連載小説
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第一章
 雨が降っていた。
 空は厚い雲で覆われていて、しとしとと降る雨は石や葉に触れて幽かな音を立てていた。とても静かな、霊園には似合いの雨だった。
 俺は朝の見回りを始める。傘を濡らす雨の音。見渡す限りの薄緑の芝生に、規則正しく灰色の墓標が並んでいる。
 何も変わらない。昨日も、今日も、明日もきっと。
 何気なく入り口のあたりに視線を向けると、一体の死体が転がっていた。
 俺はそちらに足を向ける。たまにあるのだ、うっかり襲った相手を殺してしまって対処に困ったならず者や、葬式をするだけの金の無い貧乏人が、こうやって死体を置いていく事が。
 この霊園はそういう者もまとめて面倒を見ている。死した者には平等に祈りを。殺した者にも、殺された者にも、来世ではそのような悲劇には見舞われぬようにと。
 死体には首が無かった。立派な鎧を身に着けている事から、それなりの国の名のある騎士なのかもしれない。四肢の至る所に傷がある。首を失ってもなおその手には炎のような形をした波打つ形の片手剣が握られたままだった。壮絶な最期だったに違いない。
 あたりを探してみたが、やはり頭は無かった。首級として持ち去られたというところだろう。
 俺は死体を肩に担ぎ上げ、新しい墓穴を掘ってやるべく歩き出した。


 霊園には、雨音しか響かない。死者が安らかに眠るにはちょうどいい。だが、世界のどこかでは今も戦争をしているのだろう。こんな死体がたくさん作られているのだろう。
 ぼんやりそんなことを考えるうちに、まだ墓石の少ない霊園の外れにたどり着いた。俺は死体をそっと下ろそうとした。
 が、俺はそこで違和感に気が付く。死体が俺の服を掴んでいるのだ。
 死後硬直か。だが、俺が抱えた時にはこんな風になっていなかったはず。
 それに歩いているときには気が付かなかったが、この死体まだ暖かい。
 朝っぱらから出るものが出たか。
 幽霊ではない。恐らくはアンデッド系の魔物だろう。こんな場所に居れば嫌でも聞くことになるし、見たこともある。
 見回りをしたときにはどこの墓も開いていなかったのだが、という事はどこからか迷い込んだのだろうか。
 魔物の傷からはまだ血が流れている。いくらアンデッドとはいえ、流れ出る物を放置すれば死んでしまうだろう。
 死者に対し祈る場で、死にかかった者にはどうするべきか。
 俺は首の無いそれを抱え上げると、自室への道を戻った。


