夏の夜の契約者
暑い。ひたすらに暑い。夜にも関わらず暑い。
真っ赤なテロップでテレビ画面は狭くなり、ニュースは屋外での活動自粛と、大小様々な被害を告げている。
まるでSF小説のディストピア。
けれども今のところ特にAIの暴走やヒューマノイドの人権問題や巨大隕石の接近や第三種接近遭遇の予定もないらしい。
ただ、暑いだけという話だ。SF小説としては環境問題を取り扱う社会派に分類されそうだが、売り上げは良くなさそうだ。
SF小説なら最後には何らかの解決がされるのだろうか。それとも地球滅亡エンドだろうか。
小説なら面白いどんでん返しでもありそうだが、あいにくとこの現実にはそんなものは無さそうだ。
たまの休日だというのに、暑さのせいで頭がおかしくなってきているようだった。
それもそのはず。長年お世話になっていた冷房は近年の長時間労働に耐えられずとうとう先日お亡くなりになり、今や室内気温は平熱を越えている。
室外気温がどれほどのものなのかは、もはや知りたいとも思えない。冷房を買いに行こうにもその途上で倒れ込みそうだ。
熱をはらんだ湿気に茹でられて、何もする気が起きない。
少しでも涼を得ようと独り身をいいことに服を脱ぎ、パンツさえ穿いていないにも関わらず、暑さは大して変わらなかった。布団に寝転んでみているが、接地面から汗をかいて寝付くことも出来ない。
今日はせっかくの休日だったというのに、結局暑くて何もする気が起きなかった。
俺は一人で何をやっていたんだろうと泣きたい気持ちになるが、水分と塩分は涙になるより先に汗になって布団に染みこんでいく。
ぐるりと視線を巡らせると、お気に入りの同人誌が目に付いた。
魔物娘図鑑。ファンタジー世界を基本として、全ての魔物やモンスターが可愛いサキュバスの女の子になっている素晴らしい作品だ。
魔物なのに人間を大事にしてくれるところがいい。基本的にエロスで全てを解決させるところがお気に入りだ。ご都合主義だろうが何だろうが、みんな平和で幸せなのが一番だ。
悲劇や惨劇や後味の悪い展開を迎える創作物も多い中、自分にとってはまさにオアシスのような存在だ。
図鑑の世界に行けば、きっと自分のような面白みに欠ける冴えない男でも誰かに愛してもらえそうな気がする。
「そうだ、図鑑世界、いこう」
せめて図鑑世界の夢を見たいとばかりに目を閉じた。
「行ってみたいの? 図鑑世界」
誰も聞いていないはずの独り言に返事が返ってきた。しかも女の声だった。少し高めの、優しそうな澄んだ声。
俺自身の妄想としては素晴らしい出来だ。
「行けるものなら、是非とも行ってみたいけど」
「でも、別の世界なのよ。この世界だって、そう悪くは無いんじゃないの。面白いものとかたくさんありそうだし」
「無いことは無いだろうけど、時間も金も無いし。仕事は大変だし、仕事してたら遊ぶ元気も時間も無くなるし、気兼ねなく遊べるほどのお金ももらえないし、最近はどこもかしこも物騒な話か世知辛い話ばかりだし」
「こっちの世界も大変なのね」
「まぁね。逃げられるものなら逃げ出したいよ。でも外国も治安は良くないみたいだし、そもそも外国語も話せないし。逃げるんだったらいっそ別世界にでも逃げてしまいたいよ」
「じゃあ、逃げちゃいましょうか。私達の世界、図鑑世界に」
「いいねぇ。行きたいねぇ。全財産を投じたっていい」
返事はすぐには戻ってこなかった。自分の妄想の限界でもあるようで、しかしその一方で実際に相手がそこにいるような妙なリアルさがあった。
「お金は、別にいらないんだけど。……魂とか、かけられる?」
まるで本当に何かがそこにいるようで、俺は可笑しくなってくる。いや、もうおかしくなってしまっているのだ。暑さで。
「魂をかけたっていい。むしろ、俺の心や魂はいつだって図鑑世界という理想郷に惹かれているのだから」
「じゃあ、……私と契約しよっか」
少し虚しくなってきた。こんな風に脳内で妄想劇を繰り広げたところで、あちらの世界に行けることなどあり得ないのだから。
汗をかきすぎた。寝られないのなら、とりあえず何か飲んだ方がいいかもしれない。
俺は汗を拭って目を開く。
すると、目の前に覚えの無い青白いものが目に入った。
派手なブーツのようなものを履いている人の脚のように見えた。視線を動かすと、それは紛れもなく脚だった。というか、人間だった。いや、厳密にいえば人間では無かった。
尻尾のようなものが脚の向こうで揺れていて、蝙蝠のような羽も生えていた。頭には二本の角も生えていた。
青白い肌に、羽と尻尾と角の生えたその姿は、紛れもなく魔物娘図鑑のデーモンだった。
ブーツの他には、図鑑の挿絵と同じようなボンデージ服を身につけていた。露出が多くて涼しげだが、素材が革か何かで出来ているようでちょっと蒸れていそうだった。
そのためだろうか、全身が汗ばんでいる。
暑さのせいなのか、顔が紅潮している。髪の毛が肌に張り付いているのがなんとも言えず色っぽい。
だが、彼女は見知らぬ人外の侵入者。俺は思わず敬語になる。
「あの、えっと、誰ですか。どうやって入ってきたんですか」
彼女は目を泳がせながら、部屋の窓を指さしてみせる。暑さ対策で、網戸にして開けっ放しにしていた窓を。
「鍵もかかってなかったから、魔法を使うまでもなかったわ」
「そりゃまあ、ここアパートの三階ですからね」
「それよりも……。ごめんなさい、飲み物、もらってもいいかしら。……なんだか、くらくらしてきちゃって」
「わ、分かった。今すぐ用意しますね」
俺は布団から立ち上がる。
すると彼女は、顔を両手で覆って床に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか」
様子を見るべく慌てて近づくと、顔がさっきよりもさらに赤くなっていた。
「魔物娘も熱中症になるのか。えっと、何か身体が冷えるように」
「あ、あの、それよりは、パンツか何か履いてくれると……。私たちも、その、いきなり直視するのは、刺激が強いし、ね」
「あ……」
彼女の指の隙間からのぞく視線の先には、俺の粗末なものがぶら下がっていた。
俺はいろんな意味で拍子抜けしながらも、慌てて両手でそこを隠した。
「ええと、こんなものですがどうぞ」
氷を入れた麦茶のグラスが、すぐに汗をかいていく。
とりあえず着てみた部屋着とどっちが早くびしょ濡れになるか競争が出来そうだった。
「……グラスに穴が開いている?」
「というわけではありません。これは結露と言って、温かい空気中の水蒸気が冷たいグラスの表面で冷やされて」
「大丈夫。そのくらいの知識はあるわ。ただ、グラスがこんなになっていくのは初めて見たから……。あなた、魔法使いってわけじゃないのよね。実は水を操れるとか」
「出来たらもっと涼しくなれる事に使っていますよ」
「それもそうね。あと、敬語は無しにしましょう」
「わかりま、分かった」
彼女は麦茶を呷る。濡れた手を拭きたいだろうと、俺はタオルを出してやった。
「良かったら使ってくれ」
「ありがとう」
彼女は受け取ると、手ではなく汗を拭い始めた。
まぁ、確かにそういう気遣いも必要だったかもしれない。
……どんな匂いがするのかも気になったが、俺はポーカーフェイスで見守った。見守れたと思う。
「さて、一息つけたところで本題に入るわね。あなた、私達の世界に来たいのよね。どう、本気で一緒に来る気はある?」
「そりゃ、行けるものなら行きたいけど」
彼女は薄く笑い、パチンと分かりやすく指を鳴らしてみせる。
すると突然、彼女の後ろの空間に亀裂が入った。虚空が割れて、次元が剥がれ落ち、そこにそれが現れた。
ピンク色の木製の扉だった。性的なシンボルがファンシーに飾り付けられている。
「マジかよこれをくぐれば異世界ってやつ?」
「その通り。この扉の向こうは図鑑世界よ。それっぽいでしょ?」
「デザイン的には何とも言えないけど魔法の力ってすげー」
なんだかあっけなさ過ぎて改めて夢にしか思えなくなる。しかしこの思い通りにならない他人感は、間違いなく夢ではなさそうでもあるが。
「見た目がイメージと違っているなら、こんな感じにも出来るわよ」
彼女が指を鳴らすたび、いわゆる異世界へのゲートは形を変えていく。SFチックな機械じみた転送装置や、ファンタジーもののような光のあふれる穴、果てはエレベーターの入り口や、井戸のようなものにまで変わっていく。
「最初のでいいです」
「あらそう」
再び、部屋の中にどこに繋がっているのか分からない桃色の卑猥な扉が現れる。
「でも、行ったら戻ってこられないとか、そういう奴なんじゃ」
「そんなことは無いわ。帰りたくなったらすぐに帰してあげるし、何なら扉もここに出したままにしておくわ。我々は契約者の満足度を一番に考えているから」
俺は腕を組んで考え込む。
現代社会は確かに暑く、仕事もきついし、生きているだけで辛いことも多い。けれどその反面便利なものも多い。インターネットに繋がればどこでも何でも調べられるし、遊ぶ手段だって数知れない。
「Wi-Fiも繋がるわよ」
「え、マジで」
「マジでネット完備よ。先にこっちに来てたバフォさま達が最先端の情報機器に目をつけてね、『まずはネットを繋いで遠くからでもお兄ちゃんを探せるようにするのじゃー』とかなんとか言ってインターネットへの接続環境を整えちゃったのよね」
「いや、それでもなぁ」
「冷暖房も完備、衣食住も保証してあげる。この世界との行き来も自由。これでも行くのを渋るの?」
彼女の表情が、少し強張ったように見えた。今まで見せていた余裕がなくなったような、そんな印象だ。
「……あなたが行きたいって言ったから、辛そうだったからちょっと無理して出てきたのに。これでも行くのを渋る程、この世界は魅力的なの?」
どうしてそこまで必死になるのだろうかと、なんだか逆に怪しく思えてきてしまう。
「毎日遅くまで仕事をして、遊ぶ時間もお金も無くて、彼女も出来ないこんな世界が」
「ちょっと最後のは引っかかる物言いだけど、否定は出来ない。いや、この世界はともかくとして、突然現れた自称悪魔の話を信じられるか、というお話でさ。
上手い話には裏があるというか、ほいほいついて行ったら、人間の命を使って作るマジックアイテムの材料にされたりとか、死んでも死んでも生き返らされて永遠に続く戦場で戦わされたりとか、どの選択肢を選んでもバッドエンドにたどり着くとか、そう言うのだったら嫌だし。それなら今の方がマシというか」
「図鑑世界でそんなことあるわけないでしょう!」
怒られた。結構ガチな感じで。
「あ……。ご、ごめんなさい大きな声を出してしまって。でも、冗談でもそんなこと言うのはやめて欲しいのよ。人が苦しむ姿なんて想像したくもないの」
この子、本当に悪魔なのだろうか。天使なんじゃないだろうか。
「見るんだったら快楽によがる姿の方がいいわ。お堅い人間が性愛に屈して愛する人とどろどろになる姿とか、我を忘れて獣のように愛し合う姿とか、たまらないわよね」
やっぱり天使ではないかもしれない。
「……まぁ、人間の快楽を極めるためのマジックアイテムの人体実験をされたりとか、イってもイっても蘇らされて永遠に続く濡れ場で絞られるとか、どの選択肢を選んでもベッドエンドはあるかもしれないけど」
「あるのか……」
それはそれで、ちょっと心惹かれなくはない。
彼女は俺の心中でも透視したかのように、胸元を寄せて強調しながら流し目を送ってくる。
「……試してみる? 私と」
生唾を飲み込む。いやいや、そうじゃないぞ自分。
「そもそも扉の向こうが図鑑世界だという保証が無いというか。それにお金じゃなくて魂というのも、どういう対価なのか具体性に欠けるというか」
「確かに、対価のことはちゃんと話していなかったわね」
「うん。具体的に頼む」
「具体的に、ね。分かったわ。具体的に言うと……」
彼女は少し黙って視線を逸らした。
魂。やはり、何か命に関わる代償が必要なのだろうか。
「魂、というのは、その、心……。いえ、あなたの残りの人生、とでもいえばいいのかしら。具体的に言うと、えっと、その……」
息をのんで見守っていると、彼女は少し頬を染めて顔を伏せた。
「そ、そんなに言いづらい対価が必要なのか。そりゃそうか、世界を移動するんだもんな」
「言いづらいというか、その」
彼女は首を振り、胸の前で気合いを入れるように両手をぐっと握りしめる。
そして一回深呼吸をしてから、顔を上げた。
