永遠の港 2
ひそひそと話される会話。
ざわめく街の人々。
ポセイダルは、親魔物領に似つかわしくない不穏な空気に包まれていた。
豊かで活気のある街であったが故に、暗い雰囲気になるとそれが顕著に出ていた。
それも当然だろう。
なにせ親魔物領ではほとんど起こらない傷害事件なのだ。
魔物は人を傷つけることなどほぼなく、魔物を傷つけることができる存在も比較的少ない。
ましてや、それが戦闘種族たるリザードマンが被害者の一人と来ればなおさらである。
そうなれば当然、まず疑惑として浮かび上がるのはちょうどその日に町に入った“勇者”、セーヤのことだ。
だが、この説はそうそうに却下された。
一つ、セーヤには監視役であるリリムがついており、犯人とは別人であると証言していること。
二つ、前日の昼間にセーヤを見かけた魔物たちから、とても悪人には思えないという魔物の本能の勘をもとにした証言が多数寄せられたこと。
三つ、そもそも彼は被害者である魔物二人を介抱しており、もし彼が犯人ならばこの町に残る理由がないこと。
大きく分ければこの三つの理由。
特に一つ目と三つ目の理由が大きい。
そのため、セーヤに対する疑惑は早々に無くなった。
しかし、犯人は未だ不明。
転移魔術による逃走から少し時間が経っていたこともあり、魔術による逆探知も難しい。
警備隊による捜査はいきなり難航することになる。
そんな中、セーヤとティオの二人にも事情聴取が行われていた。
――――――――――
「聴取の前に、まずは礼を言いたい。あなたたちが来てくれたおかげで、私は一命を取り留めた。本当にありがとう」
「いいのよ、お礼なんて。……こっちも、犯人を捕まえることができていないのだし。王女として、不甲斐ないわ」
「いえ。もとよりこの町を守るのは本来私の勤めです。姫さまが気に止むことでは……」
「いえ。私は魔物たちすべてを守る義務があるの。誰に課せられたものでもない、私が私にかけた義務。そんなん私のワガママくらい、大目に見てくれないかしら?」
「っ、はっ!わかりました!そんな姫様のワガママ、せめてこの私も精一杯応援と助力をする所存です」
「ありがとう。まだ事件は終わっていない。あなたの力、頼りにさせてもらうわ」
忠臣と王族。
普段の規律のゆるい魔物の中で、このような光景を見られるのは稀だ。
魔物が好色な性格をしているということを忘れさせてくれるほどに、この光景は神秘的であった。
(これも、リリムである彼女のカリスマの一端かな……)
ティオの発する王族の気品。
昨日とはまるで違うその様子に、セーヤもまた彼女が『王女』であると再認識した。
ガチャ。
扉が開く。
彼女の“診断”が終わったのだろう。
もとよりここは診療所。
昨夜の被害者二人が運び込まれた場所である。
その片方は今、ティオの前で忠誠を見せている場面であった。
そしてこれから、その彼女による事情聴取が行われる前。
この診療所の『先生』が出てきたわけである。
「……どういうことさね、この状況は?」
「見ての通り、姫さんに忠義を尽くす騎士の姿ですよ」
「戦士から騎士にクラスチェンジかい?まったく。ジェリカ!あんまり気負いすぎると傷が開くよ!あんまりここを忙しくさせないどいて!」
大きな声により、リザードマンに注意を促す『魔女』。
見た目幼女な人物が白衣を着てると、まるでゴッコ遊びの子供にも見える。
もちろん、彼女は治癒と診断の魔術に特化した立派な治癒魔術師である。
今、こうして出てきたということは被害者のメロウの診断と治療が終わったということだろう。
こうして、リザードマンのジェリカが先に退院しているのは、彼女がもともと丈夫であったこと。
そして、彼女の方が比較的“軽傷”だったことにある。
軽傷とは言ってもあくまで二人を比べて、ということ。
また、人間より丈夫な魔物であるということも大きい。
「先生、あの子の様子はどうですか?」
「メロウのアンジェかい?今のところ問題ないよ。最初の処置が的確だったからかね、明日になればすっかり回復してるだろうさ」
「ふぅ、良かったわ。ひとまずは安心ね」
そう言ってホッと胸をなでおろすティオ。
犯人こそまだ見つかっていない。
が、まずは死者がゼロであることにひとまず安心する。
「だがね、ひとつ気になることがあるのさ」
不穏な空気。
優秀な治癒魔術師であるこの魔女があげる“気になること”。
それは無視できるものではない。
「……なんでしょうか?」
「アンジェの容態は、“貧血”に近いのさ」
「貧血?傷ついていたならそれは当然じゃ……いや、違う?」
そう言って、ティオは思い返す。
リザードマンのジェリカ。
メロウのアンジェ。
戦闘種族であるという違いを差し引いても、おかしかった点。
あの事件現場において、地面に残った流血は“アンジェよりもジェリカの方が多かった”はずである。
であるならば、アンジェのみに“貧血”の症状が出ていること。
もし、その理由を考えるならば?
