読切小説
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孤独の刃
 生まれた時から、私は独りだった。


 冷たく鋭利な鋼の刀身に、満たされることを知らぬ乾いた魂。それが私の全て。
 本来意思を持つはずが無い刀剣に宿ったものが、私だった。私には自我があり、意志があった。いつからそうだったのかは覚えていない。気が付いた時には、私は私になっていた。
 身体のどこにも温かい血の巡る場所は無く、他者と意思疎通をするための手段も無かった。冷たい鉄の身体に宿った私の心は、いつも乾いて冷え切っていた。
 けれど私は、いや、だからこそなのだろうか、生まれた時から温かさに飢えていた。生きるものの温もりに触れたくてたまらなかった。それだけが私の欲求であり、願いだった。
 本来、道具というものは使い手がいなければ動くことも役割を果たすこともままならない。
 だが私の創造主は、私に普通の道具には無い力を与えてくれていた。
 それは、私を手に取った者を、私が支配する力。
 武具の方が所有者を使うという、恐るべき力だった。


 鉄の身体は温もりを知らず、常に凍えるようだった。少しでも身体を温めなければ心が消えてしまいそうで、いつも温もりが欲しくてたまらなかった。
 だから私は、手に取った人間を使って自分の欲望を求め続けた。
 そしてその度、私が通った後にはいつも大量の殺戮が起こった。
 剣である私は、皮を裂き、肉を斬り、骨を断つことでしか他者と交わることが出来なかった。血を浴びることでしか温もりを感じられなかった。
 私が心を満たそうとすればするほど、周りには無差別な死がばら撒かれた。
 その事実を私自身が理解するまでに、所有者が何人か入れ替わるほどの時間がかかった。
 その事実を私自身が受け入れられるまでに、更に同じくらいの時間と人の命が必要だった。
 だが、理解し受け入れてもなお、私は自分では自分の行動を止めることが出来なかった。
 凍てつくような寒さは魂さえも冷たく蝕み。
 誰とも繋がることの出来ない孤独に心は荒み続けた。
 寒さを一瞬忘れるためだけに、ほんの僅かな温もりを求め続けた。
 兵隊も斬った。貴族も斬った。奴隷も斬った。年寄りも、大人も、子供も、幼子でさえも関係なく、斬って斬って斬り続けた。
 人間以外のものも斬った。獣も、虫も、魔物でさえも。斬れるものは何でも斬った。
 そして気付けば、私を討伐するためだけに無数の戦士が私の前に集まっていた。
 こんなたくさんの人間が私のためだけに集まってくれたことに、私は身が震えるほどに歓喜した。
 そして私の罪状を聞かされ、自分がどれだけ大きな屍の山に立っているのか。自分がしてきたことが人間達にとって一体どういう意味を持っていたのか。それをようやく身を持って実感した。
 戦士達は皆、愛する者を失った悲しみと、私に対する憎しみに溢れていた。
 その原因は、全て私に、私の欲望にあった。
 私は別に、誰かを傷つけたかったわけではなかった。
 ただ誰かと繋がりたかった。その温もりに触れたかっただけだった。私が触れるとその相手は血を流し、命を落としてしまうが、それは仕方がないことだと思っていた。
 だが、大切な誰かと触れ合い、交わり、繋がっていたいと思うは人間も同じだったのだ。
 私が触れてしまったから、殺してしまったから、この戦士達は愛する相手を失った。
 触れる相手が居ない悲しみも孤独も寒さも、私は良く知っている。
 それが長年に渡って触れ合い続け、温め合い続けた相手を失ったのなら、どれだけの悲しみと孤独と寒さになるだろうか。きっとそれは、私の想像も付かないほどに強く深い物に違いない……。
 私は、近付きたいと思っていた相手を遠ざけてしまうようなことを延々と繰り返していたのだった。
 私は初めて途方に暮れた。そして初めて自分という存在に疑問を持った。本来存在するはずも無い、意志を持つ剣という己の存在に。
 その時、ようやく私は理解した。
 全ては私を作ったものの狙い通りだったのだと。
 殺意や害意に精神を支配されようとするのならば、使用者も抵抗しようとするだろう。だが私はただ猛烈に、他者と交わり温もりに触れたかっただけだった。その欲望は、それほどの抵抗もなく使用者の心に侵入し、侵食する。
 私の使い手は、ただ誰かに触れようとしただけなのだ。ただその方法が、私を振るうという選択以外には無かっただけで。
 こうして私の使用者は本人にその意志も無いまま、まず最初に一番身近で大切な人間を手に掛ける。そして壊れた心が欲望の赴くままに走りだし、狂気に向けて疾走するのだ。夜の森を全力で駆け行くように。
 どこかで、私の創造者が笑っているようだった。
 私が自分自身だと思っていたものは、全て創造者が目的を果たすためだけに用意した作られた物に過ぎなかった。
 いわば、この器だけでなく心さえも殺戮のためだけのものだったのだ。
 もう私は抵抗する気は無かった。ただひとつの願いでさえも、己自身で否定する他無くなった私は、ただただ破壊されることだけを望んだ。
 私の最後の使用者はその身を八つ裂きにされ、果てた。
 そして私自身も、堅牢な箱に厳重に閉じ込められ、幾重にも封印を施され、他の邪悪や禁忌とともに闇へと葬られた。
 だが、これが神が私に与えた罰だったのか、私は破壊してはもらえなかった。
 道具である私には睡眠という概念も無かった。眠りにつくこともままならないまま、私は己のしてきたことを悔やみ続けながら、闇の中に身を預け続ける他無かった。


 ………………


 …………


 ……


 お城の古い倉庫で値の張りそうな剣を見つけた。

 あれからどれほどの時間が経ったのだろう。

 埃を払って見ると、まだ状態はかなりいい剣だった。

 気がつけば私は箱から出ていた。

 試しにと、私はその抜身の刀剣の柄を手にとってみた。

 人間の温もりが、再び柄を温める。

 その瞬間。

 私は長い時を経て再び仮初の肉体を手に入れ、同時に私は人智を超えた魔剣の力を手に入れていた。

 そして私は私と一つになり私になった。

 これまでの使用者と違い、今度の使用者はその肉体もまだ未成熟で弱々しく、心もそれに比例するように非常に不安定で儚く脆いものだった。
 そのせいだったのだろうか。彼女の心、その孤独な魂の全てが、私の心と魂にも刻まれた。その感覚を自分の事のように知覚することが出来るようになっていた。
 そして剣を手に取った瞬間、私の頭の中に知識と記録が流れ込んできた。その剣が心を持っていて、悲しい宿命を背負わされた挙句に長きに渡って棄てられていたのだということが心で理解できた。
 今まで屈強な戦士を使うことが多かったというのに、そのどれよりもこの少女の体が自分にはしっくり来た。
 武器なんてナイフくらいしか使ったことがないのに、長大な剣なんて重くて使いこなせるはずもないのに、妙にこの剣は手に馴染んだ。
 いや、私は人斬りの魔剣のはずだ。違う、私は城の倉庫に忍び込んだこそ泥で……。つまりは魔剣であり、盗っ人の女であり、そのどちらでも無く、どちらでもある、そういう存在。そういうものになった?
 私は、私は?
 だが、そのどちらだったとしても何か問題があるだろうか。
 人斬りの魔剣と、盗む事でしか生きられない女。既に正しい事など何も無いのだ。今更問題が増えたところで、大したことでは無いではないか。


 生まれた時から、私は独りだった。
 父親は人間同士の戦争に取られて死んだらしい。母親も身体が弱くて、父親が居なくなった事に耐えられなくなって病気で死んでしまったらしい。
 物心ついた時には孤児院に居た。実際に両親を見たことはない。全部聞いた話だ。
 周りにはいつも同じような子供がいっぱい居て、戦争で食料も少なくていつだって食べ物を取り合って喧嘩ばかりだった。
 孤児院の院長は意地悪な爺さんで、気に入らないことがあるとすぐにぶってきた。
 大人になる前に戦争は終わった。どちらが勝ったとかでは無く、どちらの国も戦争が出来ないくらいに消耗しきってしまったから、結局なし崩し的に終わったんだとあとから聞いた。
 戦争は終わった。だけど平和は訪れなかった。
 国の中はめちゃくちゃで、法律も正義も何もなかった。さらにその後魔物の勢力も入ってきて、国内は本当に混乱して国の体を成さなくなった。
 孤児院に居た子供達も少しずつ減っていった。
 悪そうな大人に声をかけられる子もいたし、無理矢理連れて行かれた子も居た。大体大柄な男の子や、綺麗な女の子から選ばれていった。
 あの時はこんなゴミ溜めから早く抜け出せて羨ましいと思った。けれど今となっては、決してそんな風には思えなかった。優しい場所なんてどこにもないと知ってしまった今となっては。
 結局時間を置かずに孤児院もその役割を果たせなくなって、私を含め最後まで残った何人かの子供は無法の街に放られた。
 私達は郊外の廃墟に身を潜めて、息を潜めて鼠のように生きるしか無かった。
 大人の目から逃れ、大人の目を盗んで、食べ物や金品を盗み、逃げながら、何とかその日その日を生きていくしか無かった。


