読切小説
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その想いは狂おしいほどに純粋で
 浜辺を歩いていると、女が倒れていた。
 全身ずぶ濡れの、ぼろをまとったどこの誰とも知らぬ女だ。
 薄汚れてはいたが、顔立ちはいい女だった。生きているのか、死んでいるのかわからなかったが、厄介ごとを抱え込むのは御免だった。
 俺は女を見なかった事にした。どうせこの辺りに暮らしているのは俺だけだ。ほかの誰も責めやしない。
「ん。うぅ……」
 そばを通りかかると、女が小さくうめき声をあげた。
 そのまま目を覚ますわけでは無かったが、死んでいないことだけは確かなようだった。
 気づけば俺の足は止まっていた。女を抱え上げていた。
 自分でもなぜこんなことをしているのか、理解できなかった。
 女を拾ってどうしようというのだろうか。助けて感謝されたいのか。性欲を晴らすために使うのか。まさか嫁にでもするつもりなのか。馬鹿馬鹿しい。
 捨てるのは簡単だ。今すぐ両腕に込めた力を抜けば、それで済む。けれど俺は、女の体重を手離す事がどうしても出来なかった。
 冷たかった両腕に、女の体温がしみ込み始めていた。か細いが、呼吸の音も聞こえていた。
 やはり女は生きていた。


 ねぐらにしている小屋に女を連れてきたものの、そのまま上げるには女の身体は汚れ過ぎていた。
 俺は嘆息して、女のぼろを脱がした。
 見慣れているというほどではないが、女の裸に免疫が無いわけでもない。正直に言って、その身体は美しかった。
 女は小柄で、どちらかというとやせ形だった。鎖骨が浮き出て、うっすらと肋骨も見えるほどだった。腕も、力を込めれば折れてしまうのではないかと思うほどほっそりとしていた。
 しかし肉付きが悪いかというとそうでもなかった。
 乳房は片手では収まらないほど大きく、形も丸みを帯びた綺麗な形をしていた。尻や太ももにも脂がのって、女らしい曲線を描いていた。
 観賞も程々に、俺は手拭いを水で濡らして女の汚れを拭ってやった。
 大体が泥と砂だった。清めた後で今一度体を改めたが、どこかに傷があるという様子も無かった。髪の毛の間も探ったが、こぶも無かった。
 乗っていた船でも難破して流れ着いたか、あるいは身投げでもしたのかと思ったが、どうやらそういうわけでもないようだ。
 ……ならばこの女は、どこから来たのか。
 気になるが、考えても答えが出る事でも無い。
 俺は頭を振って、乾いた手拭いで女の身体を拭く。
 部屋に入って、布団にその身を寝かせてやった。
 いつもしないことをすると、疲れてしまう。俺は体をほぐしながら、飯の用意をするべく土間へと向かった。


 魚を煮ていると、急に物音がした。
 こんなところに盗人かと、少し驚きつつも包丁を片手に音のした方へ向かうと、全裸の女が今日獲ってきたばかりの魚にかじりついていた。
 そういえば女を拾ったのだった。何のために二人分の料理を作っていたのか、自分でも忘れていた。
 そんなに腹を空かせていたのだろうか。魚籠を同じ部屋に置いておいたのがまずかったか。
 女は俺に気が付くと、警戒するような目で俺を見た。
「生で食うことは無いだろう。飯の用意をしている。ちょっと待っていろ」
 女は首をかしげる。
「あー。あと、服はそれを着ろ。俺ので悪いが、女物は無いんでな」
 俺は部屋の隅に置いてある着替えを顎でしゃくると、土間に戻った。
 料理を済ませて部屋に戻ると、女は俺の着物を斬新に着こなそうとして四苦八苦していた。
 本来腕を通すべきところに足を通し、そこからとにかく体を隠そうとしたのか、着物を体に巻き付けて、何とか帯で結ぼうとしていた。
「……脱げ。着方を教えてやる」
 俺は料理を置いて、女の腕をつかむ。
 女は嫌がり抵抗したが、その細腕では男の前では無力だった。
「すぐ済む。お前をどうこうしようという気は無い」
 帯を奪い、着物をはぎ取る。袖から足を抜くのに苦心したが、女も意図を察したのか自ら足を上げてくれた。
 それから女の後ろに回り込み、その細い肩に着物をかけてやる。袖に腕を通させ、前を合わせて帯を締める。
 意図せず抱きしめるような形になる。その体は柔らかく、うなじの甘い匂いが鼻先をくすぐる。
 女の感触だ。しばらく忘れていた感覚だった。
「ほら。着物というのはこう着るんだ。分かったか」
 女は振り返ると、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「き、もの。わか、った」
 まるで白痴を相手にしているようだ。
 女は着物の袖や、胸元で重なる襟の感触を触って確かめる。あまりにいじるので合わせがずれて胸元がこぼれた。
「あまり派手に動くな」
 俺は胸元を直して、帯を締め直してやった。
「さぁ、飯にするぞ」
 俺はお膳の前に腰を下ろして、飯に手を付ける。
 白米を食いながら、朝作った味噌汁をすする。煮魚の味もまあまあだ。
 ふと目線を上げると、女は箸も使わずに手づかみで白米を食っていた。当然指からこぼれた白米が床に散らばっていた。
 女は俺を見て、嬉しそうに笑う。うまかったらしい。それは何よりだが、箸を使ってもらいたかった。
 魚を食うのも手づかみだ。床がさらに汚れた。
「おい。箸をつかえ」
 俺は女の目の前で箸を動かして見せる。
 女はそれで察したのか、自分のお膳に並んでいた箸を手に取った。が、上手くいったのはそこまでだった。女は「これは何なのだ」と言いたげな顔で、両手に一本ずつ箸を掴んで停止した。
「こう使うんだ」
 箸で白米を掴み、口に運ぶ。魚を小さく切り分け、これも食べて見せる。
 女は箸を片手に持ち替え、俺の真似をしようとする。しかし指はうまく動かず、箸はその手を離れて床に転がった。
 女は悲しそうな顔で俺を見た。
「とりあえず今はいい。とにかく飯を食え」
 女は笑顔を取り戻すと、再び飯に食らいつき始めた。
 俺は溜息を吐いて、残った白米を掻き込んだ。


 飯の後、女にいろいろと尋ねてみたが、明瞭な答えは返ってこなかった。
 さっきの着物の着方や食事の仕方を見るに、記憶が無いどころか一般的な知識すらない様子だった。
 髪も目も黒いことから、この国の人間なのではないかという事は察しがついた。しかしいくらこの国が小さな島国だとは言っても、それでも大勢の人間が住んでいるのだ。彼女がその中の何者だったのかなど、俺には全く見当もつかなかった。
 女は俺の蒲団に身を横たえ、安らかな顔で眠っている。
 飯を食い終わって空腹が満たされると満足したのか、質問している間も終始うつらうつらとしていた。
 しまいには俺が使っている布団に勝手に横になって、男の俺がそばに居るというのに何の警戒もなく眠ってしまったのだった。
 おかげで俺は、寝床が無くなってしまった。
 仕方なく俺は硬い床に身を横たえて、目をつむった。


