テンプルオブザトード
「睦月、中南米へフィールドワークに行くらしいな」
「はい、大学から支援されていける運びとなりました」
「そうか、だが用心しろ、あそこには遥か昔に魔物により作られた古代の神殿がある、あそこにはまだ神がいるかもしれない」
「はい、用心していくつもりです、ゴル=ゴロスの謎の一端が、解明されるかもしれませんからね」
「ハスターの加護があらんことを」
「ハスターとともに、マスター雷電」
未開の熱帯雨林には様々な謎と危険がその牙を研ぎながらまちかまえている。
中南米にあるとある国もまた、そのような熱帯雨林を国内に内包する国である。
底なしに深い森のさらに奥、そこには原住民族すらも忌み嫌う、太古の邪神が住まうのだと伝えられている。
「科学文明の時代にそんな伝説が残っているなんて、馬鹿馬鹿しいわね」
ミスカトニック大学二回生のカレン・バレンタインは、中南米でのフィールドワークの中でそのようなことを聞いても一笑にふすような性格の持ち主だ。
熱帯雨林に関しても、オカルトな伝説よりも蚊を媒介にした伝染病のほうを恐れるような人物だ。
そして彼女は白人至上の人物でもあり、日本からついてきた、同じミスカトニック大学の数秘術科の日本人、山城睦月を嫌っていた。
「馬鹿馬鹿しいかそうでないか、決めるのはまだ早い」
熱帯雨林を歩きながら、冷徹に意見を述べる睦月に対して、カレンは鼻を鳴らした。
「日本人のような民族は、未だにそんなオカルト話しを信じているのかしら?」
「古来より日本には八百万の神への信仰がある、未だにそれは根強い」
もっとも、睦月にしても彼の先生である雷電にしても、別の神を崇めているのだが。
さて、熱帯雨林の中は非常に蒸し暑く、また足元も悪いために体力がどんどんと失われていく。
「大丈夫か?、ペースが落ちている気がするのだが・・・」
息を荒げながら、後ろを歩いてくるカレンを気遣う睦月だが、そう告げた瞬間、彼女の瞳が険しくなった。
「馬鹿にしないでっ、まだ歩けるわっ」
猛るカレンだが、やはり言葉には先ほどのような元気はない。
睦月は困ったように頭を掻いたが、結局何も言わずに歩き始めた。
ジメジメとした湿地帯が続く中、その果てを見据えながら歩く。
「はあ、いったいこの先には何があるのかしら?」
カレンの疲れ切った言葉に睦月は鼻を鳴らした。
「原住民族ですら近づかない場所、忌むべき過去の遺物」
「忌むべき遺物?」
カレンの疑問に睦月は軽く頷いた。
「如月雷電教授曰く、はるかな昔、この辺りには人ならざる民が暮らし、人間と交配していたのだと言う」
不思議なことにその民族は蛙のような姿であり、人間をはるかに上回る身体能力ながら女性ばかりだったのだと伝わる。
彼女らの伴侶となった男性も蛙人には及ばないながらも、常人以上の力を得たのだとも。
「その民が祀っていた神の神殿、それがこの先にある」
睦月の解説にカレンは吹き出した。
「あはは、そんなオカルトあるわけないじゃない?、蛙とか人ならざる民とか、ただの伝説よ」
「それを確かめるのが我らの役目だ、しかし用心せねばなるまい、私の祖国でもつい数十年前までは神隠しがあったくらいだからな、未知を探る際には何が起こるかわからんぞ?」
睦月は剣呑な調子でそう告げたが、カレンの耳には入っていなかった。
「・・・あれ」
目の前に、巨大な石造りの建造物が現れたためだ。
神殿はかなり大きく、中に通路がありそうなものだが、奇妙なことに入り口がなかった。
「これ、どうなってるの?」
「おそらくだが同じ仲間でなければ入れないようにした工夫だろう」
かつての人ならざる民とその伴侶、彼女らにしか入り方はわからないようになっているのかもしれない。
「・・・ダイナマイトでも破壊できそうにないが・・・」