「まさか、目的って……『マーメイドの血液』!?」
『マーメイドの血液』。
マーメイド種である彼女たちの特徴であり、人間の寿命を飛躍的に伸ばすことができるという代物である。
一応、この町でも高級品としていくばくかの量が輸出されている。
が、効果が効果であるため、“人間に狙われることも多い”。
となれば、今回の相手の目的はほぼ確定と見ていいだろう。
「……………………」
「どうしたの?セーヤ」
「いや、な。大体予想はついていたんだ、『マーメイドの血液』が目的ってとこまではな」
「……ああ、あなたはあの子を介抱してたものね。傷口を見れば予想はついたってとこかしら」
「……うん。そうなんだ……。問題はその“傷口”なんだよ」
「傷口?」
そう言って、セーヤはひと呼吸置く。
自身でも、この一言がどういうものか理解しているからこそ。
「彼女の傷口は、“首筋に二つ空いていた”んだ……」
傷口が“空く”。
その言葉が意味するのは、丸い穴のような傷痕という意味。
それが意味することを、ティオが代弁する。
「“吸血、痕”……」
およそ人間の所業とは思えない。
例の犯人が行っていたこと。
マーメイド種である彼女から、“直接吸血していた”ということなのだ。
「おい待て!?犯人は男なんだ!?男である以上、彼がヴァンパイアであることはありえない!!」
「旧魔王時代の生き残り?いや、それもない。お母さんの魔力からはドラゴンだって完全に振り払えないのよ。いくら強力な個体だったとしても、男性のヴァンパイアが残っているなんて無理のはず……」
その衝撃は、魔物である彼女たちこそ大きい。
過去の先祖、それに連なるものである可能性が出てきた。
が、それはありえないと口々にそう言う。
「いや、“ありえる方法はある”」
知っている。
が、それを口に出すことを彼女たちは避けていた。
最も嫌悪し、存在すら認めたくない存在が、この町を害することなど。
考えたくはない、が、認める他ない。
思考停止して、いたずらに被害を拡大させるわけにはいかないから。
セーヤの言葉に、耳を傾け、覚悟を決める。
「『魔王の遺産』。それがこの事件の真犯人だろう」
――――――――――
「……いつ来ても、おかしくないわね」
「ああ。昨日の今日で来る可能性は十分にある」
時間は進み、夜も更けた頃。
町は閑散としていた。
事件の翌日であること。
また、皆が注意を呼びかけ、住民の外出をやめるよう呼びかけたからだ。
いくらこの町が親魔物領だとしても、今日だけはパートナーと戯れるものはひとりもいなかった。
息をひそめる住民たち。
警備に回る強者達。
夜だからこそ、警戒はより強くなっている。
断定はできないが、相手はヴァンパイアの特性を持っている可能性がある。
ならば、太陽光のない夜中こそ危険。
警戒を怠ることはできない。
「…………」
「…………」
セーヤとティオ。
二人の間に会話はない。
集中し、いかなる異変も逃さないよう警戒している。
彼らがいるのは町の中心、その屋根の上。
この町で最も戦闘能力が高い彼らは、どこへでも行けるような位置に陣取っている。
この町の住人のほとんどはもともと海を住処とする魔物たち。
地上での戦闘能力は、―――魔物としてはという言葉がつくが―――、お世辞にも高くない。
現在、警備にあたっている魔物の全てが外来の強者たる魔物たちだ。
しかし、相手はリザードマンですら一蹴する怪物。
もし他の者たちが遭遇し、自分たちの到着が遅れた場合。
それが死に直結することを、彼らは分かっていたからである。
――――――――――
「む?」
町の警備を行う者の一人、デュラハンのセリアは異変を感じ取っていた。
もともとこの町最強の騎士である彼女だからこそ気づけた異変といえよう。
ポセイダルには、結界のような防壁が存在しない。
もとよりここは魔界。
人間が脚を踏み入れれば、その魔界の魔力に耐えるだけで一苦労だ。
いくら魔力の影響を受けにくい男性とは言え、セーヤが平然としているのはあくまで例外だ。
が、今回の相手はその例外に当てはまる。
難易度の高い転移魔術を平然と行い、それも魔力の影響をほぼ無力化できる存在など想像の埒外だ。
そんな存在が、平然とその姿を現した。
彼女たちの警戒など、まるで意にも介さずに。
「現れたか……」
剣を抜くデュラハン。
相手から感じる殺気と魔力。
最大の警戒を持って、彼に対峙する。
「ああ?なんだぁ、“脳無し”のバカか。無駄な警備、ご苦労さんっと」
軽い言葉に重い殺気。
口から出る侮辱に対し、“反論の意志さえ持たせてくれない”。
そんな暇さえ感じられないほど、彼の気配は“気持ち悪かった”。
その感情は、およそ魔物が男性に向ける心象ではない。
(……話には来ていたが、対峙するだけでおぞましい)
半信半疑ではあった。
が、こうも実感すれば信じざるを得ない。
『魔王の遺産』。
彼は間違いなく所持していると。
「邪魔」
振るわれた一閃。
それは彼にとって、虫を潰すような作業でしかない。
見た目にそぐわぬ“豪腕”が、今までそれを可能にしてきた。
キイィン!!
甲高い剣閃。
その彼の一撃に対し、持てる技術を使った受け流しの業。
彼女の培ってきた経験は、間違いなく彼女を守っていた。
「ああ?」
だが、彼にとってそんな背景はどうでもいいものでしかなく。
「なに生きてんだよテメェ。生意気だから死ね」
その行為はただ、彼の琴線に触れるものでしかなかった。
ブオオォン!!
「ぐっ!?」
その一撃に対し、彼女はただ避けた。
今の攻撃は異常だ。
もし、今の剣撃を受け止めた場合。
“受け流す暇なく剣が折れる”。
今の一瞬で彼女はそう判断し、かくして彼女の行動は正解だった。
が、それはこの状況を好転する判断にはなりえない。
なぜなら、彼女はこれから相手の攻撃を全て避けなければならない。
防御は上から潰され、受け流しも今の自分には難しい。
(それでも、この相手から目をそらすわけには行かない!!)
