愛に命令はいらない
突然だけれど、俺は旅行と言うモノが好きではない、何故ならいい思い出よりとんでもない思い出の方が多いからだ。
中学の修学旅行では京都と魔界の……万魔殿だったか、そこで二日間過ごして、高校では夏休み期間を丸々使って魔界の砂漠一カ月旅行とかふざけた修学旅行だった。
大体の奴は中学校時代に彼氏彼女ができたけど、俺は具合が悪くなってずっと部屋で寝ていた。
でもまあ、運は向いてきたんだろう、高校でも手に入れられず……ということはなく、ようやくできた。
だけどその相手は「普通」じゃあなかったんだ。
班のメンバーからはぐれ、一人で遺跡群を歩いていたところ、床が突然崩れ落ちて遺跡の最深部とやらに迷い込んでしまったんだけどさ。
大した罠がなくて助かったんだけど、最深部の奥底に着いた俺を待ち受けていたのは――宝の山と、金色の棺桶だった。
当然っていうか、俺は好奇心で棺桶に近づいて、中身が気になって蓋をずらしてみたんだよ。
でさ、でてきたのはミイラでも骸骨でもなく……
「まさよしー! あれ、フラニアはあれがほしいぞー! かえー!」
「了解……」
俺に肩車されて乗っている、褐色肌のチビ女がでてきた。
名前はフラニア、あの遺跡の支配者だった「女王」であり、今風にいうならば「ファラオ」って言う魔物だ。
ちなみに今はオモチャ屋にいて、こいつの目に留まって気に入った物を全てカゴに入れる作業を繰り返している。
「お前さ、宝売ってお金あるからいいけど、こんなんにしていいのかよ? だいたい」
「うるせー! 『だまってろ、まさよし!』」
「むぐっ!?」
頭を叩いて、フラニアの出した言葉通りに「口が閉じる」俺。
勿論自分の意思じゃあない、こいつが俺に「命令」して、無意識下で操りやがったのだ。
ファラオってのは、他人が心の底から拒否しない限り、「命令」をすることで他人を自在に操るというか、色々やらせる能力を持っているのだ。
俺も拒否はしているつもりなんだが、毎度のことこうやって聞いちまう辺り、俺はマゾなのかもしれないと思うこともしばしばある。
「ほら、つぎはあっちいくぞー!」
「……」
「あ、『しゃべっていいぞ』」
「ぶはぁっ!! も、もうやめろよ、黙らせるのは……」
「はいはい」
「ハイは一回でいい」
俺はフラニアを肩車したまま、「命令」通りにオモチャを取ってはカゴへ入れていくのだった。
***
俺は取り立ての免許が速攻で停止されないよう、安全運転で親父から貰った車を運転していた。
助手席ではピカ○ュウのぬいぐるみを抱いて、上機嫌で車内に流れる「ぼくはくま」を聞きながら首を揺らすフラニアは、六年経ったというのに六年前からあまり変わってない。
アンデット系の魔物は肉体の加齢をしないらしいが、こいつの場合精神年齢も加齢していなさそうだ。
「きょうのごはん、おうどん?」
「お前、趣味には金遣い荒いのに食べるモンは庶民派だよな。お袋によるだろ」
「おうどんがいいー」
「お袋に言えよ」
「むー」
膨れる頬が夕日を反射し、少し眩しかった。
稲荷である俺のお袋は、まるで娘のように可愛がって、命令せずともすぐに料理を作るから俺が言うよりいいと思うが。
「そういえばフラニア、お前思い出したのかよ?」
「なにを?」
「部下とか家来がいなかった理由」
「ううん、まだ」
「そっか、悪いなつまらんこと聞いて」
「つまんねー、かえったらなんかえほんよめ、まさよし」
「うっわ、めんどくせえ……」
ふと思い出して、聞いたこと。
実はフラニアの遺跡には、一人もアヌビスやスフィンクス、果てにはマミーさえいなかったのだ。
それが不思議であり、これは修学旅行から帰ってきた後にも聞いたが、わからなかった。
記憶があやふやでもあったし、何より病院に連れてった時にCTスキャンだかをして、見つけた頭蓋骨のヒビ――どうやらフラニアはあの棺桶に入る前、誰かに頭を強く殴られたらしい。
「ふんふーん♪」
そんなことは露知らず、三か月程で完治したその本人はさほど気にはしていない。
今を生きれれば(アンデット系の魔物だけど)それでいいとか、そんなところなんだろうか。
「いえ、まだー?」
「もう着くから黙ってろ」
「へーい」
「返事はきちんとしろっての」
