第五話「鍛冶屋」
翌日、ミズラフはダルクアの家を訪ねようと朝早くに聖教会を飛び出した。
太陽はまだ完全には顔を出しておらず、道を歩く者もほとんどいないような時刻ではあるが、いつもダルクアはこれくらいの時間から作業をしている。
それをよく知るからこそミズラフはこの時間に出発したのだが、果たしてダルクアの家の煙突からは煙が上がっていた。
「やっぱり朝早いな……」
しかも二つある煙突のうち、居住空間の方からではなく鍛冶屋の方から煙が出ているのを見てミズラフは感心のあまり舌を巻く。
「やあ、よほど楽しみだったと見える」
鍛冶屋の扉を叩くと、すぐさまダルクア・バルタザールその人が顔を出した。
朝早い時間だというのに顔つきは凛々しく、両の瞳からは一切の疲労も見出すことは出来ない。
「すまないな、こんな早い時間に……」
楽しみだったのは本当だが、もしダルクアが休んでいるならばミズラフは時間をずらすつもりであった。
「なに、ちょうど最後の調整が終わったところさ。今は一刻も早く君に見てほしいくらいさね」
にこやかに告げるとダルクアはミズラフを工房へと案内する。不思議な熱気のこもるそこは、まさしく『聖域』、鍛冶の神が宿る場所だとミズラフは感じた。
「さあ、君の求めるものはここにある」
ダルクアが指し示す先にミズラフはゆっくりと進んでいく。
巨大な炉の前に置かれた大きな金床、そこには素晴らしい技術を用いて打たれた蛇矛が安置され、持ち主が来るのを待つように鎮座していた。
「……これが、俺の武器……」
震える手で木の柄を握ると、ドラゴニウムと黒い鱗で作られた蛇矛の刀身に目を向ける。
刀身はまるで闇を塗りこめたかのような黒さを持ち、かつて図鑑で見たサルバリシオンの魔界騎士が使う剣を彷彿とさせた。
あれほど嫌な予感を与えていた鱗から作られたにも関わらず、今の蛇矛はそんな気配も一切なく、むしろ長年使い続けた半身のような印象さえ抱く品だ。
六メートルほどの柄に使用されている木材もよく研摩されており、手の中で滑らせることも戦いの中しっかり握ることも容易く出来そうだった。
「どうかな? 出来る限りの技術は使ったんだけど……」
「素晴らしい……。ダルクアにしかこれほどのものは作れない……」
邪悪ではないだろうが、善良とも言えぬ属性を持つ素材をここまで昇華させられる鍛冶屋はなかなかいまい、ミズラフの偽らざる気持ちだ。
「あははは……。まあ母さんだとどうするかわからないけど、僕は僕なりに頑張ってみた、かな?」
あとは使い手の君次第、そう告げるとダルクアは少し考えながらすさまじい勢いで燃え続けている鍛冶屋の炉の中を見た。
「君から渡されたあの鱗、一万の業火の中でも原型を崩さなかった。恐ろしく強靭なものだね……」
鍛冶屋が用いる炉の中にあってもその原型を崩すことなく存在し続けるとは、いよいよもってミズラフの持っていた『鱗』がどう言う由来のものなのかわからなくなる。
「そんな素材があるのか?」
「あるよ。ドラゴニアの竜騎士たちが着てる外套、あれは真紅のドラゴン女王デオノーラのドラゴンブレスから生まれたからね」
ドラゴニア、たしか人と龍が互いに協力しながら暮らす国。彼の地を治める女王は炎の力をその身に秘めた赤い龍だと聞いたことがあるが……。
「ドラゴンブレスを元に作られた外套、それは確かにどんな火力にも耐えられそうだな……」
「他人事じゃないよ? 要するにあの鱗は龍族のものに種族固有のドラゴンブレス、もしくは魔力が加わることであの形状になったと考えられる」
ダルクア曰くドラゴンと一口で言っても様々な種族がおり、それ故にドラゴンブレスや固有の魔力は亜種によって大きく変わるらしい。
その魔力が炎によるものならばドラゴンブレスは恒星エネルギーにすら匹敵しうる火炎となり、身に秘めたる力が氷ならば万物を凍結させる龍の息吹を吐き出す。
その理屈に立って考えれば、ミズラフに鱗を残した何者かは、火力と得体の知れない邪気を持つ龍と考えるべきか。
「……そんなドラゴン、聞いたことがないが……」
「僕も、母さんからドラゴン由来の素材について話しを聞いたことはあるけど、その母さんでもあの鱗の正体はつかめなかったらしいし……」
ドワーフにすら正体がわからない素材、そうなれば龍たちの本番であるドラゴニアに赴き、他ならぬドラゴン達に話しを聞くしかないのではないか?