 この霊園はかつてあった戦争の終戦を記念して戦場跡に造られたものだ。
 魔界の関わらない、純粋に人間同士の勢力争いとしての戦争。その戦争の戦没者や、身寄りや名前の分からない被害者を全部まとめて埋葬しているため、敷地はかなり広い。
 管理人は俺一人というわけでは無いのだが、首無しのそれを管理人寮に運び込むのには迷わなかった。
 同僚に見つからなければ特に問題は無いし、見つかってもそこまで問題にはされない。
 戦争からは既に何年か経っている。墓地の管理こそ今でもしっかりとされているものの、管理人自体の管理と来たらいい加減なものだった。
 今霊園に居るのは俺を含めて三人。山男のように屈強な体をした責任者である霊園長。この俺。そして俺の後からここに来た髪の長い痩せた男。
 経歴がしっかりしているのは霊園長くらいのもので、俺も後輩も霊園長に拾われたようなものだった。
 明日には四人になっているかもしれないし、二人に減っているかもしれない。
 時たま現れるアンデッド系の魔物娘とくっついたり、連れ去られて居なくなる事もあれば、行き場を無くした俺のような奴がふらりと現れて霊園長に気に入られる事もあるからだ。
 管理している両国側からすれば記念日にそれらしい人間がそれらしい格好で立っていればそれでいいらしい。あとは墓が荒れなければ、誰も特に問題にはしなかった。
 俺は首の無いそいつを自分の部屋に連れ込むと、まず鎧を脱がせた。鎖帷子、その下のキルトのシャツも脱がせる。
 鎧の下から現れたのは、肉付きのいい女の身体だった。
 一瞬俺は気が動転してしまったが、考えてみれば今は魔物はみんな女性型なのだから当たり前だった。
 肌着は流石に迷ったのだが、これも濡れていたので脱がす。
 厚手の布で体を拭いてやり、ベッドに寝かせる。これでようやく手当をする準備が整った。全く、戦うという事は本当に何から何まで面倒なことだ。こんなにいろいろ着こまねばならないのだから。
 流石に騎士鎧を着ていただけはあり、彼女の全身は女性にしては筋肉質であった。筋肉質と言っても無駄に筋肉がついているのではなく、細身でありながら、一つ一つの筋肉が強靭に鍛え上げられているといった感じだ。
 その筋肉を程よい脂肪と、そして数多くの傷が覆っていた。
 付けられたばかりの傷もあれば、大分前の物だと思われる傷跡もある。刀傷、矢傷、中には火傷のような跡も。
 感心するのは傷の殆どが体の前面にあり、背中の傷は貫通した傷くらいであることだ。どんな敵に対しても真正面からぶつかってきたのだろう。
 見惚れてしまったが、ふくよかな胸は苦しげに上下している。顔が見えないので想像するしかないが、この傷を考えればかなり疲弊しているのだろう。
 俺は薬箱を出し、治療を始める。俺も戦場に出たことがある身だ。応急処置くらいは出来る。
 大きな傷は縫ってから薬を付けてきつめに包帯を巻き、小さな傷は消毒するのに留めた。恐らく魔物の回復力を考えればこれくらいで大丈夫だろう。
 胸の動きも少しは落ち着いた。だが、このまま裸にしておくのは彼女にも悪いし、俺の目にも毒だ。
 とりあえずは毛布を掛けてやることにしよう。しかし女物の服など、男しかいない霊園には……。そういえば、無名没者の供え物の残りがあったか。
 基本的に供え物はある程度の時期が過ぎれば倉庫に保管される。ちなみにその後不要と判断されれば処分されてしまうが、売れそうなものは売却され運営費に回る。
 まぁ、一つくらい拝借しても問題ないだろう。
 俺は地下の物置を探すことにした。
 他の管理人に見つかると厄介なのでなるべく静かに漁っていると、運よく小ざっぱりしたワンピースを見つけることが出来た。が、残念ながら下着は無い。そんなものを死者に供える人間など居るわけがないか。


 部屋に戻れば、首の無い彼女は規則正しく胸を上下させていた。
 表情は分からないが、おそらく寝ているのだろう。動かして起こしてしまうのも悪い。
 さてどうしようか。はっきり言えば今は仕事は無い。朝に見回っていたのもただ気を紛らわせるためにしていただけの事だ。
 次の、仕事としての見回りの担当は夜だ。今日は埋葬の予定も無い。
 もともとやる事は無かったとはいえ、完全に手持無沙汰だ。何となく首なし女を見ているくらいしかやる事が無い。
 それにしても、驚くべき状況なのにも関わらず、俺は驚くほどに冷静だった。
 首の無い死体を見慣れているからかもしれない。戦場では自分で首の無い死体を作ったこともある。まぁ、首を刎ねられて生きている奴は居なかったが。
 首が無くても動く体など、普通の人間から考えれば化け物じみて、悪夢としか思えないだろうに。
 だが俺は求めていたのかもしれない。人間ではない、恐ろしい化け物が現れて、俺を殺して、この煉獄から解放してくれるのを。


 別に自分から戦場に立ちたかったわけではなかった。志願兵などやりたくは無かった。だが、村からどうしても人を出さなければならなくなった。
 村の近くには、とある大きな教国があって村はよく世話になっていた。その教国が隣国との戦争で危機の状態にあるとなれば、村からも兵士を出さないわけにはいかなかった。
 俺には恋人は居たが親も兄弟も居なかった。
 叩かれたのは俺の肩だった。
 居なくなっても悲しむ人間が少ない者が選ばれるのが通りだと、俺も思った。申し訳なさそうに頭を下げる村長の顔を今でも覚えている。
 俺は村の志願兵として兵隊に加わる事になった。
 別れの日、恋人のローザはいつまでも待っていると言ってくれた。彼女を守るために戦うのだと思えば、少しは怖さも薄れる気がした。


