ある魔物のひまわり
夏というと夏休みの宿題とラジオ体操が憂鬱になるだろう。
祖父母の家に行くと、毎日のように祖母と祖父と近くの学校まで行き、私は一緒にラジオ体操をしたものだ。
まだ子供、小学校三年生だった私にはよくわからなかったが、行かなければならないので行っていた、とゆうのが本音だった。
だが毎回のように繰り返される夏休みのラジオ体操に、ちょっとした変化が現れた。
いつも見る大人たちの中に、見たこともない魔物の女の子がいた。
気だるそうな雰囲気で目を擦り、必死にラジオ体操をしている姿はなんとも可愛らしかった。
ラジオ体操が終わり、出席カードに判子をついてもらうと、彼女は私を見てから興味深そうにカードを覗く。
よく見れば彼女はそれらしいカードを持っておらず、どうやらただ参加しただけのようだった。
カードがないとゆうことで新しく貰い、彼女に渡すと少し嬉しそうにして、ひまわり、と言った。
もう一度聞くと、どうやらそれが名前のようだった。
翌日もひまわりは、気だるそうな雰囲気でラジオ体操をしていた。
朝ご飯食べてるの、と聞いたら、ひまわりはたくさん食べるから眠たいの、と保育園児のような事を言った。
ひまわりはムニャムニャ何かを言いながらラジオ体操をして、私はよろけそうになった彼女の身体を支える。
軽いので余裕だったが、何回もよろけるので大変だった。
三日目には遊ぶ約束をした。
祖父母の家では宿題をするか相当量のお菓子をもらうばかりだったので、ひまわりと遊ぶのはちょうどいい暇つぶしになった。
宿題をある程度終わらせてから行くと、ひまわりは、宿題終わらせて来たんだね、と笑いながら言ってきた。
なんでわかったの、と聞いても彼女は教えてくれないのが不満だった。
しばらくすると教えていないはずなのに、私の部屋まで来るようになった。
暑いというのに私と寝ていることもあり、小学生ながらドキドキしたものだ。
しかも私と同じぐらいの背丈だが、ひまわりはすでに小学校六年生で、それ以上背は伸びないの、と聞いたら本人曰く成熟しきった身体らしい。
興味あるんだー、と胸に寄せてきたひまわりの心臓の音と、その日高熱を出して鼻血まみれになったことは今でも忘れていない。
夏休み最終日前日になると、私は泣き出したひまわりを慰めるのに必死になった。
二人で支え合ったラジオ体操、ひまわりに教えてもらいながらやった宿題、綿飴を分け合った夏祭り……どうやらひまわりにとって、かなり濃い夏休みのようだった。
私にとってもひまわりと過ごしたのは二十日間ぐらいに過ぎないが、一日一日が無意味な一週間よりも濃かったのだ。
冬休みや春休みにも会いに来るから、と言ったがひまわりは泣き止まない。
困った私は、今日一日ひまわりの言うことを何でも聞こう、と言った。
ようやく泣き止んだひまわりは、お姫様抱っこをしながら駄菓子屋まで行く、と言い、私は黙って駄菓子屋まで彼女を抱いた。
駄菓子屋について喉が渇いたのでラムネを買った。
間接キスになるが私のラムネをひまわりに分け、私はそっと彼女の頭を撫でてから降ろした。
約束、と翼を出して握手をした後、駄菓子屋のアカオニが店番頼むわと、奥へこもってしまった。
私はひまわりと二人きりになり、心臓がドキドキとする。
しばらくお互いラムネを飲んでいたが、ひまわりが、目を瞑って、と言うので目を瞑った。
その直後、私の唇とひまわりの唇が重なった。
しばらく時間は静止し、私はキスが終わっても頭が回らなかった。
ひまわりは顔を真っ赤にしてから、またね!、と叫んで山へ飛んでいってしまった。
それから私は毎年の三休みにはひまわりと会うようになった。
毎回のようにキスをして久しぶりの挨拶をし、別れの時にもキスをする。
そんなことが高校卒業まで続いて、私が二十歳になり、祖父母の家で成人式を終えた報告をすると、ひまわりは私を押し倒し、強制的に私は交わらされた。
その後、浮気したりしたらわかるんだからね、と翼で口を隠しながらこちらをジト目で見てきた彼女は、なんとも愛くるしかった。
私とひまわりはそのまま結婚し、三人の子供と五人の孫に恵まれた。
年月はだいぶ経ったが、私の体は成人式の時からは老いることなく、ずっとそのままだ。
そしてひまわりは小柄なまま。
今日は仕事先である居酒屋で魔物の女の子にナンパされ、何故かそれを知ったひまわりが憤怒しながらネチネチ小言を言いながら夕餉を食べている。
何でもするからと言ったのが運の尽き、私は朝までひまわりに搾られた。
数日後、居酒屋の店長に聞いたところによれば、彼女はジパング固有の魔物、つまり妖怪だとか。
千里眼と呼ばれる能力で、私の行動を見通していたらしい。
今会話したこともバレているだろうから、今日も搾られるのを覚悟しておこう。
それとも、意表を突いてこちらからキスしてやろうかなんて思いつつ、私は帰り支度を始めるのだった。
