序章「修道院」
『其の地に産まれし闇を纏いし龍、長き旅の果て、巡り巡りて回帰せん。
産まれた地にて、再度産まれ、闇を脱ぎ、新たな誕生に精霊は歌い、天は耀く。
数多の龍、幾多の飛龍とまみえし者、其の龍と向き合う資格を得るとき試練に対面す。
人中の英雄、試練を果たして龍の故郷にて満月を迎える時、伝説は舞い降りん。
ヤマツミ村に伝わる詩歌』
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いつの時代にも暴力は存在し、それに比例して悲劇と言うものは量産されていくものだ。
力なき者は淘汰され、より強い者のみが生き残る弱肉強食の世界、それこそがこの世界の一つの真理であった。
しかし、人間に対してその暴力の牙を剥く立場であった邪悪な魔物たちは、故あって須らく人を愛する魔物娘となり、弱肉強食の理は少しずつではあるが変わりつつある。
魔物娘らが新たな魔物の姿として認知され、人々が広くなくともある程度そのことを知るようになった時代。ドラゴニア領とはある程度の近さがある一つの霊峰山頂に『聖ミズラフ修道院』と呼ばれる修道院があった。
最も近い村である霊峰中腹部の『ヤマツミ村』と交流しつつ、少数の修道士らが暮らす極めて小規模な修道院である。
雪の緩やかな日のこと、全身を黒いマントで覆い顔も黒い頭巾で隠した男が聖ミズラフ修道院への道を歩いていた。
「……久しぶりだな、ここに来るのも……」
知らず呟いた独り言は老成した聖職者特有の威厳に満ちた声であり、雪道にあっても隙がないしっかりとした歩みは歴戦の勇者を思わせる。
「お待ちしておりましたわ」
女性の声に顔を上げると、そこには修道服を身につけた女性が立っていた。
落ち着いた物腰に、見る者の心を自然と落ち着かせる穏やかな瞳、20年ほどの修道院生活を経たその相貌は清らかそのものである。
「ヤマツミ村、霊峰聖教会総主教レイン・ガスパール殿。貴方の来訪を心より歓迎いたします」
「息災のようでなにより、セシリア修道院長殿」
三つの横と一つの縦から成り立つ不思議な十字架、教団や様々な教国で掲げられている十字架とは異なる、教団圏では見慣れぬものだ。
廊下のあちこちにその不思議な十字架があるのを眺めながら、総主教は修道院長の案内のもと修道院の内部を進んでいく。
「変わりないか?」
総主教の質問に修道院長は一瞬だけ振り向くと、にこやかに微笑みながら頷いてみせた。
「もちろんです。穏やかそのものですわね」
総主教は聖ミズラフ修道院のすぐ近くにある村で普段暮らしているため、このあたりで起こることは全て耳に入っている。
あくまでこの質問は総主教が会話をするためにふったものであり、本心から修道院内部のことを聞きたいわけではなかった。
「総主教殿はいかがです? ヤマツミ村はドワーフたちと暮らす村、毎日騒がしくはありませんか?」
総主教の真意をすぐさま察知した修道院長はヤマツミ村に住んでいるドワーフたちの話しを投げかけてみる。
総主教がヤマツミ村の村人たちを深く愛し、その中には亜人種に分類されているドワーフ族も含まれていることはヤマツミ村周辺で知らぬ者はいないほどのことだ。
「ははは……。ドワーフたちは一見幼子のような姿をしてはいるが、その実先祖由来の深い英知とそれを乱用しない自制心とを持ち合わせている」
騒がしくはあるが嫌な騒がしさではない、総主教がそうまとめるのと、修道院長が廊下の果てにある広間に入るのとはほぼ同時だった。
総主教も簡素な長テーブルといくつかの木の椅子、それ以外は壁に掲げられた肖像画しかない質素な部屋へと足を踏み入れると、修道院長に倣って椅子に腰掛けた。
「……さて、総主教殿がいかなる理由でここまで来られたのか薄々見当はついています」