逃走も無意味。
民家の住民に被害が及ぶ以前に、そもそもそんなことは“不可能”であるからだ。
殲滅戦も撤退戦もできない。
取れる選択肢は、自分がただやられるだけの消耗戦だけ。
「逃げてんじゃねぇよ!首だけじゃなく、その腕や足も離れるようにしてやるよ!!」
その剣閃はめちゃくちゃだ。
ただ身体能力に任せた、技のない獣のような攻撃。
だが、そんなものは必要ない。
そもそも、その身体能力が桁違いだ。
「シャッ、ハッ!」
「ハァ!!」
時折、反撃にも出る。
が、その攻撃はことごとく受け止められる。
「なに俺に攻撃してくれちゃってんですかねぇ!!」
その相手の“防御”だけで、自身の剣に限界が近づいていた。
「うっ!?」
無茶な回避を続け、思わずうめき声を上げる。
ここまで攻められてなお、彼女の剣は折れていない。
だがそれも、限界が近づいていた。
「いいかげん、落ちろぉ!!」
バンッ!!
「ガッ!?」
壁に激突するセリア。
今の一閃は今までとは違う、“魔力を込めた一撃”。
魔力を込めた攻撃は、その全てを強化する。
威力も、速さも、――――風圧も。
彼女はその、風圧と魔力の圧力だけで吹き飛ばされていた。
もはや彼女に手段は残されていなかった。
「死ねよ」
――――――――――
「させるかよ!!」
キイィン!!
町中で起こった戦闘に対して、素早く反応していた“彼ら”が届いた。
セーヤとティオ。
勇者とリリム。
この世界ではまずありえない共闘。
主神と魔王の眷属たちが、共通の敵を以て手を組んだ。
「ったくよ、どいつもこいつも……。忌々しいんだよ!!」
ギャギイイィン!!
あたりに巻き起こる風圧。
それを巻き起こすほどの一撃を、セーヤは“受け止めていた”。
よく見れば、彼の身にまとう魔力が違う。
黄金の光と、黄金に輝く剣。
彼の魔術、『オーバーライド』が既に使われているのである。
「ティオ!!今だ!!」
「オーケー」
上空から聞こえる声。
そこに浮かんでいるは魔方陣。
その直径の内側には、セーヤとティオ、そして襲撃者の三人だけが入っていた。
『転移』!!
――――――――――
周りに人の気配はない。
もとよりそういう場所を選んで転移したので当然である。
これにて作戦は成功した。
町中において、彼らは全力を出すことができない。
ならば、“転移魔術を使って町から隔離する”。
これで周りを気にすることなく戦闘が行える。
住民を巻き込むことも、ひとまずはないだろう。
「あ〜あ、こういうことね。せこい真似してくれるぜ……。」
軽い口調は崩さない例の襲撃者。
既にフードは取れており、その姿をあらわにしていた。
まず、その装備に特筆すべきものはない。
鎧も剣も、業物の域を出ない。
だが、どこからか感じる禍々しい殺気。
死を連想する魔の気配。
「――――何エラそうに“生きちゃってんですかねぇ”!!」
それがまさに“顕在化”した。
先ほどの殺気、気配がまるで実体化したかのような黒。
彼をまるで覆うかのような“影”とも言うべき魔力の塊。
影の触手が形作るのは、針。
深くえぐり刺す為だけの凶器。
狂気の牙が、二人へと襲い掛かる。
「くっ!?」
紅の剣を持って、いくつもの影と切り結ぶティオ。
手数が多い。
鋭く、まるで吹雪のような影の連撃。
ましてや、“その全てが凄まじい威力”を持つ。
百戦錬磨であり、高い能力を持つリリムである彼女だからこそ“戦いには”なっている。
「ちっ!!」
そしてそれはセーヤも同じだった。
剣技において言えば、彼はティオには劣る。
が、『オーバーライド』を使った彼のスペックはティオを凌駕する。
しかし、それはかの襲撃者には届かない。
いくらなんでも、“襲撃者の魔力と豪腕は異常だ”。
「けっ」
影の暴風雨が止む。
一時中断された戦闘は、攻撃を止めた襲撃者によるものだ。
止めた理由は、驕り。
“別にこれくらいのことはどうってことない”という、非常に傲慢な思考。
「鬱陶しい奴らだなぁ。お前たち“程度”が俺の邪魔してんじゃねぇよ」
「『マーメイドの血液』をムリヤリ奪うなんて、許せるわけ無いでしょ」
「奪った血液を、何に使うつもりだ?」
とはいえ回答は知れている。
この男の性格上、金銭目的ではないだろう。
この男に、金銭は意味がない。
“すべて強奪すればいい”。
故に、使用目的など自身の寿命の増加意外にありえない。
「“別に何も”」
ただし、使用目的など最初から無かったのであったが。
「何も、だと……」
襲撃者の発言に、セーヤは怒りをあらわにしていた。
まるでふざけている。
さんざん人々を傷つけておいて、その目的が何もないのだと。
「俺はさ、別に長寿とか興味ねぇの」
彼の思考は、ひどく歪んでいた。
「“ただ俺よりも長命な奴がいるとかマジありえないから”」
彼はどこまでも“傲慢”で。
「だからさ、奪った『血液』はさ」
ひどく歪なその思考は。
「――――“なんだっけ”?」
“彼の意思ではなく、『魔王の遺産』の意思だった”。
――――――――――
この時、二人が思い至った結論は全く同じだった。
彼は旧世代のヴァンパイアではなく、ヴァンパイアの特性を付与された『魔王の遺産』に飲み込まれていたのである。
『魔王の遺産』七つの大罪シリーズ『傲慢』。
セーヤの求める『七元徳の鍵』とは対極をなすマジックアイテム。
しかしその内容までは、彼らは知らない。
『傲慢の針』。
それがこの『魔王の遺産』の正式名称。
古のヴァンパイアをモチーフにした“ゴリ押し”の兵器。
ヴァンパイアが上級妖魔であることは今と変わらない。
高い魔力を誇り、見かけによらない豪腕の魔物。
しかしその中でもこの『傲慢の針』は『魔力』と『腕力』に非常に特化している。
ただその『力』に任せて、敵を圧殺する力。
技術はいらない。
小細工も、罠も、経験も、ただ全てを押しつぶす力技の霊装。
だが、この霊装にも弱点がある。
もとより強力ではあるが、弱点も多いのがヴァンパイア。
にんにく、真水、とりわけ日光。
これらを使えば確かに弱体化はできるだろう。
実際、彼らはある程度準備をしてきている。
しかし、圧倒的なまでの力は“弱点すら踏み潰す”。
にんにくの香気も、水属性魔術も、あの魔力の壁を越えられない。
あたり一面全てを照らせる太陽光でさえ、今は全く届かない深夜。
魔術による擬似的な光では、日光ほどの制圧力はない。
セーヤとティオは決して弱くない。
むしろこの世界の中でもトップクラスに入るだろう。
しかし、相手が悪い。
神々に等しいその『力』の前では、あまりにも無力だった。
――――――――――
「ああ、“何で俺、ムカついていたんだっけ”?」
目に焦点があっていない。
彼本来の意思は完全に塗りつぶされている。
人の身に、『七つの大罪』は重すぎた。
「別にいっか、殺せば」
闇が深みを増す。
より濃く、より鋭くなって。
引き絞られた闇の針、否、槍。
今までとは違う、“力を溜めて”の攻撃。
『傲慢を貫く吸命の針(スペルヴィア・ヴァンプバンカー)』!!
