中篇U
ひとしきり泣いた後、涙がやっと止まった
気がつくと雨はやんでいた、だが、雨にぬれたため、服についた雫をお嬢さんが翼で払う
風を引きますといってお嬢さんは何かに気がついたように笑った
僕も気がついた
初めて、僕がお嬢さんに言った最初の言葉と場所も全く同じだ、ただしあの時と逆だったが
お嬢さんは僕を家の中に入れる
家の中に入って、とりあえず、泥だらけで雨にぬれた服を着替えることにした
お嬢さんはもう僕以上にこの家のことを知っている、お嬢さんが箪笥から服と手ぬぐいを用意してくれた
手伝おうとしたお嬢さんにこれぐらい大丈夫、といって断る
髪を拭い、服を脱いで体も拭う
体の痛みがあったが、まだそれぐらい一人で着替える出来る
お嬢さんも別室で、着替えている
なんとか着替え終わると、それを待っていたようにお嬢さんも入ってくる
母様の着物を着ていた。白地に桔梗の花が描かれている着者だ。
いつも縛っている髪をおろしている、お嬢さんの髪はおろすと長く、腰の位置まである。とても美しく、お嬢さんの翼と同じ漆黒の黒髪はきれいだ。いま、母様の白い基調の着物のため、余計に黒髪の美しさが目立っているのか見しれない
お嬢さんが来るようになって、母様の着物を整理したが、母様は白の着物を本当に好いていた、父も母様になにかと着物を送っていたので、数は今出せるだけでも数十着あるが殆ど白い着物、それをお嬢さんが着ていた。
まぁ、何が言いたいかと言うと、やっぱりお嬢さんには白い着物が似合ってる、正直言ってかわいいというか美しいというか、うん、美人だと再認識させられる
僕の手を取ると、お嬢さんは僕の部屋まで連れて行ってくれた。
今の僕はまともに歩くことすらできない
そのまま布団に横になると、ちょっと待っていてくださいとお嬢さんはいい、そのまま出ていく
出ていくとき、お嬢さんは濡れた服を持っていってくれた。
しばらくの静かな時が流れる
煙草を吸いたいが、いま煙草は無いし、吸うわけにもいかない
だから、考えることができた、もう逃げることはできない
あの事を言うべきがどうか、いや、言わなくてはいけない
自分の気持ちに整理がついた、もうこの気持ちは変わらない、たとえどんな壁や障害もしったことではない、と
だが、この気持ちを伝えるなら、その前に全てを話さなければいけない、それが僕の義務であり、責任だ
そのうえで、お嬢さんが決めることだと、思う
正直言って、これをお嬢さんに知られることが何よりも怖い
それを考えただけで手が震える、心を落ち着かせそうとしたが、簡単にはできなかった。
そのとき、足音が聞こえ、近づき、お嬢さんが入ってくる
手には手ぬぐいをもって、起きるように指示される。
上半身を起こすと、お嬢さんは僕の顔に着いた泥を拭ってくれた
なんでも少しついていたらしい
できた、と僕の顔を確認するように顔を近づける
お嬢さん、ありがとう、だけど、一つだけ言わせてください
顔が近い
言おうかどうか迷ったが、お嬢さんをこんなまじかで見るのは初めてだ
言うべきかどうか迷う
それにお嬢さんも気がついたらしい、あわてて顔を離した。
お嬢さんはばつが悪そうに、笑う。
そして、何か温かいものをつくってきます、といって立ち上がろうとしたから、僕はお嬢さんの手(翼)を握って、引き留めた。
とっさだった、だが、お嬢さんの顔を見たら引き留めていた。
もう、今しか言えない、いや、決心がついた
そして、お嬢さんと正面から向き合い、しっかりと眼を見る
「…一つ、お話を、お嬢さんに僕の、僕の話していないことがあるんです。それを聞いてくださいますか?」
お嬢さんは僕の顔を見て、少しまよったような表情をしたが、真剣に頷いた。
それを見て、話を始める、僕の口から、一度も話していない、知られることを恐れている話を
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「僕は、3年前まで、帝都で呪術の研究をしてたんです」
ここはお嬢さんも知っているはずだ、前に話した。
「研究、といっても、西洋呪術のまねごとの実験を毎日繰り返すだけで、退屈でした。最高峰といわれた研究所でしたが、すでに結果の分かっている術を行うのですから」
そして、次からは誰にも話していないことで、真実をしっている者も限られている
「そんなとき、ある先生にお会いしたんです」
思い出す、西洋国が我が国に接触してくる前から呪術の研究をしていた変わり者、西洋国が接触してこなければ呪術が再評価されることもなく、誰からも理解されずに死んでいっただろう老人
