後編
『……………………』
そして、結婚式当日、ネルカティエの大教会。
招待された教団関係者だけでも二〇〇人以上、警備の兵士を含めれば三〇〇人程の人間が集まったルエリィの結婚式は恙なく進行した、宣誓でルエリィが沈黙を貫くまでは。
一度目は緊張しているからと思ったが、二度、三度と問われてもルエリィは無言を返し、流石に彼女の様子がおかしい事に気付いた参列者達が騒めき始める。
「……ん、んんっ」
俄かに騒めき始めた参列者達を静めるように神父が大きく咳払いし、無言を貫くルエリィに四度目の宣誓を問おうとした、その時だ。
「……ふふっ♪」
「「…………?」」
ルエリィが笑った。
その笑みに彼女に最も近かった神父と新郎は怪訝な顔を浮かべる……何故なら、ルエリィの笑みは嘲笑に歪んでいた。
「すぅ…………」
嘲笑を浮かべたルエリィは大きく息を吸い、背後に並ぶ参列者達に振り返ると
「だぁれがこんなチ○コも勃たねぇようなカラッカラの枯れ木爺ぃに愛を誓うかっての、このクソッタレ共がぁぁ―――!!」
王族らしからぬ下品な口調でルエリィは大声で叫ぶ。
その叫びは教会の入口に立っていた兵士も思わず耳を塞ぐ程の大音量、スタングレネード数発分に匹敵するルエリィの叫びは最早爆音に等しい。
無論、ルエリィの爆音の如き叫びは彼女に最も近かった二人に甚大な被害を与え、鼓膜が破れてもおかしくない叫びを間近で聞いた神父と新郎は昏倒する。
「る、ルエリィ!? お前、何(バシッ!)ンがっ!?」
耳を押さえながら椅子から立ち上がったゴールディは言葉を紡ごうとするが、ルエリィが投げた何かが顔にぶつかって中断される。
飛んできたのは神父の持っていた聖書、而も丁度角がゴールディの鼻に直撃した。
「はっ! 人の事を散々要らねぇ要らねぇ言ったくせに一丁前に父親面すんじゃねぇよ、この糞親父!」
「なっ……!?」
父にして王たるゴールディに対するルエリィの言葉は乱暴極まりない。
聖書の角が直撃した鼻を押さえ、うっすらと涙を浮かべたゴールディはルエリィの暴言に言葉を失い、無論、その暴言に参列者と警備の兵士も絶句する。
「もう良い子ちゃんぶるのも止めだ、止め! 私は私の望むままに生きる、こんな腐ったゲロみてぇな臭いがプンプンする国で生きるなんざ真っ平御免だ!」
そう叫んだ後、ルエリィはウェディングドレスの胸元を掴むと、乱暴に引き千切りながら女性なら誰もが憧れる衣装を脱ぎ捨てたが、その裸体は衆目の目に晒されなかった。
ルエリィがウェディングドレスを脱ぎ捨てると同時に彼女の身体は真っ黒な影に包まれ、影が消えた後に現れた彼女の姿に全員が息を呑む。
丈の短い黒のタンクトップに真っ黒なレザーのホットパンツ、猛犬に着ける首輪のような金属鋲付きの黒いチョーカー、その両腕にはチョーカーと同じ物が巻かれている。
鋭さを主張するように金属質な輝きを放つ短いスパイクを爪先に生やしたロングブーツ、刺さったら痛い事は間違い無しの短くも鋭利なスパイクを乱雑に生やした膝当て。
一昔前のハードロックヴォーカリストを思わせる格好は周囲を驚かせるには充分だったが、黒一色の服に身を包んだルエリィ自身が何より周囲を呆然とさせている。
生命力の消え失せた青白い肌、爛々と輝く血のように紅い瞳、両腕を覆うボンヤリと淡く輝く青白い半透明の鉤爪。
その姿を持つ魔物を教団は知っている……ワイト、生ける屍達を束ね、常夜の国を統べるアンデッドの女王。
「な、何故ルエリィ様が!?」
「じょ、冗談だろ!?」
「うだうだるっせぇんだよ、このスッタコ共がぁ!!」
ルエリィが魔物に、而も魔物の中でも高位に位置するワイトと化した事に周囲が騒ぐ中、気品の欠片も無い口調でルエリィは半透明の鉤爪の指を鳴らす。
―ガオォンッ……
指を鳴らした瞬間、不気味な音と共に不可解な『波』がルエリィを中心に教会内に迸り、騒ぐ参列者達の間を走り抜ける。
「おふぅっ」
「あひぃっ」
すると、『波』に中てられた一部の者達は白目を剥いて腰をカクカクと動かし、気の抜けた声を漏らしながら次々と崩れ落ちていく。
『波』に中てられた者達は崩れ落ちても腰をカクカク動かし続けており、見ればズボンの股間が漏らしたようにジンワリと濡れ、仄かに生臭い。
「くっ……何だコレ……」
「お、俺に聞くなぁ……」
「うわぁ、イカ臭ぇ……」
『波』で崩れ落ちなかった者も辛うじて立っているという有様、崩れ落ちた者から仄かに漂う悪臭に顔を顰めている。
精の扱いに長けたワイトは触れるだけで快感を与えつつ精を奪い取る事が可能だ。
ルエリィが先程放った『波』は射精しながら気絶する程の快感を与えた上で精を奪い取る高密度の魔力だが、通常のワイトではコレだけの魔力を広範囲に散布する事は難しい。
アステラにありったけの魔力を注がれたルエリィだからこそ出来る荒業である。
「ははっ、すっげぇ! うし、今度からコイツを『吸精波(フェロモン)』って呼ぶか」
尤も、使った本人も驚いていたが。
「ルエリィィィ!!」
「んぁ……って、うわっと!?」
ルエリィが吸精の魔力の波・『吸精波』の威力に驚いていると、一人の女騎士が大剣を彼女目掛けて振り下ろし、振り下ろされる大剣を彼女は転がるように慌てて避ける。
振り下ろされた大剣は説教壇を容易く両断し、床にちょっとしたクレーターが穿たれる。
「ちっ、クレア姉ぇのお出ましかよ」
その勢いを活かして起き上がり、舌打ちするルエリィ……その視線の先には紅いラインで縁取られた白い甲冑を纏う女騎士、その両手には女騎士の身の丈程はある大剣。
嫌悪に溢れた視線でルエリィを睨む女騎士こそがルエリィの姉、ネルカティエ第一王女のクレアンヌである。
「つぅか、殺す気で振り下ろしたな、テメェ」
「何時の間に魔物に堕ちたのかは知らん……だが、人間を滅ぼす魔物なら容赦はせん! ソレが例え妹であったとしてもだ!」
殺意の籠もった一撃にルエリィは威嚇するように半透明の鉤爪を握っては開きを繰り返し、身構える彼女にクレアンヌは大剣を正眼に構える。
「姉さん、私達も……」
「ルエリィの弔い合戦といきましょう」
ルエリィとクレアンヌが睨み合っていると、クレアンヌの許に如何にも魔法使いといった風貌の女性とメイスを持った修道女が駆け寄ってくる。
「勝手に人を殺してんじゃねぇ! あ、ワイトだからある意味死んでるのか」
クレアンヌの背後に並ぶ、彼女と顔立ちの似た二人の女性。
その内の一人の言葉にルエリィは声を荒げるが、自分がアンデッドである事を思い出して自ら訂正する。
「けっ、ネルカティエの王女が勢揃いかよ」
目前に並ぶ三人にルエリィは険しい表情を浮かべる……節くれだった杖を持つ魔法使いはネルカティエの第三王女・シーダ、メイスを持つ修道女は第二王女・ヴェローチェ。
クレアンヌも含めた姉達は母国のネルカティエは勿論、他の教団勢力圏内でも有名だ。
クレアンヌは正義感に溢れた熱血漢。
幼少の頃から優れた剣の才能を発揮し、ネルカティエ最強の称号を持つ勇者である。
ヴェローチェは慈愛に溢れた聖職者。
主神の声を聞いた事のある彼女は、ソレを証明するかのように治癒魔術を得意とする。
シーダは理知的で冷静沈着な魔術師。
一〇歳の時に城の蔵書を読破、内容を暗記した天才的頭脳を持つ魔術のスペシャリスト。
得意分野は違えど共通しているのは姉妹らしく似た顔立ちと主神の加護を受けている事、そして教団の使命への盲目的なまでの忠誠心。
使命を果たし、正義を貫徹しようとする三人の姿勢は生粋の英雄と呼べる。
(さぁて、こりゃどうすっかねぇ……)
攻守のバランスが取れている上に個々の実力も高い三人は主神の加護の影響なのか、先程の『吸精波』も効果が薄かったらしい。
ネルカティエでも超一級の三人がほぼベストコンディションで並んでいるという事態は、高位に位置するワイトとはいえ『成りたて』のルエリィには荷が重い。
退散するにしても―元々、ルエリィはそのつもりだったが―姉達を振り切って逃げ切れる可能性は限りなく低く、三人を相手に戦って勝つのは無理がある。
(兄様が居ればなぁ……)
兄と慕い、恋い焦がれる夜斗の不在にルエリィが心中で溜息を吐いた、その時だ。
―ガシャァァ――――ン!!
「いぃぃぃぃやっほぉぉぉ――――――っ!!」
『っ!?』
突然甲高い叫びと共にステンドグラスが木端微塵に砕け散り、その叫びと破砕音に四人はステンドグラスに目を向ける。
視線の先には見慣れぬモノに跨って教会の中へと飛び込んできた人影、四人を飛び越えた人影はギャギャギャ…と甲高い摩擦音を鳴らしながら着地。
「Well, it is the beginning of really worst party!」
『はぁっ!?』
そして、着地した人影は振り返る事無く何処からか取り出したロケットランチャーを構え、その砲口を向けられた四人は目を丸くして驚く。
無論、『吸精波』を耐えた者達も突然の乱入者とその暴挙に開いた口が塞がらない。
―ズドンッ!!
「くぅっ!」
砲口から放たれるロケット弾、逸早く我に返ったシーダが猛然と迫るロケット弾の軌道に魔術で干渉したのはほぼ同時。
乱入者と四人の中間辺りでロケット弾は見えない手に掴まれ、ロケット弾は見えない手の中で暴れるが、その直後にルエリィの取った行動に全員が目を見開いた。
「きゃははっ!!」
爛漫な笑い声を上げたルエリィはロケット弾に近付くと、
「うぅらっしゃあぁぁ!」
見えない手に掴まれ手暴れるロケット弾の尻を思いっきり蹴り飛ばし、蹴り飛ばれた事でロケット弾は見えない手から心太の如く押し出される。
尚、蹴り飛ばす直前にルエリィは蹴り足を魔力で保護した為、彼女の足は無傷である。
元々の推進力に加え、蹴り飛ばされた勢いで発射された時以上の速度で迫るロケット弾に三人の反応は遅れ、見事ロケット弾は呆然と立ち竦む三人に着弾する。
「もう、乱入早々ロケット弾ぶっ放すなっつぅの! 危うく月までブッ飛ぶところだったじゃねぇか!」
「なぁ〜はっはっはっ! 結果オーライってなもんよ! つぅか、オメェ……なんか口調変わってね?」
濛々と上る煙にルエリィは乱入者に抗議を上げ、その抗議を笑い飛ばした乱入者は彼女の口調が変わっている事に首を傾げる。
「でも、すっげぇカッコ良かったぜ、『に・い・さ・ま』♪」
「ったぼぉよ! 最高に最悪で、最高にカッコいいタイミングを見計らってたからなぁ!」
抗議一転、はにかむルエリィに乱入者は豪快に笑い、此処に現れる筈の無い乱入者の姿に周囲は騒然となる。
騒然とする参列者達の中、辛うじてルエリィの『吸精波』を耐えたゴールディは乱入者へ射殺さんばかりに鋭い視線を向けて叫ぶ。
「何故、何故貴様が此処に居るぅ、黒井夜斗ぉ!」
×××
「何故? 何故って聞くか? ルエリィを返してもらいにきたに決まってんだろぉが!」
鋭い視線を向けて叫ぶゴールディに負けじと夜斗は睨み返して叫ぶ。
ルエリィを返してもらいにきた、と。
その叫びにゴールディは忌々しさと激しい怒りで顔を歪め、夜斗曰く『脂肪一〇〇%』の太った身体を小刻みに震わせる。
「返してもらいにきた、だとぉ……ルエリィは穢れた悪党の貴様のモノではない!」
「はっ! なら、穢れた悪党らしく、奪わせてもらおうじゃねぇか!」
奪わせてもらう、と叫ぶと同時に夜斗は怒りで身体を震わせるゴールディに迫り、瞬く間に彼の背後を取る。
ゴールディの背後を取った夜斗は左腕で少し息苦しさを感じる程度に彼の首を締め上げ、何時の間にか握っていたスティレットの尖端をコメカミに突き付ける。
「おっと、動くんじゃねぇ! ちぃっとでも動いてみろ、コイツの命はねぇぜ……まぁ、王様の脳味噌に先っちょがブッ刺さる方が圧倒的に速いけどな」
ドスの入った低い声で夜斗はゴールディのコメカミにスティレットの尖端を軽く突き刺し、コメカミから伝わる鋭さにゴールディは目を丸くして言葉を失う。
王を人質に取るという夜斗の卑劣な行為に『吸精波』に耐えた警備兵達は勿論、辛うじて耐える事の出来た参列者達も怒りを隠せない。
だが、一歩でも動けばゴールディの命が無い為、誰もが立っている場所から動けない。
「流石、兄様! 私には出来ない事を平然とやってのける! 其処に痺れる、憧れるぅ!」
「何でそのネタ知ってんだよ!? つぅか、オメェ本当に口調変わり過ぎだろ!?」
そんな卑劣な行為を理想の兄に心酔するルエリィは場違いな程にはしゃぎ、彼女の豹変に夜斗は困惑を隠せない。
「さぁて、ちょいと取引といこうじゃねぇか」
「と、取引、だと……」
平静を取り戻した夜斗はスティレットの尖端をコメカミにロックオンしたまま、周囲にも聞こえる声でゴールディに取引を持ち掛ける。
「其処で俺を狙ってるルエリィの姉ちゃん三人と勝負させろ。俺が勝ったら俺達を見逃せ、勿論追撃は無しだ。ソッチが勝ったら……そうだな、俺達の首をくれてやらぁ」
夜斗の視線の先には着弾寸前に防御用の魔術で防いだのだろう、煤に塗れているが健在のクレアンヌ達が夜斗を睨んでいる。
「え、えぇっ!?」
「何……だと……!?」
クレアンヌ達の健在と夜斗の持ち掛けた取引の内容に周囲が一気に騒ぎ出す。
ソレも当然、人質を取った側が圧倒的に不利な取引なのだ。
「貴様……正気、か……!?」
他の教団勢力圏内からの参列者は兎も角、夜斗が模擬戦で負けた事をネルカティエ陣営は知って―模擬戦の条件が彼の戦闘スタイルと相性が悪かった事は知らないが―いる。
模擬戦相手にすら負けた夜斗がネルカティエの誇る三強を相手に勝負、而も肝心の本人は勝つつもりらしいのだ、ゴールディが正気を疑うのも無理も無い。
「はっ、『どんな理由があろうと人を殺した奴は皆狂ってらぁ』、頭のおかしい連中に正論なんざ通じねぇよ。取引を承諾すんなら解放、断れば首がボッキリいくぜ」
正気を疑われた夜斗は『自分に言い聞かせる』ような響きを持った答えを返し、その答えに首を傾げながらゴールディは頷く。
ゴールディが頷いたのを見た夜斗は突き飛ばすように解放すると、突き飛ばされた勢いで転んだゴールディの許に警備兵達が駆け寄る。
「つぅ訳で、勝負といこうじゃねぇか」
「何を血迷ったのか知らんが、父上を人質に取った貴様は絶対に赦さん」
ヘラヘラと笑いながら背後に振り返った夜斗にクレアンヌは怒りを露に大剣を構え、彼女の背後でも妹二人が杖とメイスを構えて彼を睨んでいる。
ヴェローチェとシーダは魔術が得意だが近接戦もこなし、妹二人には劣るがクレアンヌも魔術を使える万能型だ。
ネルカティエ、そして人類の希望となる為には弱点があっては駄目だ、という思いで弱点を鍛えた三人は武芸・魔術共に生半可な達人を上回る。
全てに於いて非常に高い領域でまとまった三人を相手に、夜斗は余裕綽々といった態度でダラリと両腕を垂らしている。
「……………………」
余裕そのものといった態度の夜斗に、クレアンヌ達は怒りと苛立ちを強引に抑え込む。
人質を取るという卑劣な行為も辞さない夜斗だ、奇策を用意しているかもしれない。
そう訴える経験に従って一挙手一投足を見逃さぬように三人は夜斗を見据え、その気迫に呑まれた周囲は勝負を見守るように静まる。
模擬戦の結果を知らぬ参列者達は息を呑んで見守り、模擬戦の結果を知るネルカティエ側はルエリィ以外三人の勝利を確信していた。
どう足掻いても夜斗一人で三人……而も、ネルカティエの誇る三強が相手なのだ、如何に奇策を用いようと夜斗が勝てる筈がない。
固唾を飲んで行方を見守る参列者、三人の勝利を内心確信するネルカティエ、夜斗の勝利を信じるルエリィ。
其々の思いを胸に見守る者達に囲まれた四人は彫像の如く動かない。
「…………ひゃはっ」
暫く睨み合いを続けていた四人、何処か嘲笑うような声を上げた夜斗の手には掌サイズの樽のような物が握られている。
樽のような何かにクレアンヌ達が首を傾げ、夜斗はソレを地面に落とす。
地面とぶつかった瞬間、
―ドォォォンッ!!
