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第七話「竜皇国」


「……ダルクア」

 あれだけ激しい口論をしたにも関わらずミズラフがダルクアを見て最初に抱いた感情は怒りではなく、申し訳なく思う気持ちだった。
 あの時、彼女が自分のことを気にかけてくれていたのはよくわかっていたのだが、これまでの関係を否定されたかのような気分になってしまい、ついあんな態度をとってしまったのである。

「ダルクア、さっきは……」

「ごめんミズラフ」

 謝ろう、謝ってなんとか許しを乞おうとミズラフが頭を下げる前に、ダルクアが頭を下げていた。

「記憶の手がかりがようやく見つかりそうなのに、僕は君を傷つけるようなことを言ってしまった」

 グッと食いしばる歯の奥、ダルクアの脳裏にミズラフとともに過ごしてきた様々な思い出が込み上げてくる。

 ダルクアにとってミズラフが記憶を取り戻し、自分のことを思い出すことは喜ばしいことのはずだった。
 ミズラフが望みことは可能な限り叶えてやりたいし、出来ることならば記憶が戻るよう協力もしたい。
 だがその結果ミズラフが違う何かに変わり、いつしか自分のことを、共に山村で過ごした幼馴染のことを忘れるのではないかといつからか彼女は恐れるようになっていた。

「……許してもらえるとは思っていない。けれど僕は君をいつまでも大切に思っている。それだけは、忘れないでくれ」

「頭を上げてくれ、ダルクア。謝るのはこっちだ」

 ミズラフの言葉に顔を上げるダルクアだったが、彼の瞳を正面から見る勇気を持てずに微かに俯いてしまう。

「俺も君を傷つけてしまった。たしかに俺は自分の記憶を探すためにドラゴニアに行く、けれどどこに行ったって俺は俺、それだけは変わらないつもりだ」

 ゆっくりとダルクアに近づくと、ミズラフは右手を差し出した。そこでようやくダルクアも彼の顔を見たが、その表情はいつもと変わらない優しいものである。

「……必ず、生きて帰ってきなよ」

 武術家らしくゴツゴツとした大きな手と、鍛冶屋でありながらもどこか女性らしい小さな手が交わり、二人の体温が右手を通じて互いに伝わっていったが、その交わりも一瞬のこと。

 接吻のように情熱的で、抱き合うほどに熱い交わりは、やがて解きほぐされてそれぞれの場所に収まる。

「最高の鍛冶屋が託した最高の武器があれば、どうってことはない」

 実際先ほどのドラゴンからこの蛇矛はミズラフを救ってくれた。偶然などではない、きっと武器に宿ったダルクアの想いが力を貸してくれたのだろう。

「そうだね。最高の戦士が僕の武器を使うんだ、大抵のことはどうってことないはずだね」

 ミズラフが連絡船に乗り込むと、ダルクアはその小さな身体を精一杯伸ばして、自分の武器を託した青年に向かって諸手を振った。

「身体には気をつけなよー!!」

「ああ! ダルクアも夜は身体を冷やさないように注意しろー!」

 やがて連絡船は船体と崖を繋いでいた小さな橋を離され、数度の警笛を鳴らしながらその巨体を動かし始める。

 プロペラの回転とともに緩やかに空中に浮かんでいく連絡船が、雲の切れ間へと見えなくなるまで、ダルクアはずっと手を振っていた。






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 竜皇国ドラゴニア、いくつかの霊峰とその麓を国土とする国で赤き竜の女王デオノーラが統治する場所である。
 国の性質上ドラゴンやワイバーンといった竜族がその人口の大半を占めているものの、その国で暮らす人間や竜以外の魔物娘もかなりいるというのがミズラフの持つ知識であった。

「ここがドラゴニアか……!」

 十数日の船旅を経て、夕刻ドラゴニアにある飛行場にたどり着いたミズラフが最初に驚いたのは空を舞う魔物娘の数である。

 ヤマツミ村にいる限りでは出会う魔物娘はドワーフが大半であり、ごく稀に行商人の刑部狸が現れることを除けば魔物と関わる機会もなく、人口の少なさもあって見知らぬ者に会うこともなかった。

