後編
「ふわぁ〜はっはっはっ! 貧弱、貧弱ぅぅ!!」
不思議の国の存亡を賭けた戦い。
その最中で武人は周囲を囲むアンドロイドを罵りながら彼等を圧倒し、既に彼の周囲には人型のオブジェと化したアンドロイドがざっと見ただけで十数体程は転がっている。
雄叫びで己を鼓舞しながらアンドロイド達は武人に殺到するが、機械化された視覚ですら捉えきれない武人の神速のフットワークに翻弄される。
不規則なステップで武人はアンドロイド達の間を駆け抜け、隙を見ては指輪を嵌めた拳でアンドロイドの鋼鉄の身体を薄紙宜しく打ち砕く。
武人の戦闘スタイルは魔術を併用した我流の拳闘術……武人は重力を操る魔術師であり、その神速のフットワークと鋼鉄を砕く凶悪な拳は弛まぬ自己研鑽と重力制御の成果だ。
周囲の重力を軽減する事で為し得る神速のフットワーク、打撃の瞬間に重力を乗せた拳は技が無くても充分な程だが、武人はソレに胡坐を掻く事無く常に自己研鑽を重ねている。
結果、元の世界での話になるが、魔術無しでも武人にはボクシングの世界チャンピオンに輝く事が出来る程の実力を持つ。
性能頼みで力任せに攻めるアンドロイド達は武人から見れば自己研鑽を面倒臭がる怠け者、そんな怠け者に彼は負けるつもりは無い。
「ふんっ!!」
気合の一声と共に繰り出される右ストレート……重力を乗せた剛拳は目にも映らぬ速度で顔面に迫り、顔面を拳の形にへこませてアンドロイドは機能を停止する。
右ストレートの直後、立ち止まった隙を狙って別のアンドロイドが剣を振り下ろすが、
「なっ!?」
庇うように突き出された左腕に剣が当たる瞬間、黒っぽい紫色の十字架が盾の如く現れ、硬質ゴムを叩いたような感覚と共に剣が弾かれた事にアンドロイドは驚愕の声を漏らす。
剣を弾かれ、振り下ろした衝撃をそのまま返されて仰け反るアンドロイドに鋼鉄をも砕く武人の拳が迫る。
繰り出された右フックは頬に拳の跡を残しながらアンドロイドの首をグルリと一回転させ、崩れ落ちるアンドロイドに一瞥もくれずに武人は次のアンドロイドに剛拳を振るう。
「むっ……!」
左の盾で攻撃を捌き、右の剛拳で一体ずつ着実にアンドロイドを破壊していると、視界の端に何かを此方に向けて構えるアンドロイドを捉える。
何かを構えるアンドロイドに不吉な予感を感じて其方に視線を向けた武人は、構えられた何かの正体を知る。
アンドロイドが構えているのは大型のクロスボウ、常人では弦を引く事自体が無理そうな代物だ。
機械仕掛けのアンドロイドだからこそ扱えるクロスボウ、放たれる矢は不意に撃たれれば流石に防げそうにない。
先ずはクロスボウを構えるアンドロイドを始末した方が良い、そう判断した武人は此方に狙いを定めている途中であろうアンドロイド目掛けて踏み込む。
「ダークネスフィンガーとはこういうモノだ!」
五指を開き、黒い塊に覆われた右腕を弓引くように引いて猛然と迫る武人に、クロスボウを構えるアンドロイドは慌てるが既に遅い。
「ダァァ―――クネス、フィンガァァ――――!!」
叫びながら武人は黒い塊に覆われた右手を胴体に叩き付け、五本の指が深々と食い込む。
コレだけでも機能を停止させるには充分だが、
「このメリケンサック凄いよ! 流石はアステラのお姉さんんんっ!!」
まるで天に捧げるように武人はアンドロイドを持ち上げ、指が食い込んだ部分を握り潰す。
その瞬間、持ち上げられたアンドロイドが武人の手が突き刺さった部分に『吸い込まれ』、一片の欠片も残す事無く消滅する。
まるでアピールするような一連の動きは傍から見れば致命的な隙なのだが、目前で起きた怪奇現象に残るアンドロイド達は呆然と立ち竦んでいる。
何が起きた? アレは何だ? アレは一体何だ!? と、アンドロイド達の胸中は疑問と驚愕で埋め尽くされているに違いない。
まぁ、呆然と立ち竦むのも無理は無い……武人の右手を覆っていた黒い塊は超重力の塊、『小型のブラックホール』である。
武人が重力を操る魔術師であるのは先述したが、その最奥がブラックホール生成。
重力を一点に集中させる事で武人は小型のブラックホールを作る事が出来るのだが、このブラックホール生成には大量の魔力と集中力を使う。
今の武人では小指の爪サイズの―無論、ソレだけで充分過ぎるのだが―ブラックホールが限度で、右手を覆う程のブラックホールを作るのは無理がある。
ソレを補ったのが武人の指輪で、ファタジナはメリケンサック代わりに使っていた指輪に持ち主の使う魔術を補助・増幅する魔術を付与した。
その結果、武人はより大きな―まぁ、右手に覆わせる程度が限界だが―ブラックホールを作る事が出来るようになったのだ。
因みに、ブラックホール生成時は吸引力を中和する重力で身を守っている為、その制御を誤らない限りは武人自身が吸い込まれる事は無い。
「どうしたぁ、怖気づいたのかぁ? 来ないのなら、此方から行くぞぉ!」
ブラックホールという未知の存在に怯えるアンドロイド達に、武人は闘争本能剥き出しの狂相を浮かべて迫る。
重力制御を用いた神速のステップは瞬く間に立ち竦む一体のアンドロイドとの距離を詰め、がらんどうに開いた胴体に拳が打ち込まれる。
地面と平行に吹き飛んだアンドロイドは背後の木にぶつかり、ズルズルと滑り落ちる。
ソレを見て漸く正気を取り戻したらしく、残るアンドロイド達は機械仕掛けの脳に巣食う恐怖を払拭するように雄叫びを上げて武人に迫る。
「『暗殺者から足を洗った』汝が戦場に向かうとは、のぉ……」
多勢のアンドロイドを相手に武人が単身戦っている頃、謁見の間ではファタジナと戦支度を整えたザッハが居た。
今のザッハは紫色と黒の執事スタイルから白一色の、露出度の高い道化師を思わせる服を纏い、太腿には何本もの魔界銀製のナイフを収めた革ベルトが巻かれている。
「夜闇に潜むが暗殺者なのに、自ら日の下で戦おうなぞ酔狂としか言えんわ」
「にゃふふ、『元』が付くけどねぇ。今はそんな酔狂をしたい気分なのさ」
呆れたような溜息を吐くファタジナに、ザッハは普段のニヤニヤとした笑みを浮かべつつ柔軟体操をしており、その笑みにファタジナは彼女との出会いを思い出す。
ザッハとファタジナの出会いは今から四年前に遡る。
姉妹の長女であるイヴリナ・フォン・ラブハルトの暗殺未遂という知らせに、ファタジナは使用人達に城の留守を任せて慌ててアーカムに向かった。
城の謁見の間に着いたファタジナが見たのは険しい表情を浮かべる家族と、縄に縛られて魔法陣の中に座らされた露出度の高い白い道化服を纏う女道化師。
この魔法陣に拘束されている女道化師が、魔物化以前のザッハである。
ザッハはサーカス団を隠れ蓑に裏で依頼内容に見合った報酬を払えば依頼主を問わない、思想的には中立の暗殺者集団に属する暗殺者だ。
尤も、魔物と親魔物派勢力は物理的暗殺を嫌う為、ザッハの属するサーカス団は実質的に反魔物派勢力御用達なのだが。
このサーカス団の中でもザッハは空間転移を駆使してあらゆる警備網を潜り抜け、確実に暗殺を成功させる事から『是非彼女に』と頼む者が多い実力者。
その実力と顔全体に白粉を塗って暗殺に臨む事からザッハは『白顔(ホワイトフェイス)』と親魔物派領では呼ばれ、要注意人物としてマークされている。
教団からイヴリナの暗殺を依頼されたザッハは空間転移でイヴリナを強襲、犯行に及ぶが、幾等実力があろうと当時のザッハはまだ人間。
得意の転移を駆使して善戦するものの取り押さえられ、こうして転移を阻害する魔法陣の中に拘束されているのである。
―母上、父上。彼奴は妾に任せてもらえぬか?
記憶にある限り、代替わりしてから初めてであろう侵入者、而もリリムを相手に善戦したザッハをどうすべきか。
緊急家族会議の最中、ファタジナの発言に一家は目を丸くするが、彼女の気紛れな発言は毎度の事であり、また気紛れを起こしたかと直ぐに呆れた表情を浮かべる。
その後、ファタジナはザッハを連れて不思議の国へと戻り、不思議の国の魔力でザッハはチェシャ猫へと魔物化を果たしたのだ。
―ファタジナ、だっけ? アンタ、何で僕を殺さなかったのさ?
不思議の国に連れてこられた後、ザッハは何故自分を生かすのかをファタジナに問うた。
未遂に終わったが自分はイヴリナ暗殺を目論んだ暗殺者であり、教団からの依頼で多くの魔物を殺してきた。
故に禁錮刑か死刑をザッハは覚悟していたが、城の一室を与えられた上に監視付きながら自由行動を許されるという、罪人に対する好待遇に疑問を感じたからだ。
―何故汝を罰せぬのか、か? ふふん、汝は生かしておいた方が面白そうじゃからじゃ
暗殺者を傍に置いておけば、何時寝首を掻きに来るのかとスリルを味わえる。
ファタジナの答え―魔物化した以上、既に暗殺が出来ない事を知っての上だが―にザッハは空いた口が塞がらなかった。
―ソレに汝にとっては生きる事が最大の罰になりそうじゃしの
―……ははっ、そりゃ言えてるねぇ
暗殺に失敗した時点で暗殺者は終わりだ……警備の者に殺されるか、身内に殺されるか、どちらにしても死ぬのが暗殺者の運命。
なのに暗殺対象の関係者の情けで生かされる、暗殺者にとってコレ程屈辱的な扱いは無い。
次いで紡がれた言葉にザッハは苦笑を浮かべて彼女には敵わないなと思い、このやり取りを機にファタジナとザッハは対等な友人として親交を深め、現在に至る訳だ。
因みに、嘗てザッハが属していたサーカス団はアステラ率いる部隊の襲撃を受け、今では健全な普通のサーカス団として親魔物派領で興行している。
「して、足を洗ってから既に四年も経っておる。腕の方は大丈夫なのか?」
「う〜ん、全然駄目駄目な感じぃ? ま、向こうには武人も居るし、何とかなるっしょ」
腕は鈍っていないのか、と尋ねるとザッハはニヤニヤとした笑みを浮かべながら駄目だと答え、これから戦場に向かうのに楽観的過ぎる答えにファタジナは顔を顰める。
「んじゃ、行ってくるねぇ」
身体を解し終え、用意が整ったザッハは顔を顰めるファタジナを尻目に転移する。
漸く手に入れた愛しの君を助けるべく、嘗て暗殺者だったザッハは戦場へ跳んだ。
「絶好調であぁぁ―――――――る!!」
繰り出される神速の右ストレート、重力制御が為された剛拳は機械仕掛けの心臓の真上に直撃し、胸に拳の跡をつけたアンドロイドが宙を舞う。
「あぁ、もうっ!! 人間一人を相手にどうして手こずっているんですか!? 早く彼をブッ殺しなさい!」
自信過剰はネフレン=カの方だ……その言葉通り、自ら手掛けた自慢のアンドロイド達が次々と機能を停止していく様にネフレン=カは苛立ちを露に叫ぶ。
なにせ、既に半分近くのアンドロイドが人型のオブジェと変わり果てているのに、武人は怪我らしい怪我を負っていない。
まさに鎧袖一触、特製のアンドロイドがこうも簡単に破壊されては圧倒的に数が足りず、武人が『たかが一〇〇体程度』と自信満々に言うのも頷ける。
「くぅ……」
唸る剛拳、吹き飛ぶアンドロイド。
顎を砕かれ、胸を貫かれ、顔をへこませ、自慢のアンドロイド達が次々と人型のオブジェと成り果てていく様にネフレン=カは呻く。
降下ポイントのズレ、武人の存在……二つのイレギュラーで一方的な虐殺に終わるだけの簡単な作戦が、こうも容易く破綻するとは想定外だった。
描いた通りに進まぬ現実に苛立つネフレン=カだが、
「きゅぴ――――ん☆」
場違いな程に呑気で明るい声と共に起きた現実にネフレン=カの苛立ちは急加速する。
「ナイフの大雨注意報発れ〜い☆」
「ぬおぉっ!?」
聞き慣れた声と共に真上から降り注ぐ無数のナイフに、武人は慌ててナイフの集中豪雨の範囲から逃れる。
その殆どは地面に突き刺さるが如何せん数だけは多い、不意打ちじみたナイフの集中豪雨はアンドロイド達の身体に次々と突き刺さっていく。
「ありゃりゃ、全然堪えてない感じぃ?」
ナイフの集中豪雨が止んだ直後、両者の間に真上から降りてきた人影は何本ものナイフが突き刺さったアンドロイド達を見て苦笑を浮かべる。
人間なら兎も角、鋼鉄の身体を持つアンドロイド相手ではナイフだと役不足、針鼠宜しくナイフが突き刺さっても致命傷にはなり得ない。
「……ザッハよ、何故お前が此処にいる。あと、その格好は何だ?」
「にゃふふ、何でって武人を助けに来たに決まってんじゃん。ソレと、この格好は僕の昔の仕事着だよ〜ん」
アンドロイドと自分の間に降り立ったザッハに武人はその目的を問うと、ザッハは普段と変わらぬニヤニヤ笑いを浮かべながら答える。
今着ている服は昔の仕事着だと言うが……極限まで布面積を減らした道化服、機能性云々を捨てて魅せる事を重んじた服は魔物らしいと言えば魔物らしい。
だが、少しでも激しく動けばたわわに実った乳房の先の桃色の蕾がポロリしそうな際どい服は、健全な青少年の武人には目の毒である。
「まぁ、いい……援軍に来たのなら手伝ってもらうぞ!」
「ほいきた!」