耳を劈く爆音と共に強烈な閃光が放たれ、クレアンヌ達は勿論、夜斗を除いた全員が突然の爆音と閃光で視覚と聴覚を封じられる。
夜斗が持っていた物は魔術で生成したスタングレネード、而も通常の物よりも大音量且つ強烈な閃光を放つ特別製である。
「しゃあっ!」
特製スタングレネードが炸裂した瞬間、夜斗は最後方に居るヴェローチェ目掛けて走る。
夜斗の戦闘スタイル上一番厄介なのがヴェローチェであり、一番の厄介者を始末するのは戦闘の定石だ。
「生成開始、『呪毒(スペル・ヴェノム)』……」
ヴェローチェとの距離を詰めながら夜斗は両手中指に魔力を集め、集めた魔力を細く鋭く尖らせる。
「あぅっ!?」
そして、錐の如く尖らせた魔力を纏わせた中指をヴェローチェの耳の穴へ突っ込み、耳の奥から走る鋭い痛みにヴェローチェは呻き声を上げる。
指を引き抜いた後、夜斗はヴェローチェの頭を掴むと彼女の顔面に膝蹴りを叩き込み、骨が砕けるような鈍い音が教会の中に響く。
「ヴェローチェ!?」
「姉さん!?」
背後から聞こえた鈍い音に涙を浮かべながら残る二人が振り向き、二人が態勢を整えるより早く夜斗は行動に移る。
「ほれぇ!」
「わぷっ!?」
二人に向き直った夜斗は即座にテニスボール程の大きさの風船を生成し、生成した風船をクレアンヌ目掛けて投げる。
投げられた風船はクレアンヌの顔面に当たると破裂し、その中から赤い粉末が飛び散る。
「な、何だ、ハァックション! コレは、フェックシ!」
飛び散る赤い粉末を吸い込んだ瞬間、突然涙が溢れ、クシャミが止まらなくなる。
夜斗が投げたのは催涙性の粉末を詰めた風船、無論二つとも魔力で作った代物だ。
「次はテメェだぁ!」
「くっ……」
催涙性の粉末を吸い込んだクレアンヌが動けない隙に夜斗はシーダに狙いを定めて走り、迫る彼を前にシーダは杖を構える。
一応近接戦もこなせるがシーダの本領は魔術、近付かれる前に倒そうとする彼女に夜斗は
「ブフゥ―――!!」
「ぶわっ!?」
毒霧。
何時の間に口の中に液体を蓄えていたのかは不明だが、スプレー宜しく噴射された飛沫がシーダの顔面に容赦無く直撃する。
「く、黒井!? ひひゃら、らひろひゅる……」
顔面に唾混じりの飛沫を吹きかけられたシーダは顔を拭いながら文句を言おうとするが、文句の途中で急に呂律が回らなくなる。
ソレだけではない、手足の先から痺れが生じて力が入らなくなっていく。
手足に力が入らず床に座り込み、見るからに戦闘不能となったシーダに夜斗は非情な追撃を加える。
「しゃっ!」
「〜〜〜〜〜〜!?」
座り込んだシーダの目に指を、彼女の喉にスティレットを夜斗は突き刺し、物理的に目と声を奪われたシーダは声にならない絶叫を上げる。
「黒井、貴様ぁ……」
怒りと憎悪の籠もった低い声に夜斗が振り向くと其処には目の周りを赤く腫らし、鼻水を垂らしながらも大剣を正眼に構えるクレアンヌ。
妹に対する容赦無しの非道な行為に加え、正道から見事外れた夜斗の戦い方にクレアンヌからは濃密な殺意が溢れている。
「へへっ」
濃密な殺意の波動を放つクレアンヌを前に、夜斗は舌を出して怒りを煽るようにヘラヘラ笑いながら彼女との距離を詰める。
右手に持っていたスティレットの尖端をクレアンヌの眼前に突き付けると、クレアンヌの目、スティレットの尖端、鍔元が一直線で結ばれる。
「……っ!?」
その瞬間、クレアンヌは動揺に震えぬ為に意志を総動員せざるを得なかった。
唇が戦慄き、口の中だけでなく舌の裏表までも瞬く間に乾く。
(ど、何処まで貴様はぁ……!!)
距離感というものが恐ろしい程に曖昧になり、今突き付けられている尖端を残して世界が消失してしまったような感覚に陥る。
(妖剣を使うか、この卑怯者がぁ……!)
尖端を見て恐れ、平静を失うのは本能だ……而も、全身の神経感覚を過敏にしている戦闘の最中では、その圧迫感は途轍もない。
「…………」
夜斗の嘲笑うような双眸がクレアンヌの動静を窺い、彼女の自壊を静かに待つ。
心身を消耗して足腰を萎えさせるか、破れかぶれに攻め込むか、どちらに転んだとしても夜斗にはそのどちらにも対応してくるだろう。
「……ッ……!!」
どうしようもなく注視してしまう。
一点に集中する感覚、消えていく全てのその他と夜斗の姿。
如何に状況を打破すべきか、クレアンヌが平静を失った頭で考えていると
―ドスッ
「か……」
背後から首に何かが突き刺さり、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちる。
崩れ落ちる間際、クレアンヌは見た。
目前に立っていた夜斗の顔が、何時の間にか『へのへのもへじ』になっていたのを。
「き、貴様ぁ……」
「へへっ」
俯せに倒れるクレアンヌは首を動かして怒りに燃える目で何時の間にか背後に回っていた夜斗を睨み、嘲笑うような声を出しながら夜斗は彼女の背中を踏む。
「あんな卑怯な手を使うとは、貴様に勇者の誇りはないのか!?」
スタングレネード、毒霧、妖剣、奇襲。
夜斗が勇者として召喚された異世界の住人である事をクレアンヌは知っているが、彼女の信じる勇者像とは対極の戦い方に憤りを隠せない。
「はぁ? プライド? んなもん、端からねぇっつぅの」
誇りはないのか、と罵るクレアンヌは夜斗の呆れた表情と言葉で目を見開く。
誇りなんて最初から持っていない……驚愕で見開かれた目は即座に怒りに染まり、背中を踏む足をクレアンヌは払い除けようとするが
「なっ……!?」
意に反して腕が、いや、腕どころか首から下が全く動かない。
鉛が詰まったように重いのとは違う。
『初めから存在していなかった、とでも言うように首から下の感覚が全て消え失せている』。
「き、貴様! 私に何をしたぁ!?」
「毒」
未知の事態に恐怖混じりの叫びを上げたクレアンヌに返ってきた、あまりにもシンプルな答えに彼女の思考は停止する。
今、夜斗は何と答えた? 今、夜斗は『毒』と答えなかったか?
『毒』
「…………き、貴様ぁぁぁ――――――――っ!!」
夜斗の答えを漸く理解し、思考が再起動したクレアンヌは憎悪の籠もった叫びを上げる。
確かにクレアンヌの問いに夜斗は『毒』と答えた、その事実が彼女を怒りで沸騰させる。
「仮にも勇者として召喚された男が毒を使うだと!? 正々堂々の勝負に毒を躊躇わずに使うとは恥を知れ!」
「おいおい、俺は『勝負しよう』って言ったが、『正々堂々』とは言ってねぇぜ? はっ、勝てばよかろうなのだぁぁ! ぬわぁ〜はっはっはっはっはっ!!」
憎悪の籠もったクレアンヌの叫びと完全に悪党な夜斗の高笑いに周囲は騒ぎ始め、
「うっし、取引通り見逃してもらうぜ」
騒ぐ周囲を尻目に夜斗はゴールディに視線を向け、ヒールそのものの笑みにゴールディは苦虫を噛み潰したような、心底悔しそうな表情を浮かべるしかない。
夜斗の言う通り取引は取引、クレアンヌ達に勝てば見逃すと約束した上で彼が勝利した。
交わした約束を違える事は教団側にとって恥じるべき事であり、悔しくとも此処は夜斗とルエリィを見逃すしかない。
「さて、行くぞルエリィ」
「はいっ♪」
悔しさを露に頷いたゴールディに夜斗はニンマリと笑みを浮かべると、ルエリィを連れて教会の扉へと向かう。
「あ、すっかり忘れてた。糞親父、『男』としてテメェはもう終わりだ、ぜっ」
すると、途中で夜斗がゴールディに向かって振り返って指を鳴らした瞬間、
―ポンッ!
「……っ!? ぐ、が、がぁぁぁ……」
「ご、ゴールディ様!?」
栓を抜いたような音と共にゴールディの『股間』が爆発する。
爆発で抉れた股間を押さえつつゴールディはその場に蹲り、激痛に悶え苦しむ彼に周囲の警備兵達が慌てて集まる。
「うっわ〜、兄様ひっでぇの。でも……まぁいっか」
何をしたのか分からないものの股間を爆発させるという行為にルエリィは顔を顰めるが、顔を顰めたのも一瞬、彼女は悶える実の父親を嘲笑って夜斗の後を追う。
「あばよ、ネルカティエ。この国の事、大っ嫌いだったぜ♪」
そして、ルエリィ・ルメール・ネルカティエは暴言を吐きながら母国を捨てた。
「ほらよっと! あらよっと!」
教会を出た後、夜斗は魔術で生成したバイクに跨って―ルエリィは彼に抱きつくように彼の後ろに乗っている―ネルカティエ内部を爆走していた。
片手でバイクを運転しつつ夜斗はテルミット焼夷弾を生成しては片っ端から投げ、次々と建物を燃やしていく。
アルミとマグネシウムの強力な化学反応が生み出す炎は豪雨が降ろうと早々消えない程、中世の消火技術では更に時間が掛かるだろう。
「なぁ、兄様? 『コレ』、教会に捨ててなかったっけ?」
猛スピードで駆けるバイクから振り下ろされないようシッカリ抱きつきながら、ルエリィは運転する夜斗に尋ねる。
教会に乱入した際、夜斗は乗っていたバイクを捨てた筈だが、教会から出ると乱入した時に乗っていたバイクと寸分違わぬバイクが扉の前に在ったのだ。
「あぁ、コレか? コレは(ドゴォンッ!)俺が魔術で作った奴だからな(ズドォンッ!)、魔力がある限り(ズウゥンッ!)幾等でも(ボゴォンッ!)作れるんだよ」
「へぇ……兄様って、こんなモンまで作れんのか」
ルエリィの質問に夜斗は焼夷弾を投げつつ答え、爆音が混じって聞き取り難いがどうやらこのバイクは魔術で作った物らしい。
返ってきた答えに感心しながらルエリィは視線をバイクに向ける。
夜斗のバイク・ショヴスリは『走る凶器』……鋼鉄製のフレームにセラミック複合装甲のカウル、加速特化のドラッグレース仕様ボディは乾燥重量だけで三〇〇キロオーバー。
前後のカウルにはチタン鋼を超高圧水でタッピングした、軽く触れただけで皮が破ける程に鋭利で硬い鉤爪状のブレード。
DOHC四気筒二リッターのエンジンに加えてツインターボとニトロオキサイド噴射付き、このポテンシャルを使いきれるなら時速三〇〇キロまで約八秒。
重量三〇〇キロオーバーの巨大なギロチンの刃が時速三〇〇キロで爆走する、と考えれば、このバイクがどれだけ凶悪な武器か分かるだろう。
「いぃやっほぉぉ―――!! ボンバァァァ――――、ハァァッピィィ――――!!」
仮面○イダーも吃驚するモンスターバイク・ショヴスリにノーヘル、二人乗りで爆走する二人が何をしているのかと言うと『破壊工作』。
二人が台無しにした結婚式には指揮官や部隊長を任されている精鋭が配置されていたが、ルエリィの『吸精波』の影響で殆ど無力化されている。
頭の居ない軍隊は烏合の衆同然、指揮系統が乱れている隙に夜斗はネルカティエの各地の武具の材料や食料を集めておく備蓄庫を訪れては片っ端から焼夷弾で燃やしている。
「其処の変なモノに乗った奴、止まれ!」
結婚式の騒ぎを知らず、ショヴスリで爆走しつつ焼夷弾を投げる夜斗を止めようと独自の判断で動く兵士も居たが、
「止まらなければ」
「スワヒリ語で喋れや、ダボがぁ!」
時速三〇〇キロで爆走する、重量三〇〇キロオーバーの巨大なギロチンに撥ねられるか、その禍々しい威圧感の前に逃げ出すかで夜斗を止められなかった。
「燃えろ、燃えろぉ! どっかの誰かの顔のように醜く焼け爛れろぉ!」
ストレートの通りが多く、予め位置を調べておいた事が幸いし、スピーディーに備蓄庫を回る事が出来たが、笑いながら焼夷弾を投げる夜斗の姿は完全にテロリストだった。
「ふぅん、成程ねぇ……」
備蓄庫を粗方炎上させて破壊工作を終えた後、ネルカティエの外に向かって爆走する二人。
牢屋に閉じ込められてから教会に乱入するまでの間に何があったのかをルエリィから聞き、彼女から聞いた話に夜斗は納得した声を上げる。
アステラと名乗ったリリムにワイトにしてもらった事、アステラから授かった魔物の力で結婚式を自ら台無しにしようとした事。
今まで溜めてきた負の感情が魔物化した際に爆発したのもあるが、『兄様のようになりたい』という憧れがルエリィの口調の豹変の理由らしい。
「そういや、さ……前から聞こうと思ってたんだけど、兄様は何で『要らない子供』って言葉が嫌いなんだ?」
「あ、あぁ〜、ソレか。ソレは、だな……」
投獄から結婚式までの間の事を話し終えた後、ルエリィは前々から疑問に感じていた事を夜斗に聞くと、何かとハッキリ過ぎる程に喋る彼が珍しく言い澱む。
話すべきか否かを暫く悩んでいた夜斗だが、『要らない子供』という言葉を嫌う理由を己が過去と共に話し始める。
黒井夜斗は畜生児、『兄と妹の近親相姦で生まれた子供』である。
義理の兄妹なら少しはマシだったが、夜斗の両親は『血の繋がった実の兄妹』である。
実の兄妹の近親相姦で生まれた夜斗は、両親にとって『望まぬ子供』だった。
両親は好奇心で性交を始め、性交の快楽を知った後は獣の如く性交に夢中になった。
避妊も何も考えない獣じみた性交の末に妊娠が発覚、発覚した時には既に妊娠した子供を堕ろす事が出来ない状態で出産を余儀なくされた。
そうして生まれたのが夜斗だが両親の関係は夫婦と言うより『セックスフレンド』、性交の快楽を楽しむだけの関係にあった二人は育児を完全に放棄していた。
夜斗が空腹で泣こうが何だろうが無視して性交に耽り、育児を彼の祖父母に当たる二人の両親に押し付けていた。
両親が夜斗に無関心だったのは元々彼が望まぬ子供なのもあるが、彼の容姿が両親と全く違う事も理由の一つだ。
『近親相姦で生まれた子供』という業を背負った夜斗はアルビノ、先天的に皮膚や毛髪等の色素が欠けている子供として生まれた。
生まれつき色素の完全に欠けている夜斗は日光に弱く、義父に引き取られて魔術の才能が覚醒するまで帽子か日傘が欠かせなかった。
望まぬ子供とアルビノ、この二つが無関心の原因で、両親の無関心は名前にも表れており、『夜斗』という名前は実は義父が夜斗を引き取った際に付けた名前だ。
引き取られる前の夜斗の名前は『一郎』……戸籍を登録する為に必要だからという理由で付けられた、愛着の欠片も無い適当な名前。
実際、夜斗を名前で呼んでくれたのは祖父母だけで、両親は『アレ』や『コレ』等、彼を物扱いしていた程だ。
『子供なんて要らないし、欲しくなかった』
『姉でもある』母の冷たい言葉を聞いたのは夜斗が四歳の頃、吸血衝動を自覚する直前。
育児を放棄して『父でもある』兄との性交に耽る母に祖父母が業を煮やして物凄い剣幕で詰め寄った時、母は夜斗を『要らない』と悪びれもせずに言ったのだ。
あまりにも堂々と言った為に祖父母は言葉を失い、リビングの扉越しに母の非情な言葉を聞いてしまった夜斗もショックで言葉を失った。
母から『要らない子供』とハッキリ言われたショックの所為かどうか不明だが、その日の夜から夜斗は吸血衝動に悩まれる事になった。
夜斗が『要らない子供』という言葉を嫌うのは自身が『要らない子供』だったから、そう言われた時のショックと哀しみを彼は身を以て知っているからである。
「親父が引き取ってくんなかったら、どうなってた事やら。うっへぇ、想像出来ねぇけど怖ぇなオイ」
わざとらしさを感じる明るい声で言う夜斗だが、彼の過去にルエリィは言葉を失う。
夜斗も自分と同じ『要らない子供』、彼は自分と同じ哀しみを背負っていた。
自分が『要らない子供』と言われた時に夜斗がキレて死神と化すのも、嘗ての自分の姿が重なるからだろう。
(だから、かねぇ……)
夜斗と自分は似た者同士、だから自分は彼に惹かれたのかもしれない。
魔物化する前からおぼろげに、魔物化してからはハッキリと自覚した恋心。
自分は夜斗が好き、理想の兄としてではなく一人の男性として彼が好きなのだ。
「兄様……」
魔物化してから今日までの一週間は拷問に等しく、自分でもよく耐えられたものだと思う。
身体は愛しい夜斗を求めて疼き、精神も情欲でジリジリと炙られ続けた。
魔物化した身体で結婚式を自ら台無しにする、という目的が無ければ、本能のまま牢屋へ駆け出して夜斗を襲っていたかもしれない。
それだけ夜斗が恋しかった、愛しかった。
(もうちょいお預けかなぁ……)
今はまだ落ち着いて告白出来る状況ではないのはルエリィも分かっている。
早くこの想いを告げたい、そして、この想いが夜斗に伝わってほしい……そう思いながらルエリィはギュッと夜斗に抱きついた。
×××
―ドドドドドドドドドン!
