第三話「成人式」
パチパチと暖炉の火が照らす霊峰聖教会の書斎には二人の男がおり、テーブルに向かい合って座っていた。
片方は黒い外套を身に纏ったこの教会の統括者である総主教、もう一人は主神教団の高位聖職者、枢機卿のみが身につけることを許される赤いケープの老人だ。
「……闇を纏う件のドラゴン、かの魔物を我ら主神教団は『侵食竜ゴア』と呼称、その脅威に備えるために各地に使いを出しています」
「侵食竜ゴア、噂は聞いています。たしかこの十年間で五つの教団都市の陥落に関係していると……」
「五つばかりではありません。教団が知る限りでも十はやられています」
枢機卿の言葉にいよいよ総主教は外の世界でどれだけ話題のドラゴンがあちこちに影響を及ぼしいるのかを察する。
「『傷痕(ゴア)』と申されましたか? 良ければ名前の由来を伺っても?」
「全身に闇を纏う姿からその本質は見えにくいのですが、移動中をたまたま目撃したものによれば額に刃物が刺さっていたかのような傷痕があったとか」
「なるほど。しかし枢機卿殿、『その身に纏う闇のみで魔界に堕とす』、『ドラゴンの通った後はどんな生物も凶暴化する』にわかには信じられないデータですね」
「しかし現実的にどんな都市もあのドラゴンの目撃があってから数週間で魔界都市へと変貌しています」
実際この枢機卿は侵食竜ゴアとやらの手で堕ちた都市を見てきたのだろう。見てきたが故に自分の目で見たものにこだわり過ぎているところが見られた。
「……わかりました。可能な限りお手伝いをすると教皇聖下にはお伝えください」
「お急ぎのところ申し訳ありませんでした。ところで総主教殿、今日のご予定は?」
「私の一番弟子に免許皆伝を与えねばなりません。あいつももう良い歳ですからね」
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聖教会の地下にある空間。礼拝堂脇にある関係者用の階段から下へ下った場所にその部屋はあった。
おおよそ広さは25畳程度であり、床は石張りの硬く冷たいもの、天井はかなり高く5、6メートルはあろうか?
部屋の四つ角にそれぞれ設置された小さな松明のみがこの薄暗い部屋を照らしており、中央に跪いて瞳を閉じる青年の頬を照らしていた。
精悍な顔つきの青年である。歳の頃は20前後、長身でも筋肉質でもない線の細い身体つきだが、対峙した者は剣を交えることなく彼の身に宿る確かな技と、研ぎ澄まされた力を垣間見ることになるだろう。彼の身にまとう空気は、まさしく武術の達人のそれだ。
人の気配を感じて、ゆっくりと青年は瞳を開くと、すぐ前に置いていた2メートルほどの赤樫の丸棒を掴む。
足音なく入って来たのは黒い外套にフードの男。薄暗い部屋の中ではただでさえ見えにくいフードの内がより見えなくなるが、微かに覗く瞳はどこまでも優しい。
「総主教殿、お待ちしていました」
黒いフードの男、すなわちヤマツミ聖教会の総主教が現れるとその青年は棒を右手に抱えてすぐさま立ち上がり、ゆっくりと一礼した。
「よほど待ちきれぬと見えるなミズラフ、否息子よ」
青年、ミズラフ・ガロイスは総主教の言葉に微かに頬を染め恥ずかしそうに目を閉じたが、結局何も言わずに顔を上げる。
「まあ気持ちはわからなくもない。私は君に私の持てる全ての技を伝授し、導いてきた。後はそれがどの程度のものに仕上がっているかを見るだけだ」
聖ミズラフ修道院の近くでミズラフ・ガロイスが保護されてからすでに十年以上の歳月が経過しており、その間に総主教が自身の武術を伝授したためミズラフは頑強な身体と柔軟な四肢を備える美丈夫な青年となっていた。
「この試験に合格出来たならば晴れて君は私のもとを卒業だ。その実力を発揮し、レスカティエなりサルバリシオンなりで思う存分名を挙げよ」
総主教の言う通りだ。今こそ鍛えた技を師匠に示してその実力の全てを発揮する時、ミズラフの右手に、微かに力がこもる。
「まあ、別段難しいことを求めるわけではないが息子よ、君は免許皆伝を得たならば何をする?」
「……そう、ですね」
ミズラフ自身には叶えたい願いは殆どない。あるとすればこれまで世話になってきた総主教やエスルアー、ダルクアと言ったヤマツミ村の人々に恩返しをしたいというくらいだった。
「ミズラフ、我らのことは今は忘れよ」
ミズラフの内心を見透かしたのか、総主教はそのようなことを言う。彼としてはミズラフには他者への恩返しよりも自分自身の人生を見つけて欲しかったのだ。
