連載小説
[TOP][目次]
後編
ちぇあぁっ!
一閃、一閃、また一閃。
教団兵達の隙間を駆け抜けながら、一心は目にも留まらぬ速さで振るう。
『…………』
「御免なすって」
一心が呟くと同時に教団兵達の身体がずれ、ベシャリ…と音を立てて上半分が落ちる。
噴き出る鮮血、満ちる血の臭い、転がる物言わぬ骸。
一心の通った後に残るは骸の山、綺麗に両断された死体が累々と横たわっている。

最初の遭遇から一心はヴェルディールと別行動を取っている。
二手に分かれて動いた方が二人で固まって動くよりも効率が良いと判断したのもあるが、ヴェルディールに自分が人間を殺す所を見せたくなかったのもある。
代替わり以前は兎も角、今を生きる魔物は不殺を絶対の戒律にしている以上、人間が死ぬ場面を見た事は殆ど無い。
精々、寿命を全うしたか、事故・事件の現場に居合わせた時くらいだろう。
軍人とはいえ、人間の死に耐性の無いヴェルディールが目前で人間が死ぬ場面を見たら、ショックで不調を訴えるか倒れてしまうだろうと考慮した上での別行動である。

「居たぞ!」
「堕落した獣よ、死ねぇ!」
「おっと……」
ヴェルディールは大丈夫だろうか、と考えていた一心は耳に届いた怒声で現実に戻される。
怒声の聞こえた方に目を向ければ既に抜刀し、一心目掛けて迫る教団兵達。
両者の距離は目算で五、六メートル程、この距離は既に一心の『射程圏内』である。
「『一ツ撃(ヒトツウチ)』」
迫る教団兵を前に一心は納刀し、抜刀術の構えを取る。
敵を前にして剣を仕舞った一心を教団兵達は胸中で嘲笑うが、彼等の中に魔術を知る者が居れば、一心の仕込み杖に魔力が集まっている事に気付くだろう。
しぇあぁっ!
尤も、居たとしても既に手遅れだが……裂帛の気合と共に抜かれる仕込み杖、その一閃は『見えない刃』を飛ばす。
「…………へ?」
「あ、あれ……?」
刃の幅は六メートル程、通りの横幅と同じ幅。
駆け抜ける刃は教団兵達を両断し、何時の間に斬られたのか分からないまま彼等は上下に分かたれ、見えない刃で両断された骸を尻目に一心は気配と音を頼りに走り出す。

一心は仕込み杖を得物とする剣士であり、本来ならば元の世界には存在しない魔術を操る魔術師でもある。
幼少期に突如目覚めた魔術の才能で孤立し、孤立していた所を義父に引き取られた過去を持つ一心は義父から魔術と共に剣技を学んだ。
元々剣の才能があった事もあってか、一心は卓越した剣技を修めた。
一心の剣は兎に角速い……袈裟懸けに斬られても痛みを感じず、上半分がずれ落ちるまで斬られた事に気付かない程に速いのだ。

「緑色の髪、ナナフシじみた風貌……まさか!?」
「な、何で貴様が此処に!?」
「おやぁ……」
痛みを感じる暇も無く死に至る神速の魔剣、とても一七歳の少年が修めたとは思えない技を振るいながらレスカティエを駆ける一心。
すると、一心の姿を見て動揺する教団兵達が一心の前に現れ、動揺を隠せない一団に彼は薄い笑みを浮かべる。
どうやら、この一団はネルカティエ所属らしい……ネルカティエから見れば一心は脱走者、若し何処かで見つけたら捕縛か殺害を命じられていたのだろう。
動揺しているのは、一心がレスカティエに居たのが予想外だったからか。
「ど、どうする!?」
「どうするも何も殺せ! 奴は勇者の役目を放棄した裏切り者だ!」
「お、おうっ!」
動揺を露にしたまま教団兵達は得物を手に迫るが、動揺で動きに粗が多い。
無論、動きが雑な雑兵程度に一心が苦戦する要素は無い。

「『二重巻(フタエマキ)』、へぁっひゃひゃひゃひゃぁ!」
奇怪な笑い声を上げながら独楽のように回転する一心……一対多数に対応した回転斬撃、二回転目の終わりに一心は刀を掬い上げるように切り上げる。
長大な刀身を持つ野太刀なら兎も角、一心の刀は五〇センチ程の一般的な打刀。
両者の距離は二、三メートル程、普通に考えれば届かないが―――
「なっ……」
「冗だ……」
一心の刀に距離は関係無い。
刀身へ継ぎ足すように纏わせた見えない刃が教団兵達を三等分に下ろし、下ろされた彼等へ追い打ちするように彼等の足元から竜巻が起こる。
竜巻に巻き込まれ、舞い上げられながら肉塊と化した教団兵達は細かく切り刻まれ、竜巻が消えると雨のようにミンチ状の肉塊がボタボタと降り注ぐ。

一心は大気を操る魔術師で『一ツ撃』は抜刀と同時に刃状の圧縮空気を発射する居合斬り、『二重巻』はやや離れた位置に竜巻を発生させる回転斬撃。
義父が一心の為に自ら鍛え上げた刀は羽衣のように軽く、切れ味も鋭い上に一心の魔術を補助する効果を持つ、言わば『魔法使いの杖』でもある。
一心の剣が速いのも大気を操って空気抵抗を極限まで零に近付けている為で、羽衣の如く軽い刀身に零に等しい空気抵抗、この二つが一心の剣の速さの秘密である。
余談だが、一心の刀は刀身の背―峰打ちの峰の部分だ―の先端から半分以上が刃になった『鋒両刃造(きっさきもろはづくり)』という、斬撃に加えて刺突もこなす珍しい造りの刀である。

「能ある鷹は爪を隠す、ってやつですよ」
降り注ぐ肉の雨に、一心は僅かに口端を釣り上げる……ネルカティエに召喚された翌日、ネルカティエ上層部は一心達がどの程度戦えるか確かめる為の模擬戦を行った。
結果、一心は卓越した剣技でネルカティエ上層部に勇者として期待されるようになったが、実は彼は模擬戦で本気を出していない。
無闇に魔術を使うな、と義父に厳しく躾けられていた事もあるが、一心の模擬戦の相手が態々魔術を使ってまで戦う程ではなかったからだ。
故に、ネルカティエは一心が魔術師である事を知らないのだ。
「さぁて、さっさとお帰り願いましょうか」
本領を発揮しながら一心は戦争を終わらせる為に走る。



