連載小説
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沈み行く世界
 どこからともなく聞こえてくる微かな声にセイジは目を覚ました。
 上半身を起こすと寝床の空白が目に飛び込んでくる。ようやくユウジは己の伴侶が傍らに入ないことに気づいた。
「セリア・・・」
 妻の名を呼んでも応えは返ってこない。全裸の身に腰布を一枚巻いただけの格好でセイジは部屋の外に出た。
 そこに広がっていた光景は不可思議としか言えないものだった。
 壁や天井、床に木材に似た材質のものが使われていた。頑強さと弾力性に富んだそれは丈夫で軽い和紙のような感触を足裏に伝えてきた。
 見上げてみると最頂部に採光用の窓が設えているが、枠に張られているのはガラスではない。透き通った樹脂を思わせるが、セイジには分からない。窓からは日没特有の紅い光が差し込んでくる。
 セイジの眼前を何かが横切った。眼を凝らしてみるとテニスボール程の泡がいくつも宙を漂っているではないか。
 触れてみると泡は割れることなく指先を素通りしてしまった。何の感触もなくゆらゆらと飛んでいってしまい、やがて泡は窓の周辺に差し掛かる。
 するとどうだろうか。球体は日の光を浴びるとそれ自体が同色に淡く輝き、その光が他の球体を同様に輝かせている。大部屋全体が適度に明るいのはこの球体が光の反射を繰り返して辺りを照らしているからか。
 本当に不思議だとセイジは思った。触ることができないのに光を受けると鏡のような性質を持ち、風の流れに乗ることなく浮かぶ泡が。幻想的な趣すらある光景に見入っていると、近くの部屋からまたもや声が聞こえてくる。
 どこか切羽詰った響きがこもった低くも甘い声。耳を澄ませば一つや二つ――否、それ以上の声が聞き取れる。だがセイジは苦笑いしただけで声もその所在も確かめようとはしなかった。そうしているうちに、セイジはすぐ近くで何者かの気配を感じた。
 振り返ってみると小柄な少女が立っている。だが少女は単なる人とは呼べない様相であるのが目に見えて分かった。
全体像こそ人型で細く引き締まった体躯の少女だが、問題は細部。
 頭頂から突き出た二本の触角や、背で開かれた四枚の羽。どれ一つとっても人には存在しない器官で、決定的なのは黄と黒の縞模様で彩られた腹部だ。
間違いなく異形と断じられる姿もむべなるかな。少女は人ではなく、ホーネットと呼ばれる種族で、魔物である。
セイジは微笑みかける。それを見て少女――レティシアも目を緩ませた。
「お目覚めですか。セイジ様」
「うん。遅くなってごめんよ、レティ。セリアは外に?」
「クイーンセリアは他の方と共に『狩り』に出られました」
 言葉を交わしているうちに、階下が騒がしくなってきた。覗き込んでみると最下部のフロアに人だかりができている。
「帰ってきたみたいだね。出迎えてあげなきゃ。」
「私がお連れしましょうか?」
 セイジはやんわりと断って、レティシアを先に行かせることにした。
「少し遅れてしまいそうだ。先に行ってて」
「かしこまりました。では」
 そう言って少女は一礼し、背中の四枚羽を小刻みに震わせた。低く唸るような羽音と共にレティシアは今居るフロアの中央部に身を躍らせる。そこは吹き抜けで、ホーネット達が各階を自在に行き来できるよう空けられたものだ。
 ホーネットの羽は特別大きいというわけでもない。どうすれば浮かび、空を飛びまわれるのかセイジは首を傾げそうになったが、今はそれどころではない。
「こういうときは不便なんだよな・・・」
 羽など持たない我が身を恨めしく思いつつ、セイジは歩き始めた。