 しかし今、ドラゴニアの玄関口とも言うべき飛行場の空は数多のドラゴン、ワイバーンの巨影が舞う空の道路とでも言うべき状態となっている。

 竜騎士や行商人、さらには竜と人のカップルなど、まさに有数の魔界都市の名前に恥じない混み合いっぷりである。

「……(広いなあ……)」

 ヤマツミ村以外の世界を知らないミズラフは飛行場からドラゴニアの市街に入っても圧倒されるばかり、そこには『記憶を失った影のある青年』はおらず、文字通り田舎から出て都会の喧騒に目を輝かせる普通と変わらぬ一人の若者がいた。

 彼の保護者たる総主教は竜騎士団の長、シルヴィアを頼るように言を与えていたはずなのだが、初めて見るドラゴニアに目を輝かせているミズラフはついついあちこちの様子を眺めてしまう。
 街を歩く魔物娘に所狭しと軒を連ねる様々な店、その全てが初めて見る光景だったためそれも無理はないことだが。

 ともあれ、ミズラフは総主教からきつく言われていたため浮かれはするもののその本分を忘れるような愚かな真似はしない。
 ゆっくりと歩きながらドラゴニアをある程度散策し終えると、目についた一つの宿屋へと足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ」

 カウンターでにこやかな笑みでもってミズラフを迎えいれたのはやはりワイバーンの女性。初めて間近で見るその翼の大きさに、ミズラフは少しだけ面食らう。

「お客さん、もしかしてドラゴニアは初めてですか?」

 あまりに凝視していたためかそのワイバーンはクスクスと笑いながら宿帳を開いて空き部屋を確認した。

「今なら人もいませんしどの部屋も選びたい放題、お安くしておきますがどうされますか?」

「一番安い部屋をお願いします。食事はついてますか?」

「申し訳ないですが食事は隣の酒屋に行ってもらってます。その分お部屋はお安くしてますけど、どうされます?」

 ドラゴニアに土地勘もないミズラフは値切ることもせずに安い部屋を選び、カウンターのワイバーンから鍵を受け取ると二階にある自室を覗いてみる。

 部屋はたしかに狭く、質素ではあるが木で組まれたベッドと窓際に置かれた机と生活に難儀はしなさそうなものだった。

 愛用の蛇矛はベッドのすぐ近くに立てかけて取りやすくし、荷物の詰め込まれた背嚢も部屋の隅に置く。

「……(疲れたな)」

 ベッドに横たわりながらついつい考えてしまうのはヤマツミ村で戦ったあの漆黒のドラゴンのこと。
 正体は不明、おまけにその実力も未知数というあのドラゴンがなぜ今になってミズラフを襲ってきたのか。

 ミズラフの失われた記憶にあのドラゴンが関わっているのであれば、いずれまた出会うことがあるのかもしれない。






「……珍しいこと、こんな場所に人が来るなんてことはこれまでなかったことですわね……」

 普段暮らす場所のすぐ近く、先日の地震で開いたであろう穴を覗き込んだ少年は、つい足を滑らせてすさまじい闇へと堕落してしまった。

 穴の内部は物理的な暗さだけでなくその空間の支配者が身に纏う闇で満ち、まるで冥府を思わせる場所である。

「おかげさまで眠りから覚めてしまいましたわ。坊や、責任をとってわたくしの話し相手になりなさい」

 深淵なる奥底より聴こえてきた声は、とても闇の中から響いているとは到底思えないような、力と活気に満ちたものだった。

「おねえさんは、ずっとここにいるの?」

「そう、ずっと。時折眠りから覚めたりまた眠ったりを繰り返しながらずっといますわ。前に目が覚めたのはきっと坊やが産まれるよりも随分昔……」

 一点の光なき闇の中ではあったが、少年はそんな中にあって自分の顔がどこからか差し込む光によって微かに照らされていることに気づく。
 よく目を凝らしてみると、その光は先程から闇の中より響いている声の源、洞穴の最深部から漏れていた。