睦月は不思議な形状の鍵を荷物から引っ張り出した。
「それは?」
「如月教授から借りたものだ、古代の墳墓から見つかったらしい」
だが鍵穴はどこにもない、神殿の表面は風化してつるんとしており、わずかな突起もない。
だが睦月が鍵をかかげたその刹那、神殿の壁が動き、入り口が姿を見せた。
「え?、ええ?」
「行くぞ、調査する必要がある」
堂々と神殿に入っていく睦月に対して、カレンはびくびくしながら入り口から地下へ続く階段を降りていった。
「な、なんだかジメジメするわね」
恐怖のあまり睦月の背中にしがみつきながらカレンはそう呟いた。
「・・・この湿気、もしや・・・」
睦月はちらりとカレンを見た。
「えっ?」
ドキン、どういうわけだかカレンは睦月の顔を見た瞬間に心臓が高鳴っていた。
「・・・(え?、ど、どうなって・・・)」
そんな気は一切無かった、だが何故だか睦月が頼もしく思え、ひどく魅力的に見えたのだ。
彼女は白人以外を嫌っていた、しかしなんだかそんなことはどうでも良くなってきたのだ。
「もう、手遅れかもしれんな」
睦月の呟いた言葉はカレンには届かなかった。
しばらく降りると巨大な広間にたどり着いた。
壁には見たこともないような奇怪な文字がびっしりと書かれている。
「古代アクロ語で書かれている、どうやら旧支配者ゴル=ゴロスを讃える言語のようだな」
「き、旧支配者?」
睦月は頷くと壁画を指でなぞった。
「大いなる、蛙の神ゴル=ゴロス、異界より来りて、建国す、ゴル=ゴロスの、同族となりしもの、ミューカストードと、呼ぶ
扉を開きし、もの、鍵を持ちしもの、恐れず、進め、そこに永遠の、財宝が、ある」
「財宝?、そう書いてあるの?」
興奮したのか鼻息荒く、そうカレンは問うた。
「ああ、たしかにそう書かれている、鍵とはこれかな?」
睦月は神殿を開けるのに使った奇怪な鍵を取り出した。
瞬間、カレンは鍵を横取りすると地下へと走っていった。
「何をするっ」
「財宝っ、それは私のものよっ」
そのままカレンは地下へ走り去っていった。
「むっ?」
睦月は微かな違和感に気がついた、右手の指先、カレンが鍵を横取りするときに触った箇所、そこに粘つく粘液が付着していた。
「やはり、そうか・・・」
急いで睦月はカレンの消えた先へと向かった。
「・・・財宝、それがあれば私は大金持ちっ」
持ち帰って財産を為し、睦月と暮らす、幸せな家庭が築けるはずだ。
「って、なんで相手が睦月なのよっ」
ぶんぶんと頭を振り払い、カレンは下へと向かう。
遥か下の階層、そこには神秘的な光景が広がっていた。
部屋の四隅に神々しくもすさまじい圧力を与える神像が安置され、中央の青銅の台座には神秘的な彫り物がされていた。
「この部屋、一体・・・」
ゆらゆらと導かれるかのようにカレンは歩いていく。
「ハス、ター?、クトゥ、グア?」
神像にはアクロ文字で何か刻まれていたが、何故かカレンには理解できた。
台座の前につくと、カレンは何だか台座に腰掛けたくなった。
ふらふらと台座に腰掛けた次の瞬間。
かちりと手枷と足枷がされ、身動きが取れなくなった。
続いて手にしていた鍵が不気味な振動とともに、超音波としか形容できないような、正気をゆるがしかねない音を出し始めた。
「い、いや、いやああああああああああああああ・・・」
知らずカレンは絶叫とともに耳を塞ごうとしたが手が拘束されていて動かない、鍵を手放そうにも接着されたように手から離れない。
「おやあ、人間さんが来るなんて、いつ以来かな?」
にちゃりと音がして、奇妙な人物が台座の後ろから現れた。
「ケロケロケロケロ、まあいいや、君も儀式を受けるんだよね?」
儀式、なんだそれは、というか目の前の存在は何だ?
