第五幕:家族
無事に卵も生まれ、ヒルダの身体、と言うか性欲も元の一人分に納まるかと思っていたのだが、事態はあまり変わらなかった。
むしろヒルダの性欲は産む前よりもさらに激しくなった。
「おなかに何も無いのが寂しい」
そう言ってヒルダは俺を求め続けた。倒錯的な科白を囁き、魅力的な肉体をちらつかせて……。
もともと彼女の事を心の底から愛している俺が彼女の求めを断るわけも無いのだが、あまりの頻度に少し困惑気味でもあった。
嫁に求められるのは男冥利に尽きる事でもあるのだが、問題なのはそこでは無くて……。
「失礼するぞ。うちの旦那を借りたいのだが」
問題なのは、職場でまでヒルダが求めてくるようになった事だった。
勝手知ったる何とやら、ヒルダは昼休みになる度に卵を抱えてお化け屋敷の監視室を訪れるようになった。
そう、卵を抱えたままだ。
相変わらずうちの嫁は家に居ろと言っても聞かずに仕事を続けていた。なんだかんだ言って、仕事自体も気に入っているらしいのだ。
「おそれられる」と気分がいいらしい。ヒルダの事だから畏れられると恐れられるを勘違いしている可能性もあるのだが、あえて黙っている。
産まれた当初は卵の事が心配だったが、今ではそれも無くなった。ヒルダが常に目を離さず、それどころか四六時中肌身離さず抱えているからだ。
安心は出来るようになったが、俺でさえもあまり抱かせてもらえない程なので、少し寂しい思いもしているが。
「ああヒルダさん。そうかもうそんな時間なんですね。あとは俺見てますから、先輩は昼休みにしてください」
後輩が気を利かせてくれるが、流石にそういうわけにもいくまい。時間の割り振りだって決まっているのだから。
「いや、だけど」
「先輩が戻られ次第俺も休みにしますから。気にしないで下さい」
「ありがとう。折角なのでお言葉に甘えてさせてもらおう。さぁ行くぞ、我が夫よ」
俺が何か言う前に、ヒルダは俺の身体を蛇の尻尾で巻き取って引きずるように移動を始めてしまう。
こうなってはもうどうしようもなかった。
身体が密着しているため、嫌でもヒルダの強い匂いに包まれる事になる。そうすると、頭では駄目だと分かっていても身体が否応なく反応してしまうのだ。
俺の葛藤をよそにヒルダは初めて出会った倉庫の中に入り込み、中から鍵をかける。
ヒルダの魔法に掛かれば鍵など有って無いような物だった。おまけに、一度内側から掛けられた鍵は、ヒルダ以外には開けられなくなるらしい。
つまり今ここは、仕事道具を置いておくための倉庫であるとともに、二人きりの密室でもあるのだ。
「……おなかの中がね、空っぽなの。寂しくてたまらないの。あなたに……埋めてほしいの」
濡れた瞳に俺の姿だけを映して、ヒルダは囁く。飯では無くて、俺の精で空きっ胎を埋めたい、と。
「なぁヒルダ、やっぱりこんなの良くないって」
ヒルダは何も答えず、俺の腰元に屈んだ。
物音一つしない倉庫内に、かちゃかちゃとベルトを弄る音とジィッとジッパーを下ろされる音が響き、一気にズボンが下ろされる。
服の中から解放された怒張がヒルダの目の前でバネ仕掛けのように勢いよく跳ね上がる。
別に仕事中もずっとこうなっていたわけでは無い。ヒルダの匂いを嗅いだせいだ。
卵を産んで以来、ヒルダの匂いはその時の彼女の状態に合わせて変化するようになった。
ヒルダ自身の性欲が昂れば昂る程、彼女の匂いも強く、甘くなる。
そして一度でも匂いを嗅いでしまえば、俺は彼女が欲しくてたまらなくなってしまうのだった。
元からそうだったのかもしれないし、俺の身体が彼女に馴染んできているからなのかもしれない。
「そんな事言っても、こっちは正直じゃない。私の身体を抱いて、犯して、出したくてしょうがない……違う?」
欲情に溺れた獣の目でヒルダはにたりと笑い、目の前の俺自身にしゃぶりついた。
いつ誰が道具を取りにやって来るかも分からないのに……。場所を選ぶ気さえ起らないくらいに、もう我慢できないのだろう。そして我慢する気も無い。
尻尾で大事そうに卵を抱える母の一面と相まって、その姿は肉欲に堕落しきった人妻そのものと言った感じだ。
彼女自身、自分の性欲に振り回されているのかもしれない。そう考えるととても不安定で、アブノーマルなのだが、ヒルダは決してセックス出来れば誰でもいいというわけでは無いのだ。
彼女が求めているのはセックスじゃなくて、俺自身と、俺とのセックスなのだ。街を歩いていてもテレビを見ていても、他の男には見向きもしない。
結婚したころと全く変わらずに俺だけを求めてくれてる。ただひたすらに俺を愛し続けてくれてる。母親になっても、一途に恋する乙女は生き続けている。
そんな姿見せられたら、応えないわけにはいかないじゃないか。
ヒルダの口の中で俺は彼女の舌に包まれる。最初にしてくれた時のように、男根全体を舌で一度に擦り上げられ、揉み上げられる。
時間も限られている。我慢することも無いだろう。
蕩けきった目で見上げられながら、まず一回目の射精をする。
どくり、どくり、とあそこが脈打つたび、ヒルダの目じりが緩んでいく。
そして射精が落ち着くと、舌全体を複雑に動かし始めた。口いっぱいに精液を広げて味わおうというのだろうが、咥え込んだままやられては、敏感になっているこちらとしてはたまった物では無い。
頭を掴んで無理矢理抜くと、ヒルダの口の端から白い筋が垂れ落ちた。
「そんなに嫌がらなくたっていいのに……」
「良すぎるんだよ。理性を保っておかないと午後に響く」
ヒルダはこぼれた精液を指で拭い、しゃぶり取りながら続けた。
「それにしても、あなたはどんどん私好みになっていくわね。精の味も、その心も」
「変わったかな?」
「ええ、昔だったらこんな風に抱いてっておねだりしても、きっと応えてくれなかった」
首に腕を回されて、口づけされる。フェラしてくれたあとだが、そんな事は気にならない。
柔らかいヒルダの唇。それを唇で挟んで、甘噛みして、舌で舐めて。
舌同士を絡める激しいのもいいけど、こういうのもヒルダの感触を楽しめていい。
「んっ。ふふ、さぁお腹が減ったでしょう。あなたのお昼ごはんはここですよ?」
ヒルダは腰布を外して、濡れそぼった秘所を広げて見せる。
「それとも、こっちがいい?」
そして駄目押しとばかりに胸をはだけて下から乳房を持ち上げる。
「どっちでも、遠慮せずに選んでね」
ヒルダは楽しそうに体を左右にくねらせた。腰の飾りがしゃらりと音を立て、大きな乳房が目の前で揺れる。
言葉遊びでも冗談でも無く、最近では本当に食事の代わりになってきているから困る。
ヒルダと何度も交わるようになって、俺は飯を食わなくても眠らなくても平気な体になった。だが代償もあった。食べられず寝られない日は、ヒルダの身体を求めずにはいられなくなってしまったのだ。
