読切小説
[TOP]
退屈な我等に愛の祝福を
 三十歳を超えたあたりから大体のことがどうでもよく思えてきた。
 毎日が同じことの繰り返し。日々は頑張って乗り越えるものではあるけれど、頑張ったからと言って報われるものでもない。特に良いことも起こらないが、悪いことばかりが起こるわけでもない。
 どこかで誰かが幸せになっていても、不幸せになっていても、自分の人生に影響がなければああそうかと思うだけだ。
 幸せか不幸かなど、言ってみればその人のさじ加減でしかない。まして人間は何十億人もいる。恋人がいれば、お金があれば、家族がいれば、幸せなのかは人それぞれだ。
 俺から見て幸せそうに見えている人達が自分のことを幸せだと思っているかはわからない。彼らから見れば俺のほうが幸せに見えることもあるかもしれない。
 そう考えれば、自分や他人が幸せなのか不幸せなのか、考えることそのものが無駄なことのように思えてしまった。
 そのうち、自分の身に起こることさえどうでも良いと思い始めた。
 楽しいのも、苦しいのも、それが永遠に続くわけでもない。喜んだと思っていたのに、すぐに悲しくなってしまうのなら、わざわざ些細な事で一喜一憂するのも虚しいことに思えてしまった。
 それからは、極度に感情の起伏が無くなった気がした。もちろん、笑いもするし泣きもする。だけど心は動かない。自分の芯に響かない。熱くもなれない。
 何が起きても、ああそうかとしか思わなくなった。
 ……そんな矢先の事だった。
 自分の考えなど、浅はかでしかなかったのだと反省させられる事件に巻き込まれたのは。人の感じ方など、そもそも人としての在り方でさえ、たった一つの出会いでひっくり返されてしまうのだと思い知らされたのは。
 自分はただ退屈していただけなのだと、気づかされたのは。


 冬は騒がしい季節だ。クリスマスに、年末年始に、節分に、バレンタイン。町の明かりや色は刻一刻と変わっていく。
 それに対して何にも感じなくなったのは、いつのころからだったか。
 義務感のようにケーキや鶏肉を食べ、事務的に新年のあいさつを送る。けれど心の中に波風は立たない。ただ時間が流れていく。今年も終わるな。というだけだ。
 今年は年末年始に地元に帰ることもしなかった。仕事が忙しかったのもあるし、帰ったところで親戚周りに付き合わされ、強くない酒を飲まされ、二日酔いで甥や姪の面倒を見させられ、お前も早く自分の子を持てなどと言われるだけだからだ。
 とはいえ正月休みを一人で過ごすというのも退屈なものだった。
 テレビは芸能人が内輪で盛り上がっているだけだったし、外に出ても締まっている店ばかりだし何より寒い。
 映画や漫画でも用意しておけばよかったが、それも忘れてしまった。
 結果、寝正月になった。
 だらけられるときにだらける。何もしないのが一番贅沢な時間の使い道さと自分に嘯き、ベッドに転がり、天井を見上げていた時、それは起こった。
 起こったというか、やってきた。
 天井に大穴を空けて、何かが降ってきたのだ。
 それは八本足の生き物だった。そして女の子だった。人間の。人間? 人間は八本も四肢を持っていないはずだ。手足で四本だから四肢と呼ぶのだから。
 けれどそれは明らかに女の子だった。髪の長い、可愛い女の子。
 落下してきた彼女をこの身で受け止めるまでに俺が理解できたことは、その程度だった。
 夢でないことは、彼女を受け止めた瞬間に分かった。
 彼女は小柄だったが、しかし人間一人分の体重は持っていた。要するにえげつない痛かった。肺から空気が押し出されて「うぐぅ」と情けない声が漏れるくらいには。
 そして額同士がぶつかって、鼻の奥がつんとした。
「何だ何だ。何が一体、どうなって」
 体の上から重みが消える。
 涙目で視線をめぐらすと、女の子がベッドの隣に立ってこちらを指さしていた。
 やばい格好の女の子だった。
 細い手足に、凹凸の少ない、けれど丸みが無いわけではない、絶妙な年ごろを思わせる蠱惑的な体つき。艶やかで張りのあるその肌には傷や染み一つなく、雪のように純白だった。
 そんな瑞々しく眩しい肢体が惜しげもなくさらされていた。彼女はなんと服らしい服を身に着けていなかったのだ。
 ただ、性の色づく大切な部分にだけは、ふわふわしたファーで出来たスリングショットみたいな紐という、温めたいのか涼みたいのかよくわからない代物が引っかけられていた。それとなぜか頭にサンタ帽を乗せていた。
 要はほとんど裸の少女だ。さらにやばいことに、背中から蜘蛛の脚のようなものが四本も生えていた。
 そして何よりやばいのは、それがテレビの芸能人なんて目じゃないくらいの超絶な美少女だということだった。
「メリークリスマス。こんな日に一人なんて、寂しい男ね」
 俺は二の句が返せない。
 クリスマスはとっくに過ぎている。
 まぁおっしゃる通りクリスマスも一人だったし、クリスマスだろうが正月だろうが寂しい男なことに変わりはないが、祝いたいのか貶したいのか分からなかった。
「む、無視しないでよ。何とか言いなさいよ。このグズ。そ、それとも女の子に話しかけられて緊張して言葉も出ないのかしら。そんなんだからそんななのよ」
 とりあえず声も可愛かった。あまりにもあまりに唐突な出来事で何が何だかわからないが、俺はとりあえず返事を返す。
