第八話「騎士団」
ミズラフが泊まる宿屋の隣には主に旅行者のために食事を提供するレストランがあるのだが、それなりに遅い時間にもかかわらず席は混み合っていた。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたレストランの店主は、隣の宿屋で主人をやっている女性の双子の妹らしく、そっくりの外見をしている。
「常連ばかりで悪いわね。今日は近くのお屋敷で結婚式と披露宴があったものだからその二次会で、ね?」
「いえ、俺は特に気にしません。今からでも入れますか?」
ミズラフの問いかけにワイバーンの店主は軽く店内を見渡してみてから、少し困ったように微笑んだ。
「相席でいいならすぐに案内出来るけど……」
「構いません。そういうのも旅の醍醐味です」
話しはまとまった。店主はすぐ近くの席で一人酒を呑んでいた青年に一言断ると、彼の向かいの席にミズラフを案内する。
「……(竜騎士、か)」
席に着いたミズラフが最初に目にしたのはその青年の外套。外身は雪に反射する月光のような美しい銀色をしているが、内側は燃え盛る火炎の如き真紅の赤だった。
随分昔総主教にドラゴニア竜騎士団に所属する騎士たちはみな竜女王デオノーラのドラゴンブレスから精製された外套を身につけていると聞かされたことがあったが、実物を見るとまるで炎の権化と相対しているかのような気分になる。
「……旅行者か、すまねーな。相席になっちまって……」
グラスいっぱいに満たされた酒を豪快に一息で飲み干してから、青年は微かに口元を歪めた。
「俺はダムド・ディオグレイス、ドラゴニア竜騎士団で騎士をやってる」
「俺はミズラフ・ガロイス。ヤマツミ村から役目があってドラゴニアに来た」
何か通じるものを感じたのか、ダムドは霊峰からの旅行者に向かって右手を差し出し、少しだけ逡巡してからミズラフのほうも若きドラゴンライダーの手を握る。
ダムドの鍛え抜かれたその右手は見た目よりも大きく、長い修練と戦いを切り抜けてきた無骨な戦士のものだった。
「随分鍛えてるな、蛇矛を使うのか?」
ミズラフの右手に残るタコやマメの痕、さらには彼のすぐ近くに置かれた蛇矛を見ながらダムドはそう呟く。
「ああ、ヤマツミ村の総主教に伝授されてな。この武器は俺の友人が作ってくれたものだ」
「ほー……。滅茶苦茶良い武器じゃねーか。お前の友人は人間国宝か何かなのか?」
「鍛冶屋だ。しかし単なる鍛冶屋ではなく、魔法の素材を扱うことに長けている」
ここにはいない幼馴染、ダルクア・バルタザールの技術を褒められ、ミズラフは我がごとのように喜んだ。
「ふむふむ、いつか俺もこの蛇矛を作った鍛冶屋に会ってみてーもんだな……」
「はい、おまちどおさま」
ワイバーン店主が肉と野菜を炒めた料理と、そこそこのサイズのグラスに注がれた赤いワインを持ってテーブルに現れた。
「ダムドさん、また呑みすぎるとあなたの小さな奥さんが心配するわよ?」
「嫁じゃねーよ。友人から託された我が相棒だ。互いに敬意を払ってしかるべき相手でもあるけどな」
ワイバーン店主はダムドの言葉にやれやれといったように肩をすくめてから料理をテーブルの上に置いたが、入り口が開く音がしたためそちらに目を向ける。
「……珍しい姿の、バフォメットね」
入り口から入ってきたのは浅葱色の毛皮に捩くれた角を持つ幼い体躯の魔物娘。四肢は山羊を思わせるフカフカの毛皮に覆われ、その肉球から発する可愛らしい足音とともに店の中へと入ってきた。
バフォメットはその幼い姿とは裏腹に、その身体には凄まじい魔力を秘め、魔女やファミリアの集うサバトの中心人物となれるカリスマを持つ魔物娘である。
長き時を生きたバフォメットの中にはリリムやリッチにすら肉薄する叡智の持ち主もいるらしいが……。
「いらっしゃいませ、相席でも……」
「構わぬ、そちらの竜騎士と同じ席で良いな?」
紅玉を思わせるワインレッドの瞳に浅葱色の毛皮、古の悪魔を思わせるその異質な佇まいは闇に落ちたが故の姿か、あるいは天性のものか。
「久しぶりじゃなダムド。ラガシュの水は合わなかったとは聞いておったが、竜騎士になるとはおもわなんだぞ……」
「……なんでー、誰かと思えばラケルか」
どうやらダムドはこのバフォメットと知り合いだったらしい。慣れた調子で椅子を引くと、ラケルと呼ばれたバフォメットはダムドの隣に座った。
「ダムドの知り合いか?」
「ああ、俺がガキん頃実家で家庭教師をやってた……」
「ラケル・メルキオールじゃ若人よ。普段はレスカティエで研究しておる」
ダムドの恩師、否深く考えないほうが良い、魔物娘はその外見と年齢が必ずしも比例しているとは限らないからだ。
それにしても家庭教師とは、その豪放な立ち居振る舞いからはあまり想像が出来ないものの、案外ダムドは良家の子息だったりするのだろうか?