 ねぐらに帰ると、相棒はまだ戻ってきていなかった。
 貧民街も外れの廃墟で暮らすようになって数年。孤児院で一緒だった仲間達も、残っているのは三人だけだった。
 盗みを見つかって捕まったり、身体を売るうちにそちらの世界から抜け出せなくなったり、自分から何処かへ行ってしまったり、魔物にさらわれたりして、みんな居なくなってしまった。
「あ、おかえりなさいマリー」
 奥の寝室にしている部屋から、一番下の子だったスーが顔を覗かせる。私の姿を認めると、少し癖のついたくすんだ金髪をなびかせながら部屋から飛び出してくる。
 青くて大きな目が特徴的な、お人形さんのように可愛らしい私の妹分。
 まだ小さくて身体も弱いから、スーはいつも留守番だ。
 だけど留守番も立派な仕事だった。スーは私達のような子供を狙うゴロツキの気配を察知するのに長けていて、危険が迫ると必要なものだけ持ってすぐに逃げ出し、私達を安全な場所に導いてくれるのだ。
 私を見上げて、スーは顔を綻ばせる。
 身体が疼いた。
 駆け寄ってきた彼女を、私は抱きしめ、髪を撫でる。
 肌で感じる、初めての温もり。汗の匂いの混じった、少女特有の甘い匂い。瑞々しい肌の感触。
 長年求め続けていた他者の感触。
 しかしその内側に秘めた魂からは、私と似たような孤独と絶望の匂いがした。
「きゅ、急にどうしたのマリー」
「なんでもないわ。ちょっとからかいたくなっただけ」
「でも、震えていたわ」
 マリーは心配そうに私を見上げる。そんな彼女の髪を、私はちょっと強めに引っ掻き回した。
「もう。やめてったら。……それで、今日はどこまで行っていたの?」
「驚くわよ。なんと前のお城の古い倉庫まで行ってたの」
 マリーは本当に目を丸くした後、何故か顔を真っ赤にして大きな声を出した。
「駄目よ! そんなところに一人で行ったら危ないじゃない!」
「だ、大丈夫よ。周りには十分気をつけているし。いつも誰も居ないことを確認して」
「いつどこに誰が隠れているのかわからないのよ。後から来るかもしれない。同じような子供だったらまだ何とかなるけど、大勢の大人の泥棒もいるんだから。マリーは女の子なんだし、綺麗なんだから気をつけないと」
「わ、私は別に」
「シズも心配するわ」
「し、シズは関係ないでしょ」
 私は綺麗という部類に分類されるのか。しかし、なぜ顔が熱くなるんだろうか。
「呼んだか?」
 男の子の声が後ろから聞こえてくる。
 振り向けば、話題に登っていた相棒がちょうど帰ってきたところだった。
 色あせた赤髪に、焦げ茶色の瞳。そばかすも散っているけど、顔立ちは私から見ても悪く無い方だと思う。細身でちょっと頼りなく見えることもあるけれど、頭の中では常に二手三手先のことを考えている頭脳派。
 盗みの手腕は私程ではないけれど、頭がよく弁が立つ彼は私の代わりに盗品を売りさばいてくれている。
 仮に私がいくら盗んできたとしても、彼が居なくてはろくにお金に変える事は出来ない。いわば私達にとってなくてはならない存在だった。
 白い歯を見せて笑顔を向けられると、なぜだか強烈に下腹の辺りが疼いた。突き上げるような衝動に、一瞬目眩さえ起きそうになる。
「お、おい。どうした?」
「いえ。何でも無いわ」
「ねぇ聞いてよシズ。マリーったら、一人でお城に泥棒に入ったのよ」
「何だと! それは本当か?」
 シズが血相を変えて近づいてくる。そして間近で私をじろじろと見るだけでなく、べたべたと身体を触ってきた。
「ちょ、何よ」
「……何だよ。その割に成果はそんなんでも無さそうだな」
「ちょっとシズ!?」
 私ではなく、スーが避難の声を挙げる。私はといえば、触られている間中肌の下をのたうち回る衝動を抑えるのに必死で何も言えなかった。
 どうやら身体を触っていたのはポケットの中身を確かめていたらしい。私はため息を吐き、胸元に入れておいた小袋を取り出す。
「もうあらかた盗まれたあとだったのよ。必死でかき集めてこれだけ」
 シズは中身を改めて口笛を吹いた。
「指輪に、小さな宝石か。よく残ってたな」
「暗いから見逃したんでしょ」
「その腕輪もそうか?」
 シズは私の右腕に嵌められた私自身。焼けて赤くひび割れたような、朽ちた腕輪に目ざとく気がつく。
「えぇ。成功の記念にね。どうせ値段も付かないガラクタだろうし、もらっていいでしょう」
 我ながら皮肉が効いていると思った。けれど、こういう古い道具が、私は嫌いではなかった。
「何ならもう一度行って、壊れていないものを探してこようか?」
「いや、やめておけ」
 シズは袋の中身に目を移しながら、ぴしゃりと言い切った。
「もうろくなものなんて残っていないだろう。それより他を当たったほうがいい。実入りが悪くても安全なところがもっとあるさ」
「……心配してくれてるの?」
 シズは、ぼそぼそと何かをつぶやく。
「え、なぁに?」
「うるせー」
 聞こえないふりで聞き直したけれど、本当は聞こえていた。
 『あまり心配させんなよ。怪我したらどうすんだ』シズはちゃんと、私が怪我していないかも見ていたのだった。
 なんだか身体が温かくなる。
 他人に身を案じられた事など初めてだった。
 違う。言葉にしなくてもいつもシズもスーも心配してくれているのは分かっていたけれど、改めて実感するとこそばゆい感じがした。
「それより、昨日のお前の稼ぎだけどな、結構高値で買い取ってもらえたよ。おかげで今日は干し肉も買えた」
 シズは腰に結わえてあった荷袋から、その中身を机の上に広げてみせる。
 一日分のパンが三人分に、少しずつだけれど野菜と、切れ端ほどの大きさだったが確かに肉があった。
「凄い。久しぶりのお肉だ!」
「今日はちょっといい気分になれるわね」
「あぁ、夕食にしよう」
 私達は笑顔を寄せ合いながら夕食の準備を始めた。誰も欠けず、怪我もせずに無事に一緒に夕食を迎えられることに安堵しながら。


 夜。シズとスーが眠りについたことを確認した私は、一人部屋を抜けだした。
 返り血で汚れないように衣服を全て脱ぎ、裸になって、人気のない貧民街の路地裏に身体を晒す。
 夜風が身体を撫でてゆく。月光が、女になり始めた肢体を白く浮かび上がらせる。
 私は初めての感覚を与えてくれる自分の体を抱きしめ、そして腕輪の形に封じていた私を抜き、身に纏う。
 右腕の腕輪が増殖し、腕だけでなく右半身全てを覆い尽くす。血と錆で赤く染まった刀身が手のひらから滑り出し、柄がその手に収まる。
 長年に渡り封印されていたせいか、封印されていた間に魔王が幾度も代替わりしていた影響か、それとも感覚を共有できる肉体を得られたおかげか、私には新しい力が備わっていた。
 一つ目は、身体の制御。
 かつてはただの片手剣の姿でしかいられなかったが、いつの間にか形を小さくしたり、篭手や腕輪のような形に偽装することが出来るようになっていた。
 刀身の一部を肉体に纏わせて防具のようにすることも出来る。同じようにすれば、刀身を両手剣くらいの大きさにすることも可能だろう。
 そして制御できるのは剣の自分だけでは無かった。か弱い少女の身体の全てを支配し、操ることが出来ていた。
 私は街を一望すべく、部屋の屋根の上に跳躍する。
 音もなく着地し、更に高い建物へ。上へ、上へと跳び続け、街で一番高いところ、時計塔の上にまで跳び上がる。
 いつから時を刻むのを止めたのか知れない、止まったままの時計の針の上に佇み、私は脚の具合を確かめる。
 人間のままでは決して不可能な跳躍の連続。しかし肉体が無意識のうちに掛けている制御を外し、そこに魔力を乗せれば、このくらいの動きは造作無かった。
 自分自身でも思い通りにならない女の身体に悩むことも多かった自分としては、これ以上ないほどに爽快な気分だった。
 そして私は、もう一つの新しい力を試す。
 街を一望できる場所に立った私は、目を凝らし、耳を澄ませる。
 意識を研ぎ澄ますうちに、夜の闇の中に薄ぼんやりとした光が浮かび上がってくる。
 人間が居るところに、一つずつ。二つと同じもののないそれは、さしずめ魂の光とでも言えばいいだろうか。
 生き物の魂を感知する。これが二つ目の力だった。
 元々私には人間の魂を感知する力が備わっていたものの、こんなにはっきりと色や匂いを感じる事は出来なかった。
 恐らく、肉体を通じて視覚や嗅覚を得たことにより感じ方が変わったのだろう。
 この街には、人間、魔物、様々な生き物が暮らしていた。
 浮かび上がる魂の灯りは、さながら鏡写しの星空のようでもあった。
 けれどその灯りは、どこかもの寂しかった。
 悲観にもがく魂。諦念で鈍る魂。不安に震える魂。そして絶望に静止した魂。周りの光に追いやられながらも、そんな虚ろな光は少なからず存在していた。
 その虚ろな光の中から、私は一つの魂に狙いを定める。
 目的はただ一つ。
 斬るためだ。
 肉体は得られた。長年夢見ていた人間に温もりに触れ、他者との繋がりも感じられた。
 けれどこの刀身はいつまでも冷たいままだった。刀身としての繋がりは得られぬままだった。
 この剣の身体にも温もりが欲しかった。繋がりたかった。その渇望は、肉体で得られる感覚では足りなかった。
 分かっている。この剣で温もりを求めれば、触れた相手はたちまち生命を落としてしまう。
 けれどそれでも、この身が自由に動ける以上、剣である私は人を斬りたいという衝動を抑えられない。いわばそれは生き物が呼吸し、食事をするのと同じことだからだ。
 長い封印の時を経ても私の本質は変わらなかった。むしろ悠久に続くかのような孤独は、私の欲望を更にまざまざと自覚させただけだった。
 私は、人を斬らずにはいられない。
 ……だから今度は、せめて相手は選ぶことにした。斬るべき魂を、終わりを望む魂を斬ることにしたのだ。
 望んでも誰とも繋がることの出来ない孤独を私は良く知っている。
 常に危険に晒され続ける恐怖を私は良く知っている。
 そしてそれが当たり前になる苦しみと絶望を身を持って知っている。
 延々と続く絶望に苛まれ続けるよりは、一瞬の苦痛とともに全てから開放される方がどれほど楽だろうと夢見たことか。
 私は、そういう人間を選んで斬ることにした。絶望した人間が狂気に醜く歪んでしまう前に、抱いた希望が決して叶うことが無いと悟りきってしまう前に、まだ人間としての美しさが残っているうちに。
 幸か不幸か。今の私にはその力がある。
「……」
 私はねぐらを振り返る。
 ぽつりと、虚ろな光が二つ浮かんでいた。
 シズ、スー、そして私自身。誰かと居る時は笑ってはいるけれど、三人が三人とも、先の見えない不安を抱え、大人の力に恐怖し、無力な自分達に絶望している。いつ誰に全てを奪われ、犯され、殺されるかも分からない。毎日が綱渡り。恐怖の連続だ。
 何となく感じていた。けれどこの剣の力で、間違いないものだったのだと悟ってしまった。
 スーは、その年頃の少女では本来耐えられないであろう程の恐怖と不安を抱えていた。
 そしてシズは、知識があるからだろうか、スーとは比べ物にならないほどの絶望感と無力感に震えていた。
 本当は、一番最初にあの二人の温もりに触れたかった。全てを押しつぶし塗りつぶす絶望から救いたかった。
 けれど、今度はもう封印では済まない。ならばせめて終わりを願いつつ終われない生命を全て斬ってから。それから最後に二人を斬りたかった。
 そうしたら、最期には自分を斬ろう。
 私は冷たい月を仰ぎ、そして夜の街に飛び込んだ。


