連載小説
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第二章:策謀
 サップは帰路を急いだ。きっと国の皆は、自分の安否も含めて国の行く末を案じて気が気でないはずだ。
 魔物娘は危険な存在ではない。それを伝えれば国の皆も安心するだろう。そうすれば、またいつもの退屈で平穏な日々が戻ってくるはずだ。
 森から街道へ出て、そこから集落へ戻るのには思った以上に時間がかかった。集落が見えてくるころには、既に太陽は山の蔭へと姿を隠してしまっていた。
 いち早く議会場へと急いでいたサップだったが、集落が近づくにつれて何やら様子がおかしい事に気が付いた。
 通りに人が出ていないのだ。いくら日が暮れたとは言え、人気が無くなるにはまだ早すぎる。
 そしてそれ以上におかしいのは、街中に武装した見慣れぬ男達が闊歩しているという事だ。
 見たことの無い国の印と教会の象徴が描かれた鎧を着込み、帯剣した兵士達。主神教を崇める国の兵士達だ。
 彼等は集落の外れにある備蓄倉庫に好き勝手に入り込み、金目の物を持ち出したり、食料をその場で調理し食べ散らかしていた。
 いつの間によそ者がこんなに集まっていたのか。それに、なぜこんなに好き放題にしているのか。
 事情は分からないが、止めなければ。
 駆け寄ろうとするサップだったが、その腕が何者かに掴まれ止められた。見れば、サップの良く知る防衛隊長だった。
「サップか。戻ったんだな」
「隊長。これは一体どういうことなんだ。あいつらは一体何なんだよ」
「彼等は教国の兵士達だそうだ。あの女魔術師がこの国の防衛のためにと、空間転移の魔法陣で呼び出してくれたんだ」
「この国を守りに来ている奴らが、なんで備蓄倉庫を襲っているんだよ」
 防衛隊長は苦虫を噛み潰したような表情で低く唸る。
「国に、軍を雇うほどの金が無いんだよ。代わりにと、食料や毛皮等の財産を提供することになったらしい。山の利権を譲り渡す話も出ているそうだ」
「けど、そこまでしたらもう占領されているのと同じじゃないか」
 防衛隊長は目を剥いて周りを確認する。近くに住人も兵士達もいないことを確認し、彼はほっと息を吐いた。
「滅多な事を言うもんじゃない。仕方ないだろう、魔物に襲われて皆食い殺されるよりは、他国に頭を下げてでも生き残る方がいい」
「だとしても限度があるだろ。それに、魔物はそんなに危険な存在じゃない。あの子たちは人間に友好的な存在だ」
「何! それは本当なのか?」
「恐ろしい化け物なんかじゃ無かった。身体の一部が虫や花のような形はしていたけれど、みんな可愛い女の子みたいな姿をしていたよ。
 それに、俺を見つけてもすぐに襲い掛からずに話を聞いてくれたんだ。事情を話したら、俺の事を捕まえもせずこうして国へ帰してくれた。信用できる奴らだと思う」
 隊長は腕を組んで訝しむ。明らかに、サップの話に納得出来ていないようだった。
「恐ろしい化け物の正体が大人しい女の子だったって? サップ、お前ももういい大人なんだから」
「見てきた奴の話を信じないなら、何のための偵察なんだよ。それに、あんただって見た事があるはずだ。前にもこの国に魔物娘を名乗る旅人がやってきた事があっただろ」
「そうだったか?」
 サップは苛立たしげに溜息を吐く。前にもこんなやり取りをしたことがある気がする。
 が、今回は引き下がる気は無かった。サップにははっきりとした記憶があった。
「……あんたが酒場で魔物娘を目の当たりにした時の顔、今でも覚えてるぞ。だらしなく鼻の下を伸ばしてたっけな。翌日顔に引っぱたかれた跡があったが、何があったんだったかなぁ?」
「思い出した」
「そうそう。嫁さんがいるのに口説こうとして、こっぴどく振られるところまでの一部始終を、迎えに来た嫁さんに全部見られてたんだっけな」
「おいやめろ」
「突然ふらりとやってきた魔術師よりも、俺の方を信頼する気になったかい?」
 防衛隊長は疲れた顔で肩を竦める。
「いきなり魔物は女の子だったと言われてもな。しかし確かに俺も見ていたことは事実だ。……確かに、美人だった」
