読切小説
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その身も心も刃と変えて
 橘颯馬は有能な男だった。
 武道の腕は一流。特に剣の冴えは並ぶものなしと言われ、知略や軍略にも長け、詩歌の理解も持ち合わせる。
 ただ、彼は武家社会で生きるには足りないものが二つだけあった。
 血筋と、そして己が主に対する配慮だった。


 颯馬は武家とは名ばかりの、庶民と大して変わらぬ誰からも忘れられた家の生まれだった。一族はかつての栄光を忘れられず、誇りを捨てられず、それゆえ本来の武家以上に剣術や学問を修め続けていた。颯馬の実力は一族の中でも特に際立ったものではあったが、しかし実際、その力は何の役にも立っていなかった。
 誇りを捨て農民として生きる道もあった。だが、なまじ能力があり、そして親の期待をも背負った彼は、故郷を離れて仕官の道を目指した。
 登用試験は、剣技も筆記も、彼にとっては容易いものであった。特段苦労することもなく、仕官の先は見つかった。
 しかし、問題はそこから先であった。
 彼には上のものを立てるという、組織人として必要な感覚が欠如していた。誰かに仕えるには有能すぎ、生真面目すぎたのだった。
 それが正しいと思える命令であれば、どんな単純な雑事でも、彼は何も言わず黙々とこなしていった。
 しかし間違った命令に関しては、誰に対しても何に気を回すでもなく、それを間違いだと指摘した。
 虚栄心を満たすためだけの無駄遣い。非効率な都市計画。何の改善にもならない業務の見直し。道理や理屈に反するあれやこれや。そういったものを、彼は見逃せなかった。単純な勘違いでさえも厳しく指摘した。
 結果として、彼は仕える主に煙たがられるようになっていった。本人には当たり前のことを言っているつもりでも、主としてみれば自分に才をひけらかし、己の無能をことさらに強調されているも同じだったのだ。
 あるいは彼が名の知れた家系の者であれば一目置かれたのかもしれなかった。だが彼はどこの馬の骨とも知れぬ、無名の浪人上がりに過ぎなかった。
 そして彼は職を失った。
 それでも彼はあきらめず、仕官の先を探し続けた。
 能力だけは高いため、はじめは彼を登用する者も少なくはなかった。が、どこへ行っても長くは続かなかった。
 颯馬としては自分が正しいことをしているつもりであり、自分に非が無い以上は自分を変える必要もないと考えていたのだ。
 仕官先を転々とするうち、とうとう彼を雇おうとする者も無くなっていった。いつの間にか、有能な男という噂が忠義の無い厄介者だという噂に取って代わってしまっていたのだった。
 そして彼は表舞台から姿を消した。
 今や誰も彼のことを覚えている者はいないだろう。
 だが、彼は決して死んだわけでは無かった。満たされぬ想いを燻ぶらせ続けながら、日の当たらない道を歩き続けていた。


 草木が鬱蒼と茂る山の中。育ちすぎた木々により日の光さえ届きづらいような山道を、一人の男が歩いていた。
 ところどころにほつれの目立つ草臥れた着物を纏い、腰には使い込まれた刀を下ている。無精髭を生やし、伸び放題の髪を飾り気もなく一つに結んでいる。浮浪者同然の薄汚い素浪人。それが、かつて立身出世を夢見た男、橘颯馬の成れの果てだった。
 どれだけの間山野を彷徨っていたのか、その臭いは獣同然であった。しかし獣じみているのはそれだけではなかった。
 隙無く周囲を警戒しながら、気配を消しつつ力強く進み続ける体捌き。獲物を探し、狙うような飢えた光を宿した瞳。それは人よりも獣に近い程だった。
 彼の歩みは目的地を探す者のそれではなかった。目的地に向かう者のものだった。夢折れてなお、彼には求めるものがあった。
 額に汗しながら歩くこと半刻ほど。彼の向かう先、木々の間に、朽ち果てた小さなお堂が姿を現した。
「あそこが、噂の古寺か」
 颯馬は剣の柄に手をかけながら、足取りをさらに慎重なものにする。
 割れて苔むした石畳の道を抜け、腐りかけの木製の段差を登る。様子を探るが、何かが潜んでいる気配は無かった。
 戸はすでに歪んで壊れ、開けることは出来なかった。颯馬は身をかがめて、わずかな隙間から中へと身を滑り込ませる。