 煙と鉄と泥の匂いにまみれた戦場で、俺は初めて人を殺した。
 怒号と共に進撃が始まり、乱戦になり、迫ってきた敵国の騎兵が味方の槍によって落馬させられた。
 俺の目の前に落馬した敵兵が投げ出される。
 彼は俺の方を向いて腰の剣を抜こうとした。やらなければやられるのだ。俺の脳裏にローザの顔が浮かび、怖くなって俺は無我夢中で敵兵に剣を振りおろし続けた。
 あとの事は良く覚えていない。がむしゃらに戦い続け、気がつけば初陣を生き残っていた。


 つい、うとうととしてしまった。
 また嫌な事を思い出してしまった。ベッドではなく、堅い椅子で寝ていたからかもしれない。
 窓の外から差し込む夕日で部屋の中は赤い。
 心が落ち着かない。体の芯が疼く。昔の事を思い出す度にいつもこうなってしまう。しかし今この状態になるのは都合が悪い。
 深呼吸する。落ち着くんだ、ここには死者しか居ない。死者は、何も言わない。
 いつの間にか、首なしの彼女がベッドの上で半身を起こしていた。
 怯えるように胸元に毛布を寄せて、身を固くしている。まぁ、何も見えず、何も聞こえず、匂いさえ分からない状態ではそうなるのも当然だ。しかも女性ともなればなおさらだろう。
 俺は気付いてもらうため彼女の肩に触れる。彼女の手が素早く動いて、俺の手が払われる。
 彼女の手はその場で硬直する。何かを探すように空中をさまよった後、その手は再び胸元に戻った。
 いきなり見えない相手から触られたのだから、当然の反応なのだが、しかし参った。このままでは意思疎通もままならない。
 何とか気が付いてもらいたいのだが、不用意に触るのも考え物だ。
「どうしたもんかねぇ」
 俺はベッドに、彼女から少し離れたところに腰かけた。
 彼女の首がなぜか俺の方を向き、その手が毛布の上を探るように動きながら俺の手を探し当て、手を重ねた。
「声が聞こえるのか?」
 彼女は反応しない。まぁ耳も無いから当然か。
 ではどうやって探り当てたのだろうか。
 彼女の手が俺の手から、探るように腕の方へと撫で上げてくる。
 俺はされるがままにしておく。今の彼女にとっては触覚だけが頼りなのだ。敵意が無い事を伝えるためにも、何もしない方がいい。
 肩を越え首へ登る、そして胸元に降りて、その手が止まる。確かめるように何度もぺたぺたと触れてくる。少しくすぐったい。
 その手が腹を下り、服の上から俺の、大人しいままの男の象徴に触れる。
 彼女は手を引いた。そしてまた胸元に手を寄せる。
 助けた人間が男であったことは彼女にとって吉だったのか、凶だったのか。
 仮に俺が今ここで彼女の身体を好きにしたところで、彼女には助けを呼ぶ力は無い。声も出せず、こちらの姿も見えない。
 そうか、縛り上げてしまえば抵抗されることも無いんだな……。
 彼女は突然右手をこちらへ向け、細い物を掴んで動かすような仕草をする。何だ。何を伝えたい。
 彼女はさらに左手を出し、広げたその上で右手を動かす。そうか、紙とペンだ。
 すぐに机から適当な紙と支えになりそうな板と、鉛筆を取り出す。
 ベッドに戻ると、彼女は俺の方を向いた。なるほど、ベッドの軋みで気配を感じていたのか。
 右手をそっと掴み、鉛筆を持たせてやる。そして左手には紙を。
 彼女の手が文字を書いていく。幸いにも俺は文字が読める。何とかなりそうだ。
《手当をありがとう》
「気にするな。あんたは」
 と、言っても伝わらないのだった。
 俺は彼女の手から鉛筆を取り、紙に書いてやる。
《気にすることは無い、君は何者なんだ》
 そして鉛筆を渡すが、彼女の手は止まったままだった。
「……何をやってるんだ俺は」
 見えないのだから当たり前ではないか。
《ごめんなさい。見えないし、聞こえないの》
 分かっているのだが、どう伝えればいいのだろう。
 考えあぐねていると、彼女は膝の上に道具を置いた。そして俺の手を探り当てて、自分の方へ引き寄せる。
 彼女は自分の指で、俺の手をなぞる。その動きには規則性があるようだった。
 り、ま、す、か、わ、か、り。
『わかりますか』
 俺は思わず彼女の手を握りしめていた。すると彼女も握り返してくれる。
 指で互いの肌を撫でる。これが俺と彼女の初めての触れ合いだった。