「俺はミズラフ・ガロイス、ヤマツミ村から来た」
ミズラフ・ガロイスという名前を聞いて、ラケルの表情がやや険しいものへと変わったが、それも一瞬のことですぐさま破顔する。
「うむ、古の英雄の名前にあやかったわけじゃな。総主教殿も良き後継者を得たものじゃな」
「総主教と、知り合いなのか?」
ミズラフの問いかけに対してラケルは首肯し、何やら考えこんでいるダムドのほうに視線を移した。
「ダムドよ、儂がドラゴニアまで来たのは何故じゃと思う?」
「さーな? 不出来なかつての教え子を叱責に来たとはおもえねーがな」
「お主に会いに来たのはついでじゃ、本題はな……」
一度言葉を切ってからそのワインレッドの瞳をミズラフに向けると、ラケルの口元に笑みが広がっていく。
何やら邪悪な視線に晒される気分となってしまったミズラフは、両目を開いてその瞳を覗き込んだ。
「侵食竜ゴア、あちこちで騒がれておるあのドラゴンの撒き散らす毒に対する抗体を持ってきたのじゃ。あやつの瘴気は侮れんからのう……」
「……侵食竜ゴア、数年前から反魔親魔関係なくあちこちの国を騒がせてるっつードラゴンか……」
ダムドも竜の本場たるドラゴニアに身を置いている以上、遥か離れた場所での活動であったとしてもドラゴンの情報が耳に入ってくるのは早い。
侵食竜ゴアについては先刻騎士団長から注意する旨を聞いていたため、若きドラゴンライダーは自然と背筋を伸ばしてラケルの話しに耳を傾けた。
「うむ、かのドラゴンは他の魔物娘が持ち得ぬ特殊な瘴気を放つことがわかっておるが、この瘴気の正体は体内の共生細胞たる『狂化細胞』を用いたドラゴンブレスじゃ」
実際ラケルは数年前から危険を犯して侵食竜ゴアの現れた場所に残る瘴気を採取、様々な手段によるアプローチを実施し、調査を続けている。
その結果侵食竜ゴアの放つドラゴンブレスは、単なる瘴気ではなくウィルスや細菌の類であり、感染すれば魔物娘、人間問わずに精力を激増させ、身体能力の向上と引き換えに一定時間暴走させる代物であることを突き止めていた。
「つい先日やっとワクチンが完成してのう、ひとまずサンプルを竜の本場たるドラゴニアに持ち込んだのじゃ」
女王デオノーラへの献上も終わり、古い生徒たるダムドを探してこの酒場にたどり着いたというわけである。
「……話によると侵食竜ゴアは数日前にヤマツミ村に現れたそうじゃが、その場に居合わせた連中に撃退されたらしい。いや、ドラゴンと渡り合えるような御仁、そうはおらぬはずじゃがな」
「! げほっ! げほっ!」
予想だにしないラケルの言葉にむせ込んでしまうミズラフ。話題のドラゴンを撃退した連中が総主教とミズラフならば、あの日現れたドラゴンこそが侵食竜ゴアということだ。
しかし侵食竜ゴアと間近で接戦を演じたにもかかわらずミズラフも総主教も、あの場にいた人間は誰も発症してはいない。
船の中にいた船員は直接戦ってはいないため感染を免れたのかもしれないが、何故総主教とミズラフは発症しなかったのか?