「具体的には、毎日五回以上私とセックスすること。それが条件」
俺は口を開けたまま呆けてしまった。
それをどうとらえたのか、彼女は慌てたように手を振り取り成そうとする。
「セックスって言っても、ただ裸で抱き合っているだけとか、ベッドの上で囁き合っているとかじゃダメよ。ちゃんと唇同士でキスしたり、身体を触り合ったり、その、あなたのおちんぽを、私のおまんこの中に入れてちゃんと射精するようなものじゃ無きゃダメなんだからね」
何を言われているのかよく分からなかった。
俺は彼女の顔を、身体をまじまじと見直して、考える。
それはどちらかというと対価では無く特典なのではないだろうか。いや、確かに一日五回射精は厳しいけれども。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「外出しじゃイヤ。ちゃんと膣内に射精しないとカウントしないんだから」
「セックスは分かった。分かったけど、いやよく分からない。本当に対価はそれだけなのか」
「それだけよ。一日五回セックスするとなれば、一日のうち大半の時間を私に捧げるということ。それ以上のものが何かあるかしら。
それにあなたはよく分かっているはずよ。私達の"主食"が何なのか。そこの魔物娘図鑑に、しっかりと書いてあるのだから」
魔物娘は全てサキュバスの魔王の影響下に置かれている。そのためサキュバスがそうであるように、人間の男の精液を何よりも好む。
だけど男を吸い殺すことは決して無く、交わった男には己の魔力を返して精力を回復させ、延々に続く快楽のループの中で精液を絞り続けようとする。
食事にも繁殖にも人間が必要。だから人殺しが起きない。俺が特に気に入っている設定の一つだ。
そこで俺ははたと気が付く。
「あ」
「あ?」
「赤ちゃんが出来ちゃったら、どうするんだよ」
「ちゃ、ちゃんと産んで育てるわ。大事な契約者との子供ですもの。一人でだってやるから安心しなさい」
「いや、そうなったら手伝うけども」
自分が何を言っているのか良くわからなくなってくる。
ただちょっと思いついただけの質問だったし、設定では魔物との間に子供ができる可能性は低いとされている。しかしこうもあっさり、お前の子を産んでやると言われると、どう返事をしていいものなのか……。
俺の戸惑いをよそに、彼女は一気に話を進めようとするかのように隣に寄り添ってくる。
「人間と私達の間には、なかなか赤ちゃんは出来にくいんだけどね。でも、もしそうなったら私としては嬉しいことだわ。いつかは子を持ちたいとは思っているもの」
腕を絡ませ、肌を押しつける。図鑑のイラストよりは少し控えめではあったが、むっちりと形のいい双丘の谷間が視界に飛び込んでくる。
甘い女の子の匂いが、思考力を鈍らせる。
「ねぇ、今は子供のことは置いておくとして、どうしても五回が嫌なら、三回でもいいから。ね、お願い」
猫なで声が耳元をくすぐる。
本能は行けという。しかし理性はまだ彼女を疑っている。
二つの間の折衷案として、俺は彼女に一つお願いをした。
「……その、まずは、君の身体を触らせて確かめさせてもらってもいいかな」
彼女は一瞬驚いたように目を見開いた。
「その、君が本当に魔物娘なのか確かめてみないと」
そして、すぐに合点がいったというかのように唇の端をあげて頷いた。
「いいわよ。ほら、触ってみて」
彼女は俺の手を取り、自らの乳房を握らせる。
柔らかい。
指が溶けてしまいそうな程の幸福感。
軽く握ると、ほどよい弾力感とともに指を押し返し、形を変える。
「すげぇ……。いや、じゃなくて」
「おっぱい触りたかったんじゃないの? じゃあ、こっち?」
下を脱ごうとする彼女を、俺は慌てて制止する。
「そうじゃなくて、髪とか、角とか、羽とか、本物なのか確かめたかったから」
「あぁ、そっち。いいわ、好きに触って」
彼女は髪をかき上げて、艶然と微笑む。
なんだかさっきは必死そうにしていたのに、今度は余裕の表情を見せたりとよく分からない悪魔だ。
俺は言われるまま、彼女の髪を触ってみた。
「さらさらだ」
絹のような触り心地とはよく言ったものだ。本物の髪のようにしか思えない。……女の子の髪なんて触ったことないけど。
そのまま尖った耳へ手を伸ばしてみる。
「んっ、くすぐったい」
温かくて、ぷにぷにしている。人間のそれと同じ、軟骨の上に肉と皮が乗っている普通の耳だった。
少し指で擦りつけてみるが、塗料が指に付いたりということはなかった。
次に、角。
見た目はつるんとして光沢があり、固そうだった。触ってみた感じもやはり固かった。かりかりと爪を立ててみる。
「ひぁっ。なんか、変な感じぃ」
これも何かが剥がれるという感じはなかった。
「あっ、らめ」
頭の付け根まで触ってみるが、やはりヘアバンドで止まっているという事もなく、付け根がちょっと肉で盛り上がってはいたが、間違いなく頭から直に生えているようだった。
続いて羽。
腰の辺りをまさぐる。
「ぁぅぅ」
こちらも、やはり肌から直接生えている。尻尾の付け根も近かったので一緒に確かめたが、こちらも同様だ。
羽は触ってみた感じ、細くしなやかな折れにくそうな骨と、ナイロンに似たようななんとも言えない皮膜で出来ているようだった。
尻尾は、さらりとした触り心地。人肌くらいに温かく、少し固めだが弾力があった。
撫でているうちに、びくんと跳ねて俺の手を離れていった。
「どう? 確かめ、られた?」
いつの間にか俺の胸元にしなだれかかってきていた彼女が、上気した顔で見上げてくる。
闇のように黒いその目が濡れていた。宝石のように煌めく赤い瞳が、まっすぐに俺を見つめている。
そのたおやかな手が、俺の頬を包み込む。
「味も見て、確かめた方がいいかもしれないわ? プラスチックやゴムの味がしないか、ちゃんと味わってみて」
「それもそうだな。じゃあむぐっ」
言い終わる前に唇を塞がれる。
唇に押し付けられた、柔らかく、しっとりと濡れた感触。すぐに唇の間からぬるりと舌が入ってきて、ねっとりと舌同士を絡み合わせてくる。
ほのかに甘い、彼女の唾液の、舌の味。さっき渡した麦茶の味も混ざっているものの、プラスチックやゴムや石油製品の味はしない。
人間の女の子のキスの味は知らないが、これは間違いなく本物以上だろう。
唇を離そうとすると、追いすがるように抱きついてきて更に強く唇を押しつけられた。舌同士が強く擦りつけられ、歯茎の裏まで舐められ、溢れた唾液が舐め取られ、溢れる唾液を流し込まれる。
全身に鳥肌が立ち、身体の芯が熱を帯びる。
離れようにも、彼女は俺の後頭部を掴んで離してくれなかった。優しく髪をかき回され、何も考えられなくなってくる。
「んちゅっ。どう、美味しかった?」
「すごく、美味しかった。初めての味だよ」
「じゃあ、こっちも」
彼女は少し身を離す。すると、いつの間に脱いでいたのか、眼下に何も覆い隠すもののない、美しい女の裸体が広がっていた。
美術館の彫像のような見事な形をした乳房。傷一つない、艶やかな肌。くびれつつもほんのり脂ののったお腹周りに、抱きつきたくなるような肉付きのいい腰とおしり。
彼女は俺を、その二つある山の片方の頂上へと誘う。
頂上に咲く花の匂いは甘かった。その小さな果実は、口に含むと彼女の汗の味がした。
舌で転がしているうちに汗の味は薄れて、果実本来の味がほんのり口の中に広がっていく。
遠くから荒い吐息が聞こえてくる。
「……だめ、もう、私も我慢できない」
果実が離れていってしまう。
代わりに、再び唇を奪われた。
かと思うと、また彼女の顔が離れて。
「セックスした後、どうなるかも試してみた方がいいわよね。ただの悪魔やサキュバスなら、セックスは気持ちよくても、吸われれば吸われるほど衰弱してしまうでしょう。
でも私達図鑑世界の魔物娘なら、セックスすればするほどに身体も元気になって、もっともっとセックスしたくなる」
欲望に濁った双眸。欲情と必死さが混ざり合った、盛りの付いた雌のような顔。それでも悪魔の顔は見とれる程に美しかった。
「……でも、ずっと気持ち良かったら衰弱していることにも気が付かないんじゃ」
言葉ではそう言っていても、俺の本心はもう決まっていた。
どこを見ても欲情してしまう。かといって目をつむっても、彼女の匂いに、吐息の音に、劣情を刺激されてしまう。
……あぁ、そうなのだ。仮に吸い殺されるとしても、快楽の中で死ねるならそれもいいと思ってしまったのだ。
「大丈夫よ。今日だけじゃない。私は明日も明後日も、ずっとあなたの精液が欲しいって思っているんだから」
微笑みかけられると、もう何も言えなかった。身動きが出来なくなっている俺から、彼女はズボンを、下着ごと脱がしていく。
バネ仕掛けのようにそれが跳ね上がり、彼女は舌なめずりして笑った。
「あはっ。やっぱり、いい匂い。一週間くらいオナ禁したあとの、濃縮した精子の匂いだわぁ」
彼女はその青白い手で俺の二つの睾丸を支え、もう片方の手で竿を握りしめる。
皮が被ったそこに鼻を近づけ、音を立てて匂いを嗅ぐ。
「童貞の匂い。だぁいすき」
興奮と羞恥で、言葉が出なかった。
彼女の言うことは全て事実だった。経験が無いことも、最近暑くて働きづめで抜いてなかったことも含めて。
だが、経験は無くとも知識はあった。これからされることも想像が付いて、だからこそ喉がからからに渇いたようになって何も言えなかった。
彼女は視線を上げて、俺の目を見て笑う。
「いただきまぁす」
鈴口に唇が押し当てられる。
唇と舌で被っていた皮が剥かれて、そのまま口の中に銜え込まれる。
「う、あ、ぁ」
睾丸が優しくもみほぐされ、ときおり爪を立てられる。
肉柱がやんわりとしごかれ、身体の熱が更に集まってくる。
唇が亀頭を包み込み、舌がかり首にそって舐め回してくる。
直接射精してしまいそうな程の強い刺激では無かった。だが、このまま刺激され続ければ確実に果ててしまうような、けれども延々とされ続けていたいような、そんな蠱惑的な刺激だった。
「んちゅっ。おいしぃ。こっちは、どうかしら」
「うぐっ」
口と手の動きが変わる。
今度は両手で亀頭を包み込むように、口と舌で玉と柱を嘗め回すように。
指先が鈴口を、かりを、濡れた亀頭を、触れるか触れないかという程の絶妙な触り方で丁寧に撫で回してくる。
玉袋を嘗め回し、甘噛みし、音を立てて吸い付いてきたかと思えば、舌を出して尿道にそって舐め上げ、また音を立てて口づけしてくる。
「やばい、もう、出ちゃうよ」
「んん、もうちょっと、味わわせてよぉ」
「そんなこと、言われても……」
優しく笑う吐息が愚息をくすぐる。
「嘘。いつでも好きなときに出していいからね。一滴残らず飲み干してあげる」
彼女はそう言うと、俺を再び頭から飲み込んでしまう。
最初と同じ、片手を睾丸に添えて、片手で根元を扱きながら、頭を振って亀頭に吸い付いてくる。
やっていることは下品で下劣で猥雑にも関わらず、その所作はなぜか上品に見えた。表情でさえ、娼婦のように淫猥ながらも、貴族のような優雅さを感じさせる。
流れる汗でさえ、美しく愛おしく思えてくる。
射精感が高まる。この美しい雌を自分の色で汚してしまいたいと、後ろ暗い欲望が溢れる。
それを察したかのように、彼女が俺を見上げてきた。
俺はその視線に命じられるように、彼女の角を両手で掴んだ。
彼女が、頷いた。
俺は角を掴んで腰を振った。彼女の口の中を、自分自身を使って蹂躙した。
我慢などろくに出来るわけがなかった。相手の事などお構いなしに、好き勝手に射精した。
「ん、んんんーっ」
喉の奥に、舌の裏に、顔に飛び散ろうがお構いなしで、己の白い欲望をぶちまける。
彼女はしかし、咳き込みもしない。
口の中に出されるそれを舌で上手く受け止め、顔にかかったときにはうっとりとした表情で、俺の放つ全てを受け止めてくれた。
「あー」
射精が終わると、口の中を開けて俺の放ったものを見せつけてきた。
白と言うより黄色がかるほど身体の中にため込まれていた俺の精液。みっともなく吐き出してしまった、いつもはどこにも行き場の無い俺の子種。
彼女は舌を動かしてそれをかき回すと、口を閉じ、喉を鳴らして飲み干してしまった。
「あ、ちょっと、そこまでしなくても」
「ん? こうしなきゃ意味ないじゃない」
彼女は笑って、ぎゅっと抱きついてくる。
「とぉっても美味しかったわ。あなたの精液」
耳元のささやきに、心臓を捕まれた。まさに、心を持っていかれた。