「隊長」
「分かっている。今回の件、確かに臭いな。魔物の巣が作られていると伝えてきたのも魔術師なら、魔物が危険だと触れ回ったのも彼女だった。軍隊を呼んだのも……。まさか」
「とにかく。魔物が危険な存在では無い以上、兵隊がここに居る必要もないだろ。帰ってもらおう」
「そういうわけにはいかないわ」
 頷き合い、議会場へと急ごうとする二人を、女の声が引き止める。件の魔術師だ。今は旅の外套ではなく、兵隊達と同じ意匠が施されたローブを身に纏っていた。
 その後ろには複数の兵士達が付き従っている。偵察から戻ったサップを労おうという雰囲気では無かった。
「魔物は危険な存在。これは絶対的に明らかな事よ」
 ぴしゃりと言い捨てる魔術師にサップは噛みついた。
「嘘だ。俺は実際に見たぞ。森の中には確かに魔物の里があったが、人間を殺して食ってはいなかった。そこでは人間と魔物が仲睦まじく暮らしていた」
「サップさん。あなたは既に魔物に幻惑されているのです。隊長さんも彼の言う事を信じてはいけませんよ」
「しかし……」
 魔術師に言われると、防衛隊長は魔術師とサップを交互に見ながら押し黙ってしまった。
 魔術師はそんな彼の目をじっと覗き込むと、ゆっくりと、言い聞かせるように告げた。
「魔物は、凶悪で、邪悪で、恐ろしい。人間を食い殺す、人類の天敵。……いいですね」
「魔物は、人類の敵」
 防衛隊長はうわごとのように呟いた。その目はどこか虚ろで、ここではない遥か遠くを見ているようだった。
 魔術師は、今度はサップに向き直る。その瞳の奥には、怪しげな光が宿っていた。
「サップさんもいいですか? 魔物は、凶悪で」
「うるさいっ」
 魔術師が何かしたことは明らかだった。サップは目を閉じ、彼女を突き飛ばす。
「幻術を使っているのはお前の方だろう。何が目的だ。この国をどうするつもりだ」
 食ってかかろうとするサップだったが、それを見逃すほど周りの兵士達も無能では無かった。サップは腕を取られて地面へと投げ飛ばされ、すぐに拘束された。
「くそ。離せ。隊長に何をした」
「ちょっと夢を見てもらっているだけよ。けれど、まさか本当に魔物の巣があるとは思わなかったけれど」
 魔術師はくつくつと笑いながら、地べたに押さえつけられているサップを見下ろした。
「魔術師長殿、それ以上は」
 兵士の一人が魔術師を諌めるが、彼女は薄ら笑いを浮かべながら愉快そうに話を続ける。
「まぁいいじゃない。無能な隊長さんは聞いていないんだし、彼には哀れな魔物の犠牲者になってもらえばいいことだわ。
 原型も残らないくらいに切り刻んで村の外れにでも曝しておけば、嫌でも村の連中は魔物の脅威を思い知るでしょう」
 サップは立ち上がろうともがくが、腕の関節を極められているらしく腕に激痛が走るだけだった。
 脂汗を浮かべながら、サップは女達を睨み付ける。
「どういう、事だ」
「旅の魔術師が、土着民でさえ気が付いていない魔物の巣を見つけたなんて都合のいい話、よく信じてくれたわよね。まぁこんな山の中に住んでいるからこそ、見えないところに脅威が潜んでいるっていう発想になるのかもしれないけれど」
「つまり、お前は」
「そう、彼らと同じ国の魔術師よ。旅の魔術師と言うのも、魔物の巣を見つけたって話も全部嘘。
 全てはあなた達の抵抗を受けずに軍を呼び込むための方便。何せこの土地ったら、ど田舎のくせに防衛機能だけは高いから。仮に城壁の外に兵士を呼んでも、攻略するのには面倒なのよね。
 でも、流石お人好しの田舎者達ね。魔物から守ってあげるって言ったら、こんなに簡単に国の中心に大規模な転移魔法陣を作らせてくれるんだから。おかげで簡単にこの地を占領できた。しかも兵糧補給のおまけつきなんだから、笑いが止まらないわよね」
「……この土地に、狙う価値なんて無いだろ」
 睨む事しか出来ない自分が口惜しい。サップの歯ぎしりの音がぎりりと響く。
「学のない田舎者には無価値の山でも、私達からすればこの辺りの山は宝の山なのよ。価値があるのは何も金や銀や宝石だけじゃないの。分かる?