やあぁっ!
「ぐへっ!?」
一方、別行動を取っているヴェルディール……ヴェルディールの槍が教団兵の鎧を貫き、鎧に守られた肉体に突き刺さる。
ヴェルディールは槍を振るう勢いで貫いた兵士を外すついでに、貫いた兵士を別の兵士に投げつける。
「のあっ!?」
「ぐえっ!?」
投げつけられた兵士は投げられた兵士がぶつかった勢いで押し倒され、押し潰された蛙の悲鳴のような情けない声を上げる。
よく見ると槍に貫かれた兵士に傷は無く、槍に貫かれて出来た鎧の穴からシュウシュウと白い靄が噴き出ている。

ヴェルディールの槍はコルセスカと呼ばれる長柄槍で、脇に生えた二枚の刃は穂先が深く刺さり過ぎる事を防ぎ、馬上の相手に引っ掛ければ引き摺り下ろせるという利点がある。
突く、引っ掛けるの二動作しかない為素人でも扱いやすく、その扱いやすさ故に魔王軍に入隊した時からヴェルディールはコルセスカを愛用している。
また、ヴェルディールの槍の穂先と脇の刃は『魔界銀』と呼ばれる魔界固有の鉱石を鉄に混ぜた合金・『魔界鉄』で作られている。
魔界銀は相手の肉体を傷付けずに魔力に傷を負わせる効果を持ち、魔力に傷を負った相手は傷口から精や魔力が漏れ出して戦闘力を失う。
この効果は鉄や銅と混ぜられて合金になっても変わらず、不殺を絶対とする魔物にとって実に好都合な為、魔界銀製の武器は魔王軍正式採用装備の地位を獲得している。

「それにしても……この筒、本当に便利ですわね」
不殺の槍を手に大勢の教団兵達と奮闘するヴェルディール、彼女の左手は槍の柄に通した筒が握られている。
『ヴェル、コイツを使ってくだせぇ。オメェさんの槍がもっと速くなりますよ』
宿屋から出る直前、一心から筒を渡されたヴェルディール。
最初、この筒が何の役に立つのかヴェルディールは首を傾げ、半信半疑で柄に筒を通して戦ってみた所、その効果に彼女は驚いた。
槍は相手のリーチの外から攻撃出来る分、その長さ故に最初の一突きを避けられると槍を引っ込める隙を突かれて懐に潜り込まれてしまうが、その隙を柄の筒が補った。
手で握っている時よりも槍が『滑り』、攻撃動作が一段と速くなったのだ。
この筒こそ一心の世界の技術・『管槍』、『最初の一突きさえ避ければ槍は怖くない』という寝言を一瞬で吹き飛ばす武芸である。

「くそっ! 此奴ぐはっ!?
使っているヴェルディール自身が驚く管槍の速さ、基本的な身体能力が劣っている人間に魔物の管槍を見切れる筈もなく、台詞を言いきる事も無く教団兵は槍に貫かれる。
「囲め、囲むんだ! 所詮一匹、囲めば何とかなる!」
次々と管槍に貫かれ、戦闘力を失う仲間達を前に隊長格と思しき兵士が号令を掛けると、その号令に生き残っていた兵士達がヴェルディールを囲む。
一人を犠牲に、数に任せて叩くつもりなのだろう……ヴェルディールを囲んだ教団兵達はジリジリと包囲の輪を縮め、今か今かと飛び掛かる隙を伺っている。
「はぁ……」
確かにソレは有効だが、ソレだけで自分をどうにか出来ると思っている教団兵達の甘さにヴェルディールは思わず溜息を吐く。
「行きますわよ……」
徐々に縮まる包囲の輪を前にヴェルディールが槍を腰溜めで構えると、彼女の鎧の両肩の羽飾りが淡く輝き始める。

ヴェルディールの鎧は新作発表会で飾られていた所を彼女が惚れ込んで購入した物だ。
素材こそ実戦を想定したモノだが、デザイナーに『まさか、実戦で使う者がいるとは』と驚かせたように実際はパレードアーマーである。
胸の形をしたブレストプレート、コルセットを思わせる腹部プレート、両肩には羽飾り、所々にあしらわれたフリルと薔薇のコサージュ、と上半身だけでも派手だが下半身も凄い。
グリーブ―勿論、薔薇のコサージュとフリル付き―が覆っているのは膝辺りまで、『太腿を守る気はあるのか』とツッコミたい程に引き締まった太腿が大胆に露出している。
所々に金色の部品が付いたパールピンクのパレードアーマーは、ヴェルディールの美しさもあって戦場では目立つ事間違い無しだろう。
余談だが、鎧を整備に出した際、整備担当のドワーフに『こんな鎧で戦うつもりか!』とブチ切れされた事がある。

「はあぁぁ……」
ヴェルディールの高まる魔力に呼応して羽飾りは徐々に輝きを増し、輝きを増す羽飾りに教団兵達は身構える。
やあぁぁぁっ!!
羽飾りが神々しく輝いた瞬間、羽飾りから戦闘機のジェット噴射を思わせる勢いで魔力が噴出され、弾丸じみた勢いでヴェルディールは突撃する。
ドワーフをブチ切れさせたヴェルディールの鎧には、ダンウィッチ防衛部隊所属の魔女の手も借りて整備担当のドワーフに施された細工がある。
その細工こそ、今の爆発的な魔力噴出……羽飾りに蓄えた魔力に指向性を持たせて噴射し、蓄えた魔力量に応じた距離を弾丸の如き勢いで駆ける事が出来るのだ。

「ぎゃあぁっ!?」
「ぐはぁっ!?」
包囲の輪を穿つ楔と化したヴェルディールの前に居た教団兵は蹴散らされ、折角の包囲が容易く突破された事に残りの教団兵達は慌てて体勢を整える。
「まだまだ、ですわっ……!」
然し、路面を削りながら強引に方向転換したヴェルディールの突撃で次々と蹴散らされ、撥ね飛ばされた教団兵達が宙を舞う様はまさに鎧袖一触。
羽飾りに蓄えた魔力が尽きた頃には苦痛で呻く教団兵達が転がっていた。