修道院長はいささか厳しい表情で窓の外に身を向ける。雪は先程から止んでおり、すでに窓の外では何人かの子供たちが雪で遊び始めていた。
「あの子たちのこと、ですね?」
「……そうだ」
聖ミズラフ修道院は霊峰の山頂部に位置する謂わば外界から隔離された修道院である。しかしそれ故にこの修道院に子供を預けようと訪れる者たちもいた。
「……総主教殿、いかなる子供も主神さまの宝に違いはありません」
真剣な表情の修道院長。外界と隔離された修道院に子供を、場合によっては生まれたばかりの新生児すら預けるのは、もちろんまともな親ではない。
「だからと言ってこのような行為を続ければどうなるかはわかっているだろう?」
普段の穏やかな姿からは想像しづらい総主教の厳しい言葉。聖ミズラフ修道院で暮らす子供たちは私生児等、親にとって歓迎されない子供たちが大半だ。
中には貴族や有力な聖職者が愛人に産ませたために、バレては困るような子供までいる。
総主教は聖ミズラフ修道院が親の責務を果たしたくない者達の逃げ場所になりかねないことを懸念していたのだ。
「……わかってはおります。しかしわたくしたちが彼らを見捨てては、この世界のどこで子供たちは生きていくべきでしょうか?」
修道院長の質問に対する答えを総主教は持ってはいない。どんな選択肢を明示してもどこにも完璧な答えはなく、いずれの答えにも必ず穴はあるからだ。
「……親元に返せば更なる不幸を呼ぶのは目に見えている。だがこのまま何もせずにいるわけにはいかない」
「……では?」
修道院長は総主教がどんな答えを出すのか、なんとなくは予想がついていた。
しかしそれは遥か昔に主神教団から分かたれたとは言え、教団と同じく主神を崇拝する一派である聖教会の高位聖職者たる総主教から出るとは思えないような答えだ。
「ことがここに至っては致し方ない、魔物娘に協力を要請する他ない。今週中にドラゴニアに接触を計る」
主神教団と魔物娘は現在敵対関係にある。それは総主教もわかってはいるが、わかった上で魔物娘の協力を得ようとしていた。
子供たちの親は反魔物領の出身者ばかり、親魔物領ならば反魔物領の目が届きにくいばかりか、ある程度の水準の暮らしを保証できるだろう。
何よりも魔物娘が旧来の魔物と異なり人間に対して深い愛情を抱いていることを総主教は把握していた。
それ故に魔物娘の協力を仰ぎ、問題の解決に当たることが最も現実的な解決手段だと判断し、こうして修道院長に話しを持ちかけているのだ。
「……総主教殿、わたくしもそれしかないと考えてはおりました。ですが……」
「他の主教たちに気を使う必要はない、責任は全て私がとる」
総主教の言葉に修道院長は目を見開いた。
「総主教殿、しかしそれでは……」
「構わん。老い先短い私の首一つで未来ある子供らが救われるならば安いものだ。君たち修道女たちは堕落した総主教に脅され、仕方なく協力したということにしておく」
カラカラと笑う総主教。もちろん聖教会のトップの一人が独断でそのようなことをすればどんな結果を生むか想像できない部分もある。
本来これだけのことをするならば、聖教会を動かす九人の総主教が会議を行わねばならない。
だが主教会議を開催すれば紛糾することは目に見えているし、他の総主教があっさり認可するとも考えにくかった。
仮に決まったとしても教団がこのことを知れば親魔物への寝返りととられ、総主教管轄の区域ばかりか、各地の聖教会が糾弾を受けるかもしれない。
故に総主教は強引でもなんでも魔物娘と接触をはかり、なんとか秘密裏に子供たちをどうにかしようと思っているわけだ。
「……わかりました。すべて総主教にお任せいたします」
修道院長の総主教を肯定する言葉には、微かな不安と確かな信頼の両方が見え隠れしていた。
客観的に見れば二人がやろうとしていることは『神聖なる祭儀を執り行う教団の一勢力が、敵対しているはずの魔物と通じて密かに子供を売り渡す行為』に他ならない。