 それに、ここを拠点に兵を出せば、挟み撃ちに出来る国も多いのよね。まさかこんなところから攻められるとも思っていないでしょうし。
 さぁ、お土産話もこれでおしまい。そろそろ眠ってもらうわよ」
 魔術師に額に触れられた瞬間、サップの意識に急激に霞がかかり始める。抗いようのない睡魔が、サップの意識を蝕んでゆく。
「ちく、しょう」
 手足から感覚が失われてゆく。サップの意識は、深い沼の底へと沈んでいった。


 目が覚めた時には、暗い石造りの部屋の中に居た。
 サップは自分の身体をあらためる。弓や剣は奪われていたものの、腕や足には傷は無かった。縄や鎖で拘束されてもいない。迂闊なのか、それともその必要が無いからなのか。
 ひとまず自分の身体の無事を確かめると、サップは次に周囲の様子をうかがった。
 床も天井も、壁でさえも全て石を積み上げて作られていた。
 光源は壁に付けられた篝火が一つだけだった。あとは壁に小さなのぞき窓と木製の扉があるだけの、何もない部屋だった。
 牢屋には見えないが、壁も扉もちょっとやそっとでは壊せそうには見えない。彼らが期待している役割は十分に果たしているようだ。
 見覚えのない場所ではあったが、この石造りには覚えがあった。集落をぐるりと囲んでいる石壁に似ているのだ。
 サップは試しにのぞき窓から外の様子を眺めてみた。
 目線の高さには暗い空が広がるだけだったが、見上げれば既に月が昇り、見下ろせば見慣れた街並みに生活の灯りが灯っていた。
 どうやら今は夜のようだ。帰ってきたのが夕刻だと考えると、まだそれほど時間も経っていないらしい。
 頭の中に街の地図を広げて逆算する。恐らくここは、大昔に作られていた石造りの物見の塔の上だろう。位置としては集落の外れもいいところだった。
 助けを呼ぼうにも、誰かに気づいてもらえる望みは薄い。こんな夜遅くに、しかも街外れの物見やぐらに等、誰も注目しているはずがない。
 サップは部屋の唯一の出入り口である扉を開こうと試みる。
 が、当然のように押しても引いてもびくともしなかった。
「おい。開けろ、開けてくれ」
 扉を叩きながら喚いてみる。すると、向こう側で人の動く気配がした。
「あんたにゃ悪いが、それは出来ない。申し訳ないが死んでもらうしかない」
「どういう事だ。俺は何もしていないぞ」
「教団としては、魔物を良く言うやつを野放しにしてはおけないんだよ。うちの国としても、ここを手に入れられるかで国の将来が左右されるんだ。無実のあんたを見殺しにするのは心苦しいが、仕方ない事なんだ」
「ふざけるな。周りの人間が黙っていないぞ」
「そうだろうな。この土地の人間達もあんたを殺した魔物を憎むようになるだろう。そうしてくれればこちらとしても一石二鳥さ」
「バカな。殺したのはあんた達だろう」
「だから食い散らかされたみたいにぐちゃぐちゃにして、街外れにばらまいておくんだよ。決行は明日の朝だ。あぁ、今から気分が悪くなってくる。なぁ頼む、大人しくしていてくれ。あんたに情が移ったらやりづらくなる」
「だったら俺を逃がしてくれよ」
「それは出来ない。俺にだって、国に帰りを待っている妻子が居るんだ」
 サップは歯噛みしながら、それでもと食い下がる。
「あんたが無実の人間を殺したら、その妻子はどう思うかな」
「軽蔑されるかもしれないな。けれど、それであいつらの飯が買えるなら安いもんだ。それに、戦争だから仕方がないんだよ。無実だろうが、女子供だろうが、戦地では……。あぁ、くそ、なんで俺がこんな役目を……」
 サップは、もしかしたらと言う小さな希望にかけて、見張りに揺さぶりをかける。
「なぁ、あんた兵隊なんて向いてないんじゃないか。国に帰って、畑を耕して暮らせばいいじゃないか」
「無理だ。うちの国は土地が痩せて、農業はもう限界なんだ。特産品も無いし、有能な研究者や指導者も居ない。だから教団に頼って、こうやって……。
 もういいだろう。黙っていてくれ。俺はもう、あんたが居ないものとして考える事にするよ」
「ならみんなでこの国に移ってくればいい。金は無いが、山に行けば何かしら食い物はある。少し手間はかかるが、畑を作れば農産物だって……。おい、聞いているのか」
 サップはあきらめずに語り掛けつづけたが、それ以降兵士が返事をすることは無かった。
 扉を叩いても、暴れても、兵士はもう何も言ってこなかった。
 動くのを止めると、部屋の中はやたらに静かだった。ただ、篝火が揺れる音が聞こえてくるだけだった。
 自分は、明日の朝には殺されるらしい。
 しかも、恐ろしい魔物の仕業に見せかけるために、死体もぐちゃぐちゃにされるようだ。
 見張りの男は、自分を助ける気は無いらしい。生活に疲れ切っているようで、もう仕方ない犠牲だと割り切っているようだ。
 扉は頑強で壊せそうもない。
 飾り窓も小さすぎて身体も通りそうにない。仮に通ったとしても、ここは地面からかなり高い位置にある。落下すれば、死は免れないだろう。
 助けを呼ぶ手段も無い。
 誰かが自分に気が付くことも無いだろう。
 どうしようもない。
 大人しく、死を待つしか……。
 全身に震えが走る。
 カタカタと奇妙な音が鳴っていると思えば、自分の歯の根が合わない音だった。
 サップは床に跪いて、頭を抱える。
 怖い、怖い。怖い!