「さて、本番前にちょっと一休みしておきましょう。始めたら、きっと止まらなくなってしまうでしょうし」
彼女は少し落ち着きを取り戻したようだった。精液を摂取したから、つまりは少しおなかが満たされたからなのかもしれない。
彼女は俺の身体から離れると、すっかりぬるくなっているだろう麦茶のグラスを掴んで中身を空にする。俺の分のグラスを。
「やっぱり暑いわね、こっちの世界」
彼女は裸で、俺は自分だけシャツを着ているのもばからしくなってそれも脱ぎ捨ててしまう。
シャツはもうびしょびしょだった。俺も彼女も汗だくだった。
暑さを忘れてしまうほど夢中になっていた。けれど、これだけ暑いのにのぼせず集中していられたのは、やはり魔物娘達が持つというまぐわいの相手を守護する魔力とやらのおかげなのだろうか。
どこかからさわやかな風が吹き込んでくる。
どこかで嗅いだことがあるような磯の匂いと、知っているものとは違う、土や草いきれの匂い。
顔を上げると、彼女がピンク色の扉を開けていた。
狭く切り抜かれてはいたが、向こう側の世界が見えた。吹き込んでいた風も、きっと異界の匂いなのだろう。
「それ、そんな風に出来るの?」
「当たり前でしょう。だって扉なんだから」
向こうの世界も夜のようだった。紫色のグラデーションの夜空に、桃色の星が輝き、紅すぎてピンク色に見える月が浮いている。
潮騒の音に、銀の砂浜。
……あとどこからか、喘ぎ声が聞こえてくるような。
「誰かがお盛んみたい。今日も平和ね」
「外でしてるの!?」
彼女はこちらを振り返り、微笑む。
「そりゃ、愛しい相手としたくなったら、時間も場所も関係無しにするのが私達だもの」
再び俺の方に近づいてきて、目の前に仁王立ちになる。座っている俺の目の前に裸の女の園が来るのもお構いなしで。
「まさに図鑑世界。って感じだな」
「少しは信じてくれる気になった?」
「……まぁ、少しはね」
「私も、愛しい人とはいつでもどこでもしたいって思ってる。一日に五回と言わず何度だって」
彼女は膝をついて、目線を近づけてくる。けど膝立ちだから、まだ俺が見上げなければならない。じゃないとおっぱいと目が合ってしまう。
「……俺のことなら光栄だけど、でも俺と君は今日出会ったばかりで」
唇を、人差し指で塞がれる。
「あなたはね。でも私の方は、あなたの事をしばらく観察していたのよ。この人ならいいって思える、良さそうな男がいるなって思って。
でも会ってみたら、思ってた以上に素敵な人だったわ。ちょっと疑り深過ぎるけど」
「しばらくって」
「一年間くらいかしら、家の中も外も、ずぅっと見守っていたのよ」
さらっと恐ろしいことを言う。
「……それって上司に怒られているところとか、女子社員に煙たがられているところとかも」
「もちろん」
「食事の内容とかも、インターネットの履歴とかも」
「何をオカズに何回抜いたのかまで、全部見ていたわ。好みの女優は綺麗系、胸は大きめのほうが好みだけど大きすぎてもダメ、シチュエーションは女優が素直に感じているようなものが気に入っている。あとはたまにビデオじゃなくてリアルの」
「分かった分かったからそこまでで」
あ、悪魔だ……。
けれどもなぜだろうか、嫌悪や恐怖のような感情は抱けなかった。むしろ妙に安心してしまっているような、そんな気持ちになる。
全てを知ってなお、俺のもとに来てくれているという事ならば……、と。
彼女は俺の頭を胸に抱き寄せる。甘い匂いのする乳房に包まれる。
「それで思ったの。この人だったら絶対私を裏切らない。私だけを一途に愛してくれる。性欲も人並みくらいで育てがいがありそうだし。
もうちょっと見ていても良かったんだけど、あまりにも辛そうで……。あと童貞の一週間ものの匂いに耐えられなくって」
「その童貞っていうのやめて」
「どうして嫌がるの。いつか現れる愛する人のために自分を大事にすることは、私はいいことだと思うわ。興味本位や世間体のために捨ててしまうよりは、ずっといい」
「チャンスも無かったし」
「でも、おかげであなたの始めてから終わりまで全部私がもらうことが出来る。
……私の始めてから終わりを捧げる相手は、そういう人がいいと思っていたから」
「え?」
彼女の唇が額に押し当てられる。
自分の太ももの上に、彼女の太ももが乗る。
ぺたんと女の子座りで、俺の肩に手を置いて、目と目が合う。
「ねぇ私と契約しましょうよ。好きな時にいつでも図鑑世界行けるし、帰ってこれる。あっちでも冷暖房やWi-Fi完備。それ以外にも、あなたが望む事はなんでも叶えてあげる」
「その対価は魂。つまりは」
「私と毎日五回……いや、三。ううん、この際一回でもいいから、中出しセックスすること」
彼女は余裕の笑みだった。これなら絶対、断られる事は無いだろうと。
でも……。
「まだ確認できていないから。あの先が本当に図鑑世界なのか。君が本当に魔物娘なのか」
「そうね。そうだったわね。まだ、お口で抜いてあげただけですもんね」
僕が挑むように笑い返すと、彼女もまた受けて立つと言わんかのように歯を見せて笑った。
「でも、どうするの? 一回やっただけじゃ分からないわよ。朝になるまで、試してみる?」
「必要なら、そうするまでだよ」
「ふふ、一回でもしたら、きっと止まらなくなっちゃうわ」
彼女の顔が近づいてくる。息が触れ合うところまで。その瞳に、自分の姿だけが映っているのが分かる距離まで。
「あなたじゃなくて、私の方がね」
何かを期待しつつも、歓びにゆるみ切り、欲情にとろけた表情。経験がないにも関わらず、それ以上言葉はいらないという事が分かった。
唇が重ねられる。ゆっくりと押し倒されていく。
覆い被さられ、全身の肌と肌がふれあい、擦れ合う。胸の上で彼女の乳房がつぶれ、お互いの手が、背中を、頬を、髪を、場所を問わずに愛おしげに撫で回し合う。
さっきよりも遠慮無く口の中を、全身を愛撫し合う。
たちまち勃起した。
彼女の下腹に硬くそそり立ったそれを押しつけると、彼女の指が応えるようにそれを掴んだ。
いやらしく濡れた草むらの奥、淫らな肉びらの間に、亀頭があてがわれる。腰を少し動かすだけで、すんなりと入っていく位置へ。
それから彼女は俺自身からは手を離して、俺の両手を自分のおしりへと導いた。
あとは俺が自分の手で、彼女を好きにしろ。という事らしい。
そして彼女は目を閉じた。俺にこの先の全てをゆだね、今はただそこにある口づけと愛撫を楽しみつくそうとするかのように。
実のところ、唇を触れ合わせているだけでもこの上なく心地よかった。我慢汁があふれて滴るくらいに。
そして彼女の秘裂からも蜜があふれていることからも、きっと気持ちは同じなのだと思われた。
だが、そればかりでは満足も出来なかった。
彼女が、欲しい。
その思いは、口づけすればするほど、触れていれば触れているほど強くなっていく。
俺はとうとう、ゆっくりと彼女を引き寄せはじめる。
亀頭が温かな柔肉に包み込まれる。狭い穴をくぐり抜けて、未知の世界へと飲み込まれていく。
彼女の指先に力がこもる。爪が食い込む痛みすら、新しい世界の祝福のようだった。
心地よい温もりと、収まるべきところへと収まったような、安心感を伴う密着感。下の唇もまた、俺を求めるように吸い付き、締め付けてくる。
「んんん……」
彼女が甘ったるく喉を鳴らした。その瞳が、唇が、もっともっととねだっていた。
俺はあくまでも、時間をかけて彼女と一つになっていく。指先に感じるおしりの触り心地や肉感を楽しみながら、彼女の声や匂いに魅せられながら、初めて感じる、魔性の膣の感触を肌に覚えさせておきたくて。ゆっくりと、ずぶずぶと彼女の中に身を沈めていく。
少しずつ進むごとに、彼女の中の肉襞はその感触を変えていく。強く密着するところ、柔らかく包み込んでくれるところ、ぬるぬると汁気がたっぷりなところ。けれどもどんなものもそうであるように、心躍る心地よい冒険にも、やはり終着点があった。
自分自身が全て飲み込まれたところが、彼女の一番奥だった。
まるで運命で決まっていたかのように、ぴったりだった。
冒険を、まだまだ終わらせたくは無かった。まだ知らないことはたくさんある。彼女の身体も、その表面を一撫でしただけに過ぎない。より深く、彼女の事を知りたかった。
俺は腰を押し上げ、一番奥を擦りあげる。
「あぁああぁんっ」
とたんに、彼女はびくっと身体を震わせて上げて仰け反った。
眉を寄せ、頬を紅潮させ、大きく開けた口から喘ぎを漏らしながら。
その身体を無理矢理引き寄せ、強く抱きしめる。
「らめ。意識、とんじゃぅっ」
髪から滴った汗が甘く香った。
もう一度突き上げると、脳が溶けそうになる程の甘い喘ぎが耳元から流れ込んでくる。
俺は少し不安になり、一旦動くのをやめて彼女の呼吸が落ち着くのを待った。
「……大丈夫か」
「だいじょぶ。思っていたより、気持ちよすぎて、軽くイっちゃったけど」
息も絶え絶えになりながら、彼女は微笑む。
俺の手を取り、指を絡めて手を繋ぐと、上半身を起こした。
「あなたのちんぽ、馴染んで、きたから」
淫らな水音が響き始める。彼女がゆっくりと、腰を上下に動かし始めたのだ。
彼女の中が急にすぼまり、別の生き物のように蠢き始める。根元から精液をすすり上げようとするような、まさに搾精するための動きといった感じだった。
腰の動きは、少しずつ激しくなっていく。それに合わせて、身体の奥底で眠っていた白い欲望が粘り気を帯びるほどに煮え立てられていく。
彼女は獲物を追い詰めて楽しんでいるような、性愛の快楽に酔いしれているような、我を忘れて悦に入るようなそんな表情で俺を見下ろしてくる。
しかし同時に、彼女が見ているものは確かに俺だけだった。この手も硬く繋いだまま離そうともしなかった。
俺もまた、彼女から目を離せなかった。
時折眉を寄せ、美しい顔を歪ませながら喘ぎ声を上げ、乳房を揺らしながら夢中で腰を振る女から目を逸らせるわけがなかった。
まるで嵐のようだった。未知の世界を往く冒険。彼女の肉体はまさに、尽きることの無い快楽で荒れ狂う嵐。
渦に飲み込まれるように、俺は彼女から抜け出せない。
官能の荒波に翻弄される時間も、しかし長くは続かなかった。
肉襞が竿を締め上げるたび、かりが撫でられ、亀頭が擦られるたび、俺は瞬く間に追い詰められていった。
濁りきった欲望は、下腹のすぐそこまでせりあがっていた。
快楽でのぼせた頭で、俺は彼女に呼びかける。
彼女の顔が近づいてくる。唇が、舌が、肌が、再びぴったりとくっつき合い、尻尾が俺の足に絡みついてきて、そして。
彼女の最奥で、理性は力尽き果て、欲望が決壊した。
自分でも、尿道をおびただしい量の精液が駆け上がっていくのが分かった。彼女の中に勢いよく吐き出されていくのが、その音が聞こえてくるようだった。
腰ががくがく震えて止まらなかった。
彼女の身体もまた、同じように震えていた。震えながら、互いの身体にしがみつき続けた。
脈動が収まりかけても、彼女の蠕動は止まらなかった。最後に残った一滴まで搾り上げようとするように、蠢き続けていた。
「んん、んんん」
搾り取られている。明らかにそれが分かった。
精液だけではない。それ以外の、何かも一緒に。
だがそれだけではなかった。
彼女と交わっている下腹部から、触れ合っている肌と肌から、絡み合う唇と舌から、何かが染み込んできてもいるようにも感じられた。
よくわからない。温かくて、優しくて、心地よくて……。そして体に活力と、精力を与えてくれるような、そんな何かが。
脈動が完全に収まると、彼女はようやく俺を解放してくれた。
唇が糸を引き、卑猥な音を立てて俺自身が抜けていく。
同時に、今までの流れ込んでくるような感覚が消えて、俺は物寂しい気持ちになった。
終わってしまった。冒険にも似た、初めての異世界の体験が。
「んはぁっ。こんなの、初めて……」
彼女が隣に寝転んでくる。興奮冷めやらぬといった様子で頬を紅潮させながら、俺の顔に何度も口づけしてくる。
「あなた、やっぱり最高だわ。最高のパートナーになれると思う」
そんな風に言ってもらえるのは控えめに言っても嬉しかったが、しかしこれだけ激しく交わった後によくもまぁこんなに元気でいられると感心もしてしまう。
流石は淫魔といったところだろうか。
自分などは息も乱れて、こうして魅惑的な乳房を掴むべく指先を動かすのもやっとといった状態、なの、に?