「あ、ああそうですね。あけましておめでとうございます。
 それで、あなたは? 俺は別に、テレビのドッキリとかAVの素人企画に応募した覚えはないんですが」
「はぁ、何言ってるの。今はクリスマスでしょ」
 俺は壁際を指さす。
 彼女の視線がそれを追いかけてゆく。すでに年を越したカレンダーに気が付く。
 そしていきなり被っていた帽子を床に叩きつけた。
「ぉわってんじゃない! あいつ、やっぱり私を騙したのね!」
 紐がずれて胸の桜色が見えた。俺は心の中で両手を合わせて拝んだ。
「な、何見てんのよ!」
「いや、そりゃ見ちゃうでしょ。というかそんな服? 着てたらそうなるでしょ」
「私がどんな服着てようがあんたには関係無いでしょ。この変態」
「す、すみませんでした」
 人並みにスケベなだけで、断じて変態ではないと思いつつも、俺はとりあえず謝った。
「それで、あなたは何なんですか。何しにここに来たんですか。どこからどうやって?」
 彼女はふんと鼻を鳴らしてほんのり膨らんだ胸を張る。
 俺は直視していいのか、目を逸らすべきなのか迷う。体のどこを見ても目に毒であり怒られそうで、しかし目を逸らしても話している自分を見ろと言われそうだ。
 最終的に顔を見たが、結果的に最悪の選択だった。正直、年甲斐もなくときめいてしまった。この顔が胸に焼き付いて一生忘れられないだろうと思うくらいには。
「私はこの人間世界が出来る前からいと昏き地下世界の深淵で蠢き繁殖し続けていた種族の一人よ。あ、あんたたち人間がくだらないことで生きて死んで、些細なことで一喜一憂する姿を遠くから眺めて楽しんでいる存在ってわけ。
 きょ、今日はたまたま気分が乗って、直接あんたみたいな寂しい救いの無い男をからかってあざ笑いに来てあげたのよ。ど、どうせ一人で話し相手もいないし、やることも無いんでしょ」
「ま、まぁ」
「そういうのが好きな友達がいてね、面白いからお前もやってみろなんて言ってきたのよ。私は別に興味なんて無かったんだけどね、「まぁwwwいつも穴倉の中にwww引き籠っているwww君にはwww出来ないだろうけどねwww」なんて笑われたら引き下がれないじゃない? それでやってみたってわけ
 確かに悪くないわね。自分の理解を超えたものに遭遇した時の恐怖に歪んだ顔。そして相手がどんな恐ろしいものかも知らずに何にでも欲情する姿。滑稽だわ」
 確かに欲情はしてしまっているかもしれない。
 単純に彼女は可愛いかった。直視した視線を逸らせなくなる程度には。そしてその言動のそこかしこに垣間見えるポンコツさも。
「……そりゃ天井から何かが降ってきたら怖いでしょ」
「人を虫みたいに言わないでくれる?」
「え、背中のそれは……」
「というか、欲情はしてないの?」
「いや、それはちょっと」
「しなさいよ」
 していると言い辛かっただけなのだが、してほしかったらしい。
「不愉快だわ。もう帰る」
 彼女は腕を組んでプイと顔を逸らす。顔を逸らしながらも、ちらちらこちらを見てくる。
「か、帰っちゃうわよ。本当に帰っちゃうからね」
「は、はぁ……」
「い、行っちゃうわよ。こんなチャンス滅多に無いでしょ」
 何がどういうチャンスなのか。
 チャンスどころか状況自体が支離滅裂でよくわからないのだが、とにかく彼女は俺に引き留めてもらいたいらしい。
「えっと、とりあえずどうやって帰るんでしょうか」
「そんなの来た道を戻るに決まってるじゃない。あそこに開いてるでしょ、身の毛もよだつほどの冒涜的な……あれ?」
 青くなる少女の視線を追って見上げると、そこにはいつもの天井があるだけだった。
「何も無いですね」
「ど、どうしよう。帰れなくなっちゃった」
「ひょっとしてこれは俺が見ている夢の可能性」
 ほっぺたをつねられた。痛かったけど、女の子が自らやってくれたと考えるとちょっと嬉しかった。……やっぱり俺は変態かもしれない。
「痛い痛いですって。た、確かに実在するみたいですね」
 というか落ちてきた時点で痛かったじゃないか自分。
 俺はそんなに痛みもしない頬をさすりつつ、彼女に問う。
「もう一度罪深き闇の深淵へと繋がる歪んだ極光を束ねた穴を開く方法は?」
「……あなた、もしかしてこちら側の知識が?」
「適当にそれらしいことを言っただけですが」
 小さな手でひっぱたかれた。
「星の巡り、星辰が正しい位置にあり、張り巡らされた糸が奏でる不安な響きが夜の淵を満たす時まで待たなければならないわ。……私の器が満たされれば無理やり開けられなくはないけれど」
「前者は理解不能なので、後者のほうが手っ取り早そうですね」
「少しは理解しようとしなさいよ。そして正気を失いなさいよ。この、この、このバカ」
 怒って頬を膨らませる。なんだろうこの中二病っぽいかわいい生き物。
「で、どうやったら器は満たされるんですか。おなか一杯になればいいんですか」
「それは、その……」
 急に照れ始める。やっぱり、女の子にとってはたくさん食べたいというのは言いづらいことなのだろうか。
「女の子に言わせないでよ、このスケベ! そんなんだからそんなんなのよ、この非モテ男!」
 いやぁまさか下の口から食べる白い謎の液体なのかなぁグヘヘなんて言えるわけがない。
 え、というか、スケベってことはマジでそういうアレなの?