ほぼ全裸の身体は翡翠色に染まり、身体は粘液にまみれ、露出された四肢の先には例外なく水掻きがついている。
「ケロケロケロケロ、そんな怖がらなくてもいいよ?、君もすぐ私と同じ存在になるんだから」
目の前の亜人から敵意は感じられない、だが凄まじく悪い予感にカレンは足掻いた。
「な、私に何をするつもりなの?、この怪物っ」
とたんに亜人の目つきが鋭くなり、カレンを圧倒するような力を放った。
「人間さん、怪物なんて私に言うような人間さんは、どうなっちゃうかな?」
亜人がその手でカレンの服に触ると、硫酸をかけられたように、彼女の服は溶けてしまった。
「あ、あああ」
恐怖のあまり声も出ないカレンに、対して亜人はうっすら笑う。
「心配しなくても大丈夫、人間さんも私と、ゴル=ゴロスと同じミューカストードにしてあげる」
『手遅れだ、諦めよ』
地下へと走りながら睦月は誰かと会話していた。
その手の中には黄色いメダルのようなものがら握られ、表面には丸と曲線からなる不思議な紋章が刻まれている。
「しかしっ」
『蝦蟇の神殿は人間をミューカストードに変えるための施設、鍵を使い旧支配者ゴル=ゴロス、最初のミューカストードを呼び出して儀式を行う』
そのために、魔物化をスムーズに行うために壁や天井からミューカストード由来の粘液が滴るようになっている。
粘液に少しずつ触り、知らず知らずのうちに、ミューカストードになっていくということだ。
『そなたも知っておろうが、一度魔物化したものを人間に戻す手段はない、よって神殿に入った時点でアウトだ』
怪しげな声は黄色いメダルから聞こえているが、女性にも男性にも、若者にも老人にも聞こえる名状しがたき声だ。
「・・・くっ」
『かくなる上は責任をとり、運命と彼女を受け入れよ、ゴル=ゴロスの種族を娶れ』
名状しがたき声に睦月は目を見開いた。
『ミューカストードとともに我が領域カルコサを通じてゴル=ゴロスが元いた世界へと行け、そこは魔王が魔物を統括し、人間との融和を図る世界だ』
しばらく黙っていたが、やがて睦月は頷いた。
「お言葉に従います、グレートオールドワン、ハスター様」
「い、いひっ、も、もう、らめっ、やめ、て・・・」
「ケロケロケロケロ、一体何回イっちゃったかな?」
広間に入った睦月の前に現れたのは、半裸に剥かれて台座で責めを受けるカレンと、蛙のような亜人だった。
「ケロ?、また誰か来たね」
「はあ、はあ、む、つき?」
トロンとした瞳でカレンは睦月を認めた。
「察するにあなたは旧支配者ゴル=ゴロス、ですね?」
「そーだよ?、よく知ってるね、人間さん」
ちらりとゴル=ゴロスは睦月を見つめる。
「甘〜い蜂蜜酒の匂いがするね、ハスターの信徒が私の領域に何の用?」
「調査です、私個人としてもグレートオールドワンズに列する神とことは交えたくありません」
すっと睦月は巨大なバトルアックスを手にする。
「調査、ね、過ぎたる好奇心はいつか君を殺すかもよ?、風の信徒さん」
ゴル=ゴロスが軽くカレンの鎖骨を撫ぜると、それだけで彼女はビクビクと震えた。
「けど、もうこの娘は私の仲間だよ?、形は人間みたいだけど、もう本質は魔物のそれだからね、あとは一押ししてやればいい」
かちゃりと拘束をとくと、ゴル=ゴロスはカレンを睦月に投げてよこした。
「ケロケロケロケロ、存分に楽しむといいよ?」
「む、つき、わ、わたし、汚され・・・」
「しっかりしろカレン、気をしっかり持てっ」
はあはあと息を荒げるカレン、睦月に抱きしめられながらも、身体が徐々に変容している。
白い肌は翡翠色に変わり、指先にも何やら薄い膜のようなものが、現れ始め、水掻きに姿を変えるのも時間の問題だろう。
「わ、私もう、人間じゃない、差別してた私が、差別される側に・・・」
「愚かな、誰が君を差別する?、人間魔物になれば、皆前身は関係ない、平等だ」
肌の違いも、民族の違いも関係ない、ともに生き、歩いていく同じ星の仲間、そこになんの問題があるのか。
「む、つき、私、あなたのことが・・・」
「今は何もしゃべらなくてもいい」
水筒から黄金色の液体を口に含むと、睦月は口移しでカレンの口腔に流し込んだ。
「睦月っ」
「これが答えだ、急ぐぞカレン」
黄色いメダルを掲げ、睦月は祈りを捧げる。
「いあ、いあ、ハスター、ハスター、くふあやく、ぶるぐとむ、ぶくとらぐん、ぶるぐとむ、あい、あい、ハスター、ハスター」
瞬間、睦月は不思議な笛を奏でた。
あたかも羊飼いが角笛を吹いて、羊を呼び出すように、何かを呼び寄せた。
「では、これにて、いずれあなたとともに戦う日を、心待ちにしております」
ぐわっと風が吹き、二人はどこかへと飛んで行った。
カレンが意識を失う間際に見たもの、それは巨大な翼を持つ魔物とヒヤデス、アルデバラン、そして。
黄色い衣の王、だった。
「・・・(そっか、みんな一緒だったんだ、人間も魔物も同じ、ましてや民族の違いなんて、気にするものですら、なかったのね・・・)」
「行ったか、睦月、寂しくなるな」
ミスカトニック大学の一室、客員教授如月雷電は窓の外に光る牡牛座の星、アルデバランを眺めていた。
「睦月よ、君が消えたこと、決して無駄にはしない、永劫への探求、果たして見せる」
輝くアルデバランが、微かに、瞬いた気がした。
15/08/20 19:14更新 / 水無月花鏡