二階建ての、周りより少し大きな一軒家の駐車場に車を停めると、すぐさまシートベルトを外して車から降りるフラニア。
そして玄関を開け、さっさと家の中に入ってしまう。
俺はフラニアが買った、数個のぬいぐるみを入れた紙袋とシル○ニアファミリーのお家セットだかの箱を持って、俺もなんとか家に入る。
「ただいまー」
「お帰り政義、あらあら、またオモチャ買ったの?」
「まあね、フラニアは?」
「おうどん食べたいからって、今ネギ切るの手伝ってくれてるわよ」
「へえ……」
俺ん時は手伝いもせず肩車しやがって、あの幼女。
とりあえずオモチャ類を玄関に置いてから、俺もお袋に続いてリビングに向かって、台所でネギを切るフラニアを観察する。
「金はあるからいいけどさ、いつまで置いとくんだよ」
「いいじゃない、このままいても! もう家に子供がいなくなるなんて嫌なの」
「あー、はいはい」
俺には三人、姉がいるが全員が嫁に出てしまい、俺も一人暮らしをしたいのだけど、当然っていうかフラニアは許さず、俺はこの家にいることになったのだ。
お袋は未だに俺の部屋掃除してエロ本見つけたりするから、たまに死にたくなってくる。
「それに政義もフラニアちゃんに好かれているんだし」
「誰かに押し付けてえよ、あんな幼女王」
「海賊王みたいでカッコいいわねぇ」
「話聞けよ」
と、いつものように話している時だった。
「あつっ!!」
台所からそんな叫びが聞こえた。
急いでみれば、指を押さえて痛そうにしつつ目を潤ませているフラニアがいた。
「だ、だいじょうぶ!?」
「う、うん。だいじょーぶ……」
「見せてみろ。……あー、指切ったか」
「なおる?」
「消毒して絆創膏貼りゃあすぐだ、ちょっと待ってろ」
お袋が急いで取り出した絆創膏を脇に置き、近くの棚から消毒液とウェットティッシュを取り出して、まずは指に消毒液を吹き付ける。
こういうのは「滲みるぞ」だの言うから怯えるのであって、すぐにかけてやってからウェットティッシュでふき取ってやり、手早く絆創膏を付けてやれば泣きはしない。
六年間こいつと過ごしてきた知恵である。
「……い」
「あん? どうした?」
「……さい……」
「ん?」
「あ……! な、なんでもないぞ! ばんそーこーあんがとな!」
そう言いながら、リビングから出ていくフラニア……っと、どこ行くんだ、あいつ。
「フラニア!」
俺はとりあえずフレニアを追いかけ、奴の部屋へ向かったのだった。
***
前までは二番目と三番目の姉ちゃんが使っていたのだけど、今はフラニア専用の子供部屋になった部屋。
そこに明かりも点けず、布団にくるまって芋虫のようになってる幼女が一人いたので、それの隣に座る。
「お袋も心配してるから降りて来いよ」
「や……」
「お前なあ……。急にどうしたんだよ、怪我したのが恥ずかしいのか?」
「っ……! 『出てけ』!!」
「なっ」
俺の意思とは裏腹に足が立ち、出て行こうとし――
「ざけんな!」
なかった。
何とか踏みとどまり、再び芋虫もといフラニアの隣に座る。
「ななな、なんでえ……」
「いいから来いっての」
「うるさいうるさい!! 『出てけ』! 『出てけ』!」
「嫌だね! だが断る!」
「う、うぅ……」
「ほら、行くぞ芋虫」
「まって……」
「あん? なんだよ、行きたくない理由があるのか?」
「……うん。まさよし」
「なんだ」
「きいても、おこるなよ」
「内容によるな」
布団から顔を出し、あろうことか座っていた俺の膝の上に座り、俯いたまま「じゃあ」と言い出す。
「じつはな、きおく、ゆびきったらなんかもどった」
「よし、梅干な」
まずは拳で頭蓋骨を挟んで、刑罰「梅干」を開始。
「にぎゃあああああ!!」
「んで、それがどうしたってんだ?」
「う、ううー……」
「もう怒らねえし、梅干やんねえから」
「ほんとか?」
「ああ」
梅干「は」やらない、そう、梅干は。
「でな……フラニアはな、そうだ、ははうえがいなかったんだ」
「いない? っていうと……」
「フラニアをうんだとき、しんだってちちうえがいってた」
「……それが何と関係あるんだ?」
「フラニアは、もうものごころついたころから、ちちうえに『やくびょうをはこぶ』って、まいにちたたかれた」
「なっ」
それって……三歳ぐらいからってことか?