 嫌な夢を見た。寝心地の悪い床で寝ていたせいもあり、体が痛くて寝覚めは最悪だった。
 目が覚めると、見知らぬ女が気遣わし気な顔で俺を覗き込んでいた。
 誰だこの綺麗な女は。一瞬当惑したが、目が覚めてくるにつれて徐々に昨日あったことを思い出してきた。
 そうだった。白痴の女を拾ったのだった。
 飯の準備をしなければならなかったが、体が酷く重かった。布団で寝ないと、こうも違うのだろうか。
「だいじょ、うぶ?」
「あ? ああ。大丈夫だ」
 俺は土間に下りる。いつもは夜炊いて残しておいた飯を朝食っているのだが、今朝の分はもう昨日女に食わせてしまった。
 仕方がないので魚二匹に串を通して塩を振って焼き魚にした。これなら女にも食べやすいはずだ。
「ほれ、食え。熱いから気を付けろよ」
 焼き魚を渡してやると、女はその熱さに最初は驚いていたものの、すぐに慣れて少しずつ食べ始めた。
 なんだか子猫に餌でもやっている気分だった。
「これ。おいしい。すき」
 俺は少し驚いて女の顔を見る。
「あなた、やさしい。わたし、あなたのこと、すき。さかなより、ずっとずっと、すき」
 幸せそうな顔で魚に噛り付いていた女は、俺の視線に気が付いて笑った。
 言葉は俺が教えたわけでは無かった。という事は、元からこの女が知っていた?
 もしかしたらこの女も元はまともな女で、今はただ何らかの障りから抜け切れずに幼子のようになっているだけなのかもしれない。
 女は嬉しそうに魚に噛り付き続ける。難しいことを考えようとするこちらが阿呆のように思えてくる。
 俺も考えるのを止めて、朝食にありつくことにした。


 食事を終えた俺は、船を出す準備を始めた。
 労働を好むわけでは無いが、働かなければ食っていけない。
 海に出ようとすると、女が付いてきた。
 別に気まぐれで一宿一飯を共にしただけだった。俺がいない間にどこへでも行ってくれても構わなかったが、だからと言って付いてくるのを止める理由も無かった。
「……漁に出るんだ。邪魔はするなよ」
「うん。わかった」
 女を連れて海に出る。
 櫂を漕ぎ分け、魚が居そうな場所を目指して船を進めた。
 ある程度の場所に目星をつけて、水面の向こうに目を凝らす。ぼんやりとだが、魚が泳ぎ回っているのが見えた気がした。
 あとは網を放り、魚を捕えるだけだ。
 俺が網を投げる準備をしていると、それまで大人しくしていた女が急に立ち上がった。
 何をするのかと思えば、急に服を脱ぎだした。着物を捨てて白く眩しい裸体をさらけ出すと、止める間もなく海に飛び込んで行ってしまう。
「おい。お前が泳いだら魚が逃げるだろうが」
 という俺の声は、水面の爆ぜる飛沫の音でかき消された。
 女は海の中を縦横無尽に動き回る。もともと海女をしていたのか、それとも正体を隠した妖怪だったのか。いずれにしろその動きはとても素人のものとは思えなかった。
 このまま網を投げたら女を溺れさせかねない。俺はやることが無くなり、ただぼんやりと船の上から女の様子を眺めつづけた。
 女の姿も、魚の姿も、肉眼でははっきりと捕える事は出来なかった。けれど俺には、海の中の女や魚達の動きが手に取るように分かっていた。
 昔から、俺には妙な才能のようなものがあった。何がどこにあるのか、どこをどう動いているのか、何となく分かるのだ。
 たとえば海面の下の魚の群れ。たとえば家の中の人の動き。視界が遮られているものに関しても直感的に分かってしまうのだ。
 漁や狩りをする際には便利な才能ではあった。だが、普通に人間の中で生きていく上では不要のものでしかなかった。他の人間には無い力を持っているというのは、それだけで不要な軋轢を生んだ。
 理由もなく恐れられた。身に覚えのない事で羨まれた。みんなのために力を振るわなければそれだけで裏切り扱いされた。調子が悪いだけでも陰口を叩かれた。そして知らなくても良い事を知って失望した。
 里に居たころは、人間の汚い部分を嫌というほど見せつけられた。
 だから俺は、独りで生きることを選んだのだ。それなのに俺は、一体何をしているんだ?
 俺は頭を振る。何もしていないと嫌なことばかり考えてしまう。
 海面を覗き込む。いくら女が素潜りに慣れていたとしても、そろそろ呼吸も限界のはずだった。
 女が上がってくる。まだ見えなくても、それが分かる。
 ほどなく女が海面に顔を出した。その胸元に、たくさんの魚や貝を抱えて。
「さかな、とってきた」
 なんでもない事のように言うが、泳いでいる魚を素手で捕えられる人間など見たことが無い。やはり彼女は、妖怪か何かなのだろう。
「たのしい。もういっかい、いってくる」
 女は船の上に素潜りの戦果を広げると、止める間もなく再び海へと潜っていった。
「……網で捕える方がよっぽど早いんだが」
 けれども戻ってきた時の女の素直な喜びや楽しさがにじみ出た表情を思い出すと、それを言い出すのも気が引けてしまった。
 生き生きと海を泳ぎ魚を追いかける女の様子を、俺はただただ眺めつづけた。


 女は何度か海と船の間を往復すると、船に裸で仰向けに転がってからからと笑った。
「つかれたー」
 食べたい時に食べ、寝たい時に寝て、したいことをする。
 まるで獣のような女だ。だが、こんなに満たされた表情をする人間はそうはいない。
 一日の漁の成果としては、と言っても実際は女が一人で獲ってきたのだが、十分な量の食糧が確保出来ていた。まだ日は少し高かったが、俺はもうねぐらへと戻ることにした。
 船を進めながら、俺は寝転んだ女の身体を眺め見る。
 海水を弾くその肌は傷一つなく艶やかで、病的なほどに真っ白だ。もし海女をしていたのだとすれば、もっと日焼けしていても良いはずだった。
 となると、素潜りの間に何かの事故に遭い、長く海面に上がれぬうちに正気を失ったという事は考えづらい。
 先ほどの人間離れした泳ぎぶりと言い、やはり海の妖怪が人間のふりをしているのだろうか。
 考えていると、女と目があった。
 女は俺をじっと見て、笑う。軽い疲れの中にも充足感のある美しい笑顔だった。しかしなぜだろうか、俺はその笑顔が妙に引っかかった。
 その瞳の奥に、何か得体のしれないものが潜んでいる気がした。


 家に戻ってから、今日の稼ぎの仕訳をした。
 数日中に食べてしまう食料分と、干物にして保存食にする分、それと薬の原料や装飾品の材料になる行商人との取引用の物を簡単に分けた。
 天候が悪ければ漁に出られない日もある。人間等とは触れ合いたくもなかったが、海の幸以外のものを手にするためにはどうしても人間同士で取引をする必要があった。
 女は興味深そうに俺のしていることを眺めていた。
 そんな女の腹が、くぅ、と鳴った。
「おなかへった」
「あんなに働いてくれたのにぞんざいにして悪かった。飯の準備をしよう」
「わたしが、すきでしたこと。でもごはんは、うれしい」
 女は土間に向かう俺を、喜色満面で見送っていた。


