンは目をつむり、一度大きく深呼吸をした。
そして目を開くと、空を見上げた。
日はまだ暮れるという程ではないが、傾きかけては来ていた。
立ち上がり、妖怪達に声をかける。
「おーいお前達。今日はもう帰れ」
「まだ早いじゃないか。もう少しいいだろう?」
「それにまだ戦い足りないよぉ」
「お団子も残ってるしー」
「どうせだからさぁ、今晩泊めてよぉ」
「いいから帰れ。その代わり、明日は一緒に花見をしよう」
不満気だった妖怪達の顔つきが一変して喜色に染まる。
「そ、そうか。それなら仕方ない」
「まぁ勝負はまた今度でもいいし」
「お花見といえばご馳走だよね」
「まぁまた人気のないところでお花見できるなら」
ぶつぶつと言いながらも、妖怪達は素直に村へ帰る準備を始めた。
パイは複雑そうな表情でリエンを見上げ、妖怪達を見て、最後にため息を吐いた。
「……それじゃあ、わしも」
立ち上がりかけたパイの腕を、リエンは掴んで止める。
不思議そうに振り返る妖怪達に、リエンはきっぱりと言い切った。
「パイは遅れて帰る。俺と一緒に明日の計画やら、料理の下ごしらえを手伝ってもらう」
妖怪達はそれを聞いて納得したようだった。一人、パイを除いて。
パイは何か言いたげな表情ではあったが、結局何も言わず、リエンとともに妖怪達の帰宅を見守った。
妖怪達が帰ったあとも、リエンは縁側から動こうとはしなかった。
パイも変わらずその隣に腰掛けながらも、困惑を隠せない様子だった。
「ええと。明日の計画と料理の下ごしらえは?」
「あれは方便だ。いや、後でするが、まだしない」
「そ、そうなのか」
リエンは湯のみを傾けるが、既に中身は無くなっていた。空になった湯のみを置くと、すかさずパイが茶を淹れた。
リエンは茶をすすり、一言「うまいな」と言った。
「なぁパイ。なぜ俺の気持ちを知るのを恐れる? それなのに、なぜ毎日こうしてここに来る?」
「それは……。自分でも、よく分からんのじゃ。全てを知っているはずのわしなのに、自分の事だと言うに」
「俺もだ」
驚いたような、困ったような顔になるパイに、リエンは苦笑いで返した。
「野山が移り変わる様子を見ているとな、無性に生まれ故郷を思い出すことがあるんだ。子供の頃は良かったと思うこともある。けれど今帰ったところで、きっと俺の居場所はどこにもないだろうし、ろくでなしの農民達にうんざりするだけだろう。
書物を読んだり象棋をしていたりしても同じだ。都での暮らしを思い出す。便利で、何でも手に入る。だが人間達は欲深くすぐに裏切るくそったればかりだった。あの便利さは少しうらやましくもなるが、あんな人間ばかりの場所にはもう帰りたくはない。
もう何もしたくなくて、誰とも関わりたくなくてここに来たはずなのに。気付けば山の中を駆けまわり勝負や知恵比べに明け暮れ、たくさんの妖怪達と毎日くだらない話をして共に飯を食う生活を送っていた。
そしてそれがいつの間にか心地よかった。
お前が素直に畑を手伝ってくれたり、何度負けても勝負を挑んでくる姿が嬉しくて、眩しかった」
「……わしは、鬱陶しがられていると思っておった。ずるして先に遊びに来たり、勝負の負けを誤魔化したり。おぬしは孤独を好み、不正を嫌っていると思っておったから」
「遊びの範疇さ。それに子供のやることだろう」
「む。わしは真剣だったのじゃぞ」
「俺だって勝負に手を抜いたことはない」
二人は睨み合い、それからすぐに吹き出しあった。
「たいそうな事を言ったけどな、結局俺は、傷つけるのも傷つけられるのも嫌なだけの、臆病な人間なんだ。大した人間じゃあない。そんな俺なんかでいいのなら、いいだろう、何人だって嫁にしてやる」
「ほ、本当か!?」
「あぁ、俺は人間は嫌いだが、妖怪は好きだ」
「ありがとうリエン。皆喜ぶ」