 最初に選んだのは、余命いくばくもない少女だった。
 古ぼけた診療所。月光の差し込む病室で、彼女は一人死んだように横たわっていた。
 全身が病魔に蝕まれやせ細っていた。手足は枯れ枝のように細く、乾いて、触れただけで容易く折れてしまいそうなほどだった。
 一人では恐らくまともに動くことも出来ないだろう。けれど、それでも彼女はまだ呼吸をしていた。生きていた。
 頬は痩けていたが、顔立ちは美しかった。健康でさえあれば、きっと恋をして、その生命を輝かせていた事だろう。
 私は心臓の上に切っ先を向ける。
 そして一思いに、ベッドごと心臓を刺し貫いた。
 生命の証拠である熱が刀身に沁み渡る。血液を全身に送り出す脈動が、まるで自分の心臓のように鉄の身を震わせる。
 腹の底から激しい感情が湧き上がった。
 剣であるこの身体から、この肉体の下腹から、脈打つように歓喜に似た感覚が広がってゆく。生きているという感覚が満たされていく。
 久方ぶりに人間の体温に触れられた昂揚。人間と繋がることが出来た悦び。そしてこの肉体でもまだ未経験の、ぞくぞくするような心地よさ。少女の魂を解放できたという充実感。
 分かっていた。これはただの人殺しだということは重々承知の上だ。けれどもこの身は剣、元々人を傷つける為に作られた自分が、奪うことしか出来ない自分が、無差別に傷つけるのではなく、奪うことで、少しでも誰かの役に立てたのかもしれないと思えることは、それだけで救いだった。
 少女が人としての生命を終わらせた事を確認した私は、心臓から刀身を抜いた。
 血液は出ていなかった。きっと全て私が吸い尽くしてしまったのだろう。
 診療所を去る前に振り向いた時、終わりを迎えた少女の顔が少し安らかに見えたのは、多分私がそう思いたかったからだろう。
 そして私は、来た時のように夜の闇へとその身を潜ませた。
 私に気付くものは、誰もいなかった。


「おはよう。マリー」
 スーの声と小鳥の鳴き声で朝が来たことを知った。
 いつも通りの目覚めだった。いつもと何一つ変わらない朝だった。
 寝ぼけ眼をこすっていると、シズが既に外出の準備を整えていた。
「もう出かけるの」
 声をかけると、シズは少し驚いたように手を止めた。そしてそれからこちらを向いて、いつもの笑みを浮かべる。
「あぁ。お前が昨日盗ってきたものを、少しでも早くさばいておこうと思ってさ」
 それから、ちょっと真剣な顔になった。
「今日は危ないところに行くなよ」
「分かった分かった。今日は通りでお金持ちの財布でも狙うことにするわ」
 私が手を振ると、シズはちょっと呆れたような顔で荷物を担いだ。
「それじゃ俺は行くよ。本当に気をつけろよ」
 彼の気持ちがわからないわけでもない私は、一応真剣に頷いておいた。
 一緒にシズを見送った後、今度はスーまでおっかない顔を向けてきた。
「本当に、危ないところに行っちゃダメだからね。あと危ない人も狙っちゃダメ」
「スーまでそんなに言わないでよ。分かってるわよ」
「あと、顔洗ったほうがいいわよ。よだれのあと付いてる」
 口元を拭って、ため息を吐く。
 私は素直に表に出て、冷たい水で顔を洗う。スーが居ないことを確認してから、念入りに何度も冷水で頭を冷やした。
 ……そうでもしないと、今にもシズとスーに斬りかかりかねなかったからだ。昨日の人斬りの快楽は、それだけ強く私の身体に染み付いてしまっていた。
 しかしそれ以外については、本当に何の変哲もない、いつも通りの朝だった。


 それから私は、昼間は盗みを働き、夜は人を斬るという生活を続けた。
 常識的に考えれば、最低最悪な生き方だ。だが、そうしなくては生きられなかった。奪わなければ誰も食べ物も与えてくれないし、後ろ盾のない私達には働き口も無かった。誰かの温もりに触れなければ、それこそ気が狂ってしまいそうだった。
 けれど新しく得た力のおかげで、盗みも人斬りもこれまで以上に上手く出来た。
 剣の力のおかげで周囲の人間の気配や視線が分かるようになり、より安全に確実に盗みが出来た。肉体と感覚のおかげで斬るべき人間をすぐに発見し、素早く移動し、斬ることが出来るようになった。
 食べ物を盗んだ。金銭を盗んだ。放置された家や倉庫を漁った。時には悪辣な富豪や役人の家にも忍び込んだ。
 死にかけの病人を斬った。事業に失敗して全てを失った男を斬った。子供が産めないからと捨てられた女を斬った。身内同士の恋に絶望した兄妹を斬った。腐敗した体制に自棄になった貴族を斬った。
 これだけにはとどまらなかった。
 本当に、色々なものを盗み、色々な人間を斬った。
 数日間は、それで上手くやっていけた。
 だがこんなことはそんなに長く続けられるわけもなかった。


「最近、街中で人斬りが出ているらしい」
 ある日の夕方、取引を終えて戻ってきたシズが開口一番そう言った。
 私のしていることが世間に気付かれかけているようだった。いや、人が死んでいるのだから、気付かれないはずが無いのだ。
 かつてのように私を殺すべく討伐隊が編成されるのだろうか。
 全ては因果応報だ。私はどうなろうと構わない。けれど、私が追いつめられた時にシズやスーはどうなるのだろう。
「人斬り……。怖いよ。この辺にも出るのかな」
 その恐ろしい人斬りが私だと知ったら、二人はどうするだろうか。……それこそ、怖くて想像することも出来なかった。
 何と言っていいか分からずに困っていると、シズが笑いながらスーの頭を撫でた。
「出るのは街の方だから、こんな人気のないところには来ないさ。マリーもそんなに不安がるなよ」
「え、ええ」
「けどその人斬り、ただの人殺しじゃ無いみたいなんだ。魔物娘達の話によると、人斬りが起き始めたのと同じくらいに城に封印されていた古代の魔剣が消えたとかで、斬られた人間がみんな」
「ちょっと待ってシズ、魔物と交流を持っているの?」
 シズは不思議そうな顔で私を見るが、私は聞き捨てならなかった。
「交流というか、話をしたというか」
「魔物達は私達みたいな子供を探して、捕まえているのよ。そんな安易に近づいては駄目よ。見つかってしまうわ」
「そうは言っても、ここはもう魔物娘の領地なんだし、魔物娘に会わずに仕事を進めるなんて今はもう無理なんだよ。それに、これだけ街の中に魔物娘がいるのに、魔物娘を見た途端に逃げ出すほうが逆に怪しいだろう」
「だけど」
 なぜだろう。胸がざわざわと落ち着かなくなる。シズが魔物達にさらわれたらと思うと、いてもたってもいられなくなる。
「私も、今の魔物娘さん達はそんなに怖い人達じゃないと思う」
「スーまで何を言っているのよ!」
 思わず大きな声が出てしまった。スーは驚いたようだったけれど、私をしっかりと見つめ返し、私以上に冷静な口調で続けた。
「確かに孤児院にいた時の院長の神父のお爺ちゃんは、魔物はとても恐ろしくて人間を食べる化け物だって言っていたけど、この街の魔物さん達はみんな綺麗なお姉さん達で、人間にも親切にしてくれているって」
「話によれば、実際は魔王がサキュバスに代替わりした影響でみんな人間の女みたいな姿になっているんだとさ。人間にも友好的で、最近じゃ治安も戦争前より良くなってきたくらいだってよ」
 この時代の魔物は、私の知っているかつての魔物とは全く違う存在らしい。しかしそれでもなぜだろう、胸のざわめきは収まってくれなかった。
「だけど、だけど魔物は人間を……」
 そんな私の不安を察したのか、シズが私の肩に両手を置いて、真正面から見つめてきた。
「大丈夫。いざとなったら俺が二人を守る。守れなければ二人を連れて逃げるよ」
「そうじゃなくて、私はシズが心配で」
「分かった。必要以上には魔物娘には関わらないようにする。これでいいだろう」
 その言葉には嘘は感じられなかった。
 澄んだ瞳にじっと見つめられては、私も頷かないわけにはいかなかった。