魔物と交わり続けると、いずれそうなるのだという。健康診断の結果をくれたダークプリーストの看護士が言っていた。
身体が魔物に近づいているらしい。ちょっと性欲は強くなるらしいが、それ以外には別に体が丈夫になる事はあっても衰弱するという事は無いらしいし、形が変わる事も無いのだという。
そうは言っても身体が変わり始めた当初は戸惑いと不安の連続だった。
だが、ヒルダは俺の変化を喜んで受け入れてくれて。それがきっかけだったのだろう、今では全く気にもならなかった。
そしてヒルダは、今の俺を全部分かったうえで、こうやって誘ってくる。
もしかしたら気を使って、性欲を抑えられないふりをして俺に抱きやすくしてくれているのかもしれない。
まぁ四六時中求められるのも、身体の事を気遣われるのも俺にとっては嬉しい限りなので、特に気にすることも無いのだが。
「じゃあ、遠慮なく両方頂こうかな。まずは下から」
腰を抱いて、一気に突き入れる。そのまま抱え上げて、壁際にヒルダの背を押し付けるようにする。
こうすることより深く挿入できる上、俺の両手も空けやすくなる。
「はぁぁ、んっ」
空いた片手でヒルダの口を押える。あまり大きい声を出すと周りに気が付かれてしまう。
嫌がられるかとも思ったのだが、ヒルダは結構これが好きなようだった。無理矢理されているような感じがたまらないらしい。
「夢中になるのはいいけど、卵の事忘れるなよ」
「大丈夫だ。たとえ今この屋敷が崩れたとしても、卵とそなただけは絶対守ってみせる」
卵は今、ヒルダの蛇の身体の先の方で尻尾に包まれている。確かにヒルダは何があっても卵を手放したことは無かった。
どんなに激しく交わっていても、寝ているその時でさえも。
「……だから、ねぇ、もっと激しくしてぇ」
俺は、片手をヒルダの口に、もう片方の手を腰に回す。
しゃべらせないように口を抑え込みつつ、ぐっと腰を良き寄せて深い所を抉っていく。
声を殺し、息を殺し、ヒルダは強く目を閉じて俺の身体にしがみつき、爪を立てる。洋服を着たままではあるのだが、それがまたいつもと違ういいアクセントになっている。
完全に染め上げられたなぁ。……確かに変わったかもしれない。
全てが静止している倉庫の中で、動いているのは俺達二人だけ。している事はと言えば、一目を忍んでの熱い交わり。
湿った肌がぶつかり合う音の中に、たまにお客の悲鳴や、子どもの走り回る音が聞こえてきて、確かにここがいつもの職場であることを教えてくる。
そんな場所で、俺達二人は……。
「くっ、そろそろ出る」
俺の手の下でヒルダの唇が歪む。一度膣全体を弛緩しきらせて俺を奥まで受け入れた後、一気に締め上げてくる。
その動きに合わせ、俺は中に射精した。
ヒルダが俺の手をはぎ取って、唇を押し付けてくる。射精している間中、何度も、何度も。
「ちょっと、早かったかな」
「そんな事無いわ。限界一杯いかされたら、私も午後がもたないもの。絶妙な抱き方だったわよ。ふふ、あなたも私の身体が分かってきたみたいね」
「ん、まぁな」
ヒルダは心底嬉しそうだ。嫁が喜んでいるのを見るのは悪い気はしない。少しはヒルダに相応しい夫になれたような気がして、なんだかこっちも誇らしい気持ちになってくる。
だが、ちょっと気になることがあり……。俺はそっちに手を回してしまう。
「射精のタイミングといい、量といい、魔物の旦那らしく……んんっ」
「おっぱい、張ってるな。痛むか?」
最近ちょっと胸の感触が変わったかなとは思っていたのだが、今揉んでみてはっきりと確信した。
「そんなに痛くは無いんだけどね。変な感じはする……。吸ってみたい? 私の、母乳」
ヒルダは頬を染めながらも、乳房の下に手を回して俺の目の前に乳首を差し出す。
「でも、出るのか?」
「多分……。出なくても、この子におっぱいあげる練習にはなるし」
そう言う事ならと、俺は乳首にしゃぶりついた。
少し強めに吸ってみるが、いつもの汗の味しかしない。ヒルダの顔を見上げるが、初心な少女のように目を閉じて唇を噛んでいてこっちの様子には気が付いていない。
さんざんおっぱいも触ったり舐めたりしてきているのだが、母乳を吸われるというのは気分が違うのだろうか。
ともかくこのままでは埒が明かない。俺は勘に任せてマッサージを始める。優しめに揉みしだいてみたり、乳首の方に向かって押し出すように刺激してみたり。
「あぅう、はぁん」
咥えている乳首の方も甘噛みしてみたり捻ってみたり、舌先で転がしてみたり。
噛んだまま引っ張ったり、吸っているうちになんだかいつもと違う甘い味が混ざり始める。
「あっ、あっ!」
そのまま吸い上げると、濃く甘い液体が口いっぱいに広がった。
口の中の物を飲み込んでから乳首を離すと、確かに白い液体が乳首から流れ出ていた。
乳房を伝い流れ落ちそうになるそれを舌で舐め上げて、さらに吸い上げる。
びくん、と強くヒルダの身体が震える。まるで初めて男に触られたような顔で、ヒルダは身を縮めた。
「ああぁ、吸われてる、わたしの……」
母乳は生臭いと聞いたこともあったが、そんな事は無かった。
いや、これはヒルダだから、魔物だからなのかもしれない。何しろサキュバスの魔王に率いられる魔物なのだ。体から分泌されるあらゆるものが男を蕩かしたとしても何もおかしくは無い。
乳の出が落ち着いてくる。名残惜しみつつ、俺は乳首を離した。思いもよらない昼ご飯をご馳走になってしまったな。
ヒルダはとろんとした目で俺を見下ろしていた。半開きの口からはよだれが垂れ落ちていて、心ここにあらずと言った感じだ。
「ヒルダ、大丈夫か?」
「大丈夫。ねぇあなた、こっちのおっぱいも、吸って?」
ヒルダは両手と頭の二匹の蛇で俺の顔をがっちりと掴むと、自分の乳房に押し付けてきた。
顔全体にむにゅりと柔らかな感触が押し付けられる。だが、まだ母乳は出ない。恐らくこっちもマッサージしてやる必要があるのだろう。
だがヒルダは俺の頭を離してくれそうにも無かった。
「おっぱい。おっぱい気持ちいいのぉ」
顔に密着し過ぎていて、さっきのように手で揉んでやる事も難しそうだ。
俺は何とか手と、あと顔で乳房をマッサージしてやるべく試行を開始する……。
「お疲れさん。昼休み取ってくれ」
事務所に戻り、俺は一息ついて腹をさする。ヒルダの母乳で腹がいっぱいだ。午後は眠気との戦いになるのは必死だった。
「あれ、今日は昼ごはんちゃんと食べて来たんですか?」
後輩は少し戸惑うような顔をしていたが、その言葉に戸惑ったのは俺の方だった。
「今日はってお前」
「だって、いつもヒルダさんとやってるんですよね」
「え。え? え!」
ばれてたの?