「とにかく帰れない! 行くところもない! 頼れる人もいない!」
「それで器っていうのは」
「忘れなさい!」
「はい」
 少女は涙目になっている。
「こ、ここに住んであげるわ。光栄に思いなさい」
 読まずとも、言葉の裏の本音が透けて見えるようだった。
 しかしいい大人としては、どういう対応が最善だろうか。
「いや、ここは警さt」
「女の子一人養うくらいの甲斐性見せなさいよ!」
 えー……。
「あ、あんたのために来てあげたのよ! 警察呼んだら、誘拐されたって泣きついてやるんだから!」
「背中のそれは……」
「無理矢理こんな格好させられたって言う! 嫌がる私に酷いことしたんだって言ってやるんだから!」
「わかった。わかったから」
 背中もやばいが、無理矢理この格好もやばい。
 ご近所さんが帰省していて本当に良かった。でなければ今のやりとりで完全に通報されていた。
「……ここにいていい?」
「いいよ。大丈夫だから」
 彼女はほっとしたのか、やはり不安なのか、表情こそ怒っているようだったがその目はずいぶんと潤んでいた。
……あ、ありがと
 顔を背けてぼそぼそ何かを言っていたが、よく聞き取れなかった。
「ん」
「べ、別にお礼なんて言ってないんだからね。私は、私は……」
 なんて言葉をかけてよいか分からず、俺はとりあえず思いついたことを口にしてしまう。
「あー、その、……じゃあ、とりあえず、……もちでも食う?」
「……たべゆ」
 本当に、なんなのだこのかわいい生き物は。どうすればいいのだ。


 こうして俺はなんだかよく分からないまま蜘蛛脚をもつ少女と同棲することになってしまった。
 彼女は当然のごとく人間ではなかった。その背から生えている蜘蛛の足も本物で、そして彼女が言うには、本当は深淵の世界からこの地を魔界へ堕とすためにやってきたらしい。
「……俺をからかいに来たって言ってなかった」
「つ、ついでよついで。世界を私のものにするなんて朝飯前だもの」
「どっちがどっちのついでなんですかね」
 確かに、現に俺の世界は一瞬にして彼女に侵略されてしまったが。
 彼女は人間の女性の姿に変化した魔物とのことだ。いわゆるアニメやゲーム、漫画や物語に出てくるアレらが、すべて女性型になった存在。誰が呼んでいるのかはよく知らないが、通称、魔物娘という。
 そしてアトラク=ナクアというのが、彼女達の種族名らしい。世界の裏側から糸を張り巡らし、その巣が完成した時、世界は生まれ変わる。そういうことになっているらしい。
「まさかそんな。ファンタジーやメルヘンじゃないんだから」
 即座に蜘蛛の脚が二本伸びてきて腕を捻りあげられた。
「ぎ、ぎぶぎぶ。信じる、信じるから」
「というか、知らないの。魔物娘って結構有名だと思ってたんだけど」
「そうなのかなぁ」
 試しにスマホで調べてみる。
「魔物娘、図鑑」
「そうそれ。それ全部本当のこと書いてあるから」
「なになに、……魔物娘は極めて好色かつ、常に伴侶となる男性を求めており、人間の男性を見つけると積極的に襲いかかり、犯してしまいます。
 ……な、なんておそろしいいきものなんだー!」
「棒読みやめろ。音読するな。その板をこちらに渡せ」
 アトラク=ナクアが組み付いてくる。俺は回避。は失敗。やわっこい肌を感じつつ、しかし腕を伸ばしてスマホは守り切る。
「また、時として人間の女性を自身と同じ魔物へと変えてしまったり、気に入った人間の男性と共に暮らすため、人間の世界を魔界へと変えてしまう事もあるといいます。
 ……なるほど。ではアトラク=ナクアというページを」
「だから読むな。読まないでっ」
 禍々しい蜘蛛に似た化け物に寄り添う少女のイラストが表示される。彼女に似ているが、目の前の本人よりも色気のある表情だった。
「あ、痛てっ」
 目を奪われている間に腕に噛みつかれてしまった。うっかり手放してしまい、スマホを彼女に奪われる。
 残念ながら文章は読み切れなかった。
「頼むから壊さないでくれよ」
「分かってるわよ。大事なものなんでしょ。でもしばらく預からせてもらうから」
 彼女の手の中のそれが、音もなく影の中に沈んで消えた。
「……そうか、スマホがなければパソコンで」
 四本の蜘蛛脚の切っ先が一斉にデスクトップを向いたので、俺は慌てて笑顔で取り繕った。
「ど、動画だよ動画。暇つぶしにね。……仕事道具だからマジでやめてくださいお願いします」
「……私がいるのに、暇なんだ」
「いや別にそういう」
「おなかすいた! おもち食べたい!」
「おもちはさっき食べたでしょ」
「いいの! 食べたいの!」
 まったく、おもちみたいな美味しそうな肌晒して動き回りやがって。俺がお前を食べてやろうか。……って、何考えてるんだろうな俺は。
「分かったよ」
「バターと砂糖をたっぷりでね」
「そりゃ美味そうだ」
「あんたにはあげないからね」
 俺が作るんだが?


 魔物娘というのは箸の使い方を知らないらしい。いや、日本人でなければ使いこなすのは難しいものか。
 時折あちちと小さく声を上げながら、彼女は出来上がったもちを手づかみで平らげていく。
 白い柔らかなもちが、桃色の唇の中に入っていく。優しく咀嚼されて、半濁の液体となったそれが彼女の喉奥へと流し込まれていく。
 指まで舐めて、ちゅぱっといやらしく音を立てて。
「ん。なぁに?」
「いや、おいしそうだなと思って」
「残念ね。全部食べちゃったわ。食べたいんだったら自分で何とかするのね」
「はい、はい」
 彼女は薄笑いを浮かべながら、ベッドの上に横になる。さしずめ、食ったら眠くなったというところだろうか。
「あーぁ。なんだかおなか一杯になったら、むらむらしてきちゃった」
「はい、はい?」
「だからむらむらしてきちゃったの」
 蜘蛛の脚が俺の首に伸びてきて、無理やり彼女の肢体を見させられる。