昔、ザッハは何をしていたのか―少なくとも真っ当な仕事ではない―気になるが、ソレは終わった後にでも聞けばいい。
そう判断した武人は構え直し、ザッハは革ベルトからナイフを取り出して指の間に挟む。
「超重力、ボォォォ――――ル!!」
武人が右手を前に突き出すと、アンドロイド達の真上にサッカーボール程の大きさの黒い球体が現れる。
「うわぁっ!?」
「ぐえぇっ!?」
この黒い球体はブラックホール程ではないが強力な重力を発する重力塊であり、重力塊を中心に残っていたアンドロイド達は吸い寄せられて団子状に集まっていく。
中心に近いアンドロイドは味方に挟まれて圧潰し、外側のアンドロイド達も重力塊の放つ重力で身動きが取れない。
「それじゃ、いっくよ〜ん!」
身動きとれぬアンドロイド達……ザッハは重力塊の重力圏ギリギリの位置に転移すると、団子状に集まったアンドロイド達に指に挟んだナイフを投げつける。
「そ〜れ、それそれぇ!」
ザッハは先程とは別の重力圏ギリギリの位置に転移してはナイフを投げ、更に別の位置へ転移してナイフを投げ、と転移と投擲を繰り返す。
何度も投擲出来るだけのナイフを露出度の高い服の何処に仕舞っているのかが気になるが、超重力に引かれて速度を増したナイフは鋼鉄の身体を貫くには充分。
ソレが何本も飛んでくるのだ、団子の外側にいるアンドロイド達には堪ったものではない。
何本も飛んでくるナイフに鋼鉄製の身体を貫かれ、外側にいるアンドロイド達は断末魔を上げるしか出来ない。
「そ、そんな……」
断末魔上げるアンドロイド団子にネフレン=カの顔が一気に青褪める。
今回の作戦の為に作った特製のアンドロイド九九体、ソレが瞬く間に全機撃墜された上にたった二人に撃墜されたのだ。
予想だにしなかった完敗にネフレン=カは泣きたくなった。
×××
「さぁ、残るは貴様等だけだ!」
「にゃふふ、観念したらぁ?」
「く、うぅ……」
アンドロイドの全機機能停止を確認した武人が重力塊を消すと、無数のナイフに貫かれた外側と味方に挟まれて圧潰した内側が一斉に地面に落ちる。
累々と転がる人型のオブジェを尻目に武人はネフレン=カとその背後に控える男を指差し、ザッハはナイフでジャグリングして余裕を見せつける。
怪我らしい怪我を負っていない武人と余裕綽々といった態度のザッハに、ネフレン=カは青褪めた顔を真っ赤にして身体を怒りで震わせる。
「退きな、教官……今回はアンタの負けだ、此処は素直に撤退した方が良い」
すると、ネフレン=カの背後に控えていた男が後退る彼女と庇うように前に出るが、前に出てきた男に武人とザッハは疑問の表情を浮かべる。
言葉で表現するなら時代錯誤……潰れた学生帽、踝辺りまである長い裾をボロボロにした学ラン、天狗が履いてそうな一枚歯の下駄。
ネフレン=カか男か、どちらの趣味かは分からないが古き良き昭和の番長スタイルは中世ヨーロッパのこの世界ではある意味時代錯誤と言える格好だ。
まぁ、SFの産物たる巨大ロボットとアンドロイドがいる以上、番長スタイルもあり……か?
「ジョゼフ、貴方は何を言っていますの!? 私は」
「まだ負けてない、って言える状況じゃねぇだろ……御自慢のアンドロイドは全滅、『紫の拳鬼』と『白顔』が相手じゃ流石に俺でもキツい」
「う、ぐぅ……」
撤退を進言する番長に反論しようとするネフレン=カだが、現状を分析する程度の冷静さは残っていたらしく、言いきる前に言われた正論に呻くしかない。
「取り敢えず、俺が二人を抑えてる間にさっさと逃げな」
「……分かりました、此処は貴方に任せます。ですが、敗北も逃走も認めませんからね!」
「なっ……貴様ぁ!」
ネフレン=カが番長―ジョゼフ、と呼んでいたか―の言い分を認めるのと同時に、彼女の足元に魔法陣が描かれる。
描かれた魔法陣が転移と気付いた武人が一歩前に出ようとするが時既に遅し、転移魔法陣の光に包まれたネフレン=カは光の粒子となって消える。
「勝って戻ってこい、ときたか……やれやれだぜ」
人型のオブジェが累々と転がるこの場に残されるは三人。
武人はネフレン=カを逃した事に歯噛みし、番長は彼女の捨て台詞に呆れた溜息を吐き、ザッハはジャグリングしながらも視線を番長の方に向けている。
「さて、戦う前に確認したい事がある……其処のナイフで遊んでるアンタはあの『白顔』、ザッハ・トルティアで合ってるのか?」
「ん? そうだよぉん。僕は『白顔』のザッハ・トルティア、ウィルフレドサーカス団の元殺し屋さぁ」
番長の問いにザッハはナイフで遊びながら答え、彼女が元暗殺者だった事に武人は驚きで目を見開く。
「そういうアンタは何者かにゃ?」
「あぁ、俺の名前はジョゼフ・K・ジョーンズ、ネフレン=カに鍛えられた勇者の一人だ。教団にいれば、一度は名前を聞けるくらいにアンタは有名だったからな」
「にゃふぅ、僕ってそんなに有名だったんだねぇ」
驚く武人を尻目にザッハと番長……もといジョゼフは自己紹介を交わし、次いで紡がれた台詞にザッハは目を細めながらニヤニヤと笑う。
どうやらザッハは自身に対する評価に無頓着だったらしい、自分が教団内で有名だった事を今更知ったようだ。
「全く、『紫の拳鬼』と『白顔』が居るとは思ってもみなかったぜ」
教団内でも知られた実力者二人を前にジョゼフは溜息を吐きつつ構え、構えるジョゼフに二人は警戒を露にする。
「大人げないが、此処は『コイツ』を使わせてもらう」
いや、武人とザッハが警戒しているのはジョゼフから湧き上がる膨大な魔力。
湧水の如く溢れる魔力に武人は背筋を凍らせる……これだけ膨大な魔力を必要とするのは、武人達異世界組の切り札である窮極必滅奥義以外では『アレ』しかない。
「来い、スターホワイト!」
―ドォンッ!!
ジョゼフが右腕を天に掲げ、何かを招く声と共に指を鳴らした瞬間、後方斜め上の空間が突如爆発し、その衝撃波に武人とザッハは吹き飛ばされそうになるのを堪える。
濛々と舞い上がる砂煙、その向こう側にぼんやりと見える巨大な影を武人は忌々しそうに睨み付ける。
「お、おのれぇ……マキナを呼びおったなぁ!!」
砂煙の向こうから現れた巨影に武人は叫び、その巨影にザッハは息を呑む。
《コイツが俺のマキナ、スターホワイトだ》
ジョゼフの声で喋るマキナの姿を言葉で表現するなら鋼鉄の拳闘士。
装飾や甲冑を省いた力強さを感じさせるシンプルな意匠、一見した限り武装らしい武装は見当たらず、恐らく無手の近接格闘を主体としたマキナと思われる。
然し、武装は見当たらずとも存在そのものが凶器……目算で一五メートル程の巨体の拳は、蟻を踏み潰すが如く容易く武人達を押し潰せるだろう。
《コイツは生身の人間と魔物相手に使う代物じゃねぇが、アンタ達は別だ》
そう言いながらジョゼフはゆっくりと拳を振り上げるが、振り上げられる拳を前に武人の心は何故か穏やかだった。
《……アンタ達に恨みは無ぇが、此処で死んでもらうぜ》
人間は勿論、魔物ですら対抗出来ない理不尽、ソレがマキナだ。
然し、その理不尽に抗う力が沸々と武人の内から湧き上がってくる。
《あばよ》
別れの言葉と共に振り下ろされる鋼鉄の剛拳、高速で迫る拳を前に武人は笑う。
何故なら、
《っ!? 何だ!?》
その拳が届かない事を悟っていたからだ。
鋼鉄の拳が二人に叩き付けられる瞬間、何かにぶつかったかのように拳が止まる。
いや、正確には武人から湧き上がる膨大な魔力に危機感を覚えたジョゼフが、振り下ろす拳をぶつかる寸前で止めたのだ。
何か不味い、本能でそう感じ取ったジョゼフは慌てて距離を取る。
「……武人?」
湧き上がる膨大な魔力は武人の隣に立つザッハも感じ取っており、その膨大な魔力に彼女は恐る恐るといった感じで彼に話し掛ける。
そして―――
天に畜生
地に外道
踏まえし道は修羅の道
化け猫来たりて悪を食む
「参れ、夜叉猫(ヤシャネコ)ぉ!」
『知らない筈なのに知っている』、理不尽に抗う力を招く叫びと共に武人が胸の前で両拳をぶつけ合わせた瞬間、彼の頭上に真っ黒な球体が現れる。
現れた黒い球体は周囲の木々や機能を停止したアンドロイドを吸い込みながら膨れ上がり、徐々に膨れていく球体は武人とザッハを飲み込む。
二人を飲み込んだ球体は急速に萎んだかと思うと爆発し、周囲へ撒き散らされる衝撃波をジョゼフは腕を交差させて防ぐ。
衝撃波が過ぎ去った後、交差させていた腕を下ろしたジョゼフの前に立つのは、彼の駆るマキナ・スターホワイトとほぼ同じ大きさの鋼鉄のチェシャ猫。
目尻から縦に入った切れ込み、額に鬼を思わせる雄々しい二本角を生やした事以外、鋼鉄のチェシャ猫はザッハを巨大化させたような姿だ。
《……やれやれだぜ》
魔物側にもマキナが現れた事はジョゼフも知っている。
魔物側のマキナは教団製のマキナを上回る性能を持ち、魔物側のマキナの前では自分達のマキナは赤子同然。
実際、貴重なマキナを四機も投入したにも拘らずレスカティエ奪還が失敗に終わったのも、魔物側のマキナに全て撃墜された為だ。
やや前屈みの体勢で左腕をダランと垂らし、右腕を引いて構える夜叉猫にジョゼフは溜息と共に肩を竦める。
《……まぁ、やれるだけやってみるか》
自分達を上回る理不尽である魔物側のマキナと対峙するとは思ってもみなかった。
性能的に上回っている魔物側のマキナと戦った所で勝算は零に近いが、零に近くとも勝つ可能性があるなら挑む価値はある、とジョゼフは萎える戦意を奮い立たせる。
《いくぜ》
自分を奮い立たせたジョゼフは武人との距離を詰め、右ストレートを勢いよく放つ。
ジョゼフは素手の戦いなら教団内でも一二を争う実力者、教団内ではその拳は砲弾以上と言われた程だ。
然し、砲弾以上と言われた拳が放つ右ストレートは、武人の左腕に浮かび上がった紫色の十字架にあっさり防がれる。
《ふっ……!》
右ストレートが防がれるのは想定内、右ストレートを防がれたジョゼフは矢継ぎ早に拳を繰り出し、次々と繰り出される拳を武人は左腕一本で捌き続ける。
無論、武人もただ殴られるだけではない……ジョゼフの拳の弾幕を左腕で防ぎつつ、隙を見つけては空いている右腕でジョゼフを撃ち抜く。
最短距離で放たれる武人の拳をジョゼフは最小限の動きで避け、その拳を避けた後は距離を詰め直して拳の弾幕を繰り出す。
《オラァッ!》
「無駄ぁっ!」
何度も繰り返される拳と拳のぶつかり合い、衝突の衝撃が迷いの森の大気と木々を揺らし、耳を劈く轟音が鳴り響く。
(全く、正気を疑うぜ)
巨大ロボット同士の素手喧嘩(ステゴロ)、その最中でジョゼフは武人の技術に感心と呆れが半分ずつ混ざった呟きを胸中で漏らす。
防御一徹の左腕、常に最短距離を撃ち抜く構えの右腕。
パワー、速度、角度、タイミング、何をどう変えても武人の左腕は完全に対応してくる。
武人の戦闘スタイルは盾と槍で武装した重装歩兵そのもの、素手の戦いに於いて蹴り掴み投げ極め無し、その戦闘スタイルは非合理にも程がある。
然し、それでも打ち破れないシンプル且つ非合理な戦闘スタイル。
ソレを突き崩せない領域にまで磨き上げるのに一体どれ程の時間を費やしたのだろうか、ジョゼフが正気を疑うのも無理は無い。
(やれやれ……『コイツ』はあまり使いたくねぇんだが、な)
正気を疑う武人の戦闘スタイルを前にジョゼフはスターホワイトの『隠し玉』を使う事を決め、使うと決めた以上躊躇っている暇は無い。
《っと……ふんっ!》
武人の右ストレートを避けたジョゼフは一度バックステップで距離を取り、足元の地面を思い切り叩く。
剛拳は地面を砕き、へこませ、周囲に砂煙を舞い上がらせ、舞い上がる砂煙はジョゼフの姿を一時的に隠す。
「小賢しいわぁ!」
舞い上がる砂煙に武人が右腕を前に突き出すと、右掌に小型のブラックホールが現れる。
ブラックホールの維持は五秒、周囲の木々諸共砂煙を吸い込んでいくが、その僅かな時間にジョゼフの姿は完全に消えていた。
「ぬぅ……ザッハ、レーダーに反応はあるか?」
「ちょい待ち……めっけ! 僕達の右斜め後方、距離二〇!」
車輪の取れたバイクを思わせる副操縦席に座るザッハの言葉に武人が振り向くと、確かにジョゼフが其処に居た。
丁度、距離を詰め直そうとした所だったらしく、ボクサーのように拳を構えたジョゼフが此方に向かって迫ってくる。
「…………?」
迫るジョゼフを前に武人は違和感で首を傾げる。
此方に迫ってくるのはいいが、砂煙で隠れる前と比べると動きがやや鈍くなっている。
砂煙で隠れる前と後、常人が見れば差があるように見えないが武人には分かる。
「まぁ、いい。向かってくるなら殴り飛ばすまでよ!」
違和感に首を傾げながらも武人が構え直すと、ジョゼフが大振りに拳を振り上げる。
大振りな左フックは、武人にとって防ぐのは容易い一撃だ……左腕に展開した十字架状の重力障壁で左フックを弾き、
―ゴキャッ! ゴキャッ! ゴキャッ! ゴキャッ!