どちらかと言えば親魔物の考え方に近い、見方によっては主神教団らしくない聖教会の教義に通じる二人は魔物娘が悪ではないことを理解しているのだが、同時に未だ古い時代の魔物のイメージを引きずる人間が数多くおり、魔物と敵対する者が減らないこともわかっていた。
「悪いようにはしない、細かいことはまた後日話し合うとしよう」
総主教にしても修道院長にしても、これが最善の方法であると確信しつつも不安を抱いているのは、それが原因だ。
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修道院長との会見を終え、総主教は自身の村であるヤマツミ村への道を急いでいた。
片道一時間はかかる山道を歩き、修道院長と話をしていればそれなりに時間も経つ。今頃自分の机の上には処理待ちの書類がたまっているのかもしれない。
「……(果たして教団に事が露見せず、目的を達成することが出来るか?)」
山道を歩きながらついつい考えてしまうのはそのこと。聖教会の管轄地域は伝統的に教団の監視は薄く、総主教に一任されてきた。
しかし今回主役となる子供たちはその大半が教団国の出身で占められ、その父母もまた同地域の人間。
万が一ということも十分起こり得る以上、総主教も心してかかる必要があるだろう。
「……(さて、まずは……)」
思考をまとめようと空を見上げたその刹那、一陣の風が吹くとともに頭上を巨大な影が横切った。
現在総主教がいるのは、雲が足下にあるような標高のためそれよりも高い場所を誰かが飛行するのは珍しいことだ。
「っ! なんだ、あれは……?」
一瞬しかその姿を見ることは叶わなかったが、総主教はその影を見た瞬間に底知れぬ不吉なものを感じ、知らず背中を震わせていた。
「……何だ、この予感は……」
その不吉な予感は感覚にも現れており、心臓は走った直後のように早鐘を持ち、無意識的に息も荒くなっている。
「……何もなければ、良いが……」
その感覚に突き動かされるままに総主教はさっきまで歩いていた修道院への道を引き返し始めたが、山道を進み出して数分もすれば異常事態であることにすぐ気がついた。
山道にはすさまじい魔力が満ち溢れ、まるで魔界のように禍々しい空気が空間を支配している。否、魔物娘の姿を見ていないというだけでそこは魔界そのものだった。
信じられないことではあるが、総主教が修道院を出た後のわずかな時間のうちにあの一帯は魔界に堕ちたとしか考えられない。
「……馬鹿な、一体何があったと……?」
こんな短期間で魔界に堕ちるなど聞いたことがない。あの巨影がこの元凶だと仮定しても、如何なる手段を用いたのか想像も出来ない。
「……むっ!」
修道院への山道の半ばに、身体中雪でまみれた少年が倒れていた。近づいて抱き起こしてみると、身体は極限まで冷え切っている。
「……まだ調べたいところだが……」
あまりに異常過ぎるこの現象は気になるが、それより何よりもまずは目の前のこと。この少年を放置しておくわけにはいかず、総主教は彼を抱えるために脇の下に手を挟む。
「……ん?」
瞬間何やら怪しげな金属片が少年のポケットから落ち、柔らかな雪の上に突き刺さった。
「何だ、これは?」
拾い上げて表面に付着している雪を払うと、その正体が明らかとなる。金属の表面には赤い土のような錆がびっしりと浮かび上がり、どのような過程で打たれたのか、グネグネと蛇のような形状をしていた。
フランベルシュや蛇行剣のような形状こそしているが、長さとしては三十センチ程度しかなく、刀剣であるならば短剣に部類されるだろう。
わからないことだらけではあるが、少年を救うためには一刻も早く村へとたどり着かねばならない。総主教は少年と金属片をかかえると、そのまま急ぎ足で村へと向かった。