しかし、そこでも先生は孤独な方で、異端の烙印を押された学者、先生が理解されることも、評価されることもなかった
しかし、先生の考え方に、僕は惹かれた。
「先生は、先生の唱えたのが、西洋呪術と東洋呪術の融合した、まったく新しいものでした。しかし、それはあまりにも異端的、先進的だったのですね、理解されることは少なかったです。だけど、僕は先生の考え方に惹かれ、先生の元で学びました」
だが、そこで満足しておけばよかったのかもしれない。
ここから、お嬢さんに話していないことだ
「ですけど、僕は不満だったんです。西洋呪術を盲目的に研究者たちは崇拝し、その何たるか、その本質も知ろうとはせず、ただ褒めたたえる。そして、わが国の呪術を劣った下等なものとし、学んだことがないのに蔑む。そういう風潮がありました」
その先の言葉を何と伝えるべきか、何と言うべきか悩む
あまりにも、考えていた言葉は、説明に用いようとした言葉は、自分を美化しすぎる、自分が嫌われないように逃げている、逃げるな、ありのままを伝えろ
「…僕は、僕はそんな風潮を覆したかった、そんな学んだこともない学問を批判する学者たちを見返してやりたかった、だから、誰もできなかった、誰も成功したことのない禁断の術を行ったんです」
禁断の術を成功させれば、きっと認めてくれる、そんな甘い考えだった
「禁断の『反魂の術』を」
お嬢さんが唾を飲み込む
西洋呪術でも東洋呪術でも、その方法は古代から模索され、そして、誰も成功したことのない術、それを研究する者には例外なく不幸が待っている、禁断の呪術
魂の、死者の復活
西洋の妖怪、ゴーストやゾンビなどはある意味死者だが、彼らは未練に縛り付けられていたり、本来の魂の劣化が激しかったりする、とても生前とは別人だ、それとは違う、完全な死者の復活
この世の根源の法すらも覆しうる、最大の秘術にして、この世界への最大の冒涜
それが『反魂の術』だ
「…誰を蘇らせようとしたのですか?」
意を決したように、お嬢さんが聞く
「母を、母を蘇らせようとしました」
後ろめたい気持ちでいっぱいになる
「母は、体の強い人じゃなく、この家も療養のために父が病気がちだった母に作った物です。まぁ、半分は父の趣味ですが、ですが、弟の二之助を産んで、それ以来、体調を崩し、僕が6歳のとき、流行り病で亡くなりました」
あの日のことを覚えている、忘れられるはずがない
暑い夏の日だった
屋敷から、母のところへ二之助と父と一緒にこの家に来ていた。
御舟さんが看病してくださっていて、僕と二之助は母様と遊んでいたが、母様が蝉を見たいと言ったので、二之助を連れて、少し、少しだけ、家を離れるつもりで蝉を取りに行ってしまった。
最後に、母様が麦わら帽をかぶせてくれて、手を振って見送ってくれたのを覚えている。僕と、二之助ともっとしゃべりたかったのだろう、なんで気がつかなかったのか、今でも後悔している。
蝉を一匹捕まえるつもりだったが、夢中になってしまって、御舟さんがつくってくれた虫籠いっぱいになるまで、蝉を取っていた。
気がつくと、すでに夕刻、急いで家に帰ると、
母様は布団で横になって、父が葬式の準備のためせわしなく動いているのが印象的だった。
あの後、容体が急変し、亡くなったらしい。
「僕は、母を、母様を、もう一度会いたい、なんて都合のいいように考えて、野心のために母の死を利用したんですよ」
自分を蔑むわけでも、陥れているわけでもない、そう思っているから言っただけだ。
「だけど、御覧の通り、失敗しました。いや、中途半端に成功したんです」
思い出す、突然西洋呪術に記載されていた、冥界の扉のイメージと同じものが、目の前に現れた時を
「…僕は、冥界の扉に魂を飲み込まれました、そしてその中で触れてはいけない物に触れてしまったんです」
広大な死の原野、千年とも万年とも、それとも一瞬とも、全てが含まれた時の空間、その中で僕は彷徨い、自我すらなくなると感覚を味わった。
「本来なら未来永劫、死の世界に残されるはずでしたが、方式が東洋呪術様式だったから肉体が現世に残っていたので、救われました。それに気がついた先生が、肉体に魂を呼びもどしてくださったんです。ですが、呪いをもらいました。今まで誰も受けたことのない呪いを受けたんです、身から出た錆びですがね」
お嬢さんの顔を見ると、真っ青になっていた。それもそうか
「その呪いって…」
手が震えた、自分の口から、説明するのも恐ろしかったからだ
「生きたいと思えば思うほど、希望を抱けば抱くほど、寿命がどんどん縮まっていく呪いです。肉体がどんどん弱まっていき、かといって自殺で死ねない呪い。体をどんどん蝕んでいく、呪いです。治療も殆ど試しましたけど、効果はありませんでした」