 巣の内部は六角形の大型フロアにホーネット達の部屋が隣接し、同じ造りの層が上部へと重なる構造になっている。セイジの部屋は最上部にほど近い場所に在るため、最下部のフロアへ移動するとなると時間が掛かる。幸いにも徒歩での移動もできるので悩む必要もないが急がねばならない。セイジの妻が帰ってきているのだから。
 目的のフロアにたどり着くとそこには二十人ほどのホーネット達が集まっていた。
 全員が鉄で出来たグローブとブーツを身に付け、ライトイエローの服を着ている。皆、身の丈ほどある槍を握っていた。
 その持ち主達は例外なく美しく、ほっそりとした体形もさることながら容貌も見事であった。意思の強さを想わせる切れ長の眼、勝気そうな表情。研ぎ澄まされた美貌というにふさわしかった。
 そんな中でスカートを穿き、フロアのほぼ中央に凛然と立つ一人のホーネットがいる。セイジの接近に気づき振り返った女の顔は喜色でいっぱいだった。
「ただいまセイジ。レティから聞いたぞ、起きて大丈夫なのか?」
 彼女こそ巣のホーネット達を束ねる存在にして、セイジの愛しき妻である女王(クイーン)セリアそのひとであった。
「おかえり」といいながらセイジは苦笑を返した。
「僕の大切なひとが帰ってくるのにあれぐらいで寝ていられないよ」
 告げるとセリアはセイジの頬に手を当て見つめてくる。彼女の瞳は僅かに濡れていた。
「お前も、お前の体も私にとっては大切なものだ。だから辛くなったらちゃんと言ってほしい」
「ありがとうセリア。心配しなくても大丈夫、むしろ調子が良いくらいだよ」
「本当か?」
 セリアはセイジの体を触る。その手つきがだんだんとまさぐるような動きに変わってくると、レティシアが「セリア様・・・」と声を掛けてくる。
「皆さんが待っていますので・・・できれば・・・」
「あ、ああ。すまないレティ」
 気を取り直し離れるセリアはセイジに向かって胸を張る。
「見てくれ。『狩り』の成果を」
 満足げな彼女の視線を追うと、そこにいるもの達が見てとれる。
 ホーネット達に囲まれるようにして座らされているのは数人の男たち。年齢や恰好も差異があり、共通しているのは後ろ手に拘束されていることぐらいだ。
 それを見てセイジも頷いた。
「ついに始めるんだね」
「そうだ、始めるんだ。私たちの夢が」
 見つめあうセイジとセリアの内に去来するもの。それを確認しあう最中、突然響く短い苦鳴と怒声で二人は現実に引き戻された。
「う、動くなっ!!」
 一人の男がホーネットの首に背後から腕を巻きつけ動きを封じている。どうやら周囲の目を盗みながら拘束されたままの腕に体を通し、隙を見てホーネットを捕らえたようだ。
「お、おまえらっ、こんな事してタダですむと思ってるのか!! そ、それに・・・」
 三十代前半と思わしき男の目が恐怖と驚愕に見開かれている。
「全員、ば、化け物なのかっ!? どうなんだっ!」
 一触即発の空気にその場の全員が色めきたつ。ホーネット達は距離を取って槍を突きつけるか、もしくは他の虜囚が動かないよう警戒している。肝心の男たちは何が起こったのか把握しきれずに固まっていた。セリアが動こうとするのを制して、セイジが口を開く。
「落ち着いてください。彼女たちはあなたを傷つけるようなことはしません」
 興奮させないようにしようとするが、男はまくしたててくる。
「ふざけるな! 動けないように縛られて拉致までされて! 信用できるか! お前も化け物どもの仲間なんだな!? そうだろ!!」
 男が手に力を込めているのがホーネットのうめき声で分かる。気を静めさせるためにセイジは冷静に語りかけようとするが男は聞く耳を持たない。
「おまえら何やってる!? こいつらは化け物だ!! おれたちを食い殺す気だっ!!」
 他の男たちの緊張感が昂まっていくのが肌で感じられる。このままでは決壊は時間の問題であった。
「・・・え?」