 一度壊れかけてしまったものは、元に戻すことは決して出来ない。
 それがどんな小さなものでも、一度綻んでしまえば間をおかずに大きな穴に広がり、あっという間に崩壊してしまう。
 その日は、意外と早くやってきた。
 いつものように、月夜に家を出ようとした時だった。
「待てよマリー。そんな格好で外に出たら、風邪を引くぜ」
 音も無く、後ろにシズが立っていた。
 私より劣るとはいえ、シズも盗みの腕は立つ。このくらいの芸当は出来て当然だったが、それにしても二人には絶対に気づかれないと勝手に思い込んでいた。
 自分の能力に自信があったから? 違う。二人に、気を許しすぎていた。私がかつてのようにただの魔剣だったのなら、こんな油断はしなかったはずだ。
 ……見られてしまった。この人外の姿を。私の正体を知られてしまった。
 振り返ると、シズは私の身体から目を逸らした。……それも当然だろう。魔剣と一つとなった醜い姿なんて、正視に耐えるはずもないのだから。
「ふ、服を着ろって。寒いだろう」
「そんな事を言いに出てきたの?」
 シズは言葉を詰まらせ、そしてため息を吐いて顔を上げる。今度は目をそらさず、私の身体を、顔をじっと見つめる。
「いつから気付いていたの」
「最初の日から、何となくな。なんだか、いつもと様子が違うって。けど、あっという間に居なくなってしまったから探すことも出来なくて。……スーを独りにするわけにもいかなかったしな」
「そう、だったんだ」
「あぁ。一晩中お前に何かあったらって震えてたよ。翌朝お前が普通に寝ているのを見つけた時は本当に安心した」
 この胸の感覚は何だ。私は、喜んでいる?
「それに加えてこの間の話だ。城に封印されていた消えた魔剣。同じ頃にお前は、城の倉庫に盗みに入っていた……。
 お前が、人斬りだったのか」
 胸の昂揚が消える。一気に冷え切ってしまう。
「だとしたら、どうするの」
 シズは、私の腕を、剣と一体になっているおぞましいそれを掴む。
「しばらく大人しくしているんだ。今日から魔物娘達が街を巡回するって聞いた。捕まったらどうなるか分からないだろ?」
「そうね。でも、私は行くわ。……私に鞘は無いの。収まるところの無い剣は、ただ斬り続けるしかない。斬ることだけが、私の存在理由だから」
 バレてしまったのならば、もう一緒にはいられない。私はもう、シズの知っているマリーでは無いのだから。
 シズの手を振り払う。けれどシズはそれすら分かっていたとばかりに、体当たりでもするかのような勢いで私に抱きついてきた。
 こんな、人とも剣とも言えないいびつな人外に堕ちた私に。
「俺。今の生活が好きなんだ。盗みは確かに良い事じゃないけど、マリーが居て、スーが居て、家族みたいでさ。
 ……もしかしたら、ちゃんとした仕事ももらえるかもしれないんだ。そうしたらもう盗みもしなくて良くなる。
 生き血が必要なら、少しずつだったら俺の血をやる。スーだって分かってくれる。だから行くなよ。俺達と一緒に」
 振り払おうと思えば、すぐに振り払えるはずだった。
 だけど肌に感じるその温もりを、必死で背中にしがみついて来る腕を、私はむげには出来なかった。
 左腕が、ひとりでに彼の背中に伸びてゆく。
「シズ? そこにいる人は、マリー、なの?」
 けれど、その腕が背に届く前に私は彼を突き飛ばした。
 スーが、目を見開いて私達を見ていた。驚愕の顔で。恐ろしいものでも、見るように。
 駄目だ。やっぱり、もうここには居られない……。
 怯えるスーと、絶望に染まるシズの泣きそうな顔を置き去りに、私は夜の空へと跳躍した。


 慣れ親しんだ夜の街を、身体は軽快な動きで駆け抜けていく。けれども思考は迷宮に入ったように堂々巡りし、同じようなところをぐるぐる回り続けてどこにも辿りつけなかった。
 なぜ逃げてしまったんだろう。
 シズは私を受け入れると言ってくれていたのに。スーだって、ちゃんと話せばきっと理解してくれただろうに。
 ……けれど、そんな二人が自分を否定したら? そうしたら、自分には本当に何も無くなってしまう。
 温もりが冷めてゆく感覚は幾度と無く経験してきた。けれど温もりを失ってしまうのは、この胸の温もりさえ無くなってしまうのは、想像しただけでかつてないほどの絶望で気が狂いそうになってしまう。
 怖くてたまらない。動悸が収まらない。こんな恐怖は初めてだった。
 建物の陰に身を潜め、私は暴れ続ける胸を抑える。
 今夜の街はやけに騒がしかった。確かに、シズが言っていたように魔物娘達が見回りをしているようだ。
 魂の感知能力のおかげで大体の位置は分かっているものの、この状況で人斬りを行うのは難しそうだった。
 やはり、シズの言うとおり大人しくするべきだったのだろうか。
 今日はもう帰るべきだろうか……。しかし何処に帰るというんだろう。
 シズとスーの元へ? 帰ったとして、どうすればいい? もう私の正体は、二人に知られてしまったのに。
 二人は本当に受け入れてくれるだろうか。けれど、仮に受け入れてくれたとしても、今の私は狙われている身だ。私が近くにいては、二人の身までこれまで以上に危険にさらされる。
 いずれ私は殺されるだろう。剣は破壊されるか、二度と人の手に渡らぬようにと鉛の中にでも押し固められ、肉体も八つ裂きにされるだろう。
 ならば、その前にあの二人の絶望も斬るべきだろうか。
 斬りたい。一瞬でもいい。二人の温もりを知りたい。
 けれど、それでいいのか。道連れのように二人を終わらせてしまって……。
 自分の考えに、自分自身驚いてしまう。何人もの人間を終わらせてきた私が今更何を考えているのだろう。けれど二人を手に掛けるのは、なぜだか胸が裂けるほどに躊躇われた。
 シズ、スー。
 遠くからでもいい。ほんの少しでも彼らの存在を感じようとして、私ははたと気がついた。

 いつもの場所に、二人が居ない。

 どこに行ったの?
 目を凝らせ。
 耳を澄ませ。
 全身を研ぎ澄まして、探せ。
 ……いた。
 見つけた。
 移動している。
 ねぐらから、……私が逃げた方向へ。
 私を、探しに?
 そして、二人に近づきかけている幾つかの魂があった。
 薄汚い欲望にまみれた、ケダモノじみた歪んだ魂。他者に欲望をぶつけることだけで己の不安を忘れようとする、貧弱な精神。けれどそういう者達ほど、人を道具のように扱うことをためらわない。自分より弱ければいたぶり、相手が女ならば犯し、さんざん弄んだ末に殺す。誰かの苦しむ姿を眺めることでしか安心を得られない、そういう人種。
 そんな魂が、シズとスーを取り囲もうとしていた。
 このままでは、二人の身が危ない。
 助けに行かなければならない。なのに。
「おーい。そっちにはいるかー」
「いないわねぇ。本当に人斬りなんて居るのかしら」
 街の通りのそこかしこから魔物娘達の声が聞こえてくる。見上げれば大きなコウモリのような影が月光を遮る。いたるところに魔に染まった魂の気配がする。
「けど、見つけたらどうするんだろうなぁ」
「さあねぇ。でも、これだけの事をしでかしているんですもの。野放しにしておく選択は無いでしょうねぇ。彼女に"お返し"をしたいという相手も多いでしょうし」
 捕まったら、ただでは済まない、か。
 仮初の生命から始まった私でも、終わりを迎えるのは怖い。けれど、大好きな二人の魂が好き勝手に犯されるのを見過ごしてまで生き延びようと思えるほど、私の魂は鈍く出来ていない。
 この身は剣。人を斬るために造られたもの。
 鋭く、冷たく、そして敵を斃すためのもの。この身に宿った魂も、きっとそれは変わらない。
 死など、恐れるものか。
 例え全てを敵に回したとしても、二人の魂は守ってみせる。