「ゃん。そんなにおっぱい触りたかったの。ごめんなさい。ずっと手をつなぎっぱなしだったよね」
せっかくなら両手で堪能したいと思ったとたん、身体が反応してしまっていた。
身体の調子がおかしかった。乳房をわしづかみにしたいと考えただけで、彼女に馬乗りになるように押し倒してしまっていた。
あれだけ激しく腰を振られていたのに、身体のどこにも痛みはなく、倦怠感や疲労感さえ無い。逆に気味が悪いくらいに調子が良かった。
ただ一点、股間から反り返ったそれだけが、まだやり足りないとでもいうかのように、ムズムズするような欲求不満を訴えていたが。
さっきのあれは、確かに身体の底から全てを吐き出すような射精だった。
命そのものが吸われているかのように、激しく大量に搾り取られたはずだった。
なのにこの身体にみなぎる活力は何なのだろうか。
「ねぇ、そろそろ私が魔物娘だって信じてくれた?」
胸を揉みしだかれながら、彼女は困ったような表情で問いかけてくる。
俺は笑って、思っているのと正反対のことを口にする。
「まだ何とも言えないな。一回やったくらいじゃあ……」
「じゃあ、信じてくれるまで試させてあげるわ。ほら」
彼女はするりと俺の下から抜け出すと、四つん這いになっておしりを俺のほうへとむけてくる。
お尻の穴がひくひくと動いていた。
その下で、俺が今出てきたばかりのクレバスが、激しく動いて混ざり合い、泡立った二人の愛液で濡れた花が、屹立する俺を待ちわびている。
尻尾が腕に巻き付いてきて、引き寄せられる。
「今度は後ろからしましょう? 激しくされてみたいところだけれど、あなたの好きなようにしてくれて構わないわ」
俺は肉付きのいいおしりを掴んで、彼女の身体を嘗め回すように眺める。
期待に震える翼、早くしてとせがむように締め付けてくる尻尾、美しく反り返る背中、そして挑発的な笑みを浮かべる、角を戴いた美しい女の顔。
早くも新しい冒険の始まりだった。今度はどこまで行けるだろうか。今度は何が見えるだろうか。まだ見ぬ彼女の宝物を見つけることが出来るだろうか。
興奮を抑えきれず、俺は無理矢理彼女の中に俺自身をねじり込む。
「あンっ」
抵抗感は一瞬。彼女の内側は即座に俺を受け入れ、そしてもう逃すまいと締め付けてくる。
俺は外から覆いかぶさるように抱きしめる。
片手で乳房を揉みしだき、もう片方の手で顔を引き寄せて口づけを交わす。
目を開けば女悪魔が淫らに身体をくねらせて、聞こえるものは獣のような息遣いと粘着く水音ばかり。気づけば部屋には背徳的な性の匂いが満ちて、暗闇の中互いの肌に触れ合い確かめ合いながら、舌を這わせて互いの愛を味わいあう。
悪魔との魔性の夜は更けていく。いつまでも終わることなく、深まり続ける闇の中に俺たちは身を預け続けた。
窓から差し込む日の光のまぶしさで目が覚めた。
朝だった。
この上なく幸せな夢を見ていた。とても美人の、自分にぞっこんで一途な魔物娘と一晩中愛し合い続けるという夢だ。
やってもやっても精力は衰えず、しかし最後にあまりに気持ちよくて意識を失ってしまった。
結局そのあたりが夢の限界だということだろう。
股間を触るが、濡れてはいなかった。夢精していなかったことに安堵しつつ、俺はため息を吐いた。
どうせ夢なら、ちゃんと契約してあげればよかったな。
「はい、はい、ええそうです。家の者です」
誰かの声がしていた。夢の中で聞こえていた声だ。
「えぇ、病気なんです。長期に渡る療養休暇が必要で……。診断書が必要、承知しました。直ちに用意して、今日中に届けるようにいたします」
目を開けて視線を巡らせると、青い肌の肉感的な太ももとおしりが見えた。
虫に刺されたような跡があった。昨日の夢で調子に乗ってセックス中にキスマークを残したのは、たぶんあのあたりだったはずだ。
ということは……。
まだ目が覚めていないらしい。俺は目をつむり直すが、しかし声は一向に消える気配はなかった。
「……無理です。出勤は出来ません。……どうしても勤務しろですって? ですから無理なんです。そんな職場なら辞めさせてでも休ませますので」
嫌な予感がして目を開ける。
悪魔が手にしていたものは俺のスマートフォンだった。
「おいちょっと」
「失礼します」
立ち上がって彼女の手から電話を奪うが、既に回線は切れていた。
電話の相手は、最悪なことに直属の上司だった。
再び電話が鳴る。
相手は上司だった。折り返してきたのだ。
しかし通話ボタンを押す前に、電話を取り上げられて空中に放られてしまう。
放られたスマホは溶けるように消えてしまった。魔法のように。
「何をするんだよ。仕事が」
「仕事は休みよ。仲間が書類を作って届けてくれるって」
俺はどうなるんだろうか。夢なら覚めて欲しいとさえ思えてくる。
「あなたはもっと自分のために、もっと気持ちいいことのために生きていくべきよ。やっぱりこの世界なんかにいてはダメ。一緒に図鑑世界に行って、幸せになりましょう」
その胸元に抱き寄せられる。
昨日と同じ肌の匂いに、俺の気持ちは少しずつ落ち着いていく。
昨晩何が起きたのか、今何が起きているのか、これから何が起きようとしているのか、少しずつ冷静に考えられるようになっていく。
「私が、ずっとそばにいてあげるわ」
怒られて苦痛に苛まれるだけならば、仕事に行く意味なんて無い。自分のやっていることになど、いくらでも代わりはいる。
だけどこの安らぎは、誰にも代わりたくない。俺だけが独り占めしていたい。彼女と居られる、この時間は。
もしも、どちらが夢で、どちらが現実なのだということを選べるのだとしたら? どちらを選ぶかなど、決まっている。
「夜にあったことは、全部現実なんだな」
「私の身体を確かめてみる? あなたが付けた"跡"がいっぱい残ってるわ」
「俺、結局吸い殺されなかったんだな」
しかも、これ以上ないほど健康体だ。ただちょっと身体の一部が欲求不満を訴えてはいるけれど。
「当たり前でしょう。契約の相手は大切にしないとね」
ということは、彼女は本物の図鑑世界のデーモンだったという事になる。
扉の向こうも、これまで夢にまで見ていた図鑑世界だという事だ。
「で、信じてくれたかしら」
「あぁ。契約、させてくれ」
彼女はすぐに返事をしなかった。訝しく思い顔をのぞくと、少し意地悪そうに笑った。
「さんざん人のことを疑って、しかも契約前にも関わらず全身に跡が残るくらい傷物にしてくれたんですもの、前の条件のままじゃあ釣り合わないわよね」
「分かった。君が望むなら、いつも傍を離れず、毎日死ぬまで、五回と言わず君がしたいだけ何回でもセックスする。それ以外にも条件があるなら何でも言ってくれ。
君と一緒に居たいんだ。図鑑世界でも、何ならこの世界でもいい」
彼女はにっこりとほほ笑み、唇を重ねてきた。
「あなたの魂、確かにもらったわ。代わりに、私はあなたに最高の快楽と永遠の幸せを約束します」
俺は手を引かれるまま、彼女とともに異世界への扉へと歩いて行った。
途中で少しだけ、ほんの少しだけ職場の状況が気にはかかったものの……。いつもの上司の不快な顔を思い出したとたん、もう帰りたくないと思い、俺は気がつけばくぐったあとに扉を閉めてしまっていた。
………………
…………
……
窓の外には、太陽に煌めく青い海と白い砂浜が見える。
柔らかく流れてくるそよ風は涼しかったが、日向はやはり暑そうで、長く外にいたらこんがりと焼けてしまいそうだ。
いくら図鑑世界といえど、やはり夏は同じように暑かった。
だが、元居た世界ほど殺人的では無く、適度に高揚感と開放感をあおる程度の心地よい暑さだった。
現に海辺の方では裸同然で遊びまわっていたり、木陰で横になり身を寄せ合っている魔物娘や人間達が見える。
何をしていても、うるさいことをいうものは少ない。そもそも魔物娘達は自分のつがいか、つがいを探すことに夢中で他人に干渉するということが少ないようだった。
元の世界と比べればなんて静かで、穏やかで、平和な事だろう。
俺は表情が緩むのを自覚しながら、机の上に広げた手紙に向き直った。
まだ書き途中の、実家への手紙だ。
仕事は辞めて、海外で別の仕事を始めたというような事を書いてある。あとは現地の女性と仲良くなり、もしかしたら結婚するかもしれない、というようなことも。
あとはどう締めるかというところで、筆が止まっているのだった。
結局俺は仕事には戻らず、しばらく図鑑世界で生活することにした。
ここでは毎日あくせく働く必要は無い。仮に多少の失敗はあっても、過剰に叱責をするような者もいない。
妻とゆったり愛を育んだり、いろいろなものを見て回ったりして日々を過ごすことができる。
もちろんたまには畑仕事をしたり、元の世界の制度や技術を伝えるべく調査協力することはある。
けれども基本的には、パートナーである彼女と夫婦の営みをしているだけで、それで生じる"魔力"とやらだけで、生活を賄えるだけのエネルギーを生み出すことが出来た。
と言ってもまぁ、その力も思ったほどには万能ではなく、一日一度愛し合った程度では全然足りないものではあったのだが。
この世界の法則ではむしろ、どれだけ夫婦で深く愛し合えるかが貧富の差を分けていた。
濃厚に愛を交わせば交わすほどその夫婦は魔力も増え、力も強まり、絆も深まる。そして生み出された魔力をうまく取り扱えば、より大きな財産を得て贅沢も出来るようになる。金ではなく、愛がものをいう世界なのだった。
しかし自分たちも別に食うに困ったことは無く、それなりにお金も稼げており、稼いだお金も現実世界のお金と換金出来たので特に問題らしい問題はなかった。
目下の悩みは、彼女の事を家族にどう伝えるべきか、それくらいのものだ。
けれどそれもそのうち解決しそうではあった。ここ最近では現実世界にも少しずつ魔物娘が暗躍しているらしいので、彼女たちのことも少しずつ認知されてきているという話だった。
ペンを弄んでいると、ふっと甘い匂いがした。
「こんなところに居たぁ。大事な連れ合いを一人ぼっちにして、退屈でとってもさみしい思いをさせてまで、あなたは何をしているのよぉ」
後ろから、肩に二つの柔らかく重量感のある感触が押し付けられる。優しく手を取られてペンを取り上げられた。
愛し気に頬を撫でられて、後ろを向かされる。
「寂しがり屋だなぁ。さっきエッチしてから三十分も経ってないよ。それにやった後そのままお昼寝しちゃったのは君の方じゃないか」
「それはそうだけど、でも契約の時にはそばを離れずに何回でもしてくれるって言ったもん。……あなたは私としたくないの?」
ちょっとへそを曲げたような言い方が可愛い。
最近気が付いたのだが、うちの嫁は他のデーモンに比べてちょっと子どもっぽいところがあるようだった。最初は分からなかったし、ほかのデーモンにも合わなければ気付かなかったかもしれないが。
けどまぁ、そこがたまらないのだけれど。
俺は振り向きざまに彼女と唇を重ねる。当然のように舌先を触れさせ合い、重ねられた手の指を絡ませる。
「したくないわけ無い。愛する人としたくなったときにするのが、この世界のルールみたいなもんだもんな」
窓の向こうから嬌声が聞こえ始めていた。離れているのに、何に興じているのかはわかる程度には。
「郷に入りては郷に従え、だな。じゃあ、ベッドに」
「ここでしたい」
「……誰に見られるか分からないよ」
彼女の手がズボンの中に滑り込んできたので、俺はそれに応えるべく、彼女の素肌を手でまさぐっていく。
まぁ、声を抑えてくれれば大丈夫だろう。それに、逆にここでは誰かのまぐわいの最中に遭遇することもざらだ。
準備万端で足を広げる彼女の後ろに回り込み、位置を合わせる。
「ねぇ、来られてよかった?」
「ん。待って、今挿れ……」
「そうじゃなくて、図鑑世界に来られてよかった?」
俺は彼女の入り口にあてがったそれを、一気に奥まで突き上げながら笑った。
歓喜の吐息を漏らす彼女の、その耳元でささやく。
「もちろん。良かったよ。もう最高」
緩み切った顔で、俺達は笑いあう。
こうして図鑑世界では、今日も一日が淫らに穏やかに過ぎていくのだった……。
真っ赤なテロップでテレビ画面は狭くなり、ニュースは屋外での活動自粛と、大小様々な被害を告げている。
まるでSF小説のディストピア。