「「ドチクショオォォォ――――!!」」
どうやら、主神はルエリィに想いを告げる暇を与えるつもりはないらしい。
背後から機関砲を撃ちつつ追い掛けてくるモノに二人は声を揃えて叫んだ。
ネルカティエを囲む外壁の門を突破した後、取り敢えず燃料―魔術で作ったガソリン―が尽きるまで只管突っ走る事を選んだ二人。
エンジン全開のショヴスリの爆走に追い付ける生物は夜斗が知る限りでは存在せず、早馬程度では先ず追い付けないだろう。
二人は知らない事だが、ショヴスリの最高速度は魔物最速を誇るコカトリスですら後塵を拝する程、確かに生物では先ず追い付けない。
疲れ知らずの鋼の猛獣を追い掛けるモノが『生物』であるなら、だ。
「に、兄様! 速く、もっと速く!」
「バァロォ! コレでもトップスピードだ! コレ以上速くなれっかぁ!」
もっとスピードを、と急かすルエリィに夜斗は悪態で返す……既にショヴスリは最高速度、今以上のスピードは出せない。
「畜生、あんの鏡餅がぁ! 連中、あんなの何処で調達しやがった!?」
背後から飛んでくる弾丸の豪雨を避けながら夜斗は背後に振り返ると、その視線の先には目算でも二五メートル近い巨大な焦げ茶色の鋼鉄の塊。
二人を追い掛ける鋼鉄の塊はモノアイを桃色に光らせる頭部、申し訳程度の無骨で短い腕を持つ胴体、戦車を思わせる脚部、と段階的に横幅が大きくなっている。
確かにその姿は鏡餅、頭部はさしずめ蜜柑といったところだが、そんな滑稽なフォルムに反して全身に無数の機関砲を備え、背中には二つに折り畳まれた列車砲の如き巨大な大砲。
「つぅか、何でザ○ルが中世にいるんだよ!? 宇宙世紀か、この世界はよぉ!」
機関砲を乱射しつつ追い掛けてくる鏡餅に夜斗は叫ぶ……異世界に召喚されるというのは創作でもよくあるが、まさか巨大ロボットと遭遇するとは思ってもみなかった。
的が小さい上に時速三〇〇キロで爆走している為に狙い難いのか、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの精神で鏡餅は弾丸を兎に角ばら撒いている。
然し、当たれば最後、幾等防弾仕様のショヴスリでも巨大ロボットの機関砲は無理であり、ショヴスリ諸共挽肉にされるのが目に見える。
「兄様! 爆弾は!?」
「あんなデカ物、投げたところで屁でもねぇだろ!」
夜斗の作る爆弾では鏡餅にダメージを与える事は難しい、出来て精々機関砲を一門潰すかモノアイを破壊するかといったところだ。
いや、正確に言えば『本気を出せば』鏡餅を破壊出来る可能性が高いが、『アレ』は魔力をかなり消費するので余程の事が無い限り使いたくない。
そもそも、『アレ』は使うまでに時間が掛かる為、『アレ』の準備をしている間に機関砲の餌食になるのが確定だ。
―安心したまえ
「っ!?」
どうやって逃げ切るか、と考えた瞬間、夜斗の脳内に懐かしい声が響く。
脳内に響くは義父の声、返そうにも返しきれない大恩ある義父の声。
―君は気付いていないだけだ
―君にはこの状況を打破する為の力がある
―君が望めば君の中に眠る、更なる力が目覚める
「…………へへっ!」
「に、兄様!?」
その瞬間、夜斗の脳内に『知らない筈なのに知っている』力の設計図が描かれる。
脳内に描かれた力の設計図、鮮明に思い浮かぶ力に夜斗は凶悪な笑みを浮かべると、突然ドリフトターンを決めて鏡餅に向かって驀進。
突然鏡餅に向かって突き進む夜斗にルエリィは驚愕の声を上げ、無論、鏡餅も何故? と思いながら機関砲を突き進む彼目掛けて乱射する。
瞬く間に埋まっていく距離、機関砲の弾丸を避けながら夜斗はハンドルから離した右手に禍々しさを感じさせる真っ黒な手榴弾を作り、
「兇器(マガツモノ)に名乗り無用!!」
右手の手榴弾を鏡餅目掛けて投げる。
投げられた手榴弾は埋まりつつある両者の間に落ちると、
―ズドォォォンッ!!
手榴弾にあるまじき大爆発を起こし、その衝撃に鏡餅は乱射の中断を余儀なくされる。
爆心地から濛々と立ち昇る黒煙、その中に毒々しいまでに紅く輝く二つの光を鏡餅は見た。
あの光は何だ? と思いながら鏡餅は機関砲の銃口を黒煙の向こうにいる『何か』に向け、風に流された黒煙の向こうから現れたモノに鏡餅は機関砲の引金を引く事を忘れた。
黒煙の向こうから現れたモノ、ソレは―――
「さぁて……此処からは俺達の反撃の時間だぜ」
上半身をフードの付いた漆黒の襤褸で隠し、目深に被った黒いフードの向こうで赤い瞳を毒々しく輝かせ、鋼鉄の青白い肌を持った全長一〇メートル程の巨大な女アサッシン。
「な、何だよコレェ!? つぅか、此処一体何処なのさ!?」
「えぇい、黙らっしゃい! 今は『コイツ』の体調管理に集中しろ!」
困惑の動きを見せる鏡餅を映すモニターを前にルエリィは困惑を隠せず、困惑する彼女に夜斗は集中しろと叫ぶが彼女の困惑も当然だろう。
夜斗の投げた手榴弾が爆発した瞬間に二人は真っ黒な光に包まれ、光が消えたと思ったら丸みを帯びた壁に囲まれた此処に居たのだ、困惑するのも無理はない。
壁に囲まれた空間の中心に浮かぶ泡に包まれた夜斗は手の甲にワイヤーの付いた真っ黒で無骨な籠手を着けており、手の甲のワイヤーは彼を包む泡と繋がっている。
その前方斜め下にはタイヤが取れたショヴスリに跨り、バイザーを着けたルエリィ。
二人は知らない……二人が居る場所は夜斗の居た世界は勿論、この世界でも過ぎた技術の産物、巨大ロボット・『マキナ』の操縦席である事を。
「さぁ、『銘伏姫(ナブセヒメ)』の初陣だぁ!」
「な、銘伏姫? ソレってコイツの……って、うひゃあっ!?」
困惑するルエリィを尻目に夜斗は彼専用マキナ・銘伏姫を動かすと、突然動き出した事に彼女は素っ頓狂な声を上げる。
夜斗の命を受けた銘伏姫は己が機構を起動、耳障りなノイズを周囲に響かせる。
一方、鏡餅のパイロットは、ネルカティエの勇者の一人であるアンドリュー・マーチスは何度か深呼吸して動揺を静めていた。
この鏡餅もマキナであり、名はバスターロウ……背中の折り畳み式六八〇ミリカノン砲を主兵装とする、遠距離砲撃型マキナである。
この六八〇ミリカノン砲は大きさに見合った絶大な威力を誇り、小規模な親魔物派領なら二、三発で壊滅させられる程だ。
仮に接近されそうになっても全身に備えられた無数の機関砲で身を守り、全身の機関砲を一斉射するだけでも充分過ぎる戦果を上げられる。
但し、ソレは人間と魔物が相手の話で、『マキナ同士の戦闘』ではどうなるか分からない。
《…………はぁ、帰りたい》
初めてのマキナ同士の戦闘にアンドリューは帰りたくなった。
勇者の素質が在るから、と徴兵されたアンドリューは誰かと争う事が嫌いであり、誰とも争いたくないからと幼い頃から部屋に閉じ籠もっていた、所謂引き籠もりである。
アンドリューは似た境遇で同じ部屋を使っていたアオーウェと仲良くなり、二人は頻繁に訓練をサボったが、友人に起きた悲劇でアンドリューは嫌々ながら訓練するようになった。
嫌々ながら力を付けたアンドリューは勇者育成を任されているネフレン=カからマキナを授かり、授かったマキナで勇者の役目を遂行するようになった。
然し、勇者になってもアンドリューの気質は変わらない。
戦うなんて嫌だ、争うなんて吐き気がする、早く終わらせて部屋に帰りたい。
早く部屋に帰りたい一心でアンドリューは戦いに挑み、『世界で一番自分が不幸な人間』と思いながら非常に冷静な思考で役目に従事した。
『自分が世界で一番不幸な人間だと思いながら、他人に自分以上の不幸を撒き散らした』。
そう、アンドリューは『無自覚の悪意を振りまく』最悪な勇者なのである。
《帰りたい、早く帰りたいよぉ……》
帰りたいと呟きながら機関砲の引金を引こうとしたアンドリューだが、耳障りなノイズと共に風景に溶け込むように夜斗の姿が消えた事で引金に添えた指が止まる。
夜斗を探すべくアンドリューはレーダーを見るが反応が無い……いや、正確に言えば反応がかなり鈍い、相手の位置を示す光点が長い感覚で明滅を繰り返している。
何故? とアンドリューが首を傾げた瞬間、衝撃で操縦席が揺れ、彼はモノアイを頻りに動かすが周囲に夜斗の姿は見えない。
姿は見えないのに次々と襲う衝撃が操縦席を揺らし、アンドリューは泣きたくなった。
「だぁぁ! 硬ぇ! 何だよ、この硬さはぁ!?」
「兄様、落ち着け! ちょっとずつだけど、ダメージは溜まってる!」
鏡餅、改めバスターロウの装甲の硬さに夜斗は苛立ちを隠さずに叫び、彼の叫びに今度はルエリィが落ち着けと叫ぶ。
銘伏姫の持つステルス機能で姿を消した後、夜斗はバスターロウの周囲を走りながら魔術で手榴弾を作っては投げ、作っては投げを繰り返している。
然し、手榴弾はバスターロウの装甲に焦げ目を付けるだけに終わっており、何度も爆発に晒されても焦げ目だけで済む異常に硬い装甲に夜斗は苛立つしかない。
「くっそぉ、硬過ぎんだろコイツ!」
まるで甲羅に閉じ籠もった亀を相手にしている気分であり、装甲の硬さに悪態を吐きつつ夜斗はせっせと手榴弾を作ってはバスターロウに投げつける。
夜斗は暗殺者(アサッシン)&爆弾魔(ボム・フリークス)、その戦闘スタイルは悪辣無比……忍び寄られて暗殺、魔力がある限り幾等でも造れる爆弾で爆殺、夜斗に狙われた者はそのどちらかを選ばされる。
相手に隙在らば暗殺、見つかったら爆殺、と戦い方を夜斗は使い分けているが、汚れ仕事に関わる技能、自己隠蔽と幻覚の魔術を彼は修めている。
その為、夜斗の姿を確認する事自体が困難で、彼の師である義父か、彼の戦闘スタイルを熟知している義兄弟以外の者達は大抵前者を選ばされる事になる。
更に毒や不意打ち、人質等卑怯卑劣と謗られる行為も躊躇わない為、夜斗以上に『勇者』という言葉に無縁の者はいないだろう。
そんな夜斗の駆る銘伏姫も彼のマキナに相応しい機能を持つ。
リアルタイムで装甲の色素を変えて周囲に溶け込む保護色に近いステルス、装甲表面にはレーダー波の反射を抑えてレーダーに映り難くする電波吸着塗装。
更に排熱量が低い為に熱センサーにも映り難い、とまさに暗殺に適したマキナなのだ。
「んなろぉ!」
保護色で姿を消してバスターロウを中心に駆け巡りつつ、夜斗は只管爆弾を投げ続ける。
姿が見えない事に動揺しているのかバスターロウは案山子の如く棒立ち、全身の機関砲も沈黙している。
爆発に巻き込まれて機関砲が壊れていくが焼け石に水、針鼠の如く備わった機関砲はまだ大量に残っている。
「兄様! 敵、攻撃態勢!」
「にゃにぃ! (ドドドドドドドドドッ!)って、どわぁっ!?」
ルエリィの叫びと機関砲が動き出したのは同時、残っていた全身の機関砲が猛烈な勢いで一斉に弾丸を放つ。
豪雨の如くばら撒かれる弾丸に夜斗は面食らいながらも、曲芸じみた動きで弾丸の豪雨を掻い潜る。
《あぁ、早く終わってくれぇ……》
早く帰りたい、その為にはどうすべきか。
相手の姿は見えず、レーダーにもかなり映り難い。
然し、敵は自分の近くに居る事は明白、ならば周囲に弾丸を兎に角ばら撒く。
早く帰りたい、その一心でアンドリューは機関砲を斉射する。
―ドドドドドドドドドドドドドドドンッ!