「こんな夜更けに、二人で逢引かよぉ」
 速く。
「いいねぇ若くってよぉ。俺達にも楽しませてくれよぉ」
 速く!
「そんなひょろっちぃ彼氏より、俺達の方が気持ちよくしてやれるぜぇ」
 もっと速くっ!
「おい兄ちゃん。見てろよ? 女っていうのはこうすると喜ぶんだぜ」
 空から、地から、絡みつく視線さえ振り切って。
「や、やめろ! スーに触るなっ。う、ぐっ」
 声さえ置き去りにして、一瞬でも速く!
「シズ! やめて、酷いことしないでよ。 ……いや。来ないで。触らないで! やめて。見ないで……。誰か、たすけ」
 はるか遠くからでも見えていた。
 聞こえていたそれに。
 ようやく切っ先が届いた!
 ケダモノの持っていたナイフをバターのように切り裂きながら、汚らわしいその手を腕ごと切り捨て、返す刃で胴体を切断する。
「へ?」
 高速で移動するあまりにあとからやってきた衝撃波が、最初の犠牲者の肉体を地面にばら撒かせる。
「……私の家族に触るな」
 敵は何人だ。五人か? 六人か?
 何人でも構わない。全て斬るだけだ。
 かつて対魔王軍の精鋭数十人を相手に大立ち回りを演じた私だ。ゴロツキ数人相手にするなぞ、羽虫を払うのより容易い。
「はだかの、女?」
 最初に口を開いたそいつを袈裟斬りに切り捨てる。
「ば、化けも」
 叫ぼうとした男の口に刃を差し込み、首の骨を断つ。
「まさか、例の人斬」
 驚き戸惑う男のみぞおちから心臓を刺し、串刺しにしたそれを放り捨てる。
「ひ、ひぃっ」
 逃げ出そうとした男を後ろから貫き、内臓を掻き回す。
「と、止まれ。こいつがどうなって」
 人質を取ろうとした男が指一本動かす前に、首を刎ねる。
 耳障りな声は止み、肉を斬り骨を断つ小気味良い音も過ぎ去り。ようやく夜の街に静寂が戻ってくる。
 ……そして私は、自分の生まれついての忌むべき本性を、一番知られたくなかった家族に見られてしまったことに気がついた。
 守るためには仕方なかった。けれど、家族を失ってしまった。
 さっきまではケダモノ共の指先の僅かな動き一つでさえ見通していたのに、今では二人の姿でさえまともに見られなかった。流れる水のように淀みなく人を斬っていたというのに、振り向く動きさえまともに取れない。
 そんな私に、右から左から衝撃が走った。
 抱きつかれた?
 シズと、スーから?
「どうして?」
「馬鹿野郎。何で逃げたんだよ。こんな夜中にはだかで出てったら心配になるに決まってるだろ!」
「家族なんだよ! もう誰かが居なくなるのは嫌だよ!」
「だって、もう、私は」
 何だ。この頬を伝う、熱い液体は。私は、泣いている?
「人間じゃない? そんなの関係あるかよ。お前だって、自分で家族って言ってたじゃないか」
「どうして言ってくれなかったのよ。言ってくれたら、私だって」
 なぜだ。なぜ二人共、私を恐れない? 目の前で人を、何の迷いもなく斬って捨てた私を。
「違う。私は、ただの人斬りの剣に過ぎないのよ。だから」
「だったら何であんなに慌てて助けに来てくれたんだよ。お前は家族だ。例えマリーが、別の何かと一つになっていたとしても、マリーは、お前は俺達の家族なんだ」
 家族。ただの、剣の、私に。
 家族……。そうだ。シズも、スーも、血さえつながってはないけれど。ずっと一緒だった。辛い時も、悲しい時も一緒に、ずっと助けあってきた。
 例え魔剣と一つになってしまっても、変わらないんだ。
「スー」
「何よ。何て言われても、私は離さないわよ」
「怪我は無い?」
 しゃっくり上げるような声のあと、鼻声が続いた。
「大丈夫。服、破れちゃったけど、まだ何もされてないから。……怖かったよぉ」
 泣きじゃくり始めるスーを、私は人間のままの腕で抱きしめる。
「シズ」
「……ん」
「ずっと心配かけて、ごめんなさい。……ありがとう」
「俺の方こそ、今まで何もしてやれなくてすまなかった」
 シズは私の、既に剣と一体化している腕に臆することなく触れて、握りしめてくれた。
 良かった。
 私には、まだ帰る場所がある。ここにいてもいいんだ。二人と同じ場所に居てもいいんだ。


 私にも居場所が残っていた。だけど、このままこの国に留まれるほど、私のやってきたことは軽いことでは無い。
 今のうちに荷物をまとめて、いっそのことこの国から逃げてしまおうか。
 無力で何も出来ない子供だったのはかつての話。今の私達ならば、新しい場所でもきっと……。
「感動の再開に水を差す用で悪いのですが、ようやく見つけましたよ。かつて血塗れの魔剣としてこの国に伝えられたカースドソードと、その使い手さん」
 考える間も休む時間も無く、空から女の声が降ってきた。
 路地の民家の屋根の上にコウモリのようなシルエットが、外套を羽織った女が立っていた。
 白銀の髪が月光を浴びて煌めき、夜の闇を威圧するような双眸は赤く爛々と輝いている。
 夜の眷属。いや、眷属というよりはもはや支配者とでも言うべき風格と存在感だ。
 彼女の出現を皮切りに、夜の闇の中に幾つもの眼が浮かび上がる。
 私達を見下ろしていた。建物の角から、窓から、魔たる存在の気配がこちらを伺っていた。
 そのそれぞれが、人間を遥かに凌ぐプレッシャーを放っていた。かつての人間の精鋭、それを更に凌ぐほどの力だ。
 これだけの人数を切り伏せるのは流石に不可能だろう。しかし私は構えを取る。
 せめて家族だけでも守って、逃がしてみせる。
「まぁお待ちなさい。なにも私達は、貴方達に危害を加えに来たわけではありません。むしろその逆なのですよ。
 私達はあなたに感謝を伝えに来たのです。そして、よければ我々に協力してくれないかと、お願いをしに来たのです」
「……何人もの人間を殺してきた私に、感謝? 私を困惑させて油断させようとでも言うの?」
「やはり、まだ己の変化には気がついていなかったようですね。
 いいでしょう。あなたが斬ってきた者達の末路を見るといい。そうすれば、あなたも事情が少しは飲み込めるはずですから」
 斬ってきた者達の末路。つまり、死体と対面しろとでも言うのだろうか。
 身構えていると、路地裏の影からフードを被った少女が姿を現した。首でも抱えてくるかと思ったが、特に何かを、それこそ武器すらも持たずにこちらに歩み寄ってくる。
「ええと、魔剣ブラッディさん、で良かったですか? ありがとう。あなたのおかげで、私は病気の死を乗り越えて、生き延びて、恋もすることが出来ました」
 フードを外したその下の顔は、私が最初に斬った、不治の病で死にかけていた少女のものだった。
 ……ありえない。確実に心臓を刺し貫いたはずなのに、どうして生きている? それに、その頭や腰から生えているものは何だ。角? 羽根? 尻尾?
「好きだった病院の先生と一緒になれて、毎晩可愛がってもらえて、私今とっても幸せなんです。全部あなたのおかげです」
 幻術士の幻覚か? 死霊術師の幽霊か? なぜ笑っている? それに、こんなに生き生きとした人間だったか? 確かに美しい少女だったが、色気もこんなに無かったはず。
「何。何なのよこれは。どういうつもりなの?」
「彼女一人だけではないわ。他にもたくさん」
 建物の影から、屋根の上から、月光の下に歩み出てその姿を露わにする魔物娘達。
 獣や昆虫、魔をその身に宿した彼女達の顔は、どれも私が斬り捨てて来た人間達のものだった。
 決して叶わぬ恋に、希望のない未来に、全てを失った虚しさに、絶望していた彼女らが、今では人生に満ち足りたような顔で、私に向かって微笑みかけてくる。
 絶望しきって光を失っていた魂が、こんなにも幸福と生命力に満ち溢れてきらきらと輝くようになるものなのか。まるで別人、いや別の生き物のようだ。
「ありがとう」
「おかげで恋が成就しました」
「今とっても幸せです」
「新しい目標に向かって彼と頑張っています」
「子供を授かることが出来ました」
 口々に感謝を述べられる。
 何だ。一体何なのだこれは。
「かつて魔王が作った魔剣は、使い手を狂わせ恐ろしい殺人狂へと駆り立てていました。けれどそれは大昔の話。
 魔王は何代も替わりました。度重なる代替わりの末、現在魔王の座にはサキュバスが付いています。かつて存在したどの魔王とも全く異なる、史上最強の魔力を持った存在でありながらも、人間に対する深い愛情を持った魔王様です。……夫に対しては少々素直になれないところがあるようですが。
 ともかく、魔王様の人間と愛し合いたいという願いは、全ての魔の性質を変化させました。決して人間を傷つけず、代わりに人間に快楽を与えるものへと」
 歌うように口上を述べていた魔物娘達の頭領は、私の周囲を指差す。
「あなたが今しがた八つ裂きにした男達を見てみてください」
 言われるまま、周囲を見渡す。
「な、ぜ?」
 八つ裂きにしてやったはずの男達は、全員まだ生きていた。斬り落としたはずの腕も胴も首もつながったままでだった。白目を剥いて泡を吹き、股間を酷く濡らしては居たが、五体満足で失神しているだけだった。
「それが今のあなたの力なのですよ。肉体の代わりに魔力のみを傷つけ、痛みの代わりに快楽を与える」
「けれど、魔力とはいえ傷を付けられればただでは」
「傷口にはあなたの魔物としての魔力が注ぎ込まれます。注ぎ込まれた魔力は人間としての魔力を侵食してゆき、少しずつその存在を魔に染め、魔物へと近づけてゆく。
 そして肉体の全てを魔物の魔力が満たしたとき、斬られたものは人間としての生命を終え、魔物娘として生まれ変わるのです」
 斬った相手を、生まれ変わらせる? 人を殺すしか能のなかった私が?
「ですから、魔物娘と人間が皆幸せに愛し合える世界を広げるためにも、私達はあなたに協力をお願いしたいのです。
 あなたにはもっともっと人を斬ってもらいたい。人間としての生に絶望している者達を斬って斬って斬りまくって。そして余計なしがらみから開放されて愛に生きる魔物娘達をもっと増やしてもらいたいのです」
 たくさんの生き物達から忌み嫌われ、憎まれ、破壊されることも叶わずに冷たい箱のなかに封じられ忘れられていた私が。必要とされている?
「女性だけでなく、男性も斬っていただいて構いません。夫を求める魔物娘は多いですからね。あぁ、そこに転がっている男達は抵抗する相手を無理矢理するのが好きな娘や調教好きな娘が拾っていくでしょうから、特に気にする事は無いですよ」
 にわかには信じられない。だけど、確かに斬ったはずの男達は人の形を留めたまま生きていて、斬ってきた女達は魔物娘に変わっている。
 身体が震えだす。膝が笑って、立っているのも難しいくらいに。
 自分が分からなくなってくる。私は、私は何なのだ。どうしたらいいんだ……。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 剣の身ごと、私の手を温かい指が包み込む。腰元に小さな身体が抱きついてくる。触れているだけで落ち着いてくる、遥か昔から知っている懐かしい体温が。
「マリーは家族なんだ。勝手に連れて行かれたら困る」
 シズが、私の前に立ってくれている。
 私のほうが、今では力も強さもずっと上なのに、なぜだかその背がとても頼もしかった。
「困る? 私達も彼女が必要なのです。……では、どうしますか? この人数の魔物娘を前に、ただの無力な人間であるあなたはどうするおつもりですか」
 夜の支配者は、白い牙を浮かばせて薄く笑う。
 シズは私とスーを一瞬だけ振り返り、そして夜の街に向き合う。
「俺にはあんた達をやっつける力はない。逃げ切るのだってたぶん無理だろう。だけど、俺はあんた達の習性を知っている。生き延びるために、これでも色々と調べたんだ。
 マリーの剣には魔力を斬る力があるんだろう? あんた達は魔力が足りなくなると、冷静さを失って精ばかりを求めるようになるそうじゃないか。それにあんた達は全体よりも自分の欲望に忠実だと聞く。……統制が取れているようで、意外とまとまっていないんじゃないか? だったら、俺とマリーなら切り抜けられる」
 心臓が激しく脈打つ。力が湧いてくる。
 あぁ本当だ。確かに、シズとだったら何だって出来る気がしてくる。
 夜の支配者はそんな私達を見下ろして肩を竦める。そして面白がるように、呆れたように、声を抑えて笑った。
「ふふ。すみません、ちょっとからかいが過ぎましたね。
 言ったでしょう。私はお願いをしに来たのだと。別に強制するつもりではありません。元々使い手だけではなく、恋人であるあなたも、そちらの妹さんも一緒にご招待するつもりでしたが……。中々良い物を見ることが出来ました。
 気に入りましたよ。あなたのその豊富な知識と交渉力、そして妹さんの勇気と才知も得難いものだ。是非とも三人とも、我々に協力して頂きたい」