けれども今のところ特にAIの暴走やヒューマノイドの人権問題や巨大隕石の接近や第三種接近遭遇の予定もないらしい。
ただ、暑いだけという話だ。SF小説としては環境問題を取り扱う社会派に分類されそうだが、売り上げは良くなさそうだ。
SF小説なら最後には何らかの解決がされるのだろうか。それとも地球滅亡エンドだろうか。
小説なら面白いどんでん返しでもありそうだが、あいにくとこの現実にはそんなものは無さそうだ。
たまの休日だというのに、暑さのせいで頭がおかしくなってきているようだった。
それもそのはず。長年お世話になっていた冷房は近年の長時間労働に耐えられずとうとう先日お亡くなりになり、今や室内気温は平熱を越えている。
室外気温がどれほどのものなのかは、もはや知りたいとも思えない。冷房を買いに行こうにもその途上で倒れ込みそうだ。
熱をはらんだ湿気に茹でられて、何もする気が起きない。
少しでも涼を得ようと独り身をいいことに服を脱ぎ、パンツさえ穿いていないにも関わらず、暑さは大して変わらなかった。布団に寝転んでみているが、接地面から汗をかいて寝付くことも出来ない。
今日はせっかくの休日だったというのに、結局暑くて何もする気が起きなかった。
俺は一人で何をやっていたんだろうと泣きたい気持ちになるが、水分と塩分は涙になるより先に汗になって布団に染みこんでいく。
ぐるりと視線を巡らせると、お気に入りの同人誌が目に付いた。
魔物娘図鑑。ファンタジー世界を基本として、全ての魔物やモンスターが可愛いサキュバスの女の子になっている素晴らしい作品だ。
魔物なのに人間を大事にしてくれるところがいい。基本的にエロスで全てを解決させるところがお気に入りだ。ご都合主義だろうが何だろうが、みんな平和で幸せなのが一番だ。
悲劇や惨劇や後味の悪い展開を迎える創作物も多い中、自分にとってはまさにオアシスのような存在だ。
図鑑の世界に行けば、きっと自分のような面白みに欠ける冴えない男でも誰かに愛してもらえそうな気がする。
「そうだ、図鑑世界、いこう」
せめて図鑑世界の夢を見たいとばかりに目を閉じた。
「行ってみたいの? 図鑑世界」
誰も聞いていないはずの独り言に返事が返ってきた。しかも女の声だった。少し高めの、優しそうな澄んだ声。
俺自身の妄想としては素晴らしい出来だ。
「行けるものなら、是非とも行ってみたいけど」
「でも、別の世界なのよ。この世界だって、そう悪くは無いんじゃないの。面白いものとかたくさんありそうだし」
「無いことは無いだろうけど、時間も金も無いし。仕事は大変だし、仕事してたら遊ぶ元気も時間も無くなるし、気兼ねなく遊べるほどのお金ももらえないし、最近はどこもかしこも物騒な話か世知辛い話ばかりだし」
「こっちの世界も大変なのね」
「まぁね。逃げられるものなら逃げ出したいよ。でも外国も治安は良くないみたいだし、そもそも外国語も話せないし。逃げるんだったらいっそ別世界にでも逃げてしまいたいよ」
「じゃあ、逃げちゃいましょうか。私達の世界、図鑑世界に」
「いいねぇ。行きたいねぇ。全財産を投じたっていい」
返事はすぐには戻ってこなかった。自分の妄想の限界でもあるようで、しかしその一方で実際に相手がそこにいるような妙なリアルさがあった。
「お金は、別にいらないんだけど。……魂とか、かけられる?」
まるで本当に何かがそこにいるようで、俺は可笑しくなってくる。いや、もうおかしくなってしまっているのだ。暑さで。
「魂をかけたっていい。むしろ、俺の心や魂はいつだって図鑑世界という理想郷に惹かれているのだから」
「じゃあ、……私と契約しよっか」
少し虚しくなってきた。こんな風に脳内で妄想劇を繰り広げたところで、あちらの世界に行けることなどあり得ないのだから。
汗をかきすぎた。寝られないのなら、とりあえず何か飲んだ方がいいかもしれない。
俺は汗を拭って目を開く。
すると、目の前に覚えの無い青白いものが目に入った。
派手なブーツのようなものを履いている人の脚のように見えた。視線を動かすと、それは紛れもなく脚だった。というか、人間だった。いや、厳密にいえば人間では無かった。
尻尾のようなものが脚の向こうで揺れていて、蝙蝠のような羽も生えていた。頭には二本の角も生えていた。
青白い肌に、羽と尻尾と角の生えたその姿は、紛れもなく魔物娘図鑑のデーモンだった。
ブーツの他には、図鑑の挿絵と同じようなボンデージ服を身につけていた。露出が多くて涼しげだが、素材が革か何かで出来ているようでちょっと蒸れていそうだった。
そのためだろうか、全身が汗ばんでいる。
暑さのせいなのか、顔が紅潮している。髪の毛が肌に張り付いているのがなんとも言えず色っぽい。
だが、彼女は見知らぬ人外の侵入者。俺は思わず敬語になる。
「あの、えっと、誰ですか。どうやって入ってきたんですか」
彼女は目を泳がせながら、部屋の窓を指さしてみせる。暑さ対策で、網戸にして開けっ放しにしていた窓を。
「鍵もかかってなかったから、魔法を使うまでもなかったわ」
「そりゃまあ、ここアパートの三階ですからね」
「それよりも……。ごめんなさい、飲み物、もらってもいいかしら。……なんだか、くらくらしてきちゃって」
「わ、分かった。今すぐ用意しますね」
俺は布団から立ち上がる。
すると彼女は、顔を両手で覆って床に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか」
様子を見るべく慌てて近づくと、顔がさっきよりもさらに赤くなっていた。
「魔物娘も熱中症になるのか。えっと、何か身体が冷えるように」
「あ、あの、それよりは、パンツか何か履いてくれると……。私たちも、その、いきなり直視するのは、刺激が強いし、ね」
「あ……」
彼女の指の隙間からのぞく視線の先には、俺の粗末なものがぶら下がっていた。
俺はいろんな意味で拍子抜けしながらも、慌てて両手でそこを隠した。
「ええと、こんなものですがどうぞ」
氷を入れた麦茶のグラスが、すぐに汗をかいていく。
とりあえず着てみた部屋着とどっちが早くびしょ濡れになるか競争が出来そうだった。
「……グラスに穴が開いている?」
「というわけではありません。これは結露と言って、温かい空気中の水蒸気が冷たいグラスの表面で冷やされて」
「大丈夫。そのくらいの知識はあるわ。ただ、グラスがこんなになっていくのは初めて見たから……。あなた、魔法使いってわけじゃないのよね。実は水を操れるとか」
「出来たらもっと涼しくなれる事に使っていますよ」
「それもそうね。あと、敬語は無しにしましょう」
「わかりま、分かった」
彼女は麦茶を呷る。濡れた手を拭きたいだろうと、俺はタオルを出してやった。
「良かったら使ってくれ」
「ありがとう」
彼女は受け取ると、手ではなく汗を拭い始めた。
まぁ、確かにそういう気遣いも必要だったかもしれない。
……どんな匂いがするのかも気になったが、俺はポーカーフェイスで見守った。見守れたと思う。
「さて、一息つけたところで本題に入るわね。あなた、私達の世界に来たいのよね。どう、本気で一緒に来る気はある?」
「そりゃ、行けるものなら行きたいけど」
彼女は薄く笑い、パチンと分かりやすく指を鳴らしてみせる。
すると突然、彼女の後ろの空間に亀裂が入った。虚空が割れて、次元が剥がれ落ち、そこにそれが現れた。
ピンク色の木製の扉だった。性的なシンボルがファンシーに飾り付けられている。
「マジかよこれをくぐれば異世界ってやつ?」
「その通り。この扉の向こうは図鑑世界よ。それっぽいでしょ?」
「デザイン的には何とも言えないけど魔法の力ってすげー」
なんだかあっけなさ過ぎて改めて夢にしか思えなくなる。しかしこの思い通りにならない他人感は、間違いなく夢ではなさそうでもあるが。
「見た目がイメージと違っているなら、こんな感じにも出来るわよ」
彼女が指を鳴らすたび、いわゆる異世界へのゲートは形を変えていく。SFチックな機械じみた転送装置や、ファンタジーもののような光のあふれる穴、果てはエレベーターの入り口や、井戸のようなものにまで変わっていく。
「最初のでいいです」
「あらそう」
再び、部屋の中にどこに繋がっているのか分からない桃色の卑猥な扉が現れる。
「でも、行ったら戻ってこられないとか、そういう奴なんじゃ」
「そんなことは無いわ。帰りたくなったらすぐに帰してあげるし、何なら扉もここに出したままにしておくわ。我々は契約者の満足度を一番に考えているから」
俺は腕を組んで考え込む。
現代社会は確かに暑く、仕事もきついし、生きているだけで辛いことも多い。けれどその反面便利なものも多い。インターネットに繋がればどこでも何でも調べられるし、遊ぶ手段だって数知れない。
「Wi-Fiも繋がるわよ」
「え、マジで」
「マジでネット完備よ。先にこっちに来てたバフォさま達が最先端の情報機器に目をつけてね、『まずはネットを繋いで遠くからでもお兄ちゃんを探せるようにするのじゃー』とかなんとか言ってインターネットへの接続環境を整えちゃったのよね」
「いや、それでもなぁ」
「冷暖房も完備、衣食住も保証してあげる。この世界との行き来も自由。これでも行くのを渋るの?」
彼女の表情が、少し強張ったように見えた。今まで見せていた余裕がなくなったような、そんな印象だ。
「……あなたが行きたいって言ったから、辛そうだったからちょっと無理して出てきたのに。これでも行くのを渋る程、この世界は魅力的なの?」
どうしてそこまで必死になるのだろうかと、なんだか逆に怪しく思えてきてしまう。
「毎日遅くまで仕事をして、遊ぶ時間もお金も無くて、彼女も出来ないこんな世界が」
「ちょっと最後のは引っかかる物言いだけど、否定は出来ない。いや、この世界はともかくとして、突然現れた自称悪魔の話を信じられるか、というお話でさ。
上手い話には裏があるというか、ほいほいついて行ったら、人間の命を使って作るマジックアイテムの材料にされたりとか、死んでも死んでも生き返らされて永遠に続く戦場で戦わされたりとか、どの選択肢を選んでもバッドエンドにたどり着くとか、そう言うのだったら嫌だし。それなら今の方がマシというか」
「図鑑世界でそんなことあるわけないでしょう!」
怒られた。結構ガチな感じで。
「あ……。ご、ごめんなさい大きな声を出してしまって。でも、冗談でもそんなこと言うのはやめて欲しいのよ。人が苦しむ姿なんて想像したくもないの」
この子、本当に悪魔なのだろうか。天使なんじゃないだろうか。
「見るんだったら快楽によがる姿の方がいいわ。お堅い人間が性愛に屈して愛する人とどろどろになる姿とか、我を忘れて獣のように愛し合う姿とか、たまらないわよね」
やっぱり天使ではないかもしれない。
「……まぁ、人間の快楽を極めるためのマジックアイテムの人体実験をされたりとか、イってもイっても蘇らされて永遠に続く濡れ場で絞られるとか、どの選択肢を選んでもベッドエンドはあるかもしれないけど」
「あるのか……」
それはそれで、ちょっと心惹かれなくはない。
彼女は俺の心中でも透視したかのように、胸元を寄せて強調しながら流し目を送ってくる。
「……試してみる? 私と」
生唾を飲み込む。いやいや、そうじゃないぞ自分。
「そもそも扉の向こうが図鑑世界だという保証が無いというか。それにお金じゃなくて魂というのも、どういう対価なのか具体性に欠けるというか」
「確かに、対価のことはちゃんと話していなかったわね」
「うん。具体的に頼む」
「具体的に、ね。分かったわ。具体的に言うと……」
彼女は少し黙って視線を逸らした。
魂。やはり、何か命に関わる代償が必要なのだろうか。
「魂、というのは、その、心……。いえ、あなたの残りの人生、とでもいえばいいのかしら。具体的に言うと、えっと、その……」
息をのんで見守っていると、彼女は少し頬を染めて顔を伏せた。
「そ、そんなに言いづらい対価が必要なのか。そりゃそうか、世界を移動するんだもんな」
「言いづらいというか、その」
彼女は首を振り、胸の前で気合いを入れるように両手をぐっと握りしめる。
そして一回深呼吸をしてから、顔を上げた。
「具体的には、毎日五回以上私とセックスすること。それが条件」
俺は口を開けたまま呆けてしまった。
それをどうとらえたのか、彼女は慌てたように手を振り取り成そうとする。