「兄様、逃げてばっかじゃ終わんねぇぞ!」
「しょうがねぇだろ! こちとらペラペラの紙細工、掠っただけでも不味いっての!」
「う、ぐぅ……」
弾丸の豪雨を掻い潜って逃げ回るだけの夜斗にルエリィは叫ぶが、彼の叫ぶような返答に唸るしかない。
銘伏姫の性能を夜斗は熟知している……自分の持つ暗殺技能に適した銘伏姫、その仕様上機動力は高いが装甲は『紙細工』と言っても過言ではない程に薄い。
元々、隙を突いて致命の一撃を加える暗殺仕様、攻撃を『受けない』事が前提の為装甲がペラペラなのも仕方ない。
《早く帰りたいんだから、早く終わってくれぇ……》
相変わらず姿は見えないが、先程から衝撃が来ない事から敵が逃げ回っているのは確実、然しこうも逃げ回られては部屋に帰れない。
早く帰りたい、早く終わらせたい、その為にも姿を消した夜斗を見つけなくてはならない。
バスターロウの上半身は言わば戦車の砲塔、腰を支点に三六〇度回転させる事が出来る。
全身の機関砲を撃ちながら上半身を回転させて周囲を見渡すアンドリューは、夜斗の唯一にして致命的な『ミス』を捉える。
コレで帰れる、そう思ったアンドリューは確実に終わらせる為に背中の大砲を展開する。
「に、兄様! モニター、何か不味いぞ!」
「不味い? 不味いって何が……って、オイ!」
苛烈な弾幕を掻い潜っていると慌てているようなルエリィの叫びが届き、その叫びに夜斗はモニターに視線を移す。
モニターにはキャタピラで地面を砕きつつ距離を取り、背中の列車砲の如き巨大な大砲を展開するバスターロウ。
その砲口は『シッカリと此方に狙いを定めており』、筒先を向けられている事に二人の白い顔が青褪める。
砲口を向けられた夜斗は困惑する、見えない筈の自分を相手はどうやって捉えた?
保護色は展開中、レーダーにはかなり映り難いのに相手は此方を正確に捉えている。
横に動こうが距離を取ろうが、どう動いても砲口はシッカリと此方を向いている。
その疑問は砲口がやや下を向いている事で解け、下を向いている砲口で夜斗は自ら犯した致命的なミスに気付く。
「なぁぁぁんてこったい! 致命的なミスが此処で発覚ぅ!?」
「み、ミス? ミスって一体……」
「影だ、『影』! アイツ、『俺の影を見つけやがった』!!」
そう、致命的なミスの正体は『己の影』。
影に潜む暗殺者の自分が日の下で戦っている……銘伏姫のステルスは保護色、『装甲の色を変えているだけであり、姿は見えなくとも銘伏姫自体は其処に居る』のだ。
ソレが夜斗の唯一のミスでありアンドリューの最大の奇貨、見るからに威力絶大の巨砲は銘伏姫の紙装甲では掠っただけでも致命傷だろう。
「まっず……!!」
己の影を目印に大砲の照準を合わせている間、バスターロウは足止めの機関砲を連射し、牽制の機関砲も狙いが正確な為に中々懐へ近付けない。
刻一刻と迫る発射を前に夜斗はこの状況を打破する為の策を思案する。
そして、大砲の照準は夜斗を捕捉し、
―ズドォォンッ!!
空間を揺らす轟音と共に大砲が火を噴いた。
《あぁ、やっと帰れる……》
モニターには縁の歪な巨大なクレーターが映され、濛々と煙が立ち上っている。
影を目印に照準に捉えようとした時、敵は観念したように突然姿を現した……恐らく姿を消せるのは一定時間だけで、姿を現したのも制限時間を迎えたからだろう。
バスターロウの主兵装にして最大火力を誇る六八〇ミリカノン砲、その直撃を受けた以上敵は跡形も無く吹き飛んだ事は間違い無い。
ネフレン=カから与えられた任務、黒井夜斗とルエリィ・ルメール・ネルカティエの始末を終えたアンドリューは『自分の部屋』という名の楽園に帰れる事に安堵の溜息を吐く。
任務を終えたからには何時までも此処に居たくない。
展開した大砲を折り畳み、アンドリューが楽園に帰ろうとした瞬間だった。
―ズンッ……
《…………?》
突然操縦席を揺らした衝撃にアンドリューは首を傾げ、
「いやぁ、間一髪ってやつだ」
真上から聞こえた声に息を詰まらせた。
「はぁ……ほんと、ギリギリだったぜ」
鏡餅に乗せる蜜柑を思わせる小さな頭部に腰掛ける銘伏姫、その操縦席でルエリィは安堵の溜息を漏らす。
影に気付かれ、影を目印に狙われている事に夜斗は一か八かの賭けに出た。
夜斗は得意の幻覚の魔術を使って自分の前を走らせるように銘伏姫の幻影を作り、幻影に引っ掛かってくれる事を祈りつつ彼は射線から外れるように走った。
銘伏姫の幻影は相手にしてみれば狙われている事に観念して保護色を解いたように見え、姿を現した以上相手は幻影に意識が向くだろう。
咄嗟の賭けは見事成功……バスターロウは幻影を本人だと勘違いして大砲を放ち、着弾の爆発に煽られるように夜斗は死角に飛び込む事に成功したのだ。
「はっ、流石に真上にゃ撃てねぇだろ」
その死角、機体の真上を陣取る夜斗にバスターロウは何も出来ない。
針鼠宜しく備えた機関砲も射角の都合上真上に向ける事は出来ず、頭部に腰掛ける夜斗を引き摺り下ろそうと腕を伸ばすが申し訳程度の長さしかない為微妙に届かない。
急発進で振り落とせばいい話だが、死角を取られた事で動揺しているのかバスターロウに動く気配は無い。
「さぁて……バレちまった以上、さっさと終わらせるか」
微妙に届かぬ腕を懸命に伸ばすバスターロウを見下ろしながら立ち上がった夜斗は魔力を練り始め、彼の体内を巡る魔力は徐々に密度を高める。
徐々に高まりつつある魔力、その尋常ならざる威圧感にバスターロウは怯えたように動きを止める。
魔力が極限まで高まった瞬間、夜斗は左手を前に突き出して詠うように言葉を紡ぎ始める。
My body is made of steel.
My bowels are made of gunpowder.
I have my ghosts for malice.
I know only the death because I scatter death.
As for me, snatching it does not know the life in a reason for life.
Thus, as for me, one stands still in the wasteland of debris covered on the body which burnt.
「な、何? 何なんだよ、此処はぁ!?」
《あ、あぁ、ああ……!!》
左手を前に突き出し、高らかと詠う夜斗を中心に異空間が広がっていく。
血管の如く脈打つ無数の紅いケーブルに覆われた大地。
木々の如く無数に乱立する捻じ曲がった巨大な螺子。
大小様々な無数の歯車が回りながら浮かぶ血の如き紅い空。
濃霧の如く周囲を覆い尽くす漆黒の粉末。
夜斗を中心に広がりつつある異空間にルエリィは困惑を、アンドリューは恐怖を隠せない。
広がりつつある異空間を前にアンドリューは本能で悟った。
此処は一度入ったら絶対に抜け出せない、二度と生きて戻れない処刑場だと。
そして―――
So as I pray, unlimited bomber works!
突き出した左手を振り抜きながら最後の一節を唱えた瞬間、アンドリューの死は確定した。
突然、アンドリューの周囲に無数の手榴弾が現れ、無数の手榴弾が現れると同時に夜斗は頭部から飛び降りる。
夜斗が飛び降りると無数の手榴弾は一斉に爆発、アンドリューは爆発に巻き込まれるが、ソレだけでは終わらなかった。
爆発するのと同時に再び無数の手榴弾が現れ、再び現れた手榴弾が爆発すれば更に無数の手榴弾が現れて爆発する。
瞬時且つ無限に繰り返される手榴弾の生成と爆発、絶え間無い一斉爆発にアンドリューの駆るバスターロウは徐々に装甲を吹き飛ばされる。
《あ、あぁ、あぁぁ!! 止めろ、止めてくれぇ!》
操縦席の中で頭を抱えて懇願するアンドリューだが彼の懇願は黙殺、いや、爆殺される。
操縦席は爆発の衝撃で激しく揺れ続け、アンドリューの耳は最早爆音しか拾わない。
バスターロウも絶え間無い爆発でフレームが剥き出しになり、完全に破壊されるまで既に秒読みの段階に入っている。
「へへっ、コレ以上ビビらせんのも可哀想だしな……んじゃ、死ね」
爆発に晒され続けるバスターロウからやや離れた位置に佇む夜斗。
その懇願を嘲笑うような、邪悪な笑みを浮かべながら夜斗が死刑宣告と共に指を鳴らすと、アンドリューの周囲に樽に近い形をした、銘伏姫程はある巨大手榴弾が無数に現れる。
周囲にフワフワ浮かぶ、一つだけでも破壊寸前のバスターロウを破壊するには充分過ぎる巨大手榴弾が獲物に飛び掛かる狼の群の如く一斉にアンドリューに殺到する。
《あ……》
殺到する無数の巨大手榴弾を前にアンドリューは安堵する……此処で死ぬという事はもう誰とも争わなくて済む、もうコレ以上不幸を味わう事も無い。
そう考えれば死ぬ事も然程怖くない、寧ろ歓喜が大きい。
《あり―――》
ありがとう、不幸の牢獄から解き放ってくれた感謝の呟きは夜斗に届かない。
無自覚の悪意を振りまいていた罪を知る事もなく、アンドリューは跡形も無く消し飛んだ。
×××
『無限の爆製(アンリミテッド・ボンバーワークス)』、瞬時且つ無限に爆弾を生成し続ける夜斗の窮極必滅奥義。
唱えた言葉は発動のキーワード、広がった異空間はイメージを再現した幻覚。
あのイメージは工場、夜斗が物品を生成する為に脳内に思い描く工場。
あの工場に踏み込めば最後、跡形も無く吹き飛ぶか夜斗が解除するまで抜け出せない。
爆弾の生産工場にして爆殺執行の処刑場、ソレが『無限の爆製』。
「ありゃ、トッテオキ中のトッテオキだ……一度キめると魔力を馬鹿みてぇに使うからな、キめた後は滅茶苦茶怠い」
「へぇ、そうなんだ……」
バスターロウを跡形も無く吹き飛ばした後、魔力を使い過ぎたのか銘伏姫は魔力の粒子と化して消え、その場には疲労困憊の夜斗と呆然と佇むルエリィだけ。
残った魔力でショヴスリを生成した夜斗は後ろにルエリィを乗せて走り出すが、疲労困憊の状態では御するのは難しいようで、時速六〇キロ前後のスピードで走らせている。
走り出して少し経ってからルエリィは『無限の爆製』を尋ねると夜斗はそう説明し、彼の説明に彼女は納得するように頷く。
成程、確かにあれだけ大量の手榴弾を瞬時に生成し続ければ魔力の消費量は尋常ではなく、夜斗が疲労困憊なのも当然だろう。
「「……………………」」
運転する夜斗は無言で前を見続け、ルエリィはギュッと彼に無言で抱きつく。
勇ましさの失せた落ち着いた排気音が響く中、二人は無言を貫き続ける。
「……なぁ、兄様」
「……あんだよ?」
「私の結婚式に乱入した時さ、兄様は糞親父に『返してもらいにきた』って言っただろ? ソレってさ、私が兄様の妹分だからか?」
暫く無言を貫く二人だが、ルエリィの問いで沈黙が破られる。
『返してもらいにきた』。
結婚式に乱入した時にゴールディへ叫んだ言葉の意味をルエリィは問うと、彼女の問いに夜斗は口元を僅かに釣り上げる。
「はっ、バァロォ……妹分だから、じゃねぇよ」
「は? 妹分だからじゃねぇ、って……それじゃ、何で」
ルエリィの問いは自分の想いを告げるには丁度良かった。
後部に座っている為に表情は見えないが、自分の言葉にルエリィが目を丸くしているのが目に浮かぶ。
「そもそも、結婚式に野郎が乱入する理由なんざ一つだけだろ?」
夜斗の台詞にルエリィの胸がときめく、戦いで落ち着いた魔物の本能が疼き始める。
「『惚れた女を取り返す』、ソレだけさ」
その言葉にルエリィは歓喜で泣きそうになった。
その言葉はルエリィが一番欲しかった言葉だ。
「ルエリィ、オメェは俺の女だ……俺の女を横からかっ攫おうとしたのが気に食わねぇ、だから乱入し」
「兄様ぁ!」
「ぐえぇっ!?」
心から求めていた言葉を貰った嬉しさでルエリィは力強く夜斗を抱きしめ、魔物の腕力で強く抱きしめられた彼は間抜けな呻き声を上げる。
嬉しさのあまり加減を間違えたのか、腹がキツく締め上げられて地味に痛い。
「ば、馬鹿っ! 人が運転してる時にベアハッグかますんじゃねぇ!」
「だって、だって……」
前を向いたまま夜斗はルエリィに注意するが、彼の注意は彼女の耳に届いていない。
「私も兄様が大好き! 人間だった頃から、私は兄様が大好きだったんだぜ! だから、すっげぇ嬉しくてさぁ!」
心に秘めていた想いを吐露しながら抱きしめるルエリィの目には歓喜の涙が浮かんでおり、屍人特有の青白い肌は赤く染まっている。
最初は理想の兄として憧れ、憧憬は次第に恋慕へと変わり、恋慕は恐怖を生んだ。
若し、夜斗が自分をあくまで『妹分』としてしか見てなかったらどうしよう。
心の片隅に燻っていた恐怖は、愛しい夜斗の言葉で杞憂に終わった。
夜斗は自分の事を『俺の女』と言った……ソレはつまり、夜斗は自分の事を『女』として見ているという事、両想いという事実にルエリィは嬉しさを隠せない。
「私は兄様が大好きだ!」
抑えきれない、抑えるつもりも無い愛情を籠めて、ルエリィは抱きしめる力を強める。
「痛っ、痛い痛い、痛たたたたた! おい、馬鹿止めろ! 人の話を聞けっての!」
ギリギリと締め上げるルエリィに夜斗は注意するが、その声に怒気は混ざっていない。
愛しく可愛い彼女の愛情表現、地味に痛いがこのくらいは許してやろう。
『要らず姫』と呼ばれたルエリィは夜斗と彼の義兄弟以外には構ってもらえなかったのだ、今までの愛情不足を鑑みればこのくらいのスキンシップは許容範囲内だ。
「さぁて、飛ばすぞ!」
「おうっ!」
ベアハッグじみた力強い抱擁、これならスピードを上げても問題無い。
目指すはアーカム……先にネルカティエから離れた義兄達の目指す魔王の居住地、そしてルエリィの恩人の住まう都市。
到着までどのくらい時間が掛かるか分からない。
何時ネルカティエの追手が来るかも分からない。
それでも二人一緒なら大丈夫だ……そう確信しながら夜斗はショヴスリのアクセルを踏み、制御出来るギリギリまで一気に加速する。
高々と響くショヴスリの排気音が二人を祝福しているように聞こえた。
そして、結婚式当日、ネルカティエの大教会。
招待された教団関係者だけでも二〇〇人以上、警備の兵士を含めれば三〇〇人程の人間が集まったルエリィの結婚式は恙なく進行した、宣誓でルエリィが沈黙を貫くまでは。
一度目は緊張しているからと思ったが、二度、三度と問われてもルエリィは無言を返し、流石に彼女の様子がおかしい事に気付いた参列者達が騒めき始める。
「……ん、んんっ」
俄かに騒めき始めた参列者達を静めるように神父が大きく咳払いし、無言を貫くルエリィに四度目の宣誓を問おうとした、その時だ。
「……ふふっ♪」
「「…………?」」
ルエリィが笑った。
その笑みに彼女に最も近かった神父と新郎は怪訝な顔を浮かべる……何故なら、ルエリィの笑みは嘲笑に歪んでいた。
「すぅ…………」
嘲笑を浮かべたルエリィは大きく息を吸い、背後に並ぶ参列者達に振り返ると