 夕餉の献立は、特に昨日までと変わり映えのないものだった。
 炊きたての白米に、うしお汁、それから焼き魚。相変わらずの魚ばかりの料理だ。もともと腹を満たすためだけに用意しているので、それほどにこだわりも無いのだ。
 俺は黙って、無心で飯を食った。
 女は箸を使おうと苦心しているようだった。しかし身に覚えがあるのか、それとも単にもの覚えがいいのか、最初こそ指をぎこちなく動かしていたものの、しばらくすると箸をそれなりに使いこなして白米を食えるようになっていた。
「おいしい」
 女はいちいち嬉しそうに焼き魚を食い、汁をすすり、飯を食う。
 俺は自分のお膳の上を見下ろして、顧みる。自分の料理をまずいと思ったことは無いが、美味いと思ったことも無かった。味がどうこうなどと考えたも無かった。
 思えば、他人と食事を共にすることでさえ久方ぶりの事だった。
 俺は食事を続ける女に向かって口を開きかけ、結局その口に白米を詰め込んだ。


 飯の片づけをして戻ると、女は布団を敷いて俺を待っていた。
 ねぐらに戻った時間も早かったせいでまだ日も暮れきっていなかった。特にやることがあるわけでは無いが、眠るには少し早い気もした。
 眠るにしても、俺は床の上だ。俺が腰を下ろすと、女は不満そうに俺の袖を引いた。
 そうして自分の乗っている布団の上へと俺を導く。
「何だ。どうした」
 女は、俺の顔をじっと見つめる。真っ直ぐに見上げてくるその姿は一見すると純朴な少女のようだったが、しかしその瞳の奥には静かな情念が揺らいでいるようにも見えた。
 その表情も、少し緩んでいる。
 女は膝を詰め、俺へにじり寄る。着物の裾がはだけて、白い太ももがのぞいた。
 そして女は、俺の身体に縋りつくようにして、俺の胸元へと顔を押し付けてきた。すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでくる。まるで盛りのついた犬猫のように、顔を、髪をこすりつけてくる。
 それからうっとりとした表情になると、俺の着物の帯を緩めてきた。
「おい」
 女はあらわになった俺の胸元に唇を押し付け、舐め始める。潤んだ粘膜の感触が胸元から肩へ、首へと上がってくる。
 女は俺を舐めながら、自らの着物の帯も緩め、着物の前をはだけさせる。そして俺の肌へ、自らの肌を密着させた。
 柔らかな乳房が胸の上でつぶれる。女の肌は、じっとりと汗ばむくらいに熱を持っていた。髪の毛から、女の甘い匂いが香った。
 女の体温を感じるのは、狂おしい匂いに惑わされるのは、いったいいつ以来だろう。
「……お前、自分が何をしているのか分かっているのか」
 女は俺の顔を見上げると、首をかしげて微笑んだ。そして再び、俺の首元の汗を舐め始める。
「俺は、お前と夫婦になる気は無いぞ」
 女は答えず、俺の背に腕を回して抱き付いてくる。
「いいんだな」
 言葉でのやり取りなど無粋だとばかりに、女は俺の口を唇で塞ぐ。
 唾液で濡れそぼった舌が侵入してくる。俺の舌に絡みついて、唾液を欲しがるように、ゆっくりと絡みつく。
 こうなっては、俺ももう辛抱たまらなかった。女の背中に腕を回し、荒々しくかき抱いた。
 この女にとっては、飯を食ったり、寝たり、泳いで魚を捕ったりするのと同じことなのだ。目の前に成熟した手ごろな雄が居る。ならばやることは一つ。そういう事なのだろう。
 恥や外聞、世間体など関係ない。ただ己がやりたいからやる。それだけなのだ。本能的な欲望に忠実。実に獣じみている。
 ……だが、それがいい。
 俺は女を強く抱きしめ、その腰を抱き寄せる。すでに硬くたぎった雄のものを、女の下腹に押し付ける。
 女は片手を俺の背中から離して、俺の一物に指を絡ませた。そして形と感触を確かめるように、ゆっくりと撫でまわし、扱き始める。
 俺もまた、片手を女の股間へと伸ばした。手のひら全体で割れ目を刺激してやると、すぐさま粘液が溢れ出して手のひらをびしょびしょに濡らした。
 お互いの性器を触り合いながらも、口づけはやめない。二人して鼻息を荒げながら、ひたすらに唇を吸い合う。たまに甘噛みをしながら、ぴちゃぴちゃと水音を立てながら唾液を啜り合う。
 指を女の中へと入れる。膣はもう、とろとろととろけきっていた。
 俺は女を抱いたまま、自分が上になるようにごろりと転がる。女は少し驚いたようだったが、すぐに意図を察したように表情を和らげた。
 唇が離れると、糸が引いた。
 俺は女の瞳を覗き込む。
 女は俺の瞳を見つめ返しながら、妖艶に笑って頷いた。
 女の手が、男根を女陰の入口へと導く。ゆっくりと腰を落としてゆくと、女はすんなりと俺を受け入れた。
 粘り気のある愛液で濡れそぼった柔肉が、俺の硬くそそり立った一物を包み込む。火傷しそうなほどに熱いそれは、一度ねっとりと絡みつくともう離さないとばかりに強く締め付けてくる。
 女の中に俺のものが全部収まると、ちょうど女の最奥に俺の一番先の部分が当たった。
 女は小さく声を上げて身をよじる。
 俺はさらに昂ぶりを覚えて、女の豊かな乳房をわしづかみにし、こねくり回した。
 女の乳房は、思っていた以上に柔らかく、触り心地も吸い付いてくるようで、指が溶けてしまうかと思うほどに心地よかった。
 苦痛か快楽か、女は唇を噛み、眉を寄せて頬を染める。
 身をよじる女を押さえつけるように、空いた片手で女の腕を押さえつける。そして跳ねて暴れるもう片方の乳房にむしゃぶりついた。
 丁寧に舌を這わせ、乳首を甘噛みし、音を立てて啜る。汗の味に混じって、女の肌の甘い味がする。
 掴んでいる方の乳房の乳首も、指先で摘まんでやる。
 女は猫のような声を上げて、膣の締め付けをさらに強めた。
 腰の奥から、熱がせりあがってくる。俺は本能の命じるまま、腰を振り始める。
 女は、有体に言って名器だった。腰を押し込めば蜜が溢れてやさしく男を受け入れ、出ていこうとすれば嫌がるように柔襞が強く絡みつき締め付けてくる。
 腰を振るたびに淫らな水音が奏でられ、女の吐息も色を帯びていった。
 そのうち、女が泣き出しそうなほどに潤んだ瞳で俺を見ながら、足を腰に絡めてきた。
 絶頂が近いのだろう。そしてそれは、俺も同じだった。
 女の身体を抱え込むように抱きしめて、俺もまた腰に力を込めた。
 ぐちゅ、ぐちゅ。と水音は激しさを増してゆき、腰の熱もさらに熱くたぎってゆく。
 そして、女の身体が強く跳ね、その腕が俺の頭を柔らかな胸元へ強く抱き寄せる。膣がいっとう、強く締まる。
 女の匂いと、柔らかな乳房の感触に包まれ、俺もまた果てた。
 無様に腰を痙攣させながらも、俺は力いっぱい、腰を女の奥へ、奥へとねじ込む。
 脈動するたびに、大量の精液が女の中へと迸ってゆくのが分かった。
 射精の間中、俺は女を抱きしめ続けた。射精が終わった後も、俺達はしばらく抱き合い続けた。数年ぶりの射精の快楽は、長く尾を引いた。