「何で、いつから?」
「魔物の夫婦ってそういう物なんでしょう? 先輩達が結婚したって発表したときに、佐々木課長がこっそり俺達に言ったんですよ、そういう事もあるだろうから、ちゃんとフォローするようにって」
課長め、変な気を回して余計な事を周りに吹き込みやがって……。
確かに助かるけど、少しは俺の事も考えてほしい。いや、考えた結果がこれなのか。
魔物の常識ってのはいまだに理解できない部分がある。
「いいですよねぇ。仕事場にまで押しかけられるなんて男の夢ですよね。じゃ、俺も飯いってきまーす」
「あ、ああ、ゆっくり味わって来いよ……」
俺は笑顔で後輩を見送った後、机に向かって突っ伏した。
上司にばれたらどうしようと思っていたのに、逆に上司に気を回されていたとは……。
要するに職場でやり始める前から既に全員承知済みだったって事だよな……。はは、もう開き直るしかないな。
確かにヒルダの事は愛しているし、ヒルダを抱く事だって俺にとっては人生の喜び以外の何物でもない。
だが、それでも一日の半分以上をそうやって過ごすようになってしまっては、流石に引け目も感じてくるわけで……。
少し回数を減らそうと提案しようと考えつつも、変に誤解をされてしまいそうで言い出せないで居た頃、俺の気持ちを察してくれたかのように急にヒルダの性欲が落ち着いてきた。
もともと常に子供を妊娠していたわけでは無いのだから、身体が今の状態に慣れたのだろう。あるいは以心伝心のように何も言わずとも気持ちが通じ合ったのだ。俺はそう思っていたのだが、事態は俺の予想を超えた方向へ進んでいた。
いつものように愛を交わした布団の上で、俺は二人目の子供が出来たという衝撃的な知らせを聞かされる事になる。
……まだ一人目が卵から出てきていないのに、だ。年子とかそんなの目じゃなかった。
ヒルダは二つの卵を胸に抱え、幸せそうに微笑んでいる。
片方は第一子。もう片方は昨日生まれた二番目の子だ。
再び来た突然の産卵に慌てたのは俺だけで、ヒルダは緊張しながらも終始落ち着いていた。
その表情には余裕があって、卵が産道を通る感触を楽しんでいるようにも、快感に震えているようにさえも見えた。
無事に生まれた後は後で、初めての産卵の時のように一晩みっちりと二人で乱れて……。
そんな彼女が今は母親の顔で卵の間に顔を産めて頬ずりしている。まぁ、気持ちは分からなくは無い。俺だって子供が生まれてくるのが楽しみで仕方ないのだから。
「そなたは本当に凄いな。この妾を、こんなにも連続して孕ませるとは」
芝居がかった科白回しも最近は減ったのだが、余裕があるとたまにこうして出てくるようだ。
「まぁ、毎日あれだけやってれば出来るだろう」
二人目が出来たと聞いた時は驚いたものの、やはり嬉しさも大きかった。顔がにやけっぱなしになってしまって、職場の人間から心配されたほどだった。
「そういう問題では無いのだ。魔物が孕むためには、夫の資質とか、運とか、相性とか、色々とあるのだぞ?」
「そうなのか。まぁ相性はいいよな」
「そなたの資質も大したものだと思うのだがな……。興味が無さそうに言っているけど、最近じゃあなたを誰かに盗られないか心配で……」
「子供が二人も居るのに?」
「……ハーレムは男の夢なんでしょ? それに、そういうのを望む魔物も居るし」
俺は畳に寝転がり、想像してみる。例えば上司も魔物だし、職場がお化け屋敷故か、魔物の同僚も増えた。
どの魔物も美人でスタイルも良くて、仮に求められれば嬉しい限りではあるが……。
「馬鹿。何想像してるのよ」
「いや、想像でもしないと感じが分からないだろ。でもハーレムとなると、お前とする時間が減るって事だろ? それはちょっとなぁ」
ヒルダは何も言わずに尻尾を俺の足に絡めて身を寄せてきた。
休日に、丸一日交わっているというのもいいが、こうやってのんびりと過ごすのも悪くない。
卵が二つになって、ヒルダも少しは落ち着いた。
それは多分二つの卵を肌身離さず抱いて歩くようになったからだ。
卵が一つの時に出来ていた多少の無茶も、二つとなればそうもいかない。あまり激しい交合も出来ないし、職場でするなんてもっての他だ。
夫としては少し寂しくなったが、ヒルダの幸せそうな顔を見られるのはそれはそれでいいものだった。
「ねぇあなた、名前。名前決めましょ」
「でも、産まれてくるまで種族も分からないんだろ?」
「最初の子だけは私と同じエキドナだから。その子だけでも」
ヒルダと、俺の子の名前……。実はもう考えてあるのだが、恥ずかしいのでちょっとふざけてしまう。
「ヨルダ、とか」
「私がヒルダだから?」
ヒルダの胸の中で、目に見えて卵が震えた。
「嫌がってるみたい」
「じょ、冗談だよ。本当はちゃんと考えてある。夜空。夜空なんてどうだ」
ヒルダの目を見ると、多分俺が名づけた理由が分かったんだろう。少し頬を染めながらにっこり笑って頷いてくれた。
「夜空。いいと思うわ。とっても素敵」
すると突然ヒルダの腕の中で卵が震えて、飛び出した。
慌てて受け止めようとするも、卵は俺の腕をすり抜けて畳にぶつかってしまう。
めきり、と言う音を立てて深い亀裂が縦に一筋入り、俺は一気に青ざめる。背筋が凍りついた。
「ど、どうしようヒルダ」
だがヒルダに慌てた様子は無く、罅の入った卵に変わらぬ穏やかな視線を向けていた。
「頑張るのよ夜空。もう少しよ」
と、いう事は、卵から出てくるのか!
見る間に卵の表面、主に上部に罅が増えていく。その場で飛び跳ねるような勢いで卵が動き始める。
「頑張れ、もうちょっとだ」
殻を突き破って、小さな拳が顔を出した。
その穴から何とか殻をつついて、破って、ついには殻からその全身が飛び出した。
母親譲りの緑色の髪に、青白い肌。綺麗な緑色の鱗を持つ尻尾。
丸顔で、ぷにぷにのほっぺた。くりくりした金色の瞳。小さな天使がそこに居た。
小さな瞳と、頭から生えた子供の蛇が俺とヒルダの方を交互に見ている。
金色の小さな目が俺の方を見て、首を傾げる。
「分かるか。夜空、俺がお父さんだぞ」
自然と俺の口からそんな言葉が漏れる。そして言ってから自分の言葉の意味を理解した。そうか、俺も父親になったんだな。
夜空はにっこり笑って、俺に飛びかかるように抱きついて来て、首や腕や、そこらじゅうに巻き付いた。
「どう、魔物のお父さんになった気持ちは」
「ああ。言葉にならないけど、とにかくすごく嬉しいよ!」
思わず大きな声が出てしまう。突然の声に驚いたのだろう、夜空は泣き出してしまった。
「ご、ごめんな夜空。びっくりしちゃったよな」
わぁわぁ泣く夜空の背中や髪を撫でてやるも、一向に泣き止む気配はない。
「貸してみて、多分、お腹が減っているのよ。ふふ、大丈夫よあなた。そんな子どもみたいな顔しないで」
ヒルダは俺から夜空を抱き上げると、胸当てを脱いで夜空に乳首を咥えさせた。
途端に夜空は泣き止んだ。小さな両手で乳房を抱えるように持って、夢中でおっぱいを吸い始める。
教えられるまでも無く分かっているのだ。誰が母親で、誰が父親なのか。
穏やかな表情で乳をやるヒルダの横顔を見ながら、俺の目からはいつの間にか涙が流れていた。