 もういい年になるというのに、焦って何も考えられなくなる。全てを投げ捨てて逃げ出したいのにそれも出来ず、ただ恐怖に怯えて震える事しか出来なくなる。
 子供のころ、一人で森の中で迷子になった時でさえこれほどの恐怖を感じた事は無かった。
 恐怖が恐怖を呼び寄せたのか、それとも目の前にある恐怖を避けようとする拒絶反応か、サップの脳裏に、鮮明にその時の記憶が蘇り始める。
 昔、村の子供達の中で誰が一番大きな虫を捕まえられるかという競争をしたことがあった。その時、サップは森の奥で迷子になったのだ。
 きっと誰も踏み込まない森の奥なら、誰も捕まえた事の無いほどの大きな虫がいるに違いないと幼心に考えて、後先考えずに森の奥深くと進んでしまったせいだった。
 気づいたときには帰り道が分からなくなっていた。狼達の遠吠えも聞こえ始め、自分はきっと食べられて死んでしまうのだと思った。
 あの時は森の住人に運良く助けてもらえた。けれど今回は、もう助かりようがない。
 こんなに高い物見台の頂上付近になぞ、誰も助けに何て来てくれるわけがないのだから。
「待てよ。あの時俺は、誰に助けてもらったんだ?」
 サップの頭に、奇妙な疑問が浮かぶ。そんな事を考えている場合では無かったが、そんな事でも考えていないと気が狂いそうだった。
 サップは現状を忘れて、記憶を手繰ることに集中する。
 確か自分が大きなカブトムシを捕まえてきたのが始まりだった。そうしたら地主や農民の息子達が、自分ならもっと大きいのを捕まえられると言い張って、それで競争になったんだ。
 猟師の息子が狩りでだけは負けられないと頑張ろうとして、俺はみんなが行ってはいけないと言っていた森の奥まで探しに行ったんだ。それで結局迷子になって、帰り道もわからなくなった。
 泣きじゃくっていると狼の鳴き声が聞こえ始めて、もはや泣くことも出来なくなるほど怯えて、震える事しか出来なくなって。
 そんな俺に、手を差し伸べてくれた者が居た。
 人間では無かった。あれは、何だったか……。
 唸りながら、サップは必至で思い出そうとする。
 頭に思い浮かんだのは、甲虫だった。子供ほどもある大きなカブトムシだ。しかも女の子の身体と一つになっているおかしな甲虫が、三匹も居た。
『こんなところで、なにしてるの?』
『おねえちゃん、そのひとだれ?』
『だいじょうぶ? どこかいたいの? けがはない?』
 角を生やした女の子の虫。いや、魔物娘だ。まさに今日森で出会った、ソルジャービートル達だ。
「ラファ、ヘラ、チェファ。子供のころに会っていたのか。そうか、だから」
 一つ思い出すと、芋ずる式にいろいろなことが蘇ってくる。
 彼女達は迷子になった自分を、魔物娘達の隠れ里に連れて行ってくれた。
 腹を空かせていた自分に甘いお菓子をご馳走してくれた。気晴らしに、一緒に遊んでくれた。虫取りも手伝ってくれた。
 けれど日が暮れ始めて、帰らなければいけなくなって。
 三人はずっと一緒に遊んで居たいって駄々をこねたけれど、結局は折れて素直に帰り道を教えてくれた。
 また遊ぼうねって、約束したのに。
 目頭が熱くなってきて、サップは目元を抑えた。
 無事に帰っては来れたけれど、大人達にはこっぴどく怒られたんだった。大きな虫に助けられたと言ったら、嘘をつくな、夢でも見ていたんだろうと言われて信じてもらえなかったんだった。
 みんな信じてくれなかったから、いつの間にか自分も信じる事をやめていたんだ。そのうちソルジャービートル達の事も忘れていった。
 けど、全てを忘れてしまったわけでは無かったんだ。心の隅に、身体のどこかに、彼女達の記憶が残っていたんだ。
 だから自分は、魔術師が出任せで言った、有るはずの無い魔物娘達の隠れ里を見つけることが出来たのだ。一度、行ったことがあったから。
「なんで忘れていたんだ。俺は」
 約束を破ってしまった。彼女達にさえ気付けなかった。なのに再会した彼女達は、自分の事を一つも責めずにいてくれた。