 カンテラを手に、墓石しかない霊園を歩く。
 月は無く、雨の名残の雲が夜をさらに暗くしていた。
 墓石に異変が無いか見て回るだけの、いつもの仕事だ。慣れているのでつい注意が散漫になり、先ほどの首なしの彼女とのやり取りを思い出してしまう。
 彼女の名前はフランというらしい。魔物娘で、種族はデュラハン。もともと首が取れる種族なのだという。
 とある親魔物国の軍人の一人で、前線に立って戦っていたらしい。
 だが、戦闘中に予期せぬ事故に巻き込まれて体が遠隔地に飛ばされてしまったのだという。
 幸い頭の方は今は安全なところに居るので大丈夫だと言っていたが、体と頭が離れている時点であまり大丈夫では無いのではなかろうか。まぁ本人が言うのならば信じるしかないが。
 だが、流石に筆談だけでは分かった事はその程度だった。
 なぜそんな事故に巻き込まれたのか、フランはどこから来て、助かるためには何をしてやればいいのか。聞きたいことはたくさんあったが、時間も無かった。
 こちらから伝えられたことはほとんど無い。敵意が無い事と、俺が男である事くらいだろう。
 あと、裸ではあんまりなので乾いていた下着とワンピースを渡した。フランは最初裸であることを恥じらうようにもじもじと身を縮めていたが、服を渡されると見えないながらも器用に身に着けてしまった。首が離れる種族なのだ、こういう状態には慣れているのだろう。
 そして俺は大人しくしているようにと伝え、フランを一人部屋に置いてきた。
 墓守は囚人じゃない。部屋にはちゃんと鍵がかかっているから、誰かに見つかる事は無いだろう。
 目の前には相変わらず変わり映えしない同じ形の墓石が並んでいる。少々飽きてしまうが、墓石が動いていたらそれは死体が魔物化したか、墓泥棒が仕事をした証拠となるので、それはそれでありがたくない。
 不意にかつての恋人の顔が浮かんだ。
 女の身体に触れたせいだ。そのせいで忘れていたことが芋づる式に頭の中から掘り返されていく。


 初陣の後も帰れずにいくつもの戦場を渡り歩いた。
 敵兵を何人も殺し、戦友も何人も死んでいった。
 助けられたはずの友軍は数多く、殺さなくても済んだ敵軍はもっと多いだろう。多すぎて、もはや一つ一つの出来事など覚えていなかった。
 俺達の部隊は教国を守り続けていた。敵兵が来れば戦闘になった。
 思えばあの時どこかの戦場で大人しく死んでいれば良かったのだ。そうすれば周りに迷惑もかけなかっただろうし、こうして自らの行いを嫌悪し続ける事も無かった。
 戦いが怖くなり、俺はいつのころからか娼館の世話になるようになった。
 軍は俺を故郷に返してはくれなかったが、女を買う金は出してくれた。
 自分より若い娘も抱いた。経験豊富そうな脂の乗った女も抱いた。無気力な女も抱いた。積極的に求めてくるような女も抱いた。
 泣かれる事もあった、罵られる事もあった、嫌がられる事もあった、媚を売られる事もあった、優しくされる事もあった。
 彼女達もまた戦争の被害者である事は分かってはいた。だが、抱かずには居られなかった。
 あのころはただ殺し合いの怖さを忘れたい一心だった。女を抱いているときだけは全てを忘れられた。だが行為が終わればまた怖くなった。
 ローザに対して申し訳ない気持ちもあった。でもそれよりも恐怖の方がずっとずっと大きく、それを何とかして誤魔化さなければつぶれてしまいそうだった。
 もう恋人は、ローザは抱けないだろうと思った。
 血塗られた自分の手でローザに触れたら、彼女を汚してしまう気がした。だが戦いを生き延びるたびに俺は変わらず女を買った。我ながら最低だと思った。それでも戦争で死にたくは無かった。
 戦争は激化した。
 攻勢に出ている教国軍は敵国を落とす間際までいっているという話だったが、相変わらず教国の周りでも被害は出ていた。いくつかの村や町が焼打ちにされたという話だった。
 その時には俺はまだ何も知らなかった。