ヒルダは片腕で夜空を抱いて乳を与えながらも、もう片方の腕でしっかりと卵も抱いていた。
俺はそんな彼女たちを、俺の家族を優しく抱き締める。
「これからもよろしくね。あなた」
「ああ、こちらこそよろしくな。ヒルダ、夜空。それからお前も」
卵を撫でてやる。少し震えて答えを返してくれた気がした。
「もっといっぱい、家族をつくろうね?」
「ああ、もちろん。家族でお化け屋敷が出来るくらいに、いっぱいつくろう!」
たくさんもらった幸せの分まで、こいつらを幸せにしてやろう。俺はその日、心の底から決意した。
※※※
あの時の言葉が、まさか本当になるとは思わなかったよな。
真面目にこちらをまっすぐ見ている金色の瞳に笑いかけながら、俺は話を続けた。
「そんな感じでお前が生まれたんだよ。それからが大変だったなぁ。
小さいころのお前は落ち着きが無くて暴れて暴れて。おまけに色の卵に乗っておもちゃ代わりにして。色が絶叫マシンに強いのもあれがいい訓練になったのかもなぁ」
そう言えばヒルダの真似をして夜空が卵を抱えて寝ていたこともあったっけ。思い返すだけで顔がにやけてしまうなぁ。
それがこんなに大きくなって、お化け屋敷のスタッフとして一丁前に仕事の手伝いをしてくれてるんだから感慨深い。
「なっ。何で急に私の話になるわけ? ち、小さいころの話はやめてよ、恥ずかしいから」
最近は本当にヒルダに似てきた。外見だけじゃなくて、何かあると口調が変わるところもヒルダにそっくりだ。
「でもまだマイク切ってるから誰にも聞こえてないぞ」
「そう言う問題じゃないの! ほらお父さん。もう役者も集まって来たし、開館まで時間無くなったよ」
「そうか? まだまだ面白いのはこれからなんだがなぁ」
今までずっと聞き入っていたところを見ると夜空も両親の馴れ初めに興味を持っていたようだ。……まぁ、流石に俺も恥ずかしいのでセックスや自慰の話はぼかしたけれど。
考えてみれば、あれから時間も経ったなぁ。
何やかんや色々とあって独立する事になり、嫁や娘と協力してこのお化け屋敷を立ち上げる事になったのだが。そりゃあ子どもたちも立派になるわけだ。
……全部話してやりたいが、話すとしてもまた別の機会になりそうだな。
「続きはお昼休みか仕事が終わってから聞きます。今は仕事の準備をしてください館長」
「へい、へい。じゃ、始めますか」
俺はいくつものディスプレイが並ぶ仕事机に向き直る。
そのどれもが薄暗い場所を映し出している。ある物はお寺、ある物は大正時代風の路地裏、ある物は洞窟の岩場、ある物はピラミッドの回廊、ある物は朽ちた城。
昔話の間に役者もそろったらしい、それぞれの場所で担当者が待機して俺の支持を待っている。
俺はヘッドセットを付けて、皆に呼びかけた。
「みんな、準備はいいか?」
画面上で様々な異形達がそれぞれの方法で返事を返してくる。
最初の画面は寺の境内だ。狐のような尖った耳を生やした着物の女性がこちらに向かって手を振っている。その身体から青白い炎が飛び出して画面に近づいたかと思うと、画面いっぱいに狐耳の女の子の笑顔が映る。
「りん、分かったから大人しくぎんこの中に戻ってなさい」
はーい、と唇を動かすと、青白い曲線を描きながら狐火が稲荷の身体に戻っていった。
次の画面は井戸を映している。
女幽霊役の白い着物の女性がこちらに向かってにっこり笑っていた。振り乱された白髪には雪の結晶を模した髪飾りが付いている。実は施設内が寒いくらいに涼しげなのも彼女の力のおかげだった。
しかしメイクと分かっていても、口の端から血を流し、三角形の紙冠を付けた女が笑いかけているのは、はたから見ると少し不気味でもある。本人は至って明るい人柄なのだが。
「六花さん、疲れたら温度上げてもらってもいいですからね」
雪女が親指を立てるのを見届けて、次の画面に映る。
大正時代のセットへと移る橋の上、全身ずぶ濡れの少女が飛び跳ねながら両手を大きく振ってカメラにアピールしていた。
「雫、少し落ち着きなさい。もうすぐお客さんが来るよ」
注意をすると途端に元気を失い、ただの水たまりのように橋の上に溶けてしまう。
「家に帰ったらちゃんと相手するから、な?」
ふくれっ面の人の姿を取り戻してから、小さなぬれおなごは、こくんと頷いた。
次に大正区域。
こっちは酷いことになっていた。
お人形さんのようなエプロンドレスを着た、首の無い女の子がセットの壁の上に向かって手を伸ばしているのだ。
壁の上には彼女の生首を咥えた黒猫が一匹、楽しそうに尻尾を揺らしていた。
「御影さん、ミコトの首で遊ばないであげてください」
黒いネコマタはカメラ目線になって頭を掻いた後、そっと首を離す。
小さなデュラハンは自分の首を両手で受け止めてほっと胸をなでおろすと、カメラに向かってブイサインを見せた。
場面は移りピラミッド。
門番のスフィンクス像の首が、こっくりこっくり船を漕いでいる。
「ネフェルさん?」
声をかけた瞬間、すっと背筋を伸ばすスフィンクス像。授業中に注意を受けた学生のように、しれっとした表情で寝てませんでしたとでも言いたげだ。
しかし猫耳がぴくぴく動いたり、薄目でこっちを見たりと少し不安げな様子も見せている。まぁこれ以上追及はしないでおこう。
ピラミッドのファラオの間。
閉じているはずのミイラ棺が開いていると思えば、包帯でぐるぐる巻きにされた女性が、錫杖を持った犬耳の女の子の頭を撫でていた。
少女の身体は少し震えていて、眼に涙が溜まっている。見かねたのだろう、女性は優しくその小さな体を抱きしめてやっていた。
「ネフティさんすみません。莉子、ちゃんと見ているから大丈夫だ」
犬耳の子どものアヌビスは大きく頷いて、涙を拭った。
マミーはそんな莉子の頭をもう一度撫でた後、棺の中に入って自ら蓋を閉じる。
次は洞窟。
予想外にも異常なし、かと思っていたが、問題だ。居るはずの担当者が誰も居ない。
「マリーさん? ミシェルさん?」
呼びかけると、突然天井から真っ赤な血の雨が降り注いだ。
床に溜まったレッドスライムは即座に人の形を取り、申し訳なさそうに頭を下げる。
それに続くように壁を伝って下半身がナメクジの形をしたおっとりした顔の女性が画面に入り込む。
「そろそろ開けますから、配置についてくださいね」
おおなめくじが丁寧にお辞儀を返すのを見届けてから、次へ。
洞窟の最奥、城の隠し入口と言うシチュエーションのカメラ。
下半身蛇の若い女が、とぐろを巻いた自分の身体の上にぐでんと横になっていた。
「色。準備は?」
俺の声を聴くなり、ツインテールになった頭の蛇達が待っていましたとばかりに元気に顔を上げてこちらを向いた。
それから色自身がむくりと身体を起こす。頭の蛇達と違って不機嫌そうに顔をすぐ反らしてしまうが、指先で小さくOKマークを出していた。
娘のメデューサは今日も相変わらず、か。思春期と言うのは難しいなぁ。
ま、考えるのは後にしよう。
城の大広間。
中央の女性を模したガーゴイル像に寄りかかり、一人の金髪の麗人がグラスを傾けていた。
ガーゴイルは心配そうな顔で何か言っているが、金髪の方は特に意に介した様子も無い。
「月子、準備をしなさい。ニケさんもありがとう」