しかしリエンは、心底気の毒そうだといった顔をパイに向けて息を吐いた。
一方パイはと言えば、状況が飲み込めないといった様子で首をかしげる。
「どうしたのじゃ」
「いやな。これで嫁の貰い手が居ないのはお前だけかと思うと、ちょっと可哀想になってな」
パイは表情を強張らせて動きを止める。
「だってそうだろう。お前のさっきの話ではあの娘達を娶ってやってくれというだけで、お前は計算に入っていなかったではないか」
「そう、じゃな。わしだけ、あまってしまったのう。はは、は」
パイはしゅんと耳と尻尾を垂れてしまう。
「まぁだが、あいつらの嫁ぎ先が決まったのならお前も安心して夫を探せるわけだ。それだけの美貌と知識があれば、旦那の一人くらいはすぐに見つけられるんだろう?」
「あ、当たり前じゃ」
威勢がいいのは言葉ばかりだった。
「しかし困ったな。俺は複数の嫁をもらった時にどう振る舞ったらよいのかの知識がない。妖怪達を喜ばせる技も知らん。どこかに知識豊富な者が居てくれたらよいのだがなぁ」
ピクリ、とパイの耳が動く。
「……知識豊富な者?」
「妖怪同士の相性も分からなければ、妖怪達の好物や嫌いなものもそこまで詳しくはない。病気の事も分からん。出来れば万物の知識に通じている者の助けが欲しいなぁ」
「そ、そうじゃな。妖怪達も一筋縄ではゆかぬ。種族ごとに習性もあるしのう。それに食べて良い物悪い物もある。妖怪だけの病気もあるじゃろう」
心なしか、パイの言葉に勢いが戻り始めている。
「とはいえ俺は人間が嫌いだから、出来れば妖怪がいい。しかし妖怪といえば雌だけか。では、まず最初にその妖怪に求婚しなければなぁ。
理知的で、知識豊富な妖怪。確か白澤という種族がそんな妖怪だと聞いているが、そういえばパイ。お前の種族は何だったか」
「白澤じゃ!」
「おお。それならば是非ともお前を嫁に貰いたい。誰よりも先に」
パイは目を丸くし、頬を染める。
「お前もよく知っていると思うが、俺は逃げ出してばかりのろくでなしのくそったれだ。そのくせ、何人もの嫁をはべらすなどと口走っている馬鹿な男だ。それでも良かったら、これからも俺のそばに居てくれないか。人生の伴侶として」
「あ……」
パイの両目が大きく見開かれる。
その瞳から、ぽろぽろと雫がこぼれ落ちる。
「泣くほど嬉しかったか?」
からかうつもりだったが、パイに真面目な顔をしたまま頷かれてしまい、リエンは少しうろたえる。
助けを求めようにもそばには誰もおらず、役に立つ物が無いかと周囲を見回すが何も無い。しょうがないので、黙ってパイの頭を撫でた。
「くっく。全く、こういうことに対しては融通が効かないのじゃな。我が旦那様は」
「あ、お前」
「言った通りじゃったろ。わしくらいになれば、旦那の一人くらいすぐに見つけられると」
泣き笑いで、パイは白い歯を見せた。
「あぁ、お前は凄いよ。お前ほど魅力的なやつを、俺は見たことがない」
「感謝するんじゃぞ。このわしが一生、おぬしの生涯の伴侶として、影に日向にそばを離れず支え続けてやるんじゃからな」
リエンは彼女の髪をなでて、そして優しく抱きしめる。
「あぁ、よろしく頼む」
「リエン」
「ん?」
「ありがとう、なのじゃ」
無事に話もまとまり、これでひとまずは一件落着かと思われたのだが、落ち着きを取り戻したパイが放った一言により話は再び妙な方向へと転がりだした。
「そ、それでなリエン。晴れて夫婦となったところで、おぬしに見てもらいたいものと、知っておいて欲しいことがあるのじゃ。……部屋の中に、一緒に来てくれぬか」
「あぁ、構わないが」
妙にしおらしい態度のパイに訝りながらも、リエンは袖を引かれるまま庵の中へと入る。
しかしそれから先のパイの行動に、リエンは困惑を隠しきれず声を上げた。
「なぁパイ。泊まってゆくのは構わないが、なぜもう布団を敷いているんだ。寝るにはまだ早いだろう」