 しばしの事後の余韻を楽しむと、俺達はどちらからともなく口づけを交し合った。
「きもち、よかった」
「そうか。俺も良かったよ」
 女は笑い、俺の下から身をよじって抜け出した。
 俺のものが抜けると、女の中から白濁が音を立てて溢れ出した。
「いっぱいでた」
 女はそれを指で掬い、今一度穴の中へと押し込んで、くちゅくちゅ音を立てて引っ掻き回した。
「あ、あ、ああぁ」
 膝を立てて、女は白く泡立った己の性器を俺に見せつける。
 女の性欲の強さに、俺は苦笑いだ。
「満足できなかったか?」
 女は首を振る。
「こんなに、きもちいいの、はじめてだった。……でも、もっとしたい」
 女は俺の首に腕を回し、抱き寄せてまた口づけしてから続けた。
「おなかが、うずくの。あなたのせいえき、もっとわたしのなかにそそいでほしい。あなたのせいえきで、わたしをみたしてほしい」
 女は自分の下腹部を撫で回しながら、艶然と微笑んだ。
「子が欲しいのか?」
「わからない。ただ、わたしはあなたがほしい。ひとつに、なりたい。とけあう、みたいに」
 女は俺から身を離すと、四つん這いになって俺に尻を向けた。
 丸みを帯びた二つの肉の山の間に、二つの花が並んでいる。引き締まった菊の花と、白く穢れた緩み切った雌の花が。
 女は雌の花から涎を垂れ流しながら、こちらを振り向いて挑発するように笑った。
「わたしは、もっとしたい。あなたは、したくない?」
 答える代りに、俺は女の身体に後ろから覆いかぶさった。
 俺は硬くなったままの己自身を、勢いに任せて女の花の中へと捻じ込んだ。前戯は必要なかった。女の方は愛液と精液で十分に滑りがよかったし、俺の方も数年溜め込んだ性欲を晴らすにはあの程度の射精では物足りなかった。
 俺は本能に任せ、腰を振る。
 丸みを帯びた乳房を両手でつかみ、その柔らかさを堪能しつつ、うなじに浮かんだ玉の汗を舐め、首筋に優しく歯を立てる。
 女は弓なりに背をそらし、身をよじる。俺は力づくでそれを押さえつけながら、さらに強く腰を突き立てた。
 激しい抽挿に、接合部からは精液とも愛液とも分からない粘液が滴り、強い匂いを立て始める。その匂いがまた、俺を燃え上がらせた。
 女の身体が震え始める。
 彼女は発情し切った顔で俺を振り仰ぎ、舌を伸ばしてきた。
 俺はその舌を口の中に咥えこみ、口づけしながら舌を絡ませ合った。
 上も下も、肌でさえも、どこからどこまでが自分で、女なのか分からなくなるほどだった。
 やがて二度目の絶頂を迎え、俺は女の最奥へ向かって更なる精液を吐き出した。
 射精しながらも、腰を振るのが止められなかった。数年ぶりに火がついた性欲の炎は、収まるところを知らなかった。


 やがて完全に日が落ち、家の中にも夜の帳が下りた。
 けれどそれでもなお、俺と女の火は消えなかった。灯りが無くてもお互いの身体を触って舐めて確かめ合って、獣のようにお互いの身体を求め、貪り合った。
 互いの気が済むまで、俺達は一晩中肌を重ね続けた。


 ……

 …………

 ………………

 水音が聞こえていた。音とともに、女の声も。
 妻の声だった。
 俺は急いで家に帰り、戸を開ける。
 しかし戸の向こうに居たのは、俺の帰りを待つ妻では無かった。もはや彼女は、俺の妻では無くただの一人の女だった。
 女は、俺のよく知る男と裸で抱き合っていた。俺の妻だった女は、夫だった俺を見て悪びれるでもなく、ただあきらめたような顔をしただけだった。