 今回だって、今度こそ約束を守ってくれると思って見送ってくれたに違いない。
 せっかく再会出来たのに。思い出すことが出来たのに。なのに、自分はまた約束を守れないのか。
 悔しさと悲しさで涙がこぼれる。感情に任せて床を殴りつけた。

 その時、轟音が鳴り響いた。

「……な、何だ」
 自分の拳が原因では無い事くらい、サップにも分かっている。拳が痛むだけで、床には傷一つ付いていなかったのだから。
 何やら窓の外が騒がしい。
 のぞき窓から下界を伺う。幸か不幸か、他国の兵隊達が篝火を点けているおかげで夜中でも街の様子がよく分かった。
 音の原因はすぐに分かった。大昔からこの土地を守り続けていた外壁の一部が見事に崩れていた。
 自然に崩れたのか。まさかそんなはずはない。嵐や地震が起きたのならまだしも、今は風も穏やかで地面も揺れていなかった。
 ならば原因は何なのか。
 暗闇の中、目を凝らす。崩れたところに何かが佇んでいた。
 土煙で影しか分からなかったが、どうやら槍を構えているようだった。だが、どんなに優れた勇士だったとしても、人一人の力では堅牢な城壁など崩せるはずが無い。
 風が吹き、土煙が晴れてゆく。
 現れたその姿を目の当たりにし、サップは目を見開いた。
 驚愕し、驚嘆し、そして声をあげて笑った。
「ヘラ!」
 そこに佇んでいたのは、幼少ぶりに再開した魔物娘だった。その細腕に長大な槍を構える、戦場を切り開くランサー型のソルジャービートル。
 それに続いて、シザー型とシールド型の二匹のソルジャービートルも城壁の中へと侵入してくる。
 そして大通りにまで進軍すると、何かを探すように辺りを伺い始めた。
「ラファと、チェファまで」
 こんなところまでたった三匹で、彼女達は何をしにやってきたのか。まさか自分を助けに来てくれたのか。思い上がりだろうか。しかしそれ以外に何の用があるのか。
 サップは奇妙な高揚感で、顔が歪んでしまうのを止められなかった。
 下界に兵士達の声が響き始める。
 剣や弓を携えた兵がわらわらと集まり始める。
 三匹のソルジャービートルを取り囲み、一斉に攻撃を始める。
 すかさずチェファが前に出て、その二枚の大盾で全ての矢を弾き飛ばす。横合いから切りかかった兵士達の剣でさえ、彼女達の胴体にさえ届くことなく槍と鋏に弾かれる。
「みんな、負けるな……。頑張れ!」
 サップはいつの間にか叫んでいた。声を上げて、大勢に対してたった三匹で戦いを挑んでいる魔物娘を応援していた。
 その声が届いたのか、チェファが物見台を、サップの方へと振り返る。
 そしてすぐさま、ラファとヘラに向かって指示を出した。
 ラファとヘラ、そしてチェファの動きから迷いが消える。進軍の方向が定まったのだ。
 ヘラを先頭に行軍が始まる。チェファは弓兵の多い側面へ回って矢を防ぎ、ラファは建物の影や屋根から襲い来る兵隊を丁寧にいなしてゆく。
 人間達に、彼女らの行軍を阻めるだけの力は無かった。彼女達はほどなく、サップの捕えられている物見台の下まで到着した。
 しかし、この後はどうするのだろうか。建物の中は狭く、彼女達の身体の大きさを考えると内側から昇ることは難しいだろう。
 サップが不安そうに見守っていると、彼女達は驚くべき行動に出た。
 最初はラファだった。彼女はぐっと身をかがめると、ドッ。と建物が揺れるほどの音を立てて大地を蹴ったのだ。
 すぐに墜落するかと思われたが、彼女は落ちなかった。鞘翅を広げ、後翅を震わせながら、一直線にサップの目の前まで飛び上がる。
 サップは慌ててその場から離れた。それを追いかけるように、サップを閉じ込めていた壁の一部が大鋏によって打ち砕かれる。
 その巨体で積まれた石を崩しながら、可憐な重騎兵がサップの元へと降り立った。
 薄い翅が、月光を七色に撒き散らすように煌めく。土ぼこりを振り払うように一振りすると、ラファは後翅を背の鞘翅の中に収めた。