 泥を飲み込んだように胸が重い。
 全てを忘れるためにここに来たのに、たまにこんな風に全部思い出してしまう。だがきっとまた忘れられるだろう。
 死者を弔うために穴を掘り、死者のために祈っているうちに、きっと忘れられるはずだ。これまでだってそうして来たのだから。
 いつの間にか戦争慰霊碑の前に居た。
 柱のように大きな石碑に、数多くの人命と、戦場になった村や土地の名前が刻まれている。
 恋人の眠る石碑の前に立っても、俺は何も思わなかった。
 いや、胸の中に言いようのない何かは渦巻いているのだが、それを何と呼べばいいのか、俺には分からないのだ。
 彼女の死を知った日から、今に至るまで変わらずに。


 朝日が昇り始める。青く照らされる乳白の朝霧の中に、見渡す限り規則正しく墓石が並んでいる。いつ見ても何とも言えない幽玄な光景だった。
 今晩も何も無かった。
 俺は胸をなでおろし、自分の部屋に戻る。
 扉を開けると首なしの女性がベッドの上で半身を起こしている。俺は驚いて腰を抜かしそうになってしまった。
 フランが居る事をすっかり忘れていた。
 俺は頭を振った。過去という死者よりも、今の生者を大切にするべきだ。傷は大丈夫なのだろうか。ちゃんと眠れただろうか。
 ベッドに腰掛けると、フランは俺の方を向いて膝に置いてあった筆記用具を手に取る。
《おかえりなさい》
 俺は彼女の左手に指を乗せる。
『おはよう』
 彼女の手が白紙の上で考えるように彷徨う。
《おかげさまでよく眠れました。ベッド使われますよね》
 言葉ではそう書かれているが、まさかとは思うが寝ていないのだろうか。どちらにしろ、怪我人から寝床を奪うような真似は出来ない。
『けがにんは やすんでおけ』
 手のひらに書き、俺は彼女の肩を押してベッドに横にしてやる。
 ベッドから降りてしまえば、彼女には俺を探す手段は無くなる。
 俺は椅子に腰を下ろした。
 一晩中、昔のことを思い出しながら歩いていたせいか気分が悪い。過去の亡霊はたまにこうして墓穴から出てきてしまう。また時間をかけて穴を掘って埋めてやらなくてはならない。
 フランの手が紙の上で動いているが、何を書いているのだろうか。気になるが、もう眠くて仕方が無かった。


 目を開けると、すでに日が高く昇っていた。
 身体が重い。戦場の記憶が、女を犯してきた過去が、消化しきれない脂物のように腹の中を重たくしていた。
 今日の午後は埋葬があるというのに、先が思いやられる。
 ベッドの上でフランが胸を押さえていた。
 どこか具合でも悪くしてしまったのだろうか。俺は慌てて彼女の隣に腰を下ろして、膝上の紙を覗き込む。
《ありがとう。あなたは優しい人ですね》
 寝る前に書いていた一文だろうか。その下の方にも文章が続いている。
 だが様子がおかしかった。筆圧が強く、筆跡も乱れていた。
《魔 物は   精が  無いと  もう  自分を  抑え  られ ない
 これを  読ん だ ら  私   近づ  ては  駄目
 もう   限   界》
 フランの手が、俺の腕を強く掴む。
 視界が一転し、俺はベッドに押し倒されていた。