 ………………

 …………

 ……


 全身にびっしょりと脂汗をかいていた。
 喘ぐように呼吸しながら周りを確認する。里ではない、海辺近くのぼろ屋だ。俺の他には誰もいない。独りきりの俺だけの世界だ。
 また、あの夢だ。
 里を出るきっかけになった、あの時の再現。
 毎朝あのころの気持ちを思い出すことはあっても、あの時の光景を夢に見ることなど近頃では無くなっていたというのに。
「どうしたの? ひどい顔をしているわ」
 俺ははっとなって顔を上げる。
 裸の女が、俺の事を覗き込んでいた。
 先日拾った、美しい女。自由で奔放で、欲望に忠実な魅力的な獣。昨夜は互いの欲望のままに身体を貪り合った、一匹の雌だった。
 久しぶりに女を抱いたから、あんな夢を見たのだろうか。
「いや、大丈夫」
 女は俺の瞳を見つめてくる。俺は耐え切れず、目をそらした。
 すると女は、裸の自分の胸元へと俺を抱き寄せてきた。
 柔らかな乳房の感触と、甘い匂いが心地よい。人肌の体温に触れていると、心も落ち着いてくるようだった。
「いいのよ。無理をしなくても。強がらなくてもいいの。泣きたかったら、泣いてもいいのよ」
「悪い夢を見ただけなんだ。……あぁ、本当に、悪い夢だったんだ」
 夢だったんだ。あの里であったことはすべて幻。そう思い込まなければ、耐えられなかった。
「良かったら、私に教えてくれないかしら。あなたの夢の話」
「面白い話じゃない。嫌な気分になるだけだ……」
 そこまで話し、俺ははっと我に返る。
 俺は誰と話しているんだ。こんなまともな、人間同士でするような会話を。
 顔を上げる。
 女は、わが子を愛おしむように俺を見ていた。
 顔形も表情も昨日までと変わらないはずのなのに、昨日までの女とはまるで別人だった。その瞳の奥に、それまでに無かった光が宿っていた。
「お前は……」
「言ったでしょ。私はあなたがほしい。あなたの全てが欲しい。あなたと、一つになりたい」
 しかし、白痴の女に理性が戻ったのかと言えば、どうやらそう簡単な話でも無いようだった。
 長くその瞳を覗き込んでいるうちに分かった。その瞳に宿っているのは、まともな理性では無い。もっと黒くどろどろと濁ったような、欲望を煮詰めたような何かだった。
 だが、不思議と恐怖は感じなかった。ある種の純粋ささえ感じられた。
「妖怪なのか」
 女はにんまりと笑う。
「この国の妖怪では無いわ。隣の大陸や、さらに向こうの国の魔物とも違う。私はあなた達人間の手の届かない、深淵の世界からやってきたもの。
 人や魔物達は私達の事をマインドフレイア、と呼んでいるわね」
「まいんどふれいあ? 深淵の、世界?」
「私だけの永遠の伴侶を求めて、故郷を旅立って海を渡ってきたの。力を使い果たして、すべてを失ってしまっていたけれど、あなたのおかげで力を取り戻せた。
 ……探し求めていた、永遠の伴侶であるあなたのおかげで」
「お前は、人間じゃ無いのか」
「そうよ。正体を見せてあげる」
 女は俺から離れると、自分の身体を抱きしめるように腕を絡める。
 女の瞳に、妖しげな桃色の光が宿る。艶っぽい吐息を漏らしながら、女は弓なりに身をそらしてゆく。
 その髪の間から、首筋から、腰元から、無数の触手が生え始める。タコやイカに似ていながらも、およそこの世の生き物とは思えない形をした不定形の異形の触手。ぬるりと伸びるその触手の所々に、蛍を思わせるぼんやりとした灯りが明滅する。
 上半身も下半身も触手に覆われてゆく。乳房に絡みつき、震わせ、腋の下をくすぐって腕を拘束するかのように絡みつく。
 女の秘部にも触手が絡みつく。卑猥な水音を立てながらその両足を覆い尽くし、脚と触手の境界線が無くなってゆく。やがて下半身は触手と一つになり、深海の海洋生物のような形となってしまう。
 人の形が残っているのは上半身だけだった。しかしその肌も、青白さを通り越して紫がかった色へと変色していった。
 俺は、女が変わってゆくその様から目を離せなかった。その変容は恐ろしくもなお、生物の本能を刺激する異様な艶やかさがあった。
 変態している間中、女は常に恍惚とした表情を浮かべていた。骨格が変わるほどの変化にも関わらず、まるで愛しい者に愛撫されているかのような様子だった。
 俺は、下半身に痛みを覚えて我に返る。
 俺の身体の雄としての部分が、かつてないほど歪に反り返り、そそり立っていた。
 そう、俺は興奮していた。異形の女の姿に対して、恐怖とともに欲情していたのだ。
 女の顔が近づいてくる。男を前に上気して、遊女でさえもあきれるくらいの淫らな微笑みを浮かべて。
 唇が重なる。舌が絡まる。うなじが痺れるような感触とともに、脳裏にいくつもの感情が浮かび上がる。
 歓喜、安堵、興味、愛情、そして激しい情欲。どれも俺が感じた事のある、しかし俺の感じ方とは違う感情だった。
「私の気持ち、伝わった?」
「お前の、感情?」
「粘膜接触によって、私の脳内の感情信号を直接あなたの脳へと送ったの。簡単に言えば、心にそのまま私の気持ちを流し込んだのよ。それだけじゃないわ。こんなことも出来るのよ」
 再び、唇が重なる。女の舌が入ってきて、ねっとりと舌同士が絡み合う。今度はそれだけでは済まなかった。
 視界の端で、女の髪、いや、触手が蠢いた。耳にぬるぬるとした感触が触れ、そして耳の穴に入っ、て、あ、あ、あ……。
 くちゅ、くちゅ、くちゅ。みずのおとしかきこえない。まるであたまのなかみをひっかきまわされているような。あ、あ、おんな、の、あた、まが、しょく、しゅ、あれ、おれ、は、おれ?

 ……

 …………

 ………………

 何も見えなかった。何も聞こえなかった。何の匂いもしなかった。
 温かくも冷たくもなく、足元には地面も無かった。そもそも、足があるのかさえも分からなかった。
 海なのか、空なのか、ここがどこなのかもわからない。ただ、明るくも暗くもないのっぺりとした空間が延々と広がっているだけだった。
 自分がどこから来て、どこに向かっているのか。今どこに居るのか、いつからここに居たのかさえもわからない。
 ただただ自分は、たゆたっていた。
 世界の全てが、自分だった。自分だけが、世界の全てだった。全てを持っているような気がした。何も持っていない気もした。
 そんな世界が、ある時突然揺らぎだした。
 遥か遠くに、小さいながらも光が見えたのだ。
 それまでの世界には存在していなかった光。それは今までの自分の世界を崩壊させ、生まれ変わらせた。
 世界に居たのは自分独りだった。自分の周りには何もなく、誰もいなかった。かつては仲間達も居たような気がしたが、もうどこにも居なかった。
 自分の持っているものはここにある自分の身体だけで、あとは何もなかった。自分には決定的な何かが欠落しているような気がした。
 孤独を、実感した。寒くもないのに震えるようだった。
 遠くに見える光はとても暖かそうだった。あれを手に入れられたら、きっとこの孤独も癒されると思った。欠けているものを埋められると思った。
 やがてその光を手に入れたくて仕方が無くなった。光を得なければ生きている意味さえ無いと思えた。否、光を見つけた時にこそ、自分はこの世界に生まれ落ちたのかもしれなかった。
 それから、ひたすらその光が差し込む方へと進み続けた。
 長い時を経ても、なかなか光には近づけなかった。それでもあきらめる事は出来なかった。
 身体から力が失われていっても、進みつづけた。自分の力なぞ、どうだって良かった。ただこの孤独で何もない世界から抜け出せるのなら、自分の全てを差し出したって構わなかった。
 力尽きるまで泳いでも、光には届かなかった。その近くに辿り着くまでで精一杯だった。やがて自分は、光を見失った。何を追いかけていたのかさえ分からなくなった。
 周りには色々な生き物が泳いでいた。けれど、自分と同じ姿形をしたものはどこにも居なかった。
 魚を初めとする海の生き物、それに魔物娘達。周りは賑やかだったが、どれも自分の求めていたものとは違う気がした。
 心惹かれたのは、海の向こうだった。地上で群れを成しているのは、人間達だった。
 最後の力を振り絞って、自分の姿を人間へと変えた。
 そこから先はもう何もわからなくなった。
 何も見えなくなり、何も聞こえなくなった。けれどそれは最初に感じていた時のそれとは違って、心の奥が冷たくなって、ばらばらに砕け散ってゆくような気持ちだった。自分はここで死ぬのだ。そう思った。
 だが、自分は死ななかった。
 心優しい男が自分を拾ってくれたのだった。
 自分は全ての力を失っていた。かつてあった能力も、考える力でさえも失っていた。それでも不思議と、自分が求めていたものはこれだったのだと直感した。
 男は自分に食事を与え、面倒を見てくれた。
 自分はただ、欲望のままに振舞う事しか出来なかった。
 それなのに彼は本能のままを求める自分に付き合い、欲するものを与えてくれた。見ず知らずの自分を抱いてくれた。
 男の欲望に貫かれ、性欲を体内に浴びせられた瞬間、これまで感じた事のないほどの幸福感と充足感に満たされた。
 全身に力が、思考力が戻り、本来の自分を取り戻した。自分の欲望を思い出した。そしてやはりこの男こそが自分が長く求めていた光だったのだと、身体で、心で、実感した。
 私は、この男が欲しい。この男の生まれてからの全てを知りたい。身体の隅々まで触れ合い包み込みたい。その心までも舐めしゃぶるように味わいたい。永遠に共に、境界線が無くなってしまうくらいに強く絡み合い求め合っていたい。
 だから、私は……。