「セックスって言っても、ただ裸で抱き合っているだけとか、ベッドの上で囁き合っているとかじゃダメよ。ちゃんと唇同士でキスしたり、身体を触り合ったり、その、あなたのおちんぽを、私のおまんこの中に入れてちゃんと射精するようなものじゃ無きゃダメなんだからね」
何を言われているのかよく分からなかった。
俺は彼女の顔を、身体をまじまじと見直して、考える。
それはどちらかというと対価では無く特典なのではないだろうか。いや、確かに一日五回射精は厳しいけれども。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「外出しじゃイヤ。ちゃんと膣内に射精しないとカウントしないんだから」
「セックスは分かった。分かったけど、いやよく分からない。本当に対価はそれだけなのか」
「それだけよ。一日五回セックスするとなれば、一日のうち大半の時間を私に捧げるということ。それ以上のものが何かあるかしら。
それにあなたはよく分かっているはずよ。私達の"主食"が何なのか。そこの魔物娘図鑑に、しっかりと書いてあるのだから」
魔物娘は全てサキュバスの魔王の影響下に置かれている。そのためサキュバスがそうであるように、人間の男の精液を何よりも好む。
だけど男を吸い殺すことは決して無く、交わった男には己の魔力を返して精力を回復させ、延々に続く快楽のループの中で精液を絞り続けようとする。
食事にも繁殖にも人間が必要。だから人殺しが起きない。俺が特に気に入っている設定の一つだ。
そこで俺ははたと気が付く。
「あ」
「あ?」
「赤ちゃんが出来ちゃったら、どうするんだよ」
「ちゃ、ちゃんと産んで育てるわ。大事な契約者との子供ですもの。一人でだってやるから安心しなさい」
「いや、そうなったら手伝うけども」
自分が何を言っているのか良くわからなくなってくる。
ただちょっと思いついただけの質問だったし、設定では魔物との間に子供ができる可能性は低いとされている。しかしこうもあっさり、お前の子を産んでやると言われると、どう返事をしていいものなのか……。
俺の戸惑いをよそに、彼女は一気に話を進めようとするかのように隣に寄り添ってくる。
「人間と私達の間には、なかなか赤ちゃんは出来にくいんだけどね。でも、もしそうなったら私としては嬉しいことだわ。いつかは子を持ちたいとは思っているもの」
腕を絡ませ、肌を押しつける。図鑑のイラストよりは少し控えめではあったが、むっちりと形のいい双丘の谷間が視界に飛び込んでくる。
甘い女の子の匂いが、思考力を鈍らせる。
「ねぇ、今は子供のことは置いておくとして、どうしても五回が嫌なら、三回でもいいから。ね、お願い」
猫なで声が耳元をくすぐる。
本能は行けという。しかし理性はまだ彼女を疑っている。
二つの間の折衷案として、俺は彼女に一つお願いをした。
「……その、まずは、君の身体を触らせて確かめさせてもらってもいいかな」
彼女は一瞬驚いたように目を見開いた。
「その、君が本当に魔物娘なのか確かめてみないと」
そして、すぐに合点がいったというかのように唇の端をあげて頷いた。
「いいわよ。ほら、触ってみて」
彼女は俺の手を取り、自らの乳房を握らせる。
柔らかい。
指が溶けてしまいそうな程の幸福感。
軽く握ると、ほどよい弾力感とともに指を押し返し、形を変える。
「すげぇ……。いや、じゃなくて」
「おっぱい触りたかったんじゃないの? じゃあ、こっち?」
下を脱ごうとする彼女を、俺は慌てて制止する。
「そうじゃなくて、髪とか、角とか、羽とか、本物なのか確かめたかったから」
「あぁ、そっち。いいわ、好きに触って」
彼女は髪をかき上げて、艶然と微笑む。
なんだかさっきは必死そうにしていたのに、今度は余裕の表情を見せたりとよく分からない悪魔だ。
俺は言われるまま、彼女の髪を触ってみた。
「さらさらだ」
絹のような触り心地とはよく言ったものだ。本物の髪のようにしか思えない。……女の子の髪なんて触ったことないけど。
そのまま尖った耳へ手を伸ばしてみる。
「んっ、くすぐったい」
温かくて、ぷにぷにしている。人間のそれと同じ、軟骨の上に肉と皮が乗っている普通の耳だった。
少し指で擦りつけてみるが、塗料が指に付いたりということはなかった。
次に、角。
見た目はつるんとして光沢があり、固そうだった。触ってみた感じもやはり固かった。かりかりと爪を立ててみる。
「ひぁっ。なんか、変な感じぃ」
これも何かが剥がれるという感じはなかった。
「あっ、らめ」
頭の付け根まで触ってみるが、やはりヘアバンドで止まっているという事もなく、付け根がちょっと肉で盛り上がってはいたが、間違いなく頭から直に生えているようだった。
続いて羽。
腰の辺りをまさぐる。
「ぁぅぅ」
こちらも、やはり肌から直接生えている。尻尾の付け根も近かったので一緒に確かめたが、こちらも同様だ。
羽は触ってみた感じ、細くしなやかな折れにくそうな骨と、ナイロンに似たようななんとも言えない皮膜で出来ているようだった。
尻尾は、さらりとした触り心地。人肌くらいに温かく、少し固めだが弾力があった。
撫でているうちに、びくんと跳ねて俺の手を離れていった。
「どう? 確かめ、られた?」
いつの間にか俺の胸元にしなだれかかってきていた彼女が、上気した顔で見上げてくる。
闇のように黒いその目が濡れていた。宝石のように煌めく赤い瞳が、まっすぐに俺を見つめている。
そのたおやかな手が、俺の頬を包み込む。
「味も見て、確かめた方がいいかもしれないわ? プラスチックやゴムの味がしないか、ちゃんと味わってみて」
「それもそうだな。じゃあむぐっ」
言い終わる前に唇を塞がれる。
唇に押し付けられた、柔らかく、しっとりと濡れた感触。すぐに唇の間からぬるりと舌が入ってきて、ねっとりと舌同士を絡み合わせてくる。
ほのかに甘い、彼女の唾液の、舌の味。さっき渡した麦茶の味も混ざっているものの、プラスチックやゴムや石油製品の味はしない。
人間の女の子のキスの味は知らないが、これは間違いなく本物以上だろう。
唇を離そうとすると、追いすがるように抱きついてきて更に強く唇を押しつけられた。舌同士が強く擦りつけられ、歯茎の裏まで舐められ、溢れた唾液が舐め取られ、溢れる唾液を流し込まれる。
全身に鳥肌が立ち、身体の芯が熱を帯びる。
離れようにも、彼女は俺の後頭部を掴んで離してくれなかった。優しく髪をかき回され、何も考えられなくなってくる。
「んちゅっ。どう、美味しかった?」
「すごく、美味しかった。初めての味だよ」
「じゃあ、こっちも」
彼女は少し身を離す。すると、いつの間に脱いでいたのか、眼下に何も覆い隠すもののない、美しい女の裸体が広がっていた。
美術館の彫像のような見事な形をした乳房。傷一つない、艶やかな肌。くびれつつもほんのり脂ののったお腹周りに、抱きつきたくなるような肉付きのいい腰とおしり。
彼女は俺を、その二つある山の片方の頂上へと誘う。
頂上に咲く花の匂いは甘かった。その小さな果実は、口に含むと彼女の汗の味がした。
舌で転がしているうちに汗の味は薄れて、果実本来の味がほんのり口の中に広がっていく。
遠くから荒い吐息が聞こえてくる。
「……だめ、もう、私も我慢できない」
果実が離れていってしまう。
代わりに、再び唇を奪われた。
かと思うと、また彼女の顔が離れて。
「セックスした後、どうなるかも試してみた方がいいわよね。ただの悪魔やサキュバスなら、セックスは気持ちよくても、吸われれば吸われるほど衰弱してしまうでしょう。
でも私達図鑑世界の魔物娘なら、セックスすればするほどに身体も元気になって、もっともっとセックスしたくなる」
欲望に濁った双眸。欲情と必死さが混ざり合った、盛りの付いた雌のような顔。それでも悪魔の顔は見とれる程に美しかった。
「……でも、ずっと気持ち良かったら衰弱していることにも気が付かないんじゃ」
言葉ではそう言っていても、俺の本心はもう決まっていた。
どこを見ても欲情してしまう。かといって目をつむっても、彼女の匂いに、吐息の音に、劣情を刺激されてしまう。
……あぁ、そうなのだ。仮に吸い殺されるとしても、快楽の中で死ねるならそれもいいと思ってしまったのだ。
「大丈夫よ。今日だけじゃない。私は明日も明後日も、ずっとあなたの精液が欲しいって思っているんだから」
微笑みかけられると、もう何も言えなかった。身動きが出来なくなっている俺から、彼女はズボンを、下着ごと脱がしていく。
バネ仕掛けのようにそれが跳ね上がり、彼女は舌なめずりして笑った。
「あはっ。やっぱり、いい匂い。一週間くらいオナ禁したあとの、濃縮した精子の匂いだわぁ」
彼女はその青白い手で俺の二つの睾丸を支え、もう片方の手で竿を握りしめる。
皮が被ったそこに鼻を近づけ、音を立てて匂いを嗅ぐ。
「童貞の匂い。だぁいすき」
興奮と羞恥で、言葉が出なかった。
彼女の言うことは全て事実だった。経験が無いことも、最近暑くて働きづめで抜いてなかったことも含めて。
だが、経験は無くとも知識はあった。これからされることも想像が付いて、だからこそ喉がからからに渇いたようになって何も言えなかった。
彼女は視線を上げて、俺の目を見て笑う。
「いただきまぁす」
鈴口に唇が押し当てられる。
唇と舌で被っていた皮が剥かれて、そのまま口の中に銜え込まれる。
「う、あ、ぁ」
睾丸が優しくもみほぐされ、ときおり爪を立てられる。
肉柱がやんわりとしごかれ、身体の熱が更に集まってくる。
唇が亀頭を包み込み、舌がかり首にそって舐め回してくる。
直接射精してしまいそうな程の強い刺激では無かった。だが、このまま刺激され続ければ確実に果ててしまうような、けれども延々とされ続けていたいような、そんな蠱惑的な刺激だった。
「んちゅっ。おいしぃ。こっちは、どうかしら」
「うぐっ」
口と手の動きが変わる。
今度は両手で亀頭を包み込むように、口と舌で玉と柱を嘗め回すように。
指先が鈴口を、かりを、濡れた亀頭を、触れるか触れないかという程の絶妙な触り方で丁寧に撫で回してくる。
玉袋を嘗め回し、甘噛みし、音を立てて吸い付いてきたかと思えば、舌を出して尿道にそって舐め上げ、また音を立てて口づけしてくる。
「やばい、もう、出ちゃうよ」
「んん、もうちょっと、味わわせてよぉ」
「そんなこと、言われても……」
優しく笑う吐息が愚息をくすぐる。
「嘘。いつでも好きなときに出していいからね。一滴残らず飲み干してあげる」
彼女はそう言うと、俺を再び頭から飲み込んでしまう。
最初と同じ、片手を睾丸に添えて、片手で根元を扱きながら、頭を振って亀頭に吸い付いてくる。
やっていることは下品で下劣で猥雑にも関わらず、その所作はなぜか上品に見えた。表情でさえ、娼婦のように淫猥ながらも、貴族のような優雅さを感じさせる。
流れる汗でさえ、美しく愛おしく思えてくる。
射精感が高まる。この美しい雌を自分の色で汚してしまいたいと、後ろ暗い欲望が溢れる。
それを察したかのように、彼女が俺を見上げてきた。
俺はその視線に命じられるように、彼女の角を両手で掴んだ。
彼女が、頷いた。
俺は角を掴んで腰を振った。彼女の口の中を、自分自身を使って蹂躙した。
我慢などろくに出来るわけがなかった。相手の事などお構いなしに、好き勝手に射精した。
「ん、んんんーっ」
喉の奥に、舌の裏に、顔に飛び散ろうがお構いなしで、己の白い欲望をぶちまける。
彼女はしかし、咳き込みもしない。
口の中に出されるそれを舌で上手く受け止め、顔にかかったときにはうっとりとした表情で、俺の放つ全てを受け止めてくれた。
「あー」
射精が終わると、口の中を開けて俺の放ったものを見せつけてきた。
白と言うより黄色がかるほど身体の中にため込まれていた俺の精液。みっともなく吐き出してしまった、いつもはどこにも行き場の無い俺の子種。
彼女は舌を動かしてそれをかき回すと、口を閉じ、喉を鳴らして飲み干してしまった。
「あ、ちょっと、そこまでしなくても」
「ん? こうしなきゃ意味ないじゃない」
彼女は笑って、ぎゅっと抱きついてくる。
「とぉっても美味しかったわ。あなたの精液」
耳元のささやきに、心臓を捕まれた。まさに、心を持っていかれた。
「さて、本番前にちょっと一休みしておきましょう。始めたら、きっと止まらなくなってしまうでしょうし」