「だぁれがこんなチ○コも勃たねぇようなカラッカラの枯れ木爺ぃに愛を誓うかっての、このクソッタレ共がぁぁ―――!!」
王族らしからぬ下品な口調でルエリィは大声で叫ぶ。
その叫びは教会の入口に立っていた兵士も思わず耳を塞ぐ程の大音量、スタングレネード数発分に匹敵するルエリィの叫びは最早爆音に等しい。
無論、ルエリィの爆音の如き叫びは彼女に最も近かった二人に甚大な被害を与え、鼓膜が破れてもおかしくない叫びを間近で聞いた神父と新郎は昏倒する。
「る、ルエリィ!? お前、何(バシッ!)ンがっ!?」
耳を押さえながら椅子から立ち上がったゴールディは言葉を紡ごうとするが、ルエリィが投げた何かが顔にぶつかって中断される。
飛んできたのは神父の持っていた聖書、而も丁度角がゴールディの鼻に直撃した。
「はっ! 人の事を散々要らねぇ要らねぇ言ったくせに一丁前に父親面すんじゃねぇよ、この糞親父!」
「なっ……!?」
父にして王たるゴールディに対するルエリィの言葉は乱暴極まりない。
聖書の角が直撃した鼻を押さえ、うっすらと涙を浮かべたゴールディはルエリィの暴言に言葉を失い、無論、その暴言に参列者と警備の兵士も絶句する。
「もう良い子ちゃんぶるのも止めだ、止め! 私は私の望むままに生きる、こんな腐ったゲロみてぇな臭いがプンプンする国で生きるなんざ真っ平御免だ!」
そう叫んだ後、ルエリィはウェディングドレスの胸元を掴むと、乱暴に引き千切りながら女性なら誰もが憧れる衣装を脱ぎ捨てたが、その裸体は衆目の目に晒されなかった。
ルエリィがウェディングドレスを脱ぎ捨てると同時に彼女の身体は真っ黒な影に包まれ、影が消えた後に現れた彼女の姿に全員が息を呑む。
丈の短い黒のタンクトップに真っ黒なレザーのホットパンツ、猛犬に着ける首輪のような金属鋲付きの黒いチョーカー、その両腕にはチョーカーと同じ物が巻かれている。
鋭さを主張するように金属質な輝きを放つ短いスパイクを爪先に生やしたロングブーツ、刺さったら痛い事は間違い無しの短くも鋭利なスパイクを乱雑に生やした膝当て。
一昔前のハードロックヴォーカリストを思わせる格好は周囲を驚かせるには充分だったが、黒一色の服に身を包んだルエリィ自身が何より周囲を呆然とさせている。
生命力の消え失せた青白い肌、爛々と輝く血のように紅い瞳、両腕を覆うボンヤリと淡く輝く青白い半透明の鉤爪。
その姿を持つ魔物を教団は知っている……ワイト、生ける屍達を束ね、常夜の国を統べるアンデッドの女王。
「な、何故ルエリィ様が!?」
「じょ、冗談だろ!?」
「うだうだるっせぇんだよ、このスッタコ共がぁ!!」
ルエリィが魔物に、而も魔物の中でも高位に位置するワイトと化した事に周囲が騒ぐ中、気品の欠片も無い口調でルエリィは半透明の鉤爪の指を鳴らす。
―ガオォンッ……
指を鳴らした瞬間、不気味な音と共に不可解な『波』がルエリィを中心に教会内に迸り、騒ぐ参列者達の間を走り抜ける。
「おふぅっ」
「あひぃっ」
すると、『波』に中てられた一部の者達は白目を剥いて腰をカクカクと動かし、気の抜けた声を漏らしながら次々と崩れ落ちていく。
『波』に中てられた者達は崩れ落ちても腰をカクカク動かし続けており、見ればズボンの股間が漏らしたようにジンワリと濡れ、仄かに生臭い。
「くっ……何だコレ……」
「お、俺に聞くなぁ……」
「うわぁ、イカ臭ぇ……」
『波』で崩れ落ちなかった者も辛うじて立っているという有様、崩れ落ちた者から仄かに漂う悪臭に顔を顰めている。
精の扱いに長けたワイトは触れるだけで快感を与えつつ精を奪い取る事が可能だ。
ルエリィが先程放った『波』は射精しながら気絶する程の快感を与えた上で精を奪い取る高密度の魔力だが、通常のワイトではコレだけの魔力を広範囲に散布する事は難しい。
アステラにありったけの魔力を注がれたルエリィだからこそ出来る荒業である。
「ははっ、すっげぇ! うし、今度からコイツを『吸精波(フェロモン)』って呼ぶか」
尤も、使った本人も驚いていたが。
「ルエリィィィ!!」
「んぁ……って、うわっと!?」
ルエリィが吸精の魔力の波・『吸精波』の威力に驚いていると、一人の女騎士が大剣を彼女目掛けて振り下ろし、振り下ろされる大剣を彼女は転がるように慌てて避ける。
振り下ろされた大剣は説教壇を容易く両断し、床にちょっとしたクレーターが穿たれる。
「ちっ、クレア姉ぇのお出ましかよ」
その勢いを活かして起き上がり、舌打ちするルエリィ……その視線の先には紅いラインで縁取られた白い甲冑を纏う女騎士、その両手には女騎士の身の丈程はある大剣。
嫌悪に溢れた視線でルエリィを睨む女騎士こそがルエリィの姉、ネルカティエ第一王女のクレアンヌである。
「つぅか、殺す気で振り下ろしたな、テメェ」
「何時の間に魔物に堕ちたのかは知らん……だが、人間を滅ぼす魔物なら容赦はせん! ソレが例え妹であったとしてもだ!」
殺意の籠もった一撃にルエリィは威嚇するように半透明の鉤爪を握っては開きを繰り返し、身構える彼女にクレアンヌは大剣を正眼に構える。
「姉さん、私達も……」
「ルエリィの弔い合戦といきましょう」
ルエリィとクレアンヌが睨み合っていると、クレアンヌの許に如何にも魔法使いといった風貌の女性とメイスを持った修道女が駆け寄ってくる。
「勝手に人を殺してんじゃねぇ! あ、ワイトだからある意味死んでるのか」
クレアンヌの背後に並ぶ、彼女と顔立ちの似た二人の女性。
その内の一人の言葉にルエリィは声を荒げるが、自分がアンデッドである事を思い出して自ら訂正する。
「けっ、ネルカティエの王女が勢揃いかよ」
目前に並ぶ三人にルエリィは険しい表情を浮かべる……節くれだった杖を持つ魔法使いはネルカティエの第三王女・シーダ、メイスを持つ修道女は第二王女・ヴェローチェ。
クレアンヌも含めた姉達は母国のネルカティエは勿論、他の教団勢力圏内でも有名だ。
クレアンヌは正義感に溢れた熱血漢。
幼少の頃から優れた剣の才能を発揮し、ネルカティエ最強の称号を持つ勇者である。
ヴェローチェは慈愛に溢れた聖職者。
主神の声を聞いた事のある彼女は、ソレを証明するかのように治癒魔術を得意とする。
シーダは理知的で冷静沈着な魔術師。
一〇歳の時に城の蔵書を読破、内容を暗記した天才的頭脳を持つ魔術のスペシャリスト。
得意分野は違えど共通しているのは姉妹らしく似た顔立ちと主神の加護を受けている事、そして教団の使命への盲目的なまでの忠誠心。
使命を果たし、正義を貫徹しようとする三人の姿勢は生粋の英雄と呼べる。
(さぁて、こりゃどうすっかねぇ……)
攻守のバランスが取れている上に個々の実力も高い三人は主神の加護の影響なのか、先程の『吸精波』も効果が薄かったらしい。
ネルカティエでも超一級の三人がほぼベストコンディションで並んでいるという事態は、高位に位置するワイトとはいえ『成りたて』のルエリィには荷が重い。
退散するにしても―元々、ルエリィはそのつもりだったが―姉達を振り切って逃げ切れる可能性は限りなく低く、三人を相手に戦って勝つのは無理がある。
(兄様が居ればなぁ……)
兄と慕い、恋い焦がれる夜斗の不在にルエリィが心中で溜息を吐いた、その時だ。
―ガシャァァ――――ン!!
「いぃぃぃぃやっほぉぉぉ――――――っ!!」
『っ!?』
突然甲高い叫びと共にステンドグラスが木端微塵に砕け散り、その叫びと破砕音に四人はステンドグラスに目を向ける。
視線の先には見慣れぬモノに跨って教会の中へと飛び込んできた人影、四人を飛び越えた人影はギャギャギャ…と甲高い摩擦音を鳴らしながら着地。
「Well, it is the beginning of really worst party!」
『はぁっ!?』
そして、着地した人影は振り返る事無く何処からか取り出したロケットランチャーを構え、その砲口を向けられた四人は目を丸くして驚く。
無論、『吸精波』を耐えた者達も突然の乱入者とその暴挙に開いた口が塞がらない。
―ズドンッ!!
「くぅっ!」
砲口から放たれるロケット弾、逸早く我に返ったシーダが猛然と迫るロケット弾の軌道に魔術で干渉したのはほぼ同時。
乱入者と四人の中間辺りでロケット弾は見えない手に掴まれ、ロケット弾は見えない手の中で暴れるが、その直後にルエリィの取った行動に全員が目を見開いた。
「きゃははっ!!」
爛漫な笑い声を上げたルエリィはロケット弾に近付くと、
「うぅらっしゃあぁぁ!」
見えない手に掴まれ手暴れるロケット弾の尻を思いっきり蹴り飛ばし、蹴り飛ばれた事でロケット弾は見えない手から心太の如く押し出される。
尚、蹴り飛ばす直前にルエリィは蹴り足を魔力で保護した為、彼女の足は無傷である。
元々の推進力に加え、蹴り飛ばされた勢いで発射された時以上の速度で迫るロケット弾に三人の反応は遅れ、見事ロケット弾は呆然と立ち竦む三人に着弾する。
「もう、乱入早々ロケット弾ぶっ放すなっつぅの! 危うく月までブッ飛ぶところだったじゃねぇか!」
「なぁ〜はっはっはっ! 結果オーライってなもんよ! つぅか、オメェ……なんか口調変わってね?」
濛々と上る煙にルエリィは乱入者に抗議を上げ、その抗議を笑い飛ばした乱入者は彼女の口調が変わっている事に首を傾げる。
「でも、すっげぇカッコ良かったぜ、『に・い・さ・ま』♪」
「ったぼぉよ! 最高に最悪で、最高にカッコいいタイミングを見計らってたからなぁ!」
抗議一転、はにかむルエリィに乱入者は豪快に笑い、此処に現れる筈の無い乱入者の姿に周囲は騒然となる。
騒然とする参列者達の中、辛うじてルエリィの『吸精波』を耐えたゴールディは乱入者へ射殺さんばかりに鋭い視線を向けて叫ぶ。
「何故、何故貴様が此処に居るぅ、黒井夜斗ぉ!」
×××
「何故? 何故って聞くか? ルエリィを返してもらいにきたに決まってんだろぉが!」
鋭い視線を向けて叫ぶゴールディに負けじと夜斗は睨み返して叫ぶ。
ルエリィを返してもらいにきた、と。
その叫びにゴールディは忌々しさと激しい怒りで顔を歪め、夜斗曰く『脂肪一〇〇%』の太った身体を小刻みに震わせる。
「返してもらいにきた、だとぉ……ルエリィは穢れた悪党の貴様のモノではない!」
「はっ! なら、穢れた悪党らしく、奪わせてもらおうじゃねぇか!」
奪わせてもらう、と叫ぶと同時に夜斗は怒りで身体を震わせるゴールディに迫り、瞬く間に彼の背後を取る。
ゴールディの背後を取った夜斗は左腕で少し息苦しさを感じる程度に彼の首を締め上げ、何時の間にか握っていたスティレットの尖端をコメカミに突き付ける。
「おっと、動くんじゃねぇ! ちぃっとでも動いてみろ、コイツの命はねぇぜ……まぁ、王様の脳味噌に先っちょがブッ刺さる方が圧倒的に速いけどな」
ドスの入った低い声で夜斗はゴールディのコメカミにスティレットの尖端を軽く突き刺し、コメカミから伝わる鋭さにゴールディは目を丸くして言葉を失う。
王を人質に取るという夜斗の卑劣な行為に『吸精波』に耐えた警備兵達は勿論、辛うじて耐える事の出来た参列者達も怒りを隠せない。
だが、一歩でも動けばゴールディの命が無い為、誰もが立っている場所から動けない。
「流石、兄様! 私には出来ない事を平然とやってのける! 其処に痺れる、憧れるぅ!」
「何でそのネタ知ってんだよ!? つぅか、オメェ本当に口調変わり過ぎだろ!?」
そんな卑劣な行為を理想の兄に心酔するルエリィは場違いな程にはしゃぎ、彼女の豹変に夜斗は困惑を隠せない。
「さぁて、ちょいと取引といこうじゃねぇか」
「と、取引、だと……」
平静を取り戻した夜斗はスティレットの尖端をコメカミにロックオンしたまま、周囲にも聞こえる声でゴールディに取引を持ち掛ける。
「其処で俺を狙ってるルエリィの姉ちゃん三人と勝負させろ。俺が勝ったら俺達を見逃せ、勿論追撃は無しだ。ソッチが勝ったら……そうだな、俺達の首をくれてやらぁ」
夜斗の視線の先には着弾寸前に防御用の魔術で防いだのだろう、煤に塗れているが健在のクレアンヌ達が夜斗を睨んでいる。
「え、えぇっ!?」
「何……だと……!?」
クレアンヌ達の健在と夜斗の持ち掛けた取引の内容に周囲が一気に騒ぎ出す。
ソレも当然、人質を取った側が圧倒的に不利な取引なのだ。
「貴様……正気、か……!?」
他の教団勢力圏内からの参列者は兎も角、夜斗が模擬戦で負けた事をネルカティエ陣営は知って―模擬戦の条件が彼の戦闘スタイルと相性が悪かった事は知らないが―いる。
模擬戦相手にすら負けた夜斗がネルカティエの誇る三強を相手に勝負、而も肝心の本人は勝つつもりらしいのだ、ゴールディが正気を疑うのも無理も無い。
「はっ、『どんな理由があろうと人を殺した奴は皆狂ってらぁ』、頭のおかしい連中に正論なんざ通じねぇよ。取引を承諾すんなら解放、断れば首がボッキリいくぜ」
正気を疑われた夜斗は『自分に言い聞かせる』ような響きを持った答えを返し、その答えに首を傾げながらゴールディは頷く。
ゴールディが頷いたのを見た夜斗は突き飛ばすように解放すると、突き飛ばされた勢いで転んだゴールディの許に警備兵達が駆け寄る。
「つぅ訳で、勝負といこうじゃねぇか」
「何を血迷ったのか知らんが、父上を人質に取った貴様は絶対に赦さん」
ヘラヘラと笑いながら背後に振り返った夜斗にクレアンヌは怒りを露に大剣を構え、彼女の背後でも妹二人が杖とメイスを構えて彼を睨んでいる。
ヴェローチェとシーダは魔術が得意だが近接戦もこなし、妹二人には劣るがクレアンヌも魔術を使える万能型だ。
ネルカティエ、そして人類の希望となる為には弱点があっては駄目だ、という思いで弱点を鍛えた三人は武芸・魔術共に生半可な達人を上回る。
全てに於いて非常に高い領域でまとまった三人を相手に、夜斗は余裕綽々といった態度でダラリと両腕を垂らしている。
「……………………」
余裕そのものといった態度の夜斗に、クレアンヌ達は怒りと苛立ちを強引に抑え込む。
人質を取るという卑劣な行為も辞さない夜斗だ、奇策を用意しているかもしれない。
そう訴える経験に従って一挙手一投足を見逃さぬように三人は夜斗を見据え、その気迫に呑まれた周囲は勝負を見守るように静まる。
模擬戦の結果を知らぬ参列者達は息を呑んで見守り、模擬戦の結果を知るネルカティエ側はルエリィ以外三人の勝利を確信していた。
どう足掻いても夜斗一人で三人……而も、ネルカティエの誇る三強が相手なのだ、如何に奇策を用いようと夜斗が勝てる筈がない。
固唾を飲んで行方を見守る参列者、三人の勝利を内心確信するネルカティエ、夜斗の勝利を信じるルエリィ。
其々の思いを胸に見守る者達に囲まれた四人は彫像の如く動かない。
「…………ひゃはっ」
暫く睨み合いを続けていた四人、何処か嘲笑うような声を上げた夜斗の手には掌サイズの樽のような物が握られている。
樽のような何かにクレアンヌ達が首を傾げ、夜斗はソレを地面に落とす。
地面とぶつかった瞬間、
―ドォォォンッ!!