 口出しせずに事態を見ていたセリアがセイジの脇を通り過ぎて男に近寄っていく。その足取りになんら動揺したところはない。彼女は胸をそびやかすように一歩一歩と近づいていく。
「ち、近づくな!!」
 男の言を聞き入れたのか、はたまた最初からその位置で足を止めるつもりだったのか。
セリアはセイジと男の中間で立ち止まった。
「こいつがどうなってもいいのか!?」
「・・・」
 セイジは押し黙るセリアの背を見据える形になった。彼女の後姿からはいかなる感情も窺えない。そんなセリアを見ていると、セイジの内にこの場の空気にはそぐわないある違和感が湧き起こってきた。セイジは今一度セリアから目を放さないようにした。
 彼女の背からは透き通った四枚の羽が生えている。それはいつもと変わらない。ならば他はどうかと確かめたとき、セイジは先ほどの違和感の正体に気づいた。
頭から突き出ているはずの触角がセリアにはなく、最大の特徴ともいうべきホーネットの腹部も存在せず、スカート生地がわずかに揺れていた。チキチキという音が聞こえてきた気がするが、定かではない。
凍結した時間を破ったのはセリアだった。その場で踵を返し、男に対して背を向けてしまう。
「なんのつもりだ!?」
 わめく男に視線だけは外さず、セリアはそのまま上半身を倒していった。
 それは尻を突き出すような姿勢。おもむろにセリアはスカートをまくり、剥き出しになった臀部を男に見せつけた。
「!!!!」
 男の目に飛び込んできたのは下着を身に付けていないセリアの尻だった。
「ぐあっ!!」
 大部分がカミラの体に隠れていたが、男の僅かに覗く肩口に何かが突き刺さるのをセイジは目撃した。
 肩の辺りを押さえながらもんどりうって倒れる男。その直後に様子が激変した。
「ううっぐううっああああ、はあっはあっくあああっ!!」
 男は身震いし、汗を滝のように流しながら息を吐く。男根が勃起して痛いぐらいに張り詰め、下着どころかズボンの布地にまで先走りの液を滲ませていた。対するセリアはたたずまいを直して男を見下ろす。その目にどこか嗜虐的な光を湛えて。
「安心しろ、ただの淫毒だ。もっともしばらくは勃起しっぱなしで辛いだろうが、すぐに楽にしてやる――カミラ」
 セリアは押さえられていたホーネットに向き直る。
「その男を交接室に運べ。他の男も一緒にな。ホーネットの体というものを骨の髄まで教えてやるがいい」
カミラの耳元に唇を寄せて囁くセリアの言葉には艶と熱がこもっていた。
「たっぷりと可愛がってやれ」
 一礼するカミラの目がぎらぎらと輝くのをセイジは見逃さなかった。
 セリアはカミラに、そして『狩り』に同行したホーネット達に告げた。彼女たちもセリアと同じように羽だけが突出していて、スカートを穿いている。
「お前達、もういいぞ。その姿では我慢しきれないだろう?」
 嬉々とした表情でその場に座り込むホーネット達。四肢をゆったりと開き、火照った体を冷ますかのように息をつく。いったい彼女たちは何をするのか。男たちの視線が釘付けになるなか、それは起こった。
「はあんっ!」
 突如ホーネットの一人が感極まったように艶めかしい声を上げた。それに続く他のホーネット達。
「ああっあんっああー!」
「ううーーんっ・・・」
「はあ、はあ、はうっ・・・!」
 室内に響く嬌声の大合唱は序章でしかなかった。
「んはあっ!!」
 苦しげに、しかし感じいった様子で目を瞑るホーネットの目蓋が、光を帯びた球体が漂う虚空を見つめるかのように開かれる。その瞬間――
 ミチミチミチミチ・・・
 彼女たちの股の間から、ホーネットの最大の特徴というべき黄と黒に彩られた腹部がゆっくりとせり出てくる。ホーネット達の顔は歓喜と快感に満ちていた。
「出るっ、出るっ、出るうううーー!!」
「き、気持ちいい・・・あんっ!!