彼女は少し落ち着きを取り戻したようだった。精液を摂取したから、つまりは少しおなかが満たされたからなのかもしれない。
彼女は俺の身体から離れると、すっかりぬるくなっているだろう麦茶のグラスを掴んで中身を空にする。俺の分のグラスを。
「やっぱり暑いわね、こっちの世界」
彼女は裸で、俺は自分だけシャツを着ているのもばからしくなってそれも脱ぎ捨ててしまう。
シャツはもうびしょびしょだった。俺も彼女も汗だくだった。
暑さを忘れてしまうほど夢中になっていた。けれど、これだけ暑いのにのぼせず集中していられたのは、やはり魔物娘達が持つというまぐわいの相手を守護する魔力とやらのおかげなのだろうか。
どこかからさわやかな風が吹き込んでくる。
どこかで嗅いだことがあるような磯の匂いと、知っているものとは違う、土や草いきれの匂い。
顔を上げると、彼女がピンク色の扉を開けていた。
狭く切り抜かれてはいたが、向こう側の世界が見えた。吹き込んでいた風も、きっと異界の匂いなのだろう。
「それ、そんな風に出来るの?」
「当たり前でしょう。だって扉なんだから」
向こうの世界も夜のようだった。紫色のグラデーションの夜空に、桃色の星が輝き、紅すぎてピンク色に見える月が浮いている。
潮騒の音に、銀の砂浜。
……あとどこからか、喘ぎ声が聞こえてくるような。
「誰かがお盛んみたい。今日も平和ね」
「外でしてるの!?」
彼女はこちらを振り返り、微笑む。
「そりゃ、愛しい相手としたくなったら、時間も場所も関係無しにするのが私達だもの」
再び俺の方に近づいてきて、目の前に仁王立ちになる。座っている俺の目の前に裸の女の園が来るのもお構いなしで。
「まさに図鑑世界。って感じだな」
「少しは信じてくれる気になった?」
「……まぁ、少しはね」
「私も、愛しい人とはいつでもどこでもしたいって思ってる。一日に五回と言わず何度だって」
彼女は膝をついて、目線を近づけてくる。けど膝立ちだから、まだ俺が見上げなければならない。じゃないとおっぱいと目が合ってしまう。
「……俺のことなら光栄だけど、でも俺と君は今日出会ったばかりで」
唇を、人差し指で塞がれる。
「あなたはね。でも私の方は、あなたの事をしばらく観察していたのよ。この人ならいいって思える、良さそうな男がいるなって思って。
でも会ってみたら、思ってた以上に素敵な人だったわ。ちょっと疑り深過ぎるけど」
「しばらくって」
「一年間くらいかしら、家の中も外も、ずぅっと見守っていたのよ」
さらっと恐ろしいことを言う。
「……それって上司に怒られているところとか、女子社員に煙たがられているところとかも」
「もちろん」
「食事の内容とかも、インターネットの履歴とかも」
「何をオカズに何回抜いたのかまで、全部見ていたわ。好みの女優は綺麗系、胸は大きめのほうが好みだけど大きすぎてもダメ、シチュエーションは女優が素直に感じているようなものが気に入っている。あとはたまにビデオじゃなくてリアルの」
「分かった分かったからそこまでで」
あ、悪魔だ……。
けれどもなぜだろうか、嫌悪や恐怖のような感情は抱けなかった。むしろ妙に安心してしまっているような、そんな気持ちになる。
全てを知ってなお、俺のもとに来てくれているという事ならば……、と。
彼女は俺の頭を胸に抱き寄せる。甘い匂いのする乳房に包まれる。
「それで思ったの。この人だったら絶対私を裏切らない。私だけを一途に愛してくれる。性欲も人並みくらいで育てがいがありそうだし。
もうちょっと見ていても良かったんだけど、あまりにも辛そうで……。あと童貞の一週間ものの匂いに耐えられなくって」
「その童貞っていうのやめて」
「どうして嫌がるの。いつか現れる愛する人のために自分を大事にすることは、私はいいことだと思うわ。興味本位や世間体のために捨ててしまうよりは、ずっといい」
「チャンスも無かったし」
「でも、おかげであなたの始めてから終わりまで全部私がもらうことが出来る。
……私の始めてから終わりを捧げる相手は、そういう人がいいと思っていたから」
「え?」
彼女の唇が額に押し当てられる。
自分の太ももの上に、彼女の太ももが乗る。
ぺたんと女の子座りで、俺の肩に手を置いて、目と目が合う。
「ねぇ私と契約しましょうよ。好きな時にいつでも図鑑世界行けるし、帰ってこれる。あっちでも冷暖房やWi-Fi完備。それ以外にも、あなたが望む事はなんでも叶えてあげる」
「その対価は魂。つまりは」
「私と毎日五回……いや、三。ううん、この際一回でもいいから、中出しセックスすること」
彼女は余裕の笑みだった。これなら絶対、断られる事は無いだろうと。
でも……。
「まだ確認できていないから。あの先が本当に図鑑世界なのか。君が本当に魔物娘なのか」
「そうね。そうだったわね。まだ、お口で抜いてあげただけですもんね」
僕が挑むように笑い返すと、彼女もまた受けて立つと言わんかのように歯を見せて笑った。
「でも、どうするの? 一回やっただけじゃ分からないわよ。朝になるまで、試してみる?」
「必要なら、そうするまでだよ」
「ふふ、一回でもしたら、きっと止まらなくなっちゃうわ」
彼女の顔が近づいてくる。息が触れ合うところまで。その瞳に、自分の姿だけが映っているのが分かる距離まで。
「あなたじゃなくて、私の方がね」
何かを期待しつつも、歓びにゆるみ切り、欲情にとろけた表情。経験がないにも関わらず、それ以上言葉はいらないという事が分かった。
唇が重ねられる。ゆっくりと押し倒されていく。
覆い被さられ、全身の肌と肌がふれあい、擦れ合う。胸の上で彼女の乳房がつぶれ、お互いの手が、背中を、頬を、髪を、場所を問わずに愛おしげに撫で回し合う。
さっきよりも遠慮無く口の中を、全身を愛撫し合う。
たちまち勃起した。
彼女の下腹に硬くそそり立ったそれを押しつけると、彼女の指が応えるようにそれを掴んだ。
いやらしく濡れた草むらの奥、淫らな肉びらの間に、亀頭があてがわれる。腰を少し動かすだけで、すんなりと入っていく位置へ。
それから彼女は俺自身からは手を離して、俺の両手を自分のおしりへと導いた。
あとは俺が自分の手で、彼女を好きにしろ。という事らしい。
そして彼女は目を閉じた。俺にこの先の全てをゆだね、今はただそこにある口づけと愛撫を楽しみつくそうとするかのように。
実のところ、唇を触れ合わせているだけでもこの上なく心地よかった。我慢汁があふれて滴るくらいに。
そして彼女の秘裂からも蜜があふれていることからも、きっと気持ちは同じなのだと思われた。
だが、そればかりでは満足も出来なかった。
彼女が、欲しい。
その思いは、口づけすればするほど、触れていれば触れているほど強くなっていく。
俺はとうとう、ゆっくりと彼女を引き寄せはじめる。
亀頭が温かな柔肉に包み込まれる。狭い穴をくぐり抜けて、未知の世界へと飲み込まれていく。
彼女の指先に力がこもる。爪が食い込む痛みすら、新しい世界の祝福のようだった。
心地よい温もりと、収まるべきところへと収まったような、安心感を伴う密着感。下の唇もまた、俺を求めるように吸い付き、締め付けてくる。
「んんん……」
彼女が甘ったるく喉を鳴らした。その瞳が、唇が、もっともっととねだっていた。
俺はあくまでも、時間をかけて彼女と一つになっていく。指先に感じるおしりの触り心地や肉感を楽しみながら、彼女の声や匂いに魅せられながら、初めて感じる、魔性の膣の感触を肌に覚えさせておきたくて。ゆっくりと、ずぶずぶと彼女の中に身を沈めていく。
少しずつ進むごとに、彼女の中の肉襞はその感触を変えていく。強く密着するところ、柔らかく包み込んでくれるところ、ぬるぬると汁気がたっぷりなところ。けれどもどんなものもそうであるように、心躍る心地よい冒険にも、やはり終着点があった。
自分自身が全て飲み込まれたところが、彼女の一番奥だった。
まるで運命で決まっていたかのように、ぴったりだった。
冒険を、まだまだ終わらせたくは無かった。まだ知らないことはたくさんある。彼女の身体も、その表面を一撫でしただけに過ぎない。より深く、彼女の事を知りたかった。
俺は腰を押し上げ、一番奥を擦りあげる。
「あぁああぁんっ」
とたんに、彼女はびくっと身体を震わせて上げて仰け反った。
眉を寄せ、頬を紅潮させ、大きく開けた口から喘ぎを漏らしながら。
その身体を無理矢理引き寄せ、強く抱きしめる。
「らめ。意識、とんじゃぅっ」
髪から滴った汗が甘く香った。
もう一度突き上げると、脳が溶けそうになる程の甘い喘ぎが耳元から流れ込んでくる。
俺は少し不安になり、一旦動くのをやめて彼女の呼吸が落ち着くのを待った。
「……大丈夫か」
「だいじょぶ。思っていたより、気持ちよすぎて、軽くイっちゃったけど」
息も絶え絶えになりながら、彼女は微笑む。
俺の手を取り、指を絡めて手を繋ぐと、上半身を起こした。
「あなたのちんぽ、馴染んで、きたから」
淫らな水音が響き始める。彼女がゆっくりと、腰を上下に動かし始めたのだ。
彼女の中が急にすぼまり、別の生き物のように蠢き始める。根元から精液をすすり上げようとするような、まさに搾精するための動きといった感じだった。
腰の動きは、少しずつ激しくなっていく。それに合わせて、身体の奥底で眠っていた白い欲望が粘り気を帯びるほどに煮え立てられていく。
彼女は獲物を追い詰めて楽しんでいるような、性愛の快楽に酔いしれているような、我を忘れて悦に入るようなそんな表情で俺を見下ろしてくる。
しかし同時に、彼女が見ているものは確かに俺だけだった。この手も硬く繋いだまま離そうともしなかった。
俺もまた、彼女から目を離せなかった。
時折眉を寄せ、美しい顔を歪ませながら喘ぎ声を上げ、乳房を揺らしながら夢中で腰を振る女から目を逸らせるわけがなかった。
まるで嵐のようだった。未知の世界を往く冒険。彼女の肉体はまさに、尽きることの無い快楽で荒れ狂う嵐。
渦に飲み込まれるように、俺は彼女から抜け出せない。
官能の荒波に翻弄される時間も、しかし長くは続かなかった。
肉襞が竿を締め上げるたび、かりが撫でられ、亀頭が擦られるたび、俺は瞬く間に追い詰められていった。
濁りきった欲望は、下腹のすぐそこまでせりあがっていた。
快楽でのぼせた頭で、俺は彼女に呼びかける。
彼女の顔が近づいてくる。唇が、舌が、肌が、再びぴったりとくっつき合い、尻尾が俺の足に絡みついてきて、そして。
彼女の最奥で、理性は力尽き果て、欲望が決壊した。
自分でも、尿道をおびただしい量の精液が駆け上がっていくのが分かった。彼女の中に勢いよく吐き出されていくのが、その音が聞こえてくるようだった。
腰ががくがく震えて止まらなかった。
彼女の身体もまた、同じように震えていた。震えながら、互いの身体にしがみつき続けた。
脈動が収まりかけても、彼女の蠕動は止まらなかった。最後に残った一滴まで搾り上げようとするように、蠢き続けていた。
「んん、んんん」
搾り取られている。明らかにそれが分かった。
精液だけではない。それ以外の、何かも一緒に。
だがそれだけではなかった。
彼女と交わっている下腹部から、触れ合っている肌と肌から、絡み合う唇と舌から、何かが染み込んできてもいるようにも感じられた。
よくわからない。温かくて、優しくて、心地よくて……。そして体に活力と、精力を与えてくれるような、そんな何かが。
脈動が完全に収まると、彼女はようやく俺を解放してくれた。
唇が糸を引き、卑猥な音を立てて俺自身が抜けていく。
同時に、今までの流れ込んでくるような感覚が消えて、俺は物寂しい気持ちになった。
終わってしまった。冒険にも似た、初めての異世界の体験が。
「んはぁっ。こんなの、初めて……」
彼女が隣に寝転んでくる。興奮冷めやらぬといった様子で頬を紅潮させながら、俺の顔に何度も口づけしてくる。
「あなた、やっぱり最高だわ。最高のパートナーになれると思う」
そんな風に言ってもらえるのは控えめに言っても嬉しかったが、しかしこれだけ激しく交わった後によくもまぁこんなに元気でいられると感心もしてしまう。
流石は淫魔といったところだろうか。
自分などは息も乱れて、こうして魅惑的な乳房を掴むべく指先を動かすのもやっとといった状態、なの、に?