 ………………

 …………

 ……


 世界に音が、光が戻ってくる。目の前で女が艶然と笑っていた。
「これが私の、私達の種族の力。他にも、逆に他人の感情信号や記憶信号をそのまま読み取ることも出来るのよ。人間の脳内に納められている記憶や感情も、言葉で聞く以上に身をもって追体験出来るの。
 これから私がしようとしていること、分かるわよね」
 分かっている。生まれた時からこれまでの事を流し込まれたのだ。彼女のしようとしていることも、当然自分がしようとしていた事のように理解していた。
 だが、なぜだろうか。恐怖感は無かった。羞恥のようなものもまた感じなかった。
 来るべき時が来た。そんな諦観と安堵だけが胸にあった。
 彼女が自分を凌ぐ圧倒的な存在だからだろうか。いや、自分はきっと、この淀んで停滞した人生が終わることを、壊されることを望んでいたのだ。
 自分ではそうする勇気が無いから。誰かの手によって、何かの手によってそうされることを。
「……怖く、無いの?」
「どうかな。怖くない事は無い、と思うが」
 普通ならば恐れるのだろう。自分の隠してきた想い、恥部、みっともない部分、その全てを言葉以上に正確な精度で、追体験と言う形で理解されてしまうのだから。
 言葉であれば伝えきれない事や、誤解も生じる。勘違いや思い込みも生じるだろう。
 けれど彼女の能力を前にしては、それはありえない。何の欠落も無く、自分の全てを丸ごと飲み込まれてしまうのだ。
 けれど、俺はそれでもよかった。彼女にならば、それでもいいと思えた。
 女は今や白痴でもなければ、そもそも人間でも無くなった。けれどもその本質は、自分の欲望に忠実だという部分は全く変わっていなかったから。
 やりたいようにやる。俺が欲しいから、手に入れたい。俺の全てを知りたいから、教えてほしいと懇願する。その真っ直ぐな感情に、俺は心惹かれた。彼女に喰われて一部になれるなら、それが本望とさえ思えた。
 俺は自分から、彼女の唇に自分のそれを押し付ける。
 彼女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに安堵の表情になると、全身を使って俺の身体を抱きしめてくれた。
 粘膜に覆われたぬるぬるの触手が腕に、脚に絡みついてくる。ひんやりとした両腕が背中に回り、強く締め付けてくる。
 そして彼女の頭から生えた細い触手が首に巻き付いてきて、再び耳の中に侵入してきて……。
 目の前が、暗転した。


 ……

 …………

 ………………

 子供のころから、俺には不思議な力があった。
 見えないものがどこにあるのか分かる。そういう力だ。
 例えば一緒にかくれんぼをしていても、誰がどこにいるのかは俺からすれば探すまでもなく自明のこととして分かったし、父や母が誰と会っているのか、里の人々がどこで何をしているのかという事も手に取るように分かった。
 周りには不気味がる人間も多かった。父や母でさえも、時にはわけのわからないものを見るような目を向けてくることもあった。
 しかし身体が大きくなり、漁に出るようになると、俺の力は重宝された。どこに魚が集中しているのかが分かるのだ。この力を活用すれば、効率的にたくさんの獲物を獲ることが出来た。
 しかし、それも善し悪しだった。魚が集中しているか集中していないかは、俺にしか分からない。稼ぎの少ない日には、俺がわざと勿体ぶっているのではないかと言われたこともあった。
 小さな諍いは無いわけでは無かったが、それでも大きな争い事も無く、日常は平穏に過ぎていった。
 やがて俺は幼馴染と夫婦になった。
 里の娘で、昔から顔なじみだった女だった。子供のころから、自分もいずれは両親のように村の女をもらって夫婦になるものだと思っていた自分にとっては、とても自然な事であった。
 それに、俺はその娘を昔から好いても居た。そんな娘と夫婦になれて、正直に言って俺は幸せだった。
 だが、その幸せは長くは続かなかった。
 たまたま漁が早く終わった日の事だ。家に帰ると、妻だけが居るはずの家に男が居た。しかもその男は村の有力者の息子で、俺の幼馴染でもあった。
 二人は俺の居ないところで逢引をしていたのだった。
 例の力で二人が家に居ることは分かっていたので、俺は家に帰れなかった。何をしているのかも見当は付いていた。だが俺は信じたくなくて、結論を先延ばしにした。
 この時ほど、己の力を呪ったことは無かった。
 きっと一時の気の迷いだ。そう信じたかったが、それからもずっと男は通い続けていた。
 そして俺は、とうとう事実を検めずにはいられなくなった。
 体調が悪いと嘘をつき、漁を休んで二人が逢っている場所に踏み込んだ。
 信じる信じないに関わらず、現実は変わらなかった。男と妻は裸で布団に包まっていた。つまりは、そういう関係だったのだ。
 男は俺を見るなり顔を青ざめさせ、床に両手を付いて頭を下げてきた。しかし、妻の方は、もう妻では無くなっていた。
 妻だった女は一瞬表情を凍らせてたものの、すぐに開き直ったかのように不貞腐れたような態度を取った。そして、知られてしまってはもう仕方がないとばかりにすべてを洗いざらい白状した。
 昔から俺の事は不気味なものだとしか思っていなかったこと。本当に好きだったのは逢引していた男の方だったこと。俺と夫婦になっていたのは、俺の能力を利用して大きな稼ぎを得るという、ただそれだけのためだったこと。
 それも、彼女一人の企てと言うわけでは無かった。村の有力者達何人かが共謀して、彼女を俺にあてがっていたのだった。
 自分の世界が、音を立てて崩れてゆく気がした。
 妻の裏切りだけでは無い。それまで積み上げられてきたいろいろなものが、今回の事をきっかけに一気に崩れ落ちたのだった。
 俺の力は、目に見えずとも何がどこにあるのか分かる力だ。誰がどこにいて、何をしているのか、知ろうとしなくても分かってしまう。
 子供頃から、俺は小さな嘘から、汚い裏切り行為まで全て分かっていた。予定外の成功者を共謀して貶める。協定を破り抜け駆けして稼ぎを得ようとする。夫婦間の姦通も、何も自分の身に限ったことでは無かった。妻のある夫が若い女のもとに通っては、夫のある妻が別の男を家に招き入れる。
 欲望はいかなる動物も持っているものだ。それを否定するつもりは無い。だが人間は、そのために嘘をつき、誤魔化し、裏切る。表の顔で同情し、裏の顔であざ笑う。
 確証が無い事で人を疑う事はよくない事だと思っていたが、いざ自分の身に現実が降りかかると、もう誰も信じられなくなった。
 結局は俺自身も弱かったのだ。相手を信じ切ることも、正しい道に諭すことも出来なかった。自分のみっともなさ、弱さも含めて、人間というものに絶望してしまった。
 だから俺は里を出た。
 人間を避けるようにしてひたすら歩き続けて、この滅多に人の来ない海辺のぼろ屋を見つけた。
 それからずっと、死なないためだけに魚を獲って暮らしてきた。生きているという実感はまるでなかった。
 やがて時間の感覚も薄れ始めたそんな時、海辺で女を拾った。
 その女はまるで知性も感じられないほどいろいろなものが足りていなかったが、嘘も誤魔化しもなく、自分に素直に忠実に生きていた。
 俺は彼女に魅力を感じた。その獣のような生きざまが眩しかった。
 お互い、欲望のまま肌を重ねた。素晴らしい体験だった。
 けれども結局、俺は自分の妻と同じ裏切りをしたような気持ちにもなってしまった。人を毛嫌いし里を後にしたというのに、結局俺は人肌を求め、欲望のまま女を抱いたのだ。
 もういっそ、何も考えたくなかった。人間であることをやめ、ただの獣に堕ちて欲望のままに生きられたら、それがどんなにいい事か……。
 だからこそ俺は、女の正体が未知の異形だと分かったその時、身をゆだねる選択をしたのだ。彼女の欲望のまま好きにされるならそれもいい。それで少しでも彼女のような存在に近づけるのなら。そう、祈るような気持ちで。