 柔らかそうな太もも。うっすらと脂ののったおなか。わずかに浮き上がるあばらの筋。寝転がっていても確かに分かる、控えめな胸の膨らみ。
 思わず、生唾を飲む。
「きも。やらしい視線向けないでくれる」
「ちょっと待って自分で見せようとしたよね」
「そ、その、よ、予想以上にいやらしかったから驚いたのよ。別に恥ずかしくなったわけじゃないんだから」
「はいはい悪かったですよ」
 視線を逸らすと、うなじあたりを足の指で小突かれた。
「えっち、へんたい、見られるだけで妊娠しそう」
「あのさ、お前の言ってることも大概だよ?」
「でも興奮してるんでしょ? 勃起しちゃったんじゃないの?」
「し、してねーし」
「なら立ち上がってこっち向きなさいよぅ」
 俺は動けなかった。今の姿を見せたら、また彼女になんて言われてしまうか……。
「ほら早く」
「いやだ。勘弁してくれ」
「だめよ。自分で立たないなら私が立たせてあげる」
 脇の下に蜘蛛の脚が差し込まれて、体を持ち上げられてしまう。
 裸ではないとはいえ、抵抗しようもなく彼女の眼前に、自分の下半身をさらすことになってしまう。
 そしてそこを見るなり、意地悪そうに笑っていた彼女の顔が豹変する。眉根を寄せて、目じりを吊り上げ、でもちょっと涙ぐんだ顔に。
「な、なによ。全然反応してないじゃない」
「い、いや、そういうわけじゃないよ。さっきまでは大きくなってた」
「やっぱり勃起してたんじゃない。エッチ。変態」
 うわぁすごい嬉しそうな顔。
「だから勃起しててほしかったならお前も同じレベルだろ」
「ていうかなんで今はしてないのよ」
「それは……」
 ちょっと、言いづらい。
「何よ。やっぱり、私のこんな身体じゃ色気なんて感じてなかったのね。そうよね、気味の悪い目玉みたいなのがついた蜘蛛の脚も生えているしね。どうせ私なんて……」
「いや、古傷が疼いてしまって……」
「古傷? どこか痛いの?」
 俺が胸を抑えると、彼女はベッドから降りて身を寄せてくる。
「学生のときにね……、似たような陰口を裏でこそこそ言われているのを聞いてしまったことがあって。見られるだけで、的なね。今みたいな可愛い言い方じゃなくて、ガチな奴で、しかも片思いしてた子から」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃ無かったの」
 驚いたことに、彼女は目に涙を溜めていた。震えているようにさえ見えた。
「怪我じゃないでしょ、とかは言わないんだな」
「身体だけじゃないでしょ、傷がつくのは」
 彼女は俺の胸をさすり、そしてはっと我に返ったように手を引いて俺を睨みつける。
「べ、別にあんたのことが心配だとかじゃないんだからね。私はあんたをからかって、童貞の情けない反応を楽しみたいだけで、人が傷ついているのを見て面白がるような人でなしじゃあないんだから。
 ……だから、そのごめんなさい
 そして最後にはしおらしくなる。
「いいって。まぁ、流石にこの年になってまで子供のころの事を気に病んではいないよ。いろいろ忙しくて気にしていられるほど暇でもないしな。
 ……今のはちょっと不意打ちで、たまたま思い出しちゃっただけだから。そういうことって、あるだろ?
 あの時好きだった子より明らかにお前のほうが可愛いと思うし、それにお前をエロい目で見ていたのは確かだし」
「ほんとぅ?」
 あぁ涙目で上目遣いされるこの破壊力よ。
「本当だよ。こう見えてもう結構いい年なんだ」
「そうじゃなくて、……か、可愛いとか、私をエロい目で見てたってこと」
「それも本当だよ。お前は可愛いし、エロい。と思う」
 にたり、と少女が笑う。
「やぁん、へんたいに犯されるぅ」
「こ、こいつめ」
 ふざけて腕を伸ばすと、手を取られ胸に抱かれて指をなめられた。
 それから、手のひらにかぷりと噛み付かれる。
「あ、いてっ。こら噛むなよ」
 引き離そうとする前に、彼女はひらりとベッドの上に逃げていく。
「大人の男が、こんな女の子にやられっぱなしのからかわれっ放しなんてはっずかしー」
 彼女ははぁはぁと息を荒げて、その肌も少し上気して色づいてきていた。
「大人を、なめるんじゃないぞっ」
 俺は言い返しながらベッドの上で彼女と対峙する。
 腕を掴もうと伸ばした手を払われる。あきらめずもう一度、二度、三度と繰り返すうちに柔らかな二度腕を捉える。
「捕まえた」
「やぁだぁ。ちょ、ちょっとぉ、触んないでよぉ」
 わずかに汗ばんで、ほのかに漂う彼女の匂いが鼻先をくすぐる。
 薄暗い欲望が身体の底から鎌首をもたげる。
 ズボンの下に意識と血液が集まり始める。
 白い肌、ほっそりとした首筋。挑発し、誘うように見上げてくる視線。
 俺は調子に乗って、彼女の足を払ってベッドの上に押し倒す。
 腕をつかんでベッドに押さえつける。蜘蛛の四肢を使えば起き上がれるだろうと踏んだうえでの悪ふざけのつもりだった。
 けれど彼女は起き上がろうとはしなかった。
 ちょっと驚いたような、怯えるような顔をした後、すぐに薄ら笑いを浮かべてみせる。
「なんだ。やっぱりあんたもヤりたかったんじゃない。こんな子どもっぽい体系の私に欲情しちゃって。やっぱり変態ね」
「子どもっぽいか? まぁちょっと幼児体型ではあるけど、十分大人の色気があると思うけどな」
「い、言い訳するの?」
「いや、素直に子どもには無いものがあると感じただけで」
 赤くなって顔をそらされた。
「な、なによ。……も、もっと気の利いた言い方とか出来ないわけ? そんなだからモテないのよ」
「はいはい。悪かったね」
 俺は溜息を吐いて、腕を離して立ち上がろうとする。が、背中に蜘蛛の脚が回り込んでそれ以上動けない。
「あの?」
「誰にも助けを呼べない状況を利用して手籠めにするなんて、やっぱりあんたは最低のクズ野郎だわ」
 上気したような顔のまま、ちょっと楽しそうに吐き捨てる。
「いや、だから今離れようと」