こいつ、どんな人生送ってきたんだよ……!
「たまにろうやにとじこめられたりした」
「最低だな……」
「でもちちうえは、ちちうえだから。あぬびすたちもいたから、さみしくなかった。でも……」
「何かあったのか?」
その瞬間に震えるフラニアの小さい体。
「あのとき、きゅうさいのたんじょうび、しんしつで、フラニアは、ははうえににてきたと、ちちうえに、あぁあ……!」
「ッ!! 無理に思い出さなくていい……!」
紅い瞳からは大粒のような涙が溢れて、フラニアは俺の腹に抱き付いて服を濡らす。
脚は震えて、抱き付く力が弱々しくなっていくのがわかる。
「いたかった……! いたいからやめてっていったら、なまいきだって、つえでなぐられて、あ、ああ……」
「もういい! 思い出すんじゃねえ!」
九歳。
こいつは年齢が二ケタもいってなかったのに、父親に犯された挙句――恐らく、杖で殴られて命を落としたんだ。
記憶って言うのはちょっとしたショックで蘇ると聞いたけど、あんな怪我でこんなに脅える記憶を、なんでこいつが思い出すことになったんだ。
こいつは――悪くないってのに。
「でも、しんでも、いしきがあって」
「あって?」
「ちちうえは、ぞくにはいられて、フラニアはころされたって、いって、おそうしきをしておたからを、のこして、わたしをおいて、あぬびすたちをつれて、うぅううう……!」
「……フラニア……」
思い出したくなかった記憶。
今までの明るさというか、天真爛漫な表情は消えて、フラニアは怯えと悲しみの感情にしかない。
「あれで、ねぎをきるのしっぱいしたから、みやこに、たたかれるっておもったら、こわくて……」
「……それで芋虫になってたのか」
「うん」
「フラニア、お袋は絶対そんなことしねえから、安心しろ。今までそんなことしたか、あの稲荷」
「……ううん、みやこはなでてくれる」
「だろ、だからほら、顔上げろ」
すると涙や鼻水でめちゃくちゃに汚れた顔を、俺の前に上げるフラニア。
「顔拭いたらお袋ンとこ行くぞ、おら、立たねえとアカオニさんに電話すんぞ」
「やめろ! 『すまほおとせ』!」
「ぐえ!」
手がありえない方向に曲がり、見事にスマホを落とす俺。
「てんめえ!」
「みやこー! まさよしがいじめる!」
「オイコラー!!」
「へっへーん、ざまーみろ! ……なあ、まさよし」
「あん?」
「……『フラニアをあいせ、いっしょうあいして、けっこんしろ』」
「嫌だね」
「えっ!? なんでー!?」
「聞きたいか?」
「ああ! フラニアじゃふまんか!」
「そりゃあな……。胸はまな板だし」
「政義! フレニアちゃんいじめたってどういうこと!?」
「ちげえよ!」
さっきまでの悲しげな顔してたフラニアはどこへやら。
いつも通りのムカつく笑顔のフラニアと、激おこぷんぷん丸振り切ったお袋を見ることになった俺。
逃げ惑いながらも俺は、さっきフラニアに言おうとしたことを、言わなくてよかったと思う。
命令されずとも、フラニア、俺はお前が大好きだ。
「待ちなさい!」
「嫌だっての!」
「『とまれ、まさよし!』」
「ぐっほう!」
脚がありえない方向に曲がり、転んだ俺に伝説のマザーエルボーを食らわせられ、俺の意識は飛んだのだった。
フラニアの、一番似合っている無邪気な笑顔を最後に。
中学の修学旅行では京都と魔界の……万魔殿だったか、そこで二日間過ごして、高校では夏休み期間を丸々使って魔界の砂漠一カ月旅行とかふざけた修学旅行だった。
大体の奴は中学校時代に彼氏彼女ができたけど、俺は具合が悪くなってずっと部屋で寝ていた。
でもまあ、運は向いてきたんだろう、高校でも手に入れられず……ということはなく、ようやくできた。
だけどその相手は「普通」じゃあなかったんだ。
班のメンバーからはぐれ、一人で遺跡群を歩いていたところ、床が突然崩れ落ちて遺跡の最深部とやらに迷い込んでしまったんだけどさ。