ガーゴイルは気にするな、と首を振ると、予定通りのポーズで固まった。
月子はカメラを睨むが、ちゃんと俺の言う事を聞いて即座にその身を無数の蝙蝠に変えてシャンデリアの上に待機した。
ヴァンパイアも素直じゃないから難しいんだよなぁ……。いかんいかん、今は仕事が優先だ。
そして最後に城の最深部。
髑髏をあしらった二つの王座の片方に、蛇の半身を持つ青白い肌を持った女が腰かけている。
声を掛けられるまで、じっとカメラを見つめてくれていた、我が最愛の妻。魔物の母エキドナ。
「ヒルダ。今日もよろしくな」
柔らかく微笑んで投げキッスをしてくれる。
隣の席を見る。
冷静さを取り戻した夜空が、その金色の目と二匹の蛇を持って全ての画面に視線を走らせている。
「いつでもいけます」
頼りになる我らが長女。こうして肩を並べられて、自然と緩んでしまう口元を引き締めながら、俺はマイクを掴んだ。
「みんな準備はいいな。お化け屋敷『モンスター・ガールズ・ハウス』開園だ」
むしろヒルダの性欲は産む前よりもさらに激しくなった。
「おなかに何も無いのが寂しい」
そう言ってヒルダは俺を求め続けた。倒錯的な科白を囁き、魅力的な肉体をちらつかせて……。
もともと彼女の事を心の底から愛している俺が彼女の求めを断るわけも無いのだが、あまりの頻度に少し困惑気味でもあった。
嫁に求められるのは男冥利に尽きる事でもあるのだが、問題なのはそこでは無くて……。
「失礼するぞ。うちの旦那を借りたいのだが」
問題なのは、職場でまでヒルダが求めてくるようになった事だった。
勝手知ったる何とやら、ヒルダは昼休みになる度に卵を抱えてお化け屋敷の監視室を訪れるようになった。
そう、卵を抱えたままだ。
相変わらずうちの嫁は家に居ろと言っても聞かずに仕事を続けていた。なんだかんだ言って、仕事自体も気に入っているらしいのだ。
「おそれられる」と気分がいいらしい。ヒルダの事だから畏れられると恐れられるを勘違いしている可能性もあるのだが、あえて黙っている。
産まれた当初は卵の事が心配だったが、今ではそれも無くなった。ヒルダが常に目を離さず、それどころか四六時中肌身離さず抱えているからだ。
安心は出来るようになったが、俺でさえもあまり抱かせてもらえない程なので、少し寂しい思いもしているが。
「ああヒルダさん。そうかもうそんな時間なんですね。あとは俺見てますから、先輩は昼休みにしてください」
後輩が気を利かせてくれるが、流石にそういうわけにもいくまい。時間の割り振りだって決まっているのだから。
「いや、だけど」
「先輩が戻られ次第俺も休みにしますから。気にしないで下さい」
「ありがとう。折角なのでお言葉に甘えてさせてもらおう。さぁ行くぞ、我が夫よ」
俺が何か言う前に、ヒルダは俺の身体を蛇の尻尾で巻き取って引きずるように移動を始めてしまう。
こうなってはもうどうしようもなかった。
身体が密着しているため、嫌でもヒルダの強い匂いに包まれる事になる。そうすると、頭では駄目だと分かっていても身体が否応なく反応してしまうのだ。
俺の葛藤をよそにヒルダは初めて出会った倉庫の中に入り込み、中から鍵をかける。
ヒルダの魔法に掛かれば鍵など有って無いような物だった。おまけに、一度内側から掛けられた鍵は、ヒルダ以外には開けられなくなるらしい。
つまり今ここは、仕事道具を置いておくための倉庫であるとともに、二人きりの密室でもあるのだ。
「……おなかの中がね、空っぽなの。寂しくてたまらないの。あなたに……埋めてほしいの」
濡れた瞳に俺の姿だけを映して、ヒルダは囁く。飯では無くて、俺の精で空きっ胎を埋めたい、と。
「なぁヒルダ、やっぱりこんなの良くないって」
ヒルダは何も答えず、俺の腰元に屈んだ。
物音一つしない倉庫内に、かちゃかちゃとベルトを弄る音とジィッとジッパーを下ろされる音が響き、一気にズボンが下ろされる。
服の中から解放された怒張がヒルダの目の前でバネ仕掛けのように勢いよく跳ね上がる。
別に仕事中もずっとこうなっていたわけでは無い。ヒルダの匂いを嗅いだせいだ。
卵を産んで以来、ヒルダの匂いはその時の彼女の状態に合わせて変化するようになった。
ヒルダ自身の性欲が昂れば昂る程、彼女の匂いも強く、甘くなる。
そして一度でも匂いを嗅いでしまえば、俺は彼女が欲しくてたまらなくなってしまうのだった。
元からそうだったのかもしれないし、俺の身体が彼女に馴染んできているからなのかもしれない。
「そんな事言っても、こっちは正直じゃない。私の身体を抱いて、犯して、出したくてしょうがない……違う?」
欲情に溺れた獣の目でヒルダはにたりと笑い、目の前の俺自身にしゃぶりついた。
いつ誰が道具を取りにやって来るかも分からないのに……。場所を選ぶ気さえ起らないくらいに、もう我慢できないのだろう。そして我慢する気も無い。
尻尾で大事そうに卵を抱える母の一面と相まって、その姿は肉欲に堕落しきった人妻そのものと言った感じだ。
彼女自身、自分の性欲に振り回されているのかもしれない。そう考えるととても不安定で、アブノーマルなのだが、ヒルダは決してセックス出来れば誰でもいいというわけでは無いのだ。
彼女が求めているのはセックスじゃなくて、俺自身と、俺とのセックスなのだ。街を歩いていてもテレビを見ていても、他の男には見向きもしない。
結婚したころと全く変わらずに俺だけを求めてくれてる。ただひたすらに俺を愛し続けてくれてる。母親になっても、一途に恋する乙女は生き続けている。
そんな姿見せられたら、応えないわけにはいかないじゃないか。
ヒルダの口の中で俺は彼女の舌に包まれる。最初にしてくれた時のように、男根全体を舌で一度に擦り上げられ、揉み上げられる。
時間も限られている。我慢することも無いだろう。
蕩けきった目で見上げられながら、まず一回目の射精をする。
どくり、どくり、とあそこが脈打つたび、ヒルダの目じりが緩んでいく。
そして射精が落ち着くと、舌全体を複雑に動かし始めた。口いっぱいに精液を広げて味わおうというのだろうが、咥え込んだままやられては、敏感になっているこちらとしてはたまった物では無い。
頭を掴んで無理矢理抜くと、ヒルダの口の端から白い筋が垂れ落ちた。
「そんなに嫌がらなくたっていいのに……」
「良すぎるんだよ。理性を保っておかないと午後に響く」
ヒルダはこぼれた精液を指で拭い、しゃぶり取りながら続けた。
「それにしても、あなたはどんどん私好みになっていくわね。精の味も、その心も」
「変わったかな?」
「ええ、昔だったらこんな風に抱いてっておねだりしても、きっと応えてくれなかった」
首に腕を回されて、口づけされる。フェラしてくれたあとだが、そんな事は気にならない。
柔らかいヒルダの唇。それを唇で挟んで、甘噛みして、舌で舐めて。
舌同士を絡める激しいのもいいけど、こういうのもヒルダの感触を楽しめていい。
「んっ。ふふ、さぁお腹が減ったでしょう。あなたのお昼ごはんはここですよ?」
ヒルダは腰布を外して、濡れそぼった秘所を広げて見せる。
「それとも、こっちがいい?」