現代療法、薬学療法、魔療医学なんでもためした、何人もの呪術者のもとで解呪の方を試してもらった、何人もの名医といわれる医師にも見せた、だが、全員がさじを投げた。魔物化という方法も考えた、しかし、本質は人間、魔物に僕はなれないらしい、死ぬまで人間のままだ。無論、自分でも研究した、だが、研究すればするほど、絶望するしかなかった。
此処に帰ってきたのも、療養治療のひとつであった。いや、最期は母の過ごしたここで死にたかったのかもしれない、呪術者失格だが、それだけはわからない、なんとなく、ここにいた
―――希望を抱いたならば、絶望すべし
―――幸せを願うならば、不幸を尊ぶべし
それが、この呪いの文言だ
希望を抱いていけない、それは未来を夢見てはいけないことを意味している
生きたいのならば、幸せを捨て、不幸であれば、生きたいという望みがかなう
だから、死にたかった、何度も自殺も謀った、だが、死ねなかった、死で神は許してくれなかった
死を願えば生き、生を望めば死が待っている
「長生きしたければ、希望を抱かず、漠然と生きるしかない、そんな呪いです」
一息つき、顔を伏せた。
「僕は最低な、術者としても、人間としても、最低な行いをした、母の死を冒涜し、そのくせその責任から、その代価から逃げようとした男です、幸せになる権利なんてないんです」
言い終えた。
僕の話はこれで終わりだ
顔を上げられない
お嬢さんの顔を見れない、どんな顔をしているだろうか、それを知ることが恐ろしい
僕を嫌ったなら、そのまま何も言わないで行ってください、そう言おうとした時だった
「私の話も聞いてくださいますか?」
顔を上げると、お嬢さんは僕の顔をしっかりと見ていた
その眼には、僕に対する非難も、憐憫も、同情もない
ただ、その眼を知っている、何かを知られることを恐れる眼だ
その証拠に、お嬢さんの翼が震えていた。
頷く
「私は、人を殺しました」
凛とした声、迷いを断ち切るようにも聞こえた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「私は今年で22になります。ですが、父と母、それと仲間は私が5つの時に人間に殺されました」
顔を伏せず、しっかりといった、しかし、声が震えていた
「5つの時まで、隠れ里で生きていました。ここよりも、ずっと南の方にあった里です。当時は仲間のカラステングも大勢住んでいました。今思うと、大きな山にある里で、そこで、麓の里の人々から神とあがめられている、芳紀さま―大天狗さまが治めている平和な里で生まれました」
そこでお嬢さんの年齢から逆算して、17年前に何があったのか、思い出した。
「ですが、ある夜、山の麓にある村の人たちが、隠れ里を襲いました。今思うと、誰か手引きした者がいたのかもしれません。今となっては知るすべはありませんが」
廃信集信令
17年前、政府が進めていた政策の一つの実現のために出された法令の一つ
西洋文化に追い付くために研究をありとあらゆる方面から進められていた
その一つ、宗教面から出された説、それは西洋の宗教がほぼ一つの神を信仰していたのが、西洋を一つにまとめ上げた、という説だった
つまり、当時我が国は様々な万物を信仰していたが、その信仰が統一を妨げており、信仰を統一することで国家統一を図ったものだった、そのため、出されたのが廃信集信令
これは我が国で信仰している最古の神を信仰せよ、という意味で、その他の神を捨てよ、というわけではなかったが、誤解が多く伝わったと聞いた、つまり、認められていない神を祭っている社などの破壊が行われたのだ。
30年前、新政府と旧武政府の戦い―弦間大戦の影響で各国の豪族が立ち上がり、戦国の世が到来しかけていた、だが、新政府が武力によって再統一、西洋様式を進める政策を実行し、それに従わなければ実力行使にでていた、つまり、村が法令に従わなければ、どんな罰を受けるかわからない
カラステングを信仰している地域もある
つまり、お嬢さんは、お嬢さんの里は、
「あの夜は、未だに覚えています。外が騒がしく、父が様子を見に行って、表から、母に逃げるように叫び、その声を聞いて、母が外に飛び出して行って、母の叫びが聞こえ、思わず外にでると、父と母、それと大勢の里の人たちが殺されていました」
お嬢さんは瞼を閉じ、その眼から一粒の涙がこぼれる
「そして、里を襲った一人が、私を見つけると、私めがけて、なにかを構えて走ってくるのが眼に入ったんです」