大した罠がなくて助かったんだけど、最深部の奥底に着いた俺を待ち受けていたのは――宝の山と、金色の棺桶だった。
当然っていうか、俺は好奇心で棺桶に近づいて、中身が気になって蓋をずらしてみたんだよ。
でさ、でてきたのはミイラでも骸骨でもなく……
「まさよしー! あれ、フラニアはあれがほしいぞー! かえー!」
「了解……」
俺に肩車されて乗っている、褐色肌のチビ女がでてきた。
名前はフラニア、あの遺跡の支配者だった「女王」であり、今風にいうならば「ファラオ」って言う魔物だ。
ちなみに今はオモチャ屋にいて、こいつの目に留まって気に入った物を全てカゴに入れる作業を繰り返している。
「お前さ、宝売ってお金あるからいいけど、こんなんにしていいのかよ? だいたい」
「うるせー! 『だまってろ、まさよし!』」
「むぐっ!?」
頭を叩いて、フラニアの出した言葉通りに「口が閉じる」俺。
勿論自分の意思じゃあない、こいつが俺に「命令」して、無意識下で操りやがったのだ。
ファラオってのは、他人が心の底から拒否しない限り、「命令」をすることで他人を自在に操るというか、色々やらせる能力を持っているのだ。
俺も拒否はしているつもりなんだが、毎度のことこうやって聞いちまう辺り、俺はマゾなのかもしれないと思うこともしばしばある。
「ほら、つぎはあっちいくぞー!」
「……」
「あ、『しゃべっていいぞ』」
「ぶはぁっ!! も、もうやめろよ、黙らせるのは……」
「はいはい」
「ハイは一回でいい」
俺はフラニアを肩車したまま、「命令」通りにオモチャを取ってはカゴへ入れていくのだった。
***
俺は取り立ての免許が速攻で停止されないよう、安全運転で親父から貰った車を運転していた。
助手席ではピカ○ュウのぬいぐるみを抱いて、上機嫌で車内に流れる「ぼくはくま」を聞きながら首を揺らすフラニアは、六年経ったというのに六年前からあまり変わってない。
アンデット系の魔物は肉体の加齢をしないらしいが、こいつの場合精神年齢も加齢していなさそうだ。
「きょうのごはん、おうどん?」
「お前、趣味には金遣い荒いのに食べるモンは庶民派だよな。お袋によるだろ」
「おうどんがいいー」
「お袋に言えよ」
「むー」
膨れる頬が夕日を反射し、少し眩しかった。
稲荷である俺のお袋は、まるで娘のように可愛がって、命令せずともすぐに料理を作るから俺が言うよりいいと思うが。
「そういえばフラニア、お前思い出したのかよ?」
「なにを?」
「部下とか家来がいなかった理由」
「ううん、まだ」
「そっか、悪いなつまらんこと聞いて」
「つまんねー、かえったらなんかえほんよめ、まさよし」
「うっわ、めんどくせえ……」
ふと思い出して、聞いたこと。
実はフラニアの遺跡には、一人もアヌビスやスフィンクス、果てにはマミーさえいなかったのだ。
それが不思議であり、これは修学旅行から帰ってきた後にも聞いたが、わからなかった。
記憶があやふやでもあったし、何より病院に連れてった時にCTスキャンだかをして、見つけた頭蓋骨のヒビ――どうやらフラニアはあの棺桶に入る前、誰かに頭を強く殴られたらしい。
「ふんふーん♪」
そんなことは露知らず、三か月程で完治したその本人はさほど気にはしていない。
今を生きれれば(アンデット系の魔物だけど)それでいいとか、そんなところなんだろうか。
「いえ、まだー?」
「もう着くから黙ってろ」
「へーい」
「返事はきちんとしろっての」
二階建ての、周りより少し大きな一軒家の駐車場に車を停めると、すぐさまシートベルトを外して車から降りるフラニア。
そして玄関を開け、さっさと家の中に入ってしまう。
俺はフラニアが買った、数個のぬいぐるみを入れた紙袋とシル○ニアファミリーのお家セットだかの箱を持って、俺もなんとか家に入る。
「ただいまー」
「お帰り政義、あらあら、またオモチャ買ったの?」