 黴臭い淀んだ空気が満ちる暗いお堂の奥に、何かが鎮座していた。
 颯馬は眼を細めながらゆっくりと近づいていく。
「ご神体、いや、即身仏か……。違うな。これは」
 一昔前の鎧兜が飾られているのかと思われたが、違った。何かを祭るなり飾っているのならば、それに矢や槍が突き立っていることなどありえないだろう。
「いつぞやの戦の敗残兵か何かか。おおむね、落ち延びた先で力尽きたといったところだろうが」
 颯馬は舌打ちし、悪態をつく。
「間抜けな奴だ。戦うべき場所から逃げたうえ、生き延びることさえ出来なかったとは……。しかし、間抜けなのは俺も同じか。胸糞悪い」
 足元に転がっていた瓦落多を蹴飛ばし、颯馬は溜息を吐いた。
「骨折り損だったな」
 首を振り、踵を返す。
 そして戸に手をかけようとしたその時だった。
 首筋をひりつく様な威圧感に撫でられ、颯馬は反射的に刀を鞘走らせる。
 重い金属音が響き、殺気が火花となって散る。
「Fuuuuuuhhh!」
 人のものとは思えぬ恨みに満ちた呻きが響く。
 鎧飾りだ。
 無数の槍と矢を受けて討ち死にした亡者が、まるで己の仇を見つけたとでもいうかのように切りかかってきていた。
 無念と恨みが込められているのかその一閃は重く、一瞬でも反応が遅れていたら袈裟切りに真っ二つにされていたことだろう。
 が、颯馬は恐れも、驚きもしていない。具足姿のそれを睨み上げると、獣のように歯を剥いて笑った。
「ははっ。そうか、そうでなくてはっ」
 力付くで亡者を押しのけ、刀を振りぬく。
 颯馬は改めて刀を構える。すでに亡者も刀を向けていた。
 面頬の下で、金色の双眸が揺らめいている。
 颯馬のことを油断なく捉え続け、そして颯馬もまたその双眸から目を離さない。
 ある程度の剣の腕前を持つものであれば、一度打ち合っただけでも相手の力量を図ることができる。
 どう打ってくるか、どう返すか。
 先に動いたから勝てるというわけではなく、むしろ太刀筋を読まれていれば逆に返され殺される。
 あとは読み合い、探り合いになるのが定石。
 だが、亡者はその定石を投げつけるように一歩を踏み出してくる。
 怨念を纏っているような青白い刃が颯馬を狙う。
 無駄の一切を削ぎ落した無骨な刃がそれを弾き、そして亡者の空いた脇腹に白刃が食い込み、走り抜ける。
 確かな手ごたえ。だが、亡者は止まらず振り向きざまに刀を振り下ろす。
 颯馬も振り返り、応戦。
 刀と刀が噛み付き合い、鍔迫り合う。
「kshiiiiiii!」
 息も触れ合うほどの距離。
 亡者の目を覗き込みながら、颯馬は相手の体勢を崩す。
 二合、三合と打ち合い、距離を取る。
 亡者が喉元めがけて突き込んでくる。
 燕の速さを超えるような剣速。しかし颯馬は受け流すこともしない。
 その身が揺らめいたかと思えば、迫る刃をすり抜けざまに、亡者の背に一撃が浴びせられていた。
 亡者は何事もなく横凪ぎに刀を振るうが、颯馬はこれを読んでいたのか床に向かって打ち下ろす。
 亡者の刀が腐った床に食い込む。
 一瞬、動きを止めた亡者のその腕を、颯馬の刀が返す刃で切り飛ばした。
 刀を手放し、利き腕も失った亡者が、ついに膝をつく。
「……こんなものか。期待外れだな」
 颯馬は、勝ち誇るでもなく刀の切っ先を亡者の首元に向ける。
 剣戟の際に浮かべていた凶暴な笑みも、今は火が消えたように無になっていた。
「野武士や山賊どもでさえ不死身の化け物と恐れ、修行僧どもが決して払えぬ邪悪だと忌み嫌う妖怪が、まさかこんなにあっけないとは」
「Guuuuh。
 …………。
 ……。
 オマエハ……、何者だ。妖怪退治で名を上げようとでもしているのか」
 男とも女とも取れぬような、奇妙な響きの声だった。
 颯馬は初めてあっけにとられ、そして自嘲気味に笑う。
「まともに人の言葉を話せるのか。まぁいい。そんなところだ。
 人間の相手などたかが知れている。否、戦国の世でもないこの時代に、人間相手に剣の腕がいくら立とうが役には立たん。ならば人の恐れる妖魔を払う力があると示したかったまで。
 すでに何匹か退治もしてきている。皆娘の姿をしていたので、命までは取らなかったがな。