「その後のことは覚えていません、気がつくと、私の足元に走ってきた人が転がっていました。たぶん神通力を使ったのでしょう、本来なら、神通力は殺生のために使ってはいけないのに、私はその、禁句を破ったのです。それから神通力が使えなくなりました。
そのあと、他の人が気がついて逃げました。どうやって逃げたのか、覚えていないんです。気がつくとどこか知らない山の中にいました。そこで、ある人に助けられました」
お嬢さんはつらそうにいった
その顔がなによりも悲しかった。僕はお嬢さんの翼を握る、何もお嬢さんは悪くないです、ということしかできなかった。
「北陸戦争で息子さんを亡くされたおばあさんで、一人で山の中に住んでいらっしゃったんです。生きるのに色々なことを教えていただきました。役割が決まっていて料理とはかおばあさんがしていたので、私はできませんでしたけど、いい人でした」
優しくしてもらいました、実の子供のようにかわいがってくださいました、そう言った。
「でも、今年の春のある朝起きると、おばあさんは亡くなっていて、私はまた一人になっちゃいまして、でも、おばあさんを埋葬して気がついたんです。一人はさみしいって
でも、あの時、おばあさん以外の人間が、怖くて、人間の里で生きるのはできませんでした。知り合いの妖怪もいません。その時、前に隠れ里にいた時、ここよりも北の所にもう人々から忘れ去られた神様に守られたカラステングの里があるって大天狗さまに聞いたことを思い出したんです。
それで、その里を目指して旅をしてたんですけど、つらい旅でしたね、見つかると子供は石を投げてくるし、妖怪だからって襲われかけたり、でも、これが私の罰だと思ったんです。人を殺した罰だって」
知らず、知らずの内に、お嬢さんの翼を握る手に力がこもる、痛い痛い、というお嬢さんの声で我に返って、手を離したが、やっぱり、握ってください、と頼まれたので、握る。
「だから最初お会いした時、怖かったんです、でも、その、眼が、父に似ていたので、甘えちゃいました」
そこで、お嬢さんが僕に言う
「私は人間を殺しました、前に一之助さんが自分に幸せになる権利なんてない、と仰ってましたが、それは私です。私はこんな女です。それに妖怪です。でも坊ちゃんを、一之助さんを愛して…」
いけない、と思った、ここまでお嬢さんに甘えることはできない、と
「お嬢さん!!」
僕はありったけの声で叫び、遮る
「これは僕に言わせて下さい」
深呼吸を一回
「お嬢さん、僕はあなたが好きです。愛してます」
「でも、私は、人殺しで…」
「そんなこと構いません!!お嬢さんは幸せになってもいいんです!!だって、もうその罰は受けました、僕は碌でなしです!!冒涜者です、ですが、必ず僕が幸せにします」
だから、
「僕の、いや私の名前は糀谷、糀谷一之助と申します。お嬢さん、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
あの時とは違う、今はその言葉が何を意味しているのか、しっている
それを知っているからこその覚悟、結婚を申し込んだ
お嬢さんはしっかりと僕の顔を見た
その眼に、涙がたまっていく
「私の名前は、チドリ、千鳥と申します」
そして、お嬢さん、いや、千鳥さんは泣きながら笑った。
「どうか、幸せにしてください」
僕も笑う
「はい、必ず」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「の、喉渇いちゃいましたね、なにか飲み物をもってきます」
お互いに顔を合わせるのが、今は少し恥ずかしく感じ、立ち上がろうとしたが、緊張していたのだろう、足に力が入らず、そのまま僕の方に倒れてきた。
とっさに僕が受け止めた時、互いの眼があった。顔が近い、さっきよりもずっと
そのまま、僕は千鳥さんの唇に自分の唇を重ねる
千鳥さんは少し、体をこわばらせていたが、おずおずと僕の背中に翼をまわして、お互いに抱き合う形となる。
温かい、どこが温かいのか分からないが、心臓がさきほどよりも鼓動が速い
唇を離すと、千鳥さんが布団に横になり、僕を抱きしめていたから、僕も横になった
少し腕を緩めると、千鳥さんの顔を見た、美しい、そう思った。
千鳥さんは泣いていた、なんで泣いているんです?そう聞く
「うれしいからです、一之助さんに、幸せにしてもらえるなんて、夢であったなら覚めないでほしい」
「夢じゃないですよ」
笑顔で笑った、気がつくと、僕も涙が一粒こぼれていた。
おずおずと千鳥さんが言う
「愛してください、できれば優しく、おねがいします」
「はい、努力します」
あとは、言葉はいらない
そして、僕と千鳥さんは夫婦の契りを交わした
気がつくと雨はやんでいた、だが、雨にぬれたため、服についた雫をお嬢さんが翼で払う