体勢を崩したジョゼフに武人は拳の乱打を叩き込む。
「うへぇ……関節が全部面白い方向に曲がっちゃったよ、敵ながら可哀想だねぇ」
武人の拳は機構上脆弱にならざるを得ない関節を的確に撃ち抜いており、本来曲がらない方向へと曲がってしまった関節にザッハは苦笑を浮かべる。
「むぅ……ジョゼフと言ったか、コイツはこの程度の(ズガンッ!)ぬあっ!?」
関節を曲げられ、崩れ落ちるジョゼフを前に首を傾げた直後、背後から重い一撃が背中に叩き込まれ、武人は右足を前に踏み出して倒れるのを辛うじて堪える。
「一体誰が……何だと!?」
転倒を免れ、振り返った武人は背後から攻撃を加えたモノの姿に驚く。
背後に立っていたのは先程崩れ落ちた筈のジョゼフであり、曲がった関節も全て元通りになっている。
「な、何故貴様が……くあっ!?」
関節が妙な方向に曲がったジョゼフと五体満足のジョゼフ、二人―二機?―のジョゼフに戸惑いを隠せない武人の顔にもう一人のジョゼフの拳が突き刺さる。
マキナと操縦者は魔術的にリンクしており、マキナのダメージは操縦者に伝わる。
顎に入った拳は武人のマキナ・夜叉猫に毛程のダメージを与えられなかったが、夜叉猫の顎を揺らした衝撃はマキナを通じて武人の脳を揺らす。
「ぐ、が……」
脳を揺さぶられ、体勢を崩した武人にジョゼフの拳の弾幕が迫る。
鋼と鋼がぶつかり合う轟音と共に蛸殴りにされる武人、脳を揺らされて精彩を欠いた左腕ではジョゼフの拳の弾幕を防げない。
今の武人はまさに人間サンドバッグ、全身を殴打される衝撃で操縦席が激しく揺れ続ける。
「ぬ、う……お、おおぉぉっ!!」
「っ!?」
一方的に殴られ続けていた武人の咆吼にジョゼフが一瞬身体を強張らせた、その瞬間だ。
今まで防御に専念していた左腕……五指を開いていた手はシッカリと握り締められ、鋼の身体を持つアンドロイドすら容易く砕く剛拳が顔面目掛けて迫ってくる。
(しまった、コッチが本命か!!)
迫る左拳を前に胸中で悔やむジョゼフだが既に遅い。
武人の剛拳はジョゼフのマキナの顔面ど真ん中に突き刺さり、剛拳の直撃を受けた顔面はへこむどころか木端微塵に砕け散る。
《くそっ、メインカメラが……ぐおっ!?》
頭部を失い、思わず後退るジョゼフ。
教団のマキナには操縦者がショック死しないように、操縦者に伝わるダメージを軽減する特殊な魔術が操縦席に施されている。
そのお陰でダメージは抑えられたが痛いものは痛い……ズキズキと痛み、鼻血を垂らす鼻を押さえるジョゼフは胸板に走った衝撃で仰向けに倒れる。
《サブカメラのスイッチは……》
視界を失ったまま戦える筈もなく、ジョゼフは上半身を起こしながらサブカメラ―人間で言えば鎖骨の辺りだ―を起動させる。
《……何処に行った?》
上半身を起こすのと同時にサブカメラのスイッチが入り、操縦席のモニターにサブカメラからの映像が映し出されるが武人の姿が見当たらない。
武人の姿を探してジョゼフが周囲を見渡すと真上に影が差し、真上に差した影に彼が上を見上げた瞬間、彼は絶句した。
「グラビトン・クロスだぁぁ――――――!!」
頭部を砕き、殴り倒した武人は即座に高々と跳躍し、上半身を起こしたジョゼフ目掛けて落下しながら左腕を前に突き出すと、突き出された掌から重力障壁が現れる。
然し、現れた重力障壁は横幅だけでジョゼフを押し潰すには充分な程に大きかった。
「っ!? オォラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
「無ぅ駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
迫る巨大な十字架を前にジョゼフは拳の連打で押し返そうと試み、押し返そうとする彼に対して武人は押し潰さんと十字架の上から拳を連打する。
「…………武人ってさぁ、実は二重人格?」
十字架を挟んで拳のラッシュ対決をする武人、その表情は普段の彼から想像出来ない程に歪んでおり、戦闘狂そのものといった狂相にザッハは呆れた呟きを漏らす。
その呟きは尤も、二重人格では? と疑いたくなる豹変振りである。
「ブッ潰れろぉぉぉ―――――!!」
武人とジョゼフのラッシュ対決、誰が見ても体勢的に力の入り辛いジョゼフが不利である。
押し返そうとするラッシュが徐々に弱まり、その駄目押しをするように武人は大きく右腕を振り上げてから、渾身の重力加速を加えた拳を勢いよく十字架に叩き付ける。
その一撃がトドメとなったのか、ラッシュに競り負けたジョゼフは重力障壁に押し潰され、地面に十字架状のクレーターが穿たれる。
クレーターが穿たれた直後、武人が上から飛び退くと同時に地面と十字架の隙間から爆風が漏れ、爆風に巻き込まれる形で重力障壁は消滅する。
「やったか!?」
「にゃふぅ……レーダーに反応無し、今度こそ終わりじゃね?」
地響きと共に着地した武人が消滅する重力障壁を前に疑問の呟きを漏らすと、その呟きにザッハが疲れを感じさせる溜息の混じった答えを返す。
武人もレーダーを確認してみると反応は無く、ザッハの答えが正しいと知った彼は肩の力を抜いた。
「……なっ!? う、動けん、馬鹿な!?」
その瞬間、まるで全身をコンクリートで塗り固められたかのように身体が動かなくなり、突然動けなくなった身体に武人は困惑と驚愕の混じった叫びを上げる。
首から上は辛うじて動かせるものの、今動かせる部分が其処だけの状態で敵に襲われれば一溜まりもない。
「武人、足元! 拘束結界だ!」
「何ぃ!?」
ザッハの叫びに武人が視線を足元に移せば、其処にはボンヤリと白い光を放つ魔法陣。
「うげぇ……而もコレ、転移も邪魔する奴じゃん」
「……分かるのか?」
「魔物化する前、一度コイツに縛られた事があるんだよ〜ん」
何時の間に拘束結界―而もザッハの十八番である転移を阻害する―を仕掛けられた事にも驚きだが、一番の問題は『誰がこの拘束結界を仕掛けた』か、だ。
「くっ……敵は、何処だ!?」
武人は辛うじて動かせる首を動かして周囲を見渡すが見える範囲には敵の姿は見当たらず、姿を見せぬ敵に彼が焦りを感じた時だ。
ゴゴゴゴゴ…と効果音が付きそうな重厚な威圧感が背後に現れ、背後に感じる気配に武人とザッハは身体を強張らせる。
背後に現れた気配の主、ソレは
「俺が動きを止めた」
「ジョ、ジョゼフゥッ! 貴様ぁぁ!」
十字架に押し潰され、爆散した筈のジョゼフだった。
×××
「貴様、何故生きている!?」
十字架状の重力障壁に押し潰されてマキナ諸共死んだ筈のジョゼフが何故生きているのか、重厚な威圧感を放ちながら背後に立つジョゼフに武人は当然の疑問をぶつける。
レーダーに反応が無かったのは、ジョゼフのマキナにステルスが搭載されていたから、と説明出来るし、納得も出来る。
然し、重力障壁で押し潰した筈のジョゼフが生きており、自分の背後に立っている理由が武人には理解出来ない。
「簡単な事だ……『俺が三人居た』、ソレだけだ」
「何だと……貴様、三つ子だったのか!?」
「微妙に惜しい答えだな、三つ子なのは俺じゃなくて俺のマキナの方だ」
ぶつけられた疑問、返ってきた答え、タネが割れれば実に簡単な事だった。
スターホワイトにはジョゼフ自身が操縦する機体と全く同じ機体が用意されており、普段は腰蓑に見えるスカートの裏に魔術で人間程の大きさにされた状態で格納されている。
この同型機はジョゼフの思考をコピーしたAIが操縦し、やや動きが鈍い事を除けば本人と寸分違わぬ動きで動く。
スペースの都合上、この無人マキナは二機が限度だが、同一人物の連携攻撃は脅威として充分過ぎる。
武人が破壊した二人のジョゼフはこの無人マキナであり、本体は搭載されていたステルスで姿を隠して隙を窺っていたのだ。
「まぁ、俺は小狡い手は好きじゃねぇから、あまり使わねぇがな」
そう締め括るジョゼフは此処が戦場である事を忘れさせる程に余裕だが、その余裕も当然。
首から下を動かせない武人を倒すのは赤子の手を捻るより容易い。
「くっ、おのれぇ……」
武人は拘束結界から逃れようとする……然し、武人は常に前線に身を置くアタッカーだ、解呪を始めとした補助系魔術に疎い為、コレ程高度な拘束結界の解呪は困難である。
刻一刻と迫る死刑へのカウントダウン、義兄弟達が外で待っている以上此処で死ぬ訳にはいかない。
(どうする……)
ジョゼフは勿論、何度も肌を重ねたザッハですら知らない切り札が武人にはあるが、この切り札は義兄弟達以外の者の前では使えない。
切り札を使う時の武人は『人間でありながら人間とは言い難い姿になる為』で、その姿をザッハには見せたくない、という思いが彼の胸中に渦巻いている。
見せたくないと思う一方、使わなければ死ぬぞと戦士としての自分が囁く。
切り札を使うべきか否か、使いたくないと思う自分と戦士として使うべきだと囁く自分に挟まれた武人は苦悩する。
《今度こそ終わりだ》
苦悩する武人の耳にジョゼフの死刑宣告が届く。
このまま悩んでいれば殴り殺される、迷っていればザッハと共に殺される。
迷っている暇は無い、使うべきか否か決断するしかない。
《コレでトドメだ!》
弓を引くように右腕を引くジョゼフ、その狙いは胸部中央。
教団のマキナの操縦席は人間で言えば心臓の部分にあり、魔物側のマキナの操縦席も同じ位置とは限らないが、少なくとも胸に大穴が開けばコレ以上抵抗する事は出来ない筈だ。
其処に操縦席が無ければ完全に壊れるまで殴り続ければいい、そう思いながらジョゼフは勢いよく右ストレートを放つ。
―ガシィッ!