「……この剣はかつて人界の英雄たるミズラフ・ガロイスがわたくしを封印するために額に突き立てたものですわ」

 少年の視線に気づいたのか、声の主人はそう告げたが、その声色には憎悪や恨みのような思念は一切なく、どこか昔を思い出すような穏やかなものである。

「この剣は波打つ刀身を持つ故に物理的にも抜きにくく、おまけにミズラフが自分以外には抜けないように術をかけていますわ」

「よくわかんないけど、抜けそうだよ?」

 子供特有の好奇心からかいつの間にやらすぐ近くに来ていた少年は風化して柄から露出した茎を両手で掴むと、一息で引き抜いてしまった。

「なっ! それはミズラフ・ガロイスにしか抜けないはず……!」

 一番驚いたのは声の主人である。魔界銀で作られたこの剣は、長い年月共にあったためドラゴニウムに性質変化を起こし、龍の血が固まって錆のようになっている。
 しかし幾星霜も昔ミズラフ・ガロイスが残した封印の術式は全く変わってはいないはず、にもかかわらずこの少年は容易くそれを解除したのだ。

「……ふ、ふふふ。なるほど、そういうことですの。坊やはミズラフの……」

 何という不思議な運命的奇縁、永久に解けぬと思っていた封印を唯一解くことの出来る人間がここに現れるとは……!

「助かりましたわよ。その行いに免じて貴方を……」

 瞬間声の主人はすさまじい濃度の瘴気を放ったが、あまりに幼い少年はそれに耐えきれずに意識を刈り取られてしまう。

「……わたくしの伴侶に、してさしあげますわ……」

 気絶した少年を背中に載せると、翼を広げて何百、何千年ぶりになるであろう外の世界へと飛び出して行った。

 この魔物の溜め込まれていた瘴気はあまりにも濃く、封印の地を魔界へと変え、その地にいた人間の女性をすべからくサキュバスへと変えるには充分である。

 しかしあまりに早く飛びすぎたため、背中に積んでいた少年が何枚かの自分の鱗とともに落下したことには、気づかなかった。

 






 旅の疲れからか、ベッドの上でうとうとしていたミズラフではあったが、空腹に耐えかねてその意識を急速に覚醒させる。

 どうやら、微かな記憶の中に眠る夢を見ていたらしい。ヤマツミ村で総主教と出会う以前の夢を……。

 少し外の空気でも吸って頭をスッキリさせようと、ミズラフはベッドから立ち上がり、蛇矛を手に外へと向かった。






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 ヤマツミ村の聖教会、不朽体の納められている至聖所の地下、総主教にしか立ち入りの許されてはいない区域にその扉はある。

 普段は厳重に管理されて開かぬ観音開きのその扉、中央に聖教会の十字架がレリーフされた扉の前に総主教はいた。

 彼が普段指にはめている指輪をかざすと、それだけで固く閉ざされていた扉は瞬時に解錠され、自動的に開く。

 ゆっくりと総主教がくぐれば即座にまたその扉は左右から閉ざされ、微かな金属音とともに施錠された。



 闇の中を大股で歩いていく総主教。いつしか闇は晴れていき、彼の前に巨大な西洋風の城が姿を見せる。

「……(久しぶりだな)」

 全ての魔物娘を率いる魔王がその身をおく魔王城、総主教が忽然と姿を現わしたのは、そんな魔界の中心部、魔王城庭園の一角であった。

 廊下を進んで一直線に魔王の座す謁見の間へと向かう総主教。すれ違う魔物娘たちは見慣れぬ訪問者の姿を訝しげに見るものがほとんどであったが、比較的年配の魔物娘たちは総主教に会釈を返すなどの動きを見せている。

 謁見の間にたどり着くと、総主教はフードを下ろして普段めったに人前に晒さないその素顔を見せた。

 美しくも切れ目の瞳に男性のものとは思えぬほどに白い素肌、長い髪は後ろで束ねられており、フードを下ろすとともに外に飛び出して外套の上で跳ねる。
 その相貌はとても長い年月を生きてきた総主教のものとは思えぬ、あまりにも若い青年の姿を保っていた。