 ………………

 …………

 ……


 気が付くと、俺は女の胸の中に抱かれていた。
 優しい匂いのする、しっとりと濡れた肌に包まれているのは心地よかった。
 俺は顔をこすりつけて、更に強く女の身体を抱きしめる。
 頬に熱い滴が落ちてきた。すぐそばからすすり泣く様な声も聞こえてきた。見上げれば、女が俺を見下ろしながら泣いていた。
「どうしたんだ。俺の過去に幻滅したのか」
「あなたの、辛さを思ったら、胸が痛くて堪らなくて」
「俺には同胞が居た。愛していた者に裏切られたのも、人間を信じられなくなったのも、すべては俺にも原因があったことだ。
 もっとあいつの事をちゃんと見て理解しようとすれば良かったんだ。正しくない行いをしている者にはそれを指摘してやるべきだったんだ。きっとそれが、正しい人間の行いだったんだろうと思う。俺にはそれが出来なかった。それだけだ。
 お前こそ、ずっと独りで生きてきたんだろう。お前の方が辛かったんじゃないのか」
「でも、連れ合いに裏切られたあなたの感情は、私が感じたことが無いほどに深く辛いものだったわ……。実際に胸を刃物で刺されて、引き裂かれたみたいだった」
「お前ほど必死に何かを探したことも、俺には無かったことだよ」
 俺は彼女の頭を撫でてやる。
「全て、忘れてしまいましょう? 私の力があれば、記憶だって簡単に塗り替えられる。全て無かったことにして、私との快楽で塗りつぶしてしまいましょう?」
 魅力的な申し出ではあったが、俺は首を横に振った。
「俺しか覚えていないなら、頼んだかもしれない。でも今はお前が居る。お前が一緒に俺の辛さも共有してくれている。お前と共有したものを、失いたくはない」
「あなた……」
「さぁどうする。俺と一つになりたいんだろう。俺を喰うか? それとも取り込むか? いずれにしろ、お前になら何をされたって構わない」
 女は涙を触手で拭い取り、俺と額を重ねてきた。
 息がかかるほどの距離に女の顔が近づく。美しい顔を涙で腫らして、はにかむ様にほほ笑んだ女の顔が。
「食べないし、取り込みもしないわ。消化したり融合したいわけじゃないの。だってそうしたら、私達は二人ではなく一人になってしまう。そうしたら、また孤独になるだけだもの。
 私はね、常に永遠とあなたと交わり続けていたいの。同じものを見て、同じものを聞いて、同じものを食べたり飲んだり、匂いを嗅いだりしながら、お互いに全身を絡め合わせて、いつも肌で感じ合っていたいの」
 あぁ、それはいい。
 いつも欲望に素直な彼女とともに、何を気にすることも無く、ただ本能の赴くままに共に生きてゆく。こんなに素晴らしい生き方があるだろうか。
「ならば、いっそうのこと俺をお前に近しい存在にしてくれないか。何のしがらみも持たず、ただ欲望のまま生きる獣のような存在に」
「私のように、狂いたいの?」
「お前が狂っているというのなら、俺もそうありたいものだ」
「なら、一緒に狂いましょう」
 女は笑う。そして自分の下腹部、異形と人との境界線にある、雌の花を広げて見せた。
 腰から伸びた触手が俺の腰に、一物に巻き付き、花の中へと食らいこもうと引き寄せてくる。
「お前と交わるだけでいいのか」
「うふふ。その言葉、後悔しないでね。言っておくけれどこの私、マインドフレイアとの交わりは、昨日のまぐわいなんかとは比べもにならないほどに強烈よ?
 それこそ、気が狂ってしまうほどに気持ちいいのだから」
 硬くそそり立った俺自身が、魔物の膣の中に飲み込まれてゆく。
 彼女自身の外見も大きく変わっていたが、体内の感触もまた昨夜とはまるで違っていた。
 魔性の膣の中は、細やかな触手のようなものがみっちりと詰めこまれていた。ねっとりとした愛液をまとったそれが、一本一本意思を持っているかのようにうねうねと蠢きながら丁寧に男根に絡みついてくる。
 かり首や裏筋はもちろん、浮き出た血管をなぞり、細かな皺の一つ一つにまでも分け入って吸い付いてくる。
 ついには鈴口からも侵入されて、中をゆっくりとかき回される。
 限界はあっけなくこじ開けられた。まだ動いてさえいない状態で、俺は無様に腰を震わせ、射精してしまった。
 あまりの刺激に、腰や背中が無意識に引けてしまう。しかし彼女の身体から離れることは、その触手が許してはくれなかった。
「うふふ。入れただけでいっちゃったわね。でも、まだまだこれからよ」
 女は頬を赤らめる。これからの行為に期待して興奮しているのか、それとも俺の精液を浴びて喜んでいるのか。どちらかは分からないが、惚れ惚れとするほど官能的で美しい顔だった。
 そんな女の顔が近づいてきて、何の遠慮も躊躇いもなく俺に唇を押し付け、口の中を蹂躙してきた。
 歯茎の裏を、歯の付け根を、舌の裏を丁寧に舐められる。そのうち、舌までも触手のように幾本にも増えて口中をかき回される。脳の理解が追い付かないほどに、ねちっこい快楽が注がれ続ける。
 絡みついてきたのは舌だけでは無かった。
 再び首に細い触手が絡みついてきて、耳の奥に向かって侵入してきた。
 細い触手が斑に明滅する。
 その瞬間、男根が再び爆ぜた。
 俺は腰を力の限り女の奥へと押し込みながら、小便をしているかと思うほどのおびただしい量の精液を吐き出し始める。
 声を出したかった。叫びたかった。
 だが口づけられたままの口では呼吸もままならず、俺は鼻息荒く女の芳香を吸うしかなかった。
 女の匂いで頭がいっぱいになる。窒息寸前の苦しさが性感をさらに高ぶらせ、腰を震わせる。発散できない快楽が体の中で煮えたぎる。
 耳元の触手が蠢くと、再び脳裏に閃光が散った。
 背筋がひとりでに反り、一物が跳ねて幾度目とも知れない放精が始まる。
 ぴちゃぴちゃぐちゅぐちゅという水音で脳を満たされながら、俺はようやく何をされているのか察し始めた。
 感情や記憶を読み取られた時のように、頭の中に直接快楽を送り込まれているのだ。
 あえて言葉で表現するのならば、体中を女の嫋やかな手で柔らかく愛撫される感覚と、全身にむっちりとした乳房を押し付けられる感触と、余すところなく舌で舐められている肌触りが、一気に流し込まれているような。
 全身にさざ波のように快楽が駆け抜ける。体中の細胞が歓喜に震える。流れる血液の全てが人外の性感に沸き立つ。
 あぁ。それでなくとも、全身を柔らかな女の身体に抱き留められ、触手にまさぐられ、女の匂いと味に包まれているというのに、これ以上脳に快楽を注ぎ込まれては……。
 もはや何が気持ち良くて気持ち良くないのか分からないくらい、すべてが気持ち良い。
 女の中で、身体が溶けているのではないかと思うほどの至高の快楽だった。
 水面にたゆたっているかのように穏やかでありながらも、その強烈な快楽の渦に否応なく飲み込まれてゆくような感覚でもあった。
『独りは、もう嫌』
 脳の中に、声が響く。女の、孤独を恐れる切ない悲鳴。
 ならば、俺が永遠にそばに居てやろう。何人もの赤子を孕ませて、寂しさなど感じられないくらいに幸福で満たしてやろう。
『いつも、ずっと、あなたと一つでいたい』
 一つになろう。身も心も重ねて溶かし合い、ずっとお互いに絡みついて離さないでいよう。
 女の触手が、腕に、足に絡みついてくる。
 ねっとりとした粘膜に覆われるその快楽は、まるで自分の肉体がとろけて、触手に変わって絡み合っているように感じるほどだった。
 女の触手の発光器官が、激しく明滅し始める。
 俺の全身に、これまで感じたことも無いほどの快楽が流れ込む。脳どころか、全身が溶け落ちてしまうほどの強烈な刺激。それはもう、言葉で表現することは不可能な感覚だった。
 もはや俺の五感は、快楽以外のものを感じていなかった。
 卑猥な水音だけが響く部屋の中で、俺は触手に包まれ、女の身体と一つになった。