耳を劈く爆音と共に強烈な閃光が放たれ、クレアンヌ達は勿論、夜斗を除いた全員が突然の爆音と閃光で視覚と聴覚を封じられる。
夜斗が持っていた物は魔術で生成したスタングレネード、而も通常の物よりも大音量且つ強烈な閃光を放つ特別製である。
「しゃあっ!」
特製スタングレネードが炸裂した瞬間、夜斗は最後方に居るヴェローチェ目掛けて走る。
夜斗の戦闘スタイル上一番厄介なのがヴェローチェであり、一番の厄介者を始末するのは戦闘の定石だ。
「生成開始、『呪毒(スペル・ヴェノム)』……」
ヴェローチェとの距離を詰めながら夜斗は両手中指に魔力を集め、集めた魔力を細く鋭く尖らせる。
「あぅっ!?」
そして、錐の如く尖らせた魔力を纏わせた中指をヴェローチェの耳の穴へ突っ込み、耳の奥から走る鋭い痛みにヴェローチェは呻き声を上げる。
指を引き抜いた後、夜斗はヴェローチェの頭を掴むと彼女の顔面に膝蹴りを叩き込み、骨が砕けるような鈍い音が教会の中に響く。
「ヴェローチェ!?」
「姉さん!?」
背後から聞こえた鈍い音に涙を浮かべながら残る二人が振り向き、二人が態勢を整えるより早く夜斗は行動に移る。
「ほれぇ!」
「わぷっ!?」
二人に向き直った夜斗は即座にテニスボール程の大きさの風船を生成し、生成した風船をクレアンヌ目掛けて投げる。
投げられた風船はクレアンヌの顔面に当たると破裂し、その中から赤い粉末が飛び散る。
「な、何だ、ハァックション! コレは、フェックシ!」
飛び散る赤い粉末を吸い込んだ瞬間、突然涙が溢れ、クシャミが止まらなくなる。
夜斗が投げたのは催涙性の粉末を詰めた風船、無論二つとも魔力で作った代物だ。
「次はテメェだぁ!」
「くっ……」
催涙性の粉末を吸い込んだクレアンヌが動けない隙に夜斗はシーダに狙いを定めて走り、迫る彼を前にシーダは杖を構える。
一応近接戦もこなせるがシーダの本領は魔術、近付かれる前に倒そうとする彼女に夜斗は
「ブフゥ―――!!」
「ぶわっ!?」
毒霧。
何時の間に口の中に液体を蓄えていたのかは不明だが、スプレー宜しく噴射された飛沫がシーダの顔面に容赦無く直撃する。
「く、黒井!? ひひゃら、らひろひゅる……」
顔面に唾混じりの飛沫を吹きかけられたシーダは顔を拭いながら文句を言おうとするが、文句の途中で急に呂律が回らなくなる。
ソレだけではない、手足の先から痺れが生じて力が入らなくなっていく。
手足に力が入らず床に座り込み、見るからに戦闘不能となったシーダに夜斗は非情な追撃を加える。
「しゃっ!」
「〜〜〜〜〜〜!?」
座り込んだシーダの目に指を、彼女の喉にスティレットを夜斗は突き刺し、物理的に目と声を奪われたシーダは声にならない絶叫を上げる。
「黒井、貴様ぁ……」
怒りと憎悪の籠もった低い声に夜斗が振り向くと其処には目の周りを赤く腫らし、鼻水を垂らしながらも大剣を正眼に構えるクレアンヌ。
妹に対する容赦無しの非道な行為に加え、正道から見事外れた夜斗の戦い方にクレアンヌからは濃密な殺意が溢れている。
「へへっ」
濃密な殺意の波動を放つクレアンヌを前に、夜斗は舌を出して怒りを煽るようにヘラヘラ笑いながら彼女との距離を詰める。
右手に持っていたスティレットの尖端をクレアンヌの眼前に突き付けると、クレアンヌの目、スティレットの尖端、鍔元が一直線で結ばれる。
「……っ!?」
その瞬間、クレアンヌは動揺に震えぬ為に意志を総動員せざるを得なかった。
唇が戦慄き、口の中だけでなく舌の裏表までも瞬く間に乾く。
(ど、何処まで貴様はぁ……!!)
距離感というものが恐ろしい程に曖昧になり、今突き付けられている尖端を残して世界が消失してしまったような感覚に陥る。
(妖剣を使うか、この卑怯者がぁ……!)
尖端を見て恐れ、平静を失うのは本能だ……而も、全身の神経感覚を過敏にしている戦闘の最中では、その圧迫感は途轍もない。
「…………」
夜斗の嘲笑うような双眸がクレアンヌの動静を窺い、彼女の自壊を静かに待つ。
心身を消耗して足腰を萎えさせるか、破れかぶれに攻め込むか、どちらに転んだとしても夜斗にはそのどちらにも対応してくるだろう。
「……ッ……!!」
どうしようもなく注視してしまう。
一点に集中する感覚、消えていく全てのその他と夜斗の姿。
如何に状況を打破すべきか、クレアンヌが平静を失った頭で考えていると
―ドスッ
「か……」
背後から首に何かが突き刺さり、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちる。
崩れ落ちる間際、クレアンヌは見た。
目前に立っていた夜斗の顔が、何時の間にか『へのへのもへじ』になっていたのを。
「き、貴様ぁ……」
「へへっ」
俯せに倒れるクレアンヌは首を動かして怒りに燃える目で何時の間にか背後に回っていた夜斗を睨み、嘲笑うような声を出しながら夜斗は彼女の背中を踏む。
「あんな卑怯な手を使うとは、貴様に勇者の誇りはないのか!?」
スタングレネード、毒霧、妖剣、奇襲。
夜斗が勇者として召喚された異世界の住人である事をクレアンヌは知っているが、彼女の信じる勇者像とは対極の戦い方に憤りを隠せない。
「はぁ? プライド? んなもん、端からねぇっつぅの」
誇りはないのか、と罵るクレアンヌは夜斗の呆れた表情と言葉で目を見開く。
誇りなんて最初から持っていない……驚愕で見開かれた目は即座に怒りに染まり、背中を踏む足をクレアンヌは払い除けようとするが
「なっ……!?」
意に反して腕が、いや、腕どころか首から下が全く動かない。
鉛が詰まったように重いのとは違う。
『初めから存在していなかった、とでも言うように首から下の感覚が全て消え失せている』。
「き、貴様! 私に何をしたぁ!?」
「毒」
未知の事態に恐怖混じりの叫びを上げたクレアンヌに返ってきた、あまりにもシンプルな答えに彼女の思考は停止する。
今、夜斗は何と答えた? 今、夜斗は『毒』と答えなかったか?
『毒』
「…………き、貴様ぁぁぁ――――――――っ!!」
夜斗の答えを漸く理解し、思考が再起動したクレアンヌは憎悪の籠もった叫びを上げる。
確かにクレアンヌの問いに夜斗は『毒』と答えた、その事実が彼女を怒りで沸騰させる。
「仮にも勇者として召喚された男が毒を使うだと!? 正々堂々の勝負に毒を躊躇わずに使うとは恥を知れ!」
「おいおい、俺は『勝負しよう』って言ったが、『正々堂々』とは言ってねぇぜ? はっ、勝てばよかろうなのだぁぁ! ぬわぁ〜はっはっはっはっはっ!!」
憎悪の籠もったクレアンヌの叫びと完全に悪党な夜斗の高笑いに周囲は騒ぎ始め、
「うっし、取引通り見逃してもらうぜ」
騒ぐ周囲を尻目に夜斗はゴールディに視線を向け、ヒールそのものの笑みにゴールディは苦虫を噛み潰したような、心底悔しそうな表情を浮かべるしかない。
夜斗の言う通り取引は取引、クレアンヌ達に勝てば見逃すと約束した上で彼が勝利した。
交わした約束を違える事は教団側にとって恥じるべき事であり、悔しくとも此処は夜斗とルエリィを見逃すしかない。
「さて、行くぞルエリィ」
「はいっ♪」
悔しさを露に頷いたゴールディに夜斗はニンマリと笑みを浮かべると、ルエリィを連れて教会の扉へと向かう。
「あ、すっかり忘れてた。糞親父、『男』としてテメェはもう終わりだ、ぜっ」
すると、途中で夜斗がゴールディに向かって振り返って指を鳴らした瞬間、
―ポンッ!
「……っ!? ぐ、が、がぁぁぁ……」
「ご、ゴールディ様!?」
栓を抜いたような音と共にゴールディの『股間』が爆発する。
爆発で抉れた股間を押さえつつゴールディはその場に蹲り、激痛に悶え苦しむ彼に周囲の警備兵達が慌てて集まる。
「うっわ〜、兄様ひっでぇの。でも……まぁいっか」
何をしたのか分からないものの股間を爆発させるという行為にルエリィは顔を顰めるが、顔を顰めたのも一瞬、彼女は悶える実の父親を嘲笑って夜斗の後を追う。
「あばよ、ネルカティエ。この国の事、大っ嫌いだったぜ♪」
そして、ルエリィ・ルメール・ネルカティエは暴言を吐きながら母国を捨てた。
「ほらよっと! あらよっと!」
教会を出た後、夜斗は魔術で生成したバイクに跨って―ルエリィは彼に抱きつくように彼の後ろに乗っている―ネルカティエ内部を爆走していた。
片手でバイクを運転しつつ夜斗はテルミット焼夷弾を生成しては片っ端から投げ、次々と建物を燃やしていく。
アルミとマグネシウムの強力な化学反応が生み出す炎は豪雨が降ろうと早々消えない程、中世の消火技術では更に時間が掛かるだろう。
「なぁ、兄様? 『コレ』、教会に捨ててなかったっけ?」
猛スピードで駆けるバイクから振り下ろされないようシッカリ抱きつきながら、ルエリィは運転する夜斗に尋ねる。
教会に乱入した際、夜斗は乗っていたバイクを捨てた筈だが、教会から出ると乱入した時に乗っていたバイクと寸分違わぬバイクが扉の前に在ったのだ。
「あぁ、コレか? コレは(ドゴォンッ!)俺が魔術で作った奴だからな(ズドォンッ!)、魔力がある限り(ズウゥンッ!)幾等でも(ボゴォンッ!)作れるんだよ」
「へぇ……兄様って、こんなモンまで作れんのか」
ルエリィの質問に夜斗は焼夷弾を投げつつ答え、爆音が混じって聞き取り難いがどうやらこのバイクは魔術で作った物らしい。
返ってきた答えに感心しながらルエリィは視線をバイクに向ける。
夜斗のバイク・ショヴスリは『走る凶器』……鋼鉄製のフレームにセラミック複合装甲のカウル、加速特化のドラッグレース仕様ボディは乾燥重量だけで三〇〇キロオーバー。
前後のカウルにはチタン鋼を超高圧水でタッピングした、軽く触れただけで皮が破ける程に鋭利で硬い鉤爪状のブレード。
DOHC四気筒二リッターのエンジンに加えてツインターボとニトロオキサイド噴射付き、このポテンシャルを使いきれるなら時速三〇〇キロまで約八秒。
重量三〇〇キロオーバーの巨大なギロチンの刃が時速三〇〇キロで爆走する、と考えれば、このバイクがどれだけ凶悪な武器か分かるだろう。
「いぃやっほぉぉ―――!! ボンバァァァ――――、ハァァッピィィ――――!!」
仮面○イダーも吃驚するモンスターバイク・ショヴスリにノーヘル、二人乗りで爆走する二人が何をしているのかと言うと『破壊工作』。
二人が台無しにした結婚式には指揮官や部隊長を任されている精鋭が配置されていたが、ルエリィの『吸精波』の影響で殆ど無力化されている。
頭の居ない軍隊は烏合の衆同然、指揮系統が乱れている隙に夜斗はネルカティエの各地の武具の材料や食料を集めておく備蓄庫を訪れては片っ端から焼夷弾で燃やしている。
「其処の変なモノに乗った奴、止まれ!」
結婚式の騒ぎを知らず、ショヴスリで爆走しつつ焼夷弾を投げる夜斗を止めようと独自の判断で動く兵士も居たが、
「止まらなければ」
「スワヒリ語で喋れや、ダボがぁ!」
時速三〇〇キロで爆走する、重量三〇〇キロオーバーの巨大なギロチンに撥ねられるか、その禍々しい威圧感の前に逃げ出すかで夜斗を止められなかった。
「燃えろ、燃えろぉ! どっかの誰かの顔のように醜く焼け爛れろぉ!」
ストレートの通りが多く、予め位置を調べておいた事が幸いし、スピーディーに備蓄庫を回る事が出来たが、笑いながら焼夷弾を投げる夜斗の姿は完全にテロリストだった。
「ふぅん、成程ねぇ……」
備蓄庫を粗方炎上させて破壊工作を終えた後、ネルカティエの外に向かって爆走する二人。
牢屋に閉じ込められてから教会に乱入するまでの間に何があったのかをルエリィから聞き、彼女から聞いた話に夜斗は納得した声を上げる。
アステラと名乗ったリリムにワイトにしてもらった事、アステラから授かった魔物の力で結婚式を自ら台無しにしようとした事。
今まで溜めてきた負の感情が魔物化した際に爆発したのもあるが、『兄様のようになりたい』という憧れがルエリィの口調の豹変の理由らしい。
「そういや、さ……前から聞こうと思ってたんだけど、兄様は何で『要らない子供』って言葉が嫌いなんだ?」
「あ、あぁ〜、ソレか。ソレは、だな……」
投獄から結婚式までの間の事を話し終えた後、ルエリィは前々から疑問に感じていた事を夜斗に聞くと、何かとハッキリ過ぎる程に喋る彼が珍しく言い澱む。
話すべきか否かを暫く悩んでいた夜斗だが、『要らない子供』という言葉を嫌う理由を己が過去と共に話し始める。
黒井夜斗は畜生児、『兄と妹の近親相姦で生まれた子供』である。
義理の兄妹なら少しはマシだったが、夜斗の両親は『血の繋がった実の兄妹』である。
実の兄妹の近親相姦で生まれた夜斗は、両親にとって『望まぬ子供』だった。
両親は好奇心で性交を始め、性交の快楽を知った後は獣の如く性交に夢中になった。
避妊も何も考えない獣じみた性交の末に妊娠が発覚、発覚した時には既に妊娠した子供を堕ろす事が出来ない状態で出産を余儀なくされた。
そうして生まれたのが夜斗だが両親の関係は夫婦と言うより『セックスフレンド』、性交の快楽を楽しむだけの関係にあった二人は育児を完全に放棄していた。
夜斗が空腹で泣こうが何だろうが無視して性交に耽り、育児を彼の祖父母に当たる二人の両親に押し付けていた。
両親が夜斗に無関心だったのは元々彼が望まぬ子供なのもあるが、彼の容姿が両親と全く違う事も理由の一つだ。
『近親相姦で生まれた子供』という業を背負った夜斗はアルビノ、先天的に皮膚や毛髪等の色素が欠けている子供として生まれた。
生まれつき色素の完全に欠けている夜斗は日光に弱く、義父に引き取られて魔術の才能が覚醒するまで帽子か日傘が欠かせなかった。
望まぬ子供とアルビノ、この二つが無関心の原因で、両親の無関心は名前にも表れており、『夜斗』という名前は実は義父が夜斗を引き取った際に付けた名前だ。
引き取られる前の夜斗の名前は『一郎』……戸籍を登録する為に必要だからという理由で付けられた、愛着の欠片も無い適当な名前。
実際、夜斗を名前で呼んでくれたのは祖父母だけで、両親は『アレ』や『コレ』等、彼を物扱いしていた程だ。
『子供なんて要らないし、欲しくなかった』
『姉でもある』母の冷たい言葉を聞いたのは夜斗が四歳の頃、吸血衝動を自覚する直前。
育児を放棄して『父でもある』兄との性交に耽る母に祖父母が業を煮やして物凄い剣幕で詰め寄った時、母は夜斗を『要らない』と悪びれもせずに言ったのだ。
あまりにも堂々と言った為に祖父母は言葉を失い、リビングの扉越しに母の非情な言葉を聞いてしまった夜斗もショックで言葉を失った。
母から『要らない子供』とハッキリ言われたショックの所為かどうか不明だが、その日の夜から夜斗は吸血衝動に悩まれる事になった。
夜斗が『要らない子供』という言葉を嫌うのは自身が『要らない子供』だったから、そう言われた時のショックと哀しみを彼は身を以て知っているからである。
「親父が引き取ってくんなかったら、どうなってた事やら。うっへぇ、想像出来ねぇけど怖ぇなオイ」
わざとらしさを感じる明るい声で言う夜斗だが、彼の過去にルエリィは言葉を失う。
夜斗も自分と同じ『要らない子供』、彼は自分と同じ哀しみを背負っていた。
自分が『要らない子供』と言われた時に夜斗がキレて死神と化すのも、嘗ての自分の姿が重なるからだろう。
(だから、かねぇ……)
夜斗と自分は似た者同士、だから自分は彼に惹かれたのかもしれない。
魔物化する前からおぼろげに、魔物化してからはハッキリと自覚した恋心。
自分は夜斗が好き、理想の兄としてではなく一人の男性として彼が好きなのだ。
「兄様……」
魔物化してから今日までの一週間は拷問に等しく、自分でもよく耐えられたものだと思う。
身体は愛しい夜斗を求めて疼き、精神も情欲でジリジリと炙られ続けた。
魔物化した身体で結婚式を自ら台無しにする、という目的が無ければ、本能のまま牢屋へ駆け出して夜斗を襲っていたかもしれない。
それだけ夜斗が恋しかった、愛しかった。
(もうちょいお預けかなぁ……)
今はまだ落ち着いて告白出来る状況ではないのはルエリィも分かっている。
早くこの想いを告げたい、そして、この想いが夜斗に伝わってほしい……そう思いながらルエリィはギュッと夜斗に抱きついた。
×××
―ドドドドドドドドドン!