命そのものを貫く一撃が。
なすすべもなく彼らを貫く。
この逆境を覆す一手が、彼らにあったのならば話は別だが。
『願い束ねし中立の盾(ウィズダムシールド・エルゼーム)』!!
影が止まる。
彼ら二人を囲う『結界』に阻まれながら。
よく見れば、セーヤの腕輪の盾の紋章が光を放っている。
確かに、『七つの大罪』は強大だ。
それに対応できる手段はほとんど残されていない。
だが、それに匹敵するものを、既にセーヤは所持している。
『七元徳の鍵』の一つ『知恵の鍵』。
かのエルゼムの絶対的な結界。
その中核を担っていた霊装だ。
しかし、セーヤが所持しているのはあくまでレプリカの器のみ。
器しかないのならば、その中身は別から持ってくるしかない。
そう、セーヤの魔力である。
だが、その魔力消費は大きい。
いくらセーヤが優秀なスポーツカーといえど。
彼のガソリンだけでジャンボジェットを動かしているようなものだ。
当然、今の『結界』だけでかなりの魔力を消費した。
ただ、その効果は思わぬ展開へと発展した。
「ぎゃああああああぁぁぁ!?」
エルゼムの結界は独特だ。
威力ある魔力を弾くだけでなく、魔力そのものを不活性化させる空間の作成。
再現したセーヤの結界も、それとほぼ同様の効力を発揮している。
『傲慢の針』にとって、影一つ一つは全て実体。
人間で言うところの指先や髪の先に近い。
つまりは、その体が“結界に触れてしまっている”。
魔の不活性化が、彼の体に逆流しているのだ。
もし、彼が純粋な魔物、あるいは勇者であればこうはならなかっただろう。
しかし、彼は『傲慢の針』と同化している。
体の半分が、不活性化によりいきなり作り変えられた。
異なる体の急激な変化。
言ってしまえば魔力の“拒絶反応”である。
「あ……、あ……」
ショックに近い、不意のカウンター。
いくらレプリカとは言え、『七元徳の鍵』の反撃を受けた。
『傲慢の針』にも、無視できないダメージが入っている。
「――あ?」
彼の目がぎょろりと、こちらを射抜いていた。
『暗黒より出てし闇(ダークネス・オンリーアウト)』!!
「何がっ!?」
「見えない!?」
あたりを暗く染める闇の魔術。
その上位互換、暗黒魔術。
夜目の効く魔物ですら、視界を阻まれる。
“ヴァンパイア専用のフィールド”だ。
「っ!?」
キィイン!!
金属音が響く。
刃と刃がぶつかる音。
夜目こそ効かないが、殺気と気配、空気の流れから予測した防御。
今まで培ってきた経験が、ティオとセーヤを守っていた。
しかし、いつまでもそれは続かない。
今の芸当を維持しながら、完全な闇の中で敵の攻撃をさばき続けるなど出来はしない。
『黒煙を切り開け、我が瞳』!!
ティオが発動するは暗視の魔術。
通常、並の暗視魔術ではこの暗黒魔術は視認できない。
が、彼女は魔王の配下すべての魔物の特性を付与できるリリム。
“一時的に自身の瞳をヴァンパイアのものに置換する”。
かなり高度な魔術だが、暗視の魔術ではほぼ唯一この状況を打破できる。
が、それはあくまでティオ“のみ”の話である。
もとより、この魔術は高難易度。
特性も相まって、他者には付与できない。
ましてや、力が反発してしまう勇者には不可能。
きつい状況には変わりない。セーヤはこの場では目が効かないのだ。
弱体化したとは言え、『傲慢の針』相手に一対一ではかなり厳しい。
『告げる』
光が離れる。
セーヤを覆っていた力が、この後の力と入れ替わるように霧散する。
『汝、最も誇り高き貴人』
『唯一無二の誇りを持って』
『強大な力とならん』
セーヤの光の魔術では、この暗闇を攻略できない。
主神の加護だけで振り払えるほど、七罪の闇は浅くない。
『我が身に誇りを』
『汝、強き力と魔力を振るうもの』
『汝、弱き傷と弱点を背負うもの』
だが、この光景。
『我が身に宿すは誇りと“闇”』
ティオの目には、あまりにも予想外だった。
『オーバーライド』『ヴァンパイア』!!