「その通りじゃ。寝るには早い」
パイはリエンへと向き直り、艶然とした笑みを浮かべながら、着物の結び目に指をかける。
はらりと道士服が床に落ち、パイの身体を覆うものは肌着のみとなる。あらわになるその曲線美を直視できず、リエンは慌てて目を逸らした。
「な、何をしているんだ」
「言ったじゃろう。見てほしいものがある、と」
パイは歩み寄り、リエンの頬に手を当てて自分を向かせる。
「わしらは夫婦になるのじゃろう。じゃがおぬしの事じゃ、口約束で後から反故にされてはたまったものではない」
「俺はそんな不実な人間では」
「分かっておる。じゃが、はっきりとした証が欲しいのじゃ。おぬしの気持ちを、この身体に確かに残して欲しい」
リエンは、パイのその朝焼けのような紅梅色の瞳から目が離せなくなる。鼻筋の通ったすっきりとした顔立ち。優しげな笑みを浮かべるその姿は、妖怪というよりはまるで天女のように思われた。
「……いいのか?」
「心の準備は、ずぅっと前に済ませてある」
リエンは生唾を飲み込み、頷いた。
「ふふ。本当に堅い男じゃの。まぁそこに惚れたのじゃが。
ほれ、顔だけでなく、身体もちゃんと見るのじゃ」
パイの指が頬を離れて、リエンの手に重なる。そして自ら、その女体へと導いてくる。
柔らかな頬、ふっくらとした唇、ほっそりした首筋から、華奢な肩口、すらりとした腕へと滑ってゆく。
そしてパイは、リエンに己の肌着の結び目を解かせる。
衣擦れの音が控えめにこぼれ、雪のように白く美しい霊峰がまろび出る。
片手では支えきれないほどの大きさでありながらも、鞠のような見事な曲線と張りを失わない豊かな乳房。その膨らみの頂点には、薄桃色の花が咲いていた。
「大き、過ぎるかのぉ。おかしくはないか?」
応えるように、リエンは自らその豊満な乳房へと手を伸ばした。
「んっ。これ、声をかけてから触らんか」
「悪い。触り心地が良さそうだったので、つい、な。……綺麗だよ、とても」
「ほ、本当か!」
途端にパイの声が弾む。
「それに感度もいい」
「お、おぬしの手つきがいやらしいだけじゃ。
……じゃが、わしの身体はもうおぬしのものでもある。触りたければ遠慮などせず、思う存分揉みしだくがいい」
「そうか。では、遠慮無く……」
リエンはこれ見よがしと左右の乳房を撫で回す。包み込むように、隅々まで指を這わせてその肌触りを楽しみ、柔らかさを堪能する。指に吸い付くような肌は、少し力を入れただけで指を包むように沈み込む。
撫でているうち、リエンは女の息遣いが荒くなってることに気がついた。
視線を上げれば、パイが頬を染めて喘いでいた。その目もとろんとしていて、リエンを見下ろす視線も色に染まり始めていた。
「そんなに、よいか?」
女の甘い匂いがした。興奮したのか、パイの肌がほんのり色づき、薄っすらと汗ばみ始めていた。
「あぁ、心地いい。ずっと触っていたい程だ」
「そ、そうじゃろう? じゃが、良いのはそこだけでは無いぞ。もっと色々と触ってみたくは無いか?」
「いや、俺は乳だけでもいいぞ」
リエンが意地の悪い笑みで見上げると、パイは涙目になって頬を膨らませる。
「冗談だ。では他も触らせてもらおう」
リエンはパイを抱き寄せつつ、乳房から腹へ、へそのしたへと指を這わせてゆく。手が滑るごとにパイの呼吸は乱れ、時に艶やかな喘ぎとなって狭い部屋の空気を色づかせる。
太もものむっちりとした感触も指に心地よい。脚には柔らかな獣毛が生え揃っていて、その触り心地も温かくふわふわだった。
尻尾は更に毛並みが良かった。リエンは故郷で色んな家畜を、都でも手入れのされた馬や貴族の犬猫を見て、触ったこともあったが、こんな触り心地は初めてだった。
毛並みを楽しんでいると、急にパイがリエンの身体にしがみつき、首元へと顔を埋めた。