「……まあ、何にせよ協力者の力でワクチンは完成した。あとはこれを接種すれば晴れて侵食竜ゴアとの対話にのぞめるわけじゃ」
「戦わないに越したことはねーが、侵食竜ゴアの目的がわかんねーんじゃどーにもできねーぜ?」
グラスを傾けようとして酒が入っていないことに気づくと、ダムド渋い顔をしながら微かに残ったワインの雫を飲み干す。
「そうじゃな、これまで侵食竜ゴアはいくつもの都市で『狂化細胞』をばらまいてきたが故に足取りも特定しやすかったが、感染者の出なかったヤマツミ村を最後にその消息を絶っておる。この辺りにヒントがあるのやもしれぬな」
ヤマツミ村で消息を絶った。感染者が出なかったのは幸いだがまだ村に残っている総主教やダルクア、エスルアーたちは無事だろうか?
「……心配そうじゃなミズラフ」
顔に出ていたろうか? ミズラフの顔つきから何を考えているのかを察し、ラケルは微笑みを浮かべた。
「少なくとも侵食竜ゴアはヤマツミ村に入っておらぬようじゃ。儂は周辺のいずれかの霊峰に潜んでおると睨んでおる」
ヤマツミ村周辺は標高が高い大小様々な山が連なる山脈地帯。入り組んだ地形や難所があるその山脈に逃げ込まれて仕舞えば、たしかに探索は容易ではないだろう。
「いずれにせよ侵食竜ゴアについては研究も進んでおるし、近場に現れた以上聖教会の総主教たちも積極的に動かざるを得ないじゃろうな」
「ちがいねーな。でもドラゴニアに来たのは他にも用事があったからだろ?」
ダムドの問いかけにラケルは少し困ったように頭をかき、少しばかり言い辛そうに口を開いた。
「う、む……例の鎧のことじゃ、レスカティエの魔界勇者が使う鎧を竜族の魔力で再現しようとしたのじゃが中々……」
ラケルは魔術に精通する知識人ではあるが鎧を構成するための物質や装着者が使う武術に関しては知らないことも多い。
それ故に今回の研究に関しては中々前進することが出来ずいるのである。
「ゆっくりやるしかねーな。ドラゴニアには竜も多いし、研究するには良いかもしれねーしな」
「はい、お待ちどうさま」
店主ワイバーンが運んできたのは鞠を潰したような形状をしているプレーンオムレツとグラスに入ったリンゴジュースだ。
「注文通りプレーンオムレツは砂糖とバター増し増しにしてあるわ」
「うむ、ありがとう。美味そうじゃな」
早速ラケルはフォークとナイフを動かしてプレーンオムレツを刻むと、そのうちの一つを口に放り込んだ。
「うーむ、美味い!」
幼い容姿ながらその実年齢はよくわからないラケルではあるが、この時ばかりは顔を綻ばせて無邪気な幼女そのものというべき表情を見せた。
「……(さっきの理路整然とした理論家とは随分違うな)」
侵食竜ゴアについての研究を深め、『狂化細胞』のワクチンを作り出して手柄を奢ることない研究者ラケル・メルキオール、学者一辺倒ではなくこのような無邪気な顔もできるのだ。
「……(否、魔物娘というのは人外の力と知識を秘めながらも、結局根っこの部分は人間に近いのかもしれないな)」
そうだとすれば、あの侵食竜ゴアもなんらかの理由があって各地で自分の共生細胞をばらまいているのだろうか?
ドワーフにしか会ったことのないミズラフにはまだ魔物娘のことはよくわからないが、「そうだ」と肯定する声も心の奥から響いていた。
ダムド・ディオグレイス、ラケル・メルキオール、そしてミズラフ・ガロイスの出会い。この小さな一幕はまだ小さいが、いずれ世界を動かす出来事へとつながっていく。
19/04/26 08:54更新 / 水無月花鏡
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