「ゃん。そんなにおっぱい触りたかったの。ごめんなさい。ずっと手をつなぎっぱなしだったよね」
せっかくなら両手で堪能したいと思ったとたん、身体が反応してしまっていた。
身体の調子がおかしかった。乳房をわしづかみにしたいと考えただけで、彼女に馬乗りになるように押し倒してしまっていた。
あれだけ激しく腰を振られていたのに、身体のどこにも痛みはなく、倦怠感や疲労感さえ無い。逆に気味が悪いくらいに調子が良かった。
ただ一点、股間から反り返ったそれだけが、まだやり足りないとでもいうかのように、ムズムズするような欲求不満を訴えていたが。
さっきのあれは、確かに身体の底から全てを吐き出すような射精だった。
命そのものが吸われているかのように、激しく大量に搾り取られたはずだった。
なのにこの身体にみなぎる活力は何なのだろうか。
「ねぇ、そろそろ私が魔物娘だって信じてくれた?」
胸を揉みしだかれながら、彼女は困ったような表情で問いかけてくる。
俺は笑って、思っているのと正反対のことを口にする。
「まだ何とも言えないな。一回やったくらいじゃあ……」
「じゃあ、信じてくれるまで試させてあげるわ。ほら」
彼女はするりと俺の下から抜け出すと、四つん這いになっておしりを俺のほうへとむけてくる。
お尻の穴がひくひくと動いていた。
その下で、俺が今出てきたばかりのクレバスが、激しく動いて混ざり合い、泡立った二人の愛液で濡れた花が、屹立する俺を待ちわびている。
尻尾が腕に巻き付いてきて、引き寄せられる。
「今度は後ろからしましょう? 激しくされてみたいところだけれど、あなたの好きなようにしてくれて構わないわ」
俺は肉付きのいいおしりを掴んで、彼女の身体を嘗め回すように眺める。
期待に震える翼、早くしてとせがむように締め付けてくる尻尾、美しく反り返る背中、そして挑発的な笑みを浮かべる、角を戴いた美しい女の顔。
早くも新しい冒険の始まりだった。今度はどこまで行けるだろうか。今度は何が見えるだろうか。まだ見ぬ彼女の宝物を見つけることが出来るだろうか。
興奮を抑えきれず、俺は無理矢理彼女の中に俺自身をねじり込む。
「あンっ」
抵抗感は一瞬。彼女の内側は即座に俺を受け入れ、そしてもう逃すまいと締め付けてくる。
俺は外から覆いかぶさるように抱きしめる。
片手で乳房を揉みしだき、もう片方の手で顔を引き寄せて口づけを交わす。
目を開けば女悪魔が淫らに身体をくねらせて、聞こえるものは獣のような息遣いと粘着く水音ばかり。気づけば部屋には背徳的な性の匂いが満ちて、暗闇の中互いの肌に触れ合い確かめ合いながら、舌を這わせて互いの愛を味わいあう。
悪魔との魔性の夜は更けていく。いつまでも終わることなく、深まり続ける闇の中に俺たちは身を預け続けた。
窓から差し込む日の光のまぶしさで目が覚めた。
朝だった。
この上なく幸せな夢を見ていた。とても美人の、自分にぞっこんで一途な魔物娘と一晩中愛し合い続けるという夢だ。
やってもやっても精力は衰えず、しかし最後にあまりに気持ちよくて意識を失ってしまった。
結局そのあたりが夢の限界だということだろう。
股間を触るが、濡れてはいなかった。夢精していなかったことに安堵しつつ、俺はため息を吐いた。
どうせ夢なら、ちゃんと契約してあげればよかったな。
「はい、はい、ええそうです。家の者です」
誰かの声がしていた。夢の中で聞こえていた声だ。
「えぇ、病気なんです。長期に渡る療養休暇が必要で……。診断書が必要、承知しました。直ちに用意して、今日中に届けるようにいたします」
目を開けて視線を巡らせると、青い肌の肉感的な太ももとおしりが見えた。
虫に刺されたような跡があった。昨日の夢で調子に乗ってセックス中にキスマークを残したのは、たぶんあのあたりだったはずだ。
ということは……。
まだ目が覚めていないらしい。俺は目をつむり直すが、しかし声は一向に消える気配はなかった。
「……無理です。出勤は出来ません。……どうしても勤務しろですって? ですから無理なんです。そんな職場なら辞めさせてでも休ませますので」
嫌な予感がして目を開ける。
悪魔が手にしていたものは俺のスマートフォンだった。
「おいちょっと」
「失礼します」
立ち上がって彼女の手から電話を奪うが、既に回線は切れていた。
電話の相手は、最悪なことに直属の上司だった。
再び電話が鳴る。
相手は上司だった。折り返してきたのだ。
しかし通話ボタンを押す前に、電話を取り上げられて空中に放られてしまう。
放られたスマホは溶けるように消えてしまった。魔法のように。
「何をするんだよ。仕事が」
「仕事は休みよ。仲間が書類を作って届けてくれるって」
俺はどうなるんだろうか。夢なら覚めて欲しいとさえ思えてくる。
「あなたはもっと自分のために、もっと気持ちいいことのために生きていくべきよ。やっぱりこの世界なんかにいてはダメ。一緒に図鑑世界に行って、幸せになりましょう」
その胸元に抱き寄せられる。
昨日と同じ肌の匂いに、俺の気持ちは少しずつ落ち着いていく。
昨晩何が起きたのか、今何が起きているのか、これから何が起きようとしているのか、少しずつ冷静に考えられるようになっていく。
「私が、ずっとそばにいてあげるわ」
怒られて苦痛に苛まれるだけならば、仕事に行く意味なんて無い。自分のやっていることになど、いくらでも代わりはいる。
だけどこの安らぎは、誰にも代わりたくない。俺だけが独り占めしていたい。彼女と居られる、この時間は。
もしも、どちらが夢で、どちらが現実なのだということを選べるのだとしたら? どちらを選ぶかなど、決まっている。
「夜にあったことは、全部現実なんだな」
「私の身体を確かめてみる? あなたが付けた"跡"がいっぱい残ってるわ」
「俺、結局吸い殺されなかったんだな」
しかも、これ以上ないほど健康体だ。ただちょっと身体の一部が欲求不満を訴えてはいるけれど。
「当たり前でしょう。契約の相手は大切にしないとね」
ということは、彼女は本物の図鑑世界のデーモンだったという事になる。
扉の向こうも、これまで夢にまで見ていた図鑑世界だという事だ。
「で、信じてくれたかしら」
「あぁ。契約、させてくれ」
彼女はすぐに返事をしなかった。訝しく思い顔をのぞくと、少し意地悪そうに笑った。
「さんざん人のことを疑って、しかも契約前にも関わらず全身に跡が残るくらい傷物にしてくれたんですもの、前の条件のままじゃあ釣り合わないわよね」
「分かった。君が望むなら、いつも傍を離れず、毎日死ぬまで、五回と言わず君がしたいだけ何回でもセックスする。それ以外にも条件があるなら何でも言ってくれ。
君と一緒に居たいんだ。図鑑世界でも、何ならこの世界でもいい」
彼女はにっこりとほほ笑み、唇を重ねてきた。
「あなたの魂、確かにもらったわ。代わりに、私はあなたに最高の快楽と永遠の幸せを約束します」
俺は手を引かれるまま、彼女とともに異世界への扉へと歩いて行った。
途中で少しだけ、ほんの少しだけ職場の状況が気にはかかったものの……。いつもの上司の不快な顔を思い出したとたん、もう帰りたくないと思い、俺は気がつけばくぐったあとに扉を閉めてしまっていた。
………………
…………
……
窓の外には、太陽に煌めく青い海と白い砂浜が見える。
柔らかく流れてくるそよ風は涼しかったが、日向はやはり暑そうで、長く外にいたらこんがりと焼けてしまいそうだ。
いくら図鑑世界といえど、やはり夏は同じように暑かった。
だが、元居た世界ほど殺人的では無く、適度に高揚感と開放感をあおる程度の心地よい暑さだった。
現に海辺の方では裸同然で遊びまわっていたり、木陰で横になり身を寄せ合っている魔物娘や人間達が見える。
何をしていても、うるさいことをいうものは少ない。そもそも魔物娘達は自分のつがいか、つがいを探すことに夢中で他人に干渉するということが少ないようだった。
元の世界と比べればなんて静かで、穏やかで、平和な事だろう。
俺は表情が緩むのを自覚しながら、机の上に広げた手紙に向き直った。
まだ書き途中の、実家への手紙だ。
仕事は辞めて、海外で別の仕事を始めたというような事を書いてある。あとは現地の女性と仲良くなり、もしかしたら結婚するかもしれない、というようなことも。
あとはどう締めるかというところで、筆が止まっているのだった。
結局俺は仕事には戻らず、しばらく図鑑世界で生活することにした。
ここでは毎日あくせく働く必要は無い。仮に多少の失敗はあっても、過剰に叱責をするような者もいない。
妻とゆったり愛を育んだり、いろいろなものを見て回ったりして日々を過ごすことができる。
もちろんたまには畑仕事をしたり、元の世界の制度や技術を伝えるべく調査協力することはある。
けれども基本的には、パートナーである彼女と夫婦の営みをしているだけで、それで生じる"魔力"とやらだけで、生活を賄えるだけのエネルギーを生み出すことが出来た。
と言ってもまぁ、その力も思ったほどには万能ではなく、一日一度愛し合った程度では全然足りないものではあったのだが。
この世界の法則ではむしろ、どれだけ夫婦で深く愛し合えるかが貧富の差を分けていた。
濃厚に愛を交わせば交わすほどその夫婦は魔力も増え、力も強まり、絆も深まる。そして生み出された魔力をうまく取り扱えば、より大きな財産を得て贅沢も出来るようになる。金ではなく、愛がものをいう世界なのだった。
しかし自分たちも別に食うに困ったことは無く、それなりにお金も稼げており、稼いだお金も現実世界のお金と換金出来たので特に問題らしい問題はなかった。
目下の悩みは、彼女の事を家族にどう伝えるべきか、それくらいのものだ。
けれどそれもそのうち解決しそうではあった。ここ最近では現実世界にも少しずつ魔物娘が暗躍しているらしいので、彼女たちのことも少しずつ認知されてきているという話だった。
ペンを弄んでいると、ふっと甘い匂いがした。
「こんなところに居たぁ。大事な連れ合いを一人ぼっちにして、退屈でとってもさみしい思いをさせてまで、あなたは何をしているのよぉ」
後ろから、肩に二つの柔らかく重量感のある感触が押し付けられる。優しく手を取られてペンを取り上げられた。
愛し気に頬を撫でられて、後ろを向かされる。
「寂しがり屋だなぁ。さっきエッチしてから三十分も経ってないよ。それにやった後そのままお昼寝しちゃったのは君の方じゃないか」
「それはそうだけど、でも契約の時にはそばを離れずに何回でもしてくれるって言ったもん。……あなたは私としたくないの?」
ちょっとへそを曲げたような言い方が可愛い。
最近気が付いたのだが、うちの嫁は他のデーモンに比べてちょっと子どもっぽいところがあるようだった。最初は分からなかったし、ほかのデーモンにも合わなければ気付かなかったかもしれないが。
けどまぁ、そこがたまらないのだけれど。
俺は振り向きざまに彼女と唇を重ねる。当然のように舌先を触れさせ合い、重ねられた手の指を絡ませる。
「したくないわけ無い。愛する人としたくなったときにするのが、この世界のルールみたいなもんだもんな」
窓の向こうから嬌声が聞こえ始めていた。離れているのに、何に興じているのかはわかる程度には。
「郷に入りては郷に従え、だな。じゃあ、ベッドに」
「ここでしたい」
「……誰に見られるか分からないよ」
彼女の手がズボンの中に滑り込んできたので、俺はそれに応えるべく、彼女の素肌を手でまさぐっていく。
まぁ、声を抑えてくれれば大丈夫だろう。それに、逆にここでは誰かのまぐわいの最中に遭遇することもざらだ。
準備万端で足を広げる彼女の後ろに回り込み、位置を合わせる。
「ねぇ、来られてよかった?」
「ん。待って、今挿れ……」
「そうじゃなくて、図鑑世界に来られてよかった?」
俺は彼女の入り口にあてがったそれを、一気に奥まで突き上げながら笑った。
歓喜の吐息を漏らす彼女の、その耳元でささやく。
「もちろん。良かったよ。もう最高」
緩み切った顔で、俺達は笑いあう。
こうして図鑑世界では、今日も一日が淫らに穏やかに過ぎていくのだった……。
18/08/19 18:29更新 / 玉虫色