風を引きますといってお嬢さんは何かに気がついたように笑った
僕も気がついた
初めて、僕がお嬢さんに言った最初の言葉と場所も全く同じだ、ただしあの時と逆だったが
お嬢さんは僕を家の中に入れる
家の中に入って、とりあえず、泥だらけで雨にぬれた服を着替えることにした
お嬢さんはもう僕以上にこの家のことを知っている、お嬢さんが箪笥から服と手ぬぐいを用意してくれた
手伝おうとしたお嬢さんにこれぐらい大丈夫、といって断る
髪を拭い、服を脱いで体も拭う
体の痛みがあったが、まだそれぐらい一人で着替える出来る
お嬢さんも別室で、着替えている
なんとか着替え終わると、それを待っていたようにお嬢さんも入ってくる
母様の着物を着ていた。白地に桔梗の花が描かれている着者だ。
いつも縛っている髪をおろしている、お嬢さんの髪はおろすと長く、腰の位置まである。とても美しく、お嬢さんの翼と同じ漆黒の黒髪はきれいだ。いま、母様の白い基調の着物のため、余計に黒髪の美しさが目立っているのか見しれない
お嬢さんが来るようになって、母様の着物を整理したが、母様は白の着物を本当に好いていた、父も母様になにかと着物を送っていたので、数は今出せるだけでも数十着あるが殆ど白い着物、それをお嬢さんが着ていた。
まぁ、何が言いたいかと言うと、やっぱりお嬢さんには白い着物が似合ってる、正直言ってかわいいというか美しいというか、うん、美人だと再認識させられる
僕の手を取ると、お嬢さんは僕の部屋まで連れて行ってくれた。
今の僕はまともに歩くことすらできない
そのまま布団に横になると、ちょっと待っていてくださいとお嬢さんはいい、そのまま出ていく
出ていくとき、お嬢さんは濡れた服を持っていってくれた。
しばらくの静かな時が流れる
煙草を吸いたいが、いま煙草は無いし、吸うわけにもいかない
だから、考えることができた、もう逃げることはできない
あの事を言うべきがどうか、いや、言わなくてはいけない
自分の気持ちに整理がついた、もうこの気持ちは変わらない、たとえどんな壁や障害もしったことではない、と
だが、この気持ちを伝えるなら、その前に全てを話さなければいけない、それが僕の義務であり、責任だ
そのうえで、お嬢さんが決めることだと、思う
正直言って、これをお嬢さんに知られることが何よりも怖い
それを考えただけで手が震える、心を落ち着かせそうとしたが、簡単にはできなかった。
そのとき、足音が聞こえ、近づき、お嬢さんが入ってくる
手には手ぬぐいをもって、起きるように指示される。
上半身を起こすと、お嬢さんは僕の顔に着いた泥を拭ってくれた
なんでも少しついていたらしい
できた、と僕の顔を確認するように顔を近づける
お嬢さん、ありがとう、だけど、一つだけ言わせてください
顔が近い
言おうかどうか迷ったが、お嬢さんをこんなまじかで見るのは初めてだ
言うべきかどうか迷う
それにお嬢さんも気がついたらしい、あわてて顔を離した。
お嬢さんはばつが悪そうに、笑う。
そして、何か温かいものをつくってきます、といって立ち上がろうとしたから、僕はお嬢さんの手(翼)を握って、引き留めた。
とっさだった、だが、お嬢さんの顔を見たら引き留めていた。
もう、今しか言えない、いや、決心がついた
そして、お嬢さんと正面から向き合い、しっかりと眼を見る
「…一つ、お話を、お嬢さんに僕の、僕の話していないことがあるんです。それを聞いてくださいますか?」
お嬢さんは僕の顔を見て、少しまよったような表情をしたが、真剣に頷いた。
それを見て、話を始める、僕の口から、一度も話していない、知られることを恐れている話を
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「僕は、3年前まで、帝都で呪術の研究をしてたんです」
ここはお嬢さんも知っているはずだ、前に話した。
「研究、といっても、西洋呪術のまねごとの実験を毎日繰り返すだけで、退屈でした。最高峰といわれた研究所でしたが、すでに結果の分かっている術を行うのですから」
そして、次からは誰にも話していないことで、真実をしっている者も限られている
「そんなとき、ある先生にお会いしたんです」
思い出す、西洋国が我が国に接触してくる前から呪術の研究をしていた変わり者、西洋国が接触してこなければ呪術が再評価されることもなく、誰からも理解されずに死んでいっただろう老人
しかし、そこでも先生は孤独な方で、異端の烙印を押された学者、先生が理解されることも、評価されることもなかった
しかし、先生の考え方に、僕は惹かれた。