「この辺りは、もう大丈夫ですわね……」
周囲を見渡せば苦痛で呻く教団兵ばかり、遠くからは未だ喧騒が伝わってくるがこの辺りはもう大丈夫だろう。
そうヴェルディールは判断し、走り出そうとした瞬間だった。
『呵ァ呵ッ呵ッ呵ッ、呵ァ呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵ァッ!!
「っ!?」
突然、音程を盛大に外した狂った笑い声が周囲に響き渡る。
その笑い声にヴェルディールは鳥肌を立て、背筋に走った悪寒の告げるままに立っていた場所から飛び退く。
すると、ヴェルディールの居た場所に真上から轟音と共に何かが落ち、濛々と土煙が舞う。

「呵ァ呵ッ呵ッ呵ッ、よくぞ避けたなぁ」
「貴方は、何者ですか……」
土煙の向こうから聞こえるネバリタケのような粘ついた声に、ヴェルディールは警戒心を露に槍を構える。
土煙が晴れた時、ヴェルディールが居た場所には大人程はある巨大なショーテルを両手に持ち、奇怪な鎧を纏った騎士が一人。
騎士の纏う鎧は全身白と黒のモザイク模様、その両肩はにやついた笑みを浮かべる奇怪な仮面になっており、顔を隠すバイザーもにやついた笑みを模っている。
目立ち度ならヴェルディールと同等の奇怪な鎧を纏った騎士、声で判断する限りどうやら男性らしい。

「我、我かぁ? 我はアオーウェ・サドゥアツィーグ、ネルカティエの勇者なりぃ」
「貴方、ネルカティエの勇者ですの!?」
胡乱な声で名乗る騎士にヴェルディールは驚愕を隠せない。
アオーウェと名乗った、この奇怪な騎士……自分は勇者だと言うが、奇怪な風貌と胡乱な喋り方で言われても説得力は欠片も無く、教団の一兵卒の方がまだ勇者と言える。
「そぉだぁ、我はネルカティエの勇者だぁ」
粘ついた声で肯定しながら二振りのショーテルを構えるアオーウェに、ヴェルディールは異質さを拭えない。
胡乱な喋り方もそうだが妙に気配が曖昧で、実は夢幻だと言われても納得してしまう程にアオーウェの存在感が希薄なのだ。

「呵ァ呵ッ呵ッ呵ッ、呵ァ呵呵呵呵呵呵呵呵ァッ!
曖昧な気配に首を傾げていると耳障りなまでに音程の外れた笑い声を上げ、ショーテルを振り上げたアオーウェが迫るが、その動きには技と言える技が無い。
猪じみた単純な突撃、振り下ろされるショーテルは威力こそ脅威だが見切るのは容易い。
振り下ろされるショーテルをヴェルディールはバックステップで避け、回避直前まで居た場所の路面が轟音と共に砕ける。
「やあぁっ!」
バックステップで避けた直後、ヴェルディールは力強く踏み込みながら槍を突き出す。
筒の効果で格段に速いが直線的な一突き、仮にも勇者なら容易く避けられる筈だ。
避けられる筈だ、と思っていた。

「ガッ、ハァッ……」
「……………………え?」
目前の光景にヴェルディールは目を見開いた。
突き出された槍は『深々とアオーウェの胸を貫き、傷口から鮮血が噴き出ている』。
在り得ない、魔界鉄製の穂先は身体を傷付けずに魔力に傷を負わせる。
在り得ない、魔界鉄製の穂先がアオーウェに『致命傷を負わせている』。
「なぁ、ぜだぁぁぁ……」
「あ、あぁ、ああぁ……」
目前の在り得ない光景に、何故? と問いたいのはヴェルディールの方だ。
突き付けられる現実にヴェルディールの顔は青褪め、ガチガチと歯を鳴らす。

「何故、我が……こんな、所で……」
糸の切れた操り人形のように項垂れるアオーウェ。
その両手からショーテルが零れ落ち、ズン…と音を立てる。
ネルカティエの勇者アオーウェ・サドゥアツィーグは死んだ、『人間を殺す事が出来ない』魔物であるヴェルディール・フォルチュセーヌに殺された。
「い、嫌、嫌ぁ……あ、あぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
人間を殺す事の出来ない筈の自分が初めて人間を殺した、生まれて初めて背負った大罪にヴェルディールは絶望の叫びを上げた。



「あ、あぁ……」
生まれて初めて背負った大罪にヴェルディールは槍を手放して力無く座り込み、罪の重さに耐えきれなかった彼女の目は死んだ魚の如く虚ろに濁っている。
「呵ァ呵ッ呵ッ呵ッ! このアオーウェの術に貴様は既に陥っていたのだぁ!」
底無しの絶望に屈したヴェルディールの背後には『彼女が殺してしまった』アオーウェが笑いながら立っており、その手にはシッカリとショーテルが握られている。
何も聞こえていないであろうヴェルディールに、アオーウェは自慢するように喋り出す。
アオーウェは幻覚を使う、自分の狂った笑い声を聞いた者に地獄の悪夢を見せる。
アオーウェの笑い声は地獄の悪夢への誘い、醒める事の無い最悪の悪夢を見せる。
そう、『ヴェルディールが殺してしまったアオーウェ』はアオーウェが見せた幻覚、気配が曖昧だったのも幻覚だったからだ。
「あぁ、楽しい、楽しいぞぉ! 悪夢に溺れた女子供を殺すのはたぁのしいぃぞぉぉ!! 呵ッ呵ッ呵ッ、呵ァ呵呵呵呵呵呵呵呵呵ァッ!!
狂笑と共にショーテルをゆっくりと振り上げるアオーウェ。
その姿はとても勇者とは思えない姿だが、ソレも当然だろう……アオーウェは勇者にして勇者に非ず、彼は勇者の皮を被った殺人鬼なのだ。

女子供ばかりを狙い、悪夢の幻覚を見せた後に殺す稀代の殺人鬼。
ネルカティエは勿論、教団の上層部全員が『何故、コイツが?』と首を傾げる駄目勇者。
ソレがアオーウェだが、元々そうだったのかと問われれば答えは否……今の姿からは想像出来ないが、元々アオーウェは人見知りの激しい臆病な男だった。
勇者の素質が在るとネルカティエに徴兵されたアオーウェだが、その性格から実戦は勿論、訓練でも過剰に怯えて使い物にならなかった。
そんなアオーウェにネルカティエから勇者育成を任されていたネフレン=カは、泣き叫ぶ彼の意志を無視して非人道的な行為を行った。
投薬に因る精神改造である。
投薬に次ぐ投薬を繰り返し、連日投与される薬でアオーウェの精神は徹底的に改造され、辛うじて魔術が使える程度の理性を残して彼は発狂した。
その結果が稀代の殺人鬼、稀代の駄目勇者、アオーウェ・サドゥアツィーグなのだ。