祖父母の家に行くと、毎日のように祖母と祖父と近くの学校まで行き、私は一緒にラジオ体操をしたものだ。
まだ子供、小学校三年生だった私にはよくわからなかったが、行かなければならないので行っていた、とゆうのが本音だった。
だが毎回のように繰り返される夏休みのラジオ体操に、ちょっとした変化が現れた。
いつも見る大人たちの中に、見たこともない魔物の女の子がいた。
気だるそうな雰囲気で目を擦り、必死にラジオ体操をしている姿はなんとも可愛らしかった。
ラジオ体操が終わり、出席カードに判子をついてもらうと、彼女は私を見てから興味深そうにカードを覗く。
よく見れば彼女はそれらしいカードを持っておらず、どうやらただ参加しただけのようだった。
カードがないとゆうことで新しく貰い、彼女に渡すと少し嬉しそうにして、ひまわり、と言った。
もう一度聞くと、どうやらそれが名前のようだった。
翌日もひまわりは、気だるそうな雰囲気でラジオ体操をしていた。
朝ご飯食べてるの、と聞いたら、ひまわりはたくさん食べるから眠たいの、と保育園児のような事を言った。
ひまわりはムニャムニャ何かを言いながらラジオ体操をして、私はよろけそうになった彼女の身体を支える。
軽いので余裕だったが、何回もよろけるので大変だった。
三日目には遊ぶ約束をした。
祖父母の家では宿題をするか相当量のお菓子をもらうばかりだったので、ひまわりと遊ぶのはちょうどいい暇つぶしになった。
宿題をある程度終わらせてから行くと、ひまわりは、宿題終わらせて来たんだね、と笑いながら言ってきた。
なんでわかったの、と聞いても彼女は教えてくれないのが不満だった。
しばらくすると教えていないはずなのに、私の部屋まで来るようになった。
暑いというのに私と寝ていることもあり、小学生ながらドキドキしたものだ。
しかも私と同じぐらいの背丈だが、ひまわりはすでに小学校六年生で、それ以上背は伸びないの、と聞いたら本人曰く成熟しきった身体らしい。
興味あるんだー、と胸に寄せてきたひまわりの心臓の音と、その日高熱を出して鼻血まみれになったことは今でも忘れていない。
夏休み最終日前日になると、私は泣き出したひまわりを慰めるのに必死になった。
二人で支え合ったラジオ体操、ひまわりに教えてもらいながらやった宿題、綿飴を分け合った夏祭り……どうやらひまわりにとって、かなり濃い夏休みのようだった。
私にとってもひまわりと過ごしたのは二十日間ぐらいに過ぎないが、一日一日が無意味な一週間よりも濃かったのだ。
冬休みや春休みにも会いに来るから、と言ったがひまわりは泣き止まない。
困った私は、今日一日ひまわりの言うことを何でも聞こう、と言った。
ようやく泣き止んだひまわりは、お姫様抱っこをしながら駄菓子屋まで行く、と言い、私は黙って駄菓子屋まで彼女を抱いた。
駄菓子屋について喉が渇いたのでラムネを買った。
間接キスになるが私のラムネをひまわりに分け、私はそっと彼女の頭を撫でてから降ろした。
約束、と翼を出して握手をした後、駄菓子屋のアカオニが店番頼むわと、奥へこもってしまった。
私はひまわりと二人きりになり、心臓がドキドキとする。
しばらくお互いラムネを飲んでいたが、ひまわりが、目を瞑って、と言うので目を瞑った。
その直後、私の唇とひまわりの唇が重なった。
しばらく時間は静止し、私はキスが終わっても頭が回らなかった。
ひまわりは顔を真っ赤にしてから、またね!、と叫んで山へ飛んでいってしまった。
それから私は毎年の三休みにはひまわりと会うようになった。
毎回のようにキスをして久しぶりの挨拶をし、別れの時にもキスをする。
そんなことが高校卒業まで続いて、私が二十歳になり、祖父母の家で成人式を終えた報告をすると、ひまわりは私を押し倒し、強制的に私は交わらされた。
その後、浮気したりしたらわかるんだからね、と翼で口を隠しながらこちらをジト目で見てきた彼女は、なんとも愛くるしかった。
私とひまわりはそのまま結婚し、三人の子供と五人の孫に恵まれた。
年月はだいぶ経ったが、私の体は成人式の時からは老いることなく、ずっとそのままだ。
そしてひまわりは小柄なまま。
今日は仕事先である居酒屋で魔物の女の子にナンパされ、何故かそれを知ったひまわりが憤怒しながらネチネチ小言を言いながら夕餉を食べている。
何でもするからと言ったのが運の尽き、私は朝までひまわりに搾られた。
数日後、居酒屋の店長に聞いたところによれば、彼女はジパング固有の魔物、つまり妖怪だとか。
千里眼と呼ばれる能力で、私の行動を見通していたらしい。
今会話したこともバレているだろうから、今日も搾られるのを覚悟しておこう。
それとも、意表を突いてこちらからキスしてやろうかなんて思いつつ、私は帰り支度を始めるのだった。
13/03/15 22:46更新 / 二酸化O2