そして駄目押しとばかりに胸をはだけて下から乳房を持ち上げる。
「どっちでも、遠慮せずに選んでね」
ヒルダは楽しそうに体を左右にくねらせた。腰の飾りがしゃらりと音を立て、大きな乳房が目の前で揺れる。
言葉遊びでも冗談でも無く、最近では本当に食事の代わりになってきているから困る。
ヒルダと何度も交わるようになって、俺は飯を食わなくても眠らなくても平気な体になった。だが代償もあった。食べられず寝られない日は、ヒルダの身体を求めずにはいられなくなってしまったのだ。
魔物と交わり続けると、いずれそうなるのだという。健康診断の結果をくれたダークプリーストの看護士が言っていた。
身体が魔物に近づいているらしい。ちょっと性欲は強くなるらしいが、それ以外には別に体が丈夫になる事はあっても衰弱するという事は無いらしいし、形が変わる事も無いのだという。
そうは言っても身体が変わり始めた当初は戸惑いと不安の連続だった。
だが、ヒルダは俺の変化を喜んで受け入れてくれて。それがきっかけだったのだろう、今では全く気にもならなかった。
そしてヒルダは、今の俺を全部分かったうえで、こうやって誘ってくる。
もしかしたら気を使って、性欲を抑えられないふりをして俺に抱きやすくしてくれているのかもしれない。
まぁ四六時中求められるのも、身体の事を気遣われるのも俺にとっては嬉しい限りなので、特に気にすることも無いのだが。
「じゃあ、遠慮なく両方頂こうかな。まずは下から」
腰を抱いて、一気に突き入れる。そのまま抱え上げて、壁際にヒルダの背を押し付けるようにする。
こうすることより深く挿入できる上、俺の両手も空けやすくなる。
「はぁぁ、んっ」
空いた片手でヒルダの口を押える。あまり大きい声を出すと周りに気が付かれてしまう。
嫌がられるかとも思ったのだが、ヒルダは結構これが好きなようだった。無理矢理されているような感じがたまらないらしい。
「夢中になるのはいいけど、卵の事忘れるなよ」
「大丈夫だ。たとえ今この屋敷が崩れたとしても、卵とそなただけは絶対守ってみせる」
卵は今、ヒルダの蛇の身体の先の方で尻尾に包まれている。確かにヒルダは何があっても卵を手放したことは無かった。
どんなに激しく交わっていても、寝ているその時でさえも。
「……だから、ねぇ、もっと激しくしてぇ」
俺は、片手をヒルダの口に、もう片方の手を腰に回す。
しゃべらせないように口を抑え込みつつ、ぐっと腰を良き寄せて深い所を抉っていく。
声を殺し、息を殺し、ヒルダは強く目を閉じて俺の身体にしがみつき、爪を立てる。洋服を着たままではあるのだが、それがまたいつもと違ういいアクセントになっている。
完全に染め上げられたなぁ。……確かに変わったかもしれない。
全てが静止している倉庫の中で、動いているのは俺達二人だけ。している事はと言えば、一目を忍んでの熱い交わり。
湿った肌がぶつかり合う音の中に、たまにお客の悲鳴や、子どもの走り回る音が聞こえてきて、確かにここがいつもの職場であることを教えてくる。
そんな場所で、俺達二人は……。
「くっ、そろそろ出る」
俺の手の下でヒルダの唇が歪む。一度膣全体を弛緩しきらせて俺を奥まで受け入れた後、一気に締め上げてくる。
その動きに合わせ、俺は中に射精した。
ヒルダが俺の手をはぎ取って、唇を押し付けてくる。射精している間中、何度も、何度も。
「ちょっと、早かったかな」
「そんな事無いわ。限界一杯いかされたら、私も午後がもたないもの。絶妙な抱き方だったわよ。ふふ、あなたも私の身体が分かってきたみたいね」
「ん、まぁな」
ヒルダは心底嬉しそうだ。嫁が喜んでいるのを見るのは悪い気はしない。少しはヒルダに相応しい夫になれたような気がして、なんだかこっちも誇らしい気持ちになってくる。
だが、ちょっと気になることがあり……。俺はそっちに手を回してしまう。
「射精のタイミングといい、量といい、魔物の旦那らしく……んんっ」
「おっぱい、張ってるな。痛むか?」
最近ちょっと胸の感触が変わったかなとは思っていたのだが、今揉んでみてはっきりと確信した。
「そんなに痛くは無いんだけどね。変な感じはする……。吸ってみたい? 私の、母乳」
ヒルダは頬を染めながらも、乳房の下に手を回して俺の目の前に乳首を差し出す。
「でも、出るのか?」
「多分……。出なくても、この子におっぱいあげる練習にはなるし」
そう言う事ならと、俺は乳首にしゃぶりついた。
少し強めに吸ってみるが、いつもの汗の味しかしない。ヒルダの顔を見上げるが、初心な少女のように目を閉じて唇を噛んでいてこっちの様子には気が付いていない。
さんざんおっぱいも触ったり舐めたりしてきているのだが、母乳を吸われるというのは気分が違うのだろうか。
ともかくこのままでは埒が明かない。俺は勘に任せてマッサージを始める。優しめに揉みしだいてみたり、乳首の方に向かって押し出すように刺激してみたり。
「あぅう、はぁん」
咥えている乳首の方も甘噛みしてみたり捻ってみたり、舌先で転がしてみたり。
噛んだまま引っ張ったり、吸っているうちになんだかいつもと違う甘い味が混ざり始める。
「あっ、あっ!」
そのまま吸い上げると、濃く甘い液体が口いっぱいに広がった。
口の中の物を飲み込んでから乳首を離すと、確かに白い液体が乳首から流れ出ていた。
乳房を伝い流れ落ちそうになるそれを舌で舐め上げて、さらに吸い上げる。
びくん、と強くヒルダの身体が震える。まるで初めて男に触られたような顔で、ヒルダは身を縮めた。
「ああぁ、吸われてる、わたしの……」
母乳は生臭いと聞いたこともあったが、そんな事は無かった。
いや、これはヒルダだから、魔物だからなのかもしれない。何しろサキュバスの魔王に率いられる魔物なのだ。体から分泌されるあらゆるものが男を蕩かしたとしても何もおかしくは無い。
乳の出が落ち着いてくる。名残惜しみつつ、俺は乳首を離した。思いもよらない昼ご飯をご馳走になってしまったな。
ヒルダはとろんとした目で俺を見下ろしていた。半開きの口からはよだれが垂れ落ちていて、心ここにあらずと言った感じだ。
「ヒルダ、大丈夫か?」
「大丈夫。ねぇあなた、こっちのおっぱいも、吸って?」
ヒルダは両手と頭の二匹の蛇で俺の顔をがっちりと掴むと、自分の乳房に押し付けてきた。
顔全体にむにゅりと柔らかな感触が押し付けられる。だが、まだ母乳は出ない。恐らくこっちもマッサージしてやる必要があるのだろう。
だがヒルダは俺の頭を離してくれそうにも無かった。
「おっぱい。おっぱい気持ちいいのぉ」
顔に密着し過ぎていて、さっきのように手で揉んでやる事も難しそうだ。
俺は何とか手と、あと顔で乳房をマッサージしてやるべく試行を開始する……。
「お疲れさん。昼休み取ってくれ」
事務所に戻り、俺は一息ついて腹をさする。ヒルダの母乳で腹がいっぱいだ。午後は眠気との戦いになるのは必死だった。
「あれ、今日は昼ごはんちゃんと食べて来たんですか?」
後輩は少し戸惑うような顔をしていたが、その言葉に戸惑ったのは俺の方だった。
「今日はってお前」
「だって、いつもヒルダさんとやってるんですよね」
「え。え? え!」
ばれてたの?