「どうした?」
問いながら、リエンはパイの最後の肌着の結び目をつまむ。
「なんだか、のぼせてしまったような、変な感じなのじゃ。少し休ませて、ほしいのじゃが」
聞こえないふりで、リエンは結び目を解く。パイが声を上げたが、無視して尻を鷲掴みにした。
肉付きのいい尻を揉み、撫でる。その柔らかさ、弾力は、乳房に勝るとも劣らない。
「お前、尻もいいな」
「ばか、ものぉ……」
言葉とは裏腹に、その目はもっともっとと訴えていた。
そしてリエンは、ついに脚の付け根へと手を伸ばす。
脚や尻尾はふさふさの毛で覆われながらも、秘所を隠す覆いは薄く、すでにじっとりと濡れていた。
縦に走る線にそって指を動かすだけで、パイは身体を震わせた。少し力を込めただけで、あっけないほど簡単に膝を崩して座り込んでしまった。
リエンは慌てて抱きとめ、共に布団の上に座った。
「大丈夫か」
「大丈夫、じゃ」
パイはリエンの胸の中で乱れた息を整えながら、優しさと妖艶さが混ざり合った美しい微笑みで男を見つめ返す。
「ふふ。夢中になっておったのぉ。わしの身体、欲しくてたまらなくなったじゃろ」
リエンは返す言葉もなかった。
「ほれ、ここも、こんなに硬い」
着物の上から、パイの指がリエンの股ぐらをさする。
「なぁリエン。わしもおぬしの裸が見たい。肌に触れたい」
リエンの身体に身を預けつつ、何よりも優しげな目でパイは懇願する。
「良いじゃろ? わしだっておぬしに裸を見られたんじゃ。恥ずかしいところも、全部知られて触られてしまったんじゃから」
「あぁ。構わない。この際知りたければ過去でも記憶でも、読んだっていいぞ」
「大盤振る舞いじゃな」
「ここまでしてくれたお前になら、もう隠し事をすることも無いと思ってな」
リエンは胸のつかえが取れたような晴れやかな表情で着物を脱いでゆく。下の肌着を残して、幼い頃から面倒を見てきた妖怪の女の前に肌を晒す。
「衰えただろう?」
「そんなことはない。たくましい雄の身体じゃ」
パイは顔を赤くしながらも、うっとりと目を細めて愛しい男の身体に手を伸ばす。
腹に触れ、胸に触れ、腕に、脚に、そして頬に触れる。
目と目が合う。視線が絡み合う。息遣いが重なり合い、そして。
「ん」
唇同士が触れ合う。
一度目は軽く触れる程度に、二度目は強く押し付け合うように、そして三度目はどちらからともなく唇を広げ、お互いの敏感な部分を求め合う。
片手は互いに髪を愛おしみ合い、もう片方の手は互いの淫らな部分を探り合った。自分有り余るものを受け入れてくれる場所を、自分の足りないものを充たしてくれる部分を。
この上ない最高の食事を前によだれを垂らすように愛液で濡れてゆくそこを。
口づけは長く続いた。延々と続くかと思われたそれは、リエンの方から唇を離したことで終わりを告げた。
リエンは、申し訳無さそうに顔を伏せる。
「リエン? どうしたのじゃ?」
唇の唾液を舐め取りながら、パイはリエンの頬に触れる。
「情けないんだがな、自信が無いんだよ」
「安心するのじゃ。おぬしが童貞であることなど出会った頃から皆知っておる」
「そういうことじゃない。いや、それもだがそうじゃなくてだな。
……身体の事だ。俺はもう若くない。お前を満足させてやれる前に駄目になってしまいそうでな」
「わしは、おぬしの腕に抱かれるだけでも十分に幸せじゃよ? けれどおぬしが」
「だが、お前だって子が欲しいだろう。俺だって欲しいんだ。自分がろくな人間ではないことは自分が一番良くわかっているが、それでもいずれ自分が死ぬのだと思うとやはり自分の血を継ぐ子が、自分がここに生きた証が欲しくてたまらなくなるんだ。自分でも都合がいいとは思うが、それでもな」
「分かっておる。この時の事を考えて、ずっと準備はしておったのだ」