 しかし小娘のような妖怪をいくら倒しても箔などつかん。お前のような恐れられている妖怪を討ち取れば、少しは名も挙がるだろう」
「己の力が世の、人の役に立つと分からせるため、か」
 亡者が肩を揺らし、不気味に息を詰まらせる。笑っているのだった。
 颯馬は顔を赤黒くすると、刀を振り上げる。
「敗残の者が俺を嘲るか」
 吐き捨てながら、刃は何のためらいもなく振り下ろされる。
 が、その刃が亡者の首を刎ねる事はなかった。首に届く前に、残った亡者の腕に受け止められていた。
「くっ。この死に損ないめ」
 刃は手の平を裂き腕の中ほどまでめり込むも、しかしそれを切り落とすまでには至らず、そこで固定されてしまう。颯馬が押しても引いてもびくともしない。
「人の役に立ちたいなどと、嘘をつくな」
「……何?」
「かつてはそうだったのかもしれんな。だが、お前の剣にはそんな物は込められていなかった。己の力をひけらかそうという野心も、斬り合いを楽しむという気持ちも。まして誰かの為になどと、笑わせてくれる。
 お前が目指しているのは、剣の極み。その先にあるもの。何のしがらみもない高みだ」
 刀が抜ける。颯馬は飛びずさって距離をとる。
 亡者の気配が、変わっていた。
「ならばこんな余計なものを着込んだまま、全力を出さぬままでは失礼に当たる」
 鎧のそこかしかから溢れ出した闘気が、青い鬼火となって燃え上がる。纏っていた鎧に広がり、焼き尽くしていく。
 背筋が粟立つほどの重圧感の中で、しかし颯馬は、やはり笑っていた。
 亡者は斬り飛ばされた腕を拾い上げ、元あった場所に押し付ける。そして瞬時に繋がったその腕で、床に突き刺さった剣を掴む。
 鬼火が腕から刀を伝い、床を焦がした。
 亡者は刀を抜いて、鬼火を振り払う。
「それがお前の正体か? それとも幻術で惑わせるのがお前の全力か?」
 颯馬は表情を変えないまま、刀を構える。
 炎の中心にいたのは、一人の乙女だった。
 焼け落ち骨がむき出しになった腕で刀を掴み、防具は籠手と草摺のみという軽装の立ち姿。しかし胸元のさらしは、口調や腕前とは対照的に豊かな乳房に押し上げられている。
「あいにく幻術などという器用な事は出来ぬ。格好はどうにもならん。すまんな」
 その声も、凛とした娘のものへと変じている。
「気にするな。俺の師も女だったからな。女とは思えぬほど冷血な人だったが」
「いらぬ心配だったな。……我が名は藤峰藍。戦にて討ち死にするも、この世の未練を断ち切れず、剣を引きずり彷徨うものなり」
 颯馬は娘を見据え、彼女の流儀に倣う。
「……我こそは橘颯馬。志を果たせず、すべてを捨て去り、今はただ剣にのみ生きるものなり」
「……では、全力で参るっ」
 叫び、床を蹴り砕く。
 颯馬が反応できたのは、まさしく反射的なものだった。
 刀で一撃を受けるが、受け止めきれず吹き飛ばされて宙を舞う。
 その背で壊れかけの戸口を完全に破壊しながら、お堂の外へ。
 一瞬動転する。が、地面に叩きつけられる前に我を取り戻し、受け身をとって衝撃を殺す。
「まるで暴れ牛だな」
 見上げる颯馬の視線の先。長くつややかな黒髪をなびかせて乙女が立っていた。崩れ行くお堂を背に、悠々と颯馬を見下ろし、笑う。
「牛のように単純にはいかんぞ」
 その姿が、消える。
 颯馬の脇で金属音が爆ぜる。
 かろうじてしか捉えられぬ速さ。受ければ砕かれる力。しかしそれが分かっていれば、対処の仕様は無いわけではない。
 音すら超える速さで繰り出される斬撃を、颯馬は最小限の動きで避け続ける。受けるのは避けきれぬ時だけ、力を逸らして受け流す。
「やはり。お前、打ち合うごとに剣が冴えてゆくな」
 力と速さに振り回されていた体が、動きが、次第にゆるぎないものへと変わっていく。
「一振りするごとに、余計なものを削ぎ落し、身も心もただ一刀のもと研ぎ澄まされていく」
 そしてついに、颯馬の刀が乙女を狙い始める。
「言葉は、不要だったな」
 二振りの刀が加速する。
 思考よりも疾く。予測よりも迅やかに。
 迫りくるのは己が思い描く最善、最高の剣。迎え撃つのは更なる高みへ至ろうとする意地。
 互いの境地は同一へと至る。心も体も一つとなるように。
 剣風は渦を巻き、引き寄せられる木の葉を八つ裂きにして巻き散らす。