産まれた地にて、再度産まれ、闇を脱ぎ、新たな誕生に精霊は歌い、天は耀く。
数多の龍、幾多の飛龍とまみえし者、其の龍と向き合う資格を得るとき試練に対面す。
人中の英雄、試練を果たして龍の故郷にて満月を迎える時、伝説は舞い降りん。
ヤマツミ村に伝わる詩歌』
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いつの時代にも暴力は存在し、それに比例して悲劇と言うものは量産されていくものだ。
力なき者は淘汰され、より強い者のみが生き残る弱肉強食の世界、それこそがこの世界の一つの真理であった。
しかし、人間に対してその暴力の牙を剥く立場であった邪悪な魔物たちは、故あって須らく人を愛する魔物娘となり、弱肉強食の理は少しずつではあるが変わりつつある。
魔物娘らが新たな魔物の姿として認知され、人々が広くなくともある程度そのことを知るようになった時代。ドラゴニア領とはある程度の近さがある一つの霊峰山頂に『聖ミズラフ修道院』と呼ばれる修道院があった。
最も近い村である霊峰中腹部の『ヤマツミ村』と交流しつつ、少数の修道士らが暮らす極めて小規模な修道院である。
雪の緩やかな日のこと、全身を黒いマントで覆い顔も黒い頭巾で隠した男が聖ミズラフ修道院への道を歩いていた。
「……久しぶりだな、ここに来るのも……」
知らず呟いた独り言は老成した聖職者特有の威厳に満ちた声であり、雪道にあっても隙がないしっかりとした歩みは歴戦の勇者を思わせる。
「お待ちしておりましたわ」
女性の声に顔を上げると、そこには修道服を身につけた女性が立っていた。
落ち着いた物腰に、見る者の心を自然と落ち着かせる穏やかな瞳、20年ほどの修道院生活を経たその相貌は清らかそのものである。
「ヤマツミ村、霊峰聖教会総主教レイン・ガスパール殿。貴方の来訪を心より歓迎いたします」
「息災のようでなにより、セシリア修道院長殿」
三つの横と一つの縦から成り立つ不思議な十字架、教団や様々な教国で掲げられている十字架とは異なる、教団圏では見慣れぬものだ。
廊下のあちこちにその不思議な十字架があるのを眺めながら、総主教は修道院長の案内のもと修道院の内部を進んでいく。
「変わりないか?」
総主教の質問に修道院長は一瞬だけ振り向くと、にこやかに微笑みながら頷いてみせた。
「もちろんです。穏やかそのものですわね」
総主教は聖ミズラフ修道院のすぐ近くにある村で普段暮らしているため、このあたりで起こることは全て耳に入っている。
あくまでこの質問は総主教が会話をするためにふったものであり、本心から修道院内部のことを聞きたいわけではなかった。
「総主教殿はいかがです? ヤマツミ村はドワーフたちと暮らす村、毎日騒がしくはありませんか?」
総主教の真意をすぐさま察知した修道院長はヤマツミ村に住んでいるドワーフたちの話しを投げかけてみる。
総主教がヤマツミ村の村人たちを深く愛し、その中には亜人種に分類されているドワーフ族も含まれていることはヤマツミ村周辺で知らぬ者はいないほどのことだ。
「ははは……。ドワーフたちは一見幼子のような姿をしてはいるが、その実先祖由来の深い英知とそれを乱用しない自制心とを持ち合わせている」
騒がしくはあるが嫌な騒がしさではない、総主教がそうまとめるのと、修道院長が廊下の果てにある広間に入るのとはほぼ同時だった。
総主教も簡素な長テーブルといくつかの木の椅子、それ以外は壁に掲げられた肖像画しかない質素な部屋へと足を踏み入れると、修道院長に倣って椅子に腰掛けた。
「……さて、総主教殿がいかなる理由でここまで来られたのか薄々見当はついています」
修道院長はいささか厳しい表情で窓の外に身を向ける。雪は先程から止んでおり、すでに窓の外では何人かの子供たちが雪で遊び始めていた。
「あの子たちのこと、ですね?」
「……そうだ」