「……久しぶりね。ガスパール参謀長」

 王座に座る魔王は総主教がフードを脱いでその膝を床につけ、頭を下げるその瞬間まで瞑目をしていたのだが、今は瞳を開きヤマツミ村から来た来訪者を見つめている。

「それは昔のこと、今は……」

「霊峰聖教会総主教、各地の聖教会を統括する九人の総主教の一人……。その総主教が魔王たる私に何の用かしら?」

 総主教は静かに目を上げて、悠然と構えている魔王を正面から見たが、その瞳はまるで戦場で決闘する戦士のように油断ない、確固たるものだった。

「……『其の地に産まれし闇を纏いし龍、長き旅の果て、巡り巡りて回帰せん。』」

「……興味深い文句ね。察するに童謡かしら?」

「ヤマツミ村に伝わるものです。旧ドラゲイ時代、ユリウス帝の時代から伝わるものと言われています」

 ドラゴニアの前身たる竜帝国ドラゲイがあったのは現魔王が即位する以前、旧魔王時代と呼ばれる頃。
 その頃からヤマツミ村は今と変わらぬ場所にあったのだが、当時ドワーフたちの間で盛んに歌われ、現在も口伝えに残っている古い歌だ。

「主神教団にて『侵食竜ゴア』として呼称されていた正体不明のドラゴンがヤマツミ村にも現れました」

「侵食竜ゴア、噂は聞いたことがあるわ。ここ数十年各地に現れては不思議な魔術で魔物娘、人間問わず異常を起こしていると」

「御身の指令で動いているのではない、と?」

「笑えない冗談。たしかに私は全ての魔物娘を統括する立場にいるけど、支配しているわけではないわ」

 魔王はやや不機嫌そうに総主教の問いかけに応えた。なるほど、しかし魔王ですらその正体を掴めぬとなるといよいよ侵食竜ゴアがいかなる目的を持っているのかわからなくなる。

「……ここからが本題ですが、侵食竜ゴアが現れた場所より未知のウィルスが検出されました」

 ヤマツミ村に現れた際に汚染された土壌から見つかったウィルス。サンプルを調べてもらったところ、生物の細胞を活性化させて凶暴化させる特性をもつことがわかった。

「メルキオール博士はこれを『狂化細胞』と名付けてそのルーツを探っておられます」

「……なるほど、人間魔物娘問わずおかしくして都市丸ごと魔界化させていたのはそのウィルスのせいというわけね」

 魔王は総主教の報告を聞いてしばし頷いていたが、何やら悪いことを思いついたのかその瞳を輝かせる。

「品種改良してばら撒けば私たちの世界はもっと美しくなりそうね」

「さて、狂化とは中途半端なものではなく、何日も理性を失って狂うものですから私ならその混乱の隙に街をウィザードで包囲して辺り一帯ごと焼き尽くしますね」

 ニヤリと笑う総主教。それに対して魔王の顔は渋いもの、今のところ死人こそ出ていないが、感染者は治るまで生活の一切も考えずに野獣のように猛るという報告を思い出したのである。
 しかし続けざまに総主教が放った言葉は魔王の興味を十二分に惹くものであった。

「独自の調査の結果、どういうわけだかヤマツミ村の村人の一部は『狂化細胞』に対する抗体を持っていました。私やミズラフ、エスルアーにダルクアがそうです」

 何故かはまだ調査中ですが、と前置きして総主教は懐から小さな木箱を取り出すと、いくつかある赤い溶液で満たされた試験管を一つ手に取る。

「血清のサンプルをお持ちしました。魔界の力を総動員すればすぐに同じものが完成するでしょう」

 完全に症状を消すことは出来ずとも、ある程度ならば抑えることならば十分可能なはずだ。

「医療班に回しておくことにするわ。けれど総主教、聖教会に身を置くあなたが何故魔物娘の得になることを?」

「愚問ですね魔王陛下。『医の道は徳の道』病に冒されて苦しむ者を救うのに、人間も魔物もないでしょう」

 一礼すると総主教は血清が入った木箱をその場に置いて、またフードで顔を隠しその場を後にした。

「……食えぬ男ね、ガスパール……」
19/04/25 08:36更新 / 水無月花鏡
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