「さぁ、死ぃぃぃねぇぇ――――――!!」
勢いよく振り下ろされる二振りのショーテル、大きさ故の重量は確実にヴェルディールを叩き潰すだろう。
アオーウェの脳裏に浮かぶのは無惨に叩き潰されたヴェルディール。
叩き潰され、単なる肉塊となったヴェルディールの姿を想像したアオーウェは、その妄想に思わず射精しそうになる。
ガキンッ!!
「ぬぅあぁっ!?」
だが、アオーウェの妄想は現実にならなかった……突然現れた人影にショーテルを弾かれ、弾かれた事に気付く間もなくアオーウェは腹を思いっきり蹴られる。
クルクルと宙を舞うショーテルは重力に従って地面に突き刺さり、蹴り飛ばされた勢いでアオーウェはゴロゴロと転がる。

「誰だぁ!」
転がる勢いを使って素早く起き上がったアオーウェは、自分を蹴り飛ばした人影に妄想を邪魔された怒りを向ける。
「へへっ、久し振りですねぇ、アオーウェ」
「き、貴様ぁ……!!」
怒りを向けられた人影はアオーウェに久し振りだと告げ、その人影に彼の怒りは加速する。
「碧澤ぁ、一心んんっ!!」

×××

「碧澤ぁ! よくも我の」
邪魔するに決まってんだろうがぁ!!
「ぐはっ!?」
邪魔された事に怒るアオーウェの言葉を遮り、激情を露にした一心が刀を振り下ろすと、真上から落ちてきた見えない塊にアオーウェが押し潰される。
アオーウェの真上から落ちてきたのは分銅状に圧縮された空気、一五〇キロ相当の重量を持つ圧縮空気はアオーウェの動きを完全に封じている。
「ヴェル、しっかりしてくだせぇ!」
アオーウェの動きを封じた後一心は背後に振り返り、幻覚に囚われているヴェルディールの肩を掴んで揺する。
然し、揺すった程度では醒めないのか、ヴェルディールの目は虚ろに濁ったままだ。
「御免なすって」
幻覚から醒めないヴェルディールに一心は何故か謝ると、ヴェルディールの唇に自分の唇を重ね合わせる。

「あ…………一心、さん…………?」
「ヴェル!」
醒めない悪夢に囚われた姫君を救うのは王子様のキス、というのがお約束。
そのお約束が効いたのか、虚ろなヴェルディールの目に意思の光が微かに戻る。
「しっかりしなせぇ! ヴェルは人間を殺しちゃいねぇ、オメェさんが殺したのは幻だ! オメェさんは誰も殺しちゃいねぇんですよ!」
「…………え?」
微かに意思の光を灯したヴェルディールに一心が早口で捲し立てると、ヴェルディールの目に光が徐々に戻ってくる。
「ほら、しっかりと自分の目で確かめてくだせぇ」
「…………え、え?」
「ぐ、ぬぁ……」
一心が身体を横にずらすとその先には圧縮空気の分銅に潰されて悶えるアオーウェの姿、噛み合わない現実にヴェルディールの脳は一気に覚醒する。

「え? え? 一心さん、コレは一体……?」
「オメェさん、野郎の笑い声を聞きましたね? 野郎の笑い声は幻覚を見せるんですよ」
「げ、幻覚!? アレが幻覚ですの!?」
「無駄にリアルなんですよ、野郎の幻覚は……ったく、あの野郎、相変わらず下衆な手を使いやがって」
困惑を隠せないヴェルディールだが無理もない……アオーウェの幻覚は現実だと錯覚する程にリアリティに溢れ、心を圧し折るには充分過ぎる生々しさがある。
実際、一心もアオーウェの幻覚を見せられた事がある。
なにせ、一心の模擬戦の相手がアオーウェだったのだ。
殺しは御法度の模擬戦であるにも関わらずアオーウェは殺す気で悪辣な幻覚を見せたが、その幻覚は一心にとって『見慣れた光景』だった故に一心は幻覚を破れた。
アオーウェは巨大なショーテルを振り回す腕力はあるが、幻覚が無ければ子供の魔物でも勝てる程に弱く、その実力の低さ故に一心は簡単に勝利を収める事が出来たのだ

「ぬ、あ……ぬぅぅあぁぁぁっ!!」
アオーウェの卑劣さに一心が唾を吐き捨てると、咆吼と共にアオーウェが立ち上がる。
「ゆ、許さんっ! 許さんぞ、碧澤ぁ!」
「ちっ、そのまま潰れてりゃいいものを」
プルプルと足を震わせながら怒りを向けるアオーウェに一心は悪態を吐く。
立ち上がったアオーウェの足は生まれたての子鹿のように震えており、圧縮空気の分銅の重量を懸命に耐えているのが目に見える。
「殺す、殺してやるぅ! 貴様はこのアオーウェが殺すぅ!」
「殺せるもんなら殺して……っ!?」
模擬戦で敗れ、楽しみを邪魔した一心にアオーウェは業火の如き殺意を向け、その殺意を一心は受け流そうとするが様子のおかしいアオーウェに息を呑む。
「呵ァ呵ッ呵ッ呵ッ、呵呵呵呵呵、呵呵ッ、呵呵呵ッ、呵ァ呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵ッ!!
狂った笑い声を上げるアオーウェだが、その笑い声は幻覚のスイッチとは思えない異様な威圧感が籠もっており、狂笑と共に魔力が急速に高まっていく。