聖ミズラフ修道院は霊峰の山頂部に位置する謂わば外界から隔離された修道院である。しかしそれ故にこの修道院に子供を預けようと訪れる者たちもいた。
「……総主教殿、いかなる子供も主神さまの宝に違いはありません」
真剣な表情の修道院長。外界と隔離された修道院に子供を、場合によっては生まれたばかりの新生児すら預けるのは、もちろんまともな親ではない。
「だからと言ってこのような行為を続ければどうなるかはわかっているだろう?」
普段の穏やかな姿からは想像しづらい総主教の厳しい言葉。聖ミズラフ修道院で暮らす子供たちは私生児等、親にとって歓迎されない子供たちが大半だ。
中には貴族や有力な聖職者が愛人に産ませたために、バレては困るような子供までいる。
総主教は聖ミズラフ修道院が親の責務を果たしたくない者達の逃げ場所になりかねないことを懸念していたのだ。
「……わかってはおります。しかしわたくしたちが彼らを見捨てては、この世界のどこで子供たちは生きていくべきでしょうか?」
修道院長の質問に対する答えを総主教は持ってはいない。どんな選択肢を明示してもどこにも完璧な答えはなく、いずれの答えにも必ず穴はあるからだ。
「……親元に返せば更なる不幸を呼ぶのは目に見えている。だがこのまま何もせずにいるわけにはいかない」
「……では?」
修道院長は総主教がどんな答えを出すのか、なんとなくは予想がついていた。
しかしそれは遥か昔に主神教団から分かたれたとは言え、教団と同じく主神を崇拝する一派である聖教会の高位聖職者たる総主教から出るとは思えないような答えだ。
「ことがここに至っては致し方ない、魔物娘に協力を要請する他ない。今週中にドラゴニアに接触を計る」
主神教団と魔物娘は現在敵対関係にある。それは総主教もわかってはいるが、わかった上で魔物娘の協力を得ようとしていた。
子供たちの親は反魔物領の出身者ばかり、親魔物領ならば反魔物領の目が届きにくいばかりか、ある程度の水準の暮らしを保証できるだろう。
何よりも魔物娘が旧来の魔物と異なり人間に対して深い愛情を抱いていることを総主教は把握していた。
それ故に魔物娘の協力を仰ぎ、問題の解決に当たることが最も現実的な解決手段だと判断し、こうして修道院長に話しを持ちかけているのだ。
「……総主教殿、わたくしもそれしかないと考えてはおりました。ですが……」
「他の主教たちに気を使う必要はない、責任は全て私がとる」
総主教の言葉に修道院長は目を見開いた。
「総主教殿、しかしそれでは……」
「構わん。老い先短い私の首一つで未来ある子供らが救われるならば安いものだ。君たち修道女たちは堕落した総主教に脅され、仕方なく協力したということにしておく」
カラカラと笑う総主教。もちろん聖教会のトップの一人が独断でそのようなことをすればどんな結果を生むか想像できない部分もある。
本来これだけのことをするならば、聖教会を動かす九人の総主教が会議を行わねばならない。
だが主教会議を開催すれば紛糾することは目に見えているし、他の総主教があっさり認可するとも考えにくかった。
仮に決まったとしても教団がこのことを知れば親魔物への寝返りととられ、総主教管轄の区域ばかりか、各地の聖教会が糾弾を受けるかもしれない。
故に総主教は強引でもなんでも魔物娘と接触をはかり、なんとか秘密裏に子供たちをどうにかしようと思っているわけだ。
「……わかりました。すべて総主教にお任せいたします」
修道院長の総主教を肯定する言葉には、微かな不安と確かな信頼の両方が見え隠れしていた。
客観的に見れば二人がやろうとしていることは『神聖なる祭儀を執り行う教団の一勢力が、敵対しているはずの魔物と通じて密かに子供を売り渡す行為』に他ならない。