「あ、あ、ああああ〜〜!!」
 腰を浮かせ、尻を切なげに揺らしながら喘ぐ女達。それに合わせるかのように、頭部からは直角に曲がった触角が生え出てる。同時に、完全に露出する腹部。
「はあ、はあ、はあ」
 カミラが、ホーネット達が息を弾ませながら立ち上がる。余韻が続いているのか、体の幾つかの箇所が小刻みに、断続的に震えている。
 ホーネット達は体の各器官を隠すことで、普通の人と何ら遜色の無い外見に擬態することができる。こうして目当ての男に近づき、槍の先に塗られた神経毒、場合によっては淫毒を送り込んで捕獲するのだ。
 淫らな雰囲気すらある変態が完了したとき、そこに立つのは紛うことなきホーネット。美しき魔物の姿があった。それをみて満足げに頷くセリア。
「淫毒をくれてやれ」
 汗を光らせながら男たちに寄っていくホーネット。同時に身じろぎすら許さぬと押さえられる男たち。
「ほら、動くんじゃないよ!」
「ちょっとの間、我慢してな」
「すぐに気持ちよくしてあげる・・・!」
 男たちの恐怖が最高潮に達するが、彼女達は斟酌しない。
ホーネット達は腹部の先端――針を男たちに近づける。情欲を昂ぶらせる毒を流し込むための針を――
「ひっ・・・!」
「や、やめてくれ!」
「助け――」
 ズブ・・・
 肌へと食い込む針の先から、皮下部へと淫毒を注入していく。変化は劇的だった。
「うあああ・・・!」
「はあ、はあ、はあ!!」
「も、燃えるっ!」
 淫毒の洗礼を受け、身悶えする男たちを協力して運ぶホーネット達の口調は楽しげで、先ほどまでの剣呑な空気は霧散していた。
「久しぶりの男だね! よーしヤリまくるよ!」
「あたい、ちょっと多めに毒を入れちゃったけど、大丈夫かな?」
「その分しっぽり楽しめるってもんじゃない」
 かしましい彼女たちを見送った後に残されたのはセイジとセリア、レティシアと数人のホーネット達で、セリアはレティシアを筆頭に彼女たちに指示を下した。
「そろそろ暗くなる頃だ。レティ達は手分けして灯りを点けろ。それが終わったら楽しんでくるといい」
「かしこまりました」
 そういって女達が離れていくと、今度はセリアがセイジの元に身を寄せてくる。彼女はまだ擬態を解いていなかった。
「セリア、辛いだろ? 無理しないほうがいいよ」
「心配するな――と、言えば嘘になるな・・・」
「じゃあ――」
 どうしてと言い終えないうちに、セイジは彼女の人差し指が自分の唇へと当てられてしまい、気勢を外されてしまった。セリアは艶じみた笑みをこぼす。
「擬態した時間が長ければ長いほど、元に戻るときにすごく感じてしまうんだ。それに――」
セリアの手がセイジの下腹部に添えられ、ゆっくりとさすられる。セイジは軽く呻いてしまう。
「私が元に戻る姿をお前に、お前だけに見ていて欲しいんだ」
「セリア・・・」
「ふふっ」
 セリアは微笑むと、唐突に頭上を仰ぐ。彼女の視線を追えば、行き着く先は巣の頂上に張られた窓。そこから漏れ出てくるはずの陽光は半ば赤みを失っていた。
「夜だな・・・」
 相づちを打つセイジの目にも、黒とも藍色ともつかない夜の闇が見て取れた。
11/12/03 20:08更新 / アーカム
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■作者メッセージ
ここまで読んでくれてありがとうございます。

ユートピアなディストピアか、ディストピアなユートピアか
それが問題か・・・

次回をお楽しみに

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