連載小説
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第一話「山祇村」

 聖ミズラフ修道院の裏手にある山道から下ること数百メートル、そこには修道院が建設される遥か以前から山の民の暮らす村があった。

 総主教のいる聖教会を中心としたヤマツミ村と呼ばれるこの村は人口の少ない小さな村だが、人間とドワーフの二つの種族が共存していることが最も大きな特徴であろう。

 
「……何とかなりそうではあるか?」

 総主教は教会の居住区にて一つしかないベッドに少年を寝かせると、その身体に傷が付いていないことを確認し、部屋の暖炉に薪をくべて火をつけ、部屋の温度を上げる。

 微かに頷くと温度が上がりつつある部屋の中で少年の脈拍をはかり、呼吸が正常であるかも確認した。

「先程より顔色はマシか? 目が覚めない以上油断は出来ないが……」

 よほど恐ろしい目に遭ったのかそれともなんらかの特殊な攻撃を受けたのか、理由は一切わからないが傷もなく、総主教の見た限り病に患っていないにもかかわらず目を覚まさないのは厄介だ。

「……(とにかく出来る限りのことはした。あとは主神様次第だな)」

 ベッド脇にある木の椅子に腰掛けると、総主教はじっと少年の様子を眺める。

「……(かわいそうに、聖ミズラフ修道院の子供か?)」

 だとすればあんな異常事態に巻き込まれて命からがら修道院を逃げ出し、なんとか外まで来てそこで力尽きてしまったのだろうか?

『……総主教殿っ!』

 少しばかり物思いに耽っていた総主教だが、居住区の扉を叩きながら叫ぶ声に現実に引き戻され、ゆっくりと椅子から立ち上がり扉を開ける。

「エスルアーか……」

 そこにいたのは小柄な体躯にりんごのように紅潮した肌と短く切りそろえた黒髪の可憐な少女。
 見た目は一桁の年齢にしか見えないが、その実総主教と大差ない時間を生きているヤマツミ村のドワーフ、エスルアー・バルタザールだ。

「あなたっ! 外から帰ったらまず真っ先にわたしとわたしの娘に会いなさいって言ってるじゃないのっ!」

 どうやらこのドワーフの少女は総主教が何も言わずに教会に引っ込んでしまったのが気に入らないらしい。
 それを見て総主教は、小さな身体を怒らせて興奮の極みにあるエスルアーの頭に手を載せ、目を伏せる。

「すまなかったな、君は私が外に出るのを心配してくれていたのだったな……」

「な、なに? ずいぶんと素直じゃないの……」

 バツが悪そうにエスルアーはしばらくモジモジとしていたが、総主教の後ろのベッドに誰かが寝ていることに気づき、表情を変えた。

「だれかいるの?」

「……遭難者でな、すまないが手を貸してくれないか?」

 エスルアーは部屋の中に入るとベッドの中で眠る少年を覗き込み、一通り調べてから少しばかり安堵した表情を浮かべる。

「顔色もよさそうだし、怪我もなさそうだね」

「……医療魔法の必要はなさそうだが、まだ夢の中、だ」

 ふと総主教は視線を下に移して、少年が何かを握っていることに気づいた。

「なんだ?」

 少年の硬く握られた右拳を総主教がゆっくりと開くと、中から闇のように黒く、同時に光沢がある不思議な物質がその姿を現わす。

「エスルアー、このような物質を見たことはあるか?」

「……なんだろ? ドラゴンの鱗にも見えるけど……」

 子供の掌より小さな丸い形の物質。冶金術や彫金術の専門家であるエスルアーは、見慣れぬ物質に興味津々だ。

「……たしかに竜族か、あるいは巨大なラミア族の鱗に見えるかもしれないが……」

 そうなんとか呟く総主教だが、彼はこの『鱗』が得体の知れない魔力を纏い、今なお微かに放出していることに気づいていた。

「……これは厳重な結界をもうけて至聖所に封印する」

 物質そのものに魔物の魔力が宿り、それが人体や環境になんらかの影響を与えるということは往々にしてよくあるが、それにしてもこの『鱗』に宿る力は不吉過ぎる。

「えええっ!? もう少し詳しく調べたかったな……」

 残念そうに肩を落とすエスルアーではあるが、総主教が直々に封印を決めることの重大さはよく知っていたためそれ以上は何も言わなかった。

「……う、ううん……」

「……!」

 ベッドの少年がゆっくりと瞳を開いたのを見て、総主教は慌ててその手に持っていた『鱗』をポケットにしまい込む。

「気がついたみたいだね」

 エスルアーは嬉しそうに少年の右手を握ると簡単に脈拍を測り、その身体が健康であることを確かめた。

「うん、体温も脈拍も問題なし。健康そのものみたいだね」

「……ここはどこ? ぼくは、どうなったの?」

 不安そうな少年を安心させようと、総主教はにこやかな笑みを浮かべ、その優しげな瞳を向ける。

「ここはヤマツミ村、聖ミズラフ修道院近くの山道に倒れていた君はこの村に運び込まれた。もう大丈夫、ここには君に危害を加える者はいない」

「ヤマツ……ミズラフ……?」

 総主教の言葉に少年はキョトンとした表情を見せながらボソボソと言葉を繋いだが、どうにも説明の内容を理解出来ていないというよりかは、『ヤマツミ村』『聖ミズラフ修道院』といった単語がわかっていないかのような……。