 それは言うなれば刃の竜巻。剣戟の嵐。
 そしてすべてが、一瞬にして決まる。
 動きが、思考が止まる。
 最後の一閃が互いの首を刎ねる。
 その寸前で。


 互いの刃が首の皮を裂く寸前のところで止まっていた。両者はしばし睨み合う。
 先に刀を下ろしたのは、颯馬の方だった。
「俺の負けだ。殺すがいい」
「……死んでもいないのに、なぜ負けたと思う」
「あんたの刀の方がずっと早く俺の首に届いていた。俺の剣が届く前に、あんたは剣を止めていた」
「よく見ているな。だが、私は魔道の力を費やしていた。ただの人間であったのなら」
「ふざけるな。俺は人間のあんたではなく、今のあんたとやったんだ。今のあんたに勝てなければ意味がない。さぁ、殺してくれ」
 藍は剣を引く。
「ではお前の命を預からせてもらう。ということで理解しよう」
「情けをかけるつもりか」
「そういうわけではない。容赦はせんさ」
 颯馬は食ってかかろうとするも、一歩踏み出そうとして膝から崩れ落ちる。震える手からこぼれ落ちた刀も、刃こぼれだらけでもはや使い物にならない。
 身も心も剣も、限界を超えて戦った。その代償だった。
「ざまぁないな。これでは自分の腹も切れない」
「せっかくある命だ。そんなに無駄に散らすものではないぞ」
「命を懸けて磨いてきた剣だぞ。それが届かなかったのだ。もう散ったも同じことだ」
 颯馬はあおむけになり天を仰ぐ。その顔は、言葉とは裏腹に晴れやかだった。
「あぁ、負けた負けた。だが存外気分は悪くないものだな。……藍といったか、強いな」
「お前の剣も私が知る中では一番の鋭さだったぞ、颯馬」
 藍は颯馬の隣にどっかりと腰を下ろして破顔する。花が咲いたような、年頃の娘の素直な笑顔だった。
「仕える先が無くなってからは、剣の道だけを歩き続けてきたからな」
「まぁ、誰かに仕えるには実直すぎ、切れすぎたのだろう。使いこなせるものはそうそうおらん」
「なぜ分かる」
「言ったろう。お前の剣はそういう剣だ」
 颯馬は藍の顔を見上げる。
「あんたは、あんたも生まれついての妖怪ではなく、死んだ者が蘇った類の化生のようだな。あんたの業は獣の牙ではなく確かに剣術だった」
「あぁ。剣術だけが、まっすぐ向き合えるものだったからな」
 颯馬は藍に目で問い続ける。藍は観念したように息を吐いた。
「私は女として生まれたが、男として育てられたのだ。父が跡継ぎに恵まれなくてな。小さな武家だった。名を残そうと必死だったのだ。
 だが、そんな誤魔化しがいつまでも効くわけもない。体はこうして女のものになっていくのだから」
 藍は己の豊満な胸を掴む。
 しげしげと眺めていた颯馬は、真面目な顔のままぽつりとつぶやく。
「……立派なものだ。そう得られるものではない」
「茶化すな。……まぁ、男の跡継ぎが居たとしても結果は変わらなかっただろうがな。戦の世とはそういうものだ」
「どこかに嫁ぐ気は無かったのか。婿を取るとか」
「私より頭が良く、剣の腕が立ち、父よりも尊敬できる男がいればやぶさかではなかったが。
 ……それに、周りの者は皆憐みや奇異の目を向けるばかりだった」
「自分以外が無能に見えたか」
「そういうわけではない。だが……、何といえばいいのかな、皆滑稽で哀れに見えた。無論、一番滑稽で哀れだったのは私だったのだろうが」
 藍は何かを懐かしむように空を見上げる。
「皆一生懸命だった。尽くしてくれた。しかし、誰も皆己の本当の願望が分かっていないように見えた。
 周りに役割を与えられること、その役割を果たすこと。それが彼らの本懐だったようだが……。彼らの本当の幸せはそこにあったのだろうか、とな。
 例えば名を捨て、家を捨ててでも、家族と土に親しみ生き延びる幸せもあったのではないか……。
 なんてな。私自身も他の生き方が出来たわけでもない。
 男にはなり切れず、女としても生きられなかった亡者の戯言でしかないかもしれんが」
「……剣の道だけは裏切らなかった。鍛錬を積めば、毎日ほんのわずかずつだったとしても、確実に前に進めた」
 藍は驚いた顔で颯馬を見下ろし、そして表情を緩める。
「私は戦場で死んだ。いや、最後の最後で女のお前が死ぬことはないと逃がされたが……。追手に手傷を負わされ、逃げた先でこと切れた。