「先生は、先生の唱えたのが、西洋呪術と東洋呪術の融合した、まったく新しいものでした。しかし、それはあまりにも異端的、先進的だったのですね、理解されることは少なかったです。だけど、僕は先生の考え方に惹かれ、先生の元で学びました」
だが、そこで満足しておけばよかったのかもしれない。
ここから、お嬢さんに話していないことだ
「ですけど、僕は不満だったんです。西洋呪術を盲目的に研究者たちは崇拝し、その何たるか、その本質も知ろうとはせず、ただ褒めたたえる。そして、わが国の呪術を劣った下等なものとし、学んだことがないのに蔑む。そういう風潮がありました」
その先の言葉を何と伝えるべきか、何と言うべきか悩む
あまりにも、考えていた言葉は、説明に用いようとした言葉は、自分を美化しすぎる、自分が嫌われないように逃げている、逃げるな、ありのままを伝えろ
「…僕は、僕はそんな風潮を覆したかった、そんな学んだこともない学問を批判する学者たちを見返してやりたかった、だから、誰もできなかった、誰も成功したことのない禁断の術を行ったんです」
禁断の術を成功させれば、きっと認めてくれる、そんな甘い考えだった
「禁断の『反魂の術』を」
お嬢さんが唾を飲み込む
西洋呪術でも東洋呪術でも、その方法は古代から模索され、そして、誰も成功したことのない術、それを研究する者には例外なく不幸が待っている、禁断の呪術
魂の、死者の復活
西洋の妖怪、ゴーストやゾンビなどはある意味死者だが、彼らは未練に縛り付けられていたり、本来の魂の劣化が激しかったりする、とても生前とは別人だ、それとは違う、完全な死者の復活
この世の根源の法すらも覆しうる、最大の秘術にして、この世界への最大の冒涜
それが『反魂の術』だ
「…誰を蘇らせようとしたのですか?」
意を決したように、お嬢さんが聞く
「母を、母を蘇らせようとしました」
後ろめたい気持ちでいっぱいになる
「母は、体の強い人じゃなく、この家も療養のために父が病気がちだった母に作った物です。まぁ、半分は父の趣味ですが、ですが、弟の二之助を産んで、それ以来、体調を崩し、僕が6歳のとき、流行り病で亡くなりました」
あの日のことを覚えている、忘れられるはずがない
暑い夏の日だった
屋敷から、母のところへ二之助と父と一緒にこの家に来ていた。
御舟さんが看病してくださっていて、僕と二之助は母様と遊んでいたが、母様が蝉を見たいと言ったので、二之助を連れて、少し、少しだけ、家を離れるつもりで蝉を取りに行ってしまった。
最後に、母様が麦わら帽をかぶせてくれて、手を振って見送ってくれたのを覚えている。僕と、二之助ともっとしゃべりたかったのだろう、なんで気がつかなかったのか、今でも後悔している。
蝉を一匹捕まえるつもりだったが、夢中になってしまって、御舟さんがつくってくれた虫籠いっぱいになるまで、蝉を取っていた。
気がつくと、すでに夕刻、急いで家に帰ると、
母様は布団で横になって、父が葬式の準備のためせわしなく動いているのが印象的だった。
あの後、容体が急変し、亡くなったらしい。
「僕は、母を、母様を、もう一度会いたい、なんて都合のいいように考えて、野心のために母の死を利用したんですよ」
自分を蔑むわけでも、陥れているわけでもない、そう思っているから言っただけだ。
「だけど、御覧の通り、失敗しました。いや、中途半端に成功したんです」
思い出す、突然西洋呪術に記載されていた、冥界の扉のイメージと同じものが、目の前に現れた時を
「…僕は、冥界の扉に魂を飲み込まれました、そしてその中で触れてはいけない物に触れてしまったんです」
広大な死の原野、千年とも万年とも、それとも一瞬とも、全てが含まれた時の空間、その中で僕は彷徨い、自我すらなくなると感覚を味わった。
「本来なら未来永劫、死の世界に残されるはずでしたが、方式が東洋呪術様式だったから肉体が現世に残っていたので、救われました。それに気がついた先生が、肉体に魂を呼びもどしてくださったんです。ですが、呪いをもらいました。今まで誰も受けたことのない呪いを受けたんです、身から出た錆びですがね」
お嬢さんの顔を見ると、真っ青になっていた。それもそうか
「その呪いって…」
手が震えた、自分の口から、説明するのも恐ろしかったからだ
「生きたいと思えば思うほど、希望を抱けば抱くほど、寿命がどんどん縮まっていく呪いです。肉体がどんどん弱まっていき、かといって自殺で死ねない呪い。体をどんどん蝕んでいく、呪いです。治療も殆ど試しましたけど、効果はありませんでした」