 汚れひとつない真っ白な壁が四方を取り囲んでいた。
 部屋には、アンティークというのだろうか。洒落た調度品や、年季の入った、しかし手入れの行き届いた家具の数々が並んでいる。
 盗んで売っ払ったらいくらになるだろうかと考え、直後にこれは既に自分に与えられたものだったのだと思い出す。
 結局、私達は魔物娘達の誘いに乗ることにした。私を勧誘しに来たあの魔物娘。この国の新しい領主であるヴァンパイアは、私達を自分達の住まう館に招いて、一人につきそれぞれ一部屋を与えてくれた。
 しかし、好きに使っていいと言われても、これまで住んでいた貧民街の廃墟とはまるで違っていて全く落ち着かなかった。言っては悪いが、牢屋の中に閉じ込められているのとあまり変わらないような気分だった。
 自分でも無意識のうちに溜息が漏れる。
 柔らかすぎて寝心地の悪いベッドから立ち上がり、大きな姿見の鏡の前に己を晒す。
 簡素なナイトドレスを纏った少女がそこに居た。昨晩薬湯で身体を清め、髪も梳いて、全身の手入れをしてもらった私は、もはやそれまでの私とは別人だった。
 艶のある長い黒髪。滑らかで透けるような白い肌。目鼻立ちも、自分で言うのも何だが整っている。
 魔物娘達によれば、既に私は人間でも魔剣でもなく、それらが一つに混ざり合った魔物娘となっているらしい。
 もっと自分のことを、自分の身体の事を、身に起きた変化を知るように。いつまでも旧時代の思考のままではいけないとも言われた。
 剣の己。そしてこそ泥としての己なら自分でも分かっているつもりだった。だが、それが統一された今の自分自身のことは、分かっているかと言われれば確かに分からないままだ。
 かつての欲望のまま人を斬り、かつての生き方で盗みを働いていただけ。一つになりながらも別々で考えていた。
 ドレスの結び目をほどいて、私は鏡の前に素肌を晒す。
 毎晩街中を駆け回っていたおかげか、全身にわずかに筋肉が増えていた。しかしその上に女性らしい脂肪も乗っていて、ほっそりとしなやかながらも丸みを帯びた身体になっていた。
 肌もつややかで傷一つ無かった。昨日までは身体中に擦り傷や痣などの古傷が残っていたが、それも昨夜薬湯に浸かっているうちに傷跡まで綺麗に消えてしまったのだ。
 まんまるのふっくらとした乳房がふるりと揺れる。改めて見ると、私は胸が大きかったらしい。腰回りの曲線も妙に艶めかしく、恐ろしい魔剣士とは思えないほどに肉付きが良かった。
 ……なんだか、とてもいやらしい身体だった。本当にこれが自分なのだろうか。
 剣は篭手のような形状で右腕と一体化している。黒鉄のような質感のそれには、血管のように幾つもの赤い筋が走り、脈動している。
 おぞましくも見える赤黒い右腕だが、白い素肌と隣り合うと不思議と蠱惑的に見えた。
 試しにその手で乳房を掴んでみる。なんだか、化け物が少女の柔肌を犯しているような、倒錯的な色気があった。
「……確かに、シズが正視できなかったのも分かる気がするわ」
 外見を確認するのはここまでにしよう。次は、自分の身体の感覚だ。
 私はベッドに座り直し、全身に触れてみる。
 顔、首、肩、腕。
 特に何も感じない。
 邪魔なほどにふくらんだ胸。その頂点に触れた瞬間。
「んっ。……?」
 妙な感覚が身体の芯に走った。痺れるような、心が溶けてしまうような感覚。
 指先でクリクリと転がすと、呼吸が荒くなり感覚が強くなった。そしてなぜか、シズの裸が目に浮かんだ。
「あっ。……ふあぁ」
 これが、女としての快楽というものなのだろうか。一体化する前でさえ、こんな事を感じたことは無かったのだが……。
 胸を弄るのをやめて、おへそ周りを、下腹をなぞる。皮膚の下が疼くようだったが、胸ほどの感覚は無かった。
 脚にも触れてみる。
 膝から下は特に何も感じなかったが、脚の付け根に近づくに連れ、変な感じになっていった。
 疼きが強まり、シズのことばかりが頭に浮かぶのだ。
 確かに知識としても、魔物娘からもここは大切な場所なのだと教わってはいたが……。
 右腕から剣を抜き、その刀身に指を走らせる。
 ぞくぞくする感覚が背筋を駆け抜ける。言葉で表現するのならば、敏感な部分を撫でられたような、舌の上に食べ物を乗せたような、そんな感覚だ。
 柄を強く握りしめれば、抱きしめられているような安心感が。柄頭に触れれば、お腹の底がびりびりするような感覚がした。
 この柄頭で、股ぐらをこすったらどうなるだろう。
 一度思いつくと試さずに居られなかった。
 膝を立て、足を広げる。誰にも見せられないはしたない格好。けれど、誰かが近づいてくれば気配でわかる。
 両手で柄を握りしめて、柄頭を陰核に押し当てる。
「っっっ! あぁっ!」
 全身に痺れるような感覚と甘い疼きが広がり、そして激しいながらも満たされない渇望のような感情が湧き上がる。
 再び目覚めてから人を斬った時の感覚に似ていた。けれどそれとは比べ物にならない程の強烈さだった。
 欲しい。欲しい!
 シズが欲しい。シズに会いたい。シズの体温を感じたい。抱きしめられたい。
 これは欲望だ。私自身の、強烈な願望だ。渇望だ。生きるために無くてはならないものだ。
 体温を求める剣としての欲望。生涯の伴侶を求める女としての欲望。その二つが入り混じり溶け合い一つになった強力な欲望。魔物娘としての、激しい、性欲。
 ……これが、新しい私か。
 我慢できず、柄頭を陰裂に擦り付ける。
 淫らな裂け目からはぬるぬるした体液が溢れだし、脳がとろけて涙がこぼれ落ちる。
「あぁ、シズ、シズぅ」
 手が止められなくなった。
 私は無様な格好で涙を流しながら、男の名を呼びながら股ぐらをいじらずに居られなくなった。
 止められなかった。こんな事をしていても彼は得られないと分かっていても、心地が良くてもあとには虚しい寂寥感が残るだけだと分かっていても、一時の快楽を求めて手が動き続けた。
 控えめだが、くちゅくちゅと音さえ立ち始める。
 もし誰かに聞こえていたらどうしよう。早く止めないと……。でも、止められない……。
 あぁ、シズ……。

「マリーちょっといいか。入るぞ」

 その時、何の脈絡もなく正面の扉が開いた。
 シズが大きく目を見開いて私を見る。そしてすぐに顔を真っ赤に染める。
 私の頭の中は真っ白だ。
 何がなんだか分からない。
 何がなんだか分からないまま、顔が、身体が熱くなってくる。
「え、なんで」
「マリーお前何して」
 行為に夢中になりすぎて、気が付かなかった? そんな事より、扉が開きっぱなしだ。このままじゃ誰かに見られてしまう。
 私は慌ててシーツを引き寄せ身に纏う。
「は、早く閉めてよ」
「わ、悪い」
 シズは素早く部屋に入って、扉を閉めて鍵をかける。
「ちょっと、普通出て行くでしょ」
「そ、そうだな。なんか動転して、すぐ出るから」
「もういいから。用があって来たんでしょ」
 鍵を外す手を止めて、シズが恐る恐るこちらを振り返る。
 私は顔を逸らしながら、ベッドの隣をぽんぽんと叩いた。