 私にまだ魂が残っているということに気が付いたのは、それから大分時間が経ってからだった。
 私は故郷を守るべく、不逞の輩どもを退治して回った。だが、そのうちに気が付いたのだ。ここにはもう私の民はいない。国も私の知るものとは変わってしまった。私自身も、民から恐れられ忌避されるものに成り果てていた。
 そして私は目的を失い、あそこで眠り続けていた。お前が来るまでな」
「ふむ。それで俺はいきなり背中から切りかかられたんだが」
 藍は顔をそらす。
「すまん。あれは寝ぼけてだ。討ち死にする前の、追手の一人だと勘違いした」
「寝ぼけてあの太刀筋とは空恐ろしい。死ぬかと思ったぞ」
「あぁ、確実に取ったと思ったのだがな。まさか受け止められるとは。一気に目が覚めた。そして、楽しくなってきてしまった」
「楽しくなってきた? 斬り合いがか?」
「久方ぶりに全力で剣を振るえるのが嬉しくてな」
「……そうだな。楽しかったかもしれん」


 風が吹き、木の葉が舞い上がり、いずこかへと飛んで行く。その葉は風に流され続けるのか。それともどこかへたどり着くのか。どこへとたどり着くのか。
 いずれ乾いて朽ちるその身は、ただ屑として終わるのか。それとも何かの意味を果たすのか。
「お主はこれからどのように生き、なんのために死ぬのだ。颯馬よ」
「さぁな。分からん。しばらくそれを探すことになるかもしれんな……。あんたはどうなんだ、藍。
 生き、ているわけでもなく、死ぬことも出来ないようだが……」
「私か。私は決めたぞ」
 言葉尻をしぼませる颯馬と対照的に、それを見下ろす藍の顔は晴れやかだった。
「生前はあきらめていた未練を果たす」
「ほぉ、してそれは」
「恋をしたいのだ。女としての歓びを知る。女の本懐を遂げる。それとともに主と認めた相手に身も心も尽くし捧げる。その剣となる」
「最後のところがあんたらしいな」
「だろう」
「頑張れ。お前は強いし、それに美しい。これに釣り合う男は、俺が見てもそうそういないだろう。まぁお前には寿命もないことだし、あるいはこれから生まれてくる男を育てるというのも」
「そんな気の長いことはせん。というか、相手はすでに見つかっている」
「そうか、そりゃあよかったな。すでに相手は見つかっていたか。……久方ぶりに目を覚ましたのに、か?」
 愛想笑いを浮かべていた颯馬は、急に違和感を覚えて訝しむ。
 そんな颯馬の上に、藍が馬乗りになる。満面の笑みで、嬉しそうに、楽しそうに。
「そうだ。お前だ。橘颯馬。
 私はお前を一人の男として、我が主として、愛し尽くしたい。私のことを女として、剣として傍に置いて使ってほしい」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ。急に何を言い出すんだ」
「急ではない。私は生前からずっとこの想いを秘めていた。探していたのだ。相応しい男を。そしてようやく見つけた。それだけのことだ」
「剣は間に合っている。自前のものがある」
 藍は押しのけようと伸ばされた男の手を掴み、そして自分の乳房に押し付ける。
「あの刃こぼれだらけの刀の事か? あれではもう使い物にならないだろう」
 剣ばかりを握りしめていたその手には、乙女の肌は柔らかすぎた。それも女体の中でも一番柔らかな部分に触れてしまっては、それを鷲掴みにしてしまうのも仕方ないことだった。
 藍は頬を染めながら、声を抑えて笑う。
「そうか、自前の刀か。なるほどお前もなかなか助兵衛だな」
 藍はそう言いながら跨いだ股をゆすって見せる。颯馬の、膨らみ始めた袴の上で。
「べ、別にそういう意味では」
「女の方は間に合っていないだろう」
「それは……」
「まぁ、間に合っていようが構わん。名刀は何本あろうが、側室は何人いようが、男にとっては箔が付くというものだろう」
 颯馬は冷や汗を流しながら抵抗を試みる。
「自ら名刀と言うか」
「なまくらのつもりはない」
「むしろなまくらなのは俺のほうだぞ。持っているものはこの着古した襤褸だけ。無精髭は伸び放題。垢やふけにまみれた薄汚い男だ」
「拵えがどれだけ貧相だろうと、私は気にしない。要は使い心地と切れ味だ。