パイは落ち込みかけるリエンを自分の方に向かせる。
「準備?」
不思議そうにするリエンの目の前に、パイは自らの乳房を差し出す。
「いつこうなっても良いようにと、身体の中で若返りの気と精力増強の気を練っておったのだ」
「……つまりずっと俺とこうなりたかったと」
「そうじゃ。そうしたらどうせおぬしは気弱なことを言うだろうと思っておってな」
「なるほど、流石は俺が惚れた相手。出来た嫁だな」
「じゃろう?」
お互い軽口を叩き合い、唇を歪める。
「で、どうすればいい?」
「うむ。わしの乳を飲むのじゃ。……ばか。何を赤くなっておる。こちらのほうが恥ずかしくなるじゃろうが」
「分かった。乳を吸えばいいんだな」
「そうじゃ。別の国に女神が作った霊薬の伝承があってな、その伝承では海に女神の魔力を混ぜ込んだとされておる。なんでも、その霊薬を飲めば永遠の若さと美しさが得られ、その力を全盛期の状態で保ってくれるそうじゃ。
流石にわしはただの妖怪ではあるが、同じようにすればおぬしを若返らせて精力旺盛にしてやれるくらい出来るじゃろう」
話を聞きながら、リエンは真剣な顔で乳を撫で回す。
「だが、乳なんて出るのか。まさか妊娠……」
「あほう。誰かさんがいつまでも手を出してくれなかったおかげでわしはまだ処女じゃ。
見て分かっていたかもしれぬが、わしは牛の特徴を持つ妖怪でもあるのじゃ。
西方の国には妊娠しておらずとも、栄養満点の母乳をたくさん出すことのできる牛の妖怪がおる。そいつらに出来てわしに出来ないはずが無い。
まぁ量や栄養は負けてしまうかもしれぬが、乳に気を練りこめば霊薬とまでいかずとも若返りの薬効くらいは十分果たせるはずじゃ。……どうしたのじゃ」
「パイ。本当にありがとうな」
「れ、礼はおぬしの子を産んでやった時でよい。ほれ、早く吸わぬか」
「あぁ」
リエンは色素の薄い乳首に口づけ、一度ぺろりと舌で舐める。
恥ずかしがりながらも目を逸らせずにいるパイを見上げる。勃ち上がったそれを唇に含み、十分にねぶり、唾液をまぶしてから、ようやく控えめに吸い始めた。
「はぅ。あ、ああぁ」
ちゅ、ちゅう、じゅぶ。と、淫らな音を立てながらリエンは乳首を啜る。
最初はパイの肌と汗の味しかしなかった。しかしよく知るはずのその匂いはリエンの胸中に狂おしいほどの愛しさをかきたたせ、その味わいは情欲を燃え上がらせた。
諦めずに吸い続けていると、舌の上に甘みが広がり始める。
それとほぼ同時に、明らかにパイの様子が変わった。肌が桜色に染まり、眉は八の字に寄り、呼吸も乱れ始める。
「リエン。あ、あぁっ。リエン。どう、じゃ。美味い、か?」
囁くようなパイの言葉は、しかしリエンの耳にはもう届いていなかった。
初めて味わうパイの甘露は、リエンにこれまで体験したことの無い程の"渇き"を実感させていた。
もっとこの雫で乾いた身体を潤したい。心を満たしたい。そんな欲望のまま、リエンは乳を吸うのに夢中になっていた。
「リエン。そんなに強く吸ったら、ダメなのじゃ。はうぅ。頭が、馬鹿になってしまうのじゃ」
男の体にしがみついていた指に力が篭もる。指が白くなるほどに掴み、爪が食い込んでも、リエンは気づくこともなかった。
いくら牛の特徴を持っていると言っても、本来母乳を出すのはパイの種族の得意とするところではない。加えて妖力を練って霊薬として出しているとなれば、分泌できる量も限られていた。
やがて乳の出は弱まり、リエンも乳房を口から離した。
しかしパイはまだ開放されたわけではなかった。乳房は一つではないのだ。リエンは、今度はもう片方の乳房へとむしゃぶりつく。
「リエン。ダメじゃ。そんなにされたら、あ、ああぁ……」
もはやパイに抵抗できるほどの力は無かった。リエンに求められるまま、押し倒され、組み伏されながら、好きなように吸われ続ける。