「何で、いつから?」
「魔物の夫婦ってそういう物なんでしょう? 先輩達が結婚したって発表したときに、佐々木課長がこっそり俺達に言ったんですよ、そういう事もあるだろうから、ちゃんとフォローするようにって」
課長め、変な気を回して余計な事を周りに吹き込みやがって……。
確かに助かるけど、少しは俺の事も考えてほしい。いや、考えた結果がこれなのか。
魔物の常識ってのはいまだに理解できない部分がある。
「いいですよねぇ。仕事場にまで押しかけられるなんて男の夢ですよね。じゃ、俺も飯いってきまーす」
「あ、ああ、ゆっくり味わって来いよ……」
俺は笑顔で後輩を見送った後、机に向かって突っ伏した。
上司にばれたらどうしようと思っていたのに、逆に上司に気を回されていたとは……。
要するに職場でやり始める前から既に全員承知済みだったって事だよな……。はは、もう開き直るしかないな。
確かにヒルダの事は愛しているし、ヒルダを抱く事だって俺にとっては人生の喜び以外の何物でもない。
だが、それでも一日の半分以上をそうやって過ごすようになってしまっては、流石に引け目も感じてくるわけで……。
少し回数を減らそうと提案しようと考えつつも、変に誤解をされてしまいそうで言い出せないで居た頃、俺の気持ちを察してくれたかのように急にヒルダの性欲が落ち着いてきた。
もともと常に子供を妊娠していたわけでは無いのだから、身体が今の状態に慣れたのだろう。あるいは以心伝心のように何も言わずとも気持ちが通じ合ったのだ。俺はそう思っていたのだが、事態は俺の予想を超えた方向へ進んでいた。
いつものように愛を交わした布団の上で、俺は二人目の子供が出来たという衝撃的な知らせを聞かされる事になる。
……まだ一人目が卵から出てきていないのに、だ。年子とかそんなの目じゃなかった。
ヒルダは二つの卵を胸に抱え、幸せそうに微笑んでいる。
片方は第一子。もう片方は昨日生まれた二番目の子だ。
再び来た突然の産卵に慌てたのは俺だけで、ヒルダは緊張しながらも終始落ち着いていた。
その表情には余裕があって、卵が産道を通る感触を楽しんでいるようにも、快感に震えているようにさえも見えた。
無事に生まれた後は後で、初めての産卵の時のように一晩みっちりと二人で乱れて……。
そんな彼女が今は母親の顔で卵の間に顔を産めて頬ずりしている。まぁ、気持ちは分からなくは無い。俺だって子供が生まれてくるのが楽しみで仕方ないのだから。
「そなたは本当に凄いな。この妾を、こんなにも連続して孕ませるとは」
芝居がかった科白回しも最近は減ったのだが、余裕があるとたまにこうして出てくるようだ。
「まぁ、毎日あれだけやってれば出来るだろう」
二人目が出来たと聞いた時は驚いたものの、やはり嬉しさも大きかった。顔がにやけっぱなしになってしまって、職場の人間から心配されたほどだった。
「そういう問題では無いのだ。魔物が孕むためには、夫の資質とか、運とか、相性とか、色々とあるのだぞ?」
「そうなのか。まぁ相性はいいよな」
「そなたの資質も大したものだと思うのだがな……。興味が無さそうに言っているけど、最近じゃあなたを誰かに盗られないか心配で……」
「子供が二人も居るのに?」
「……ハーレムは男の夢なんでしょ? それに、そういうのを望む魔物も居るし」
俺は畳に寝転がり、想像してみる。例えば上司も魔物だし、職場がお化け屋敷故か、魔物の同僚も増えた。
どの魔物も美人でスタイルも良くて、仮に求められれば嬉しい限りではあるが……。
「馬鹿。何想像してるのよ」
「いや、想像でもしないと感じが分からないだろ。でもハーレムとなると、お前とする時間が減るって事だろ? それはちょっとなぁ」
ヒルダは何も言わずに尻尾を俺の足に絡めて身を寄せてきた。
休日に、丸一日交わっているというのもいいが、こうやってのんびりと過ごすのも悪くない。
卵が二つになって、ヒルダも少しは落ち着いた。
それは多分二つの卵を肌身離さず抱いて歩くようになったからだ。
卵が一つの時に出来ていた多少の無茶も、二つとなればそうもいかない。あまり激しい交合も出来ないし、職場でするなんてもっての他だ。
夫としては少し寂しくなったが、ヒルダの幸せそうな顔を見られるのはそれはそれでいいものだった。
「ねぇあなた、名前。名前決めましょ」
「でも、産まれてくるまで種族も分からないんだろ?」
「最初の子だけは私と同じエキドナだから。その子だけでも」
ヒルダと、俺の子の名前……。実はもう考えてあるのだが、恥ずかしいのでちょっとふざけてしまう。
「ヨルダ、とか」
「私がヒルダだから?」
ヒルダの胸の中で、目に見えて卵が震えた。
「嫌がってるみたい」
「じょ、冗談だよ。本当はちゃんと考えてある。夜空。夜空なんてどうだ」
ヒルダの目を見ると、多分俺が名づけた理由が分かったんだろう。少し頬を染めながらにっこり笑って頷いてくれた。
「夜空。いいと思うわ。とっても素敵」
すると突然ヒルダの腕の中で卵が震えて、飛び出した。
慌てて受け止めようとするも、卵は俺の腕をすり抜けて畳にぶつかってしまう。
めきり、と言う音を立てて深い亀裂が縦に一筋入り、俺は一気に青ざめる。背筋が凍りついた。
「ど、どうしようヒルダ」
だがヒルダに慌てた様子は無く、罅の入った卵に変わらぬ穏やかな視線を向けていた。
「頑張るのよ夜空。もう少しよ」
と、いう事は、卵から出てくるのか!
見る間に卵の表面、主に上部に罅が増えていく。その場で飛び跳ねるような勢いで卵が動き始める。
「頑張れ、もうちょっとだ」
殻を突き破って、小さな拳が顔を出した。
その穴から何とか殻をつついて、破って、ついには殻からその全身が飛び出した。
母親譲りの緑色の髪に、青白い肌。綺麗な緑色の鱗を持つ尻尾。
丸顔で、ぷにぷにのほっぺた。くりくりした金色の瞳。小さな天使がそこに居た。
小さな瞳と、頭から生えた子供の蛇が俺とヒルダの方を交互に見ている。
金色の小さな目が俺の方を見て、首を傾げる。
「分かるか。夜空、俺がお父さんだぞ」
自然と俺の口からそんな言葉が漏れる。そして言ってから自分の言葉の意味を理解した。そうか、俺も父親になったんだな。
夜空はにっこり笑って、俺に飛びかかるように抱きついて来て、首や腕や、そこらじゅうに巻き付いた。
「どう、魔物のお父さんになった気持ちは」
「ああ。言葉にならないけど、とにかくすごく嬉しいよ!」
思わず大きな声が出てしまう。突然の声に驚いたのだろう、夜空は泣き出してしまった。
「ご、ごめんな夜空。びっくりしちゃったよな」
わぁわぁ泣く夜空の背中や髪を撫でてやるも、一向に泣き止む気配はない。
「貸してみて、多分、お腹が減っているのよ。ふふ、大丈夫よあなた。そんな子どもみたいな顔しないで」
ヒルダは俺から夜空を抱き上げると、胸当てを脱いで夜空に乳首を咥えさせた。
途端に夜空は泣き止んだ。小さな両手で乳房を抱えるように持って、夢中でおっぱいを吸い始める。
教えられるまでも無く分かっているのだ。誰が母親で、誰が父親なのか。
穏やかな表情で乳をやるヒルダの横顔を見ながら、俺の目からはいつの間にか涙が流れていた。
ヒルダは片腕で夜空を抱いて乳を与えながらも、もう片方の腕でしっかりと卵も抱いていた。
俺はそんな彼女たちを、俺の家族を優しく抱き締める。
「これからもよろしくね。あなた」
「ああ、こちらこそよろしくな。ヒルダ、夜空。それからお前も」
卵を撫でてやる。少し震えて答えを返してくれた気がした。
「もっといっぱい、家族をつくろうね?」
「ああ、もちろん。家族でお化け屋敷が出来るくらいに、いっぱいつくろう!」
たくさんもらった幸せの分まで、こいつらを幸せにしてやろう。俺はその日、心の底から決意した。
※※※