ざわめく街の人々。
ポセイダルは、親魔物領に似つかわしくない不穏な空気に包まれていた。
豊かで活気のある街であったが故に、暗い雰囲気になるとそれが顕著に出ていた。
それも当然だろう。
なにせ親魔物領ではほとんど起こらない傷害事件なのだ。
魔物は人を傷つけることなどほぼなく、魔物を傷つけることができる存在も比較的少ない。
ましてや、それが戦闘種族たるリザードマンが被害者の一人と来ればなおさらである。
そうなれば当然、まず疑惑として浮かび上がるのはちょうどその日に町に入った“勇者”、セーヤのことだ。
だが、この説はそうそうに却下された。
一つ、セーヤには監視役であるリリムがついており、犯人とは別人であると証言していること。
二つ、前日の昼間にセーヤを見かけた魔物たちから、とても悪人には思えないという魔物の本能の勘をもとにした証言が多数寄せられたこと。
三つ、そもそも彼は被害者である魔物二人を介抱しており、もし彼が犯人ならばこの町に残る理由がないこと。
大きく分ければこの三つの理由。
特に一つ目と三つ目の理由が大きい。
そのため、セーヤに対する疑惑は早々に無くなった。
しかし、犯人は未だ不明。
転移魔術による逃走から少し時間が経っていたこともあり、魔術による逆探知も難しい。
警備隊による捜査はいきなり難航することになる。
そんな中、セーヤとティオの二人にも事情聴取が行われていた。
――――――――――
「聴取の前に、まずは礼を言いたい。あなたたちが来てくれたおかげで、私は一命を取り留めた。本当にありがとう」
「いいのよ、お礼なんて。……こっちも、犯人を捕まえることができていないのだし。王女として、不甲斐ないわ」
「いえ。もとよりこの町を守るのは本来私の勤めです。姫さまが気に止むことでは……」
「いえ。私は魔物たちすべてを守る義務があるの。誰に課せられたものでもない、私が私にかけた義務。そんなん私のワガママくらい、大目に見てくれないかしら?」
「っ、はっ!わかりました!そんな姫様のワガママ、せめてこの私も精一杯応援と助力をする所存です」
「ありがとう。まだ事件は終わっていない。あなたの力、頼りにさせてもらうわ」
忠臣と王族。
普段の規律のゆるい魔物の中で、このような光景を見られるのは稀だ。
魔物が好色な性格をしているということを忘れさせてくれるほどに、この光景は神秘的であった。
(これも、リリムである彼女のカリスマの一端かな……)
ティオの発する王族の気品。
昨日とはまるで違うその様子に、セーヤもまた彼女が『王女』であると再認識した。
ガチャ。
扉が開く。
彼女の“診断”が終わったのだろう。
もとよりここは診療所。
昨夜の被害者二人が運び込まれた場所である。
その片方は今、ティオの前で忠誠を見せている場面であった。
そしてこれから、その彼女による事情聴取が行われる前。
この診療所の『先生』が出てきたわけである。
「……どういうことさね、この状況は?」
「見ての通り、姫さんに忠義を尽くす騎士の姿ですよ」
「戦士から騎士にクラスチェンジかい?まったく。ジェリカ!あんまり気負いすぎると傷が開くよ!あんまりここを忙しくさせないどいて!」
大きな声により、リザードマンに注意を促す『魔女』。
見た目幼女な人物が白衣を着てると、まるでゴッコ遊びの子供にも見える。
もちろん、彼女は治癒と診断の魔術に特化した立派な治癒魔術師である。
今、こうして出てきたということは被害者のメロウの診断と治療が終わったということだろう。
こうして、リザードマンのジェリカが先に退院しているのは、彼女がもともと丈夫であったこと。
そして、彼女の方が比較的“軽傷”だったことにある。
軽傷とは言ってもあくまで二人を比べて、ということ。
また、人間より丈夫な魔物であるということも大きい。
「先生、あの子の様子はどうですか?」
「メロウのアンジェかい?今のところ問題ないよ。最初の処置が的確だったからかね、明日になればすっかり回復してるだろうさ」
「ふぅ、良かったわ。ひとまずは安心ね」
そう言ってホッと胸をなでおろすティオ。
犯人こそまだ見つかっていない。
が、まずは死者がゼロであることにひとまず安心する。
「だがね、ひとつ気になることがあるのさ」
不穏な空気。
優秀な治癒魔術師であるこの魔女があげる“気になること”。
それは無視できるものではない。
「……なんでしょうか?」
「アンジェの容態は、“貧血”に近いのさ」
「貧血?傷ついていたならそれは当然じゃ……いや、違う?」
そう言って、ティオは思い返す。
リザードマンのジェリカ。
メロウのアンジェ。
戦闘種族であるという違いを差し引いても、おかしかった点。
あの事件現場において、地面に残った流血は“アンジェよりもジェリカの方が多かった”はずである。
であるならば、アンジェのみに“貧血”の症状が出ていること。
もし、その理由を考えるならば?