 お前の鋭さはよく知っている。この身に刻み込まれたからな。それにその目だ。生き生きと輝き、ただ高みを目指す目。私の一挙手一投足も見逃さず、隠した隙を暴きたて、攻め立てる。見つめられると、身が震えてくるようだ」
「……変わったやつだ。人のことは言えんが」
「覚悟を決めろ。それに私はお前の命を預かって」
 颯馬は藍の腕をつかみ、引き寄せる。
 抱き留めつつ、その唇を奪う。荒々しく唇を重ね合い、どちらからともなく舌を伸ばし合い、獣のような、死人のような匂いと味を貪り合う。
「んっ。私は初めてなんだぞ。少しは加減せんか」
「悪いな。こっちは飢えてるんだ。……とはいえ、今はろくに体が動かせんが」
 息もかかるほどの間近で、二人は笑い合う。
「では、私の方で勝手にやらせてもらおう」
 吹きさらしの屋外にもかかわらず、誰もいないことをいいことに藍はさらしを外していく。豊かな乳房がぷるりとはじける。小ぶりな乳首は、すでにとがっていた。
 籠手も草摺も、体を覆うものをすべてもどかしそうに脱ぎ散らしていく。
「色気がなくてすまんな」
「いや、十分すぎる。死体とは思えぬほどだ。若々しく、張りがあり……。ひんやりした肌も、死合の後の高揚した体には心地よい」
「死人ではあるが、死体ではないぞ」
 颯馬の方は、むしろ脱がす必要が無いほどだった。少し押しやるだけで襤褸の胸元ははだけ、結び目も簡単にほどけて体がむき出しになっていく。剣のためだけに鍛え上げられた体が。
 藍は両手で颯馬の頬を包み込む。その手で首筋を、厚い胸板を、固い腹筋を撫でおろしていく。
 そして膨れ上がりながらも、まだ鞘の中におさまったままのそれに手を添える。
 手で少し扱くだけで、男が呻いた。
「強すぎるか」
「いや、悪くない。が、女に触れたのも遥か昔の事でな」
「一度、溜まったものを出してしまおう」
 藍は体をずらし、身をかがませてその切っ先に口づけする。
「お前、本当に初めてか」
「み、見聞きはしたんだ。……立場上、男と寝るわけにも女を抱くわけにもいかなかったが」
 颯馬の赤黒い刀身が鞘から抜き放たれる。
「汚れているだろう」
「構わん」
 刃先が藍の唇の中に埋まる。乙女の舌が、こびり付いた錆を力任せに擦り落としていく。
 颯馬はうめき声を漏らしながら、美しい乙女が髪を気にしながら己の刀の手入れをする姿に魅入られる。
 不器用な舌使いだったが、それがまた良かった。一心不乱のその姿も相まって、颯馬の中で死んでいたものが蘇りはじめる。
「藍。尻をこっちに向けろ」
 藍は顔を上げ、目で問いかける。
「いいから尻をこっちに向けるんだ。やられっぱなしは性に合わん」
 困惑した様子で、藍は刀を加えこんだまま姿勢を変える。
 颯馬は丸々とした藍の尻を、肉付きのいい太ももを撫でまわし嘆息する。そして、その谷間に並んだ二つの花をじっくり見定める。いずれもまだ固く閉じたつぼみを。
「よい尻と足だ。剣士とはいえ、やはり女だな」
「ふぐ、おい。お前」
 颯馬はおもむろに尻の中に顔をうずめると、無遠慮にそこを舐め始める。
「ひゃんっ。そ、そんなところを、舐めるのか。あぅっ」
「汚いとか汚れているとかは今更だろう。まぁ、全ての男が舐めるわけでは無いと思うが」
 颯馬は尻を広げて、すんすんと匂いをかぐ。
 藍の顔が恥辱に染まっていく。
「舐めてもらっているのに、舐めないのも失礼な気がしてな。それに俺は、こういうのは嫌いではないんだ。
 ……ところで、悪いがもういつ出てもおかしくない。どうやって受け止めるか、受け流すか、考えておいてくれ」
 そういうと颯馬は再び女の尻の中に顔を突っ込む。藍もまた、悶えながら颯馬の剛直を口に咥える。
 藍の口淫は丁寧だった。細やかなところにも舌を伸ばし、舐めとり、唇で包み込むようにして吸い上げる。
 颯馬もまたそれにならった。しわの一本一本までなぞるように舌で舐め上げ、唾液を塗りたくる。
 やがて颯馬の舌に、己の唾液以外の味が混ざり始める。死の香りが混ざった、若い女の性の味だった。
 颯馬は粘液を溢れさせ始めた割れ目のほうに積極的になる。緩み咲き開き、蜜を零し始めた花の中に舌をねじ込み前後させる。目の前の菊の花も、わずかに咲き始めているようだった。