ドォンッ!!
魔力の高まりが最高潮に達した途端アオーウェの真上の空間が爆発、爆発に伴う衝撃波で砂煙が舞い、一心とヴェルディールは衝撃波に吹き飛ばされそうになるのを堪える。
衝撃波が過ぎ去った後、ゆっくりと晴れる砂煙の中から現れたモノに二人は言葉を失う。
《笑う門には福来るぅ、呵ァ呵呵呵呵呵呵呵ァッ!!
砂煙の中から現れたモノ、ソレは巨大化したアオーウェ……一五メートルはある、某光の巨人宜しく巨大化したアオーウェ。
すると、巨大化したアオーウェに言葉を失う二人に追い打ちを掛けるように膨大な魔力がほぼ同時に三ヶ所から噴き上がる。
「な、何事です……の……」
噴き上がる膨大な魔力にヴェルディールは魔力を感じた地点に視線を向けると、その先に現れたモノに再び言葉を失う。
金色の能面ゴリラ、石弓と一体化した盾を持つ騎士、身の丈程はある大剣を携える騎士。
その大きさは巨大アオーウェとほぼ同じ、突然現れた三体の巨人にヴェルディールは意識を手放しそうになった。

《コイツで貴様を殺してやるぞ、碧澤ぁ!》
アオーウェは左手に持っていた、巨大化した彼が振るうに相応しい大きさへと巨大化したショーテルを振り上げる。
元のサイズでも硬い石畳を簡単に砕いた質量だ、振り下ろされれば二人はミンチより酷い状態になるのは想像に難くない。
「…………」
絶望を煽るようにゆっくり振り上げられるショーテルを前に、一心の頭は妙に冷めていた。
魂は自身を焼き尽くさんばかりに熱く燃え滾っているが、燃焼する魂に反して頭はやけに冷静さを保っている。
《死ぃぃぃねぇぇぇ―――!!》
そして、勢いよく振り下ろされるショーテルに一心の取った行動は抜刀、振り下ろされる巨大なギロチンに一心は合わせるように刀を振るう。
普通に考えれば無意味な行動だが、現実は常識を凌駕した。

ガキィンッ!
《なぁっ!?》
「え……?」
耳を劈く轟音、『弾かれた』巨大なショーテルは宙を舞い、家屋を崩して地面に突き刺さる。
その光景にアオーウェは驚き、ヴェルディールは困惑する。
何故なら、
「けへっ……」
一心の真上には彼の愛刀と同じ刀を握った鋼鉄の巨腕、何も無い筈の空間から突如現れた鋼鉄の巨腕が振り下ろされるショーテルを弾いたのだ。
その鋼鉄の巨腕、ヴェルディールには見覚えがある……見覚えがあるのも当然だ、現れた鋼鉄の巨腕は鮮やかな緑色で巨大な事を除けば、自分の鎧と全く同じなのだから。
突然現れた、自分と同じ鎧を着けた鋼鉄の巨腕に困惑を隠せないヴェルディールを尻目に、一心は刀の切っ先を天に向かって掲げる。
そして―――


我は勝利を掴む刃金
我は禍風
(マガツカゼ)を従える騎士
無窮の空を超え、不可避の死を告げ
駆け抜けよ、刃金の騎士!



「現れろ、翠風騎(スイフウキ)
《ぬぅっ!?》
一心が『自分も知らなかった名前』を叫ぶと、自分とヴェルディールと鋼鉄の巨腕を竜巻が包み、二人と一つを包んだ竜巻にアオーウェは気圧されて後退る。
二人と一つを包んだ竜巻が消えた時、其処に竜巻に包まれていたモノ達は居ない。
其処に居たのは、
《き、貴様ぁ! 貴様も、貴様も『マキナ』を使うのかぁっ!》
一心の刀を握り、ヴェルディールと同じ形の緑色の鎧を纏う鋼鉄の女騎士。



《き、貴様ぁ! 貴様も、貴様も『マキナ』を使うのかぁっ!》
「へぇ、コイツはマキナって言うんですか」
突然の事態に困惑するアオーウェを映すモニターを前に一心は周囲を見渡す。
周囲は丸みを帯びた壁に囲まれ、手の甲にワイヤーが付いた緑色の籠手―ヴェルディールの籠手と同じ形だ―、籠手に付いたワイヤーの端は自分を包む泡と繋がっている。
「こ、此処は一体何処ですの!?」
自分の前方斜め下から聞こえる声に視線を移せば、其処には前後の車輪を外したバイクに跨り、兜のバイザーを下ろしたヴェルディール。
ヴェルディールの声には困惑が滲んでいるがソレも当然だろう、何の前触れもなく自分の置かれた状況が二転三転すれば誰でも困惑する。

「行きますよ、ヴェル!」
何となくだが、この女騎士―アオーウェはマキナ、と言ったか―の動かし方が分かる。
脳は自分、神経は籠手のワイヤー、この女騎士は自分が身体を動かすように動かせる。
「え、あ、きゃあっ!?
未だ困惑するヴェルディールを尻目に、一心は跳躍じみた踏み込みでアオーウェとの距離を一気に詰める。
一心がマキナを召喚した事の驚きが抜けきっていないのかアオーウェの反応は鈍く、今のアオーウェは案山子も同然。
案山子同然のアオーウェを掬い上げるように一心は刀を右下から切り上げる。

《がはっ!?》
刀の切っ先は顎に当たり、顎を揺さぶられた衝撃でアオーウェはヨロヨロと後退る。
どうやら巨大化した際に肉まで鋼鉄になったらしく、金属を叩いたような手応えと手首の痺れる感覚に一心は微かに眉を顰める。
「ちっ……」
舌打ち混じりに一心は返す刀で刀を振り下ろし、振り下ろされた刀はアオーウェの左肩を覆う仮面に傷を入れる。
そして、振り下ろしから流れるような動きで一心は連続で斬りかかり、アオーウェは右手に握るショーテルで応戦を図る。
《ぐぬぅ……》
然し、幻覚で動けなくなった者しか狙わなかったアオーウェの腕では、一流の剣客である一心の相手は荷が重い。

《呵ァ、呵呵呵、呵ァ呵呵呵ァッ!
剣の腕では圧倒的に分が悪い事を悟ったのか。
袈裟懸けに振り下ろされる一心の刀を後方に跳躍して避けたアオーウェは狂笑を上げると、周囲の空間が前衛芸術宜しく歪み、歪んだ空間が毒々しい極彩色に染まる。
立っているだけでも気分を悪くするに充分な極彩色の歪んだ空間にはアオーウェの狂笑が木霊のように響き渡り、不快指数を際限無く高めていく。
「もう、喧しい事この上ないですわ!」
「そいつぁ同感です!」
ヴェルディールの叫びに心の底から同感する一心の周囲には、怨嗟の呻きを漏らす怨霊と狂笑を上げるアオーウェの首が無数に飛び交っている。
真っ当な精神の持ち主なら直ぐに精神を病んでしまう幻覚に晒されながら一心は刀を鞘に収め、抜刀術の構えを取る。
「……………………」
一心は何度も深呼吸して集中力を高め、集中力が高まるにつれて耳朶を侵す狂気の合唱は次第に遠ざかっていく。
狙うは一瞬、アオーウェが攻撃する瞬間を一心は静かに待ち続ける。