現代療法、薬学療法、魔療医学なんでもためした、何人もの呪術者のもとで解呪の方を試してもらった、何人もの名医といわれる医師にも見せた、だが、全員がさじを投げた。魔物化という方法も考えた、しかし、本質は人間、魔物に僕はなれないらしい、死ぬまで人間のままだ。無論、自分でも研究した、だが、研究すればするほど、絶望するしかなかった。
此処に帰ってきたのも、療養治療のひとつであった。いや、最期は母の過ごしたここで死にたかったのかもしれない、呪術者失格だが、それだけはわからない、なんとなく、ここにいた
―――希望を抱いたならば、絶望すべし
―――幸せを願うならば、不幸を尊ぶべし
それが、この呪いの文言だ
希望を抱いていけない、それは未来を夢見てはいけないことを意味している
生きたいのならば、幸せを捨て、不幸であれば、生きたいという望みがかなう
だから、死にたかった、何度も自殺も謀った、だが、死ねなかった、死で神は許してくれなかった
死を願えば生き、生を望めば死が待っている
「長生きしたければ、希望を抱かず、漠然と生きるしかない、そんな呪いです」
一息つき、顔を伏せた。
「僕は最低な、術者としても、人間としても、最低な行いをした、母の死を冒涜し、そのくせその責任から、その代価から逃げようとした男です、幸せになる権利なんてないんです」
言い終えた。
僕の話はこれで終わりだ
顔を上げられない
お嬢さんの顔を見れない、どんな顔をしているだろうか、それを知ることが恐ろしい
僕を嫌ったなら、そのまま何も言わないで行ってください、そう言おうとした時だった
「私の話も聞いてくださいますか?」
顔を上げると、お嬢さんは僕の顔をしっかりと見ていた
その眼には、僕に対する非難も、憐憫も、同情もない
ただ、その眼を知っている、何かを知られることを恐れる眼だ
その証拠に、お嬢さんの翼が震えていた。
頷く
「私は、人を殺しました」
凛とした声、迷いを断ち切るようにも聞こえた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「私は今年で22になります。ですが、父と母、それと仲間は私が5つの時に人間に殺されました」
顔を伏せず、しっかりといった、しかし、声が震えていた
「5つの時まで、隠れ里で生きていました。ここよりも、ずっと南の方にあった里です。当時は仲間のカラステングも大勢住んでいました。今思うと、大きな山にある里で、そこで、麓の里の人々から神とあがめられている、芳紀さま―大天狗さまが治めている平和な里で生まれました」
そこでお嬢さんの年齢から逆算して、17年前に何があったのか、思い出した。
「ですが、ある夜、山の麓にある村の人たちが、隠れ里を襲いました。今思うと、誰か手引きした者がいたのかもしれません。今となっては知るすべはありませんが」
廃信集信令
17年前、政府が進めていた政策の一つの実現のために出された法令の一つ
西洋文化に追い付くために研究をありとあらゆる方面から進められていた
その一つ、宗教面から出された説、それは西洋の宗教がほぼ一つの神を信仰していたのが、西洋を一つにまとめ上げた、という説だった
つまり、当時我が国は様々な万物を信仰していたが、その信仰が統一を妨げており、信仰を統一することで国家統一を図ったものだった、そのため、出されたのが廃信集信令
これは我が国で信仰している最古の神を信仰せよ、という意味で、その他の神を捨てよ、というわけではなかったが、誤解が多く伝わったと聞いた、つまり、認められていない神を祭っている社などの破壊が行われたのだ。
30年前、新政府と旧武政府の戦い―弦間大戦の影響で各国の豪族が立ち上がり、戦国の世が到来しかけていた、だが、新政府が武力によって再統一、西洋様式を進める政策を実行し、それに従わなければ実力行使にでていた、つまり、村が法令に従わなければ、どんな罰を受けるかわからない
カラステングを信仰している地域もある
つまり、お嬢さんは、お嬢さんの里は、
「あの夜は、未だに覚えています。外が騒がしく、父が様子を見に行って、表から、母に逃げるように叫び、その声を聞いて、母が外に飛び出して行って、母の叫びが聞こえ、思わず外にでると、父と母、それと大勢の里の人たちが殺されていました」
お嬢さんは瞼を閉じ、その眼から一粒の涙がこぼれる
「そして、里を襲った一人が、私を見つけると、私めがけて、なにかを構えて走ってくるのが眼に入ったんです」
「その後のことは覚えていません、気がつくと、私の足元に走ってきた人が転がっていました。たぶん神通力を使ったのでしょう、本来なら、神通力は殺生のために使ってはいけないのに、私はその、禁句を破ったのです。それから神通力が使えなくなりました。