「まさか、目的って……『マーメイドの血液』!?」
『マーメイドの血液』。
マーメイド種である彼女たちの特徴であり、人間の寿命を飛躍的に伸ばすことができるという代物である。
一応、この町でも高級品としていくばくかの量が輸出されている。
が、効果が効果であるため、“人間に狙われることも多い”。
となれば、今回の相手の目的はほぼ確定と見ていいだろう。
「……………………」
「どうしたの?セーヤ」
「いや、な。大体予想はついていたんだ、『マーメイドの血液』が目的ってとこまではな」
「……ああ、あなたはあの子を介抱してたものね。傷口を見れば予想はついたってとこかしら」
「……うん。そうなんだ……。問題はその“傷口”なんだよ」
「傷口?」
そう言って、セーヤはひと呼吸置く。
自身でも、この一言がどういうものか理解しているからこそ。
「彼女の傷口は、“首筋に二つ空いていた”んだ……」
傷口が“空く”。
その言葉が意味するのは、丸い穴のような傷痕という意味。
それが意味することを、ティオが代弁する。
「“吸血、痕”……」
およそ人間の所業とは思えない。
例の犯人が行っていたこと。
マーメイド種である彼女から、“直接吸血していた”ということなのだ。
「おい待て!?犯人は男なんだ!?男である以上、彼がヴァンパイアであることはありえない!!」
「旧魔王時代の生き残り?いや、それもない。お母さんの魔力からはドラゴンだって完全に振り払えないのよ。いくら強力な個体だったとしても、男性のヴァンパイアが残っているなんて無理のはず……」
その衝撃は、魔物である彼女たちこそ大きい。
過去の先祖、それに連なるものである可能性が出てきた。
が、それはありえないと口々にそう言う。
「いや、“ありえる方法はある”」
知っている。
が、それを口に出すことを彼女たちは避けていた。
最も嫌悪し、存在すら認めたくない存在が、この町を害することなど。
考えたくはない、が、認める他ない。
思考停止して、いたずらに被害を拡大させるわけにはいかないから。
セーヤの言葉に、耳を傾け、覚悟を決める。
「『魔王の遺産』。それがこの事件の真犯人だろう」
――――――――――
「……いつ来ても、おかしくないわね」
「ああ。昨日の今日で来る可能性は十分にある」
時間は進み、夜も更けた頃。
町は閑散としていた。
事件の翌日であること。
また、皆が注意を呼びかけ、住民の外出をやめるよう呼びかけたからだ。
いくらこの町が親魔物領だとしても、今日だけはパートナーと戯れるものはひとりもいなかった。
息をひそめる住民たち。
警備に回る強者達。
夜だからこそ、警戒はより強くなっている。
断定はできないが、相手はヴァンパイアの特性を持っている可能性がある。
ならば、太陽光のない夜中こそ危険。
警戒を怠ることはできない。
「…………」
「…………」
セーヤとティオ。
二人の間に会話はない。
集中し、いかなる異変も逃さないよう警戒している。
彼らがいるのは町の中心、その屋根の上。
この町で最も戦闘能力が高い彼らは、どこへでも行けるような位置に陣取っている。
この町の住人のほとんどはもともと海を住処とする魔物たち。
地上での戦闘能力は、―――魔物としてはという言葉がつくが―――、お世辞にも高くない。
現在、警備にあたっている魔物の全てが外来の強者たる魔物たちだ。
しかし、相手はリザードマンですら一蹴する怪物。
もし他の者たちが遭遇し、自分たちの到着が遅れた場合。
それが死に直結することを、彼らは分かっていたからである。
――――――――――
「む?」
町の警備を行う者の一人、デュラハンのセリアは異変を感じ取っていた。
もともとこの町最強の騎士である彼女だからこそ気づけた異変といえよう。
ポセイダルには、結界のような防壁が存在しない。
もとよりここは魔界。
人間が脚を踏み入れれば、その魔界の魔力に耐えるだけで一苦労だ。
いくら魔力の影響を受けにくい男性とは言え、セーヤが平然としているのはあくまで例外だ。
が、今回の相手はその例外に当てはまる。
難易度の高い転移魔術を平然と行い、それも魔力の影響をほぼ無力化できる存在など想像の埒外だ。
そんな存在が、平然とその姿を現した。
彼女たちの警戒など、まるで意にも介さずに。
「現れたか……」
剣を抜くデュラハン。
相手から感じる殺気と魔力。
最大の警戒を持って、彼に対峙する。
「ああ?なんだぁ、“脳無し”のバカか。無駄な警備、ご苦労さんっと」
軽い言葉に重い殺気。
口から出る侮辱に対し、“反論の意志さえ持たせてくれない”。
そんな暇さえ感じられないほど、彼の気配は“気持ち悪かった”。
その感情は、およそ魔物が男性に向ける心象ではない。
(……話には来ていたが、対峙するだけでおぞましい)
半信半疑ではあった。
が、こうも実感すれば信じざるを得ない。
『魔王の遺産』。
彼は間違いなく所持していると。
「邪魔」
振るわれた一閃。
それは彼にとって、虫を潰すような作業でしかない。
見た目にそぐわぬ“豪腕”が、今までそれを可能にしてきた。
キイィン!!
甲高い剣閃。
その彼の一撃に対し、持てる技術を使った受け流しの業。
彼女の培ってきた経験は、間違いなく彼女を守っていた。
「ああ?」
だが、彼にとってそんな背景はどうでもいいものでしかなく。
「なに生きてんだよテメェ。生意気だから死ね」
その行為はただ、彼の琴線に触れるものでしかなかった。
ブオオォン!!
「ぐっ!?」
その一撃に対し、彼女はただ避けた。
今の攻撃は異常だ。
もし、今の剣撃を受け止めた場合。
“受け流す暇なく剣が折れる”。
今の一瞬で彼女はそう判断し、かくして彼女の行動は正解だった。
が、それはこの状況を好転する判断にはなりえない。
なぜなら、彼女はこれから相手の攻撃を全て避けなければならない。
防御は上から潰され、受け流しも今の自分には難しい。
(それでも、この相手から目をそらすわけには行かない!!)