「君、もしかしてドラゴニアに行こうとか思ってたりする?」
顔に出ていたのだろうか? 気づけばじっとダルクアはミズラフのすぐ近くにまで顔を寄せ、その瞳を覗き込んでいた。
あまりにも近い、ドワーフ族はダルクアの母親たるエスルアー含め基本的にみな幼い姿を維持している。
そんな無邪気な中に魔物娘らしい蠱惑的な魅力を備えたダルクアに至近距離から見つめられると、背徳的な気分になってしまいそうだ。
「あ、ああ。顔に出てたか? ドラゴニアに行けば俺の記憶やあの鱗について詳しいこともわかるかもしれないからな」
慌ててダルクアから顔を離すと、ミズラフは火照った頬を冷やすかのごとく頭を振るった。
対してダルクアのほうは何やらおもうところでもあるのか腕を組み、唇を尖らせている。
「……(何やら、イライラしているな)」
幼い頃から一緒に遊んできたミズラフにとっては現在ダルクアがどんなことを考えているのかを推察することは造作もないことだ。
この状態の幼馴染はほぼ間違いなく心の中に不快感を飼っている。ただしどうしてなのかは中々言い出してくれないためミズラフとしては最も困る状態である。
「ふうん。ミズラフは免許皆伝が終わったら故郷を飛び出して可愛いドラゴン達とイチャイチャしたい、というわけだね?」
やっとダルクアから出てきた言葉がこれだ。ミズラフがドラゴニアに行こうと思っていたのはあくまで記憶と鱗に関することであり、そこにドラゴンについての目的はない。
「ダルクア、何か気に障ったことがあるなら言ってくれないか? 俺も出発前に友人と揉めたくはない」
ミズラフにとっては何気ない一言だったのかもしれないが、『友人』という単語は昨日からナイーブな感情を秘めていたダルクアの心に予想以上の切れたナイフとして突き刺さる。
「気に障った? ああその通りだね! 君の背中を押してしまった僕自身に一番ムカついてるよ!」
「ダルクア、言いたいことがあるならはっきりと言えばいいだろう! 昨日今日の付き合いでもないんだから本音を言ってみろ!」
「そこまで言うんだったら僕の心を読んでみると良い! 長い付き合いだと自負してるんならそれくらいできるだろう!」
もうここまで来れば売り言葉に買い言葉であった。朝の早い鍛冶屋を舞台に互いが互いに罵詈雑言をぶつけ合い、止める者もいないため口論は次第にヒートアップしていく。
「……どこへなりとも行けばいいだろう! 今からならドラゴニアへの定期船にも間に合うし、さっさとヤマツミ村から出て行けよ!」
「ああそうさせてもらう! これでこの村とも貴様とも永久におさらばだな!」
そのままミズラフは肩を怒らせて踵を返し、まっすぐ出入り口まで進んでいくと一息で扉を開いた。
「あら? ミズラフくんおはよう。もう帰るの?」
たまたま外出していたのか、扉のすぐ外で野菜をカゴいっぱいに入れたエスルアー・バルタザールと会う。
「おはようございます。すいませんが通してください」
最低限の挨拶のみをすると、そのままの勢いでミズラフは出て行ってしまった。何やらただならぬものを感じたのか、エスルアーはミズラフに向かって手を伸ばす。
「ミ、ミズラフくん? 一体全体どうしたのよ?」
背中越しにエスルアーの声が聞こえてくるが、それに対しては振り返ることすらせずにミズラフは聖教会への道を足早に歩いていった。
「……少しは落ちついた?」
母親からココアを受け取り、ようやく泣きじゃくっていた娘のほうは微かに頷く。
あの後家に入ったエスルアーが見たのは、盛大に泣き喚きながら何も置いていない金床めがけて槌を振り下ろすダルクアの姿だった。
「……何があったかは聞かないけど、後悔してるなら今からでも行って謝ってきたらどう?」
激しく首を振るダルクアの様子を見て、エスルアーはまるで自分の幼い頃を見ているような気分になり、少しだけ目を細める。
「私も貴女のお父さんと出会ったときはそうだったわ。魔王の討伐なんかやめてほしい、旅になんか出ないで、てね」
初めて聞く話しにダルクアは顔を上げて、自分の過去について話す母親の顔を見つめた。
「でも貴女のお父さん、レインは『ここまで来た仲間たちを見捨てるわけにはいかない、なんとしても王を倒さねばならない』って出て行ったの。ご丁寧に私の作った戟を持って行って、ね」
「それから、どうなったの?」
「それからは貴女の知ってる通り、お父さんの仲間は魔王を討ち滅ぼして王魔界で今も暮らしてるわ。レインは魔界での栄達を断って私のところにきてくれた。そして貴女が産まれたの」
ココアを飲み干すとエスルアーは優しく微笑み、片手を伸ばしてダルクアの黒髪を解きほぐす。
「彼が許せないならそれでいい、自分が許せないならそれでもいい、けれど後悔だけはしないようにね?」
窓から覗く太陽はもう天高く上っており、かなりの時間自分は泣いていたのだと思いださせた。
「ドラゴニアへの定期船はまだ出てないわ。今から行けばまだギリギリ間に合うはずよ?」
クスクスと笑うエスルアー、娘がこれから何をするのかわかっているのだろう。バツが悪そうに頬をかくと、ダルクアは弾かれたように起き上がり外へと飛び出していった。
19/04/24 09:28更新 / 水無月花鏡
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