「そんなに、吸われたら、空っぽになってしまう。……あぁ、けれど」
パイは愛おしげにリエンの髪を撫でながら、男の身体を抱きしめる。
「それも、良いの。おぬしにならば、全部吸われても」
パイの身体の覆いかぶさっていたリエンが、もぞりと動く。
「それならば、今度は俺のものを注いでやろう」
そう言って身を起こした男の肌はかつての張りと瑞々しさを取り戻し、その顔にも精悍さが戻っていた。
若返りとまではいかぬとも、その体は逞しく精力がみなぎっていた。
股ぐらの一物も、パイの魅力でそそり立っていた時よりも更に一回り大きく膨れ上がり、反り返っている。
パイは充血し赤黒く染まったそれに手を伸ばし、やわく掴む。
「大きい。それに硬くて、熱い」
「大丈夫か」
「当然じゃ。わしはもう大人じゃ」
パイはそれを自らの入り口に導いてゆく。
柔肉の花びらに膨れた亀頭を押し当て、そして男の体を抱き寄せる。
「ほれ、子供の頃のように震えなどいないじゃろ」
「あぁ。本当だ」
「今度こそ、おぬしのものにして欲しい。おぬしだけのものに」
「入れるぞ」
リエンは腰を落としてゆく。男の欲棒が、ゆっくりとパイの淫らな花の奥へと飲み込まれてゆく。
パイは潤んだ瞳で男の侵入を見守ると、男の腰に己の脚を絡めて、強く強くしがみついた。
「リエン。もっと深く、強く……」
リエンはパイの背に腕を回し、強く身体を引き寄せる。豊かな乳房が胸板で潰れ、欲棒がパイの一番奥、敏感な部分に更に深く突き刺さる。
パイが背を弓なりに仰け反らせ、身体を震わせる。それを押さえつけるように、リエンは更に強くその体を抱いた。
そしてリエンは、ゆるやかに腰を前後させ始めた。
愛液にまみれたパイの軟襞は、ぬるりと滑りがよかった。それでいてぴったりとリエンのものに吸い付き、きつく締め付ける。
リエンはゆっくりと動き続ける。敏感な部分がこすれ合ううち、二人の身体は次第に馴染んでいった。そのうちに動きも少しずつ大きく、早いものへとなってゆく。
控えめに淫らな水音が響き始め、そこに女の喘ぎ声が重なり合う。
腰の動きが少しずつ勢いづいてゆくにつれ、淫靡な水音も激しく、女の声も大きくなった。
リエンの広がったかり首が、パイの繊細な部分を掻き回す。
二人とも、もう言葉は無かった。
喘ぎとも呻きともつかない声を上げながら、溺れかけている人間がそうするかのように相手の身体にしがみつき、経験したこともないような激しい性愛の快感に身をゆだね続ける。
そして二人は、大きな波が近づいていることを予感する。
「パイ。どうやら、俺はもう、限界のようだ。すまん」
「よいぞ。おぬしの、数十年分の想い。すべてわしが、受け止めてやる」
リエンは、一層強くパイの身体に己を深く沈み込ませる。
パイはリエンを強く抱きしめ、締め付ける。
そして低い呻きとともに、パイの身体の一番深い部分にリエンの煮詰められた情熱が解き放たれた。
肉棒が激しく脈打ち、その度に白い欲望がパイの胎の中に浴びせられ染められてゆく。
興奮を抑えられないリエンは、さらに腰を振り続ける。そのたびパイの純潔は白く穢され、欲棒によってその胎内に白濁が塗りたくられるのだった。
官能で震える体を、互いの身体にしがみつくことでしのぎあった。
乱れていた呼吸が収まってくるころ。二人はようやく己を取り戻し、真っ赤になってお互いの姿を見つめ合った。
「……何だ、その」
「ふふ。どうじゃった? わしの抱き心地は」
「思っていたよりずっと良かったよ。最高だった」
パイは少しぽかんとしたあと、小さく吹き出し、それからはにかむ様に笑った。
「おぬしは本当に真面目で素直な男じゃのう」
「それだけが取り柄だからな。しかし、若い頃に女に手を出してなくて来なくて良かったよ」
「なぜじゃ?」