『……いいの? 何年も住んでいた家を出ていくなんて。私はあなたと居られたら、どこでだって』
『構わない。俺もお前と一緒ならどこに居たって同じことだからな』
 三日三晩と続いた魔性の交合の末、俺は彼女と身も心も一心同体となっていた。
 あの交わりの後、俺の身体もまたこの世のものとは思えない異形の身体に変化していた。強いて挙げればイカの形に近かったが、海中を泳ぐイカとは比較にならないほどおぞましく卑猥な姿に変わっていたのだ。
 その体を生かして、俺は常に彼女の身体に絡みつき、交合状態を維持し続けている。魔性の存在である彼女は快楽に対する耐性も強く、特別な愛撫でもしない限り、ただ単純に繋がっているという程度の刺激ならば生活を送るのに何の支障も無かった。
 俺の身体は、一応人間の姿にも戻れるという話だ。しかし俺はこの姿に変わって以来、一度も人間の姿に戻っていなかった。これから戻るつもりも無い。彼女と絡み合っていられない姿になぞ、戻る意味など何もないのだから。
『それより、お前は仲間を増やしたいんだろう』
 彼女の全身に自らの触手を這わせながら、俺は問いかける。
『ひゃんっ! そ、そう、だけど……』
 触手と触手の粘膜を絡み合わせ、女の乳首を吸盤で吸い、俺の方からも彼女の耳の穴に触手を忍び込ませる。
『あっ、あっ、あっ。するのも、いいけど、されるのも、たまらない』
 この姿では人間の時と違って唇も舌も鼻も無いが、しかし味覚や嗅覚が失われたわけでは無かった。体から生える触手が同時に舌と鼻の役割も果たしており、俺は彼女の身体に触手を絡めるだけで、その肌の匂いや汗の味を感じることが出来た。
 触手は無論のこと、彼女の膣内にも侵入させている。感じやすい彼女は、少し蠢かせるだけで蜜を滴らせる。芳醇な香りも、蕩けるような味も、好きな時に好きなだけ啜れるのだ。
 女はそのしなやかな指で、俺の触手を愛撫する。絡み合う触手も、強く絡めて締め付け合う。
 俺はたまらず、膣に忍ばせた触手をさらに細長く伸ばし、子宮の中へと侵入させる。
 そしてついに耐え切れなくなって、全身の触手から白濁を迸らせた。
 女の全身に粘つく体液が浴びせられる。外側だけでは無い、子宮の奥深くにまで、触手を暴れさせて白濁を塗りたくってやる。
 女は体をくねらせながら、生臭い体液で全身を汚されて歓喜の表情で熱い吐息を吐き出した。
『この快楽、私達だけが知っているんじゃ、もったいないわよね』
『あぁ、もっとたくさんのみんなに教えてやるべきだ』
 彼女は笑う。俺も笑った。
『あなた、やっと笑ったわね』
『そう、だったか』
『可愛い笑顔』
『……この状態でもわかるのか』
『愛する人の顔くらい、分かるわよ』
『そうだな。お前も、し足りないって顔してるもんな』
『そうね。じゃあ、一緒に旅をしながらイきましょうか』
『あぁ、そうしよう』
 俺達は家を出て、海へとその身を沈ませる。
 どこまでも広がる青い世界。異形となった俺もまた、水中での呼吸を必要としていなかった。
 さらに体を動かしてみると、重力に縛られない水の中では、より自由に身体を動かすことが出来た。
 これで、今よりさらに彼女を可愛がってやることが出来る。
『あら、それは私も同じことよ?』
 腕や脚、触手を問わず、全身を絡みつかせながら、俺達は目的地も無く、ゆっくりと海を彷徨い漂い続ける。
 幾度もの絶頂を繰り返しながら、食事も眠りもせず、ただ狂った性欲のまま交わり合いながら、俺達はどこまでもどこまでも旅を続けた。
 この生き方の素晴らしさを、多くの人間に教えてやるために。
15/08/09 00:47更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
初めましての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。

実は先日、うちのリャナンシーさん(PC)が図鑑世界へと帰ってしまわれまして。SSに関するいろいろなデータも、書いた本人より先に図鑑世界へ行ってしまいました。……バックアップの重要性を痛感しました。
今回は新しい相棒と心機一転書いてみた話です。(いえ、まぁ、いつも通り思いついた話をそのまま垂れ流しただけではあるのですが……)
そんなわけで、マインドフレイアさんのSSでした。色々と粗も目立つかとは思いますが、楽しんでいただけていたら嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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