「頭の中で、私でどうやって遊ぼうか考えているんでしょう。このケダモノ」
 背中を押されて、ぐいぐいと近づけさせられる。
「だから悪かったって。今どくからさ」
 彼女がきっとこちらに鋭い目を向ける。
「ちょっとここまでお膳立てさせといて何もしない気なの? あっきれた。ほんっとに意気地なしなのね」
 ガチな奴だ。ちょっと胸にぐさりと来る。
「やりたいの? やりたくないの?」
「やりたい。けどやるわけには……」
 なにせ目の前にはいいにおいがする砂糖菓子みたいな女の子が横たわっているのだ。身体は既に臨戦態勢。妙に背筋がぞくぞくしてくるし、パンツの中の感覚から意識を離せないし、我慢するのが辛くないわけがない。
 だけどこの誘いに乗ってしまったら。彼女としてしまったら。そのあとの事を考えると、あと一歩が踏み出せない。
「オスとして生まれたのなら、メスの一匹くらい孕ませたいと思わないの? このチャンスを逃したら、きっと一生童貞のままよ。あ、あんたみたいな朴念仁を相手にするのなんて、きっと私くらいのもんなんだから」
「そう、かもな」
 彼女はむっとしたような顔で、再び俺の腕に噛みついてくる。
「だから痛いって」
「痛むのは身体だけじゃないのよ」
「……ごめん」
「私の身体じゃ、不満? 気持ち悪い?」
「可愛いし、綺麗だと思うよ。昆虫の脚も、逆に背徳的で冒涜的なセクシーさがあるというか」
「じゃあなんで」
 俺は一瞬言い澱んだが、結局言うことにした。じゃないと、彼女を傷つけてしまう気がした。確かに揚げ足を取りからかうのは楽しいが、傷つけたいわけではない。
「……だって、やっちゃったら帰っちゃうんだろ、お前」
 彼女は驚いたように目を見開いている。
「お前と話してて、遠慮なく好き勝手なこと言いあって、久しぶりに楽しいって思った。もっと一緒にいてみたいんだよ。一回気持ちよくなってさよならなんて、嫌なんだ」
 俺の告白を聞いて、彼女は顔を真っ赤にする。怒っているように、恥ずかしがっているように、表情をころころと変える。
「だから、俺は」
 彼女は我に返ったように、俺の顔をまっすぐ見上げる。
 そして大きく息を吸い、一気にまくしたてる。
「帰んないわよ。人を子種だけもらってやり逃げしようとしてるみたいに言わないでくれる!」
「いや、やり逃げって、……まぁ女もそういうのあるのか?」
「てゆーか帰れないわよ。さっき言ったでしょ異界の扉が開くためには」
「器が満たされたら開くんだろ? だから」
 彼女は髪を振り乱して首を振る。
「あんたみたいなヘタレた一般人と一回エッチしたくらいでこの私の器が満たされるわけないでしょ? 勘違いしないでくれる?」
「あー、それもそうか」
 最近は仕事ばかりで体力も落ちてるし、年齢とともに精力も落ちてきている気がするし、食べられてもそんなにカロリーにはならないかもしれない。
 ……なんだ、それなら、何も遠慮することはないのか。
「ふ、ふん。もういいわ。不健康なあんたの精はまずそうだし。もっとイケメンで逞しい男を誘惑しに行く。さぁ離しなさい」
 蜘蛛の脚が離れていく。が、今度は俺の気持ちが離れなかった。
「……一回で済まないなら、何回やればいいんだ?」
 俺は問いかけながら覆いかぶさる。
「満たされるまで、やってやるよっ」
 首筋に口づけし、舐め上げる。薄い乳房を撫でまわす。水着みたいな服は、邪魔にもならなかった。
……やっと……効いてきた
「ん、今何か言ったか?」
 毒とかなんとか、聞こえた気がしたが。
「いやっ。離れて。触らないでぇ」
 蜘蛛の脚が邪魔をしてこようとするが、俺は身をかわして避ける。部屋着のスウェットも下着も脱げていくが、脱ぐ手間が省けるうえ直接女の肌を感じられるので好都合だった。
「さんざん、馬鹿にした、報いを受けろっ」
 赤い唇に指を突っ込み、熱い口の中を蹂躙しながら、硬くなった乳首にしゃぶりつく。舌で転がし、甘噛みすると、うめくような喘ぎ声が聞こえてくる。
「こりこりになってるぞ。下はどうかな」
「ひゃんっ。いやぁ」
「ぬるぬるじゃないか。どんだけ興奮してたんだよ」
 下腹部に指を滑り込ませただけで、指先がぐっしょりと濡れた。むせてしまいそうなほどの熟れた雌の匂いが広がる。
 俺は紐みたいな服を引っ張って脱がせる。
 裸になる女の、そのまたぐら。ぐっしょりと濡れててらてら光る、つるつるの丘陵に、俺は顔をうずめる。
「やめてぇ。そんなとこ、舐めないでぇ。あっ♥ あぁ♥」
 彼女の匂いが鼻腔に広がり、彼女の味が舌先を甘く痺れさせる。たまらない。何度も舌を上下させ、前後させ、音を立ててすすり上げる。
 太ももが柔らかく頭を挟み込んでくる。彼女の指が優しく髪をなでてくる。
「だめ♥ だめ♥ もうだめぇ♥」
 俺は太ももをつかんで股を開かせる。
 顔をあげて、身体を起こし、彼女をこれから責め立てるモノを見せつける。
「ぃや、何それ……」
 ごくりと、唾をのむ音が聞こえた。
「男の人のって、そんなすごい、形なんだ……。入れる、つもりなんでしょ、無理矢理にでも……」
 驚いているように、期待するように、大きく見開いた眼で俺のそれを凝視する。
「平凡なのだけどな。見たことなかったか?」
「そ、そんなわけないでしょ。見てるわよ。見慣れてるわよこのくらい。……へ、ヘタレのあんたにお似合いなそ、そ、そチンね。入ったことさえ分からなそうだわ」
「ほーぉ、じゃあ、試してみようか」
 華奢な少女の体の上に覆いかぶさり、狙いを定める。
 割れ目に沿って先端を擦り付けると、少女は身震いして小さな声を上げた。
 濡れてぬるりと滑りがよくなったところで、俺はぐっと腰に力を込める。
「あ、あぅ、入って」
「大きいのが入ってきているのが分かるか」
「ち、小さくて拍子抜けしていたところよ。な、なによ、もう全部入っちゃったの。がっかりだわ」
「まぁ、亀頭は全部入ったかな」