《……な、何ぃ!?》
届く筈だった右ストレートは届かない。
貫く筈だった右ストレートが防がれる。
何故なら―――
《か、隠し腕だと!?》
武人の背中、右肩の付け根から現れた『第三の腕』に、右拳を掴まれたからだ。
「た、武人……」
現れた第三の腕にジョゼフが驚愕していた時、夜叉猫の操縦席でもザッハは驚愕で言葉を失っていた。
異様な気配を感じ取り、背後に立っている武人に振り返ったザッハ、その瞳が捉えたのは第三の腕を生やした武人。
背中に生えた第三の腕にザッハが言葉を失っていると、第三の腕の反対側からもう一本の腕が生えるように現れ、何も無い筈の空間を殴りつける。
《ごはぁっ!?》
その動きの直後、背後からジョゼフの苦悶の呻きが聞こえ、その声でザッハは彼が第四の腕に殴られた事を知る。
「ジョゼフ・K・ジョーンズ、この俺に真の本気を出させた事を後悔するがいい! ふんっ、ぬぅぅ……ぬおぉぉあぁぁあぁあぁぁぁっ!!」
そう叫びつつ武人は全身に力を籠め、拘束結界で封じられた身体を強引に動かそうとし、夜叉猫の各所がギシギシ…と嫌な軋みを上げる。
「た、武人!? む、無茶すんなって!!」
強引な突破を図る武人の鼻からは血が流れ、血管が浮かび上がる程に筋肉が膨れ上がる。
武人の無茶にザッハは悲鳴じみた叫びを上げ、夜叉猫も甲高い警告音を鳴らすが、一人と一機の制止を黙殺して武人は渾身の力で強引な突破を目指す。
「ぬぅぅおぉおぉぉあぁぁあぁあぁぁぁっ!!」
―ガシャァァァン!!
武人の渾身の力は拘束結界に強大な負担を与え、その負担に耐え切れなかった拘束結界は硝子の砕けるような音と共に砕け散り、彼の強引な突破は成功する。
《冗談だろ……俺の拘束結界を強引に振り解きやがった……!!》
解呪を使わず、膂力だけで拘束結界から逃れた事にジョゼフは呆然と呟き、驚愕で固まる彼に武人は向き直る。
「行くぞ、ジョゼフゥゥゥ!!」
武人の叫びに呼応するように夜叉猫の目が紅く輝くと、切れ込みに沿うように顔の装甲が下方向にスライドし、その下から紅い光を放つ単眼が現れる。
単眼と共に装甲の下に隠れていた牙を向き出しにした今の夜叉猫は、額の二本角もあって単眼の鬼を思わせる。
「はっはぁぁぁ――――っ!!」
雄叫びと共に武人はジョゼフとの距離を詰め、一瞬で懐に踏み込まれたジョゼフは反応が遅れる。
「無駄! 無駄無駄無駄ぁ! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
―ドガガガガガガガガガガガッ!!
《ぬ、おぉぉ!?》
そして繰り出される猛烈な拳の弾幕を前にジョゼフは防御しようとするものの間に合わず、猛ラッシュの直撃を受ける。
単純計算でも二倍のラッシュは操縦席を激しく揺らし、激し過ぎる揺れに吐気がしてくる。
《くそっ……》
猛烈なラッシュに晒されながらもジョゼフは繰り出される四つの拳を捌こうと試みるが、その試みは無駄だと悟らされる。
「無ぅ駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
左腕で攻撃を捌き、隙を突いて右腕で最短距離を撃ち抜くのが武人の戦闘スタイルだ。
然し、今の武人は防御を捨てて猛烈な勢いで拳を繰り出しており、拳を捌こうにも彼には腕が四本もある以上、拳の一つを防いでも残る三つの拳が自身を叩いてくる。
ヒトならざるモノの猛攻、勇者と言えど只人であるジョゼフには荷が重過ぎる。
《ちっ……》
刻一刻と迫る敗北を前にジョゼフは舌打ちするが、心中は穏やかだった。
元々ジョゼフはとある中立領の貧民街出身の孤児であり、一人で生き延びられる程度には身体が丈夫だった為、奴隷商人に『商品』として保護された彼はネルカティエに売られた。
売られた後のジョゼフは城内の雑用として働かされていたが、勇者の素質があるから、とネフレン=カに引き取られてからは勇者としての育成を受けた。
然し、貧民街での生活の影響からか、ジョゼフ自身の思想は中立である。
生きる事に善悪無し、長短はあれど一生は一生。
出身である貧民街が中立派だった事もあって、魔物が絶対的な悪ではない事をジョゼフは知っているし、魔物は魔物なりに真剣に真面目に生きているのも知っている。
然し、自分が生きていく為には狩らなくてはならないが故にジョゼフは魔物を狩る。
同時に、誰かが生きる為に自分が殺されるであろう事もジョゼフは納得している。
故に、此処で武人に倒され、殺されたとしてもソレはソレで自分は一生を全うしたのだ。
生きている以上は何れ死ぬ、自分の場合ソレが今だというだけ。
《ははっ……》
純白の装甲は全身拳の跡だらけ、猛ラッシュの衝撃で半分以上がイカレた内部機構、今のスターホワイトは指を動かすのも精一杯という状態で、破壊されるのも時間の問題だ。
自分は此処で死ぬのか、と己の死を受け入れたジョゼフは何故か笑みを浮かべる。
《もう少しだけ付き合ってくれよ、スターホワイト……》
死ぬなら死ぬで最後に一発くらいは自慢の拳を叩き込んでやる、そう思いながらジョゼフはもう満足に動かない相棒を動かす。
《食らえ!》
「ぐはっ!」
今生最後になるであろう拳。
繰り出した拳は四つ腕の猛ラッシュを掻い潜って武人の顔面に突き刺さり、顔面に入った拳で武人は仰け反り後退る。
「良〜い拳だぁ……その拳に免じ、俺の最強の一撃をくれてやろう!」
二、三歩程後退った後、武人は殴られた左頬を撫でながら次の一撃が最後だと宣告する。
「おぉぉおぉおおぉぉぉおおおぉおぉぉおおおぉぉぉっ!!」
咆吼と共に魔力が全身に漲り、漲る魔力は全て右拳に集う。
「現(ウツツ)を壊す、我が一撃! 食らえ、」
膨大な魔力が集中した右拳を引き、武人は踏み込む足と右腕に限界まで重力加速を施す。
限界まで施された重力加速、ジョゼフには武人の姿が一瞬で消えたように見えただろう。
そして―――
『現壊一撃(リアル・インパクト)』!!
極限の加速が加えられた零距離ショートアッパーが鳩尾に突き刺さり、ジョゼフは身体を九の字に曲げる。
繰り出された神速の拳は装甲を貫き、スターホワイトの動力炉を破壊するが、ソレだけで終わらなかった。
右拳に集中された魔力はスターホワイトの内部にブラックホールを、万物を飲み込んでも癒えぬ餓えに苛まされる黒き星を作り出す。
武人が拳を引き抜くのと同時にブラックホールはジョゼフを飲み込み始め、瞬く間に彼は粉々に磨り潰され、その粉すら目に見えぬ領域にまで挽かれていく。
「WRYYYYYYYYYY――――――ッ!!」
ジョゼフを飲み込んだブラックホールは急速に萎んで消失し、消失するブラックホールを眺めながら武人は高々と勝鬨を上げた。
×××
「なぁなぁ、さっきの背中の腕って何だ?」
「……あの隠し腕の事ですね。隠し腕の事を話す前に、私の幼い頃の話をしましょうか」
ジョゼフを倒した後、夜叉猫は魔力の粒子と化して消え、その場に残された二人。
教団の部隊を撃退した事を報告すべく城に戻る途中、武人の頭の上に器用に胡坐を掻いたザッハが先程の隠し腕の事を尋ねてくる。
何故か頭の上に座るザッハに溜息を吐きながら、武人は隠し腕にまつわる己の過去を語る。
『紫法院』の名は元の世界では知らぬ者がいない程に有名だ。
様々な業界に通じ、各業界に強い発言力を持つ老舗の大企業・紫法院財閥……武人はその長男だったが、現在実家とは絶縁状態にある。
実家と絶縁状態にある原因、ソレは幼い頃の武人の周囲で起きた怪現象だ。
武人が四歳を迎えた時、突然彼の周囲にあった小物類が浮かび上がったり、潰れたりする怪現象が起こるようになったのだ。
武人の周囲で起こるポルターガイストを家族は気味悪がり、ポルターガイストの発現から半年後、家族はとある養護施設に多額の寄付と共に彼を捨てた。
寂しさから武人は施設の電話で何度も連絡を取ろうとしたが名乗った瞬間に電話を切られ、家族の縁を切られた事を自覚してからは連絡を取ろうと思う事もなくなった。
施設でも武人は孤独だった……最初はクッションや小物といった小さく軽い物だけだったポルターガイストも机や箪笥、果てには職員の乗用車と次第に物が大きくなってきた。
徐々に大きくなる被害に職員は武人を恐れ、施設の子供達は彼を『化け物』と罵った。
子供達の中には武人に石を投げつける者もいたが、投げた石もポルターガイストで潰され、ソレが彼の孤独に拍車を掛けた。
このポルターガイストの正体が元の世界には存在しない魔術である事を知ったのは武人が六歳の時、義父が彼を養子として引き取った後だ。
義父に引き取られた後、武人は彼と同じく魔術で両親から捨てられた紅蓮達と共に魔術を学び、その過程で我流の拳闘術を修めていった。
武人が背中に腕生やす異形の身体を得たのは彼が一四歳の時である。
図書館顔負けの蔵書量を誇る義父の書斎を掃除していた時、武人はある本を見つけた。
本の名は『屍食教典義』、オーソドックスな装幀とは裏腹に魔術を用いた様々な人体改造が数多く記された『魔術に因る人体改造マニュアル』。
何故、こんな怪奇書が義父の書斎にあるのか疑問に思いつつ、武人は憑りつかれたように熱心に読み進め、彼はその中から最も自分と相性の良い記述を見つけた。
その記述こそが隠し腕であり、武人は義父にこの魔術的人体改造をしてほしいと頼んだ。
無論、その申し出に義父は猛反対するが、家族を護る為の力が欲しいと言う武人の熱意に根負けし、義父は異形の身体へと彼を改造したのだ。
尚、この人体改造以降、感情が昂ると武人は非常に好戦的になるが、あくまでこの性格の変貌は昂る感情を理性で縛りきれず、闘争本能がダダ漏れになるだけである。
「家族の絆を奪ったのが魔術ならば、その絆をくれたのも魔術なのです……魔術が繋いだ新しい家族を護りたい、その一心で私は人間を辞めたのです」
「ふぅん……」
家族の絆を奪った魔術が与えた新しい家族である紅蓮達を護れる力を、武人の隠し腕には家族を護りたいという想いが詰まっている。
過去を語り終えた武人は異形の身体を誇るような笑みを浮かべ、その想像以上に重い過去にザッハは表面上平静を取り繕っているが内心驚きを隠せない。
苦痛に満ちた幼少期を過ごし、家族の為に自ら人間を辞めた武人。
その辛い境遇に捻くれず、異形の身体を得ても武人が『人』でいられたのは、周囲に彼を受け入れてくれる人達が居たからだろう。
「なぁ、武人」
「ん、何ですか?」
「にゃふふ、僕は武人の事が大好きだぞ」
ヒトの心を持った異形、ソレが自分の好きになった武人。
大切な家族を護る為の隠し腕、その隠し腕に護られる者に自分はなりたい。
無論、護られるだけでなく、これからも戦い続ける武人の背中を護れる者にもなりたい。
そんな想いを籠めながら、ザッハは幾度となく伝えた好意を武人に伝える。
「……ふふっ」
何の捻りも無い直球で伝えられた好意に武人は微笑む。
身体から始まり、付き合いも短いが、この僅かな時間で武人にとってこの隠し腕で絶対に護ってみせると想う程にザッハが大切な存在になっている。
こんな始まり方も悪くない、そう思いながら武人はニヤニヤと笑うザッハを頭に乗せて城への帰り道をゆっくりと進んだ。
不思議の国の存亡を賭けた戦い。
その最中で武人は周囲を囲むアンドロイドを罵りながら彼等を圧倒し、既に彼の周囲には人型のオブジェと化したアンドロイドがざっと見ただけで十数体程は転がっている。
雄叫びで己を鼓舞しながらアンドロイド達は武人に殺到するが、機械化された視覚ですら捉えきれない武人の神速のフットワークに翻弄される。
不規則なステップで武人はアンドロイド達の間を駆け抜け、隙を見ては指輪を嵌めた拳でアンドロイドの鋼鉄の身体を薄紙宜しく打ち砕く。
武人の戦闘スタイルは魔術を併用した我流の拳闘術……武人は重力を操る魔術師であり、その神速のフットワークと鋼鉄を砕く凶悪な拳は弛まぬ自己研鑽と重力制御の成果だ。
周囲の重力を軽減する事で為し得る神速のフットワーク、打撃の瞬間に重力を乗せた拳は技が無くても充分な程だが、武人はソレに胡坐を掻く事無く常に自己研鑽を重ねている。
結果、元の世界での話になるが、魔術無しでも武人にはボクシングの世界チャンピオンに輝く事が出来る程の実力を持つ。