「ラファ」
 長女に続いて、次女、三女も壁の穴から部屋の中へと入ってくる。
「ヘラ、チェファ」
「サップが遅いから、返事を聞きに来た」
「遅いってラファ、まだ一日も経ってないじゃないか」
「サップ君に早く会いたかったの。それだけ」
「はは、嬉しいよヘラ」
「泣かないでくださいサップさん。もう大丈夫ですよ。何があっても、私達があなたを守ります」
「チェファ、ごめんな。くそ、膝が震えてもう立っていられない」
 崩れ落ちるサップの身体を、差し延ばされた三本の腕が支える。その腕にはもうすでに武器も盾も握られてはいなかった。
「ありがとうな、三人とも。おかげで助かったよ。本当にありがとう」
「何があったの、サップ」
「集落に、別の国の兵士が侵略しに来たんだ。邪悪な魔物を退治するのに協力してやるからって言って。でも本当はそんなの出鱈目だったんだ。
 だけどみんな、騙されて、魔物は悪い奴だって思ってる。このままじゃ、この集落のみんなも侵略者の言いなりになるしかないし、魔物のみんなも、悪い奴だと思われたままだ」
「サップ君は、どうしたいの」
「俺は、このままじゃ嫌だ。この国のみんなは、ちょっと間抜けなところはあるけれど、素直でいい奴等なんだ。そんなみんなが騙されて他の国の奴らの言いなりになるなんて……。
 それに、みんなにラファ達の事を悪い奴だと思われたくも無いんだ。俺は三人に二度も命を救われた。本当に感謝している。
 魔物娘は狂暴な化け物なんかじゃない。きっと俺達は仲良くやっていけるはずだ」
「私達は、サップさんと一緒に居られればそれでいいと思っています。サップさんが逃げたいというのなら、サップさんだけを連れて逃げるつもりでした。
 ですが、サップさんがそれを望むのならば……。私達も出来うる限り、尽力します」
 サップが顔を上げると、三匹のソルジャービートル達はそろって頷いた。
「そんなことが、出来るのか」
「魔物娘流のやり方にはなりますが、出来ます。誰一人として血を流さずに、魔物娘と人間達の関係も、とても仲良く出来るような方法が」
 どうすれば全てにとって一番いい選択なのか。サップは考えるが、明瞭は答えはすぐには出てこなかった。
 あるいはこの場でみんなと逃げ出す事もまた、選択としては間違っていないのかもしれない。
 しかし彼女達は既に外壁を破壊し、国内へと侵入してしまっている。ここで逃げ出したのでは、単純に自分を強奪しに来ただけで終わってしまうのだ。
 それでは、魔物娘と人間の将来によくないしこりを残してしまう事になる。であるならば、もう彼女達の作戦に全てを賭けるのも手の一つだ。
 サップは覚悟を決めて、頷いた。
「やろう、みんな。この国を救うんだ」
 もう、夢で終わらせない。この国のみんなにも、ソルジャービートル達の事を認めさせてやるんだ。そして今度こそは、ずっと一緒に共に暮らしてゆくんだ。
15/10/01 00:39更新 / 玉虫色
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■作者メッセージ
まさかのお色気シーン無し!

ソルジャービートルさん。一兵卒くらいだったら三十人分くらいには相当しそうな強さがありそうですよね。普通の人間では勝てる気がしない。
主人公を助けに物見の塔に侵入するシーンは、飛行と言うよりは大ジャンプと言うイメージです。短距離だったら飛行できるようですし、翅の力も利用して。(物理的に足りない力は愛の力で補っています)

次回は事態の解決とお色気シーンです。(主にお色気シーンですが、悪しからず)

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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