 と、唐突に颯馬の体が強張る。尻をわしづかみにする指に力が入る。動きを合わせるように、藍は深くまで颯馬のそれを受け入れる。
 藍の口の中で一物が跳ね、そして弾ける。
 喉元へと向かって颯馬の一撃が放たれる。脈動とともに、粘つく白濁が放出されていく。
 藍は躱すことなくすべてを受け止める。舌で絡めとり、歯で噛み、味わい、そして飲み下していく。
 颯馬もまた、蜜を溢れさせる花を果敢に攻め立て、溢れる蜜を飲み干していった。
 脈動と興奮が収まるまで、二人は互いを貪りあった。


 藍は呼吸を整えると、今一度颯馬の体に正面から身を寄せた。
「濃厚だった。舌にべっとりとくっついてきて。喉にも引っかかって、飲み込むのも一苦労だった」
「藍もなかなかに味わい深かった。癖になる味だ。……別に飲むことは無かったろうに。青臭くて不味かっただろ」
「そんなことは無い。逞しく強い男の味だった。死人になったせいか、精液自体にも命の味を感じた。この上なく美味だったぞ」
「妖怪というのは、男の精液を糧とするらしいな」
「あぁ。愛しい男の精は格別だ。
 それだけではない、自分があんなふうに攻められるとは思わなかった。初めて愛を感じたよ。颯馬は、やはり熱い男なのだな。熱くて、まっすぐだ」
 腕を回され囁かれ、颯馬は年甲斐もなく頬を染める。
「家柄も、財産も無い俺が、……金も払わず、ただ男として求められたことは初めてだ」
「私とて無条件というわけでは無いさ。剣に向けるひた向きな想い、強さ。そしてお前の不器用なほどの真っすぐな性根。それがあったからこそ、尽くしたいと思ったのだ」
「そうか。確かに、こんな男は他におらんな」
「ようやく自覚したか。あとな、まだ求めておらん。求めるのは、これからだ」
 刀を握ってばかりだったのだろう、たこだらけの女の手が、柔らかく颯馬の刀の柄を握る。
「あれだけ出して、まだこんなに熱と硬さを失わないとは。すぐにでも手合わせできそうだな」
「あぁ、うずうずしている」
 その手の中で、颯馬が暴れる。
 藍は笑って、颯馬の上に跨った。
「さて、どれだけの暴れ馬か」
「馬は乗りこなしてきたんだろう」
「そんな豊かな国では無かった。まぁ、立場上乗ったことが無いわけでは無いが」
 藍は颯馬の切っ先を、己の鞘の入り口へと導く。
 そして、腰を沈めていく。
 生前、そして死後、何物をも受け入れてこなかった藍の花の中に、颯馬の肉剣が差し込まれ、押し広げられていく。
「あぅ、あああああぁ」
 艶っぽい声をあげながら、藍の背が弓なりにのけ反る。
 颯馬は突き出された乳房をつかみ、揉みしだく。そして切なそうにさし伸ばされた白骨の手に手を重ねて、指を絡めて固くつなぐ。
「颯馬。颯馬ぁ」
 金色の瞳がとろけ、その口元がだらしなく緩む。
「奥に、届いっ」
 その切っ先に中心を貫かれ、藍は身もだえしながら熱い息を吐く。
 そんな彼女を、颯馬はずん、と下から突き上げた。
 再び、獣のような声をあげて背をそらす。
「はっ。ぐっ。ああっ」
 色気のない声。だが、それが颯馬をさらに熱くさせた。
 細い腰をつかんで、さらに激しく責め立てる。
 長らく温度を失っていた藍の体が、颯馬の熱で温められていく。
 骨の指が颯馬の手の甲に刺さる。もう片方の手が颯馬の肩に、跡がつくくらいにしがみ付いてくる。
 けれど颯馬は止まらない。痛みすら忘れるほどに昂揚していた。
 女の身体がきゅう、と強く締め付けてくる。その身が震える。
 藍が脱力し、颯馬の体にしなだれかかる。
 荒く甘い吐息が耳元をくすぐり、涙とよだれが首筋を濡らす。
「いい声で鳴いていたな。乱れぶりも、正直言ってたまらん」
「はぁっ。はぁっ。一合、打ち合い、勝負は、これからだ」
 藍が、にたりと笑う。剣を交えていた時と同じような、喜悦の光でその目を輝かせて。
 無造作に唇を奪う。そして奥深くに舌をねじ込み、かき回す。
 同時に、今度は藍の方から腰を振り始める。
 刀を溶かすほどの情熱で、刃こぼれ一つ見逃すまいとするような繊細さで、藍は颯馬を包み込む。
 颯馬もそれに応戦する。舌を交じらせ、背中を掻き抱き、尻に、乳房に欲望のまま指を食い込ませる。溶かされぬよう、負けじと鉄のように固いそれを打ち込む。