性能頼みで力任せに攻めるアンドロイド達は武人から見れば自己研鑽を面倒臭がる怠け者、そんな怠け者に彼は負けるつもりは無い。
「ふんっ!!」
気合の一声と共に繰り出される右ストレート……重力を乗せた剛拳は目にも映らぬ速度で顔面に迫り、顔面を拳の形にへこませてアンドロイドは機能を停止する。
右ストレートの直後、立ち止まった隙を狙って別のアンドロイドが剣を振り下ろすが、
「なっ!?」
庇うように突き出された左腕に剣が当たる瞬間、黒っぽい紫色の十字架が盾の如く現れ、硬質ゴムを叩いたような感覚と共に剣が弾かれた事にアンドロイドは驚愕の声を漏らす。
剣を弾かれ、振り下ろした衝撃をそのまま返されて仰け反るアンドロイドに鋼鉄をも砕く武人の拳が迫る。
繰り出された右フックは頬に拳の跡を残しながらアンドロイドの首をグルリと一回転させ、崩れ落ちるアンドロイドに一瞥もくれずに武人は次のアンドロイドに剛拳を振るう。
「むっ……!」
左の盾で攻撃を捌き、右の剛拳で一体ずつ着実にアンドロイドを破壊していると、視界の端に何かを此方に向けて構えるアンドロイドを捉える。
何かを構えるアンドロイドに不吉な予感を感じて其方に視線を向けた武人は、構えられた何かの正体を知る。
アンドロイドが構えているのは大型のクロスボウ、常人では弦を引く事自体が無理そうな代物だ。
機械仕掛けのアンドロイドだからこそ扱えるクロスボウ、放たれる矢は不意に撃たれれば流石に防げそうにない。
先ずはクロスボウを構えるアンドロイドを始末した方が良い、そう判断した武人は此方に狙いを定めている途中であろうアンドロイド目掛けて踏み込む。
「ダークネスフィンガーとはこういうモノだ!」
五指を開き、黒い塊に覆われた右腕を弓引くように引いて猛然と迫る武人に、クロスボウを構えるアンドロイドは慌てるが既に遅い。
「ダァァ―――クネス、フィンガァァ――――!!」
叫びながら武人は黒い塊に覆われた右手を胴体に叩き付け、五本の指が深々と食い込む。
コレだけでも機能を停止させるには充分だが、
「このメリケンサック凄いよ! 流石はアステラのお姉さんんんっ!!」
まるで天に捧げるように武人はアンドロイドを持ち上げ、指が食い込んだ部分を握り潰す。
その瞬間、持ち上げられたアンドロイドが武人の手が突き刺さった部分に『吸い込まれ』、一片の欠片も残す事無く消滅する。
まるでアピールするような一連の動きは傍から見れば致命的な隙なのだが、目前で起きた怪奇現象に残るアンドロイド達は呆然と立ち竦んでいる。
何が起きた? アレは何だ? アレは一体何だ!? と、アンドロイド達の胸中は疑問と驚愕で埋め尽くされているに違いない。
まぁ、呆然と立ち竦むのも無理は無い……武人の右手を覆っていた黒い塊は超重力の塊、『小型のブラックホール』である。
武人が重力を操る魔術師であるのは先述したが、その最奥がブラックホール生成。
重力を一点に集中させる事で武人は小型のブラックホールを作る事が出来るのだが、このブラックホール生成には大量の魔力と集中力を使う。
今の武人では小指の爪サイズの―無論、ソレだけで充分過ぎるのだが―ブラックホールが限度で、右手を覆う程のブラックホールを作るのは無理がある。
ソレを補ったのが武人の指輪で、ファタジナはメリケンサック代わりに使っていた指輪に持ち主の使う魔術を補助・増幅する魔術を付与した。
その結果、武人はより大きな―まぁ、右手に覆わせる程度が限界だが―ブラックホールを作る事が出来るようになったのだ。
因みに、ブラックホール生成時は吸引力を中和する重力で身を守っている為、その制御を誤らない限りは武人自身が吸い込まれる事は無い。
「どうしたぁ、怖気づいたのかぁ? 来ないのなら、此方から行くぞぉ!」
ブラックホールという未知の存在に怯えるアンドロイド達に、武人は闘争本能剥き出しの狂相を浮かべて迫る。
重力制御を用いた神速のステップは瞬く間に立ち竦む一体のアンドロイドとの距離を詰め、がらんどうに開いた胴体に拳が打ち込まれる。
地面と平行に吹き飛んだアンドロイドは背後の木にぶつかり、ズルズルと滑り落ちる。
ソレを見て漸く正気を取り戻したらしく、残るアンドロイド達は機械仕掛けの脳に巣食う恐怖を払拭するように雄叫びを上げて武人に迫る。
「『暗殺者から足を洗った』汝が戦場に向かうとは、のぉ……」
多勢のアンドロイドを相手に武人が単身戦っている頃、謁見の間ではファタジナと戦支度を整えたザッハが居た。
今のザッハは紫色と黒の執事スタイルから白一色の、露出度の高い道化師を思わせる服を纏い、太腿には何本もの魔界銀製のナイフを収めた革ベルトが巻かれている。
「夜闇に潜むが暗殺者なのに、自ら日の下で戦おうなぞ酔狂としか言えんわ」
「にゃふふ、『元』が付くけどねぇ。今はそんな酔狂をしたい気分なのさ」
呆れたような溜息を吐くファタジナに、ザッハは普段のニヤニヤとした笑みを浮かべつつ柔軟体操をしており、その笑みにファタジナは彼女との出会いを思い出す。
ザッハとファタジナの出会いは今から四年前に遡る。
姉妹の長女であるイヴリナ・フォン・ラブハルトの暗殺未遂という知らせに、ファタジナは使用人達に城の留守を任せて慌ててアーカムに向かった。
城の謁見の間に着いたファタジナが見たのは険しい表情を浮かべる家族と、縄に縛られて魔法陣の中に座らされた露出度の高い白い道化服を纏う女道化師。
この魔法陣に拘束されている女道化師が、魔物化以前のザッハである。
ザッハはサーカス団を隠れ蓑に裏で依頼内容に見合った報酬を払えば依頼主を問わない、思想的には中立の暗殺者集団に属する暗殺者だ。
尤も、魔物と親魔物派勢力は物理的暗殺を嫌う為、ザッハの属するサーカス団は実質的に反魔物派勢力御用達なのだが。
このサーカス団の中でもザッハは空間転移を駆使してあらゆる警備網を潜り抜け、確実に暗殺を成功させる事から『是非彼女に』と頼む者が多い実力者。
その実力と顔全体に白粉を塗って暗殺に臨む事からザッハは『白顔(ホワイトフェイス)』と親魔物派領では呼ばれ、要注意人物としてマークされている。
教団からイヴリナの暗殺を依頼されたザッハは空間転移でイヴリナを強襲、犯行に及ぶが、幾等実力があろうと当時のザッハはまだ人間。
得意の転移を駆使して善戦するものの取り押さえられ、こうして転移を阻害する魔法陣の中に拘束されているのである。
―母上、父上。彼奴は妾に任せてもらえぬか?
記憶にある限り、代替わりしてから初めてであろう侵入者、而もリリムを相手に善戦したザッハをどうすべきか。
緊急家族会議の最中、ファタジナの発言に一家は目を丸くするが、彼女の気紛れな発言は毎度の事であり、また気紛れを起こしたかと直ぐに呆れた表情を浮かべる。
その後、ファタジナはザッハを連れて不思議の国へと戻り、不思議の国の魔力でザッハはチェシャ猫へと魔物化を果たしたのだ。
―ファタジナ、だっけ? アンタ、何で僕を殺さなかったのさ?
不思議の国に連れてこられた後、ザッハは何故自分を生かすのかをファタジナに問うた。
未遂に終わったが自分はイヴリナ暗殺を目論んだ暗殺者であり、教団からの依頼で多くの魔物を殺してきた。
故に禁錮刑か死刑をザッハは覚悟していたが、城の一室を与えられた上に監視付きながら自由行動を許されるという、罪人に対する好待遇に疑問を感じたからだ。
―何故汝を罰せぬのか、か? ふふん、汝は生かしておいた方が面白そうじゃからじゃ
暗殺者を傍に置いておけば、何時寝首を掻きに来るのかとスリルを味わえる。
ファタジナの答え―魔物化した以上、既に暗殺が出来ない事を知っての上だが―にザッハは空いた口が塞がらなかった。
―ソレに汝にとっては生きる事が最大の罰になりそうじゃしの
―……ははっ、そりゃ言えてるねぇ
暗殺に失敗した時点で暗殺者は終わりだ……警備の者に殺されるか、身内に殺されるか、どちらにしても死ぬのが暗殺者の運命。
なのに暗殺対象の関係者の情けで生かされる、暗殺者にとってコレ程屈辱的な扱いは無い。
次いで紡がれた言葉にザッハは苦笑を浮かべて彼女には敵わないなと思い、このやり取りを機にファタジナとザッハは対等な友人として親交を深め、現在に至る訳だ。
因みに、嘗てザッハが属していたサーカス団はアステラ率いる部隊の襲撃を受け、今では健全な普通のサーカス団として親魔物派領で興行している。
「して、足を洗ってから既に四年も経っておる。腕の方は大丈夫なのか?」
「う〜ん、全然駄目駄目な感じぃ? ま、向こうには武人も居るし、何とかなるっしょ」
腕は鈍っていないのか、と尋ねるとザッハはニヤニヤとした笑みを浮かべながら駄目だと答え、これから戦場に向かうのに楽観的過ぎる答えにファタジナは顔を顰める。
「んじゃ、行ってくるねぇ」
身体を解し終え、用意が整ったザッハは顔を顰めるファタジナを尻目に転移する。
漸く手に入れた愛しの君を助けるべく、嘗て暗殺者だったザッハは戦場へ跳んだ。
「絶好調であぁぁ―――――――る!!」
繰り出される神速の右ストレート、重力制御が為された剛拳は機械仕掛けの心臓の真上に直撃し、胸に拳の跡をつけたアンドロイドが宙を舞う。
「あぁ、もうっ!! 人間一人を相手にどうして手こずっているんですか!? 早く彼をブッ殺しなさい!」
自信過剰はネフレン=カの方だ……その言葉通り、自ら手掛けた自慢のアンドロイド達が次々と機能を停止していく様にネフレン=カは苛立ちを露に叫ぶ。
なにせ、既に半分近くのアンドロイドが人型のオブジェと変わり果てているのに、武人は怪我らしい怪我を負っていない。
まさに鎧袖一触、特製のアンドロイドがこうも簡単に破壊されては圧倒的に数が足りず、武人が『たかが一〇〇体程度』と自信満々に言うのも頷ける。
「くぅ……」
唸る剛拳、吹き飛ぶアンドロイド。
顎を砕かれ、胸を貫かれ、顔をへこませ、自慢のアンドロイド達が次々と人型のオブジェと成り果てていく様にネフレン=カは呻く。
降下ポイントのズレ、武人の存在……二つのイレギュラーで一方的な虐殺に終わるだけの簡単な作戦が、こうも容易く破綻するとは想定外だった。
描いた通りに進まぬ現実に苛立つネフレン=カだが、
「きゅぴ――――ん☆」
場違いな程に呑気で明るい声と共に起きた現実にネフレン=カの苛立ちは急加速する。
「ナイフの大雨注意報発れ〜い☆」
「ぬおぉっ!?」
聞き慣れた声と共に真上から降り注ぐ無数のナイフに、武人は慌ててナイフの集中豪雨の範囲から逃れる。
その殆どは地面に突き刺さるが如何せん数だけは多い、不意打ちじみたナイフの集中豪雨はアンドロイド達の身体に次々と突き刺さっていく。
「ありゃりゃ、全然堪えてない感じぃ?」
ナイフの集中豪雨が止んだ直後、両者の間に真上から降りてきた人影は何本ものナイフが突き刺さったアンドロイド達を見て苦笑を浮かべる。
人間なら兎も角、鋼鉄の身体を持つアンドロイド相手ではナイフだと役不足、針鼠宜しくナイフが突き刺さっても致命傷にはなり得ない。
「……ザッハよ、何故お前が此処にいる。あと、その格好は何だ?」
「にゃふふ、何でって武人を助けに来たに決まってんじゃん。ソレと、この格好は僕の昔の仕事着だよ〜ん」
アンドロイドと自分の間に降り立ったザッハに武人はその目的を問うと、ザッハは普段と変わらぬニヤニヤ笑いを浮かべながら答える。
今着ている服は昔の仕事着だと言うが……極限まで布面積を減らした道化服、機能性云々を捨てて魅せる事を重んじた服は魔物らしいと言えば魔物らしい。
だが、少しでも激しく動けばたわわに実った乳房の先の桃色の蕾がポロリしそうな際どい服は、健全な青少年の武人には目の毒である。
「まぁ、いい……援軍に来たのなら手伝ってもらうぞ!」
「ほいきた!」
昔、ザッハは何をしていたのか―少なくとも真っ当な仕事ではない―気になるが、ソレは終わった後にでも聞けばいい。
そう判断した武人は構え直し、ザッハは革ベルトからナイフを取り出して指の間に挟む。
「超重力、ボォォォ――――ル!!」
武人が右手を前に突き出すと、アンドロイド達の真上にサッカーボール程の大きさの黒い球体が現れる。
「うわぁっ!?」
「ぐえぇっ!?」
この黒い球体はブラックホール程ではないが強力な重力を発する重力塊であり、重力塊を中心に残っていたアンドロイド達は吸い寄せられて団子状に集まっていく。