逃走も無意味。
民家の住民に被害が及ぶ以前に、そもそもそんなことは“不可能”であるからだ。
殲滅戦も撤退戦もできない。
取れる選択肢は、自分がただやられるだけの消耗戦だけ。
「逃げてんじゃねぇよ!首だけじゃなく、その腕や足も離れるようにしてやるよ!!」
その剣閃はめちゃくちゃだ。
ただ身体能力に任せた、技のない獣のような攻撃。
だが、そんなものは必要ない。
そもそも、その身体能力が桁違いだ。
「シャッ、ハッ!」
「ハァ!!」
時折、反撃にも出る。
が、その攻撃はことごとく受け止められる。
「なに俺に攻撃してくれちゃってんですかねぇ!!」
その相手の“防御”だけで、自身の剣に限界が近づいていた。
「うっ!?」
無茶な回避を続け、思わずうめき声を上げる。
ここまで攻められてなお、彼女の剣は折れていない。
だがそれも、限界が近づいていた。
「いいかげん、落ちろぉ!!」
バンッ!!
「ガッ!?」
壁に激突するセリア。
今の一閃は今までとは違う、“魔力を込めた一撃”。
魔力を込めた攻撃は、その全てを強化する。
威力も、速さも、――――風圧も。
彼女はその、風圧と魔力の圧力だけで吹き飛ばされていた。
もはや彼女に手段は残されていなかった。
「死ねよ」
――――――――――
「させるかよ!!」
キイィン!!
町中で起こった戦闘に対して、素早く反応していた“彼ら”が届いた。
セーヤとティオ。
勇者とリリム。
この世界ではまずありえない共闘。
主神と魔王の眷属たちが、共通の敵を以て手を組んだ。
「ったくよ、どいつもこいつも……。忌々しいんだよ!!」
ギャギイイィン!!
あたりに巻き起こる風圧。
それを巻き起こすほどの一撃を、セーヤは“受け止めていた”。
よく見れば、彼の身にまとう魔力が違う。
黄金の光と、黄金に輝く剣。
彼の魔術、『オーバーライド』が既に使われているのである。
「ティオ!!今だ!!」
「オーケー」
上空から聞こえる声。
そこに浮かんでいるは魔方陣。
その直径の内側には、セーヤとティオ、そして襲撃者の三人だけが入っていた。
『転移』!!
――――――――――
周りに人の気配はない。
もとよりそういう場所を選んで転移したので当然である。
これにて作戦は成功した。
町中において、彼らは全力を出すことができない。
ならば、“転移魔術を使って町から隔離する”。
これで周りを気にすることなく戦闘が行える。
住民を巻き込むことも、ひとまずはないだろう。
「あ〜あ、こういうことね。せこい真似してくれるぜ……。」
軽い口調は崩さない例の襲撃者。
既にフードは取れており、その姿をあらわにしていた。
まず、その装備に特筆すべきものはない。
鎧も剣も、業物の域を出ない。
だが、どこからか感じる禍々しい殺気。
死を連想する魔の気配。
「――――何エラそうに“生きちゃってんですかねぇ”!!」
それがまさに“顕在化”した。
先ほどの殺気、気配がまるで実体化したかのような黒。
彼をまるで覆うかのような“影”とも言うべき魔力の塊。
影の触手が形作るのは、針。
深くえぐり刺す為だけの凶器。
狂気の牙が、二人へと襲い掛かる。
「くっ!?」
紅の剣を持って、いくつもの影と切り結ぶティオ。
手数が多い。
鋭く、まるで吹雪のような影の連撃。
ましてや、“その全てが凄まじい威力”を持つ。
百戦錬磨であり、高い能力を持つリリムである彼女だからこそ“戦いには”なっている。
「ちっ!!」
そしてそれはセーヤも同じだった。
剣技において言えば、彼はティオには劣る。
が、『オーバーライド』を使った彼のスペックはティオを凌駕する。
しかし、それはかの襲撃者には届かない。
いくらなんでも、“襲撃者の魔力と豪腕は異常だ”。
「けっ」
影の暴風雨が止む。
一時中断された戦闘は、攻撃を止めた襲撃者によるものだ。
止めた理由は、驕り。
“別にこれくらいのことはどうってことない”という、非常に傲慢な思考。
「鬱陶しい奴らだなぁ。お前たち“程度”が俺の邪魔してんじゃねぇよ」
「『マーメイドの血液』をムリヤリ奪うなんて、許せるわけ無いでしょ」
「奪った血液を、何に使うつもりだ?」
とはいえ回答は知れている。
この男の性格上、金銭目的ではないだろう。
この男に、金銭は意味がない。
“すべて強奪すればいい”。
故に、使用目的など自身の寿命の増加意外にありえない。
「“別に何も”」
ただし、使用目的など最初から無かったのであったが。
「何も、だと……」
襲撃者の発言に、セーヤは怒りをあらわにしていた。
まるでふざけている。
さんざん人々を傷つけておいて、その目的が何もないのだと。
「俺はさ、別に長寿とか興味ねぇの」
彼の思考は、ひどく歪んでいた。
「“ただ俺よりも長命な奴がいるとかマジありえないから”」
彼はどこまでも“傲慢”で。
「だからさ、奪った『血液』はさ」
ひどく歪なその思考は。
「――――“なんだっけ”?」
“彼の意思ではなく、『魔王の遺産』の意思だった”。
――――――――――
この時、二人が思い至った結論は全く同じだった。
彼は旧世代のヴァンパイアではなく、ヴァンパイアの特性を付与された『魔王の遺産』に飲み込まれていたのである。
『魔王の遺産』七つの大罪シリーズ『傲慢』。
セーヤの求める『七元徳の鍵』とは対極をなすマジックアイテム。
しかしその内容までは、彼らは知らない。
『傲慢の針』。
それがこの『魔王の遺産』の正式名称。
古のヴァンパイアをモチーフにした“ゴリ押し”の兵器。
ヴァンパイアが上級妖魔であることは今と変わらない。
高い魔力を誇り、見かけによらない豪腕の魔物。
しかしその中でもこの『傲慢の針』は『魔力』と『腕力』に非常に特化している。
ただその『力』に任せて、敵を圧殺する力。
技術はいらない。
小細工も、罠も、経験も、ただ全てを押しつぶす力技の霊装。
だが、この霊装にも弱点がある。
もとより強力ではあるが、弱点も多いのがヴァンパイア。
にんにく、真水、とりわけ日光。
これらを使えば確かに弱体化はできるだろう。
実際、彼らはある程度準備をしてきている。
しかし、圧倒的なまでの力は“弱点すら踏み潰す”。
にんにくの香気も、水属性魔術も、あの魔力の壁を越えられない。
あたり一面全てを照らせる太陽光でさえ、今は全く届かない深夜。
魔術による擬似的な光では、日光ほどの制圧力はない。
セーヤとティオは決して弱くない。
むしろこの世界の中でもトップクラスに入るだろう。
しかし、相手が悪い。
神々に等しいその『力』の前では、あまりにも無力だった。
――――――――――
「ああ、“何で俺、ムカついていたんだっけ”?」
目に焦点があっていない。
彼本来の意思は完全に塗りつぶされている。
人の身に、『七つの大罪』は重すぎた。
「別にいっか、殺せば」
闇が深みを増す。
より濃く、より鋭くなって。
引き絞られた闇の針、否、槍。
今までとは違う、“力を溜めて”の攻撃。
『傲慢を貫く吸命の針(スペルヴィア・ヴァンプバンカー)』!!