「そ、そうよね。物足りなかったところだもの。ちょっとくらいは楽しませてもらわないとね」
 一瞬心細そうな顔になったのを、俺は見逃さない。
「ま、まぁ、期待なんてこれっぽっちもしてないけど」
「不安はまぎれたか? 残りを入れるぞ」
「別に不安じゃ、……あっ♥」
 ぴったりと閉じた柔肉を押し広げて、彼女の中に侵入してゆく。
 彼女の内側は熱く、情熱的で、その口ぶりとは対照的にぎゅうぎゅうと俺を締め付け、けれど愛の蜜が溢れるそこは何の痛みや苦しさもなく、ただ肉体の快楽だけを与えてくれた。
 入るときこそ抵抗があったものの、中ほどまで入ったころから急に奥に引き込もうとするように強く吸い付いてくる。
 顔つきも一瞬にして強張ったものから、昂ぶりに戸惑い恥じらうようなものへと変わる。詰まっていた呼吸も、緩んで熱く深いものが吐き出される。
 一番奥をこつんと触れ合わせると、小さな体がビクンと震えた。
「全部、入った?」
「もう少し」
 ほんの少しだけ入りきっていなかった。ぐっと押し込むと、少女は小さな悲鳴を上げながらしがみついてきた。
「い、痛かったか」
「ぜ、全然痛くなんてないわ」
 本当なのか、彼女なりに気を使ったのか、強がりなのか。
 分からないが、しかし彼女の顔色を見て俺はほっとする。
 挑むような、見下ろそうとするような目つき。歪められた唇。憎たらしい、けど憎めない、そんな挑発的な顔。
「でも気持ちよくも、無いわね。もっと頑張りなさいよ。……ひあっ♥」
 俺は腰を振り始める。
「お望みどおりにいかせてやるよ」
 わずかに動かしただけで寂しがるように肉襞が絡みつき締め付けて来て、それだけですぐに絶頂までたどり着いてしまいそうだった。
 それでもよかったが、しかし少しくらいは彼女の口から色っぽい言葉を吐かせたい。
「おさるさんみたいにっ、腰振ってばっかりっ、そんなに、気持ちいいんだ」
「あぁ。気持ちいいよ。最高」
 彼女の締め付けが、いっとうきつくなる。
「そ、そんなこと言われてもっ、気分なんてよくならないんだからねっ。
 あんた、へたくそなのよ。あんっ♥ へたくそ。へ、へたくそぉ♥ そ、そんなんじゃ。あ。あ。あっ♥ 全然、気持ち、よくなんてっ♥」
 いつ限界を迎えてしまってもおかしくない中、夢中で腰を振る。
「その割にはっ。赤面してるじゃないかっ。声もっ。だいぶエロくなってるぞっ」
「こ、声は、体が、揺れてる、だけでっ」
「はっ。じゃあ、もっと、こうしてやるっ」
 体をぴったりくっつけて、腰をぐぐっと奥にねじ込む。そして奥をこすりつけるようにゆっくりとえぐり続ける。
「あぁ♥ ああああぁん♥ らめぇ♥
 はぁっ。らめ、よ。こんなへたっぴじゃ、私以外だったらっ♥ 一回やっただけで、捨てられちゃうでしょうねっ♥
 あぁっ♥ きっと、私、セックスのっ♥ 練習台にっ♥ されちゃうんだわっ♥ 朝も、昼も、夜もっ♥ 数え切れない程っ♥ 犯されっ♥ あああーっ♥」
 少女の腕が、蜘蛛の脚が、背中に回る。痛いくらいに抱き着いてくる。
「お望みなら、そうしてやるよっ。くっ。そろそろっ」
「な、中には絶対出さないでよね。あんたのっ、汚くて、くっさい、精液が、私の子宮にぶちまけられるなんてっ♥ 考えただけでっ♥」
 微笑んでいる。期待するような目で、上気した瞳で俺をまっすぐに見つめてくる。
「あぁ中に出してやる。一滴残らず、注ぎ込んでやる」
 俺は一層腰を深く突き入れる。女のむっちりとした足が腰に巻き付いてきて、それをさらに後押しした。
 そこで、体も気持ちも決壊した。
 体の奥でどろどろに煮えたぎっていたものが、一気に放出され、少女の一番奥深くの昏い闇の淵で白く爆ぜる。
 下腹が、一物が、内側から灼け付くように熱かった。脈動は延々と長く続き、それでも熱は収まらない。
 脈動がもどかしく感じるほどの大量の射精だった。
 彼女は、ずっと俺を見つめ続けていた。とろんとした目で、俺の情欲を受け止めるたび、体を小刻みに甘く痙攣させながら。
「……ねぇ、キスしてぇ」
 彼女の両手が、俺の顔を包み込み、引き寄せる。
「ちゅぅ」
 唇が触れ合う。それだけで体が震えて、収まりつつあった脈動が一瞬強まる。
 彼女の舌が入ってくる。俺の唇の内側を嘗め回し、歯茎をなぞり、そして舌と舌を、唾液と唾液を混ぜ合わせる。
「んっ、んー」
 子猫のような吐息が鼻先をくすぐる。
 下半身の疼きが収まっていくのと反比例するように、彼女の舌の動きは情熱的になっていった。
 やがて脈動が止まり、猛りも静まってきたころになってようやく、彼女は俺を解放してくれた。
「おなか、あったかぁい。すごくいいきもちぃ」
 彼女は下っ腹をなでながら、満たされた顔で俺に笑いかけてくる。
「大好きな人に抱きしめてもらえるのって、こんなに幸せなことなんだね……。ずっとあなたのこと見てたんだよ? 思い切って会いに来て、本当によかったぁ」
 あぁ、こんなに素直に心地よさそうな顔も出来るんだな。と思っていたのだが、見ているうちに少しずつ様子が変わってくる。
 耳まで真っ赤に赤くなり、表情が見る見るうちに変わっていく、戸惑うような顔、驚いたような顔、恥じらうような顔、怒ったような顔、自己嫌悪するような顔。それがころころ変わり、混ざったような複雑な顔になり、そして最後に怒鳴られた。
「な、なに勝手にキスしてんのよぉ! 初めてだったのにぃ!」
「か、勝手にってお前がせがんだろ。ていうか怒るところそこなのか」
「はぁっ。もう最悪っ。無許可で中に出すし、出しすぎだし。……おなかが破裂しちゃうかと思ったじゃない」
 口元がすごく緩んでいる。目じりも心なしか垂れ下がっている。
「はっ。でもでも、こんなんじゃ全然器は満たされたりなんてしないんだからね。あんたのうっすい精じゃ、毎日一日中やったとしても、何百回種付けされたとしても、帰れるようになるまで何日かかることか分かったもんじゃないわ」