「「ドチクショオォォォ――――!!」」
どうやら、主神はルエリィに想いを告げる暇を与えるつもりはないらしい。
背後から機関砲を撃ちつつ追い掛けてくるモノに二人は声を揃えて叫んだ。
ネルカティエを囲む外壁の門を突破した後、取り敢えず燃料―魔術で作ったガソリン―が尽きるまで只管突っ走る事を選んだ二人。
エンジン全開のショヴスリの爆走に追い付ける生物は夜斗が知る限りでは存在せず、早馬程度では先ず追い付けないだろう。
二人は知らない事だが、ショヴスリの最高速度は魔物最速を誇るコカトリスですら後塵を拝する程、確かに生物では先ず追い付けない。
疲れ知らずの鋼の猛獣を追い掛けるモノが『生物』であるなら、だ。
「に、兄様! 速く、もっと速く!」
「バァロォ! コレでもトップスピードだ! コレ以上速くなれっかぁ!」
もっとスピードを、と急かすルエリィに夜斗は悪態で返す……既にショヴスリは最高速度、今以上のスピードは出せない。
「畜生、あんの鏡餅がぁ! 連中、あんなの何処で調達しやがった!?」
背後から飛んでくる弾丸の豪雨を避けながら夜斗は背後に振り返ると、その視線の先には目算でも二五メートル近い巨大な焦げ茶色の鋼鉄の塊。
二人を追い掛ける鋼鉄の塊はモノアイを桃色に光らせる頭部、申し訳程度の無骨で短い腕を持つ胴体、戦車を思わせる脚部、と段階的に横幅が大きくなっている。
確かにその姿は鏡餅、頭部はさしずめ蜜柑といったところだが、そんな滑稽なフォルムに反して全身に無数の機関砲を備え、背中には二つに折り畳まれた列車砲の如き巨大な大砲。
「つぅか、何でザ○ルが中世にいるんだよ!? 宇宙世紀か、この世界はよぉ!」
機関砲を乱射しつつ追い掛けてくる鏡餅に夜斗は叫ぶ……異世界に召喚されるというのは創作でもよくあるが、まさか巨大ロボットと遭遇するとは思ってもみなかった。
的が小さい上に時速三〇〇キロで爆走している為に狙い難いのか、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの精神で鏡餅は弾丸を兎に角ばら撒いている。
然し、当たれば最後、幾等防弾仕様のショヴスリでも巨大ロボットの機関砲は無理であり、ショヴスリ諸共挽肉にされるのが目に見える。
「兄様! 爆弾は!?」
「あんなデカ物、投げたところで屁でもねぇだろ!」
夜斗の作る爆弾では鏡餅にダメージを与える事は難しい、出来て精々機関砲を一門潰すかモノアイを破壊するかといったところだ。
いや、正確に言えば『本気を出せば』鏡餅を破壊出来る可能性が高いが、『アレ』は魔力をかなり消費するので余程の事が無い限り使いたくない。
そもそも、『アレ』は使うまでに時間が掛かる為、『アレ』の準備をしている間に機関砲の餌食になるのが確定だ。
―安心したまえ
「っ!?」
どうやって逃げ切るか、と考えた瞬間、夜斗の脳内に懐かしい声が響く。
脳内に響くは義父の声、返そうにも返しきれない大恩ある義父の声。
―君は気付いていないだけだ
―君にはこの状況を打破する為の力がある
―君が望めば君の中に眠る、更なる力が目覚める
「…………へへっ!」
「に、兄様!?」
その瞬間、夜斗の脳内に『知らない筈なのに知っている』力の設計図が描かれる。
脳内に描かれた力の設計図、鮮明に思い浮かぶ力に夜斗は凶悪な笑みを浮かべると、突然ドリフトターンを決めて鏡餅に向かって驀進。
突然鏡餅に向かって突き進む夜斗にルエリィは驚愕の声を上げ、無論、鏡餅も何故? と思いながら機関砲を突き進む彼目掛けて乱射する。
瞬く間に埋まっていく距離、機関砲の弾丸を避けながら夜斗はハンドルから離した右手に禍々しさを感じさせる真っ黒な手榴弾を作り、
「兇器(マガツモノ)に名乗り無用!!」
右手の手榴弾を鏡餅目掛けて投げる。
投げられた手榴弾は埋まりつつある両者の間に落ちると、
―ズドォォォンッ!!
手榴弾にあるまじき大爆発を起こし、その衝撃に鏡餅は乱射の中断を余儀なくされる。
爆心地から濛々と立ち昇る黒煙、その中に毒々しいまでに紅く輝く二つの光を鏡餅は見た。
あの光は何だ? と思いながら鏡餅は機関砲の銃口を黒煙の向こうにいる『何か』に向け、風に流された黒煙の向こうから現れたモノに鏡餅は機関砲の引金を引く事を忘れた。
黒煙の向こうから現れたモノ、ソレは―――
「さぁて……此処からは俺達の反撃の時間だぜ」
上半身をフードの付いた漆黒の襤褸で隠し、目深に被った黒いフードの向こうで赤い瞳を毒々しく輝かせ、鋼鉄の青白い肌を持った全長一〇メートル程の巨大な女アサッシン。
「な、何だよコレェ!? つぅか、此処一体何処なのさ!?」
「えぇい、黙らっしゃい! 今は『コイツ』の体調管理に集中しろ!」
困惑の動きを見せる鏡餅を映すモニターを前にルエリィは困惑を隠せず、困惑する彼女に夜斗は集中しろと叫ぶが彼女の困惑も当然だろう。
夜斗の投げた手榴弾が爆発した瞬間に二人は真っ黒な光に包まれ、光が消えたと思ったら丸みを帯びた壁に囲まれた此処に居たのだ、困惑するのも無理はない。
壁に囲まれた空間の中心に浮かぶ泡に包まれた夜斗は手の甲にワイヤーの付いた真っ黒で無骨な籠手を着けており、手の甲のワイヤーは彼を包む泡と繋がっている。
その前方斜め下にはタイヤが取れたショヴスリに跨り、バイザーを着けたルエリィ。
二人は知らない……二人が居る場所は夜斗の居た世界は勿論、この世界でも過ぎた技術の産物、巨大ロボット・『マキナ』の操縦席である事を。
「さぁ、『銘伏姫(ナブセヒメ)』の初陣だぁ!」
「な、銘伏姫? ソレってコイツの……って、うひゃあっ!?」
困惑するルエリィを尻目に夜斗は彼専用マキナ・銘伏姫を動かすと、突然動き出した事に彼女は素っ頓狂な声を上げる。
夜斗の命を受けた銘伏姫は己が機構を起動、耳障りなノイズを周囲に響かせる。
一方、鏡餅のパイロットは、ネルカティエの勇者の一人であるアンドリュー・マーチスは何度か深呼吸して動揺を静めていた。
この鏡餅もマキナであり、名はバスターロウ……背中の折り畳み式六八〇ミリカノン砲を主兵装とする、遠距離砲撃型マキナである。
この六八〇ミリカノン砲は大きさに見合った絶大な威力を誇り、小規模な親魔物派領なら二、三発で壊滅させられる程だ。
仮に接近されそうになっても全身に備えられた無数の機関砲で身を守り、全身の機関砲を一斉射するだけでも充分過ぎる戦果を上げられる。
但し、ソレは人間と魔物が相手の話で、『マキナ同士の戦闘』ではどうなるか分からない。
《…………はぁ、帰りたい》
初めてのマキナ同士の戦闘にアンドリューは帰りたくなった。
勇者の素質が在るから、と徴兵されたアンドリューは誰かと争う事が嫌いであり、誰とも争いたくないからと幼い頃から部屋に閉じ籠もっていた、所謂引き籠もりである。
アンドリューは似た境遇で同じ部屋を使っていたアオーウェと仲良くなり、二人は頻繁に訓練をサボったが、友人に起きた悲劇でアンドリューは嫌々ながら訓練するようになった。
嫌々ながら力を付けたアンドリューは勇者育成を任されているネフレン=カからマキナを授かり、授かったマキナで勇者の役目を遂行するようになった。
然し、勇者になってもアンドリューの気質は変わらない。
戦うなんて嫌だ、争うなんて吐き気がする、早く終わらせて部屋に帰りたい。
早く部屋に帰りたい一心でアンドリューは戦いに挑み、『世界で一番自分が不幸な人間』と思いながら非常に冷静な思考で役目に従事した。
『自分が世界で一番不幸な人間だと思いながら、他人に自分以上の不幸を撒き散らした』。
そう、アンドリューは『無自覚の悪意を振りまく』最悪な勇者なのである。
《帰りたい、早く帰りたいよぉ……》
帰りたいと呟きながら機関砲の引金を引こうとしたアンドリューだが、耳障りなノイズと共に風景に溶け込むように夜斗の姿が消えた事で引金に添えた指が止まる。
夜斗を探すべくアンドリューはレーダーを見るが反応が無い……いや、正確に言えば反応がかなり鈍い、相手の位置を示す光点が長い感覚で明滅を繰り返している。
何故? とアンドリューが首を傾げた瞬間、衝撃で操縦席が揺れ、彼はモノアイを頻りに動かすが周囲に夜斗の姿は見えない。
姿は見えないのに次々と襲う衝撃が操縦席を揺らし、アンドリューは泣きたくなった。
「だぁぁ! 硬ぇ! 何だよ、この硬さはぁ!?」
「兄様、落ち着け! ちょっとずつだけど、ダメージは溜まってる!」
鏡餅、改めバスターロウの装甲の硬さに夜斗は苛立ちを隠さずに叫び、彼の叫びに今度はルエリィが落ち着けと叫ぶ。
銘伏姫の持つステルス機能で姿を消した後、夜斗はバスターロウの周囲を走りながら魔術で手榴弾を作っては投げ、作っては投げを繰り返している。
然し、手榴弾はバスターロウの装甲に焦げ目を付けるだけに終わっており、何度も爆発に晒されても焦げ目だけで済む異常に硬い装甲に夜斗は苛立つしかない。
「くっそぉ、硬過ぎんだろコイツ!」
まるで甲羅に閉じ籠もった亀を相手にしている気分であり、装甲の硬さに悪態を吐きつつ夜斗はせっせと手榴弾を作ってはバスターロウに投げつける。
夜斗は暗殺者(アサッシン)&爆弾魔(ボム・フリークス)、その戦闘スタイルは悪辣無比……忍び寄られて暗殺、魔力がある限り幾等でも造れる爆弾で爆殺、夜斗に狙われた者はそのどちらかを選ばされる。
相手に隙在らば暗殺、見つかったら爆殺、と戦い方を夜斗は使い分けているが、汚れ仕事に関わる技能、自己隠蔽と幻覚の魔術を彼は修めている。
その為、夜斗の姿を確認する事自体が困難で、彼の師である義父か、彼の戦闘スタイルを熟知している義兄弟以外の者達は大抵前者を選ばされる事になる。
更に毒や不意打ち、人質等卑怯卑劣と謗られる行為も躊躇わない為、夜斗以上に『勇者』という言葉に無縁の者はいないだろう。
そんな夜斗の駆る銘伏姫も彼のマキナに相応しい機能を持つ。
リアルタイムで装甲の色素を変えて周囲に溶け込む保護色に近いステルス、装甲表面にはレーダー波の反射を抑えてレーダーに映り難くする電波吸着塗装。
更に排熱量が低い為に熱センサーにも映り難い、とまさに暗殺に適したマキナなのだ。
「んなろぉ!」
保護色で姿を消してバスターロウを中心に駆け巡りつつ、夜斗は只管爆弾を投げ続ける。
姿が見えない事に動揺しているのかバスターロウは案山子の如く棒立ち、全身の機関砲も沈黙している。
爆発に巻き込まれて機関砲が壊れていくが焼け石に水、針鼠の如く備わった機関砲はまだ大量に残っている。
「兄様! 敵、攻撃態勢!」
「にゃにぃ! (ドドドドドドドドドッ!)って、どわぁっ!?」
ルエリィの叫びと機関砲が動き出したのは同時、残っていた全身の機関砲が猛烈な勢いで一斉に弾丸を放つ。
豪雨の如くばら撒かれる弾丸に夜斗は面食らいながらも、曲芸じみた動きで弾丸の豪雨を掻い潜る。
《あぁ、早く終わってくれぇ……》
早く帰りたい、その為にはどうすべきか。
相手の姿は見えず、レーダーにもかなり映り難い。
然し、敵は自分の近くに居る事は明白、ならば周囲に弾丸を兎に角ばら撒く。
早く帰りたい、その一心でアンドリューは機関砲を斉射する。
―ドドドドドドドドドドドドドドドンッ!