―ジャリッ……


「しゃあぁっ!」
狂気の合唱に混じって微かに聞こえた音。
音の聞こえた方向に、自分の背後に振り返りながら一心は神速の居合斬りを放つ。
《がっ、はぁ……》
直後、アオーウェの呻きと共に極彩色の歪んだ空間は正常な空間へと戻る。
一心の視線の先には左手で傷を押さえつつ後退るアオーウェ……危機回避本能で辛うじて避けたのか、神速の居合斬りはアオーウェの胸を横一文字に斬っただけに終わったらしい。
「おや……図体がデカくなったと思ったら、そういうオチでしたか」
裂け目からはバチバチと紫電が走っており、裂け目に走る紫電で巨大アオーウェの正体がマキナである事を知った一心は呆れたような呟きを漏らす。

《何ぁ故ぇぇ、何ぁ故だぁぁ!? 何故貴様はぁ、我の幻覚が効かぬのだぁぁ!?》
呆れた呟きを漏らす一心に、何故幻覚が効かないとアオーウェは叫ぶ。
以前の模擬戦の時もそうだ、真っ当な精神の持ち主なら確実に囚われる幻覚に一心は平然と耐えていた。
《認めぬ、我は認めぬぞぉ! 呵ァ、呵ァ、呵ァ呵呵……》
幻覚が通じない事を信じたくないアオーウェは再び幻覚を齎す狂笑を上げようとするが、
「馬鹿の一つ覚えはいい加減になせぇ!」
《呵ひっ!?》
狂笑を上げるアオーウェとの距離を一瞬で詰めた一心は脳天目掛けて刀を振り下ろす。
振り下ろされた刀は兜に防がれ、兜にほんの少しの傷を付けただけに終わったが、幻覚の発動を中断させるには充分。
幻覚を中断させた一心はそのままアオーウェを蹴り飛ばし、蹴り飛ばされたアオーウェは家屋を崩しながらゴロゴロと転がっていく。

「テメェの幻覚を見るのも飽き飽きでさぁ、此処で終わりにしましょうや!」
刀を構え、起き上がったアオーウェとの距離を詰める一心。
その構えは刺突……一点に集中された力は硬い装甲をも容易く貫く一撃必殺、その狙いはアオーウェの喉。
《碧澤ぁ……貴様は我の幻覚には飽いたと言うが、コレならばどうだぁ? 呵ァ、呵ァ、呵ァ呵呵呵呵呵呵呵ァッ!!
「もう、懲りない馬鹿ですわね!」
迫る一心を前にアオーウェは性懲りも無く狂笑を上げ、その狂笑で空間が歪み始める。
通じない幻覚を尚使おうとするアオーウェにヴェルディールが呆れたような叫びを上げた、その時だ。

―一心……

「っ!?」
目前に浮かび上がった幻覚に一心は驚愕し、驚愕で足が途端に鈍る。
目前に浮かび上がった幻覚、ソレは―――
《何が見えた、何が見えたぁっ! ソレは貴様の母親だぁ! 地獄の悪夢は耐えられても、母親の温もりには耐えられまい!》
迫る一心を迎えるように両腕を広げた、今は亡き一心の母・碧澤美佐絵(ミサエ)。
《沈めぇ! 母親の温もりの中に沈んでしまえぇぇ―――!!》
コレなら通じると確信したような叫びを上げるアオーウェ、今は亡き母の幻を前に一心は過去を思い出す。



一心は実の父の事を殆ど知らず、母は一心に父の事を殆ど話さなかった。
ただ、『一心』という名前は父の名の一文字を取った名前であり、彼が生まれる直前に父は事故で死んでしまった、とだけ話した。
父の事を頑なに話そうとしない母に、一心はどうして? と疑問に感じた事もあったが、ソレは簡単に踏み込んではいけない事だと幼心に悟っていた。
父の事を話そうとしなかったのは不満だが愛情深く接する母を一心は好きだった。
安アパートでの慎ましやかな暮らしは一心にとって幸福だった。
そんな母の愛情と幸福に包まれた日常は、ある日唐突に崩れ去った。
その日は一心の四歳の誕生日……母と二人で誕生日を祝っていた時、突然見知らぬ老人が黒服の男数人を連れてアパートに現れたのだ。
黒服の男を連れて現れた老人は一心の父方の祖父だと言うが、母と祖父と名乗った老人の間に流れる空気は一触即発の危うい空気だった。
子供でも分かる危うい空気に戸惑う一心に、老人は自分の事を含めて彼の父親の事を話す。

老人は日本有数の大企業・紫法院財閥と肩を並べる神鷹(コウタカ)グループ会長、日本経済界の重鎮。
一心の父親は神鷹グループ会長である老人の一人息子、即ち御曹司。
高校生の時に知り合った父と母は恋人同士になったが、父には老人が決めた婚約者がいた。
無論、ソレはグループの更なる発展が目的の政略結婚で、母を疎ましく思っていた老人は二人の仲を裂こうと陰で色々と妨害してきた。
その妨害に反発した父は家と身分を捨て、既に一心を身籠っていた母と暮らす道を選んだ。
そう、一心は駆け落ちの末に生まれた子供なのだ。

事故で死んだ父に代わってグループの跡取りにすべく彼を引き取りに来た、と言う老人に母は反発する。
父は言っていた……老人はグループの繁栄に執心している、老人の許に居ればグループを動かす歯車にされてしまう、と。
一心を寄越せと言う老人に彼の幸福を願う母は頑なに拒み、二人の口論は平行線。
頑なに一心の引き渡しを拒む母に痺れを切らした老人は配下の黒服に命じ、黒服達は母を強引に押さえ、その隙に老人は一心の手を掴んで彼を強引に連れて行こうとした。
幼心に母と二度と会えないと悟った一心が泣き叫んだ時、怪異が起きた。

鋭い風切音と共に母を押さえていた黒服達がまるでシュレッダーに掛けられたかのように細かく切り刻まれ、突然黒服達がミンチになった事に驚く老人と母を尻目に怪異は続く。
泣き叫ぶ一心の泣き声に応えるように鋭い風切音が鳴り響き、見えない刃は手当たり次第に部屋の中のモノを切り刻む。
そう、この時一心は本来なら目覚める事の無い魔術の才能に目覚めたのだ。
然し、幼いが故に魔術の制御は利かず、狭いアパートの中を圧縮空気の刃が乱れ飛ぶ。
乱れ飛ぶ圧縮空気の刃は老人に牙を剥き、何が起きているのかを理解する事も無く老人は物言わぬ細かな肉片と化す。
そして、圧縮空気の刃の嵐が去った時、一心の視界に入ったのは―――
『あ、あぁ……』
我が子への恐怖で顔を引き攣らせた、縦に両断された母の骸だった。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!