 隣に座っているのは、これまでもいつも一緒だったはずの幼馴染の男の子のはずだった。
 身なりが良くなって、肌も髪も綺麗になって少し男前にはなっていたけど、それでもシズはシズだった。けど、それなのに。
 幼いころは一緒にお風呂に入ったこともある。食べ物を分け合ったり、励まし合ったりして生きてきた。寒い夜には同じ毛布に包まって温めあった。私達はそういう仲だ。
 今更緊張することも、意識することも無いと思っていた。なのに。
 胸がどきどきする。
 何を喋ればいいのかわからなくなる。
 触れたくて、触れられたくて、それしか考えられなくなる。
「その、お前って、ああいうことしてたっけ?」
「は、初めてよ。魔物娘達が自分の身体の事を知ったほうがいいって言うから、色々と試してみてて……。シズはどうなの? 私は見たことなかったけど」
「俺は、そりゃ、あの家じゃ」
 それって、他でしてたってことなんだろうか。それとも、そういうお店に行ったり……。もしかして、私が知らないだけで外に恋人とか……。
「……ごめん。変なこと聞いた」
「いや、俺の方こそ」
 それきりシズは黙ってしまった。
 私も何を言えばいいか分からず、聞こえてくる音といえば心臓の音ばかりになってしまう。
 考えてみれば、シズに好きな人や恋人が居たっておかしくないんだ。
 あるいは情報収集や盗品の取引の際に、別の女や魔物娘とそういう交渉をしていてもおかしくない。
 私は家族だけど。恋人というわけでは無かったんだし。
「シズは」
「ん?」
「恋人とか居るの?」
 シズは驚いた顔になり、それから悲しむような、考えこむような、なんとも言えない渋面で唸った。
「……居ない。いや、こっちはそんな風に思って居たんだが、相手はそんな風に考えてくれて無かったみたいだ」
 好きな人、やっぱり居たらしい。でも恋人が居ないと分かった途端、不思議と胸が少し軽くなった。
「そうなんだ。それは、残念だね」
「……あぁ、すごく残念だよマリー」
 シズの溜息は、深く重たいものだった。
 息を吐き終えると、シズは気合を入れ直すように深呼吸して私に向き直る。
「話っていうのはそのことだ。ヴァンパイアの領主さんから言われた。お前には"鞘"になる相手が必要だって」
「鞘?」
「その、わかりやすく言うと恋人だって」
 シズは頬を染めながらも、目を逸らさず続ける。
「恋人、居るのか? それか好きな人とか」
 胸がドクンと強く脈打ち、おなかの下の方がじゅんとする。
「恋人は、居ない」
 シズは分かりやすく安堵の息を吐く。
「じゃあ、好きな奴は? もしいなけれ「いるよ!」
 何故か泣きそうな顔になっているシズの袖を強く掴んで、その目をじっと見つめる。
「そうか。もう好きな奴がいるんだ」
 どうして目を逸らすんだろう。
「うん。多分ずっと前から好きだった。当たり前すぎて気が付かなかっただけで」
「……そんな前からか。きついな」
「え? 迷惑だった?」
「迷惑じゃないけど、言われたんだ。もしお前に恋人がいないのなら、俺が恋人になってやれって。俺は元々そういうつもりだったんだけど、一応、確認と思って……。
 いや、いいんだ。お前に好きな奴がいるなら、そいつと一緒になって幸せになった方がいい」
 シズが、私のことを恋人だと思っていてくれた? それってつまり、シズも私のことを? そういうことでいいの? あぁ、どきどきしすぎてなんだかよく分からなくなってきてしまう。
「悪かった。邪魔したな」
「え?」
 シズは立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
 どうして出て行ってしまうのかさっぱりわからない。あっけにとられるまま、とうとう彼は扉のノブに手をかけて。
 そこで、動きが止まる。
「……やっぱり嫌だ。諦められない」
 シズは振り返る。そして、男の子の顔で歩み寄ってきて、私の肩に手を置いた。
「マリー。好きだ。俺をお前の鞘にしてくれ。恋人になってくれ」
「……あ、えっと」
 こういう時、なんて言えばいいんだろう。
「お前に別に好きな奴がいても、諦められないんだ。確かに俺は学もないし、財産も無いけど、お前への気持ちは誰にも負けないから」
「……嬉しい。凄く」
 満たされる感情で身体さえ震え出すほどだった。
「けど、私なんかでいいの? こんな、剣なのか人間なのか魔物娘なのかもよくわからない私で」
「お前が何者になろうが、マリーはマリーだよ。俺はお前が好きだ。これまでも、これからもずっと。
 いや、じゃなくて、好きな奴がいるんじゃないのか」
「いるよ。目の前に」
「へ?」
「ずっと私のそばで、支えあって、助けあってきた人」
「それって」
 緊張していたシズの顔が、みるみるうちに緩んでゆく。
「シズ。大好きよ」
 私は勢い良く彼に抱きつき、押し倒しながら、その唇に唇を押し付けた。
 戯れにキスしたことは何度かあった。けど恋人としてするキスは、震えるほどに刺激的だった。


 大きなベッドの上で、二人でゴロゴロと転がりあって戯れあった。
 思い出した。そして改めて知った。好きな相手とこうして無邪気に触れ合うことが、こんなにも温かくて嬉しい事なのだということを。
 孤児院時代も辛い思い出ばかりではあったけど、こんな風に誰かとじゃれ合ったこともたくさんあった。
 けれどもう昔とは違う。私達は子供ではなく、男と女だった。
 触れ合い、抱き締めあっていれば、自然と色を帯びてくる。
 首筋に口付けすれば、熱い吐息が漏れる。色っぽい吐息が漏れれば、強く抱きしめ口づけを交わしたくなる。
 私は組み伏せられ、唇を奪われる。息をする間も与えられず幾度も唇を押し付けられ、そのうち舌が入ってきて口の中を責め立てられる。
 舌同士が絡み合い、歯茎の裏を舐められる。背筋がゾクゾクと官能に震える。
 さんざん私の口の中を味わっても、中々シズは満足しなかった。それでも息が続かなくなると、名残惜しそうに糸を引きながら唇が離れていった。
「えっち」
「俺だって年頃なんだよ。お前みたいな綺麗な女を前に、よくこれまで我慢してたって褒めてくれ」
「スーの前では襲えなかった?」
「まずいだろ。……いや、あいつは察しがいいし、結構耳年増だから知っていたかもしれないけど」
「そういえばスーは?」
「隣の部屋を見たけど、寝てたよ」
「起こさないように、声を抑えないとね」
 シズはちょっと赤くなって目を逸らす。
「何よ」
「いや。なんか大人の女って感じがして。……やっぱり、経験あるのか? いや、気にするってわけじゃないんだけど」
 私は少し驚き、それから苦笑いしながら首を横に振った。
「わけも分からず姉さんたちの見よう見まねで通りに立ってみた事もあるけど、誰も買ってくれなかったわ。昔は色も黒くてちんちくりんで、胸も無かったし。
 それなら盗んだほうが稼げるって、シズが技を教えてくれたんじゃない」
「そ、そうだったな。まぁ、今じゃお前のほうが腕は上だけど」
 気にしないと言っていたけれど、私の答えを聞いてシズは明らかに安心したようだった。
「ねぇ、それよりシズも脱いでよ。私だけ裸なんてずるいじゃない。早く脱いでくれないとバラバラに斬ってしまうわよ」
 右手から短刀くらいの大きさの剣を抜いてみせると、シズは慌てたように上着を脱ぎだした。
 貰い物の服ではあるけれど、衣服は貴重品だと染み付いているのだ。
 下着ごとズボンを脱ぎ捨てると、既に固くなった逸物が勢い良く跳ね上がった。
「あっ」
「ご、ごめん。触ったりキスしてるだけで気持よくなってきて」
「ううん。ちょっとびっくりしただけだから」
 これが男の人のモノ。硬く膨れ上がって反り返ってて、血管が幾筋も浮き上がっている。こんな大きなもの、私に入るんだろうか。
 どうしたらいいのだろう。そういえば、姉さんたちが言っていた。舐めたりおっぱいでしてあげると男の人は喜んでくれるって。
「え、えっと、舐めてあげようか。それとも、おっぱいで挟む?」
 思っていたより真剣な目で、シズは私の目を覗き込む。
「し、シズ?」
「して欲しいけど、それは今度にしよう」
 今度って言うことは、やっぱり今回だけじゃなくて、もっとたくさん、するってことだよね。
「うん。いいよ、いつでもシズのしたいこと、してあげる」
「なら、もう入れてもいいか」
 シズは私をじっと見つめる。
「早く欲しいんだ。俺達が、そういう関係だって言う証を。……焦り過ぎかな、俺」
「そんな事ないよ。私も、そうしたいし。えっと、その、優しく、してね」
 あまりにも自分に似つかわしくない初心な言葉に、言ったあとで自分でも白々しくなる。数えきれないほどの人間に剣を突き立ててきた魔物の言葉では無かった。
 けれどシズは私の頬に触れながら、頷いてくれた。
「俺も初めてだから、下手くそだったらごめん。痛かったら言ってくれ、出来る限り優しくする」
 入り口の辺りに、亀頭が擦りつけられる。それだけで子宮が疼いて、いやらしいよだれが溢れてきてしまう。
「入れるところ、ここでいいんだよな」
「うん。大丈夫」
「い、入れるぞ」
「いいよ」
 少しずつ、シズが入ってくる。
 肉を押し広げて、逞しい雄が入ってくるのが分かる。大切なところがこすれあって、意思に反して身体が震えてしまう。
「い、痛いか?」
「大丈夫」
 半ばまで入ると、シズは私の両手に手のひらを重ねて握りしめ、身体を密着させてくる。
 乳房が厚い胸板で押しつぶされる感触に、奥まで刺し貫かれる快楽に、まぶたの裏で桃色の火花が飛び散り、理性が溶けていく。
「痛くないか」
 優しい囁きが耳たぶをくすぐる。
「……ふぁ、あ、意識、飛んじゃってた。だ、大丈夫、気持ち良くって、それだけで」
「そうか。良かった」
「シズは、気持ちいい?」
「……すごく気持ちいいよ」
 人を斬っても、こんなに満たされた気持ちになったことはない。
 人と交わり繋がることは、こんなに暖かく心地よく、満たされる事だったとは。いや、相手が愛する人だからこそ、こんなに気持ちがいいのだろう。
「動いていい?」
「いいよ」
 シズがゆっくり動き始める。敏感な部分が擦れるたび、頭の中から言葉が消えていった。一番奥を突き上げられるたび、全身がシズを求めて震え、腕やあそこがきつく締まるのが分かった。
 もっと欲しい。早く欲しい。シズの放つものが欲しい。
「シズ、あぁ、もっと、ちょうだい」
 繋ぎ合った右手から、駄目だと分かっているのに、刃が伸び始める。
「マリー。愛してる。マリー。可愛いよ」
「ごめん、シズ。あなたの温もりを、剣でも感じたい」
 手の平を刺し貫かれながらも、シズは右手を強く握りしめて優しく微笑みかけてくれる。
「いいよ。俺はお前の鞘だ。遠慮無く好きなだけ、お前の欲望を俺に納めろ」
 私だけの男。常に一心同体の、私だけの鞘。シズは、私だけのものだ。
 脚を彼の腰に絡み付ける。彼は私だけのもの。彼の放つものは、一滴残らず私のものだ。
 腰の動きが早くなる。
 激しい快楽で全身が溶けてゆく。もう、どこまでが私でどこまでが彼なのかもわからなくなるほどに。
 そして耳元で彼が小さくうめいて。
 彼が私の身体の一番奥で、その純粋な欲望を吐き出した。
 下半身が熱く滾って、自分でも抑えられなかった。歓喜の喘ぎを上げながら、私は彼の身体を強く強く抱きしめる。
 もっと、もっと欲しい。
 彼の熱を。彼の愛を。彼の放つものを、お腹の奥に注いで欲しい。
 気付けば己の刃を彼の脇腹に突き立てていた。
 その瞬間、再び彼のものが膨れ上がり暴発していた。
 先程と同等の精が溢れだし、私のお腹の裏側に注がれてゆく。
 身体の一番奥の敏感な部分を、愛する男の欲望で染め上げられてゆく。
「あ、ああ、マリー」
「ごめんなさい。でも、もっとあなたの熱を感じたくて、あなたが欲しくて」
 恋人を刺しながら快楽に身を震わせるなど、やはり狂っているのかもしれない。
 私が腕を引き抜くと、しかし今度は彼の方から私の腕を掴み、今度は心臓に向かって自ら剣を突き立てた。
 シズの自身が更に膨れ上がり、大量の精を溢れさせる。
「遠慮するな。俺はお前の鞘だ。好きなだけ刺していいんだ。……遠慮、するなよ? 俺も気持ちよくて、何がなんだか、わからない、けど。
 俺はマリーが好きなんだ。愛してる」
「私もよ、シズ。シズの放つものは、全部私が受け止めるから。一滴だって無駄にしないから」
 私は彼の頭を抱き寄せ、深く口づけを交わした。
 一晩中、私達はお互いの身体に互いの剣を刺し合いながら快楽を貪りあった。
 初めての感覚に戸惑いながらも、私達は夢中になって止まらなかった。お互いに気を失って倒れこむまで、私達はひたすらに求め合い続けた。
 