恩返しについて考えるのは、その後で構わない。
「正直に考えるのだ。お前は何がしたい?」
しばらくミズラフは瞳を閉じて自分の中にある想いを見据える。
そう言えば様々なことがあったが、これまでミズラフにはついぞ叶えられず一切の手がかりも見つけられなかったことがあった。
「……失われた記憶を取り戻したいのです」
そう、正確な生年はわからないが元々ミズラフは十年前突如魔界に沈み『禁足地』となった聖ミズラフ修道院の孤児である。
その際何があったかは未だに謎だがミズラフはその事件に関わり、それまでの記憶を失ったのだ。
村にいる人間もドワーフも記憶がないミズラフを差別することはなかったが、彼自身がそのことを全く気にしていないというと嘘になる。
「……なるほど、それも良いかもしれないな」
十年もの歳月をミズラフはヤマツミ村で過ごしてきたがついぞ記憶は戻らず、その兆候すら見つけることは出来なかった。
それ故にヤマツミ村以外の、ドラゴニアや他の場所に行くことで手がかりを見つけることが出来るかもしれない。
「良かろう。この試験を終えたらお前は一人前、記憶を探す旅に出るが良い」
その餞別に良いものを渡そう、総主教はそう告げるとマントの下に下げていた剣を引き抜き、その刃文を眺めた。
ヤマツミ村のドワーフであるエスルアー・バルタザールが鍛えたその剣はドラゴニウムを含有しており、斬りつけた相手を無傷のまま無力化することが出来る剣だ。
「あれに関しては『渡す』というよりかは『返す』というべきかもしれないがな」
スッと総主教は無駄のない動きで右手を振るい、剣を構えた。身体の右半身をミズラフに向けて剣を握る右手は前に突き出し、左手はダラリと脱力して腰の辺りに垂らす。
「そうそう、たしかダルクアも今日鍛冶屋としての試験を受けるそうだな」
ミズラフもまた、準備が出来たと言わんばかりに棒を振り上げて正眼に構えていると、総主教は一切構えを解かずにそんなことを呟いた。
「彼女もお前と同じく優秀な弟子のようだからな、今日の試験に合格すればエスルアーからバルタザールの名を継ぐ資格を得る」
そう言えばそんなことをいつか聞いた覚えがあるが、まさかダルクアも今日試験を受けることになっているとは……。
「……よし、では行くぞっ! 見事お前も私から免許皆伝をもぎ取ってみせよっ!」
総主教の放つ高速の突きをミズラフは身体を捻ることで素早くかわすが、師匠の攻撃はそればかりではない。
「はあっ!」
接近してくるとともに総主教は何も持っていない左手の人差し指と中指を立ててミズラフの喉を狙ってきた。
「っ!」
回避中にもう一度回避することは難しいが、これはすでに予測をしていた攻撃であるためミズラフは棒を振り上げて総主教の貫手を弾く。
「ほう、私の攻撃を読んでくるとは僥倖、ならば次は……」
総主教は返す刀で頭を狙ってきたミズラフの一撃を剣の柄頭で突いて跳ね返すと、そのまま後方に下がり、両手で剣を構えた。
「この構えならばどう対処するかな?」
両手で剣を振り上げて、まっすぐ切っ先を天に掲げる上段の構えは攻撃と速度を重視する構え方である。
総主教の射程に入った瞬間に剣は振り下ろされ、防御したとしてもその豪腕と剣術で棒ごと両断されることは火を見るよりも明らかであった。
「……上段、ならっ!」
斬られても無傷とは言え気絶するならばそれは試験の失格を意味する。防御することが出来ないならばこの構えを破る方法はただ一つ。
「これで……!」
上段の構えに対抗するミズラフの構えは左半身を前にして棒は両手で地面と平行になるように握り、切っ先を後ろにした構えだ。
「……来いっ!」
総主教の声とともにミズラフは前に進み出したが、やはり上段の射程に入った瞬間に剣は振り下ろされる。
先程ミズラフが見抜いたとおり、すさまじい速度と攻撃力を持つ以上まともに受ければ防御は破られてしまうことは間違いない。
「……そこだっ!」
だがそれ故に一の太刀をかわすことが出来れば隙が生じることをミズラフはわかっていた。半身の構えをとって近づけば上段の攻撃はかわしやすく、即座に攻撃に転じることが出来る。
ミズラフは左手を軸にして棒を振り上げ、剣を振り下ろして隙だらけの総主教の頭を狙った。
「見事っ! だが……」
総主教はその攻撃をすでに読んでいたのか、背中を反らすようにして棒をかわし、地面を蹴りあげて空中回転しながら後ろへ下がる。
「こういうのはどうだ?」