そのあと、他の人が気がついて逃げました。どうやって逃げたのか、覚えていないんです。気がつくとどこか知らない山の中にいました。そこで、ある人に助けられました」
お嬢さんはつらそうにいった
その顔がなによりも悲しかった。僕はお嬢さんの翼を握る、何もお嬢さんは悪くないです、ということしかできなかった。
「北陸戦争で息子さんを亡くされたおばあさんで、一人で山の中に住んでいらっしゃったんです。生きるのに色々なことを教えていただきました。役割が決まっていて料理とはかおばあさんがしていたので、私はできませんでしたけど、いい人でした」
優しくしてもらいました、実の子供のようにかわいがってくださいました、そう言った。
「でも、今年の春のある朝起きると、おばあさんは亡くなっていて、私はまた一人になっちゃいまして、でも、おばあさんを埋葬して気がついたんです。一人はさみしいって
でも、あの時、おばあさん以外の人間が、怖くて、人間の里で生きるのはできませんでした。知り合いの妖怪もいません。その時、前に隠れ里にいた時、ここよりも北の所にもう人々から忘れ去られた神様に守られたカラステングの里があるって大天狗さまに聞いたことを思い出したんです。
それで、その里を目指して旅をしてたんですけど、つらい旅でしたね、見つかると子供は石を投げてくるし、妖怪だからって襲われかけたり、でも、これが私の罰だと思ったんです。人を殺した罰だって」
知らず、知らずの内に、お嬢さんの翼を握る手に力がこもる、痛い痛い、というお嬢さんの声で我に返って、手を離したが、やっぱり、握ってください、と頼まれたので、握る。
「だから最初お会いした時、怖かったんです、でも、その、眼が、父に似ていたので、甘えちゃいました」
そこで、お嬢さんが僕に言う
「私は人間を殺しました、前に一之助さんが自分に幸せになる権利なんてない、と仰ってましたが、それは私です。私はこんな女です。それに妖怪です。でも坊ちゃんを、一之助さんを愛して…」
いけない、と思った、ここまでお嬢さんに甘えることはできない、と
「お嬢さん!!」
僕はありったけの声で叫び、遮る
「これは僕に言わせて下さい」
深呼吸を一回
「お嬢さん、僕はあなたが好きです。愛してます」
「でも、私は、人殺しで…」
「そんなこと構いません!!お嬢さんは幸せになってもいいんです!!だって、もうその罰は受けました、僕は碌でなしです!!冒涜者です、ですが、必ず僕が幸せにします」
だから、
「僕の、いや私の名前は糀谷、糀谷一之助と申します。お嬢さん、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
あの時とは違う、今はその言葉が何を意味しているのか、しっている
それを知っているからこその覚悟、結婚を申し込んだ
お嬢さんはしっかりと僕の顔を見た
その眼に、涙がたまっていく
「私の名前は、チドリ、千鳥と申します」
そして、お嬢さん、いや、千鳥さんは泣きながら笑った。
「どうか、幸せにしてください」
僕も笑う
「はい、必ず」
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「の、喉渇いちゃいましたね、なにか飲み物をもってきます」
お互いに顔を合わせるのが、今は少し恥ずかしく感じ、立ち上がろうとしたが、緊張していたのだろう、足に力が入らず、そのまま僕の方に倒れてきた。
とっさに僕が受け止めた時、互いの眼があった。顔が近い、さっきよりもずっと
そのまま、僕は千鳥さんの唇に自分の唇を重ねる
千鳥さんは少し、体をこわばらせていたが、おずおずと僕の背中に翼をまわして、お互いに抱き合う形となる。
温かい、どこが温かいのか分からないが、心臓がさきほどよりも鼓動が速い
唇を離すと、千鳥さんが布団に横になり、僕を抱きしめていたから、僕も横になった
少し腕を緩めると、千鳥さんの顔を見た、美しい、そう思った。
千鳥さんは泣いていた、なんで泣いているんです?そう聞く
「うれしいからです、一之助さんに、幸せにしてもらえるなんて、夢であったなら覚めないでほしい」
「夢じゃないですよ」
笑顔で笑った、気がつくと、僕も涙が一粒こぼれていた。
おずおずと千鳥さんが言う
「愛してください、できれば優しく、おねがいします」
「はい、努力します」
あとは、言葉はいらない
そして、僕と千鳥さんは夫婦の契りを交わした
11/11/04 18:44更新 / ソバ
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