 馬鹿にしてるんだか、喜んでるんだかよくわからない顔だった。でもなんか、うきうきしている感じに見えた。
「で、俺は中に出してよかったのか。それとも」
「と、特別。特別よ。あんたは特別許してあげるわ。しょ、しょうがなくなんだからね。あんたみたいな辛気臭いやつ、私以外の誰にも相手にされないでしょうから、しょうがなくなの。これは同情であって、別に好きとかじゃないんだからね」
「というとお前さんは同情した相手だったら誰とでもエッチするのかい?」
「ばっ。そんなわけないでしょ! したい相手としかしないわよ!」
 特別だけど好きじゃないとは何なのか。とは思ったが、これ以上は言うのも野暮だと思いやめておく。どうせ本人も勢いで言っているだけだろう。
「まぁ? あんたの弱弱しい精子なんて、いくら浴びせられたって宇宙の底の昏い深淵の渦の中心にあるような私の卵子が反応することなんて無いでしょうし?」
 というか、まだつながったまま、まだほんのり赤らみ汗ばんだ体でそんなことを言われても、なんだか煽られているというよりもじゃれつかれているようにしか思えない。
 感情的になるたび、きゅうきゅう締め付けてきて身も心も気持ちいいし。
 けれど俺は同時に、ちょっと意地悪したい気持ちにもなってしまう。
「……それなら、もっと強い雄のところに行けばよかったな。精力旺盛で、マッチョなイケメンとか。
 なんで俺なんかのところに来たんだよ」
 一瞬で心細そうな顔になる。
 不思議と、何を言われてもこいつのことは嫌いになれそうになかった。出会ったばかりだというのに。
「き、気が合うかなと思ったのよ。日の射さない場所で、"ネット"の"アンダーグラウンド"で独りで何かを作り続けているあんたなら、私と、その……」
 そして彼女は、俺の顔を見るなりまた調子を取り戻す。
「でも失敗だったわ。ええ大失敗だった。確かにイケメンマッチョのヤリチンのところにでも行けばよかったわ。
 きっと性根の曲がったあんたのことだから、私をここに監禁する気でしょう。首輪や手枷や足枷で拘束したり、ベッドに縛り付けたりして、毎朝毎晩私を好きにして、食事の代わりに精液を飲ませるような、そんな狂気に満ちた爛れた生活を送らせる気なんでしょう? 何年も何年も、私を凌辱し続けるんだわ。私を何度も孕ませて、子供を産ませて、もしかしたらその子供まで……」
「いや、流石にそれは引くわ」
 自分の言葉に酔ったように昂揚していた少女の顔が、むっとしたようなものに変わる。かわいい。
「やっぱりイケメンのところに行こうかな」
「待って待ってイケメンよりお前のこと大事にするから」
 むっとしつつも、こういうことを言うと照れるのか黙ってしまう。多少は素直に受け取ってくれるらしい。
 彼女の髪をなでようと手を伸ばし、そしてまたその手を掴み取られて噛みつかれた。
「いてぇっ」
「はん。魔法使いからいきなり賢者にでもなったつもりかしら。あんたなんてまだレベル1以下のへなちょこなんだから、調子に乗らないでくれる?」
「いや、とはいえ男は出した後は誰だって」
「そんなんだからそんななのよ。確かにちょっと射精の量は多かったかもしれないけど、でもずぅっと誰にも出さずにため込んでいた割にはこの程度って感じよね。期待外れっていうか、失望しちゃうわ」
 聞いているうちに頭に血が上ってくる。頭といっても、亀のほうだったが。
「言ってくれるじゃんか。わかったよこうなりゃ自棄だ覚悟しろよ」
 俺は寒気を覚えるほどに興奮しながら、再び彼女の体に覆いかぶさる。無遠慮に無垢な肌を愛撫し、跡がつくほどに強く掴み、抱き締め、そして獣のように激しく体を揺すり、むしゃぶりつく。
「あ、あん♥ らめ♥
 ……あ、ちがっ。そ、その、その程度なの、もっと、もっと激しくっ。してみなさいよっ。もっと、深く、私を、あたまが、おかしくなるくらい♥ あああぁあぁっ♥」
 狂ったように蠢いているのは俺か彼女か。無限の愛欲の中心で白痴のように声をあげているのは、雄でもなく雌でもなく、それが螺旋状に一つとなったものだった。
 

 世の中に不満があるならば自分を変えるべきなのだろうか。それとも、手が届くところから世の中の方を変えるべきなのだろうか。手の届かないところに手を伸ばすべきなのだろうか。
 たどり着いた答えは、世界を変えるために自分を変えることだった。愛する者とより長く、より濃厚な時間を過ごせる。そんな世界にするために。
「なんか格好いいこと考えてるみたいだけど、要は思う存分エッチなことしたかったからでしょ」
 え。ちょっと勝手に人のモノローグに入り込んでこないでくれる。
「変身したのも、そうでもしなきゃ私を気持ちよく出来なかったからだもんね。このスケベ、変態、エロ魔人」
 そんな憎まれ口を叩きながらも、彼女は俺の頭を抱きかかえるように胸に抱き続けてくれている。
 愛し気に撫でまわしていたと思ったら、叩かれた。
「へ、変なこと考えないでよ。そんなんじゃないわよ」
 てゆーか何でわかるの。
「念話みたいなものよ。今のあなたには口は無いでしょ。だからしゃべる代わりに心を読み合わせているのよ。それだけ、あなたが私に近しい存在に変わったってことね。
 ……もっと早くこうなるかと思ったのに。ずいぶん待ちくたびれたわ。あなたがグズなせいでね」
 そう、俺の身体はすでに人間ではなくなっている。
 形は、簡単に言うと大蜘蛛だ。人一人丸のみにしてしまえるほどの大きな口を持った、それなりのサイズの、いろいろなところに無数の目を持つ化け蜘蛛。
 彼女と何度もまぐわううちに、彼女ともっと濃厚に深くつながりたいと願ううちに、気が付いたらこうなってしまっていた。
 俺をこんな風にした愛しい女は、今は口の中だ。俺の口の中が、この姿になっているときの彼女の定位置だった。