《が、はぁ……》
硝子が砕けるような音と共に消える母の幻、一心の刀は困惑を隠せないアオーウェの胸に深々と突き刺さっていた。
《な、何ぁぁぁ故だぁぁぁぁっ!? 母親の温もりに抗える者なぞ、いなぁぁぁぁい!! 何ぁ故だぁぁぁ、貴様はぁどうしてぇぇぇぇぇぇ!?》
「……テメェの見せた温もりは」
困惑を隠せないアオーウェに一心は怒りを籠めて呟く、絶対に償う事能わぬ大罪を見せたアオーウェに呟く。
「アタシがこの手で奪ったモンだ! アタシがこの手で殺したモンだ! 母親の温もりに浸る権利なんざ、アタシはとっくの昔に失ってんだよぉ!!」
《な、あぁっ!?》
絶対に消えない一心の罪、『母殺し』に驚愕するアオーウェを尻目に一心は独楽の如く回転、アオーウェの刺さった刀を振り回す。

《ぬぅぅあぁぁぁっ!?》
振り回されるアオーウェは悲鳴を上げ、悲鳴を上げるアオーウェを一心は真上に向かって放り投げる。
放り投げると同時に巨大な竜巻が巻き起こり、竜巻に飲み込まれたアオーウェは為す術も無くレスカティエが豆粒に見える程の高度にまで舞い上げられる。
そのまま落下しても墜落死は免れないが、そのまま墜落死させるつもりは一心には無い。
ちぇあぁぁぁっ!!
天高く舞い上がったアオーウェを追い掛けるように、魔術で生み出した上昇気流に乗って一心は跳躍。
一心の跳躍は竜巻に拘束されたアオーウェを越えて雲海を突き抜け、姿の見えなくなった彼を捉えるべくアオーウェはモニターを拡大させる。
そして、アオーウェは見た。
「ケ  ケケケケ    ケケ ケ   ケケ 
ケ    ケケ    ケケケ     ケ
奇術めいた鮮やかさで垂直に反転し、刀を刺突に構えて真っ直ぐ降下する一心の姿を。

「消えちまえ、腐れ外道がぁぁぁぁっ!!
竜巻で身動きの取れないアオーウェ目掛けて降下する一心。
嘗て、デュラハンは首無しの馬に跨って近い内に死ぬ人間の居る家を訪れ、その者の魂を刈り取る死神だった。
嘗て死を予言するモノ、死神であったデュラハンのヴェルディールを模った鋼鉄の女騎士、その姿はまさしく嘗てのデュラハンだった。
若し、アオーウェが一心の顔を見る事が出来たなら、迫り来る彼の顔に恐怖を感じて顔を歪めるだろう。
今の一心は、燃え滾る激情を溢れさせた狂相を浮かべているのだから。
そして―――


けぇあかかかかかかぁぁぁ――――っ!!


重力を味方に付けた渾身の連続突きが、碧澤一心が窮極必滅奥義・『風舞塵魂無常剣(フウブジンコンムジョウケン)』が、レスカティエの空に軌跡を煌めかせる。
その剣、傍から見れば右肩から左脇腹にかけて斜めに斬ったようにしか見えないだろう。
然し、この一刀は『あまりにも速過ぎた為に薙ぎ払ったようにしか見えないだけだ』。

《は、はは、ははは……》
音速を超え、神速の領域に至った連続突きで両断されたアオーウェは力無く笑う。
操縦席は至る所で小爆発を起こし、機能停止は明らか。
《及ばぬ、このアオーウェも貴様には及ばぬわぁ! 認めよう、認めようぞぉ! 碧澤ぁ、貴様こそが悪鬼と呼ぶに相応しいぃぃ!》
小爆発を繰り返す操縦席でアオーウェは叫ぶ。
薬で精神が壊れたアオーウェでも流石に自分の両親を殺した事は無い。
然し、一心は違った、真っ当な精神を持ちながら彼は自分の母親を自らの手で殺したのだ。
薬で壊れた精神で殺人を楽しむアオーウェは悪鬼を自称していたが、真っ当な精神で母を殺した一心こそ悪鬼と呼ぶに相応しい。
《呵ァ呵ッ呵ッ呵ァッ、呵ァ呵呵呵呵ァ、呵ァッ呵呵呵呵呵呵呵呵ァッ!!
アオーウェは笑う、自分より悪鬼と呼ぶに相応しい一心を笑う。
その狂笑はマキナの爆発に掻き消され、一心に届く事は無かった。

×××

「……………………」
戦いが終わり、主に忠誠を誓う騎士のような体勢で瓦礫の山の中に佇む翠風騎。
翠風騎の足元には足を投げ出すような形で座るヴェルディールと、座る彼女の太股を枕に今にも泣き出しそうな表情を浮かべて眠る一心。
アオーウェとの戦いが終わった後、一心は淡々と自分の過去をヴェルディールに話した。

四歳の誕生日に魔術に目覚め、自分が引き起こした惨劇に呆然としていた一心は隣の部屋の住人の通報を受けて到着した警察に保護され、彼は養護施設に送られた。
誕生日の惨劇以降、一心の感情が不安定になる度に彼の周囲に風が吹くようになった。
感情が昂ったり危機的状況に陥ったりすると突風が一心の周囲に吹き荒れ、カマイタチで怪我を負う者も現れた。
不可解な突風に施設の子供と職員は彼に危害を加える事で恐怖心を排除しようとしたが、その度に一心は傷付き、被害が拡大していくという悪循環に陥った。
当時の一心は母を殺した罪の意識と周囲から受ける迫害のストレスで神経性の食欲不振に陥り、次第に痩せ細っていった。
周囲から受ける迫害のストレスで食欲は失せ、頻りに空腹を訴える身体に促されて何かを食べても両断された母の姿が脳裏を掠め、脳裏を掠める度に一心は吐いた。
食べては吐き、食べては吐き、を繰り返してきた一心……現在は摂食障害も改善されたが、それでも食の細さは相変わらずで、病的に痩せた身体もその所為だ。