「まあね、フラニアは?」
「おうどん食べたいからって、今ネギ切るの手伝ってくれてるわよ」
「へえ……」
俺ん時は手伝いもせず肩車しやがって、あの幼女。
とりあえずオモチャ類を玄関に置いてから、俺もお袋に続いてリビングに向かって、台所でネギを切るフラニアを観察する。
「金はあるからいいけどさ、いつまで置いとくんだよ」
「いいじゃない、このままいても! もう家に子供がいなくなるなんて嫌なの」
「あー、はいはい」
俺には三人、姉がいるが全員が嫁に出てしまい、俺も一人暮らしをしたいのだけど、当然っていうかフラニアは許さず、俺はこの家にいることになったのだ。
お袋は未だに俺の部屋掃除してエロ本見つけたりするから、たまに死にたくなってくる。
「それに政義もフラニアちゃんに好かれているんだし」
「誰かに押し付けてえよ、あんな幼女王」
「海賊王みたいでカッコいいわねぇ」
「話聞けよ」
と、いつものように話している時だった。
「あつっ!!」
台所からそんな叫びが聞こえた。
急いでみれば、指を押さえて痛そうにしつつ目を潤ませているフラニアがいた。
「だ、だいじょうぶ!?」
「う、うん。だいじょーぶ……」
「見せてみろ。……あー、指切ったか」
「なおる?」
「消毒して絆創膏貼りゃあすぐだ、ちょっと待ってろ」
お袋が急いで取り出した絆創膏を脇に置き、近くの棚から消毒液とウェットティッシュを取り出して、まずは指に消毒液を吹き付ける。
こういうのは「滲みるぞ」だの言うから怯えるのであって、すぐにかけてやってからウェットティッシュでふき取ってやり、手早く絆創膏を付けてやれば泣きはしない。
六年間こいつと過ごしてきた知恵である。
「……い」
「あん? どうした?」
「……さい……」
「ん?」
「あ……! な、なんでもないぞ! ばんそーこーあんがとな!」
そう言いながら、リビングから出ていくフラニア……っと、どこ行くんだ、あいつ。
「フラニア!」
俺はとりあえずフレニアを追いかけ、奴の部屋へ向かったのだった。
***
前までは二番目と三番目の姉ちゃんが使っていたのだけど、今はフラニア専用の子供部屋になった部屋。
そこに明かりも点けず、布団にくるまって芋虫のようになってる幼女が一人いたので、それの隣に座る。
「お袋も心配してるから降りて来いよ」
「や……」
「お前なあ……。急にどうしたんだよ、怪我したのが恥ずかしいのか?」
「っ……! 『出てけ』!!」
「なっ」
俺の意思とは裏腹に足が立ち、出て行こうとし――
「ざけんな!」
なかった。
何とか踏みとどまり、再び芋虫もといフラニアの隣に座る。
「ななな、なんでえ……」
「いいから来いっての」
「うるさいうるさい!! 『出てけ』! 『出てけ』!」
「嫌だね! だが断る!」
「う、うぅ……」
「ほら、行くぞ芋虫」
「まって……」
「あん? なんだよ、行きたくない理由があるのか?」
「……うん。まさよし」
「なんだ」
「きいても、おこるなよ」
「内容によるな」
布団から顔を出し、あろうことか座っていた俺の膝の上に座り、俯いたまま「じゃあ」と言い出す。
「じつはな、きおく、ゆびきったらなんかもどった」
「よし、梅干な」
まずは拳で頭蓋骨を挟んで、刑罰「梅干」を開始。
「にぎゃあああああ!!」
「んで、それがどうしたってんだ?」
「う、ううー……」
「もう怒らねえし、梅干やんねえから」
「ほんとか?」
「ああ」
梅干「は」やらない、そう、梅干は。
「でな……フラニアはな、そうだ、ははうえがいなかったんだ」
「いない? っていうと……」
「フラニアをうんだとき、しんだってちちうえがいってた」
「……それが何と関係あるんだ?」
「フラニアは、もうものごころついたころから、ちちうえに『やくびょうをはこぶ』って、まいにちたたかれた」
「なっ」
それって……三歳ぐらいからってことか?