 これらの現象から総主教は一つの仮説にまで辿り着くことができたものの、その説を口に出すことはせず、ただ流れに身を置いて様子を伺う。

「……えっと、ぼくは、だれ?」

 唐突に少年が呟いた言葉が総主教の仮説が正しかったことを証明した。どんな目にあったかは定かではないが、彼は記憶をなくしている。

「……何も、思い出せないのか?」

 少年は総主教の問いかけに対して、フルフルと首を振るい、否定の意思を示した。
 見知らぬ二人の人間に見つめられて不安なのか、少年はビクビクしているように見える。

「……総主教殿」

 近くで様子を見守っていたエスルアーは、何か思うところがあるのか総主教に耳打ちを始めた。

「何があったかは知らないけど、この子は記憶をなくして行くあてもなくなってる。聖教会で面倒は見れない?」

「……確かにこの子を見捨てるのは主神様の教義にもとる」

 なんとか少年を安心させようと、総主教はにこやかな笑みを浮かべる。

「どうかな? もし良ければ、君の記憶が戻るまでおじさんのところで暮らさないかな?」

 おずおずと少年は総主教は眺め、その近くで微笑むエスルアーを見つめ、最後にもう一度総主教に視線を移すと、ゆっくり頷いた。

「そうか、なら呼び名を考えないといけないな」

 ヤマツミ村の聖教会にはかつてドラゲイ帝国で活動した英雄の不朽体がある他、その人物に捧げられた修道院である聖ミズラフ修道院もある。
 九死に一生を拾ったのが神の奇跡によるものならば、彼の仮の名前としてはその人物の名前が相応しいのではなかろうか?

「『ミズラフ・ガロイス』、かつてドラゲイ帝国のユリウス王に仕えたとされる英雄の名前だ」

「ミズラフ・ガロイス……?」

 何度か少年はその名前を呟いていたが、その度に小さく小首を傾げていた。聖ミズラフ修道院にいたのならば、名前くらいは聞いたことがあるのだろう。

「それではミズラフ、まずはゆっくり休み体力を回復させることからだ」









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「あの子は寝たわ」

 聖教会の書斎、暖炉の炎といくつかのランタンの光のみが照らす薄暗い部屋。
 三方の壁に設置された巨大な本棚に圧迫されるように部屋の中央に設えた机には、この部屋の主人たる総主教が向かい、その正面にある木の椅子にはエスルアーが座っていた。
 もっともその木の椅子は人間サイズのもののため、エスルアーの足は床に届かずぶらぶらとしているが。

「……そうか、すまないな面倒を押し付けて……」

 総主教は書いていた手紙の最後に『Rain Gasper』と署名すると封筒にしまい込み、机の上に積まれた本と本の間に挟んだ。

「別にこれくらい構わないわ、それよりも聖ミズラフ修道院のこと、まだ聞いていないわ」

「……なんらかの理由で一夜どころか数時間で魔界に堕ちた。なんの前触れもなく、だ」

 信じられないといった顔つきでエスルアーは目を見開き、微かに首を横に振っていた。

「あの子は、ミズラフは修道院から逃げて来た、と?」

 エスルアーの質問に対して総主教は首肯でもって肯定したが、仮にそうだとしても記憶を失っている以上ミズラフは何も覚えていないだろう。

「……記憶を失うほどに衝撃的なことが起きたと考えるべきだな」

 そう言えば修道院近くで拾ったあの金属片のことを忘れていた。自分ではよくわからなかったが、冶金術の専門家たるドワーフのエスルアーならば何かわかるのではないか?

「エスルアー、実は修道院近くでこのようなものを拾ってな」

「……ひどく錆び付いてるね」

 顔をしかめつつ、エスルアーは総主教がポケットから取り出した金属片を受け取ると、専門家らしく簡単に形状と作りを調べる。
 興味深そうに表面のサビを撫でていたかと思えば、金属片の角度を変えながら光に照らして状態を眺め、かと思えばコツコツと指で峰を叩いたりしている。
 しばらくそんな調子で金属片の様子を調べていたが、やがてなんらかの答えを得たのかエスルアーは軽く頷いた。

「……うーん、かなり年代物だね。魔界銀じゃなくてドラゴニウムで鍛えてるけど、多分これはドラゲイ時代のものかな」

「わかるのか?」

「バルタザールを舐めちゃダメだよ? 随分風化してるけど、茎の部分にドラゲイ帝国の紋章が刻んであるよ」

 ドラゲイ時代のドラゴニウムは今よりも遥かに希少だったのではないか?
 魔界銀が竜族の強い魔力を受けて性質変化を起こすことによりドラゴニウムは生まれるらしいが、それだけ強い魔力となれば必然的に危険地帯たる魔界でしか発見できないはずだ。
 エスルアーの言葉が真実ならば、そんな希少なドラゴニウムの武具を使うような英雄がドラゲイ時代にこの辺りにいたということになるが……。

「……(存外とんでもないものを拾ったのかもしれないな……)」

 知らず総主教は英雄ミズラフ・ガロイスの不朽体が納められている至聖所のほうに視線を向けていた。

「……まあいい、エスルアー、面倒ついでにその金属片を受け取ってくれないか?」

「私に? それは良いけど何か複雑な条件がついたりする?」

「そうかもしれない。この金属片を復元して、どんなものかを知りたい、やってくれないか?」

 どんな条件がつくのかわからずに些か不安そうだったエスルアーではあるが、総主教の言葉を受けて微かに笑みを浮かべる。

「それならお安いご用ね。その後はどうしてもいい?」

「ああ構わないとも、私はあれがどんなものか知りたいだけだ。後のことは好きにすると良い」

 異様な鱗に錆びつき風化した金属の塊。聖ミズラフ修道院で何が起きたのかはわからないが、とにかく尋常ではないことが起こりつつあるのは、確かであった。
19/04/21 10:04更新 / 水無月花鏡
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■作者メッセージ
登場人物
エスルアー・バルタザール
肩書き:ヤマツミ村鍛冶屋
種族:ドワーフ
年齢:不明
出身地:霊峰ヤマツミ村

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