そんなある日、一心の居た施設に一人の男性が訪れた。
その男は『一心を養子として引き取りたい』と言い、その申し出を職員は承諾した。
この男が一心に剣技と魔術を教えた義父であり、義父が彼を引き取りに来るのが少しでも遅れていたら、一心はこの世にいなかっただろう。
なにせ、義父に引き取られる直前の一心は衰弱死寸前、点滴で辛うじて生き長らえている状態だったからだ。
衰弱死寸前だった一心を引き取った義父は彼の摂食障害の改善に奔走し、献身的な看護に一心は心を開いた。
義父の自宅には後に義兄となる紅蓮と義姉・藍香東(アイカ・アズマ)がおり、義父は二人も魔術で両親から捨てられた孤児だと説明した。
その後、やや遅れて五人の子供が義父の自宅に集まり、一心を含めた八人は似た境遇故に直ぐに仲良くなった。

義父に引き取られ、彼の許で剣技と魔術を学んだ一心が一二歳を迎えた時、一心達義兄弟に義父は『バイト』を紹介したが、その内容はとても『バイト』とは言えなかった。
逃亡中の犯罪者の追跡・捕縛に指定された人物の暗殺、テロリストの制圧等、下手すれば死に直結する仕事ばかりだったのだ。
普通に考えれば一二歳の子供がするような『バイト』ではないが、魔術と戦う為の技術を学んだ一心達は義父の紹介した『バイト』をこなしていった。
無論、流石に最初は抵抗を感じたが、『君達にやらせている事は何処かで泣いている誰かを助けている』という義父の言葉で徐々に抵抗は薄れていった。

『だが、君達は誰かを護る為に誰かを殺している……理由はどうであれ、殺人という罪を背負っている事を絶対に忘れないでくれ』
然し、義父はこうも言っていた……どんな理由があろうと殺人は罪である、建前に溺れて自分達の行いの罪深さを忘れるな、と。
だから一心達は自分達の行いに『正義』を掲げない、『正義』という建前に溺れて自分達の行いが罪である事を忘れない為に。
自分達の行いに『正義』を掲げず、誰かを護る為に罪を背負い、その罪を受け止めながら一心は今まで誰かを護る為に別の誰かを殺してきた。

「…………一心さん」
宿屋街を駆け回って戦い、巨大ロボットに乗って戦うという未知の体験で心身共に疲れが溜まったのだろう、過去を語り終えた後、一心は眠りに就いた。
今にも泣き出しそうな辛そうな一心の寝顔を見ながら、ヴェルディールは想う。
「私、貴方をお慕いしています」
身体から始まった関係故に、一心が自分をどう思っているのか―少なくとも、それなりの好意はあると思う―分からないが、自分の胸中に根付く彼への恋慕は本物だ。
中々に衝撃的な出会いから一ヶ月弱しか経っていないが、一心の存在はヴェルディールの心の半分以上を占めている。
一心は既に自分の命と同等か、ソレ以上の大切な存在……一心が大罪人であろうと、彼が好きだという想いは変わらない。
「私は貴方の御傍にずっと居ますわ」
今まで殺人という罪を背負ってきた一心は、コレからも罪を背負っていくのだろう。
何処かで泣いている誰かを護る為に、別の誰かを殺していくのだろう。
一心の罪は一心だけのモノ……その罪を自分は背負う事は出来ないが、罪を背負い続ける一心を傍で支える事は出来る。

「一心さん、私は此処で貴方に誓います」
辛そうな寝顔を浮かべる一心の髪を梳きながらヴェルディールは誓う。
「死が二人を別つその時まで私は貴方の騎士となりましょう、苦楽を共にする貴方だけの騎士になりましょう」
ヴェルディールの誓いは首無し―正確には外れる―騎士であるデュラハン流のプロポーズ、騎士の宣誓のような固い表現は根が真面目なデュラハンらしい。
「ヴェルディール・フォルチュセーヌは、貴方だけの騎士になる事を誓います」
そして、ヴェルディールは眠る一心の右手を取り、彼の手の甲にキスをする。
一生、一心の傍に居る事を誓いながら。
14/01/20 15:14更新 / 斬魔大聖
戻る 次へ

■作者メッセージ
皆様お待たせしました、『異界戦記マキナ』第四弾です。
今回の主人公である碧澤一心は容姿が残念なイケメン……本編中でも言われていましたが、肉付きが良ければイケメンなのに痩せ過ぎている為に残念という主人公(口調で分かる人は分かると思いますが、一心のモデルは某装甲悪鬼のチンピラヤクザ)でございます。

さて、此処で執筆中の裏話。
一心編はネタ練り及び執筆中にヒロインが二回も変わっています。
最初は一心の容姿からスケルトンにしようと思っていましたが、『主人公勢のロボットはヒロインがモデル』(まぁ、〜藍〜の東は魔物化した本人ですが)と決めていた為、スケルトンをロボ化するとどうしてもスカル○レイモンっぽい、ロボットものに向かない貧弱な見た目になるのが判明。
その後ゴーストに変更となり、ゴーストをヒロインに途中まで執筆していましたが、執筆中に購入したワ○キューレ・○マンツェのベ○ティーユの可愛さにK.Oされ、書きかけの部分を大幅変更。
結果、○ルティーユをモデルにしたデュラハン・ヴェルディールに落ち着きました。

『異界戦記マキナ』シリーズの前半部分、主人公毎の個別ストーリーも残り半分となりました。
次回の主人公は〜紅〜でちょこっとだけ出てきた黒井夜斗ですが、此処で予告しておきます。
黒井夜斗は主人公らしさが欠片もありません、寧ろ悪役(笑)、何処が? という疑問の答えは『異界戦記マキナ〜黒〜(仮)』までお待ちを。
それでは次回の更新を楽しみにしていてください。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33