こいつ、どんな人生送ってきたんだよ……!
「たまにろうやにとじこめられたりした」
「最低だな……」
「でもちちうえは、ちちうえだから。あぬびすたちもいたから、さみしくなかった。でも……」
「何かあったのか?」
その瞬間に震えるフラニアの小さい体。
「あのとき、きゅうさいのたんじょうび、しんしつで、フラニアは、ははうえににてきたと、ちちうえに、あぁあ……!」
「ッ!! 無理に思い出さなくていい……!」
紅い瞳からは大粒のような涙が溢れて、フラニアは俺の腹に抱き付いて服を濡らす。
脚は震えて、抱き付く力が弱々しくなっていくのがわかる。
「いたかった……! いたいからやめてっていったら、なまいきだって、つえでなぐられて、あ、ああ……」
「もういい! 思い出すんじゃねえ!」
九歳。
こいつは年齢が二ケタもいってなかったのに、父親に犯された挙句――恐らく、杖で殴られて命を落としたんだ。
記憶って言うのはちょっとしたショックで蘇ると聞いたけど、あんな怪我でこんなに脅える記憶を、なんでこいつが思い出すことになったんだ。
こいつは――悪くないってのに。
「でも、しんでも、いしきがあって」
「あって?」
「ちちうえは、ぞくにはいられて、フラニアはころされたって、いって、おそうしきをしておたからを、のこして、わたしをおいて、あぬびすたちをつれて、うぅううう……!」
「……フラニア……」
思い出したくなかった記憶。
今までの明るさというか、天真爛漫な表情は消えて、フラニアは怯えと悲しみの感情にしかない。
「あれで、ねぎをきるのしっぱいしたから、みやこに、たたかれるっておもったら、こわくて……」
「……それで芋虫になってたのか」
「うん」
「フラニア、お袋は絶対そんなことしねえから、安心しろ。今までそんなことしたか、あの稲荷」
「……ううん、みやこはなでてくれる」
「だろ、だからほら、顔上げろ」
すると涙や鼻水でめちゃくちゃに汚れた顔を、俺の前に上げるフラニア。
「顔拭いたらお袋ンとこ行くぞ、おら、立たねえとアカオニさんに電話すんぞ」
「やめろ! 『すまほおとせ』!」
「ぐえ!」
手がありえない方向に曲がり、見事にスマホを落とす俺。
「てんめえ!」
「みやこー! まさよしがいじめる!」
「オイコラー!!」
「へっへーん、ざまーみろ! ……なあ、まさよし」
「あん?」
「……『フラニアをあいせ、いっしょうあいして、けっこんしろ』」
「嫌だね」
「えっ!? なんでー!?」
「聞きたいか?」
「ああ! フラニアじゃふまんか!」
「そりゃあな……。胸はまな板だし」
「政義! フレニアちゃんいじめたってどういうこと!?」
「ちげえよ!」
さっきまでの悲しげな顔してたフラニアはどこへやら。
いつも通りのムカつく笑顔のフラニアと、激おこぷんぷん丸振り切ったお袋を見ることになった俺。
逃げ惑いながらも俺は、さっきフラニアに言おうとしたことを、言わなくてよかったと思う。
命令されずとも、フラニア、俺はお前が大好きだ。
「待ちなさい!」
「嫌だっての!」
「『とまれ、まさよし!』」
「ぐっほう!」
脚がありえない方向に曲がり、転んだ俺に伝説のマザーエルボーを食らわせられ、俺の意識は飛んだのだった。
フラニアの、一番似合っている無邪気な笑顔を最後に。
18/05/22 21:27更新 / 二酸化O2