「こんなに良かったら、溺れて他のことが手につかなくなる。いや、お前が相手だったから、こんなに良かったのかな」
「全く、本当に素直な男じゃ」
パイは赤くなったまま、下腹をさする。
「初めてじゃというのに、こんなに滅茶苦茶にしおって。おかげで胎の中がおぬしの種汁まみれじゃ。そのうえあんなに掻き回しおって。早くも一人目を孕んだかもしれん」
パイは満足気に息を吐いて、妖しく微笑みながら艶のある視線で見上げる。
「……本当に、どうにかなりそうじゃったぞ」
リエンは息をのみ、改めて己の胸の中の女の美しさに心を奪われた。
そしてその隙をつかれて、ごろりと横に引き倒されて、今度はリエンがパイに馬乗りになられる体勢となる。
目の前に豊かに実った大きな乳房が揺れる。
パイは余裕のある表情で唇の端を上げた。
「癖になりそうなほどよかった。じゃが、一度ではとても足りない。おぬしもそうじゃろう?」
「いや、俺は」
「しかし、ここはそうは言っておらぬぞ」
パイの指が、リエンの一物をつかむ。いまだに硬さと熱を失わない、猛り狂う獣を。
「リエン。もう一度しよう? 何なら、わしがその気にさせてやる」
パイはリエンの身体を這い回る。男のまたぐらが自らの胸元に来るあたりまで下がり、にたりと笑う。
天を目指して屹立する肉棒を、さらに大きな乳房の山脈で包み込み、覆い隠し、そして緩やかにゆすり始める。
「お、おおお」
「熱いのう。火傷してしまいそうじゃ」
パイは乳房を腕で支えながら、リエンをもみくちゃにする。
「おぬしに精を注いでもらったおかげで、わしの身体にも妖力が戻ってきたようじゃ。乳もまた出始めたぞ。ほれ、ぬるぬるして気持ちいいじゃろう」
パイの乳房が動きに合わせて卑猥に形を変え、ぐちゅるぐちゅると淫猥な音を立てる。
乳と愛液と精液が混ざり合った匂いが部屋に立ち込め、消えかけていた情欲の火に再び油を注ぐ。
「パイ、まだ敏感なんだ、頼む、もう少し優しく」
「初めて男に抱かれる初心な女の、休ませてほしいと言う頼みに対して、おぬしはどんな仕打ちをしたんじゃったかのう?」
責めるような目でそう言われると、リエンは何も言えなかった。
「案ずるな。悪いようにはせぬ。わしの乳まみれになれば、おぬしの性欲と精力はさらに若々しさを取り戻すじゃろう。それにこうして、口と舌でも妖力を注ぎ込んでやれば……」
パイは唇を舐めると、乳の谷間から顔を出している亀の頭を咥え込む。
熱く柔らかい粘膜がリエン自身を包み込み、ねっとりと汁気を帯びた舌が亀頭を舐め回す。
くちゅくちゅと欲棒を揉まれる水音に、さらにじゅるじゅると吸い上げられる音が重なる。
崩れかけていたリエンの理性は、次第にどろどろと溶けていった。
それは燃え盛り始めた情念へと注がれ、一晩経っても消えることのない続ける大きな炎へと燃え上がるのだった。
その日、リエンは夢を見た。
そこは生まれ故郷のようにのどかでいて、しかし青春を過ごした都のように活気があった。
人間と妖怪が共に手を取り合い、助け合い、信頼し合う。
そこに身分の差は無く、種族さえも関係なく、互いを慈しみ合い、愛し合う。
そんな世界の夢を。
目が覚めるとそこは、生まれ故郷の小屋でもなく、都の官僚用の一室でもなく、いつもの庵だった。
「うぅん。リエン、そこは、まだだめなのじゃ」
唯一いつもと違うのは、隣に白澤の女が寝ていることか。
リエンは身を起こし、安らかに眠る愛しい者の顔をじっくりと眺める。
幼いころから遊び疲れるとすぐ寝てしまう子だった。様々な知識を持っているにも関わらずひねくれず、真っ直ぐで、純粋で、無垢で。
気づけば白い髪を、頬を撫でながら、自然と微笑んでいた。そんな自分に気が付き、リエンは内心で自分の変化に驚く。
「ん。くすぐったいのじゃ」
「起こしてしまったか」
「大丈夫。ちょうど起きたところじゃ」