「兄様、逃げてばっかじゃ終わんねぇぞ!」
「しょうがねぇだろ! こちとらペラペラの紙細工、掠っただけでも不味いっての!」
「う、ぐぅ……」
弾丸の豪雨を掻い潜って逃げ回るだけの夜斗にルエリィは叫ぶが、彼の叫ぶような返答に唸るしかない。
銘伏姫の性能を夜斗は熟知している……自分の持つ暗殺技能に適した銘伏姫、その仕様上機動力は高いが装甲は『紙細工』と言っても過言ではない程に薄い。
元々、隙を突いて致命の一撃を加える暗殺仕様、攻撃を『受けない』事が前提の為装甲がペラペラなのも仕方ない。
《早く帰りたいんだから、早く終わってくれぇ……》
相変わらず姿は見えないが、先程から衝撃が来ない事から敵が逃げ回っているのは確実、然しこうも逃げ回られては部屋に帰れない。
早く帰りたい、早く終わらせたい、その為にも姿を消した夜斗を見つけなくてはならない。
バスターロウの上半身は言わば戦車の砲塔、腰を支点に三六〇度回転させる事が出来る。
全身の機関砲を撃ちながら上半身を回転させて周囲を見渡すアンドリューは、夜斗の唯一にして致命的な『ミス』を捉える。
コレで帰れる、そう思ったアンドリューは確実に終わらせる為に背中の大砲を展開する。
「に、兄様! モニター、何か不味いぞ!」
「不味い? 不味いって何が……って、オイ!」
苛烈な弾幕を掻い潜っていると慌てているようなルエリィの叫びが届き、その叫びに夜斗はモニターに視線を移す。
モニターにはキャタピラで地面を砕きつつ距離を取り、背中の列車砲の如き巨大な大砲を展開するバスターロウ。
その砲口は『シッカリと此方に狙いを定めており』、筒先を向けられている事に二人の白い顔が青褪める。
砲口を向けられた夜斗は困惑する、見えない筈の自分を相手はどうやって捉えた?
保護色は展開中、レーダーにはかなり映り難いのに相手は此方を正確に捉えている。
横に動こうが距離を取ろうが、どう動いても砲口はシッカリと此方を向いている。
その疑問は砲口がやや下を向いている事で解け、下を向いている砲口で夜斗は自ら犯した致命的なミスに気付く。
「なぁぁぁんてこったい! 致命的なミスが此処で発覚ぅ!?」
「み、ミス? ミスって一体……」
「影だ、『影』! アイツ、『俺の影を見つけやがった』!!」
そう、致命的なミスの正体は『己の影』。
影に潜む暗殺者の自分が日の下で戦っている……銘伏姫のステルスは保護色、『装甲の色を変えているだけであり、姿は見えなくとも銘伏姫自体は其処に居る』のだ。
ソレが夜斗の唯一のミスでありアンドリューの最大の奇貨、見るからに威力絶大の巨砲は銘伏姫の紙装甲では掠っただけでも致命傷だろう。
「まっず……!!」
己の影を目印に大砲の照準を合わせている間、バスターロウは足止めの機関砲を連射し、牽制の機関砲も狙いが正確な為に中々懐へ近付けない。
刻一刻と迫る発射を前に夜斗はこの状況を打破する為の策を思案する。
そして、大砲の照準は夜斗を捕捉し、
―ズドォォンッ!!
空間を揺らす轟音と共に大砲が火を噴いた。
《あぁ、やっと帰れる……》
モニターには縁の歪な巨大なクレーターが映され、濛々と煙が立ち上っている。
影を目印に照準に捉えようとした時、敵は観念したように突然姿を現した……恐らく姿を消せるのは一定時間だけで、姿を現したのも制限時間を迎えたからだろう。
バスターロウの主兵装にして最大火力を誇る六八〇ミリカノン砲、その直撃を受けた以上敵は跡形も無く吹き飛んだ事は間違い無い。
ネフレン=カから与えられた任務、黒井夜斗とルエリィ・ルメール・ネルカティエの始末を終えたアンドリューは『自分の部屋』という名の楽園に帰れる事に安堵の溜息を吐く。
任務を終えたからには何時までも此処に居たくない。
展開した大砲を折り畳み、アンドリューが楽園に帰ろうとした瞬間だった。
―ズンッ……
《…………?》
突然操縦席を揺らした衝撃にアンドリューは首を傾げ、
「いやぁ、間一髪ってやつだ」
真上から聞こえた声に息を詰まらせた。
「はぁ……ほんと、ギリギリだったぜ」
鏡餅に乗せる蜜柑を思わせる小さな頭部に腰掛ける銘伏姫、その操縦席でルエリィは安堵の溜息を漏らす。
影に気付かれ、影を目印に狙われている事に夜斗は一か八かの賭けに出た。
夜斗は得意の幻覚の魔術を使って自分の前を走らせるように銘伏姫の幻影を作り、幻影に引っ掛かってくれる事を祈りつつ彼は射線から外れるように走った。
銘伏姫の幻影は相手にしてみれば狙われている事に観念して保護色を解いたように見え、姿を現した以上相手は幻影に意識が向くだろう。
咄嗟の賭けは見事成功……バスターロウは幻影を本人だと勘違いして大砲を放ち、着弾の爆発に煽られるように夜斗は死角に飛び込む事に成功したのだ。
「はっ、流石に真上にゃ撃てねぇだろ」
その死角、機体の真上を陣取る夜斗にバスターロウは何も出来ない。
針鼠宜しく備えた機関砲も射角の都合上真上に向ける事は出来ず、頭部に腰掛ける夜斗を引き摺り下ろそうと腕を伸ばすが申し訳程度の長さしかない為微妙に届かない。
急発進で振り落とせばいい話だが、死角を取られた事で動揺しているのかバスターロウに動く気配は無い。
「さぁて……バレちまった以上、さっさと終わらせるか」
微妙に届かぬ腕を懸命に伸ばすバスターロウを見下ろしながら立ち上がった夜斗は魔力を練り始め、彼の体内を巡る魔力は徐々に密度を高める。
徐々に高まりつつある魔力、その尋常ならざる威圧感にバスターロウは怯えたように動きを止める。
魔力が極限まで高まった瞬間、夜斗は左手を前に突き出して詠うように言葉を紡ぎ始める。
My body is made of steel.
My bowels are made of gunpowder.
I have my ghosts for malice.
I know only the death because I scatter death.
As for me, snatching it does not know the life in a reason for life.
Thus, as for me, one stands still in the wasteland of debris covered on the body which burnt.
「な、何? 何なんだよ、此処はぁ!?」
《あ、あぁ、ああ……!!》
左手を前に突き出し、高らかと詠う夜斗を中心に異空間が広がっていく。
血管の如く脈打つ無数の紅いケーブルに覆われた大地。
木々の如く無数に乱立する捻じ曲がった巨大な螺子。
大小様々な無数の歯車が回りながら浮かぶ血の如き紅い空。
濃霧の如く周囲を覆い尽くす漆黒の粉末。
夜斗を中心に広がりつつある異空間にルエリィは困惑を、アンドリューは恐怖を隠せない。
広がりつつある異空間を前にアンドリューは本能で悟った。
此処は一度入ったら絶対に抜け出せない、二度と生きて戻れない処刑場だと。
そして―――
So as I pray, unlimited bomber works!
突き出した左手を振り抜きながら最後の一節を唱えた瞬間、アンドリューの死は確定した。
突然、アンドリューの周囲に無数の手榴弾が現れ、無数の手榴弾が現れると同時に夜斗は頭部から飛び降りる。
夜斗が飛び降りると無数の手榴弾は一斉に爆発、アンドリューは爆発に巻き込まれるが、ソレだけでは終わらなかった。
爆発するのと同時に再び無数の手榴弾が現れ、再び現れた手榴弾が爆発すれば更に無数の手榴弾が現れて爆発する。
瞬時且つ無限に繰り返される手榴弾の生成と爆発、絶え間無い一斉爆発にアンドリューの駆るバスターロウは徐々に装甲を吹き飛ばされる。
《あ、あぁ、あぁぁ!! 止めろ、止めてくれぇ!》
操縦席の中で頭を抱えて懇願するアンドリューだが彼の懇願は黙殺、いや、爆殺される。
操縦席は爆発の衝撃で激しく揺れ続け、アンドリューの耳は最早爆音しか拾わない。
バスターロウも絶え間無い爆発でフレームが剥き出しになり、完全に破壊されるまで既に秒読みの段階に入っている。
「へへっ、コレ以上ビビらせんのも可哀想だしな……んじゃ、死ね」
爆発に晒され続けるバスターロウからやや離れた位置に佇む夜斗。
その懇願を嘲笑うような、邪悪な笑みを浮かべながら夜斗が死刑宣告と共に指を鳴らすと、アンドリューの周囲に樽に近い形をした、銘伏姫程はある巨大手榴弾が無数に現れる。
周囲にフワフワ浮かぶ、一つだけでも破壊寸前のバスターロウを破壊するには充分過ぎる巨大手榴弾が獲物に飛び掛かる狼の群の如く一斉にアンドリューに殺到する。
《あ……》
殺到する無数の巨大手榴弾を前にアンドリューは安堵する……此処で死ぬという事はもう誰とも争わなくて済む、もうコレ以上不幸を味わう事も無い。
そう考えれば死ぬ事も然程怖くない、寧ろ歓喜が大きい。
《あり―――》
ありがとう、不幸の牢獄から解き放ってくれた感謝の呟きは夜斗に届かない。
無自覚の悪意を振りまいていた罪を知る事もなく、アンドリューは跡形も無く消し飛んだ。
×××
『無限の爆製(アンリミテッド・ボンバーワークス)』、瞬時且つ無限に爆弾を生成し続ける夜斗の窮極必滅奥義。
唱えた言葉は発動のキーワード、広がった異空間はイメージを再現した幻覚。
あのイメージは工場、夜斗が物品を生成する為に脳内に思い描く工場。
あの工場に踏み込めば最後、跡形も無く吹き飛ぶか夜斗が解除するまで抜け出せない。
爆弾の生産工場にして爆殺執行の処刑場、ソレが『無限の爆製』。
「ありゃ、トッテオキ中のトッテオキだ……一度キめると魔力を馬鹿みてぇに使うからな、キめた後は滅茶苦茶怠い」
「へぇ、そうなんだ……」
バスターロウを跡形も無く吹き飛ばした後、魔力を使い過ぎたのか銘伏姫は魔力の粒子と化して消え、その場には疲労困憊の夜斗と呆然と佇むルエリィだけ。
残った魔力でショヴスリを生成した夜斗は後ろにルエリィを乗せて走り出すが、疲労困憊の状態では御するのは難しいようで、時速六〇キロ前後のスピードで走らせている。
走り出して少し経ってからルエリィは『無限の爆製』を尋ねると夜斗はそう説明し、彼の説明に彼女は納得するように頷く。
成程、確かにあれだけ大量の手榴弾を瞬時に生成し続ければ魔力の消費量は尋常ではなく、夜斗が疲労困憊なのも当然だろう。
「「……………………」」
運転する夜斗は無言で前を見続け、ルエリィはギュッと彼に無言で抱きつく。
勇ましさの失せた落ち着いた排気音が響く中、二人は無言を貫き続ける。
「……なぁ、兄様」
「……あんだよ?」
「私の結婚式に乱入した時さ、兄様は糞親父に『返してもらいにきた』って言っただろ? ソレってさ、私が兄様の妹分だからか?」
暫く無言を貫く二人だが、ルエリィの問いで沈黙が破られる。
『返してもらいにきた』。
結婚式に乱入した時にゴールディへ叫んだ言葉の意味をルエリィは問うと、彼女の問いに夜斗は口元を僅かに釣り上げる。
「はっ、バァロォ……妹分だから、じゃねぇよ」
「は? 妹分だからじゃねぇ、って……それじゃ、何で」
ルエリィの問いは自分の想いを告げるには丁度良かった。
後部に座っている為に表情は見えないが、自分の言葉にルエリィが目を丸くしているのが目に浮かぶ。
「そもそも、結婚式に野郎が乱入する理由なんざ一つだけだろ?」
夜斗の台詞にルエリィの胸がときめく、戦いで落ち着いた魔物の本能が疼き始める。
「『惚れた女を取り返す』、ソレだけさ」
その言葉にルエリィは歓喜で泣きそうになった。
その言葉はルエリィが一番欲しかった言葉だ。
「ルエリィ、オメェは俺の女だ……俺の女を横からかっ攫おうとしたのが気に食わねぇ、だから乱入し」
「兄様ぁ!」
「ぐえぇっ!?」
心から求めていた言葉を貰った嬉しさでルエリィは力強く夜斗を抱きしめ、魔物の腕力で強く抱きしめられた彼は間抜けな呻き声を上げる。
嬉しさのあまり加減を間違えたのか、腹がキツく締め上げられて地味に痛い。
「ば、馬鹿っ! 人が運転してる時にベアハッグかますんじゃねぇ!」
「だって、だって……」
前を向いたまま夜斗はルエリィに注意するが、彼の注意は彼女の耳に届いていない。
「私も兄様が大好き! 人間だった頃から、私は兄様が大好きだったんだぜ! だから、すっげぇ嬉しくてさぁ!」
心に秘めていた想いを吐露しながら抱きしめるルエリィの目には歓喜の涙が浮かんでおり、屍人特有の青白い肌は赤く染まっている。
最初は理想の兄として憧れ、憧憬は次第に恋慕へと変わり、恋慕は恐怖を生んだ。
若し、夜斗が自分をあくまで『妹分』としてしか見てなかったらどうしよう。
心の片隅に燻っていた恐怖は、愛しい夜斗の言葉で杞憂に終わった。
夜斗は自分の事を『俺の女』と言った……ソレはつまり、夜斗は自分の事を『女』として見ているという事、両想いという事実にルエリィは嬉しさを隠せない。
「私は兄様が大好きだ!」
抑えきれない、抑えるつもりも無い愛情を籠めて、ルエリィは抱きしめる力を強める。
「痛っ、痛い痛い、痛たたたたた! おい、馬鹿止めろ! 人の話を聞けっての!」
ギリギリと締め上げるルエリィに夜斗は注意するが、その声に怒気は混ざっていない。
愛しく可愛い彼女の愛情表現、地味に痛いがこのくらいは許してやろう。
『要らず姫』と呼ばれたルエリィは夜斗と彼の義兄弟以外には構ってもらえなかったのだ、今までの愛情不足を鑑みればこのくらいのスキンシップは許容範囲内だ。
「さぁて、飛ばすぞ!」
「おうっ!」
ベアハッグじみた力強い抱擁、これならスピードを上げても問題無い。
目指すはアーカム……先にネルカティエから離れた義兄達の目指す魔王の居住地、そしてルエリィの恩人の住まう都市。
到着までどのくらい時間が掛かるか分からない。
何時ネルカティエの追手が来るかも分からない。
それでも二人一緒なら大丈夫だ……そう確信しながら夜斗はショヴスリのアクセルを踏み、制御出来るギリギリまで一気に加速する。
高々と響くショヴスリの排気音が二人を祝福しているように聞こえた。
14/03/05 09:16更新 / 斬魔大聖
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