「愛しい女とか、定位置とか、やめてくれる。私は愛してなんてないから。あんたは、ただの、ただの、そう、ただの精の補給役でしかないから。永遠に私に精を貢ぐだけの奴隷みたいなものなんだから。代わりなんていくらでもいるんだからね。調子に乗らないでよね」
 別に人間の姿に戻ることも出来る。が、そうなるとこんな風に彼女がうるさいのだ。俺に相手してもらうために絶え間なく憎まれ口を叩いてくるし、口だけではなく手や足や蜘蛛のそれで叩いてきたり、抱き着いてきたりする。
「うるさいって何よ。あんたが私を満足させてくれないからでしょ。この、この、このバカー」
 まぁ、この姿でも叩かれはするのだが。
 それで、結局そのたびにくっついたり離れたりするのも面倒なので、今は大体蜘蛛の姿で彼女を可愛がり続けているというわけだった。
 口の中は無数の生殖嚢、触手であり、舌であり、彼女に愛を注ぎ込むための器官、でみっちりと埋め尽くされている。
 俺はそれを使って彼女の滑らかな触り心地を、とろけるような彼女の味わいを、甘やかな彼女の匂いを、肌の下の期待の鼓動や音を、余すところなく感じ取る。
 現に今も口の中で、その白いふくらはぎや太ももに、おへそ周りやおしりに、出会った頃より少し育ったおっぱいに、脚の間の穴という穴に、生殖嚢を伸ばし、絡みつかせ、食い込ませ、ねじ込ませて、彼女そのものを楽しんでいる。
「ゃ、やめてよ。き、気持ち悪いのよっ」
 興奮し恥じらう姿さえ見逃さない。体中に無数の目が付いているから、あらゆる角度から彼女の姿を愛でることが出来るのだ。
「出来るのだ。じゃないわよっ」
 感覚は五感にはとどまらない。新たに獲得した人外のこの姿は、人間の時には知ることの叶わなかった彼女のあられもない。
「もういい。もういいから」
 そしてついには心の中まで覗くことが出来るようになったらしい。
 というわけで、さっそく彼女の頭の中を覗いてみよう……。
「だめ、だめっ。ダメーッ!」
 ……一瞬、意識が飛びそうになった。そのくらいにピンク色でねっとりしたアダルティックなイメージだった。
「あああ、やだ、穢された……。私の、私だけの夢が、純潔が……」
 ずいぶん淫らな純潔もあったものだ。
「あんたに言われたくないわよ。このエロ魔王」
 では魔王らしく、乙女を穢し孕ませるべく柔肌に牙を突き立てさせていただこう。
「あ、だめ、それだけはやめて恥ずかしいから」
 制止を無視し、俺は口の中の牙を彼女のお腹に軽く突き立て、同時に蜜を滴らせる膣に、尻の穴に、生殖嚢を深く潜り込ませる。
「あ、だめぇ。いく、いく♥いく♥いく♥いくぅ♥」
 そして牙から、生殖嚢から、高濃度に凝縮された俺の精を流し込む。
「あぁ♥きもちいい♥おいしい♥これ好き♥大好き♥もっとあなたの濃いのを、私のふかいところにちょうだい♥」
 こうしているときだけ、彼女はしおらしく素直に愛をささやいてくれる。愛おしそうに撫でてくれる。
「はやく、私を孕ませて♥ あなたとの赤ちゃんほしいの♥ 私たちの、愛の結晶♥」
 よくわからないが、こうすることで彼女達の中に流れる、心の苛立ちの元となる毒が中和されるらしい。ちなみにあとから教えてもらったことだが、彼女達の毒液は噛み付かれた者に対しては下半身を苛立たせるらしい。
 ともかく、普段の姿も可愛くて大好きなのだが、普段があるからこそこの姿がまた格段に愛おしく、そして彼女のすべてが大切に思えてくる。
「いつもありがと。だいすき。こんな私だけど、嫌いにならないでね」
 嫌いになんてなれるわけがない。
「ずっと一緒にいてね。一秒でも離れちゃやだからね」
 離れてしまったら、それこそ俺の方が正気を失ってしまうだろう。
 だからこそ、二人が永遠に一緒にいられる世界を。俺達のような幸せな存在が認められ、増えていく世界に変えていかなければならない。
「もっとこうしていたいけど、そうだよね、お仕事も、しなくちゃね」
 部屋に空いた無数の穴から、俺は蜘蛛の脚を伸ばして巣作りを再開する。彼女と俺で紡いだ糸。それを宇宙に、異次元に、時空を超えて張り巡らせていく。
 彼女は俺の中で喘ぎながら身じろぎする。姿勢を変え、机に向かう。デスクトップのパソコンのキーボードに指を走らせていく。
 電子の世界にさえ俺達の糸を伸ばし、温かな輝きに満ちた深淵の底へと引きずり込むために。
「あぁあ。私と仕事と、どっちが大事なのかなぁ」
 でも、お前と愛し合うことに大事なことだからさ。
 俺は彼女を抱きしめる。脚といわず腰と言わず、胸元あたりまでを無数の腕で覆いつくしてしまうようにして。
「分かってるわよ。……大好きよ」
 もっとちゃんと聞こえるように言ってほしいなぁ。
「あなたといると、退屈しなくていいわ。ほんとに」
 それはこっちのせりふだよ。
 俺達は笑い。そして愛を混ぜあい放ち合う。
 互いを祝福するために、世界を祝福するために。
19/01/19 17:15更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
はじめましての方ははじめまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。

今回のお話は、ひとつ前に投稿した話とは大分対照的な話になりました。
多分前の話が真面目でシリアスだった分、その反動が出たのだと思います。思いつくまま書いたのでまとまりもあまり……。

あとは今回はタグとハートマークを初めて使ってみました。……使いどころが難しいですね。(なおさらまとまりがなくなった感が……)
と、言い訳はこのあたりにしておきましょう。

少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。
こんなところまで読んでいただきありがとうございました。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33