回転した先には壁があり、総主教はその壁に両足がつくとともに蹴り出してミズラフに突撃した。
「くっ! やはり総主教は手強い……!」
ある程度の技ならば何度も稽古の中で打ち合ったため予想することが出来るが、総主教はその技を自在に行使した上でミズラフを追い込んでくる。
おまけに速度も精度も稽古中の比ではないほどに研ぎ澄まされており、総主教がいかに指南中ゆっくり剣を振っていたかがよくわかった。
「……(しかし俺も負けるわけにはいかない)」
たしかにミズラフと総主教では実力に開きがあるが、もう勝てると踏んだからこそ総主教は試験を切り出してきたのだろう。
実力差があったとしてもなんとか活路を見いだすことは出来るはず、ミズラフは心を定めて棒を構え直した。
「はあああああ……!」
気合いとともに突撃してきた総主教と打ち合い、その衝撃から後退しそうになるもなんとか堪える。
「っ! ほう、見切ったかミズラフ……」
関心したように呟くと総主教は両手をバネのように扱い、クルリと空中回転をしてミズラフの後ろに着地した。
「どうだ?」
「っ! 対処します」
ただちに攻撃に入る総主教に対して、ミズラフは棒を手の中で滑らせるようにして後ろに飛ばす。
「むっ!」
ギリギリのところで総主教は止まったため突きは当たらなかったが、ミズラフはまだ片手で棒を握っていた。
「はあっ!」
左足を軸に身体を回転させ、ミズラフは振り返りざまに棒を片手で薙ぎ払う。
「ふんっ!」
かなり素早い一撃ではあったのだが、総主教がこれを剣で受け止めたため必殺とはなり得なかった。
「……(ううむ、やはりやるな)」
若い頃さまざまな相手と戦ってきた総主教にとってミズラフの攻撃はまだ見切れる範囲内である。
しかし総主教はミズラフの一撃を阻めはしたがあまりに強い一撃だったために両手に電流のような痺れが走るのを感じていた。
「……(現段階でも十分強い、経験と力をある程度補える技を会得しているな)」
遠心力を交えての攻撃、牽制を絡めてからの隙を突く一撃、確かにミズラフには力も経験もないが、それをカバーするために己の技をよく研究している。
「……(あとは実戦の中で経験を積めばミズラフは一流の使い手となるはず)」
必要なことは全て教えた。あとは実戦を積み、経験を蓄えていけば自然と強くなるはず。そう判断した総主教は静かに頷くと構えを解き、剣を納める。
「見事だミズラフ。もうお前に教えることは何一つない」
試験の合格を告げる言葉にミズラフは信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
「後は研鑽を忘れずにいればどんな難敵と出会おうとも決して遅れをとることはないだろう」
「……総主教」
相変わらずその素顔はフードに隠れて見ることは出来ないが、心なしか瞳が潤んでいるようにも見える。
「強くなったな、息子よ」
「ありがとうございますっ!」
自分の技が師に認められ、ミズラフは感極まってその場で膝をつき、首を垂れていた。
「さて、約束だ。お前にこれを渡しておく」
ミズラフの肩を掴んで立たせると、総主教は彼の右手に何やら握らせる。
「これは……?」
「お前を見つけた時に持っていたものだ」
ミズラフの右手の中にあるものは二つ。一つはクネクヌとした刀身、茎の部分にドラゲイ帝国の紋章が刻まれたもの。
もう一つは黒く大きなドラゴンの鱗であり、不可思議な瘴気を周囲に放っている。
「っ!」
その鱗を見た瞬間に、ミズラフの心臓が大きく跳ね上がった。
この鱗と同じものをどこかで見た気がする、しかもそれは極めて重大な局面で見たようなきがする……。
「お前が記憶を取り戻したいならば、この二つは必ずや役に立つだろう。持っていろ」
とにかく不吉な予感こそするが免許皆伝は事実。ミズラフは神妙な顔つきで右手を握りしめた。
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「……この感覚、『あの日』の……」
ヤマツミ村より遠く離れたとある場所にて、至聖所の結界から出たため、鱗の瘴気を感知したものがいることを誰も知らない。
「……今、行きますわ」
そしてその何者かが、その瘴気めがけて出発したことも、まだ誰も知らない。
19/04/22 08:59更新 / 水無月花鏡
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