パイは猫のように微笑んで、頬に触れているリエンの手に手を重ねる。
「夢を見たよ」
「いい夢じゃったか」
「あぁ。いい夢だった」
「昨日の今日でそんなことを言われてしまうと、ちょっと妬けるのぅ」
リエンは笑い、パイの額に口づけする。
「お前のおかげかもしれん」
「そうか。ならよい」
「なぁパイ。もし俺が国を興そうなんて考えていたら、お前は笑うか?」
「そうじゃのう。一緒に笑いながら、隣でおぬしの手伝いをしてやろうかの。おぬしの夢は、わしの夢でもあるからのう」
パイは歯を見せる。本気なのか冗談なのか分からなかった。リエン自身、自分の思いつきに呆れているくらいなのだ。
「ありがとうよ。そのときは、よろしく頼む」
しかし自分は本当はどうしたいだろうか。若いころに憧れた、はっきりと形にもならなかった理想に、再び手を伸ばして形作りたいのだろうか。
考えていると、引き寄せられて唇を奪われる。柔肌を押し付けられると、もう難しいことも考えられなくなってくる。
一度は世の中から逃げ、隠れた身だ。このまま妖怪の女と色に溺れてしまうのも、決して悪くはない。
「今日は良い花見日和になりそうじゃ」
リエンはパイを抱いたまま、のっそりと外を見上げる。
すでに日は高く昇っていて、今にも中天にたどり着こうかという程だった。昨晩は明るくなるまで愛し合っていたのだから、それも当然だ。
「参ったな。花見の計画も団子の準備も何もしていないぞ」
「大丈夫じゃ。わしがすべて考えておいた。なんの問題もないぞ」
パイはしたり顔で胸を張るが、リエンは妙な胸騒ぎを覚えた。計画はともかくとして、料理の準備は今からではどうしようもないのだ。
「……それは助かるが。どうするんだ」
「なぁに、わしらは皆色を好む妖怪じゃ。お前に自らの花を見てもらうのに、恥じらいはしても不満を言う娘はおらん」
「自らの花?」
「普段は皆隠しておる。雌ならば皆一輪は持つ、愛する者にしか見せぬ情熱の花じゃ。おぬしも昨夜は夢中になって匂いを嗅ぎ、蜜を啜ったじゃろう?」
パイは股を広げて、美しく咲き誇る花を見せつける。昨晩さんざん愛でた跡がしっかりと残った、淫らな花を。
「なるほど、そういうことか」
リエンは呆れつつも、しかし苦笑いでさらに問いかける。
「で、団子は」
「おぬしがぶら下げているものが二つあるじゃろう」
やわやわと女の手に掴まれると、あっという間に串も太く硬く反り返る。
「大したものだ。よく考えたな」
「ふふ。わしを誰だと思っておる。万物の知識に通ずる妖怪、白澤じゃぞ?」
「恐れ入った。しかし、団子は二つだけで足りるのか?」
「足りなくなれば補充すればよい。何なら今から中身を補充しておくか?」
パイは乳房を揺らして、リエンを誘う。
リエンは声を上げて笑い、それから乳房を鷲掴みした。
「俺も堕落してしまったな」
「なに。世の中に変わらぬものなどありはせぬよ。それにわしは、おぬしがどんなに変わろうがそばにおる。
あん。これ、吸うなら吸うと言ってから。あ、はぅ、いきなりそんなにがっつかれたら、あ、あ、あ、ああぁ」
リエンは桜色の果実にむしゃぶりつき、その豊かな身体に溺れる。
先の事は分からない。だが、今はこれでいい。
愛を向けられる事を知り、愛を受け止める事を学び、愛を向けることを身に付ける。
いくら歳をとっても知らないことはたくさんある。いくら老いたとしても出来ることに限りはない。
遠くから、妖怪の娘たちの声が聞こえてくる。
山中の庵は、今日もまた賑やかになりそうだ。
ここは人里から遠く離れた、山奥の森の中。どんなに下品に激しく乱れようが、卑猥な言葉を叫び大声で嬌声を上げようが、どこにも咎める者は居ない。
酒池肉林さえ霞むほどの、終わることのない淫らな宴の始まりは、もうすぐだった。
16/05/14 23:58更新 / 玉虫色