あの時の言葉が、まさか本当になるとは思わなかったよな。
真面目にこちらをまっすぐ見ている金色の瞳に笑いかけながら、俺は話を続けた。
「そんな感じでお前が生まれたんだよ。それからが大変だったなぁ。
小さいころのお前は落ち着きが無くて暴れて暴れて。おまけに色の卵に乗っておもちゃ代わりにして。色が絶叫マシンに強いのもあれがいい訓練になったのかもなぁ」
そう言えばヒルダの真似をして夜空が卵を抱えて寝ていたこともあったっけ。思い返すだけで顔がにやけてしまうなぁ。
それがこんなに大きくなって、お化け屋敷のスタッフとして一丁前に仕事の手伝いをしてくれてるんだから感慨深い。
「なっ。何で急に私の話になるわけ? ち、小さいころの話はやめてよ、恥ずかしいから」
最近は本当にヒルダに似てきた。外見だけじゃなくて、何かあると口調が変わるところもヒルダにそっくりだ。
「でもまだマイク切ってるから誰にも聞こえてないぞ」
「そう言う問題じゃないの! ほらお父さん。もう役者も集まって来たし、開館まで時間無くなったよ」
「そうか? まだまだ面白いのはこれからなんだがなぁ」
今までずっと聞き入っていたところを見ると夜空も両親の馴れ初めに興味を持っていたようだ。……まぁ、流石に俺も恥ずかしいのでセックスや自慰の話はぼかしたけれど。
考えてみれば、あれから時間も経ったなぁ。
何やかんや色々とあって独立する事になり、嫁や娘と協力してこのお化け屋敷を立ち上げる事になったのだが。そりゃあ子どもたちも立派になるわけだ。
……全部話してやりたいが、話すとしてもまた別の機会になりそうだな。
「続きはお昼休みか仕事が終わってから聞きます。今は仕事の準備をしてください館長」
「へい、へい。じゃ、始めますか」
俺はいくつものディスプレイが並ぶ仕事机に向き直る。
そのどれもが薄暗い場所を映し出している。ある物はお寺、ある物は大正時代風の路地裏、ある物は洞窟の岩場、ある物はピラミッドの回廊、ある物は朽ちた城。
昔話の間に役者もそろったらしい、それぞれの場所で担当者が待機して俺の支持を待っている。
俺はヘッドセットを付けて、皆に呼びかけた。
「みんな、準備はいいか?」
画面上で様々な異形達がそれぞれの方法で返事を返してくる。
最初の画面は寺の境内だ。狐のような尖った耳を生やした着物の女性がこちらに向かって手を振っている。その身体から青白い炎が飛び出して画面に近づいたかと思うと、画面いっぱいに狐耳の女の子の笑顔が映る。
「りん、分かったから大人しくぎんこの中に戻ってなさい」
はーい、と唇を動かすと、青白い曲線を描きながら狐火が稲荷の身体に戻っていった。
次の画面は井戸を映している。
女幽霊役の白い着物の女性がこちらに向かってにっこり笑っていた。振り乱された白髪には雪の結晶を模した髪飾りが付いている。実は施設内が寒いくらいに涼しげなのも彼女の力のおかげだった。
しかしメイクと分かっていても、口の端から血を流し、三角形の紙冠を付けた女が笑いかけているのは、はたから見ると少し不気味でもある。本人は至って明るい人柄なのだが。
「六花さん、疲れたら温度上げてもらってもいいですからね」
雪女が親指を立てるのを見届けて、次の画面に映る。
大正時代のセットへと移る橋の上、全身ずぶ濡れの少女が飛び跳ねながら両手を大きく振ってカメラにアピールしていた。
「雫、少し落ち着きなさい。もうすぐお客さんが来るよ」
注意をすると途端に元気を失い、ただの水たまりのように橋の上に溶けてしまう。
「家に帰ったらちゃんと相手するから、な?」
ふくれっ面の人の姿を取り戻してから、小さなぬれおなごは、こくんと頷いた。
次に大正区域。
こっちは酷いことになっていた。
お人形さんのようなエプロンドレスを着た、首の無い女の子がセットの壁の上に向かって手を伸ばしているのだ。
壁の上には彼女の生首を咥えた黒猫が一匹、楽しそうに尻尾を揺らしていた。
「御影さん、ミコトの首で遊ばないであげてください」
黒いネコマタはカメラ目線になって頭を掻いた後、そっと首を離す。
小さなデュラハンは自分の首を両手で受け止めてほっと胸をなでおろすと、カメラに向かってブイサインを見せた。
場面は移りピラミッド。
門番のスフィンクス像の首が、こっくりこっくり船を漕いでいる。
「ネフェルさん?」
声をかけた瞬間、すっと背筋を伸ばすスフィンクス像。授業中に注意を受けた学生のように、しれっとした表情で寝てませんでしたとでも言いたげだ。
しかし猫耳がぴくぴく動いたり、薄目でこっちを見たりと少し不安げな様子も見せている。まぁこれ以上追及はしないでおこう。
ピラミッドのファラオの間。
閉じているはずのミイラ棺が開いていると思えば、包帯でぐるぐる巻きにされた女性が、錫杖を持った犬耳の女の子の頭を撫でていた。
少女の身体は少し震えていて、眼に涙が溜まっている。見かねたのだろう、女性は優しくその小さな体を抱きしめてやっていた。
「ネフティさんすみません。莉子、ちゃんと見ているから大丈夫だ」
犬耳の子どものアヌビスは大きく頷いて、涙を拭った。
マミーはそんな莉子の頭をもう一度撫でた後、棺の中に入って自ら蓋を閉じる。
次は洞窟。
予想外にも異常なし、かと思っていたが、問題だ。居るはずの担当者が誰も居ない。
「マリーさん? ミシェルさん?」
呼びかけると、突然天井から真っ赤な血の雨が降り注いだ。
床に溜まったレッドスライムは即座に人の形を取り、申し訳なさそうに頭を下げる。
それに続くように壁を伝って下半身がナメクジの形をしたおっとりした顔の女性が画面に入り込む。
「そろそろ開けますから、配置についてくださいね」
おおなめくじが丁寧にお辞儀を返すのを見届けてから、次へ。
洞窟の最奥、城の隠し入口と言うシチュエーションのカメラ。
下半身蛇の若い女が、とぐろを巻いた自分の身体の上にぐでんと横になっていた。
「色。準備は?」
俺の声を聴くなり、ツインテールになった頭の蛇達が待っていましたとばかりに元気に顔を上げてこちらを向いた。
それから色自身がむくりと身体を起こす。頭の蛇達と違って不機嫌そうに顔をすぐ反らしてしまうが、指先で小さくOKマークを出していた。
娘のメデューサは今日も相変わらず、か。思春期と言うのは難しいなぁ。
ま、考えるのは後にしよう。
城の大広間。
中央の女性を模したガーゴイル像に寄りかかり、一人の金髪の麗人がグラスを傾けていた。
ガーゴイルは心配そうな顔で何か言っているが、金髪の方は特に意に介した様子も無い。
「月子、準備をしなさい。ニケさんもありがとう」
ガーゴイルは気にするな、と首を振ると、予定通りのポーズで固まった。
月子はカメラを睨むが、ちゃんと俺の言う事を聞いて即座にその身を無数の蝙蝠に変えてシャンデリアの上に待機した。
ヴァンパイアも素直じゃないから難しいんだよなぁ……。いかんいかん、今は仕事が優先だ。
そして最後に城の最深部。
髑髏をあしらった二つの王座の片方に、蛇の半身を持つ青白い肌を持った女が腰かけている。
声を掛けられるまで、じっとカメラを見つめてくれていた、我が最愛の妻。魔物の母エキドナ。
「ヒルダ。今日もよろしくな」
柔らかく微笑んで投げキッスをしてくれる。
隣の席を見る。
冷静さを取り戻した夜空が、その金色の目と二匹の蛇を持って全ての画面に視線を走らせている。
「いつでもいけます」
頼りになる我らが長女。こうして肩を並べられて、自然と緩んでしまう口元を引き締めながら、俺はマイクを掴んだ。
「みんな準備はいいな。お化け屋敷『モンスター・ガールズ・ハウス』開園だ」
12/09/03 01:04更新 / 玉虫色
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