命そのものを貫く一撃が。
なすすべもなく彼らを貫く。
この逆境を覆す一手が、彼らにあったのならば話は別だが。
『願い束ねし中立の盾(ウィズダムシールド・エルゼーム)』!!
影が止まる。
彼ら二人を囲う『結界』に阻まれながら。
よく見れば、セーヤの腕輪の盾の紋章が光を放っている。
確かに、『七つの大罪』は強大だ。
それに対応できる手段はほとんど残されていない。
だが、それに匹敵するものを、既にセーヤは所持している。
『七元徳の鍵』の一つ『知恵の鍵』。
かのエルゼムの絶対的な結界。
その中核を担っていた霊装だ。
しかし、セーヤが所持しているのはあくまでレプリカの器のみ。
器しかないのならば、その中身は別から持ってくるしかない。
そう、セーヤの魔力である。
だが、その魔力消費は大きい。
いくらセーヤが優秀なスポーツカーといえど。
彼のガソリンだけでジャンボジェットを動かしているようなものだ。
当然、今の『結界』だけでかなりの魔力を消費した。
ただ、その効果は思わぬ展開へと発展した。
「ぎゃああああああぁぁぁ!?」
エルゼムの結界は独特だ。
威力ある魔力を弾くだけでなく、魔力そのものを不活性化させる空間の作成。
再現したセーヤの結界も、それとほぼ同様の効力を発揮している。
『傲慢の針』にとって、影一つ一つは全て実体。
人間で言うところの指先や髪の先に近い。
つまりは、その体が“結界に触れてしまっている”。
魔の不活性化が、彼の体に逆流しているのだ。
もし、彼が純粋な魔物、あるいは勇者であればこうはならなかっただろう。
しかし、彼は『傲慢の針』と同化している。
体の半分が、不活性化によりいきなり作り変えられた。
異なる体の急激な変化。
言ってしまえば魔力の“拒絶反応”である。
「あ……、あ……」
ショックに近い、不意のカウンター。
いくらレプリカとは言え、『七元徳の鍵』の反撃を受けた。
『傲慢の針』にも、無視できないダメージが入っている。
「――あ?」
彼の目がぎょろりと、こちらを射抜いていた。
『暗黒より出てし闇(ダークネス・オンリーアウト)』!!
「何がっ!?」
「見えない!?」
あたりを暗く染める闇の魔術。
その上位互換、暗黒魔術。
夜目の効く魔物ですら、視界を阻まれる。
“ヴァンパイア専用のフィールド”だ。
「っ!?」
キィイン!!
金属音が響く。
刃と刃がぶつかる音。
夜目こそ効かないが、殺気と気配、空気の流れから予測した防御。
今まで培ってきた経験が、ティオとセーヤを守っていた。
しかし、いつまでもそれは続かない。
今の芸当を維持しながら、完全な闇の中で敵の攻撃をさばき続けるなど出来はしない。
『黒煙を切り開け、我が瞳』!!
ティオが発動するは暗視の魔術。
通常、並の暗視魔術ではこの暗黒魔術は視認できない。
が、彼女は魔王の配下すべての魔物の特性を付与できるリリム。
“一時的に自身の瞳をヴァンパイアのものに置換する”。
かなり高度な魔術だが、暗視の魔術ではほぼ唯一この状況を打破できる。
が、それはあくまでティオ“のみ”の話である。
もとより、この魔術は高難易度。
特性も相まって、他者には付与できない。
ましてや、力が反発してしまう勇者には不可能。
きつい状況には変わりない。セーヤはこの場では目が効かないのだ。
弱体化したとは言え、『傲慢の針』相手に一対一ではかなり厳しい。
『告げる』
光が離れる。
セーヤを覆っていた力が、この後の力と入れ替わるように霧散する。
『汝、最も誇り高き貴人』
『唯一無二の誇りを持って』
『強大な力とならん』
セーヤの光の魔術では、この暗闇を攻略できない。
主神の加護だけで振り払えるほど、七罪の闇は浅くない。
『我が身に誇りを』
『汝、強き力と魔力を振るうもの』
『汝、弱き傷と弱点を背負うもの』
だが、この光景。
『我が身に宿すは誇りと“闇”』
ティオの目には、あまりにも予想外だった。
『オーバーライド』『ヴァンパイア』!!
16/04/22 09:39更新 / チーズ
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