中心に近いアンドロイドは味方に挟まれて圧潰し、外側のアンドロイド達も重力塊の放つ重力で身動きが取れない。
「それじゃ、いっくよ〜ん!」
身動きとれぬアンドロイド達……ザッハは重力塊の重力圏ギリギリの位置に転移すると、団子状に集まったアンドロイド達に指に挟んだナイフを投げつける。
「そ〜れ、それそれぇ!」
ザッハは先程とは別の重力圏ギリギリの位置に転移してはナイフを投げ、更に別の位置へ転移してナイフを投げ、と転移と投擲を繰り返す。
何度も投擲出来るだけのナイフを露出度の高い服の何処に仕舞っているのかが気になるが、超重力に引かれて速度を増したナイフは鋼鉄の身体を貫くには充分。
ソレが何本も飛んでくるのだ、団子の外側にいるアンドロイド達には堪ったものではない。
何本も飛んでくるナイフに鋼鉄製の身体を貫かれ、外側にいるアンドロイド達は断末魔を上げるしか出来ない。
「そ、そんな……」
断末魔上げるアンドロイド団子にネフレン=カの顔が一気に青褪める。
今回の作戦の為に作った特製のアンドロイド九九体、ソレが瞬く間に全機撃墜された上にたった二人に撃墜されたのだ。
予想だにしなかった完敗にネフレン=カは泣きたくなった。
×××
「さぁ、残るは貴様等だけだ!」
「にゃふふ、観念したらぁ?」
「く、うぅ……」
アンドロイドの全機機能停止を確認した武人が重力塊を消すと、無数のナイフに貫かれた外側と味方に挟まれて圧潰した内側が一斉に地面に落ちる。
累々と転がる人型のオブジェを尻目に武人はネフレン=カとその背後に控える男を指差し、ザッハはナイフでジャグリングして余裕を見せつける。
怪我らしい怪我を負っていない武人と余裕綽々といった態度のザッハに、ネフレン=カは青褪めた顔を真っ赤にして身体を怒りで震わせる。
「退きな、教官……今回はアンタの負けだ、此処は素直に撤退した方が良い」
すると、ネフレン=カの背後に控えていた男が後退る彼女と庇うように前に出るが、前に出てきた男に武人とザッハは疑問の表情を浮かべる。
言葉で表現するなら時代錯誤……潰れた学生帽、踝辺りまである長い裾をボロボロにした学ラン、天狗が履いてそうな一枚歯の下駄。
ネフレン=カか男か、どちらの趣味かは分からないが古き良き昭和の番長スタイルは中世ヨーロッパのこの世界ではある意味時代錯誤と言える格好だ。
まぁ、SFの産物たる巨大ロボットとアンドロイドがいる以上、番長スタイルもあり……か?
「ジョゼフ、貴方は何を言っていますの!? 私は」
「まだ負けてない、って言える状況じゃねぇだろ……御自慢のアンドロイドは全滅、『紫の拳鬼』と『白顔』が相手じゃ流石に俺でもキツい」
「う、ぐぅ……」
撤退を進言する番長に反論しようとするネフレン=カだが、現状を分析する程度の冷静さは残っていたらしく、言いきる前に言われた正論に呻くしかない。
「取り敢えず、俺が二人を抑えてる間にさっさと逃げな」
「……分かりました、此処は貴方に任せます。ですが、敗北も逃走も認めませんからね!」
「なっ……貴様ぁ!」
ネフレン=カが番長―ジョゼフ、と呼んでいたか―の言い分を認めるのと同時に、彼女の足元に魔法陣が描かれる。
描かれた魔法陣が転移と気付いた武人が一歩前に出ようとするが時既に遅し、転移魔法陣の光に包まれたネフレン=カは光の粒子となって消える。
「勝って戻ってこい、ときたか……やれやれだぜ」
人型のオブジェが累々と転がるこの場に残されるは三人。
武人はネフレン=カを逃した事に歯噛みし、番長は彼女の捨て台詞に呆れた溜息を吐き、ザッハはジャグリングしながらも視線を番長の方に向けている。
「さて、戦う前に確認したい事がある……其処のナイフで遊んでるアンタはあの『白顔』、ザッハ・トルティアで合ってるのか?」
「ん? そうだよぉん。僕は『白顔』のザッハ・トルティア、ウィルフレドサーカス団の元殺し屋さぁ」
番長の問いにザッハはナイフで遊びながら答え、彼女が元暗殺者だった事に武人は驚きで目を見開く。
「そういうアンタは何者かにゃ?」
「あぁ、俺の名前はジョゼフ・K・ジョーンズ、ネフレン=カに鍛えられた勇者の一人だ。教団にいれば、一度は名前を聞けるくらいにアンタは有名だったからな」
「にゃふぅ、僕ってそんなに有名だったんだねぇ」
驚く武人を尻目にザッハと番長……もといジョゼフは自己紹介を交わし、次いで紡がれた台詞にザッハは目を細めながらニヤニヤと笑う。
どうやらザッハは自身に対する評価に無頓着だったらしい、自分が教団内で有名だった事を今更知ったようだ。
「全く、『紫の拳鬼』と『白顔』が居るとは思ってもみなかったぜ」
教団内でも知られた実力者二人を前にジョゼフは溜息を吐きつつ構え、構えるジョゼフに二人は警戒を露にする。
「大人げないが、此処は『コイツ』を使わせてもらう」
いや、武人とザッハが警戒しているのはジョゼフから湧き上がる膨大な魔力。
湧水の如く溢れる魔力に武人は背筋を凍らせる……これだけ膨大な魔力を必要とするのは、武人達異世界組の切り札である窮極必滅奥義以外では『アレ』しかない。
「来い、スターホワイト!」
―ドォンッ!!
ジョゼフが右腕を天に掲げ、何かを招く声と共に指を鳴らした瞬間、後方斜め上の空間が突如爆発し、その衝撃波に武人とザッハは吹き飛ばされそうになるのを堪える。
濛々と舞い上がる砂煙、その向こう側にぼんやりと見える巨大な影を武人は忌々しそうに睨み付ける。
「お、おのれぇ……マキナを呼びおったなぁ!!」
砂煙の向こうから現れた巨影に武人は叫び、その巨影にザッハは息を呑む。
《コイツが俺のマキナ、スターホワイトだ》
ジョゼフの声で喋るマキナの姿を言葉で表現するなら鋼鉄の拳闘士。
装飾や甲冑を省いた力強さを感じさせるシンプルな意匠、一見した限り武装らしい武装は見当たらず、恐らく無手の近接格闘を主体としたマキナと思われる。
然し、武装は見当たらずとも存在そのものが凶器……目算で一五メートル程の巨体の拳は、蟻を踏み潰すが如く容易く武人達を押し潰せるだろう。
《コイツは生身の人間と魔物相手に使う代物じゃねぇが、アンタ達は別だ》
そう言いながらジョゼフはゆっくりと拳を振り上げるが、振り上げられる拳を前に武人の心は何故か穏やかだった。
《……アンタ達に恨みは無ぇが、此処で死んでもらうぜ》
人間は勿論、魔物ですら対抗出来ない理不尽、ソレがマキナだ。
然し、その理不尽に抗う力が沸々と武人の内から湧き上がってくる。
《あばよ》
別れの言葉と共に振り下ろされる鋼鉄の剛拳、高速で迫る拳を前に武人は笑う。
何故なら、
《っ!? 何だ!?》
その拳が届かない事を悟っていたからだ。
鋼鉄の拳が二人に叩き付けられる瞬間、何かにぶつかったかのように拳が止まる。
いや、正確には武人から湧き上がる膨大な魔力に危機感を覚えたジョゼフが、振り下ろす拳をぶつかる寸前で止めたのだ。
何か不味い、本能でそう感じ取ったジョゼフは慌てて距離を取る。
「……武人?」
湧き上がる膨大な魔力は武人の隣に立つザッハも感じ取っており、その膨大な魔力に彼女は恐る恐るといった感じで彼に話し掛ける。
そして―――
天に畜生
地に外道
踏まえし道は修羅の道
化け猫来たりて悪を食む
「参れ、夜叉猫(ヤシャネコ)ぉ!」
『知らない筈なのに知っている』、理不尽に抗う力を招く叫びと共に武人が胸の前で両拳をぶつけ合わせた瞬間、彼の頭上に真っ黒な球体が現れる。
現れた黒い球体は周囲の木々や機能を停止したアンドロイドを吸い込みながら膨れ上がり、徐々に膨れていく球体は武人とザッハを飲み込む。
二人を飲み込んだ球体は急速に萎んだかと思うと爆発し、周囲へ撒き散らされる衝撃波をジョゼフは腕を交差させて防ぐ。
衝撃波が過ぎ去った後、交差させていた腕を下ろしたジョゼフの前に立つのは、彼の駆るマキナ・スターホワイトとほぼ同じ大きさの鋼鉄のチェシャ猫。
目尻から縦に入った切れ込み、額に鬼を思わせる雄々しい二本角を生やした事以外、鋼鉄のチェシャ猫はザッハを巨大化させたような姿だ。
《……やれやれだぜ》
魔物側にもマキナが現れた事はジョゼフも知っている。
魔物側のマキナは教団製のマキナを上回る性能を持ち、魔物側のマキナの前では自分達のマキナは赤子同然。
実際、貴重なマキナを四機も投入したにも拘らずレスカティエ奪還が失敗に終わったのも、魔物側のマキナに全て撃墜された為だ。
やや前屈みの体勢で左腕をダランと垂らし、右腕を引いて構える夜叉猫にジョゼフは溜息と共に肩を竦める。
《……まぁ、やれるだけやってみるか》
自分達を上回る理不尽である魔物側のマキナと対峙するとは思ってもみなかった。
性能的に上回っている魔物側のマキナと戦った所で勝算は零に近いが、零に近くとも勝つ可能性があるなら挑む価値はある、とジョゼフは萎える戦意を奮い立たせる。
《いくぜ》
自分を奮い立たせたジョゼフは武人との距離を詰め、右ストレートを勢いよく放つ。
ジョゼフは素手の戦いなら教団内でも一二を争う実力者、教団内ではその拳は砲弾以上と言われた程だ。
然し、砲弾以上と言われた拳が放つ右ストレートは、武人の左腕に浮かび上がった紫色の十字架にあっさり防がれる。
《ふっ……!》
右ストレートが防がれるのは想定内、右ストレートを防がれたジョゼフは矢継ぎ早に拳を繰り出し、次々と繰り出される拳を武人は左腕一本で捌き続ける。
無論、武人もただ殴られるだけではない……ジョゼフの拳の弾幕を左腕で防ぎつつ、隙を見つけては空いている右腕でジョゼフを撃ち抜く。
最短距離で放たれる武人の拳をジョゼフは最小限の動きで避け、その拳を避けた後は距離を詰め直して拳の弾幕を繰り出す。
《オラァッ!》
「無駄ぁっ!」
何度も繰り返される拳と拳のぶつかり合い、衝突の衝撃が迷いの森の大気と木々を揺らし、耳を劈く轟音が鳴り響く。
(全く、正気を疑うぜ)
巨大ロボット同士の素手喧嘩(ステゴロ)、その最中でジョゼフは武人の技術に感心と呆れが半分ずつ混ざった呟きを胸中で漏らす。
防御一徹の左腕、常に最短距離を撃ち抜く構えの右腕。
パワー、速度、角度、タイミング、何をどう変えても武人の左腕は完全に対応してくる。
武人の戦闘スタイルは盾と槍で武装した重装歩兵そのもの、素手の戦いに於いて蹴り掴み投げ極め無し、その戦闘スタイルは非合理にも程がある。
然し、それでも打ち破れないシンプル且つ非合理な戦闘スタイル。
ソレを突き崩せない領域にまで磨き上げるのに一体どれ程の時間を費やしたのだろうか、ジョゼフが正気を疑うのも無理は無い。
(やれやれ……『コイツ』はあまり使いたくねぇんだが、な)
正気を疑う武人の戦闘スタイルを前にジョゼフはスターホワイトの『隠し玉』を使う事を決め、使うと決めた以上躊躇っている暇は無い。
《っと……ふんっ!》
武人の右ストレートを避けたジョゼフは一度バックステップで距離を取り、足元の地面を思い切り叩く。
剛拳は地面を砕き、へこませ、周囲に砂煙を舞い上がらせ、舞い上がる砂煙はジョゼフの姿を一時的に隠す。
「小賢しいわぁ!」
舞い上がる砂煙に武人が右腕を前に突き出すと、右掌に小型のブラックホールが現れる。
ブラックホールの維持は五秒、周囲の木々諸共砂煙を吸い込んでいくが、その僅かな時間にジョゼフの姿は完全に消えていた。
「ぬぅ……ザッハ、レーダーに反応はあるか?」
「ちょい待ち……めっけ! 僕達の右斜め後方、距離二〇!」
車輪の取れたバイクを思わせる副操縦席に座るザッハの言葉に武人が振り向くと、確かにジョゼフが其処に居た。
丁度、距離を詰め直そうとした所だったらしく、ボクサーのように拳を構えたジョゼフが此方に向かって迫ってくる。
「…………?」
迫るジョゼフを前に武人は違和感で首を傾げる。
此方に迫ってくるのはいいが、砂煙で隠れる前と比べると動きがやや鈍くなっている。
砂煙で隠れる前と後、常人が見れば差があるように見えないが武人には分かる。
「まぁ、いい。向かってくるなら殴り飛ばすまでよ!」
違和感に首を傾げながらも武人が構え直すと、ジョゼフが大振りに拳を振り上げる。
大振りな左フックは、武人にとって防ぐのは容易い一撃だ……左腕に展開した十字架状の重力障壁で左フックを弾き、
―ゴキャッ! ゴキャッ! ゴキャッ! ゴキャッ!