どちらかと言えば親魔物の考え方に近い、見方によっては主神教団らしくない聖教会の教義に通じる二人は魔物娘が悪ではないことを理解しているのだが、同時に未だ古い時代の魔物のイメージを引きずる人間が数多くおり、魔物と敵対する者が減らないこともわかっていた。
「悪いようにはしない、細かいことはまた後日話し合うとしよう」
総主教にしても修道院長にしても、これが最善の方法であると確信しつつも不安を抱いているのは、それが原因だ。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
修道院長との会見を終え、総主教は自身の村であるヤマツミ村への道を急いでいた。
片道一時間はかかる山道を歩き、修道院長と話をしていればそれなりに時間も経つ。今頃自分の机の上には処理待ちの書類がたまっているのかもしれない。
「……(果たして教団に事が露見せず、目的を達成することが出来るか?)」
山道を歩きながらついつい考えてしまうのはそのこと。聖教会の管轄地域は伝統的に教団の監視は薄く、総主教に一任されてきた。
しかし今回主役となる子供たちはその大半が教団国の出身で占められ、その父母もまた同地域の人間。
万が一ということも十分起こり得る以上、総主教も心してかかる必要があるだろう。
「……(さて、まずは……)」
思考をまとめようと空を見上げたその刹那、一陣の風が吹くとともに頭上を巨大な影が横切った。
現在総主教がいるのは、雲が足下にあるような標高のためそれよりも高い場所を誰かが飛行するのは珍しいことだ。
「っ! なんだ、あれは……?」
一瞬しかその姿を見ることは叶わなかったが、総主教はその影を見た瞬間に底知れぬ不吉なものを感じ、知らず背中を震わせていた。
「……何だ、この予感は……」
その不吉な予感は感覚にも現れており、心臓は走った直後のように早鐘を持ち、無意識的に息も荒くなっている。
「……何もなければ、良いが……」
その感覚に突き動かされるままに総主教はさっきまで歩いていた修道院への道を引き返し始めたが、山道を進み出して数分もすれば異常事態であることにすぐ気がついた。
山道にはすさまじい魔力が満ち溢れ、まるで魔界のように禍々しい空気が空間を支配している。否、魔物娘の姿を見ていないというだけでそこは魔界そのものだった。
信じられないことではあるが、総主教が修道院を出た後のわずかな時間のうちにあの一帯は魔界に堕ちたとしか考えられない。
「……馬鹿な、一体何があったと……?」
こんな短期間で魔界に堕ちるなど聞いたことがない。あの巨影がこの元凶だと仮定しても、如何なる手段を用いたのか想像も出来ない。
「……むっ!」
修道院への山道の半ばに、身体中雪でまみれた少年が倒れていた。近づいて抱き起こしてみると、身体は極限まで冷え切っている。
「……まだ調べたいところだが……」
あまりに異常過ぎるこの現象は気になるが、それより何よりもまずは目の前のこと。この少年を放置しておくわけにはいかず、総主教は彼を抱えるために脇の下に手を挟む。
「……ん?」
瞬間何やら怪しげな金属片が少年のポケットから落ち、柔らかな雪の上に突き刺さった。
「何だ、これは?」
拾い上げて表面に付着している雪を払うと、その正体が明らかとなる。金属の表面には赤い土のような錆がびっしりと浮かび上がり、どのような過程で打たれたのか、グネグネと蛇のような形状をしていた。
フランベルシュや蛇行剣のような形状こそしているが、長さとしては三十センチ程度しかなく、刀剣であるならば短剣に部類されるだろう。
わからないことだらけではあるが、少年を救うためには一刻も早く村へとたどり着かねばならない。総主教は少年と金属片をかかえると、そのまま急ぎ足で村へと向かった。
19/04/21 11:06更新 / 水無月花鏡
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