 二人は夢中になって、互いの体に食らいつき、貪りあう。どこというでもなく、触れ合い、擦り合い、しがみ付き合う。
 荒い吐息も、混ざりあう匂いも、もはや人でも魔でもなく。
 二人は二匹の獣となり、飽くこともなく抱き合った。
 初めて味わった快楽によって解放された、何年、何十年と抑え続けていた愛欲が収まるまで、いつまでもいつまでも。


 大木にその背を預け、颯馬はほうっと息を吐いた。
 見上げれば日は暮れ始め、すでに月はくっきりと、星も輝き始めていた。
「だめだ。もう動けん」
「この程度で動けなくなるとは、わが主は鍛錬が足りないと見える」
「……お前、その格好で言うか」
 颯馬は隣の相手に呆れたような視線を向ける。
 そこにいるのは見目麗しいうら若き娘だった。肌の色こそは死人のように青白かったが、その目は大きく、まつげは長く、誰もが振り返るような美貌だった。
 惜しげもなくさらされた肌もみずみずしく、肉体は鍛え上げられ筋肉質でありながらも、豊かなふくらみが描く曲線は妖艶でもあった。
 しかしその全身は、余すところなく何とも言えない体液にまみれていた。先ほどまでの激しいまぐわいから察するに、唾液か涙か愛液か精液であろうが、当の本人たちにもその区別がつかないほどの有様だった。
 長く美しい髪の毛まで、ところどころ粘液がかかって固まっていた。
「当然だ。私の主になってもらう以上は、剣だけでなく夜伽の方も絶倫になってもらわなくては」
「……生前よほど抑圧されていたと見えるな。本当は有り余る性欲を剣で晴らしていたのではないのか?」
「そ、そんなことは無い。はずだ。……ただ、一度知ってしまうと、な。
 そんなことより、これからどうするのだ」
「どうする、か。動けないからな。とりあえずはそこで野宿か。屋根は、まだ無事だよな」
「そういうことではない」
「ん。あまり激しくは出来ないぞ。崩れる」
「だから、今後のことだ。お前の進む道のことを聞いている」
 存外に真面目な視線を向けられていたことに気が付き、颯馬は苦笑いして頭を掻く。
「あー。それも考えなければな。お前とどこかで、剣と夜伽の業を磨き続けるのも悪くは無いが」
「それで収まる器ではあるまい。もう一度、世に出たいとも思っているのだろう」
「かもしれんな。なぜそう思った」
「肌を交えるうちに、何となくな」
 藍が伸ばした手を、颯馬は掴んで立ち上がる。
「私は、お前が治める国も見てみたい」
「妖怪の国か」
「妖と人の国だ」
「それも悪くないかもしれんな。まぁ、ひとまずは夜を明かそう」
 はぐらかす颯馬の顔は、しかしかつて仕官を志していた時のように、それ以上に希望に満ちているようだった。
「うむ。主の守護と世話は、すべて私に任せてくれ」
「大丈夫だ。自分の身を守れるくらいには回復してきた」
「何。ではこの身で夜のお相手を」
「……さすがに、今日はこれ以上搾らんでくれ。煙も出そうにない」


 月光の照らす道を、二つの影が並んで歩いていく。
 誰にも必要とされなかった男と、誰からも忘れられてしまった女が、手を取り合って。
 新たな希望を握りしめ合い、その胸に新たな火を灯して。
19/05/01 23:23更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
はじめましての方ははじめまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。

しばらく前にチャンバラが書きたくて書いた話だったのですが、投稿できる時間とタイミングがあまりなく気が付けば前の投稿からも間があいてしまいました……。

切られても構わないアンデッドの剣の達人がいたらこんな感じだろうかと思って書いたアクションシーンですが、どんな塩梅だったでしょうか。
少しでも楽しんでくださる方がいらっしゃったら何よりです。

毎度書いてはおりますが、もう少し投稿頻度はあげたいとは思ってはいるのですが……。
また次何か書けたときにも読んでいただければ幸いです。
こんなところまでお読みいただきありがとうございました。

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