「おはよう。マリー」
 スーの声と、小鳥の鳴き声で朝が来たことを知った。
 いつも通りの目覚め……ではない。見覚えのない部屋に居た。
 掃除の行き届いた部屋、埃一つない調度品の数々、少し湿った、けれど柔らかいベッド。
「昨日はシズと随分お楽しみだったみたいね」
 呆れたような顔を向けられて、私はようやく全てを思い出した。
 ここはこの国の領主のヴァンパイアの館で、私は昨日、シズと初めて愛し合ったんだった。
 ……と言うか、なぜスーが居るんだ。どうして昨夜の事を知っているんだ。
「ちょっとは声を抑えてよね。……羨ましくなるじゃない」
「あ……。スー、もしかして、全部」
「うん。聞こえてた」
 顔が真っ赤になるのを自覚する。
 気持ち良すぎて夢中になっていてよく覚えていないが、色々と恥ずかしいことを叫んだような気がする。
「けど、ようやくシズとマリーもくっついたわね。見ているこっちがやきもきしてたから、やっと安心できるわ」
「スー。気付いてたの」
「当たり前でしょ」
 私は何も言えない。
 そういえば、シズはどこに行ったのだろう。
 不在が分かった途端に気持ちが落ち着かなくなってくる。
 私の恋人。私だけの鞘。鞘と剣は二つで一つ。言ってみれば一心同体だ。
 探さなければ。一秒でも早く見つけてそばに居なければ。
 そして彼の剣を早く私の身体に収めなければ。いや、彼の身体に私の剣を収めるんだったっけ。とにかく、早く彼を探さないと。
「ねぇスー。シズはどこ」
 スーは呆れた顔で息を吐いた。
「領主さんが部屋に来たから、今廊下で話しているわ。しばらくすればすぐに……。って、ちょっとマリー?」
 彼の居場所を確認するや否や、私の身体は走り出していた。
「シズ。シズ!」
 扉を開ける。
 居ない!
 右にも居ない。左、居た! 私以外の女と話をしている!
「シズ!」
「おぉ。おはようマリー。って、服着ろ服」
「私の鞘はあなただけなのよ。一緒にいなきゃダメなのよ」
 すぐに駆けつけ抱きつく。彼の身体に触れることで、ようやく胸に空いた穴が埋まった気がした。
「ふふ。どうやら無事に鞘として認められたようですね」
 シズと話していた女が笑う。いや、この国の領主のヴァンパイアだった。
「ではシズ。マリーと一緒に、今渡したリストの少女達の処理をお願いしますね」
「承知しました」
「私と一緒にって、何の話?」
 ヴァンパイアは話し出そうとして、大あくびを一つする。
「あぁ、すみません。朝になると眠くなってしまうもので。
 シズに魔物にして欲しい少女達のリストを渡したんですよ。これからあなた達に斬ってもらいたいんです。既に受け入れの準備は済んでいます。あなた達は少女達を斬ってくれるだけでいい。あとの処理はこちらでしますので」
 ヴァンパイアは本当に眠そうな顔で手を振ると、話は終わったとばかりにこちらに背を向けて歩き始める。
 人斬り。これから先の私の役割。
 やることはこれまでと同じだけれど、しかしこれからはただ殺すためではない。魔物娘として生まれ変わらせるために斬るのだ。
 私がそうだったように。絶望に満ちた人生から、愛に満ちた魔物娘としての生命を歩ませるために。
 魔物娘として生まれ変わった私は、これからは不幸や絶望を斬っていくのだ。
 それも独りではなく、大好きなシズと一緒に。
 そう考えると、なんだかとても幸せな気がした。
 こんな感情、今まで感じたこともない。とてもとても気持ちが良くて清々しい感情で、胸がいっぱいになるのだった。
「一緒に頑張ろうな」
 微笑みかけてくれるパートナーに、私は心からの笑顔を返した。



























「あぁ、そういえばもう一つお話する事があるんでした」
 ヴァンパイアは振り返ると、大あくびをしながら続けた。
「実は例の城の倉庫から魔剣がもう一本見つかったんです。使い手に足る人物を探しては居るのですが、私としてはカースドソード二刀流の使い手も面白いと思っていましてね……」
「か、考えておきます」
「ふふ。まぁ、何が起こるかも分かりませんからね。もし挑戦したい気が起きたら声をかけて下さい」
「もし良ければ、私も使い手になりますよ」
 苦笑いで立ち去ろうとするヴァンパイアの背に、更に声がかかった。
 背後からの声はスーのものだった。
「シズって言う、鞘もあるんだし。……なんちゃって」
「え」
「え!?」
「ほぅ?」
 いたずらっぽく笑っているけれど、本当に冗談なのだろうか。
「あなた達は本当に面白いですねぇ。分かりました。その想いが本気なら、検討しましょう。ともかくマリー、シズ、スー。新しい仕事の方を頼みます」
 ヴァンパイアはそう言うと、今度こそ帰っていった。
「……鞘って、そういうものなんだっけ?」
「けれど、魔物娘としての生き方としてはこういう事も結構あるみたいよ」
 四六時中共に居た、年上の頼れる男の子。確かに、好きにならないわけがない。もちろん、私もただ譲るつもりはないけれど。
「二人にその気があるなら、魔物の先輩である私が手取り足取り腰取りみっちりねっとり教えてあげるわよ?」
 私は笑う。魔物娘らしく、己が欲望のままに、淫らに怪しい笑みで。
16/04/25 22:55更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
初めましての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。
少し久しぶりの投稿となりました。若干リハビリ気味ですので細かい粗はお見逃し下さい。……いや、粗が多いのはいつもの事だって?

とりあえず、言い訳として。
いきなり魔剣が少女の魂と融合してしまったのは、元々魔剣が幾多の血を吸って力が強かったのと、少女の心が不安定だったからという事にしておいて下さいお願いします。
あと魂が見えるというのは、某魔剣X的なゲームのイメージのせいかもしれません。


また何か書けたら投稿してゆきたいとは思っております。
読み切りのわりに結構な長文でしたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。

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