 フランは俺の腹の上でワンピースを脱ぎ捨てて、下着を取り払ってしまう。
 均整のとれた美しい身体だった。傷がある事を差し引いても、むしゃぶりつきたい衝動に駆られる。
 彼女の手が俺の身体をまさぐり、たどたどしく俺の服を脱がせていく。ズボンを脱がそうとする。俺は腰を浮かせて、自分から下着ごとそれを脱ぎ捨てる。
 フランの手が、俺の一物を優しく包み込む。その手が、俺の性欲に火をつけ始める。
 剣だこで少し硬かったが、俺に比べれば十分に柔らかく、何より暖かかった。
 俺が抵抗しないと分かるとフランは腰を引き、両手で俺の物を愛撫し始める。
 片手で竿の部分をしごき、もう片方の手で亀頭を包み込み、その指先でかり首を撫でまわす。
 あっけなく俺の物は勃ち上がる。
 フランは片手を己の足の付け根に持っていく。くちゅり、という音とともにその手が少し奥に進み、淫らな水音を立て始める。
 フランは肩を震わせる。自分を慰めているのかと思ったが、そうではなかった。手を濡らしたかったのだ。びしょびしょになったその手で包む様に俺の一物を握る。
 自分の愛液で俺の物を濡らし、さらに激しくしごき始める。
 ぬるぬると肉棒に絡み付く指が、根元から先っぽまで上下する。かり首を指が通り過ぎるたびにえも言われぬ快感が腰にこみ上げる。
 それと共に、肉棒に塗され擦られた事で女の匂いが漂い始める。美味い物の匂いを嗅げば自然とよだれが出るように、フランの匂いは俺の獣欲を的確に刺激した。
 甘いような、果実のような、獣のような。それはひたすらに俺をその気にさせる淫らな匂いだった。
 欲望が腹の底で燃え上り始める。下半身に血液が集まり、フランの握るそれが痛いほどに熱く、堅くなる。
 俺は彼女の太腿を掴んだ。
 その肌は柔らかく、手に心地いい。本当に、久しぶりの女の肌だった。
 フランはそれで気が付いたのだろう。腰が重なるように位置を調整する。
 頭の無い魔物がどうやって精を得るのか。答えは一つだった。フランは腰を下ろし、一気に俺の物を自分の膣中に飲み込んだ。
 一瞬背が弓なりに反り、その白い乳房が揺れる。
 フランの中はきつく、熱く。これまで抱いたどんな女よりも具合が良かった。
 身体と同様、中の肉も締まっていて、俺の物を隙間なく銜え込む。
 フランは俺の腹に両手を置くと、腰を振り始める。
 腰が上がれば、俺の物が抜けてしまうかという程に強く膣が絡み付く。腰が下りれば、みっちりとした膣肉を無理矢理掻き分けて俺自身がフランを刺し貫く。
 息遣いは聞こえない。聞こえるのはベッドのきしむ音と、男女の物が絡み合う淫らな水音だけ。
 その腰使いは、少しでも早く男をいかせたい娼婦の物に似ていた。一物全体を飲み込み、激しく膣内にこすり付けるように腰を振る。
 いや、娼婦とは少し違う。その手は遠慮するように強張っていて、その身は何かを恐れるように竦んでいた。
 だがそんなことは今の俺にとってはどうでもよくなっていた。
 もっとこの肌を味わいたい。撫で回して、歯を立てて、中を掻き回して、めちゃくちゃにしてやりたい。
 そして女の中に全てを吐き出すのだ。今まで溜まりに溜まった全てを。何の遠慮も無く思いのままに解放したら、どれだけ心地いいことだろう。彼女の腰が蠢くたび、欲望はどんどん高まっていく。
 ここしばらく女を抱いていなかったせいもあり、俺は一気に高みへと追いつめられる。
 我慢する気はもう消えていた。女の腰を掴んで突き上げながら、俺は信じられないほどの解放感と共に精を放った。
 溜まっていたものが一気に放出される。濃縮された欲望が、彼女の奥へと叩きつけられる。
 彼女の腰の動きがゆっくりとしたものに変わる。膣の肉が俺を労うように柔らかい物へと変わる。それは精の味を中でじっくりと味わっているようでもあった。