体勢を崩したジョゼフに武人は拳の乱打を叩き込む。
「うへぇ……関節が全部面白い方向に曲がっちゃったよ、敵ながら可哀想だねぇ」
武人の拳は機構上脆弱にならざるを得ない関節を的確に撃ち抜いており、本来曲がらない方向へと曲がってしまった関節にザッハは苦笑を浮かべる。
「むぅ……ジョゼフと言ったか、コイツはこの程度の(ズガンッ!)ぬあっ!?」
関節を曲げられ、崩れ落ちるジョゼフを前に首を傾げた直後、背後から重い一撃が背中に叩き込まれ、武人は右足を前に踏み出して倒れるのを辛うじて堪える。
「一体誰が……何だと!?」
転倒を免れ、振り返った武人は背後から攻撃を加えたモノの姿に驚く。
背後に立っていたのは先程崩れ落ちた筈のジョゼフであり、曲がった関節も全て元通りになっている。
「な、何故貴様が……くあっ!?」
関節が妙な方向に曲がったジョゼフと五体満足のジョゼフ、二人―二機?―のジョゼフに戸惑いを隠せない武人の顔にもう一人のジョゼフの拳が突き刺さる。
マキナと操縦者は魔術的にリンクしており、マキナのダメージは操縦者に伝わる。
顎に入った拳は武人のマキナ・夜叉猫に毛程のダメージを与えられなかったが、夜叉猫の顎を揺らした衝撃はマキナを通じて武人の脳を揺らす。
「ぐ、が……」
脳を揺さぶられ、体勢を崩した武人にジョゼフの拳の弾幕が迫る。
鋼と鋼がぶつかり合う轟音と共に蛸殴りにされる武人、脳を揺らされて精彩を欠いた左腕ではジョゼフの拳の弾幕を防げない。
今の武人はまさに人間サンドバッグ、全身を殴打される衝撃で操縦席が激しく揺れ続ける。
「ぬ、う……お、おおぉぉっ!!」
「っ!?」
一方的に殴られ続けていた武人の咆吼にジョゼフが一瞬身体を強張らせた、その瞬間だ。
今まで防御に専念していた左腕……五指を開いていた手はシッカリと握り締められ、鋼の身体を持つアンドロイドすら容易く砕く剛拳が顔面目掛けて迫ってくる。
(しまった、コッチが本命か!!)
迫る左拳を前に胸中で悔やむジョゼフだが既に遅い。
武人の剛拳はジョゼフのマキナの顔面ど真ん中に突き刺さり、剛拳の直撃を受けた顔面はへこむどころか木端微塵に砕け散る。
《くそっ、メインカメラが……ぐおっ!?》
頭部を失い、思わず後退るジョゼフ。
教団のマキナには操縦者がショック死しないように、操縦者に伝わるダメージを軽減する特殊な魔術が操縦席に施されている。
そのお陰でダメージは抑えられたが痛いものは痛い……ズキズキと痛み、鼻血を垂らす鼻を押さえるジョゼフは胸板に走った衝撃で仰向けに倒れる。
《サブカメラのスイッチは……》
視界を失ったまま戦える筈もなく、ジョゼフは上半身を起こしながらサブカメラ―人間で言えば鎖骨の辺りだ―を起動させる。
《……何処に行った?》
上半身を起こすのと同時にサブカメラのスイッチが入り、操縦席のモニターにサブカメラからの映像が映し出されるが武人の姿が見当たらない。
武人の姿を探してジョゼフが周囲を見渡すと真上に影が差し、真上に差した影に彼が上を見上げた瞬間、彼は絶句した。
「グラビトン・クロスだぁぁ――――――!!」
頭部を砕き、殴り倒した武人は即座に高々と跳躍し、上半身を起こしたジョゼフ目掛けて落下しながら左腕を前に突き出すと、突き出された掌から重力障壁が現れる。
然し、現れた重力障壁は横幅だけでジョゼフを押し潰すには充分な程に大きかった。
「っ!? オォラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
「無ぅ駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
迫る巨大な十字架を前にジョゼフは拳の連打で押し返そうと試み、押し返そうとする彼に対して武人は押し潰さんと十字架の上から拳を連打する。
「…………武人ってさぁ、実は二重人格?」
十字架を挟んで拳のラッシュ対決をする武人、その表情は普段の彼から想像出来ない程に歪んでおり、戦闘狂そのものといった狂相にザッハは呆れた呟きを漏らす。
その呟きは尤も、二重人格では? と疑いたくなる豹変振りである。
「ブッ潰れろぉぉぉ―――――!!」
武人とジョゼフのラッシュ対決、誰が見ても体勢的に力の入り辛いジョゼフが不利である。
押し返そうとするラッシュが徐々に弱まり、その駄目押しをするように武人は大きく右腕を振り上げてから、渾身の重力加速を加えた拳を勢いよく十字架に叩き付ける。
その一撃がトドメとなったのか、ラッシュに競り負けたジョゼフは重力障壁に押し潰され、地面に十字架状のクレーターが穿たれる。
クレーターが穿たれた直後、武人が上から飛び退くと同時に地面と十字架の隙間から爆風が漏れ、爆風に巻き込まれる形で重力障壁は消滅する。
「やったか!?」
「にゃふぅ……レーダーに反応無し、今度こそ終わりじゃね?」
地響きと共に着地した武人が消滅する重力障壁を前に疑問の呟きを漏らすと、その呟きにザッハが疲れを感じさせる溜息の混じった答えを返す。
武人もレーダーを確認してみると反応は無く、ザッハの答えが正しいと知った彼は肩の力を抜いた。
「……なっ!? う、動けん、馬鹿な!?」
その瞬間、まるで全身をコンクリートで塗り固められたかのように身体が動かなくなり、突然動けなくなった身体に武人は困惑と驚愕の混じった叫びを上げる。
首から上は辛うじて動かせるものの、今動かせる部分が其処だけの状態で敵に襲われれば一溜まりもない。
「武人、足元! 拘束結界だ!」
「何ぃ!?」
ザッハの叫びに武人が視線を足元に移せば、其処にはボンヤリと白い光を放つ魔法陣。
「うげぇ……而もコレ、転移も邪魔する奴じゃん」
「……分かるのか?」
「魔物化する前、一度コイツに縛られた事があるんだよ〜ん」
何時の間に拘束結界―而もザッハの十八番である転移を阻害する―を仕掛けられた事にも驚きだが、一番の問題は『誰がこの拘束結界を仕掛けた』か、だ。
「くっ……敵は、何処だ!?」
武人は辛うじて動かせる首を動かして周囲を見渡すが見える範囲には敵の姿は見当たらず、姿を見せぬ敵に彼が焦りを感じた時だ。
ゴゴゴゴゴ…と効果音が付きそうな重厚な威圧感が背後に現れ、背後に感じる気配に武人とザッハは身体を強張らせる。
背後に現れた気配の主、ソレは
「俺が動きを止めた」
「ジョ、ジョゼフゥッ! 貴様ぁぁ!」
十字架に押し潰され、爆散した筈のジョゼフだった。
×××
「貴様、何故生きている!?」
十字架状の重力障壁に押し潰されてマキナ諸共死んだ筈のジョゼフが何故生きているのか、重厚な威圧感を放ちながら背後に立つジョゼフに武人は当然の疑問をぶつける。
レーダーに反応が無かったのは、ジョゼフのマキナにステルスが搭載されていたから、と説明出来るし、納得も出来る。
然し、重力障壁で押し潰した筈のジョゼフが生きており、自分の背後に立っている理由が武人には理解出来ない。
「簡単な事だ……『俺が三人居た』、ソレだけだ」
「何だと……貴様、三つ子だったのか!?」
「微妙に惜しい答えだな、三つ子なのは俺じゃなくて俺のマキナの方だ」
ぶつけられた疑問、返ってきた答え、タネが割れれば実に簡単な事だった。
スターホワイトにはジョゼフ自身が操縦する機体と全く同じ機体が用意されており、普段は腰蓑に見えるスカートの裏に魔術で人間程の大きさにされた状態で格納されている。
この同型機はジョゼフの思考をコピーしたAIが操縦し、やや動きが鈍い事を除けば本人と寸分違わぬ動きで動く。
スペースの都合上、この無人マキナは二機が限度だが、同一人物の連携攻撃は脅威として充分過ぎる。
武人が破壊した二人のジョゼフはこの無人マキナであり、本体は搭載されていたステルスで姿を隠して隙を窺っていたのだ。
「まぁ、俺は小狡い手は好きじゃねぇから、あまり使わねぇがな」
そう締め括るジョゼフは此処が戦場である事を忘れさせる程に余裕だが、その余裕も当然。
首から下を動かせない武人を倒すのは赤子の手を捻るより容易い。
「くっ、おのれぇ……」
武人は拘束結界から逃れようとする……然し、武人は常に前線に身を置くアタッカーだ、解呪を始めとした補助系魔術に疎い為、コレ程高度な拘束結界の解呪は困難である。
刻一刻と迫る死刑へのカウントダウン、義兄弟達が外で待っている以上此処で死ぬ訳にはいかない。
(どうする……)
ジョゼフは勿論、何度も肌を重ねたザッハですら知らない切り札が武人にはあるが、この切り札は義兄弟達以外の者の前では使えない。
切り札を使う時の武人は『人間でありながら人間とは言い難い姿になる為』で、その姿をザッハには見せたくない、という思いが彼の胸中に渦巻いている。
見せたくないと思う一方、使わなければ死ぬぞと戦士としての自分が囁く。
切り札を使うべきか否か、使いたくないと思う自分と戦士として使うべきだと囁く自分に挟まれた武人は苦悩する。
《今度こそ終わりだ》
苦悩する武人の耳にジョゼフの死刑宣告が届く。
このまま悩んでいれば殴り殺される、迷っていればザッハと共に殺される。
迷っている暇は無い、使うべきか否か決断するしかない。
《コレでトドメだ!》
弓を引くように右腕を引くジョゼフ、その狙いは胸部中央。
教団のマキナの操縦席は人間で言えば心臓の部分にあり、魔物側のマキナの操縦席も同じ位置とは限らないが、少なくとも胸に大穴が開けばコレ以上抵抗する事は出来ない筈だ。
其処に操縦席が無ければ完全に壊れるまで殴り続ければいい、そう思いながらジョゼフは勢いよく右ストレートを放つ。
―ガシィッ!