 彼女の膣がゆっくりと弛緩してゆき、ようやく普通の女と同じくらいの締め付けになる。
 腹が満たされたからだろうか。女は腰を上げようとしていた。俺は彼女の腰を掴み、硬いままのそれを奥に突っ込む。
 女の全身がびくっと反応する。
 女に手で触れられて、こんないい匂いに包まれて、ずっと抑えていた性欲を解放されて、もう自分を押さえられない。燃え上った欲望の炎が腹の中で猛り狂っている。
 ああそうだ、この炎で過去を焼いてしまえばいい。娼館でもそうして来たじゃないか。女を好きにすることで嫌な事は全部忘れてきたじゃないか。
 俺は彼女の奥まで突っ込んだまま、女を押し倒す。誘ったのは女の方からだ。それに魔物娘にとって精は食事と同じ。精を取らなければ体も良くならない。そうだ、別に俺のためだけに女を犯そうっていうんじゃない。女のためを思って精を与えるだけなんだ。
 俺は深く女の中に突き入れる。柔らかい肉が裂けていき、奥にこつんと触れる。
 女の肩が震える。
 抜ける寸前まで引き抜いて、もう一度一気に奥まで。
 女の白い喉がのけ反る。その二つの手のひらが俺の身体を押し返そうと、胸を押した。
 嬌声も息遣いも悲鳴も聞こえない。表情もわからない。ああそうだ、きっと快楽に蕩けきっているに違いないと俺は思い込むことにして、その腕を掴んで力付くでベッドに押し付ける。
 腰の動きが止められない。
 嫌がっているかなんて分からないじゃないか。
 そうだ、きっとこの女も俺を求めているに違いないんだ。
 二つの柔らかな果実が目の前で揺れ、俺は夢中でむしゃぶりつく。舌先で硬くなっている乳首を転がし、歯先で擦る。
 女の味を愉しみながら、腰は休ませずに動かし続ける。
 女は俺に身を任せることにしたらしい。体の筋肉が弛緩して、さらに柔らかい物へと変わる。腕からも力が抜けたので、俺は腕を離してやった。
 女の腕が俺の二の腕をしがみつくように掴む。
 いつまでも愉しんでいたかったが、だんだんと腹の底から欲望がこみ上げて来ていた。
 俺は女の身体を強く抱き締めながら、彼女の中に二度目の射精をした。どくり、どくりと俺の物が脈動するたび、彼女の膣内も射精を促すように波打った。


 荒い呼吸の音は、自分の物だった。女の髪を撫でようとして、急に俺は我に返った。
 ああそうだ目の前の女には首が無いのだった。
 その身体は傷だらけで、今は自分の身体さえ見えず、何も聞こえない。本人が望む望まないに関わらず、誰からでもいいように扱われてしまう状態なのだった。
 ……そんな状態のフランを、俺は自分の好きなように犯したんだ。金を払うわけでもなく、同意を得る事も無く、抵抗できない事をいいことに。
 自分の性欲を晴らすために。嫌な事を忘れるために。自分の都合で彼女の身体を傷つけた。
 急に頭が冷え切っていく。そして一つの理解を紡ぎ出した。
 ああ、そういう事か。俺は誰かを支配して安心したくて女を抱いていたんだ。
 毎回戦場で虫けらのように殺されそうになる自分でも、圧倒的な力で誰かを支配することも出来るのだと思い込みたくて、生きているんだと思いたくて。
 フランは傷だらけで、見えなくて聞こえなくて、不安だらけだというのに。この状況では誰かを頼らずにはいられないというのに。なのに俺は自分の欲望だけで彼女を犯してしまった。
 俺は彼女から身を離した。繋がっていたそこは、泡立った二人の体液で真っ白になっていた。
 彼女はまだ激しく胸を上下させている。幼い娼婦を泣かせた記憶が思い出されて、胸がすっと寒くなる。
 俺はフランの身体の汗と汚れを拭ってやる。
 悲鳴も上げられず、フランはただ俺のする事を受け入れるしかなかった。最低の事をした。霊園では何も言われないから忘れていたが、やはり俺は下衆な人間だったのだ。
 いたたまれなくなり、逃げるようにベッドから離れようとする。しかしフランは俺の腕を掴んで止める。
 顔の無い彼女が、泣きながら俺を咎めているような気がした。
『しごとがある』
 とだけ彼女の肌になぞる。彼女は大人しく腕を離してくれた。
 俺は服を掴むと水浴びをするべく部屋を後にする。
 体中にフランの甘い匂いが残っていた。その匂いが俺の罪を糾弾しているようだった。お前は弱者の身体を無理矢理好きにした、獣以下の屑だと。
 元々埋葬の前に身を整えるために水浴びをするつもりだった。だがその意味合いは全く変わってしまっていた。俺はフランの匂いから逃れるように、体を清めた。
12/07/07 23:09更新 / 玉虫色
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