《……な、何ぃ!?》
届く筈だった右ストレートは届かない。
貫く筈だった右ストレートが防がれる。
何故なら―――
《か、隠し腕だと!?》
武人の背中、右肩の付け根から現れた『第三の腕』に、右拳を掴まれたからだ。
「た、武人……」
現れた第三の腕にジョゼフが驚愕していた時、夜叉猫の操縦席でもザッハは驚愕で言葉を失っていた。
異様な気配を感じ取り、背後に立っている武人に振り返ったザッハ、その瞳が捉えたのは第三の腕を生やした武人。
背中に生えた第三の腕にザッハが言葉を失っていると、第三の腕の反対側からもう一本の腕が生えるように現れ、何も無い筈の空間を殴りつける。
《ごはぁっ!?》
その動きの直後、背後からジョゼフの苦悶の呻きが聞こえ、その声でザッハは彼が第四の腕に殴られた事を知る。
「ジョゼフ・K・ジョーンズ、この俺に真の本気を出させた事を後悔するがいい! ふんっ、ぬぅぅ……ぬおぉぉあぁぁあぁあぁぁぁっ!!」
そう叫びつつ武人は全身に力を籠め、拘束結界で封じられた身体を強引に動かそうとし、夜叉猫の各所がギシギシ…と嫌な軋みを上げる。
「た、武人!? む、無茶すんなって!!」
強引な突破を図る武人の鼻からは血が流れ、血管が浮かび上がる程に筋肉が膨れ上がる。
武人の無茶にザッハは悲鳴じみた叫びを上げ、夜叉猫も甲高い警告音を鳴らすが、一人と一機の制止を黙殺して武人は渾身の力で強引な突破を目指す。
「ぬぅぅおぉおぉぉあぁぁあぁあぁぁぁっ!!」
―ガシャァァァン!!
武人の渾身の力は拘束結界に強大な負担を与え、その負担に耐え切れなかった拘束結界は硝子の砕けるような音と共に砕け散り、彼の強引な突破は成功する。
《冗談だろ……俺の拘束結界を強引に振り解きやがった……!!》
解呪を使わず、膂力だけで拘束結界から逃れた事にジョゼフは呆然と呟き、驚愕で固まる彼に武人は向き直る。
「行くぞ、ジョゼフゥゥゥ!!」
武人の叫びに呼応するように夜叉猫の目が紅く輝くと、切れ込みに沿うように顔の装甲が下方向にスライドし、その下から紅い光を放つ単眼が現れる。
単眼と共に装甲の下に隠れていた牙を向き出しにした今の夜叉猫は、額の二本角もあって単眼の鬼を思わせる。
「はっはぁぁぁ――――っ!!」
雄叫びと共に武人はジョゼフとの距離を詰め、一瞬で懐に踏み込まれたジョゼフは反応が遅れる。
「無駄! 無駄無駄無駄ぁ! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
―ドガガガガガガガガガガガッ!!
《ぬ、おぉぉ!?》
そして繰り出される猛烈な拳の弾幕を前にジョゼフは防御しようとするものの間に合わず、猛ラッシュの直撃を受ける。
単純計算でも二倍のラッシュは操縦席を激しく揺らし、激し過ぎる揺れに吐気がしてくる。
《くそっ……》
猛烈なラッシュに晒されながらもジョゼフは繰り出される四つの拳を捌こうと試みるが、その試みは無駄だと悟らされる。
「無ぅ駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
左腕で攻撃を捌き、隙を突いて右腕で最短距離を撃ち抜くのが武人の戦闘スタイルだ。
然し、今の武人は防御を捨てて猛烈な勢いで拳を繰り出しており、拳を捌こうにも彼には腕が四本もある以上、拳の一つを防いでも残る三つの拳が自身を叩いてくる。
ヒトならざるモノの猛攻、勇者と言えど只人であるジョゼフには荷が重過ぎる。
《ちっ……》
刻一刻と迫る敗北を前にジョゼフは舌打ちするが、心中は穏やかだった。
元々ジョゼフはとある中立領の貧民街出身の孤児であり、一人で生き延びられる程度には身体が丈夫だった為、奴隷商人に『商品』として保護された彼はネルカティエに売られた。
売られた後のジョゼフは城内の雑用として働かされていたが、勇者の素質があるから、とネフレン=カに引き取られてからは勇者としての育成を受けた。
然し、貧民街での生活の影響からか、ジョゼフ自身の思想は中立である。
生きる事に善悪無し、長短はあれど一生は一生。
出身である貧民街が中立派だった事もあって、魔物が絶対的な悪ではない事をジョゼフは知っているし、魔物は魔物なりに真剣に真面目に生きているのも知っている。
然し、自分が生きていく為には狩らなくてはならないが故にジョゼフは魔物を狩る。
同時に、誰かが生きる為に自分が殺されるであろう事もジョゼフは納得している。
故に、此処で武人に倒され、殺されたとしてもソレはソレで自分は一生を全うしたのだ。
生きている以上は何れ死ぬ、自分の場合ソレが今だというだけ。
《ははっ……》
純白の装甲は全身拳の跡だらけ、猛ラッシュの衝撃で半分以上がイカレた内部機構、今のスターホワイトは指を動かすのも精一杯という状態で、破壊されるのも時間の問題だ。
自分は此処で死ぬのか、と己の死を受け入れたジョゼフは何故か笑みを浮かべる。
《もう少しだけ付き合ってくれよ、スターホワイト……》
死ぬなら死ぬで最後に一発くらいは自慢の拳を叩き込んでやる、そう思いながらジョゼフはもう満足に動かない相棒を動かす。
《食らえ!》
「ぐはっ!」
今生最後になるであろう拳。
繰り出した拳は四つ腕の猛ラッシュを掻い潜って武人の顔面に突き刺さり、顔面に入った拳で武人は仰け反り後退る。
「良〜い拳だぁ……その拳に免じ、俺の最強の一撃をくれてやろう!」
二、三歩程後退った後、武人は殴られた左頬を撫でながら次の一撃が最後だと宣告する。
「おぉぉおぉおおぉぉぉおおおぉおぉぉおおおぉぉぉっ!!」
咆吼と共に魔力が全身に漲り、漲る魔力は全て右拳に集う。
「現(ウツツ)を壊す、我が一撃! 食らえ、」
膨大な魔力が集中した右拳を引き、武人は踏み込む足と右腕に限界まで重力加速を施す。
限界まで施された重力加速、ジョゼフには武人の姿が一瞬で消えたように見えただろう。
そして―――
『現壊一撃(リアル・インパクト)』!!
極限の加速が加えられた零距離ショートアッパーが鳩尾に突き刺さり、ジョゼフは身体を九の字に曲げる。
繰り出された神速の拳は装甲を貫き、スターホワイトの動力炉を破壊するが、ソレだけで終わらなかった。
右拳に集中された魔力はスターホワイトの内部にブラックホールを、万物を飲み込んでも癒えぬ餓えに苛まされる黒き星を作り出す。
武人が拳を引き抜くのと同時にブラックホールはジョゼフを飲み込み始め、瞬く間に彼は粉々に磨り潰され、その粉すら目に見えぬ領域にまで挽かれていく。
「WRYYYYYYYYYY――――――ッ!!」
ジョゼフを飲み込んだブラックホールは急速に萎んで消失し、消失するブラックホールを眺めながら武人は高々と勝鬨を上げた。
×××
「なぁなぁ、さっきの背中の腕って何だ?」
「……あの隠し腕の事ですね。隠し腕の事を話す前に、私の幼い頃の話をしましょうか」
ジョゼフを倒した後、夜叉猫は魔力の粒子と化して消え、その場に残された二人。
教団の部隊を撃退した事を報告すべく城に戻る途中、武人の頭の上に器用に胡坐を掻いたザッハが先程の隠し腕の事を尋ねてくる。
何故か頭の上に座るザッハに溜息を吐きながら、武人は隠し腕にまつわる己の過去を語る。
『紫法院』の名は元の世界では知らぬ者がいない程に有名だ。
様々な業界に通じ、各業界に強い発言力を持つ老舗の大企業・紫法院財閥……武人はその長男だったが、現在実家とは絶縁状態にある。
実家と絶縁状態にある原因、ソレは幼い頃の武人の周囲で起きた怪現象だ。
武人が四歳を迎えた時、突然彼の周囲にあった小物類が浮かび上がったり、潰れたりする怪現象が起こるようになったのだ。
武人の周囲で起こるポルターガイストを家族は気味悪がり、ポルターガイストの発現から半年後、家族はとある養護施設に多額の寄付と共に彼を捨てた。
寂しさから武人は施設の電話で何度も連絡を取ろうとしたが名乗った瞬間に電話を切られ、家族の縁を切られた事を自覚してからは連絡を取ろうと思う事もなくなった。
施設でも武人は孤独だった……最初はクッションや小物といった小さく軽い物だけだったポルターガイストも机や箪笥、果てには職員の乗用車と次第に物が大きくなってきた。
徐々に大きくなる被害に職員は武人を恐れ、施設の子供達は彼を『化け物』と罵った。
子供達の中には武人に石を投げつける者もいたが、投げた石もポルターガイストで潰され、ソレが彼の孤独に拍車を掛けた。
このポルターガイストの正体が元の世界には存在しない魔術である事を知ったのは武人が六歳の時、義父が彼を養子として引き取った後だ。
義父に引き取られた後、武人は彼と同じく魔術で両親から捨てられた紅蓮達と共に魔術を学び、その過程で我流の拳闘術を修めていった。
武人が背中に腕生やす異形の身体を得たのは彼が一四歳の時である。
図書館顔負けの蔵書量を誇る義父の書斎を掃除していた時、武人はある本を見つけた。
本の名は『屍食教典義』、オーソドックスな装幀とは裏腹に魔術を用いた様々な人体改造が数多く記された『魔術に因る人体改造マニュアル』。
何故、こんな怪奇書が義父の書斎にあるのか疑問に思いつつ、武人は憑りつかれたように熱心に読み進め、彼はその中から最も自分と相性の良い記述を見つけた。
その記述こそが隠し腕であり、武人は義父にこの魔術的人体改造をしてほしいと頼んだ。
無論、その申し出に義父は猛反対するが、家族を護る為の力が欲しいと言う武人の熱意に根負けし、義父は異形の身体へと彼を改造したのだ。
尚、この人体改造以降、感情が昂ると武人は非常に好戦的になるが、あくまでこの性格の変貌は昂る感情を理性で縛りきれず、闘争本能がダダ漏れになるだけである。
「家族の絆を奪ったのが魔術ならば、その絆をくれたのも魔術なのです……魔術が繋いだ新しい家族を護りたい、その一心で私は人間を辞めたのです」
「ふぅん……」
家族の絆を奪った魔術が与えた新しい家族である紅蓮達を護れる力を、武人の隠し腕には家族を護りたいという想いが詰まっている。
過去を語り終えた武人は異形の身体を誇るような笑みを浮かべ、その想像以上に重い過去にザッハは表面上平静を取り繕っているが内心驚きを隠せない。
苦痛に満ちた幼少期を過ごし、家族の為に自ら人間を辞めた武人。
その辛い境遇に捻くれず、異形の身体を得ても武人が『人』でいられたのは、周囲に彼を受け入れてくれる人達が居たからだろう。
「なぁ、武人」
「ん、何ですか?」
「にゃふふ、僕は武人の事が大好きだぞ」
ヒトの心を持った異形、ソレが自分の好きになった武人。
大切な家族を護る為の隠し腕、その隠し腕に護られる者に自分はなりたい。
無論、護られるだけでなく、これからも戦い続ける武人の背中を護れる者にもなりたい。
そんな想いを籠めながら、ザッハは幾度となく伝えた好意を武人に伝える。
「……ふふっ」
何の捻りも無い直球で伝えられた好意に武人は微笑む。
身体から始まり、付き合いも短いが、この僅かな時間で武人にとってこの隠し腕で絶対に護ってみせると想う程にザッハが大切な存在になっている。
こんな始まり方も悪くない、そう思いながら武人はニヤニヤと笑うザッハを頭に乗せて城への帰り道をゆっくりと進んだ。
14/04/14 09:04更新 / 斬魔大聖
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